☆よく読めば分かる人権擁護法案☆
バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳の考察・議論・自民党部会レポ〜


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■人権擁護法案をめぐる議論U■
(平成20年から書かれた関連文章)
 
第一回 人権擁護法と人権委員会の国家システムでの位置づけ第二回 不当圧力に対しての人権擁護法
第三回 具体的反対論に対する指摘第三回 具体的反対論に対する指摘(中)
第三回 具体的反対論に対する指摘(下)
第四回 道具としての法律

 
人権擁護法案の自民党議論U 1人権擁護法案の自民党議論U 2人権擁護法案の自民党議論U 3
人権擁護法案の自民党議論U 4人権擁護法案の自民党議論U 5 〜太田私案1〜

人権擁護法案を巡る議論でのある雰囲気について最近の自民党人権問題等調査会の様子



人権擁護法案(1)人権擁護法案(2)人権擁護法案(3)人権擁護法案(4)
(一番最初に扱った文章です。いまとは違う意見や間違い等がある可能性があります)



平成17年4月17日

 人権擁護法案総論−前書−

 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 
 そろそろこの問題について、一回まとめておこうと思います。
 と言っても、自民党の法務部会によってはまた内容が変わってくるので、まとめても無駄になる可能性もあるのですが、それはそれとして、とりあえずは議論のためにもまとめておく必要があると思いますので、やってみたいと思います。
 
 
 まずはですね、もう法案以前の、やえの人権というモノの考え方というモノを述べておきたいと思いますます。
 あまり人権法案とは関係ないのですが、一度表明しておく必要があるように感じましたので、まずはお聞きください。
 
 前にもチラッと言ったのですが、これ言いだしたら一週間分ぐらいの更新になってしまいうですから簡単に言いますけど、やえは元々「人権」という言葉・定義が好きではありません
 というか嫌いです。
 こんなモノは西洋文化の明文化の文化の産物でしかなく、逆に言えば、人権という定義を作らなければ西洋は成り立たなかったからこそ、西洋はこんなモノを作り出したワケです。
 しかしもともと日本にはこんなモノは必要ありませんでした。
 日本人は、それぞれの時代において、どんな身分であろうとも、分相応に自分の生き方というモノがあり、それを全うしてきたのです
 一行の方で「切り捨て御免」とか書いてありましたけど、武士だって農民を理由もなく無差別に斬り殺してよかったワケではありません。
 そんな輩がいたら、当然お上によって罰せられたでしょう。
 これは人権というモノがあったからではなく、日本の悠久の歴史から培われてきた常識によって、「これはダメだ」と、共有認識を日本人が持っているからに他ならないのです。
 「大岡裁判」という言葉があって、これは大概の場合において良い意味で使われているワケですが、これはまさに明文化とは真逆の存在と言えるでしょう。
 このように、日本では明文化の法に頼る必要のない、高い倫理によって支えてこられた国であり、ですから人権というモノも、本来は必要のないモノだとやえは思っているのです。
 
 ですから、根本的に言ってしまえば、人権法も必要ないとは思っています。
 しかし、現代の世界状況に鑑みれば、残念ながらそうは言っていられません。
 刑法だって無くても問題ないのであれば、無いにこしたコトはありませんが、それは無理ですよね。
 現代日本は、西洋の明文化の文化に基づく法体系を採用してしまったという側面も合わせて、どんな事態になっても、キッチリと定義されている文章によって全てが対応できているような法律を作っておく必要があるワケです。
 
 そして、残念ですかと言うべきなのでしょうか、すでに人権という言葉は、日本でも定着してしまっています。
 憲法にもその言葉がハッキリと明記されています。
 そうなっている以上は、やはり人権について法律を作る必要はあるのです。
 法治国家として、法律を作らなかったという行為は、不作為となってしまいます。
 行政・立法の不作為という問題は時々出てくる問題でして、問題が起きると予見できるのであれば法律を作る義務が立法府にはあるワケで、作る時には作るなと言って問題が起きたら不作為だと批判するのはこれはメチャクチャなワケですから、やはり法律は作る必要があるです。
 そもそも実際には問題は起こっているワケでして、それは同和の問題もそうですし、子供の問題ですとか、性に関する問題もありますし、そしてその一方、行きすぎた人権糾弾行動というモノも立派な人権侵害なのですから、それも見据えての解決に向けた法律を作ることは、法治国家としての責務ではないのでしょうか。
 
 
 それらを踏まえまえていただきまして、人権法というモノを考えて行きたいと思います。
 
 法律が必要なコトは先ほど述べました。
 では、どのような形態の法律が望ましいのでしょうか。
 現在、自民党内の議論におきまして、現在出されている法案以外に、もうひとつの可能性を示しているモノがあります。
 「まず基本法を作り、その上で実際の問題に即して現行法を改正したり個別法を作っていったりすべきだ」という方法論の、「基本法構想」です。
 これは「真の人権問題を考える議員懇談会」という、平沼赳夫先生が会長を務められ、城内実先生が事務局長をされておられる、あと安倍晋三先生も入っておられると話題になりました議員連盟にて検討が進められているお話だそうです。
 やえは、この方法論もとても良いモノだと思っています。
 常々やえは「人権というモノは具体的に明確に定義できるモノではない」と主張していますから、もしかしたら「基本法構想」の法が個別法で対応できるという意味において、優れていると言えるのかもしれません。
 ただし、この「基本法構想」は、まだ形が見えていないモノです。
 間違って欲しくないのは、いくら「基本法構想」が正しい法律だったとしても、それだけの理由で現行の法案が間違っているという根拠には全くならないというコトです。
 どちらも正しい法案だと、並立する場合だってあり得るワケです。
 ですからですね、ではどっちが優れているのかと考えた場合、それはもう比べるしかないワケです。
 どっちがどうだと、具体的に比較するしかないんですね。
 よって、「基本法構想」があるにしても、まずはこの「基本法構想」を、構想ではなく、法案として形にしてもらわないと、それを評価するコトは出来ませんし、それは自動的に現法案を否定する材料にもならないのです。
 もし「真の人権問題を考える議員懇談会」が、基本法構想に基づく法律案を出しましたら、やえはまた粛々と中身について検討していきたいと思っていますし、またその際には現行法案と比較し、どちらがより「人権救済」にふさわしいか評論していきたいと思います。
 
 もちろんそういう意味において、「真の人権問題を考える議員懇談会」が法律案を出すまでは、古賀先生を中心とする現法案を国会に提出するのは待つべきだ、という意見は正しいと思います。
 やえもできるなら、そうして欲しいと思っています。
 ただ、この辺は、政治の中の政治というか、議員の先生方のパワーバランスが非常に大きなウエイトを占める問題になってしまいますので、やえとしましては、どうなんでしょうかねぐらいにしか言えないというのが本音です。
 まぁしかし、そのために「真の人権問題を考える議員懇談会」を急遽立ち上げられたのでしょうし、会長には古賀先生と志士の会という勉強会を共にし同志でありライバルでもある平沼先生が就かれていますから、そういう意味でも、この懇談会に期待したいと思っています。
 
 ただ一部ではどうも、「真の人権問題を考える議員懇談会」が“広義の人権法”全てに反対している勉強会のように思っている人がいるみたいですが、それは違うでしょう。
 やはり責任政党自民党の議員として現実に問題としてある以上法律を作るのは責務でありますし、パリ原則もあって、ここまで議論された問題であるのですから、勉強会を作った以上は形として法律案を作るというのは最低限の義務だと言えます。
 よって、なおのコト、まずは基本法構想も形として法律案を出してもらわないコトには、「真の人権問題を考える議員懇談会」としての評価というモノは下せません。
 ですから、一刻も早く同懇談会には法律案を出してもらいたいとやえは思っています。
 
 
 えーと、ごめんなさい。
 こんなところで切ってしまうと、この後が長くなりすぎるのですが、しかしここぐらいしかいい場所がないので、いったんここで切りたいと思います。
 明日からもしばらく人権法についてやっていきたいと思いますが、これだけではさすがにアレですから、他のお話もたまには混ぜながら、更新していきたいと思います。
 もうしばらくおつきあいください。
 

平成17年4月18日

 人権擁護法案総論(2)−一般救済手続−


 それでは、現法律案についての中身に移りたいと思います。
 なお、これから書くコトに関しましては、4月8日に自民党の法務部会で提示されました修正案を含んだモノを「人権擁護法案」と呼びます。
 よって、衆議院のサイトなどで公開されている、今国会以前に提出された法案とは中身が多少変わっていますので、ご注意ください。
 
 この法案についてはいろいろと問題点が指摘されているワケですが、まず根本的な話から入りたいと思います。
 それは、「この法案が成立したらどう変わるのか」というコトです。
 具体的に言いますと、現状でも人権を侵害するコト、差別をするコトというのは、倫理的にも法的にも許されない行為であるのは間違いないところでして、よってではこの法案が成立した後に人権侵害をしたらどうなるのか、というところに「どう変わるのか」という点を見て取れるのだと思います。
 現行法では、人権侵害があった場合には、刑事・民事の裁判があり、侵害者には刑事罰が加えられ、被害者は名誉回復や損害賠償を請求する行為をとるコトになります。
 では、この法案が成立したらそれがどう変わるのか、という話ですね。
 
 この法案で、現行から最も変わる点、それは「救済手続」です
 人権が侵害された場合、今までのような時間も手間もかかるような裁判という手段ではなく、その一歩手前の段階にて、行政手続によって迅速に侵害から救済しようというのが、この法案の一番重要な趣旨になっています。
 それは第一条からも見て取れます。

 (目的)
 第一条
 この法律は、人権の侵害により発生し、又は発生するおそれのある被害の適正かつ迅速な救済又はその実効的な予防並びに人権尊重の理念を普及させ、及びそれに関する理解を深めるための啓発に関する措置を講ずることにより、人権の擁護に関する施策を総合的に推進し、もって、人権が尊重される社会の実現に寄与することを目的とする。

 この法案でまずいちばん最初に明記してあるのが「被害の適正かつ迅速な救済」です。
 ここからも、救済手続がこの法案のキモであるコトが分かると思います。
 
 それでは、救済手続について条文を読んでみましょう。
 まず、救済手続には「一般救済手続」と「特別救済手続」という2種類の手続があるのですが、前置きとして第三十八条にこのような条文をおいています。

 (救済手続の開始)
 第三十八条
 何人も、人権侵害による被害を受け、又は受けるおそれがあるときは、人権委員会に対し、その旨を申し出て、当該人権侵害による被害の救済又は予防を図るため適当な措置を講ずべきことを求めることができる。
 
 2 人権委員会は、前項の申出があったときは、当該申出に係る人権侵害事件について、この法律の定めるところにより、遅滞なく必要な調査をし、適当な措置を講じなければならない。ただし、当該事件がその性質上これを行うのに適当でないと認めるとき、不当な目的で当該申出がされたと認めるとき、人権侵害による被害が発生しておらず、かつ、発生するおそれがないことが明らかであるとき、又は当該申出が行為の日(継続する行為にあっては、その終了した日)から一年を経過した事件に係るものであるときは、この限りでない。
 
 3 人権委員会は、人権侵害による被害の救済又は予防を図るため必要があると認めるときは、職権で、この法律の定めるところにより、必要な調査をし、適当な措置を講ずることができる。
 
 4 人権委員会は、この法律の定めるところにより調査をした結果、人権侵害による被害が発生し、又は発生するおそれがあると認められないことその他の事由によりこの法律の規定による措置を講ずる必要がないと認める場合において、当該調査を受けた者から当該調査の結果についての通知を求める旨の申出があったときは、当該申出をした者に対し、当該調査の結果を通知しなければならない。

 この条項は、改正された(される予定の)部分が多く含まれています。
 人権侵害があった場合は人権委員会に申出をし、申出を受けた人権委員会は救済や適切な措置をとならなければならないと定めている一方、不当な目的で申出がされたときには即刻突き返し、さらには申出をした人間に「人権侵害ではありません」と通知を出さなければならない、と定められている条文です。
 また、「一年を経過した事件に係るものであるとき」と定められていますので、例えばいわゆる“従軍慰安婦問題”も、この法では当てはまらないコトになりますね。
 
 やえはこの「措置を講ずる必要がないと認める場合」における申出者に対する通知というモノも、氏名や内容等公開するなどして、誤った申出に対しては一定のペナルティを与えるべきだと思っています。
 そんなコトをしたら本当に申し出なければならない人が萎縮してしまって申し出られなくなってしまう、という意見が出てくると思うのですが、しかし逆に被告人(法律用語的には被告人は適切ではないのですが、加害者というと処分決定前の段階においては適切ではないと思いますので、当サイトでは訴えられた人いう意味においての被告人と呼ぶコトにします。以下同)とされた人は強制的に被告人にされてしまうワケでして、被告人は選択の余地は無いワケですから、だからこそ同じぐらいのプレッシャーは申出者も受けるべきです。
 本当に自分が救済が必要だと感じるのであれば、ペナルティーを受けるコトはないハズなのですから、堂々と申出をすればいいのです。
 しかも、その前に後述する人権擁護委員によって、被害者は申し出する以前から様々な相談などを受けているハズですから、その点において、すでに被害者であるという立場は十分に保護されていると言えるでしょう。
 もちろん申出する内容によっては、被告人に対して強制力を持たないような措置になる場合もありますので、全て場合において氏名公開などする必要はないと思いますが、しかし被告人に対する処分と同等のレベルで、間違って申出した場合には、ペナルティーを課すべきだとやえは思っています。
 
 また後で詳しく書くコトになると思うのですが、やえが現時点でこの法案に最も疑問を持っている、誤った告発をされた場合の救済措置が全く定められていない、という点を補完する意味においても、この不当申出者のペナルティーは有効だと思いますので、ここは是非シッカリと整備してほしいところです。
 
 
 では、まず一般救済手続について見ていきましょう。

 (一般救済)
 第四十一条
 人権委員会は、人権侵害による被害の救済又は予防を図るため必要があると認めるときは、次に掲げる措置を講ずることができる。
  一 人権侵害による被害を受け、又は受けるおそれのある者及びその関係者(第三号において「被害者等」という。)に対し、必要な助言、関係行政機関又は関係のある公私の団体への紹介、法律扶助に関するあっせんその他の援助をすること。
  二 人権侵害を行い、若しくは行うおそれのある者又はこれを助長し、若しくは誘発する行為をする者及びその関係者(次号において「加害者等」という。)に対し、当該行為に関する説示、人権尊重の理念に関する啓発その他の指導をすること。
  三 被害者等と加害者等との関係の調整をすること。
  四 関係行政機関に対し、人権侵害の事実を通告すること。
  五 犯罪に該当すると思料される人権侵害について告発をすること。
 
 2 人権委員会は、委員、事務局の職員又は人権擁護委員に、前項第一号から第四号までに規定する措置を講じさせることができる。

 また、この一般救済手続を行う前段階として、人権委員会は調査等をするコトができるようになっています。

 (一般調査)
 第三十九条 人権委員会は、人権侵害による被害の救済又は予防に関する職務を行うため必要があると認めるときは、必要な調査をすることができる。この場合においては、人権委員会は、関係行政機関に対し、資料又は情報の提供、意見の表明、説明その他必要な協力を求めることができる。
 
 2 人権委員会は、委員、事務局の職員又は人権擁護委員に、前項の調査を行わせることができる。

 ではまず、救済の方を見ていきます。
 第四十一条で定められている救済方法をザッと書き出しますと、「助言」「関係団体への紹介、あっせん」「人権尊重の理念に関する啓発、指導」「両者間の調整」「行政機関への通告」「告発」です。
 最後の「告発」に関しましては、「犯罪に該当すると思料される」場合のみです。
 まぁ、当然と言えば当然ですね。
 「助言」「関係団体への紹介、あっせん」「行政機関への通告」につきましても、これは被告人に対しては関係ない話でして、特に問題は無いでしょう。
 「人権尊重の理念に関する啓発、指導」は、むしろ後述する人権擁護委員の仕事になるんじゃないかと思うのですが、この救済手続は擁護委員でも行えるコトになっていますから、まぁ適切だと言えるでしょう。
 最後の「両者間の調整」ですが、これは後述する「特別救済手続」における「調停及び仲裁」とのかねあいから、「調整」とはかなりゆるやかになるものになると思われます
 すぐ下の「調査」についてのところでも書いてあるのですが、一般救済手続には強制権を持ちうるような措置は存在しませんので、調整と言っても、ほとんど「話し合い」のレベルなのだろうと思われます。
 さほど気にするほどのコトでもないでしょう。
 
 次に第三十九条に定められている調査についてですが、条文にはこれしか書いていません。

 職務を行うため必要があると認めるときは、必要な調査をすることができる。この場合においては、人権委員会は、関係行政機関に対し、資料又は情報の提供、意見の表明、説明その他必要な協力を求めることができる

 つまり、どのような行為までを調査とするのか、あまり明確ではないんですね。
 ただ、前後の条項から想像するに、おそらくは、事実関係の確認が主になるのではないでしょうか。
 「本当に被告人は被害者が訴えるような言動をとったのかどうか」という確認が主になるでしょう。
 よって、関係行政機関に対し、資料請求できるというのも妥当だと言えます。
 あくまで行政機関に対してのみであり、民間は対象になっていませんので、例えばプロバイダーからIPの開示を求めるといったようなコトは不可能です。
 
 ちなみに、よく問題視されている「立ち入り調査や物品の押収、またそれを拒否した場合の過料」ですが、それは一般救済手続には規定されていませんし、過料も第三十九条には当てはまらないコトになっています
 となれば自動的に、人権委員会が強制的に何かを求めたりするコトは出来ないとなるワケです。
 ですから、さきほど述べました「調査」についても、呼び出しや立ち入り物品の押収などは行われないコトになりますから、やはり「調査」は「事実関係の確認」ぐらいになるのではないかと思われます。
 当然の話ですが、この場合において氏名の公開なども行われません。
 それはその内容が規定されている第六十条においても明確です
 
 結局、一般救済手続というモノは、救済と言ってもかなりゆるやかなモノであり、基本的には人権啓蒙活動や、最も踏み込んだとしても「まぁまぁ、それは人権侵害だからやめるべきですよ」と言うぐらい程度にとどまるコトになるでしょう。
 唯一強い行動と言えば「告発」となるでしょうが、しかし告発はある意味誰でも出来る行為ですし、裁判になればあとは裁判所の権限下におかられるワケですから、それが問題とは言えないでしょう。
 逆に言えばそれ以上の権限は認められていませんのでそれ以上はなにも出来ないワケでして、犯罪性が無く、意見の相違である場合においては、普通に人権委員会や被害者との議論が可能であるでしょうし、その場合は「調整」というコトになるのでしょう。
 基本的には犯罪性が高い場合を除き、全て「話し合い」で終わる程度と考えて差し支えないと思います。
 

平成17年4月20日

 人権擁護法案総論(3)−特別救済手続の内容−


 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 
 では、特別救済手続にいきましょう。
 これには一般救済手続にはない、様々な措置が用意されています。
 書き出しますと
 
 ・調停及び仲裁(第四十五条〜第五十九条)
 ・勧告及びその公表(第六十条・第六十一条)
 ・訴訟援助(第六十二条・第六十三条)
 ・差別助長行為等の差止め等(第六十四条・第六十五条)
 
 です。
 本来なら条文を引用すべきところではあるのですが、やたらめったら長くなりますので、必要な部分だけを引用していきます。
 
 「調停及び仲裁」ですが、まず「調停」と「仲裁」は、名前は似ているのですが、条文中では明確に違うモノと定義されています。
 先に「仲裁」なのですが、これは「仲裁委員を仲裁人とみなして、公示催告手続及ビ仲裁手続ニ関スル法律(明治二十三年法律第二十九号)第八編(仲裁手続)の規定を準用する。」と定義されています。
 で、その「公示催告手続及ビ仲裁手続ニ関スル法律」なのですが、これ明治憲法下での民法でして、漢字とカタカナで書かれている法律文で、ちょっと読みとるのがかなり困難でして、やえは頓挫しました(笑)
 ごめんなさい、法律に、特に民法に詳しい人おしえてください(笑)
 ただし、この部分に関しましては、民法に規定されているコトをそのまま履行するというだけのコトですから、全く問題は無いと言えるでしょう。
 
 次に「調停」ですが、こっちは人権擁護法オリジナルのモノのようです。
 条文が長いので簡単に言いますと、人権委員会の責任において選定された3人の人権調整委員が、当事者の事情を聴取しながら「調停案」を作り、それぞれに受諾を勧告する、というモノです。
 端的に言えば、和解勧告ですね。
 そしてこの「調停」には強制力がありませんから、その調停案を必ず受託する必要はありません。
 まぁこれで調停できればいいなというコトでして、調停案を双方が受諾した場合、氏名の公開などの過料を課されるコトはありません。
 
 さらに言えば、この「調整及び仲裁」につきましては、「当事者の一方又は双方は、人権委員会に対し、調停又は仲裁の申請をすることができる」となっており、差別したと訴えられている人も調停や仲裁を申請するコトができるようになっています
 また、条文にもありますように「調停委員会の行う調停の手続は、公開しない」となっていまして、結果がどうあれ非公開のようですから、逆に言えば訴えられた方の人間が名前などを公にしたくないけど反論がしたいという場合は、これを利用するのがいいのではないでしょうか。
 このシステムはとても公平にされていると言えると思います。
 
 
 では次です。
 「勧告及びその公表」ですが、これもこの前の修正案にて大きく変わっている部分ですので、条文を載せておきます。

 (勧告)
 第六十条
 人権委員会は、特別人権侵害が現に行われ、又は行われたと認める場合において、当該特別人権侵害による被害の救済又は予防を図るため必要があると認めるときは、当該行為をした者に対し、理由を付して、当該行為をやめるべきこと又は当該行為若しくはこれと同様の行為を将来行わないことその他被害の救済又は予防に必要な措置を執るべきことを勧告することができる。
 
 2 人権委員会は、前項の規定による勧告をしようとするときは、あらかじめ、当該勧告の対象となる者の意見を聴かなければならない。
 
 3 人権委員会は、第一項の規定による勧告をしたときは、速やかにその旨を当該勧告に係る特別人権侵害の被害者に通知しなければならない。
 
 4 第一項の規定による勧告を受けた者は、当該勧告に不服があるときは、当該勧告を受けた日から二週間以内に、人権委員会に対し、異議を述べることができる。
 
 5 前項の規定による異議の申述があったときは、人権委員会は、当該異議の申述の日から一ヶ月以内に当該異議について検討をし、当該異議の全部又は一部に理由があると認めるときは第一項の規定による勧告の全部又は一部を撤回しなければならない。
 
 6 人権委員会は、第四項の規定による異議の申述をした者に対し、前項の規定による検討の結果を通知しなければならない。
 
 7 第三項の規定は、第五項の規定により第一項の規定による勧告の全部又は一部を撤回した場合について準用する。
 
 (勧告の公表)
 第六十一条
 人権委員会は、前条第一項の規定による勧告をした場合であって、次の各号のいずれかに該当する場合において、当該勧告を受けた者がこれに従わないときは、その旨及び当該勧告の内容を公表することができる。この場合において、当該勧告について異議の申述がされたものであるときは、その旨及び当該異議の要旨をも公開しなければならない。
  一 当該勧告について異議の申述がされなかった場合
  二 当該勧告について異議の申述がされた場合であって、前条第五項の規定により当該勧告の全部の撤回をするに至らなかった場合
 
 2 人権委員会は、前項の規定による公表をしようとするときは、あらかじめ、当該勧告に係る特別人権侵害の被害者及び当該公表の対象となる者の意見を聴かなければならない。

 ここで重要なのは、勧告を受けてもその後異議の申立ができるというコトと、最終処分である氏名等の公開は、その異議申立が終わった後になされるというコトです。
 それからもうひとつ、異議申立をした時においてそれでも氏名等の公開処分になってしまった場合でも、公開時には異議申立の内容の要旨をも公開しなければならないと定めているところです。
 一応【第六十条の2】において、勧告前にも意見を聴かなければならないコトになっていますが、これはあくまで聴くだけでも問題ないという意味でして、これでもって勧告の撤回をしなければならないとはなっていないのですが、【同条5】において、異議が正当と認められた場合には撤回しなければならないと明記してあり、撤回の可能性は十分に出てくるというコトになります。
 ですから、自分の意見に自信があるという場合には、異議をする価値は十分あると言えるでしょう。
 また、その異議の内容をも公開してくれるワケですから、自分のやっているコトに責任と自信を持っている人なら、むしろ望むべきコトではないでしょうか
 逆に、そこまでこだわらないのであれば、勧告を受けた時点や、異議申し立ての時に、相手に謝って撤回するとすれば、名前等の公表にまでは至らないコトになります。
 条文では「当該勧告を受けた者がこれに従わないとき、その旨及び当該勧告の内容を公表することができる」となっていますから、自分の信念に基づく言論をしている人でない場合や、異議申し立ての議論の間に自分が悪いと認められるようでしたら、そこで謝ってしまえば、氏名等の公開にはならないんですね。
 ある意味人によってはこんなの処分にはならないワケで、国民に信を問うような形になっているというのは、透明性においても民意を反映するという意味においても、また人権というモノを議論すべきだという点においても、この条項はかなり妥当な形になっていると言えると思います。
 
