神武天皇家
 
図解!神武天皇家の偉大さ!!
 
天皇の継承についての問題Q&A
 
男系天皇継承問題わかりやすい天皇家の問題染色体論法はむしろ本質から遠ざかる出鱈目有識者会議
男系を捨てるというコト男系天皇問題プチQ&A
天皇と自分天皇家は比類無き唯一の天皇家天皇家は比類無き唯一の天皇家2
国民の心に訴える天皇家は宮家あって継承されてきた天皇は日本の守り神
 
「皇室典範に関する有識者会議」の報告書に異議を申し立てる 1「皇室典範に関する有識者会議」の報告書に異議を申し立てる 2「皇室典範に関する有識者会議」の報告書に異議を申し立てる 3「皇室典範に関する有識者会議」の報告書に異議を申し立てる 4皇室典範に関する有識者会議の報告書に対する異議申し立てまとめ
どうすれば皇室典範改正を阻止できるのか(上)どうすれば皇室典範改正を阻止できるのか(下)



平成18年2月10日

 図解!神武天皇家の偉大さ!!


 

平成17年10月31日

 男系天皇継承問題

 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 
 さて。
 今日は天皇家の継承問題について触れてみたいと思います。
 と言っても、この問題なかなか難しいですので、もし間違いがあればご指摘いただければ幸いです。
 
 とりあえずおさらいです。
 現在の皇室典範によりますと、天皇には男性しかなれないコトになっています
 そして、次の天皇になられると思われる皇太子さまは当然男性の方なのですが、しかし皇太子さまのお子様は愛子様という女の子しかお生まれになりませんでしたので、直系には皇太子様を最後に男子がいなくなってしまうコトになります。
 となれば、当然次は誰が天皇に即位するのか問題になってしまいますね。
 ただ、天皇家は必ず直系ではなければならないという決まりはないですから、この場合には皇室典範で定められた通りの後継者を決めるコトになります。

 第2条 皇位は、左の順序により、皇族に、これを伝える。
 1.皇長子
 2.皇長孫
 3.その他の皇長子の子孫
 4.皇次子及びその子孫
 5.その他の皇子孫
 6.皇兄弟及びその子孫
 7.皇伯叔父及びその子孫

 その辺は昔の更新で触れているのでご覧下さればと思うのですが、簡単に言えば、今上天皇の子供が優先されるコトになりまして、そこで途切れれば今上天皇の兄弟(実質弟ですね)、その次がそのご兄弟のご子息、最後に今上天皇のおじさんとそのご子息、という流れになります。
 
 で、愛子様の問題の際には、つまり今の皇太子さまの御世の時代の話になるワケですから、分かりやすく言えば平成の次の時代であり、今上天皇は今の皇太子さまでいらっしゃる時代で考える必要があります。
 その時代、もし皇室典範に変更が加えられず、男性のみの場合で皇位を考えたらどうなるでしょうか。
 
 1は現在のところいらっしゃらないコトになります。
 2も愛子様が女の子ですから、仮に愛子様に男の子が生まれたとしても、皇長孫にはあたらないと解釈すべきでしょう。
 3と4と5も、愛子様にはご兄弟がいらっしゃらない現在で考えるなら、これも該当しないコトになります。
 6ですが、ここにきてようやく当てはまる方がいらっしゃるコトになります。
 今上天皇が皇太子さまであると仮定しての話ですから、つまり皇太子さまの弟宮様でいらっしゃる、あのお髭がチャーミングなナマズの秋篠宮さまのコトですね。
 で、そこまではいいんですが、しかし秋篠宮様にも、眞子佳子様という可愛らしい女の子がいらっしゃいますが、ご子息がいらっしゃりません。
 ですから、ここにきても、その後が続かないコトになるんですね。
 また7のあたりを考えても、該当の宮様達はいらっしゃっるのですが、しかし天皇の叔父さんにあたる人ですからどうしても高齢でいらっしゃっているので現実的ではありません。
 そして、その方にはご子息はいらっしゃって、もちろん皇位継続位はあるのですが、しかしその方々にもご子息がいらっしゃらないようなのです。
 そもそも、この辺ちょっとややこしくなりますが、現在の平成天皇から見ての世代的な位置づけをしてみれば、皇伯叔父とは昭和天皇のご兄弟であるので昭和天皇の世代であり、そのご子息とはすなわち今上天皇と同世代になります。
 さらにそのご子息になればつまり今の皇太子さまと同世代となりますよね。
 よって、皇太子さまの世代の皇族方には、みなご子息様がいらっしゃらないというのが今の事態なのです。
 なんか前振りが長くなりましたけど、いま後継者問題が上がっている背景には、このような事情があるのです。
 
 そのような事情をふまえた上で、いま女性の皇族にも天皇になれるように、皇室典範を変えようという動きがあるワケです。
 もし女性天皇が可能となれば、とりあえずは愛子様までの御世はほぼ確定できるワケですから、これで一安心できるというワケですね。
 
 しかしここにもひとつ問題があります。
 
 女性天皇を認めるかどうかという問題そのものには、もはやこれは議論するまでも無いと思っています。
 なぜなら、過去においてすでに女性天皇は存在していましたから(参考:天皇家家系図)、むしろ反対する方がおかしいワケで、皇室典範もなぜ男性だけとしたのかの方が疑問だとも言えるワケです。
 ただ、問題はですね、女性天皇はいいんですが、その後の天皇にはどなたが即位されるかという問題があるのです。
 例えば愛子様の次の天皇に愛子様のご子息がなられたとしたら、それは、男系で続く天皇では無くなるというコトになります。
 男系とは、簡単に言えば「今上天皇のお父さんのお父さんのお父さんの・・・お父さんは神武天皇」という風に繋がるコトを指します。
 よって、愛子様が天皇に即位されるのはいいんですが、しかしその後、もし愛子様の子供が天皇に即位すると、「お母さんのお父さんの・・・お父さんが神武天皇」となり、男系が崩れるとなってしまうワケです。
 女性天皇は歴史上ありますが、しかし男系が崩れたコトは無いワケでして、ここが一番の問題に今なっているのです。
 
 この問題に直面している今、これを解決するためにはいくつかの手段があると思います。
 
 ひとつは男系にこだわる必要は無い、と考えるコトです。
 変な話、血は繋がっているので、愛子様が天皇に即位され、その子供が天皇に即位しても、天皇家そのものには代わりがないとする考え方です。
 これは天皇家が男系でずっときたという歴史と伝統の重みをどう考えるかによるでしょう。
 伝統というモノは人がどう感じるかという部分が一番大切ですから、もし「男系でなければ天皇家ではない」と多くの人が感じるのであれば、これは出来るだけ避けた方が良いと思います。
 しかし、これを認めると、天皇に子供さえ生まれていればお世継ぎ問題は起こらないというメリットもあります。
 分かりやすいと言えば分かりやすいですしね。
 
 次に考えられる手段として、こっちの方が天皇家のあり方として歴史的に正道かもしれませんが、男系をなんとかして繋がるように親戚筋に天皇家を繋ぐ、という方法です。
 この方法は、特に直系である必要はなく、天皇に即位できる条件として男系であれば良い、と考えれば分かりやすいでしょう。
 つまり、今の天皇と次の天皇の間がただの親戚という間柄でも、次の人が男系であれば問題は無いワケです。
 よって、女性でもこの条件はあてはまるワケですね。
 先ほど参考として紹介しました天皇家の家系図を見ていただければ分かりやすいのですが、今までも歴史的には必ずしも天皇家は直系で繋がっているワケではありません。
 例えばさっきの家系図の下の方を見てみると、47代淳仁天皇から見て46代天皇孝謙天皇は、もはや一言で言い表す単語が無いぐらいの「ただの親戚」ですし、さらにまた47代には孝謙天皇が重祚され48代称徳天皇に即位されています。
 さらにさらに、その次の49代の光仁天皇など、48代称徳天皇から見ればこれは一般感覚からすればほとんど「他人」と言って差し支えないぐらい離れている間柄と言えるでしょう。
 このように天皇家は、親戚一同を総動員して天皇家の保存に努めているワケでして、さらに言うならば、男系という間柄こそを守ろうとしていると考えられるしょう。
 
 確かにこの方法というのは、普通の日本人の感覚からすれば分かりにくいと言えるかもしれません。
 民間の方を見れば、例えば武家なんかは血の繋がりよりも、養子を取ってまで「直系」にこだわっていたと言えます。
 また、いわゆる「本家」とはこの直系による家筋のコトを指し、分家とはそうでない家を指して、分家が本家をサポートするような形をとったり、絶対に分家が本家を越えるコトがないようにしている場合が多々あったりと、本家分家をかなり強く意識している風習があったりします。
 しかし天皇家は、そういう考えがあまり強くないのか、分家でも天皇になれるワケで、今までも普通に即位されてきたワケです。
 それらを考えると、だからこそより天皇家が「男系」にこだわっている、天皇家のアイディンティティにしているんだという考え方も出来るかもしれません。
 
 というワケで、この方法を今の御世に合わせて考えると、しかし残念なコトに、現在皇族とされている方々には将来的には男子がいらっしゃらないという現実があります。
 まぁ逆に言えば、だからこそ問題になっているワケですが、ではどうするかを考えた場合、血というか家系的に考えれば天皇家と繋がりのある家は存在するのですから、それを皇族に復帰させ、次の天皇家につなげていくという方法が考えられます。
 旧華族というか、旧皇族と呼ばれる方々ですね。
 そもそもこの方々は、皇族には違いないワケでして、法律の関係上、というか戦後のアメリカの押しつけ憲法政策上、法的にだけは皇族でないというだけの存在です。
 ですから、法的に皇族になっていただければ問題無いワケでして、そうすれば男系の天皇家を存続させるコトができるのです。
 
 変な話ですが、これは日本に限らず、王は子供を作るのが一番の仕事、弟は兄のもしもの時の予備要員、そして周りの親戚は本家のピンチの際のピンチヒッターというところが、表向きには言われなくても、突き詰めればやはりこういう部分はあるというのは否定できないところです。
 よってここは、男系原則の天皇家の存続のために旧皇族の方にご復帰してもらうのがいいのではないでしょうか。
 法的にどのような手続きがあるのか、いまちょっとそこまで調べていませんので分かりませんが、しかし皇室典範を変えるのであれば、その辺もついでに変えればいいだけの話だと思います。
 
 ただ、こうなると、皇室典範は変える必要はないじゃないか、女性天皇は変える必要はないじゃないかという意見もあるかもしれません。
 しかしやえはそうは思いません。
 というのも、例え旧皇族の方に復帰してもらい、いずれ天皇に即位してもらうにしても、そうなれば1から帝王学を学んでいただかなくてはなりませんから、かなり時間がかかります。
 ですからやえは、愛子様に天皇に即位していただくのがベストなんじゃないかと思っています。
 愛子様に天皇に即位してもらい、その次の世代の皇族の男子を皇太子として、幼少の頃から帝王学を学んでもらうというワケです。
 そもそも今の現状というのはやはり天皇家の歴史の中でも希有なぐらいの「危機」と言えるでしょうから、女性天皇が登場する条件としては間違っていないでしょうし、ここまでいけば時間も十分あるでしょうから、様々な諸問題も徐々に解決していけるのではないかと思うのです。
 
 
 これらを踏まえた上で、やえは一点言っておきたいコトがあります。
 そもそもこのような異常事態は、起きてからどうするかを考えるのではなく、はじめから異常事態にならないようにする方が健全な対処方法です。
 今回のこのような騒ぎはどうして起きたのかと言えば、やはり後続の方々に男子の子供が生まれなかったコトにあります。
 といっても、それは誰にもどうしようのできないコトですからどうしようもないのですが、しかし、だからこそ昔からこうならないために、ある一つの制度を古今東西あらゆる王族は取っていたワケです。
 それは側室制度です。
 別に側室制度は、王様がとっかえひっかり女の子といちゃいちゃしたいから出来たのではなく、いやそういう側面も否定はしませんが(笑)、そうではなくて、出来るだけ子供をたくさん作るために存在したという面は否定できない事実です。
 よって、現代でも、やはり側室制度を復活させるべきなのです!!
 
 と言いたいのですが、これはやっぱり不可能ですよねぇ。
 
 現実的にこの問題を考えれば、もう考えられるぐらいの宮家を建てて(もしくは準宮家とか)こういう事態に備えるか、また皇太子には18歳ぐらいですぐに結婚していただいて子づくりに励んでもらうとか、もしくは時代背景を鑑みて男系にこだわらないようにするかしかないのではないかと思います。
 そもそも今のシステムというか、社会状況などいろいろと考えると、どっちかと言えば直系の方を重きにおく社会にさらになっていますし、また血をさらに重視するようになっていると言えると思います。
 さっきも言いましたが、明治あたりまではまだ家の方を大切にして養子でも正式な家の跡継ぎとしてまわりも認めていた、さらに言えば「優秀だから」という理由だけで養子に迎えられていたような時代だったワケですが、今ではそういう風習もほとんど無くなっていますよね。
 そしてそれを反映しているかのような小家族となっている今の皇族のあり方です。
 そうなると、どうしても男系という枠組みの方が不自然になってしまうワケです。
 今回のような事態は、ある意味、起こるべくして起こったと言えるでしょう。
 ですからこれを解決するためには、どちらかにあわせるしかないのではないかと思うのです。
 つまり、男系原則を辞めるか、もしくは言い方は悪いですが保険を含めた大家族化になってもらうかです。
 この辺はよく国民も理解した上で、ただ単純に「今の世の中にあわせろ」や「男系は伝統だから堅持すべき」と言うのではなく、深い議論をしなければならないのではないでしょうか。
 
 
 最後にもうひとつ解決策があります。
 これも今の時代にそぐわないと言えばそぐいませんが、これが一番スマートでしょう。
 それは、愛子様が神武天皇につながる男系の皇族の男性とご成婚していただく、という方法です。
 これならなんら問題が無いワケです。
 愛子様に即位してもらい、その次は、ご子息様に即位していただく、というコトですね。
 これだと、愛子様のご子息様の父君、つまりは愛子様の旦那様ですが、は皇族であり、たどれば神武天皇につながる男系の方ですから、男系は守られるワケです。
 父君が天皇だったという必要性は無いですからね。
 
 結婚相手を強制するというコトには反発もあろうかとは思いますが、まぁそもそも皇族方に自由恋愛が今でも出来ているのかと言えば決してそうではないでしょうし、お婿さん候補も複数人はいらっしゃるでしょうから、そこは国民が理解すればいいでしょう。
 側室制度よりは全然問題ない話ではないかと思いますから、それはそれとして理解すればいいワケです。
 お見合いと考えれば、そこまで現実無視でもないと思いますし。
 
 まぁどっちにしても、このような事態をさけるためには、対処療法だけでない、これからの議論をしていく必要があるでしょう。
 さっきの話でいけば、お婿さん候補のための宮家という存在を作る、それは法的に整備しなくても裏の話でもいいでしょうし、という方法もあるでしょう。
 最近は、民間のお嫁さんをもらうのが流行ってますが、そうしなければならないというコトはないですしね。
 
 まずは、この議論をする場合というのは、天皇家の話であって、普通とは違う別の常識がある世界のお話であるというコトを意識して議論する必要があるでしょう。
 真面目に側室制度復活も視野に入れた議論ぐらいをすべきなのではないかと思います。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、天皇家と日本の歴史を応援しています。
 

平成17年11月16日

 わかりやすい天皇家の問題

 あら、あまおちさん、やっと出てこれたんですか?
 
 あ?
 
 いやだって、某スピード○ゴン氏を暗殺しようとして、失敗して公安に捕まっていたんじゃなかったんですか?
 
 ・・・・・・なぜだー。しかも否定したくないという巧妙な罠だな(笑)
 
 お勤めご苦労様でしたー。
 
 ・・・・・・本気にするヤツが出てくるからやめなさい・・・。
 
 
 
 というワケで、今日は天皇家の後続問題について、どこのなにが問題なのかというコトを分かりやすく指摘していきたいと思います。
 
 うむ。その前に、サーヤ様におかれましては、ご結婚遊ばされた事、心よりお祝い申し上げます。
 
 紀宮様おめでとうございます。黒田さんとこれからの二人三脚、お幸せになられることをお祈り致します。
 
 
 ■女性天皇はダメなの?
 
 まず前提の話だが、天皇家の問題というのは、悠久の歴史に裏打ちされた権威が天皇家にあるからこそ、それを大切に次世代に伝承していかなければならないという考え方が基にある訳だから、よって天皇家がどうあるべきかというのは、まず歴史から学ぶことが正しい姿であると言える。まずは歴史的にはどのような経緯をたどっているのかこれを知る必要があり、これを継承していくことこそが正しい天皇家のあり方であると言えるだろう。
 
 はい。では、天皇家の長い歴史の中で女性天皇がいらっしゃったかどうかですが、これはもう簡単に「いらっしゃった」と断言できます。資料がちゃんと残っている、というか、家系図が残っていて、シッカリと女性天皇も存在したと明記されています。
 
 今までに女性の天皇は8人いらっしゃった。重祚が2回あったので、正式には10代8人だなyae_log038.html#040202。よって、女性が天皇に即位される事はなんら問題は無い。むしろなぜいまの皇室典範が女性を禁止したのか、そっちの方が不思議であり、不自然な話なのである。
 
 
 ■じゃあ愛子様が即位されても問題ない?
 
 問題ない。オレとしても是非即位していただきたい。
 
 男の子が生まれるか、女の子が生まれるのか、もはやこれは人間としての運命としかいいようのない領域の話ですし、そして皇太子ご夫妻に女の子だけが生まれたという事実に対して、これはその愛子様が即位される運命にあったんだと思うんですよね。
 
 歴史も伝統も運命なんだよ。
 
 
 ■では何が問題なの?
 
 まず、「天皇家は男系で作られてきている伝統の家である」という事実を、議論の前に基本認識として頭の中においておく必要がある。これも天皇家の家系図から明確に事実であると言い切れるものであり、この問題においての絶対条件である。
 
 大切なのは、続いていると思われているコトです。極論すれば、厳密に続いていなくても、続いていると思われてさえいれば問題は無いのです。今回のお話は医学的とか学術的なお話なのではなく、伝統という心にかかる問題だからです。
 
 まぁもし今まで女性天皇を認めていないのであれば、愛子様が即位される事には反対していたであろう。しかしそうではない事実があるからこそ賛成するのであって、そしてそれと同じように、今までの天皇家は男系で作られてきたからこそ、これからも男系にこだわるのである。つまり、歴史的に伝統はそのように続いてきたという事実に対し、それを履行するかどうかという話だ。
 
 そして、その男系というつながりが近々途切れそうになるっていうのが今問題になっているワケです。今まで天皇家は男系で続いていたワケですが、それが途切れそうになっているのが現状でして、その伝統をやめてしまい男系ではない天皇家を作り直すのか、それともなんとしてでも男系を維持するのか、ここに問題としての議論の争点があるんですよね。
 
 簡単に言えばそうだな。
 
 
 ■男系ってなに?
 
 天皇家の場合で言えば、「お父さんのお父さんのお父さんの…お父さんが神武天皇」という繋がりのコトを言います。この対比で言えば女系というものは「お母さんのお母さんのお母さんの…のお母さんが○○天皇」というコトになるのですが、しかし神武天皇は男性とされていますから、基本的に天皇家は男系なワケです。そしてこの男系こそが天皇家の証明でもあると言えるぐらい天皇家にとっては大切な伝統なのです。
 
 たまによく誤解しとるヤツがいるのだが、愛子様は男系の系譜である。なぜなら、愛子様の父上は皇太子様であり、その父上は今上天皇であり、よって神武天皇につながる男系の系譜だからな。だから愛子様が天皇に即位されるコトには何ら問題がないのだ。
 
 この問題は、愛子様が即位されるコトがどうなのかという問題なのではなくて、愛子様の次に即位される天皇をどうするのかという問題なんですよね。
 
 そう。愛子様は男系だが、しかし愛子様の子供は男系ではなくなるのだ。ここがこの問題の最大の争点なのである。
 
 
 ■男系じゃなくても血が繋がっていれば天皇家と呼べるんじゃないの?
 
 まず、天皇の即位に関する話というのは、これは「家」の話である事をよく頭に中に入れておいてほしい。決して血の問題では無いのである。この話は医学的な学術的な話ではなく、伝統の話であり血をつなげようという問題なのではない。あくまで家をつなげていこうという話であるからして、家を継ぐためのルールをいかに遵守していくかが一番の争点なのである。
 
 簡単に言えば、血がつながっていなくても、養子を取れば家は続くとされるケースもあるというような感じですよね。
 
 そうそう。その家がどう続くか、どういうルールを持って続くとされているのかは、その家によって変わってくる問題であるので、一般論では言えない。もしそれを語るのであれば、そのルールを理解してから発言する必要がある訳だ。例えば、現在のよくあるパターンで「家が続く」と言えば、どういう場合を指し示すだろうか。
 
 現代の一般的な感覚からすれば、血の繋がっている子供がその名字を受け継ぐコト、ではないでしょうか。例えば天堕さんがお父さんで、その長男でも次男でも両方でも天堕姓を名乗れば天堕家は続いていると言えるでしょう。また女の子供でも、結婚した際に天堕姓を名乗れば天堕家は受け継がれたと認識されると思います。つまり旦那さんが婿養子になるという表現が用いられますね。あとは養子の場合でも家が続くと言われるとは思いますが、まぁ今は家を継ぐコトそれ自体に価値を見いだしている人は少なくなっているでしょうし、家のためだけに養子を取るという人もそうはいないでしょうけどね。
 
 そうだな。しかしこの解釈ではない場合や時代もある。伝統芸能とか何かを作るような所謂「一子相伝」の伝統がある家なんかでは、必ず長男で無ければならないと決めている家もあるだろう。この場合では、そうでない人間が存在しても、長男さえいなければ一子相伝宗家は断絶する、と言える訳だ。
 
 明治大正時代までは、血の繋がりもそこまで重要視されていなかったですよね。養子による家の伝承も普通のコトでして、例えば新選組局長の近藤勇の近藤家は剣術の家ですが、勇は前宗家の近藤周助の実子ではなく養子ですし、周助自身もその前の宗家の養子だったりしています。でもそれでも天然理心流(剣術の流派)としての近藤家は正式に伝承されていると周りからも認識されているワケですね。当時は、実子がいても養子を取るなんてコトもよくあったみたいですしね。
 
 まぁこの辺は価値観の問題だから、今挙げた例が必ず正しいというのではなく、その家やその人が継いでいると思えばいい訳だがな。そしてだからこそ、天皇家が今まで続けてきた伝統を守るべきなのではないかという話なのである。天皇家の断続の話は、自分の価値観で考えるのではなく、天皇家のルールで考えるべきである、という話だ。
 
 ですから、いくら血がつながっていようとも、直系の実施であろうとも、男系でない愛子様の子供が天皇になったとしたら、それは今までの天皇家のルールに従っていないので、天皇家が継承されたとは言えないのではないかって話なんですよね。
 
 
 ■天皇家のルールって?
 
 つまり男系であるという事だ。天皇家の場合、むしろ男系であるというルールしか継承の伝統は無いと言っても過言ではないかもしれない。
 
 一般的な「家を継ぐ」とされる場合というのは、ほとんどは親から子に継がれるワケですよね。それが実子であろうと、養子であろうと、基本は「親から子に」です。しかし天皇家にはそれが無いんですよね。天皇家の家系図をご覧になっていただきたいのですが、例えば46代天皇孝謙天皇から次の47代淳仁天皇の間柄は、もはや一言で言い表す単語が無いぐらいの「ただの親戚」でしかない間柄と言えます。さらに49代の光仁天皇とその次の48代称徳天皇の間柄は、これは一般感覚からすればほとんど「他人」と言って差し支えないぐらいの関係ですよね。このように、天皇家の継承のルールには「親から子へ」というルールは無いのです。
 
 これは普通の家とかにはほとんどあり得ないと言えるよな。
 
 一子相伝の家とか、江戸時代とかでは、血よりも親子の関係を重視していて、本家と分家という考え方がありますけど、基本的に長男に継承される本家に対して、分家はあくまで分家であってどうやっても本家には成り得ないのですが、しかし天皇家は、一般感覚からすれば分家である人間でも問題なく本家(天皇)になるコトがままあったワケです。これはかなり一般感覚からすればあり得ない話だと言えるでしょうね。
 
 もしくはどうしても長男がいないという場合には、分家の人間を一度養子にするとかいう手段を用いる場合もあるだろうが
 
 しかし天皇家の場合にはそれは無いんですね。46代と47代の天皇は、血の上でも戸籍(?)の上でも親子関係は無いのです。というか養子制度時代が天皇家には無いのかもしれませんけど。
 
 これが天皇家の継承にかかるルールなのである。つまり極論すれば、男系・・・すなわち父の父の父の…の父が神武天皇である人間であれば、本家の人間であろうと分家の人間でろうと男性であろうと女性であろうと今まで高い身分ではなかった人間であろうと、誰でも天皇になれる資格を有する、というな。
 
 
 ■では現在その資格を持っている人は誰がいるの?
 
