えーと。
ひさしぶりにここまで賛否両論分かれた反応を頂きました。
ありがとうございます。
ネット思想アイドル冥利に尽きるというモノです。
ので、今日はイスラエルとパレスチナの泥沼化の原因について書こうと思っていたのですが、ちょっと誤解されたままなのは不本意ですので、おとといの更新について述べさせていただきます。
まず、ハマスはテロリズム集団です。
これは動かしようのない事実です。
確かにテロル専門集団(?)であるアルカイダとは性格は違うでしょう。
それは正しいと思います。
しかし、だからこそオウム真理教を例に取ったのです。
オウム真理教は元々テロルをするために組織された団体ではありません。
多分、国政選挙に惨敗してから、その目的のためにテロルという手段を用いはじめたのです。
末端信者はサリン事件を計画していたなど知らなかった人も多いでしょう。
しかしアルカイダは末端組織員もテロルのための戦闘員です。
だから確かにハマスとアルカイダは違いますし、アルカイダとオウムも性格は違うモノです。
しかし、ハマスもオウムもテロリズムという手段を用いた時点で、もう言い訳が出来ない犯罪を犯したのです。
ハマスはアルカイダとは違いますが、犯罪集団であることには変わりがありません。
その思想が正しかろうと素晴らしかろうと崇高であろうと、テロルという集団を用いた時点でその団体は批判され断罪されなければならないのです。
次に、いろいろと触れるべき視点があるのですが、イスラエルとパレスチナの歴史的な対立の背景はそれなりに知っています。
しかしそれには触れませんし、今回のお話の中では全く考慮していません。
それは前回の更新で「所詮外国のことですし、元々は宗教対立からきている紛争ですし、その宗教も日本にはほとんど馴染みのないものですから、むしろそういうことを知らないままチャチャ入れるのは適切ではないと思っていますので、この紛争を中身まで意見しようとは思いません」と断らせていただいていますように、むしろやえが触れるべき事ではないと思っているからです。
どうやったって外国人が外国の文化を100%理解することなど出来ないのですから、当事者でないのでしたら安易に口出しすべきではないと思っています。
だから今回のお話でも、そのような要因は一切考えずに、テロリズムという犯罪についてその周りの反応を考えてみた、ということなのです。
もう一点、言っておかなければならないことがあります。
これはこの問題だけでなくやえの思想の全ての基本で、ことあるごとによく言っているのですが、やえの思想の視点は日本です。
全ての問題を日本人として見ます。
だから、仮にイスラム社会で正しいとされている行為でも、日本としては非常識な行為なら、やえはそれを「非常識だ」と言います。
やえは日本が最も正しいモノだと信じています。
やえは日本人ですから日本人としての視点しか見ることが出来ませんし、日本人ですから日本人としての視点が最も正しいと思っているのです。
これらを踏まえて。
では、もう一回この前の更新を読んでもらいたいのですが、やえは「イスラム教=テロリズム集団」とは言ってはいません。
この状況を見れば、「イスラム教=テロリズム」とイコールでつなげようとは思いませんが、しかし「イスラム教はテロリズムという行為を否定しないし、むしろ精神的にはテロリズムを内在している宗教」と言わざるを得ません。
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と書きましたように、イコールではつなげません。
ではなぜ「精神的にテロルを内在している」と書いたのかと言えば、それは
正直やえは、そんな犯罪者を慕い、その死に怒りをあらわにするあの辺の人々に対しては、何の同情も感じないだけでなく、むしろ呆れというか、いったい何を考えているのかなぁと思わずにいられません。
犯罪者の死に対して何を怒っているのか分かりません。
その行為は、その犯罪者の犯罪行為を肯定していることに他ならないのではないでしょうか。
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つまり、パレスチナの人々はハマスのテロルという犯罪行為を否定しないだけでなく、肯定するかのようにな振る舞いをしたからです。
やえは「さすがに日本に在住しているイスラム教徒の方々をテロリズム集団とは思っていません」と書きました。
それは、少なくとも日本に在住しておられるイスラム教徒の方々からはヤシンを肯定するような声は聞かれなかったからです。
そして日本在住のイスラム教徒の方々は、「原理主義者のようなテロルをする輩は一部であり、我々とは違う」と主張されているからです。
もしパレスチナの人々もそう主張するのであればやえも「イスラム教はテロルの精神を内在している」とは言いません。
あれはイスラム教徒の中でも異端な人たちがやっている行為で、むしろ善良で敬虔な信者達は被害者なんだな、と思っていたでしょう。
しかしそうではなく、パレスチナの人々はハマスの行為を否定しないだけでなく、むしろ肯定しているような行為をとっているので、イスラム教は「精神的にはテロリズムを内在している宗教」と言わざるを得なくなったのです。
ココまで書いてから、あるサイトさんで先日のやえの更新に対して反応していただいているのをみつけましたのでご紹介致します。
こちらですが、かなりやえの言いたいことを的確に言い表してくださっています。
問題なのは「パレスチナ民衆に“日本人と同じ視点”があるのか」ということ。別の言い方をすれば「パレスチナ民衆は、戦争とテロを別々のものと“区別”しているのか」・「テロは犯罪であり、犯罪は罰せられるもの、と認識しているのか」ということ。実地調査をしたわけではないので僕個人の勝手なイメージだが、これは恐らく「否」だろう。彼らは多分、戦争とテロを「規模の違い」以上のものとして捉えていない。犯罪性よりも目的性を認識している。ヤシン氏殺害に対するパレスチナ人の怒り、つまりはヤシン氏に対する支持の多さはそれを証明しているように思う。イスラエルへの反発、というところもあると思うけれど。
