☆やえニュース☆

  麻生メルマガレビュー日本の防衛的先制攻撃 (下)究極の拝金主義社保庁の責任 (3)  社保庁の責任 全文まとめ / 保守と呼ばれたがるための保守党首討論と集団的自衛権と金融サミットでの麻生さん支持率というモノの無意味さ備えあれば憂い無し…が出来ていなかった例麻生メルマガレビュー

平成21年4月16日

 麻生メルマガレビュー

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  ■○■○■   麻生内閣メールマガジン第27号    ■○■○■ 
  □●□●□             2009/04/16    □●□●□ 
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 ☆今週号では、中曽根大臣が安保理議長声明について語ります。また、越前
 市長の奈良俊幸氏より定額給付金の取組についてご寄稿いただきました。☆
 
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 ●麻生太郎の「強く明るく」
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 [国際社会が一致団結]
 「安保理は、安保理決議に違反する、北朝鮮による2009年4月5日の発射を非難する。」
 「安保理は、北朝鮮がいかなる更なる発射も行わないよう要求する。」
 「安保理は、すべての加盟国が決議の下での義務を完全に遵守するよう要請する。」
 これは、今週、北朝鮮のミサイル発射に関して、国連安全保障理事会が、国際社会の一致したメッセージとして出した、議長声明の骨子です。
 
 こんにちは麻生さん。
 というワケで、今日は北朝鮮のミサイルについてです。
 とりあえずやえの考え方はこの前書きましたので、ご興味のある方はご覧下さい。
 
 通常は、「遺憾」とか「懸念」といった表現が多く使われるところ、日本の主張が認められ、「決議に違反」「非難する」といった、異例に強い内容の議長声明となっています。
 わが国を含め関係各国が自制を求めたにもかかわらず、北朝鮮が、ミサイル発射を強行したことは、決して認められるものではありません。
 
 この前も言いましたように、内容的には、日本が理事国だったからこその、かなり強い異例な内容になりました。
 決議でなかったコトに不満を持っている人もいるようですが、しかし決議であったとしても北朝鮮に対して武力行使できるような内容になるとは到底思えませんので、決議であっても議長声明であっても実質的には変わらなかったのではないかと思います。
 であるなら、内容は強く批難している方がいいに決まってますよね。
 そしてなにより、この議長声明に対して北朝鮮は猛反発していますから、結局つまりこの議長声明は大変に意義のあるコトだったと言えるでしょう。
 全然意味がなければ北朝鮮がイヤがる道理がありませんからね。
 
 国連では、ミサイル発射直後、初めは、自国の頭の上をミサイルが通過して、もっとも深刻な危険にさらされた日本と、受け止め方に差がある国々があったのは事実です。
 そこで、私は、一貫して、
 1) 強いメッセージとすること(これまでの安保理決議違反として非難すること、決議の完全履行を求めること)
 2) 国際社会が一致して対応することを示すこと
 3) かつ迅速にメッセージを出すこと
 などを最優先として、私自身や、中曽根外務大臣を含め、あらゆるレベルで外交努力を傾注し、行動しました。
 
 麻生さんとしては、「国際社会の一致」を特に重要視したのかもしれません。
 決議にこだわり、日米欧vs中ロ北という構図にして対立を明確化させるというのもひとつの手だったとは思いますが、それよりもは、「全世界vs北朝鮮」という構図を明らかにするコトでより強いプレッシャーを北に与えるという戦法だったのでしょう。
 どうせ中ロが反発するというのは、目に見えて明らかでしたからね。
 そしてさっきも紹介しましたように、北朝鮮はこの構図に対してヒステリーを起こしてしまっているように、効果てきめんだったワケです。
 麻生さんはよく頑張ったと評価できるでしょう。
 
 この週末に行ったタイでは、日中、日韓の首脳会談を行い、特に、日中首脳会談では、温家宝総理と、予定時間を30分以上もオーバーして、この問題を真剣に話し合いました。さらに、その後の日中韓首脳会議で、韓国の李明博大統領も交えて、三カ国の間で議論し、考え方を収斂することができました。
 国連でのメッセージの発出は、北朝鮮をめぐる拉致、核、ミサイルという深刻な問題への対応のひとつのステップです。今回、私は、決議か議長声明かという形式もさることながら、「一致して、強い」メッセージを、「迅速に」出すことを優先しました。その結果、異例に強い内容の議長声明を実現することができました。
 国民の安全を守るため、私は、世界各国と連携を密にしながら、引き続き、全力を尽くしてまいります。
 
 近年日本はキチンと外交しているって感じしますよね。
 なんて言いましょうか、冷戦の時っていうのは、日本に限らず、外交の基本はアメリカとソ連とが話し合ってどうするかを決め、細かいところで各国が詰めていくという作業でしたから、確かに主体性が無いと言えば無いと言えたのでしょう。
 おそらくこれは日本だけに限らない話だと思います。
 しかし冷戦はすでに過去のモノとなり、ロシアはもはや大国ではなく先進国ですらなく、またアメリカも年々その力は衰えてきています。
 こういう中で、相対的にそれぞれの国の力が強くなってきているとは表現できるのでしょう。
 逆に言えば混沌としてきているとも言えるワケで、その象徴のひとつが北朝鮮でもあるのでしょうけど。
 このような世界状況の中においては、当然日本も主体的な外交が求められますし、むしろアメリカに次ぐ強国としての地位が、望む望まないに関わらずその位置に実際にいるという自覚を持たなければ日本はならなくなっているのです。
 変に自虐的になるのは日本人の悪い癖ですが、まず日本という国がいま世界でどのような位置づけとされているのか客観的に判断して、その上で考えなければならないでしょう。
 
 今回のタイ訪問では、本来であれば、北朝鮮問題に加え、アジア各国の首脳に対して、日本とアジアが一緒に成長していく、「アジア経済倍増へ向けた成長構想」を提案する予定でした。
 タイの国内事情から、急遽、帰国を早めた結果、羽田に到着したのは午前4時。今回は、残念なこととなりましたが、引き続き、この経済成長構想を、アジア各国に説明し、その輪を広げ、日本と共にアジアの将来の成長を確実なものとしていきたいと思います。
 
 タイのデモ、いつものコトと言えばそうなんですが、それにしてもアレですね。
 やえはタイはわりと好きな国ではあるんですが、今回のコトは、全世界に恥をさらしたと言えるでしょう。
 一部メディアは「タイの首相の面目がつぶれた」とか言ってましたが、やえはむしろ、タイ国民の民度の低さが露呈したと言ってしまっていいと思っています。
 もちろん全てのタイ国民がデモしているワケではありませんが、しかし結果としてASEANを潰したという結果は、国民全てが受け止めなければならない罪です。
 タイ国民にはもうちょっと大人になって欲しいと願います。
 
 
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 ●編集長のひとこと
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 11日、反政府デモで騒然とするタイのパタヤ市内。ASEAN(東南アジア諸国連合)関連会合が中止を余儀なくされる状況の中、麻生総理は、冷静に状況を判断し、近隣のホテルに滞在していた中国、韓国の首脳との会談を速やかに設定するよう指示を出しました。
 
 まぁしかし、なかなかこれはない経験ですよね。
 世界一安全な日本でも、サミットの時の警備の厳重さはよく報道されたところですが、なんとまぁ繰り返しますがタイはお粗末だったと言わざるを得ません。
 でもこの辺が麻生さんの切り返し、機転の早さが生きた事例だったと言えるでしょう。
 
 その結果、総理も紹介しているとおり、日本にとってとても重大な問題である北朝鮮のミサイル発射問題について、中国、韓国との間で、実り多い協議を行うことができました。
 北朝鮮のミサイル発射問題は、日本はもとより、中国、韓国にとっても、非常に難しい判断を迫られる問題。この問題について、首脳同士が、率直にそれぞれの立場を述べ合い、そして合意点を探る。議論が佳境にさしかかった時には、互いに相手の目から一瞬たりとも視線をそらさずに議論が進んでいく。国の将来に責任を持つ首脳同士、まさに国を背負った者同士の議論なればこその緊迫感が、会議場内を満たしていました。私も、同席しながら、この緊迫感に身震いを覚えるほどでした。
 
 麻生さんはおどしがうまそうな勝手なイメージがありますが(笑)
 なんか毎回言っている気もするのですが、こういう場面で麻生さんが日本の総理大臣だったというのは、とても幸運なコトだったのではないかと思わざるを得ません。
 土壇場での強さというのは、なかなか簡単に身につくモノではないですしねぇ。
 
 今号のメールマガジンでは、中曽根外務大臣に、北朝鮮ミサイル発射問題に関連して、国連安保理での対応を中心とするさまざまな外交的な取組について紹介してもらっています。冒頭の総理のメッセージと併せて、日本政府が今回外交上どのような努力を行ってきたか、読者の皆さんに詳しく伝わればと思います。
 
 と、今週のメルマガでは、今回のやりとりについての過密スケジュールを中曽根外務大臣がご紹介をされています
 言うまでもなく今回の北朝鮮の行為は悪としか言いようがありませんが、それを確認するだけでも、世界を舞台にするととても大変だというコトが分かるでしょう。
 やはり「正義」とは難しいモノですね。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、ローゼン閣下を応援しています。
 

平成21年4月17日

 日本の防衛的先制攻撃 (下)

 ごめんなさい、ちょっと間が開いてしまいましたが、続きです。
 
 
 また例えば、北のミサイルが台湾に向けているとしましょう。
 この場合は、日本は全く手も足も出せません。
 中国との絡みがありますのでまずない話だろうとは思いますが、しかし中台関係が今後どうなるかは誰にも分かりませんし、中台戦争が起きないとも誰にも断言できない以上、北が台湾に向けて核を攻撃する可能性も0とは言えません。
 でも日本はこの場合、なにも出来ません。
 集団的自衛権が行使できるとなっていたとしても、日本と台湾は同盟を結んでいませんし、そもそも日本は台湾を国家としては認めていませんから、日本の憲法が専守防衛である以上日本が攻撃されているとは見なされませんので、日本は手を出せません。
 
 また可能性としては、北朝鮮のするコトですから、台湾に向けて発射するぞと言いつつ日本に向けて発射する可能性も否定できないと思いますが、でもそれでも、今の日本では防衛的先制攻撃は出来ないでしょう。
 
 現実的可能性を考えるなら、さらに難しい面が出てきます。
 ここはある程度解釈の幅が出てくるとは思うのですが、やえが思うに、仮に北がミサイルを一発日本に撃つと宣言して、それを日本が防衛的先制攻撃で叩いたとしても、さらに他の北朝鮮の軍事基地を日本が攻撃できるかどうかというのは、ちょっと難しいような気がしてなりません。
 少なくとも、ミサイルや空軍ならまだしも、陸軍施設までを攻撃は出来ないでしょう。
 北朝鮮の陸軍は直接には日本を攻撃できませんからね。
 
 そして同時に、日本は敵国を制圧できません。
 敵地を攻撃出来ますが、攻撃しっぱなしです。
 専守防衛の日本にとっては、制圧という行為は、日本が攻撃側・敵が防衛側という形になる行為に他ならないワケですから、これは絶対に出来ないでしょう。
 つまり日本は、戦闘に負けない努力は出来ますが、勝つコトはどうやっても出来ないのです。
 