 いろいろと複雑になりますので、とりあえず皇太子さまと同世代とその下の世代だけで考えます。まず皇太子さま、そして秋篠宮さまのお二方。両妃殿下方のお父上は天皇家に繋がりませんので天皇にはなりません。それから、愛子様。愛子様のお父上は皇太子さまであり、皇太子さまのお父上をさかのぼっていきますと神武天皇にたどり着きますから資格があります。また、秋篠宮様のご息女様であられます眞子佳子様のお二方ともも天皇になられる資格を持っていらっしゃっています。お二方のお父上は秋篠宮様であり、秋篠宮様のお父上は今上天皇ですから、さかのぼっていきますと神武天皇にたどり着きます。で、これで5人の方の名前が挙がりましたが、後他に誰かいらっしゃるのかと考えますと、実はこれで終わりだったりするんです。残念ながら、現在の皇室の皇太子さまより下の世代では、この方々しか男系の血筋の方はいらっしゃらないんですね。
 
 ただし、現在は皇室典範という法律があって、そこではなぜか女性天皇を認めていないので、天皇家での資格はあっても法的には愛子様や眞子佳子様は天皇にはならない事になっておる。
 
 結局今のままでしたら、皇太子さまで天皇家は終わりになってしまうんですよね。
 
 
 ■じゃあ愛子様が天皇に即位されれば問題はなくなるのでは?
 
 ここでやっと問題の本質にいけるのですが、確かに愛子様までは問題は無いのです。皇室典範をちょっと変える必要がありますが、ちょっとだけですから、ちょちょっと変えちゃえばいいんです。ただし、問題なのが、愛子様の次の天皇の問題なのです。
 
 では、ここまでのおさらいをしてみよう。天皇の継承のルールにはどのようなものがあったかな。
 
 はい。箇条書きにしますと、
 
 ・男系であること
 ・女性であってもかまわない
 ・親から子に継がせる必要もない
 
 こんなところでしょうか。
 
 うむ。では愛子様の次の天皇を、このルールに沿って考えてみよう。どうなるかな。
 
 もし愛子様がご成婚されて子供ができるとします。この子供が男の子であった場合、その男の子に天皇に即位する資格があるかどうかを考えますと・・・、やはり男系の部分でひっかかります。その男の子のお父さんは天皇家の人間ではないでしょうから、神武天皇には繋がらなくなってしまいます。お母さんのお父さんのお父さんの…のお父さんは神武天皇ですが、これはルールに則っていません。
 
 そうだ。では皇太子さま以外の宮様の場合はどうだ。
 
 秋篠宮様は天皇になれます。また眞子佳子様もなれます。しかし眞子様と佳子様がご成婚なられて子供が生まれたとしても、やはり愛子様の場合と同じように、男系として繋がらないコトになってしまいます。
 
 そうなのだ。結局これで手詰まりなのだ。よって、女性天皇を認めただけでは2600年続いた天皇家の歴史は愛子様で最後になってしまうというワケだ。
 
 
 ■愛子様の子供が天皇になっても、天皇家は天皇家じゃないか
 
 さっきも言いましたように、天皇家は男系であるというルールがあって天皇家と呼べるのであって、男系の人間が継承するからこそ天皇家は天皇家であり続けるのです。例えば天堕家が一子相伝の家だったとします。もし天堕さんに子が出来なかったとして、一子相伝のルールが守られなかったとしましょう。この場合において、いくら天堕さんの弟が天堕姓を名乗っているんだから天堕家は存続しているじゃないかと強弁したとしてもですね、しかし一子相伝のルールはこれでつぶれているワケですから、宗家一子相伝天堕家はどうやっても断絶と言わざるを得ないのです。弟の天堕家は々別の天堕家でしかないという、一子相伝とはそういうルールなのですからね。
 
 この問題は、はじめにも言ったように一般常識で考えたらダメなんだよ。天皇家のルールでは、いくら親から子に天皇を継承したとしても、それだけでは天皇家が続いているとは言えないのだ。天堕家に、なんか知らないけど家系上は繋がっているほとんど他人みたいな人を継がせても、それでオレの天堕家が続いているとは普通では感じられないんだろうが、しかし天皇家はそれで続いていると言われる訳だ。逆に、天皇家の場合はいくら子供であったとしても男系でない人間が天皇に即位してしまったら、つまり具体的に言えば愛子様の子供が即位したら、それは本家天皇家、すなわち神武天皇家は断絶としたと言わなければならないのである。
 
 つまり、愛子様の子供が即位したら、天皇家と名付けるコトは出来るのかもしれませんけど、今までの天皇家とは別の天皇家になっちゃうんですよね。神武天皇家では無い、新しい愛子様を始祖とする天皇家であると言えるワケです。これを日本国民として尊重するかどうかという話はまた別として、しかし2600年続いた天皇家が断絶させていいのか、という問題であるワケなのです、この問題は。
 
 今までの日本の歴史というものは、全て神武天皇家と共にあった訳だ。この歴史を今この時代に、我々の時代に我々から途絶えさせていいのか、その覚悟はあるのか、後世の日本人から後ろ指を指される事にならないのか、そういう議論を今している訳で、しなければならない訳だな。
 
 
 ■ではどうすれば神武天皇家が存続できるの?
 
 もう一回ルールを言ってみたまえ。
 
 はい。
 
 ・男系であること
 ・女性であってもかまわない
 ・親から子に継がせる必要もない
 
 ですね。実質的には「男系であること」だけが唯一のルールであると言えるでしょう。
 
 ただし現在は皇室典範という法律があって、そっちにもルールが作られてしまっている。そっちのルールは簡単に言うと、「男性であり、皇室の人間であること」だ。しかし今のままでは神武天皇家は断絶してしまう。だからそれを回避するためには皇室典範を変えることは絶対条件として必要なわけだ。つまり、天皇家のルールを守りつつ、新しい規則である皇室典範は変えると。
 
 では、どこを変えたら神武天皇家は断絶せずに済むのでしょうか。
 
 まず逆に考えればいい。皇室典範が無いとして、神武天皇家が存続する方法はないのかと考える。天皇に即位するためには男系である必要があるワケだが、今のところ皇太子さまの下の世代ではそれが愛子様と眞子佳子様しかいらっしゃらないとされている。けどそれは皇室典範の規定があるからでしかない。つまり、今は皇室典範によって宮家ではないとされているが、元々は宮家であり、神武天皇の男系を受け継いでいる家が存在するのだ。
 
 実は人数的にけっこういらっしゃるそうなんです。いわゆる旧皇族と呼ばれる方々ですね。この方々は基本的には神武天皇の流れをくむ方々ですから、この方々から天皇に即位されればなんら問題がないコトになります。
 
 
 ■天皇が親でなくても問題はないのか?
 
 ない。
 
 またまた家系図を見ていただければと思うのですが、例を挙げるまでもなく、親が天皇でなくても天皇に即位された方はたくさんいらっしゃいます。結局「男系である」だけが絶対的なルールであって、それ以外であればどんな関係であっても天皇家に即位できると言えるのです。
 
 皇室典範など、天皇家の悠久の歴史からすればむしろイレギュラーな存在なのだから、こんなものをいちいち大切にする必要はない。問題があれば変えればいいだけの話だ。皇族でない方々というのも、それもGHQが勝手にいじっただけに過ぎない措置なのだから、これをもって天皇に即位できない理由にはならない。そんなルール変えてしまえばいいんだ。
 
 それから、もうひとつ可能性はあります。こっちの方がスマートかもしれませんが、父上が男系であればいいという簡単な条件が天皇家の条件なのですから、愛子様と男系の旧皇族の方がご成婚されればいいのです。つまり、皇太子さまが次の天皇に即位され、その次は愛子様、そしてその次に愛子様と男系の方との間にお生まれになった子供が天皇になられると。実はこれでオールおっけーだったりするんですよね。
 
 そうなれば、継承順位問題もほとんど無くなると言ってもいいだろうしな。
 
 
 ■それは政略結婚なのではないのか?
 
 それは価値観の違いでしかないだろう。そもそも現代の皇室のあり方って、必要以上に平民の考え方を入れすぎなんだよ。男系の議論がまさにその象徴で、なぜか直系にこだわるような発言をする輩が多すぎるんだが、それは平民の考え方でしかなく、天皇家の考え方ではない訳だ。それと同じように、自由恋愛すべきというのは所詮平民の価値観でしかなく、それを天皇家に押しつけるのはいかがなものかという話なのだ。
 
 美智子様が皇室初めての民間からの皇后様になられたワケですが、それも果たして本当に自由恋愛なのかというのは断言できない話ですしね。
 
 まぁなぁ。なんか、あれは確か雅子様の時だったかな、というか皇太子さまの時だったと言うべきか。あの時ってなぜか何人かの「お嫁さん候補」の名前が挙がって、マスコミなんかも色々と好き勝手なコト言ってたよな。
 
 そうですよね。結局「この中から選べ」って言われているようなモノですからそれ。それで完全に自由恋愛だと言うのはどうなのかなって思っちゃいますよね。ただお見合いだと思えば、それはその通りでしょうから、愛子様の時だって、それでいいと思います。
 
 結論を言えば、天皇家が天皇家であり続けるためには、女性天皇を認め、しかし男系は維持し、そして旧皇族の方には今一度皇族に復帰していただくと。そしてそれが成されるように皇室典範を改正するべきだ、というわけだ。
 
 
 
 
 すんごく長くなりましたが、まだまだ語るべきコトがありますから、これ続けていきましょう。
 
 うむ。意見のあるヤツは議論板に書いてくれ。天皇の問題は日本の問題である。みなで考えていこう。
 

平成17年11月24日

 染色体論法はむしろ本質から遠ざかる

 最近、いわゆる「掲示板スパム」にうんざりしています。
 いろいろと対策は講じているのですが、そのほとんどが海外からのおそらくソフトを使っての書き込みみたいですから、ほとんどいたちごっこのような感じになってしまっています。
 まぁ当サイトにお越しになる方々がこのような詐欺に引っかかるとは思っていませんが、しかし鬱陶しいコトには変わりないワケでして、しかしやえはそんなにCGIとかスクリプトとか詳しくありませんもので、どなたか詳しい方がおられましたら良いお知恵をご教授いただけないでしょうか。
 ただ最近は議論いたの方がいい感じで機能していますので、そちらに完全に統合してしまってもいいのかなとは思っていたりします。
 また掲示板を新しくするのも手かなとも思ってますし、今使ってるのはだいぶ古いモノですし、それらも含めて検討していきますので、よい方法があれば教えてください。
 
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 
 さて。
 21日に、小泉総理の私的諮問機関である「皇室典範に関する有識者会議」(座長・吉川弘之元東大学長)が、男系女系に限らず第一子に皇位継承権を優先させるという結論を出したと報道がなされました。
 当サイトでは男系・女系の話は前からよく扱っていますし、これからも大きく取り扱おうと思っていますから今日はこの結論自体には特に触れようと思いませんし、またこの会議の会議議員のメンツを見たら、どうも皇室問題の専門家がほとんどいなくて、座長ですら工学博士という、皇室の問題はむしろ観念的な問題なのにその対極にある科学の専門家がなぜ座長をしているのか、なんとも摩訶不思議な会議だったりするのですが、これも後日に後回しするコトにします。
 今日はですね、男系を存続させるコトを優先させろという意見を主張されている方の中でも、ある1つの意見について取り上げようとおもっています。
 
 最近このような意見をよく聞きます。
 
 女性はXXという染色体を持っていて、男性はXYという染色体を持っています。子供が生まれた場合というのは、それぞれからひとつずつ染色体を受け継ぐコトになるのですが、男性のX染色体を受け継げば「XX(母側・父側)」で女の子が生まれ、男性のY染色体を受け継げば「XY」となり男の子が生まれるコトになります。つまり神武天皇に繋がる男系とは、神武天皇の染色体「Y」を受け継ぐという意味であり、もしY染色体を受け継がないXXの女系天皇が誕生してしまえば、それは天皇家の断絶と言えてしまうのです。
 
 染色体論法とでも名付けましょうか。
 ハッキリ言ってしまえば、やえはこの論法は嫌いです
 やえは染色体について詳しい知識がありませんので、どの程度神武天皇の染色体情報が現代にまで受け継がれているのか分かりませんが、そもそもそんなコトはどうでもいい話で、この問題というか皇室の問題というのは、そんな科学的な話ではありません
 先ほども言いましたように、皇室の問題は観念的な問題です。
 端的に言えば、これは物語のお話なのです。
 神武天皇から現代まで男系として繋がっていると皆が思っている物語として存在しているという、この事実が大切なのであり、医学的に科学的に本当に繋がっているかどうかというのはこの際問題ではないのです。
 
 伝統は物語です
 それは決して科学的に分析できるモノではありません。
 例えば「創業160年の味」なんて言われたら、なんだかとても美味しそうな気がします。
 しかし果たして本当に160年前の味を100%伝承しているのかは分かりませんし、科学的に見てもその味や成分には160年前と何ら一致する情報が無いかもしれません。
 もちろん160年間廃業せずに消費者から支持され続けてきたという点においてそれなりの保証があるとは言えるかもしれませんが、しかしそれは明日廃業しないコトを保証しているワケではありませんから、今現在の味を保証するモノでは無いと言えます。
 それでも人は「創業160年の味」という看板に伝統と権威を感じるのです。
 そこに科学的に根拠が無かったとしても、人がそう信じているという意味において、「160年の味」は確実に存在しつづけている物語なのです。
 
 いきつくところまでいってしまうと、「じゃあ天皇の遺伝子を調べてみよう」という話になってしまいます。
 しかし、天皇が2600年続いているというこの伝統は、そんなモノ関係なく、物語として人々に信じられ受け継がれている事実なのです。
 この事実こそが最も大切なのであり、そして唯一の真実であって、決して遺伝子的にどうだとかY染色体がどうだとかいうのは、なんら関わり合いのない話なのです。
 科学的根拠など無くても、人は伝統という目に見えない力に何らかの影響を受けています。
 大切なのは人々が信じる力です。
 「お父さんのお父さんのお父さんの…のお父さんは神武天皇」という2600年をかけた壮大なロマンを、これからの日本人がどう次世代に継承していくのか、これが一番大切な問題であるのです。
 やえは、この世界に類を見ない子供の作り話かと思えてしまうぐらいのスケールの大きな悠久の物語を、これからも大切にして、次の世代にも受け継いでもらいたいと思っているだけなのです。
 
 2600年前に日本人がどんなコトを考えてどんな生活をしていたか想像できるだけでも、こんな素敵な話はないじゃないですか。
 

平成17年11月28日

 出鱈目有識者会議

 民主党の西村代議士が逮捕されました。
 まぁこれについていろいろとマスコミや有識者やネットなどで言われるとは思うのですが、やえとしましては一言「陰謀論はしょせん陰謀論。何も生まれはしませんよ」と言っておきます。
 あと、こちらのリンク先もお読みください
 おもしろいですよ。
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 

 まず先にごめんなさい。
 今日の更新は、ニュース記事だけを読んでの更新です。
 文章を書き上げたはいいのですが、ふと調べたら、もっと詳しい資料が官邸にアップされていまして、本来ならそっちの方をよく読んでからにすべき文章なのですけど、ここ最近更新がままならない事情も併せて、今日ぐらいは更新しないとみなさまに申し訳ありませんので、とりあえずアップします。
 基本的にはその資料を受けてのニュース記事ですから、大筋では変わらないと思うのですが、もし資料を詳しく読んでから変更点などありましたら追って追記、または削除するかもしれません。
 とりあえず今日のところは、冒頭編ぐらいに思っていただければ幸いです。

 
 さて。
 今日も女系天皇問題についでです。
 
 例の、工学博士が座長という奇妙奇天烈な諮問会議が先日報告書を小泉総理に提出したとお伝えしましたが、その内容が先日報道されました。
 なんと言いましょうか、女系天皇を容認する意見の浅はかさが全て集約されているかのような内容になっていますので、今日はこれをひとつひとつ検証するコトにします。
 まずは記事をご覧ください。

 皇室典範 有識者会議が報告書 女性・女系天皇容認を柱に
 
 小泉純一郎首相の私的諮問機関「皇室典範に関する有識者会議」(座長・吉川弘之元東京大学長)は24日、女性・女系天皇の容認を柱にした報告書をまとめ、首相に提出した。女性・女系容認は「社会の変化に対応しながら、多くの国民が支持する象徴天皇制の安定的継続を可能にするうえで大きな意義を有する」と結論づけた。
 男系維持派が主張する1947年に皇籍離脱した11の旧宮家の皇籍復帰は「国民の理解と支持、安定性、伝統のいずれの視点から見ても問題点がある」と退けた。そのうえで、女性・女系容認について「男系男子限定に比べ、格段に安定的制度」と指摘。さらに「女性の社会進出も進み、性別による固定的な役割分担意識が弱まる傾向にある。積極的に受け入れ、支持する素地が形成されている」と記した。男系維持派からの批判に応える形で「幅広い国民の支持が得られる制度である限り、正統性が揺らぐことはない」とも主張した。
 
 ◆「皇室典範に関する有識者会議」の報告書骨子
 ・男系男子の皇位継承維持は極めて困難。
 ・旧皇族の皇籍復帰は国民の理解と支持、安定性、伝統の視点から問題。
 ・女性・女系天皇の容認は象徴天皇制度の安定的継続を可能にする。
 ・「長子優先」による皇位継承は制度として分かりやすく、優れている。
 ・天皇・皇族の子孫は世数を問わず皇族の身分を有する「永世皇族制」。
 ・女性皇族は婚姻後も皇族にとどまり、配偶者や子孫も皇族となる。
 ・女性天皇、女性皇族の配偶者の名称は今後の検討課題。

 まず、マスコミの一部にも女系と女性を混同して議論をミスリードしようと意図しているとしか思えないような報道があったりしますが、この有識者会議そのものがそのように悪意を持って結論を出したとしか思えなかったりしています。

 さらに「女性の社会進出も進み、性別による固定的な役割分担意識が弱まる傾向にある。積極的に受け入れ、支持する素地が形成されている」と記した。

 これは「女性天皇」の容認についての説得材料でしかありません
 女性天皇についてはごく一部の人を除いて、ほとんど反対している人なんていないと言ってもいいぐらいなのですから、これだけを今さらここまで言う必要はないのではないでしょうか。
 そして、全くもって「女系」容認の理由にはなっていません。
 もしこの文言だけで「女系」容認の材料になると強弁するのであれば、それは「女系」を「女性」と混同させてしまい、男系である神武天皇の歴史的な意義や、それを伴わない女系天皇に移行してしまう意味を全く無視しての、言ってみれば「男女平等、ともすれば過剰なフェミニズムに便乗した、女性をたてれば何でも許されてしまう風潮を利用して女系を押し進めてしまおう」という悪意ある意図があるのではないかと、この発言はそれを存在している証明ではないのかとも言えてしまうのではないかと思います。
 男系女系の説明をせずに、このような結論を出して、これをミスリードと呼ばずになんと呼ぶのでしょうか。
 
 これはマスコミに対しても同様です。
 現在の国民の中にも、男系と女系を明確に理解している人というのは少ないというのが現状ですから、むしろマスコミはそれを説明して国民的議論を促すコトが本来の使命のハズです。
 しかし一部マスコミは、その使命を怠り、いや怠るだけならまだしも、国民の無知を利用して女系天皇を女性天皇と混合させたまま国民をミスリードしようとしています。
 もし男系と女系の説明をしないまま、しかし女性天皇は認めるべきだというような主張をしているマスコミがあったら、これはもはや確信犯的に「女系=女性」とミスリードし天皇家の伝統を破壊しようと画策を企んでいると言わざるを得ません
 有識者会議も「多くの国民が支持する象徴天皇制の安定的継続を可能にするうえで大きな意義を有する」と主張するのであれば、まず今まで歴史の中で培われてきた天皇家というモノはずっと男系で続いてきている神武天皇家であるという意義を広く国民に示し歴史を鑑みて、その上で結論を出すべきでしょう。
 また、その上で女系でもかまわないと言うのであれば、もっと説得力のある主張をしなければならないハズです。
 それなのに「性別による固定的な役割分担意識が弱まる傾向にある」と言うだけの、女性天皇を認めるしか説得力のない主張しかしないのであれば、これはもはや意図して男系をつぶしている意志があるとしか読み取るコトはできないでしょう。
 
 箇条書きにされたそれぞれの主張もかなり無茶苦茶です。
 
 まず『男系男子の皇位継承維持は極めて困難』ですが、どのように困難なのか論拠が全く不明確です。
 もしこの程度の根拠で許されるのであれば、「天皇制の維持は極めて困難であるから天皇制は廃止」という主張でも通ってしまうコトになります。
 しかしそうではなくて、本来なら「天皇系の維持は現状では極めて困難であるから、なんとか維持できるよう議論し、制度を改善しよう」という議論をするのがスジのハズです。
 そもそも「男系男子の皇位継承維持は極めて困難」というのは、はじめから分かっている、皇太子さまに男の子が生まれなかった時点で分かり切っていたコトなのですから、ここでの議論は「困難であるがこれをどうすれば乗り越えられるか」という議論をするのがまず第一にやるべきでしょう。
 そしてもしどう考えてもどの方法を用いても男系が維持できないと断言できるのであれば、“仕方ないから”今までとは違う方法を考えようという順番になるワケであり、しかし今の段階では「困難」であるのはその通りですが決して「男系が維持できない」と断言できない段階なのですから、議論が「仕方ない」レベルに飛ぶのは明らかに筋違いなのです。
 この視点から見ても、もはや有識者会議は「はじめから結論を持っている」と言わざるを得ないと見るしかないのです。
 
 『旧皇族の皇籍復帰は国民の理解と支持、安定性、伝統の視点から問題』というのも、何ら根拠が示されていません。
 男系女系の違いすら国民の大半は理解していないというのに、「旧皇族の皇籍復帰」は話題にすらほとんどなっていないのに、なぜ「旧皇族の皇籍復帰は国民の理解が得られない」と断言出来てしまうのでしょうか
 有識者会議はエスパー集団なのでしょうか。
 これほど国民をバカにした物言いはないのではないでしょうか。
 
 また、『安定性、伝統の視点から問題』というのも、明らかに歴史を無視しています。
 どのような伝統を振り返って「旧皇族の皇籍復帰は問題」と言っているのでしょうか。
 もしかして有識者会議が考えている日本の歴史とは、「敗戦から今日までのたった60年だけ」とでも思っているのでしょうか。
 それなら確かに「伝統の視点からは問題」でしょう、いままで皇族になったことのない家が皇族になるのですから、伝統を無視していると言えるかもしれません。
 しかし日本の歴史が60年しかないなんて、アメリカと日本が戦争したコトすらしらないおバカちゃんですらそこまでは思っていないでしょう。
 有識者会議がどんな意図を持って「伝統」という言葉を使ったのか分かりませんが、日本の歴史をバカにするのもいい加減にしてもらいたいところです。
 
 『安定性が問題』というのも、やはり歴史をバカにしてます。
 天皇家2600年は、その男系の方法で2600年続いてきたのですから、それをなぜ「安定しない」と言えてしまうのか、ハッキリと論拠を示してもらいたいモノです。
 それとも有識者会議は、「2600年程度続いただけでは安定しているとは言えない。1万年ぐらいつづけば認めてやる」とでも言いたいのでしょうか。
 よくここまで事実を無視できるとあきれ果ててしまいます。
 
 『女性・女系天皇の容認は象徴天皇制度の安定的継続を可能にする』は、安定しているコトと、神武天皇家が続くコトの意義とは、全く別問題です。
 お話になりません。
 
 『「長子優先」による皇位継承は制度として分かりやすく、優れている』も、同じく神武天皇家の意義とは何ら関わり合いのないお話です。
 そもそも「分かりやすい」というのは、所詮庶民の感覚でしかありません
 庶民の感覚で分かりやすいからと言って、それを天皇家に当てはめてよいという理屈には全くなりません。
 また「優れている」と断言するところもスゴイです。
 つまり、「神武天皇家2600年の伝統は劣っていた」と有識者会議は言っているワケです。
 いったい何様のつもりなのでしょうか。 
 
