この前、どうもうまくかけないもどかしい気持ちがあって、その辺は長い目で見てくださいと書きましたが、ここが変だとか、ここが分かりにくいとか、そういうのがあったらどんどん遠慮無く教えてください。
人に言われないと気づかない点ってけっこうありますしね。
ゆっくりしかし着実に前に進んでいこうと思います。
右も左も逝ってよし!!
バーチャルネット思想アイドルのやえです。
おはろーございます。
さて。
今日はですね、あるメールをいただきましたので、そのお返事というか、レスをしたいと思います。
そのメールとは、先日小泉さんが来年の通常国会で提出すると話をしたとかなんとかで、だいぶネット上で盛り上がりを取り戻しつつある、例の人権擁護法案についてです。
以前、かなりの日数を割いて法案について意見を表明していらっしゃいました。まとめもなさっておいででしたが、いかんせんまとめ自体も分量大杉でした(^^;
そこで(可能ならばですが)シンプルに、現行の法案は成立OKとお考えかどうか、そうでない場合は「後はこの部分さえこうしたら問題はない」という形での再度のまとめなどしていただくというのは如何でしょう。
やえさんの法案内容に即した議論は判りやすく賛成できる部分も多々あったので、今時点で上記、まとめされることを願っております。
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というワケで、簡単に一日分の分量だけで、やえが今この法案に対してどう思っているのか、出来るだけ簡潔に述べたいと思います。
と言ってもですね、これはけっこう難しい問題でして、オオモトのお話をするのであれば、やえはこの法案には反対します。
というか、やえは人権という概念そのものが好きではありません。
もともと日本人には人権という概念がなくても、それぞれがそれぞれの立場で他人を尊重し合う精神というモノを持っていましたから、わざわざ明文化させていちいちと理屈をつける必要なんて無かったのです。
逆に明文化してしまうと逆に融通が利かなくなってしまい、現実問題よりも文章の方が大切にされてしまうという本末転倒のコトにもなりかねませんので、むしろそんな概念は無い方がいいとやえは思っています。
ただし、今の日本の状況を鑑みると、正直それはちょっと難しいと思っています。
そう簡単には昔あった日本人独特の高い公意識の復活は望めないでしょうから、いますぐに人権概念を無くすというコトは現実問題出来ません。
また、人権とは外国人の問題も含まれており、現在の世界状況を鑑みれば、日本だけ「人権鎖国」するワケにはいきませんので、やはり今後は人権と付き合っていかなければならないと思っています。
日本人は、外国の概念すらも日本風にアレンジし、うまく使いこなす才能を持っていますから、例えば仏教を始めとする宗教なんかがまさにそうですね、これからそのようにキチンと概念の論点整理をし理解をしていけば、それなりの「人権」というモノが出来上がるのではないかと、半分期待も込めてやえはこのように思っているのです。
このことを勘案すれば、やはりどんな形にせよ「人権法」というモノは日本にも必要になってくるでしょう。
例えこの法案が完全に廃案となったとしても、早急に別の「人権法」を作らなければなりません。
ですから、今一番大切なのは、現実的に考えて、今の世の中や民主主義国である日本の国家システムに合致した法律を作るコトであるハズなのです。
その上で、この「人権擁護法案」をどう考えるかですが、やえとしましたら、日本に今現在存在する法律と比べ、突出して逸脱した部分があるとは思えません。
もちろんこの法案はやえの理想の法律では決してありません。
しかしそんなコト言い出したらキリがないというか、なにもはじまらなくなります。
だって憲法ですら今のままで100%満足している人なんてそうはいないでしょうから、自分が100%納得するまで絶対反対と言っても、それは全く無意味な空論の話でしかなくなるのです。
もし100%を目指すのであれば、法律を変えるのではなく、まずそのバックボーンの社会の方を変えなければ意味がないのではないでしょうか。
簡単な話です。
例えば、戦前の大日本帝国こそが理想の法律・憲法であると考えるのであれば、ひとつひとつの法案にゴチャゴチャ言うのではなく、まず戦前の日本がどうだったのか、人々はどう考えるべきなのか、世界情勢はどう乗り越えていくべきなのか、こういうところを説いて、社会を変えていくコトが先決でしょう。
国民の意識をまず変える必要があるワケです。
そして、もしそれが成されたのであれば、自然に法律もそのように変わっていくコトでしょう。
まして現在の日本は民主主義国家なのですから、国民の雰囲気を完全に無視した法律など出来はしませんし、逆に言えば、国民の雰囲気ができあがれば、自然に行政も立法もその雰囲気に追随していくワケです。
ひとりひとりが好き勝手なコトを言っているだけでは政治は成り立ちません。
法律もそうです。
これは実際にある批判のひとつですが、人権委員が暴走したらどうなるんだ、その任命権者である総理大臣が暴走したらどうなるんだ、という意見があります。
しかし、こういう意見というモノは、すでに法律の議論の範疇を超えてしまっているんですね。
そもそも、何をもって「暴走」と定義づけるのでしょうか。