 後で詳しく書くコトになると思うのですが、この法案における「人権侵害の定義」があいまいだという批判がかなりあります。
 しかし、人権というモノは、そう簡単に定義でるモノではなく、だからこそ難しい問題であるワケでして、逆に定義すると言葉狩りなどの問題を引き起こす原因にもなりかねませんから、やえは明確な定義には反対です。
 しかしあいまいなままではもちろん困るワケです。
 それを担保するというか、補完するという意味において、この条文はとてもいいモノになっていると言えます。
 人権の定義というモノは、時代や場所によって変化するモノなのですから、その場その時において議論するコトが大切だと思います
 むしろそれしか手段はないのではないでしょうか。
 ですから、意義をすれば申し立て者や人権委員会と議論する機会が与えられ、またその内容についても公表されるとなっているこの条文は、最もよい方向に改正されたと言ってもいいと思っています
 
 
 では次です。
 「訴訟援助」ですが、これ援助というか、人権委員会が裁判に参加できると規定しています。
 正直やえは、ここまでする必要があるのかとても疑問です。
 そもそも人権調整委員には必ず弁護士が一名つかなければならなくなっているのですから、その人を弁護士として参加させればいいだけの話だと思うのです。
 ちょっとこの条文の存在意義がよく分かりません
 一般的の人からすれば裁判という存在はとても縁遠く、よって訴訟をするにはかなりの労力を要するというのは間違いではないと思いますので、だからこそ人権委員会がそれを援助するというのは間違いではないと思うのですが、しかし委員会が介入するというのは、やはり疑問に思わざるを得ません。
 なんだかんだいって裁判という場は、印象というモノもとても重要なモノです。
 ですから、公的な立場にいる人権委員会が裁判に介入するだけで、その印象はとんでもなく良いもの、訴えられる側からすれば不利になるワケですから、やはり公正公平を旨とする裁判という場においては、人権委員会の裁判への介入というのはふさわしくないと思います。
 
 最後に「差別助長行為等の差止め等」ですが、この部分は簡単に言えば、タイトルにもあるように助長行為をやめさせる条項です。
 具体的な助長行為については、「第四十三条に規定する行為」としていますので、そちらで具体的に見ていきましょう。
 また、やめさせるために勧告を行うコトになっていますが、この勧告は「第六十第二項及び第四項から第七項まで並びに第六十一条の規定を準用する」となっていますので、その中身についても該当部分をご覧ください。
 
 以上が「特別救済手続」の中身です。
 いくつか疑問は残っていますが、修正案によって、かなり穴は埋まっていると言える内容だと思っています。
 特に修正案のキモであった、勧告に対する異議申立が出来るようになりその結果勧告を取り消すこともあり得るとし、さらには勧告した場合においても異議申立の内容をも同時に公開すべきとした部分については、ある意味必要上に、これで本当に勧告として機能するのか心配になるほど公平なモノになっています
 こうするコトによって、人権というモノ、差別というモノについて、議論するよいキッカケになるんじゃないかと期待できるという面においても、とても有意義な条文になっていると、十分評価できると思います。
 

平成17年4月20日

 人権擁護法案総論(4)−特別救済手続きの発動条件−


 さて、この「特別救済」こそが、この法案の一番の目的であり、ここが無いと何のために法案があるのか分からなくなるぐらいの部分であるのですが、実はやみくもに、例えば人権委員会の一存だけでこの特別救済手続が発動されるというワケでありません。
 特別救済手続が発動するためには、いくつかの条件を満たす必要があるのです。
 それが第四十二条です。
 長くなりますが、その条件を抽出して書き出します。

 (不当な差別、虐待等に対する救済措置)
 第四十二条
 一 第三条第一項第一号に規定する不当な差別的取扱い
 
 二 次に掲げる不当な差別的言動等
  イ 第三条第一項第二号イに規定する不当な差別的言動であって、相手方を畏怖させ、困惑させ、又は著しく不快にさせるもの
  ロ 第三条第一項第二号ロに規定する性的な言動であって、相手方を畏怖させ、困惑させ、又は著しく不快にさせるもの
 
 三 次に掲げる虐待
  イ 国又は地方公共団体の公権力の行使に当たる職員が、その職務を行うについてする次に掲げる虐待
   (1) 人の身体に外傷が生じ、又は生ずるおそれのある暴行を加えること。
   (2) 人にその意に反してわいせつな行為をすること又は人をしてその意に反してわいせつな行為をさせること。
   (3) 人の生命又は身体を保護する責任を負う場合において、その保護を著しく怠り、その生命又は身体の安全を害すること。
   (4) 人に著しい心理的外傷を与える言動をすること。
  ロ 社会福祉施設、医療施設その他これらに類する施設を管理する者又はその職員その他の従業者が、その施設に入所し、又は入院している者に対してするイ(1)から(4)までに掲げる虐待
  ハ 学校その他これに類する施設を管理する者又はその職員その他の従業者が、その学生、生徒、児童若しくは幼児又はその施設に通所し、若しくは入所している者に対してするイ(1)から(4)までに掲げる虐待
  ニ 児童虐待の防止等に関する法律(平成十二年法律第八十二号)第二条に規定する児童虐待
  ホ 配偶者(婚姻の届出をしていないが、事実上婚姻関係と同様の事情にある者を含む。次号において同じ。)の一方が、他方に対してするイ(1)から(4)までに掲げる虐待
  ヘ 高齢者(六十五歳以上の者をいう。)若しくは障害を有する者(以下この号において「高齢者・障害者」という。)の同居者又は高齢者・障害者の扶養、介護その他の支援をすべき者が、当該高齢者・障害者に対してするイ(1)から(4)までに掲げる虐待
 
 四 放送機関、新聞社、通信社その他の報道機関又は報道機関の報道若しくはその取材の業務に従事する者(次項において「報道機関等」という。)がする次に掲げる人権侵害
 
 五 前各号に規定する人権侵害に準ずる人権侵害であって、その被害者の置かれている状況等にかんがみ、当該被害者が自らその排除又は被害の回復のための適切な措置を執ることが困難であると認められるもの

 まずはですね、【四】は省略します。
 これ今の段階では凍結されていますし、やえは即刻解除すべきだとは思っているんですが、内容を見ても当たり前のコトしか書いていないので、解説するまでもないと思います。
 さらに言えば、以前詳しく取り上げていますので、そちらをご覧下さい
 
 それから【五】ですが、これは「前各号に規定する人権侵害に準ずる人権侵害」となっていますので、省略してもかまわないでしょう。
 「前各号」からとんでもなく大きく外れるコトは無いでしょうから、これも前各号、つまりこれから述べる部分を参照ください。
 
 【三】については、軽く触れておきます。
 と言っても、条文を読むに、そのほとんどが現行法でも十分刑法に触れるような行為ばかりですので、さほど問題視するところもないかと思います。
 また、【イ・ロ・ハ】に関しましては、その対象者が、公務員や社会福祉施設関係者など、かなりの責任がある人間に対してだけですし、【ニ】は個別法の規定に則するコトです。
 (2)などは一般の会社でもありそうなコトなんですが、しかしこの法によると対象者が「国又は地方公共団体の公権力の行使に当たる職員」のみですから、民間の会社でのこのような行為は当該人権侵害には当たらないコトになります。
 【ホ・ヘ】は問題になりやすい場合を想定しての個別的対処と言えるでしょう。
 配偶者に対してはすでにDV防止法が制定されていますね。
 ですので、例えば(4)の規定というのは、この前奈良で問題になった騒音オバサンの件も「言動」ですから十分該当する可能性はあると思いますが、残念ながら加害者と被害者の関係において、特別救済の対象とはならないコトになります。
 騒音オバサンは、公務員やそれに近い立場でもなければ、被害住民は児童でも配偶者でも扶養されている高齢者や障害者でもないですからね。
 というワケで、この条項というのは、かなり対象を限定しているモノだと言えるでしょう
 
 
 では【一】と【二】に移ります。
 【一】と【二】の条文を読んでいただけると分かるのですが、この二つに関しては、第三条に依存している形になっています。
 第三条に記載されているコトをすると、特別救済手続きが発動する、というワケですね。
 ですので、この条項を読むためには、第三条を読む必要が出てきます。

 (人権侵害等の禁止)
 第三条
 何人も、他人に対し、次に掲げる行為その他の人権侵害をしてはならない。
 
 一  次に掲げる不当な差別的取扱い
  イ  国又は地方公共団体の職員その他法令により公務に従事する者としての立場において人種等を理由としてする不当な差別的取扱い
  ロ  業として対価を得て物品、不動産、権利又は役務を提供する者としての立場において人種等を理由としてする不当な差別的取扱い
 
 二  次に掲げる不当な差別的言動等
  イ  特定の者に対し、その者の有する人種等の属性を理由としてする侮辱、嫌がらせその他の不当な差別的言動
  ロ  特定の者に対し、職務上の地位を利用し、その者の意に反してする性的な言動

 特別救済に関わってくる第三条はこの部分です。
 一つ一つ見てみましょう。
 
 まず【一】についてからです。
 【イ】は、簡単に言えば、公務員やそれに近い人が人権を侵害してはならない、というコトですね。
 条文には「取扱い」となっていますので、公務上の行為としてそのようなコトをしてはならない、というコトになると思います。
 言動でないところに注意です。
 つまり例えば、「アナタは韓国人ですので転入手続きはとれません」というのはやってはいけませんよ、というコトですね。
 もちろん政治家などはその発言も公務上の「取扱い」となるでしょうから、禁止事項に含まれるんだとは思いますが。
 
 【ロ】も、ほぼ同じコトでして、商売人もその立場においての不当な「取扱い」をしてはならない、というコトです。
 ラーメン屋さんで「外国人は入店禁止」としてはならない、というコトですね。
 
 ただし、やえは「外国人」というモノに関しては一概に言えないと思っています。
 あまり詳しく言い出すとこの法案とは別問題になってくるので、ここでは簡単に言いますけど、「外国人」と「日本人」との間には、どうしても文化や常識としての大きな差があるワケです。
 簡単に言えば日本人は家の中では靴を脱ぎますけど、アメリカ人はそうでない、という感じです。
 もちろんこれは簡単すぎる例ですから、単に「靴をお脱ぎください」と書けば問題ないワケですが、しかしそれだけではない文化の違いからくる複雑な問題が大きく絡み合っている場合、とてもややこしいコトになってしまうワケです。
 この辺は、外国人の参政権問題や、国籍条項にも同じようなコトが言えでしょう。
 外国で生まれ、外国で育った人というのは、やはり根本的な考え方が日本人とは違うワケですから、そこはちゃんと分けて考える必要があるハズなのです。
 北海道の入湯問題ですとか、外国人が多く住むマンションの騒音問題ですとかも、その辺の問題が根本としてあるワケです。
 ですから「外国人」というくくりはやえは一概には間違いではないと思っています。
 しかし、それには関係の無いような差別、例えば「黒人は白人と同じバスに乗ってはいけない」とかいうモノに対しては、当然ですが禁止しなければならない事柄ですね。
 
 【一】の項に関しましては、特別救済に関係ないので記載していなかった【ハ】も含めて、全て「業務上の立場における業務上の人種差別の禁止」です。
 つまり、業務から外れている時の私人には全く当てはまらない、というコトですね。
 
 次に【二】です。
 【イ】は、「その者の有する人種等の属性を理由としてする侮辱、嫌がらせその他の不当な差別的言動」という、ワリと一般的な差別というモノに対する禁止です。
 しかし注意してみなければならないのが、その対象者が「特定の者に対し」となっているというところです。
 つまり、「天堕 輪は実はチャンコロであり生きているのに値しないクズ人間である」と対象を特定するような言い方だと同法案で定める人権侵害に当たるコトになるワケですが、しかし逆に言えば、特定の者に対してなければ当てはまらないコトになります。
 よって「中国人は物事を考えるように脳みそが出来ていない」というのは、同法案の人権侵害には当てはまらないコトになるワケです。
 一応、法律用語的には「特定の者」の中に「法人」も含まれるのですが、同条文では対象への差別を「その者の有する人種等の属性を理由としてする」としていまして、この書き方では法人は当てはまらないコトになります。
 同法案第二条の5において、「「人種等」とは、人種、民族、信条、性別、社会的身分、門地、障害、疾病又は性的指向をいう」とも定めていまして、これはいわゆる人間だけを対象とする書き方となっていますから、やっぱりこの条文上の「特定の者」というのは人間だけを対象としているコトになります。
 例えば、法人を侮辱するコトはできますが、「法人が日本人だ」と言うのは成り立ちませんよね。
 日本語としても成り立っていませんし。
 
 【ロ】は、これはそのままセクハラ禁止の条項ですね。
 しかもやはり対象を「特定の者に対し」と限定しており、さらには「職務上の地位を利用し」てでないと対象とならないコトになっていますから、例えば社内で堂々と「( ゚∀゚)つおっぱい!( ゚∀゚)彡おっぱい!」と言うのは、同法案での人権侵害には当たりません。
 セクハラにはなると思いますが(笑)
 
 以上が、特別救済手続きに関わる第三条の部分です。
 【一】にも【二】にも言えるのですが、どちらも対象をとても限定的にしているのが特徴です。
 つまり、【一】は加害者が公務員か商売人という、公の場において公的な立場を必要とする人間がその業務において差別的な取り扱いをしてはならないというコトですし、【二】はひとりの個人に対するいわゆる個人攻撃的な差別は禁止という、かなり当たり前のコトを定めているだけです。
 
 で、話は第三条から第四十二条に戻りますが、第四十二条では、第三条の【イ・ロ】の条文にさらに「相手方を畏怖させ、困惑させ、又は著しく不快にさせるも」という一文も付け加えています。
 第三条の【二】は、対象が特定個人だけとは言え、差別を「言動」といったかなり広範囲な表現で定めていますから、これを扱う場合にはより慎重にしなければならないという意図のあらわれなのでしょう。
 そして第四十二条の【三】も、対象者を公務員や社会福祉施設関係者と限定していますので、全体的に第四十二条、つまり特別救済手続きに入るための条件としては、かなり限定された差別事件しかとられないというコトが言えると思います。
 簡単にまとめますと、「公務員も民間も含めた公共的施設における差別的取り扱いの禁止」と「特定個人に対する酷い差別言動」そして「虐待」に、特別救済手続きがとられるというコトになるワケです。
 
 
 次に、第四十三条を見てみましょう。
 第四十三条も特別救済手続きになっていますが、その内容は、今まで説明してきたモノとはちょっと違う内容になっています。

 (差別助長行為等に対する救済措置)
 第四十三条
 人権委員会は、次に掲げる行為については、第四十一条第一項に規定する措置のほか、第五款の定めるところにより、必要な措置を講ずることができる。
 
 一 第三条第二項第一号に規定する行為であって、これを放置すれば当該不当な差別的取扱いをすることを助長し、又は誘発するおそれがあることが明らかであるもの
 
 二 第三条第二項第二号に規定する行為であって、これを放置すれば当該不当な差別的取扱いをする意思を表示した者が当該不当な差別的取扱いをするおそれがあることが明らかであるもの

 【一】と【二】に当てはまると救済手続きが発動するコトになりますが、その救済手続きの内容は「第四十一条第一項に規定する措置」と「第五款の定めるところ」の二つになっています。
 具体的に挙げますと、【第四十一条第一項】は「人権侵害による被害を受け、又は受けるおそれのある者及びその関係者に対し、必要な助言、関係行政機関又は関係のある公私の団体への紹介、法律扶助に関するあっせんその他の援助をすること」であり、つまり助言や関係各所への紹介であり、それは「一般救済手続き」という、強制力のない一段軽い措置となります。
 ただしひとつだけ一般救済手続きと違う部分がありまして、第四十三条で規定する禁止行為に触れた場合は、一般手続きには無い、出頭や立ち入り調査や物品の留め置きという調査が出来るというコトです。
 
 第五款は第六十四・六十五条です。
 第六十四条の具体的な措置は「第六十条第二項及び第六十一条の規定を準用」とありまして、これは「勧告とその公開」という部分であり、また第六十五条の措置は第六十三条第七項の訴訟ですから、そちらをご覧ください。
 ここについてはどちらも特別救済手続きですね。
 
 ではどういう条件で「差別助長行為等に対する救済措置」が発動するかですが、条文にもありますように、これについても第三条の規定を準用しています。
 よって、該当部分につきましては第四十二条の部分で触れました、第三条の解説をご参照ください。
 そしてそれを助長するような場合に、この第四十三条が当てはまると解釈するコトになります。
 
 
 ちょっと話を救済から変えまして、救済措置の話にとても関係の深い、出頭等を拒否した場合の過料について、考えてみたいと思います。
 具体的には第八十八条です。

 第八十八条
 次の各号のいずれかに該当する者は、三十万円以下の過料に処する。
 一 正当な理由なく、第四十四条第一項第一号の規定による処分に違反して出頭せず、又は陳述をしなかった者
 二 正当な理由なく、第四十四条第一項第二号の規定による処分に違反して文書その他の物件を提出しなかった者
 三 正当な理由なく、第四十四条第一項第三号の規定による処分に違反して立入検査を拒み、妨げ、又は忌避した者
 四 正当な理由なく、第五十一条の規定による出頭の求めに応じなかった者

 特別人権侵害の調査の際に、場合によっては被告人に対して人権委員会は、出頭・立ち入り調査・物品の提出を求めるコトが出来るとされています。
 しかしそれに応じなかった場合、裁判所を通じて過料を課すことが出来るとしているのが、この第八十八条です。
 間違えてはならないのは、法文上では人権委員会は「強制」は出来ません。
 つまり、「強制捜査」は出来ないワケです。
 しかしこの条項によって、従わない場合は罰が待っているワケでして、確かに罰を受ければそれ以上は何もされないワケですが、これでは事実上は強制と同じコトと言えるのではないでしょうか。
 
 やえは、この条項に関しては否定的です。
 捜査が必要な場合もあるというのは分かりますが、しかしこの法律はあくまで裁判所によって処分が下される刑法ではなく、それよりも軽いとされている行政の段階での法律です。
 ですから、刑法と事実上同等程度の強制力を持つようなコトはすべきではないと思います。
 
 しかし捜査が必要な場合もあるのはあるでしょうし、そもそも出頭しなければ何も始まらないワケですから、全て任意だとするのも問題だと言えるでしょう。
 ではどうしたらいいでしょうか。
 やえは2通り考えられると思います。
 ひとつは、先ほども言いましたように、出頭に関してはこれはしてもらわないと何も始まらないので仕方ないとしましても、立ち入り捜査や物品の押収というのはやめるべきだと思います。
 せめて、どうしても必要な場合にのみ、特に明確な「正当な理由」を定義した後に、「正当な理由がある場合にのみ認める」とするのです。
 またその場合、これは刑事罰ではないのですから、立ち入り捜査の場合には「本人やその家族、また近隣住民の日常生活に支障を来さないよう最大限配慮し、捜査が終われば原状回復しなければならない」、押収の場合には「人権侵害と認められた場合においても必ず原状回復の上、持ち主に返還しなければならない」と、法文上に明記すべきだと思います。
 もう1点は、もう警察に捜査を任せるコトにして、裁判所によって令状を取り、現行法に則った形で捜査等を進める、という方法です。
 ただ、後者の点に関しましては、これはすでに行政の域を脱していますので、あまり良い方法とは思えません。
 
 このように、第八十八条に関してましては、やえは疑問符付きです。
 実際に、公正取引委員会による同様の立ち入り調査において、その件が“無罪”であったとしても、原状回復や名誉の回復はされなかったりしているのが現状ですので、ぜひともここは改めるべきです。
 この辺は、「誤った申し出による被告人の名誉回復は通常のの損害賠償請求しかないという法律そのものの矛盾」という、この法案においてやえが最も疑問視している部分とリンクする問題ですので、強く疑問の意を表明しておきます。
 この点に関しましては、また後述するであろう誤った申し出による被告人の名誉回復のところにおきまして、詳しく触れるコトになると思います。
 
 
 話を、一般・特別を合わせた「救済手続き」に戻します。
 前回の更新で、「この法案で最も重要な点、すなわち、この法律が出来たら後は今までとはどの部分が違うのかというコトは、それは救済手続きがとられる点である」と述べました。
 人権擁護法案には、人権委員会が作られるとか、人権擁護委員も公務員になるといった部分が現行と変わってくる点ではありますが、しかしそれもこれも全て、「差別を撲滅するための具体的な方策としての救済手続き」を円滑に行うために存在させるモノでしかないと言っても過言ではありません。
 そしてその中でも、強制力を伴うような部分が最も重要ですから、よってこの法案で最も最も重要な点というのは、「罰則規定のある救済手続き」であると言えるでしょう。
 すなわち、氏名等の公開罰則がある特別人権侵害であり、それは特別救済手続きが発動する場合の条件となる事案です。
 この存在が、この法案の核と言えるでしょう
 逆に言えば、特別人権侵害に該当しなければ、何も強制されるコトはなくなるというワケですから、後は各人の努力目標と言えばいいのでしょうか、差別をしないという良心にかかっていると言えるでしょう。
 そしてそれは、現行と変わらないワケです。
 
 この法案に対してよく「言論の自由が阻害されるコトになる」と批判する人がいます。
 しかし果たしてそうでしょうか。
 「言論の自由が阻害される」と言うのですから、つまり強制的に言論が封じられるという意味になると思いますが、しかし先ほども言いましたように、この法案の中で強制力を伴う行為というのは、特別救済手続きのみです。
 そしてその対象は特別人権侵害でして、繰り返しになりますが、その特別人権侵害とは、「公務員も民間も含めた公共的施設における差別的取り扱いの禁止」と「特定個人に対する酷い差別言動」そして「虐待」の3点のみです。
 1点目についてはあくまで取り扱いが対象であり、言論は対象ではありませんし、第四十三条によって「意思の表示」も確かに特別人権侵害の対象と読めますが、しかしこれはあくまで意思が前提の表示であり、「外人を入店禁止にさせる是非を問う」とか言う場合には当てはまりませんので、言論の侵害とは言えません
 また2点目も、対象が「個人」ですから、個人攻撃のような差別というモノは、現行法制度の上でも認められる行為では全くありません。
 3点目については言論とは全く関係ありませんね。
 よって、この法案によって「言論の自由が妨げられる」とは言えないのです
 
 
 何度もの繰り返しになりますが、この法案で最も重要な点=現行から変わる点というのは、「公務員も民間も含めた公共的施設における差別的取り扱いの禁止」と「特定個人に対する酷い差別言動」そして「虐待」の3点のいずれかの侵害をすると、行くところまで行けば、氏名等が公開されるという罰則を与えられる、という点です。
 そして「特定個人に対する差別」は、現行法制度の上でも認められていないという点から、もはや語るべき点はないでしょう。
 よって注目すべきは「公務員も民間も含めた公共的施設における差別的取り扱いの禁止」の部分と自然となるワケですが、しかし例えば北海道での外国人入湯禁止問題というモノがありまたけど、これ実はすでに裁判所によって違法行為だという判決が下っているのです。
 よって、やはりこの部分も現行法制度においても、この点もかなり明確に認められない行為なのです。
 
 つまりですね、この法案をしっかりと原則通り運用すれば、細かい疑問点や過料の罰則規定などの疑問はありますが、しかしそれもかなり明確に人権侵害だと言える段階においての捜査等になりますから、さほど問題視するほどのコトではないんじゃないかと思っています。
 また、どれも憲法違反とは言えない疑問ばかりという点において、「運用がしっかりしていれば」という前提条件があれば、法文上の問題は特に無いと言えてしまうかもしれません。
 やえは何度も言ってますが、法律なんていうモノは、結局は運用にかかっていると思っています。
 どんな法律でも拡大解釈は出来るモノですから、そこは民主主義をどこまで信じるかという部分になってくるのではないでしょうか。
 ですから、出来るだけ穴を埋め、そして民主主義のシステムを最も反映させるようなシステムにするというのは当然の話であり、最後までガチガチに固めるコトは不可能ですし、それをすると逆に法律そのものが機能しなくなるとかいった問題が出てくるでしょうから、すべきでもないと思います。
 そういう意味から、この修正案を受けての人権擁護法案というのは、法文上は大きな部分において欠落は無いとやえは思います。
 
 あとは、さっき言いましたように、どのようなシステムを構築するのか、そして法文上に民主主義を出来るだけ反映できるようにするかというコトです。
 その観点から、この法案においては、人権委員会というシステムがとても重要になってきます。
  

平成17年4月23日

 人権擁護法案総論(5)−不当申出対策−


 ごめんなさい。
 人権法はもう飽きたとおっしゃる方も多いとは思うのですが、一度やり始めたからには、最後まで責任を持つ必要があると思っていますので、最後まで頑張らせてください(笑)
 できるだけ多くの日にちをかけないよう、一日の分量を増やしてみましたので、ご興味のない方は流し読み程度をしていただければと思います。
 やはり法律の問題ですから、そう簡単に結論をだせるようなモノではありません
 もうしばらくおつきあいいただければと思います。
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 
 さて。
 前回までで救済手続きの内容と、それが発動するための条件を検証していきました。
 ハッキリ言いまして、救済手続きの内容というモノは、あまりたいしたモノではないと言えるのではないかと思います。
 所詮は名前などを公開されるぐらいですし、しかも異議の申し立ての内容までを合わせて公開されるワケですから、自分の主張に自信があるのであれば問題が無いハズです。
 また裁判に至る場合もありますが、裁判になると今度はこの法律によらない既存法の範疇になりますから、その場合を想定すると、かなり激しい個人中傷の場合か、後は第四十二条三に掲げられている「虐待」が裁判を想定していると思われます。
 またこれは立入調査や物品の押収などにも言えるコトでして、この辺法務省の方にもお話を伺ったのですが、やはり保育所とかで虐待があるのではないかという情報が寄せられた場合、立入調査を拒否されれてしまうと虐待があったかどうかが分からないので、ある程度強制力を持つような、これぐらいの過料がないと、現実的には対応できないというコトでした。
 一方、激しい個人中傷の場合、それはなんらかの媒体を解するコトになると思いますので、例えばテレビや雑誌、またはネット等ですね、ですから、特に中傷があったかどうかを調べるために立入調査をする必要はないワケです。
 明確な証拠があるワケですからね。
 後は、「部落地域名鑑」のような、激しく差別を助長する場合に、これらが適用されるよう想定しているともおっしゃっていました。
 この件に関してはかなり強い信念を持っているみたいで、確かに現行法ではなかなかこれを取り締まるのは難しいみたいですから、この法案に期待しているのでしょう。
 
