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平成23年6月16日

 コメントレス

 今日は木曜日なので、コメントレスの日でーす。
 今日はなんだか涼しいですね。
 梅雨明け後もこのぐらいの気温なら電力の心配もしなくて済むんでしょうけど、そういうワケにはいかないでしょうしねぇ。
 みなさん、省エネ対策はしていらっしゃいますでしょうか。
 
 
 テレビもネットも新聞もフィルターに通した断片的な情報を教えてくれるに過ぎないって事を認識している人ってどれだけいるんでしょうね?どれかを絶対視するのも逆に蔑ろにするのもとても危うい事だと思うのですが・・・
 
 そうなんですよね。
 テレビなどの既存大手マスコミなんかは、一般人は「公平・中立なメディア」と思っている人が未だに多いワケですが、しかしこれらも所詮は私企業であって、一番の目的は自社の利益なんですよね。
 マスコミは、ジャーナリズムとかいう崇高な理想を達成するために存在しているんじゃないんです。
 あくまで自社の利益のため、お金儲けのために動き、存在しているのです。
 もちろんお金儲けが悪いコトだと言うつもりはありませんが、しかし公平中立のために存在しているのではないというコトは念頭に置いておくべきでしょう。
 「テレビで言ってたから」は、信用する理由にはならないというコトです。
 
 またネットも、ちょっと前までは「所詮ネット」ぐらいな感覚でしたが、いまでは「ネットで多くの人が言っていた」というのが信用される根拠に時になっているというのも、やえとしたらちょっと驚くべき現象です。
 特に今回の原発の問題でよく見られたのが、政府の情報は偽装されているから信用できない、マスコミも東電に買収されているから信用できない、でもネットには利権がないから生の情報が入るから信用できる、というような考え方を持っている人が少なくなかったという事実です。
 びっくりです。
 ネットはあらゆる人が情報を発信できるツールですから、それはある意味、むしろ意図的に歪められた情報や、ある一定の方向に誘導しようとしている情報を発信しやすいツールであるというコトでもあるワケで、利益のためのマスコミよりもより注意深く情報を精査する必要があるハズなのです。
 ですから本来ネットは、そういう有象無象の情報の中から、自分の判断で取捨選択して、真実を自らの手でつかみ取らなければならない媒体なのです。
 
 で、そう言う意味では、ネットの有象無象と、テレビや新聞などの情報は、同じ扱いで同列に考えるのが適切だとやえは思っています。
 テレビの考え方があって、新聞の考え方があって、ネットのある人の考え方があって、それらを自分の中で飲み込んで、その中から真実を見つけ出すワケです。
 大手既存マスコミは、情報を得るツールとしては優れています。
 そのために専門の記者が何人もいるワケですから、ただの個人よりも情報を得る力は高いでしょう。
 ただ、それだけで情報の全てがあるワケでも、まして考え方が絶対に正しいとはならないワケです。
 この辺のバランスを受け取る側は考えなければならないんですよね。
 
 
 
 復興構想会議って何なんでしょうね。この会議が無ければ今頃、二次補正予算が成立していたと私は思うのです。復興構想会議が財務省が増税をしたいために作った会議であるのは解っているのですけれど、菅総理まで財務省の振り付けで動いてどうするのでしょうか。まったく政治主導が見えません。一日も早く辞めて欲しいと思います。
 
 これ一応、復興基本法が成立した場合に「復興構想会議」というモノを立ち上げるコトに、その法律がなっているために、その前段階のモノとして存在しているという認識かと思います。
 ただ結局、菅内閣はナントカ会議というモノを立ち上げ過ぎて、何が何だか分からなくなったために身動きがとれなくなったというのは本当のところでしょう。
 阪神大震災の時だって1ヶ月ぐらいで復興基本法が成立したワケですから、いかに菅内閣がもたもたしているかというところです。
 その中で埋もれているこの会議も、なにをやっているんだと言われて当然のコトかと思います。
 
 結局民主党の議員っていうのは、誰一人として役人と役所を使いこなしていないんですね。
 こういうのって、政権交代前の「官僚政治」という批判の弊害です。
 自民党は、官僚に丸投げしていたのではなく、官僚と共に行政を動かしていたワケで、それは行政の手足は官僚であるのですからある意味当たり前な話なのですが、しかしそれがなぜか批判として成り立ったワケで、その手法を全否定して人気を得てきた民主党としては「官僚と共に行政を動かす」という行為すら出来なくなってしまったのです。
 もちろんこれは民主党の自業自得なのですが、でもそれも国民の安易な政治批判も原因の一つであり、責任は免れません。
 国民が「官僚政治は悪だ」とお墨付きを与えたからこそ、いまのこの現状があるのです。
 そこもシッカリと考えるべきでしょう。
 
 
 
 読売全体というよりも、そんなごみ記事を書いた記者と、それをちゃんと読まずに通してしまった上役の人が一番悪いのでは?さすがに読売新聞所属の記者全員が漢と同レベルのペテン師であるとは限らないのですし。
 
 いや、読売新聞という看板を背負って記事を出しているのですから、結局読売新聞に責任が帰ってくるのは当然の話です。
 もちろんゴミ記事を書いたのはゴミ記者が一番悪いですし、それをチェックしなかった上役の責任もありますが、しかしなぜチェックをし、良質な記事を書かなければならないのかというのは、その読売新聞というブランドを記者全員が背負っているからであり、逆に言えば読売新聞というブランドを背負っているからこそ1000万部という部数を誇る新聞に記事を載せるコトができるのですから、最終的な責任は会社に帰属されるのです。
 このゴミ記者は、個人の力で記事を書いているワケじゃないんですからね。
 読売新聞というブランドがあるから、一般人では立ち入れない場所に入れたり、取材が出来たり、政治家や官僚などに取材が出来て、そして個人名だけでは普通は載るコトが出来ない新聞に記事が載って、読売新聞というブランドの名の下に数百万人の人がその記事を読んでいるのですから。
 やえは個人の力でこのサイトを運営していますが、読売新聞は違います。
 やえでは政治家にインタビューを申し込んでも受けてくれないでしょう。
 しかし大手マスコミは、それが可能なのです。
 なぜなら、読売新聞というブランド力があるからですね。
 そしてそれが記事を生み出しているのです。
 読売新聞の記者は、ただの一個人ではないワケです。
 読売新聞というブランド力で様々な特権を得ている以上、そのブランドでゴミ記事があれば、「読売も落ちたな」と言われても仕方がないでしょう。
 読売新聞というブランドの力で生まれた記事なのですからね。
 
 
 
 「被曝すると頭良くなる」 福島県のタウン誌、実在教授名を騙り“放射能の効能”を強調する偽記事掲載 http://bit.ly/lO4ZEU
 こういうのが湧くから不信感とかが湧くんだと思う
 
 ……なんですか、これ。
 ここまで露骨な大ウソなんて、ネットでもそうはないですよ。
 と思ったのですが、逆ベクトルならいっぱいあったので、例えば広島原爆では奇形児が生まれまくったとか本当に腹だたしいデマ記事がありましたから、ある意味これも、ネット社会のたまものなのかもしれません。
 ま、こういうのはキチッと法的措置でもとって、タウン誌でもなんでも責任をとらせるべきでしょう。
 それが現代社会、法治国家というモノです。
 
 
 
 これが日本人の本音なのか!福島応援レストランにTwitterで「マジキチ」「誰が行くか」と差別発言連発 - (´A`)<咳をしてもゆとり http://bit.ly/kPD308
 福島の小学校で地元野菜を使うという話になったら保護者から反対がきたことにたいし、地元の百姓が俺たちを殺す気かとか逆ギレしたとかもありましたね。
 
 これもネットの弊害なのですが、どうも「実際に口に出して言う」「ネットに書き込みをする」コトと、「思う」コトとを一緒だと勘違いしている人が、これが非常に多いんですね。
 人権擁護法案を扱っている時でも、差別発言をしておいて、それを指摘されると、「思うコトは自由だし、止められない」「思想の自由は認められている」とか逆ギレする人がけっこういました。
 でも、思うコトと言うコトは全然違うんですね。
 思うコトは自由です。
 誰にも止められません。
 しかし言うコト書くコトは、そこから一歩踏み出して、他人にその存在を伝えるコトに他なりません。
 思うコトは1人称だけの世界ですが、書くコトは3人称の世界です。
 ここが全然違うんですね。
 思うのは自由だが、書くのであれば責任を持たなければならない、責任がイヤなら書くな、というごくごく当たり前で基本的なコトすら分からない人がいまたくさんいるのは、困ったコトだと思います。
 
 
 
 日本は一旦地の底まで落ちたほうがいいんじゃなかろうか...
 
 これに同意する人って、思想がファシストそのものですよね
 まさかやえちゃんまでそんな思想に染まるとは思ってませんでした。
 
 現状からの回復を諦めて、まだ努力してる人も含めて全部一網打尽にしようという焦土作戦
 
 日本を善くしたい為に思想活動していたのが一点、破壊活動に転じる思想。
 悲しいところです… ではないです。悲しいのはまさかやえちゃんの口からそんな言葉が出るとは思ってなかったこっちですよ
 
 落ちた方がいいというか、地の底まで落ちるのは、それは国民の選択ですからね。
 別やえは、意図して地の底まで落とした方がいいとは言っていません。
 でも、自らの首を自らの手で締めている今の国民が、そのまま地の底まで落ちてしまうという選択を自ら取るのであれば、もはや仕方ないとしか言いようがないという悲しさを言ったのです。
 そうまでしなければ気付かないのであれば、それは自分の責任なのですから、仕方ないですねと。
 もちろんやえは、前回言いましたように、自分の役割をこれからも続けていこうと思っています。
 でも結局最後は国民自身が自ら選択するコトですからね。
 やえは思想家であって運動家ではないですから、その選択の行為までをどうこうとはしませんし、出来ません。
 例えば、被災地3県でつぎ衆議院選挙があったとして、それでもまだ民主党を選ぶとかなったら、これはもう仕方ないですねと、地の底まで落ちないと本当にわかんないんですねと言うしかなくなってしまいます。
 やえは、それは危険ですと、民主党が政治権力を握ったらこうなってしまいますよとは言いますが、しかし投票しようとしている人から投票用紙を奪い取って書き換えるなんてコトは出来ないワケです。
 ですから最後はやっぱり国民自身の選択であり行動なのです。
 地の底にまで落ちなければ分からない、それが国民の選択であれば、その前に警告はできますし、やえは前回の衆議院選挙の前に散々しましたし、また未だに菅内閣を支持しようとしている、自民党の行為を全く理解せずに批判ばかりしている行為にも反論を何度も書いているワケですが、しかしその先はもはや悲しむしか出来るコトがないという、そんな悲しいお話なのです。
 
 
 
