この前のメルマガでは警察について熱く語ってしまったところ、これがけっこういい感じに反響を頂きまして、気をよくした今日も引き続き警察について語ってみたいと思います。
と言っても、本来これは<s>毎日のように警官とケンカしている</s>あまおちさんの領分なのですが、まぁいろいろとやえもよく話を聞いてますから、あまおちさんの経験などを踏まえて語ってみたいと思います。
右も左も逝ってよし!!
バーチャルネット思想アイドルのやえです。
おはろーございます。
メルマガで書きましたように、いま警察のどこが・なにが一番問題なのかと言うと、これは「警察・警官のサラリーマン化」だとやえは思っています。
と言うと、サラリーマンの方に失礼かもしれませんが、一応具体的にどういうコトなのかと説明しますと、つまり目の前の仕事だけに奔走し、一番大切な「日本の治安を守る」という使命を忘れているという状態のコトを指し示しています。
簡単に言うと、「手段と目的を取り違えている」「手段が目的化している」というコトです。
サラリーマンの方には失礼ですが、これはなんていいましょうか、いわゆる「お役所仕事」という例えと同じような感じでの、サラリーマンという言葉の悪い方の意味ですね。
その警察のサラリーマン化が最も顕著なのが交通取締りなのではないでしょうか。
よく言われるコトに、スクーター(原動機付き自転車)の30キロ制限という法規制はむしろ危ない、というのがあります。
やはり自動車等の走行というモノは流れというモノがあるようなので、それを完全に無視する低速走行は、その流れを断ち切り、他の運転者のストレスを高め、また追い越しする場合には余計なリスクを背負わなければならなくなるので危ないワケなんですね。
運転速度が遅ければ安全だというのは幻想です。
警察はこの妄想にとりつかれ、むしろ大義名分に使っているようなフシがありますが、例えばこちらの方がこのようなコトをおっしゃっていますので引用させていただきますと
合流のポイントは、「スピードを出すこと」この1点に尽きます。
もしかして「スピードを出す=危険」とお考えではありませんか?
たしかに、50キロ制限の道路を100キロで走ったら、危険です。ですが、100キロで流れている道路に、50キロで飛び込むのは、これと同じくらい危険なことなのです。たとえば、高速道路の流れよりもちょっと速い程度まで加速してみましょう。そうすれば、本線を走る車に追突される心配はありません。自分が高速道路を走っている立場だったなら、遅い車が入ってくるのと、速い車が入ってくるのとでは、圧倒的に後者の方が安心です。なにしろ、目の前にスッと入って、そのままどこかにカッとばしていってくれるわけですから。目の前に遅い車がヒョイと入ってきたなら、急ブレーキを踏む羽目になり、これはもう冷や汗モノです。出すべきスピードを出さないのは、安全でもなんでもありません。
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これは高速道路での例えですが、やはり一般道でも同様のコトが言えると思います。
もちろん30キロ制限の道なら関係ないのでしょうけど、50キロ制限の道を30キロで走られると、普通の自動車からするとストレス以外何者でもなくなるワケです。
スピードを出すべきところは出し、抑えるべきところは抑える。
これが自動車等の運転なのですから、その流れをたち切ってしまう30キロ制限は危険なのです。
むしろスクーターが危険だというのであれば、はじめから存在自体を禁止してしまった方がまだマシなのではないでしょうか。
法と現実が乖離してしまっている例ですね。
似たようなコトに、原動機がついていない自転車、普通の自転車ですね、これもあります。
というのも、法的には自転車も車両扱い、スクーターも自転車なワケですが、ですから、本来なら自転車も車道を走らなければ道路交通法違反になってしまうんですね。
しかし実際にはこれを取り締まるコトはまずないと言ってもいいでしょう。
それはそうです。
自転車が自動車等と同じ車道に走られたら危険きわまりないでしょう。
だけど法的に言えば自転車も車両ですし、そもそも50キロ制限の道で10キロで走ってはならないというコトは厳密にはないワケで、この原則論で言えばやはり自転車は車道を走らなければならないハズなのです。