 どれもこれもメチャクチャな主張しかありません。
 やえからすれば、偉い先生達が頭そろえて、しかも総理大臣の私的諮問機関なのですからかなり真面目に議論がされていると信じたいところなのですが、しかしこれらの主張を聞いていると、もはや疑問や不信感しか生まれません。
 冷静に考えれば、むしろ有識者会議が女系天皇ありきという意図を持って結論が先にあって議論されていると考えた方が見方をした方が合理的と言えてしまいます。
 いったいこの諮問会議は何がしたいのか、日本国民として不安しか覚えません。
 
 
 長くなってしまいましたので、今回の有識者会議の見解の中でも最も的はずれで賞を獲得した、『男系維持派からの批判に応える形で「幅広い国民の支持が得られる制度である限り、正統性が揺らぐことはない」とも主張した』の部分について、次回じっくりと述べていきたいと思います。
 

平成17年11月29日

 「皇室典範に関する有識者会議」の報告書に異議を申し立てる 1

 皇室典範に関する有識者会議が報告書を小泉総理大臣に提出したというニュースは既に報道されているところですが、その全容が首相官邸のホームページに公開されていますので、今日はこれについて異議を申し立てたいと思います。
 この報告書、さすが偉い先生方が書かれているだけあって、読めばそれなりの説得力があるように感じてしまうのですが、しかしよくよく冷静に考えながら読んでみると、やっぱりとても納得できるような代物ではないコトが分かります。
 今日はそれをひとつずつ暴いていきたいと思います。
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 いま皇室問題で何が問題なのかと言いますと、簡単に言えば「男系」を維持するのか、それとも「女系」を容認するのか、この一点だけと言えるでしょう。
 もはや女性天皇に関しては議論するまでもなく反対している人はいないと言ってもいいと思います。
 少なくとも、過去の歴史において女性天皇(もちろん男系)が存在しているという事実がある限り、女性天皇を否定する材料など存在しないと言っても過言ではないはずです。
 ので、女性天皇についてはもはや議論する必要もなく、あえて触れる必要もないコトとします。
 
 さて、けっこうな分量になるこの報告書ですが、全体的な方向付けとして、やえが読む限りこのような方向を意識して書いていると感じました。

 ○男系の維持はもはや不可能である
 ○よって女系天皇を認めるべきである

 報告書にも書いてあるように、この会議は17回ほど会議を開き議論が行われたとされているのですが、やえからすれば17回も会合を開いたワリには内容が薄っぺらいと言わざるを得ません。
 なぜかと言いますと、いま言った結論がすでにはじめから出されていたとしか思えないような内容しかこの報告書には書かれていないからです。
 この報告書には歴史を鑑みるという行為を全くしていません
 なぜいま後継者問題が起こってしまったのかと言えば、それは皇太子さまに男の子が生まれなかったからであり、また今上天皇のもう一人の子供である秋篠宮様にも男の子が生まれなかったというのもあるでしょう。
 しかしこの程度の危機というのは、今までの歴史の中でも何度も直面してきた危機でしかなく、つまりそれは何度もその危機を回避してきた歴史があるというコトの裏返しでもあります。
 よって、今回の事態も歴史に倣って回避する方策をとるというのが最も適切であり正道である方法と言えるワケですが、しかし今回のこの有識者会議の報告書は、それらの方法を全く取ろうとしない、どうすればその方策を具体的にとれるのかという議論が成されていないのです。
 このような報告書になっているから、結論ありきではないかと言われてしまう、思わざるを得ないところなのです。
 
 そもそも、この有識者会議は天皇家に対する認識がかなり間違っていると言わざるを得ません。
 報告書には天皇の継承方法として次のように記されています。

 上記の皇位継承資格者の要件のうち、1)「皇統に属すること」及び4)「皇族の身分を有すること」は、制度の趣旨から当然の要請であり、また、2)「嫡出であること」は、国民の意識等から今後とも維持することが適当であるため、皇位継承資格者の安定的な存在を確保するための方策を考えるに当たっては、3)の男系男子という要件が焦点となる。

 有識者会議が考える継承資格の優先順位はつまり
 
 1.皇統に属すること・皇族の身分を有すること
 2.嫡出であること
 3.男系男子であること
 
 すでにこの時点で間違っているのです。
 なぜ「嫡出であること」、つまり天皇と皇后の間に生まれた子供であるコトの方が「男系男子であること」より上位の条件であるのか、さっぱり分からないのです。
 歴史的に見ても、これは正しい認識ではありません。
 かなりの数の天皇は、親から子に受け継がれた天皇の位ではないのが史実であり事実です。
 申し訳程度に「国民の意識等から今後とも維持することが適当である」なんて理由を取って付けていますが、いつの間にこのような国民世論が形成されているのか、やえはとんと存じません。
 そもそも男系女系という区別すら多くの国民がついていない現在、「男系の方が大切か、もしくは嫡出の方が大切か」なんていう議論が巻き起こるワケもなく、話題にすらならないのですから、ここで嫡出を上位にするというのは、それは有識者会議の個人的な感想でしかないワケです。
 それなのに以下報告書はこれを前提に続けてられているのですから、もはや結論ありきの報告書であり、結論ありきの会議だった言わざるを得ないワケなのです。
 
 さすがにそれだけではまずいと思ったのか、この報告書には、男系についての考察も一応してるコトはしています。
 しかし、やっぱり結論ありきの内容と言わざるを得ない内容なんですね。

 イ. 男系継承の意義についての考え方
 男系継承の意義等については、今日においても、
 ・  これが我が国の皇位継承における確立された原理であり、それ以上に実質的な意義を求めること自体が無意味であるとする見解
 ・  女系になった場合には皇統が配偶者の家系に移ったと観念されるため、これを避けてきたものであるとする見解〔参考13〕
 ・  律令や儒教など中国の影響により形成されたものであり、必ずしも我が国社会固有の観念とは合致せず、また現実に、女系の血統が皇位継承において相応の役割を果たしてきた事実もあるとする見解
 ・  武力等を背景とした伝統的な男性優位の観念の結果によるものであり、男系継承自体に固有の原理が存在するわけではないとする見解
 など、種々の議論があるが、これらは個人の歴史観や国家観に関わるものであり、それぞれの見解の当否を判断することから皇位継承資格の検討に取り組むことは適当ではない。したがって、ここでは、これまで男系継承が一貫してきたという事実を認識した上で、過去どのような条件の下に男系継承が維持されてきたのか、その条件が今後とも維持され得るのか、を考察することとする。

 特に次の一文はかなり悪意があるとしか思えない書き方になっています。

 これが我が国の皇位継承における確立された原理であり、それ以上に実質的な意義を求めること自体が無意味であるとする見解

 確かに、そう言われればその通りです。
 男系という伝統には、実質的な意義はありません。
 しかし男系という意義とは、伝統や歴史という目に見えない重みという点から見れば決して「無意味である」とは言えないハズです。
 そもそも歴史とはそういうモノですよね。
 歴史の積み重ねには実質的な意味はなく、2000年前にも日本人が存在したというコトだけでは実質的にはなんら現代人に利益を与えるモノはないでしょう。
 だけどそれがあるコトによって、歴史を感じ、日本としてのアイディンティティを感じるコトはできます。
 誇りを持つコトはできます。
 それと同じで、合理的な意味は特にありませんが、しかし「男系というルールによって2600年という長きにわたって積み重ねてきた歴史の体現者である天皇家」という意義をどうして「無意味」と言えるのか、やえには全く理解できません
 こんなコトを言い出したら、全ての歴史が無意味になってしまうワケで、いったい歴史をどのように見ているのか考えているのか、有識者会議に聞いてみたいところです。
 この辺が目に見えるモノしか信じられない工学博士という人が座長である弊害が出ているのかもしれません。

 律令や儒教など中国の影響により形成されたものであり、必ずしも我が国社会固有の観念とは合致せず、また現実に、女系の血統が皇位継承において相応の役割を果たしてきた事実もあるとする見解

 これも歴史を知らなさすぎです。
 日本の歴史を大きく分けると実は2つに分けられるのですが、どこで分けるのかと言えば、明治維新以前と以後です。
 なぜかと言えば、明治以後は明治憲法下の国家制度(今でも明治憲法時代の法律で生きてる法律は多数あります)であり、それ以前は律令制度という憲法の下での国家制度だったからです。
 これはあまり知られていない事実なのですが、西暦600年あたりにできた日本の律令制は、実は幕末まで生き続けていた、というか正式に廃止と公布されないままになっていたのです。
 徳川最後の将軍である徳川慶喜は、実質的には日本を動かす立場にはありましたが、しかし正式には天皇の家来という身分でありまして、となれば当然官位というモノがあるワケですが、その官位は「従一位内大臣」です。
 これは律令制で定められている官位なんですね。
 また、新選組のスポンサーであった松平容保は、会津藩の藩主であったのにも関わらず、官位は肥後守であり左近衛権中将でした。
 なぜ会津藩主なのに肥後守なのかと言えば、別に肥後という場所が問題なのではなく、肥後守という役職が存在していたから容保をその役所につけただけの話であってそれ以上の意味はないんですが、それはともかく、この左近衛権中将という官位もやっぱり律令制における官位なのです。
 もちろん実質的には律令制などあってないようなモノではありましたが、しかしここまで自然に空気のように定着していた律令制を「我が国社会固有の観念とは合致せず」と言ってしまうのは、あまりにも歴史的無知であるとしか言いようが無いワケです。
 
 そもそも、本場というか、中国の律令制には、当然ですが天皇という概念はありませんでした。
 もちろん、日本人が輸入物である律令制を日本風にアレンジして、日本の風土に合致するよう改造して、本場の律令制を日本のモノとしたワケです。
 この手の作業は日本人の最も得意な作業であって、古くは仏教や漢字・ひらがな、新しくは鉄砲や戦艦技術など、挙げればキリがないぐらい「日本のモノ」としたモノは数多くあります。
 果たしてそれらを「我が国社会固有の観念とは合致せず」と言えるのでしょうか。
 では「我が国社会固有の観念」とは一体なんなんでしょうか
 他国文化に影響されない文化など、韓国の中国丸ごとコピーは例外としても、それは中国などにおいてもあり得るのでしょうか。
 日本は、様々なところからの文化の影響を受けながら、その中で日本らしさというモノを形成してきた文化であり民族であります。
 またこのようなコトは、大なり小なり、どこの国の文化でも同様でしょう。
 それなのに、それを認めないというのは、もはや日本人・日本文化を認めないと言っているのと同義だと言えるでしょう。
 やえは、日本仏教や漢字やひらがななども立派な日本文化だと誇るコトができますし、多くの日本人もそう思うと想像していますが、しかし有識者会議はそれも日本固有の文化ではないと否定しているワケです
 これはあまりに歴史的無知ですし、国民感情からあまりにもかけ離れている存在なのではないのでしょうか。
 こんな無知者がなにをもって天皇の後継問題に口を出すというのでしょうか。
 
 そもそもここの項目は『(1) 男系継承の意義等』を受けての『ア. 皇室典範制定時における男系男子限定の論拠』と並列する形での『イ. 男系継承の意義についての考え方』なのですから、つまりは「今まで男系で続いてきたコトにおけるメリット」という部分について書く必要があるワケです。
 今まで2600年男系で続いてきたという事実はこれは何人たりとも否定できない事実なのですから、それを踏まえた上で、どうして続いてきたのか、続いてきたコトについてどのような意義があったのかをここでは問うているワケですよね。
 それなのに、『イ. 男系継承の意義についての考え方』に書かれている項目は、そのほとんどが否定的意見で占められてしまっています。
 こんなアンフェアな話はない上に、『ア. 皇室典範制定時における男系男子限定の論拠』『イ. 男系継承の意義についての考え方』と歴史的な客観的事実を列挙するかのようなタイトルを並べておきつつ、しかしその内容は有識者会議が今どう考えているかといったあまりに個人的な意見しか述べられていないという、巧妙なミスリードをしているワケです。
 つまり、有識者会議の個人的見解があたかも歴史的事実かのようにだましているワケです。
 これは、文章のサブリミナル効果と言えるような、あまりに卑怯な方法であるのです。
 
 だいたいにして、おおもとの問題として「男系継承の意義等」と項目を謳っているのであれば、少なくとも「天皇家2600年の歴史と伝統その重み」とか、あくまで科学的な歴史事実を重んじたとしても「崇神天皇から続く男系2100年の歴史と伝統」ぐらいは明記すべきなのではないでしょうか。
 誰がなんと言おうと、天皇家の世界に誇る価値の中には2000年近い同一のルールの下で続いている王家であり法王であるという事実には否定できないのですから、その大きな価値を明記しないでどうして天皇家の存続にかかる問題を議論できると言うのでしょうか
 男系存続論者とはここを最も重要視しているのですから、ここを無視して話を進めようとしているコト自体が、やはり結論ありきの会議であったのではないかと言わざるを得ないワケなのです。
 
 
 (つづく)
 

平成17年12月5日

 「皇室典範に関する有識者会議」の報告書に異議を申し立てる 2

 年末ですねぇ・・・。
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 
 次は『(2) 男系継承維持の条件と社会の変化』という項目を見てみたいと思うのですが、これもまた実に巧妙にミスリードしようと文章が組まれています。
 やえが何度も言っていますように、庶民の常識と天皇家の常識を並列に論じるコトは適切ではありません。
 天皇は天皇の世界の中のルールを守ってきた中で2600年の歴史を作ったのですから、それを尊重するのは当たり前の話で、歴史そのものが天皇の存在なのですから、それらの歴史を否定しては天皇すら否定するコトになりかねません。
 しかし、この報告書は巧妙に巧妙に論点をずらそうとしています。

 (2) 男系継承維持の条件と社会の変化
 男系による継承は、基本的には、歴代の天皇・皇族男子から必ず男子が誕生することを前提にして初めて成り立つものである。
 過去において、長期間これが維持されてきた背景としては、まず、非嫡系による皇位継承が広く認められていたことが挙げられる。これが男系継承の上で大きな役割を果たしてきたことは、歴代天皇の半数近くが非嫡系であったことにも示されている。また、若年での結婚が一般的で、皇室においても傾向としては出生数が多かったことも重要な条件の一つと考えられる。
 しかしながら、昭和22年に現行典範が制定されたとき、まず、社会倫理等の観点から、皇位継承資格を有するのは嫡出子に限られ、制約の厳しい制度となった。実際に、現行典範の制定の際の帝国議会では、皇籍離脱の範囲を拡大するとともに、非嫡出子を認めないこととすれば、皇統の維持に不安が生じかねないため、女性天皇を可能とすべきではないかとの指摘もあった。
 近年、我が国社会では急速に少子化が進んでおり、現行典範が制定された昭和20年代前半には4を超えていた合計特殊出生率(一人の女性が、一生の間に産む子供の数)が、平成16年には1.29まで低下している。
(中略)

 このまま読むと、なんだか嫡出子が正道であり、また少子化は現在社会問題なので説得力があるかのように感じてしまいがちです。
 しかし、今回の天皇後継問題での最も重要な焦点は、男系を存続させるか放棄するかの二択の問題であり、ここを一番議論しなければならない点なのです。
 それなのにこの報告書はたった「社会倫理等の観点から、皇位継承資格を有するのは嫡出子に限られ」と一文だけで嫡出子の問題を終わらせ、さもはじめから嫡出子に何も問題など存在しないと言わんばかりにしてしまっています。
 こんな馬鹿な話はありません。
 天皇後継の最大の問題である男系かそれ以外かという問題をたった一言で終わらせてしまって、ではいったいこの報告書はなにを報告しているつもりなのでしょうか。
 
 そのつもりが、この項目で言えば出生率の問題なのでしょう。
 嫡出子問題をたった一言で終わらせた一方、出生率の問題は長々と実に15行も使って説得力を出そうとしています。
 確かに出生率の問題は、民間のそれと皇室のそれとリンクするというのは否定できないモノです。
 ですから、これだけを読めば、科学的なデータも出されていて、かなり説得力のあるように思えてしまうワケです。
 しかし本来の議論としてはこれは傍論でしかなく、特に「平均的には、一組の夫婦からの出生数が2人を下回れば、男系男子の数は世代を追うごとに減少し続けることとなる」という話をするのであれば、ここから導かれる議案とは「ではどうやって男系男子の数を減らさず増える方向にもっていくか」という話をしなければならないワケであって、決してここから男系を否定しうる材料には全くもってならないのです。
 それなのになぜか強引に女系賛成の方向に持って行こうとしているあたり、やっぱり結論ありきの会議ではないかと疑いを持たざるを得ないワケです。
 
 
 さて、この報告書、一応旧皇族の皇籍復帰についても触れていたりします。
 しかしこの扱いも相当に失礼な感じになっています。

 (補論)旧皇族の皇籍復帰等の方策
 
 男系男子という要件を維持しようとする観点から、そのための当面の方法として、昭和22年に皇籍を離れたいわゆる旧皇族やその男系男子子孫を皇族とする方策を主張する見解があるが、これについては、上に述べた、男系男子による安定的な皇位継承自体が困難になっているという問題に加え、以下のように、国民の理解と支持、安定性、伝統のいずれの視点から見ても問題点があり、採用することは極めて困難である。

 はじめから「補論」なワケです。
 つまり、「語るほどでもないけど、なんかうるさい人がいるから一応触れておきますよ」と言っているワケです。
 もはや、結論ありきここに極まれりです。

 旧皇族は、既に60年近く一般国民として過ごしており、また、今上天皇との共通の祖先は約600年前の室町時代までさかのぼる遠い血筋の方々であることを考えると、これらの方々を広く国民が皇族として受け入れることができるか懸念される。皇族として親しまれていることが過去のどの時代よりも重要な意味を持つ象徴天皇の制度の下では、このような方策につき国民の理解と支持を得ることは難しいと考えられる。

 60年がなんだというのでしょうか。
 天皇家2600年の伝統の前には小さすぎる話です
 また、「今上天皇との共通の祖先は約600年前の室町時代までさかのぼる遠い血筋の方々であることを考えると、これらの方々を広く国民が皇族として受け入れることができるか懸念される」とか「このような方策につき国民の理解と支持を得ることは難しいと考えられる」とか言ってますが、「懸念」や「考えられる」は有識者会議が勝手に懸念して考えているだけの話であって、別に国民がそうであると結論づけられているワケではありませんから、全く全然これっぽっちも旧皇族の皇族復帰が難しいという説得材料にはなりません
 ただの有識者の予想です
 予想屋の予想は予想でしかなく、予想だけで結論づけられるのであれば、「それでも国民は新しい男系天皇を敬愛することができるでしょう」とやえが言っても問題ないコトになります。
 そもそも敬愛されるかされないかが問題であるなら、男系でない天皇が就くことによって敬愛されない可能性だって含まれるワケで、やっぱりそれは予想の範囲を超えない話でしかないワケです。
 この話はそうではなくて、天皇が古代から2600年続いた伝統に基づく権威を今現在捨てるのかどうかという話なのですから、まったくもって筋違いも甚だしいのです。
 
 また、むしろ600年前までさかのぼっても神武天皇に繋がるという事実の方が、天皇家の悠久の歴史を感じられるよい材料になるのではないでしょうか。
 なぜ有識者会議ははじめから否定ありきの結論を出すのか、それこそまずは国民に議論してもらえばいいだけなのに、甚だ疑問でしかありません。

 皇籍への復帰・編入を行う場合、当事者の意思を尊重する必要があるため、この方策によって実際に皇位継承資格者の存在が確保されるのか、また、確保されるとしてそれが何人程度になるのか、といった問題は、最終的には個々の当事者の意思に依存することとなり、不安定さを内包するものである。このことは、見方を変えれば、制度の運用如何によっては、皇族となることを当事者に事実上強制したり、当事者以外の第三者が影響を及ぼしたりすることになりかねないことを意味するものである。

 こんなの一言で終わります。
 やってみないコトにはどうしようもありません
 そもそも天皇の子供に生まれれば天皇に強制される運命にあるのですから、はじめからこんなコトを言い出してもキリがありません。
 元々は天皇家に生まれた運命を背負い、また戦後に強制的に天皇家から離脱させられた人たちではありますが、しかし今でも天皇家の血筋を、神武天皇家を継承している事実からはどうやっても逃げられないワケであって、この事実から目をそらして、ここだけ都合良く「個人の自由」なんて言葉を振りかざすのは、あまりにも的はずれなのではないでしょうか。

 いったん皇族の身分を離れた者が再度皇族となったり、もともと皇族でなかった者が皇族になったりすることは、これまでの歴史の中で極めて異例なことであり、さらにそのような者が皇位に即いたのは平安時代の二例しかない(この二例は、短期間の皇籍離脱であり、また、天皇の近親者(皇子)であった点などで、いわゆる旧皇族の事例とは異なる。)。これは、皇族と国民の身分を厳格に峻別することにより、皇族の身分等をめぐる各種の混乱が生じることを避けるという実質的な意味を持つ伝統であり、この点には現在でも十分な配慮が必要である。

 今回の事態は、皇室の中に男系がいなくなるという天皇家始まって以来の異例中の異例事態と呼べるモノなのですから、一例でも例があれば問題はないと考えられます。
 また、混乱が生じることを避ける配慮が必要であるなら、そう配慮すればいいだけの話です。
 簡単に言えば、今回のは異例事態を受けての特例措置であり、基本的に後続復帰は今回のみとして、通常の場合や本人が望むだけの理由では受け付けないコトにすればいいだけでしょう。
 また今回復帰していただく方々の皇位継承順位も、じっくりと時間をかけて議論すればいいだけの話です。
 1、2年以内に決めなければならないぐらい急ぐ必要性は全くないですからね。
 これだけのコトで、ことさら混乱が起きると決めつけるのはいささか強引なのではないでしょうか。
 
 そもそも、女系の方が全く前例が無いのですから、それをさしおいてなぜ一例でもある前例を例外扱いし、前例のない方法を正道かのように言うのでしょうか
 理論的にもう破綻しているというか、わざと無茶苦茶にうやむやにしようとしているようにしか思えません
 女系天皇よりも、皇族復帰の方が遙かに確実に伝統を守った方策です
 議論の順番としては、まずは前例が1つでもある皇族復帰の方策を検討して議論し、それでもどうしても不可能であると言う場合にのみ、新しい方策を考えるというのがスジなのではないでしょうか。
 なぜわざわざ伝統にない女系にこだわって、伝統にある方策を頭ごなしに否定するのか、理解に苦しむというか、やはり結論ありきの意図があるとしか思えません。
 
 
 (つづく)

 

平成17年12月7日

 「皇室典範に関する有識者会議」の報告書に異議を申し立てる 3

 ここまでで十分この報告書がダメダメなコトがお分かりになったのではないかと思います。
 結局最初から結論を出していたとしか思えない会議の内容であり、本当に議論をしたのかすら疑問にしか思えない内容にしかなっていません。
 「総理の私的諮問会議で議論をして結論を出した」というお墨付きを付けるためだけにこの会議か結成されたのではないかと思わざるを得ないです。
 
 報告書は、なぜ男系をこの段階においてあきらめるのか、そして女系の正当性はどこに存在するのか、全く説明をしないまま、女系の皇位継承資格の拡大に話を進めています。

 (3) 女子や女系の皇族への皇位継承資格の拡大の検討
 皇位継承制度の在り方を考察するに際し、世襲による継承を安定的に維持するという基本的な目的に立ち返れば、皇位継承資格を女子や女系の皇族に拡大することが考えられる。これは、内親王・女王やその子孫も皇位継承資格を有することとするものである。

 いつから「皇位継承制度の在り方を考察」の中身が「安定的な皇位継承」の議論になってしまっているのでしょうか。
 ここまで露骨なミスリードもないです。
 今の議論というモノは「皇位継承者が途切れそう」であるという事態を受けて「ではどうするのか」という議論をしているワケであって、極論すれば、正当な皇位継承者が一人でも存在できるのであれば安定的な制度を整備する必要はないと言えるのです。
 もちろん安定的な制度になっていた方がいいには決まっていますが、しかしそれはまた別議論であって、今すぐ結論を出さなければならない議論では全くありません
 繰り返しますが、今すべき議論とは、皇太子さまの次の天皇を誰にするかという議論であって、また女性天皇という意味だけなら誰も反対している国民はいないと言える状況において女性天皇を認める部分だけを改正すれば、愛子様の次の天皇をどうするかという議論になり得るワケですから、ますます100年も先の問題を今すぐに出す必要はないと言えるワケです。
 それなのに、有識者会議は「安定的に皇位継承」という議論に中身をすり替えようとしているワケであり、もはや明らかに悪意を持って議論をミスリードしていると言わざるを得ないのです。
 

