☆やえニュース☆

  倒閣運動?人の体調をあざけ笑う日本人 2麻生メルマガレビュー国籍法改正と不正認知防止政治と選挙と現実論供託金のお話大切なのは中身です。麻生メルマガレビュー自衛隊国軍化小沢私案

平成21年2月16日

 倒閣運動?

 なんかこう、最近は、ひとつのコトにワッと群がって、時間が過ぎたらまた別の話題を見つけてワッと群がって、でも具体的な中身には触れない、とても上っ面だけの薄っぺらい騒ぎが頻発するのでしょうか。
 しかもそれは、ほとんど「作られた騒ぎ」でしかないのではないかと、やえは思わざるを得ません。
 こんなコトで日本が良くなるとでも本当に思っているのでしょうか。
 

 小泉氏発言、政権運営に“暴風”…「倒閣に発展」の見方も
 
 自民党の小泉元首相が12日、麻生首相を痛烈に批判したことは、党内で「麻生降ろし」の動きにつながる可能性がある。
 特に目玉政策である、定額給付金を盛り込んだ2008年度第2次補正予算関連法案の衆院再可決に異議を唱えたことは、政権の命運にかかわる問題で、超低空飛行で航行していた麻生政権が暴風雨に突入した格好だ。

 いつの間にかこの話題が最近の永田町のトップニュースになってしまいました。
 しかしやえからしたら、こんなのここまで大きく取り扱うべき話題なのかどうか、疑問でしかありません。
 
 この前も言いましたように、そもそも郵政民営化法には3年ごとに見直すコトができる条項が入っていますので、時の政権がその時の日本の状況に合わせて見直したり修正をしたりするというのは、その政権が持つ職務の一つです。
 そういう中で麻生さんは自らの権限の中で見直しに、今のところとりあえず言及したという程度でしか無く、この話は本来それ以上も以下でもありません。
 
 ですから、議論するにしても、郵政事業に対してどのように見直すべきか、民営化されてどのような問題が出てきて、どのように修正するのが日本にとって国民にとって望ましいのか、ここを議論するのが本道でしょう。
 もしこの中身の議論において、麻生さんの主張は間違っていると、こうした方が日本にとって望ましいと、そう批判するなら、正しい議論のあり方だと思います。
 こういう議論ならどんどんすべきだと思います。
 
 でもいま騒がれているのは何なんでしょうか。
 やれ小泉さんが何を言ったかだとか、やれチルドレンが造反するだとか、やれ郵政選挙がどうだとか、全く中身なんて置き去りの、どうでもいい話ばかりで盛り上がっています。
 さらに、民主党や一部マスコミは、郵政選挙の時にあれだけ「郵政だけが選挙の争点じゃない。他にも争点はいっぱいある」とか言ってたクセに、今度は郵政民営化の是非と結果だけが金科玉条かのように言い出して麻生批判に繋げているのですから、それこそあきれるとしか言いようがありません。
 マスコミはまずは、郵政事業が民営化する前とした後と、なにがどのように変わったのか、そして今どのような問題点があるのか、そこを客観的に事実だけを冷静に伝えるコトが仕事なのではないでしょうか。
 
 ちょっと前までの流行りは、麻生さんが給付金を受け取るかどうかでした。
 連日連夜この話題がトップニュースとして流され続け、国会でも審議されたほどです。
 さらに前は、麻生さんが漢字が読めるかどうかでした。
 やっぱりこれも、民主党のどっかの議員が漢字読みクイズまで作って大騒ぎされましたね。
 どれもこれもくだらないとしか言いようのない、全く中身が伴わない「作られた騒ぎ」です。
 
 もう結果ありきなんですよね。
 「麻生内閣を潰す」
 ただこれだけのために話題を作り続け、騒ぎにしようとしているだけとしか言いようがありません。
 こんな“政治”で日本は良くなると、本当に国民は思っているのでしょうか。
 こんな“政治”を、本当に国民は望んでいるのでしょうか。
 

平成21年2月18日

 人の体調をあざけ笑う日本人 2

 中川大臣辞任の件で、やえがイヤだなって思うコトが2つあります。
 
 まずひとつは、最初から最後までマスコミ主導の騒動だったというところです。
 中川大臣はG7の会議のためにイタリアまで行かれたのに、マスコミのための記者会見での言動をマスコミが大騒ぎにして、マスコミが責任論を唱えて、結局辞任にまで中川大臣は追い込まれたというのが、今回の騒動です。
 マスコミ主導というか手動というか、G7の会議の場での失態や発言の内容についてならまだしもですが、記者会見での態度が悪かったという理由で辞任するなんて、言葉狩り以下の前代未聞の辞任劇としか言いようがありません。
 結局マスコミが本気になれば政治家なんていくらでもなるという、とても気持ち悪い社会に今なってしまっているとすら言えてしまうのが、やえは本当に悲しいというか、情けない気持ちです。
 
 いつの間にかマスコミの報道の仕方が、中川大臣のお酒ばかりに移っています。
 まだ辞任されるまでは風邪薬とお酒を同時に飲むとどうなるのかみたいな報道がありましたし、どうも腰痛のための鎮痛剤も飲んでいたというような報道も、ほんの僅かでしたけどありました。
 でもたった一日、いえたった数時間で、お酒だけが原因であるかのような伝え方にシフトしてしまっています。
 おそらく薬が原因ならまだ「仕方ないよね」と思う人が出てくるだろうというマスコミの思惑なのでしょう、しかしお酒が原因だというコトにしてしまえば「自業自得だ」と言われかねないワケですから。
 さらにマスコミは念入りに、「街角の声」みたいないつものお得意の戦法を使い、どこのだれだか分からないような、下手したらマスコミが用意したサクラの可能性も否定できないような、最低でもそれが世論の代表では絶対にないのに、一部の人間だけの声を代表かのような扱いにして、それを見ている視聴者に「そうだそうだ」という背を押させるという、マッチポンプ作戦を繰り返し繰り返し行っています。
 「サラリーマンはお酒を飲んで仕事なんてとんでもないのに、大臣はいいんですかね」みたいなコトを言っていた人がいましたが、お酒を飲むコトも政治家の大切な仕事のひとつ、というかこんなの政治家だけでなくある程度の“上の立場”になれば普通にあるコトなのですが、こんなくだらない“庶民感覚”で政治を語られてはかないません。
 実際、G7会議の後にレセプションのような場が開かれたと、昨日の段階では一部ですが伝えているマスコミもあったのですが。
 また、こういうコトを言わせるコトによって、いつの間にか中川大臣の問題の原因がお酒だけかのように、国民を徐々に洗脳スライドさせているワケです。
 もはや「事実を伝える」というマスコミの最低限の仕事も完全に放棄しています。
 