 こういう現実を前にしたとき、果たして敵地攻撃能力を有すべきかどうかというのは、なかなか難しいと思います。
 最初にも言いましたように、1%でも防衛力が上がるなら、やえは持ってもいいとは思います。
 でもやえは、それよりもいい手があるんじゃないかと、思わざるを得ないのです。
 
 それは、言うまでもなく憲法改正です。
 憲法改正をすれば、こんなめんどくさい議論をするまでもなくなります。
 他国並みの戦争が出来る憲法に改正すれば、日本にミサイルが向けられた時点で、まず基地を叩き、その余勢のまま敵の軍事基地を全て空爆などで叩いて、その後陸軍によって制圧すればいいだけです。
 今のところ日本にはその能力がハード的にもありませんが、もし日本がその能力を持とうとすれば、世界有数の軍事力を有すコトが出来るでしょうし、そうなれば北朝鮮程度の小国は敵にもならないでしょう。
 一番日本が安全な形をとるコトが出来る装備とは、これだとやえは思っています。
 
 もちろん憲法改正と、改正しなくても出来るコトとは、意味合いが違いますので、同列に語るのも難しいコトでしょう。
 しかし国民的議論という点で考えれば、もっとしっかりと国民はこの日本の現状を知って、国防について意識を高めて欲しいと思います。
 今回の北の件で、国防に関する関心が高くなったのはいいコトだと思いますが、しかしその先が、敵地攻撃能力だったり、また日本の核保有の可能性だったりするというのは、やえは違和感を覚えてなりません。
 なぜ憲法改正から目をそらそうとするのでしょうか。
 核保有議論なんて「持てば済むんだ」と言うのもやるのも簡単に言うのですが、真剣に国防を考えるなら、まずそれよりも先に日本を普通の国にするコトが先決なのではないでしょうか。
 普通の国ではないのに核兵器ばかりほしがるのは、子供が鉄砲にあこがれているガキくさい姿にしか見えません。
 核保有議論も結構ですし、防衛的先制攻撃の議論も結構です。
 日本のために議論するのは結構ですが、しかし、そこに憲法の議論を加えないというのは、まったくもって片手落ちにも程があると思います。
 
 政治的に考えた場合、憲法を改正せずに出来るコトを実行するというのは、憲法改正より当然手間が少なくて済むので、やりやすいでしょう。
 しかしこれはあくまで、政治側だけの都合でしかありません。
 国民が国防を考える場合、議論する場合には、あまり気にするような問題ではありません。
 どうせ議論するなら憲法改正こそを真剣に国民が議論するべきです。
 いえ、政治的にはめんどくさいからこそ、国民が主体となって議論しなければならないのです。
 国民が国民として議論する場合、今の日本に必要な国防の最も優れた方法としては憲法改正し普通の戦争に出来る状態にするコトなのですから、憲法改正を第一の目的と考えて議論しなければならないと思います。
 
 防衛的先制攻撃ができるよう自衛隊の装備を整えるコトは、憲法改正をした後でもそのまま使えるでしょうから、そういう意味では、先行して敵地攻撃能力を有する方向に自衛隊をもっていく、というのは、現実的プロセスとしてひとつの手段だと思います。
 それはそれでいいでしょう。
 ただし、議論するという場合においては、到着地点としての憲法改正を見据えた議論をしなければならないとやえは思います。
 でなければ、せっかくの国民議論がもったいないと言うか、むしろそれだけで良かった終わったとなってしまい、結局前進したように見えて全然してないという結果に終わってしまいかねません。
 敵地攻撃能力も、今回いろいろと語りましたように、現実に装備しても相当制限された形でしか使い道がない能力にしかなりません。
 ですから、装備するコトは反対しませんが、それは憲法改正という目的があってこそ意味があるモノではないかと、やえは思うのです。
 
 長々と書いてきましたが、少なくとも憲法九条がある以上、専守防衛の原則を越えるコトは出来ません。
 であるなら、イメージ的に言えば、相手の弾が切れるまで日本は防ぐコトしかできないワケで、言い方を変えれば、相手があきらめるまで待ち続けるしか日本には出来ないのです。
 こんなのとてもじゃないですけど、これは効率が悪すぎますし、外向的にもマイナスにしかなりません。
 日本のためを考えるのであれば、ただ防衛という観点だけではなく、日本全体としての力として軍事力というモノを考えて、そのための憲法改正論議をしなければならないでしょう。
 防衛的先制攻撃ができるようにしろ、核保有しろと、局地的な短絡的な発想だけでしかない議論では、日本の全体としての利益国益を高めるコトにはならないのです。
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、日本国民による憲法改正論議を応援しています。
 

平成21年4月20日

 究極の拝金主義

 金を払っているんだから権利をもらえて当然だ。
 税金を払っているんだから自分の主張は全部認められるべきだ。
 なんでもやってもらって当然だ。
 
 こういう考え方って、究極の拝金主義だとやえは思うのですが、どうでしょうか。
 

 【ニコニコ生放送】民主党・鳩山幹事長:「永住外国人への地方参政権付与は当然。韓国は既に認めている」
 
 鳩:「私は日本人が自信を失っていると。自信を失うと他の国の血が入ってくることを認めないという社会になりつつあるな、と。それが非常に怖いと思っています。むしろ、その定住外国人の話などは、税金を彼らは納めている訳ですよね、その地域に根が生えて一生懸命頑張っている人たちがたくさんいる訳です。その人たちに、むしろ参政権ぐらいは与える度量の広さをね、日本人として持つべきではないかと。私は何か、いわゆる普通の人と逆みたいな言い方をするかもしれませんが、自信があればもっと門戸を開いて良いじゃないかと。

 当サイトも特別ページを作って反対している外国人参政権付与問題ですが、これに賛成する人の多くが、外国人に参政権を付与する理由として「税金を払っているから」というモノを挙げています。
 「地方税を払っているんだから地方の政治に参加するのが当然である」と、そう言うワケです。
 
 でも結局それは、参政権を金で買うという行為に他なりません。
 
 歴史を正しく見れば、その国の政治に参加する人=参政権を持つ人というのは、その国の国籍を保有している人だけです。
 つまり外国人に参政権を与えるという行為は、民主主義政治においては特殊なコトであり、不自然なコトです。
 もちろんどんな制度においても正当な理由があれば改善していくのが当然だとは思いますが、しかし今回の場合、その理由が「金を払っているから」では、あまりにもさもしいのではないでしょうか。
 
 政治とは、その国の未来を造る作業のコトを指します。
 それは、その国の未来に責任を持つというコトです。
 日本人が日本という国をどう想い、どう育てていくか、未来に向けて責任を持つコトが政治の役割です。
 
 しかし税金を払うというコトは、それは政治ではありません。
 税金は、国家運用のコストです。
 それ以上も以下もありません。
 具体的に言えば、道路を造る、橋を造る、高速道路を造る、役人や警官や自衛官のお給料を払う…等々、これらのコストのために税金を払うだけであって、だから何国人であろうとそこに住んでいればそれを享受するのですから、コストを払って当然でしょう。
 外国人だから日本の警官は全く守らない、というワケではありませんね。
 よってコストを払うコトは、その国の歴史を受け継ぎ、未来を造る責任を負っているという意味にはなりません。
 税金と参政権との間には、全く因果関係はないのです。
 
 よく「地方だけに限って」などと言う人もいるようですが、しかし地方であってもそこは日本です。
 地方であっても、そこが日本であるコトには変わりなく、地方の政治も日本の一部分としての政治なのですから、その政治に参加するコトは日本の過去と未来を受け継ぐコトに他ならず、その資格は当然日本人であるというコトになるでしょう。
 その地方も、日本の悠久の歴史が育んできた土地であり、そして日本として未来に託すべき土地です。
 その日本の過去を受け継ぎ、日本の未来を造り出すのは日本人だけです。
 当たり前の話です。
 
 お金じゃないのです。
 一番大切なのは責任と覚悟です。
 本来日本人にだって、国家の過去と未来に対する責任と覚悟が無ければ政治に参加して欲しくないとやえは思うのですが、ただそれを証明する方法がありませんので、今は国籍が参政権の指標になっていると言えるでしょう。
 一昔前、ホリエモン事件が世間を賑わせた頃、世論はこぞって「金ではなく品格が大切」と言ってました。
 「お金で買えないモノはない」という言葉に、世間は大きく反発していました。
 しかし、「金を払っているんだから参政権を与えるべきだ」という論調は、品格や責任や覚悟など全く無視して、ただ金の部分だけで判断しているコトに他ならないのではないでしょうか。
 本来的には、キチッと国民の義務である税金を納めて、また他の義務も果たして、そして日本という世界一の長い歴史を受け継いで、さらに次の世代にそれを託す責任と覚悟を持っている人だけが、政治に参加できる制度が一番いいとは思います。
 しかしそれは現実的には無理ですから、最低でも国家に対して責任と覚悟を持つというある程度の証拠となる国籍でもって区切っているワケです。
 それを「金払っているんだから国籍は関係ない」「金さえ払えば国家の政治を好きに出来るんだ」「金払っているんだから政治をよこせ」と言わんばかりの主張は、それはつまり「品格など関係ない。責任も覚悟も関係ない。ただ金さえ払えばいいんだ」という主張に他ならず、あまりにも無責任な主張なのではないでしょうか。
 
 金を払っているんだから権利をもらえて当然だ。
 税金を払っているんだから自分の主張は全部認められるべきだ、なんでもやってもらって当然だ。
 
 こういう考え方って、あまりにもさもしく、みっともない考え方だと思います。
 これこそ究極の拝金主義なのではないでしょうか。
 

平成21年4月21日

 社保庁の責任 (3)

3.上層部や労組という内部からの視点と、外からの視点・国民視点の批判とをごっちゃにしてはいけない
 
 最後に3です。
 勘違いしてはいけないのが、やえも含めた労組が根本原因だと言っている人は、みんな社保庁の職員ではない外の人間であるというコトです。
 当たり前と言えば当たり前ですが、確かに中の人間が外の人間に対して「責任は自分にはない他人にある」と言ってしまうと、みっともないと感じてしまう場合もあるでしょう。
 しかし少なくともやえは社保庁の人間ではないワケで、ではやえは何を一番望んでいるのかと言えば、それはもちろん年金事業の適切な運営です。
 これは多くの人がそうだと思います。
 であるなら適切でない業務をしてしまった原因こそを追求するコトが、正常な業務に戻す一番の批判の方法なのではないでしょうか。
 この形は主張・論調における正道・王道だと思います。
 よってやえは、直接の原因である労組の問題を問う更新をいくつかしているワケです。
 
 リンク先の文章にこのような一文があります。
 

 似たような民間のセクターを考えてみましょうかね。民間で労働組合の強い産業というと,航空業でしょうか。これらは日本特有ではなく,アメリカでも同様に組合が強い。実際,ユナイテッドやノースウェストが破綻する際にとどめを刺したのは,パイロットや整備士の労働組合が,経営者側の賃金圧縮の提案をのまなかったからです。彼らは,会社を潰す覚悟でも権利主張をしたわけです。
 (中略)
 ただそこで,ユナイテッドやノースウェストの経営者が株主などに経営破綻の責任について釈明するときに,
 「頑迷な労働組合のせいだ」
 とはいいません。それも含めてマネージするのが経営者の職責なので,それをいうのは,職責の放棄ですからね。

