☆東京都条例問題(表現規制問題)☆

 みんな大人なんだから建前も大切にしようよ / エロ本は隠れてこっそり読む物 / 法案や条例案を解釈する際に注意すべき点
 法律や条令は条文で判断点 / 政治論と法律論は別点 / 立法の問題と行政の問題をごっちゃにしちゃいかんって
 業界と消費者のためにも業界はいち早く冷静な対応をした方がいいよ / 反対するには反対する理由を論拠を示せ
 行政と政治家と業界団体 / どんな表現なら許され、どんな表現ならダメなのか、その議論がまったく出てこない
 今この状況で出来るコト、やらなければならないコト / 論拠が明確であるか、そして論拠と結論が繋がっているのか


平成22年12月16日

 みんな大人なんだから建前も大切にしようよ

 なんでもね、建前って必要じゃん。
 特にそれがエロとかグロとか、そういう微妙なモノであればなおさらだ。
 中でもエロなんてさ、これがなければ人間が子孫を残していくコトが出来なくなるのだから、全ての人間にとって必要なものだ。
 しかしその上で人間っつーもんは、エロは他人から隠さなければならないと本能的に思っているという、複雑な考え方を持っている生き物なわけだ。
 だから、ここでさ、本音と建前をそれぞれに大切にして考えなければならないわけよ。
 なぜこのようになったのかという点を考え出すと、歴史の観点とか民俗学とか社会学とか色々出てきそうだから、今回はパスするにしても、そう本音と建て前がある方が人間社会としても都合がいいんだよね。
 人間が人間らしくあるためにも、本音は本音として、建前も建前として成り立たすよう努力した方が、人間社会は円満に動くことが出来るってことだ。
 
 エロの風俗店なんて、まさにそんな感じだ。
 建前としてはいかがわしい店といわれる風俗店だが、しかし男であればお世話になっている奴なんてゴマンといるし、まれにそんなの興味ないという男もいるが、しかし他人が行く分には男としては咎めることはなかろう。
 また女にしても、自分に関係ないところであれば風俗店そのものは黙殺するっていう人もいるだろうし、むしろ犯罪抑止に役立っていると考えている女もいるようだし、だいたいにして風俗店で働いているのは主に女なのだから、風俗店の存在の恩恵にあずかっている人間というのは実は少なくないわけだ。
 ただしだからといって、おおっぴらに風俗店を野放しにするわけにはいかない。
 店舗を開くにも一定の条件は必要だし、その条件を満たさない所謂闇経営店は、やはり摘発しなければならないだろう。
 ある一定のルールを定め、そのルール上では認めるけど、そうでないなら、いくら必要な人間がいても認めないよというのが、現実的な本音と建前の使い分けと言えよう。
 
 結局ね、今回の都条例の話って、元々はここにあるんだよ。
 いまのエロ漫画の現実を見れば、ちょっと酷いところがあると言わざるを得ないだろう。
 
 というのも、どう考えてもエロ目的で書いている漫画の雑誌が、全く18禁になっていない子供で買えるような状態でいま売られているのである。
 なんだっけ、いちごなんたらとかいう雑誌とか、だれがどう読んでもエロ目的以外何者でもない漫画が、全年齢対象雑誌として売っているわけである。
 こりゃいかんよねと。
 
 エロ本にしてもエロビデオにしてもエロDVDにしても、その存在は、無ければ困るけど、おおっぴらにされても困るよねという、本音と建て前の世界の産物だ。
 というか、エロってそんなもんだよね。
 だからエロ本とかって、売る場所は一般のものと分けているわけじゃん。
 エロ本コーナーとか、エロビデオコーナーとか、コンビニでも隅の方に追いやって立ち読みできないようにしていて、子供が入りづらいし買いづらい、入ってもすぐ分かるようにエロ本やエロDVDは別でコーナーを設けている。
 言わばこのコーナー分けが、本音と建前の境界線と言えるだろう。
 
 だからね、この本音と建前の境界線を、エロ側が越えようとするならば、行政としてはそれを取り締まるのは言わば当然じゃんって話なんだよ。
 エロは18歳未満に見せないし、そのようにある程度の対策を取るのは大人の義務っていうのが、日本の社会の建前だ。
 もちろん、男は18歳になるまでにたいていエロ本は読む。
 オレも若かりし頃は、深夜の販売機にドキドキしながら行ったり、いかに大人に見える格好ができるかを研究したりと、エロ本を手に入れるための努力は人一倍してきた。
 だからオレは声を大にして、ガキがエロ本見るんじゃねぇ、とは言わない。
 だけど、言わないけど、販売する方は、簡単に買えないようある程度措置は執りなさいねとは言わなければならないわけよ。
 そうして本音と建て前のバランスがとれるんだから。
 それはね、やっぱりいかんよねと。
 だからさ、今回のことは、売る側がそのバランスを崩したのがそもそもの発端なわけなんだよ。
 本来壁があってこそのエロ本、努力をしなければ買えなかったエロビデオが、いとも簡単に買えるようになった、しかもそれがエロ側の行為によって壁が取り払われようとしているのであれば、それは当然規制する方から反発が来て当然だし、それはあってしかるべきだろうと。
 
 教育上どうだとかそんな後付けの理屈はどでもいいんだけど、とにかく、思春期真っ盛りの、エロい文字だけでも興奮できるような年頃のガキ共に、そう簡単にエロ本が買えるような環境にしちゃ駄目ってこった。
 ハードルがあってこそのエロなんだよ。
 表現の自由とやらもそう。
 そんなのがあっても、その上で秘匿されてこそのエロだ。
 パンモロよりパンチラの方が興奮するようなもんだ。
 エロはあくまでエロであって、芸術じゃないんだ。
 そこを弁えなければならんし、隠してこそエロはエロの真価を発揮するということも、エロを扱う者は知っておくべきだ。
 エロ漫画を書くにしても売るにしてもさ、それはエロっていう建前的には秘匿されるべき存在のものを扱っている意識は持とうや。
 隠されてこそ意味があるもんだっつーことを理解しようや。
 んで、今の日本にはキチンとエロを売るルールが出来ているんだから、それに則ろうっていう話なわけよ。
 今回の騒動はただそれだけの話なわけだ。
 
 開かれたエロなんて気持ち悪いだけなんだから、みんな隠れた上で堂々とエロを楽しもうぜ。
 



平成22年12月17日

 エロ本は隠れてこっそり読む物

 おっと、思いの外反応がすごいな。
 今日はもらった反応についていくつか応えておこうか。
 
 まずこの話の前提なんだが、この話ってあくまで東京都という地方自治体の条例だから、法律を超える事はできないという点がある。
 だからもし仮に法律と条令が矛盾するようなことがあれば、法律が優先される。
 まぁその辺は都の職員は一番気にするところだから法律とは矛盾しない条文にしているだろうが、その上で、この条文の解釈、特にいま拡大解釈を用心しているという、まぁ言っちゃ悪いが“いつもの言い方”をしている人がいるわけだがな、それも結局「いくら拡大解釈しても法律は超えられない」という、歴然たる事実は踏まえておいた方がいいだろう。
 仮に都条例をもって拡大解釈しまくって規制するぞと言い出しても、法律にひっかかるような話になれば、それは無効となってしまうだけの話だ。
 まずここの前提は踏まえていた方がいい。
 条例と法律は違うってことも理解していないような書き込みも、他ではたまに見られるからね。
 
 ただ都側の説明、特に都知事と副都知事の発言は、さすがにちょっと目に余るものはあるとは思う。
 今日になってからまたこんな記事が出ていたが
 
>
 「火の鳥は近親相姦があるけど規制?」 猪瀬副知事「されません」「傑作であれば、条例なんてないも同然」
 
 猪瀬直樹
 @inosenaoki 猪瀬直樹
 出版社は傑作なら喜んで原稿を受け取る。条例なんて、そのつぎの話。
 まずは傑作を書いてから心配すればよい。傑作であれば、条例なんてないも同然。
 つるんで騒いでもあとが虚しい。自分の生き残りを考えること。ライバル同士が
 つるむことに僕は理解できない。
 
 これはさすがに無いなと。
 行政にいる人間のセリフじゃないよ、これは流石に。
 冷静に考えれば、手塚治虫の『火の鳥』はエロ目的のために描かれたものではないのだから、規制に該当しないというのは明かな話なわけだが、しかしそれでもこの猪瀬副知事の言い方は、ない。
 一作家として発言するのは自由だが、それなら副知事を辞めてからにすべきだろう。
 
 ただ、石原都知事にしても、あの人、口が悪いっていうのははじめから分かっていたことでね。
 むしろ、では規制反対派の言い分は常に紳士的だったかどうかを考えれば、ちょっとそれは無いとしか言いようがない。
 むしろデマの方が多いんじゃないか?
 であるなら、あの石原都知事なら、ムキになって口が悪くなって反論してしまういうのも分かる気がするなぁとは思う。
 行政側は常に冷静な対応をという建前を言ってもいいんだが、そこはそれとして、選挙を経ている政治家の発言としては本音に近いことを言ってもいいんじゃないかなとは思う。
 もちろんこの辺は程度の問題だから、都側を全面的に擁護するつもりはないし、むしろ酷い場面もいっぱいあるし、猪瀬はもう黙れと思うんだけど(笑)、ただ反対する方もデマとか人格攻撃とか平気でしているような輩もいる中では、あまりどっちだけが悪いとは、オレは言えないんじゃないかなぁとは思う。
 
 だからこれは人権擁護法案の時も同じなんだけどさ、反対するにしても、デマとかそういうのは使っちゃ駄目なんだよ。
 これは結局、反対論そのものへの信頼度に関わる。
 どうせデマなんだから信じられないなと言われたら、もうどうしようもなくなる。
 今回も、相手の言い分は信用できないといくら反対論者が言っても、反対論そのものがデマだらけなら、そっちの方がよっぽど信じられないって話になってしまうからな。
 ここのところは、本当にいつも言っているが、キチンと事実に基づいて話や議論っていうものをしてほしいと思う。
 
 エロって、これは言葉で規定できないから難しいという、現実的問題の面があるということも考えておかなければならない。
 よく『ドラえもん』のしずかちゃんの裸はいいのかとか、そういう例があるが、あれでエロスを感じる人はいても、あれを「エロ目的で描いた」と言ってしまうのは無理があるだろう。
 まぁセックス描写じゃないから今回のこれには当てはまらないわけだけど、ここの微妙な線引きっていうのは、言葉だけでは定義しきれない難しい問題というのはある。
 ここを頭ごなしに曖昧だ曖昧だと言ってしまえば、そもそもエロの建前というものが作れなくなってしまう。
 
 芸術とエロとの線引きも難しいのと一緒だな。
 これを芸術と呼んでいいのかはともかく、いま問題のジュニアアイドルの問題だって、エロ目的なのか普通にグラビアなのかという点で揉めていると言ってもいいだろう。
 結局これも、エロ目的ならアウトだし、グラビアならOKという、非常に曖昧な境界線の線引きの問題だ。
 そしてこれを明確に定義化させることはできない。
 結局は常識というものをもって判断するしかないのだ。
 
 エロかエロじゃないかの線引きは確かに曖昧だ。
 これをはっきりさせることは難しい。
 であるなら、エロ目的で作ったものは、作った側の自らの判断でエロにしとこうや。
 つっぱって、これはエロじゃない芸術だと言い張るんならそれはそれでいいけど、でも加納典明みたいに逮捕されるのを覚悟で主張しなって話でね。
 でも、そういうんじゃないでしょって。
 エロを目的として描かれたエロ本をエロコーナーで売るっていう措置が、そんなに嫌なことなのかって、駄目なことなのかってことを、まず冷静に考えた方がいい。
 エロ本がエロコーナーに置かれるのは、そんなに不都合か?
 東京都の中じゃ売っちゃいかんという話ではない以上、エロ本はエロ本としてエロ本コーナーで今まで通り売りましょうって話だろ。
 何が問題なの?
 