 またスライドと言えば、昨日の段階から「世界に恥をさらしていた」と言っていましたが、しかし海外のメディアがこの件を大きく伝えたのは、中川大臣が辞任すると発表されてからのような気がしてなりません。
 今日のテレビでは海外のメディアが伝えている様子を流しているようですが、これも大臣が辞任すると言ってからです。
 しかしそんなのは、大臣が辞任するというコトが大きなニュースであって、その場合当然その原因は伝えますけど、それは中川大臣のあの態度を伝えるというニュースではないワケです。
 それなのにそれをもって「世界に恥をさらした」と臆面もなく言ってしまうのは、筋違いも甚だしいとしか言いようがありません。
 結局日本のマスコミが「世界に恥をさらした」と大騒ぎして、大臣のクビを飛ばして、それを海外のメディアが伝えて、日本のマスコミが「ほら見たコトか」と言っているワケで、こんなのはマッチポンプそのものでしかありません。
 この構図というのは、朝日新聞のお得意のアレですね。
 全然問題でない話を新聞の一面に書いて、「中国や韓国で批判が起きそうだ」とあおり立ておいてから、その後に中韓が騒ぎ出して、その後にまた朝日新聞が「ほら見たコトか」とやる、まさにアレです。
 だれが一番日本の恥を喜んでいるのか、よく考えてもらいたいです。
 
 「大臣のクビを取ったぞ」とほくそ笑んでいる、手柄に思っているマスコミがいるんだろうなぁと、結局既存マスメディアの影響力はまだまだ大きいんだぞと、マスコミのマスコミによるマスコミのための騒動だったと、国民もまんまとそれに乗せられた騒動だったというところでしょうか。
 
 
 もうひとつやえがイヤだなぁと思うコトは、これは昨日も言いましたように、人の体調や体質・病気のコトに対してほくそ笑んで批判の対象にするという、人間の汚らしさが全開に出ていて、そしてそれを誰もとがめないというところです。
 中川大臣は、とてもハードスケジュールでG7に望んでいました。
 イタリアに行くために飛行機に乗るだけでも10数時間はかかりますし、飛行機乗ったコトある人なら分かると思いますが、案外飛行機に乗るだけでも体力ってかなり消耗します。
 そして全世界の命運がかかっているとも言える大事な会議がすぐに開かれ、また各国の大臣と個別会談をしたり、もちろんレセプションも大切な仕事のひとつです。
 そして本来なら、これが終わったらすぐに日本にまた10数時間かけて帰って、国会です。
 これでは風邪をひいてなくても十分に心労が貯まって当然のスケジュールですが、さらにその上に、風邪も引かれていたワケです。
 体調をいたわる優しさがあってもいいんじゃないでしょうか。
 
 その上で、昨日も言いましたように、体調や体質や病気というモノは人によって全然違うワケです。
 例えば、最近出てきませんが当サイトの管理人であるあまおちさんは先天的なアレルギー体質でして、寒くなると鼻水鼻づまり状態になります。
 最近そろそろ花粉が飛び始めのようですが、こうなるとさらにつらくなるらしいのです。
 数年前から寒くなると耳鼻科でお薬をもらって押さえているそうですが、それでも日によっては鼻水が止まらなくなったり、鼻がふさがって口だけで呼吸しなければならなくなってしまうコトもよくあるようです。
 ですからつまり、年の半分は鼻づまりあまおちになってしまうワケです。
 で、そんなあまおちさんが、もし大臣か何かになって記者会見を開いている時に、鼻水が出てしまったとします。
 冬のイタリアは寒そうですしね。
 で、やっぱり体調が悪い時には余計に鼻水が出たり鼻づまりで苦しくなったりするそうで、中川大臣の時のように超ハードスケジュールの後に記者会見を開いて、もしその場であまおち大臣が鼻水がいつの間にかつつーって出てしまってそれにしばらく気付かなかったり、また常にティッシュ片手に鼻をかんだり、またものすごい鼻づまり声だったりしたとします。
 その後、その会見に対して、「鼻っタレあまおち大臣、ティッシュの山と共に会見」なんて言われたらどうでしょうか、「鼻水たらし大臣は日本の恥」なんて言われたらどうでしょうか。
 少なくともやえは、悲しい気持ちにしかならないと思います。
 
 他人の体調や体質や病気をあざ笑う、みっともないと思う、恥ずかしいとさえ思う。
 人間としてもっとも恥ずべき感情のひとつなのではないでしょうか。
 確かに一昔前の日本や、未開発国では未だに病人をあざけ笑う感情を隠そうとしない風習が残っている国もありますが、日本はもうそういう時代からは成長したハズなのではないのでしょうか。
 中川大臣のろれつがまわっていない姿を見て、「体調が悪いのかな? 大丈夫かな?」と思うのが人としての優しさだと思うのですが、実際は「日本の恥だ」と多くの国民が言ってしまっているワケです。
 一生懸命仕事をされた結果としてあのような姿になってしまったのに、それを心配するのではなく、あざけ笑って恥だと切り捨てるのです。
 いつの間に日本人はこんなさもしい考え方になってしまったのだろうかと、やえはこっちの方が恥ずかしく思います。
 
 今回の件は、今の日本の気持ち悪い空気を最も表している気持ち悪い騒動だったとしか言いようがありません。
 これが本当に国民が望んでいる日本の姿なのか。
 やえはそうは思いたくありません。
 