 しかしそもそもこういう構図が正しいのかどうかという点がまずあるワケです。
 リンク先の方は、「会社を潰す覚悟の権利主張」が正しいと思われているのではないかと読み取れますが、やえはそれが正しいとは思えません。
 だから、組織の外であるやえとかが、それは違うのではないかと批判しているワケなんですね。
 別に「会社を潰す覚悟の権利主張」が正しいんだと主張されるコトは自由です。
 主張するコト自体は尊重します。
 ただし、それは違うというコトを外の人間が主張するのも、当然のコトですが自由なのではないでしょうか。
 やえはそれをしているだけなのです。

 実際,JALなどの民間企業で,上の「」内の言い分をトップが語ったら「アホか」と言われるでしょう。
 (「」内とは、「この度の事故は,弊社の労働組合が抵抗的で組織改革が進まなかったことによるもので,
 本質的な責任は労働組合にあり,経営者にはない。」の部分と思われます)

 と言われていますが、それはつまり結局、「見ててみっともないと思う」というコトでしかありません。
 みっともないと思うのは自由です。
 やえも程度の差はあれ、責任者が責任を回避しようとする態度にはみっともないと感じます。
 しかし、みっともないと思うコトと、実質的な原因追及と責任追及のお話は、全然別問題です。
 そうではないとは思いますが「見ててみっともないんだから外の人も下の人間の責任の追及などするな」という意味でこれらの文章を書いておられるのでしたら、的外れも甚だしいとしか言いようがありません。
 1ともかぶりますが、建前論で言えば責任者に責任があるのは当然であり、責任者の責任が皆無であると言うつもりは毛頭ありませんが、それとはまた別として、労組にも責任があって、なにより原因を作ったのは労組であるというコトを外の人間が指摘し批判するのは、ごくごく自然なコトだとやえは思います。
 
 アメリカの例を挙げられているので、やえもアメリカの例を挙げてみますが、ちょっと前アメリカのプロ野球では、経営者側と選手側で激しい労働抗争があったコトがありました。
 そしてかなり長い期間、選手側が試合をボイコットするというところにまで発展しました。
 これは年俸の問題が一番大きかったようですが、どうもアメリカ国民にしてみたら、最初はともかく最後の方は「プロ野球選手はそれだけもらってるのにまだ試合をボイコットするのか、いい加減にしろ」という論調が大きくなったそうなのです。 
 これは日本のプロ野球がスト権を発動した、あの古田元捕手の時の話の時に、けっこうアメリカと日本との対比で言われていたコトです。
 
 やえはアメリカのプロ野球の仕組みについて専門家ほど詳しくないですから、実際の労働条件についてどうなのかは分かりませんが、しかし少なくとも、外の人間が労働者側の主張に批判するというコトがアメリカにおいても間違っているとされているというワケではないというのは事実のようです。
 経営者側と労働者側の当事者達がそれぞれの立場でそれぞれの主張をするのはもちろん勝手ですし、法にも定められている自由ではありますが、しかしそれらに対して批判をしてはいけないという法もありません。
 労働者側の主張が間違っていると感じれば批判されてしかるべきですし、本当に問題が労働者側にあるのであれば、労働者側の責任が問われるのも当然ではないのでしょうか。
 結局アメリカのプロ野球の場合は、試合が行われないコトに国民からうんざりされてしまって、他のスポーツにファンが行ってしまったというオチだったようですが、責任者でない人間に問題の原因があるのであれば、それを指摘し是正させ正常な状態に戻すというのは、当然のお話なのではないかと思います。
 
 やえは外の人間として、年金問題が正常な状態に戻るよう願っているだけです。
 そしてその原因を追及しているだけです。
 それを達成するために一番いい方法は、原因に見合った責任を追及するコトなのではないでしょうか。
 責任はみな同じではありません。
 それぞれ責任という言葉だけなら多くの人が負わなければならない今回の問題ですが、しかしその責任の質と大きさは、原因に比例した形で取ってもらうコトが、正常に戻す一番の近道であり、正道だとやえは思います。
 しかし実際のマスコミなどの論調は、これに合致していません。
 原因という面で見れば、当然ですが現場のサボった職員が一番悪いのであって、次にそれを煽った労組が同じぐらい悪いのであって、直接監督すべき上の官僚はその次ぐらいに悪いと言うのが妥当でしょうか。
 民主党の手の入れ具合によっては、実質的な原因は高級官僚よりも民主党の方が原因が大の可能性も否定できません。
 
 こう見た場合、しかし果たして現実はどう動いているでしょうか。
 自爆テロに成功した労組と民主党は参議院で第一党の地位を手に入れ、サボった労組の力もあって勝ち得た議席数を使って、国政に大きな混乱を引き起こしています。
 労組出身の議員が実際に参議院にいるのです。
 もちろん民主党に投票した票の全てが労組ではありませんので、民主党の参議院比較第一党が汚れた不当なモノであると言うつもりは毛頭ありませんが、しかし社保庁の問題の直接の原因は労組が作って、それを後押ししたのは民主党であって、参議院選挙の時の様々なリークは労組の自爆テロでしかなくて、しかしマスコミはそれをキチンと伝えず、むしろ原因を作ったとは言いがたいところの方が責任が大きいと問題の本質をすり替え、そしてまんまと日本の世論はそっちの方に流れていったという、こういう事実を知らない人が多すぎるとやえは思っています。
 
 だからその事実を指摘しているワケです。
 この問題で自民党を批判するのもいいでしょう。
 責任が皆無とはやえは言いません。
 しかし順番が違いすぎます。
 原因とそれに比例した責任の大きさは、自民党よりは遙かに大きいところがいくつもあるワケです。
 この構図はどう考えてもおかしと、やえはそう考えてるのです。
 
 
 この前も言いましたようにもやえは自民党か民主党か、どっちが○でどっちが×かなんていう、そんな構造で問題を捉えて文章を書いているワケではありません。
 結果が先ではなく、まず問題の原因はどこにあるのかというところを分析して、ではその上でどう責任を追及するべきなのかを考えるのです。
 その結果として、やえは労組こそを一番追求するのが正道であると考えますし、また問題を改善するという意味においても適切だと考えます。
 また敢えて自民党と民主党の責任の大きさを比べるというのであれば、やえはこの問題に関しては民主党の責任の方が大だと考えます。
 まして、原因と責任を一切考慮せずに、今後の対応だけに絞って両党の対応を評価するにしても、自民党は社保庁をいったん潰して問題のある職員を採用しないと言っているのに、民主党は全ての職員を公務員のままにして社保庁という名前だけ変えて何かしたつもりのパフォーマンスだけで終わりにしようとしていたのです。
 これだけでもどっちを支持しようと思うのか。
 少なくともやえは自民党の方が適切な判断だと評価します。
 

平成21年4月21日

 社保庁の責任 (3)

 この文章、ものすごく前に書いたモノでして、どれぐらい前かと言いますと、小沢民主党代表が自衛隊を国軍化しようとか言って民主党内でボコボコに叩かれた時のちょっと前ぐらいに書いたモノです。
 書いてすぐに更新しようと思っていたのですが、あれからずっと小沢代表のターンだったモノで、更新できませんでした。
 とりあえず、秘書も起訴されましたし、毎日小沢代表の話ばかりではゲップが出そうですから、いややえはゲップしませんけど、やっとここで日の目を見てもらおうと思います。
 よろしくお願いします。
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 面白そうなネタを提供していただきましたので、今日は御意見板にいただきましたこのご意見について取り扱ってみようと思います。
 未だにこういうコト言っている人、けっこういますしね。
 

 ここの人たちはやえたん含め
 「年金問題の責任は仕事しない労組にある!!自民党に責任は無い!!」だよね。
 
 http://plaza.rakuten.co.jp/riskandreturn/diary/200706050000/
 
 上記のような意見もあるけど、どのように反論するのかな。

 まずはリンク先を読んでいただければと思いますが、簡単に説明しますと、例の年金問題に絡んだ社保庁の怠慢仕事に対する責任は誰が取るべきかというお話です。
 リンク先の方は、責任は組織のトップが取るのが当然だろ、と簡潔に言えばこう主張されているワケです。
 
 しかし、この論調は3つの点で間違っていると言えます。
 
 1.上層部に責任は皆無だとは誰も言っていない
 2.日本の役所システムは民間企業の常識と比べられるほど単純ではない
 3.上層部や労組という内部からの視点と、外からの視点・国民視点の批判とをごっちゃにしてはいけない
 
 また、この問題の大原則として
 
 0.社保庁がずさんな仕事をしたのは労組が原因である
 
 というのがあります。
 責任がどうこうとはまず切り離して、なぜ問題が起きたのかその直接の原因は、つまり何が正常ならキチンと業務が出来ていたのかという部分を考えれば、やはり労組が原因であったというのが事実のところだと思います。
 実はこの部分というのは、どのような責任論の場合においても、あまり否定されないところのようです。
 自民党に責任が100%あって、自民党だけが責任を取るべきだと言うような人でも、労組の原因論は否定されません。
 責任は無いと言ってもですね。
 まぁ実際に覚書が残っているんですから、業務に混乱を起こしたという事実は否定できないですからね。
 
 
1.上層部に責任は皆無だとは誰も言っていない
 
 では、1から順に見てみましょう。
 
 まず1ですが、やえは一言も長官や幹部の責任は1ミリもないので一切責任は取らなくていい、なんて言ったコトはありません。
 当然組織の上にある者は上にある者としての責任がありますから、それに見合う責任を取るのが当然でしょう。
 
 ただ、だからといって、下の者が責任をとらなくてはいいという問題でもありません。
 どうもこの辺、多くの論が二元論に凝り固まってしまって、上と労組とどちらかだけが責任を取るべきだみたいな論調になってしまっていますが、これは適切ではないと考えます。
 それぞれの責任と、そして問題を引き起こした原因の大きさを鑑みて、それぞれが適切な責任の取り方をすべきだとやえは考えています。
 その中で、特に大マスコミなんかは上の責任ばかりを問うて、労組の問題をほとんど取り上げませんので、当サイトとしてはそこを中心に取り上げたまでです。
 この前も言いましたように、これは当サイトのスタンスの特徴の一つですね。
 つまりやえとしましたら、上にもそれなりの責任、監督責任というモノはあってその責任をとるのが当然でありますが、またその一方同じように労組にも問題があって、こちらは原因を作りだした元凶としての責任をとるのが当然だろうと、そう思っているワケです。
 
 どのような問題においても、その組織の人間は大なり小なり原因と責任があります。
 そして一番大切なのは、その原因を探り出し、二度と同じ問題を起こさないよう原因に見合った責任を取らせるコトです。
 原因と責任が見合っていなければ、それはまた同じ問題を繰り返しかねませんから、ここのバランスは重要です。
 