 このように、意外と限定的な法案ではあります。
 ただし、やはり拡大解釈しようと思えばいくらでも出来るというのが法律です。
 あまりガチガチに堅めすぎると、むしろ無限の可能性が広がる現実世界で手足が出なくなってしまう場合がありますから、ある程度は余地を残しておく必要がありますが、余地を残しすぎるというのもよくありません。
 というワケで、この法案にも、あまり拡大解釈できないよう、悪用できないよう、いろいろと規定を定めています。

 第三十八条
 2 人権委員会は、前項の申出があったときは、当該申出に係る人権侵害事件について、この法律の定めるところにより、遅滞なく必要な調査をし、適当な措置を講じなければならない。ただし、当該事件がその性質上これを行うに適当でないと認めるとき、不当な目的で当該申出がされたと認めるとき、人権侵害による被害が発生しておらず、かつ、発生するおそれがないことが明らかであるとき、又は当該申出が行為の日から一年を経過した事件に係るものであるときは、この限りでない。
 4 人権委員会は、この法律の定めるところにより調査をした結果、人権侵害による被害が発生し、又は発生するおそれがあると認められないことその他の事由によりこの法律の規定による措置を講ずる必要がないと認める場合になおいて、当該調査を受けた者から当該調査の結果についての通知を求める旨の申出があったときは、当該申出をした者に対し、当該調査の結果を通知しなければならない。

 また、どのような申出が「その性質上これを行うに適当でない」申出なのか、「不正目的」での申出なのか、その辺もある程度具体的にまとめています。
 それが「救済手続きの不開始事由に関する規則のアウトライン」です。
 このアウトラインは法務省が部会に提出したモノでして、これは人権委員会の内部規定に盛り込まれるコトになっているんだそうです。
 一応この資料もいただきましたので、全文ここに載せておきます。

 救済手続きの不開始事由に関する規則のアウトライン
 
 第A条
 法第三十八条第一項の申出において人権侵害と主張される行為が次の各号に該当するときは、同条第二項に規定する「当該事件がその性質上これを行うのに適当でないと認めるとき」に当たり、救済手続きを開始しないものとする。
 一 特定の者の人権が違法に侵害されたものでないとき。
 二 歴史的事実の真偽、学術上の論争の当否、宗教上の教義等に関する判断を行わなければ、人権侵害に該当するか否か判断できないものであるとき。
 三 特定の法制度が憲法に違反することを前提にしなければ、人権侵害に該当すると認められないものであるとき。
 四 明らかに裁量権の範囲内と認められる立法行為又は行政行為であるとき。
 五 専ら公益を図る目的で、公共の利害に関する事実を摘示するものであるとき。
 六 専ら公益を図る目的で、公共の利害に関する事実について、意見を述べ、又は論評するものであるとき。
 七 国会の両院若しくは一院又は議会の議決によるものであるとき。
 八 裁判所又は裁判官の裁判によるものであるとき。
 九 当該行為に関する訴訟が裁判所に継続し、又は当該行為に関する訴訟が判決により確定し、若しくは確定判決と同一の効力を有する行為により終了しているものであるとき。
 十 前各号に掲げる場合のほか、その性質上、人権委員会が取り扱うのに適当でないと認められるものであるとき

 ここまでハッキリと書いてありますので、様々な場合において、想定するコトができるのではないかと思います。
 【一】は言うまでもありませんね。
 【二】などは、例えば植民支配や南京事件などの、中国韓国による言いがかりに等しい訴えを、全面的に却下するコトになります。
 【三】も似たようなところがありますよね。
 「自衛隊が存在するコトによって苦痛を感じた」と言うのは、これは自衛隊が違憲であるとする場合でなければならないワケで、例えば「警察が存在するコトに…」というのはただの言いがかりですから、同じく自衛隊も言いがかりとして却下です。
 また、国公立による国旗掲揚国歌斉唱もこれに当たるんじゃないかと思います。
 もし一学校によって独自に国旗掲揚国歌斉唱が定められている場合、もしかしたら救済手続きに含まれる可能性もありますが、しかし現行では、文部科学省が全体的にそれを指導しているワケで、これは「行政の裁量権」と言えるのではないかと思います。
 【四】もそうです。
 「自衛隊が海外に派遣されるコトによって…」も、自衛隊の取扱いに関しては明らかに行政の裁量権ですので、却下です。
 【五・六】についてはけっこうあいまいですが、まぁ言論の自由を保障するぐらいは担保していると思います。
 元々「北朝鮮はトンデモナイ国だ」と言うのは救済手続きを開始する条件とはならないワケですが、拉致という行為は事実以外何者でもないワケでして、拉致に関する正当な言論であれば、例え対象が個人(例えば金正日)であったとしても、却下対象でしょう。
 【七・八】は当然の話です。
 一法律程度がこれらを越えていいハズがありません。
 例えば仮に日本がどこかと戦争になったとしても、これは国会の議決によるモノになるでしょうから、訴えても却下です。
 【九】もそれなりに重要でして、例えばこの前東京都に対して外国人であるという理由で出世できなくて裁判に訴えて無惨に負けて、散々醜い主張を性懲りもなく訴えていたオバサンがいましたけど、これはもう裁判で決定したコトですので、その後人権委員会に訴えても即却下というコトです。
 また、「確定判決と同一の効力を有する行為により終了しているもの」というのは、和解を示すものではないかと思われます。
 和解した後に、また人権委員会に訴えてもダメですよ、というコトでしょう。
 
 また、この他のコトに関しても法務省はアウトラインを提示してあります。
 それらはどれも当たり前のコトばかり書いているのですが、とりあえず紹介するだけしておきいたいとおもいます。
 

 第B条
 法第三十八条第一項の申出が次の各号に該当するときは、同条第二項に規定する「不当な目的で当該申出がされたと認めるとき」に当たり、救済手続きを開始しないものとする。
 一 不当な利益を得る目的でするとき
 二 特定の団体の運動思想を喧伝する目的とするとき
 三 特定の者の社会的評価を貶める目的でするとき
 四 前各号に掲げる場合のほか、不当な目的ですると認められる事情があるとき

 

 人権委員会の判断の透明性に関する規則にアウトライン
 
 1 人権委員会は、人権侵害等(差別助長行為を含む)の事実を認定するには、証拠に基づいてしなければならない。
 2 事実認定に用いることが出来る証拠は、適法に収集されたものに限られ風伝の類の情報、報道機関による報道内容等は含まれない
 3 特別人権侵害につき勧告、公表の措置を執る場合には、被害者等関係者の供述内容は、争いのない場合を除き、供述書又は供述調書てなければ事実認定に用いるとはできない。
 4 特別人権侵害につき勧告、公表の措置を執る場合には、人権侵害等を行ったとされた者に対し、当該人権侵害等の事実の要旨を告げるとともに、弁明の機会を与え、反証を提出する機会を与えなければならない。
 5 人権委員会は、人権侵害等の事実を認定するには、通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ちうる程度の心証に基づいてしなければならない。

 以上のような規定が明確に提示されている以上、一般的に心配されているようなトンデモ申出をまともに取り扱うような事態にはならないと思われます。
 もちろこれは運用面にも関わってくるコトですが、ここまで文章によって規定されているのですから、多少変な人が擁護委員になったとして人権委員会に上げてきたとしても、すぐに却下できるぐらいの規定になっていると言えるでしょう。
 
 
 ただし、以上のコトは、あくまで申出があった後に、人権委員会がそれを取り扱うかどうかという判断の話なだけです。
 つまりですね、申し出る方の立場になって言えば、申出するだけはダダなワケです。
 ですから、トンデモ大阪弁護士会など、とりあえず訴えだけ出してしまえと、濫訴を試みる可能性というのは、否定できないワケです
 そういう意味から、このシステムを悪用する輩が出てくるのではないかと危惧しています。
 
 裁判であるなら、明確な「勝ち・負け」が存在するワケでして、訴える側としてもある程度勝てる見込みが無いと裁判をしないワケです。
 お金も少なからずかかるワケですしね。
 しかし、人権委員会に人権侵害があったと申出する分には、例えそれが該当事案でないと却下されたところで、全く痛くもかゆくもないのです。
 お金も全くかかりません。
 あるとしたら「これは人権侵害ではありませんよ」という通知書ぐらい(第三十八条の四)で、これも一般に公表されるワケではないので、やっぱり痛くもかゆくもないワケです。
 ただでさえ、最近はお金に糸目を付けず、色んなところで訴訟を乱発して、あまよくば偶然にでも結果を出そうとしている、不貞三国人とその一派が存在する有様です。
 そんな輩が、この法律と制度を悪用する可能性というのはやはり否定できません。
 よってなんらかのペナルティーはあってしかるべきなんじゃないかとやえは思っています。
 例えば、あまりに酷い理由による申出・あまりに自己中心的な不当な理由による申出など、これらに対しては申出者の氏名などを公開して、ペナルティーを与えるべきです。
 これによって「萎縮してしまう可能性がある」なんて言う人が必ずいると思うのですが、もしこんな程度のコトで訴えられないと尻込みするのであれば、そんな人は申出なんてしなくてよろしいです。
 そもそも氏名の公開と言っても、被告人の場合においても、必ず氏名公開されるというワケではなく、場合によってそういう措置をするコトもあるというぐらいですから、この辺はやはり運用にかかっているワケでして、だから不当申出者の処分というのも、その内容を良く鑑みて、人権委員会がどれぐらいの処分を下すのか、適切に判断すればいいコトだけのハズです。
 こうやってこそ、公平に運用できると言えるモノなのではないでしょうか。
 
 もうひとつ不当申し出について言いたいコトがあります。
 不当申出に対して、反訴や「人権委員会に人権侵害と不当に訴えられたコトは人権侵害だ」と逆に訴えるコトが出来るのかどうかというのが、いまいちハッキリしないのでなんとも言えないのですが、これはシッカリと認めるべきでしょう。
 残念ながら、人権委員会そのものに対する人権侵害の訴えは出来ないと、現行法である国家賠償法による通常裁判しか人権委員会に対しては出来ないというコトになっています。
 これはこれで問題だと、この法の趣旨に矛盾していると思うので、ぜひ改正してもらいたいところではあります。
 そして、不当な申出をしてきた人に対して、やはりそれは人権侵害なのですから、元被告人は人権委員会に申し出る権利は当然あると思います
 
 もしこれが認められるのではあれば、不当な申出の欄訴を防ぐ一つの根拠となるかもしれません。
 安易に人権委員会に訴えて、それが却下されたら、今度は自分が訴えられるワケですから、やはり最初から慎重にならざるを得なくなるワケですからね。
 この点はハッキリさせたいと思いますので、機会があったら法務省にでもお伺いしてみたいと思っています。
 (結果が分かり次第、ここは訂正します)
 
 
 最後に、不当な濫訴に関する不安点をひとつあげておきたいと思います。
 それは、反日運動家などがマスコミとグルになっている場合です。
 つまりですね、「我々は東京都に対して外国人だからという理由で昇進させないとしたのは人種差別だと、本日人権委員会に申出をしました」とか、まだ結果が出ていない時点でマスコミで大宣伝されるというような行為についてです。
 こんなコトをされると、マスコミの垂れ流しをそのまま信じてしまう国民が多い現状においては、これだけで東京都がさも人権侵害したんだと事実化させてしまう可能性があるワケです。
 これは裁判でもたまにありますよね。
 訴えるコトだけを大きく取り上げて、しかし自社の意見にそぐわない結果が出てしまったらもの凄く小さな記事だけでしませてしまうような新聞が。
 まぁそれでも裁判はまだ「勝ち・負け」がハッキリするのでいいのですが、この法律による場合は、不当申出であった場合でも、公には公表されません。
 よって言いっぱなしになる可能性が非常に高いと言えるます。
 これはちょっとゆゆしき問題だと言えるのではないでしょうか。
 
 申出したコト、またそれが不当であった場合においては、人権委員会とその下部組織(もちろん擁護委員も含まれます)について、守秘義務が一生課せられますので、人権委員会自体においては、不当申出がいくらあろうと問題無いとは言えます。
 そこは心配していないのですが、しかし申出した人には守秘義務はないワケでして、だから結果が出るまで守秘義務を課してもいいんじゃないかとは思います。
 まぁでもそれは、実際問題別の法律と照らし合わせて、難しいコトは難しいんでしょうけどね。
 ですから、これがあるからこそ、やえは、メディア条項を凍結にすべきではないと思うのです
 もしこのように、決定も出ていない事案によって不当に人権が侵害された場合、速やかにマスコミであろうと、この法に則った処分を受ける必要があります
 これはほとんど絶対条件のような気がします。
 この法案を読んで、人権委員会のコトを「こんな強大な権力を持つ、行政権も司法権も持つような組織はけしからん」というようなコトを言う人がいますが、むしろそれはマスコミこそがそうなワケで、勝手に警察より酷くしつこい捜査して勝手に公表して裁判所でも出来ないキツい社会的地位を貶めるような処分が下せるのですから、マスコミほど全てを越えた組織はないワケです。
 よって、マスコミだけで人権侵害していない人に対して、人権侵害したかのような処分を下せるワケですから、これを正しく救済する必要は必ずあるのです。
 やえは、メディア条項の凍結を解除しての法律施行を強く訴えておきます。
 

平成17年4月27日

 人権擁護法案総論(6)−助長行為と逆訴−


 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 今日は簡単に2点を扱いたいと思います。
 わりと分かりやすいお話だと思いますし、また関心度も高い部分だと思いますので、とりあえず結論だけでも読んでみてください。
 
 
 まずひとつ目。
 
 差別助長行為についてです。
 実はこの部分についてはすでに触れているのですが、その時はほとんど解説せずに流していたんですね。
 というのも、条文的には他の項に準ずるような形になっていますので、そちらを読めば十分だと思っていたんです。
 しかし、「こここそが一番重要なのでシッカリと解説して欲しい」というご意見メールなどを何通か頂きましたモノで、もう一度見直すコトにしました。
 
 ではまず該当条文です。

 第四十三条
 人権委員会は、次に掲げる行為については、第四十一条第一項に規定する措置のほか、第五款の定めるところにより、必要な措置を講ずることができる。
  一 第三条第二項第一号に規定する行為であって、これを放置すれば当該不当な差別的取扱いをすることを助長し、又は誘発するおそれがあることが明らかであるもの
  二 第三条第二項第二号に規定する行為であって、これを放置すれば当該不当な差別的取扱いをする意思を表示した者が当該不当な差別的取扱いをするおそれがあることが明らかであるもの
 
 第三条
 2 何人も、次に掲げる行為をしてはならない。
  一 人種等の共通の属性を有する不特定多数の者に対して当該属性を理由として前項第一号に規定する不当な差別的取扱いをすることを助長し、又は誘発する目的で、当該不特定多数の者が当該属性を有することを容易に識別することを可能とする情報を文書の頒布、掲示その他これらに類する方法で公然と摘示する行為
  二 人種等の共通の属性を有する不特定多数の者に対して当該属性を理由として前項第一号に規定する不当な差別的取扱いをする意思を広告、掲示その他これらに類する方法で公然と表示する行為

 メールをくださった方は、こここそが言論の自由を阻害する可能性を持っているじゃないのかというコトでした。
 例えば「外国人参政権付与反対」と言うのは、この条文に触れ、そんなコトが言えなくなるのではないかと、危惧しておられるみたいです。
 
 しかしですね、こう言うのもなんですけど、やえは「外国人参政権付与法案」を反対する運動のサイトを主催しておりまして、かなりのサイトさんでこのバナーを張って頂いたり、紹介をして頂いているんです。
 ごめんなさい、全部のサイトさんを捕捉しきれていませんのでそういう方は是非メールなどいただければ助かるのですが、とにかく、そんなやえがこれを主張できない可能性がこの法案にあるのでしたら、真っ先に反対しています
 つまり結論から言いますと、それは当てはまりません。
 この条文によって言論の自由が阻害されるコトはないです。
 
 えっと、先に【二】の方を言っておきますが、これは「前項第一号に規定する不当な差別的取扱いをする意思を広告」を禁止しているのであって、「外国人入湯禁止」と張り紙をするコトは禁止ですよって言っている条文です。
 第三条第一項は、取扱いの禁止であって、実際に入湯させないという行為そのものを禁止している条文でありまして、張り紙までを禁止しているワケではありませんで、ですので第三条第二項や第四十三条第二項が必要になってくるというコトです。
 
 さて、確かにこの条文はちょっとややこしくて読み解きづらいのですが、ひとつひとつ分解しながら読んでみてください。
 具体的な規定は第三条の方ですので、それを分解してみます。
 
 「人種等の共通の属性を有する不特定多数の者に対して」
 「当該属性を理由として前項第一号に規定する不当な差別的取扱い」
 「助長し、又は誘発する目的」
 「当該不特定多数の者が当該属性を有することを容易に識別することを可能とする情報を文書の頒布、掲示」
 
 で、これらを「放置すれば当該不当な差別的取扱いをすることを助長し、又は誘発するおそれがあることが明らかであるもの(第四十三条)」が、特別救済の発動条件になるワケです。
 変な話、文章が長いというコトは、条件が厳しくなるというコトになっちゃうワケでして、ひとつでもキーワードに該当しない場合、他の全てのキーワードに当てはまったとしても、この条文に当てはまらないコトになります。
 つまり、この分解した条件を全て満たさなければ特別救済手続きは発動しないコトになるワケですね。
 
 まず「人種等の共通の属性を有する不特定多数の者に対して」ですが、これは、差別となりゆるような要素で括った人たち、というコトですね。
 一応「人種等」という単語に対しては同法で規定がされていまして、「人種、民族、信条、性別、社会的身分、門地、障害、疾病又は性的指向をいう(第二条)」となっています。
 この部分に関しては、「特定の者」でないので、不特定多数が対象になると読みます。
 
 次に「当該属性を理由として前項第一号に規定する不当な差別的取扱い」ですが、「前項第一号」とは「第三条第一項第一号のイロハ」の部分を示していまして、簡単に言いますと、「公務員も民間も含めた公共的施設における差別的取り扱いの禁止」という意味です。
 「外国人参政権付与法案反対」と主張するのは、あくまで付与するのを反対と言っているのであって、主張している相手は政治家に対してであって、参政権があるのにもかかわらず投票するなと言っているワケではありませんので、ちょっと当てはまらないんじゃないかと思います。
 ただし、見方によってはまぁ確かに当てはまると言えなくもないですから、とりあえずグレーとしておきましょうか。
 
 「助長し、又は誘発する目的」ですが、とりあえず、前のキーワードを助長したり誘発する目的でなければならないと言えるでしょう。
 「差別を助長する目的でやったんじゃない」と証明できれば、これは当てはまらないコトになります。
 ま、この辺は主観になってしまうので、おいておくコトにします。
 
 最後の「当該不特定多数の者が当該属性を有することを容易に識別することを可能とする情報を文書の頒布、掲示」ですが、ここを一番よく読んでください。
 ちょっとややこしいのですが、よく読むと、この部分は相当事案を限定しているコトに気が付くでしょう。
 ポイントは「当該属性を有することを容易に識別することを可能とする情報」です。
 「その情報に触れれば、即座に対象の人々が被差別属性を有していると分かってしまう情報」です。
 つまり、「この人々は部落だぞと指し示している文書等」が禁止なのです。
 一応誤解無きよう言っておきますが、今の例示で言った「部落だぞ」という部分は、すでに「部落=差別すべき」という意味が含まれているワケですが、やえがそう思っているというワケでは決してありません。
 しかし日本にはまだまだそう思っている人が多いのが現実でして、そういう目的で文書を作る人が実際にいたりするんです。
 いわゆる「部落地名総鑑」というモノです。
 この本はタイトル通り、日本の中の部落地域を一覧化したモノでして、例えば企業などが採用予定者の本籍を調べ、そしてこの総監で部落の出かどうかを確かめるといった行為が、過去実際に行われてきていたのです。
 この条文は、このようなモノを取り締まるためにあるモノなのです。
 
 重要なのは「識別することを可能とする情報」という部分です。
 
 しかし例えば、最初のキーワードに「性別」が入っているからといって、「女性名簿」も取り締まれるのかと言われれば、それはそうはならないワケです。
 2番目と3番目のキーワードである「差別的取扱いを誘発」には当てはまりませんからね。
 女性だからという理由で差別するのは差別ですが、女性名簿を作っても差別が誘発されるコトは無いワケです。
 だってほとんどの場合は、男か女かは見ればすぐ分かりますから、一覧化したような文書にするコトによって差別が誘発されるというコトはないワケですから。
 
 これでいきますと、「外国人参政権付与法案反対」という主張も、この条文に当てはまらないというコトが分かると思います。
 この主張は明らかに「当該属性を有することを容易に識別することを可能とする情報」ではありませんからね。
 やえの「外国人参政権付与法案反対サイト」のどこにも、何かを“識別”するような文章はひとつもありません。
 ですから、この主張によってやえが人権委員会から処罰を下される可能性は0です。
 
 これがもし、「次の者は在日朝鮮人であるという文章と顔写真・名前・住所が書かれているような文書」であれば、この条文に当てはまるでしょう。
 しかしこんなのは当然規制されるべきモノでありますね。
 また例えば、なんか最近話題になっているみたいですが、ここの人が、「日本で組織暴力団の名簿」を2chに載せて、削除されてお怒りだとかいうコトなんだそうですけど、そもそも「日本で組織暴力団の名簿」をインターネットに載せるという行為は、かなり人権侵害に当たるんじゃないかと言わざるを得ません。
 この条文に当てはまる可能性も高いでしょうね。
 一応、法によって定められている「指定暴力団」であれば、地域住民のみの安全を守るための「公共の福祉のため」という理由によって「差別的取扱いを助長する」とはならないコトになるかもしれないので、名言は出来ませんが、議論対象ではあると思います。
 
 このように、この条文に当てはまる該当事例というのは、常識的に考えても、かなり悪質な行為が当てはまるというコトがおわかりになると思います。
 条文的にもかなり細かく規定してありますので、仮に条文を拡大解釈したとしても、「言論の自由」を侵害するコトはちょっと難しいでしょう
 
 もし、「部落地域名鑑」を発行するコトも「言論の自由だ」と言ってしまうのであれば、確かにそれを侵害するコトにはなりますが、そもそも言論の自由は無制限になんでも許すというモノでは決してありません。
 この「暴力団」の例にように、当該属性(暴力団や部落や女性など)が差別的であるかどうかという議論はする余地はありますが、しかし「当該属性を有することを容易に識別することを可能とする情報」という縛りがある以上、かなりの部分において、普通の言論の自由というモノには接触しないと言えます。
 そして「外国人参政権付与法案反対」という主張には、まったくかすりもしません
 
 あと、この条文とは関係ありませんが、外国人参政権問題というのは、国会両院の議会の決定や裁量権の問題に当たりますので、アウトラインの不開始事由に当たるでしょう。
 よって、ここからも、「外国人参政権付与法案反対」という主張によって、人権委員会から何かされるというコトは無いと言えます。
 
 
 ごめんなさい、やっぱり長くなっちゃいました。
 もう一点を、出来るだけ簡潔に書きますので、お許しください。
 
 以前書きました、人権侵害だと訴えられたのが不当であった場合、逆に訴えてきた人を訴えられないのか、という問題ですが、これは直接法務省に聞いてみました。
 結論的には、出来るそうです。
 
 いろいろと場合が想定されるワケですが、例えば始めから不当目的での申立がハッキリとする場合は、そもそも人権委員会で受け付けすらしないので、逆訴(という言葉が適切かどうかは分からないのですが、当てはまる言葉が思いつかないので暫定で逆訴とします)の理由にはならないでしょう。
 そもそもこの場合は、訴えられたという事実すら本人には分からないですからね。
 
 次に、調査した結果人権侵害と認められないという場合ですが、これも逆訴には至らないんじゃないかというコトです。
 というのも、人権委員や擁護委員には傷害の守秘義務がありますから、当人達が口外しない限り、申出をしたというコトは外に漏れないワケです。
 となれば、著しく人権を侵害したかと言われると、不当に訴えられた人の気分を損ねたぐらいの程度であって、訴えるまでのコトかどうかというのは微妙になってきます。
 まぁもちろん申出するコト自体は禁止される理由もないですから、してみてもいいと思うのですが、おそらく一般救済の「調整」ぐらいの措置がとられるんじゃないかと思います。
 
 問題なのが、最初に申出をした人が、他人に対して「申出をした」と言いふらした場合です。
 例えば、セクハラ問題でしたらその職場ですとか、もっと言えばマスコミによって言いふらした場合ですね、それが不当申出であったのなら、これはもう当然人権侵害に当たり、人権委員会で取り扱う問題になるとのコトです。
 具体的には、第三条第一項第二号(イ)の「特定の者に対し、その者の有する人種等の属性(この場合は「信条」や「社会的身分」となるでしょう)を理由としてする侮辱」に当たるでしょう。
 よって、この場合は、じゃんじゃんと逆訴するのがよいと思います。
 