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そして、どうしてパレスチナ民衆がテロルは犯罪と認識できていないのかと言えば社会概念の強度のせいと語っておられ、パレスチナやあの辺りの社会を民主主義的な国家にすることがテロルを減らす最も近道ではないかと語っておられます。
おおかたやえはこの意見にも賛成です。
そして、この方(プロフィールがなかったモノで名前が分からないのですが)は何を基準に「社会概念の強度」としているのか分からないのですが、やえはここに宗教、つまりイスラム教を見いだしたのです。
そもそも宗教とは社会通念や常識、思想や哲学の規範を顕したモノです。
日本教と言うべき日本の宗教は空気のようなモノなのでなかなか日本人には意識されることが少ないのですが、宗教とはほぼ文化とイコールで結ばれるモノで、特に厳しい戒律を定めているイスラム教というものは人間の生きるべき姿、つまり生きるための考え方を定めている文化の根底そのものであると言えるモノです。
つまり、日本人でありイスラム教徒の人っていうのは、まず空気のような日本教の下地があって、その上にいわゆる「信教の自由」っていうふうに定められている宗教を選択しているだけですから、つまりテロルとは許されない手段であるという日本人としての常識がイスラム教より深い部分での下地としてあるので、日本人でありイスラム教徒の人は「あれは一部の原理主義者によるモノ」と断罪できているのです。
さっきのサイトさんの言い方を引用するならば
彼ら日本のイスラム教徒は少なからず「日本の視点」という洗礼を受けており、また「日本の視点」のなかで実生活を送っているのだから、ある意味では「ヌルくなった」彼らにとって、テロリストがすべからく原理主義者に見えるのは当たり前と言えば当たり前だろう。
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となります。
つまり、日本という下地がないイスラム教徒達、それはアラブに住む多くのイスラム教徒ということになるのでしょうが、そんな人たちはの考え方の下地はイスラム教であり、そしてテロルを肯定してしまっているワケですから、結果的に「イスラム教はテロリズムの精神を内在している」と言わざるを得なくなってしまっていると言えるのです。
だいぶ論が大きくなってきましたので、ちょっと原点に返りましょうか。
単純にやえには、ヤシンが殺されたことに対して怒っている人たちの姿を見ると、疑問しか浮かんでこないのです。
そしてハマスとかいうテロリズム集団に依存しているその精神が信じられないのです。
やえは、未だにオウム真理教にすがっている人たちが信じられません。
中には今でもサリン事件を信じていない現実逃避者もいるんでしょうけど、今ではそうでない人もかなりいるようです。
それでもテロリズム集団オウム真理教にすがっている、つまりオウムのテロリズムという行為を肯定している人たちのその精神が信じられないのです。
そしてそれと全く同じ気持ちでやえはパレスチナの人々やイスラム教国の人たちが信じられないのです。
これも以前書いたことがあるのですが、やえはどうして今の日本人がこんなにあちらの人たちに同情的なのか、ちょっと理解できません。
最近ではやっと減りましたが、ちょっと前までイラクと昔の日本とをリンクさせるような暴論があちこちで見られました。
これにはやえは何度も何度も否定的な文章を書いてきたのですが、どうしてそんなにあちらの人たちに肩入れするのでしょうか。
やえは向こうの歴史的な事情を深い部分までは知りませんので、そこまで同情できませんし、する気もありませんし、知ろうとも思いませんし、出来るとも思っていません。
やえは日本人ですから、むこうの深い事情を理解するには限界があると思っています。
もちろこれは白人社会に対しても同様です。
だからやえは日本人としての視点で見た時に、テロリズムなんていう最悪の犯罪を犯しているハズなのにそれを糾弾しない現地の人たちには疑問しか持てないのです。
また今の日本人に対しても、オウムに対しては否定しているのに、ハマスにはあまり否定的じゃないのが理解できません。
オウムを否定するのであれば、同じようにハマスも否定すべきなのではないでしょうか。
その違いは規模以外ではどこにあるのでしょうか。
そしてハマスを肯定するような行為を取っているイスラム教徒の人々に対して、どうして異を唱えるような言論が聞こえてこないのか、やえはとっても不思議なのです。
イスラム教がテロリズムを完全に否定するモノであるならば、むしろイスラム教が率先してテロリズムを忌避しなければならないハズです。
「あれらは異端でしかない」とアピールすることはもちろん、ハマスやアルカイダといった団体も完全に否定し、そんな団体が自国に存在しているのであれば積極的に撲滅に動かなければならないハズです。
しかしパレスチナはどうでしたでしょうか。
むしろ積極的にハマスと連携をとっていました。
また個人レベルでは、パレスチナのアラファト議長よりもハマスのヤシンの方が影響力が強かったと聞きます。
まさに国家レベルでも個人レベルでもテロリズムを肯定してしまっています。
こんなことをやっている限り日本人のやえは「あの辺の人たちはそんなものか」と思い続けることでしょう。
もし日本が自国のアイディンティティの危機に瀕するような事態に陥った時、日本はテロルという手段を講じるのでしょうか。
やえは絶対にそうは思いません。
日本は堂々と正面から戦いました。
アメリカは広島や長崎や東京で非戦闘員を殺害の目標にするというテロル以外何者でもない卑怯な行為をしましたが、日本は堂々と国に対して戦争を仕掛けました。
そして残念ながら戦争に負けた後も、天皇の声の元、しっかりと現実を受け止めて、新しい日本の道を模索しました。
それだけにやえはテロルという短絡的で卑怯な行為を肯定するあの辺の人に対しては疑問しか持てないのです。
イスラム教がテロリズムそのものとは決して言いませんが、テロリズム組織に依存したり、テロリズムを否定しない、むしろ肯定しているイスラム教徒の人々を見ると、やはりイスラム教のどこかにテロリズムの精神を内在している部分があると言わざるを得ないのです。
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