 またこういう責任論を考えた場合、では果たして社会保険庁という組織とは直接は繋がっていない自民党というモノを考えた場合の責任論はどうなのかと考えると、やえはそこまて言ってしまうのは果たして適切かどうかは疑問でるというのはあります。
 組織としての社保庁のトップは長官でありこれは役人ですから、政治の立場である自民党が、役所の現場である労組の問題をどこまで把握できていたのかというのは、かなり難しいお話だと思います。
 もちろん建前論で言えば社保庁は厚労省の組織ですから厚労大臣がトップと言えばトップですが、ちょっとそこまで言ってしまうのは現実論として遠すぎると思います。
 確かにどこまでも建前論を突き詰めれば、与党である自民党の責任が皆無とは言いません。
 言いませんが、実際具体的にクビを切らせるとか、そういう責任をとれと言うほどは現実的ではないような気がします。
 繰り返しますが、罪と罰は見合ってなければいけませんからね。
 
 自民党が自らその責任を恥じて、自らに罰を与えるというのでしたら、やえは別にそこまでをどうこう言うつもりはありません。
 責任が皆無とは言えませんからね。
 ただ積極的に責任を取れとかそこまで言う気が起きないだけです。
 実質的な問題の本質を考えたらですね。
 
 ですからどっちかと言えば、こういうずさんな仕事ぶりを把握していた可能性の高い民主党の方が実質的な責任論は強いのではないかとやえは思います。
 与党である自民党は現状は知らなかった可能性は高いですが、ただし監督責任としては、無いとは言いません。
 しかし、民主党の場合は知っていたのに長年知らんぷりして放置していたワケです。
 むしろずさんな仕事ぶりを推奨・後押ししていたフシさえあります。
 野党は政権には加わっていませんが、しかし国民の代表たる国会議員には代わりありません。
 国会議員は国を良くするコトが仕事です。
 与党の足を引っ張りコトではありません。
 そういう意味で、労組のずさんな仕事ぶりを知っていたにも関わらず知らんぷりしていた可能性の高い民主党の方が、実質的な責任は大きいのではないかとやえは考えているワケです。
 
 責任を取らせ罰を与えるというコトは、本人に反省を促し、問題を今後起こさないようにするコトが本来の目的です。
 社保庁の年金問題のその原因は、労組のずさんな仕事ぶりです。
 これを無くすためにという意味で責任を取らせるのであれば、果たして罪と罰の関係性からも考えて、誰にどのような罰を与えるのが問題を無くすために適切なのか、ここのバランスを考えるコトはとても重要でしょう。
 この意味において、自民党に過度の責任を押しつけるかのような論調には、やえは疑問しか覚えないのです。
 
 さらに言いますと、この件に関しての責任の取り方として、すでに社保庁の解体が決まっていますが、これは上も含めた全ての社保庁職員に罰を与えているという意味に他なりません。
 よく「誰も責任を取っていない」というような論調がありますが、こんなの全然現実が見えていない主張でしかないでしょう。
 上層部を含めてサボった職員も含めて一律でクビにするというのですから、これほど明確で重い罰もないと思います。
 
 ただ、民主党はこれに大反対していたんですね。
 なにやら歳入庁を作って一律で全員ここに移動させるという案を出していました。
 問題の原因であった職員も含めてです。
 この民主党の対応には、やえは呆れるしかありません。
 

2.日本の役所システムは民間企業の常識と比べられるほど単純ではない
 
 次に2です。
 役所と民間企業とを比べるという手法は、社保庁の問題に限らず、色々な問題でなされる手法ですが、でも現実問題はそんなに単純なモノではありません。
 例えばリンク先のブログさんには
 

 社保庁の平の職員がかりに怠慢の極みだったとしても,その仕事を別組織に切り替えたり,仕事の一部を別組織や民間に委託するのには,何らの違法性も,交渉の必要性もないわけです。それができるのにしなかったのは,管理職やトップの責任なわけで,これを部下が抵抗したからだと後になって言い逃れるのは,失笑ものです。

 という一文がありますが、これはかなり現実無視の論でしかありません。
 民間企業なら経営者の判断で、現場の人間の部署を変えたり、業務を別会社に委託したりするコトは出来るでしょう。
 しかし公務員はそうはいきません。
 もし業務を民間に委託するのであれば、かなり大変な作業が必要になると想像できます。
 わりとどうでもいい業務ならまだしも、台帳を紙からコンピューターに写すという、社保庁の業務の中核である個人情報を取り扱う仕事なのですから、これはかなり重い仕事になります。
 であるなら、おそらく法改正はまだしも、最低限省令などの改正は必要になるのではないかと予想されます。
 またそうでなくても、かなりデリケートな個人情報を取り扱うコトになりますので、少なくとも永田町の意向を伺う、つまりある程度の政治問題になるコトが予想されます。
 
 例えばいま一部の地域で駐車違反の取り締まりを警察から民間に業務委託をしていますが、これを変えるのもかなり大変な作業が必要でした。
 相当の部分について政治が動いたというのは、記憶にある人も少なくないと思われます。
 役所って手続きが大変なのです。
 トップが思い立ったら吉日とホイホイ変えられるモノではないのです。
 それは総理でも同じですし、むしろおそらく総理自身が一番それを分かっているのではないでしょうか。
 
 ですから少なくとも「何らの違法性も,交渉の必要性もないわけです」というのは、かなり現実無視、というか現実をよく分かっていない一文だと言わざるを得ません。
 特に国家公務員の場合、これは最近の問題でも取り扱われていますように、その身分問題は長官や大臣ではなく、人事院が保障しています。
 そして人事院はかなり政府とは距離が置かれている特殊な役所であり、政府や政治が手を突っ込むにはかなり面倒なお話になってしまうのです。
 給料一つとっても、総理大臣をもってしても、一存では難しいお話なのです。
 この辺は最近の人事院の騒動で理解できる人も多いでしょう。
 だからこそいま人事院の改造論が出ているワケで、これは「大切なのは中身です。」の更新でお話ししたように、問題を改善するにあたっては出口だけを見るのではなく、その原因を変えるべく、システムの部分である人事院を変えようと、麻生内閣はいま改革を行おうとしているワケですね。
 この中身が適切かどうかは今回の場合は置いておくにしても、これほど公務員制度というのは複雑なのです。
 
 さらにひとつの例を挙げておきますと、社保庁の解体は決まっていると言いましたが、新しい組織を作る場合、自民党は一定の制限を決めて、問題がある職員は採用しないという方針を打ち出しています。
 しかしこれ、実は現実にはとても難しい問題なのです。
 というのも、先ほども言いましたように公務員には人事院や人事委員会(地方の人事院のようなモノです)の強力な後ろ盾がありますので、実際これを不服として裁判に持ち込まれてしまった場合、政府側が負けてしまうのではないかという可能性が、法的に見てもあるようなのです。
 裁判ですので実際やってみなければ分かりませんが、こういう可能性が語られる時点で、相当に公務員制度というのは複雑で難しくて“強固”なモノであると言えるのです。
 簡単に民間企業と比べられるモノではありません。
 
 また、こういう制度があるからというのもあるのでしょうけど、公務員の抵抗というモノを甘く見てはいけません。
 時に総理のクビさえも吹っ飛ばすくらいです。
 そういう現実を前にした場合、「これを部下が抵抗したからだと後になって言い逃れるのは,失笑ものです。」と言ってしまうのは、ちょっと軽すぎる言い方なのではないかと思わざるを得ません。
 まして労組のバックに付いているのは、国会議員集団である民主党という政党です。
 単に「部下」と呼べるようなシロモノではないワケです。
 
 民間企業なら、単純に経営者vs労働者という視点だけで語っても事足りる場合もあるでしょうが、霞が関はこれでは済まないのです。
 よって「民間ではこうできるのだから」という理由は、全くの無意味です。
 
 
3.上層部や労組という内部からの視点と、外からの視点・国民視点の批判とをごっちゃにしてはいけない
 
 最後に3です。
 勘違いしてはいけないのが、やえも含めた労組が根本原因だと言っている人は、みんな社保庁の職員ではない外の人間であるというコトです。
 当たり前と言えば当たり前ですが、確かに中の人間が外の人間に対して「責任は自分にはない他人にある」と言ってしまうと、みっともないと感じてしまう場合もあるでしょう。
 しかし少なくともやえは社保庁の人間ではないワケで、ではやえは何を一番望んでいるのかと言えば、それはもちろん年金事業の適切な運営です。
 これは多くの人がそうだと思います。
 であるなら適切でない業務をしてしまった原因こそを追求するコトが、正常な業務に戻す一番の批判の方法なのではないでしょうか。
 この形は主張・論調における正道・王道だと思います。
 よってやえは、直接の原因である労組の問題を問う更新をいくつかしているワケです。
 
 リンク先の文章にこのような一文があります。
 

 似たような民間のセクターを考えてみましょうかね。民間で労働組合の強い産業というと,航空業でしょうか。これらは日本特有ではなく,アメリカでも同様に組合が強い。実際,ユナイテッドやノースウェストが破綻する際にとどめを刺したのは,パイロットや整備士の労働組合が,経営者側の賃金圧縮の提案をのまなかったからです。彼らは,会社を潰す覚悟でも権利主張をしたわけです。
 (中略)
 ただそこで,ユナイテッドやノースウェストの経営者が株主などに経営破綻の責任について釈明するときに,
 「頑迷な労働組合のせいだ」
 とはいいません。それも含めてマネージするのが経営者の職責なので,それをいうのは,職責の放棄ですからね。

 しかしそもそもこういう構図が正しいのかどうかという点がまずあるワケです。
 リンク先の方は、「会社を潰す覚悟の権利主張」が正しいと思われているのではないかと読み取れますが、やえはそれが正しいとは思えません。
 だから、組織の外であるやえとかが、それは違うのではないかと批判しているワケなんですね。
 別に「会社を潰す覚悟の権利主張」が正しいんだと主張されるコトは自由です。
 主張するコト自体は尊重します。
 ただし、それは違うというコトを外の人間が主張するのも、当然のコトですが自由なのではないでしょうか。
 やえはそれをしているだけなのです。

 実際,JALなどの民間企業で,上の「」内の言い分をトップが語ったら「アホか」と言われるでしょう。
 (「」内とは、「この度の事故は,弊社の労働組合が抵抗的で組織改革が進まなかったことによるもので,
 本質的な責任は労働組合にあり,経営者にはない。」の部分と思われます)

 と言われていますが、それはつまり結局、「見ててみっともないと思う」というコトでしかありません。
 みっともないと思うのは自由です。
 やえも程度の差はあれ、責任者が責任を回避しようとする態度にはみっともないと感じます。
 しかし、みっともないと思うコトと、実質的な原因追及と責任追及のお話は、全然別問題です。
 そうではないとは思いますが「見ててみっともないんだから外の人も下の人間の責任の追及などするな」という意味でこれらの文章を書いておられるのでしたら、的外れも甚だしいとしか言いようがありません。
 1ともかぶりますが、建前論で言えば責任者に責任があるのは当然であり、責任者の責任が皆無であると言うつもりは毛頭ありませんが、それとはまた別として、労組にも責任があって、なにより原因を作ったのは労組であるというコトを外の人間が指摘し批判するのは、ごくごく自然なコトだとやえは思います。
 
 アメリカの例を挙げられているので、やえもアメリカの例を挙げてみますが、ちょっと前アメリカのプロ野球では、経営者側と選手側で激しい労働抗争があったコトがありました。
 そしてかなり長い期間、選手側が試合をボイコットするというところにまで発展しました。
 これは年俸の問題が一番大きかったようですが、どうもアメリカ国民にしてみたら、最初はともかく最後の方は「プロ野球選手はそれだけもらってるのにまだ試合をボイコットするのか、いい加減にしろ」という論調が大きくなったそうなのです。 
 これは日本のプロ野球がスト権を発動した、あの古田元捕手の時の話の時に、けっこうアメリカと日本との対比で言われていたコトです。
 