 今回の話っつーのは、エロかエロじゃないかの微妙なラインをどこに線引くのかっていう話が本題なのではなく、あくまで条例は、エロはエロとしてエロという分別をつけるようにという話なんだから、だったらエロ側はそれに従おうやって話じゃん。
 エロかエロでないかは、また別議論なんだよ。
 それはそれで意義のある議論だからやってもいいとは思うけど、それは条例の存在の有無とは別の話なんだよね。
 
 他業界はどうなんだという話も出ているようだが、この辺もやっぱり常識とか今までの慣例とかは無視できない話だ。
 というのも、そもそも今までの慣例をぶち破ったのは漫画の方だからだという構図があるからだ。
 今までエロ本はエロ本としてエロコーナーで売ってたのに、それを一般向けの場に置けるようにしたのは、マンガ側がやってしまったことだからな。
 今まで通り、常識や慣例通りやってきたのに、なぜここにきて急にさらなる規制をするんだって話だったら、まだ考える余地はあるのだろうが、今回のこの件はそうではないことには、冷静に事実を見つめなければならないだろう。
 そしてエロコーナーを作るってだけが、建前を守る努力だけではないはずだ。
 それぞれがそれなりの歴史を作ってきた中で、本音と建前の間の境界線を形作ってきたんだ。
 その上で、それを壊すっていうなら、じゃあ新たな境界線が必要ですねって話になるだけだ。
 今回の件は言ってみればただそれだけなんだよね。
 
 前回も書いたけど、いま考えるべきは、本音と建前のバランスをどうするかってこと。
 実際に子供がエロ本を手に取ったからさあ大変だどうしよう教育上よくないザマス子供が汚れたザマスとか、そんなヒステリックな話はどうでもいい。
 健全な男子ならエロ本の1ダースや2ダースは普通に読む。
 オレもエロ本を読みまくったから今のような立派な大人になっているわけでな、うん、まぁ、なんだ、だからだな、子供がエロ本を読むことそれ自体が問題なわけじゃないんだよ。
 お父さんが「お前何読んでいるんだ?」と聞いて、子供が「エロほーん」なんて答えてしまえる社会というのは異常だけど、子供が部屋に隠していたエロ本を父親が見つけてしまって「まぁあいつも年頃だしな」と黙殺するぐらいなら、本音と建前が共存している、バランスがとれている状態と言えるだろうよと。
 そのために、それなりにエロに対するハードルを、未成年には設けようっていう話よ。
 無制限ではなく。
 
 だってさ、オレはいまはもう立派立派な大人だから別にエロに対するハードルは感じないけど、思い出してみて欲しい、ガキの頃というのはたったちょっとのエロコーナーに入るだけでもすごいハードルを感じた。
 ちょっとセクシーな表紙のグラビアを買うだけでもドキドキした。
 野原に落ちいてたエロ本を拾うだけで、人生の決断に迫られるかのような覚悟を必要とした。
 ガキにとってはエロは大変なんだよ。
 そしてその大変さは、なくしてはならないんだよ。
 エロには一定の秘匿感があるからこそ、エロはエロとして成り立つんだよ。
 家の中ではずーっと真っ裸なお姉ちゃんの裸では一切興奮しないらしいのと一緒なんだよ、なんだとうらやましいなコンチクショー。
 そういうだな、子供にエロを触れさせたらあかんっていう話じゃなくてね、ここでもあくまで本音と建前の話なんだよ。
 
 そして建前を作るのは大人の義務。
 だって、エロエロ真っ盛りのガキは、そんなのどうでもいいからとにかく裸を見せろって息巻いているんだから、ガキの方に制止を求めることなんてできないからね。
 だから大人が息巻いたガキを諫めるわけだ。
 ハードルをつくる、しかし完全にシャットアウトはしない、そんな本音と建前が入り交じった微妙なラインを作ってあげる。
 今までもこれはこうだったし、これからもこうしようっていう話なだけだ。
 
 エロ本は隠れてこっそり読む物。
 エロ本を読むことを恥じることはないが、恥ずかしがる必要はあるだろうよ。
 



平成22年12月20日

 法案や条例案を解釈する際に注意すべき点

 この問題をオレが取り上げたところ、一行ボードだけでなく、様々なところでいろいろな反応をもらった。
 特に「よくぞ言ってくれた」「言いたいことを分かりやすく言ってくれた」という反応が非常に多く、旧来からの友人から直接そう言われたこともあった。
 けっこう今までにない反応だっただけに驚いているところなんだが、なんだやっぱりあれじゃないか、やえよりオレの方が文章うまいということなんじゃないのかぁ(笑)
 やはり当サイトはオレがいないと駄目だな。
 はっはっは、やえ君、もっと精進したまえ。
 
 
 という冗談はともかく、後がこわいので、ええと、例の東京都の条例の話について今日は3点、特に取り上げておこうと思う。
 
 まず1つは、「曖昧だから反対」という意見についてだ。
 こういう意見、人権擁護法案の反対論で嫌になるほど見てきた意見だ。
 やれ一言目には「曖昧」だ、二言目には「定義が出来ていない」だ、そういう理由での反対論だ。
 
 しかし、法律や条令はあくまで言葉の上だけの存在。
 極論すれば、曖昧でない法律や条令など有りはしない。
 よって、単に「曖昧だ」という理由だけでは、法案や条例案の反対理由にはならない。
 
 結局、「なにがどう曖昧なのか」という部分まで説明してこそ、キチンとした反論になりうるだろう。
 もちろん条文を引用しながら、「ここはこういう解釈が出来るから曖昧ではないのか」と、理論的にキッチリとした反論が必要だ。
 議論というものは、こうして成されるものであり、そうしてこそより良い案というものが生まれるわけだ。
 まずは、本当に曖昧なのか、条例案のどこ部分のどの条文が曖昧なのか、ここを具体的に考えてみてほしい。
 
 次。
 石原都知事とか、猪瀬副知事が信用できないとか、ムカツクとか、公職にある者として相応しくないとか、そういう意見だが、それはそれで別にいいんだけど、でもそれ、条例案の話とは関係ないよね。
 キッカケはあくまでこの条例案かもしれないけど、すでにこれは条例案の中身の話では無くなっている以上、少なくとも条例案反対の理由にはならんわな。
 知事や副知事がいくら気にくわなくても、正式に選挙などを経てその職に就いている以上、そこで正式な手続きを踏んで成立した条例は正式なものだ。
 知事の人柄や主義主張と、その条例の正当性には、まったく因果関係はない。
 
 よって、石原慎太郎氏が知事として相応しいかどうかの議論なら、別でやればいいだけの話。
 なんだったら最近話題のリコール運動でもしてみればよい。
 しかしそれは、条例案の中身の話の論拠には一切ならないということは、認識しておかなければならないだろう。
 
 人権擁護法案国籍法も、この手の話になると、最後は議論の主論がごちゃ混ぜになってしまうことがよくある。
 果たしてその議論はなんのための議論なのだろうかと。
 結局とりあえず反対するために様々な理由を作り出すために、法案や条例案の提出者の人柄や政策などに問題を当てたり、その裏に付いている団体がどうだとか、将来に向けてどうだとか、そんな話が今も出ているが、これなんて人権擁護法案などの時と全く構図が一緒なんだよね。
 もうパターン化してしまっていると言ってもいいかもしれない。
 でもそれらは、条例案の中身の議論ではないことは、冷静に踏まえなければならない。
 その議論はその議論として行う事自体が駄目とは言わないが、しかし条例案の議論とは違うのだから、それは反対論にはならないよねっていう視点は正しく持っておかなければならないだろう。
 いくら石原&猪瀬の人柄や政策の批判をしても、この条例案の反対論には全くならないのだ。
 
 まぁ今回の件について言えば、気持ちは分かるんだがな。
 この前書いたように、あの猪瀬の発言は、かなり無い発言だ。
 だからもう黙れと、そもそもお前は選挙を経てその職にいる政治家ではないのだから、自分の思いつきで発言するなと、お前はもう黙れと思うんだが、まぁそれでも正式な手続きを踏んでの副知事なのだから、それはそれとして、条例案は条例案として見なければならないだろう。
 
 そもそもだ、条例案を審議するのは、知事ではなく議会だ。
 知事側は条例案を提出したのはしたのだろうが、それにOKサインを押したのは議会である。
 だからもしそんなにデタラメな知事がデタラメな内容の条例案を出していたのであれば、議会がOKとは言わないだろう。
 知事と議会は別モノだ。
 行政と立法(地方議会なので厳密には違うが)の違いというものも、正しく理解しておく必要があろう。
 
 ちょっと話が逸れてしまうのだが、この「政治の仕組み」という部分を理解していないまま、法律や条令や政治の話をしてしまっている奴がけっこういてしまっている。
 もうちょっと勉強して欲しい。
 この条例案の話が、地方自治体の地方議会の話だということすら理解していない奴もいる。
 この話は国会で審議されているものではなく、国会議員は一切関係なく、成立しても法律ではない一地方自治体の条例でしかない、こんな基本的すぎる話すら国政とごちゃ混ぜになって正しく理解していないやつがいる。
 頼むからもっと勉強して、正しい知識を得て欲しい。
 そして、地方議会における知事の役割、条例を作る際の知事と議会の関係、そういうものも、条例案を語るのであれば正しく知ってからにすべきだ。
 主権者である国民や都民が政治に関心を持つことは大変に結構なことだ。
 しかしであるからこそ、主権者であるからこそ、正しい知識の上に物事を、政治を語るべきだろうよ。
 
 最後に行くまえに、1つ追加でひとこと。
 人権擁護法案の時もそうだったんだが、後半になると、デマでも構わないじゃないかという開き直り論が出てしまう。
 おいおい冷静になれよと言うしかないんだが、デマでも何でも危険性を知らしめて反対できるならデマでもいいじゃないか、それしか手段がないんだらかいいじゃないかと、そういう理屈を平然と言うわけだ。
 勘弁して欲しい。
 
 ではそもそもなぜその条例案に反対しているんだ?
 ○○という理由だかからこそ反対しているんじゃないのか?
 しかしその○○という理由がデマだったら、じゃあ反対する必要がないじゃないのか?
 理由があるから「反対する」という結論があるんじゃないか。
 理由が無ければ「反対する」という結論は出ないじゃないか。
 
 前回も言ったが、デマとかウソがその論の中に含まれているのであれば、その反対論そのものの信用度に関わる。
 これは、知事が信用できないとかそういうレベル以上の話だ。
 なぜなら、知事が信用できないのと条例案は直接の因果関係はないが、反対論の中ににデマがあるというのは反対論そのものなんだから、反対論の信用度に直結する。
 ここんところは冷静に考えた方がいい。
 
 そして最後。
 結局こういうデマとか、拡大解釈過ぎる陰謀論や未来予想図を垂れ流しておいて、その後条例が成立しましたってなった後にそのようなデマが実際に起きなかったとしたら、そのデマの流布者はキチンと責任を取るとでも言うのだろうか。
 これも人権擁護法案国籍法と一緒。
 中には、日本が終わってしまうかのように言うデマもあったわけだが、では改正国籍法はいま現在進行形で施行されているけれども、そんな恐ろしい未来が今やってきているのかと。
 やってきてないわな。
 あの時散々不安を煽ったヤツらは今どこにいってしまったんだ。
 キチンと説明せい。
 
 ネットも公の場なんだから、無責任な発言は許されない。
 まして、都議会という現実の政治の場に対する発言なのだから、主権者として責任ある言動をしなければならない。
 デマを鵜呑みにして、それを拡散させてしまう行為も同じだ。
 ようは自分が責任がとれる言動をしているかどうかを、公の場で何かを言うのであれば、常に意識しなければならないのだ。
 
 今デマとか根拠のない未来予想図を垂れ流している輩は、その責任をキチンと分かっているのだろうか。
 結局これは最初の話とかぶるが、根拠があるなら、それを理論的に冷静に条文を引用しながら指摘すればいいだけ。
 「ここの個所がこうなっているか、こういう可能性は否定できない」と、そう理論的に反対すればいいだけ。
 しかしそれをせずして、突拍子もなく「○○は規制される」とか「本が売れなくなる」とか「表現の自由が侵される」とか言ってしまうのは、無責任も甚だしい。
 法律も条令も、そこに書いてあることが全てだ。
 論拠があって、実際それは起こりませんでしたならまだしも、論拠も無しにデマをまき散らしておいて、それで結局起こりませんでしたで何も責任を取らずに消えていくというのは無責任も甚だしい。
 ダビデ像に褌をはかせなければならなくなるかもしれないとか言うのであれば、それは条例のどこの個所が該当してそうなってしまうのか、キチンと理論的に説明すべきだろう。
 この辺の責任というものは、公の場に書く以上皆がキチッと理解してなければいけないのだよ。
 