 以上のコトから、この前「マスコミと組んでの欄訴」を危惧したワケですが、それに対する防衛はある程度出来ると言えます。
 人権委員会自体は申出の対象とならないのですが、しかし逆訴が出来る以上、安易に申出をする人に対しては、ある程度牽制するコトは出来るのではないかと思います。
 もちろんマスコミが、不当申出だけ大々的に取り扱って、逆訴を全く取り上げないといった行為をする可能性も否定できないワケですけど、しかしここまでくると、もはやマスコミの問題と言えるでしょう。
 やはり、メディア条項は必要ですし、また放送法ももっと厳しく改正する必要があると思います。
 
 
 というワケで、以上、助長行為禁止条項の解説と、逆訴についてでした。
 

平成17年5月18日

 人権擁護法案総論(7)−人権委員会−


 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 
 前回まででは、この法律が施行された場合、現実的にはなにがどう変わるかというコトを考えていきました。
 具体的には、人権侵害が起こり改善される見込みがない場合には、人権救済措置というモノが発動されるというコトになる、という部分を見ていったワケです。
 この救済措置によって、裁判という非常に手間がかかる手段を使う前に、迅速に人権救済するコトができるようになる、というコトでしたね。
 
 では次に、この救済措置を実質的に行う、人権委員会、そして人権擁護委員というモノについて考えていきたいと思います。
 この法案には長々と法文が書いてありますが、この人権委員会と人権救済措置の部分だけで大半を占めております。
 つまり、救済措置と人権委員会をシッカリと見ていけば、法案としても全体を見渡せられるといえると思います。
 というワケで、今回から、この法案二番目のキモ、人権委員会について見ていきたいと思います。
 
 
 まず、この人権委員会という存在は、いったいどういうコトをする組織なのか、です。
 
 一応ですね、第六条に人権委員会の職務が書いてあるのですが、そこには、例えば「人権侵害による被害の救済及び予防に関すること」とか、当たり前のようなコトしか書いていませんで、これらはさして重要視するような項目もないですから、流しておきます。
 それよりも、この法案のもっとも重要なところは「人権救済措置」が出来るところと何度も言っていますが、人権委員会はその救済措置を講ずるか否かという判断をするという立場におかれるワケでして、よって、この法案において人権委員会のもっとも重要な仕事は、この救済措置の取扱いだと言えると思います。

 (救済手続の開始)
 第三十八条
 何人も、人権侵害による被害を受け、又は受けるおそれがあるときは、人権委員会に対し、その旨を申し出て、当該人権侵害による被害の救済又は予防を図るため適当な措置を講ずべきことを求めることができる。
 
 2 人権委員会は、前項の申出があったときは、当該申出に係る人権侵害事件について、この法律の定めるところにより、遅滞なく必要な調査をし、適当な措置を講じなければならない。ただし、当該事件がその性質上これを行うのに適当でないと認めるとき、不当な目的で当該申出がされたと認めるとき、人権侵害による被害が発生しておらず、かつ、発生するおそれがないことが明らかであるとき、又は当該申出が行為の日(継続する行為にあっては、その終了した日)から一年を経過した事件に係るものであるときは、この限りでない。
 
 3 人権委員会は、人権侵害による被害の救済又は予防を図るため必要があると認めるときは、職権で、この法律の定めるところにより、必要な調査をし、適当な措置を講ずることができる。
 
 4 人権委員会は、この法律の定めるところにより調査をした結果、人権侵害による被害が発生し、又は発生するおそれがあると認められないことその他の事由によりこの法律の規定による措置を講ずる必要がないと認める場合において、当該調査を受けた者から当該調査の結果についての通知を求める旨の申出があったときは、当該申出をした者に対し、当該調査の結果を通知しなければならない。

 一応第三十八条全文を載せましたが、ここで扱うのは、人権委員会が人権救済措置の取扱いをする権限を持っているというコトを示す部分だけであり、この条では、いわゆる「不開始事由」という規定も入っているのですが、これは総論の第2回目で詳しく述べていますので、そちらをご覧ください。
 
 で、救済措置においては、様々な規定の中から侵害者に対して罰則などの措置が講じられていくワケですが、その訴えがあった「人権侵害」というモノが本当に人権侵害なのか、そしてそれをどう救済していくのか、というコトを判断するのはすべて人権委員会の職責になります。
 逆に言えば、人権委員会以外の機関が人権侵害と判断するコトは出来ないというコトになります。
 また、一言で「人権救済措置」と言っても、その中身にはいろいろな種類がありまして、どのパターンを使用して救済していくのかという、そういう判断も人権委員会の仕事になりますし、また、人権侵害かどうかという調査が必要であるという判断や、そのゴーサインも人権委員会の職責でありますから、まさにこの法案の頭脳であり指揮権の全てを持っているのが人権委員会なのです。
 
 つまり、この法案に規定されているすべての職務の判断とその責任は、すべて人権委員会に帰されているワケであり、人権救済措置も人権委員会が認めない限り発動するコトは絶対ないワケです。
 
 
 では、そんなこの法案のすべての権限を認められている人権委員会とは、一体どのような構成になっているのでしょうか。
 条文ではこうなっています。

 (組織)
 第八条
 人権委員会は、委員長及び委員四人をもって組織する。
 2 委員のうち三人は、非常勤とする。
 3 委員長は、人権委員会の会務を総理し、人権委員会を代表する。
 4 委員長に事故があるときは、常勤の委員が、その職務を代理する。

 人権委員会は5人で、その内のひとりは委員長となり、委員会を代表するコトになります。
 また、4人の委員の内3人は非常勤であり、毎日出勤する必要はないとされているワケですね。
 よって、委員長とひとりの委員は毎日必ず委員会の事務所に出勤しているというコトになります。
 
 次に、この人権委員会という人たちはどのような人たちがなるのか見てみましょう。
 具体的に規定がなされています。

 (委員長及び委員の任命)
 第九条
 委員長及び委員は、人格が高潔で人権に関して高い識見を有する者であって、法律又は社会に関する学識経験のあるもののうちから、両議院の同意を得て、内閣総理大臣が任命ずる。
 
 2 前項の任命に当たっては、委員長及び委員のうち、男女のいずれか一方の数が二名未満とならないよう努めるものとする。
 
 3 委員長又は委員の任期が満了し、又は欠員を生じた場合において、国会の閉会又は衆議院の解散のため両議院の同意を得ることができないときは、内閣総理大臣は、第一項の規定にかかわらず、同項に定める資格を有する者のうちから、委員長又は委員を任命することができる。
 
4 前項の場合においては、任命後最初の国会において両議院の事後の承認を得なければならない。

 よく「人権委員会委員の選定が不鮮明で、偏った人選がされる可能性がある」とかいう批判があるみたいですが、正直言いまして、そういうコトを言っている人は果たしてこの条文をちゃんと読んでいるのか疑問でなりません。
 その人物が人権委員に適任かどうかという条件と手続きを箇条書きにすると、この3つになります。
 
 「人格が高潔で人権に関して高い識見を有する者であって、法律又は社会に関する学識経験がある」
 「両議員(衆院・参院)の同意を得る」
 「内閣総理大臣が任命する」
 
 特に下の2つが重要です。
 この2つの条文は、日本のトップである総理大臣の任命と、国民すべての代表である国会議員で組織する両議員の同意が必要であるという規定になっているワケですね。
 これは大臣や副大臣などに匹敵するような「厳しさ」であると言えます。
 人権委員会と同格の委員会である公正取引委員会の委員長は天皇の認証も必要となっていますので、本来なら人権委員会の委員長にも天皇による認証をすべきだとは思いますが、しかし実質的な「審査の場」という意味においては、国会の同意を得るという部分において、大臣や公正取引委員会と同等であると言えるでしょう。
 これは、民主主義国である日本国内においては、これ以上のない公平公正な審査なのです。
 
 もしこの制度においても「不鮮明」とか言うのであれば、もはやこれは民主主義日本全てを否定するコトになるでしょう
 総理大臣はもとより、大臣副大臣、また国会で作られる日本の法律全てをも否定するコトにつながります。
 もちろん、そんな主張をするというのであれば、その行為を否定するコトは出来ませんので、そう主張されるのであればそれはそれでいいんですけど、しかし、日本の法律は認めて、この人権法案のこの部分だけを否定するというのは、これは全くの矛盾となります。
 この辺はキチンと理論の一貫性を持って語ってほしいと思います。
 
 氏名公開などの権限を与えられている人権委員会ですが、このように非常に「民主的」な組織だと言えるでしょう。
 
 また、委員長および委員の選定以外の点においても、委員会の民主的な面を保証するような条項があります。

 (公聴会)
 第十七条
 人権委員会は、その職務を行うため必要があると認めるときは、公聴会を開いて、広く一般の意見を聴くことができる。
 
 (職務遂行の結果の公表)
 第十八条
 人権委員会は、この法律の適正な運用を図るため、適時に、その職務遂行の結果を一般に公表することができる。
 
 (国会に対する報告等)
 第十九条
 人権委員会は、毎年、内閣総理大臣を経由して国会に対し、所掌事務の処理状況を報告するとともに、その概要を公表しなければならない。
 
 (内閣総理大臣等又は国会に対する意見の提出)
 第二十条
 人権委員会は、内閣総理大臣若しくは関係行政機関の長に対し、又は内閣総理大臣を経由して国会に対し、この法律の目的を達成するために必要な事項に関し、意見を提出することができる。

 人権委員会が必要と判断すれば一般国民から意見を聞くコトができ、また職務の結果を公表するコトもできます。
 また、年一回は必ず国会に状況を報告する義務を課せられているワケです。
 そして、人権委員会が望む場合には総理大臣や各大臣、または国会に対して、意見を提出するコトも許されています。
 このように、双方向に意見をやりとりできるシステムもここで作られているワケでして、特に第十九条においては国会に報告の義務も課せられているワケですから、もし人権委員会がどのような活動をしているのか知りたい場合は、国会を通じて情報公開がなされるでしょうから、そこで一般国民でも知るコトが出来ると思います。
 
 ここまでして、なお「不透明」と言うのであれば、ではどうすれば満足できるのか逆に聞いてみたいです。
 民主主義においてもっとも「民主的」な人事は選挙という方法ですが、それをすると身分は議員になるワケで、では次に民主的な人事は何かといえば、その民意を付託された国会議員やその代表である総理大臣が任命するという方法です。
 前にも言いましたように、民主主義と選挙という手段は、決して結果が素晴らしいと望まれるから採用しているワケではありません。
 結果が良かろうが悪かろうが最終的な責任は、一部の専制者にではなく、全ての国民に期するようにしているのが民主主義というシステムなのです。
 結果を求めているのではなく、あくまで選ぶときに国民全ての意志を反映させるというコトが、民主主義の基本的思想であるのです。
 もちろんその制度において間違いを犯してしまう可能性を小さくするような選定基準を設けるのは決して悪くはありませんが、しかし例えば議員を選ぶ場合というのは、年齢の基準以外は、犯罪を犯して被選挙権を○年停止とかされない限り無制限であり、つまり日本国のシステムにおいて最も強い権限を持つ国会議員という職業には、選挙以外の選定基準は無い、というコトも頭に入れておく必要があるでしょう。
 自分が独裁者になろうと企むような人間であったとしても、選挙に通れば議員になれるというのが、民主主義の特徴なのです。
 ですから、「この方法で選ばれた人権委員では悪い結果になってしまう」というのは、特に公的な人事の時に対する批判としてはあまり適切ではありません。
 「民主的な手段ではないのでダメだ」と言うのであれば一考の余地はありますが、この人権委員の選定においては「不透明だ」という批判はちょっと当てはまらないでしょう。
 
 むしろここで不適切な人事が行われたとしたら、そんな人選をした議会や総理の責任であり、そしてそれを選択した国民の責任であるのです。
 総理であれ、政治家であれ、国民が選んだ結果というコトを忘れてはいけません
 民主主義の最も基本的なルールは、全ての最終的な責任は、全ての国民にあるというところなのですから。
 

平成17年5月28日

 人権擁護法案総論(8)−3条委員会と罷免−

 
 さて。
 人権委員会について、もう2つほどお話をしておきたいと思います。
 人権委員会の独立性と、委員の罷免についてです。
 
 まずは独立性について。
 人権委員会の扱う人権問題というのは、私人間の問題よりも、むしろ公権力の人権侵害を取り扱う場合の方がより想定されています
 これは、人権擁護法想起のそもそもの発端となったパリ原則からも見て取れますし、人権概念の本場の欧州では、まずは公権力の人権侵害をどうするかのというコトが最も重要なテーマになっています。
 日本の人権擁護法案でも、人権侵害にかかる禁止条項の第3条においては、「イ 国又は地方公共団体の職員その他法令により公務に従事する者としての立場において人種等を理由としてする不当な差別的取扱い」を一番最初に書いてありますように、やはり、まずは公権力の人権侵害が最も重要視されるべき項目であるというコトが、これからもわかると思います。
 
 となれば、人権委員会が公権力、つまり「上」からの圧力に屈するようでは全く意味が無くなってしまいます。
 人権委員会が政府の人権侵害を指摘しようとしたら、「うるさい。お前らの上役であるオレ達にたてつくのか!!」とか言われ、萎縮して告発できないようになってしまいましたら、存在意義が無くなってしまいますからね。
 しかし、かと言って、NGOなどを含めた全くの私的団体にするというのも、やはり、というか、かなり問題があります
 部落解放同盟のような自分たちの私利私欲のためにしか存在してないかのような、むしろ差別というモノを盾にして相手の意見を封じ込めて自分たちの利益を得るかのような団体に、人権委員会のような権限を与えるワケにはいきません。
 よって、人権委員会には、私団体でないある程度民意が反映されていて、かつ政府からも一定の距離を保つ必要のある組織が必要となってきます。
 
 それに最適なのが、いわゆる「3条委員会」なのです。
 
 3条委員会の「3条」とは、国家行政組織法の3条を指します。
 そこにはこのように定められています。

 (行政機関の設置、廃止、任務及び所掌事務)
 第3条 国の行政機関の組織は、この法律でこれを定めるものとする。
 2 行政組織のため置かれる国の行政機関は、省、委員会及び庁とし、その設置及び廃止は、別に法律の定めるところによる。
 3 省は、内閣の統轄の下に行政事務をつかさどる機関として置かれるものとし、委員会及び庁は、省に、その外局として置かれるものとする。
 4 第2項の国の行政機関として置かれるものは、別表第1にこれを掲げる。

 国の行政機関として存在する、いわゆる中央のお役所というものを「省庁」と呼ぶ場合があるワケですが、一般的には、内閣府と、財務省や国土交通省、そして防衛庁といったモノを思い浮かべると思います。
 それらも全てこの国家行政法により定められているモノなのですが、内閣府の下、これら省庁の他に、2項において「行政組織のため置かれる国の行政機関は、省、委員会及び庁とし」と書いてありますように、「委員会」という組織も置くことが出来ると定められているワケです。
 
 人権委員会の他に、この法律を元に組織されている委員会には、何度かこの問題で名前が出てきている公正取引委員会があります。
 公正取引委員会には強い独立性が認められていまして、例えば職員の採用においても、全く独自に行っていたりします
 一応法的には内閣府の外局とされているのですが、これは文字通り形上のコトだけでして、職員の例で言えば、決して内閣府の採用に合格した後に公取に配属されるというコトは無く、全く最初から公取の職員として採用されるコトになっています。
 また、この程度高い独立性を認められている委員会のコトを「行政委員会」と言いまして、公取の他には教育委員会・選挙管理委員会などや、委員会の他には会計監査院などがあります。
 どれも、独立性が高い、むしろ高くないと困るといった内容であるというのは、説明するまでもないですね。
 
 先ほども言いましたように、公的な組織である以上、最終的には、総理大臣と内閣府の総括されるコトになるのは当たり前の話です。
 むしろそうしなければ公的な組織とは言えないワケですから、人権委員会で言えば法務省の外局という形になるワケですが、しかしだからといって独立性が担保されないという主張は、ちょっと根拠薄弱と言わざるを得ないでしょう。
 冒頭でも言いましたように、完全に公組織から切り離された、私団体にしてしまうと、民意からかけ離れた、それこそ暴走する可能性が出てきますので、認められないのは言うまでもないコトです。
 
 というワケで、高い独立性を保ちながら、同時に民意を反映できるような組織が3条委員会、行政委員会であり、人権委員会はとてもこれに最適であると言えます。
 
 「人権委員会が法務省の外局であるのは問題である。内閣府の外局の方が良いのではないか」という意見もあるようですが、しかし、ここまで人権委員会は独立性が担保されているのですから、そこにこだわる必要性はあまり無いような気がします。
 行政委員会に限らず公的団体というモノは必ずどこかの省に属しているようになっていまして、文化庁でしたら文部科学省に属しているんですけど、これは、文化庁の扱う内容が文部科学省の扱う内容だからですし、国税庁は財務省に属していまして、これも国税庁の内容が財務省の内容だからです。
 このように、どこの省に属するかというのは、その庁や委員会の内容によって決められるのです。
 ですから、人権委員会は、もともと人権問題を扱っていた省庁が法務省だったので、法務省の外局に置かれたという、それだけのコトなのです。
 また、事務的な観点から見ても、法務省には現在「人権擁護局」というモノがありまして、地方局もありますから、そういう意味からも合理的効率的だと言えるでしょう。
 例えば人権委員会を仮に内閣府の外局にしたとしても、ノウハウが全くないですからただ現場が混乱するだけでしょうし、そもそも内閣府自体には地方組織がありませんのでやっぱり現場が混乱するだけの可能性が高いのではないでしょうか。
 そういう意味からも、やはり人権委員会は法務省の外局に置くのが妥当であると言えると思います。
 
 もし、これがどうしても問題だと思うのであれば、いっそのコト、人権委員会の長を大臣クラスにしてもいいかもしれません。
 国家公安委員会がこれに当たりますね。
 ここまですれば、もはや組織として人権委員会が暴走するかもしれないという批判も当たらなくなります。
 これ以上民主的な存在は、議員の他にないワケですからね。
 そもそも国会議員が大臣になる場合の方が多いワケですし。
 しかし、人権委員会に与えられている権限を見た場合、はたしてそこまでする必要があるのか、むしろ出来ないのではないかと思います。
 国家公安委員会は、警察などを統括する組織ですが、やはり警察という組織は強大な権限が与えられている組織です。
 これは説明するまでもないですよね。
 それに比べ人権委員会に与えられている権限というモノは、警察よりもかなり小さいモノと言えます。
 中には「警察より強い権限を与えている」なんて批判がありますが、これはほとんど条文を読んでいないような批判でしかなく、人権委員会には捜査令状をとる権利はなく、強制捜査や逮捕権などもありません。
 タイムリーな話題で、橋梁談合事件で逮捕者が出ましたが、これも実際に行っているのは、検察と警察です。
 独占禁止法にも、人権法と同じような調査に関する条文がある(独禁法第46条)のですが、強制的に捜査が必要な場合は検察・警察の手動の元に行われるわけでして、このように、人権委員会や公正取引委員会に強制捜査権があるとは言えないワケです。
 以上のことを鑑みると、やはり公取と同等の権限しかない人権委員会の委員長に大臣クラスを当てるというのは、ちょっと妥当ではないと言えるでしょう。
 
 
 長くなりましたが、つづいて、罷免について書いていきます。
 やえが法務省に確認しましたり、自民党の部会でも説明されましたように、人権委員会は国家公務員であるのですが、しかし人権委員会の方は特別職でありまして、一般の国家公務員法は当てはまらなくなります(国家公務員法第2条の4)
 「の方」とは、後述する人権擁護委員のコトでして、こちらは一般職の国家公務員になります。
 で、特別職は公務員法が適用されませんので、罰則規定なども必要なら個別に書いていく必要があります。
 ですので、人権委員会の方には、罷免についてや守秘義務などの項目があるワケです。

 (罷免)
 第十二条 内閣総理大臣は、委員長又は委員が前条各号のいずれかに該当するときは、その委員長又は委員を罷免しなければならない。

 その前条各号はこれです。

 (身分保障)
 第十一条 委員長及び委員は、次の各号のいずれかに該当する場合を除いては、在任中、その意に反して罷免されることがない。
 一 禁錮以上の刑に処せられたとき。
 二 人権委員会により、心身の故障のため職務の執行ができないと認められたとき、又は職務上の義務違反その他委員長若しくは委員たるに適しない非行があると認められたとき。
 三 第九条第四項の場合において、両議院の事後の承認を得られなかったとき。

 早い話、衆参両議院で承認がとれなかった場合、心身を壊してしまった場合と、禁固刑を受けた場合、人権委員らしからぬ非行があった場合の、この4つの場合に罷免がされるワケです。
 
 人によっては「人権委員は辞めさせられない」と批判している人もいるみたいですし、「条件が厳しすぎる、実質的には辞めさせられないシステムだ」とか言っている人もいるようですが、どうなんですかね、逆に簡単に辞めさせられるようなシステムの方がやえは問題だと思います
 3条委員会の項目で散々言いましたように、人権委員会には極めて高い独立性が認められています。
 これは、公的機関の人権侵害も指摘していく役割を負っているからです。
 となれば、むしろ簡単に辞めさせられるようなシステムにしていたら、それを盾に人権委員会に不当な圧力をかけられるようなコトになりかねませんので、人事に関しても、高い独立性を保っている必要があるでしょう。
 
 「人権委員は辞めさせられない」と批判している人は、そもそもどういう場合を想定しているのか、その辺がよく分からないのですが、例えば誤った判断をした場合はどうなのかと考えた場合、それはもちろん程度にもよりますが、きわめて甚大な判断ミスをしない限り、ふつうは責任を問わないのではないかと思います。
 民間でも公的機関でも、仕事を多少ミスしたぐらいではそう簡単にその職を追われるようなコトにはならないワケですから、この辺は「社会通念上」というコトになるんだと思います。
 もちろん程度が重ければ、それなりの責任はとる必要があるでしょうけど、これは社会問題になりかねないぐらいの、その組織の存在に関わるぐらいの、極めて大きな問題の場合になるでしょう。
 この辺はむしろ、制度の問題というよりは、国民がどれだけ関心を持っているかというコトになると思います。
 大会社でも、公団でも、政治家でも、閣僚でも、誰も強制してその地位を剥奪させるコトはできないワケですが、それは、立場の重さというモノがあって、もしその重要な立場の人間が簡単に辞めさせられるようでしたら、それを利用してやろうという輩が現れかねないですので、立場が重い人ほど簡単には辞めさせられるというコトにしてはならないのです。
 ですから、そういう人たちというのは、一番大切なのは本人の責任感からくる自らの意思と、そして国民の声によって、自分の進退を決めるべきなのです。
 現実的に考えてみてください。
 大会社でも、公団でも、政治家でも、閣僚でも、その職を強制的に追われた人というのは、そうはいないと思います。
 ほとんどの場合、国民の声に押されて、自らの責任において進退を決めていますよね。
 
 正直やえの本心から言えば、人権問題はその人の一生に関わるコトになってきますから、かなり厳しい規定を設けてもいいとは思うのですが、しかし社会通念上から考えれば、これが妥当なのではないかと思わざるを得ないのです。
 まぁ人権委員会に厳しい罰則規定をつけ、そして同時に、不当告発を申し出た人に対しても厳しい罰則規定をつければ、ほとんど言うコトは無くなるんですけどねぇ。
 

平成17年6月12日

 人権擁護法案総論(9)−人権擁護委員−

 
 総論もそろそろ佳境です。
 
 この法律(法案)を大きく分けるとしたら3つにわけられます。
 1つは「救済措置」もう1つは「人権委員会」、そして最後の1つはこの「人権擁護委員」です。
 よって、この「人権擁護委員」の項の点検が終われば、法律としての全体的な評価ができるようになると言えるでしょう。
 今回で9回目の総論ですが、やっと終わりが見えてきましたね。
 
 ではまず、人権擁護委員とは何をする人たちなのかというコトを見てみましょう。

 (職務)
 第二十八条 人権擁護委員の職務は、次のとおりとする。
 一 人権尊重の理念を普及させ、及びそれに関する理解を深めるための啓発活動を行うこと。
 二 民間における人権擁護運動の推進に努めること。
 三 人権に関する相談に応ずること。
 四 人権侵害に関する情報を収集し、人権委員会に報告すること。
 五 第三十九条及び第四十一条の定めるところにより、人権侵害に関する調査及び人権侵害による被害の救済又は予防を図るための活動を行うこと。
 六 その他人権の擁護に努めること。

 基本的に、「人権とはこういうモノですよ」とかの宣伝活動をしたり、人権問題に関する相談に載ったりするのがお仕事のようです。
 また、「五」にありますように、一般調査や一般救済に、人権擁護委員が派遣され実務をする場合もあります。
 
 よって人権擁護委員のお仕事を簡単にまとめますと
 
 1.人権尊重の理念を広め、人権擁護の大切さを広める「広報活動」
 2.人権問題で困っている人の相談を受け、また問題があるならば上の人権委員会に報告する「窓口業務」
 3.一般調査と一般救済を実際に行う「調査・救済活動」
 
 この3つと言えるでしょう。
 
 いろんなところでいろいろと言われている人権擁護委員ですが、結局出来るコトと言えばこれぐらいしか無いんですね。
 注意してほしいのは、擁護委員が行う調査や救済活動も、あくまで「一般」の方であるというコトです
 時々、正当な理由無くして拒否すれば加療が課される類の調査、つまり特別救済措置に係る立ち入り調査にまで擁護委員が活動するとかいうコトを言っているサイトとかありますけど、しかし擁護委員は「特別救済措置」には関われませんので(第四十四条2項)、それは完全に間違いです
 
 よって、この法律が出来た後の擁護委員の主活動としては、おそらく2の窓口業務がほとんどになるんじゃないかと思われます
 現行法下ではなかなか早期発見が難しかった人権侵害、例えば保育施設内での虐待ですとか、部落などを理由とする結婚差別問題ですとか、こういう問題に迅速に対応できるよう擁護委員が、文字通り足で動くコトになるでしょう。
 