 やえはアメリカのプロ野球の仕組みについて専門家ほど詳しくないですから、実際の労働条件についてどうなのかは分かりませんが、しかし少なくとも、外の人間が労働者側の主張に批判するというコトがアメリカにおいても間違っているとされているというワケではないというのは事実のようです。
 経営者側と労働者側の当事者達がそれぞれの立場でそれぞれの主張をするのはもちろん勝手ですし、法にも定められている自由ではありますが、しかしそれらに対して批判をしてはいけないという法もありません。
 労働者側の主張が間違っていると感じれば批判されてしかるべきですし、本当に問題が労働者側にあるのであれば、労働者側の責任が問われるのも当然ではないのでしょうか。
 結局アメリカのプロ野球の場合は、試合が行われないコトに国民からうんざりされてしまって、他のスポーツにファンが行ってしまったというオチだったようですが、責任者でない人間に問題の原因があるのであれば、それを指摘し是正させ正常な状態に戻すというのは、当然のお話なのではないかと思います。
 
 やえは外の人間として、年金問題が正常な状態に戻るよう願っているだけです。
 そしてその原因を追及しているだけです。
 それを達成するために一番いい方法は、原因に見合った責任を追及するコトなのではないでしょうか。
 責任はみな同じではありません。
 それぞれ責任という言葉だけなら多くの人が負わなければならない今回の問題ですが、しかしその責任の質と大きさは、原因に比例した形で取ってもらうコトが、正常に戻す一番の近道であり、正道だとやえは思います。
 しかし実際のマスコミなどの論調は、これに合致していません。
 原因という面で見れば、当然ですが現場のサボった職員が一番悪いのであって、次にそれを煽った労組が同じぐらい悪いのであって、直接監督すべき上の官僚はその次ぐらいに悪いと言うのが妥当でしょうか。
 民主党の手の入れ具合によっては、実質的な原因は高級官僚よりも民主党の方が原因が大の可能性も否定できません。
 
 こう見た場合、しかし果たして現実はどう動いているでしょうか。
 自爆テロに成功した労組と民主党は参議院で第一党の地位を手に入れ、サボった労組の力もあって勝ち得た議席数を使って、国政に大きな混乱を引き起こしています。
 労組出身の議員が実際に参議院にいるのです。
 もちろん民主党に投票した票の全てが労組ではありませんので、民主党の参議院比較第一党が汚れた不当なモノであると言うつもりは毛頭ありませんが、しかし社保庁の問題の直接の原因は労組が作って、それを後押ししたのは民主党であって、参議院選挙の時の様々なリークは労組の自爆テロでしかなくて、しかしマスコミはそれをキチンと伝えず、むしろ原因を作ったとは言いがたいところの方が責任が大きいと問題の本質をすり替え、そしてまんまと日本の世論はそっちの方に流れていったという、こういう事実を知らない人が多すぎるとやえは思っています。
 
 だからその事実を指摘しているワケです。
 この問題で自民党を批判するのもいいでしょう。
 責任が皆無とはやえは言いません。
 しかし順番が違いすぎます。
 原因とそれに比例した責任の大きさは、自民党よりは遙かに大きいところがいくつもあるワケです。
 この構図はどう考えてもおかしと、やえはそう考えてるのです。
 
 
 この前も言いましたようにもやえは自民党か民主党か、どっちが○でどっちが×かなんていう、そんな構造で問題を捉えて文章を書いているワケではありません。
 結果が先ではなく、まず問題の原因はどこにあるのかというところを分析して、ではその上でどう責任を追及するべきなのかを考えるのです。
 その結果として、やえは労組こそを一番追求するのが正道であると考えますし、また問題を改善するという意味においても適切だと考えます。
 また敢えて自民党と民主党の責任の大きさを比べるというのであれば、やえはこの問題に関しては民主党の責任の方が大だと考えます。
 まして、原因と責任を一切考慮せずに、今後の対応だけに絞って両党の対応を評価するにしても、自民党は社保庁をいったん潰して問題のある職員を採用しないと言っているのに、民主党は全ての職員を公務員のままにして社保庁という名前だけ変えて何かしたつもりのパフォーマンスだけで終わりにしようとしていたのです。
 これだけでもどっちを支持しようと思うのか。
 少なくともやえは自民党の方が適切な判断だと評価します。
 

平成21年4月22日

 保守と呼ばれたがるための保守

 ひさびさにこれはひどいと思ってしまいました。
 

 【遊技】漫画家、小林よしのり氏の代表作「おぼっちゃまくん」がパチンコ化(に対するレス)
 
 京楽産業.は4月17日、都内の東京ドームシティ内にある「プリズムホール」で進化系ぱちんこ第3弾となる新機種『CRぱちんこ おぼっちゃまくん』の発表展示会を開催した。
 今回のコンテンツ「おぼっちゃまくん」は1986年5月号から94年9月号までマンガ雑誌「コロコロコミック」で連載されたギャグマンガの名作。「東大一直線」「ゴーマニズム宣言」と並ぶ小林よしのり氏の代表作でもある。
 コンセプトは、「KYORAKUオールスター総出演」のドタバタ・パロディー。「仕事人」「冬ソナ」「ウルトラセブン」など歴代の京楽ヒット機種でお馴染みの演出を、御坊茶魔(おぼうちゃま)をメインキャラとしたハチャメチャ劇に焼き直したのが最大の特徴だ。

 もちろんひどいのは、よしりん先生の作品がパンチコ化されるコトではなく、その反応です。
 ざっと書き出すだけでも

 カネの為に朝鮮に屈したかwwwwコヴァ信者ざまぁwwwww
 小林って憂国みたいな事ばかり言ってたよな
 お里が知れたな小林先生・・
 よしりんもテポドン落とす側にまわったわけだ
 言動を見てれば彼が真の保守派ではないことは一目瞭然だろ

 こんなのばかりです。
 もちろんこのブログさんはまとめブログですから元スレでは違う意見もあるんだろうとは思いますが、それにしてもこれはちょっとひどいと言わざるを得ません。
 
 数年前からネット上では「パチンコ=北朝鮮・韓国(朝鮮)」という図式が出来て、パチンコはイコールで悪というレッテルが貼られています。
 やえはこの構図に未だに納得し得る根拠を見たコト無いのですが、おそらくこういう子供でもすぐに覚えられるぐらいのバカらしいほどの単純なレッテルというのは人気を博すのでしょう。
 パチンコを経営している人が統計的に朝鮮籍が多いというのは、統計を取ればすぐ分かりますから、本当なのかもしれませんが、しかし「韓国籍・朝鮮籍=悪」という図式ではさすがに極論過ぎるとしか言いようがありません。
 中には場合によっては差別だと言わざるを得ないような言動もチラホラ見受けられますし、最近のネットは行き過ぎな感がします。
 そもそもその業界に従事する人の国籍の割合を見れば、もしかしたら焼肉店の方が朝鮮籍の経営者の方が多いような気もします。
 でも「焼き肉屋で焼き肉を食べるヤツは朝鮮に屈している」なんて言いませんよね。
 何か理由があって韓国や北朝鮮、またその国籍を持つ人を批判するのであれば、その理由をキチンと明示すれば正当な言動だと思いますが、ただ単に朝鮮籍だからというコトだけで悪と言ってしまうのは、これは差別です。
 
 パチンコで儲けたお金が不正に北朝鮮に渡っている、という意見もあります。
 もしそれが事実ならゆゆしき問題でしょう。
 しかしそれは、不正に北朝鮮にお金を送金するコトが罪なのであって、パチンコそのものが罪なのではありません。
 北朝鮮はああいう国家ですから、なんとしてでも外貨を獲得しようとします。
 その一端として、もしかしたら北朝鮮籍のパチンコ経営者が不正に送金した事例もあるかもしれません。
 でもやえは思うのですが、そういう人が存在しているのであれば、それはなにもパチンコ経営者だけに限らないのではないでしょうか。
 もしかしたら焼肉店経営者の中にも不正送金した輩がいるかもしれませんし、他の業種に従事する人の中にもいるかもしれません。
 でもそれをもって「焼き肉屋で焼き肉を食べるヤツは朝鮮に屈している」なんて言いませんよね。
 これはどのような罪でも同じですが、不正送金する人は、その人が罪なのです。
 
 やえは、朝鮮籍の人たちの行動や言葉に対して、とてもじゃないですけど受け入れられないと思うモノもたくさんあります。
 反発を覚えるモノもたくさんあります。
 特に北朝鮮は国家ぐるみで犯罪を犯し続けているのですから、日本人としては北朝鮮という国に対して反発する方が当然だと思います。
 しかしだからといって、韓国・北朝鮮とどんな形であっても関わるコトが、すぐさまイコールで悪だと言うのは、あまりにも短絡的すぎで、幼稚な思考でしかないと思います。
 
 特にひどいのが、朝鮮に関わると保守じゃないとかいうような論調です。
 さっきのブログのレスには「真の保守じゃない」なんていうレスもありましたが、やえは逆に聞きたいです。
 
 「真の保守」ってなんですか?
 
 アレですかね、中国に反発し、アメリカに反発し、朝日新聞とTBSを罵倒して、靖国神社を神聖化し、特に8月15日の参拝を絶対視して、核武装を目指し、人権擁護法案に反対し、国籍法改正に反対し、最近はなんでしょうか女子差別撤廃条約選択議定書の批准に反対して、竹島を武力でもって奪還しろと主張し、韓国と北朝鮮のやるコトなすコト全てに反対して、出来るなら滅ぼしてしまえと、そう声高に騒ぎ続けるのが「真の保守」なんでしょうか。
 なんかこう、こうするのが保守だとレールを引いて、それに異論を唱えると保守じゃないと罵倒するって、ある意味異論を認めない雰囲気で全体主義的でこわいと言いましょうか、ぶっちゃけバカバカしくないですか?
 そんなの、いったい何のために行動し発言をしているのか、保守という称号が欲しくてやっているとしか言いようがありません。
 
 やえの決めゼリフ、右も左も逝ってよし!!は、自分が中庸中道と言っているモノでありません。
 態度ありきの言説ではなく、立場にこだわらない、当サイトはやえがやえの思うままを伝えるサイトだという意思の表明です。
 結果としてやえの立場がどういうモノなのかを他人が評価するコトは、やえの関知するところではありませんが、少なくともやえは、自分で「この立場だからこういう説明をしなければならない」なんていう概念で物事を語るコトは絶対にありれませんし、その態度をこの決めゼリフで宣言しているのです。
 この「立場ありきの言説」というのは、やえがもっともくだらないと思っている行為の一つです。
 ですから、やえは保守と呼ばれるために毎日文章を書いているワケではありませんし、結果として保守じゃないと呼ばれても結構です。
 
 そしてそれはおそらくよしりん先生も同様でしょう。
 よしりん先生はご自身の著書で何度か「保守と呼ばれるためにやっているのではない」というようなコトをおっしゃっています。
 今回、よしりん先生の代表作の『おぼっちゃまくん』がどのような経緯でパチンコ化されたのかは分かりませんが、しかしこれによって「真の保守じゃない」とか言われても、よしりん先生にとってはくだらないの一言で終わるような中傷批判でしかないでしょう。
 