 この条例案の話について何らかのアクションを起こしている人全てに問いたい。
 自分がやっているそれは「政治活動」である。
 その責任は理解しているのだろうか?
 自分は政治活動をしているのだ、それなりの責任が発生するのだ。
 そこを忘れてはいけない。
 無責任のままではいけないのだ。
 オレは、この条例案の話について何らかのアクションを起こしている人全てにそう問いたい。
 



平成22年12月21日

 法律や条令は条文で判断

 ほらね。
 議論が色んなところに広がりすぎなんだよ。
 それぞれの議論を否定するつもりはないが、でもそれは、条例案そのものに対する賛成論や反対論にはならないっていうことには気付いて欲しいなぁ。
 いくら石原猪瀬の主義主張を批判したところで、それが条例が条例として間違っているという論には全くならないんだよ。
 石原が条例そのものじゃないし、だから石原を批判してもそれが条例の変化に直結するわけじゃないんだからな。
 石原批判、猪瀬批判をするのはいい。
 いいが、それと条例案の賛否や是非には全く結びつかないことは理解しよう。
 
 で、前回も言ったんだけどさぁ、こういう議論の滅茶苦茶な広がりっていうのは人権擁護法案の時と全く一緒なんだよ。
 もううんざりするぐらいね。
 誰々がバックに付いているとかいう話をなんか一行とか議論板に書いている人もいるようだが、これも昨日言ったよね。
 「その裏に付いている団体がどうだとか、人権擁護法案などの時と全く構図が一緒なんだよね」って。
 あの時も散々、解同だとか、他の人権団体だとか、妙な宗教団体だとか、そういうのがバックに付いているから反対論に反論するのはそいつらを利することになるんだーとか、もう嫌になるほど聞いてきたよ。
 もう何年も前にも同じような議論をしているんだよね。
 
 ものすごくどうでもいい。
 
 そういう団体とかがその条例案に賛成しているからといって、だからその条例案が駄目ってなる理由はなに?
 条例案のどの部分が駄目なのか、それでは全然否定する理由にはなってないよ。
 特に法律なんて、日本に存在する人間全てに影響を与えるものなんだから、変な団体が賛成することもあろうよ。
 でもそれが、条文そのものが駄目になる理由にはなってはいない。
 そもそもそんなこと言い出したら、全ての法律・条例で同じことが言えるようになるぞと。
 別に、その変な団体を批判するならすればいいじゃん。
 それまでも駄目って言うつもりはないよ。
 でもそれは、条例案そのものに対する反対論にはなってないよって話しかしてないよ、オレは。
 当サイトが触れているべき部分は、その条例案や法案そのものであって、これらをよく精査した上で、何か問題があるのか無いのか、それを意見しているだけ。
 変な団体批判をするつもりは今のところ無いから、それやりたいなら、条例案とは別のところでやるべきだろうよ。
 
 もし今回の条例の中に、そういうバックに付いている団体などが特に有利になるとか、そういう変な条項があるのであれば、そのように指摘すべきだろう。
 もしそれが正しい指摘であれば、オレも賛成することだろう。
 それが「中身の議論」だ。
 でも変な団体が賛成しているとかバックについているとか、そんなのは中身には関係ない。
 ここはきちんと分けて考えよう。
 
 オレが最初にこの問題を取り扱った際に何を言ったか思い出して欲しい。
 本音と建前のバランスを取れと。
 大人なんだから建前も大切にしろと、そう言ったわけだ。
 エロとして描かれたものは、エロとして扱えと、いまエロ側がその境界線を越えているからそれを正すための条例だろうと、そう言っているわけだ。
 オレの言っていることなんて、ただそれだけなんだよ。
 エロ目的で描かれたマンガは18禁コーナーに置きましょうと、ただそれだけの話なんだよ。
 条例にはそう書かれている。
 それ以上も以下もない。 
 
 名無しサン<12/20 18:33>結局、出版社との話し合いの場を持たず、反対する人を変態のレッテルを貼って意見を封じ込める都議会のやり方には触れないのな
 
 これも一緒。
 そもそも条例を作る際に出版社と話し合いをしなければならないという法はないし、した方が丁寧だとは思うが、しなかったからと言って条例案が駄目な理由にはならない。
 こういう問題というのは「どのように議会を通すか」という政治論というか議会論の話であって、法案論では無い。
 だから、丁寧にしなかった議会や知事は落ちてしまえと言うのは勝手だが、残念ながら条例案そのものに反対する理由にはならない。
 当サイトでは地方議会である東京都議会の政治家論なんて扱うつもりないから、都議会のやり方が気にくわないなら、それはそれで条例の中身とは別としてやっておくれ。
 「あの条例を通した知事と東京都議会は気に入らないからリコールだ」という主張であれば、それはもうそれぞれが勝手にやればいいんじゃないかな。
 
 あとまぁ、変態と言われようが、自分が正しいと思うなら、主張し続ければいいんじゃないの?
 変態って言われたら、意見が封じ込まれるの?
 自分のサイトでも、街頭演説でも、ビラでもなんでもいいけどさぁ、自分が正しいと思うなら相手のレッテルなんか気にせず、堂々と主張すればいいじゃん。
 
 オレさ、オレというか当サイトはさ、昔から性犯罪の問題はずーっと取り上げているよ。
 こう言っちゃ悪いけどさ、こういう時だけわっと出てくる奴らよりも、ずっと真面目に継続的に、性犯罪とか差別の問題とか、昔から扱っているよ。
 
 名無しサン<12/21 13:13>原点の犯罪助長については触れないの?現行法で何の問題がおきたのよ?
 
 こういう書き込みもあったけど、貴方いままで何かしてきた?
 もちろんサイトとかでしてきたなら、それはそれでこれからも続けていってほしいけど、オレはオレで様々な問題について、真摯に正面から向き合ってきたよ。
 例えばこれね。
 
 シリーズ「幼年者犯罪被害を考える」
 
 未だに性犯罪の再犯率が高いと誤解され続けている問題について、オレはデータを丁寧に洗うことで理論的に違うということを証明してみせている。
 この中でオレは散々、この変態とかロリコンとかペドとか罵られてきたが、でもオレは間違ったこと言っちゃないから、そんなのむしろ快感に思うぐらいで、堂々と主張は続けているよ。
 この問題だけでなく、差別の問題とか、例えば女性専用車両の話とか、死刑の話とか、デリケートな問題にも臆せず切り込んできたよ。
 そしてやえがすごく苦労した、人権擁護法案国籍法の話も、条文に基づいた事実に基づいた冷静且つ理論的な話が綴られている。
 まぁこれはマンガの話とは直結しないけど、でも性犯罪の話とか、そういう一般ではあまり語られない問題を、むしろそんな問題だからこそ、当サイトは昔からずっと取り上げ続けているんだよ。
 結局こう言うことの積み重ねが大切なんだよ。
 こういう誤解を少しずつ紐解いていくことこそが、一般に対する正しい啓蒙になるんだよ。
 なんでもかんでも、一度にわっとやればいいってもんじゃないよ。
 問題が目に見えた時だけわっと出てくるだけでは、結局そんなのは力にはならないんだよ。
 そんなのただのブームだ。
 そんなのただのファッションだ。
 真面目に問題に取り込みたいと思うなら、常日頃から取り組むべきだ。
 
 その上でね、オレは今回の条例には「本音と建前」という部分で意見を書いたわけだ。
 マンガが犯罪を助長しているかどうかという議論をするのであれば、それはこの条例案とは別のところでやれよって。
 というか、そうしてこそ真面目でまともな議論じゃねーのかよと。
 なんでもかんでもごちゃ混ぜにして、反対の論拠にならない論をもって反対だーって騒いでも、結局条例案も反対できず、マンガが犯罪を助長しているかどうかという議論も中途半端になって、ましてデマ混じりで誤解されて、いいことなんて何も無いぞ。
 
 どうも最近のこの手のネット上での議論になると、賛成か反対かの二元論に陥る奴が続出なんだが、別にオレが「本音と建前をしっかりしろ」とか「エロはエロとして隠せ」とか言ったとしても、それが石原都知事や猪瀬副知事の人柄や主張を肯定していることには一切してないだろ、なってねぇだろ。
 むしろオレは、猪瀬黙れとまで言っている。
 あいつらの発言を擁護するつもりなんてオレにはさらさらない。
 ただ、条例の中身については直接影響を与える話ではないというだけだ。
 「建前と本音」「エロはエロとして隠せ」
 これを実行するための条例が提出されたというまず議題があって、それに対して変な方向に改変しようとかという話ではなく、またそもそもその条文の書き方では別の解釈も出来てそのままでは変な方向に行きかねないとかという話ではない以上、それ以外の動きなんて、オレの今回の話では全部外野の話だ。
 条例の中身の話ならいいが、中身に直結しない話であれば、それは別でやれって話なんだよ。
 ここを混同してもらっては困る。
 
 最後に。
 
 747 名前:名無しサン:10/12/21 02:06 ID:1EEc4kjwZo
 デマを大元にして巻き起こされているのがサブカル悪しの風潮じゃないの。
 先攻が矛盾や嘘を孕んでいなければ根本的に鸚鵡返し論法は使われやしないよ。
 
 という書き込みをもらったが、相手がデマやってるからこっちもデマやったれっていうのは、全然感心しない論法だわな。
 やるなら「それはデマだ」と指摘するのが正当だろうよ。
 つーか、それこそが、いまマンガ側に求められている議論じゃないのか?
 条例は条例として中身の議論には影響しないが、しかし「マンガは犯罪を増長する」なんて言われたら、それは正面から正々堂々と反論すべきだろう。
 なんでそこでデマをもって抗するの?
 ドロ試合してマンガ側に得があるの?
 ケンカ売った側がデマをしかけるなんていう絶好の反撃のポイントを、わざわざ自らの手で放棄してどうすんねん。
 ここでマンガ側が、理性的に知的に理論的に反論してこそ、「やはりマンガ側の方が言い分がある」と思わせ、そして地位向上に繋がるんじゃないか。
 
 間違っちゃいけないのが、この条例を仮に潰したとしても、それは決してマンガ側の今までの言動が正しかったという証明にはならないということだ。
 結局いまでも、エロ目的のマンガを堂々と一般向けとして売っている。
 その他、マンガ側・出版側が努力すべき部分というのは、まだまだ少なくないんじゃないか。
 なんだったら、政治団体でも作って日頃からロビー活動するなり、犯罪には直結していないという言論活動するなり、すべきなんじゃないだろうか。
 そもそも出版社なんて、言論活動の場の主戦場じゃないか。
 決して、こういう時だけわーって騒ぐだけ騒ぐってだけじゃ、プラスにはならんぞ。
 



平成22年12月22日

 政治論と法律論は別

 せっかくだからもうちょっと続けるかぁ。
 やえをサボらせすぎだなぁ(笑)
 
 名無しサン<12/21 18:24>
 少々失望しました。曖昧でない法律や条令など有りはしない⇒6月に否決された内容から曖昧さは改善されてないと思う。
 
 んーと、オレの文章読んでる?
 人間社会という曖昧な概念の中の規定を言語というもので完全に表現することなんてできねぇから、曖昧でない法律なんてないんだって言っているんだよ。
 だから、ただ一言「この法律や条令は曖昧だ」と言うだけでは、全ての法律・条例に言えることが出来るから、そんな批判の仕方は無意味だと言っているんだ。
 批判するなら、「どのように曖昧か」を、条文に基づいて指摘しなさいってこと。
 曖昧だと思うなら、どこがどのように曖昧か具体的に指摘してね。
 
 蛇足だが、「失望した」とか「質が落ちた」とかいう言葉を、特にこういう賛否両論の話題を触れている時によく書かれるんだが、そりゃ自分が受け入れられない意見を言っているからっていう理由で言ってるんだろ。
 もうこの言葉、何度聞いた事か。
 ウチのサイト、何年前から失望され続けているんだよ(笑)
 人間が意見を言うんだから、ものよっては賛成できたりできなかったりするのは当然で、それに反論するならまだしも、失望したって言われても、ウチのサイトは貴方の代弁サイトじゃないんだよ。
 まぁ失望するのは勝手だけど、反論があるなら具体的にどうぞと。
 