 うつみ宮土理が
 衆愚社会ですなあ…。
 
 これ、あまおちさんがツイートしていましたが、まぁなんですかね、もうどうでもいいタレントが政治を語るのは禁止させた方がいいような気がしてなりませんね。
 そもそも組織というモノには役割分担というモノがあって、現場で働く人もいれば、指揮をする人もいるワケですよ。
 会社でもなんでも、どんな組織でもそうですよね。
 現場で働く人がいなければ仕事は進みませんが、指揮を執る人がいなければ組織として成り立たなくなり、結局仕事にならなくなってしまいます。
 で、政治家というのは指揮官です。
 議会であーだこーだ言うのが政治の仕事であって、それが憲法に基づく日本国の有り様であって、政治家が現場に出てガレキ処理とかしても、それは指揮官がいなくなり組織の崩壊にしかなりません。
 そしてその指揮官たる議員を選んだのは、誰でもない国民自身です。
 特に小野寺さんなんて、リンク先でも散々指摘されていますが、被災者のひとりであり、おそらく被災地3県で最も働いている人だと思いますし、また当サイトでも伝えてきましたように自民党は対案や提言をものすごくいっぱいしているのに、そういう事実を知らないままわめき散らすうつみのおばあさんのような人は、本当に日本の政治を悪くするガンとしか言いようがないでしょう。
 このような人のせいで、さらに政治を知らないまま喚くのが正しいコトだと勘違いする人が出てきて、ますます政治が悪くなるのです。
 その責任は果たして本人に取れるのでしょうか。
 
 
 
 あれ?
 今回はプロレス話はなしですか?
 プロレス話も募集してます〜(笑)
 



平成23年6月17日

 実名でなければ言論は成り立たないのか

 最近、震災の問題とそれに関連する政治のお話ばかりですので、たまには別のお話でもしましょう。
 
 時たまネット上の議論にからんで、「匿名での議論は卑怯だ、顔も実名も晒してこそ公平で責任ある議論ができるんだ」と言う人が出てきます。
 これは主に、タレントとか大学教授とか最初から顔を世間に売って生活しているような職種の人が主張します。
 ですから基本的には、「自分は実名を晒して議論しているのに、相手は匿名だから言われたい放題だ。不公平だ」という意味合いを強く含んでいるワケですね。
 そして、実名を晒しているから無責任なコトは言えず逃げるコトも出来ないので、責任ある議論をするなら匿名ではダメだ、実名でなければならないと、そう主張するワケです。
 こういう主張、おそらくネットというモノが出来た当初からずっとある主張ではないかと思われます。
 
 でも、実はこれ、ちょっと理論が飛躍してしまっています。
 なぜなら、責任ある議論は当然としても、それが達成されるためには必ず実名で無ければならないとは、ここが決して結びつかないからです。
 もちろん実名の方が責任を伴いやすくなるというのは確かです。
 ですから「実名→責任が持てる」という方向なら、だいたいそれは間違ってはいないと言えるでしょう。
 しかし、逆が成り立ちません。
 「責任が持てるようにする→実名」とは、必ずしもならないのです。
 実名でなくても、責任を持とうとすればいくらでも持てるのですから、必ず実名でなければならないというような主張は、理屈としては成り立っていないのです。
 
 議論とか主張とかは、結局ネット上であっても、場所の問題は大きいでしょう。
 基本的に管理人以外にIPが見るコトの出来ない、そして固定ハンドルを必要としないシステムを作り上げた2ちゃんねるでしたら、あまり責任ある議論は期待できないかと思います。
 そういう場としてはネット上でアリだとは思いますが、やえは、キチンとした議論の場としては認められない場だと思っています。
 でも決してネットの全てが2ちゃんねるのような場ばかりではないですよね。
 やえ自身も色々な場でそれなりに議論してきましたし、その中では建設的なモノもあったと思っていますし、また例えばあまおちさんと宗匠さんの議論はいつも感心させられるばかりですから、サイトやブログを背負った管理人同士の議論というのは、やはり責任ある素晴らしい議論が生まれる土台としては十分なのではないかと思っています。
 
 結局やり方次第です。
 ネットだからではなく、匿名だからではなく、責任とは最終的にはやっぱり個人の資質に帰されるモノでしょう。
 実名にしたところで無責任なコトを言う人は言いますし、もし実名なら無責任に100%ならないというのでしたら、この世から犯罪は無くなっていたコトでしょう。
 ここからも「実名でなければならない」という言い方は、理論としては間違っていると言えるワケです。
 
 このように考えれば、実名で活動している人の「実名を晒せ」というのは、結局は「自分と同じステージに立て」というコトに他なりません。
 「自分は実名を晒しているんだから、お前も晒せよ」と、基本的にはこういう理屈なんですね。
 そしてこの根底にあるのは、「公平な議論とは、公平な立場に立ち、同じ覚悟を持ってこそ成り立つ」という考え方です。
 逆に言えば、「自分は顔も名前も晒しているのに、お前は匿名で卑怯じゃないか」という考え方になってしまっているワケです。
 
 これはでもおかしいんですよね。
 「同じ舞台・覚悟を持たなければ公平な議論が出来ない」と言ってしまえば、それはあらゆる場面で議論や主張や批判が出来なくなってしまいます。
 それが最も顕れてしまうのは、政治でしょう。
 例えばこう言われたらどうするのでしょうか。
 
 「政治家を批判するなら、まず選挙に出てから批判しろ。選挙に出る覚悟もないのに批判するな」
 
 世襲とか官僚とかいろいろ批判されている近年ですが、でもやっぱり選挙に出るというのは、前の仕事を辞め、落ちれば職を失い、当選したとしても数年後には強制的に無職になる可能性があるという、そういう他にはない高いリスクのある職であるのは確かです。
 国会議員ともなれば、(普通は)休みもありませんし、24時間公人、私生活も仕事ですし、その発言1つとっても一般人とは比べモノにならない程注意を払わなければならないと、政治家であるというだけで背負うリスクというのは、一般の人が考えているよりもよっぽど大きいです。
 選挙を経ているかどうかだけでもかなり違いますしね。
 ですから、「批判や議論をするなら同じ立場で」と言うのであれば、「政治家に対しては、最低限選挙をしてから」というコトになってしまいます。
 やっぱりいくら実名を晒しているタレントとかでも、その発言の重さや影響力というのは政治家の方が全然大きいワケですし、例えばタレントだと謝罪して済む発言でも、政治家なら身体や政治問題に発展しかねないコトなんてあり得るでしょう。
 先日も取り上げました、うつみのおばあちゃんの例を見ても、それは明らかです。
 よって、やっぱり実名を晒しているだけでは立場は同じとは言えず、政治家を批判するならば政治家と同じ立場に立つ必要があり、それは最低限選挙に立候補してからという話になってしまうでしょう。
 
 もちろん実際このような主張というのはあり得ない話でしかありません。
 政治家を批判するには最低限選挙に出ろとか言ってしまえば、民主主義が崩壊してしまいます。
 しかし結局、タレントとか普段から顔も実名も晒して活動している人が「批判するなら実名で」と言ってしまうのは、それと同じぐらい理屈にならない話でしかないというコトなのです。
 むしろ普段から実名で活動している人というのは、そうだからこそお金をもらっているワケで、そういう人が、そうでない人に「同じステージに立て」と言ってしまうのは、むしろ不公平な関係になると言えるでしょう。
 実名が売れればお金になるタレントと、実名が売れれば本業の妨げにしかならない一般人では、立場が全然違うのですから。
 だから、立場が同じであってこそ公平だと言うのは違うのです。
 
 タレントとかの普段実名で活動している人が「批判や議論するなら実名で」と言っている姿を見ると、やえはそれは、自分への批判を封じ込めるための物言いなんじゃないかと、いつも思ってしまいます。
 だってさっきも言いましたように、フェアにと思わせておいて、実はとんでもなくアンフェアな提案だからです。
 でも自分達は、公共の電波とかを使って政治には無責任放題言いまくっているのですから、なにを言っているのかなと思わざるを得なく、結局自分が有利な立場に立ちたいだけなんでしょうと、そう思うしかなくなっちゃうんですね。
 
 責任ある議論や言論は、それは最終的には個人の資質に関わる問題です。
 匿名だから責任があるんだと思ってしまうのは、これは完全に間違いだと言っておきましょう。
 



平成23年6月20日

 目的はともかく、手段がメチャクチャだから民主党

 たまに、自民党も民主党も政策は一緒だと言う人がいます。
 こういうセリフにはだいたい2パターンありまして、1つは、そもそもその人の思想が一方方向に偏りすぎていて、自民党も民主党も同じように見えるパターンです。
 例えば共産党です。
 共産党からすれば、共産主義とは真反対の考え方の資本主義を標榜している政党であれば、それが自民党であっても民主党であっても、確かにそれはどちらも変わりがないでしょう。
 だから共産党からすれば、自民も民主も変わるがないと言います。
 もう1つのパターンは、自民も民主も一緒にするコトによって自らの立場を明確に出来るコトを目的としている人です。
 例えばみんなの党です。
 自分達は今までの既存政党とは違う全く新しい政党なんだとアピールするために、あえて自民も民主も一緒だと言うパターンです。
 この場合は、本当に自民と民主が一緒かどうかはあまり関係ありません。
 むしろ違うと分かっていても、さらに自分達はもっと違うんだとアピールするために、見て見ぬふりをして「自民も民主も一緒」と言っいたりします。
 そもそもみんなの党なんて、自民や民主のいいトコ取りした理想論でしかない気もするんですが。
 
 まぁそれはともかく、よく「自民も民主も一緒」というセリフは聞かれるところではありますが、しかし実際はけっこう違います。
 違うところを挙げていてはキリがないのですが、その1つに、目的はともかく手段がメチャクチャという点があります。
 つまり、仮に共産党サイドから見て自民も民主も一緒だという意見を採用したとしても、それを達成させるための手段が自民党と民主党では全然違いすぎて話にならないぐらいなのです。
 ここはよくよく注目しておくべきポイントです。
 
 こんな話があります。
 
 迷走政権のツケずしり だぶつく仮設住宅、資材の在庫山積 住宅業界が悲鳴
 
 政府は震災直後からプレハブ建築協会に仮設住宅の供給を要請。必要な戸数は4月上旬、約7万2千戸に達し、専門のプレハブリース業者のほか、通常はプレハブを扱っていない住宅メーカーも含めて、住宅業界が総掛かりで対応した。
 そんな状況がみなし仮設導入後に一変。必要戸数が激減し、約2万1千戸分が宙に浮いた。各社は発注済み資材のキャンセルを強いられ、間に合わない分は大量在庫となった。
 業界側は水面下で政府と対応策を協議している。しかし、政府は「資材調達は業者の責任だ。国費での負担軽減などは一切考えていない」(国土交通省)とにべもなく、業界からは「今後は政府への協力を控えたいのが本音だ」(別のメーカー)との不満が漏れる。
 