平成21年2月19日

 麻生メルマガレビュー

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  ■○■○■   麻生内閣メールマガジン第19号    ■○■○■ 
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 ★☆今週号では、二階大臣が植物工場を始めとした農商工連携の推進につ
  いて、また、高島肇久氏が新しいテレビ国際放送について語ります。☆★
 
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 ●麻生太郎の「強く明るく」
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 中川財務・金融担当大臣から辞表の提出がありました。熟慮した上で、大変厳しい判断をされたのだと思います。ご本人の判断を尊重したいと思います。
 これを乗り越えて、1日も早く、予算や関連法案を成立させて、国民生活を守ることが、私の最大の責任だと考えています。政府をあげて取り組んでいきます。
 
 こんにちは麻生さん。
 色々と大変そうですね。
 しかし日本人は安倍さんの時の失敗を全然活かせませんね。
 民主党も相変わらず審議の引き延ばししか考えていませんし、これもある意味参議院選挙から始まったコトなのですが、それでもやっぱり国民は、なんとなく創り出される雰囲気に飲まれるがままのようです。
 それに抗する声を挙げ続けるコトは大切なコトだと思いますのでやえはまだまだ頑張るつもりですが、しかし例えば今の不況を脱するコトに大変な時間がかかったとしても、それは国民の責任として否応なく甘受しなければならないのだと国民のひとりとして思っています。
 
 [介助犬との出会い]
 「不自由な体で、人にぶつかるのが怖くて、家にこもりがちだった。それが、(介助犬の)シェリーに会って、気持ちが明るくなった。シェリーが助けてくれるので、外に出るのが怖くなくなり、日々の暮らしも前向きになった。」
 先週、普段は人間しかいない総理官邸に、手足が不自由な方々の手助けをする「介助犬」とともに訪れた女性の一人は、このように話してくれました。
 「介助犬」は、目が不自由な方々のための盲導犬や、耳が不自由な方々のための聴導犬と同じ、補助犬の一種。身体の自由が利かない飼い主を助け、ドアを開けたり、着替えを手伝ったりします。
 
 介護犬って正直ほとんど縁がないため、やえにとっては未知の存在と言っても過言ではないぐらいだったりします。
 実はペットも飼ったことないですし、動物というモノに縁遠いのかもしれません。
 しかし着替えまで手伝ってくれるんですねぇ。
 知りませんでした。
 
 シェリーは、階下の冷蔵庫からペットボトルを取り出し、扉を閉めて、2階まで届けてくれるそうです。また、介助犬エルモは、私の目の前で、車いすに乗っている飼い主の「テイク」という声で、床に落とした名刺入れを拾って見せてくれました。
 しかし、介助犬のすごさは、こうした動作の手助けだけではありません。シェリーのように、常に生活をともにし、コミュニケーションしながら、飼い主の大きな心の支えにもなっています。
 
 文字通り手足ですよね。
 そして犬だって生き物ですから、コミュニケーション無しに飼い主の思い通りには動いてくれないでしょう。
 なにより信頼関係は必須なんでしょうね。
 
 私も、もの心がついた時から、ずっと犬と一緒の生活を送ってきました。シロやラッキーという名前の雑種犬。保健所で捕獲されたり、実験動物として処分寸前だったのを引き取ってきた犬たちです。
 毎日餌をやり、散歩に連れていくのが、子供のころの私の役割。シロが死んだときには、家に帰るとすぐにうれしそうに駆け寄ってきた元気な時の姿を思い出し、涙が止まりませんでした。子ども心に、生命の大切さ、尊さを学んだのもこの時でした。
 このような経験があるので、私は、今でも、子どもが動物とふれあうことは、いろいろな面で、成長の大きな糧となると思っています。
 
 ペットの死によって、命とはなんなのかという人類の永遠のテーマを幼心に考えさせられる体験をしたという人はけっこういるんじゃないでしょうか。
 なんでしたっけ、「ペットとは飼い主よりも先に死ぬからよい」みたいな名言ありませんでしたっけ。
 しかしシロとかラッキーとか、ちょっと時代が出てますよね(笑)
 やえはネコ派ですが。
 
 このような介助犬ですが、1年に及ぶしっかりとした訓練が必要であり、いまだ、全国で44頭しかいません。さらに、今でもまだ、レストランをはじめ、さまざまな場所で、受け入れを拒否されることがあるとのことです。
 補助犬は、いわば、身体が不自由な皆さんの、身体の一部とも言えるパートナーです。政府も、補助犬の育成の支援など、その普及に向けてさらなる取組を進めてまいります。
 同時に、メルマガ読者の皆さんをはじめ、一人でも多くの人に、そのことを知ってもらいたい。そう願っています。
 
 これってけっこう難しい問題だと思うんですよ。
 飲食店でなぜ動物が嫌がられるかと言えば、決してペットだからというだけの理由ではなく、臭いでしたり衛生面での問題があるからです。
 ですからこの理由からすれば、介護犬だけを特別扱いするというのは、理屈としては通らないんですよね。
 全ての介護犬は臭いが付かないというのでしたらまだしも、もしそうであれば、介護犬だけOKではなくて、その犬種はOKというコトにしなければまたおかしな問題でしょうし、やっぱり食に対しては世界一きびしい日本人ですからね、せっかくお金を払って外に食事に来たのに、ペットだから介護犬だから犬だからイヤだではなく、不快な臭いがするのがイヤだと思うコトは、なかなか否定しづらい感情ではないでしょうか。
 また、いかに介護犬であろうと、さわった後はやえは丁寧に石けんで手を洗うと思いますし、どうしても介護犬というよりも、動物であるという変えられない事実の前には衛生面は気になってしまいます。
 ここをどう乗り越えていくか、今後の社会の課題だと思います。
 
 
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 ●編集長のひとこと
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 昨日、麻生総理のサハリン訪問に同行してきました。現地時間午前10時20分すぎ、ユジノサハリンスクの空港に到着した時、外の気温はマイナス26度。ほんの2日前には、横なぐりの猛吹雪だったそうで、前日に聞いた天気予報も雪でしたが、サハリンの抜けるような青空が迎えてくれました。麻生総理は「晴れ男」だと改めて実感しました。
 