 名無しサン<12/22 06:56>出版社と話いをしなければならない法はないという主張は、民主党が沖縄と話しをせずに法律を決めても問題ないという主張と同じ。
 
 名無しサン<12/22 09:58>
 反対派を批判したいだけの反論だな。話し合う必要は無いとかもう滅茶苦茶。条例文を取り上げ解説するだけでよかったのに
 
 うーん、文章ちゃんと読んでね。
 政治論と法律論は違うのよ。
 話し合いをしてもしなくても、条文そのものの正誤には関係ないでしょ。
 逆に言えば、条文が正しくても間違っていても、話し合い自体はできるわけなんだから、結局この両者には直接の因果関係はないって話なんだよ。 

 だから前回も言ったように、議員の対応が悪いからという理由で次の選挙落としてやろうという政治論なら、やればいいじゃんって。
 「あの条例を通した知事と東京都議会は気に入らないからリコールだ」という主張であれば、それはもうそれぞれが勝手にやればいいんじゃないかなって。
 これは政治論、というか選挙論ね。
 そういう話であれば、条例の中身とは別議論だけど、それを行うには駄目とはオレは言わないよ。
 
 だいたいこの条例は「規制する」という内容なんだから、話し合いをしてもいいけど、業界側の言い分を全部呑んでたら、規制するという中身そのものが意味無くなるものになってしまうだろうに。
 そこが沖縄とは全然意味合いが違う。
 沖縄は、あれは地元に「負担をお願いする」という意味合いであって、様々な理由で規制すべきものを規制するという今回の都の条例とは、根本的に意味合いが違う。
 だから自民党は、沖縄の件に関しては年月をかけてお願いをし続けてきたわけで、しかし全ての法案についてそうしてきているというわけではない。
 ここを一緒にしてはならん。
 
 あと結局、政治論と法律論は違うって話でね、民主党も沖縄の件、地元が反対してもそれが日本の国益になるっていうなら、強引に進めればいいじゃん。
 地元の合意が得られなくても、法律を通すことは出来るよ。
 それが正しいと、100年後の後世には絶対に評価されると信じられるなら、やればいいんじゃないかな。
 直近の選挙で負けても、まぁそれはそれで政治論の話だから、それをもって法律が間違っていたとは言えないよねって話でね。
 
 これは特に増税の話ではこのような構図になるよね。
 自民党も、消費税導入は必ず後世のためになると信じて、大批判されようが、直近の選挙で負けようが導入した。
 あの時のことを覚えている人はもう少ないかもしれないけど、日本中異常なぐらい大反対コールだったよ。
 でもそれでも自民党は導入した。
 そして選挙で負けた。
 でもね、いま思えば、あの時のその判断は正しかったとオレは思うよ。
 政治論というか選挙論と法律論は別だっていう、象徴的な例だね。
 
 だから、話し合いの存在の有無が、その法律や条令の正誤に直結しているわけじゃないんだよ。
 ここをごっちゃにして誤解しないようにね。
 
 次、議論板から。
 
751 名前:名乗るような名などない:10/12/21 23:55 ID:BnfNvUrrhY
 本来、建前を押し通すために解決のための努力をみせなきゃいけない立場だってのに、その辺りの努力を全く見せない(どころか会話拒否だのパブコメ黒塗りだの、悪く見せるようなことしかしていない)以上、正直評価を下げざるを得ないというか。
 残念ながら条例案そのものに反対する理由にはならない、とあまおちさんは書いたけど、むしろこちらからすれば、賛成してやる理由が無いんだよね。建前を建前として見せることを放棄してるんだから。
 それどころか、本音を語っている人間はむしろ条例案の中身を理解してないようなのが多いし。
 
 うん。
 これは知事側がするのか議会側がするのかどっちかは微妙だけど、対応が悪かったのはそうだと思うよ。
 オレはそこは擁護するつもりないよね。
 んだから、知事にしても議会議員にしても、次の選挙の際に「条例を通す際に利害関係者にしっかりと説明しなかった責任は大きい。よって落選するに望ましい」と言う分には構わないんじゃないかな。
 特に猪瀬なんて、ありゃ二度と政治の世界に関わって欲しくないと、オレは個人的には思うよ。
 
 あと、「賛成してやる理由が無い」っていうのもいいんじゃないかな。
 別にオレも、積極的に賛成の後押ししてやるつもりなんてさらさらないし。
 あってもなくても困らない、ただ反対論のデマっぷりは、人権擁護法案などに関わってきた身としては「またかぁ」と思わざるを得なかったし、また同時に、どう考えてもエロ本として描かれたエロ本が18禁にならずに野放しになっている現状は常識的に考えておかしいだろうと思ったという部分が大きいわけだ。
 自分からはどうこうしようと思わないけど、こんなの規制されてもしゃーないよねっていうのがオレの感想。
 
>変態って言われたら、意見が封じ込まれるの?
 
民主党はものの見事に意見が封じ込まれましたね。支援者から「変態」のレッテルを貼られるのは堪えるそうです。
 
 ああ、議員はそうかもしれないね。
 ただなんつーか、これも、結局民意の程度の話だからねぇ。
 理想的には「本音と建前」の話をする際に本音で語れるっていう状態がいいんだけど、なかなか「エロも18禁としてわけた上で人間生活に必要でしょ」って公の場で語れる人って少ないっていうのは現状だよね。
 まぁむずかしい。
 だから有識者とか有名人とかがそう言えればいいんだけどねぇ。
 さらに言えばその分、選挙を気にしない一般人が正々堂々と正論を述べればいいんじゃないかな。
 
 それはそれとして、しかしこれは選挙の話になるからね。
 そういう綺麗事しか考えないような支援者以上の支持を、マンガ側が与えられるのであれば、議員はそっちにつくと思うよ。
 それも含めてオレは前回、業界側ももっとやれることがあるんじゃないかって言ったんだよね。
 ロビー活動とかなんとか。
 
 まぁとにかく、法律論と政治論・選挙論は別もので、後者に関しては色々とやりようはあるんじゃないかとオレは思うよ。
 
752 名前:名無しサン:10/12/22 00:42 ID:YfG9N2FX7s
 鸚鵡返し論法に踏み切る時というのは、こうやって議論が済んでない内から空気作りだけで世論持っていかれて実害被るのを防ぎたい時なんだよ。
 
 やるなら「それはデマだ」と指摘するのが正当だろうよ。
 相手が汚い手を使ってくるから、こっちも汚い手を使えばいいというのは、ただ汚いだけだ。
 そんなものに正当性はないね。
 戦うなら最後まで正義として戦いなよ。
 
あおまちさん、今起こってる事で最も恐れられているのは文化がダメージを受ける事だよ。
単純にエロ漫画が無くなるとかそういう事じゃないんだ。
何の根拠も無いくせに、石原や猪瀬みたいに公然と漫画やアニメやそれをを馬鹿にしてくる人が現れる。
反対派のオタク達だけに飽き足らず、ちゃんと議論の場でデマを指摘しにいった議員まで変態呼ばわりされる。
 
 うん、だから、それはそれで別でやればいいんじゃないのって言ってるよね。
 というか、オレは当サイトはやってるよ?
 貴方いまやってる?
 いままでなにかやってきてた?
 オレは自分が出来る範囲で、「フィギュア萌え族」なんていうクソ馬鹿な発言をしていた大谷を大批判したよ。
 オレは自分が出来る範囲で、「性犯罪は再犯率が高い」という事実に基づかないデマに対して、理論的に反論し続けているよ。
 この前もミクシィのニュースで性犯罪は再犯率が高いという誤解があったから、日記を書いて、さらにオレの日記に反論してきた奴らをことごとく論破していったよ。
 当サイトはね、そういう文化とかという面に関しては、常日頃から堂々と論を掲げているよ。
 変態と言われようがロリコンと言われようが、当サイトの主張は恥ずかしいものなど何もないもの。
 
 文化論は文化論でやろうや。
 ここに法律論は直結しないんだよ。
 だから貴方もこれから文化論を、自分でブログでもつくってやってよ。
 最後はこういうひとりひとりの声が集まることが一番の力になるんだよ。
 「条文を倒す」という闘争の時だけわーっとやっても、それはただのブームでファッションにしかならないんだよ。
 その方がむしろ白い目で見られるんだよ。
 文化論は文化論で日常的にやろうや。
 オレもやってるからさ。
 
755 名前:名無しサン:10/12/22 07:06 ID:A81v6l0LVQ
 そもそも犯罪抑止の効果がない。むしろ捌け口を封じられて暴走を引き起こす危険性があるという点を全然認識してないね。
 規制の厳しい諸外国の方がレイプ犯罪多いのは何故?説明してくんない?
 
 オレは犯罪抑止の話なんてしてねーよ。
 オレの文章読んでる?
 
 んじゃさあ、「エロ規制は犯罪抑止に効果がないから全廃しましょう。エロDVDもエロゲーもなんでも、18禁という境界線をやめましょう」って主張すれば?
 それは今回の都の条例の段階の話ではなく、法律レベルの話だから都の条例とは直結しないけど、論としては主張する自由があるんだから、主張すればいいと思うよ。
 
749 名前:東風:10/12/21 20:50 ID:EOF83Xo/hQ
そういえばそもそもエロは隠すべきだって論の根拠はどこにあるのだろうか、
もちろん私もそういったものは隠さないと問題だろという感情は持ってるけど、
その根拠は何かと聞かれると思いつけない。
 
ものすごい極論ですがエロは隠すべき」だというのは根拠がない感情論に過ぎず、
実質デマと等しいってことはないんですかね?
 
同じ微妙なものとして前出ていたグロなんかは、
隠されるあまりに、生きるために必要不可欠な食料を作るための屠殺ですらグロくて見れない、なんていう状況を作ってますし。
実は感情論で過剰に否定してるだけなんじゃないかと言う疑問が沸いてきてしまいました。
 
できれば否定してもらえると幸いです。
 
 感情と常識って違うからね。
 常識とか慣例とかは裁判の場でも法的根拠にもなり得るわけで、18禁にしたって、今の段階では「未成年にエロから隠すのは当然」という考え方は日本国民のコンセンサスを得ている状態と言えよう。
 また法令がそれを担保している部分もある。
 今回の都の条例は、まずこのベースがあってこそ成り立っているのだから、これについて根拠はないとは言えないわな。
 
 ただ、この部分を否定する論を張るというのは、言論の自由の観点からは間違っちゃいないと思うよ。
 「エロは子供にも見せてもいいだろ」っていう論を張るのは自由。
 ただそれは、今回の条例の是非には直結しないよって話なだけでね。
 
 あとこれは全然別の話になるけど、屠殺については、そりゃ今も昔もグロには違いなんだから、見たくないという感情は当然だと思うよ。
 「可哀想だから殺さないで」と「気持ち悪いから見たくない」というのは、全然別の話でね。
 感情論と常識論はちょっと違う。
 その上で、常識論に反論を試みるっていうのは、間違ったことではないと思うよ。
 



平成23年1月7日

 立法の問題と行政の問題をごっちゃにしちゃいかんって

 新年一発目のオレである。
 今日はだな、一行ボードですごく典型的なパターンな書き込みがあったから、それを題材に書いておこうと思う。
 例の都条例の話だな。
 
 事の発端は、どうもどこかのコンビニかなんかでエロいマンガが載っていない雑誌まで18禁コーナーに置かれていた現場を発見したとかいう情報が流れたからのようだ。
 
 【青少年条例後のコンビニ?】これは酷い・・・東京の某コンビニでは4コマ誌とかエロくない本まで成人向けに入れられてる件
 
 まぁこれの真偽はともかく、こういう情報が流れたと。
 そして当サイトの一行ボードに以下のような書き込みがあった。
 
名無しサン<01/06 08:38>
 エロと関係ない漫画雑誌も成人向けに置かれるようになったね。誰だよ、規制されるのはエロ漫画だけだってデマ流したの
 
 明らかに上の記事のことだろう。
 
 しかし、その上記リンク先のコンビニはともかく、都内全てのコンビニがそうなっているわけではない。
 実際オレはこんな光景を見たこともないし、穿った見方をすれば、上記リンクの写真はコンビニ店員が写真撮影のためだけに一瞬そのように置いただけで、ずっとこの状態ではない可能性だってある。
 もちろんずっとこの状態だという可能性もあるが、少なくとも全てのコンビニがそうではないというのは確かだ。
 だから次にこんなコメントが書き込まれた。
 