 仮設住宅の資材が余りまくっていて、それなのに発注した政府は一切保障をしようとしないという記事です。
 これはこれでちょっとひどい話ではあるんですが、いったい背景はどういうコトなのでしょうか。
 この記事では「必要戸数が激減し」とありますので、予想以上に仮設住宅希望者が少なかったというコトなんだろうと想像されます。
 また他の報道では、仮設住宅は、設備としてはいいのですが、建っている場所が元いた地域から離れすぎていて仕事に差し障りがあったり、また一度仮設住宅に入ると別の場所の仮設住宅には移動できないと法的になっているので、いい場所に出来るまで待っている人が多いとか、そういう事情があるとは聞いています。
 でも、しかし、それをどうにかするのが行政の仕事であり、お役所仕事に縛られる役所に任せるのではなく、こここそをどうにかするのが政治主導というモノでしょう。
 一体民主党は何をしているのでしょうか。
 
 何をしているのでしょうかと聞かれると、こんな記事が出てきました。
 
 日自治団体、韓国産資材収入(輸入)で恩返し
 
 地震被害被災者たちのために臨時住宅を建設している日本自治団体が必要な大部分の資材を韓国から輸入する方案を推進しています。
 地震被害の時受けた助けに報いる意味といいます。
 日本自治団体がこの中6万 8千軒を韓国から輸入することにして市場調査を担当する代表団を派遣しました。
 すでに国内4-5個業者と了解覚書を締結した状態で、地震がおきた時最も積極的に助けた韓国に大部分物量を配分しました。
 6万 8千軒分量の資材を全部納品する場合、業界では1兆ウォンを越える経済効果を期待しています。
 
 韓国の記事を日本語翻訳にかけていおりまして、原文の記事はこちらです
 読み難いですが、注目すべきところは「すでに国内4-5個業者と了解覚書を締結した状態」というところですね。
 つまり、日本の仮設住宅の資材を、なぜか韓国業者から輸入しているというコトなんですね。
 
 ちょっとよく意味が分かりません。
 すでに資材が余りまくっているのに、なぜわざわざ韓国から輸入するのでしょうか。
 いやむしろ、韓国から輸入したから国内業者の資材が余ってしまっているのかもしれません。
 これはちょっとひどい話ですよね。
 地震と津波は日本にとっては大変不幸な出来事で、人命が多く失われたコトは最も不幸なコトであるのは当然として、やはり経済的にもものすごく損害を受けました。
 そしてだからこそ、その損害は、これからの復興で埋めていかなければならないと、これは地元だけでなく、日本全体の経済力という点でも、そうしていかなければならないハズです。
 それなのにこれはなんでしょうか。
 一体どこに、韓国から輸入する必要も理由もあると言うのでしょうか。
 こういう時だからこそ、国内業者に仕事をまわすべきなのではないのでしょうか。
 全く意味が分かりません。
 
 もし仮に、全く建材が足りずに、早く仮設住宅に入りたいと言う人がたくさんいるのに全然賄えていないという状態でしたら、緊急措置としてスピード重視で輸入するというのでしたら、まぁ分かります。
 しかし今回の場合は違いますよね。
 結果的には仮設住宅は余ってしまっていますし、4月の段階ではすでに
 
 合板メーカーの業界団体、日本合板工業組合連合会も「加盟6社が津波で被災したのは事実だが、他の工場の増産ですでに穴埋めはできている」という。
 実際、国交省の事務方からも「大臣(大畠国交相)がいうような資材不足の情報は確認できていない」との声も漏れてくる。
 
 という記事も出ていますように、早い段階から資材が足りていたコトは分かっていたコトのハズなのです。
 よって今の段階になって、さらに仮設住宅の建材を韓国から輸入するという必要性は全くないワケで、果たして何のためにこのようなコトをしているのか、全然理解できないとしか言いようがないでしょう。
 
 結局このような記事を見せつけられれば、民主党は一体どういう意図で、なんのために韓国からわざわざ建材を輸入したのか、裏側が透けて見えるとしか言いようがありません。
 つまり、この大震災を逆手にとって、日本のお金をさらに韓国に流したいと思っているとしか考えられないのです。
 日本を蹴落としてでも韓国を潤したいと、そう思っているとしか考えられないのです。
 そう考えなければ、むしろ合理性が取れないと言えるでしょう。
 
 復興する、そのための仮設住宅を建てるという目的は、これに限っては共産党としても反対ではないのでしょうが、でも民主党はそのために、まったくデタラメな手段を使うのです。
 ここが民主党の油断ならないところ、全く日本のためにならないところなのです。
 そしてこれは、今回だけの話ではありません。
 なにかのスキにつけて、民主党はこうやって国民にバレないように、こっそりと韓国に日本を売り渡そうとする行為をやっているのです。
 
 自民も民主も一緒だと言う人は少なくありませんが、果たして主張の表側だけでそれを判断して良いモノなのでしょうか。
 もちろん目的も大切ですが、手段も十分に吟味しなければならないハズです。
 やえは今回の復興、このドサクサに紛れて民主党政権がどれだけデタラメなコトをするのか、その結果どれだけ日本の国益が損なわれてしまうのか、とてもとても心配でなりません。
 



平成23年6月21日

 仮設住宅の建材を韓国から輸入というニュースはガセだった模様

 ごめんなさい、昨日とりあげましたニュースなんですが、どうもガセニュースだったようです。
 御意見板でも国交省が否定しているという情報を頂いたのですが、さらに参議院自民党の片山さつき先生がこのようなブログを載せていらっしゃいました。
 
 今日、国土交通省からも発表しますが、「仮設住宅を韓国に大量発注」は、まったく事実無根!明日国会でも私が再度確認質問します!
 
 韓国のKBSテレビが報道し、それをNHKのBSの世界のニュースも流してしまったようなので、ネット上で、大論議を巻き起こし、私のツイッターやブログにも、多くの、
「これは、おかしいでしょ?」
の、ご意見が殺到した、
「東日本大震災の仮設住宅を、7万戸分も、韓国に発注、は、国土交通省も驚く、誤認ニュースだったようです。
国土交通省から、在東京の、韓国大使館にも問い合わせ、韓国大使館も、
「これは、否定の発表をして訂正したほうがいい」
とのことだったそうです。
 
 このガセニュース、NHKまで流してしまったようで、やえもすっかりと信じてしまいました。
 正直国交省だけの情報なら半信半疑だったのですが、自民党の議員さんが国会で追及してまで質すのであれば、これはほぼガセだったのだと判断するのが妥当でしょう。
 やえも昨日のコトを取り上げましたコトをお詫びして訂正して、まぁ日本のためには良かったとホッとするところです。
 
 ただやえが気になるのは、いかにあの韓国と言えども、完全な形でのトバし記事をこうも堂々と載せ、テレビで流してしまうというのは、さすがにちょっと信じられないというコトです。
 もちろんあの国はあんな国ですから、特に日本関係の報道に関しては事実よりも願望を優先させるような、その程度の国ではあるんですが、それでも今回の件というのは契約というモノにからむニュースですから、いくらなんでもここまで願望だけの記事になるとは思えないのです。
 というか、願望だけならもっとマシな記事を書くでしょう。
 いつもの調子で、どっかの大学の教授を捕まえて「今こそ韓日友好を。韓国は復興支援を送る用意があるので、過去の不幸な出来事を鑑みて、建材も食料も支援物資の全てを韓国製として受け入れるべきだ」とか、そんな論調になるのではないでしょうか。
 そんないつもの韓国の呆れるニュースと比べれば、やはり今回のニュースはあまりにもささやかなニュースに見えます。
 そしてだからこそ、ガセではない事実のニュースなのではないかと、多くの人が信じてしまったのではないのでしょうか。
 やえもそうです。
 
 だからこれは、ある程度韓国のテレビとしてはウラを取ったニュースだったのではないかと思うのです。
 つまり、日本からか韓国からかは分かりませんが、どちらかからのアクションがあって、そしてリアクションがあったのではないかと想像されます。
 さらにある程度の交渉と検討はされたのではないでしょうか。
 それが漏れて、今回の報道に繋がったと。
 昨日のニュースでは「了解覚書を締結した状態」という、契約までには至っていない曖昧な書き方ですから、ここの部分がトバしだけど、しかし建材を韓国から輸入しようと検討したコトは事実だったのではないかと考えられるのです。
 
 まぁあまり言い出しても陰謀論になってしまいますが、正直民主党ならやりかねないですからね。
 検討はされて、でも日本の業界でも余りまくっているのにさらに輸入となるとさすがにマズイと思ったのか、今回は止めておいたというところなのではないでしょうか。
 日本列島は日本だけのものではないと言う議員、韓国が母国だと堂々と選挙でも言い続ける議員、韓国国籍の人間から献金を貰っておいて堂々と議員を続ける議員などを擁し、党方針として外国人に参政権を与えようとしている政党である民主党ですから、さらについ先日にはこんなコトもいつの間にか決めていたような政党ですから、なんとも信用できないのは当然のコトでしょう。
 
 あと、このニュースで特筆すべき点としては、野党の仕事の本分はここにあるという点を理解するよいお手本となったという点です。
 立法府は確かに法律を作るのが一番の仕事ですが、ただそれは、結局数の多い与党だけでも法律は作れてしまうので、では野党は何をすべきかであり、それはやっぱり政府与党のチェック機能だというところでしょう。
 つまり今回の件では、仮に韓国輸入が本当だったとしても、こうやって野党である自民党の議員さんが国会で質問するコトによって、その真偽を確かめられ、結果として間違った政策であれば正すコトも出来たかもしれないという事例であるワケです。
 今回の件は完全に行政の裁量権内の話ですから、国民に内緒にしてコッソリと輸入するっていうコトもできた案件です。
 それを国会で質すというのは、やはり大変意味のあるコトでしょう。
 これが野党の最も大切な仕事なのです。
 
 そしてこれは、国民の意識があってこそであるというコトも、国民はしっかりと認識しておくべき事柄です。
 仮に今回のコトを野党である自民党が指摘しても、国民が一切関心を示さずスルーしている状態であれば、いくら国会で自民党が指摘しても、それを無視して強引に推し進めるコトは、数の論理からして与党では可能です。
 というか今回は先ほども言いましたように行政の裁量権内の話なので、国会では一切どうにも出来ない話ですから、こうやって問題を明らかにするコトしか出来ないのです。
 ここが行政府と立法府の三権分立であるワケですが、ですから、与党が間違っているという点が明らかになったときに、それを止めるのは、野党ではなく国民の役割なのです。
 
 それはこの前の菅直人の不信任案でも明らかですね。
 あの時国会の数の理論で負けましたが、もっと国民が強い声を出していれば、いまごろ辞めていたかもしれません。
 でも結局、マスコミの反自民報道、「いまこんなコトやっている場合じゃないだろ」というデタラメな報道に騙された人がいっぱいいたので、国民からも声が上がらないという状態で、いまでも菅直人はピースサインをしながら笑顔で総理大臣をやってしまっています。
 二次補正も何も、いまだに全然決まらないのにですね。
 このように、国民の役割というのは決して小さくないのですが、それを意識していない人が多いというのは、本当に残念なコトだと思います。
 
 というワケで、今回は韓国建材を輸入していなくてホッとしたで収まりますが、今後も政府民主党が売国政策を推進しようとさせないよう、国民もシッカリと監視していかなければならないと思います。
 まずは菅直人が総理を辞めるのが先決なんですけどね。
 



平成23年6月22日

 何を持って禁止用語とするのか

 「僕は、カタワです」
 
 ドキっとするフレーズかと思いますが、あの『五体不満足』で有名な乙武さんがツイッターでこのように発言して、物議を醸しています。
 ツイッターでは有名なようなのですが、乙武さんは自虐ネタというか、いや自虐と言うと失礼かもしれません、いま日本の中で行われている差別的表現、特に身体障害者に関する表現を規制するという風潮に対して、自らの障害を負った体を張って不快感を表すモノの言い方というのをよくされています。
 例えば実際に乙武さんはこのようなツイートをされていたりします
 
 小学生は、よく腕を折りたたんで服のなかにしまい、「乙武先生!」とかいってマネしてましたよ(笑) RT @sabapanda: 逆にこれはされたくないなぁっていうネタとかありますか?乙武さんのものまねとか…
 
 あり、あり。全然あり(笑)。 RT @shocker666: 前、職場で「オレおばけとか苦手なんだよー!足がないやつ」と言ってた人に、「じゃ乙武さんも苦手ですか?」と言ったら、「ブラックだなー!それは失礼だよ」と返されてビックリ。こーいう冗談、乙武さんはNGですか?
 