 パチンコそのものについては、様々な感想がそれぞれあるとは思います。
 ギャンブルそのものを忌避する人もいますし、現在のところ日本のパチンコでギャンブルするコトは非合法であり、しかし実体としては法のスレスレのところでギャンブルとして成立しているコトが暗黙の了解になってしまっています。
 また依存症もあり、車の中に子供を放置して死なせてしまった母の事件も、少し前はよく報道されたところです。
 よって潜在的にパチンコに対してマイナスイメージを持っている人はいるでしょうし、このような事件があっては、ある意味愛好家以外にはマイナスイメージを持たれても仕方ない一面がある遊技であるコトは否定できません。
 ですから、よしりん先生のファンが、おぼっちゃまくんのファンが、パチンコなんかになってほしくないと純粋に思うなら、それは否定できないファン心理だと思います。
 例えば、漫画が実写ドラマ化されるコトに忌避感を覚える人は少なくないですし、ゲーム化されて内容がひどければ大バッシングを受けます。
 そのような気持ちで「やめてほしい」と思うなら、それは分かります。
 
 しかし、今回のこの問題に関しては、結局「自分が保守と呼ばれたいから」「自分は保守という陣営にいたいから」「保守という正義に浸りたいから」という理由でわーわー言っている人ばかりのような気がしてなりません。
 そしてその“保守という正義”は、あまりにも短絡的で幼稚でしかない根拠しか無い気がしてなりません。
 こういう構図というのは、昔の左翼と同じです。
 “ファッションとしての左翼”で気取っていた人と、その精神構造は全く同じとしか言いようがないでしょう。
 
 今回のコトで一番気持ち悪いと感じたのが、「小林はパチンコに作品を売ったニセ保守だ」とワケの分からないレッテルを貼って、批判した気になっている輩がとても多いという現実です。
 改めて、ネットの言論というモノを考えさせられる騒動だと思います。
 

平成21年4月24日

 党首討論と集団的自衛権と金融サミットでの麻生さん

■やえくりっぷとサイト内検索設置
 
 前から要望が多かった「サイト内検索」をやっと設置しました。
 ごめんなさい、前から付けようとは思っていたのですが、いろいろとなんだか難しそうだったので断念していたんですね。
 でもふとネットサーフィンしていたら、簡単にタグを作ってくれるサイトがありまして、今までの苦労はなんだったのだろうかと思うぐらい簡単に作れてしまいました。
 どうしても当サイトは普通のwebサイトなので、ブログのように便利にはしづらいのですが、これで多少便利になると思いますので、どうぞご活用下さい。
 
 それから、新たに「やえくりっぷ」というモノを設置してみました。
 まぁはてなブックマークなんですが、思ったより簡単に気になった記事に対してコメントを付けて一覧にまとめるコトができますので、いいなぁと思って作ってみました。
 本当はインフレームでサイトの中に表示させるようにしたいのですが、デザイン上どうも綺麗にいかなかったので、とりあえずリンクするという形にしています。
 いまのところお試し期間中というコトで、今後どのように活用していくか手探りで考えていきますので、ご意見ご感想ご要望等あれば、御意見板・web拍手・メールフォームなどで教えてください。
 
 
■党首討論してくださいよ
 
 一番最近党首討論したのはいつだったでしょうか。
 

 民主またまた党首討論を拒否へ 3週連続、理由は「慣例破る」?
 
 民主党の輿石東参院議員会長は16日の記者会見で、自民党が提案した麻生太郎首相と小沢一郎民主党代表の党首討論の22日開催に反対する考えを表明した。
 輿石氏は、首相が来週の参院本会議に出席すると指摘。首相が衆参本会議や委員会に出席した週は原則として党首討論を開かない与野党申し合わせがあることから「実施すれば慣例を破ることになる」と述べた。
 民主党は今月八日と十五日の開催も拒否しており、三週連続の見送りとなる。

 日曜日の朝は各テレビ局が政治家さんを呼んで討論番組を行っていて、それなりに長寿番組となっていますけど、これはつまりそれなりに見ている人が多いコトを指し示しているのでしょう。
 確かに本会議や委員会の審議よりは、分かりやすくて面白いとやえは思います。
 そしてだからこそ新設されたのが、一対一でどちらが質問側答弁側とも決まっていないフリーディスカッションのような形で行われる党首討論のハズです。
 委員会の審議も大切ですが、しかしもっとも国民に向けて行われる審議であり、国会の中という正式な公式の審議こそが、党首討論です。
 総理大臣はもちろん、野党党首もお忙しいとは思いますが、しかし日程が会えば、いつだって何回だって討論するのが国民のためと言えるでしょう。
 それがなんですか。
 結局小沢民主党代表は国民の前ではしゃべりたくないだけとしか思えません。

 党首討論 小沢氏「いつでもやる」
 
 民主党の小沢代表は21日の記者会見で、党首討論について「今後機会があればいつでもやりたい」と語った。与党が4月初めから実施を求めているが開かれていないことに関しては、「(民主党が)『断る、断る』と報道しているが、首相が(重要案件の答弁のため国会に)出席する週は行わないというルールでやってきた。非常に遺憾だ」と語った。
 一方、自民党の鈴木政二参院国会対策委員長は同日の記者会見で「(4月に入り)3回断られた。今度の要求は5月13日の開催だ」と述べた。

 この「首相が衆参本会議や委員会に出席した週は原則として党首討論を開かない」という慣例は、そもそもは多忙な総理に対して野党が無意味に総理の日程を縛って嫌がらせ的な戦術をしないために出来た慣例だったハズと記憶しています。
 それなのにこの慣例を野党の党首の方が理由として拒んで、いったいどんな意味があると言うのでしょうか。
 メチャクチャにもほどがあります。
 民主党の誰かが麻生さんに「やるやる詐欺」とか言ってましたが、小沢代表こそまさに本家やるやる詐欺と言うに相応しいのではないでしょうか。
 
 
■集団的自衛権行使の解釈変更検討
 
 麻生さんは着々と日本を素晴らしい方向に導いてくださってます。
 この段階でまだ「バー通い」とか言い出しているバカ丸出しの新聞社もあるようですが、こういう国家の未来に大きく関わるニュースをキチッと伝えてもらいたいモノです。

 麻生首相 集団的自衛権行使の解釈変更を本格検討へ
 
 麻生太郎首相は23日、安倍晋三首相(当時)の私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)で座長を務めた柳井俊二元駐米大使と首相官邸で会談し、集団的自衛権の行使を違憲とする現行の政府解釈について意見を聞いた。北朝鮮の長距離弾道ミサイル発射や、海上自衛隊による海賊対策の本格化を受け、集団的自衛権を行使できるように解釈変更が必要な状況が差し迫っていると判断したとみられる。首相が解釈変更に踏み切れば、日米同盟の強化や国際貢献に向け、大きな一歩を踏み出すことになる。

 やえの記憶では、集団的自衛権は憲法によって制限されているのではなく、政府見解として行使しないとしていると思っていたのですが、違ってましたっけ?
 まぁそれはともかく、どちらにしても日本が集団的自衛権を行使するためには、改憲の必要はなく、政府見解を変えれば良いという事実は変わりありませんので、これはシッカリと手順を踏んで、議論をして、進めていただきたいと思います。
 
 麻生さんは、こういうコトをしっかりとやっていらっしゃいます。
 ワケの分からないバッシングで一般国民を洗脳して「ダメな総理」と印象づけられていますが、よくよく考えれば麻生さんが総理としてダメだという根拠は全くありません。
 左翼系の人は、この集団的自衛権の話には賛成できないでしょうけど、それはそれで意見として主張すればいいだけの話で、無関係なバッシング、国政に関係ないイメージ操作は卑怯としか言いようがありません。
 国民はそれに騙されないように、政治を見てもらいたいと思います。
 
 あと、これはこれとして、憲法改正はそれでも必要ですから、ここを忘れないようにしてもらいたいと思います。
 現行憲法下でいろいろやったところで、しかしそれでは足かせが付いたままの普通の国にはなり得ないというコトは、しっかりと認識しなければならないです。
 
 
■「危機をチャンスに変えろ」(前編)〜G20サミットの 舞台裏
 
 最後におもしろい動画を見つけましたので、ご紹介します。
 
 危機をチャンスに変えろ」(前編)〜G20サミットの裏舞台
   
 素直にカッコイイですね。
 日本がどのような立ち位置で、どう主張をし、どうリーダーシップをとったのか、とてもよく分かる動画だと思います。
 そして同時に、麻生さんがどれだけリーダーとして優れているのか、とてもよく分かる動画なのではないでしょうか。
 今の日本にとって必要な人物だと言えると思います。
 
 もちろんこれは誇張や演出が入っていますが、しかし事実の捏造はないワケです。
 かたや一方既存マスコミは、「積極的に報道しない」という形で事実を曲げようとしています。
 無かったコトとしててですね。
 
 マスコミのあり方は、事実を国民に伝えるコトで、それをどう受け止めるかは、それは国民がやるコトであって、マスコミの仕事ではありません。
 この動画を見てどう判断するかは人それぞれですが、やえは素直にすごいなと思いました。
 日本人は自虐するかのが好きで、世界から嫌われているとか、リーダーシップは皆無だとか言っていれば安心してしまうようなところがありますが、こういう事実もキチンとあるというところは知っておいた方がいいと思います。
 

平成21年4月27日

 支持率というモノの無意味さ

 名古屋市の市長選挙で、あの「総理になる男だぎゃ」の河村たかしさんが初当選されました。
 あれだけずっと「総理になる男だぎゃ」と言い続けていたのに、いきなり市長選に立候補してしまい、そして当選してしまったというのはある意味驚きですが、それでも地元では大変な人気なんですね。
 結局、次点の方より倍近い得票で当選されました。
 あれだけテレビでだぎゃーだぎゃー言っていたのはなんだったんだろうと、名古屋には縁もゆかりもないやえからしたら思ってしまうのですが、まぁこれから市長として頑張っていただきたいと思います。
 
 ただ、相変わらずみっともないのが民主党ですね。
 民主党の鳩山幹事長なんて
 
 「小沢代表の民主党の推薦候補が与党候補に圧勝したわけだから(進退問題に)プラスの影響は当然ある」
 
 なんて言っているそうですが、しかし河村たかしさんなんて、あの民主党の中でさえちょっと浮いてた存在、もっと言ってしまえば厄介者扱いしていたぐらいだったのですから、いまさら手のひらを返して「民主党の勝利だ」と言うのは、ちょっと都合が良すぎる気がしてなりません。
 どう考えても、テレビタックルなどで培った知名度で勝ったと見るのが自然ですし、さっきの記事でも民主党の若手の人も言っているように、これは「もともと勝てる選挙」だったというのが正しい評価の仕方でしょう。
 本当に民主党はなりふりかまわない、みっともなさですね。
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 さて。
 先週末の世論調査で、ついに麻生さんの支持率が30%台に回復しました。
 