 特に結婚差別や就職差別などの、身体的に危険があったり社会的地位を失うような実害が無いような差別問題(結婚できないというのは現状から失うのではないですからね)というのは、目に見えるような実害が無いですからなかなか警察は動きにくいワケで、こういう場合どこに相談したらいいのか分からないというのが現状です。
 また、幼児虐待の場合、現行では「児童相談所」や「子どもの虐待防止センター」というモノがありますが、しかしそこには法的な権限は無いワケですし、さらにここでダメなら、あとは警察というほとんど最終手段と言える手段しか残されていないというのが現状であり、そうなるとやはりどこまでを「実害」と言えるのかギリギリの場合は、どうしても訴える方も及び腰になってしまうコトもあるでしょう
 しかし人権法による活動の場合は、とりあえず相談だけならどんな場合でもするコトは出来るワケですし、また警察は言ってしまえば「逮捕」しか出来ないワケですが、一方人権委員会は氏名公開だけでなく、「仲裁」などの実質話し合いだけというゆるい措置もあるワケで、実害があるかどうかのあやふやな場合でもある程度柔軟に対応出来ます
 また、相談した結果、それが人権侵害と認められなければ、それはそれで訴えてきた人に対して人権啓蒙が出来たというコトにもつながるでしょう。
 
 そういう意味から、どこに相談していいか分からないという人や、これぐらいの問題をわざわざ警察に言うのはちょっと気が引けるという程度の悩みの人のために、とりあえず相談できるように窓口を作っておく必要性というのは、決して小さくないと思います。
 また、擁護委員→人権委員会という連絡は、同じ組織だけに迅速かつ柔軟に事を運べるという期待もできるのではないかと思います。
 既存の相談所から警察への連絡がうまくいかなかったという例は、ニュースでもよく聞く話ですよね。
 病気じゃないですけど、大きな事件になる前の早期発見という観点からも、窓口を多くつっておくというのはとても大切なコトだと思います。
 
 念のため繰り返しますが、人権擁護委員は「特別救済措置」には関われません。
 よって、立ち入り検査等を擁護委員が行うコトはありませんし、ましてそれが人権侵害かどうかを判断するコトも決してありません。
 もしそういう輩がいたら違法行為ですので、訴えましょう。
 あくまで人権擁護委員とは、窓口業務が主な職責であり、意志決定権限は全く与えられていませんので、そこはよく理解しておく必要があるでしょう。
 
 
 次に、人権擁護委員の選定方法を見てみましょう。
 何度もお伝えしていますように、擁護委員の選定方法については大幅な修正が入っています。
 念のため、長くなりますが該当部分を全て引用します。

 (委嘱)
 第二十二条 人権擁護委員は、人権委員会が委嘱する。
 
 2 前項の人権委員会の委嘱は、市町村長(特別区の区長を含む。以下同じ。)が推薦した者のうちから、当該市町村(特別区を含む。以下同じ。)を包括する都道府県の区域(北海道にあっては、第三十二条第二項ただし書の規定により人権委員会が定める区域とする。第五項及び次条において同じ。)内の弁護士会及び都道府県人権擁護委員連合会の意見を聴いて、行わなければならない。
 
 3 市町村長は、人権委員会に対し、当該市町村の住民で、人格が高潔であって人権に関して高い識見を有する者のうちから、当該市町村の議会の意見を聴いて、人権擁護委員の候補者を推薦しなければならない。
 
 4 人権委員会は、市町村長が推薦した候補者が人権擁護委員として適当でないと認めるときは、当該市町村長に対し、相当の期間を定めて、更に他の候補者を推薦すべきことを求めることができる。
 
 5 前項の場合において、市町村長が同項の期間内に他の候補者を推薦しないときは、人権委員会は、第二項の規定にかかわらず、第三項に規定する者のうちから、当該市町村を包括する都道府県の区域内の弁護士会及び都道府県人権擁護委員連合会の意見を聴いて、人権擁護委員を委嘱することができる。
 
 6 人権委員会は、人権擁護委員を委嘱したときは、当該人権擁護委員の氏名及び職務をその関係住民に周知させるため、適当な措置を講ずるものとする。
 
 7 市町村長は、人権委員会から求められたときは、前項の措置に協力しなければならない。
 
 (委嘱の特例)
 第二十三条 人権委員会は、前条第二項に規定する市町村長が推薦した者以外に特に人権擁護委員として適任と認める者があるときは、同項から同条第五項までの規定にかかわらず、その者の住所地の属する市町村の長並びに当該市町村を包括する都道府県の区域内の弁護士会及び都道府県人権擁護委員連合会の意見を聴いて、その者に人権擁護委員を委嘱することができる。

 修正が入っている部分は、第二十二条の3です。
 修正が入る前は、「人格が高潔であって人権に関して高い識見を有する者及び弁護士会その他人権の擁護を目的とし、又はこれを支持する団体の構成員のうちから」という文言が入っていたのですが、「なぜ人権擁護団体の構成員からという条件が必要なのか合理的理由がない」という意見や、「部落解放同盟のような人権を盾にしてメチャクチャやってきた団体にが入り込む口実になる」という意見によって、該当部分が削除されました。
 これにより、擁護委員の選定方法は、簡単に言うと次のようになります。
 
 1.市町村長が、当該市町村の住民のうちから、人格が高潔であって人権に関して高い識見を有する者をピックアップする。
 2.その人物が妥当かどうか議会の意見を聴く。
 3.市町村長がその人物を推薦する。
 4.当該市町村内の弁護士会及び都道府県人権擁護委員連合会の意見を聴く。
 5.人権委員会が決定をする。
 
 けっこう手間といえば手間ですね。
 逆に言えばそれだけ慎重なんだと言えるでしょう。
 
 これら選定方法も、特別どうしても問題であると言うほどの部分はないと思います。
 敢えて言うのであれば、選挙という儀式をくぐり抜けてきた民意の代弁者である市町村長の意見を取り入れた後に、さらに弁護士会の意見を聴かなければならないとしているのは、これは民主主義的にどうなのかと疑問が残る部分ではあります
 一応決定権という意味で見れば、地方議会も弁護士会等も「意見を聴く」とされているだけで、つまり別に聴き入らなければならないというワケではないですから、誰を推薦するのかというところは市町村長が、そして最終決断するのは人権委員会が決定するので、極端にはバランスは壊れてはいないと言えるのかもしれません。
 一応現実的には、地方議会議員よりも、中央省庁の役人の方がはるかに大きな権限を持っていたりして、実質どちらが偉いのかと言ってしまうとなかなか地方議員はきびしいモノがあったりとしていますから、総理大臣から直接任命を受け、3条委員会という高い独立性を有している中央機関の決定の方が、議会より強い権限があるとしてしまうのも、あながち否定できるモノではないかと思います。
 しかしまぁ、地方分権と言われている昨今ですから、もうちょっと地方議会強い決定権を与えてもいいんじゃないかと思っていたり、でもやっぱりたまに変な議会もあって、中央の人は地方を完全に信用できないのかなぁと思っていたり、やえもそう思わなくもないとろこがあったりと、色々複雑です。
 
 また、人権擁護委員の選定においては、この正規の手順以外に例外が2つも設けられています。
 1つ目は、4・5項に定められている、「市町村長が推薦した候補者が人権擁護委員として適当でないと認めるとき」でして、その場合は、もう一度市町村長に推薦し直すよう差し戻しの措置が執られ、それでも一定期間内に推薦しない場合のであれば、市町村長の推薦をすっ飛ばして手続きが認められるコトになっています。
 もう1つ目は、第二十三条の規定により、市町村長よりもさらにふさわしい人物がいた場合には、人権委員会が直接委嘱できるようになっています。
 この辺も、やはり中央の方により強い権限を与えていると言えるでしょう。
 ここもやはり疑問がないワケでもないんですが、ただし、最終的な決定権と責任は、全て人権委員会が負っているのは変わりないところですし、人権委員会は国会の同意と総理の任命によって成り立ち、また国会に対して報告の義務もありますので(第十九条)、言い換えれば、人権擁護委員も国家国民全体に対して責任を負っていると言えるのではないでしょうか。
 
 
 さて、人権擁護委員に外国人がなれるというコトで、けっこう批判が起きているようですが、これは事実修正案が出された後も、そのままなれるコトになっています。
 公務員に外国人がなれるかどうかというのは、「公務員に関する当然の法理」と呼ばれている、「公権力の行使または国家意思の形成への参画に携わる公務員となるためには日本国籍が必要」という、内閣法制局の見解が根拠となっているワケですが、つまり、擁護委員は「国家意思形成への参画に携わっていない公務員」という解釈になるのだと思われます。
 確かに擁護委員には意志決定権限は与えられていませんから、国家意志形成とは無関係であると言えます。
 
 しかしそれでも、人権という繊細なモノを扱う以上は、日本人が日本人としての感覚であたるべしと、国籍条項を入れるよう求める意見が続出しています。
 やえも、もともと全ての公務員には日本人がなるべきだと思っていますので、擁護委員にも国籍条項をあてるのには賛成です。
 そんな根強い声に押される形で、この部分についても細かい修正が加えられています。
 
 この修正案は、例の大騒ぎになった部会の日に出されたモノですので、ペーパーとしてはやえは手に入れてないのですが、内容としては次のようになります。
 
 外国人を擁護委員にする場合は、国会の付帯決議が必要とする。
 
 付帯決議とは、法案の採決やその他の議決の際に、付随的にくっついてくる意見や要望のコトです。
 正確には法的拘束力は無いのですが、政治的にはそれなりに重い決議とされています。
 よって、国会において何かの議決の際に、「○○という外国人を人権擁護委員とする」という付帯決議がついたモノが決議されるというコトになるのでしょう。
 
 正直言いまして、ここまでするのですから、けっこうお手上げだと言わなきゃいけないのかなと思わざるを得ません。
 先ほども言いましたように、確かに法的拘束力が無い、つまり付帯決議自身を細かく審議するワケではないのですが、しかしここまでするというコトは、国会が責任を負うと言っているコトになるのですから、あながち軽視も出来ません
 変な外国人が擁護委員になってしまった時に、「あの付帯決議はなんだったんだ」と言われたら、返す言葉もありませんからね。
 また、付帯とは言え、国会の意志を全く無視して決議がなされるコトというのもちょっとあり得ないでしょうから、そういう意味からもなかなか大きいモノと言えるでしょう。
 外国人擁護委員からしても、国会から監視されている、すなわち国民から監視されているというコトになるのですから、まず変なコトはできないのではいでしょうか。
 むしろ、民間団体の方に目を向けた方が、不当なコトをしている人を見つける可能性が高いと思います
 
 よって、原理原則の意見、つまり「公務員は全て日本人がなるべきだ」という意見からすれば、これでもまだまだ受け入れられない修正案ではありますが、しかし現実的な問題、すなわち「この法案が出来るコトによって逆に無茶苦茶になってしまわないだろうか」という点から見た場合は、これによって強固に反対する理由が無くなったとも言えるでしょう。
 この法案に限らず、多くの法律は悪用しようと思えば悪用できますし、曖昧な法律もたくさんあるワケで、その上でどう運用していくのか、出来るのかというのが法律を点検するという意味になりますから、この部分においても、ここまでされると駄々っ子のように反対するコトはできないのではないかと思います
 
 
 最後に罰則・解嘱について見ておきましょうか。

 (委嘱)
 第三十一条 人権委員会は、人権擁護委員が次の各号のいずれかに該当するときは、関係都道府県人権擁護委員連合会の意見を聴いて、これを解嘱することができる。
 一 心身の故障のため職務の執行ができないと認められるとき。
 二 職務上の義務違反その他人権擁護委員たるに適しない非行があると認められるとき。
 
 2 前項の規定による解嘱は、当該人権擁護委員に、解嘱の理由が説明され、かつ、弁明の機会が与えられた後でなければ行うことができない。

 まぁ当たり前のコトしか書いていませんね。
 対して、「この程度の規定だけでは、なにかやらかした時にやめさせられないじゃないか」という批判があるみたいですが、しかしこれは人権委員もそうなんですけど、あまり簡単にやめさせられるような制度にしていると、逆にそこに付け入られる可能性がありますので危険です。
 そもそも、擁護委員は一般職の国家公務員であり、国家公務員法に当てはまるコトになりますから、辞めさせやすさ・にくさは、他の公務員と同じと言っていいでしょう。
 公務員そのものがやめさせにくいじゃないかという意見もありそうですが、その場合は公務員制度全体の話であり、変えるなら全てを変える必要があるでしょう。
 一部だけをいじってバランスを崩してもいいというコトにはなりませんからね。
 
 また、国家公務員法が適用されますから、一生に渡って守秘義務が課されるコトになりますし、それを破った場合には相応の罰則があります。
 それから、念には念を入れてという意味で、政治的中立については人権法法文上に明記するコトに修正案でなりました。
 正直必要ないとは思いますが、この辺は、法案に理解を得るためだというコトなのでしょう。
 
 
 人権擁護委員については以上です。
 何度も言いますが、人権擁護委員には決定権限が与えられていません。
 人権委員会としてどうするか、一般救済措置を執るべきか、特別救済措置を執るべきか、または人権侵害ではないと認めるのか、こういう決定に擁護委員は関われません。
 どうも人権擁護委員というモノにもはや感情がこびりついたような批判をしている人が多い気がするんですが、監視する必要があるのはどちらかと言えば人権委員会の方でしょう。
 人権委員会は擁護委員を監督する義務と責任がありますから、結局は人権委員会なんです。
 人権擁護委員は、この法律の「窓口」だと考えておけばよいのではないかと思います
 

平成17年6月16日

 人権擁護法案総論(10)−最後に−

 
 こんなメールをいただきました。

 気になるのですが、法務省がいろいろ手直しの案を出した分について、それは法案に挿入・改定された状態になっているのでしょうか。
 もし、A条B条のような形のままだと、現在「自民党内で修正せずに走ろうとしている」という噂がほんとだった場合、いや、与謝野氏が「真の人権擁護を考える懇談会」の案を否定した形からして、A条B条は追加されずに進んでいきかねないと思うのですが。

 えーとですね、4月8日に提示された修正案というモノは、これは実際に法案条文をいじった形で提示されています。
 修正案文は今まで何度も引用してきましたが、あれは、法務省が出したペーパーをそのまま書き写していますから、その辺はご心配無いと思います。
 ただ、4月21日に提案された3つの修正案については、やえはペーパーを手に入れていません。
 存在していないかもしれません。
 この辺は、やえは信じている、としか言いようがないですね。
 というか、可能性を言いだしたらキリがないんですけど、今実質的にはこの法案の自民党での議論はストップしているワケでして、なにかのキッカケで、いきなり今まで提示した修正案を一気に白紙に戻して、以前衆議院に提出された法案そのままでまた再提出されるという可能性も、それは全く否定は出来ないんですね。
 現段階では、あくまで非公的団体である、自民党という一政党内だけの手続きに過ぎないのですから、変な話、強行採決されたところで法律違反では無いので、どうやろうともやりようはあるのです。
 ですから、やえは、今の段階においてはもはや「自民党を信じている」としか言いようがないんですね。
 政権政党であり責任を一番よく分かっている自民党であるならば、何の説明もなしに修正案を撤回するコトは無いんじゃないか、と信じているんです。
 それ以上も以下もない、というか、それしか出来ないので、申し訳ないのですがそう思っていますとしか言いようがありません。
 
 また、「真の人権擁護を考える懇談会」の方は、ちょっと事情が違うと思います。
 そもそも対案としてはほとんど形になってなかったようですし、中身も以前触れましたようにちょっとお粗末でしたから、一概に同じように考えるコトはできないんじゃないかと思っています。
 
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 
 
 さて。
 ひとつ付け加えがあります。
 
 これは6回目の自民党の法務部会で報告されたのですが、第八十三条は削除されるコトになっています。

 (関係行政機関等との連携)
 第八十三条 人権委員会、厚生労働大臣及び国土交通大臣は、この法律の運用に当たっては、関係行政機関及び関係のある公私の団体と緊密な連携を図るよう努めなければならない。

 この「緊密な連携を図るよう努めなければならない」という文言は、広島の「八者懇談会合意文書」を彷彿とさせるような、解同が広島の教育に堂々と入り込んできた時の足がかりとなったようなかなりこわい文言だったのですが、様々な議論の末、ここは削除されました。
 人権擁護委員の条文でもそうなのですが、やはり一部の私団体が強権をふるうような事態を望んでいる人・議員さんなんていないワケですから、この辺は柔軟に対応されたのでしょう。
 修正案が出されてから、プラスの方向に進んだというのは、間違いの無い事実だと思います。
 
 
 条文の点検という意味では、とりあえずはこれで以上です。
 今後も、いろいろと捕捉のようなモノは書いていこうと思っていますが、もし、見落としている部分や、もっと細かく点検してほしいといったいようなところがありましたら、ご遠慮なく言ってください。
 
 
 さて、最後にいくつか言っておきたいコトがあります。
 
 この法律は、確かに究極的な目的というか、根本的な願いみたいなモノは、確かに差別を無くすコトにあります。
 しかし、いくら頑張ったとしても、法律だけでは差別を無くすコトなど出来はしません
 もちろんこれはこの法案に限らない話でして、どんな法律でも、例え国民の100%の支持のある法律であろうとも、それは不可能です。
 ですから、この法律が出来たとしても差別はなくならないでしょう。
 
 では、なぜこの法律が必要なのか。
 
 決して人の心までを法律で縛るコトは出来ません
 ですから、誰かを蔑んだり、特定の集団に対してよい感情を持たなかったりするのは、これはもはやどうしようもないのです。
 もしなんとかしようとするのであれば、教育のレベルでどうこうして、やっとなんとかなるという話でしょう。
 ですから、心の中までをどうこうしようというのがこの法律の趣旨ではないのです。
 
 では、この法案は一体なにをどうする法律なのかと言いますと、つまりは、外面的な差別行為を規制するというモノなのです。
 差別的な取扱いをしてはならないとか、差別的な言動を公の場で表現してはいけないとか、そういう、ある意味、目に見える行為だけを禁止しているワケなのです。
 言い換えれば、この法案も、行為だけしかどうにも出来ないのです。
 
 そもそも法律とはそんなモノです。
 人を殺すという行為は犯罪ですし、「あいつを殺す」というコトを多くの人の目に触れるようなところで表明したり書いたりするのも犯罪ですが、「あいつを殺したい」と思うだけならそれは誰にも罰するコトはできないですよね。
 外面的な目に見える行為は法律によって取り締まれますが、心の中だけはどうしようもないというのは、言うまでもないコトです。
 それと同じように、差別的な取扱いや、差別を助長するような出版物、また弱者に対する暴力などは、当然取り締まらなければならないコトですし、ネットでも書籍物でも公の場での差別的な言動も取り締まるべきです。
 しかしそれを取り締まったところで、その人が持っている差別心までをも取り締まれるのかと言えば、それは決して出来ませんね。
 
 この法律だけで差別が0になるとは誰も思ってはいないハズです。
 しかし、外的に何か人を傷つけたりするような行為は、法律を作って縛る義務があります。
 外的な、行為の部分おいての差別的な言動というモノを、法治国家として放っておくコトは許される行為ではありません
 それは、明文化の文化によって形作られている近代法治国家として、キチンと法整備するのは当然の責務なのです。
 ここをまず基本的に理解する必要があるのではと思います。
 
 
 もう一点。
 さっきのコトと基本的には変わらないのですが、先日あまおちさんにも登場してもらって、「差別の現実」というお話をいたしました
 その時は、いろいろと事例を挙げただけで、コレについてどう考えるかというコトは敢えて言わなかったのですが、まずここで一番大切なコトは、「現在差別が行われている」というコトではなくて、「過去に差別が存在した」という100%の事実だという部分です。
 つまり、「今差別がない(と自分では思っている)のに、なぜ新しい法が必要なのか」という意見がありますが、しかそれは前提から間違っている意見なのです。
 なぜ必要なのかと言えば、「過去に差別が存在したのだから、今もし本当に差別がないのは幸せなコトなのですが、未来も100%差別が生まれないという保証などどこにもないワケでして、過去に事例があった以上は、だからこそ法律を今のうちに整備しておくコトが大切なんです」と説明するコトになるのです。
 
 例えば、今日殺人事件が一件も起こらなかったと言って、じゃあもう殺人に関する法律はいらない、と言って納得する人は存在するでしょうか。
 また、今現在日本を攻撃している国は無いのだから、軍隊・自衛隊なんていらないという意見も、そう主張する脳内お花端な人はいますが、少なくとも当サイトをご覧になっている人の中には賛成する人などいらっしゃらないと思います。 
 もしこの法案が、完全に予見だけの想像だけの想定だけの話であるのであれば、まだ一行の余地はあるかもしれませんが、しかし、この法案で規定している差別行為というモノは、すでに過去において多く繰り返されてきた差別行為なのです。
 ですから、それを見逃したままにするというのは、今後のために予防措置を執らないという行為は、果たして法治国家として本当に責任を果たしていると、胸を張って言えるのでしょうか。
 それは不作為なのではないでしょうか。 
 それらを考えるのであれば、「今差別なんて無いじゃないか」とか「現在起こっている差別問題を具体的に示せ」と言った意見は、全く筋違いの意見だと思います。
 
 過去においてもそんなに非道い差別事件があったワケじゃないのに、とかいう感じのコトを言っているサイトさんがとても多いのには、もうビックリするしかありませんでした。
 十四歳のやえが言うのもなんですが、最近の若い人たち、ブログ世代の人たちっていうのは、そういう感覚なのかなと、そんなにやえが浮世離れしているのかなと、思わずにいられませんでした。
 現在においてそのような感覚の人たちが増えれば、それは本当に差別のない(かなり少ない)社会が出来るのかもしれないという、ある意味頼もしさ、期待感が、それなりに持てるかもしれないとはちょっと感じましたが、しかし過去においてもその感覚をそのまま当てはめるというのは、やっぱり困るワケです。
 過去の事例は事実そのものなのですから、これを自分の感覚で語るというのは、それは違うワケです。
 ちょっと調べれば、先日やえやあまおちさんが挙げたような例や文献はいっぱい出てくるのですから、どうかそれらのような資料文献にも耳を傾けてほしいと思います。
 
 例えば、部落問題で有名な文献としては、島崎藤村の『破戒』があります。
 
 
 総論のいちばーんはじめに言いましたように、そもそもやえは、この人権という概念そのものがあまり好きではありません。
 というか、自由とか権利とかいう言葉も、本来は好きではありません。
 そんな言葉が無くても人は生きていけますし、日本人はずっとそう生きていたワケで、逆にそんな言葉が生まれてしまったからこそ、自由も権利もどこまでも拡大解釈され、相手を罵倒したりけなしたり、差別するような言葉をはきかけるコトさえも表現の自由だと開き直る輩もいっぱいいてしまうようなコトになってしっています。
 
 時々「思うコトは誰にも止められないんだ」とか言う人がいますが、確かにそれは正しいです。
 それは今回も上で言いましたよね。
 しかし、「思うコトは自由だ」と言いながら、それを公の場、特にネットなんかに書いてしまっている人が、これがとても多いんですね。
 「思うコト」と「書くコト」は、全く別の違う行為です。
 公の場で書くコト、しゃべるコト、表現するコトは、無制限に自由なのでは決してなく、それなりの責任を持ってはじめて出来る行為なのです。
 「表現の自由」というモノは、なんでも好き勝手に書いてもいいというワケでは決してありません。
 
 この法案によって「表現の自由が侵される」なんて言っている人がいて、また2chが潰されるという人もいますが、例えばたまに2chで「○○は部落だ」といった完全な中傷目的の書き込みが、今現在実際にあったりしています。
 現状ではけっこう放置されたままなところがありますが、こんなのは本来許してはならない行為なのです。
 ですから、この法律が成立した後に、このような書き込みをした者に対しては、それなりの処置が下されるようになるかもしれません。
 しかしそれによって「言ったとおり2chをつぶしにきた」とか「言論の自由の侵害だ」とか主張するのは、全くのお門違いです。
 
 今2chでも、殺人予告のような書き込みに対してはかなり厳しい対応をしていますが、それ以外に関してはけっこう放置されていたりします。
 しかしこのようなコトは本来は放置していてはならないハズですし、もしこれが2chのような匿名のネットではなく、一般の書籍だったら、即座に何らかの対応がなされるでしょう。
 もしかしたらこのような書き込みをしている人というのは、差別なんて意識していなくて、ただ面白くて煽っているだけかもしれませんが、むしろ差別というモノはそういうモノであり、加害者が自覚していないケースというのは多分にあるワケで、そういう事例に対して、啓蒙から氏名公開までのキツい勧告まで様々な対応が柔軟に取れるこの新しい人権法には、それなりの効果を期待するコトが十分に出来るのではないかと思っています。
 氏名公開まで至らない勧告や、ただの注意ぐらいで差別的書き込みがやめられれば、それは差別してしまった側にとっても、今後公の場に文章を発表するコトの責任の重さと、人権というモノに対する考え方を考え直せるよいキッカケになるでしょうし、もちろん差別される側にとっても望ましい結果になるでしょう。
 裁判では、ほとんど白黒ハッキリさせるような結果しか待っていないワケですが、この法律なら、差別問題などの理解を深められるという結論もあり得るのです。
 責任という問題は、もうちょっとよく考え直してみる必要があるのではないでしょうか。
 