 女性天皇に関しては、明治典範や現行典範の制定時にもこれを可能にすべきであるという議論があった〔参考11、12〕。現行典範制定の際の当時の帝国議会においては、歴史上も女性天皇の例があること、親等の遠い皇族男子より近親の女性を優先する方が自然の感情に合致すること、皇統の安泰のために必要であることなどの理由から、女性天皇を可能にすべきではないかとの質疑が行われた。その時点では、男系男子の皇族が相当数存在しており、皇位継承に不安がなかったことなどもあり、男系継承の意義や女性天皇を可能とした場合の皇位継承順位などの在り方に関して、なお研究を行った上で結論を得るべきものとされた。男系男子の皇位継承資格者の不在が懸念される状況となっている現在、女性天皇や女系の天皇について、まさに真剣な検討を行うことが求められていると言わなければならない。

 本来なら、このような文章は報告書などというモノに載せるべきではないモノだと言えます。
 なぜなら、仮に女性天皇の検討が明治時代に行われていたとしても、結局は反対された意見でしかなく、男性であるべきだという意見もあったからこその結論なのですから、もしこの意見を報告書に載せるのであれば、同じように男性天皇に限るという意見をも併記する必要があるハズだからです。
 ただの一部にだけにポツンと述べられた意見程度を列挙したところで、そこに説得力は生まれはしませんからね。
 また、天皇家の歴史は2600年も続いているワケなのですから、たった100年ほど前の議論の意見を載せただけでは全然不十分なのであって、もし明治時代の議論を報告書に載せるというのであれば、それより前に議論された天皇家のあり方の意見というモノもやはり載せる必要があるでしょう。
 この辺からもやはり有識者会議の歴史観の浅はかさが見て取れるというモノです。
 この部分は、男性主義の明治時代においても女性天皇の議論が行われたんだぞ、というお墨付きを得ようとしている、まさに論拠をすっ飛ばした強引な手法であり卑怯であり、逆に言えばそれが論拠薄弱である証拠とも言えるでしょう。
 
 有識者会議のミスリードはこれだけにとどまりません。
 この部分は「明治時代の議論」と「有識者会議の意見」の2つのパートに別れているのですが、実は前半の「明治時代の議論」と後半の「有識者会議の意見」は、女系天皇の議論に関しては全く繋がっていないのです。
 前半は『女性天皇に関しては、明治典範や現行典範の制定時にもこれを可能にすべきであるという議論があった』から始まって『なお研究を行った上で結論を得るべきものとされた』で終わっているワケなのですが、よーく文字を見てください。
 前半の部分には一言も「女系」という文字は存在しないのです
 よくよく該当部分を読めば分かるのですが、明治時代に行われた議論とは「女性天皇」の是非であって、「女系天皇」の是非ではないのです。
 しかしそれにも関わらず、なぜか後半部分には『女性天皇や女系の天皇について、まさに真剣な検討を行うことが求められていると言わなければならない』と「女系」の文字がどこからか湧き出てしまっているのです。
 文脈的にも明治時代の議論とは「明治時代には女性天皇の議論が行われて、今後もさらに研究をする必要がある」という意味しかないハズであり、一言も「女系天皇について研究する必要がある」とは書かれていないのですが、それなのに有識者会議の意見にはなぜか「女系天皇について検討を行うことが求められている」と、さも女系天皇の議論が明治時代から求められていたかのように書いているのです。
 まさに悪意の固まりの曲解としか言いようがありません。
 もしくは日本語能力が極端に低いかです。
 日本の総理大臣の私的諮問機関が、このような犯罪的とも言えるミスリードを犯すコトがどう許されると言うのでしょうか。
 
 何度も言いますが、女系天皇に関しては、2600年の歴史の中、一度たりとも行われたコトはありません。
 前例は存在しないのです。
 もしそれを行おうとするのであれば、2600年の中で初めてのコトをしようとしているワケであり、歴史も伝統も全くない0からの出発であると言えるコトなのです。
 少なくとも明治時代には「女系」の議論は行われていませんでしたし、またおそらく過去においてもそのような議論は行われなかったのでしょう。
 それは、男系による直系でない一般的には他人とも言えてしまうほどの間柄であっても天皇の位が継承されていた事実が何度もあったコトを考えれば、安易に想像がつくのではないでしょうか。
 むしろこの事実は、男系であるというコトこそが天皇家の唯一のルールである証明であると言えるのですから、天皇家の議論をする場合にはまずここに主眼を置かなければならないハズなのです。
 
 
 (つづく)
 

平成17年12月12日

 「皇室典範に関する有識者会議」の報告書に異議を申し立てる 4

 イ . 国民の理解と支持
 国民が、象徴としての天皇に期待するものは、自然な血統に加え、皇位とともに伝えられてきた古来の伝統や、現行憲法下の60年近くの間に築かれてきた象徴天皇としての在り方を含め、皇室の文化や皇族としての心構えが確実に受け継がれていくことであろう。このような観点から皇位継承資格者の在り方を考えた場合、今日、重要な意味を持つのは、男女の別や男系・女系の別ではなく、むしろ、皇族として生まれたことや皇室の中で成長されたことであると考えられる。

 出ました。
 根拠無き妄言
 こんなのただの有識者会議の予想でしかありません。
 しかもお得意の「60年の歴史」です。
 どこまで浅はかなのでしょうか
 結局こんなのは「今さえよければいい」という歴史を全く無視した歴史も未来も何ら考えていない今だけ主義でしかありません。
 今は天皇としてなんとなくふさわしい人が就けば問題ない、過去や未来についてはどうでもいい、それぐらいしか思っていない、底の浅い薄っぺらいどうしようもない意見です。
 しかし本来の天皇家の問題とは、古代2600年前から続き歴史と伝統を、どう次の世代に、どう1000年先2000年先に受け継いでいくのかという問題なのです。
 それなのに、今だけよければいいだなんて、よくもまぁこの程度の人間が有識者を名乗るモノかとあきれ果ててしまいます。
 
 また、文脈からも普通に反論出来てしまう内容だったりしています。
 有識者会議はなぜ直系に重きを置くかと言えば、それは『皇室の文化や皇族としての心構えが確実に受け継がれていくこと』が最も大切だと思っているからと言っています。
 つまり、生まれたときから皇族であり皇室に入っている人間であるならば天皇に即位する条件を満たしているコトになると言っているワケですね。
 それならば、なにも直系にこだわる必要性などどこにもないんですね。
 生まれたときから皇室に属しており、『皇室の文化や皇族としての心構え』の教育を受けていれば、なにも直系である必要はなく、傍系の男系でも問題ないと有識者会議も言っているワケです。
 もしかしたら「しかし現在は男系男子の皇族がいないじゃないか」という意見があるかもしれませんが、愛子様が即位されるコトはなんら問題がないワケであって、つまり愛子様の次の世代の皇太子をどうするかという問題が今の問題であるのですから、時間はたっぷりあるワケで、具体的に言えば、神武天皇男系が続いている旧皇族家にいま皇族に復帰していただければ、愛子様の次の世代の皇族の方は、生まれたときから皇族に属しているコトになるのです。
 よって、愛子様の次の世代の皇族の方は『皇室の文化や皇族としての心構えが確実に受け継がれていくこと』は十分に可能なのです。
 ですから、男系男子を存続させるコトは全くもって可能な話なのです。
 
 この部分は、女系を認めるコト、直系でなければならないというコトの説得力を見いだすコトは全く出来ない上に、むしろ有識者会議の考え方からしても男系男子が存続できる理由になってしまっているという、もはや議論はここまでと言ってもいいぐらいの大変な意見なのです。
 

 皇位が男系で継承されてきた歴史等を背景として、天皇は当然に男性であるとの観念が国民の間に存在してきたことは事実であろう。それは、男子による家督の継承を重んじた明治の民法の制度や一般社会における家の観念、社会における男性の優位の観念とも結び付いていたと思われる。しかし、他面、現行典範が制定された昭和22年以降、我が国では、家族観や社会における男女の役割分担などをめぐって、国民の意識や制度に様々な変化が生じてきていることも考慮する必要がある。

 はい。
 ここはあくまで「男性天皇」と「女性天皇」の話であり、「女系」とは全く関係のない話です。
 女性天皇については何ら言うことはありませんから、「だからなに?」で全てが終わってしまう部分です。
 
 さらにツっこむとすれば、さも国民での風習が天皇家にも影響されるかのようにここでは言っていますが、天皇家の長い歴史からすれば、明治時代の皇室典範の方がイレギュラーな存在だと言えるのです。
 なぜかと言えば、確かに明治時代には「男子による家督の継承を重んじた」風習がありましたが、しかしそれはなにも明治時代だけの話ではありません。
 江戸時代だってそうでしたし、いえ、江戸時代の方が顕著で、女性の家督相続は幕府によって認められていませんでした。
 というか、江戸時代以前はずっとそうだったと言っても過言ではありません。
 庶民であれば、例えそれが将軍家であろうとも、家督を継ぐ男子がいない場合は有無を言わさずお家断絶となっていたでしょう。
 また庶民には養子が認められており、長子であれば血が繋がっていなくてもお家は継続されていくコトが認められてました。
 さらに言えば、家を継ぐためには、養子であれ嫡出子であれ必ず長男である、というか、直系であるという条件が付けられていました。
 つまり「親から子へ」が絶対条件だったワケですね。
 これが庶民のルールですが、しかし天皇家にはそのようなルールはありません。
 緊急避難といえども女性天皇が存在した事実はありますし、また養子も認められていません。
 その代わりと言ったらなんですが、男系であれば親から子でもなくても、例え一言で言い表せるような間柄でなくても、問題なく皇位は継承されていったのです。
 このように、庶民と天皇家の文化というモノは、どの時代においても一線が画されていたのです
 もちろんこれは明治時代においても全く同様の話です。
 よって、明治典範に「男子のみ」と定められていたとしても、それが必ずしも「天皇は庶民の風俗に準ずるべきだ」という論拠には全然なりませんし、また明治典範だけを正しい天皇家のあり方だとする論拠にもさっぱりなりません
 むしろ明治典範の方が今までの天皇家の風習から外れているイレギュラーな存在なのです。
 すなわち、現代においても庶民の風習から天皇家が何かを鑑みる必要など全くないのです
 この部分は全てが破綻している文章なのです。
 
 長い歴史や伝統を背景とする天皇の制度と、一般社会における家族観や男女の役割分担についての意識とを直ちに結び付けることはできない。しかし、最近の各種世論調査で、多数の国民が女性天皇を支持する結果となっていることの背景には、このような国民の意識や制度の変化も存在すると考えられる。天皇の制度において、固有の伝統や慣習が重要な意義を有することは当然であるが、他方、象徴天皇の制度にあっては、国民の価値意識に沿った制度であることが、重要な条件となることも忘れてはならない。
 
 まず、天皇は「長い歴史や伝統を背景とする」のではありません。
 天皇は歴史や伝統そのものです。
 この部分は『直ちに結び付けることはできない』と理解のあるところを示しているように見せかけて、しかし結論的には全くそのような配慮は見られません。
 天皇は歴史そのものであり、日本そのものであります。
 これは今「象徴天皇」とされているからそう言えるのではなく、はじめから天皇とは日本を象徴するような存在であり、日本の代表であり、日本そのものであり、では昔と今と何が違うのかと言えば、それは政治に対して実権があるかどうかぐらいの違いしかないと言えるでしょう。
 決して政治に対して実権があるから天皇が日本の代表であり象徴であるというモノではないのです。
 それは、武士の時代において天皇家は実質的な政治の実権が無かったのにも関わらず、しかしそれでも日本の頂点に位置していたという事実と認識が紛れもなく存在してたコトからも分かるでしょう。
 これこそ象徴天皇の姿であったのです。
 当然武士の時代には「象徴天皇」などという言葉はありませんでしたが、しかし誰しもが日本を表す存在として、例えば国旗や国家のような象徴的な存在として、天皇を戴いていたのです。
 また、天皇に実権があった時代、すなわち平安時代や明治時代ですが、その際においても天皇は絶対王権的な、トップ1の存在ではありませんでした。
 必ず合議制のような「和を尊ぶ」精神に基づいた、どちらかといえは議長的な存在として天皇がいらっしゃったのであって、よってここからも、政治的トップだから天皇は日本を代表し象徴しているのではないというコトがハッキリしていると言えるでしょう。
 天皇は、実権があるなしにかかわらず、いつでもどんな時でも日本の象徴であり、いま単に言葉の上で「象徴天皇」と定められているからといって、国民の姿を鏡のように写さなければならないという理由には全くならないのです。
 
 相変わらず有識者会議は歴史というモノをたった60年の短さでしか計れず、象徴天皇という言葉を文字通り文字の上だけの意味でしか読み取るコトしか出来ず、今だけが良ければそれでいい程度しか考えられないようですが、しかし天皇とは今まで2600年続き、これからも数千年と続いていく存在である以上、それらの歴史や文化や国家の全てを象徴させる存在でなくてはならないのです
 それが本当の意味の象徴天皇であるのです。
 「象徴天皇」の本当の意味を読み違えてはなりません。
 そこに政治的実権があるのかないのかなんてちっぽけなコトは問題ではないのです。
 今だけのほんの数年だけの国民の文化の真似ごとをすれば、それが象徴という意味になると思っていたら大間違いなのです。
 

 ウ. 伝統
 我が国では、これまで、一貫して男系により皇位が継承されてきた伝統があり、女子が皇位に即き、更に女系の天皇が誕生する場合、こうした伝統的な皇位継承の在り方に変容をもたらすこととなる。
 皇位の継承における最も基本的な伝統が、世襲、すなわち天皇の血統に属する皇族による継承であることは、憲法において、皇位継承に関しては世襲の原則のみが明記されていることにも表れており、また、多くの国民の合意するところであると考えられる。
 男系男子の皇位継承資格者の不在が懸念され、また、歴史的に男系継承を支えてきた条件の変化により、男系継承自体が不安定化している現状を考えると、男系による継承を貫こうとすることは、最も基本的な伝統としての世襲そのものを危うくする結果をもたらすものであると考えなければならない。
 換言すれば、皇位継承資格を女子や女系の皇族に拡大することは、社会の変化に対応しながら、世襲という天皇の制度にとって最も基本的な伝統を、将来にわたって安定的に維持するという意義を有するものである。

 意味が分かりません。
 『皇位の継承における最も基本的な伝統が、世襲、すなわち天皇の血統に属する皇族による継承である』と考えているのであるならば、いかに男系継続を存続させていく方法を考えるか、安定させる方法を考えるか、それをまずはじめにすべき議論なのではないでしょうか
 『意義』とは言いますが、天皇家とそれを戴く日本にとっての意義とは、決して制度の安定化なんて問題ではなく、神武天皇家が現代にも後世にも続いていくコトこそなのではないでしょうか。
 そして、その手段があるにもかかわらず見て見ぬふりをして、また議論すらもしようともせず、ただただ結論だけを女系の方向に進めようとしているその手法は、あまりに悪意の固まりだと感じずにはいられないのです。
 

 (4) 今後の望ましい皇位継承資格の在り方
 これまで見てきたような皇位継承制度をめぐる国民意識や社会環境の変化は、我が国社会の長期的な変化に伴うものである。女性天皇や女系の天皇を可能とすることは、社会の変化に対応しながら、多くの国民が支持する象徴天皇の制度の安定的継続を可能とする上で、大きな意義を有するものである。

 もはやお話になりませんとしか言いようが無くなってきています。
 結局、女性についてはともかく、女系についてはなんら説明をせず、女性天皇と混合させてミスリードによって強引に容認させようとしているだけに過ぎませんでした
 また、『我が国社会の長期的な変化に伴うものである』なんて言ってますが、最近の国民意識や社会環境の変化は、まったくもって『長期的』と呼べるシロモノではありません。
 ごくごく十数年、長く見ても50年程度での変化です。
 こんなの天皇家2600年の歴史に比べればちっぽけなモノです。
 こんなのでよく『大きな意義を有するものである』と言えるモノだなぁと思ってしまいます。
 
 女性天皇や女系の天皇はその正統性に疑問が生じるという見解もあるが、現在の象徴天皇の制度においては、皇統による皇位継承が維持され、幅広い国民の積極的な支持が得られる制度である限り、正統性が揺らぐことはない。
 
 そもそも正当性というモノは、支持が得られるかどうかで決められるのではなく、歴史を正しく受け継いできたかどうかによって認められるモノです
 この論拠で言えば、別に天皇家の人間で無かろうとも、国民の支持さえ得られれば天皇になれ得てしまうという危険な考え方になってしまいます。
 そうではなくて、天皇家としての正統的な伝統に則って継承されるコトが第一であり、それを国民が支持するという順序であるハズです。
 積極的な支持が得られる制度であればいいというだけでは、シナの国の易姓革命をも容認する、反日本的な考え方でしかなくなってしまうのです。
 そして最後もお得意の予想妄想幻想だけで結論づけてしまっています。
 最初から最後まで説得力のない、根拠のない、あるのは決められていた結論だけの、どうしようもない報告書でした。
 
 
 報告書は、この後『皇位継承順位』や『皇族の範囲』など、新しい制度作りについて言及しています。
 しかし、いままでの報告書から女系がいままでの天皇家としてふさわしいかどうか、その根拠を全く示すコトは出来ていません。
 よって以降の報告書は全く無意味なのです。
 いくらもっともらしい制度作りをしたとしても、なぜその新しい制度を作る必要があるのか根拠を示さない限り、それは全く無意味です。
 そして、今までやえが示してきましたように、この報告書はまったくもって女系天皇を認める論拠は示されませんでした。
 示されていた事実とは、この有識者会議は今までの天皇家をどう継承し今後の天皇家をどう存続されるかを議論するモノではなく、ただ単に女系天皇を強引に認めるだけの権威付けの会議でしかなかったという事実でしょう。
 
 次回、この報告書について最後のまとめを書きたいと思います。
 

平成17年12月14日

 皇室典範に関する有識者会議の報告書に対する異議申し立てまとめ

 結局この報告書は、次の2点だけを論拠としています。
 
 ・安定的な制度であること
 ・国民の支持が得られるであろうという予測
 
 この報告書には長々といろいろ書かれていますが、時には歴史とかという文字も見え隠れしていますが、結局はこの2点が結論として出てくる仕組みになっています。
 そしてこの2点がそろっているからこそ、女系も継承のルールとして正しいものだと言っているワケです。
 
 しかし果たしてそうでしょうか。
 「安定的な制度」と言えば、確かに聞こえはいいです。
 その通りだと思いますし、安定しているにこしたコトはないのは確かです。
 だけど、本来「安定」とは手段であって、目的ではないハズなのです。
 
 繰り返しますが、安定であるにこしたコトはありません。
 安定していれば、未来にわたって憂い無く天皇が日本の象徴として存在し続ける安心感を国民は得られるコトができるでしょう。
 しかし、極端な言い方をすれば、天皇さえ存在し続ければ、皇室というモノは無くても問題はないのです。
 皇室は天皇を安定的に存続させるためのシステムに過ぎないワケで、天皇を存続させるためにあるだけのモノとも言っても過言ではなく、天皇が継承されるための道具にすぎないとも言えてしまうワケです。
 よって「安定的な制度」とは皇室というシステムに課せられた手段のひとつであって、天皇が絶えず存続していくための絶対条件では決してないのです。
 皇室が無くても天皇が存続していければ、皇室はなくても問題はないと言えてしまうのです。
 
 つまりですね、「安定的な制度」を目的としたシステム作りというのは、本来は皇室の役目をどのように果たしていくかという問題ではあっても、次の天皇はどうするかという問題の目的には決してならないのです。
 
 ここを混同してしまっているので、議論がややこしくなってしまっているのです。
 いま直面している問題の中には、確かに安定性が損なわれている皇室のシステムとしてのあり方というモノもありますが、しかしいま本当に議論しなければならないもっとも大切な問題とは、愛子様の次の天皇がいらっしゃらないという問題の方なのです。
 天皇継承の問題こそが本道の問題なのです。
 皇室のあり方の問題ではないのです
 
 本来両者は別々に議論すべき問題です
 まずは愛子様の次はどなたに天皇に即位していただくのかという問題を考えなければなりません。
 この問題を考えたときに、ではいままでの天皇とはいったいどのようなルールに基づいて即位していたのかというコトを考え、そして神武天皇家である男系の後続の方が即位されていたという事実を確認して、ではこの条件に見合う方を探しましょう、という、本来ならこういう順番になるワケです。
 ですから、ここの問題において「安定するから女系がふさわしい」という意見は全くの筋違いとなります
 だって、愛子様の次の天皇にはどなたがふさわしいかという疑問に対し、「安定しているから」という回答は、日本語として全く成り立ちませんからね。
 
 また、愛子様の次の天皇に、「安定している背景を持っている方」が必ず就かなければならないという理由もどこにも見あたりません。
 いったい誰がそんなルールを決めたのでしょうか。
 ついぞやえは聞いたコトがありません。
 
 何度も言いますが、「安定している」という条件が必要なモノとは、「皇室というシステム」に求められているモノです。
 「愛子様の次の天皇」と「皇室のシステム」とは、似て非なるモノです。
 これらの議論は別々に行わなければならないモノであり、そして「安定している」という条件は「皇室というシステム」に必要な条件です
 つまり、次の天皇のため(だけ)に存在している皇室という性格を考えれば、順番的には、「次の天皇」の条件を満たしつつ、そしてその上で安定している制度を構築させるというのが重要度の順序です。
 よって、「男系である」という天皇に即位するための条件を「安定する」という条件では決して打ち消すコトはできないのです。
 
 
 もうひとつの有識者会議の論拠のよりどころとしている「国民の支持」ですが、これもミスリードの固まりだと言えるでしょう。
 では、いま果たしていったいどれだけの国民が皇室というモノを理解していると言えるのでしょうか。
 男系女系すら理解していない人が大部分のようですし、神武天皇家という男系が持つ意味なんてコトまでいけば、もうごくごく一部の国民しか理解していないと言えるでしょう
 さらに、今までの天皇家の歴史を紐解けば決して直系だけで続いているというワケではないという事実も、今の状況がずっと続いていると錯覚しがちの現代人には、なかなか理解しているとは言える状況にはないでしょう。
 
 このような状況で、なにをもって「国民の理解が得られる」と言えるのでしょうか。
 今の議論の仕方とは、コトの本質には全く触れずに、ただただ「女性天皇は男女平等的」という甘い言葉だけをぶら下げているだけだと言えるのではないでしょうか。
 下世話な例えで申し訳ないのですが、「必ず儲かる」とか書いて、実はリスクがものすごく高い投資だった広告のようなモノだと言えるのではないのでしょうか。
 天皇とはなんなのか、皇室とはなんなのか、日本の歴史や文化はどのようなモノで、そして天皇はそれとどのように歩んできたのか、このようなコトをまず理解しなければ、天皇について意見を言うコトは難しいと言えるでしょう。
 だからこそ今は国民がそれを知る段階であって考える段階であって、一部の有識者のようなよく訳のわからない人たちが勝手に結論を出す段階ではないのです。
 
 
 結局、有識者会議が拠り所にしている女系肯定論の論拠は、しかし全く筋違いでしかないというコトがハッキリしているワケなのです。
 このような根拠が全く存在しない報告書のような独り言なんかで日本の歴史をいじられるのはたまったものじゃありません。
 少なくとも、国民が本当の意味での男系を理解し、本質の議論をするまでは、急いで結論を出す必要は全くないでしょう。
 なんとしてでも、この報告書だけで結論が出てしまうような事態だけは避けなければならないと思っています。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、皇室典範に関する有識者会議の報告書を全く応援できません。
 

平成17年12月19日

 どうすれば皇室典範改正を阻止できるのか(上)

 大雪ですね〜
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 
 総理大臣の私的諮問会議である「皇室典範に関する有識者会議」が提出した報告書ですが、当サイトでも4にも分けてメッタ斬りにさせていただきました。
 いかに内容の無いどうしようもない報告書だったというコトがお分かりになられたかと思います。
 このような理由無き理由だけで日本の伝統と歴史をメチャクチャにされてはかないません。
 ここは日本人としてどうにかして皇室典範の阻止を成し遂げなければなりません。
 
 というワケで、今日は、どうすれば皇室典範改正を阻止できるのか、具体的なお話をしたいと思います。
 
 まず大前提なのですが、皇室典範は法律です
 明治憲法下では法律以上の存在でしたが、戦後の憲法では普通の法律になっています。
 よってですね、皇室典範を改正するためには、他の法律と全く同じように、普通に国会にて改正案を提出し了承される必要があるのです。
 諮問会議が報告書を出してしまったのでこれで決まりかのように思っていらっしゃる方がいるようですが、省令などと違い法案は国会の採決が不可欠ですから、いくら総理の私的諮問会議と言えどもこれだけではなんら改正させる理屈にはビタ一文ならなりません。
 つまりですね、もっと細かく言えば、衆議院の委員会・本会議、参議院の委員会・本会議と、合計4つの関門が待ちかまえているワケで、逆に言えば4度も改正を阻止するチャンスがあると言えるワケなのです。
 
