YO!!
なんですか、その出だしは。それはともかく、TricksteRさんがリンクしてくださったそうですよ。
OH!!
だからなんなんですかそれ。それはともかく、こんなコメントいただきました。
「軍隊所持支持派のやえ先生。敵も多そうなこういうサイトも好き。」
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えーと、敵が多いのはあまおちさんであり、やえじゃないです。特に女性や幼女の敵です。危険です。ヤバイです。誤解無きようそこのところよろしくお願いします。
Ouch!!
では今日の話題行きましょうか。「フィギュア萌え族」についてです。
この話題ならばオレが出ないわけにいかんだろう。やえだけで扱える代物ではないからな。
それはあまおちさんがフィギュア萌え族だからですか?
そうそう。わたおに萌え〜〜〜・・・って何言わせるんじゃい。
最近ノリツッコミ好きですね。
・・・。
さて、ここで何を考察するかと言えば、この「フィギュア萌え族」と楓ちゃん事件の犯人とををどうしてもイコールで結びつけたい人や風潮に対して、それはどうなのかという事を考えていきたいと思う。前置きしておくが、楓ちゃん事件は一般的に奈良小1女児殺害事件と呼ばれているが、正直言って昨今似たような事件が多すぎで、地名だけで事件を呼んでいたらどれがどれだか分からなくなってしまうので、敢えて「楓ちゃん事件」と呼ばさせてもらう。
では、まずはこの「フィギュア萌え族」という妙ちくりんな言葉を生み出した、ジャーナリストの大谷昭宏氏の話を見てみることにしよう。
対話も感情もない「萌え」のむなしさ― 犯人、楓ちゃんをフィギュア化 ―
もちろんいまの段階で犯人の動機は不明である。だが、私はこれらの状況からどうしても最近気になっていた「萌え」という現象を思い起こしてしまう。
なぜ萌えというのかは、諸説あって不明だが、要は若者たちが生身の人間ではなく、パソコンの中に出てくる美少女たちとだけ架空の恋愛をして行くというのだ。そこにある特徴は人間の対話と感情をまったく拒絶しているということである。少女に無垢であってほしいのなら「キスしたい」という呼びかけに「ワタシ、男の人とキスしたことがないから、どうしていいのかわからない」と答えさせ、その答えに満足するのだ。自分の意に沿わない答えや、気に入らない少女の心の動きは完全に拒否する。(中略)
もちろんまだ犯人像が絞れないいまの段階で、今度の事件の犯人を直接、この萌え現象と結びつけることはできない。ただ、解剖結果から誘拐直後に殺害しているということは、犯人は一刻も早く少女をモノを言わないフィギュアにしたかったことは間違いない。その上でフィギュアになった少女の写真を母親に送りつけ、ここでもまるでモノをやり取りするかのように「娘はもらった」という言葉を使っている。これまでの誘拐犯なら「娘はあずかった」だ。
もう一点、犯人は少女を浴槽のような水を張ったところで水死させている。この殺害方法だと、少女をまったく傷のつかないフィギュアにできる。いや、少女の体には無数の傷があったではないか、という反論があるかも知れないが、それこそが犯人の異常性。少女を水死させることで無傷の状態でフィギュア化し、思いのまま傷つけるのは、自分でなければ気がすまなかったはずなのだ。
まさにそこには、人間としての対話も心の動きもまったくない、無機質なモノしか存在しない。そんな犯人がつかまったところで、その犯人に両親の悲しみ、世間の怒りが通じるだろうか。
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ちょっと引用が長くなってしまうのが申し訳ないが、大谷氏が抱いている「フィギュア萌え族」の印象を知っもらうためには、その部分は全て読んでもらわんといかんから、長い引用にせざるを得ないのはご了承願いたい。
しかし、これ、「フィギュア萌え族」でないやえから見てもスゴイですよ。なんて言いましょうか、見事な偏見のお手本というか、憎悪の固まりというか、白人が見た“未文化人”の感想みたいな感じを受けますね。