 そしてこうも発言されています
 
 僕が自身の障害をマイナスに捉えていれば、これまでの数々のツイートも“自虐”になるのかもしれない。でも、僕は自身の障害をただの“特徴”に過ぎないと考えている。だから、自分を貶めているという感覚はまったくない。ただ、自分の特徴をネタに、笑いを取ろうとしている。そういう感覚なのです。
 
 “自虐”と感じるのは、障害を“負”と捉えているから。だから、「これ、笑っていいのかな」とためらいが生じてしまう。障害をネタにしたギャグに「あはは」と笑えるようになる社会。それこそが究極のバリアフリーだと思っている。だから、これからもつぶやかせてください。くだらない140文字を。
 
 そんな乙武さんですから、「カタワ」という言葉を使うのにもなんら抵抗は無く、自らの体を張ったギャグの一環として次のようなツイートをされました
 
 よく考えたら、「アホの坂田」って、すごい通称だよなぁ。そんな名前で親しまれるって、ホントに人柄だと思う。うーん、僕だったら…「カタワの乙武」?これじゃ、テレビ出れないか(^o^;
 
 確かに「アホ」という言葉は主に相手を蔑む時に使う言葉です。
 やえも使ってしまうコトがありますよね。
 ですから、よほどのコトがない限り他人に対して使うべきではない言葉ではありますが、しかし芸人の坂田さんはそれを逆手にとって、自分はアホなんだというアピールによって笑いを取るという芸風を確立されているワケです。
 ですから、それは「カタワの乙武」も、その構図は基本的には一緒ですよね。
 カタワとは片腕が無いとかそういう意味ですから、まぁ実際に坂田さんがアホなのかどうかはともかく、「自分はアホですよ」と言って笑いを貰うのと、「自分には腕がないですよ」と言って笑いを貰うのと、構図は一緒です。
 しかしこれを批判するツイートが書き込まれました。
 
 (カタワ)何て言葉を使うの、やめて下さい、悲しすぎます、
 
 これだけでは、なぜイヤなのかという理由がちょっと分かりませんから、もう少し乙武さんとこの人のやり取りを引用しておきましょう。
 
 乙武:どうして、この言葉を使うと悲しいの?なにか個人的なトラウマでも?
 
 トラウマはありませんが、放送禁止用語にもなっているように、差別用語ですし… 乙武さんの自虐ネタ、ちょっと悲しいです
 
 乙武:じゃあ、あなたは差別用語とされているから、「悲しい」の?もし、今後「障害者」という言葉が差別用語になったら、やはりその語に悲しみを感じる?
 
 障害者は、差別用語ではないですよね。カタワと言う言葉は、乙武さんは良くても、公の場で、色々な方のいる場で使うべきではないのでは。乙武さんの事、好感を持っていましたが、度々の理屈じみたツイートに、ガッカリしてます
 
 乙武:「カタワ」を「障害者」に変え、こんどは「障がい者」に変える。そうやって、やわらかい言葉にすり替えることで、本質を見て見ぬフリする風潮。それで何か解決するの?声高に「差別用語は良くない」と叫ぶ人ほど、「私は差別してないです」というポーズを取りたいだけだったりする。無意味だよ。
 
 みなさんどのように感じますでしょうか。
 この先も色々な人が乙武さんにツイートしていますので、出来ればここのまとめの全てをご覧になって下さい
 
 この問題、色々な観点があろうかと思います。
 乙武さんは障害者に対する差別問題では、「障害者の障害をネタにしてもみんなが普通に笑える社会」こそが究極のバリアフリーであると、それが目指すべき場所だというようなコトをよくおっしゃっていますが、やえもそれに近い考え方です。
 これは自負であり誇りでもあるのですが、当サイトはおそらく、その手の専門サイト以外での総合的な思想言論サイトの中では最も差別に対する言及を行っているサイトだと思っていて、かなり古い時期である平成15年の更新でも「障害のある子を愛せますか?」というあまおちさんとの対談方式での更新をしていますように、当サイトはずっと昔から差別問題を正面から考えてきました。
 そもそもあまおちさんが、その昔の更新で言っていますように、けっこう珍しい原体験を持っていますので、やえもよくお話を聞いて、それがサイトに反映されているんだろうと思っているのですが、そういう中でやえが考えてきましたのは、やはり障害があってもなくても、それは1人の人間として同じように接するコトこそが本当の差別無き社会なのではないかと、そういう思いをいまでも持っています。
 
 障害者だから特別扱いしましょう、という考え方は間違っているとやえは思っています。
 このように明確に思っていなくても、結果的にそうなるのでしたら、それは逆差別だと思います。
 あまおちさんが子供の頃学校で、「この絵はがきは障害者の人が書いた絵はがきです。みなさん買いましょう」と教師が言って、半強制的に買わされていたというコトがあったそうなのですが、これは不公平な差別ですよね。
 個人的に絵が素晴らしいと思ってお金を出すならいいんですが、「障害者が書いたから」という理由で強制的にお金を出させるというのは、障害を楯にして他人に苦痛(お金を出す)を我慢させるコトに他なりませんから、これは決して公平とは呼べない行為だとやえは思います。
 こういうコトこそ「障害者だから特別扱いしましょう」という、悪しき逆差別です。
 こういう風潮はやめるべきだとやえは思います。
 
 ただし、特別扱いと気遣いは別問題です。
 例えば足が不自由な人が階段を前にした時に手伝うというのは、これは気遣いです。
 これは障害者だけに向けられる気遣いではなく、お年寄りですとか、ベビーカーに赤ちゃんを乗せている女の人とか、そういう人に対する気遣いと同じ気持ちであり、これは「障害があってもなくても、それは1人の人間として同じように接するコトこそが本当の差別無き社会」の本来あり方だと思います。
 よくこの辺をごちゃ混ぜに考えてしまって、何が何でも障害者を優先させるコトが差別問題・人権問題を菅考える上で大切だと思っている人がいますが、キチンとここは分けて考える必要があります。
 
 昔あまおちさんが、ミクシィでそのような考えの人に批判されたコトがありました。
 あまおちさんがゲームセンターでクイズゲームをしていた時、隣に座っていた人がかなり挙動不審で、1問1問のリアクションがすごく大きい上に、常にぶつぶつぶつぶつ何かを言っていて、オマケにかなり悪臭を漂わしていたそうで、耐えられなくなったあまおちさんは、予定をかなり切り上げて席を立ったんだそうです。
 それをミクシィの日記に書いたら、なんと「身体障害者を蔑むのは何処かの国の風潮みたいで感心しません。」というコメントが。
 意味がよく分かりませんよね。
 そもそもこの人が障害者かどうかも分からない上に、仮に通院中の障害者であったとしても、それをもって他人に対する迷惑が免罪される理由には全くなりません。
 法律の世界では、精神障害によって犯罪が引き起こされた場合、その責任は本人には無いというコトにはなりますが、しかしそれは決して、迷惑を被る側が一方的に我慢を強いられるという意味ではありません。
 仮に障害者が暴力をふるってくれば、それは当然身を守る権利がありますし、時には正当防衛の範囲内で暴力で対抗するというのも、当然の権利です。
 あまおちさんは明確に迷惑をかけられたワケで、それに対する不満をミクシィの日記に書くという行為は、それは相手が障害者であろうと無かろうとも関係なく、例えば隣のオバサンの化粧と香水が臭すぎたとか言うのと全く同じコトですよね。
 相手が障害者だからと言って、一方的に我慢を強いて愚痴すら書くなと言ってしまうのは、それはただの障害者への特別扱いであり、逆差別そのものです。
 
 「障害があってもなくても、それは1人の人間として同じように接するコトこそが本当の差別無き社会」とは、障害者の迷惑を健常者が我慢する社会では、決してありません。
 迷惑は迷惑です。
 それは迷惑をかける人が迷惑をかけないように努力する必要があります。
 当然の話です。
 もし普段の生活の中で足りない点があれば、それは周りの人が手助けすればいいでしょう。
 お年寄りに席を譲る気持ちと同じ気持ちで、障害者の人が困っていれば、例えば車いすの人が高いところにある商品を取りたがっていれば手助けしてあげるという風に、気遣いの心を持てばいいのです。
 それこそが「障害があってもなくても、それは1人の人間として同じように接するコトこそが本当の差別無き社会」ではないのでしょうか。
 いややえはそんな風に思っています。
 
 なんかだいぶ話が逸れてしまいましたが、では乙武さんの「僕は、カタワです」という発言について考えてみましょう。
 
 
 (つづく)
 



平成23年6月23日

 コメントレス

 障害者のお話の途中ですが、今日は木曜日なのでコメントレスをいたします。
 昨日今日と熱いですが、みなさん如何お過ごしでしょうか。
 特にお年寄りのいらっしゃるご家庭など、節電が叫ばれている最近ですが、しかしそれで命を落としては元も子もありませんから、変に我慢しすぎないようにしてくださいね。
 熱中症は本当に死んでしまう病気ですから、ご本人さんだけでなく、周りの人が注意してあげてください。
 
 
 「実はアンフェア」というのはその通りですね、考えもしなかった。ちょくちょく拝見しますがいつも興味深いです。それと「政治家なら身体や政治問題」は「進退」でいいのかな?
 
 匿名と実名のお話をした時のコメントです。
 みんながみんな、名前を晒して意見が言えるワケじゃないんですよね。
 だって、名前を出せばお仕事や立場も分かってしまうワケで、それは、言論に全く関係ない仕事の、むしろ政治の話は仕事では触れない方が好ましい職場とかにいる人の方が多いのですから、そういう人たちに向かって、自分は実名で活動しているのだからお前も実名を晒せと言うのは、むしろアンフェアなんですよ。
 しかもタレントとかはテレビで好き放題政治に文句言っても、基本的には政治家から反論はされないワケで、またそういうマスコミの理論によって結局タレントは守られているのですから、ここでもますます、政治の話をすれば煙たがられる一般社会の人に向かって実名をというのは、アンフェアにも程があるワケです。
 タレントも一般人も、政治の世界を見ればどらちも専門外なのに、その専門外の中で「自分のフィールドに入らなければ卑怯だ」なんて言ってしまうのは、あまりにも都合がよすぎる話でしょう。
 だったらまず、政治の方で同じ立場に立ちなさいと、やえはそう言いたくなります。
 
 あと、進退ですね(笑)
 ありがとうございます。
 
 
 
 実名実名って言うけど、芸名とかは実名のうち入るんかな?
 