名無しサン<01/06 09:26>
 ↓うちの店じゃ今までどおりだが?w
 
 全部のコンビニがそうでない以上、これは当たり前の反応だろう。
 ただ今回の問題は、この流れで書かれた次のコメントである。
 
名無しサン<01/06 17:18>
 そういう差異事態がありえんだろ。問い合わせたってマトモな説明受けられない、ライン自体が誰も自信無い。
 
 よくありそうな反論である。
 が、しかし、ここで論点がズレてしまっていることに気付いただろうか。
 
 最初の書き込みは、その正否はともかく、内容は立法の問題だ。
 今回の問題は地方自治体の条例の話だから厳密には立法ではないのだが、便宜上立法と呼ばさせてもらう。
 しかしその後の書き込みの内容は行政の問題だ。
 行政の対応の問題だよな。
 つまり、「規制されるのはエロ漫画だけだ」っていうのは立法の問題であるはずなのに、後の書き込みでの「問い合わせたってマトモな説明受けられない」ってのは行政の問題であるのだから、ここで論点がズレてしまっていわけなのだ。
 
 「条例によって規制される」って状態は、これは条例によって強制権を持って行われる状態のことを指し示す。
 「規制」だからな。
 だからもし、条例の条文に基づいて都や警察から正式に「この(非エロ)マンガも18禁コーナーに置きなさい」と命令があったというのであれば、「規制されるのはエロ漫画だけだ」という主張がデマだったことになるだろう。
 しかし現実は違う。
 都の条例は東京都全体に効力を発揮するものである以上、都内のあるコンビニには命令が無く、あるコンビニだけに命令があったという状態はあり得ない。
 よって店によって対応が違うという状態は、都条例が直接効力を発揮した結果ではないのである。
 
 この状態は「規制」ではない。
 自主規制だわな。
 しかもちょっと行き過ぎた。
 
 だから、これをもって「条例そのものがおかしい」とか「だから反対だ」とか「デマだ」とかいう主張の論拠にはならない。
 オレがいつも言っているのは、法律や条令はその条文をもって判断しろってことだよな。
 もしこれが都の正式な命令であれば条文上に不備があったと言うべきところだ。
 しかしそうではないのだから、条文上はやはり問題は無いと言うのがいまのところ妥当だろう。
 「問い合わせたってマトモな説明受けられない」というこれは、行政の問題、行政の話であって、条例の条文とはかけ離れた話でしかない。
 条文の中身についての立法の問題、法律論の問題では全く無いのだ。
 この論拠を持って、その法律の正否は問えないのである。
 
 行政の問題については、オレはあまり触れていない。
 行政としては丁寧にやった方がいいとは思うが、丁寧じゃないから法文がおかしいということにはならないという趣旨の発言をしているだけ。
 
 その上で蛇足的にはなるが考えるべきなのは、行政の問題というか運営の問題があるのであれば、それこそ業界がキチンと一致して対応すべきだろうと。
 「差異事態がありえん」というのは、これは業界が対応していないからだろうと。
 業界として「この雑誌は18禁コーナーへ、この雑誌は一般コーナーへ」と対応していれば、差異など出はしないだろう。
 むしろ会社単位ですらまともに対応していないとしか言いようのない現状だ。
 これは出版業界なのか、流通業界なのか、小売業界なのか、どこが妥当なのかはとくもかくだ、そういう業界としての対応が必要だというのは確かだ。
 果たして業界はこれをやっているのか?
 ただただ反対反対という言葉を繰り返して、何もしていないのではないのか?
 もしそうであれば、オレは「お前らなにしてんねん。ちゃんと仕事せーや」と言いたい。
 
 行政というのは、国民の安楽装置ではない。
 これは年金の時の散々当サイトは言ってきたことなのだが、政治も行政も主権者たる国民が作るものであって、必要であれば国民から足を運んで利用するものだ。
 申請主義と言ってもいいだろう。
 基本的には国民の方から申請をして、その上で返すというのが、行政の本来のあり方である。
 むしろ日本の行政が世界で最も丁寧な対応をしていると言ってもいいだろう。
 
 もし業界側が「都からの説明が来ないのはけしからん」なんて思っていたのであれば、甚だ政治を理解していない態度としか言いようが無かろう。
 努力不足と言い換えてもいい。
 現実問題、行政とケンカしても損するのは業界の方が大だ。
 特に、次の選挙にはどうせ立候補しない石原都知事ならなおさらだ。
 そういう現実からも目をそらさない方がいい。
 
 もちろん同時に、行政側にもある程度の努力があってもいいとは思う。
 だからこそ、業界がキチンとまとまって、都側と対決姿勢ばかり示すのではなく、現実的な対応としてどうすべきかを考えるのが当然ではなかろうかと。
 それが消費者への安心にも繋がる。
 現実問題として、全ての法律や全ての条例に対して1つ1つを行政がフォローアップしているわけではなく、そんなのは不可能であって、法律が成立した後の運営は国民が追う部分がけっこうあって、だからこそ弁護士という職業があるわけでな、法律を作ったのは政治側なんだからそのフォローも政治側がすべきだなんて言い出したら弁護士なんて職業は不要なわけで、どの世界を見回しても政治はそんな風には出来ていないわけで、それが現実であって、よって今回の業界に関わる問題であれば業界が主体的になって行動しなければならないんだよ。
 
 まぁ今回の主題からはちょっと離れてしまったが、結局、行政の問題は行政の問題であって、法律論ではないということ。
 行政の問題であれば、それはそのように主張すればいいんだよ。
 「都の対応が悪いから現場が混乱してるじゃないか」と。
 確かに都には猪瀬みたいな馬鹿がいるから、都の対応がデタラメな部分もあるかもしれない。
 それはそれで、その部分として指摘していけばよかろう。
 ただそれは、条例そのものの賛否には一切関係のない話だということ。
 「都の対応が悪い」という論は、「ほら規制されたじゃないか」とか「エロマンガだけというのはデマだ」とかいう主張の論拠にはならないのだ。
 別次元の問題だからな。
 
 同時に当然条例そのものの反対論にもならない。
 
 こうやって別次元の話をこじつけて議論しようとするから、いつの間にか議論があさっての方向に行ってしまうのだ。
 条例の話は条例。
 行政の話は行政。
 きちんと分けて考えなければ、なにも話は進展しない。
 むしろデマを産む温床になるだけだ。
 そこは忘れないでほしい。
 



平成23年1月9日

 業界と消費者のためにも業界はいち早く冷静な対応をした方がいいよ

 ひさびさの日曜更新。
 一行に対するレスをちょこっとね。
 
名無しサン
 <01/08 23:12>行政とケンカしても損するのは業界の方が大だ。損をするから言論を主張する方が頭が悪いという論理ですか・・
 
 ちょっと読み違えてるよね。
 それではオレの言っている意味が違っている。
 おそらくこの部分のことを言っているのだろうが、
 
 もし業界側が「都からの説明が来ないのはけしからん」なんて思っていたのであれば、甚だ政治を理解していない態度としか言いようが無かろう。
 努力不足と言い換えてもいい。
 現実問題、行政とケンカしても損するのは業界の方が大だ。
 特に、次の選挙にはどうせ立候補しない石原都知事ならなおさらだ。
 そういう現実からも目をそらさない方がいい。
 
 ここの箇所をよく読んでほしい。
 オレは、「自らの主張を損でもってひっこめろ」なんて言ってない。
 「もし業界が、都から足を運んで都から説明があって当然だ」と思っているのであれば、それは政治行政という観点からも、業界団体という存在意義に関わる損得の問題からも、そんな考え方は間違っていると言っているのだ。
 つまり、業界の動き方の問題だな。
 
 もしね、業界がそれでも自分たちは間違っていない、絶対に正義だと、そう言うのであれば、まぁ頑張ってくれとしか言いようがない。
 実際この行為は最終的には裁判によって解決するしかない、違憲的な立法(この場合は条例だが)は裁判によって覆すことができるので、それが三権分立の基本構造なので、もし立法そのものが間違いだと主張を続けるのであれば、最終的には裁判によるところだろ。
 裁判を起こす権利は誰にでもあるのだから、やるならやればいいんじゃないかなとは思うし、オレはそういう行為までやっちゃいかんなんて言うつもりはない。
 
 しかしそうではなく、業界が「都から動きがあって当然だ。だからオレ達は主体的には何もしない」なんて考えているのであれば、それは「損にしかならんよ」と言っているのである。
 もしかしたらコンビニとかの現場で、どう対応していいのか混乱が生じているのかもしれない。
 だからそれを沈める行為をしなければならないが、それは都の仕事じゃないんだよと、業界の仕事だよと、業界が「都が条例を作ったんだから、現場の混乱を収めるのは都の仕事だ」なんて思っているのであればそれは間違っているよと、業界が損するだけだよと、そう言っているのだ。
 前回言ったように行政はそういう性格のものだし、そして同時業界団体という存在もそういう仕事をする性格のものなのだから、それぞれがそれぞれの仕事をするべきだよと言っているだけなのだ。
 
 
 次。
 
名無しサン<01/09 01:43>
 自主規制が規制じゃない、は無いだろ。7条に従って自主規制してんだぜ。8条だけの問題じゃない。
 
 従ってないよね。
 だって都条例の7条は、非エロの漫画までを18禁にするよう努力しなければならない、なんて書いてないもの。
 だからその行為は、7条に「従って」いないし、「則って」いない。
 条例に書いてないものまで規制しても、それはただの自主規制だし、条例には関係ない話だ。
 
 例えばエロゲーなんてきちんと18禁コーナーに分かれて陳列されているが、ある店で18禁ゲームでない一般向けゲームが18禁コーナーに置かれていた場合、それを見て「規制なんてあるからこんなことになるんだー、規制はダメだー、表現の自由を阻害するんだー」とか大騒ぎするだろうか。
 しないわな。
 普通なら、「あれ? 何でこのゲームがここにあるのかな? 店が陳列を間違えたのかな」と思うだけだろう。
 実際全てのPCゲームが、どの店に置いても18禁コーナーに置かれているわけではないしな。
 
 だから、条例の条文を見て判断しろってことなのよ。
 条文に、非エロ以外の漫画も18禁コーナーに置けやって書いてあるのであれば、それは甚だ問題な条例となることだろう。
 しかしそうではないと。
 だから今のところはこの条例には特に大きな欠陥や問題があるとは言えないというところが妥当なところだろうと言っているだけだ。
 
 もし条文上で大きな欠陥などがあるのであれば、教えておくれ。
 



平成23年1月10日

 反対するには反対する理由を論拠を示せ

 オレのこの問題に対する立ち位置っていうものを、もう一度説明しておこうか。
 というか立ち位置っていう言い方は、自分の立っている場所を固定するかのような言い方だから好きじゃないんだが、まぁ誤解無きよう聞いてくれ。
 
 ハッキリ言えば、オレはこの都条例がどうなろうが知ったこっちゃない。
 あってもなくても、オレは困らない。
 だってオレ成人しているから、18禁漫画でも買うことはできるからな。
 レジが綺麗なお姉さんならちょっと気恥ずかしいぐらいで、むしろそれがちょっと快感になるぐらいで、この条例があってもなくてもたいした問題ではない。
 
 だから、もしこの条例に大きな不備があるというのであれば、オレはこの条例を声高らかに反対してもいい。
 
 ただその反対する理由が無いだけだ。
 反対する理由がないから反対しないだけ。
 そして同時に、いちいち賛成するんだ推進するんだと言うつもりはないし、いままで言った覚えもない。
 これは人権擁護法案とかの当サイトの立場もこれと同じなんだが、どうもこの手の問題になると、熱心になる人は他人を「敵か味方か」でしか見れなくなるようだが、オレはそんな「反対か推進か」みたいな反対派・賛成派なんて立場に組み込まれるつもりはない。
 筋合いもない。
 理由があれば反対もするし、理由があれば推進してもいい。
 一番大切なのは、理由であって、論拠だ。
 そして今のところ反対する理由が無いから反対しないだけ。
 それがあるなら教えてほしい。
 ただそれだけの話だ。
 