 サハリンの抜けるような青空って、すごく綺麗そうですねぇ。
 大自然って感じでしょうか。
 でもマイナス26度はイヤです(笑)
 
 そして、その晴れた空に負けないくらい、極寒のサハリンでも総理は元気いっぱい。6時間強というとても短い滞在時間にもかかわらず、ロシアのメドヴェージェフ大統領と1時間半以上に及ぶ首脳会談を行い、また日本に向けて液化天然ガスを供給するサハリンIIプラント稼働式典に出席しました。
 この元気いっぱいの総理の下、今後とも麻生内閣は内外の様々な課題に正面から取り組んでいきます。これからも、このメルマガを通じて、内閣の取組を読者の皆さんにお知らせしていきます。
 
 サハリンIIプラントって、なんのロボットでしょうか(笑)
 結局ロシアっていう国も何考えているのか分からない国ですし、相変わらずプーチンさんの独裁っぽいですから、なかなか気の許せない相手でもあります。
 というか日本にとっては、歴史の中でもほとんど敵対してきた国でもありますし。
 ロシアはそういう国だというコトを忘れず付き合っていかなければならないでしょう。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、ローゼン閣下を応援しています。
 

平成21年2月21日

 国籍法改正と不正認知防止

 ちょっと旬が過ぎてしまった感がないコトもないんですが、立場上扱っておきたいと思います。
 

 不正認知で子供に日本国籍、中国人逮捕…服役男性の名前悪用
 
 外国人女性が妊娠した子供を日本人の父親が認知すれば日本国籍を取得できる「胎児認知制度」を悪用し、中国人男女の間にできた子供を不正に認知させたとして、警視庁は13日、いずれも中国籍で、東京都豊島区池袋、無職沈楠(28)と無職王宗(29)、ブローカーの足立区西新井本町、郭清清(34)の3容疑者を有印私文書偽造・同行使などの疑いで逮捕したと発表した。
 同庁は、父子の血縁関係の真偽確認に初めてDNA鑑定を活用、日本人の子供ではなかったことを特定した。
 同庁幹部によると、3人は昨年1月22日、王容疑者と沈容疑者との間にできた子供について、別の傷害事件で服役中だった川崎市の日本人男性(56)を子供の父親と偽り、この男性が認知したとする偽の認知届を東久留米市役所に提出するなど、子供に日本国籍を不正に取得させた疑い。

 まず最初に注意しなければならないコトは、この事件というのはあくまで「胎児認知制度」の悪用であって、ちょっと前に流行った「国籍法改正問題」とは直接は関係ない事件だというコトです。
 この前改正された国籍法というのは、生まれた後の子供についても認めようという改正であり、しかしこっちの胎児認知制度は、改正がされる前から存在していた制度ですので、国籍法改正問題とは別問題です。
 どうもこの事件をもって「ホレ見たことか。国籍法を改悪するからこんな事件が起きたんだ。こんなの氷山の一角で、これから日本が滅亡するぐらいエセ日本人が増えるぞ」とか言っている人がいるようですが、これはもう的外れもいいところなワケです。
 むしろ国籍法を改正する前の制度でこのような事件が起きているワケですから、日本が壊滅するならもうしてなければおかしいとさえ言えるでしょう。
 
 さて、では本題です。
 
 まずこれは、国籍法に限らず全ての法律や制度に言えるコトなのですが、どのような法律や制度を持ってしても「犯罪を犯そうと企む人間」を0にするコトは不可能です。
 海外に比べれば日本は凶悪犯罪発生率は低いと言われていますが、それでも犯罪は0にならない、つまり犯罪を犯そうと企む輩は残念ながらいっぱいいます。
 出来るだけ犯罪が起こらないよう法律や制度を整えても、例え過去において死刑よりも厳しい刑罰を用意した国家もありましたが、人間の歴史の中で犯罪を0にした国家はついぞあらわれませんでした。
 人間の業と言えばいいんでしょうか、どんな法律や制度を用いたとしても、犯罪を犯そうとする人間は0には出来ないのです。
 
 こういう人間の根源的な部分を見つめた上でこのニュースをみてもらいたいのですが、ですから、犯罪を犯そうと企む人間が表れたという事実をもって、その責任を制度に押しつけるのは間違いです。
 犯罪というモノは、悲しいコトですが結局は取り締まる側と取り締まられる側の永遠のいたちごっこ、ルパン3世と銭形警部の追いかけっこにしかならないのです。
 認知制度に関わらず、個人でも組織でも犯罪を犯そうとする輩は0には出来ないのであって、政治があるから犯罪が起きたかのような言い方は、甚だ不適切としか言いようがありません。
 
 また国家というモノは複雑です。
 もし1つの事象だけを狙い打ちにして、他のコトにどのような影響が出ても気にしないというのでしたら出来るコトも多いのでしょうが、それはなかなか現実問題としては選択できない方法です。
 何が言いたいのかと言いますと、例えば外国人犯罪というモノが近年良く取りざたされますが、これを0にするコトは簡単です。
 今日本国内にいる外国人を全て退去させ、鎖国してしまえばいいのです。
 そうすれば限りなく外国人犯罪という部分だけに関しては0に近づけるコトが出来るでしょう。
 しかしこんなコトは現実不可能であるなんて、誰にでも分かるコトですよね。
 これは分かりやすい例ではありますが、このように国家はいろいろと複雑なのです。
 
 そんな複雑な国家運営の中で苦心して作られた法律の一つに国籍法というモノがあるワケです。
 例えば、単純に「日本人と日本人の間に生まれた子供だけが日本人」という風にすれば明確ではありますが、しかしこれでは現代国家の制度としては甚だ不適切です。
 なぜ日本人と外国人との子供ではダメなのかとか、私生児にも(他の権利はともかく)国籍という人間の根源に関わる部分についてはキチッと認めるべきだとか、そもそも何を持って日本人と呼ぶべきなのか、生まれてすぐに全ての日本国内で生まれた赤ちゃんはDNA鑑定をすべきとまで言うのか等、パッと考えても問題は様々出てきます。
 そういう現実的な問題や人間の感情などを考慮した上で色々と折り合いを付けて国籍法というモノがあるワケで、この前の改正も現実問題との折り合いの中で生まれたモノです。
 