『そこにある特徴は人間の対話と感情をまったく拒絶しているということである。少女に無垢であってほしいのなら「キスしたい」という呼びかけに「ワタシ、男の人とキスしたことがないから、どうしていいのかわからない」と答えさせ、その答えに満足するのだ。』これなんて印象操作も甚だしいんだよな。「キスしたい」云々の話からどうなれば『人間の対話と感情をまったく拒絶している』に繋がるのか分からんのだが、これゲームとか同人誌の事を多分言っているのだろうが、しかしそういう物を否定するのであれば、全てのフィクションとそれを嗜好する人間は『人間の対話と感情をまったく拒絶している』事になるだろ。
そうですね。フィクションなんですから、そこに顕れる人物のセリフは、結局は作者や読者が望むような行動やセリフを口にするワケですからね。そうするコトによって、「おもしろい」とか「感動した」とか、気持ちいい感情を引き起こすモノがフィクション創作物なのですから。読んでいて気持ち悪いだけなら誰も買いませんからね。
そこにある特徴は人間の対話と感情をまったく拒絶しているということである。探偵に有能であってほしいのなら「犯人はお前だ」という呼びかけに「な!!・・・どうして私が犯人なのだ。そう言うのであれば証拠を出せ」と答えさせ、「もちろん証拠はそろっている。順を追ってみなさんにお見せしようではないか」というやりとりに満足するのだ。
フィクションの人物に感情移入したらそれは全て「人間の対話と感情をまったく拒絶している」コトになっちゃうんですね。
大谷氏がフィギュア萌え族を差別したいのか、それとも犯罪の“真犯人”を作り出したいだけなのか知らんが、一見するともっともらしい事を言いながら、デタラメな理屈を並び立てるのはやめてほしいところである。
もう一つ、大谷氏の「フィギュア萌え族」に対する偏見記事があるので引用しよう。
趣味と犯罪の境界 社会が決めるべき― 「フィギュアマニア」に改めて思う ―
この欄でも私は事件について再々、怨恨などではなく、異常な少女性愛者による犯行ではないかと書いて、近ごろ特に目につくいわゆるフィギュアマニアや萌え族と言われる一部の人たちの嗜好に対して疑問を呈してきた。
逮捕された小林容疑者もやはり携帯電話には、幼女の裸体の写真や動画が数十枚も入っていたと言われるし、その類のビデオも多数押収されている。ほら、言った通りだ、と言いたいのではない。
ただ、私が事件直後からそうした性愛を容認するどころか助長するような社会に歯止めをかけるべきだとコメントしてきたところ、その手の嗜好を持つ方たちから事務所あてに抗議の電話やメールが殺到。加えて配達証明つきの公開質問状まで送りつけられてきた。この点についてはっきりさせておきたい。
もとより私は人の趣味は自由だと思っている。だが、公開質問状での「その類の嗜好についてきちんと取材したのか」という指摘を待つまでもなく、実際に大阪の日本橋など、マニアが集う場所も取材してみたし、インターネット上でのやり取りも見せてもらった。そこにあったのはここで書くのもはばかれるような幼女や少女を性的に弄ぶというよりは、加虐的、嗜虐的な傾向の強いものだった。(中略)
だけど世の中にはさまざまな人がいる。みんながみんな、きちんと境界を設けられるものではない。そうである以上、なんらかの歯止めをかけることが必要なのではないか。もし、欧米であのような劇画や動画を流したとしたら、厳しい懲役が待っている。
今回の事件で被害にあった女児は一体、自分に対して何が目的で、あのような目にあわされたのか、まったくわからないまま亡くなって行ったのではなかろうか。社会がそんな被害を未然に防ぐために努力するのは、いわば当然のことではないのか。
それでも彼らは人の趣味趣向に言いがかりをつけるなと言い張るのだろうか。警告を発する者には一方的に質問状を送りつけるのだろうか。
利己と、自己しか彼らの目には映らないようになっているとしか私には思えない。