 その上でなぜ今回この問題を取り上げたのかと言えば、それは人権法とかの時と同じように、ネット中がデマで蔓延してしまったからだ。
 正直人権法の時、最初取り扱った時にあそこまでなるとは思わなかったので、後からやえと大汗をかきながら勉強したもんだが、あの時の空気は本当に嫌なものだったし、それがまた繰り返されるのを目の当たりにするのは、やっぱり嫌なんだよ。
 また同時に、オレの最初の更新である「本音と建前」といった、現実問題を考えるべき場合における現実のあやふやさを忘れて、原理主義だけを振りかざしている反対論も横行しているというのも嫌だった。
 特にエロなんて、どこまでいっても概念はあやふやだ。
 それを盾にして、曖昧だとか表現の自由だとか言ってしまう原理主義的な純情真っ直ぐ的な運動は、結局そんなの昔のサヨク運動と全く同じなわけで、見ていて気持ちのいいものではないのだ。
 
 そういう気持ちで一石を投じた。
 結果的には、これは良かった。
 敵味方でしか考えられない奴には火の油だったようだが、それ以上に「よく言ってくれた」という反応をたくさんもらった。
 原理主義的な反対運動に嫌気がさしている人はいっぱいいるのだ。
 
 繰り返すが、オレは別に反対を唱えてもいい。
 当然それには、然るべき理由があればの話だ。
 当サイトとして反対すべき理由があるのであれば、今からでもすぐに反対論を唱えるだろう。
 しかし今のところ、その理由がオレには見付けられないのだ。
 今回の都条例、オレにはその成立自体にたいして意味を見いだせない上に、正式な選挙で選ばれた都議が正式な手続きを経て議会にかけて、正式な手段で可決成立されたのだから、もしそれに反対しろって言うなら、その中身に対してこのような不備があると指摘するのがまず先だろう。
 別にオレは成立を推進するつもりは一切無いし、というかもはや成立しているのだからそのような必要すら存在しないのだから、これに反対するというのなら、まずその理由根拠論拠を指し示してほしい。
 昨日も言ったように、条文上で大きな欠陥などがあるのであれば、教えておくれ。
 もしネット上でのこの条例に対する議論が、理路整然としていてデマもほとんどない理性的なものであったとしたら、おそらくオレはこの問題を取り上げることはなかっただろう。
 オレはこの条例がどうなろうが関係ない、知ったこっちゃない。
 あってもなくてもいい。
 だから、もしどうしても反対したいのであれば、この条例に具体的にどこに問題があるのか、教えてほしい。
 
 ツイッターのまとめの人の話ではないが、反対ではない人は敵だと言わんばかりに噛みついてしまっている輩がたくさんいる中では、反対論そのものに嫌気を差してしまうのも半ば当然で、まったくもって損しているなぁと、オレも思う。
 オレは別に運動家するつもりはないから、運動のために正論を捨てろとは言わないが、それにしてももうちょっと考えるべきな気がする。
 オレだけでなく、きちんと冷静に理論的に反対すべき理由と論拠があれば反対の立場に転じる人というのはいっぱいいるんだろうと思うけど、それが出来ていない。
 その理由、それは反対論にとって最も大事な御旗になるべきものであるはずなのに、それが実際に無いのだ。
 それでは人を動かす力にはならない。
 オレは反対論にもっと頑張れと言うつもりも理由も今のところ無いが、とても損しているなとは思う。
 
 そしてデマでもって動かそうとしても、必ずデマに対しては「それはデマだ」と指摘する人が現れるだろう。
 むしろ反発を食らうだけだということは知っておくべきだろう。
 



平成23年1月13日

 行政と政治家と業界団体

 今日も例の都条例がらみの話なのですが、これも都条例に限らず政治全般、というかむしろ、国政のお話になりますから、やえが担当したいと思います。
 行政は、民間の業界団体どどのような付き合いをしているのかというお話です。
 
 話の発端は、例の都条例にからんで、東京都の行政が業界に説明や対応をしないのはけしからんじゃないかという意見からです。
 現場が現に混乱しているじゃいないか、だから行政が対応すべきじゃないか、対応できないならそもそも条例を成立させるべきではなかったんじゃないのか、という、そんな意見ですね。
 まぁ実際現場が混乱しているかどうかはともかくとして、では果たして行政としてはどのような対応をとるべきなのでしょうか。
 
 まず大前提なのですが、法律や条令が出来た際、その関連業界に対して行政の方から説明会を開いたりガイドラインを作ったりするコトは、それは法的義務がある行為ではないというコトです。
 別にそんなコトしなくても、法的にはなんら問題はありません。
 都の条例はどれぐらい年に可決しているのかはやえはちょっと分かりませんが、法律で言っても、一年で100近い法律が成立するのですから、これに全て丁寧な説明会やガイドライン作成をするというのは、ちょっと現実的には不可能でしょう。
 公務員を倍ぐらいに増やせば可能かもしれませんが、中央省庁はいつでも人手不足なのです。
 まずこの前提があります。
 
 その上で、それでも行政が丁寧に対応するというのは、良いコトだとは思います。
 丁寧にしないよりかは、丁寧にした方が全然いいでしょう。
 ですから実際に丁寧に対応する場合もあります。
 ここで注目すべきは、その行政が丁寧に対応した場合の理由が、いくつかのパターンに分けられるという点です。
 
 ここで注意点なのですが、以下のお話は全て国政のお話になってしまいます。
 ちょっと都政の話はやえはよく分からないですから、もしかしたら都政の話とは当てはまらない場合もありますので、そこはご注意下さい。
 
 1つは、行政が完全に自主的に行うというパターンです。
 その方が国民のためだと思って、言い方はアレですが役人の親切心で行うというパターンです。
 2つ目は、業界が直接行政とつながりがあって、業界の要請によって行政が説明を行うというパターンです。
 そして3つ目は、議員が業界とつながりがあって、議員からの要請によって行政が説明を行うというパターンです。
 これらは特に決まり事や法律があるワケではありませんから、様々なパターンが複雑に絡み合っているコトが多いので、紋切り型にはあまり出来ないのですが、簡単に説明すれば、このようなパターンが考えられます。
 
 実際のところ、どのパターンが一番多いかは、ちょっと分かりません。
 統計なんてあるワケ無いですしね。
 ただ1つ言えるコトは、国政であれば大きな業界、特に政治や法律に近い業界、例えば金融機関ですとか建設関係ですとか、そういう業界は議員と普段から付き合いをしていて、それはこういう時のためにお付き合いをしているワケです。
 つまり、何かあった時に、行政に対してアクションを起こさせるよう、議員サイドからテコ入れしてもらうためです。
 そもそも法律を作るのは、行政ではなく立法府であり、その構成員は議員です。
 法律を作る段階で議員が行政に「業界に十分な説明をするように」と言えば、それは行政はキチンと動きます。
 また国政では議員連盟という形で、法案審議の前段階で業界団体を呼んで、ヒアリングや勉強会を開いたりするなどの活動も国会議員はしていますから、普段から議員とお付き合いをしていれば、そういう場での事前の説明なども業界としては受けられるのです。
 そのために業界団体は、国会議員と普段からの「お付き合い」をしているワケです。
 これを癒着と呼ぶかロビー活動と呼ぶかは人それぞれでしょうが、でも現実的な対応であるというコトは確かでしょう。
 
 また、業界団体が行政と直接つながりを持っている場合もあります。
 ありますというか、大きな業界団体であれば、議員と同時に行政ともある程度のパイプは持っているでしょう。
 行政とのパイプの場合、あまりおおっぴらにやると癒着になりますし、官僚の方もそれを防止するために人事異動が頻繁にあるワケですが、それでもその部署にはある程度の、話が出来る程のパイプは持っているコトはあります。
 法律や行政について問い合わせをしたりするコトが多いのであれば、それはむしろ当然と言うべき行為でしょう。
 
 そう考えたとき、果たして今回の出版業界は現実的対応をとっていたのかどうかという点において、やえはちょっと疑問なのです。
 国政的な感覚で言えば、それなりの数と質だけ議員にパイプを持っていれば、行政にある程度のガイドラインを作成させるぐらいのコトは出来たのではないかと思うのです。
 議論板の方で、「行政はよく業界に説明会を行っているよ」という書き込みがありましたが、これも果たして完全純粋に行政の判断だけで説明会が行われたモノかどうかというのは、ちょっと判断が付きません。
 もしかしたら業界の要請や、議員が仲立ちした可能性は十分にあるでしょう。
 他の業界はそうやって現実問題に現実的な対応をとっているワケです。
 
 あまおちさんがいつか「出版業界はロビー活動などやれるコト、やるべきコトはまだまだたくさんあるだろう」というようなコトを言っていたと思うのですが、それはこういうコトも含めた話なのでしょう。
 それならやえもそう思います。
 今回の話というのは地方自治体の地方議会の話ですから、出版社ぐらいの大企業がどれだけそこにロビー活動をしているのかはちょっと分かりませんが、しかしこの規制の条例のお話はかなり前からあった話なのですから、やれるコトは色々あったと思います。
 それをやらずして文句だけ言うというのは、政治的な観点から見たら、ちょっと違うんじゃないかなぁと、やえは思います。
 
 あまおちさんの言っているコトは、条例の中身について見れば特に問題は見あたらないだろう、それと行政の問題は別だというモノのハズです。
 ですからもし、条例の内容を越えた行為を行政が行う、例えばこの条例を楯に発売禁止などを迫るのであれば、それはもはや条例とは関係のない話となるワケで、ここは行政の問題として考えるべきだというモノでしょう。
 東京都の行政と業界団体の間の問題なワケですね。
 そして、東京都の行政に全く問題はないとは言えない、むしろ猪瀬副知事なんかは政治家としては不適切だとまで言っているワケ、よって行政に問題があると思うのであれば、行政に対する意見をすればいいと思います。
 そして、意見もいいですが、現実的対応としてはやはり、業界団体がキチッと行政と話し合いをして、条例に基づいた、条例から逸脱しない対応をとっていくというのが一番だとやえは思います。
 
 これは全ての政治的な事柄に当てはまりますが、法律とはその法律だけで全てが決まるワケではなく、法律の下に省令とか政令とか色々あって、さらに運用面でも様々あって、そして当事者同士の慣例とか話し合いの中で決まっていくモノもあって、それら全ては現実的に運営されているモノなのです。
 その中で出来るコトというのは少なくありません。
 もちろん法律からこれらが逸脱するコトはありませんが、法律だけで全てをガチガチに縛るコトも出来ないのも現実であるのですから、ここをうまく利用するのが現実論というモノでしょう。
 そのために、それぞれの立場の人が様々な知恵を絞って、現実的に対応してこそ、現実に即した運用が出来るのではないかと思います。
 



平成23年1月13日

 行政と政治家と業界団体

 今日も例の都条例がらみの話なのですが、これも都条例に限らず政治全般、というかむしろ、国政のお話になりますから、やえが担当したいと思います。
 行政は、民間の業界団体どどのような付き合いをしているのかというお話です。
 
 話の発端は、例の都条例にからんで、東京都の行政が業界に説明や対応をしないのはけしからんじゃないかという意見からです。
 現場が現に混乱しているじゃいないか、だから行政が対応すべきじゃないか、対応できないならそもそも条例を成立させるべきではなかったんじゃないのか、という、そんな意見ですね。
 まぁ実際現場が混乱しているかどうかはともかくとして、では果たして行政としてはどのような対応をとるべきなのでしょうか。
 
 まず大前提なのですが、法律や条令が出来た際、その関連業界に対して行政の方から説明会を開いたりガイドラインを作ったりするコトは、それは法的義務がある行為ではないというコトです。
 別にそんなコトしなくても、法的にはなんら問題はありません。
 都の条例はどれぐらい年に可決しているのかはやえはちょっと分かりませんが、法律で言っても、一年で100近い法律が成立するのですから、これに全て丁寧な説明会やガイドライン作成をするというのは、ちょっと現実的には不可能でしょう。
 公務員を倍ぐらいに増やせば可能かもしれませんが、中央省庁はいつでも人手不足なのです。
 まずこの前提があります。
 