 そもそも政府としてはこの改正には本来は消極的というか反対でした。
 なぜなら、この改正の直接のキッカケとなったのは最高裁の判決ですが、つまり政府としては最高裁に持ち込むぐらい、改正前の国籍法で問題ないと主張していたワケなのです。
 でも最高裁では政府側の主張は認められず、改正するしかないというコトになってしまったというのが、そもそもの改正の事情です。
 
 最高裁判決によって改正しなければならないかったという事情は、改正される前の大騒ぎになった時でも、大半の人が理解していた事情だったとやえは記憶しています。
 一部最高裁判決の方がおかしいんだというようなコトを言っている人もいたみたいですが、全体としては少数派でしたし、そもそも現実的な政治論の中でそんなコトを言ってもムダとしか言いようがありません。
 ですので、改正に反対している人の主張というのは、「DNA鑑定を法律の中に盛り込め」というモノが大きな柱となっていました。
 大騒ぎになっていた当時やえも、

 もっと簡単に言うと、法律の中に「DNA鑑定必須」という文言を入れろというのが、この法案に反対している人の主な主張であると言えるでしょう。

 と書いてますから、当時の雰囲気(と言ってもまだ数ヶ月しか経ってませんが…)はこういう感じでした。
 つまり当時の論点は、DNA鑑定を法律に書くべきかどうか、もっと言えばDNA鑑定が行われるかどうかだったと言えるでしょう。
 
 その上で今回の記事を読むと、ひとつのコトが分かります。
 やえの国籍法改正問題に対する考え方をの一部を端的に書き出しますと

 DNA鑑定というモノを法律に書くのは法の性格からしてそぐわない。
 不正が行われるコトを許すなんて誰も思っていないのだから、不正が起こらないよう行政がシッカリと対応するのが筋であり、その対応の中で警察などの捜査対象になればDNA鑑定が行われるコトもあるだろう。

 と言っていたワケですが、どうでしょうか。
 警視庁(行政)はそのようにシッカリと対応したと言えるのではないでしょうか。
 DNA鑑定というモノを今回の事件では真偽反対に用いられていたというコトが、この記事で読み取るコトができます。
 DNA鑑定というモノを法律に書くのはそぐいませんが、しかしそれは、行政がDNA鑑定という手段を一切用いてはならないという意味では決してありません。
 時と場合、条件などが整えば、DNA鑑定鑑定は行われるのです。
 そしてそれは、今回の記事で証明されたワケなのです。
 
 今回この記事が出されたコトによって、一部の人が悪い方向に騒いでいるようですが、この記事はむしろ「DNA鑑定鑑定を行政が実施した」という意味において、本来の主張からすれば喜ばしい記事ではないかと思います。
 もちろん犯罪者が出てしまったコトに対しては喜ばしいコトではありませんが、少なくともDNA鑑定が実施されているというコトは肯定的に捉えるべきニュースなのだと思います。
 騒げばそれで日本が良くなる方向に進むワケではない、無責任な言動、ましてデマゴーグなんて害悪以外何者でもない、というコトが端的に表されている問題と言えるのかもしれません。
 

平成21年2月23日

 政治と選挙と現実論

 よく言っているコトですが、政治や選挙といった現実論と、理想や思想といった理想論は、かなり性質が異なるモノで、これをごっちゃにして語ってはいけません。
 
 理想や思想というモノは、政治の前に語るべきのある意味建前として存在する考え方です。
 ああなったらいいな、こうなったらいいなという願望のようなモノを理屈立てて語るのが思想です。
 一方政治とは、この思想を元に、それをいかに現実に即したモノにするか組み立てる作業のコトを言います。
 ですから、必ずしも思想と現実は一致せず、むしろ思想と理想は多くの部分で一致しないコトの方が多いと言えます。
 
 だいたいこの不一致を、妥協と呼んだりしますね。
 
 例えば自分の住む日本をこのようにしたい、あのようにしたいと願い、それを言葉にするコトを思想と呼んでもいいのでしょうけど、しかしそれをそのまま政治に結びつけるコトは出来ません。
 よく日本の総理大臣は強いリーダーシップを持てないという批判があり、もっとリーダーシップをもってあたるべきだと言われるところですが、しかし日本と、外国の大統領制や中国共産党のようなところと比べたら、これはもうシステム的にどうやっても日本の総理大臣の方が制限が大きくなっているので、そこと比べていくら総理を批判しても現実的に限界・無理があります。
 簡単な話、今の日本のシステムと、過去の絶対王制の国家のシステムと比べたら、よりリーダーシップを発揮できるシステムは絶対王制の方だというのは、説明するまでもないでしょう。
 もちろん日本的民主主義と絶対王制の違いは、リーダーシップの有無だけでなく、様々な面で一長一短ですから、これだけでどちらが優れているとかは言えませんが、リーダーシップの面で言えば、今の日本の政治システムと他のところを比べたら、日本はリーダーシップを比較的求められないというのは現実問題として仕方ない話なのです。
 
 選挙も政治という現実論です。
 我々は日本という国に現実的に住んでいて、日本という国には日本国憲法や法律が現実的にあって、これらは否定できない現実としてある以上、必ず国会議員を選ばなければなりません。
 憲法や法律で定められているように選挙によって選ばれた国会議員が国政を担う、逆に言うと国会議員のみが国政を担うと憲法や法律に定められている以上は、国会議員を選ばないという選択肢は現実的にはあり得ません。
 つまり、現実的に日本という国に住んでいる日本国民としては、絶対に国会議員を選ばなければならないのです。
 
 よく、票を入れる人がいないから棄権するとか、白票を投じるとか言っている人がいますが、これは現実論としては不適切な行動です。
 自分の理想の人に投票したいという気持ちは分かりますが、しかしそこに妥協を入れずにそれだけを求めるのは理想論としか言いようがありません。
 しかし選挙というモノは現実論であり、どこかで妥協は絶対に必要です。
 そもそも「自分の考え方と100%一致する他人」なんていうモノは存在するハズが無く、しかしその上で政治の執行を他人に委ねるというシステムを現実問題として採用している以上は、どこかを妥協して誰かに政治を託す必要があります。
 それなのに、棄権や白票という投票行動をするというコトは、自分だけの理想を現実に押しつけるかのような行為でしかないとしか言いようがないのです。
 