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さらに長くなってしまった事をお詫びしつつ、ではいろいろと問題点を指摘していこうか。
はいはーい。あまおち先生。多分この人『ほら、言った通りだ、と言いたいのではない。』と言いつつ、そう言っているとしか思えないんですが。
オレもそう思うぞ(笑)多分大谷氏は手柄を立てたいんじゃないのか。「フィギュア萌え族」という言葉を作って、犯罪者を「萌え族」に仕立てれば、自分は「萌え族犯罪」の権威になれる、とでも思っているのだろう。
そのために必死になって「萌え族」と小林容疑者を結びつけようとしているんですね。
こいつ全然フィギュア持ってなかったのにな。
そういうこじつけがこのような矛盾を生んでいたりします。大谷氏は上の引用の方で、『解剖結果から誘拐直後に殺害しているということは、犯人は一刻も早く少女をモノを言わないフィギュアにしたかったことは間違いない。』と、長井秀和バリに間違いないと断定されておられるんですが、実際のところは、楓ちゃんを誘拐しその後いたずらしようとしたけど噛みつかれて抵抗されたから殺した、というコトらしいのです。これでは相手が女児だっただけで、普通の婦女暴行の末の殺人事件となんら変わりませんね。
フィギュアも持っとらん。少女をフィギュア化しようとしていたわけでもない。これのどこが「フィギュア萌え族」の犯行なのかね?シッカリと説明してもらいたいものだ。
この調子では、どんな婦女暴行殺人事件でも、被害者が未成年者ならなんでもフィギュア萌え族のせいにされそうですよね。
もう一つ大谷氏の矛盾を指摘しておこう。と言うか、そもそも「フィギュア萌え族」などと訳の分からないグループを作ってカテゴライズするのも乱暴な話なワケだし、さらにそれを犯罪予備軍なような言い方をするのも、これはとんでもない暴力的な話だ。
大谷氏の発言をまとめると、「フィギュア萌え族」は『ここで書くのもはばかれるような幼女や少女を性的に弄ぶというよりは、加虐的、嗜虐的な傾向の強いもの』を嗜好する人間であり、『みんながみんな、きちんと境界を設けられるものではない』から、『なんらかの歯止めをかけることが必要なのではないか』と言う。そしてそれに反論しようものなら『それでも彼らは人の趣味趣向に言いがかりをつけるなと言い張るのだろうか。警告を発する者には一方的に質問状を送りつけるのだろうか』と言いがかりとか一方的だとかレッテルを貼り、『利己と、自己しか彼らの目には映らないようになっている』と決めつけのような批判をしているのだ。
この論理の乱暴さはなんだと言いたい。
つまり、フィギュア萌え族の趣味というのは、とてもじゃないけど公の場では書けないような変態的なモノばかりで、現実と非現実を区別できない人間がいるから弾圧するコトが必要である、と言っているんですね。それに反対するコトは「ワガママ」でしかない、と。ものスゴイコト言いますね。この人。
でも、これがな、ふと大谷氏の昔の記事を読んでみると、全く矛盾した事を言っていたりするんだよ。ちょっとこれ見てみ。
小6殺人の原因探しにメディアが行きついた先
なんだかメディアは意味のない“犯人探し”をしているように思えてならない。長崎県佐世保市で起きた小学生女児殺害事件で私も駆け足で現場を取材してきた。
これまでメディアは特異な少年事件が起きる度に「法律」か「病気」か「社会」か「家族」に責任を負っかぶせて、なんとなく納得してきた。だが今回、私も加害少女の周囲を取材したが、自宅はウグイスが鳴く静かな山間の集落。両親も祖母も、ともに働き者のごくごく普通の家庭の女の子だ。さあ、原因探しのメディアは困ってしまった。(中略)
そこでメディアが一斉にとびついたのが少女を取り巻く社会環境、とりわけインターネットの社会だ。たしかに今度の事件では少女同士がネット上でいがみ合い、相手のネット上のキャラクター、アバターを消したり「アラシにあった」などの書き込みをしている。毎日の6月3日付朝刊「子供社会をネット侵食」をはじめ各紙がこれでもかとばかりに書いた通り、事件の背景にネットがあったことは確かだろう。