 結局、「差別なんて今は無い」とか言っている人も、実はただ単に「気づいていない」「自覚していない」だけの可能性が非常に高いワケです。
 過去においてはとても非道い差別が実際にあったワケですし、また現在でも安易に他人のコトを「部落だ」とかなんとか言ってしまっている現状があるワケです。
 こういう現状を正しく認識していない人にとっては、なぜこんな法案が出てきたのか理解できないのかもしれませんが、しかし現実はそうではないというのは、やはり知っておかなければならないコトなのではないかと思います。
 今回の更新の最初の方に、決して差別は0にはならないでしょうし、この法律が成立しても差別を0にするコトなど決してできはしませんと書きましたが、しかし差別を0にしようとする方向に努力するというコトはとても大切なコトです。
 そして、その方向に歩みを進めるためには、やえは、議論をするコトが一番大切で有効なコトだと思っています。
 何が差別で、何が差別でないのか、どう人は意識を持つべきなのか、これらは全て時代や場所や場合によって変わってきます。
 だからこそ、その場その時その場合によって、他人との意識のギャップを埋める作業、つまり議論をする必要があるんだと思います。
 それが最も差別を0にする方向に向かうコトではないのでしょうか。
 やえは、この法案が出来るコトによって、少なくとも現状よりは、差別に関する議論が行いやすい環境になるのではないかと期待しています。
 
 
 現在ネットでは、この法案に対する議論はとても活発に行われていますが、残念ながら、差別そのモノに対する議論は全く聞かれませんでした
 あるのは、自分に不利益があるかどうかというモノばかりで、結局差別なんてどうでもいいという感じが、全体的にどうしても受けました。
 しかし一番考えなければならない議論というのは、差別をどう考えるかという部分です。
 今後、この法案がどうなるか分かりませんが、せっかくここまでこの問題に多くの人が関心を持ったのですから、その多くの人たちは今後人権という問題や差別という問題の本質の議論もして欲しいと思っています。
 ただ「法案に賛成したー反対したーわー」というだけでは決して終わって欲しくないと思います。
 
 そんな願いを込めながら、とりあえず「総論」としては、ここでいったん筆を置きたいと思います。
 長々とご静聴ありがとうございました。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、差別根絶を応援しています。
 

平成17年10月3日

 人権擁護法案概論

 
 この前、どうもうまくかけないもどかしい気持ちがあって、その辺は長い目で見てくださいと書きましたが、ここが変だとか、ここが分かりにくいとか、そういうのがあったらどんどん遠慮無く教えてください。
 人に言われないと気づかない点ってけっこうありますしね。
 ゆっくりしかし着実に前に進んでいこうと思います。
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 さて。
 今日はですね、あるメールをいただきましたので、そのお返事というか、レスをしたいと思います。
 そのメールとは、先日小泉さんが来年の通常国会で提出すると話をしたとかなんとかで、だいぶネット上で盛り上がりを取り戻しつつある、例の人権擁護法案についてです。

 以前、かなりの日数を割いて法案について意見を表明していらっしゃいました。まとめもなさっておいででしたが、いかんせんまとめ自体も分量大杉でした(^^;
 そこで(可能ならばですが)シンプルに、現行の法案は成立OKとお考えかどうか、そうでない場合は「後はこの部分さえこうしたら問題はない」という形での再度のまとめなどしていただくというのは如何でしょう。
 やえさんの法案内容に即した議論は判りやすく賛成できる部分も多々あったので、今時点で上記、まとめされることを願っております。

 というワケで、簡単に一日分の分量だけで、やえが今この法案に対してどう思っているのか、出来るだけ簡潔に述べたいと思います。
 
 と言ってもですね、これはけっこう難しい問題でして、オオモトのお話をするのであれば、やえはこの法案には反対します。
 というか、やえは人権という概念そのものが好きではありません
 もともと日本人には人権という概念がなくても、それぞれがそれぞれの立場で他人を尊重し合う精神というモノを持っていましたから、わざわざ明文化させていちいちと理屈をつける必要なんて無かったのです。
 逆に明文化してしまうと逆に融通が利かなくなってしまい、現実問題よりも文章の方が大切にされてしまうという本末転倒のコトにもなりかねませんので、むしろそんな概念は無い方がいいとやえは思っています。
 
 ただし、今の日本の状況を鑑みると、正直それはちょっと難しいと思っています。
 そう簡単には昔あった日本人独特の高い公意識の復活は望めないでしょうから、いますぐに人権概念を無くすというコトは現実問題出来ません。
 また、人権とは外国人の問題も含まれており、現在の世界状況を鑑みれば、日本だけ「人権鎖国」するワケにはいきませんので、やはり今後は人権と付き合っていかなければならないと思っています。
 日本人は、外国の概念すらも日本風にアレンジし、うまく使いこなす才能を持っていますから、例えば仏教を始めとする宗教なんかがまさにそうですね、これからそのようにキチンと概念の論点整理をし理解をしていけば、それなりの「人権」というモノが出来上がるのではないかと、半分期待も込めてやえはこのように思っているのです。
 
 このことを勘案すれば、やはりどんな形にせよ「人権法」というモノは日本にも必要になってくるでしょう。
 例えこの法案が完全に廃案となったとしても、早急に別の「人権法」を作らなければなりません
 ですから、今一番大切なのは、現実的に考えて、今の世の中や民主主義国である日本の国家システムに合致した法律を作るコトであるハズなのです。
 
 その上で、この「人権擁護法案」をどう考えるかですが、やえとしましたら、日本に今現在存在する法律と比べ、突出して逸脱した部分があるとは思えません。
 
 もちろんこの法案はやえの理想の法律では決してありません。
 しかしそんなコト言い出したらキリがないというか、なにもはじまらなくなります。
 だって憲法ですら今のままで100%満足している人なんてそうはいないでしょうから、自分が100%納得するまで絶対反対と言っても、それは全く無意味な空論の話でしかなくなるのです。
 もし100%を目指すのであれば、法律を変えるのではなく、まずそのバックボーンの社会の方を変えなければ意味がないのではないでしょうか。
 
 簡単な話です。
 例えば、戦前の大日本帝国こそが理想の法律・憲法であると考えるのであれば、ひとつひとつの法案にゴチャゴチャ言うのではなく、まず戦前の日本がどうだったのか、人々はどう考えるべきなのか、世界情勢はどう乗り越えていくべきなのか、こういうところを説いて、社会を変えていくコトが先決でしょう。
 国民の意識をまず変える必要があるワケです
 そして、もしそれが成されたのであれば、自然に法律もそのように変わっていくコトでしょう。
 まして現在の日本は民主主義国家なのですから、国民の雰囲気を完全に無視した法律など出来はしませんし、逆に言えば、国民の雰囲気ができあがれば、自然に行政も立法もその雰囲気に追随していくワケです。
 
 ひとりひとりが好き勝手なコトを言っているだけでは政治は成り立ちません。
 法律もそうです。
 これは実際にある批判のひとつですが、人権委員が暴走したらどうなるんだ、その任命権者である総理大臣が暴走したらどうなるんだ、という意見があります。
 しかし、こういう意見というモノは、すでに法律の議論の範疇を超えてしまっているんですね。
 そもそも、何をもって「暴走」と定義づけるのでしょうか。
 例えば、戦前の大日本帝国の指導者達や軍部を、暴走したととらえるか、英断したととらえるかは、やはり立場や意見の違いによって様々に評価が分かれるところです。
 やえなんかは別に大東亜戦争が暴走だとは思っていませんが、現在の憲法を改正するだけで権力の暴走なんて言っている人からすれば、戦前なんて大暴走もいいところと見えるのでしょう。
 このように結局「暴走」なんて言葉は、自分の立ち位置によって変わる、自分の位置から大きくブレる現象のコトを指し示す言葉でしかなく、ですから暴走なんて一言だけで批判の材料にするコトは不可能であるのです。
 具体的にこれこれこうだからこうなんだと言うのであれば意見や議論になりますが、「暴走の可能性がある」と言うだけでは、それはただ単に「自分の考えとは違う」と言っているに過ぎないのであり、すなわち「自分がイヤだからイヤなんだ」と言っているだけでしかないのです。
 
 こんなのは、ただ問題を矮小化させるだけでしょう。
 現実問題は、もっと建設的に、広い視野で問題を考える必要があるハズです。
 
 もうひとつ例えを加えるなら、先ほどもチラッと例えに出しましたが、現在憲法改正の議論が盛んになってきて、9条の問題もよく議論されるところですが、ある人達によれば、その9条を改正してしまうと日本が暴走して戦争への道を踏み出してしまうのだそうです。
 と言われてもやえとしましてはそんな馬鹿なとしか言いようが無く、9条は改正すべしと思っていますが、しかしもし本当に「暴走という可能性が少しでもあれば法律として作るべきではない」という人権法にかかる意見を是とするのであれば、9条改正もやはり暴走の可能性が非常に高くなるワケですから、これにも同じように反対する必要があるコトになるのではないでしょうか
 やえは、ある程度戦争も出来るよう憲法にも“幅”を持たせておかなければ複雑な現実問題に対応できないと思っていますので憲法改正には賛成なのですが、しかし上記のような理由で人権法に反対している人は、同様に憲法改正にも反対しなければこれは重大な矛盾になってしまうハズです。
 しかし、実際には人権法に反対する人の多くは憲法改正に大賛成だったりしていますよね。
 
 これはやえがずーっと言い続けているコトですが、人権なんていうモノの概念など、そもそもが曖昧なモノなのですから、時代や場所や場合によってその解釈はどんどん変わっていきます。
 今許されている行為が100年後には禁止されている行為になっているかもしれません。
 日本にも、親が金で子を売っても許されていた時代があったのです。
 そういう「人権」の性質を考えても、この法律の中身には“幅”を持たせておくべきだとやえは思っています。
 そしてこの人権擁護法案には、訴えられた人に対して意見を聞き、申し立てができるようになっていて、なおかつ、最悪氏名等公開処分になったとしても申し立ての中身も併せて公開されるようになっていますコトから、やえは十分に幅を持たせられていて且つ公正性も十分に担保できていると解釈しています。
 
 そして、これらの幅の存在や公平性などを勘案すれば、やえはやえが考えるこれからの「人権政策」からはそんなに外れていないと考えています。
 もちろん中身についてもちゃんとチェックをして、これなら日本国の法律として問題ない範疇に入ると思いましたし、さらに人権という曖昧さが含まれる概念の特殊性もしっかりと反映された法案だと思っています。
 この辺の中身はこちらの特設ページをご覧下さい
 
 むしろ、反対する人たちに聞きたいのですけど、もちろん様々な理由でそれぞれの人が反対とか意見を言うのは結構なコトだとは思うのですが、そうであるならば、ではこれからの「人権政策」に対してはどう考えているのかお聞かせ願いたいと思うのです。
 ただただ反対と言うだけではむしろ状況を悪化させるだけでしょう。
 もし本当に「人権鎖国」をするというのであればそうハッキリと主張してもらいたいですし、それはひとつの意見として主張するコトは正当な行為だと思いますから、それならばそう主張してもらいたいものです。
 自分がどういう社会を作りたいのかという思想がないままに、ただただ反対を声高らかに主張したところで、それは幕末の時にただ単に「ガイジンを追い払え」としか言わなかったような輩と同じで、何にもならないただ気持ちがいいだけの独りよがりの言葉にしかならないのではないでしょうか
 
 まずは自分がどのような社会を作りたいのか、望んでいるのか、そして人権政策に対してどのような対策がベストであるのかベターであるのか考えているか、その辺を整理してもらいたいなとやえは思っています。
 
 
 やえのこの法案に関する概論的な考えは以上のようなモノです。
 全くの理想は人権という概念が存在しない時代の公意識の復活ですが、純粋にそれだけを望むのはもはや不可能というしかないですし、今の時代にはそぐわない考え方も多くありますから、今は現実的に「昔の公意識に出来るだけ近づけるような“人権意識”」の構築がやえの目指すべきところであると思っています。
 その上で、この法案はそれを前進させるかどうかは運用にかかってくると思いますが、阻害するモノではないと今のところは考えているのです。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、日本伝統の高い公意識を応援しています。
 

平成17年6月14日

 差別の現実

 
 山口県の高校で、生徒が自ら作った爆発物を授業中の教室に投げ込み、数十人のけが人を出したという事件が起こりました。この事件、その爆発物の製造方法をインターネットから仕入れたらしく、ネットのあり方について一部議論が起こっているみたいですが、一方爆発物を投げ入れた犯人の生徒は、普段学校でいじめにあっていたというコトが判明し、動機はここにあったのではという見方がなされています。

 光高校爆発事件、同級生ら「いじめた」証言
 
 山口県立光高校の爆発物投げ込み事件で、事件が起きた3年1組や、傷害の現行犯で逮捕された男子生徒(18)の所属する3年2組の複数の生徒が、県教委が派遣した臨床心理士や同校教諭に「(男子生徒を)からかったり、いじめたりした」と証言していることが、学校関係者の話でわかった。
 弘中幸雄校長も13日の記者会見で「広い意味でのいじめに相当するものはあったかもしれない」と述べた。

 時々、このような、いじめが原因で自殺したり、犯罪を起こしてしまったりという事件が起きますが、だいたいの場合において、学校の先生や校長というのは、「いじめがあったとは認識してなかった」とか、この記事のように非常に軽く見ていたと証言するのが常です。もし実際に進行形でとても重いいじめがあったと認識していたとしても、それを公の場で認めてしまうと、校長の責任が問われてしまうコトになるので、本当に知らなくても、本当は知っていても、このように非常に軽い認識があったと言うにとどまるのでしょう。
 
 ただし、担任の教員はどうか知らんが、校長までは本当に知っていたかどうかは疑問ではあるな。そもそもいじめというものは、陰険で陰湿で、陰でコソコソやるからこそいじめなんであって、そこが一番大きな特徴であるのだからな。校長は本当に知らんかったのかもしれん。
 
 しかし、だからといって、「いじめが無かった」とは決して言えないハズです。正確に言うのであれば、「いじめが行われていたが、それを知らなかった」という表現が適切でしょう。いじめという事象は確実に実在していたのです。それを人が認識してなかっただけで。
 
 オレも含めた多くの日本人にとって、この光高校でいじめが起きていた事は知らなかっただろう。そもそも光高校というものすら知らなかったはずだ。しかし「光高校にいじめが無かった」とは言えない。つまり、「自分が知らないのだからいじめは存在しない」と言ってしまうのは、大きな間違いであるという事は知っておかなければならない事だろう。そして、こうして事件になったからこそ我々は知ることが出来ただけの話であって、事件が起きなければいじめは人知れず存在し続けていた事だろう。
 
 そして、この事件が起こったとしても、ほとんどの学校という場において、いじめは存在し続けるコトでしょう。もし自分の周りにいじめは無いと、無かったと言えるような人がいたとしましたら、それはものすごく幸運な人であるか、もしくは気づかずに加害者になっていたかのどちらかなのでしょう。
 
 
 
 いじめは差別である。窃盗のコトを万引きとか言って認識を甘くしてしまっているような事があるが、それと同じで、いじめは差別なのである。陰険で陰湿で陰でコソコソやるのが差別であり、そしていじめなのだ。
 
 いま、「日本には差別など無い」とか「未だにそんな事が起こっているのか実例を出せ」とか言っている人がとても多いのですが、やえはもうこれらの言葉にビックリするしかありません。いじめという差別が存在しているという事実があるのにも関わらず、あまりにも「自分が知らない=存在しない」とイコールで結びつけている人が多いからです。
 
 陰険で陰湿で影でコソコソ行われるのが差別なんであって、だから知ろうと思えば自分から能動的に調べなければなかなか表には出てこない問題が差別なのである。それなのに、自分の周りに差別が無いのは誠に結構な事なんだろうが、だからといってそれを自分の知っている範囲外のことにまで当てはめて「無い」と言えてしまうのはどうなんだろうなという話なんだよ。
 
 しかも、自分が無自覚にでも差別している側になっているかもしれないですしね。
 
 なんなんだろうな。反動の反動と言えばいいのだろうか、反動の連鎖か、一昔前は部落解放同盟とかが「自分たちは差別されているんだ」と言って理不尽な強権をふるってきた。しかしちょっと前から、そんな強権に対して否定的な考えが強くなって、この手の団体や個人を攻撃する事が差別と戦う事になってしまった。団体がある事で差別が減ったのかどうかは分からないし、団体を攻撃すれば全てが解決するとも全く思えない。この結果現実的にはどうなったのか、そう簡単には言えない事なんだろうが、しかし結局どちらも、現場としてのひとりひとりの個別的な事案に対しては全く具体的に考えてこなかったのだと言えるのではないだろうか。
 
 ここに、客観的事実としてのデータが存在します。

 アイ・アイ・サービスはキタは北海道から南は九州までのほぼ全国に支社、営業所をもっている。部落に関する調査依頼について毎年、統計をとっており、同社だけではあるが“部落差別の需要”を知ることが出来る。その統計によると1994年度(平成六年度)は914件だったが、95年度(平成七年度)864件、96年度(平成平成八年度)は818件と徐々に減少し、97年度(平成九年度)は590件にまで減った。(中略)
 念のために付け加えておくが、同社ではそのような依頼があった際、すべて断っている。(角岡伸彦『被差別部落の青春』講談社)

 注意していただきたいのが、このデータ、あくまで「1企業だけの数字」であって、日本全体の数字ではないというコトです。たった1社だけでこのような数字が出ているというコトに対して、どう考えるべきなのでしょうか。
 
 この数字は「部落に関する調査依頼」、つまり、「天堕 輪は部落出身なのか」という調査依頼や、「あまおち村というのは部落の村なのか」という調査依頼の事である。著書の中では減っているという感じで書かれてはいるが、しかしこれも様々な見方があって、本文中にも書かれているが、この企業はちゃんとその手の調査は断っているワケだから、その認識が依頼する人にも広がれば、はじめから同社に頼もうとしなくなるだろう。よってそういう意味から年々減っているとも考えられる。
 
 まぁ、実際に減っているとは思うんですけどね。特に若者層の意識はかなり変わってきているでしょうから。
 
 うむ。それはオレも思う。だがこれだけで楽観できるワケでもない。もっと考えれば、部落調査なんてものは、地域的な部分が多いのだから、この会社のような全国規模の調査会社ではなく、いわゆる「振興所」といった地域密着型の調査会社に依頼する方が多いのではないかとも思うので、そう考えれば、この会社だけで調査依頼が年間500件あるわけだが、全体的には全国でこれの何倍の数字になるのか、けっして「少ない」とは切り捨てられない数字になるのではないだろうか
 
 ところで、なんのためにこのような調査を依頼するのか、理解できない人もいるんじゃないかと思うんですが。
 
 あ、ああ、そうか。最近はそういう人も多いのか。
 
 差別なんて無いと断言する人が多い現実ですから。
 
 そうだな…。おそらくこの調査の結果が“使われる”最も大きな事案は、結婚問題だと思われる。つまり、自分の息子・娘と結婚する相手は、果たして部落であるかどうかを調べるわけだ。もし相手が部落だったら、自分の身内に部落が出来てしまうということになり、これは大変に都合が悪いと。だからまず相手を身辺を調査し、もし部落だったら、結婚に反対するっていう運びになるわけだ。
 
 特に結婚問題というのは表に出にくい問題です。そもそも部落問題で結婚に反対する人というのは、外聞を気にしてそのような行為に出るワケですから、結婚に反対する事自体を隠そうとします。また、結婚に反対するコトそれ自体は特に法に触れる問題ではないですし、そもそも「娘を他人にやりたくない」という本来なら自分勝手な我が儘だけで反対するお父さんとかはいっぱいいるワケですから、なおさらこの手の問題が表面化しにくいワケです。
 
 しかし、表面化しないからというだけで、自分が知らないからというだけで、差別が存在しないとは決して言えないよな。97年にはもの凄く少なく見積もったとしても最低590件は部落に対する調査依頼があったという事実が毅然として存在するわけだ。こればかりはどうしようとも否定する事など出来はしない。
 
 
 
 日本で差別問題が取り上げられると、その大部分は部落差別についての話になる。おそらく「穢れ信仰」からくる日本人独特の差別感が最も顕著な例だからだろう。肌の色が違うとか、そういう外的な要因ではなく、意識の上だけで自分とを区別している特殊な差別が部落差別だからだ。また、数も決して少なくはなかったというのも大きいだろう。というわけで、日本での差別問題と言えば部落だったが、しかし決して差別問題は部落問題だけではない。もう一つ取り上げておくべき問題に、病気による差別を知っておく必要があるだろう。
 
 病気による差別と聞くと、まず真っ先に思い浮かべるのが、エイズ問題だと思いますが。
 
 そうだな。またその他にも、ハンセン病(らい病)もけっこう根強い差別があったりする。ちょっと前に、どこかの旅館で元ハンセン病患者に対して宿泊拒否して問題になった事があったよな。それから、障害者問題というのもあるだろう。
 
 障害者への差別問題というのは、正直最近あまり聞かなくなりましたね。昔は「障害者は隠すものだ」みたいな偏見がありましたけど、最近はオープンになってますからね。
 
 まぁもちろん、最初にも言ったように、「聞かなくなった=無くなった」とは言えないわけで、実情を知らなければならない事ではあるが、しかし障害者差別というのは日本人にとってはそれほど根が深いとは思ってないんだよ。というのも、これは「穢れ信仰」とはあまり関係ない話だろうからだ。
 
 ああ、例えば5昔前ぐらいなら「前世の業によって障害を持って生まれたんだ」とか言われていたのでしょうけど、さすがに今はそんなコト言う人も信じる人もいませんからね。科学が進歩して、障害が出来てしまうメカニズムが解明されていますからね。
 
 この点から見ても、「穢れ信仰」こそが日本の差別の問題で最も大きな要素である事が分かるな。ただ、障害の中でも、知的障害についてはまだまだ偏見がある部分もあるだろうが。
 
 これについては当サイトでもよく取り扱っていますよね。
 
 この更新で語っているが、この問題は他の視点があるから、とりあえず今回は触れない事にする。で、ハンセン病だ。これも長い間、患者は差別の対象にさらされてきたな。そもそもこの病気は歴史が長くて、どうも日本書紀にも「らい病」は書かれているようなんだ。で、ハンセン病は外見に大きな特徴が出来てしまう。それを合わせると、やはりそれは昔のこと、らい病は「業病」として認識されてしまい、忌避されてしまっていたようだ。ここでも「穢れ信仰」が関係してしまっているわけだな。
 
 日本でも長らく隔離政策が取られ、また医学的にその必要がないと分かっていても、その政策が取り続けられてしまいました。これはやはり「穢れ」なんでしょうね。
 
 宿泊拒否も、根本的にはそれがあるんだろうよ。
 
 それがついこの前起きたというのも、差別問題が現実の問題であるというコトをまざまざと見せつけられたような感じもします。
 
 それからエイズ問題な。血液問題を取り扱おうと思って、いまオレもやえも色んな資料を色々と読んでいるんだが、その関係でエイズ問題にもぶち当たって、ある本を読んだ。差別に関する象徴的な部分を引用しよう。

 彼(※エイズ感染者)の死後、輸入濃縮製剤をうったC医師の事務員が、太吉(さん※感染者の父)のところに、未払いとなっていたわずかな診療代金の集金に来た。しかも、歩いてすぐの距離であるにもかかわらず、一人さん(※感染者)の告別式にこの医師は姿も見せなかった。今日まで、輸入濃縮製剤をうったことについての説明も謝罪もない。
 それどころか、世の中は非常な展開で太吉さんの家族をさらに苦しめ始めた。まず太吉さんの仕事が、減っていった。次には妹たちが、説明もなく職を解かれた。理由はあまりにも明らかだった。(櫻井よしこ『エイズ犯罪 血友病患者の悲劇』中公文庫)(※は引用者注)

 エイズ患者に対する差別は当然許してはならないものだが、さらに、その家族にまで差別が及ぶ。血液製剤でエイズにかかってしまったのだから、家族、さらに言えば兄妹には絶対に感染しない病気であって、関係ない話だ。しかし差別心は、そんな理性的な事実とは無関係だ。ただ「身内にエイズ患者がいる」という理由だけで解雇されたのだ
 
 これは新しい差別ですよね。らい病は昔からあったワケですが、エイズは最近輸入された病気です。しかしとても根深い差別心が事実このように生まれてしまったワケです。
 
 理不尽にもエイズウイルスを注入され、いつ死ぬか分からない苦しみを背負い、さらに差別の目にさらされ、そして最後にありとあらゆる病気を発症し死んでいく。この事実にもはやどう表現したらいいのか分からなくなってくるな。そんな家族にさらに差別で追い打ちがかかる。いったいなんなんだと言いたくなるな。
 
 陰険で陰湿な差別というものが、変な言い方ですが、十二分に発揮されてしまった例ですよね…。
 
 
 
 さて、今日は主に3点ほど差別の実例を挙げてみた。これは嘘偽りのない現実に起こっ事実である。これをどう考えるべきなのだろうか、今日のところは敢えて言わない事にする。ひとりひとり考えてみてくれ。
 
 そしてもしよろしければ、やえまでメールなりで感想をお聞かせくだされば幸いです。もしアドレスを知りたくないという方がいらっしゃいましたら、こっちのスレに書いてください。
 
 んー、やえやオレにだけ感想を見てもらいたいという人もいるかもしれんな。やはりメールフォームはおいておくべきなのだろうか。
 
 早速検討してください。
 
 うむ。前向きに善処しよう。
 

平成17年7月18日

 刑事告発する手間

 
 議論板のこちらでこのようなご意見をいただきました。

 シミュレートの冒頭で名誉毀損罪か侮辱罪で告訴するというのがありましたが、それがなぜ「かなりいろいろとめんどくさい裁判という手段」なのでしょうか?
 今回の件を名誉毀損罪か侮辱罪で裁判(刑事事件)にする場合、やえさんがすべきことと言えば、基本的には警察(か検察)に告訴することくらいです。告訴と言っても具体的には犯罪事実を申告するくらいで、その手間は人権擁護委員に相談に行くのとさほど変わらないでしょう。
 そして、捜査や公判は警察・検察が行うわけですから、やえさんに日常生活が壊れるほどの負担がかかるというのは、シミュレーションとしては疑問です(やえさんの言い方は、どうも民事裁判の差止請求などと混同されているようにお見受けします)。