 まぁ顔を晒しているなら、あまり本質は変わらないと言えてしまうのでしょうけどね。
 結局、実名だからえらといか、顔を出しているからえらいとかは、全然言えない話でしかない裏返しなんですよ。
 実名だからとか芸名だからとか匿名だからとかじゃなくて、自分が発した言葉に自分でどれだけ責任を負うとするのか、最後はその個人の資質の問題でしかないのですからね。
 例えば、ニュースステーションの久米宏氏も、散々政治などに対して放言してきましたが、果たして彼は批判の声に対して正面から反論してきたのか、というか批判を受け止めていたのか、その責任を負っていたのかどうかというのは、なかなか難しい問題でしょう。
 少なくともやえには、彼は放言し放題でしかなかったと思います。
 特に昔などはネットも発達しておらず、テレビも一方通行だったのですから、顔を出しているからというだけでは決して発言の責任をとる証明にはならなかったハズなのです。
 こういうコトを考えれば、やっぱり「顔を出せ」というのは、一方的に自分の土俵に引きずり込んで有利な立場に立とうとしている、それによって反論を封じようとしている作戦としかやえには思えないワケです。
 
 
 
 実名主義とは『匿名の人間が発表した相対性理論は間違いだ』という意見
 
 権威のある人が言った方が説得力がある、というのは人間の本質ですので否定できないところだと思っています。
 新しい数学理論を、14歳の女子がネット上で発表するのと、東京大学教授が専門雑誌で発表するのとでは、やはりファーストインパクトは桁外れに違うでしょう。
 これはもはや人間としての事実として受け止めるべきコトだと思います。
 でもそれは、中身が間違いかどうかの証明ではないというのも確かなんですよね。
 「1+1=2」は、誰が言っても、14歳の女子が言っても、教授が言っても、バカボンのパパが言っても、正しい事実ですからね。
 ここは間違わないようにしたいところです。
 
 結局、どういう形で自らの発言の責任を証明しようと努力するか、でしょう。
 2ちゃんねるで意見を書いても、それは「どこかの誰か」という実体が全くない「個」がない書き込みですから、責任の証明はやりようがありません。
 それに反論しようとしても、さらにその再反論が本当に最初に書き込みをした人なのかどうかも分かりません。
 もちろんそれで成り立つ議論もあるのでしょうし、それが2ちゃんねるですから、それはそれでいいのですが、最後まで責任をもった議論をするという場としては相応しくないと言えるワケです。
 
 ここをもう一歩踏み込めば、ハンドルを付けるという手段はあります。
 「名無しさん」よりは、「個」がある分、責任の場所が見えてきますので。
 そしてやえなんかの立場では、さらにそこから踏み込んで、自らのサイトをつくって、言わばそれを担保にして、責任の所在を明確にしているワケです。
 また、作りかけや放置気味のサイトやブログと違って、当サイトは長い歴史と、ものすごく量の多い過去ログという担保も持っています。
 それがやえの存在の証明であって、責任の所在なのです。
 そういうやえからすれば、政治の土俵に上がらずして政治に対して好き放題言っているような人が、いざ他人から批判されると「匿名は卑怯だ」と言う姿を見ると、貴方の方がよっぽど卑怯ですよと言いたくなってしまうのです。
 
 
 
 【広島】「『くれ、くれ』と権利要求ばかりする一部被曝者…税金もらってるのに感謝の気持ちが無い」 市長発言に被爆者団体から批判 http://itainewssokuhou.seesaa.net/article/210347016.html
 被曝しても60年以上生きてるんだから影響ないんだろう そろそろごねるのをやめるべき
 
 これ、今度本更新で取り上げようと思っています。
 特にこの広島の新市長は、もともと広島出身で、原爆二世という方ですから、どっかのバカ総理と違って、決して軽はずみに思いつきでしゃべったんじゃないと思いますし。
 お金は税金から捻出されているというコトは、この人達に限らず、全ての国民が考えるべき問題です。
 例えば医療費だって、3割負担の人であれば7割は税金から出ているワケですよ。
 でも、税金を納める時だけは色々と文句を言うくせに、税金を使う時は湯水のように使う。
 色々な事情はあって当然で、色々な思いもあるのでしょうが、まず税金から支払われているという意味も考えるべきでしょう。
 
 
 
 やえちゃん半島への認識が甘いぞ(笑 以前も「ディズニーランドがソウルに出来るホルホル」→ディズニー「そんなこと言ってない」とか 「エリクソンが大規模投資ホルホル」→エリクソン「そんなこと言ってない」とかさんざやってるから 朝鮮系のマスコミが何か半島に都合のいいニュースをブチ上げたら大抵は奴らの「こうなったらいいな」が 知らぬ間に確定事項になってて勝手に言ってるだけだから。 グーグル先生に聞いてみればこう言った話はバンバン出てくると思うよ
 
 甘いですかね(笑)
 でもこの前のニュースは、そういう破天荒な願望ニュースに比べて規模が大したコト無かったので、ある程度の真実味があるんじゃないかと思っているんですよね。
 
 それにしても、むこうのキチンとしたマスコミが流した情報なだけに仕方ないと言えば仕方ないのかもしれませんが、NHKまで報道されれば、マスコミに従事しないやえを含む一般人としては真実として認識するしかないんですよね。
 マスコミの論調や、伝えない部分までは用心深く注意しなければなりませんが、伝えている事実の部分に関しては、基本的には信じるしかありません。
 今回で言えば「韓国と覚書を交わした」という部分ですね。
 
 結局こういうコトがあるのであれば、韓国という国全体として信じられないと言わざるを得なくなってしまいます。
 と言うと、もう信じる方がアホって言われそうですが、まぁ、そうですね、うーん(苦笑)  少なくとも日本国内の大手マスコミは、ここまでにはならないようになってほしいですね。
 
 
 
 不信任案の一日で大騒ぎしてたバカどもは、今の民主党の体たらくを見てもなんとも思わないんでしょうね。
マスゴミ様が報道しないからw
 
 正直、ここ一週間ほどは、菅の延命工作と民主党内部のゴタゴタのせいで、ほとんど政治が動いていないんですけどねぇ。
 決まったコトと言えば、国会が延長されたコトぐらいです。
 で、二次補正はどうしたんですかと、その他の復興のための法案はどうしたんですかと、全然その輪郭すらここ数週間聞こえてすらきません。
 本当に不信任案の時に騒いでいた人たちは、なにを考えているんでしょうか。
 自分で矛盾に思わないのでしょうか。
 
 
 
 メディアなんかが24時間テレビとかで「障害を持っている人は天使のような心を持っている人達なんですよ〜」みたいな内容を流すせいで、世間的に障害者を特別扱いする風潮が出来上がっちゃっているんですよね。本当にこういう風潮は端から見ても気色悪く感じます。もっと普通の視点で接することが出来ないのかと感じますね。
 
 こういうのって、ちょっと前までの朝鮮半島でも同じようなコトが言えるんですよね。
 北朝鮮なんてマスコミが率先して「地上の楽園」と喧伝して、いっぱい日本人を送り込んだのですから。
 でさらに、北朝鮮や韓国に対しては、絶対に悪いニュースは取り扱わない、話題にも出してはいけないという雰囲気が作られていました。
 北朝鮮の拉致問題を取り上げると、売国奴と言われる。
 韓国は日本に敵対心むき出しだと言うと、売国奴と言われる。
 でも結果的にはどうだったでしょうか。
 どちらも事実だったワケですね。
 
 結局、特別扱いにして批判を許さないという存在を作ってはならないのです。
 それは本質から遠ざかるコトにしかならず、結果的に国民にとって不幸なコトにしかならないでしょう。
 そんな中で、キチンと国民と共に現実を生きようとしているのが乙武さんであり、その険しい道を切り開いている姿は尊敬に値すると言えると思います。
 
 
 
 野党の役割は政府与党のチェック機能。対案ではないよな。
 
 そうです。
 対案は、やってもいいけど絶対条件ではありません、と言ったところです。
 例えば共産党なんていう政党は、自らが与党になったらどのような政策をするのかというのは、対案を出さなくても分かりますから、もちろん共産主義社会ですね、ですから、いちいち対案なんて出さなくてもいいと思います。
 自民党も、たまに「菅内閣の復興のスピードが遅いというが、自民党なら早くできるのか」とかいう批判がありますが、こんなのは与野党の違いを分かっていない批判でしかないんですね。
 事実として今の政府与党が遅いのであれば、その批判はここだけで完結します。
 他の党だったらどうだったのかというのは、それは永遠のifの話であって、神の座視でも持っていなければ分からないコトです。
 いくら理屈で言っても、実際やってみると違うコトもあるかもしれませんし、理屈よりももっと早く進むかもしれません、それは分からないのです。
 いまは民主党と国民新党が与党である、という事実は、どうやったって覆せない事実であって、自民党だったらというもしも話はまるで意味を成しません。
 民主党だから遅かった、だからダメだ、よって別の政党に任せるしかない。
 ただこれだけが事実なのです。
 
 野党の一番の仕事は政府与党のチェックをするコトです。
 ですから自民党は、「菅内閣のこういうところがダメだ。だから復興が進まない」と主張しています。
 ここに本来は「自民党だったら」というif話は必要ないのです。
 見るべきコトは、そのチェックが正しいかどうかです。
 政府の仕事が間違っていれば野党が指摘し、それで政府が直せればいいのですが、そうでないなら、別の政党がやるべきだと、ただそれだけなんですね。
 
 そもそも民主党が政権交代したときの理由を思い出してみてほしいところです。
 「やらせてみないと分からないから、一度やらせてみよう」  です。
 これのどこに対案があるのでしょうか。
 野党時代の民主党のチェックの内容が適切だったかどうかはともかくにしても、自民党への批判で政権交代したのですから、与党としての民主党も、民主党へのチェックという批判によって政権交代されるべきなのです。
 もちろんそのチェックの内容が適切かどうかは、国民が判断すべき問題ですけどね。
 でも少なくとも「対案がないからダメだ」と言ってしまうのは、それは与党と野党の役割を正しく認識していない発言でしかないと言うしかないでしょう。
 
 
 
 プロレスはハンセン・ブロディとかラッシャー木村とかタイガージェットシンの時代ならみてた世代です
 
 プロレスターイム(笑)
 もうかなり昔な話になってしまっていますよねぇそれ。
 まだテレビでゴールデンタイムで放送していた時期ですよね。
 あの時代はあの時代の良さがあったんだと思います。
 特にヒールとベビーの違いが明確だったので、分かりやすかったというのは大きいでしょう。
 タイガージェットシンなんて怖すぎです(笑)
 
 
 
 ヤエちゃん90年代プロレス黄金期を経験したの?だったら00年以降プロレスつまんなくなったから観るのやめよと思ったことはある?
 