しかしそのことが即、殺人にまでつながるのか。同じ紙面で毎日は「国のe-Japan計画により、'02年度には99.5%の公立学校にパソコンが設置された」と報じている。もしネットが事件の原因だとするなら、同種事件は頻発していなければおかしい。
さあ、そこでいよいよ困ったメディアが行きついた先がお得意の家族、それも母親に責任をかぶせた、母性に原因を求める母源である。母親が強引にミニバスケット部をやめさせたことが原因だというのだ。「部活巡り思い込み 言動荒れる契機に」(6月7日付読売朝刊ほか)。バスケ部をやめさせられたからといってなぜ同級生殺しになるのか。どう考えたって無理がある。こうしたメディアの強引な犯人探し≠ヘむしろ滑稽に見えてくる。
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この大谷って人は、オレが記憶しているだけでは左巻きの人物だと思っていたんだが、ここに書いてある記事は、全く持って異を唱えるところがない、まさに「その通りだ」と言うべき論である。この記事には全く反論は無いんだが、しかしそれに比べて「フィギュア萌え族論」のくだらなさはどうだ。それこそ『こうしたメディアの強引な犯人探し≠ヘむしろ滑稽に見えてくる』のではないのか?
犯人探し論で語っているような冷静な分析をされていれば、フィギュア萌え族論なんて出てこないハズですよね。だって『しかしそのことが即、殺人にまでつながるのか。同じ紙面で毎日は「国のe-Japan計画により、'02年度には99.5%の公立学校にパソコンが設置された」と報じている。もしネットが事件の原因だとするなら、同種事件は頻発していなければおかしい。』という論と全く同じで、フィギュア萌え族が一般のワイドショーなんかで取り上げられるぐらいになっているのですから、同種事件はもっと頻発していなければおかしいコトになるのではないでしょうか。しかし、えっちでよくないビデオとかDVDとかを押収したという話ならよく聞きますが、未だにわたおに等のようなフィギュアが押収されたという話は全く聞いていません。
そもそも男の部屋を家宅捜索したら、エロビデオやエロDVDなんて絶対出てくるってーの。確か植草教授の時にも言ったが、こんな事言い出したらな、オレの知り合いに、家にエロDVDが大量にありすぎて置けなくなったからコレクションの一部を中古屋に売って、そのお金でさらに新しいエロDVDを買っているなんていうふざけたヤツがいるんだが、こいつ捕まったら「エロビ萌え族」なんて言われるのか(笑)大谷氏はもうご老齢だからもはやエロには興味なくなってしまったかもしれんが、どうせ若い頃には多かれ少なかれエログッツ持ってただろうに。まさに滑稽極まる。
『だけど世の中にはさまざまな人がいる。みんながみんな、きちんと境界を設けられるものではない。そうである以上、なんらかの歯止めをかけることが必要なのではないか。』とおっしゃるのであれば、これはなんにだって言えるワケですよね。そのえっちでよくないビデオとかもそうですし、例えばお酒でも同じコトが言えるワケです。「えっちでよくないビデオを1本買うためには住所氏名を届け出なければならない」とかですね、「居酒屋にはお店の規模に応じて飲酒監視員をおかなければならない」とかですね、すればいいんですよ。「お酒10杯以上飲んだ人は、監視員詰め所に連絡して帰るまで監視員が同行しなければならない」とかすれば、お酒による犯罪も相当数減るんじゃないでしょうか。
大谷氏は、組織的犯罪対策法、いわゆる盗聴法にものすごく反対している人なんだが、しかし「フィギュア萌え族」であるというだけで規制が必要と主張するんだったら、盗聴なんてバンバン賛成しろっての。それで犯罪が減るなら問題ないだろって。
どうしてココまで見境がなくなってしまっているんでしょうね、大谷さんは。
(つづく)
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