 こと選挙に関しては、理想に近づけるための現実的な行動として方法が2つあります。
 1つは自分で選挙に立候補するコト。
 もう1つは、憲法を変えるコトです。
 
 日本国民には、一定の年齢に達すれば国政や地方の選挙に立候補する権利が与えられます。
 衆議院なら25歳、参議院なら30歳ですね。
 ですから、どうしても自分の考えと100%一致した人にしか投票したくないと理想を追い求め続けるのであれば、自分で立候補する権利を行使すべきでしょう。
 しかし立候補しないと決めた場合というのは、それは権利を行使しなかったという意味ですから、あとは他人に政治を委ねるしかありません。
 立候補しなかったという時点で、誰かに委ねるという選択を自らしているのですから、ここからも、棄権や白票という行為は取り得ないと言えるでしょう。
 
 もうひとつは憲法を改正するというコトですが、そもそもの「自分の考えに沿う人しか投票したくない」「国会議員を選びたくない」という主張を唱えるのであれば、憲法改正の方向に動くような主張をするのがスジと言えます。
 国会議員を選ぶと定めているのは憲法ですから、憲法改正が一番の正道です。
 「選びたくない→投票しない」ではなく、「選びたくない→システムを変えよう」とするのが正しいあり方のハズです。
 選びたくないから選ばないなんて、我が儘でしかないとしか言いようがありません。
 理想を現実するためには、理想だけで考えるのではなく現実に合うような主張も必要です。
 
 様々な政策や政論などは主張もとても大切ですが、少なくとも選挙というモノは国民の義務なのですから、自分で立候補するなり誰かに投票するなりして現実と妥協する必要があるのではないでしょうか。
 
 選挙に限らずどのようなモノでも、理想があって、それに近づけるよう現実があります。
 理想→現実です。
 しかし、理想の場合というのは導入があってすぐ結論になってしまうコトの方が多いですが、現実論の場合は導入があって過程があって結論という形になります。
 この過程という段階において、導入は理想論に近かったモノも、結論としてはかなり変わってしまうモノになったりするワケです。
 しかし現実論は過程も大切です。
 これを無視できません。
 大統領のような総理大臣を求めても(理想)、憲法や法律が現実としてある以上、また話し合うコトに重きを置いてきた政治手法の歴史がある以上(過程)、そこまで強いリーダーシップをとるコトは日本の総理大臣には出来ない(結論)のです。
 この現実論を見たとき、では理想をどう達成するかを考えれば、それは結論を批判するのではなく、過程を変えなければ達成はできないでしょう。
 多くの場合結論ばかりを批判していますが、これではいつまでたっても理想は実現しません。
 
 現実は、口で説明するよりとても複雑です。
 理想を語るコトは人間社会にとってとても大切ですし、だからこそやえはサイトを更新し続けていますが、しかしそれは現実を軽く見たり、また無視してもいいというコトでは決してありません。
 理想を達成するという情熱を持ちつつ、その理想をいかに現実で達成するかを、現実論に即して考えていくコトが、人間の人間たる所以なのではないでしょうか。
 
 やえはそう思います。
 

平成21年2月24日

 政治と選挙と現実論

 予想通りというかなんというか、朝日新聞の脱税問題は、やはり新聞もテレビもあまり大きく取り扱いませんね。
 普通なら、今日一日はずっとトップニュースで扱われるべき程度の問題だと思うのですが、もう日本のマスコミの自浄作用を求めるのは無理なのかもしれません。
 他人に厳しく自分に甘い。
 一体日本はどうなってしまうのでしょうか。
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 さて。
 昨日、選挙の際における国民の権利と選択肢の一つとして立候補する方法があるというコトを書きましたが、このお話をするとどうしても出てくるのが供託金のお話です。
 選挙に出るためには一定額のお金を選挙管理委員会にいったん預けなければならず、この額が大きいから立候補するにも制限があってその選択肢は取れないから立候補しろと言うのは無理がある、というお話です。
 
 しかしよく誤解されている部分が1つあって、まずこの供託金は一定の条件を満たせば全額返ってくるお金なのですけど、その条件とは「当選すれば」ではないというコトです。
 つまり、選挙に落選したとしても、一定の条件を満たせば供託金は返ってくるのです。
 供託金の額や返ってくる条件は選挙によって違うのですが、例えば衆議院の小選挙区を例に取れば、供託金は300万円で、返ってくる条件は「有効得票総数÷10」という規定になっています。
 有効得票総数とは、その選挙区の全ての立候補者が獲得した票数のコトです。
 例えば前回の衆議院広島第1区ですと、当選された岸田文雄先生の得票は10万7239票ですが、立候補者4人の獲得した票の合計は17万7914票となり、これが有効得票総数となります。
 そして供託金の没収はここから÷10ですから、1万7791票ですね。
 よって、次点の菅川元候補は、当選しませんでしたが供託金は返ってくるコトになります。
 一方残念ながら、長妻元候補と上村元候補はそれに届きませんでしたので、供託金は返ってこないコトになります。
 
 この供託金の額そのものや、没収までの条件については、議論していくコトも必要な場合もあろうかと思います。
 しかし、それなりの国民の支持を受ければ供託金は返ってくるワケで、それだけの覚悟さえあれば、供託金の存在が立候補の妨げになるとは言えないでしょう。
 これは覚悟の問題です。
 日本には個人の所得の関する制限は存在せず、もし「平民は年間所得300万円までしかもらえない」とかあったら事実上の制限的被選挙権とも言えるかもしれませんが、日本はそうではないのですから、やはりこれは覚悟の問題なのです。
 覚悟と、選挙に立候補する公的な利益と責任(一定の得票)さえ持てば、誰でも立候補できるのです。
 厳しいコトを言うようですが、供託金制度をもって立候補できないと言ってしまうのは、覚悟が足りない甘えだとやえは思います。
 