 与党や政府が法案を提出すれば必ず国会は通ると思っている方も多いかもしれませんが、実際のところはそうでもなかったりします。
 確かに与党は議会において過半数以上の議席を獲得していますから、やろうと思えば成立率100%も不可能ではありません。
 しかし、与党も野党を全く無視しているというワケではなく、また与党内にもいろいろな事情があって、もちろん政府と与党も完全に一体というワケでもありませんから、内閣提出法案の成立率はだいたい80〜95%ぐらいだったりしています。
 90%を越えれば“高打率”と言えるでしょう。
 ちなみに、選挙後の特別国会では87%ぐらい、その前の通常国会(郵政解散された国会)は85%ぐらいだったと記憶しています。
 このように廃案になる法案も数多くあるワケでして、言ってみれば10本に1本は廃案になっているワケですから、決して廃案に追い込むコトも現実不可能な数字とは言えないワケなのです。
 いくら内閣法案と言えども、決してチャンスは0ではないのです。
 
 また、まだまだ記憶に新しいと思いますが、郵政民営化法案は一度参議院で否決されたという事実もあります。
 あの時は衆議院の解散という日本憲政史上初めての行動に出て、しかも選挙に大勝ちして無理矢理法案を通してしまった小泉さんですが、さすがにあのような暴挙は2度も出来ません。
 まして今は勝ちすぎたと言ってもいいぐらいの選挙の後ですから、仮にもしまた法案否決解散をしたとしても、今度こそ自民党は負けてしまうでしょう。
 よって、小泉さんにとってもそこまでの政治生命をかける議題でもないでしょうし、そもそも自民党が負ければ法案も通らないワケですから、まず衆参どちらかでも否決されれば廃案、もしくは継続審議になるのは確実だと言えるのです。
 望みはまだまだあるのです。
 
 さらに好条件はあります。
 おそらく改正案が提出されたら衆議院では通ってしまうと思われます。
 衆議院では自民党だけで過半数を確保してしまっていますし、小泉親衛隊のチルドレン達がいますので、衆議院では多少欠席が出たとしても、やはり通ってしまうでしょう。
 しかし参議院は違います。
 郵政解散によってチルドレンばかりが目立っていますが、実は参議院の方は議員のメンバーは全然変わっていないんですね。
 亀井郁夫さんなどの会派は多少変わっているかもしれませんが、議員構成は全く変わっていないワケですから、保守を自認する自民党の先生方なら、もしかしたら反対にまわっていただけるかもしれません。
 参議院議員の総数は242人、自民が113で公明が24人ですから、合計137人です。
 過半数は121人ですから、その差はたった16人、すなわち8人でも反対にまわれば参議院ではあっさり否決されてしまうのです。
 そう難しい数字ではないでしょう。
 参議院の次の選挙も再来年の話であり、この時はすでに小泉さんが自民党総裁ではありませんから、選挙を盾にするというのなかなか難しいと言えるでしょうし、郵政法案の時のコトを考えれば、決して不可能な話ではないと思います。
 
 よって、まずは衆参の所轄委員会の委員の議員さんに、要望のメールなりを送るのが一番手っ取り早い手段でしょう。
 人権法の時や郵政の時なども、それによって力づけられた先生達がたくさんおられたようですしね。
 
 で、肝心の委員会の方なのですが、実はこれ、皇室典範がどの委員会で取り扱われるのかよくわかんないんですよね。
 というのも、もちろん今まで一度も皇室典範は審議すらされたコトがないですし、モノも特殊ですから、ちょっとどこが所轄というコトになるのかよく分からないのです。
 一応宮内庁は内閣府の下ですから内閣委員会という可能性もありますが、やえが思いますに、多分特別委員会を設置するのではないかと思っています。
 「皇室問題に関する特別委員会」ぐらいの名前になるのではないでしょうか。
 ですから、委員の議員さんもまだ決まっていませんし、具体的に要望活動をするなら、これが決まった後の方がいいでしょう。
 決まりましたら当サイトでご報告したいと思います。
 
 
 しかし、これはどっちかと言えばあまりここまで行ってほしくないシナリオです。
 自民党の党議拘束を破れと言ってしまっているようなモノですからね。
 ですから本来は、自民党の段階において阻止できるのが一番良いシナリオと言えるでしょう。
 
 
 (つづく)
 

平成17年12月21日

 どうすれば皇室典範改正を阻止できるのか(下)

 しかし、これはどっちかと言えばあまりここまで行ってほしくないシナリオです。
 自民党の党議拘束を破れと言ってしまっているようなモノですからね。
 ですから本来は、自民党の段階において阻止できるのが一番良いシナリオと言えるでしょう。
 
 人権擁護法案の時を思い出してください。
 内閣法にしろ議員立法にしろ、法案が国会で可決させるためには自民党の賛成が不可欠ですから、つまり法案が成立するためには自民党の党内手続きにおいて党の総論として賛成の承認を取る必要があるワケなのです。
 そうです、自民党の部会と政務調査会・総務会の3つの関門です。
 
 政調と総務会はそれぞれ党内委員が定められていますので全ての議員に議決権があるワケではありません。
 しかし部会は自民党の議員ならだれでも出席できますし、発言権もありますし、議決権があります
 変な話、議論の日には全く出席せずに、決議する日だけに出席したとしても、それでも議決権があったりするという、かなりアバウトな会議が部会だったりします。
 この部会の段階で法案が通らなければ党内手続きも先に進すませんので、当然国会でも通らない、というか法案を国会に提出すらできないというコトになりますし、もしそれでも強行に内閣が提出したところでも、これでは党議拘束はかかりませんから、法案は否決される可能性が高いと言えます。
 ですから一人でも多くの自民党の議員さんに部会の出席をお願いし、そして反対の発言をしてもらうようお願いをするというのが、一番効果的な方法だと言えるのです。
 
 人権法の時、自民党のそれを所轄する法務部会において賛成反対の大議論が行われたというのは、手前みそながらネットにおいては当サイトが一番詳しくご紹介してきたと思います。
 その際、採決が行われた日の部会では、当時の部会長である平沢勝栄先生も認めていましたように賛成の議員さんの方が僅差でしたが多かったコトは多かったです。
 しかし、自民党の部会や政審総務は基本的には全会一致を旨としているという風習があって、確かに多数決でも問題はないのですが、しかし半分に割れた部会を無理矢理通してしまうというのは自民党の“普通”ではあり得ない話です。
 ですからこの時の平沢部会長は、部会として了承をしていないという部会長裁決を下しました。
 話はそれますが、永田町ではこの例からも、衆参議院の委員長よりも自民党の部会長の方が権限が大きくて政治家的にも“おいしい役”だというのが通説になっていたりしています。
 このように、郵政の時はアレは本当に例外中の例外ですからたとえ話としては無視してもらっても構わないぐらいの話ですから、皇室典範の改正案の際にはそれを所轄する部会において半分ぐらいの議員さんが反対の発言をしてもらえればここで阻止できるのです。
 ここが一番簡単且つ確実な手段でしょう。
 
 蛇足ですが、自民党の部会などの会議において「発言をする」という行為はとても重要な行為だとされています。
 というか、発言をしなければ、いてもいなくても同じですからね。
 もうだいぶ落ち着きました税制改正ですが、各業界団体などの要望書には、だいたい「○○会議に出席されまして□□の発言をよろしくお願いします」なんて書いてあったりします。
 ですから、メールなどで要望書を送る際に「発言をお願いします」と書けば、議員さんも「おっ」と思って効果があるかももしれません。
 思わないかもしれませんが(笑)
 蛇足でした。
 時期が来れば当サイトで要望書のフォーマットを作ろうとも思っています。
 
 ちなみに誤解されていた方がいらっしゃったのでちゃんと説明しようと思うのですが、自民党の法務部会は、法案を取り扱うから「法務」部会というワケではありません。
 これは役所や常任委員会と同じように、法務省関係の案件を扱う部会というコトで法務部会が所轄というコトになるのです。
 人権法は法務省管轄ですからね。
 つまりですね、委員会もどこが所轄が決まっていないこの皇室典範においては、同じように自民党の部会もいったいどこで取り扱われるのか、ちょっと今の段階では分からないんですよね。
 よって部会長も分かりません。
 それが分からないと要望活動も出来ませんから、分かり次第当サイトで報告をいたしたいと思っています。
 
 
 具体的にはこの2点が、おそらく唯一の改正阻止の道です。
 衆参の委員会か本会議で阻止するか、もしくは自民党の部会などで阻止するかです。
 技術的なコトを言えば、まず自民党のレベルで止める努力をして、もし突破されてしまった場合には、衆参の段階で最後の抵抗をするというコトになるでしょう。
 来年の通常国会は1月20日から開会する予定になっています。
 いつ皇室典範の改正案が提出されるかまだ分かりませんが、注意深く永田町を見守っていきましょう。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、女系を認める皇室典範改正を応援しません。
 

平成18年1月18日

 男系を捨てるというコト

 天皇の男系女系についてのお話です。
 
 一般国民にとっては男系と女系の違いがいまいち分かっていない人が多く、またその場で説明しても、日本が男系として今まで続いてきたというコトの意義をしっかりと理解させるコトはなかなか難しく、結局「まぁいいんじゃない」程度で終わってしまっている人がほとんどというのが現状だと思われます。
 このあたり、人権法の関係での「素人なんだから深く理解する必要なんて無い」とか「ただ反対するだけでいいじゃないか。理解できる人が理屈を後付してくれればいいじゃないか」とかといったあまりにも無責任すぎるバカ理論の弊害が出てしまっているとしか言いようがないと言えるでしょう。
 理解できないならしゃべらないでいてほしいと願わずにいられません。
  
 それはまぁとりあえず置いておきまして。
 中には男系と女系をそれなりに理解した上で、やはり女系でもいいじゃないかと意見する人もいらっしゃいます。
 「そんな実利のないものに固執しても意味がないじゃないか」とか「今の国民の生活にあった制度にすべきだ」とかという理由ですね。
 これを最後まで突き詰めれば、唯物論の共産主義になってしまうので、決して交われない意見の相違と言えばそう言えてしまうのかもしれませんが、しかし、この段階においてはまだまだ天皇というモノを正しく見れていない可能性もありますので、まずはキチッと理解してほしいと思います。
 
 そう難しい話ではありません。
 
 ・・・というわけで、「蕎処あまおち庵」は「木村屋」に変更してもらうコトになりました。
 ええっ。そ、そんな、どうしても名前を変えないといけないんですか?
 まぁしょうがないじゃいなか。世の中の流れっていうか、仕方ないんだからさ。
 
で、でも、ウチは300年つづく老舗なんですよ。
 まぁまぁ、別に店の場所を変えろって言っているワケじゃないんだしさ。
 で、でも、ウチは江戸前の昆布でダシを300年やってきたのに、それを輸入物に変えろっていうのもちょっと・・・。
 まぁまぁ、昆布には変わりないって。今や輸入物は常識よ? 大丈夫だって、なにも変わりはしないよ。
 「伝統300年」という看板ももう使えないんですか?
 まぁそれはあきらめてくれや。なーに、味も変わりはしないし、働いている従業員もそのままでいいからさ。ちょっと名前を変えるだけで全てが丸くおさまるんだ。それでいいじゃないか。
 ・・・・・うーん・・・・・・・・・・・。
 
 こう言われて素直に納得する人はそうはいないでしょう。
 歴史や伝統というモノは、目に見えないだけに、身近な問題にならないとどこまでも無責任に言い放ってしまえるモノですが、しかしいざ身近な問題になるとその態度が180度変わったりするモノです。
 そうでなくても、多くの日本人にとっては伝統とは意味の無いモノではなく、価値を見いだせるモノとして認識しています。
 その証拠が「伝統300年の味」という看板です。
 もし伝統価値を見いだせない人ばかりであるなら、このようなキャッチフレーズは看板としての存在し得なかったでしょう。
 
 看板を捨てるコトは、今までの歴史を捨てるコトです。
 今までの男系で続いてきた神武天皇家を変えてしまえば、当然今までの2600年の歴史を捨て去るというコトに他なりません
 これはどうやっても変えようのない、曲げようのない事実です
 女系天皇、というか、神武天皇家以外の天皇を新設するというコトは、今まで日本という国が2600年前から続いてきた歴史を一度全て捨て去り、新しい歴史を作り出そうとしているコトなのです。
 
 聖徳太子がシナの国に対して「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す」と冊封体制の脱却を明言した歴史も、武家が興って実権を武士に握られつつも天皇は存続しあの織田信長でさえも結果的には手出しできなかったという歴史も、多くの武士が立ち上がり尊皇攘夷のもと革命ではない支配階級の武士が新しい時代を作り出した明治維新という歴史も、白人列強の世界を有色人種である日本が一泡も二泡も吹かせ有色人国家に大きな勇気を与えた歴史も、そして「耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び」と未来の日本のために停戦に応じたあの日の歴史も、全て「神武天皇家の日本」で築かれてきた歴史です。
 ですから、神武天皇家ではない天皇を新設するというコトは、これらを全て“別の国家の歴史”としてしまうという意味なのです
 日本神話でさえ、別国家での我々とは違う人たちのものである神話、という位置づけになってしまいます。
 この大きさが果たしてどれだけの人が理解しているというのでしょうか。
 
 シナの国は、今は中国共産党が支配する中華人民共和国という国です。
 ですから、現在の国家を指すときは中国と呼び、歴史的にあの大陸辺りに興った国を総称する時は「シナの国」と呼びます。
 もっと厳密に言えば「シナ地方に昔から興った国」ですね。
 つまり「昔の中国」という言葉は適切ではありません。
 シナの国々は、どれもこれも関連性が全くないからです。
 ただ、同じ地方に興ったというだけで、支配民族さえ全く違っているのがシナの国々です。
 
 あの“ラストエンペラー”清朝の溥儀は、女真族という満州地方の満州民族であって、現在の中国共産党の執行部やあの辺に住む人々の多くの割合を占める漢民族ではありません。
 当然、清朝の前の明朝との関連性もありません。
 ラストエンペラーのコトを「中国王朝最後の皇帝」と思っている人がほとんどでしょうけど、これは間違いであって、中国王朝なんてものは存在しないために、溥儀は清王朝だけのラストエンペラー以上でも以下でもないのです。
 
 そもそも元王朝なんて、どう見てもモンゴル民族です。本当にありがとうございました。
 
 神武天皇家が変わるというコトはこういうコトです。
 いろいろ書いてきましたが、結局2600年の歴史、どうしても神話がイヤだという唯物論的な人には、じゃあ聖徳太子からでもいいですよ、シナの冊封体制を抜け出した日本1400年の歴史を、自分のモノとして将来に受け継ぐか、はたまたここで放棄するか、これはそのどっちなのかという話なのです。
 仮に女系の天皇が即位されても、それはそれで新しい歴史の国民として敬愛するというのは当然の話ですし、新たにまた長く歴史を築いていこうと努力するコトもやぶさかではありません。
 しかし今までの2600年もの間日本国として積み重ねてきたモノがとてももったいないなぁと思うワケです。
 聖徳太子も源頼朝も織田信長も幕末の維新志士や新選組達も、今ならば「我らが国の先人・先輩」と呼べますが、しかし神武天皇家が終わればそうは言えなくなってしまうのです。
 せいぜい同じようなこの列島に生まれてきた人たちとぐらいにしか言えなくなってしまいますので、それは悲しいなぁ残念だなぁと思うワケです。
 世界最古の物語『竹取物語』も、世界的に見てもかなり古い部類に入る『古事記』も、世界に誇れる日本の様々な文化も、全て「我らが国の文化」とは言えなくなってしまうのです。
 とてもとても残念でなりませんし、とてもとても悲しく思います。
 
 シナの国には歴史はあっても、国史は100年もありません。
 いくら清や元を中国の歴史だと言い張っても、緒戦は虚構であるというのは少し考えれば簡単に理解できるコトです。
 しかしそれは笑い話でも他人事でもなくなってしまうという恐ろしい事態に陥りかねません。
 もしかしたら日本は、今までの2600年の国史がただの歴史に変わり、国史が0年になってしまうのかもしれないのです
 
 その上でもまだそれでも別にどうでもいいと思うような人は、おそらく今さえ自分だけよければ良いと思うような人なのでしょう。
 ああこの人は、過去も未来もどうでもよく、ただただ自分だけが良ければそれでいいんだなぁと思うしかないのでしょうか。
 
 とても悲しいお話です。
 

平成18年1月20日

 男系天皇問題プチQ&A

 議論板で、この前のやえの天皇問題の更新に関して意見をもらったので、今日はそれについて書いてみたい。
 なんでオレがするのかと言えば、その書き込みの人がオレをご指名だからだ。
 5番テーブルご指名入りましたー
 なんでオレを指名なのかよく分からんが、まぁ指名されたのでオレが書いてみよう。
 
 また、女系反対に対する反論としては、わりとオーソドックスのように感じられたので、ひな形的に使えるかなと思って、本更新で反応する事にした。
 つーわけで、その反論の詳しい文章はここを見られたまえ
 
 全文引用すると長すぎるから、要点を箇条書きに書き出す事にする。
 
 ・人間宣言や民間からの皇后であっても天皇家は天皇家だった
 ・男系は意図して作られたルールではなく、男児に困らなかったためのたまたまな要因だっただけ
 ・さらに成文として明記されたのは明治に入ってからでしかない
 ・イギリスの例など、女系になっても揺らぐことはなかった
 
 とりあえず、ひな形的なものはこれぐらいかな。
 この前の更新に関する個別的な意見はまた後ほど書くことにする。
 では、一つ一つ見ていこうか。
 
 
 ・人間宣言や民間からの皇后であっても天皇家は天皇家だった
 
 天皇の立場というのは、もう時代によってかなり様々だったりする。
 これは世界的に見て非常に稀、というか、非常に理解しがたいものなのではないだろうか。
 なにしろ王や皇帝と名の付く者がいるのに、実権は別の人間が握っているのだ。
 皇后や一時の家臣が越権するというのであれば例外的な存在として存在するだろうが、しかし実権を世襲しそれを認めているという天皇の存在、もちろん武士の時代の話だな、など、外人からしたら「What?」ってなもんだろう。
 細かいツッコミが面倒だから一応言っとくが、確かに幕府は建前的には天皇の下だったが、実質的にはこれは何ら意味のない形でしかなかった。
 そしてこれも時代によって変わるもので、幕末は天皇が上じゃないかと言い出して勤王の志士の原動力にもなった訳だが、少なし徳川幕府全盛期に天皇が意見を言えるような実権は皆無だったと言える。
 で、このように、天皇というのは時代によって立場が違うものであるという事が歴史的に見て取れるわけで、それでも天皇を滅ぼそうとした日本人はほとんど無く、もう数人ぐらいと言ってもいいだろうな、つまりどんな立場でも人々から敬愛されていたという存在であるのだから、立場が変わったという事で天皇家が天皇家で無くなるという意見は違うと思うし、よって男系賛否の意見とは全然別次元の意見だろう
 確かに戦後の人間宣言は多くの日本人に衝撃を与えたかもしれないが、しかしそれと神武天皇家の存在がどうだという話とは全く別の話という事なのである。
 
 さらに、皇后が民間からでも問題無かったと考えるその日本人の思考方法は、逆に男系にこだわっている深層心理の表れなのではないだろうか
 だって「男系であれば神武天皇家」であるのだから、男が神武天皇系なら皇后の血がどこ出身であろうが神武天皇家はどうやっても神武天皇家だからだ。
 皇后の血がどうであろうが、男系であればそれで問題がないという証明なんじゃないのか?
 まぁ外国から嫁がれたら抵抗感があるのは否めないがな。
 しかしやはり昔から伝統的にそこまで皇后側の血筋は重要視されなかったのではないだろうか。
 側室の子だって天皇になれた訳だし。
 もちろん正室の子の方が尊ばれるのは当然だが、側室も禁止されなかったという点に置いて、重要視されなかったと言えるだろう。
 
 
 ・男系は意図して作られたルールではなく、男児に困らなかったためのたまたまな要因だっただけ
 
 これはかなり無理がある。
 当サイトでくさるほど言っとるが、もう言うのも疲れるから、やえの言葉を引用すれば

 47代淳仁天皇から見て46代天皇孝謙天皇は、もはや一言で言い表す単語が無いぐらいの「ただの親戚」ですし、さらにまた47代には孝謙天皇が重祚され48代称徳天皇に即位されています。
 さらに、その次の49代の光仁天皇など、48代称徳天皇から見ればこれは一般感覚からすればほとんど「他人」と言って差し支えないぐらい離れている間柄と言えるでしょう。

 一般的感覚からすれば「他人」の間柄なのに、それでも天皇という座を継承させている。
 このような実例があるのにも関わらず、「意図して作られたものではない」と言うのはちょっと無理があるんじゃないのか?
 言っておくが、いや言うまでもない事だが、当時だって日本人はいっぱいいて、そのような天皇継承の問題があがったときには、それぞれの立場の人たちがそれぞれ議論したことだろう。
 決してサイコロを転がしてこの人を天皇に決めたとしたのではなく、必ずなんらかの根拠・理由があってその天皇が選ばれた訳だ
 その理由はどこにあるのかと考えたら、やはり「男系だから」と考えるのが自然であり合理的だろう。
 これをたまたまと言う方がよっぽど非合理的じゃないのか。
 
 実際に2600年男系で続いてきた現実はこれは否定できない事実として存在するわけで、どうしてそれを無視できると言えるのだろうか。
 これもやえが今まで散々言ったと思うんだが、古代や中世においていくら例外と言えども女性が家長を務めるなどあり得ない事であった。
 いいか?
 いかに例外であったとしても、いかに緊急措置だったとしてもだ。
 武家の継承時、いくら男子がもうけられなかったといって、じゃあ女子に家長を譲りますので今回だけですのでどうぞそれでお見逃し下さい、と言ったところで、こんなのは絶対に認められなかった。
 もしこのような事態になったら有無を言わさず断続である。
 一切の例外は認められない。
 しかし天皇家は違った。
 緊急事態の際には女性が家長に付くのが認められているのだ。
 これは何を示すのかと言えば、やはり継承のルールは「男系であるという点だけだった」という証拠なのではないだろうか
 「男系女性」であるなら男系なのだからまぁ認められる、という意識ではないか。
 ぶっちゃければ、男系ならなんでもありであり、男系意外ならなんでもダメだったと考えるのが、よっぽど自然ではないか
 そして2600年間もの間、一人として女系は存在しない。
 この事実は大きい。
 
 
 ・さらに成文として明記されたのは明治に入ってからでしかない
 
 そりゃまぁ成文法は明治に入ってから整備されたからなぁ。
 確かに十七条憲法や武家諸法度などはあったけど、ありゃ大局論であって、個別法じゃないからなぁ。
 そして明文されてないからそのような常識はなかったと言うのは、それは違うだろ。
 むしろ常識であればあるほど明文する必要は無かったわけだ
 さらに言えば、天皇家の継承のルールを明文するなんてあまりにも畏れ多すぎるよ。
 お前何様だって話でな。
 だからこれはかなり違うだろう。
 
 
 ・イギリスの例など、女系になっても揺らぐことはなかった
 
 これも関係ねーなー。
 外国だもん。知らないって。
 別に当サイトは「全ての王家は男系であるべきだ」って言っているわけじゃねーんだよ。
 おそらくここを勘違いしている奴が多いんだろうが、そうでなくてな、別に代々女系だったら女系でいいと思うし、代々双系で継承されてきたものだったらそれでいいんだよ、別にその場合には男系にこだわらないよ。
 そうでなくてな、一番大切なことは、事実として今まで2600年続いてきた日本の天皇という存在は、代々男系で続いてきた「神武天皇家」であるという、この一点も陰りも無い事実なんだよ
 分かるか?
 ウチは王家としてのあるべき姿を指し示している訳でも、男根主義を主張している訳でも全くない
 ただ「今までのルールを守りましょう」と言っているだけだ。
 
 もしね、男系という伝統が無ければ、別のルール、例えば長男だけとか直系だけとか、こういうのが伝統であればそれを守れと主張するだろう。
 眞子さまではだめだ。愛子さまでないと伝統的天皇が天皇でなくなる、新しい王朝の新しい天皇に眞子天皇家になってしまうと、そう主張するだろう。
 しかし、今回の問題はそうではない。
 「他人」を即位させてまで男系にこだわっている「神武天皇家」が今の、そして2600年前からの日本と天皇家なのである。
 男系こそが「神武天皇家」なのである
 