 はい。
 正直に告白しますと、最初、更新の下書きの段階では、見事に民事と刑事をごっちゃにしていました。
 下書きの段階では「費用もかかりますし」なんて書いていたんですけど、よく考えたら、これは刑事の方の名誉毀損罪ですから、費用はかからないんですよね。
 裁判の原告は検察になりますからね。
 ですから、費用の面で言えば確かに手間ではないんですが、しかしそれ以外はもやっぱり警察に行くというのは手間がかかるモノなのではないかと思っています。
 
 
 と、ちょっとここで話題を変えて、ネット上での名誉毀損についてご意見もいただいておりますので、こっちを先に処理させてください。
 というかですね、この前の更新の趣旨は、「人権擁護法案は実際にはどのようなプロセスを経るのか」というシミュレーションですので、名誉毀損はまぁ言ってしまえばどうでもいいんです。
 別に本気で訴えようとは露ほども思っていませんし。
 ですから、理解しやすいように例示にやえの実体験を用いただけであって、決して「ネットでこんなコトがあったらすぐに訴えよう」なんてコトが言いたかったのでは無いのです。
 人権擁護法案の仕組みを説明しただけだったのです。
 
 実際に、やえという具体例を用いたコトで、とても分かりやすく理解できましたと言ってくださった方も、少なからずいらっしゃいましたしね。
 
 ただ、ネット上のハンドルに対しては、いくら名誉毀損人権侵害をしても問題にならないという現状というのも、ちょっと適切な状態とはとても言えないのではないでしょうか。
 やはり、それなりの法整備は必要ではないかと思います。
 この前話題になっていましたけど、総務省がネットの匿名にたいしてなんとかとか、固定ハンドルを用いるようにしましょうとかなんとか、そういう動きをはじめたとかいうニュースありましたが、そういう動きはまさにこのようなケースをしっかりと法の範囲内に入れようという動きなんだと思います。
 そもそもですね、ネット以外の活動、例えば紙媒体とかですね、そういうところでの「ペンネーム」でしたら、これは名誉毀損とか普通に適用されるワケで、そう考えたら必ずしも本名である必要性は無いと言えるワケですから、やはりこのように差があるのはおかしいと言えるハズなのです。
 ですから早い法整備をし、キチンと今回の件のような事例も名誉毀損罪の範疇に入るようにすべきだと思います。
 
 また、後述しますが、現行制度化の刑法の名誉毀損罪に当たらないからといって、それがすぐに人権法にもかからないとするのは、いささか早計なのではないでしょうか。
 むしろ、現行制度では不備がある部分も否めないからこそ、人権法が作られようとしているとも言えるワケです。
 ですから、とりあえずは、今回の件が刑法で問えるかどうかはいったん置いておいて考えてもらえれば良いのではないかと思います。
 
 基本的には、分かりやすく理解しやすくするための例示的な意味合いが最も強いワケですしね。
 
 
 では本題に戻りましょう。
 
 名誉毀損罪であるならば、警察に行けばいいだけじゃないか、手間なんてないじゃないか、というコトなのですが、しかし現実的に考えた場合、果たして本当にそれだけで済むと言えるでしょうか。
 確かに法律の文面上だけなら、誰もが警察に訴えれば、それを警察が拒否するコトはできないハズです。
 しかし現実はそれだけで通じるでしょうか。
 よく人権法案に強固に反対している人は、「法律の文面だけでなく、実際に起こるであろう現実問題も考えろ」なんて言いますが、これこそ現実的に考えてもらいたい問題なのです。
 
 例えばやえが該当部分の文章をプリントアウトして警察に持って行ってですね、「人権侵害されたので告発してくださーい」とか言ったとしても、そんなのおそらく誰も相手にしてくれないと思います。
 と言うと、またネットのハンドルが名誉毀損かどうかという問題になっちゃいそうですので、では仮に、あまおちさんがプロの文章家であった場合に、あまおちさんが警察にそう訴えに行ったとしましょう。
 しかしあまおちさんはまだまだ有名でない、ほんの極一部の人しか知らないプロだったとします。
 これが多くの人が知っている有名人であるならまた警官の対応も違うのでしょうが、しかし一般人が全然知らないような知名度でしかない場合でしたら、やっぱり警察はかなりうさんくさそうな対応しかしないと思われます
 しかも訴えに行った人間があまおちさんです。
 かなり言い争いになってしまう可能性が高いです(笑)
 
 まぁそれは冗談としましても、やはり事件として扱ってもらうためには、かなり苦労を要するのではないでしょうか。
 本当にあまおちさんがプロの文章家なのか根ほり葉ほり尋ねられ、それを証明するように求められるでしょうし、また人権侵害該当部分のプリントアウトを持っていっても、「それ本当なの?相手はどこのだれ?え?知らないの?うーん」とか言われそうです。
 警察からすれば、どこのだれとも分からない輩が、うさんくさい紙一枚持ってきて、いきなり告訴しろって言っているのですから、やはり身を入れて話を聞こうとは思わないでしょう。
 もし弁護士がついていれば話は別なのでしょうが、しかし残念ながらあまおちさんは弁護士資格を持っていませんし、雇おうと思ったら弁護士費用がかかるワケです。
 この時点ですでに相当の手間になると言えますよね。
 
 確かに法律の文面だけで言えば、被害者が告発さえすれば警察も検察も動くようにはなっています。
 しかし、現実の問題としては、決してそんなにすんなりいくモノとは、全くやえは思えません
 もし担当者がネットのコトなんてさっぱりからきしな人だったら、ほとんど門前払いされる可能性だって否定できないのではないでしょうか。
 
 では、人権擁護委員さんならどうかと考えますと、おそらく擁護委員さんなら、親身かどうかは人によるでしょうが、しかし少なくとも丁寧に話は聞いてもらえると思います。
 なぜならば、人権擁護委員の一番の仕事は「人権問題に関する相談に乗るコト」だからです。
 ここが警官との最も大きな違いなのです。
 警官はどちらかと言えば犯人を逮捕する方のコトばかり考えていますが、しかし擁護委員は相談に乗るコトこそが一番のお仕事なのです。
 実際、法案にもそのように書いてありますし、また特別救済手続きには擁護委員は関われませんし、一般救済手続きは前の更新で書きましたように、やはり「話を聞く」「話をする」という業務が中心になりますから、擁護委員はとりあえず何につけても「話を聞く」という行為をしなければ、文字通りお話にならないのです。
 
 また、現行制度においても、すでに人権擁護委員という存在の方々はいらっしゃいまして、実際に相談業務を行っています。
 その方々は全てボランティアですし、やえも色々と聞いている限り、特別変な方の話を聞いたコトがありません。
 ですから、人権擁護委員さんは実績という面においても、警察に比べたら格段に安心して相談できる存在だと言えるのです。
 
 以上のコトをふまえましたらですね、手間というか、心身的な負担という意味において、警察にいきなり行くよりは、人権擁護委員さんに相談に行くコトの方がよっぽど楽と言えるワケなのです。
 
 
 勘違いしてほしくないのは、決して警察による手段を否定しているワケではないというコトです。
 前回は詳しく触れませんでしたが、一般救済手続きの中にはこのような措置もあります。

 (一般救済)
 第四十一条 人権委員会は、人権侵害による被害の救済又は予防を図るため必要があると認めるときは、次に掲げる措置を講ずることができる。
 一 人権侵害による被害を受け、又は受けるおそれのある者及びその関係者(第三号において「被害者等」という。)に対し、必要な助言、関係行政機関又は関係のある公私の団体への紹介、法律扶助に関するあっせんその他の援助をすること。

 「関係行政機関の紹介、あっせん」とありますように、つまり一般救済措置には警察へのあっせんもあり得るワケです。
 さきほど「どこのだれとも分からない輩が、うさんくさい紙一枚持ってきて告訴しろって言っているのですから」と言いましたが、これが人権擁護委員さんのあっせんだったらどうでしょうか。
 少なくとも、どこの骨とも分からない輩よりは、よっぽど警官も話を聞いてくれるようになるでしょう。
 これだけでも十分、先に擁護委員に相談しに行くという手段が有効であると言えるのではないでしょうか。
 
 そもそもですね、これは何度も言っているんですけど、人権擁護法案というのは「選択肢を増やす」という法案なんですね。
 決して、刑事告訴などの手段にとって変わるようなモノではないのです。
 例えば、今回のような場合、刑事告訴すると決めたとしたら、これはもう結果が0か1かのどちらかしかないという状況に追い込まれてしまうワケです。
 つまり、最終手段が唯一の手段なんですね。
 しかしこれでは複雑な現実の問題に対処できないワケですし、特に人権の問題はそれが顕著ですし、実際対応出来ていないのは明白なのですから、だからこそ人権法案によって選択肢を増やそうとしているワケです。
 そういう意味からも、相談こそが最も大切な仕事である、警察よりも気軽に相談できる存在である、人権擁護委員のところにまず相談しに行くというのは、重要な選択肢のひとつになり得るのではないかと思います。
 繰り返しますが、それによって刑事的な手段が絶たれるというワケでは決してありませんしね。
 
 もしかしたら、確かに現行制度では今回のやえの件は名誉毀損罪には問うコトが出来ないかもしれません。
 しかし人権擁護法案にも当てはまらないとは一概には言えないと思います。
 この辺はやえが判断するコトではありませんから、可能性の話しか出来ないんですが、0か1かの結果しか出せない刑法という存在は、全ての現実問題に対応しきれないという面を鑑みて、それを補足する意味においての人権擁護法であるならば、今回のやえのような場合も十分に対応してくれる可能性はあるのではないかと思うのです。
 そういえば自民党の部会において、どこかの大学の先生が「この法案は、現行法の隙間を埋める“アメーバ”のような存在になる」と言っていましたが、これはまさにこういうコトなのではないでしょうか。
 現行法では想定していなかった新しい問題にも、この法案は柔軟に対応できるワケであり、つまり現行法では手が出せない人権問題を人権擁護法で補完するというコトになるワケです。
 
 そしてですね、このような相談とか一般救済手続きが取られる場合には、かならず上部組織である人権委員会に報告がなされます。
 そうすると、現行法では対応できない問題がこれだけあるというコトが広く認知されるようになるワケでして、そうなれば政治や中央省庁が動く可能性だってかなり出てくるワケです。
 現実の現場の問題をすくい取って上に上げるというのも擁護委員の重要な仕事のひとつです。
 上で言いました総務省のネットの匿名に関する云々という話も、実際に起こった事例を積み上げられていれば、かなり重要な論拠となり得るワケでして、そうなればもっと迅速に法整備が進むコトが期待できるのではないかと思います。
 この点からも、やはり個別法で対応しろという意見と人権擁護法案は、決して対立するような存在ではなく、並立して同時進行できる意見だと言えるのではないでしょうか。
 柔軟な人権法が現実問題をすくい上げて、そして個別法でキチッと対応するという手順になるワケですね。
 
 逆に、よく現場が分かってないお役人さんが想像だけでネットのルールを決められても困るワケですから、そういう意味からも、実際に起きた問題を丁寧に上に上げて推敲するコトもとても大切であり、そして双方にとって良い結果が得られるのではないでしょうか。
 
 
 念のためにもう一度言っておきますが、決して現行制度化における警察による告発が全く無意味なモノであるとは決して言いません。
 もしかしたら担当の警官がとてもいい人で、ネットのコトもよく分かっておられる方で、とても良い方向に持っていける可能性も無いとは言えません。
 しかし、基本的に警察に行くという行為は、出口は裁判しかあり得ないという最終手段でしかないのです。
 そして、現行制度化においては対応しきれない現実の問題、つまり今回の問題とかですね、というモノには警察は全く手が出せないワケで、だからこそ柔軟に対応できる選択肢が増えるという人権擁護法案が必要であるという論拠に、今回の件は逆に奇しくもなってしまうのではないでしょうか。
 
 予測できない事態とは、読んで字のごとく予測できないからこそ起こってしまうワケです。
 今の刑法が作られた時代には、まさかネットの時代が来るとは夢にも思っていなかったでしょう。
 というコトは、現在の我々が想像も出来ない未来がある可能性だって誰にも否定できないワケでして、ですからそれを何とか補填するための法律を作っておくというコトは、とても大切なコトなのではないでしょうか。
 「予想もつかない未来がある」というコトは予想できているのですから、それを放置するのは政治の不作為と言えるでしょう。
 また、その問題が起こったときに法改正すればいいじゃないかという意見もあろうかと思いますが、しかし現実の問題、現在のネットの諸問題にすぐに全て対応できていますかと問われたら、だれもYESとは答えられないでしょう
 色々な問題が絡み合っているからこそ、なかなか早く先に進めないワケですが、しかしだからといって人権の問題をおざなりにしていいコトには決してならないワケで、よってそこに柔軟に対応できる制度を作っておくコトは、決して悪いコトではないでしょう。
 もちろん一番良い方法は、個別法でしっかりと規定するコトです。
 これは否定しません。
 しかし、これこそ現実的な問題として、すぐにその問題に即刻対応出来ているとはとてもじゃないですけど言えないワケですから、それは真摯に受け止めて、その上で現実的に対応できる制度を作っておく必要があるのではないでしょうか。
 
 現実的に色々と考えたらこのようになるワケなのです。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、人権侵害撲滅を応援しています。
 

平成17年7月20日

 差別の拡大

 
 オレだー。
 
 あれ?今日は水曜日ですよ?
 
 へ?・・・あ、ホントだ。なんてこった。月曜が休みだったから、感覚がずれていたようだ。うーむ。まぁこのまま続けるか。
 
 えー、そんなコト言ったらハゲますよ?
 
 え!?なんでハゲるんだ。オレはハゲじゃないぞっ。
 
 あーあ。
 
 なんでだー。せめて水曜に登場する事とハゲる事との間の因果関係を説明しろー。
 
 くすくす。
 
 
 
 さて、オレはハゲてないんだが、今日は差別の問題でも語ってみようか。
 
 気にしすぎるとハゲますよ(くすくす
 
 ・・・。ごほん。なにやら若隠居さんやらplummet宗匠やらがすでにエントリーしている訳だが、まぁこの流れというのは、人権法を同じように扱っていて、それが一段落ついた、もしくは議論が出尽くしたから、これより先に行くには差別の問題を取り扱わなければならないという段階に自然に行ってしまうので、ある意味時期がかぶってしまうのも必然的だと言えるから、自然に身を任せてウチも差別の問題の更新といこう。
 
 当サイトは、人権侵害問題があったので、一歩出遅れた形になってしまいましたけどね。
 
 いや全く無駄な時間だった。まぁそれはともかく、んでだ、まずはだな、基本的概念として、これを忘れてはいかんのだ。「ある人間の犯罪・悪行をカテゴリー全ての人間に当てはめて考える」という行為は差別なのだよ。これが大原則。これを許してしまったら、いくらでも拡大解釈出来てしまうので、基本的にここは守らなければならない訳だ。
 
 若隠居さんが大変お怒りになっている、外国人(韓国人)に対する入居拒否問題なんかも、ひとりの韓国人が壁を勝手にピンクにしてしまったという行為を、全ての韓国人に当てはめて、それを理由に入居拒否しているから、それはダメですよってコトなんですよね。
 
 そうそう。確かに国籍、というか文化の違いの問題というのはいろいろと考えなければならない問題ではある。だが、まず原則としての「ある人間の犯罪・悪行をカテゴリー全ての人間に当てはめて考える」という行為を許してしまったら、結局、カテゴリーは確かに同じなような感じだとしても、しかし他人は所詮他人でしかなく、そんな他人の問題までをいちいち背負い込まなければならなくなってしまったら、全ての人間に対していくらでも差別が出来るようになってしまう。例えば「フィギュア萌え族」とかな。
 
 ああ、そうですね。あれも、「フィギュア好きの人間は性犯罪者だ」というような主張でしたもんね。まさに差別以外何者でもない主張ですが、これも「ある人間の犯罪・悪行をカテゴリー全ての人間に当てはめて考える」という行為ですよね。
 
 奈良のどっかの新聞配達員が犯罪を犯したからといって、どうしてフィギュア愛好者が犯罪者呼ばわりされなければならんのだと。オレが犯罪犯したのなら当然その報いはオレが受けるが、他人がやったもんの批判までなんでオレが受けにゃならんのかと。普通はそう思うよな。
 
 でも、フィギュア萌え族のカテゴリー外の人は、そんなカテゴリー内の人の話は聞こうとしないんですよね。そのカテゴリーを理解できないですし、そもそもしようとも思わないですし、それが無くなっても自分は全く問題ないし、その上に犯罪まで減るのだったら万々歳だと。こういう理屈ですよね。
 
 「自分が関わらないものならいくらでも排除する」と言いつつ、しかしその一方「自分が関わるから大反対する」というスタンスでは、全くもって矛盾してしまう訳だ。だからな、仮に「フィギュア萌え族批判は正当だから差別されて当然」と言い、「韓国人も入居拒否されて当然」と言い、「ネットは犯罪の巣窟だから廃止」と言い、「女は放火するから外出歩くな」と言うのであれば、主義主張の一貫性はある。もちろん差別主義だがな。
 
 これも全て「ある人間の犯罪・悪行をカテゴリー全ての人間に当てはめて考える」ですね。
 
 だから前々から言っているように、女性専用車両も差別なんだよ。見事に「ある人間の犯罪・悪行をカテゴリー全ての人間に当てはめて考える」だろ。オレとは関係ない痴漢なんかをもって勝手にオレをそこにカテゴライズするなと。
 
 フィギュア萌え族はダメで女性専用車両はいいって言ってる人って、基準が全て「自分の主観」になっちゃっているんですよね。自分が許せるかどうかだけという。
 
 そうなんだよ。こんなコトしてたらいつまで経っても話が進まん。自分が関わるからダメ、自分は関係ないからOK、なんて言ってたらダメなんだよ。まずここを理解する必要がある。まずは自分の主張が矛盾していないか考え直してみてほしい。
 
 
 
 その上で、国籍の問題はどう考えるべきなのでしょうか。
 
 確かに国籍の問題は難しい。国籍というか、やはり文化の違いだろうな。北海道のロシア人が銭湯で暴れまくって、銭湯側が「外人禁止」と張り紙張ったら、差別ロシアとか言って裁判になった件があったが、
 
 待ってください。「差別ロシア」ってなんですか?もしかして「差別ニダ」のロシアバージョンとか言うつもりですか?
 
 ・・・差別だとか言って裁判になった件があったが…、
 
 無かったコトにしないでください。殴りますよ?
 
 ・・・ごほん。んでだな、その裁判、結局それは差別であると認定してしまった訳だ。ちょっとこれ地方裁の判決なので、もし上に行っていたらソースを教えてもらいたいんだが、とにかく司法はこれを差別と認定した訳だ。
 
 一方、これは差別ではないと思っている人も多いんだとは思いますが。
 
 オレもな、もし銭湯の経営者の立場だったらたまんねぇだろうなぁとは思う。これは思う。でもそれは多分オレがロシア人じゃないからそっちの方を考えるんだろうなとも、ふと思う。もしオレがロシア人なら、「オレは銭湯では暴れたりしない。こんな暴れ牛の船乗りなんかのアホ共と一緒にすんじゃねぇ」とか思うだろうな。フィギュア萌え族はたまたまオレがそっちの造詣にも深かったからこそそれはおかしいだろうと思えたのと同じようにな。
 
 えーと、多分「こんな暴れ牛の船乗りなんかのアホ共と一緒にすんじゃねぇ」と言うと、今度は船乗りさんが怒ると思いますよ?
 
 おお、よく気が付いたな。今のはわざと言ってみたんだ。全くその通りでな、それに当てはまらない人間は必ず怒るのは当然の話なんだよ。だから、そうでない人間の立場や心情も考える必要があると。
 
 でも、一般的に総論的に言えば、船乗りさんの気性は荒いでしょうし、ロシア人はお風呂の中というかサウナの中でお酒飲みますし、フィギュア萌え族は幼女好きだと言えますよね。
 
 それは言ってみれば全部「文化の違い」とは言えるわな。でも全てそれ自体が犯罪行為ではないからなぁ。一般的にはそう思うのは仕方ないし、そういうイメージが嫌ならそのカテゴリーの人間が払拭するよう努力しなければならないだろうが、しかしそうだからと言って、それをおおっぴらに喧伝してみたり、また形に出るような不当な取扱いはしたらいかんだろと。
 
 思うのは勝手ですが、やるのはダメだってコトですか?
 
 まぁ端的に言えばそうだな。なんで入湯拒否したかと言えば、暴れたからだろ。暴れたのは犯罪である訳だから、確かに暴れる奴は入湯拒否してもかまわんだろう。ただ、「ロシア人は風呂場で暴れる文化がある」とは決して言えない訳で、そこをごっちゃにしたらいかんのだよ。まぁもし「ロシア人は風呂で暴れる文化がありロシア国の法律でも容認されている」「韓国人は部屋をピンクに塗りたくる文化があり韓国の法律でも容認されている」のであれば、ロシア人禁止韓国人禁止は差別ではないと言えるんだろうけどな。
 
 最近嫌韓とか嫌中が流行っていますから、その辺が分けられない人が多いんだと思います。また、「韓国では借りた部屋をピンクに塗りたくっても罰せられることはない」と本気で信じ込んでいる人も多そうですしね。
 
 もしそれが本当にそうなんだったら、それはそう言えばいいじゃないかって事になるんだがな。それこそ国籍の問題でな、国籍と国家の法律とは切っても切れない関係であり、十分に因果関係を説明出来るんだから、これなら正当な理由になると。
 
 
 
 それから、ちょっと話がズレるかもしれませんが、嫌韓な人の中には、むしろ韓国人が言ったことが全て正しいと思い込んでいるような人がいるんですよ。
 
 ほうほう。それはまた新しい説だな。
 
 簡単な話なんですよ。嫌韓の人は「国籍で区別しなかったら、韓国人が差別と言えば全て差別になってしまうじゃないか」というような論調で主張をするワケです。でもよく考えたら、なんで韓国人がそう主張するだけで差別が認定されてしまうと思っているのでしょうか。
 
 ほうほう。確かにな。
 
 さっきのピンク塗りたくり事件ですが、その塗りたくった韓国人が「差別だ」とか言ったら日本の法律ではもう裁けないとでも言うつもりなのでしょうか。そんなコトは決してないですよね。いくら韓国人がどう主張しようが、的はずれな主張はちゃんと司法でも行政でもことごとく蹴られるワケです。でも嫌韓の人は韓国人の主張しか見てないんですよね。
 
 おうおう。その通りだな。まさにミイラ取りがミイラになったとでも言うべきか。
 
 ちょっと違う話になりますけど、ある韓国人が東京都の幹部職員になりたかったけど日本人じゃないからなれないとした規定は差別だと言って裁判起こした事件がありましたけど、でもちゃんと裁判所はそんな訴えは蹴りましたよね。韓国人が主張すれば全て通るというワケでは決してないというのが現実でも証明されているワケです。裁判所が全てとは言いませんけど、その主張が正当なモノか不当なモノかは、ちゃんと自分の頭で判断してもらいたいですよね。嫌韓の人が韓国人の主張を鵜呑みにしているという奇妙な事実はかなり滑稽と言わざるを得ないです。
 
 これも、「韓国人のやることなすこと全て悪」という固定概念に凝り固まっている結果なんだろうなぁ。アンチズムでは何も生まれはしないんだが。
 
 
 
 では、理屈では確かにそうなのですが、現実問題、いろいろと苦労されている人もいるんだとは思います。その上で諸問題をどう解決していかなければならないのでしょうか。
 
 言葉の上だけの話になってしまいそうだが、しかし「差別」と「区別」はどう違うのかというコトをしっかりと認識する必要がある。女性専用車両の時に議論板でオレが自ら登場して議論を行ったのだが、その時に、「銭湯は男女とわけているから差別と言えてしまうのではないですか」というようなコトを言われた。これはどう考えるべきかな。
 
 そもそも男女一緒にお風呂に入るという行為がすでに反社会的であるワケですから、もちろん合意の上でなら別ですが、それはやはり区別ですよね。
 
 そうそう。だから大前提から違うんだよ。でだな、その大前提とは法律から成っている訳だ。またこの前提は、国民のコンセンサスもほぼ100%得られていると言える。ここまでくると「差別」ではなく「区別」と言えるようになる訳なんだよ。
 
 ああ、そういうコトですね。つまり、もし韓国人に部屋を貸さないという行為を「区別」であると認定させたいなら、100%ぐらいの国民的同意を得ろって言いたいんですよね?
 