 やえは十四歳なので経験はしていませんが、確かにその辺の時代は暗黒期と言ってもいいかもしれません。
 やえは四天王プロレスこそ完成したプロレスだと今でも思っていますし、そして今でもそこから脱出は出来ていないと言えると思います。
 四天王と三銃士が頂点を過ぎた後は、その遺産だけでプロレス界は成り立っていましたよね。
 NOAHのドーム大会で、三沢vs川田というカードが実現しましたが、もはや完全に過去のVTR状態で、昔を懐かしむ以外に楽しみを見つけるコトは出来ませんでした。
 そして、三沢さんの早すぎる死。
 たまにテレビでは見てはいましたが、三沢さんが亡くなるまでは、もうほとんどライブで見るコトはありませんでしたし、こうなるんだったらもっと会場に足を運べばとも思いました。
 でもそういう流れだったんですよねぇ。
 
 いまは別のキッカケでよく会場に足を運ぶようになりましたけど、でもやっぱりそれでも、四天王プロレスとは比べものにならないですね、完成度は。
 もちろん別の時代には別の良さがありますから、四天王や三銃士と必ずしも比べる必要はないのですが、どうしても、ですね。
 
 前にお話ししましたように、プロレスは、イヤなところを探すんじゃなくて、良いところを注目しようとするのが一番いい楽しみ方だと思っていますから、いまのプロレスはそれはそれで楽しいと思っています。
 もしかしたら00年以降のプロレスも、そういう目で見ればまた違う楽しみ方もあったのかもしれません。
 ただ、なんて言いましょうか、四天王・三銃士という、世界最高峰の山を登った後に、さらに別の、しかも確実に小さいと分かっている山を登ろうという気力が湧くかどうかというのは別の問題ですから、これはやえだけに限らず多くの人にも同じように言えるんでしょうけど、そういう感覚っていうのはあったのではないでしょうか。
 
 なんだかちょっとだけしんみりしてしまいました。
 語り出したらキリがないのですが、またプロレス話を振ってください。
 ありがとうございます。
 



平成23年6月24日

 何を持って禁止用語とするのか (2)

 なんかだいぶ話が逸れてしまいましたが、では乙武さんの「僕は、カタワです」という発言について考えてみましょう。
 
 この問題、一体どの点が問題なのかというコトをまず明確にすべきと思います。
 今回の場合、かなりの割合で「カタワという言葉がイヤだ。見たくない」という理由が多いのではないでしょうか。
 事実、乙武さんに最初に返信した人は、その後このように言っています
 
 カタワが悲しいのではありません。カタワと言う言葉を使う事が悲しい…と言うか聞きたくない言葉です
 
 「聞きたくない言葉」と、その言葉の存在そのものを否定する意見です。
 
 しかし、実際のところ、この理由は果たして正当に成り立つモノなのでしょうか。
 というのも、この意見というのは結局は「自分が聞きたくない、見たくないからやめてくれ」と、他人にその言葉を使わないよう強制をしているコトに他なりません。
 つまり他人に強制させようとしているその根拠が、「自分がイヤだから」という主観だけしかないワケなのです。
 
 もしこれが本当に成り立つのでしたら、これはあまおちさんがツイートしていましたように、「は」を「ゎ」って書く人はやえも本当に不快なので、これを禁止してもらえないでしょうかねと、乙武さんへ返信したにそういう人がいましたが、まずは貴方がそれを訂正してくださいと、そう言いたいです。
 さらに法律でこれ禁止してもらいたいですね。
 もちろん理由は「不快に思ったから」です。
 やえが不快に思うから、全ての人もやえに従うべきだと、そう主張します。
 
 とまぁ、当然このような要求は受け入れられないでしょう。
 本来「自分がイヤだと思ったから」という理由では、他人を強制させる理由にはならないからです。
 冷静に考えれば当たり前ですよね。
 もし他人の行為を強制させたいのであれば、それなりの合理的な理由が必要です。
 例えば罪人は牢屋に繋ぐというのは、罪と罰の観点や社会秩序の観点から合理的な理由があるので合法的に運用されています。
 決して、「犯罪者は嫌いだから」という理由で罰が規定されているワケではありません。
 
 こういう観点から、「カタワという言葉は見たくないから使うな」と言ってしまうのは適切な主張なのかどうか、考えてみるべきでしょう。
 
 「カタワという言葉を使うな」という主張には、もう1つ理由があります。
 それは「放送禁止用語だから」というモノです。
 確かにこの言葉はテレビでは使えない言葉であり、それを知っているからこそ乙武さんは最初のツイートで「これじゃ、テレビ出れないか(^o^;」と言っているワケですね。
 ですから、テレビ上ではこの言葉は使えないというのは確かです。
 
 でもこれは、所詮は民間企業であるテレビ局の勝手な自主規制に過ぎません。
 ここで指定されている言葉が本当に不適切なのかどうかというのは、国民が議論に参加して作られたモノではなく、むしろ一方的な押しつけにしかなっていません。
 事実、民法では民放連で放送禁止用語を統一していますが、民放連に加入していないNHKでは基準が違うので、民法ではダメだけどNHKならOKという、そんなねじれ現象が起きるコトがあります。
 例えば「土方(どかた)」という言葉は民法では放送禁止用語に指定されており、この言葉が歌詞に出てくる美輪明宏さんの名曲「ヨイトマケの唄」も、1983年に制度が廃止されるまで要注意歌謡曲(放送禁止歌)に指定され放送が出来なかったのですが、しかしNHKではそのような措置は一切執っていませんでして、この歌の発表当時から一貫して放送自粛などはされていませんでした
 結局組織によって規制が違うワケで、どれが正しいとは言えないですよね。
 しかも、どちらも国民不在の規制ですし。
 ではこの「土方」という言葉は、果たしてどう考えるべきなのでしょうか。
 
 やえには、民間企業の自主規制があるから、それが禁止の理由だと言ってしまうのは、到底納得できません。
 自分の考えというモノを放棄しているだけですから。
 これが法律であれば話は別です。
 法律とは、選挙を経た国会議員が制定するモノであり、それは国民の意思を通じて作られるモノであって、民主主義の名の下に国民は全員それを守る義務があるモノだからです。
 だから、そういう国民議論を経た上で仮に「この言葉は使用禁止用語だ」と定められたのであれば、それは従うべきでしょう。
 しかし「放送禁止用語」は違います。
 そういう国民不在のままに、ただ一企業が勝手に作った自主規制ですから、放送に携わる人が従うのは勝手ですが、そうでない人間にまで縛る範囲が広がるというのは、不自然です。
 というかこんなのは所詮「テレビが儲かるための、テレビのための、テレビの都合だけのモノ」でしかないのですから、そこ以外での禁止の理屈には全くならないのです。
 テレビ側の理屈を、そうでない人間の理屈に強引に当てはめらられるいわれはありません。
 
 結局「使用禁止用語」というモノは、外国は知りませんが、日本には無いんですね。
 
 
 (つづく)
 



平成23年6月27日

 何を持って禁止用語とするのか (3)

 結局「使用禁止用語」というモノは、外国は知りませんが、日本には無いんですね。
 であれば、それは結局使う人の思いと、それを受け止める側の気持ちとの、両者の関係性の中で考えるべき問題になってくるんだろうと思います。
 よく使われる例えですが、「バカ」という言葉ひとつとっても、愛情のある言い方の場合もあれば、相手を罵るために使われる場合もあります。
 つまり結局は、その言葉そのものを規制するとかではなく、どのような意図で使うかこそが大切であるというお話になる、そうしか本来はやるようのないお話でしかないハズなのです。
 
 それは「障害者」を、「障碍者」や「障がい者」と書こうという動きにも同じコトが言えます。
 結局こんなコトをやっても、全く意味がないんですね。
 今の段階ではこのような形になっていますが、いつか「障がい者は差別用語だ。しょうがいしゃと書け」とかなるかもしれません。
 もちろん今「障がい者」と書いている人は悪意がなく、むしろ自分こそが差別問題を一番考えているんだと思っている人なのかもしれませんが、しかし後世の人から見ればもしかしたらものすごい悪意ある人だと思われしまっているかもしれないのです。
 つまりいたちごっこであり、全く無意味な行為と言えるでしょう。
 そして今、「障害者」と書いている人だって、やえも今回の更新で何回か使っているかと思いますが、決して障害者の方に悪意を向けている意図で書いているワケではなく、ただそういう人たちを指し示す普通の名詞として使っているだけです。
 そんなのは文脈をキチンと読んでいただければ当然として分かるコトだと思うのですが、それでもやえの今回の文章は差別的だとして書くべきではないと言われてしまうのでしょうか。
 しかしそれで「障がい者」と書いても、さらに数年後には「差別的だ。しょうがいしゃと書け」と言われてしまうかもしれません。
 やえも、「障がい者」と書いている人も、差別の気持ちなんて一切無いのに、それでもそう言われてしまう可能性は否定できないのです。
 バカバカしいと思いませんか。
 
 結局こういうのも、明確な理由が用意できないから、こういうコトになってしまうのです。
 「自分が不快な思いをするからやめろ」という、まったく合理的な説明が付かない理由を正当化させて理由とするから、おかしなコトになるのです。
 これがまかり通れば、いま普通に使っている言葉が、なんらかの拍子で急に差別用語にされてしまう可能性だって否定できません。
 だって、誰かが「イヤだ」と言うだけで、それが差別用語になってしまうのですからね。
 これはもはや日本語を崩壊させる行為としか言いようがありません。
 
 「バカ」という言葉の使い方1つとっても、それはその言葉だけをピックアップして考えるのではなく、普通は文脈の中で考えるべき事柄です。
 例えば「菅直人はバカ。」というこれだけの文章でしたら、さすがに誹謗中傷の類として、公の場では相応しくない文章だと言うのが相当でしょう。
 しかし、「まともに国会答弁も出来ず、野党の言うコトだけならまだしも、自分の政党である民主党とすら会談をまとめられない菅直人は、歴代でも最もバカな総理だ。」と書けば、これは普通の文章になります。
 言葉は使い方次第です。
 例のために敢えて書きますが、「隣に座って臭いじゃないか、この障害者め」と書いてしまいますと、まぁ文章自体がかなり問題がありますし、「障害者」という言葉にも悪意が込められていると言わざるを得なくなりますが、しかし、「障害者かどうか分からないが、隣に座っていた人は動作が目障りでぶつぶつうるさいし、大変に臭い。迷惑だった。」と書いた場合は、特に障害者という言葉に悪意が込められているとは言えないでしょう。
 結局使い方なのです。
 その単語だけを切り抜いてピックアップして、それだけをもってああだこうだ言うのは、まるで意味がありません。
 文字だけに単語だけに意味を見いだそうとしても、それは全く無意味なのです。
 単語だけで意味を考えるのではなく、言葉とは普通文章文脈で意味を考えるべきなのです。
 