 一度でも男系でなくなれば、「神武天皇家」が「神武天皇家」で無くなるのだ
 仮に「愛子天皇家」になったとしたら、それはそれでオレは敬愛するだろう、新しい天皇家に。
 そしてその「愛子天皇家」の継承のルールは、新しく考えればいいだろう、オレはその場合には男系にこだわらない。
 多くの国民が議論して納得する形で決めればいいと思う。
 しかしそれは事実として「神武天皇家」ではないという事なのである。
 そして、まぁ明治までは憲法というくくりがあるので今の日本とのつながりはできるだろう、しかし、明治以前と現代の日本を、いかな理由で「同じ国家」と呼ぶというのであろうか
 もちろん思い込む事は出来る。
 同時代の人間ならなおさらである。
 しかし100年後200年後千年後、“日本人”がその事実を知ったとき、どのように思うだろうか。
 果たして「実子が後を継いでいるから問題ないということを大多数の国民がそれで納得してしまう」だろうか。
 オレは未来の“日本人”から後ろ指を指されはしないだろうかと、そして偉大なる先人達に理解してもらえるのだろうか、疑問でしかない。
 
 
 
 すまん。
 最近やえが苦労して短めの文章に仕立て上げてくれていたのに、オレがあっさりと長文にしてしまった。
 というわけなので、当サイト独自の問題の指摘に対する回答は、また後日にしたいと思う。
 

平成18年1月22日

 神武天皇家

 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 
 さて。
 今日はですね、なぜ「神武天皇家」でなくてはならないのか、というところに焦点を当ててお話をしたいと思います。
 御意見板の方にもそのような書き込みがありましてですね、一応この問題は今までの更新で触れてきたつもりではあったのですが、今一度この話題にだけ特化してお話をしておく必要があると感じました。
 つまり、「男系でなくても神武天皇家じゃないのか?」もしくは「神武天皇家でなくても天皇家には変わりない」という意見についての整理です。
 言わば、天皇後継問題の最も核となるお話だとも言えるでしょう。
 
 これらの根拠としては、「今の国民はそんなことにこだわらない」というモノがあります。
 かなりかみ砕いて言ってしまうと、「日本国民の大部分が天皇を天皇として認めれば、昔も今も未来も同じように天皇じゃないか。それでいいじゃないか」というコトです。
 まぁ分かりやすいと言えば分かりやすい理屈ではあるでしょう。
 
 しかし、これはあまりにも現代人のエゴなのではないかとやえは思います。
 この理屈というのは、結局は「今の人たちだけの考えであれば、今さえ良ければなんでも良いんだ」という考え方に他ならないのではないでしょうか。
 確かに現代人の感覚からすれば、男系というよく分からないルールよりも、直系的なルールの方が遙かに分かりやすいでしょう。
 特に現代は核家族化が進んでおり、親戚付き合いも希薄になってきていると言われていますから、ますます直系にこだわるというのも、ある意味当然の流れなのかもしれません。
 しかしやえは、だからこそますますそれは現代人のエゴでしかないと思わざるを得ないワケです。
 
 人権擁護法の時にやえは散々言いましたけど、人間の価値観なんて、時代によって場所によって場合によっていくらでも変わるモノです
 今でこそ「これからは血のつながりを大切にして直系でいきましょう」と思っている人が多いとされていますが、例えばもしかしたら100年後ぐらい経った後の世では「天皇はその時代に最も徳の高い人が就けばいい」という考えが圧倒的多数になるかもしれません。
 そんな馬鹿な、そんなコトが許されるワケない、と思う方もいるかもしれませんが、しかしそんな保証はどこにもありません。
 その時代の流行の考え方が反映されるべきだという意見が正しいのであれば、人間の価値観なんて50年も経てばあっさりと変わるモノでしかない以上、後々どんなコトが起きるかなんて、今に生きる人が想像するコトなんて出来ないでしょう
 果たして幕末から100年前の江戸時代の日本人が、江戸幕府が崩れ、民主主義の国家に日本がなるなんて、一体何人が予想できたでしょうか、誰が予想できたというのでしょうか。
 
 「決してそんなコトにはならない」と言い張るというのは、完全に現代人のエゴです。
 「今の日本国民の大部分がそう思う」というあやふやな論拠を主張する限り、将来において禍根を遺すのは間違いありません。
 なぜ天皇家が天皇家として続いているのかと言えば、言うまでもなく天皇という座が過去より継承されてきたからです。
 「今が良ければいい」という考え方は、それは現代だけを追認している考え方でしかなく、過去から続いているという事実を完全に無視した考え方と言えるのではないでしょうか。
 
 「神武天皇家」の価値は、当然天皇という存在自体に価値があるのは当然ですが、それと同じぐらい2600年続いてきた歴史というモノもあります。
 ひとつの家として継承し続けているという観点からは世界でもかなり稀ですし、これが王族ともなればさらに稀、そして現在も王族としてという意味なら間違いなくぶっちぎりで世界最古です。
 歴史と伝統は人の心に重みを持たせます。
 これも散々今まで言ってきましたね。
 これだけでも十分に価値があるといえるでしょう。
 
 またもう一点大切な意味があります。
 神武天皇家は「過去の日本」と「現在の日本」をつなぐ唯一の橋なのです
 
 明治以降は、日本を憲法という共通の概念のもとでの国家という意味において現在まで続いていると言えるでしょうけど、しかしそれ明治以前の江戸時代までの日本というモノは、残念ながらそのような概念では結べません。
 法的に言っても、江戸時代までは律令制という制度のもとでの日本でした。
 日本での律令制の正式な制定を大宝律令とすると、それが制定されたのが西暦701年であり、時代で言えば飛鳥時代ですから、この時代はまだ貴族制の世の中でした。
 その後鎌倉幕府のもとでの武士の時代が訪れますが、しかし律令制自体は江戸時代まで形式的とはいえ残るワケで、大まかに分ければ日本の歴史は、飛鳥時代も江戸時代も一つの区切りとしてカテゴライズできるワケなのです。
 しかし、明治時代は違います
 明治政府は、律令制を破棄して明治憲法を制定したのですから、江戸以前と明治以後の日本は全く国家として連続性の無いモノなのです。
 この見地から、日本の歴史を大きく分ければ、「律令制以前の日本(???〜701年)−律令制制定から王政復古が行われた江戸時代まで(701年〜1868年)−明治時代から現代まで(1868年〜)」とこの3つに分けられるのです。
 第二期の最後を明治憲法公布までとする方が正しいと言えるかもしれませんが、どちらにしても、この3つのカテゴリーの間には、本来なら国家的な連続性は存在しないのです
 
 しかしそれを結びつけるのが天皇家、もっと具体的に言えば「神武天皇家」なのです
 神武天皇家がどの時代にあっても日本を象徴する存在としていらっしゃったからこそ、日本は2600年の歴史を紡いでいる国家だと言うコトが出来るのです
 神武天皇に繋がるコトの出来る一つの家である神武天皇家が存在するコトが、日本の国家としての2600年の歴史を証明しているのです
 
 ちょっと蛇足になりますが、象徴天皇という言葉は、戦後憲法ではじめて用いられた言葉だと思っている人が多いのではないかと思うのですが、言葉としてはその通りなのでしょうけど、しかしやえは、観念的にはそもそも天皇ははじめから日本の象徴としての存在だったのと思っています。
 それは武士の時代もその通りですし、まだまだ豪族だった時ぐらいの時代はともかく、少なくとも聖徳太子の時代においても天皇という存在は西洋のような絶対王政のような集中権力の存在ではなかったと言えます。
 あの十七条の憲法の第一条には「和を以て貴しとし」とあるのですが、こけは何よりも「和」が大切だと説いているワケです。
 天皇については3番目にやっと書き出すぐらいで、言ってみれば、天皇よりも「和」の方が大切だと、聖徳太子は公布したのです。
 もちろん天皇としての実権はこの時代においては強力なモノとしてあったでしょうけど、しかしそれだけでは無かったというのもここから事実として読み取れます。
 今の言葉で言うなら「議長」のような存在とでも言えばいいのでしょうか。
 これは明治憲法下でも同じであり、いつの時代も決して天皇はワンパワーな存在だったのではなく、日本全体をまとめる象徴的な存在だったというコトが、一番の存在意義としてあったのではないかと言えるのではないでしょうか。
 
 
 現代の日本人は「歴史」という概念はあっても、「国史」という概念があまりにも希薄すぎます。
 神武天皇家でなければ過去の国史は国史でなくなり、ただの歴史となります。
 他の天皇家では歴史を国史には出来ません。
 神武天皇家だけが日本の歴史を国史として紡ぐコトができるのです
 
 国史という概念を軽視するような発言をする人に対して、やえは「とても悲しいお話」と言うのです。
 そして「今さえ自分だけよければ良いと思うような人」だと言うのです。
 先人達が日本のもとで大成してきた文化や、血を流しても守り続けてきた日本という歴史と価値、聖徳太子が決死の覚悟で「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す」と冊封体制を打破し、幕末の志士たちが血を流して守り、そして「天皇陛下万歳」と散華していった多くの先輩達の努力を、ここで全て無に帰してしまうのでしょうか。
 それはとても悲しいお話なのです。
 
 
 天皇は継承します。
 継承するからこそ2600年の歴史があると言えるワケであり、そこに価値があり、そして過去から現代そして未来に時代を結んでいくワケです。
 では、常識的に考えて、なにをもって「継承する」と呼ぶのでしょうか。
 
 家の継承は家によって方法が違うというのは言うまでもないことですが、一番大切なのは、その「方法」なのではないでしょうか。
 どのような形で継承されるのかという決まり、跡継ぎにはどのような条件を課すのかというコトこそが、継承時において最も大切なコトでしょう。
 そもそもこれが決まっていないコトには、継承などしようがないですよね。
 
 例えば、それがおそば屋さんの継承であるなら、味を引き継ぐ人という条件を挙げる場合もあるかもしれません。
 もしくは、味を引き継ぐ人&自分の息子、という条件にするところもあるかもしれません。
 逆に、味を引き継げば自分の親族でなくても誰でもいいとするところもあるかもしれません。
 これは人それぞれ、家それぞれと言えます。
 一子相伝と決めた家の場合、仮に弟子の腕がどんなに素晴らしくても、子どもがいない限りはもうそこで断絶すると決める場合だってあるでしょう。
 もし弟子が新たに看板を掲げたとしても、やはり「本家」は断絶したと常識的には見ますよね。
 さらにこれが、先代の親族でもない、味も全く違う、しかもその店で修行すらしたことの無いような人が看板だけ受け継いだとしても、果たしてそれでその店が継承されたと言えるのかと考えたら、それは常識的に考えてとても難しいと言わざるを得ないでしょう。
 結局、その家が継承したとするためには、なにかルールが必要なワケです。
 それが実利的なモノなのか、はたまた人間の血筋的なモノなのか、それは家それぞれで違うでしょうが、しかしそのようなルールとは、その家の伝統や歴史によってなんとなく、しかしハッキリと形作られているモノです。
 成文化されなくても、例え他人に理解されなくても、その家の人間がその家にとっても最大の価値観を歴史から感じ取り、それを伝統としていくのです
 
 伝統がなければ、継承なんて言葉は使われません。
 伝統というルールがあるからこそ、過去の歴史を未来に受け継いでいくコトが出来るのです。
 そうして家は、そのルールに則る限り、家として未来にわたり継承されていくのです。
 
 では、天皇家とは、神武天皇家とは、日本の中でどのように伝統を継承してきたのでしょうか。
 
 神武天皇家は男系を自らの家の継承のルールとして天皇という位を受け継いできました。
 天皇125代のウチ、直系継承はたった69回だけです。
 また側室の子の即位は55例にものぼり、さらに兄弟間の継承や、これは何度も言ってますように一言では言い表せない程度の関係の間での継承も数回は行われています(例:48代称徳天皇→49代光仁天皇)
 普通の感覚では、これではルールが全然無いのではと思ってしまうでしょうけど、しかしそう思うコトこそが、男系が明確なルールであった証拠とも言えるでしょう
 この神武天皇家の複雑すぎる家系図は、直系主義をとらず男系主義を貫いてきた何よりの証拠なのです
 逆に男系を否定するのであれば、ではなにをもって神武天皇家は神武天皇家なのか、今まで続いてきたのはどのような理由から「続いてきた」と言っているのか、それらの全く理由が無くなってしまいます。
 
 家の相続は、その家の伝統によってルールが決められます。
 決してその方法は一種類とは限りません。
 また、それを他人がとやかく言うコトは出来ませんし、さらに言えば当事者たる相続させる人もされる人も、安易に個人的理由を唱えるコトはできないでしょう。
 一子相伝の家に向かって、養子を認めてきた家がそれを批判をしたところで、なんの意味のないコトです。
 一子相伝と決めているのは自分の家だけであって、これを行っているからといって他人の家のルールまでを押しつけているワケでは全くないのですから、それはその家の価値観の問題であって、仮に無理矢理一子相伝を形だけでもやめさせたとしても、心の中では「途絶えた」と一子相伝の家の者は思うでしょう。
 それだけで十分一子相伝家は断絶なのです。
 形だけで強弁しても無意味意外何者でもありません。
 また、継承のルールは歴史という時間の流れによって形作られるモノですから、今の一瞬の個人的意見だけでもっても、それを安易に変えるコトは許されません。
 継承は受け継ぐというコトであり、すなわち「歴史を作る」というコトに他ならないのですから、なにより歴史という伝統を重んじる必要があるのです。
 今の一瞬の時間だけで物事を決めるのであれば、それは歴史でもなければ、継承でもありません。
 “継承する”のであれば、点ではなく線で物事を考えなければならないハズです
 もし継承しないと決めるのであればもはや個人の勝手と言えるのかもしれませんが、しかし線を点で途切ってしまったのにも関わらず、それを線だと、継承したと強要するのは、これは全く筋が通らない話でしかないのです。
 
 繰り返しますが、なにも直系だと歴史が作られないと言っているのではありません。
 ただ、男系を崩すと「神武天皇家が終わってしまう」というコトをやえは言っているのです。
 もし直系主義にするというのであれば、それは新しい天皇家のはじまりであり、それはそれで日本の天皇として日本国民が敬愛するというのは当然の話ですが、しかし天皇家の歴史は0からのはじまりだというコトなのです。
 これから直系主義でいくというのであれば、少なくとも直系で結ばれない118代後桃園天皇以前は別の天皇家として考えざるを得ないでしょう。
 
 そしてこれは、日本の国史の終わりなのです
 平安時代も江戸時代も平成時代も、日本が一つの国家として国史を受け継いでこれているのは、いつの時代も神武天皇家を象徴として日本が戴いているからに他なりません
 いくら皇帝と名乗り、自らの国史だと主張しても、所詮シナの国は国史のない国です。
 そもそも国名からして違いますし、その国と国との関連性も全くありません。
 確かに政治的または思想的には、なんらかの理由をつけて歴史を国史だと強弁することは可能かもしれません。
 しかし科学的に、というか、冷静な目で厳密に事実を事実として見るのであれば、それはやはり所詮は強弁でしかないのです。
 その点からしても、神武天皇家を戴く日本という存在は、世界で唯一の政治的にも思想的にも科学的にも国家として1000年以上続いているという尊い国家なのです
 
 2月8日付の『SAPIO』で、神武天皇家男系を受け継ぐ武田恒泰氏はこうおっしゃっています。

 長く続いている王室や皇室は、それだけで国際社会から尊敬されるからです。世界中の貴賓が集まる結婚式などの式典で、「陛下」と呼ばれる国王や天皇が、「閣下」である大統領や首相より上座に座るのも、その表れでしょう。ちなみに「陛下」同士が並ぶ場合は、より王朝の歴史が長い方か、より在位期間の長い方が上座に座るのが外交上の慣習です。そのため、いずれの面でも「世界最長」だった晩年の昭和天皇は、世界の誰と同席しても常に上座にお座りになりました。それは、日本の天皇が「偉い」からでも「強い」からでも「豊か」だからでもありません。その価値は「尊い」としか形容できないものです。「偉い」「強い」「豊か」といった価値は後から生み出すことができるのに対して、「尊いもの」はつくろうと思ってもつくれない。それは、長い歴史の中で淘汰されずに受け継がれてきたものだけが持つ価値なのです。

 この尊い神武天皇家と、それを戴く尊い日本は、まさに国史を根拠としているワケです。
 男系を捨てるというコトは、神武天皇家を捨てるというコトであり、同時に国史を捨てるというコトなのです。
 そして世界で最も尊い存在を捨てるというコトに他ならないのです。
 
 もちろん男系を捨てたところで、日本の社会が大きく変わるコトはないでしょう。
 気にしなければ一般人にとってはなんら影響の無い話です。
 だから過去の歴史をかえりみない、また未来の日本を背負わないという人であれば、神武天皇家がどうなっても関係ないと思うでしょう。
 しかしそれは、やえから言わせていただければ「今だけがよければいいだけの人」なのです。
 今まで流血の努力で日本を培ってきた先人達に感謝もせず、今の日本が日本であるその理由も知らずに、美しく尊い日本を未来にわたって受け渡す責任すら放棄しているような人たちなんだと、そう思うのです
 それはとても悲しいお話なのです。
 
 神武天皇家は男系というルールで歴史を作ってきました。
 このルールを捨てるというコトは、神武天皇家が断絶するというコトに他ならず、そしてそれは日本の国史が断絶するというコトです。
 問題を矮小化させてたいしたコトではないとうそぶく人がとても多い最近ですが、この問題は国家そのもののアイディンティティに直接関わるというコトをまず知ってもらいたいと思います。
 
 なぜ世界を見渡しても日本だけが、1000年以上も前から今にわたって日本という国号を使い続けているのでしょうかか、使い続けられているのでしょうか。
 その歴史と伝統はけっして軽いものではありません。
 やえは、その重みを受け継ぎ、そして未来に託す義務があるのだと、ひとりの日本人として思うのです。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、僭越ながら神武天皇家を応援しています。
 

平成18年2月21日

 天皇と自分

 これはオレの事実であり、恥も含めてまずはありのままをさらけ出してみようと思う。
 この問題は決して頭の中だけの問題ではなく、確実に自分の身に降りかかる身近で重大な問題なのである。
 自分ならどうなのか、自分は今までどう考えてきたのか、それを考えるきっかけになれればと思う。
 敢えて今、いや今だからこそ、天皇と自分を見つめる必要があるはずである。
 
 
 
 オレは昔、天皇を否定していた。
 
 なぜ天皇が存在するのか、なんのために存在しているのか、どうして存在していられるのか、その全てが疑問だった。
 その頃のオレは平等主義にはまっていたせいもあるのだろう、そもそもオレは広島というアカ真っ青な地で生まれ育った事あって、このような教育を一身に注がれて育ってきたせいだろう、天皇については気づいたときから疑問しか持っていなかった。
 ただ、なぜか日本は好きだった。
 いつもいつも日本に対して文句ばかり言っているアメリカや中国には強い抵抗感を覚えていて、反米や反中なんて言葉もない、むしろ外国の悪口を言う奴はロクでもない奴だと言われんばかりの当時からオレは反外国な子供だった。
 それがなぜかはもはや分からないのだが、しかしその自国愛がどうしても天皇と結びつかなかったのである。
 
 実は長い間この考え方は続いており、古い更新文章にもそれが現れているものがあったりする。

 国家の歌なのに、象徴とはいえ一家族の歌を用いるのおかしい。
 君が代は、日本を象徴している天皇家を象徴している歌、ではなく、天皇家のみを讃える歌なのだから。

 これは1999年に国旗国歌法案が出された時にアップした文章なのだが、やはり天皇というものを否定的に捉えている心情がにじみ出ている。
 今でなら、天皇家そのものが日本の象徴であり、日本そのものだと言えるのだが、この時はまだそこまで考えが至ってなかったのだ。
 
 しかし、オレは考え続ける。
 例え自分で否定的に捉えたものであったとしても、それを考える事は前進に繋がると信じているからだ
 
 いま考えると当時のオレというのは、日本が好きなのではなく、「現在の日本」が好きなだけだったのだろうと思われる
 そして「現在の日本」が「自分」とリンクしており、外国からの圧力も、自分がバカにされているかのように感じていたので反発していたのだろう。
 自分は日本の一部であり、日本は自分の一部であるという感覚である。
 もちろんこれはある意味間違っていない感情だと思う。
 親をバカにされたら怒るのと同じように、人は自分以外をバカにされても怒るという感情を持ち合わせている。
 
 しかしどうしてもオレの中では、過去の歴史を自分のものとすることが出来ないでいた。
 歴史は所詮学校の勉強の中だけの話でしかないという感覚があったのだろう。
 
 その“歴史観”が“歴史感”“国史感”となったのはいつからだろうか。
 おそらく、いつもいつも物事を深く考えている事によって、いつしか「今の日本は決して今の日本だけで作り上げたものではない。歴史があって今があるのだ」という事実に思い至ったのだと思う。
 過去の更新にも、それが象徴されるような文章がある
 とてもじゃないが、さっき紹介した国旗国歌法案に関する文章を書いた人物とは同一人物と思えない内容だが、いま両文章を読み返しても、その文章からは“成長”が見られるのではないだろうか。
 
 今の自分がいま存在できているのは、過去の自分があったからで、過去にいろいろな人の存在があったからこそである
 
 あまりにも当たり前すぎる理屈であるが、この考えに至るまでに、オレは結構長い道のりを辿ったのである。
 そしてこれは人間だけに当てはまる言葉ではない。
 国だって同じなのである
 
 歴史観が歴史感となるにつれて、オレの中での天皇観がずいぶん変わっていった。
 それは実感できるぐらいに顕著に変化していった。
 時にはその変化に抵抗を試みることもあった、過去にあれだけ否定していた天皇をどうしてお前はそう簡単にゆるしてしまうのか。
 しかし、考えれば考えるほど、その抵抗はあまりにも幼い、そう思春期に父親に対する無意味な抵抗でしかないのではないかと思わざるを得ない結論に至るのであった
 
 天皇は日本にとって日本人にとって父親のような存在なのではないだろうか。
 ただそこにいるだけで威厳があり、時には厳しく時には優しく、大きな愛を黙って注いでくれる、まさに日本の父親的な存在。
 例えば、戦前戦中の日本人にとっても、本気で天皇を神様だと思っていた人というのはいないんじゃないかと思う。
 神の“ように”思っていた人はいたとしてもだ。
 その尊敬の感情というものは、神様仏様を拝む気持ちなのではなく、父親を畏れるという感情の方が近かったのではないだろうか。
 
 戦争が終わるまでは、自分が家をまとめる象徴として存在し続けなければならないが、いざ戦争が終われば全責任は自分にある。
 
 マッカーサーを感動させ、畏敬の念まで抱かせた昭和天皇のこの覚悟は、まさに神としての天皇ではなく、日本の象徴、日本そのものとしての天皇であるという表れである。
 ほんの数十年前の歴史、大東亜戦争時代の天皇を考えるだけでも、まさに日本の歴史と天皇とは一体となって存在している事実が否定できないものとして存在してしまっているのである
 このように考えれば考えるほど、天皇が日本の歴史と一体である事が分かってしまうのだ。
 
 最近になって天皇の権威もかなりのところ落ちてきてしまっていると言わざるを得ないが、それが現代の父権の失墜の時期に重なっているというのも、なんとも言い難い皮肉であろう。
 
 「なぜ天皇家は2600年も存在し続けられているのだろうか」
 ある時期から、この命題はオレにとって大きな思想的課題となった。
 今でも明確な答えは得られていないのだが、新しい王朝、日本で言えば幕府がこれに当たるが、が出来れば、普通は前王朝は根絶やしにする。
 自らの新王朝の正当性を訴えると共に、報復の種を摘んでおく必要があるからだ。
 しかし世界で日本だけがこれをしなかった。
 実権も武力も持たないしかし権威だけがある存在が生きながらえられるというのは、常識的には考えられない事なのである。
 それなのに天皇家だけは2600年も存続し得たのである。
 これは日本人の特異性を考える上で重要なテーマとなり得ると言えるだろう。
 
 ひとつ確実に言える事は、過去の日本人は、いつの時代でも天皇を“それなりに”敬愛していたという事実であろう。
 またそれは、武力だけではどうしても御しがたい、特別な感情を抱いていた事の表れでもあろう。
 そして日本は天皇と共にあった証明にもなるのではないだろうか。
 