 その上で、それでも行政が丁寧に対応するというのは、良いコトだとは思います。
 丁寧にしないよりかは、丁寧にした方が全然いいでしょう。
 ですから実際に丁寧に対応する場合もあります。
 ここで注目すべきは、その行政が丁寧に対応した場合の理由が、いくつかのパターンに分けられるという点です。
 
 ここで注意点なのですが、以下のお話は全て国政のお話になってしまいます。
 ちょっと都政の話はやえはよく分からないですから、もしかしたら都政の話とは当てはまらない場合もありますので、そこはご注意下さい。
 
 1つは、行政が完全に自主的に行うというパターンです。
 その方が国民のためだと思って、言い方はアレですが役人の親切心で行うというパターンです。
 2つ目は、業界が直接行政とつながりがあって、業界の要請によって行政が説明を行うというパターンです。
 そして3つ目は、議員が業界とつながりがあって、議員からの要請によって行政が説明を行うというパターンです。
 これらは特に決まり事や法律があるワケではありませんから、様々なパターンが複雑に絡み合っているコトが多いので、紋切り型にはあまり出来ないのですが、簡単に説明すれば、このようなパターンが考えられます。
 
 実際のところ、どのパターンが一番多いかは、ちょっと分かりません。
 統計なんてあるワケ無いですしね。
 ただ1つ言えるコトは、国政であれば大きな業界、特に政治や法律に近い業界、例えば金融機関ですとか建設関係ですとか、そういう業界は議員と普段から付き合いをしていて、それはこういう時のためにお付き合いをしているワケです。
 つまり、何かあった時に、行政に対してアクションを起こさせるよう、議員サイドからテコ入れしてもらうためです。
 そもそも法律を作るのは、行政ではなく立法府であり、その構成員は議員です。
 法律を作る段階で議員が行政に「業界に十分な説明をするように」と言えば、それは行政はキチンと動きます。
 また国政では議員連盟という形で、法案審議の前段階で業界団体を呼んで、ヒアリングや勉強会を開いたりするなどの活動も国会議員はしていますから、普段から議員とお付き合いをしていれば、そういう場での事前の説明なども業界としては受けられるのです。
 そのために業界団体は、国会議員と普段からの「お付き合い」をしているワケです。
 これを癒着と呼ぶかロビー活動と呼ぶかは人それぞれでしょうが、でも現実的な対応であるというコトは確かでしょう。
 
 また、業界団体が行政と直接つながりを持っている場合もあります。
 ありますというか、大きな業界団体であれば、議員と同時に行政ともある程度のパイプは持っているでしょう。
 行政とのパイプの場合、あまりおおっぴらにやると癒着になりますし、官僚の方もそれを防止するために人事異動が頻繁にあるワケですが、それでもその部署にはある程度の、話が出来る程のパイプは持っているコトはあります。
 法律や行政について問い合わせをしたりするコトが多いのであれば、それはむしろ当然と言うべき行為でしょう。
 
 そう考えたとき、果たして今回の出版業界は現実的対応をとっていたのかどうかという点において、やえはちょっと疑問なのです。
 国政的な感覚で言えば、それなりの数と質だけ議員にパイプを持っていれば、行政にある程度のガイドラインを作成させるぐらいのコトは出来たのではないかと思うのです。
 議論板の方で、「行政はよく業界に説明会を行っているよ」という書き込みがありましたが、これも果たして完全純粋に行政の判断だけで説明会が行われたモノかどうかというのは、ちょっと判断が付きません。
 もしかしたら業界の要請や、議員が仲立ちした可能性は十分にあるでしょう。
 他の業界はそうやって現実問題に現実的な対応をとっているワケです。
 
 あまおちさんがいつか「出版業界はロビー活動などやれるコト、やるべきコトはまだまだたくさんあるだろう」というようなコトを言っていたと思うのですが、それはこういうコトも含めた話なのでしょう。
 それならやえもそう思います。
 今回の話というのは地方自治体の地方議会の話ですから、出版社ぐらいの大企業がどれだけそこにロビー活動をしているのかはちょっと分かりませんが、しかしこの規制の条例のお話はかなり前からあった話なのですから、やれるコトは色々あったと思います。
 それをやらずして文句だけ言うというのは、政治的な観点から見たら、ちょっと違うんじゃないかなぁと、やえは思います。
 
 あまおちさんの言っているコトは、条例の中身について見れば特に問題は見あたらないだろう、それと行政の問題は別だというモノのハズです。
 ですからもし、条例の内容を越えた行為を行政が行う、例えばこの条例を楯に発売禁止などを迫るのであれば、それはもはや条例とは関係のない話となるワケで、ここは行政の問題として考えるべきだというモノでしょう。
 東京都の行政と業界団体の間の問題なワケですね。
 そして、東京都の行政に全く問題はないとは言えない、むしろ猪瀬副知事なんかは政治家としては不適切だとまで言っているワケ、よって行政に問題があると思うのであれば、行政に対する意見をすればいいと思います。
 そして、意見もいいですが、現実的対応としてはやはり、業界団体がキチッと行政と話し合いをして、条例に基づいた、条例から逸脱しない対応をとっていくというのが一番だとやえは思います。
 
 これは全ての政治的な事柄に当てはまりますが、法律とはその法律だけで全てが決まるワケではなく、法律の下に省令とか政令とか色々あって、さらに運用面でも様々あって、そして当事者同士の慣例とか話し合いの中で決まっていくモノもあって、それら全ては現実的に運営されているモノなのです。
 その中で出来るコトというのは少なくありません。
 もちろん法律からこれらが逸脱するコトはありませんが、法律だけで全てをガチガチに縛るコトも出来ないのも現実であるのですから、ここをうまく利用するのが現実論というモノでしょう。
 そのために、それぞれの立場の人が様々な知恵を絞って、現実的に対応してこそ、現実に即した運用が出来るのではないかと思います。
 



平成23年1月17日

 どんな表現なら許され、どんな表現ならダメなのか、その議論がまったく出てこない

 なんだかあまおちさんにつられて、都条例のお話をやえまでしてしまっているワケですが、今日はそもそものお話をしたいと思います。
 
 これは人権擁護法案の時も一緒で、また当サイトとしても当時そう主張したのですが、そもそもこういう問題が起きた時に、では根本的にその問題についてどう考えるのかという視点がまるで出てこないんですね。
 例えば人権擁護法案の時は、「では何が差別なのか」「どのような対応を取れば差別なのか」「どうすれば差別ではないのか」という、根本的な問題に対する議論をその機会にすべきのハズなのですが、ほとんど出なかったというのが現状でした。
 結局この法案がすでに死に法案になっているのにも関わらず、いまでもそんな議論はほとんどありませんよね。
 あの時血眼になっていた人たちはどこに行ったのでしょうか。
 そして人権法の時にも散々「この法案は定義が曖昧だ」と言われてしましたが、ある程度法律は曖昧であって当たり前で、むしろ曖昧だからこそ、法律議論の場ではない、こうした一般常識の部分の議論の結果が反映できるようになっているワケですから、法律論もいいですが、本来ならこちらのそもそも論の方こそを熱心に議論すべきなのです。
 
 そして今回の都条例も同じです。
 条例の中身の議論もいいですし、行政の話をするのもいいです。
 しかし、表現の自由というモノを守るというのであれば、一番しなければならない議論は、「ではどんな表現なら許され、どんな表現ならダメなのか」という、根本の問題を考えるべきなのではないのでしょうか。
 
 この命題は難しい問題です。
 昔からずっと考えられてきた問題でもあります。
 あまおちさんがツイッターでも言っていたように、筒井康隆さんの断筆宣言や、小林よしりん先生の『差別論』などは、この表現の自由の問題から始まった動きです。
 よしりん先生はデビューしたての頃から、マンガのセリフについて編集サイドから「これはダメ、ここは変えて」と言われていたと、それはどうなんだとずっと思っていたと『ゴーマニズム宣言』で言っていました。
 そしてそれについて、ひとつの方法として「だったら公開討論しようじゃないか」と、そこまで言っていました。
 ちょっと手元に本がないのでアレですが、例えば確か「阿呆」はダメで「馬鹿」なら通ったとか、そんな編集者とのやりとりを描いていました。
 結局そんな細かいやりとりの中で、何が良くて何がダメなのかというのは、実に曖昧でしかないのです。
 こんな微妙で些末な「表現の自由の問題」なんて、昔からあったのです。
 そしてそれは、ほとんど法律などの存在に寄らないモノです。
 
 現状でも考えて見てください。
 最近なぜか公の場で「子供」という表現が見られなくなりました。
 これは「共」という字が「付属品」という意味であり子供は親の付属品ではないんだからやめろ、なんていう、そんな理由からなんだそうで、結局最近公の場で見る「子供」とは、ほとんどが「子ども」というひらがな表記になってしまっています。
 やえはこれはバカバカしいにも程があると思っていますが、しかしこれは果たして法によるモノと言えるでしょうか。
 全然違いますね。
 結局こういう「規制」というのは、どこが発信源なのかはともかく、なんとなく世間的にそれが常識かのように認識され定着してしまっているから、「規制されてしまう」のです。
 テレビでも出版でも、法によらない規制なんていくらでもあるワケで、そしてそれらのメディア等はどこを向いて規制しているのかと言えば、結局「世間」に向いて規制しているのです。
 規制の実効性を持っているのは、法ではなく「世間」なのです。
 
 だからこそ、世間に訴えるような議論をすべきなのです。
 法律論をしても、それはその法律の中だけの話にしかなりません。
 結局法律があってもなくても、「子供」はけしからんと世間が言えば「子ども」になってしまいますし、児童をレイプする描写が問題だと世間が言えばそれは出版できないようになってしまうコトでしょう。
 それは法があってもなくても同じコトなのです。
 その表現が問題かどうかというのは、世間が決めるのです。
 
 どんな表現が許されるのか、そういう議論をなぜ今しないのでしょうか。
 特に今の時代は、昔と違いネットを使って個人でも情報発信できる時代です。
 「こういう表現が出来ないと言われたが、果たして本当にそうだろうか。自分はこう思うがどうだろうか」と、作家でも誰でも、編集や会社を通さなくても問題提起できるワケです。
 あまおちさんも言ってますが、表現の自由を守るというのであれば、出版社もそうですが、それと最低でも同じぐらい、場合によってはそれ以上に作家こそがその価値を守るべきでしょう。
 
 そして消費者も、その価値を大切にするというのであれば、では何が良くて何がダメなのかというコトを議論すべきです。
 最近出てくる情報というのは、「という可能性がある」とか「編集が言ってきた」とか、必ずしも条例に結びつくとは確認できない、不確定な情報ばかりです。
 もし、この作品が読めなくなるかもしれない、買えなくなるかもしれないと言うのであれば、ではどの部分のどの表現が問題なのか、それがなぜ問題なのか、そこを議論すべきなのではないでしょうか。
 差別問題もエロスもグロ系も、一般との境界線はとても曖昧なモノです。
 当然ですが、表現の自由と言っても、どんな表現でも許されるワケではありません。
 だからこそ、しっかりと議論しなければならないのです。
 
 いくらいま条例や東京都を敵にしてそれを叩く行為をしても、仮にそれで条例が無くなったとしても、世間がそれを認めないのであれば、近い将来また同じようなコトが起こるでしょう。
 いえ次は、法律の段階にまで及ぶかもしれません。
 それでなくても、世間の表現に及ぶ目というのは年々と厳しくなってきています。
 特に18禁関連はなおさらです。
 そうなる前に、その業界やその消費者が世間に対しても堂々と守れるぐらいの正論を持っておくべきなのではないでしょうか。
 普段何もない時にこのような議論をするというのもなかなかキッカケが無くて難しいですが、いまならそういう土壌があるワケです。
 今こそ「どんな表現なら許され、どんな表現ならダメなのか」、そして「なぜ良くてなぜダメなのか」、ここをシッカリと議論すべきだと思います。
 