しかし現実にはそんな危険なコトをする自転車は少数ですし、そもそも警察もそこまでは取り締まらないワケで、つまりこれは完全にこれは法が本末転倒に陥ってしまっているワケです。
本来は、どうすれば歩行者も車両も安全に移動が出来るかというコトをまずなによりも第一に考えなければならないハズなのですから、これは早く現実に即したルールに変えなければならないでしょう。
まぁこれらは法律で決まっているので警察だけに責任を求めるのもアレですが、ただこれを法改正するとしたら、議員立法以外では警察庁が立案すべきコトですから、大きな部分では警察の責任だと言えるでしょう。
しかも、警察というのは、この現実的な方のルールを完全に無視して“安全に走行しているスクーター”を法律違反でよく捕まえていたりします。
これはむしろ危険を増している行為と言えてしまうのではないでしょうか。
もちろん警察という存在は法も守らなければならない存在ではありますが、しかしと言うのであれば、スクーターを機械的に30キロ以上出せないように規制するか、スクーター専用車両を作るか、それとももしくはよほど危険な走行をしているスクーター以外は取り締まらないか、どっちかにハッキリさせるべきでしょう。
今の状態というのは中途半端な状態であり、一番危険な状態と言えるでしょう。
こんなコトをしているから、警察は点数稼ぎのためにしかやっていないと言われるのです。
交通取締りは最も手段が目的化してしまっている例です。
春の交通安全期間なんかでよく見かけますが、白バイが交差点等の車道から死角の所に潜んでいて、違反者を見つけたらいきなり表れて捕まえる、というコトをよくしています。
しかしこれもかなり本末転倒、手段が目的化してしまっている例なんですね。
というのも、ではなぜ交通取締りをするのかと言えば、それは交通事故を減らすためです。
なにはともあれ交通事故が減れば警察としては本願成就するワケです。
しかしですね、それなら、警官は姿なんか隠さず、はじめから堂々と道の真ん中当たりにでも立っていればいいハズなのです。
警官がいれば当然運転は慎重になります。
多少流れが悪くなろうとも、捕まるよりはマシだとスピードも全体的に落ちます。
これで事故は減りますよね。
というより、コソコソ隠れて捕まえるよりも、確実に事故の減る数は多くなるでしょう。
それなのに警官は姿の見えないように潜んで、違反者を見つけたら嬉々としてそれを追っかけて、切符を切るワケです。
こんなコトをしているから、警察は点数稼ぎのためにしかやっていないと言われるのです。
今の日本の警察というのは、こういう目の前の仕事ばかりに奔走してしまっているのではないでしょうか。
もしくは、もはやそれが常識にまで、目の前の仕事さえしていれば事故が減る、日本の治安は守られると信じ切ってしまっているかです。
この場合、もはや手遅れなぐらい手段が目的化してしまっていると言わざるを得ません。
しかし本来は、日本の治安を守るためには何をしたらいいのだろうか、というコトを考えるのが筋であり、何をしたらいいのかっていう部分は、はじめに決まっているモノでは無いのです。
栃木の事件だって、桶川のストーカーの事件だって、もちろん他にも理由がありそうですが、やはり一番にあるのは警官の「問題解決のためには何をすべきなのか」という考え方ではなく、「目の前に課題が出されなかった」から動かなかったのではないでしょうか。
目の前に出された課題は無難に出来ても、発展問題ができないという、まさにサラリーマン化という現象だと言えるでしょう。
なぜ日本の警察はここまでになってしまっているのでしょうか。
原因の一つとしては、やはり公務員であり競争相手もいなくて目の前の仕事だけしていればとりあえず定年までは働いていけるからというのがあるのでしょう。
ですからなるべく無難に問題を起こさないように、つまり全てが後手後手にまわっていってしまうワケです。
また、それだけに自分の命を張ってまで国民を助けようとは思わないワケですね。
まさに悪い意味でのサラリーマン化してしまっているのです。
ですからこれらを変えるためには意識を変えるしかないとも言えるでしょう。
しかし今の制度ではかなり難しいコトのように思えてなりません。
困ったモノです。
現職の警官さんとかいたら実のところのお話聞いてみたいところです。
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