 ここから国史論が生まれる。
 おそらくいま当サイトで主張している国史論は、プロの言論家を含めて、これを主張しているのは当サイトだけだろう。
 本義的な意味においてなぜ神武天皇家を存続させなければならないのかと言えば、とても尊い存在だからという理由が一番にくるのは当然の話なのだが、それだけではなかなか理解しがたい人もいるだろうし、またオレ自身が考えるというプロセスを経ているだけに、理屈として説明できる、形を示せるこのような理論があった方がよいと考えて、これを発表する事にしたのである。
 そう、この国史論こそが、オレ自身が自分で考え出したのにも関わらず、オレ自身の天皇に対する考えを最も決定づけた理屈なのである。
 
 「ああ、そうか、つまり天皇家とはこういう事なんだな」
 
 日本と天皇家がイコールで繋がれた瞬間であり、この時から「天皇と自分」の関係がより明確になった瞬間であるのだ。
 
 いろいろと意見はあると思う。
 オレもこれだけで天皇の全てを語れたとは露程も思わない。
 しかしまずは、天皇と自分との間をどう考えるのか、どう位置づけているのか、そんな根本的な問題をまずじっくりと考えてみる必要があるのではないだろうかと思う。
 いまはなんだか猫も杓子も「皇室を敬愛している」とさえ言えばなにを言ってもいいんだというような雰囲気になりかねなくなっている気がするが、まずは自分は天皇をどのように考えているのか、自分にとって天皇とはどのような存在なのか、まずはそこから始まる話なのではないだろうか。
 

平成18年3月15日

 天皇家は比類無き唯一の天皇家

 一ヶ月前、秋篠宮妃殿下がご懐妊され、日本中が喜びに満ちあふれたコトは記憶に新しい方も多いかと思います。
 また同時に、あの一時期は日本中が大騒ぎとなって、天皇に関する問題も相まって、いろいろと日本中が浮き足立っていました。
 そんな中当サイトは、あの雰囲気の中ではなかなか冷静な議論が出来ないと判断し、また小泉さんもやっと今国会提出をあきらめてくれているようですから、とりあえずは腰が落ち着くまで、冷静に議論が出来るまで時期を待つコトにしました。
 天皇家の問題とは、いつも言っていますが長い時間をかけてじっくりと高レベルの高い意識を持った上での議論をしていかなければならない問題ではあります。
 ですから本当ならばもっと多くの時間が、少なくとも10年は議論をしても十分間に合う時間はあるので、それぐらいの時間をかけて議論していきたいところなのですが、しかし小泉さんなどなぜかさっさと問題を終わらせようと動きもありましたように、残念ながらいつまでもじっくり待っていられる時間もあまりないと言わざるを得ません。
 ですから、あれから一ヶ月も経ちましたし、そろそろ当サイトでもゆっくりと議論を進めていきたいと思います。
 
 みなさんにおかれましては、特にいつも以上にこの問題にあたる場合には、より一段高い意識を持って、いつもより倍は時間をかけて考えるようにしていただければと思います。
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 
 差別の話の時に散々言っていますが、これはなにも差別の問題だけに関わる話ではなく、ごく普通一般の常識の問題と言えます。
 確かに、全体的な印象というモノを人間は持ちますから、それを否定できるモノでもないと思います。
 そして、全体像を捉えた評論というモノは出来ますし、それはしてもいいと思いますし、時には必要なコトだと思います。
 
 しかし、その全体像を個人や少数の人間に対して押しつけるというコトは、それはやってはならないコトです。
 
 こうやって改めて文章化させれば案外当たり前の話だと思われるかもしれませんが、しかし実際にはこれを理解していない人がとても多い気がします。
 差別の問題はそれが端的に表れますね。
 例えば韓国人は全体的に評するならキムチは好きでしょうし、また妙なところでプライドが高かったりしますし、日本に対して異様とも言えるぐらいの敵愾心を持っています。
 これは全体像として事実を捉えていると思います。
 しかしだからといって、ある韓国人のキム何某さん一人を捕まえて「お前は毎日キムチ食べているんだろう。根拠無き自尊心ばかり持ってるんだろう。そして日本が嫌いなんだろう。とんでもないヤツだ」と言ってしまうのは、これはあまりにも一方的すぎる話です。
 全体像としてそういうイメージがあるからといって、しかし一人一人の韓国人全てがそのイメージ通りだとは決して言えません
 全体のイメージを一部の人間に当てはめるという行為はとても簡単な思考発想ですから安易にその方法に走ってしまいがちですが、しかしそれと同じコトをいざ自分にされるととても不快に思うモノで、やはりこのような発想はとても理不尽な発想でしかないのです。
 
 先ほども言いましたように、これは差別にかかる問題ですが、それ以外の問題にも当然当てはまります。
 というより、差別の問題とは被差別者が「差別だ」と言わない限りは差別問題にならないという側面があるので、逆に「差別だ」と言わなければ差別問題にならなかったりするのですが、つまりこのような思考発想は差別云々の前にとても理不尽な話なワケです。
 
 天皇家にかかる問題のひとつとして、「今の男系維持のままではお世継ぎの子孫が耐えてしまう。現在の日本では晩婚化が進み、出生率を低下している。だから皇室も同じ道を辿り男子が産まれる可能性も低くなってしまう」という意見があります。
 しかしこの意見にはやえはとても疑問でしかありません。
 なぜ一般的な全体像としての晩婚化や出生率の問題を、天皇家という非常に特殊なお家に対して安易に当てはめられるのか、それが全く理解が出来ないのです
 
 出生率が低いからと言ってそれがなんなんでしょうか。
 出生率1.32という数字が法であり、全ての国民はそれに準じなければならないとでも言うのでしょうか。
 特に天皇家はそれを遵守しなければならないとでも言うのでしょうか。
 そんなワケありませんね。
 別に皇族の方には5人でも6人でも子供を産んでいただければいいのではないでしょうか。
 別に必要であれば20歳ちょっとでも結婚していただいていいのではないでしょうか。
 
 これに対して「皇族にも自由恋愛や普通の生活をする自由はある」とか、「天皇は国民の象徴だからある程度は国民と同じ生活をすべきだ」という意見もあるかと思います。
 しかしこれはあまりにも勝手な意見と言わざるを得ません。
 というのも、もし皇族の方に本当に自由を謳歌していただきたいと願うなら、それはもはや天皇制を廃止するしかありません
 でもそのように主張する人は、極左以外にはいませんよね。
 となれば、それは全く中途半端なコトしか言っていないコトになり、それは無責任にも通じます。
 
 やえはむしろ「天皇家や皇族は、生まれながらにして自由恋愛も普通の生活もできない方々であり、そのような宿命を背負い、日本と共に生きておられる尊い存在なのだから、とことん責任を全うしていただき宿命を背負っていただきたい」と思っています
 しかし“半端自由主義”の人たちは、やえのような主張すら「自由の理屈」で反論を許そうとしません。
 でも実はそんな人たちも同じように「自由を侵害」しているワケなのです。
 ただ単に自覚していないのか、もしくは気付かないフリをしているのか分からないですが。
 
 一昔前、皇太子さま(本来「東宮様」とお呼びすべきだと思うのですが、いつから「皇太子さま」になったのでしょうか?)や秋篠宮さまがご結婚かという時期になったとき、マスコミでは何人かの「お后候補」を挙げて、なにやら10人ぐらい顔写真を並べてフィリップを作り、「この人はどうだ」とかなんとか下世話に予想なんて立てながら無責任なコトを言っていたりしていました。
 よくもまぁこれで「自由恋愛」なんて言えたもだと言いたくなっちゃいますが、この例を出すまでもなく、本当によーく考えれば、皇族の方には自由は制限されているという現実があるコトぐらい誰にでも分かるワケです。
 しかし自由というモノを最上の価値に置くような人は、その現実に気付きたくないだけなんですね。
 
 色々言いましたが、つまりは一般論ではこの天皇家の問題は語れないというコトです。
 そもそも明治典範の時に明言されていますように、皇室典範とは家法であるワケですから、局地的な家法というモノを一般的な印象によって押しつけるというのは、明らかに筋違いなのです。
 また皇族方は、すでに我々とは背負うモノが違いすぎる尊い方々なのですから、せめてその責任を全うできる環境を整備するコトが、我々に課せられている責任なのではないでしょうか
 安易に我々と同じ生活をするのがいいと言うのではなく、安易に全体像を押しつけるのではなく、天皇にしかできない責任を天皇に遂行していただくためにはどうしたら一番いいのかというコトを考えるべきだと思います。
 
 
 次回は「天皇は国民の象徴だからある程度は国民と同じ生活をすべきだ」という意見に対して述べたいと思います。
 

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平成18年3月16日

 天皇家は比類無き唯一の天皇家2

 ごめんなさい。
 前回、いろいろなコトを書いていたら、結局一番言いたかったコトを言えずじまいになってしまっていまった感がありまして、本来なら天皇の問題を連日取り上げるのはどうかと思ったのですが、今日だけちょっと補足をさせていただきます。
 
 つまりですね、前回言いたかったコトというのは、全体のイメージ像をもってしてひとつの事例に当てはめてはならないというコトであり、まして天皇家というのは、世界のどこを探しても比類無い唯一の存在であるのですから、いわば例外中の例外なのですから、なおさらそのようなコトをしてはならないワケなのです。
 
 前回チラッとだけ触れましたが、皇室典範とは、明治典範の時に伊藤博文によって明言されましたように、天皇家の家法なワケです。
 今まで散々やえは、家の継承のルールとは決して他人が口を出すようなコトではなく、また一般的な常識のようなモノで縛られるモノでもなく、ただその家が代々受け継いできたルールこそが唯一のルールである、と言ってきました。
 現代の常識では、そもそも家を継ぐという認識が薄れてきているコトもあって、男女問わず子供であれば誰でも継承したと見なされる風潮がありますし、また養子であっても継承されたと見なされるコトが多いでしょう。
 しかしそれが一般的であったとしても、その常識というモノを持ってして一個の家にまでその全てを押しつけるのは間違っているワケです。
 一子相伝の家に対して、「それは今の常識にはそぐわないから今すぐやめろ」と言って強制したとしても、その家の人は一子相伝でなければ決して「継承された」とは認識しないでしょう。
 
 ですから、天皇家の継承のルールだって同じコトなワケで、いくら今の常識が天皇家の継承のルールにあわないからといって、無理矢理常識の方にあわせる、男女問わず子供であれば誰でもいいという風にするのは、あまりにも乱暴すぎる言い方でしかないのです。
 いくら一言で言い表せないほどの親戚が天皇を継ぐのは今の常識にはそぐわないと外の人間が言ったところで、しかしもともと天皇家では歴史的にそのような継承のされ方が続いてきたのですから、それが間違いとは誰にも決して言えません
 全体像を個人や少数の人間に対して押しつけるというコトは、それはやってはならないコトなのですから。
 
 時代が変われば常識も変わります。
 武士の時代には男子しか家を継ぐことは出来ませんでしたし、しかし養子であれば血のつながりはほとんど気にしなかったような風潮がありましたし、またそれは大名家や将軍家でさえそうでありました。
 大名家でさえお家に跡取りがいなければ、例え女子の子供がいたとしても、家も領地も全て取り潰しとなっていたワケです。
 しかしそのような時代であっても、天皇家は天皇家としての継承のルールを守ってきました。
 当時は天皇に即位するにも幕府の許可のようなモノがなければ出来なかった時代でもありましたが、それでも天皇家は庶民の常識にとらわれないルールを守ってきましたし、そして庶民の方、つまり幕府もそれを問題とはしませんでした。
 後櫻町天皇という天皇がいらっしゃいます。
 江戸時代の徳川家治が将軍の時代で、まだまだ幕府の力が強かった時代ですが、後櫻町天皇は女性の天皇(もちろん男系です)でいらっしゃいます。
 そしてその2代後(しかし年数にすれば9年程度後)の天皇は「一言では言い表せないほどの親戚」です。
 男子のみが家督を継ぐべきという時代においても、やはり長い歴史を持つ天皇家だけは依然として別であり、幕府がいろいろと注文をつけるコトはあっても、最後のところでは他人が口出すコトではないと尊重しあっていた証拠だと言えるでしょう
 
 なんだか以前に言ったコトを繰り返しているような気がしますが、とにかく、「今の感覚ではこうだから天皇家もこうするべきだ」という主張は、全く論拠にならない、説得力を持たないというコトです。
 直系の男女の子供に継承される方がわかりやすいとか、自由恋愛が出来ないじゃないかとか、現代は20歳での結婚は早いとか、そんな“常識”などどうして他人に押しつけられなければならないのでしょうか。
 結局そういう主張というのは、一般の人に対してでも、早婚の人たちや大家族の人たちを遠回しに否定しているコトになるんじゃないでしょうか。
 前回も言いましたように、全体的に評論するコトは間違ってはいないと思います。
 それは統計的にそういう方向というモノがある程度は出てきますから、それを否定するコトはできないでしょう。
 しかしそれをひとつの個に対して当てはめ、枠に入らないコトを否定するようなモノの言い方は、大変失礼なコトだと思います。
 まして天皇家はとてつもなく特殊な存在です。
 そんな存在に対して一般論を言っても全く論拠としては成り立たないでしょう。
 
 結局は、有識者会議の論拠もほとんどが成り立たない論でしかないのです
 しかし女系容認という考え方は、今までの天皇家にはない概念を持ち込む全く新しい考え方です。
 だから、もしこれを持ち出そうとするのであれば、論理的に正しい論拠を示す必要がまずあるワケです。
 だけどやえはいろいろな人の意見を目にしてきましたが、未だにちゃんとした論拠は残念ながらお目にかかる機会はありませんでした。
 これでは結局全く新しい、2600年の歴史を持つ神武天皇家とは違う天皇家を作るための方便にしかなりません。
 端的に言えば「これからの新しい天皇家は国民の中間的な、いわゆる一般的な生活をする人たちと定めよう」と言っているワケです。
 これは全く新しい概念、全く新しい天皇家なのです
 これも何度も言っていますが、新しい天皇家を作ろうという議論は、それは議論としてしてもいいとは思いますが、しかしそれは今の神武天皇家をどうしようという議論とは全く別問題ですし、またこの議論は今すべきモノでもないと思っています。
 やえはいまは、まずは「神武天皇家が日本にとってどのような存在でいらっしゃったのか」というコトを再点検しようとしているワケであり、そして「神武天皇家をどうすれば存続させられるのか」というコトを考えましょうと言っているワケなのです。
 
 論とは全ての問題に対して首尾一貫しておかなければならないモノです。
 もし差別主義者であるのであれば「全体のイメージ像をもってしてひとつの事例に当てはめる」ような論拠で語るコトは筋が通っていると言えるかもしれませんが、差別主義者でなければそのようなモノの言い方はしてはならないハズです。

 ここをまずよく考えてもらいたいとやえは思っています。
 

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平成18年3月27日

 国民の心に訴える

  さて今日は、どうも当サイトのコトを勘違いされている方がいらっしゃると思ったので、申し上げておきたいコトがあります。
 それは、当サイトはあくまで思想サイトであって、政治を実際に動かしているところではないというコトです
 つまり、日本の政治体制においてどのような道筋をたどれば法案が成立するのかなんてコトは、普通は考えませんし、言及もしません。
 人権法の時はそれに近いようなコトは言及してきましたが、しかし人権法の時すら、現実的・政治的にはどのような考え方が存在して、そしてそれをどう考えていくべきか、というコトは言及しても、実際に法案を通すため(通さないため)にはどうしたらよいか、なんてコトなど言っていません。
 だいたいにしてそんなコトは議員の先生方の仕事であり、議員でない人が出来るコトと言えば、抗議のアクションを起こすか、もしくは選挙に投票するぐらいしか手段は存在しないワケで、つまりやえは人権法の時にすら「こう考えるべきだ」と主張はしても、例えば「人権法を通すため(通さないために立候補するので応援してください」などとは一言も言っていないワケなのです。
 その中でも、せめて抗議する場合には最も効率的な方法をやえなりに示すコトもありますが、外国人参政権問題なんかはそうですね、しかし結局は議員でない人間が「実際に政治を動かすためにはどうしたらいいか」という極めて限定的な方法論を考えるのであれば、所詮は抗議か選挙しか方法は存在せず、そしてそんなコトはわざわざ当サイトで言うまでもない話なワケです。
 
 結局やえが最も重要視しているのは思想です。
 つまり、国民の意識です。
 議員でない人間がどう政治に最も関われるかというコトを考えたときに、やえは「国民の意識を変えるコト」が最も重要であると考えているのです
 
 これはいつもいつも当サイトでは言っていますね。
 政治を変えるにも、国民の意識を変えなければ根本的には何も変わらないと
 やえは政治を言及する(=政治行動)にしても、そのバックボーンたる思想はどうなのか、そしてそれをいかに多くの国民に理解してもらえるかをもっとも大切にしています。
 やえは、当サイトで考えを訴えるコトが一番政治的にも効果的な方法だと信じています
 政治とは、国民の意識を、特に日本では、もっとも反映する存在です。
 それは様々な意見のほぼ中間点を反映するモノです。
 例えば最近は保守思想の考え方を持つ人が増えてきているので、昔よりは保守的な政策(例えば靖国等)をとってきている政治家も増えてきていますが、これはあくまで政治の実行点である中間点が多少右側に寄ったという意味でしかないワケであって、保守思想の方が数が多いから一気に右側に政治が寄るという意味では無いワケです。
 これについては過去にも何度も触れていますが、ですから、その中間点たる政治の実行点を自分の考えに少しでも近づきたいと願うのであれば、それは一人でも多くの国民にやえの考え方を知ってもらうのが一番効果的なのです。
 数が増えれば増えるだけ徐々にやえ側に中間点=政治実行点がズレていくワケですね。
 実際に政治を動かすためには、これが唯一の方法かもしれません。
 だからやえは、みなさんにやえの考え方を訴えて、そしてそれをどう皆さんが受け止めて考えるか、結論を出すか、出来ればやえの考え方に同調して欲しいなと思いながら日々更新しているのです。
 
 政治と思想は役割が違うとちょっと前までよく議論になっていましたが、やえは思想の役割とはまさにこういうコトを言うんだと思っています。
 政治は外面的に人を強制させる力を持っていますが、思想は人の内面に訴えて結果をもたらす行為なのではないでしょうか。
 いま当サイトでは一日2000弱のアクセスがありますが、3日に一回とか1週間に一回とか見に来て頂いている方もけっこういらっしゃいますから、潜在的には完全に適当な推論ですが5000人ぐらいの人が当サイトを認知していると思っています。
 有権者一億人に対して5000人などたいした数ではないかもしれませんが、それでも永田町のあたりをうろつくだけのデモよりは確実に着実に現実に対して成果を上げていると、やえは信じています
 それが日々の更新の糧です。
 ですから、やえはもっともっと多くの人にやえの文章を読んでもらいたいと思っていますし、アクセスももっともっと増えて欲しいと願っています。
 これはプロの文章家だって同じなのではないでしょうか。
 もちろんいっぱい本が売れた方が儲かるという面も当然ありますが、それよりももっと自分の考えを知ってもらいたい同調してもらいたいという願いがまず先にあるのではないかと思います。
 そうしてそのような考え方が現実に影響を与えるワケです。
 それが思想家に対する使命なのではないかと、思想の役割なのではないかと、やえは思いながら当サイトを更新し、日々文章をアップし続けているのです。
 
 「側室制度なんて理解を得られるワケがない」
 こう言う人は多いですが、しかしどうしてそう断言できるのでしょうか。
 やえは一人でも多くの人がこの考えを理解してもらえるよう訴え続けます。
 もしかしたらその結果、そういう人が日本の大勢をしめるようになるかもしれません。
 いえむしろ、それを目指して思想家は思想を紡ぎ続けるのです
 初めからダメだという結論を出しては何も生まれません
 一人でもその考えを理解してもらえれば、それは十分に価値のあるコトだと、前進しているコトだと思います。
 「いま理解されないから」というのは論拠にはならないのです。
 「いま理解されないからやらない」のではなく、「これから理解されるため」に訴え続けているのですから。
 
 側室制度についてはもうちょっと違う意見があるのですが、しかし例えば20歳で結婚していただくようにするという方法は、これは「いま理解されないからダメ」なのではなく、「近い将来日本人が容認するようになるため」に、やえはそう主張していくのです。
 そしてその主張が理解しやすいよう、正当性や論拠を付け加えていくワケです。
 つまり「天皇家は特殊な存在であり、その独特の伝統を守っていくべき存在である」とか、「江戸時代さえ女性天皇は容認されてきた」とか、「特定個人に対して全体像を押しつけるのは失礼だ」とかです。
 ただ単に「20歳で結婚すればいいじゃん」だけでは理解しづらいでしょうけど、「過去にこのような経緯があって、それは今でも続けるべきだ」とかいう理由をつければ理解しやすくなるのではないかと思うのです。
 それが思想家の役割だと思います。
 やえはそう信じて今までやってきましたし、これからもそうやっていきたいと思っています。
 
 所詮、女系容認論だって、小泉さんが今総理大臣だからという理由だけで政治の俎上に上がっただけにすぎません。
 政治的にどのようなプロセスを経ているかなんて考えずに、ただ小泉さんがそう主張しただけです。
 その後、法案を通すために、半ば強引とも言える手段でレールを引こうとしました。
 これを逆に捉えれば、小泉さんが「やっぱり男系でいこう」と言ってしまえばそれが通ってしまう話でしかないのです。
 もしかしたら、いまは女系容認の方が現実的と思っている人が多いかもしれませんが、それは所詮小泉さんがそう主張したという根拠しかないワケです。
 もちろん現職の総理大臣の意見ですからそれなりに重いコトは重いですが、しかしだからといって「それだけが現実論である」とは決して言えません。
 女系を認めるのが現実論であると言われる一方、旧宮家の方々に復帰していただくコトがなぜ非現実的なのか、そこにはなんら理由は存在しないワケです
 思想的に考えればやえはよっぽどか前例のない女系容認の方が非現実的と言わざるを得ないと思うのですが、ではなぜそれにも関わらず女系の方が現実的方法と思われているのかと言えば、やっぱりそれは小泉さんがそう主張したからでしょう。
 そしてそれは「ただそれだけ」なのです。
 だから例えば小泉さんが「旧宮家の方々に復帰していただく」と今と逆の主張をしていれば、もちろんいろいろと思想的には賛否両論があるかもしれませんが、しかしいま「政治的にそれが現実論」と言っているような人というのは、このように結論が真逆であってもその意見を肯定しなければ筋が通らないコトになるでしょう
 現職総理大臣が主張するコトが現実論と言うのであれば、それは論の中身ではなく、ただ表面的な意見の表明しか論拠がないのですから、そうなりますね。
 しかしやえはそう思いません。
 現実論かどうかというモノは、そんな浅いモノではありません。
 女系容認にしても、宮家復帰にしても、これはどちらとも法律(皇室典範)を改正すれば実行できる話なのですから、「現実的に出来るかどうか」という点で見ればどちらもイーブンです。
 となれば、政治を変えるために出来るコトは、最初にも言いましたように、世論の中間点たる実行点をできるだけこっち側にズラすコトであり、それは国民の意識を変えるコトに他ならないワケです。
 一時的なデモや抗議だけではそれはなし得ません。
 恒久的に国民の意識を変えるコトこそが、立候補以外の唯一の政治に対する現実的なアプローチだと思っています
 だからやえは訴えるのです。
 神武天皇家の存続こそが日本の歴史と伝統を引き継ぐコトであり、悠久の昔から続くただ一つの日本国家であるという証明なのです、と。
 そう訴え続けるコトにより、一人でも多くの方にこの考え方を知ってもらい、同調していただければ、いつかはそれが達成されるのではないかと、そう信じて日々更新していっているのです
 
 それがやえの思想なのです。
 そして現実論なのです。
 

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平成18年3月29日

 天皇家は宮家あって継承されてきた

 さて、今日はそのコメント覧でちょっと触発されまして、皇室問題の基本的な部分について立ち返ってみたいと思います。
 
 まず、この皇室にかかる最も基本的なルールをよく覚えて下さい。
 
 天皇の継承には「直系である」というルールは存在しません
 
 この「直系である」という表現も人によってあやふやになりがちですが、しかしおそらくどんな人の「直系」というイメージを全て合わせたとしても、このルールは揺らぎません。
 人によっては直系とは「親の長男」というイメージがあるもしれません、人によっては「親の息子」かもしれません、人によっては「親の子供」かもしれません、しかしどれにしてもやっぱりこのルールが揺らぐコトはないのです。
 