平成23年1月18日

 今この状況で出来るコト、やらなければならないコト

 果たして誰か最初に動き出すべきだったかというのは、ハッキリとは今更言えないコトです。
 例えばあまおちさんが言っていた、いちごなんとかっていう過激な漫画雑誌とかでも、あれも当初から各地でどうなんだと言われていたと記憶していますし、他にも秋葉原での女性の胸や下着が露出している看板はどうなんだとか、少女漫画の過激性描写やBL漫画ですとか、18禁ゲームの問題ですとか、その手の「どうなんだ」という声はそれなりに前からあったと記憶しています。
 しかし出版業界などの民間業界はそれらの声をどう受け止めたでしょうか。
 抑制するどころが、年々過激になっていっていた気がしてなりません。
 条例が出てきたからという理由で急におたおたしても、それは今更であり、いままで何してたんだと言われても、ある程度は仕方ないのではないでしょうか。
 
 そもそも業界団体の動きはまさにそれです。
 この前やえはロビー活動のコトについて語りましたが、ロビー活動は普段からのお付き合いこそが一番大切ですけど、過激な性表現について問題意識は世間にはそれなりにあったのにも関わらず、では今まで業界は何かやってきたのかと問われても仕方ないのではないでしょうか。
 以前同じような条例案が東京都議会に出されたとき、あの時は都議会議員の民主党が反対したために可決しませんでしたが、この時だって議員に対するロビー活動は出来たハズです。
 この時に世間に対する正論を出すきっかけになったハズです。
 なにか第三者機関とか、ある程度の自主規制的な規定が業界の中で作れたハズです。
 もっと業界も、関係者も、そしてサブカルを好きな人達も、やれるコトはあったのではないでしょうか。
 
 やえは秋葉原に代表されるサブカルを否定するつもりはありません。
 いえむしろもっと発展してもいいと思っていますが、しかしだからと言って、性表現などアングラなモノまでおおっぴらにしていいとは思えません。
 それこそ「節度をわきまえて」発展すべきだと思います。
 そしてここ数年で急激に伸びた秋葉原系サブカルのそういうアングラ的要素は、急に伸びたからこそキチンとした環境を整備すべきだったのではないでしょうか。
 しかし出版業界は、過激な表現をむしろ煽っていたような気がしてなりません。
 正直やえは、もちろん全ての動きを知っているワケではありませんが、「東京都が一方的に」という主張を素直に受け入れるコトは出来ないのです。
 
 ただこれらは、ハッキリ言ってしまえば、今更の話題です。
 もちろんあの時どうだったのかというコトを分析するのも大切ですし、ロビー活動など今後に生かさなければならない課題だと思いますが、その上で、やはり「今できるコト」というモノを考えるのが、秋葉原的サブカルを守る上では大切でしょう。
 
 昨日言いたかったのはまさにここです。
 例えば石原都知事が悪いんだとか、行政の方から交渉を打ち切ったんだとか言っても、ではそんな風に悪者論を振りかざして果たして今それのどこにメリットがあると言うのでしょうか。
 条例案が通る前ならまだ意味があったかもしれません。
 やえは行政論と法律論は別ですべきだと思いますが、条例案が可決する前なら意味もあったかと思います。
 しかし今はすでに条例が可決しています。
 であるなら、いくら石原都知事を悪玉にしたところで、それだけでは何も事態は良くなりません。
 仮に石原慎太郎という人が都知事でなくなったとしても、条例は条例として生き続けますし、行政はそれに基づいて行動するでしょう。
 いくら悪玉論をぶち挙げても実際にはほとんど意味のないコトにしかならず、だからこそ「今できるコト」をしなければならないのではないのかと言いたいのです。
 
 業界団体は業界団体として出来るコトがあります。
 それはそれでやってほしいと思いますが、しかし特に昨日言ったコトは世間に対しての話であって、それは同じ世間から出てこそ意味のあるコトです。
 そして条例がすでに可決している今出来るコトを考えれば、それは今更条例を否定しても何もならないワケで、では条例の中でどう運用していくのか、つまり「何がダメで何が良いのか」という部分を世間に対して訴えるコトこそが、秋葉原的サブカルを守るコトになるのではないでしょうか。
 いくら行政を悪玉に仕立てても、条例は生き続けているのですからね。
 
 例えば漫画とかじゃないですが、昔はヌード写真集でもアンダーヘアーは写ってはならないモノでした。
 でも今はバンバン出しちゃってますよね。
 その過渡期にあった宮沢りえさんの写真集は、その部分でも話題になりましたが、こうして同じ法律の下でも運用によってずいぶん変わる部分はあるのです。
 これはまさしく世間に対する風潮の変化と言っていいでしょう。
 法律がダメだとか行政はダメだなんて主張で変化したのでもなく、法律が変わったワケでもありません。
 ただ単に、世間の考え方が変化しただけなのです。
 
 この辺はあまおちさんが一番最初に話題にした「本音と建前」の部分のお話とも言えるでしょう。
 世間に対する説明・説得というのは、まさに「本音と建前」の話です。
 大人としてここをどう整理するか、キチンと整理してこそ、世間に対して正論を述べるコトができるというモノではないでしょうか。
 
 条例が可決され、いまでもそれが生きている以上、やるべきコトはここにあるハズです。
 そしてやえは、こここそが最も大切な議論だと思います。
 何度でも言いますが、表現の自由なんていう考えはとてつもなく曖昧なモノであり、曖昧だからこそ常に議論した上で、現実的な対応をその時代時代で見つけていくべきなのです。
 昔は良くて今はダメ、今は良いけど昔はダメだったというのは、あって当たり前です。
 表現の自由という考え方こそが曖昧なのですらから。
 だからこそ常にこの問題は考えていかければならないのです。
 
 いま出来るコトは何なのか、出版業界の関係者だけでなく、秋葉原的サブカルを愛する人と、そして全ての人に、そこを考えてもらいたいです。
 



平成23年1月20日

 論拠が明確であるか、そして論拠と結論が繋がっているのか

 けっこうこの話題に飽きてきている人もいるようですが、それでも言いたいコトがある以上、ごめんなさい、続けさせていただきます。
 逆に、こういう言い方もアレですが、当サイトにこの話題を触れて欲しくないという思惑もある場合もありますから、人権擁護法案のときなんてそうだったようで、だから、本当に飽きている人には申し訳ないですが、やえが語るべきと思うまでは語らせてください。
 というか本来あまおちさんの話のハズなんですが、なんでやえが扱っているんですかね。
 まぁ、やえが言うべきところは、わりと一般論的な部分が多いですから、都条例だけに限らない話題と思って呼んでいただければと思います。
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 何でも意見を主張する際には論拠が必要です。
 ただ単に結論だけを言っても、他人にはそれが本当にそうなのか、それが必要なのかは理解も納得できません。
 なんでもそうです。
 例えば「1000円貸して」と言うだけでは、普通は誰も貸してくれません。
 しかしここに論拠を付けると、多少変わってきます。
 「今日お財布忘れて、お昼ご飯が食べれないから、1000円貸して欲しい」と言えば、仲の良い友達であれば貸してくれるでしょう。
 このように、何をするにしても、何を言うにしても、理由とか論拠とか説明とかは大切なモノなのです。
 
 今回の都条例の話は、ここがネックなのです。
 その条例が条例として適切かどうかは、これは法律論であり、条例の条文のみを読んで判断すべきです。
 「この条例は欠陥だ」という結論に対しては、条文をもって論拠とする必要があるのです。
 都知事の言動等は、条文には直結しません。
 都知事のあの発言があったから行政の場や裁判の場ではここの条文は違う文章に変わります、なんてコトはあり得ないワケですからね。
 論拠とその主張の結論の違いがお分かりでしょうか。
 
 行政の問題は行政の問題です。
 石原慎太郎は都知事として相応しくないという主張でしたら、これはその結論としては「ではリコールしよう」とか「次の選挙には投票しない」とか、こうなるワケです。
 都知事として相応しくないから条例は廃止すべきだ、は、論拠と結論が繋がっていないのです。
 これは前回話がごっちゃになりそうなので敢えて書かなかったのですが、例えば条例の廃止案を出すっていう話になった場合でも、ここの結論は結局「都議会に都議会議員を通じて提出する」というのが結論ですから、ここはいくら行政の怠慢を言っても、論拠と結論は繋がっていないんですね。
 条例が欠陥だという理由なら繋がりますが、「行政が仕事しないから議会で条例廃止案を出そう」は、繋がらないのです。
 だから条例の廃止案を出してもらおうという場合には行政の話ではなく都議会議員に対する話をしなければなりませんし、住民投票によるのであれば、住民投票に直結する話をしなければならないでしょう。
 話をごちゃ混ぜにするのは混乱の元です。
 「議員を通じて行政に仕事をさせるよう圧力をかけよう」なら、繋がるんですけどね。
 
 また、論拠そのものが論拠として正当性があるかどうかという問題も、この手の話題にはいつも付きモノです。
 例えば以前のお話で出したと思うのですが、どこかの漫画家さんが編集者から表現を変えるように求められたコトがあり、これについて「都条例の影響が出た」と騒ぎになりましたが、正直これだけでは本当に都条例のせいかどうなのかは判断が付きません。
 編集者が作家に表現を変えるように求めるコトは、昔からよくあるコトだからです。
 よって、この情報だけでは「都条例の影響が出た」とは断定できませんので、これを「この条例は社会にとって不必要だ」という主張の論拠にはならないのです。
 
 どこかのコンビニで、一般漫画雑誌まで18禁コーナーに置かれていたという写真の件も同じです。
 本当に恒久的にこうしているのかどうかの確証はありませんし、そもそも業界や会社からの命令があったワケではないようなので、店長や店員が条例の中身を知らずして過剰反応的にそのような措置をとっている可能性が高い以上、これを条例と結びつけるのは強引すぎる話です。
 今だって「猥褻物陳列罪」という罪があるのですから、例えば一般のマンガ本まで18禁コーナーに置いたその理由として「猥褻物陳列罪が怖いから」と店長が言ったとしたら、それは「猥褻物陳列罪は悪法だ」という主張の論拠になるでしょうか。
 そのように主張するのでしょうか。
 無理がありすぎですね。
 法律や条令に直接的に結びつかない因果関係のない話までその法律に責任を求めるというのは、ちょっと無理な話ですし、こんな行為がまかり通るのであれば、全ての法律が否定されかねない事態になってしまうでしょう。
 
 流通の段階で規制がかかる可能性があるとかいう記事も一部流れたようですが、これもさっきと同じ理由で論拠には成り得ない上に、さらに「可能性」という程度では、ますます論拠にはなりません。
 過剰な自主規制がかかる可能性がある、なんて、ここまであやふやな言い方もないでしょう。
 可能性で言い出すなら、やっぱり猥褻物陳列罪を理由に自主規制する可能性だって否定は出来ないのですから、ではなぜ現行法の時でも騒ぎを起こさなかったのかという話になってしまいます。
 流通が過剰に自主規制するかもしれないと危惧するのであれば、それを論拠として何かを述べるのであれば、それは流通に対して過剰な自主規制をしないよう求める、という主張でなければ筋は通らないです。
 論拠と結論の関係を見れば、こうなるワケです。
 
 結局こういう結論に対して、論拠が成り立たないような主張をしてしまえば、いくら結論が良くても反発は起きます。
 論拠が論拠として成り立っていないのに、それを論拠かのように言って意見を主張していては、その論拠は間違っていると、そう突っ込みを受けても仕方ありません。
 人権擁護法案でも今回の条例でも、当サイトとしてはこれが廃案になろうがどうなろうがあまり興味はありませんし、だから理由があれば反対してもいいのですが、でもその反対する明確な理由が存在する前に、上に挙げたような論拠とならない論拠があまりにもネットに散らばっていては、それはいただけないと言う方が先に来てしまうワケです。
 仮に結論は同じだったとしても、論拠に正当性が無ければその主張に同意するコトはできません。
 同意できないだけでなく、むしろ間違いを指摘するコトの方が正しいあり方ではないでしょうか。
 最初に言いましたように、人を納得させるための力というのは、本来は結論ではなく論拠なのです。
 主張をするためには、なにより論拠を大切にしなければならないのです。
 
 やえはネットの住人ですから、ネットの可能性を信じています。
 だからこそ、ネットの主張は本物であってほしいと思っているのです。
 



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