例えば、戦前の大日本帝国の指導者達や軍部を、暴走したととらえるか、英断したととらえるかは、やはり立場や意見の違いによって様々に評価が分かれるところです。
やえなんかは別に大東亜戦争が暴走だとは思っていませんが、現在の憲法を改正するだけで権力の暴走なんて言っている人からすれば、戦前なんて大暴走もいいところと見えるのでしょう。
このように結局「暴走」なんて言葉は、自分の立ち位置によって変わる、自分の位置から大きくブレる現象のコトを指し示す言葉でしかなく、ですから暴走なんて一言だけで批判の材料にするコトは不可能であるのです。
具体的にこれこれこうだからこうなんだと言うのであれば意見や議論になりますが、「暴走の可能性がある」と言うだけでは、それはただ単に「自分の考えとは違う」と言っているに過ぎないのであり、すなわち「自分がイヤだからイヤなんだ」と言っているだけでしかないのです。
こんなのは、ただ問題を矮小化させるだけでしょう。
現実問題は、もっと建設的に、広い視野で問題を考える必要があるハズです。
もうひとつ例えを加えるなら、先ほどもチラッと例えに出しましたが、現在憲法改正の議論が盛んになってきて、9条の問題もよく議論されるところですが、ある人達によれば、その9条を改正してしまうと日本が暴走して戦争への道を踏み出してしまうのだそうです。
と言われてもやえとしましてはそんな馬鹿なとしか言いようが無く、9条は改正すべしと思っていますが、しかしもし本当に「暴走という可能性が少しでもあれば法律として作るべきではない」という人権法にかかる意見を是とするのであれば、9条改正もやはり暴走の可能性が非常に高くなるワケですから、これにも同じように反対する必要があるコトになるのではないでしょうか。
やえは、ある程度戦争も出来るよう憲法にも“幅”を持たせておかなければ複雑な現実問題に対応できないと思っていますので憲法改正には賛成なのですが、しかし上記のような理由で人権法に反対している人は、同様に憲法改正にも反対しなければこれは重大な矛盾になってしまうハズです。
しかし、実際には人権法に反対する人の多くは憲法改正に大賛成だったりしていますよね。
これはやえがずーっと言い続けているコトですが、人権なんていうモノの概念など、そもそもが曖昧なモノなのですから、時代や場所や場合によってその解釈はどんどん変わっていきます。
今許されている行為が100年後には禁止されている行為になっているかもしれません。
日本にも、親が金で子を売っても許されていた時代があったのです。
そういう「人権」の性質を考えても、この法律の中身には“幅”を持たせておくべきだとやえは思っています。
そしてこの人権擁護法案には、訴えられた人に対して意見を聞き、申し立てができるようになっていて、なおかつ、最悪氏名等公開処分になったとしても申し立ての中身も併せて公開されるようになっていますコトから、やえは十分に幅を持たせられていて且つ公正性も十分に担保できていると解釈しています。
そして、これらの幅の存在や公平性などを勘案すれば、やえはやえが考えるこれからの「人権政策」からはそんなに外れていないと考えています。
もちろん中身についてもちゃんとチェックをして、これなら日本国の法律として問題ない範疇に入ると思いましたし、さらに人権という曖昧さが含まれる概念の特殊性もしっかりと反映された法案だと思っています。
この辺の中身はこちらの特設ページをご覧下さい。
むしろ、反対する人たちに聞きたいのですけど、もちろん様々な理由でそれぞれの人が反対とか意見を言うのは結構なコトだとは思うのですが、そうであるならば、ではこれからの「人権政策」に対してはどう考えているのかお聞かせ願いたいと思うのです。
ただただ反対と言うだけではむしろ状況を悪化させるだけでしょう。
もし本当に「人権鎖国」をするというのであればそうハッキリと主張してもらいたいですし、それはひとつの意見として主張するコトは正当な行為だと思いますから、それならばそう主張してもらいたいものです。
自分がどういう社会を作りたいのかという思想がないままに、ただただ反対を声高らかに主張したところで、それは幕末の時にただ単に「ガイジンを追い払え」としか言わなかったような輩と同じで、何にもならないただ気持ちがいいだけの独りよがりの言葉にしかならないのではないでしょうか。
まずは自分がどのような社会を作りたいのか、望んでいるのか、そして人権政策に対してどのような対策がベストであるのかベターであるのか考えているか、その辺を整理してもらいたいなとやえは思っています。
やえのこの法案に関する概論的な考えは以上のようなモノです。
全くの理想は人権という概念が存在しない時代の公意識の復活ですが、純粋にそれだけを望むのはもはや不可能というしかないですし、今の時代にはそぐわない考え方も多くありますから、今は現実的に「昔の公意識に出来るだけ近づけるような“人権意識”」の構築がやえの目指すべきところであると思っています。
その上で、この法案はそれを前進させるかどうかは運用にかかってくると思いますが、阻害するモノではないと今のところは考えているのです。
バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、日本伝統の高い公意識を応援しています。
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