 内閣支持率32%、7ポイント上昇 日経世論調査
 
 日本経済新聞社とテレビ東京が24―26日に共同で実施した世論調査で、麻生内閣の支持率は3月の前回調査から7ポイント上昇し、32%となった。不支持率は8ポイント低下し59%だった。自民党の支持率は前回から3ポイント上昇し36%で、2ポイント低下した民主党を2カ月連続で上回った。政府の追加経済対策の策定や、民主の小沢一郎代表の政治資金問題などが影響したとみられる。

 まぁやえは小泉さんの時代からずっと言っているのですが、このマスコミがたたき出す支持率というモノは、本当に意味のないモノだと思っています。
 いつもマスコミは支持率を国民の声だと言って、これに従うのが正しい政治の姿だと言わんばかりですが、今回のようにこうも短期間の内に乱高下しているようでは、ただ政治に混乱を招くだけとしか思えません。
 一般的な国民がこの支持率というモノに対してどう考えているのかいまいち分かりませんが、政治の方はもちろん、国民も数字の乱高下に一喜一憂するだけ無駄なのではないでしょうか。
 
 そもそも支持率というモノはマスコミが勝手に行っている私事でしかなく、これに公的機関である政府が従う必要性は全くありません。
 そもそもこれに従う必要があるのであれば、ものすごい高い支持率を誇っていた小泉さんに対しては、「支持率があるから」という理由だけで、あらゆる批判や反論が封じられてしまいます。
 支持率が低いと政策の中身なんか全て捨てて「すぐに解散しろ」とマスコミは言っているのですから、その反対だってマスコミの言い分では正しいコトになってしまいます。
 つまり「高支持率は正義」ですね。
 でももちろんそんなワケはないワケで、結局これだけ見ても、支持率というモノを根拠とした言論がまるで無意味であるというコトが分かるのではないでしょうか。
 
 支持率はマスコミが勝手にやっているコトではありますが、確かにそれでもある程度は国民がどのように思っているのかという指針にはなるでしょう。
 さすがにマスコミが完全に数字を捏造しているとは思えず、ある程度はキチンと調査をしているでしょうからね。
 だとすれば、これは国民が果たして本当に政治に対してキチンと中身を見ているのかどうか、かなり疑問な結果だと言わざるを得ないのではないでしょうか。
 今回はある意味、麻生さんの経済対策が評価された結果なのかもしれませんが、しかしそもそも麻生さんの支持率が急落したのは、バー通いとか漢字が読めないとか、まるで政治政策に関係のないコトばかりです。
 さらに今回麻生内閣の支持率が上がった一端に、小沢民主党代表の秘書起訴の事件が小さくない要因としてあるのでしょうから、これではますます政策的な意味での支持率の意味が薄いと言わざるを得ません。
 国民は一体政治に何を期待して、何を評価して支持をしているのでしょうか。
 
 そう言えば、昨日のテレビでニュースっぽい番組を見ていたら、コメンテーターが定額給付金のコトを相も変わらず「選挙対策だ」「票を金で買う行為だ」とか言っていました。
 特に最近定額給付金が支給されはじめ、これがなかなか評判がよいらしいものですから、どうしても政府叩きしたいマスコミは悔しくて悔しくて仕方がないのでしょう。
 しかし、定額給付金に対する「選挙対策だ」という批判は、筋違いにもほどがあります。
 そもそも政府への評価というのは本来政策によってなされ、そしてその結果として選挙に反映されるワケですから、政策への評価が選挙に至るというのはごく当たり前であり、民主主義の前提とも言えるモノです。
 それに対して「選挙対策だからダメだ」というのは、まるでスジが通りません。
 政府だろうがなんだろうが、国会議員である以上は選挙は避けて通れないモノであり、というか選挙を経ているからこその権力者なのですから、選挙によって国民の支持と付託を得るワケであり、つまり選挙のために政策を実行すると言っても過言ではないのです。
 国民にとってよい政策をとるコトが政治家の務めであり、国民は政策を評価して投票行動を決める。
 その政策が正しいかどうかで判断するならまだしも、政策そのものを「選挙対策だ」と決めつけて行ってはならないと批判するのであれば、政治家の全ての行為はやってはならないコトだけになってしまうでしょう。
 
 例えば、名古屋市長に決まりました河村たかしさんなんて、「市民税の10%減税」を公約の柱として打ち出していましたが、これだって言い方を変えれば「金で票を買った」と言えなくもありません。
 でもそのように批判しているマスコミは、おそらくいないでしょう。
 もちろんやえも、そのような批判はあまり適切ではないと思います。
 やえは名古屋市の財政がどうなっているのか知りませんので、この減税が適切かどうかは分かりませんし、そのような面で批判や評価するのは適切だとは思いますが、少なくとも1「金で票を買った」と言ってしまうのは間違いだと思います。
 しかし麻生さんに対しては、マスコミは一斉にこんなバカバカしい構図で批判…というよりも中傷をしてしまっているワケなんですね。
 
 結局、政策ひとつとっても、マスコミの伝え方によっていくらでも評価が左右してしまっているというのが現状です。
 こういう中で、ただ単に数字だけで表される支持率というモノに、どれだけの意味があると言えるのでしょうか。
 国民としては、もっとマスコミを疑って、マスコミに左右されない目で政治を見ていかなければならないと、そうやえは思います。
 

平成21年4月28日

 備えあれば憂い無し…が出来ていなかった例

 連日連夜、新型インフルエンザのニュースが飛び交っていて、やえもいつもより念入りに手洗いうがいを心がけているところですが、そんな中こんなニュースが話題になっています。
 

 発熱疑いの外国人女性が検疫ゲート突破…成田空港
 
 メキシコを中心に豚インフルエンザの感染者が広がる中、成田、関西両空港では水際での防止に躍起だ。成田空港のゲートでは、検疫所が体温を測定するサーモグラフィーを設置、検疫所の医師らが機内から降りる旅客に異常がないか呼び掛け、任意で体温などのチェックを行っている。
 ただ、あくまで任意のため、ゲートをすり抜ける人も。成田空港に25日に到着したメキシコ発バンクーバー(カナダ)経由の航空機から降りた外国人女性は、サーモグラフィーの画面で顔が赤く表示されたが、関係者が体温の確認を要請しても、その場を立ち去ってしまったという。任意の壁が立ちはだかっているようだ。

 もしかしたらインフルエンザにかかっていて発熱していたかもしれない人間が、その検査を振り切って立ち去ってしまったというニュースです。
 インフルエンザは空気感染しますから、公共のスペースでたまたま隣に立っていただけでも感染る可能性があるワケで、つまり下手したらひとり国内に感染者が入国するだけで日本国中に大感染するおそれがあります。
 ここが他の病気と違ってインフルエンザのこわいところなのですが、だからこそ「最初のひとり」を食い止めるための水際での検査が重要であり、また島国である日本の利点でもあるワケです。
 しかし確かにこんな対応をしていたら、食い止められるモノも食い止められません。
 もしこの人が本当にインフルエンザ患者だったら、最悪かなり深刻な事態になりかねません。
 ですからこれに対し、「なぜ強制的にしないのか」「政府は対応が遅い」「日本は危機管理意識が低すぎる」という批判が起きています。
 
 やえも、今回の対応については、強制的に出来るのであればやってもらいたいという気持ちはあります。
 WHOもかなり高いレベルの警告を出しているのですから、確かに空港利用者には不便を強いるコトにはなりますが、それでも多くの国民の命を守ると思えば、多少の手間でもいちいち細かく検査して、少しでも危険があればその芽を摘むというのは大切なコトだと思います。
 
 しかしここで日本国民として考えておかなければならないコトがあります。
 今回のこの空港の任意検査を批判するのは、それはとても簡単なコトですが、しかし果たして批判だけして解決出来るモノなのかどうかというのは、また別だというコトです。
 つまりですね、果たして今回のこの措置というモノは、本当に日本政府が強制的に権限をふるって、権力を行使して検査が出来るのかどうかというのは、やえはちょっと疑問なのです。
 
 これはなんでもそうなのですが、日本政府や役人が「じゃあこれから検査をします。これは全ての人に対する義務であり、拒否できません。強制です。違反したら罰が待っています」と、思いつきで権力を行使するコトは出来ません。
 日本国内では、例えば警察による逮捕などの強制権を持つ公的機関の執行がありますが、これは全て法律に基づいた執行です。
 法律に、警察はそのような権限を持っていて執行できると記載されているので、警察に逮捕権があるワケです。
 逆に言えば警察も、法律に記載されてある要件を満たさなければ逮捕は出来ません。
 裁判所の発行する逮捕状の発行や現行犯でなければ、誰でもかれでも警察であるという理由だけで国民や外国人を逮捕出来るというワケでありません。
 全ては法律に書いてある通りに執行しているだけと言えます。
 
 ですから、もし今回の場合のように、空港において「サーモグラフィの感知によって体温が一定以上高いと認められる人には強制的に詳しい検査を強いるコトが出来る」というような法律もしくは政令や省令(併せて「法令」と言いますね)があれば、強制的にこの検査が出来たのでしょうけど、しかしこういうのが無ければ、いくらインフルエンザが蔓延したところで強制は出来ません。
 もしやえが知らないだけで今回の体温検査が強制できる法令があるのであれば、それは役人の努力不足というか認識不足で批判されてしかるべきだと思いますが、おそらくこの手の法令は今日本にはないんじゃないかと思います。
 あったらごめんなさい。
 でも、少なくとも「体温の高さ」だけが根拠で強制的に身柄を拘束するかのような法令は、少なくとも日本には存在しないのではないかと、やえは思います。
 
 もちろん法令を改正すれば実行するコトが出来ますが、しかし法令の改正にはとても時間がかかります。
 
 これはある意味、日本の自由度の高さと民主制の透明度の高さを担保している結果だと言えます。
 日本が中国や北朝鮮のような独裁国であれば権力者の思いつきで簡単に強制的な措置も執れますが、日本の場合は民主主義であり、一部の人間の思いつきだけで権力を振るうコトは許されず、だからこそめんどくさい=透明性の高い手続きを踏まなければならないコトになっています。
 また、人権を重んじる民主主義という制度においては、個人の自由は最大限尊重されるワケで、これを縛る制度はなるだけ作らない方向でシステムが設計されています。
 例えば日本人が外国に出国する場合、実は日本政府が「渡航禁止措置」というモノは執れません。
 執れないというか、「禁止措置」というモノは存在しないと言った方が正しいでしょうか。
 これはイラク戦争の時におバカさん達がイラクに行って人質になった時に触れたのですが、あの時国民の中、また有識者の中にも「政府が渡航禁止措置をとれば良かったんだ」「禁止措置を取らない政府が悪い」なんて言っている人がいましたが、しかし憲法によっても渡航の自由が保障されているというコトもあって、外務省も「渡航自粛要請」や「撤退勧告」ぐらいまでしか出せないというのが現実なのです。
 これらが良いか悪いかは別としましても、しかしこれが日本の制度なのです。
 そして、こういう自由さと民主主義の透明性の高さは、別の部分で国民はいつもそれを享受しているワケで、一方的にこれらが全てダメとは言えないでしょう。
 
 民主主義は万能ではありません。
 むしろ、スピードや柔軟性という点で言えば、最も適さない政治体制と言えるでしょう。
 遠山の金さんや水戸黄門などの物語は日本人には好まれる傾向にありますが、あれもかなり個人の裁量権が大きい、王制だからこそなせるワザとも言えるワケです。
 この辺は、現在日本に生きる、民主主義を享受している日本人は、よくよく考えなければならない問題です。
 