 悪意を込めれば悪意ある文章になりますし、そうでないならそれはただの文章です。
 当たり前の話ですよね。
 
 そうした場合、果たして乙武さんの「カタワ」は、差別的な意味で言ったのかどうか、やえにはさっぱりそう思いません。
 
 
 (つづく)
 



平成23年6月28日

 立法府と行政府の違いが分からないのか

 差別用語の問題についての連載の途中ですが、またちょっとアレな議員が出現しましたので、一言言っておこうと思います。
 そうです。
 自民党公認として選挙を戦い、自民党の議員としていままで活動してきたのに、ここにきて急に民主党政権の政務官を打診されたのでそれにホイホイつられて自民党を離党するとか言い出した浜田和幸参議院議員のお話です。
 与謝野大臣に続き、民主党も民主党ですが、これにあっさりと乗るこの議員も議員です。
 この人は常識というか良識というか、そういうモノは持ち合わせていないのでしょうか。
 
 浜田氏の引き抜き、自民が猛反発 国会運営厳しく
 
 浜田氏の総務政務官起用を巡っては、石原伸晃幹事長が「延命のために人の懐に手を突っ込む。信頼関係はゼロだ」と批判した。山本一太参院政審会長は「国会審議への影響は避けられない」と強調。参院自民党は予算委員会などで、浜田氏を徹底追及する。石破茂政調会長は子ども手当の見直しに関する政調会長会談の再開を呼びかけた民主党の玄葉光一郎政調会長に「そういう状況ではない」と断った。
 
 この浜田とかいう参議院議員、なんで自民党を裏切ってまで政務官になりたいのかよく分かりませんが、まぁ復興のために力になりたいとかそういうコトを口では言うのでしょうけど、しかしそれはむしろ、自分の分を弁えない傲慢な考え方としか言いようがありません。
 なぜなら、この行為は選挙の結果を裏切るコトであり、立法府を蔑ろにしている考え方だからです。
 
 選挙の結果を裏切るというコトは、これはもう言うまでもないでしょう。
 国民は前回の衆議院選挙で民主党を選んだのです。
 行政府に付くのは民主党が相応しいと判断し、300議席近い勢力を与えて、政府与党に据えたのです。
 そしてその「与党にする」という意味とは、今回の東日本大震災という大自然災害をも想定してのコトです。
 未曾有だから政府が対応しきれないとか、そういうのは言い訳に一切なりません。
 細かい対応のところで未曾有だから大変だというのは理解できますが、しかし未曾有だからそもそも対応できないというのは、行政府としてあり得ない言い訳です。
 国家の政府とは、どんな大災害だって、どんな大戦争になったって、どんな天変地異が起きたって、それに対応するという義務があり、それを含んでの国民の選択でなければなりません。
 そして先の総選挙では、どんなコトがあっても民主党ならシッカリと対応できるだろうと国民が選んだのですから、どんな理由があったってそれを裏切るようなコトがあっては本来ならないのです。
 
 ですから、この浜田議員の言い分を受け止めるのであれば、「自分が政務官になったら、選挙の結果を覆すほどの力になる」と、「民主党は国民に選ばれたけど、その選択は間違えていた」と、そう主張しているコトに他ならなくなります。
 なんという傲慢でしょうか。
 よって、やえにはこの人の神経を疑うしかないのです。
 
 また、この人の行為はつまり「立法府にいても復興の役には立たない」と言っているコトになります。
 大変失礼です。
 浜田議員が行政府に参加できないのは、それは国民の選択です。
 自分としては行政府に参加したいと思うのはいいコトだと思いますし、それは自民党の議員さん全員がそう思っていると思いますが、しかしそうならなかったのは国民の選択です。
 結局前の参議院選挙でも単独過半数を自民党に与えるぐらいの数は国民は自民党に与えなかったのですし、そもそも参議院選挙は与野党を変える仕組みにはなっていないコトは誰だって分かっているコトなのですから、いくら参議院であろうとも自民党で当選した以上は、その国民の選択は国会議員として受け止めなければならないでしょう。
 それがイヤなら、はじめから衆議院議員で出るか、そもそも民主党で出ればよかったのです。
 立法府に失礼なコトを言いながら、さらにこの人は自己矛盾もしているワケですね。
 
 そもそもこの人は立法府の役割を分かっていないのでしょう。
 行政府と立法府の仕事は全然別モノであり、行政府の仕事が出来ないから復興には力になれないと言ってしまうのは、はなはだ傲慢です。
 では、行政府には民間人だって民間大臣等で入れるワケですが、そうしようとしない一般国民は、全員が復興のために何もしていないと言うのでしょうか。
 少なくとも、この浜田議員はそう言っているのです。
 本当に失礼です。
 
 立法府は法案やその他の議案を審議する場であり、特にその中で野党は、その法案などに不備がないかをチェックする役割を負っています。
 例えばいま「緊急事態なのだから自民党は審議なんてせずに与党案を丸呑みしろ」とかメチャクチャなコトを言っている人もいますが、本来は大切だからこそ重要だからこそ議論が必要なのであり、例えば法案を出した本人は復興のためと思っているかもしませんが、しかし不備によってそれは一切復興の役にはたたない、むしろ日本をダメにするような内容になってしまっているかもしれないワケで、だからこそ審議が必要なのです。
 特に民主党は、日本を中国や朝鮮に売り渡そうとしているフシがありますから、なおさらチェックは必要です。
 
 また法律とは、こんなコトは言うまでもありまんせが、大変重いモノです。
 国民全員がそれを守る義務を負うのです。
 多くの法律は、それを守らなければ警察力という実力部隊によって強制的に罰を与えるという、それぐらい強い義務です。
 それを審議せずに通せとか、どこまでドMなのかとやえは聞きたくなります。
 そうではなくて、こういう時だからこそ、大変だからこそ熟考に熟考を重ねた議論が必要なのです。
 そして野党はその中で、不備がないかどうか、国民や国家に損害を与えるだけになっていないのか、ここを明らかにするという大きな役割を負っているのです。
 これは決して行政府の仕事よりも小さいコトではなく、むしろ「国権の最高機関」としての、日本国内で最も重要なお仕事なのです。
 この重みを、浜田和幸とかいう参議院議員は全然分かっていません。
 
 行政の仕事がしたいと願うのは、まぁ個人の自由です。
 しかし現実の世の中というモノは、人が願えば必ず全てが叶うワケではないコトぐらい、ちゃんとした大人なら分かっているコトでしょう。
 ましてそれは国民の選択なのですから、それを個人の願いなんてちっちゃいモノで覆すなんてとんでもないコトなのです。
 さらにこの人の我が儘な勝手な行為によって、与野党の関係がギクシャクしてしまっていますが、それでさらに審議が遅れたら、この人はどう責任を取るのでしょうか。
 結局この人のおバカな行為によって、結果的に復興が遅れるのです。
 こんなコトになるコトぐらい国会議員なら分かるハズで、結局この人は、復興のために離党し政務官になったのではなく、ただ単に行政府に入りたかった、目立ちたかっただけの行為でしかなかったと言うしかないのです。
 
 本当に身勝手で、そして国の仕組みというモノが全く分かっていない、ド素人の行為だと断罪するしかありません。
 



平成23年6月29日

 何を持って禁止用語とするのか (4)

 そうした場合、果たして乙武さんの「カタワ」は、差別的な意味で言ったのかどうか、やえにはそうは思えません。
 やえ自身は「カタワ」という言葉にあまり馴染みがありませんので使いませんが、でもカタワという言葉を使わなければ説明できないような場面であれば、やえも特になんのためらいもなくその言葉を使うコトもあるでしょう。
 もしそれで批判されるのであれば、どうぞしてくださいと、やえは差別している意図なんて全くありませんし、そもそも言葉だけを切り取って言葉を使うから差別だと言うのであれば、逆にやえはそれを批判するコトでしょう。
 ただそれだけの話であって、カタワという単語だけにそれ以上の意味など無いのです。
 
 もし自分は差別的な意図で使っていない、そういう読み方も出来ないと自信があれば、堂々と文章を書けばいいのです。
 もしそれで批判されても、自信があるのであれば議論を通じて、自分の真意を伝えればいいだけです。
 これは差別問題だけに限らず、公の場で文章を不特定多数に晒すのであれば、なんだって同じコトが言えます。
 公の場に文章を書けば、内容がなんであれ、当然として責任が伴います。
 文章に問題があれば批判されますし、そしてそれは同時に、自らも自説をさらに説明する機会があるという意味でもあります。
 もし差別的な内容だと思えば批判すればいいし、議論すればいいのです。
 そしてそれはもちろん、単語だけ文字だけではなく文脈によって判断しなければならないです。
 
 逆に、自分に自信がなければ、公の場に文章など書くべきではないのです。
 その表現は差別だとか言われたくなければ、最初から書かなければいいのです。
 公の場はプライベートな日記帳ではないのですからね。
 
 だから今回こうやって乙武さんがキチンと自分の思いというか、信念を説明されたワケですから、やえはそれを読んで、決して乙武さんはふざけた気持ちでカタワという言葉を使っているワケではないコトが分かりましたし、よって批判するつもりは全くありません。
 むしろ激しく納得するモノです。
 まぁもともとこの人はこういう人だって分かっていましたからいまさらではあるのですが、でも疑問を呈されればこうやってキチンと答えるというのは大切なコトですし、乙武さんの人柄が出ているとも言えるでしょう。
 ユーモアを交えつつ責任を全うされている姿は素晴らしいと思います。
 
 障害者の問題に限らず、差別の問題に限らず、公の場所に文章を書いていれば、自分の与り知らない人が全然想像も付かない理由でふと傷ついてしまうっていうコトもあるかもしれません。
 やえも長年こういうサイトやっていますから、何度かやえの知らないところでだれかを傷つけている可能性も否定は出来ないでしょう。
 例えばプロレスで何かイヤな思い出がある人にとっては、やえがプロレスの話題を出すだけでも不快な思いをするかもしれません。
 でもそんなコト言い出したらキリがないですし、やえはそういう意図でプロレスの話題を出しているワケではありませんから、仮に「傷ついた」と言われても、それを理由でやめるコトはしません。
 それはもう、やえが書いている中身を読んでそれで判断してくださいとしか言いようがありませんし、そもそも「自分がイヤだからやめろ」という理由がまかり通るのであれば、最初に言いましたように、これは何だって言えてしまうコトになってしまいます。
 「ゎ」をやめろとまずやえは言いたいですが、しかしこれを達成するためには「やえがイヤだから」だけの理由ではまかり通らないでしょう。
 
 そして乙武さんも、そういう気持ちだと思います。
 自分が発言するコトによって、それが正当な理由であるか無いかに関わらず、傷ついたと思う人がいるんだろうという想像は、おそらく乙武さんぐらいならついていると思います。
 世間では差別的だと言われている表現を敢えて多用する人ですしね。
 また差別のつらさを一切分からないというコトも決して無いと思いますし。
 でもそれでも、敢えて発言していくコトによって、自らの障害者の社会でのあり方を求め続けているのでしょう。
 それは称賛されるべき姿です。
 仮に乙武さんの主張に同意できない人であっても、乙武さんの常に正面から堂々と議論に応じるという姿は、称賛に値する姿だと思います。
 