 また政治家になりたいのであれば、例えば町村議員なら供託金制度はありませんし、政令指定都市以外の市議は供託金30万円、政令指定都市なら50万円、没収点は「有効得票総数÷議員定数÷10」と、かなり低い水準ですから、そんなに負担にはならないでしょう。
 例えば広島市議会選挙を例に取りますと、まず広島市は政令指定都市なので供託金は50万円でして、そして広島市議会の選挙区は区(中区・南区等)ごとに分かれていますので、このウチの1つの選挙区である中区選挙区で見ますと、前回選挙の立候補者の総得票は5万342票でした。
 ここから「有効得票総数÷議員定数÷10」ですから、中区選挙区の定数は6人であり、計算しますと没収点は839票となります。
 結果この選挙区では落選者は3人いるのですが、しかし全員839票よりも得票していますので、結局立候補者全員に供託金は返還されているんですね。
 自分が住んでいるところによって供託金の額や条件は変わってしまいますが、最低額が一番大きくても政令指定都市の市議か、もしくは東京都の区議ですから、最低50万円あれば立候補をするコトができ、さらにこのお金はよほどの大コケをしない限り返ってくると思っていいでしょう。
 国政でないとイヤだという人も、まず市議会議員になってから足がかりを作るというのも、現実的な手段かと思います。
 
 結局投票しないという行為も、白票を投じるという行為も、出た結果に対しては全面的に従うというコトに他なりませんので、どうしてもそうしたいというのであればその行為自体はいいとしても、しかしその後文句を言うのはどうかと思います。
 やえは、全ての国民が政治に関心を持った方がいいとは思っていません。
 政治に関心を持たなくてもキチンと生きていけるシステムが日本は出来上がっていますので、政治に関心を持たずに生きていける方が、実は人間としては幸せなのではないかと思っています。
 しかしその上で敢えて関心を持ちたいというのであれば、それはもちろん自由です。
 ただしその場合は、最低限の責任を持ってもらいたいと思います。
 自分の我が儘を通すために政治が存在しているのではないコトは忘れてはならないでしょう。
 
 選挙区によっては候補者が悲惨なところもあって、ちょっと同情を禁じ得ない場合もありますので、まぁこの辺はせめてある程度の規模の政党は全ての選挙区に立候補者を出してもらいたいというところではあります。
 この辺は連立というモノが作用しているのでしょうけど、これは改善してもらいたい点だとは思います。
 例えば中選挙区制に戻すとかですね。
 ただこれやると、同じ政党の候補者同士でもケンカになっちゃうとか弊害もあるんですけどね。
 
 この辺はまた後日扱うコトにしまして、結局供託金という制度は覚悟を示すためのひとつの手段であるワケで、これをもって立候補できないと言ってしまうのは、あまりにも軽すぎる、無責任な甘えでしかないとやえは思います。
 国政にせよ地方にせよ、覚悟を持った人に政治を担ってもらいたいモノです。
 

平成21年2月25日

 大切なのは中身です。

 こういうのは、どうもマジックの種明かしをしているような、ギャグの解説をしているような寒々しさを感じるので、本当はあまりやりたくないのですが、一応今回は語っておきたいと思います。
 
 これはもう何度も言ってきたと思うのですが、当サイトの文章で一番大切なのは中身です。
 やえやあまおちさんが、ある問題や事件や事象に対してどのように思ってどのように考えるか、当サイトにとってこれが最も大切なコトです。
 そしてなりより、やえの考え方をサイトでネットに広く公開するコトで、読んでくださった方がどう感じるか、どう考えるべきなのかと、色々と考えてもらうコトが一番大切なのです。
 それから導かれて、文字通り結果として出てきた結論というは、あまり重要ではありません。
 その結論が出てくるまで、どのような考え方をするべきなのかというここを語るコトに、やえは意義を感じているのです。
 
 結論を重要視してしまうと、時に結果を出すために考え方を変えてしまうという思考に陥ってしまいます。
 これはいわゆる結果ありきの考え方です。
 「右も左も逝ってよし!!」という言葉は、やえが中立中道の立場をとるという意味ではありません。
 「右だから」「左だから」という理由で物事を語るワケではない、やえはやえの考え方を語るのですという、意思表明の言葉です。
 まず立場ありきで、結論ありきで、自分はこういう立場だからこう語るんだという態度ほどくだらないモノはないとやえは思っています。
 
 正直最近どうもネットに多く見られる政治や思想関係の文章というのは、結論ばかりを追い求めているモノが増えてしまっている気がしてなりません。
 例えば人権擁護法案や国籍法改正問題や田母神前幕僚長問題なんかそうです。
 なにやら、「保守とは2つの法律に反対し、田母神氏の言葉を肯定するコトだ」なんて言っちゃっているサイトや人がいたりしますが、ホントにもうくだらない思考回路です。
 保守の立場というモノに固執してしまって、また特に幕僚長問題なんてその最たるモノですが、幕僚長は戦前の日本を肯定しているという結論だけをもって、中身などそっちのけでそれを盲目的に肯定するコトが保守だと信じ込んでいる人が、残念ながらそれなりの数いたりしています。
 しかしどれもやえにとってはまるでくだらないとしか思えません。
 
 本当に大切なのは、結果的にどうなるかではなく、これらの問題をどう捉えて、どう考えるかです。
 保守だからとか平和主義だからとか、そんなのはどうでもいいのです。
 
 小泉さんの2/3再議決に関する発言についてですが、これはもう過去に語っています。
 国際法改正問題に関連して書きました、政党の党議拘束についてのお話です。
 また、自民党内の議論については、国籍法改正問題の時や人権擁護法案の時に、散々議論の場が自民党内でどのように開かれるのかその仕組みについて説明しました。
 自民党の中には1回生から長老議員や総理経験者でも平等に意見が言える場が用意されていて、基本的に全ての議題はそこで議論されて了承されなければ党全体として了承されるコトはないようなシステムになっていると、もうおなかいっぱいになるほど解説しましたよね。
 