 そうだな。結局今の韓国嫌いな風潮って、やっぱり“一部”の話なだけだろ。だからその主張に自信があるんだったら、それを全国民が納得できるぐらいの説得力を持って議論してみろって。もしそれが正当なら受け入れられるからさ。ちゃんとね、在日韓国人はどれぐらいいて、その中でトラブルを起こした人間がどれぐらいいて、裁判はこのようになってと、データを交えてやってみろって事なんだよ。ミーガン法の時ですら、マスコミは、大嘘のデータではあったが、データを出してそれらしい理屈をこね回して主張を展開した訳だしな。
 
 まぁその場合においても少なくとも「韓国人であるコト」という属性が直結で「犯罪を犯す」と結びつく証明をしなければならないワケですけどね。
 
 そうだな。それは大前提だからな。ここをちゃんと証明できないと、韓国や中国での反日運動を批判する事など出来なくなるからな。
 
 ちょっと前に、韓国で「日本人立ち入り禁止」と張り出しているゴルフ場の写真を紹介して、「韓国へ勧告書(笑うところ)を早急に出す必要があると思います」なんて言ったコトがあるんですけど、しかしこれに対してはひとりも「国籍で区別するコトは正しい」なんて言ってきた人なんていませんでした。むしろこの日は拍手とか多かったと記憶しています。
 
 韓国では、日本の嫌韓世論よりも、反日世論の方が強いかもしれないぞ。そしたらこの韓国の行為は差別ではないと、人権侵害ではないと、そう言えてしまう訳だ。だからここはしっかりと客観的事実を持って線引きをしなければならんのだよ。
 
 ある属性が存在するコトで、直接それに影響を与えているかどうか、ですよね。例えば、もし伝染病患者を強制的に隔離するのは、病気の伝染と隔離との間に直截な因果関係があるから仕方ないと言えるのですが、伝染病でないのに強制隔離したらそれは差別ですよね。この場合は病気と隔離との間には何ら因果関係が無いワケですから。
 
 別の例えで言うと、入れ墨の人入浴禁止はどうなんだっていう意見もたまにあるみたいなんだが、これもよく考えてみてほしい。入れ墨を見せるという行為はそれだけで恐怖心を他人に与えている訳なんだよ。むしろそのために彫っているんだからな。だからこそ昇り竜とか般若とかやっている訳で、誰もアンパンマンの入れ墨なんかせんわな。それはそれで逆に怖いかもしれんが(笑)
 
 最近入れ墨もだいぶ意識が変わってきて、タトゥーとか言ってファッションで入れ墨している人がふえていますけど、こういう人ばかりになったら、入れ墨禁止も検討し直す必要が出てくるかもしれませんね。
 
 そうだな。

 
 
 
 まとめますと、まず自分の主張に矛盾が無いか考えてもらいたいというコトですね。他人に対しては排斥するような主張をする一方、自分に対してはそれを認めないと言っていたのでは、まったく一貫性がないワケです。自分も排斥されてもかまわないと言うのであれば、他人を排斥するような主張をしても一貫性はあるワケですが、まさかこんな人はいないでしょう。
 
 「ある人間の犯罪・悪行をカテゴリー全ての人間に当てはめて考える」、これの愚かしさをよく考えてほしいよな。これを許してしまったら、「ネットは全て匿名じゃないか。そういう文化じゃないか。だから人権侵害や犯罪が横行するんだ。ネットを無くせば犯罪は確実に減る」という意見に対してはぐぅの音も出なくなってしまうだろうと。
 
 そして、これを踏まえた上で、何が差別で何が区別なのかキチンと議論すべきでしょう。「形として表れる」ような取扱いなどに対しては、ちゃんと100%に近いコンセンサスを得られてからにしないと区別にはなりませんよというコトです。一部の人間が一部の主張だけを持って偏った取扱いをしてしまうのは、それこそ尖鋭的な差別主義者による差別行為以外何者でもないコトになってしまうワケです。
 
 ミーガン法や女性専用車両の時にも多分言ったと思うんだが、個別問題は当然個別に考えるべきなんだよな。入居問題なら、夜逃げされそうなら保証人をシッカリと精査する、もしくは行政に動いてもらって外国人の場合なら大使館を通じて身分保障をしてもらうようなシステムを作るとか、ピンクペンキ塗りたくられたなら、補償に関してキチッと契約を結ぶ。刑事も含めた法整備をしっかりとしてもらう。こうする事が筋だろ。いきなり国籍までぶっ飛ばしたらダメだろ
 
 ふと思ったんですが、なんか人権法の議論にかぶるモノがないですか?多分人権擁護法なんていらないって言っている人ほど、韓国人は区別すべきだと言っている気がするんですが、でもそういう人って、人権法を作る前に、現行制度で問題があるなら個別法でしっかり整備しろっていう主張だったハズですよね。それなのに個別対処手段を放棄していきなり国籍の問題にまで発展させてしまっているのは、これは矛盾なんじゃないんですかね。
 
 そーだなー。まぁ個別法でという主張は人権法の反対に理由にはならないというコトは散々言ってきた訳で、だから個別法もしっかりと整備する必要がある訳だが、しかしそう主張していた奴がそれを放棄したらいかんよなー
 
 大きなカテゴリーでくくって、それをひとまとめに規制してしまうという方法は、確かに効果は絶大ですし、楽です。だから安易にその方法をとってしまいたくなるのも分かりますが、しかしそれはとても危険な方法であるというコトを忘れてほしくないですね。いつか自分もそのカテゴリーに入れられ、排斥されてしまうかもしれませんよ。
 
 最後に、人権法反対論でよく使われていたフレーズを載せて締めよう。この言葉は人権法反対よりも、むしろこっちの方がよく当てはまる言葉だ。
 

 ナチスが共産主義者を攻撃したとき、自分はすこし不安であったが、とにかく自分は共産主義者でなかった。だからなにも行動にでなかった。
 次にナチスは社会主義者を攻撃した。自分はさらに不安を感じたが、社会主義者でなかったから何も行動にでなかった。
 それからナチスは学校、新聞、ユダヤ人等をどんどん攻撃し、自分はそのたびにいつも不安をましたが、それでもなお行動にでることはなかった。
 それからナチスは教会を攻撃した。自分は牧師であった。だからたって行動にでたが、そのときはすでにおそかった。
 
 なぜナチスを阻止できなかったのか−マルチン・ニーメラー牧師の告白−

 

平成17年7月27日

 制度自体の有無と悪用防止論

 
 本来ですね、「この法律(制度)は悪用されるから廃案にしろ」という議論は無茶苦茶なんです。
 
 人権擁護法案だけを強固に反対しようとしている人、人権法に反対するコトこそが正義の行いであり、正義の側に自分がいるというコトを確認したいというような人にはなかなかこの理屈が理解できないのかもしれませんが、本来は簡単な話なのです。
 例えば、いつの時代になっても偽札は無くならないワケですが、これをもって「悪用されるから貨幣制度は廃止しよう」とは誰も言わないワケです。
 貨幣制度を、少なくとも紙幣を廃止すれば90%は偽札が無くなるでしょうが、しかしこんなコトは誰も言わないですよね。
 
 では、偽札が大量に出てきたらどうするのかという議論になったとしたら、それは偽札が作りにくい紙幣を作ろうという議論になるワケです。
 そして、その制度を悪用するような輩に対しては、刑罰をもってあたりますよね。
 
 貨幣制度で言えば、詳しく言う必要ないと思いますが、この制度があるコトによってとても大きな利便性を得るコトが出来るワケですから制度自体は必要であり、その上で、その利便性に比例するように悪用に成功した時の見返りも大きくなってしまうワケですから、悪用しづらいような制度なりを構築し、法でもシッカリと規制する仕組みを作っているワケです。
 もちろん、その制度が必要かどうかの議論はあってしかるべきで、その上で必要ないとされれば作る必要もないのでしょうけど、しかし基本的にその制度が必要であると結論づけられるのであれば、「悪用されるかどうか」の議論をする際には「ではどうすれば悪用されづらくなるのか」という中身の議論になるワケでして、決して「制度を作るべきかやめるべきか」というところまでには及びません。
 それは「必要かどうか」という議論で結論づけられているワケですからね。
 ですから「悪用されたら」という議論は「必要かどうか」という議論とはまた別の話なのです。
 
 当然、悪用されやすい法律や制度というモノが存在されたら困りますから、それはキチンと整備する必要があります。
 ただし、100%完璧というコトはどうやっても出来ないというのは、これはもう仕方のないコトだと言えます。
 お札だって国家の技術力の粋を集めて作られるワケですが、しかし100%偽札が無くなるというコトはまず無いですよね。
 法的にも、通貨偽造及び行使等(刑法148条)では無期懲役が最高刑であるという、とんでもなく重い罪(基本的に無期刑がある罪というのは人の命が直結しているモノがほとんどです)が規定されていて、悪用に成功したときの見返りの大きさに罪の大きさが比例していると言えるのでしょうけど、ここまでしてもやはり100%とは出来ないワケです。
 
 この辺はバランスなんだと思います。
 このバランスというモノは、法治国家としての歴史の中での経験から、この制度に対してはこれぐらいの整備をする必要があると、暗黙の法則のようなモノが出来上がってきます。
 明確なルールはありませんが、裁判所の判例や今までの行政的な運用、そして法整備の中での議論などによって、それらがなされるんですね。
 ですから結局、法律や制度を作る上で大切なコトは、その制度が必要がどうかという議論と、それとはまた別の議論で、その制度が正しく運用されるような担保の整備の議論をする必要があるワケです。
 
 で。
 やっと人権法のお話に戻るのですが、つまりですね、人権法案に関して「現実に起こりうる問題を見ていない」といったような批判がよく存在しています。
 なんか当サイトに対してもそのような批判がちょくちょくあるようなのですが、具体的に言えば「人権委員や擁護委員が暴走する可能性を考えろ」とか「部落解放同盟や朝鮮総連が入り込んでくる可能性だってあるじゃないか」という意見ですね。
 でも、それはそれでひとつの意見として憂慮すべき点とは思いますが、しかしそれをもって「廃案にしろ」という議論には決してなりません。
 
 もし本当にそのような可能性が非常に高いのであれば、「ではどうすれば暴走する可能性が低くなるのか」「ではどうすればそれらの団体が入り込みにくくなるのか」という議論をしなければならないハズなのです。
 それが本筋ですよね。
 しかしそこでいきなり「廃案にしろ」という言ってしまうというのは、ちょっと飛びすぎていると言わざるを得ないでしょう。
 「反対のための反対」と言われても仕方ない気がします。
 
 なぜ人権擁護法案が必要なのかという点につきましては、やえは過去何度か指摘しています。
 もっとも大きなポイントは、「過去において人権侵害事件が起きている以上は将来に向けて法整備するの当然の義務であり、それを怠るのは政治の不作為である」というコトです。
 過去の人権侵害事件については今後も取り上げていこうとは思っていますが、とりあえずはこちらをご覧になって下さい
 また、現在においても人権侵害事件は存在するというコトも、つい最近身を以てお知らせしましたね。
 さらに言えば、裁判という「最終手段が唯一の手段」という現行制度から、行政による迅速かつ柔軟な対応が出来るようになるという点も、評価に値するポイントだと思っています。
 ですから、過去の事例から考えれば、むしろこの法案が出てきたのは「遅すぎた」と言う方が適切なのかもしれないと思わなくもありません。
 まぁ差別問題をタブーしていた国民空気を考えれば、今であるというのもある意味妥当なのかもしれませんが。
 
 よって、これ以降の議論は、人権法を作るかどうかという議論ではなくて、実際に話を詰めていく議論になるコトになります。
 人権法案を通すべきか廃案にすべきかという議論は、もう必要のない議論になるワケです。
 
 ですから「ではどうすれば暴走する可能性が低くなるのか」「ではどうすればそれらの団体が入り込みにくくなるのか」という議論は、それを改善していくという、「話を詰めていく」議論になります。
 そしてこれは、先ほど述べましたように、法治国家としての経験からくるバランスの中で考える必要があります。
 例えば、「人権委員が誤った判断をしてしまったら死刑」なんてしてしまうのは、これは大きく現行制度から逸脱している条文になってしまうワケです。
 もし「冤罪をしてしまった裁判官は死刑」という法律があるのでしたら認めてもよい条文かもしれませんが、そうではないのですから、そこはやはりバランスなのです。
 
 人権委員や擁護委員が暴走するかどうかは人事に係ってくる問題ですが、人権委員に関しては大臣並の民意が反映されているシステムになっていますから、これを問題視するコトは適切ではないと言えます。
 もちろん、大臣の人事システムに問題があると思うのであればそうご主張されるのは自由でありますが、しかし今まで大臣の人事システムを容認していたのにも関わらず人権委員の人事システムにだけ文句を付けるというのは、それはちょっと全くの矛盾であり、主張の一貫性がありません。
 適切な意見とは到底言えないでしょう。
 
 擁護委員も同じように、人事システムに大きなズレがあるとは思えません。
 自民党の部会で修正案が出される以前には、「人権擁護団体に属する人間を入れろ」というような文言が入っていて、これは広島の悪夢を彷彿とさせるような内容でしたので、ちゃんと具体的事例を提示してやえも反対をしていました。
 しかし今ではこの部分は削除されていますので、そこまで反対する理由も無くなったワケです。
 細かいところではいろいろと意見が言いたい部分もあって、それは総論の方でも書いてあるのですが、しかし現行システムから大きく逸脱しているような部分は無いと、やえは判断しています。
 
 「北朝鮮の傀儡人間が人権委員になったらどうするんだ」という意見も実際にもらったコトがあるんですが、このように可能性だけを並べたら何でも言えてしまうワケでして、これはかなり現実的でない意見なのです。
 そもそもその人間が傀儡人間かどうかを判断する客観的システムなんてつくれるワケもないですし、むしろその現実的な妥協策として国籍というモノがあるワケで、だからこそ国会議員などには日本国籍を持っている人でないとなれないというコトになっているのですから、人権委員にしてみても、総理大臣が任命する以上は民意が反映されている人事である以上、その人間が傀儡人間であったとしたら、国民の選択が間違っていたとしか言いようが無いのです。
 ある長らく女性が党首を務めている某政党なんかが単独で政権を握ったとしたらどうなるか、そう想像していただければ理解しやすいでしょう。
 
 人権法案は、今回のお話の主題でもあります「全体の中のひとつとしてのバランス」という視点で見る必要がありますし、それは人権法案に限らず全ての法案や制度に言えるコトです。
 やえは人権委員会が誤った判断をした場合の対処をキチンと定めるべきだと思っていますが、しかし裁判の場合の冤罪の際の対処についても具体的な方策が定められていない以上は、もちろん賠償法などによってある程度は担保がなされていますけど、人権法案にだけそれを求めるのは筋違いと言わざるを得ないと思っています。
 ですから、人権法における「誤った判断をしてしまった場合」という問題に対する場合は、法制度全体の問題の話になるワケでして、人権法案個別の話にするのは適切ではなく、むしろ局地的な話だけにしてしまうと問題が矮小化してしまいかねませんから、このような理由だけでは「廃案にすべきだ」という根拠にはなり得ないのです。
 
 「現実的な問題を考えろ」という意見は、決して「現実的な側面を見ずにわずかな極端な可能性だけをあげつらう」コトでは決してないハズです。
 よく「法案文だけ見ればその通りかもしれないが、しかし現実はそうでない」なんて批判がありますけど、しかし実際には「現実的に考えたからこそ人権委員は民意を反映している」と言えるのです。
 日本は法治国家であり民主主義国家であり、国民も法律も全てこの範疇の中で存在しているのですから、それらの側面を無視して話をすすめるコトなど出来ません
 それを無視するコトが「現実的に考えるコト」では絶対にありません。
 人権擁護法案も、それらの範疇の中で存在する法律になるワケでして、そうした側面を鑑みながら検証する必要があるのです。
 やえはそうしてきたと思っています。
 
 
 これらの話はなにも人権法だけに限らず、今後も法律や制度に対して様々なコトでいろいろな議論が行われるようになると思うのですが、全てにおいて当てはまる問題ですから、この辺をぜひよく理解しておいて欲しいと思います。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、現実論を応援しています。
 

平成17年7月28日

 現実的に考えた場合の悪用懸案に対する回答

 
 今日はですね、昨日の更新を人権擁護法案に対して実際に言われている批判に当てはめて考えてみようと思います。
 昨日も実際にいくつか例示は挙げましたのですが、タイムリーなコトに、議論板の方でたまたま何点か例示があがっていましたので、そのまま使っちゃおうという地球に優しいエコロジーな愛・地球博風味の更新なのです。
 文量も出来るだけネットに優しいサイズにしたいと思っています。
 
 
 では、ひとつひとつ挙げていきますね。
 
 ■人権委員以下、関係要員が暴力その他によって脅された場合
 
 これは言うまでもなく刑法に触れる犯罪です。
 誰が見ても脅迫罪ですね。
 とりあえず昨日のおさらい的に言いますと、これは確かに可能性というコトで言えば無くは無いですけど、しかしこんなの全く0にできるハズもなく、実際に犯罪を0にする方策があればぜひ教えていただきたいところですし、可能性だけ言えば裁判官に対してだって脅迫の可能性はあるワケで、総理大臣にだって可能性は0には出来ないワケで、つまり言い出したらキリの無い話なのです。
 現実的には、このような凶行が行われないように警察や法律があるワケでして、社会通念上それが行われる可能性を低くする担保は現状で十分なされていると見るのが常識でしょう。
 日本は法治国家であり民主主義国家であり、国民も法律も全てこの範疇の中で存在しているのですから、「全体の中のひとつとしてのバランス」として見るのであれば、特に人権委員や擁護委員が他の人より脅されやすくなっているとはとても言えませんから、これをもって「廃案にしろ」というのはもはやトンデモな意見であり、修正すら必要とはしない部分かと思います。
 
 
 次からは簡単にいきますよ。
 
 ■人権委員以下、関係要員が買収を受けた場合
 
 これもさっきの脅迫とほぼ同様ですね。
 なにも人権委員にだけ当てはまる要件ではありません
 そしてそれを防ぐために贈賄罪とかがちゃんと規定されているワケです。
 人権委員も擁護委員も国家公務員ですからね。
 よってこれも、「全体の中のひとつとしてのバランス」において、修正すら必要としない案件だと思います。
 
 
 ■政治団体などによって有形無形の干渉を受けた場合
 
 政治団体と言うとだいぶ範囲が広くなってしまうのですが、例えばこれが崩れヤクザ系の右翼団体等からの干渉というコトであれば、だいたい脅迫罪か、もしくは贈賄罪で話が済むのではないかと思います。
 そうでない場合でも、それが社会通念上「不当」とされるような干渉であれば、当然それなりの処罰が待っていると言えるでしょう。
 今まで挙げた全てに言えるのですが、もしこれらの行為の矛先が人権委員にではなく裁判官に対してだったらどうなのか、というコトを考えてみてほしいと思います。
 人権委員会は国家行政組織法によるところの3条委員会ですから、非常に高い独立性を有しています。
 先ほど「裁判官に対して」と言いましたが、もっと近い例で言えば、同じ3条委員会である選挙管理委員会で考えてみればいいと思います。
 もし現行法が選挙監理委員に対して容易に有形無形の干渉をしやすい環境であると言えるのであれば、同じように人権委員に対してもそうであると言えるのでしょうが、しかし実際のところはそうではありませんよね
 やはり「全体の中のひとつとしてのバランス」なのです。
 
 
 ■訴人、人権委員および関係要員が結託、または結託が疑われる場合
 
 結託してしまうような人選をしてしまった総理と、その総理を選んだ国民を恨むべきでしょうね。
 という側面もありますし、また基本的にこれも、あらゆる権限を有する職業全てに言えてしまうコトです。
 「外国の傀儡人が人権委員になったらどうなるんだ」という意見と全く同じなワケです。
 繰り返しになりますが、これは国会議員にも言えてしまうワケで、中にはそうじゃないかと疑ってしまう人もいたりしますけど、よって「全体の中のひとつとしてのバランス」で言えば、これもやはり人権委員にだけそう言うのは適切ではありませんし、そして「廃案にしろ」という根拠にはならないワケです。
 まぁ人権委員選定の際に、候補者の思想背景を確認するようにと規定してもいいかとは思いますが、しかしその選定者の責任者は総理大臣であり、基本的に「思想背景の確認」はその時点でなされていると見なすのが定石なのではないでしょうか。
 議員選挙の際にも、国民によってそれがなされていると、少なくとも外面的には言わなければしなければ、民主主義を根底から否定してしまうコトになりかねませんしね。
 
 やえは以前、「部落解放同盟が入り込んでしまう可能性があるので修正すべき」というコトを言っていた時期がありましたが、なぜこのようなコトを言っていたのかと言えば、決して荒唐無稽な僅かな可能性だけをあげつらって主張していたのではなく、擁護委員の選定に関する条文に「弁護士会その他人権の擁護を目的とし、又はこれを支持する団体の構成員のうちから」なんていう、解同ドンピシャな条文があったからです。
 ちゃんと根拠があったからこそ、そう主張していたのです
 しかし現在はこの部分は削除されていまして、よって、「全体の中のひとつとしてのバランス」から考えれば、人権法案が日本のシステムから大きく逸脱しているとは言えないという結果になったので、今はそう主張していないワケなのです。
 
 時々、「3条委員会では権限が大きすぎる。もっと小さな委員会にしろ」という意見があるのですが、それは逆に人権委員会の独立性を低くしてしまうコトになりますから、「有形無形の干渉」や「結託」などをさせやすい状況にしてしまうと言えると思います。
 「独立性を高くしろ」と言いつつ、「3条委員会は権限が強すぎる」と言っている人が、これがけっこう多かったりするんですが、かなり矛盾している主張だと言わざるを得ません。
 これもやっぱり「全体の中のひとつとしてのバランス」というコトでしょう。
 もうちょっと他の事例を、全体的なバランスをよく見てから発言してほしいと思います
 
 
 今日はこれで以上です。
 もし具体的に、このような指摘はどうなるのかというモノがありましたら、ご遠慮なくこちらにでも書き込みしてください
 もし本当に困るような穴が見つかれば、それはそれで人権擁護法案のため、ひいては日本のためになるワケですからね。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、整合性を応援しています。
 

平成20年4月21日

 人権恐怖病

 小林よしりん先生がやっちゃいました。

日本で人権擁護法案なんか考えている政治家も、チベット問題で中国に抗議一つしない。アメリカも北京オリンピックのボイコットは言わない。結局、人権なんか嘘っぱちであって、「経済」の理論の前には侵略も弾圧も民族浄化もOKなのだ。日本の反戦平和主義者も中国の侵略・弾圧には今まで見て見ぬふりを貫いてきた。実にインチキなのだ。

 これは週刊誌『SAPIO』(4/23号)に連載されている『ゴーマニズム宣言』の欄外に書かれているよしりん先生のお言葉です。
 やっぱり先生も法案を読んでいないクチなのでしょうか。
 というか、それ以前に、重大な勘違いをしていらっしゃるようなので、僭越ながら指摘しておきたいと思います。
 
 人権擁護法案は、あくまでも国内法であって、その以上でも以下でもありません。
 そして、人権擁護法案は新たな概念を作り出すものではなく、あくまでも現行憲法現行法律が規定するモノの範囲の中だけで、認められない許されない行為を罰したり啓蒙したりする法律です。
 すなわち、今の日本の社会の中で憲法の中で、やってはいけないとされていたコトを、今までとはちょっと違う方法で規制や改善をしようとしているだけなのです。
 繰り返しますが、これはあくまで日本の国内法です。
 外国の個別事案は全く関係がありません。
 もし日本の憲法や法律に、人権侵害に係る規定が全くない、つまり国内法で人権侵害が違法だとされていない状態であれば、それは人権擁護法案がつくられる前提にはなっていないと言えるでしょう。
 今の自民党の動きというのは、別に「人類普及的概念法」なんてモノを作ろうとしているワケではなく、あくまで日本国憲法の下にある法律を作ろうとしているだけに過ぎないワケで、もしこの法案に積極的な人が「憲法が規定しているからこの法案を作っているだけでしかない。憲法で規定されていなければ、人権が世界的に大切だと言われていたとしても、国内法を作る気は起きない」と言ったとしても、それは矛盾はないのです。
 
 あくまで、憲法の下での日本の社会の中で「やってはいけないとされている言動」に対しての規制であり、しかし今までの手法ではあまり効果があがらなかったので、その手法を新しく作ろうというのが、人権擁護法案です。
 新しい概念を作り出す法案ではありません。
 つまり動機的に言えば、ここは別に「人権」でなくてもいいワケです。
 例えば、近隣住民の騒音問題やゴミ屋敷問題に対して、今は行政は強制権を持っていないので、自主的に改善させるか裁判を起こすしか手段がありませんが、これを新しい法律を作ってある程度行政にも立ち入り調査権などを持たせて積極的に解決できる手段を与えよう、という考え方と全く同じと言えるワケです。
 ですから「人権問題に熱心だからこの法律を作ろう」ではなく、「法の不備があるから是正しよう」でも全然全く構わないワケで、よってここにチベット問題を絡めても的を射ない意見にしかなりません。
 もちろん、チベット問題はよくよく大切な問題で、日本にとっても影響は小さくないと言えますので、興味を持っていただきたいのはその通りです。
 しかし、それと人権擁護法案とは全く関係がないワケで、よってチベット問題に消極的である人を人権擁護法案を引き合いに出して批判するというのは、全くの筋違いでしかないのです。
 
 右派や保守系の人って、「人権」って言葉に敏感すぎる気がしてなりません。
 人権と名のつくものは全て敵だと言わんばかりに噛み付き始めます。
 しかしその姿というのは、サヨクの「戦争」や「軍隊」という単語を耳にするだけで過剰反応して知性も理性もかなぐり捨ててヒストリックになってしまうような姿と何が違うというのでしょうか。
 やえにはそう見えてなりません。
 
 チベット問題はチベット問題、人権擁護法案は人権擁護法案。
 それぞれは別問題であり、個別に議論されるべきモノであって、いっしょくたにして乱暴な議論にしてしまっていい問題ではありません。
 よしりん先生も、右派・保守系の人たちも、その必死な姿はどこかで見たことがあるような醜い姿になってしまっていないか、頭を冷やして考えてもらいたいと思います。