 またそれは、「無難だから」という自己保身のために何も考えずに「当たり障りのない表現」に書き換えて、その上で「自分は差別のコトをよく考えている」なんて言ってしまう人間とは真反対の姿とも言えます。
 だから、こういう問題を公の場で発言するのであれば、ちゃんと深く深く考えてもらいたいです。
 乙武さんの主張に全面的に同意しなければならないというコトは絶対にありませんが、しかし乙武さんぐらい真剣に考える必要はあるでしょう。
 その上で意見の相違による議論なら、それはむしろ歓迎すべきコトだと思います。
 しかし、結局「自分が見たくないから言うな」という、子供な意見だけで乙武さんに返信したのであれば、それはもう「噛みついた」と表現する程度の、残念な行為でしかなかったと言わざるを得ません。
 自らが公の場で発言するのであれば、それは差別問題であっても表現問題であっても別の問題であっても、特に問題提起をしないモノであっても、絶対に責任は伴うのです。
 書き手はそれにどう向き合うのか考えるべきであって、それは義務なのです。
 
 そう考えたとき、「禁止用語」というモノは、その義務から安易に逃げるために使われているのではないかと思うのです。
 つまり、「この単語さえ使わなければ何も問題はないだろう」と、思考を停止させて、責任と義務から逃げているのです。
 やえは、こういう考えこそを無責任と呼ぶでしょう。
 そして、こう意識していなくても、実はこういう考え方に結果的に逃げている人も実はいっぱいいるのではないでしょうか。
 
 もう一度、公の場で発言する意味と責任と義務を考えてみてください。
 差別用語とはなんなのかを考えてみてください。
 そうすれば、「カタワ」という言葉を使う意味というモノも見えてくると思います。
 
 
 (おわり)
 



平成23年6月30日

 コメントレス

 今日は木曜日ですのでコメントレスの日です〜。
 ちょっと最近アクセスがだだ下がりな気がして多少焦り気味ですが、なんかいい方法ないですかね?
 やっぱりブログ化ですかね。
 いや、1にも2にも、インターネットである以上はどこかしら他のサイトさんと絡まなければ、リンクで繋がらなければ、人はやって来ないですからね。
 テレビと違って、放送していれば見てくれるっていうモノでは、ネットはないですから。
 うーん。
 なんかやえがこのサイトを任されてから、定期的にこの問題には悩んでいる気がします。
 
 
 この人は去年の参議院選挙で当選した1年生議員なんですよね。自動車免許なら、まだ若葉マークです。野党ですから官僚の使い方も知らないだろうし、政務官になって仕事がで来るのでしょうか。
 
 さらに言えば、『数いる民主党の議員よりも、浜田和幸参議院議員の方が有能で役に立つという判断を菅直人がした』というコトなんですよね。
 完全に民主党議員は菅直人にバカにされているワケです。
 与謝野さんの時は、まだ理解はできますよ。
 自民党政権の時代に次々と重要閣僚を経験し、また実績を残して、その手腕は自民党以外からも高い評価を受けていたのですから、その実績を考えれば、民主党議員を差し置いてでも閣僚にというのは分かります。
 しかし浜田某とかいう何の実績もない1年生参議院議員をそこまで評価する意味はやえにはさっぱり分かりません。
 つまり結局、民主党にはいま副大臣も政務官も務めたコトのない衆議院なら4回生以下の議員はいっぱいいるワケですが、そんな人たちは全て参議院一回生の浜田議員以下だと、菅直人はバッサリと切り捨てたワケです。
 よくこれで民主党の議員は怒らないですよね。
 国会議員としての矜持はないのでしょうか。
 
 まぁ民主党議員にそんなモノを求める方が間違っているのかもしれませんが……。
 
 
 
 福田さんをチンパンとかいって非難してた時代がなつかしい・・・
 
          r;;;;ミミミミミミヽ,,_
         ,i':r"      `ミ;;,
         彡        ミ;;;i
         彡 ⌒   ⌒ ミ;;;!
          ,ゞi" ̄ フ‐! ̄~~|-ゞ,  
         ヾi `ー‐'、 ,ゝ--、' 〉;r' やあ、ひさしぶり 
         `,|  / "ii" ヽ  |ノ  俺のことおぼえてるか?
          't ト‐=‐ァ  /   おまえらさんざん俺のこと売国奴って言っていたけど
        ,____/ヽ`ニニ´/    本物の売国奴はひと味違うだろ?
     r'"ヽ   t、     /      
    / 、、i    ヽ__,,/
    / ヽノ  j ,   j |ヽ  
    |⌒`'、__ / /   /r  |
    {     ̄''ー-、,,_,ヘ^ |
    ゝ-,,,_____)--、j
    /  \__       /
    |      "'ー‐‐--
 
 
 
 さりげなく(?)管批判に持っていくやえたん萌え
 
 ありがとーございまーす(笑)
 こんな意見も頂いているんですが
 
 「あなたは、菅総理みたいな人ですね」
 
 ↑一般的な侮蔑語を含んでないけど、最大の侮蔑言葉と受け取る自信があるね!
 
 いやまったくもってその通りです。
その手がありましたかと思ったぐらいです(笑)
 
 だいたいマスコミなんかも、数年前朝日新聞が「アベする」とかいうワケの分からない人の名前を使った侮辱語を作り出しておいて、よくもまぁ放送禁止用語がなんとかとか言えたもんですねと言いたいです。
 じゃあ、菅直人とかアベとかを放送禁止用語にするのですかと、この件だけでも、いかに放送禁止用語というモノが矛盾に満ちていて、いかにマスコミだけに都合のよい存在でしかないモノかが分かるというモノでしょう。
 この前も言いましたように、放送禁止用語なんていうモノは、マスコミのマスコミのためのマスコミによる自主規制でしかないのです。
 
 
 
 どんだけ管直人が嫌いなんだろうね。逆に管を好きな人って例えばどんな人なんだろう?
 
 というか、これで菅直人を嫌わない人の方がやえには不思議でなりません。
 稀代のウソツキ、稀代のペテン師ですよ。
 別にこういう人がやえの周りにいないのなら勝手にしてくださいと言いますが、よりによって国会議員であり、よりによりによりによって日本国の総理大臣なんですよ。
 今日「この政策をします」と言っても、明日それをやらないばかりか、全く逆のコトをしてしまう可能性がある、その前例をいくつも作ってきた大嘘つき総理なのです。
 この人を支持するっていう人がいるだけで不思議ですよ。
 ウソをつかれても平気でいる人って、いったいどんな精神構造をしているのでしょうか。
 やえには全く理解できません。
 
 
 ええと、乙武さんの差別用語問題については、いつもより多くコメントをいただいておりまして、これは後日それだけの更新でお返事させていただこうと思います。
 というワケで、まだまだこの件についての反応をいただればと思います。
 やえも色んな人のご意見を聞きたいですしね。
 よろしくお願いします。
 
 
 国民批判をすれば持論が支持されて理想の実現に向かうとでも思ってるのですか?
 
 順番が違います。
 別にやえは、支持を得るために書いているワケではありません。
 やえはやえの正しいと思うコトを書いているのです。
 その結果として多くの人に支持をいただけると嬉しいのは確かですが、しかし、例えば支持を得るために自説を曲げて書くようなコトはしません。
 あくまでまず前提として、やえが正しいと思うコトを書くだけです。
 そこに、支持されるかどうかというのは、考慮しません。
 
 これが政治家であれば、政治家は国民の声を拾い上げて国政に反映させるというコトも大切な仕事の1つですから、そういう姿勢もアリだとは思います。
 でもやえは政治家ではありません。
 支持されようがされまいが、直接的にやえの言論活動にはなんら影響を与えません。
 やえの言論の行動原理は、支持されるかどうかではなく、正しいかどうかです。
 
 またマスコミやプロの言論家は、それでご飯を食べなければならないので、「お客様」である国民を批判しにくいという体質があります。
 政治家や今で言うなら東電などの一部の人たちだけを批判しても著書などの売り上げには影響しないでしょうけど、大部分の国民という「お客様」に直結する人たちを批判するコトは、マスコミやプロ作家はできないのです。
 これは、マスコミがスポンサーを批判できないのと、構図は同じです。
 
 だからやえは国民批判をします。
 受け入れられないから、支持されないからと言ってそこから逃げるのは、マスコミがスポンサーにおもねって批判するのと全く同じになってしまいます。
 やえはそんなコトしたくありません。
 しません。
 やえは相手が誰だって、間違っていると思えば批判しますし、正しいと思えば評価します。
 あまおちさんにだって同じです。
 そして、ただそれだけのコトなのです。
 やえは多くの人に読んで貰いたいと思いますし、支持されたいとも思いますが、それが目的ではありません。
 そのために書いているワケではないのですから。
 
 
 
 最近のムトちゃん全日がシャレになってねーよヤエちゃん
 
 ムトちゃんヤバいですね。
 いえ、髪の毛の話じゃなくて(失礼)、いろいろと、ちょっと、困りましたね。
 TARUさんもどういう経緯であんなコトしてしまったのか、まだよく分からないのですが、それでもまぁ、体育会系のノリでとは言えない話になってしまいましたからね。
 で、ついにあの和田恭平レフリーも退団したとかで、もはや全日、本当にヤバいです。
 なんか話によると、8月に予定されている新日・NOAH・全日による武道館でのチャリティー大会も、全日は出なくなったとかいう話らしいですし、いよいよ本格的にヤバいのかもしれません。
 
 まぁやえにしてみましたら、武藤さんが社長に就任した時点で、全日は「馬場全日」ではなくなったと思っていますから、そういう意味での全日の看板にはもう未練はありません。
 馬場イズムはNOAHが継承していると思っていますので。
 ただ、武藤さんのプロレスは好きですから、ちょっとこの事態はイヤですね。
 
 それとも新日が吸収してしまうとかになるんでしょうか。
 もしそれなら、むしろNOAHと一緒になってほしいなぁとは思うんですけどね。
 どっちもコマ不足で、さらにブードゥーも自然消滅でしょうから、ちょうどいい気がします。
 ヘビーは諏訪魔さんが入れば潮崎さんの最良のライバルになるでしょうし、太陽ケアさんもここ数年ずっと燻っていますからよいキッカケになるでしょうし、逆にジュニアは全日はかなり影が薄く、NOAHは選手層が厚いですから、多少の刺激にはなってやっぱりちょうどいいですからね。
 
 もちろん、いままで武藤全日を作り上げたのですから、武藤さんには頑張って貰いたいとは思うのですが、でもあれでしたね、社長も辞任しちゃったんですよね。
 ので、まぁ残念ですが、やえにはもう終わりへの始まりにしか今見えないのです。
 どうなってしまうのでしょうか。
 



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