 具体的に言えば、今上天皇の直系というコトになると、狭義には皇太子さまだけというコトになろうかと思いますし、広義的に言ったら秋篠宮様、そしてそのお子様達にもかかるかもしれませんが、どちらにしてももし「直系だけが天皇継承のルール」だと思っている人ならば、愛子さまとこれらの方々にだけ継承権があると思っているコトになるでしょう。
 しかしこれは全くの認識違いです。
 現在の制度でも、いま挙げました方々以外にも皇位継承権をお持ちの方はいらっしゃいます。
 例えば、この前有識者会議に異議を唱えられたェ仁親王です。
 ェ仁親王は大正天皇の第四皇子のご子息でいらっしゃり、今上天皇から見れば従弟にあたるワケですが、もしこういう例えはあまりよろしくないと思うのですけど敢えて申し上げるのであれば、今上天皇からェ仁親王に皇位継承がなされたとしたら、これは一般的には直系継承とは呼べないモノとなるでしょう。
 しかし現に皇室典範ではェ仁親王は第4位の皇位継承権を持たれているコトになっています。
 現実的には可能性が全くないとは言えません。
 つまり、この継承方法は全く問題ないというコトであり、「必ずしも直系でなければならないというルールはもとから存在しない」というワケなのです。
 
 これは歴史を見ても明らかです。
 こちらの天皇家の家系図をご覧いただければ一目瞭然ですが、ざっと見ても半分くらいは「親から子」でない、直系でない継承の例だと言えるでしょう。
 今上天皇でさかのぼったとしても、直系でさかのぼれるのは119代の光格天皇(江戸中期の天皇)までであって、その前の118代の後桃園天皇とは血縁上は一言では言い表せない間柄です。
 (後桃園天皇のお子様であられる欣子内親王が光格天皇に嫁いではいらっしゃますが)
 この例から分かると思いますが、歴史的にも「親から子へ」というルールは存在しないワケですから、自動的に「即位する方の親が天皇でいらっしゃる必要もない」というコトが言えるワケです。
 実際に、光格天皇のお父上は親王です。
 もちろん言うまでもないコトですが、光格天皇もお父上の典仁親王も、さかのぼれば神武天皇にまで繋がる男系の間柄でいらっしゃいます。
 
 さらにちなみに言えば、このルールは、例の有識者会議が出した結論においても、基本的に変わりはありません。
 やはりェ仁親王にも皇位継承権があるとされているんです。
 有識者会議の出した結論においては「直系が望ましい」という考えのもとであるのは一目瞭然なのですが、しかし少なくともあの出鱈目な有識者会議の結論でさえ、「直系でなければ皇位継承はなされない」とは考えていないのです。
 
 すなわち、もう何回目か分かりませんが、結局、天皇継承の唯一にして最も重要なルールが「神武天皇に繋がる男系である」というモノだけなのです。
 
 もともと宮家とは、その「神武天皇に繋がる男系である証」を制度的に明確にしていたという性格があったワケです。
 先ほどの例での光格天皇も、即位までは祐宮という宮家、宮様でした。
 つまり、宮家が多ければ多いほど皇位継承者が多いコトになり、現代の言い方をするのであれば「安定的な皇室である」と言えるようになるワケですね。
 繰り返しになりますがお父上が天皇でいらっしゃる必要はないですから、宮様に男の子が生まれつづれば男系の宮様はいつまでも続いていくコトになるワケです。
 
 ではどうしていま現在はこんなに宮様が少ないのでしょうか。
 出生率の低下が原因なのでしょうか。
 ちがいます。
 原因はGHQなのです
 
 昭和22年に発布された宮内府告示第16号というモノがあるのですが、この規定により11の宮家が臣籍降下させられました。
 それを命令したのがGHQです。
 もちろんこの11の宮様達はみな神武天皇の男系を受け継ぐ方々であり、天皇に即位される権利を持つ、皇位継承者の方々です。
 GHQがどのような意図を持ってこのような命令を下したのかというのは言うまでもないコトでしょうが、つまり現在の窮状も全てGHQによって仕組まれた陰謀のせいだと言っても過言ではないのです。
 常々やえは「旧宮家の復帰を」と主張していますが、これに反対する人というのは、敢えて言いますけどGHQの陰謀の片棒を担いでいると言えるのです。
 旧宮家復帰に反対する理由なんて、本来どこにも理由はありません。
 なぜならGHQが無理矢理臣籍降下させたコトにも、どこにも理由はないからです
 つまり「旧宮家の復帰を」というのは、GHQの占領政策を精算し、日本の伝統を取り戻そう、元に戻そうという主張でしかないワケです。
 これは性格的には「戦後憲法はGHQの押しつけ憲法なんだから改憲しよう、新しい憲法を作ろう」と言っているのと全く同じであり、もはや一部の極左ぐらいしか憲法改正に反対しない、民主党ですら「創憲」なんて言っている時代に、ではなぜ皇室問題についてだけGHQの押しつけ占領政策を善としGHQの陰謀にしがみつこうとしているのか、やえには全く理解できないワケなのです。
 
 言わば「旧宮家の復帰」は、自然な状態に戻そうという主張でしかなく、そして“もともと自然な状態”であったとしたら、いまこのような問題はそもそも起きなかったワケなのです。
 
 やえは必ずしもそうとは思っていませんが、もし「安定的な皇室」という概念が絶対正義であるとするならば、本来はそれはほぼイコールで「どうやって宮家を増やしていくか」という問題にならなければならないハズなのです。
 側室制度の復帰もそのひとつではありますが、旧宮家の復帰、宮家をどう増やしていくかというコトも同じように有効な手段のひとつであり、そしてそれさえクリアすれば安定的になるのですから、いきなり女系とか全く新しい概念を持ち出すより先に、まずは宮家をどう増やすかを先に考える方が筋なのです。
 
 
 
 (つづく)

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平成18年6月7日

 天皇の継承についての問題Q&A 1

 【男系基本知識編】
 
 
 Q.なぜ男系にこだわるの?
 
 A.過去全ての天皇は男系の天皇であり、男系こそが天皇継承の最も基本かつ唯一のルールだからです。

 
 初代天皇であられる神武天皇から数えて今上天皇(現在の天皇陛下)は125代になりますが、その125人方全ての天皇は男系の天皇でいらっしゃいます。
 125人の中には女性の天皇も8人(お二方は重祚(二度目の即位)されているので10代8人となります)いらっしゃいますが、この8天皇も全て男系です。
 男系女子天皇とお呼びすればいいでしょうか。
 このように過去の歴史から見て、天皇家の継承には「男系男女が天皇の地位に就く」という不文律のルールが存在しているワケで、このルールをこれからも守ろうと言うのが男系維持のほぼ唯一の主張なのです。
 
 
 
 Q.日本社会は女性蔑視だから女性の天皇を認めないだけじゃないの?
 
 A.日本社会の風潮と天皇継承の問題は関係ありません。もともと天皇家には「男系というルール」があるからこそ、それを忠実に守ろうと、ただそれだけを主張しているのです。

 
 また、女性の天皇も過去に存在しています。
 よって、現皇室典範では女性の天皇も認められないコトになっていますが、歴史的観点からすれば、一定の条件下で認めても良いとすべきだと思っています。
 ただしこの場合でも「男系」という基本的かつ唯一のルールは守る必要があります。
 つまり「男系女子」の方のみに天皇に即位できるような形にすべきです。
 「男系」とは決して男子だけを指している言葉ではありません。
 そして過去の8人の女性天皇も全て「男系女子」の天皇なのです。
 
 変な話ですが、神武天皇から続く今の天皇家の継承がもし「女系」でずっと続いていたのであれば、「女系を堅持すべき」と主張していたでしょう。
 つまり日本の社会風土と、この天皇継承のルールの間にはなんら因果関係は無いというコトです。
 いま男系堅持だと主張しているのは、それは現代まで天皇家がずっと“男系で続いてた”というこの事実一点のみをもって、男系を維持すべきと主張しているワケなのです。
 それ以上も以下も、男性重視も女性蔑視も、そういう考えは全く入る余地のないお話なのです。
 
 ちなみに、皇太子殿下のお子様でいらっしゃいます、敬宮愛子様は男系女子でいらっしゃいますので、愛子様が即位されるコトは、いまの天皇家の継承ルールに則っても適切だと思っています。
 
 
 
 Q.そもそも「男系」ってなに?
 
 A.「お父さんのお父さんのお父さんの・・・お父さんが神武天皇」と繋がる系譜を、天皇家における男系と呼んでいます。

 
 つまり敬宮愛子様のお父さんは皇太子さまで、皇太子さまのお父さんは今上天皇でいらっしゃいますから、もちろん今上天皇は男系でいらっしゃるので、ずっとお父さんをさかのぼれば神武天皇にたどり着きます、よって愛子様も「男系」の系譜を引き継いでいらっしゃるコトになるワケです。
 同じく、秋篠宮殿下のお子様でいらっしゃいます、眞子様・佳子様も、お父さんか秋篠宮殿下であり、そのお父さんが今上天皇でいらっしゃいますから、眞子様・佳子様も男系女子になります。
 ここで重要なのが、天皇の継承ルールは「お父さんのお父さんの…お父さんが神武天皇」というコトであって、決して「お父さんが天皇」である必要はないというコトです。
 つまり、眞子様のお父様は秋篠宮殿下ですが、仮に秋篠宮殿下が天皇にご即位なされなくとも、眞子様は天皇に即位されるコトにはなんら問題はないと言えるのです。
 
 
 
 Q.男系で続いてきたのはたまたまじゃないの?
 
 A.過去何度か男系維持に危機が訪れたコトもありましたが、不断の努力によってなんとか回避されてきた、という歴史があります。

 
 こちらに天皇家の家系図があるのでご覧下さい
 例えば、47代淳仁天皇から見て46代天皇孝謙天皇というのは、これは一言で言い表す単語が無いぐらいの「ただの親戚」です。
 しかしこの時は、それでもその間によって天皇を継承してきています。
 さらに49代の光仁天皇など、48代称徳天皇から見ればこれは一般感覚からすればほとんど「他人」と言って差し支えないぐらい離れている間柄と言えるでしょう。
 けどそれでも天皇は継承されているワケです。
 これは当然46代孝謙天皇には直系にあたる男系後継者が存在しなかったコトを意味しているワケであり、同時にそのような危機を迎えたとしても、当時の天皇家と日本人は「男系」にこだわったという証拠でもあるワケです。
 天皇とその後継者の間柄よりも、「男系」というルールこそを選択しているコトがこの例だけでも読み取れるのです。
 この事実を前にしては決して男系継承を「たまたま」とは言えないでしょう。
 
 天皇家とはこのような努力によって神武天皇から脈々と受け継がれている血脈・家系こそが大切なのです。
 これを当サイトでは「神武天皇家」と呼んでいます。
 過去の日本人達、我々の先輩達は「神武天皇家」を継承させるために大変な努力をしてきました。
 そしてそれが今の繋がっているワケです。
 だからこそ、いまそれを受け継いでいる我々も「神武天皇家」を守り、そして次代に繋いでいかなければならないのではないでしょうか。
 これらは不断の努力によってなされたのであり、これからも努力して守っていくのです。
 決してたまたまではないのです。
 
 
 
 Q.愛子様が即位されても問題はないの?
 
 A.問題ありません。ただし愛子様の次の天皇が問題になってきます。

 
 愛子様は「男系女子」の方ですから、愛子様が天皇を継承されても神武天皇家は守られます。
 ですから、愛子様の即位までをも反対するつもりは全くありません。
 
 ただし、愛子様の次の天皇を考えたときに、問題が発生してしまいます。
 愛子様がご結婚されお子様をもうけられた場合、そのお子様は男系でありませんので天皇には即位できないコトになります。
 男系とは「お父さんのお父さんの…お父さんが神武天皇」ですから、愛子様のお子様は「お母さんのお父さんの…お父さんが神武天皇」となりますので、これは神武天皇家の血脈ではなくなるのです。
 よって、愛子様が天皇に即位されるコトには反対しませんが、しかしそのお子様が天皇に即位されるコトには反対せざるを得なくなってしまいます。
 
 ただ、この場合でもひとつだけ愛子様のお子様も神武天皇家として即位できる方法があります。
 それは、愛子様の旦那様が「神武天皇家の方」である場合です。
 この場合だと「お父さんのお父さんの…お父さんが神武天皇」ですから神武天皇家の血脈が守られるコトになるんですね。
 また、「Q.そもそも「男系」ってなに?」でも答えましたように、「お父さんが必ず天皇である必要は無い」ですから、愛子様のお子様が天皇として即位されコトに何ら問題はないのです。
 
 方法と言ってはなんですが、この方法がいまのところ一番スマートな方法だと思っています。
 実際問題、この場合の愛子様のお相手というのは、皇室ではないけど男系の方という、簡単に言えば民間の方(戦前までは皇室だった家の方、いわゆる旧宮家です)になるコトになりますけど、この場合のこの愛子様のお相手ご自身も一応は神武天皇家ですので天皇に即位される可能性は無いコトも無いですが、しかしやはり民間人になられていたという事実を鑑みるのであれば、天皇として即位されるというのは現実的ではありません。
 しかしそのお子様であれば、生まれたときから皇室の一員であり、帝王学も学ぶコトの出来る環境でしょうので、色々な意味に置いて前例から大きく外れる要素はほぼ無くなると言え、ある意味理想的な形だになると言えるのではないかと思っています。
 

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平成18年9月7日

 天皇は日本の守り神

 親王様がお生まれになって、日本中が祝賀モード一色になっています。
 しかしその一方、仕方のないコトかもしれませんが、あまり天皇という存在を考えたコトの無い人によってはまた別の感情を抱く人もいるようです。
 おそらく当サイトにお越し下さっている方の多くは、その辺はすでにキチンと整理されておられる、卒業している方ばかりとは思うのですが、今日は当サイトを普段はあまり見ていないような人に向けてという思いで文章を書いてみたいと思います。
 
 「男の子だったからよかったって言っている人が多くてうんざり。男の子でも女の子でもどっちでもいいじゃん、生まれてきたコトそれ自体が幸せであって、そうじゃないと言うのは子供を傷つけるし、親だって傷つく」
 こう言う人が最近けっこういます。
 確かに、文字通り額面通り取れば、このコトに異を唱える人はあまりいないでしょう。
 しかしやっぱりそれを天皇というとても特別で特殊な立場にある方達にそのまま当てはめてもうまくいかない部分があるというのも現実であるワケです。
 というか、人はどうやっても「ただの人間」という存在にはなれません。
 社会があるからこそ人間は人間であるワケで、他人との関係があるからこそ人間は自分というものを感じられるワケです。
 そして他人が存在する社会が天皇という存在も生み出しているのです。
 まずは天皇とはどういう存在なのかというコトをまず認識するコトが大切でしょう。
 
 そもそも「生まれてくるコトそれ自体が幸せで、生まれてからのコトはその後考えればどうとでもなる」というような考え方は、それは今の日本に生まれているからこそ出来る考え方です
 おそらくそう考えられる社会が今あるというコトは、とても幸せなコトだと思います。
 それが「人間本来」というような形容詞で表現できるかどうかは疑問が残るところではありますが、しかしそれが不幸な出来事だとは言えないでしょう。
 ですから、一般的には「男の子でも女の子でもどっちでもいいじゃん、男の子産めと強制するな」と言えている社会に生きている人というのは、少なくとも自分の周りではそう思って生きていけばいいと思います。
 
 しかしそれは、結局日本の社会のにおんぶされて言えている幸せでしかないというのも事実なのです。
 今あるそういう幸せは、日本の悠久の歴史の中で、先人達が血を流して勝ち取ってきた、守ってきたモノだというコトを、現代人はあまりにも忘れすぎています
 日本人が日本人であるために、多くの先人達が血を流してきたのです。
 そして先人達が守ってきたという日本という曖昧な存在を象徴するモノが天皇です。
 日本列島に住んでいる人間が2600年もの間ずっと“日本人”だったためにこういう言い方だとピンと来ない人もいるかもしれませんが、あらゆる意味で“日本人”という存在が2600年も続いているというのはとても奇跡的な事実であって、しかもそれは偶然ではなくて、必然的に天皇という存在があったからこそなのです。
 
 日本人とは何か、という質問をぶつけられたらなかなか困る人が多いと思いますが、その問いはそれぐらい難しい問題です。
 しかしその究極的に難しい問題に対し、明確に答えを出せる存在として天皇がいらっしゃるのです。
 ただ、安易に例えを出して、それだけが日本人と思われると困るのですが、しかしそれでもこれだけだとあまりにも抽象的すぎるので、ここで敢えて例えを出してみましょう。
 
 例えば朝鮮半島などは、残念ながら可哀想な歴史を歩んできました。
 朝鮮半島の歴史の大部分は中国大陸に存在していた歴代の国に支配されてきた歴史であり、特に元の時代などは完全に国の一部とされていました。
 朝鮮半島の国は中国大陸の国無しでは自らの歴史を語るコトは出来ず、独自の文化もあまり持ち合わせていない、文字も近代ぐらいにならないと独自のモノが出てきませんし、いえむしろ漢文字以外は野蛮だと言ってたぐらいですし、名前ですら今では完全に中国式になってしまっています。
 しかもそれらは朝鮮半島人が自らすすんでその道を選んできたワケです。
 最近はそれを安易にあざ笑う人たちが増えてきてしまっていますが、しかし下手をしたら日本だってそのようになっていたかもしれないのです。
 なぜ日本がそうならなかったかと言えば、それは早い時期から中国の冊封体制(=中国の国の皇帝をトップとして、隣国は属国でしかないという考え方)を離脱して、独自の文化を歩んできたからなのです。
 そしてその象徴が天皇だったワケです
 つまり天皇は中国大陸の国の皇帝と同格であって、よって国同士の関係も同格であると、そう聖徳太子の「日出ずる国の天子・・・」という書簡でハッキリと表明したのです。
 それは外向的な意味合いももちろんありましたが、同時に文化的内面的な部分においても“日本人”を強く意識させるキッカケにもなったでしょう。
 そもそも日本は古来から独自の文化を創ってきた国ですから、形的にもいつかはハッキリさせておく必要があったのだと思います。
 一方朝鮮半島は、逆に「いかに中国に似られるか、中国になれるか」というベクトルに進んでいき、そのような歴史を歩んでいくコトになります。
 そんな自分たちの国の歴史と、真反対の道を歩んできた隣国の歴史を、どう読み取るべきでしょうか。
 
 もうひとつ例えを挙げてみましょう。
 日本という国は歴史的に分裂をしたコトがない国です。
 というか、南北朝時代の例外を除けば、分裂の危機すら起きなかった国です。
 というのも、日本のすぐそこには中国という古代においては世界一の大国があったワケで、普通なら、自分が天下を取るために巨大な外国の力を利用するという戦法をとろうとする人間がだいたい出てくるモノなのですが、日本はそういうコトはありませんでした。
 またまた朝鮮半島と比べて恐縮なのですが、朝鮮半島は5世紀の高句麗や百済といった国の時代から、朝鮮戦争の時代まで、半島が分裂すれば中国大陸の国の手を借りる国と、その他の国の力を借りる国とが、ほとんどどの場合出てきていたワケです。
 しかし、日本有史の中でも最大級の外国の驚異を感じたのは幕末の時ですが、あの時でさえ、外国の力を借りて、つまり属国や服従国や冊封国になってもいいから日本国内だけは自分が王となろうと企んだ人間というのは、表に出るぐらいの規模では出てきませんでした
 開国派であれ、尊王攘夷派であれ、佐幕派であれ、全て「天皇の国日本」という枠だけは共通していて、違っていたのは外国と戦える力はどうすれば得られるのかという方法論だけだったのです。
 戦国時代だってそうです。
 織田信長でさえ、日本という枠組みの中で争っていたに過ぎません。
 第二次世界大戦時だって、天皇陛下の御聖断があってこそ、今も日本として存在し続けられているのです。
 終戦直後の日本人にとって、天皇陛下の存在がどれだけ勇気づけられたコトか。
 これら全ては天皇を戴く日本という枠組みがあってこそです
 日本は遙か昔から天皇という日本の枠組みの象徴を戴いていたからこそ、いつの時代だって、どんな国難の前だって、決して日本という枠組みは忘れなかったのです。
 
 天皇のコトを象徴と言うと、どうしても戦後憲法のコトを考えてしまう人が多いかと思いますが、しかしそれは単に明文化されただけであって、もともと天皇は日本を代表し日本を象徴する存在です
 外国の王や皇帝とかとはまた性格が異なります。
 今回はその辺を言うと長くなりますので省略しますが、天皇は、「何をもって日本を日本と言いますか」という簡単には答えられない問題があるからこそ必要だったのであり、つまりその問いには、唯一「天皇を戴く国が日本です」という明確な答えを導き出すための、日本という国にとって必要不可欠な存在であるワケなのです
 いつの時代も、天皇がいらっしゃるからこその日本であり、日本統一統合の象徴なのです。
 どんな国難の前にも、この具体的に意識できる日本としてのアイディンティティを戴いていたからこそ、常に分裂をせず分裂の危険すらほとんど起きず、日本は2600年もの長い歴史を育んでこれたのです
 
 今の日本が、そして日本人が、平和な幸せな考え方が出来るのも、そうした歴史があったからこそです。
 だからこそ、今に生きる日本人は、その素晴らしい財産を次の世代に受け渡す義務があるのです。
 今の幸せが空気のように普通に享受できるのは本当に素晴らしい幸せなコトですが、しかしだからといって今の世代で使い潰していいというワケには決していきません。
 いま日本人の多くが「生きているコトそれ自体が幸せ。生まれてくるコトそれ自体が幸せ」と思えるのであれば、むしろ日本の歴史をシッカリと受け止め、次の世代も同じようにその幸せを感じられるよう継承していかなければならないのです
 
 天皇という存在は、そんな大切なモノの柱です。
 日本の今までの悠久の歴史をひとつのまとめている象徴です。
 天皇無くしては今までの日本を語るコトは出来ません。
 一方「生きるコトそれ自体が幸せ」という考え方は所詮今の世代が感じているここ2、30年程度ぐらいの考え方は今だけの考え方でしかなく、それを空気のように感じられているコトはとても幸せなコトですが、それが100年後200年後1000年後も同じように通用するかどうかは分かりません。
 だけど、悠久の歴史を包み込む天皇というアイディンティティを持つ日本という存在は、1000年以上は確実に実効的に上手く機能してきたという実績があります。
 だったら今を生きる我々も、1000年後の日本人達のためにそれを継承していくのが一番確実に幸せを与えられる道なのではないでしょうか。
 日本ほど歴史の長い国は類を見ません。
 これほどの実績、歴史を、どうして簡単に投げだせられるでしょうか。
 
 天皇は、そんな果てしなく重い2600年の日本人の想いを代表して受け継いでこられている存在です。
 そしてそれは、天皇という運命によってとしか言いようのない巡り合わせの元に、我々の幸せのため天皇としてあり続けていらっしゃるのです。
 今の感覚、おそらく30年ぐらい程度の短い時間に生まれ出てきた感覚でしょう、たったそれだけの小さな価値観程度のためだけに、日本を捨てるワケにはいきません。
 天皇は日本人のために日本の歴史と運命を一身に背負っていらっしゃるワケで、こういう言い方が適切かどうかはアレですが、天皇は日本のためにある意味犠牲になってくださっているワケで、日本人はそれに感謝申し上げなければならないのです。
 個人がとか権利がとかいう概念など、日本の2600年の歴史の前にはちっぽけな考え方でしかありません。
 この2600年の歴史を守ってきた重みと、そしてそれをさらに100年200年500年1000年2000年と継承していくために、日本人は日本人として全てを受け止め、天皇は天皇として受け止めていただいているのです
 国民は天皇の重みと歴史を受け継いでそれを支え、天皇は国民のために色々な思いはもちろんあるのでしょうがそれを超えて存在し続けてくださっているのです。
 どっちがどうというような簡単な問題ではないのです。
 
 なぜ天皇は男系でないといけないかというのは、今まで散々言ってきましたので、ここで改めては言いません。
 詳しくはこちらをご覧下さい
 ただひとつ言えるコトは、男系であるコトが歴史的にも天皇家のアイディンティティであったワケで、血が流されても代々それだけは守ってきたワケで、天皇家の核は男系であるのですから、これを守るコトが天皇家を、そして“2600年間続いてきた日本”を守るコトに繋がるのです
 何度も言いますが、今の日本人が「生まれてくるコト自体が幸せ」と空気のように思えるコトはとても素晴らしいコトではありますが、その考え方を守るためにも天皇を天皇として日本人は守っていかなければならないのですし、天皇は存在それ自体が日本の守り神でいらっしゃるのです。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、そういう日本を大切にしていきたいと思います。
 

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