 では今回の問題、どうしたらよかったのでしょうか。
 ひとつ解決策を考えるのであれば、それなりに柔軟性のある法律を作っておくコトが良かったのではないかと思います。
 例えばこういうのです。
 
 厚生労働省は「高度感染病に対する非常事態宣言」を発令するコトが出来る。
 「非常事態宣言」が発令されれば次の措置を執行するコトが出来る。
 ・入国審査において、問診票の提出、体温の検査の義務
 ・手荷物検査において〜〜等々
 以上の検査において異常が認められる場合、即刻医師の診断や適切な検査を義務づけることができる。
 その他具体的な方法は省令によって定める。
 
 全然法律的な感じに書いてありませんが、内容的にはこんな感じです。
 こういう法律を作る場合、非常事態宣言を発令するための条件などの規定も必要になってくる、それはさっき言いました公平性や自由性、透明性の確保のためですが、しかしもちろんこういう法律が無いよりは全然マシです。
 そしてこういう法律があれば、こういう備えがあれば、今回のような問題が起きいても迅速に対応するコトが出来たでしょう。
 
 ただ日本人って、おそらく「言霊信仰」のせいもあるかと思うんですが、こういう危機に対する前もっての備えには消極的な面があるので、今までこういう法整備が成されていなかったのだと想われます。
 いわゆる「平時にそんなコト言うのは縁起でもないからやめろ」という感じのヤツですね。
 でももちろんこんなコト言ってもまるで無意味なワケで、こういう備えは日本人が一番苦手のようですが、キチッとこれから対応していかなければならないと思います。
 そして、さすがと言うべきか、アメリカでは法整備が出来ていたようで、キチッと対応できています
 これは素直に見習うべき点だと想います。
 平時だからこそ、緊急時のコトを考えなければならないでしょう。
 
 おそらく今の法律のままでも、政府や地方自治体は出来るだけのコトを出来るだけ実行しようとするでしょう。
 さっきのニュースで、どうやら海外から入国してくる飛行機に対して、その機内の中で検疫をするコトに決めたと伝えていました。
 なるほど、強制ではありませんが、なかなか有効な手だてだと思います。
 ただやはり民主主義国の国民としては、こういうお上の「苦肉の策」だけに頼るのではなく、必要なモノはキチッと作っておくべきだと意識をしておなければならないのではないでしょうか。
 これは決してインフルエンザだけの話ではないと思います。
 
 これからの政府の対策に期待しています。
 

平成21年4月30日

 麻生メルマガレビュー

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  ■○■○■   麻生内閣メールマガジン第29号    ■○■○■ 
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 ★☆今週号は、斉藤大臣が「緑の経済と社会の変革」について語ります。
   また、野球特別大使の王貞治氏からメッセージをいただきました。☆★
 
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 ●麻生太郎の「強く明るく」
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 [国民に安全と安心を]
 先週来、メキシコや米国などで、豚インフルエンザの感染が拡大し、国際的に懸念される状況となっています。メキシコでは、すでに多数の方が亡くなり、非常事態宣言が出されました。
 
 こんにちは麻生さん。
 ついにフェーズ5まで引き上げられてしまった、豚インフルエンザです。
 インフルエンザについては数年前から新型が世界的大流行したらとんでもないコトになるとよく報道されていましたから、さすがにこれはこわいと感じている人も多いでしょう。
 やえも最近、いつもより手洗いうがいを念入りにするようにしています。
 
 豚インフルエンザは、これまで、ウイルス感染により、豚にインフルエンザの症状を引き起こすものの、通常、人には感染せず、まれに、豚と直接接触した場合に発症する、と考えられてきました。
 28日未明(日本時間)、WHO(世界保健機関)は、各国の専門家による第2回緊急委員会において、「人から人への感染が増えている」ことを確認し、感染警告レベルをフェーズ3から4に引き上げました。
 
 数年前の鳥インフルエンザは人には感染しないというコトではありましたが、今回は人に感染るのが、こわいんですよね。
 しかも現に死者が出ているのが、さらにこわいワケです。
 
 このような状況を踏まえ、政府は、今回の豚からのウイルス感染を、新型インフルエンザと認定して、28日午前8時に「新型インフルエンザ対策本部」を設置しました。この本部で、すぐさま「基本的対処方針」を定め、水際対策のさらなる強化などを行うことを決定しました。
 新型インフルエンザ対策は、国家の危機管理上、重大な課題です。国民の皆さんの安全と安心を守るため、政府の総力をあげて、取り組んでまいります。
 
 ところでこの問題に当たっている舛添厚生労働大臣ですが、この前の記者会見でお見かけしましたら、なんと言いましょうか、一段と頭がさみしくなっちゃってましたね…。
 いや、本来笑いどころなんですけど、なんか笑えないですよね。
 目も真っ赤でしたし。
 今は無理してでも頑張らないといけない時ではありますが、体力が落ちると風邪やインフルエンザに罹りやすくなりますから、気をつけてくださいね。
 
 まず、国際的な連携を密にし、諸外国の罹患状況や新型インフルエンザウイルスに関する情報収集に、最大限の努力をし、国民の皆さんへの迅速かつ適切な情報の提供に努めます。
 また、メキシコへの渡航延期を勧告する感染症危険情報の発出、在外邦人への情報提供や帰国支援などを行うとともに、ウイルスの国内侵入をできる限り防止するため、徹底的な検疫や入国審査を実施します。
 発生国から入国した感染者や感染したおそれがある方については、法律に基づき、空港などの周辺に隔離、しばらく留まっていただく措置を講じます。
 
 おとといの話ですが、感染していると確信できたら隔離などの措置は執れますが、サーモグラフィなどの検査を受けるかどうかの義務的な法的根拠が無い、というのが今回の問題の1つなワケです。
 一方アメリカで言えば、おとといにも載せました記事によると、「公衆衛生緊急事態」を宣言すると感染が疑われる人に対して強制的に検査を受けさせるなどの措置がとれるようになるという法律がすでに存在していたので、対応が容易に出来たという側面があります。
 法律だけ整備されていて人・物・金が揃ってないという状況はかなり無意味ですが、人・物・金が整っていても法律が機能しないのであれば、それも時に無意味になってしまいます。
 今回のサーモグラフィの話ですと、担当係員がいて、サーモグラフィという設備もキチンと用意されていて、おそらく予備費的な予算もあるのでしょう、しかしここまで揃っていても、法が整備されていないので強制が出来ず突破されたワケです。
 そしてこれは、役人を責めてもどうしようもない、出来ないコトです。
 これは検疫だけの話ではなく、例えば軍事の話にしても、日本の軍事装備や予算はある意味世界一のレベルを誇る内容になっていますが、しかし憲法のせいで手足を縛られていますので、総合力としてどれだけ活用できるのかと言えば、なかなか判断が難しいレベルだと言わざるを得ません。
 そもそも9条の存在がある中で、防衛的先制攻撃なんていう概念は「苦肉の策」以外何者でもないワケですしね。
 最近よく言っているコトですが、役所や役人というのは全て法律によってその行動が定められ、また縛られているワケで、これを逆に言えば、法律に載っていないコトはしないという考え方になるワケですから、そしてそれを一概に責めるコトはできませんので、役人が勝手に行動するのは民主主義に反しますからね、だからこそ国民がよくよく法律というモノを考えなければならないのです。
 
 これらと同時に、海外から新型インフルエンザウイルス株を入手し、予防のためのワクチンの製造に取り組みます。
 いまのところ、国内では、感染者は出ていませんが、万が一の国内での発生に備え、医療関係者への情報提供とともに、国内での情報収集を強化し、保健所や病院に相談センターや発熱外来を設置する準備なども進めます。
 なお、海外での症例では、タミフルなどの薬品の効果が認められており、国内には、十分に蓄えられています。
 
 これ、一度マスコミは反省会しなければならないんじゃないんでしょうか。
 全く科学的根拠はないままに、タミフルを飲むと異常行動が出る危険なクスリだと騒ぎ散らして、さらにこんな薬を大量に日本だけが買ったのは製薬会社と厚生労働省の癒着の結果だとか、かなり中傷しまくっていたクセに、いざ必要になると急にだんまりです。
 落とし前を全くつけていません。
 またマスコミに限らず、例えば「タミフル 癒着」で検索をかけると、こんなにたくさんヒットするワケで、これらはマスコミに煽動されたせいでもあるのでしょうけど、しかし公の場で言ったからにはキチンと総括はしなければならないでしょう。
 これはマスコミの無責任体質の最たるモノと言えます。
 もし当時騒いでいた人がインフルエンザに罹ったら、やっぱりタミフルは飲まないんでしょうね。
 
 国民生活の安全と安心を守ることは、政府の最大の責任。政府として取りうるあらゆる手段を講じて、全力を尽くしてまいりますが、国民の皆さんには、新型インフルエンザへの警戒を怠ることなく、冷静な対応をお願いしたいと思います。
 
 こういう事態に備えて、前々からキチンとタミフルなどのクスリを十分に備えていた政府の功績は大だとやえは評価します。
 もしかしたらタミフルが効かないインフルエンザが将来表れるかもしれませんが、今回のようにタミフルが効く新型インフルエンザも出る可能性があるのですから、これも「備えあれば憂い無し」です。
 またその他の設備や対応なども、油断せずにしっかりやってもらいたいと思います。
 おそらく一番大変なのはGWの終盤だと思うのですが、どうぞ頑張ってください。
 よろしくお願いします。
 
 
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 ●編集長のひとこと
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 火曜日、政府は、海外で発生している新型インフルエンザについて、対策本部を設置し、第一回会合を開催しました。新型インフルエンザの予防法は、出かける時のマスク着用、家に帰ったらうがい・手洗いなど、通常のインフルエンザと同じです。また、豚肉を食べて感染するものではなく、調理された豚肉及びその製品を食べても安全です。政府として、国民の皆さんに迅速かつ的確な情報提供に努めてまいります。皆さんも警戒を怠ることなく、冷静な対応をお願いしたいと思います。
 
 こんにちは松純先生。
 どうしても日本人的には食に一番に目が行ってしまいますが、今回のコトについては関係ないコトをキチンと把握しておいた方がいいでしょう。
 というか、インフルエンザの場合は空気感染するのですから、食べて感染するよりよっぽどこわいハズです。
 その豚にインフル菌がもし付いていたら、食べる前に感染するワケですからね。
 そういう意味でも冷静な対応が必要でしょう。
 
 先般、「こどもみなとPR隊」(横浜市立小坪小学校の皆さん)が官邸を訪れました。今年は1859年に横浜が開港し、日本が本格的に開国してから、150年目。それを記念して28日から9月27日まで開催されている、「開国博Y150」の紹介のための来訪でした。皆さんもお出かけなさってみてはいかがでしょうか。(松純)
 
 なんか巨大なクモみたいなのがあるアレでしたっけ。
 と言っても広島出身のやえとしましては、横浜開港と言ってもなかなかピンと来ないのですが、まあおもしろそうなイベントだとは思います。
 GWは人でいっぱいなんでしょうね。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、ローゼン閣下を応援しています。