 今回の小泉さんの問題も、これらの問題を語った際の中身に即して考えてもらえればそれで済む話です。
 
 大切なのは中身です。
 党議拘束に反した主張をしている人が誰で、だからこれは取り上げろとか言われても、そんなのはやえの主張には全然関係ない話です。
 そしてそんな同じ中身の話を、表明した人によっていちいち毎回毎回取り扱う必要性なんてやえにはないと判断しています。
 今まで一切それについてお話をしてなければ、これを機にと思う場合もあろうかとは思いますが、しかしそれをどう考えるかをすでに語っている場合は、そんなのただの二度手間であり、いちいち取り扱う必要性はほとんどないと言えます。
 どうも最終的な結論として小泉さんとか麻生さんとか自民党とかを擁護の形になってるからダメだとか、批判している形になっているからいいとか、そんな結論だけで物事を語ったり、他人に押しつけたりする人がいますが、ハッキリ言ってそんなのは無意味としか思えません。
 仮に小泉さんの件を取り上げたとしても、本来の主張の中身には小泉さんはほとんど全く関係ないコトでしかなく、そんなコトでやえに意見を求められても困るとしか言いようがないのです。
 
 ちょうど一行の方で面白い動画を紹介してくださってますが、これなんかも青山繁晴さんが最初にわざわざ「中川さんを擁護するつもりはないが」と断ったりしているのですけど、本来こんなコト言う必要なんて全くないんですよね。
 だって青山さんが言いたいコトは、既存マスコミに対しての意見・苦言・批判であり、主張の本題は中川さんは全く関係ないからです。
 結果としては中川さんの擁護にはなっていますが、しかしそれはあくまでおまけであり副産物でしか無く、論の主点では全然ありません。
 もしかしたら青山さんのところには「中川なんて擁護するな」とか「自民党の太鼓持ちめ」みたいな批判が行っているかもしれませんが、こんなのは青山さんの主張には関係ないところへの的外れすぎる批判であり、ある意味中傷と言ってもいいぐらいのデタラメな批判でしかありません。
 中身を見ようとしない、もしかしたら中身を理解するコトが出来ない人の態度としか言いようがないでしょう。
 
 やえが小泉さんを批判しないという立場に立っていると勘違いしている人がいるのかもしれませんが、それはもう過去の更新を読んでくださいとしか言いようがありませんし、そもそもやえは、小泉批判とか小泉擁護のために更新を書いたコトは全くありません。
 そんな結論ありきの文章などバカバカしいとさえ思っています。
 小泉さんが言ったとしても、誰が言ったとしても、その中身についての考え方というのは変わりようもないでしょう。
 誰かのために文章を書いているのではありません。
 やえはやえの考え方を示すために書いているだけです。
 
 中川さんの今回の話をやえが取り上げた一番大きな理由は、これは今回のコトに限らないのですが、既存メディアはやえのよえな主張を全然取り上げないからです。
 また今回のはメディアだけでなく、ネットでも一般でも、やえの言うようなコトを言っている人は皆無と言っていいぐらいの状況でした。
 これもよく言ってるコトですが、多くの人が考えている通りの更新をしても、やえはそれがおもしろいとは感じません。
 そんなのつまんないです。
 ここはやえやあまおちさんが自分の独自の考え方を表明して、読んでくださる方にその問題に対してさらに考えてもらうからこそ当サイトに価値があるモノと思っていますし、そこがマスメディアやジャーナリズムとは違う点だと思っていますから、出来るだけ他が扱っていない出来事や考え方を率先して載せようというのが当サイトのスタンスです。
 小泉さんの件にしても、以前取り扱ったというのもありますし、またメディアが騒ぐほど永田町でも一般でもたいしたインパクトになっていないというのもありました。
 どこかの世論調査では、麻生さんの見直し発言は支持できないけど小泉さんの欠席する発言も支持できないという人がかなりいたという報道もありましたし、つまり結局、一度扱っているし一般人の冷静に見ているという現実を前にすれば、やえがいちいち取り扱う必要性はかなり低いと今回は判断したというコトと言えるでしょうか。
 まあ中身のコトを言えば、仮に取り上げたとしてもつい最近お話しした内容と全然変わらないでしょうしね。
 
 最近結果だけを求めている人が増えている気がしてなりません。
 保守だから、愛国だから、自民党だから、民主党だから。
 ただこれだけで、全ての論を吹っ飛ばして他人を批判したり、自分の論を構成したりするのです。
 やえは、これは非常にくだらないとしか思えません。
 大切なのは論を構成する中身です。
 ぜひともくだらない外見だけの結論だけ論に陥らず、中身をしっかりと読んでいただき、考えていただければと思います。
 

平成21年2月26日

 麻生メルマガレビュー

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  ■○■○■   麻生内閣メールマガジン第20号    ■○■○■ 
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 ★☆ 今週号では、鳩山大臣が道州制と春季全国火災予防運動について、
   また、有森裕子氏がスペシャルオリンピックスについて語ります。☆★
 
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 ●麻生太郎の「強く明るく」
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 [平和と繁栄の礎]
 先週のサハリンでのロシアとの首脳会談に続き、今週は、米国のオバマ大統領との初会談。オバマ大統領がホワイトハウスに招く最初の外国の首脳となりました。新政権の日本を重視する姿勢を感じます。
 
 こんにちは麻生さん。
 麻生さんもおっしゃっていますが、オバマさんにとっては麻生さんは就任してから初めて会う外国首脳だったんだそうですね。
 やえはそれはそれでそれなりの意味があると思いますが、相変わらずマスコミは揚げ足取りばかりで、共同記者会見がなかったからとか、ただ単に日本の金が欲しいためだからとか、もう近視眼的に麻生さんを攻撃する今年か頭にないようです。
 別に麻生さんという個人を好きか嫌いかは人それぞれ勝手ですが、しかし今の麻生さんは日本の総理大臣で、この件はアメリカの大統領との会談であり、事実上の世界トップ会談なのですから、それを無意味な揚げ足取りに終始するというのは、麻生さんや麻生内閣への攻撃というコトにとどまらず、日本の国益を損なうコト、ひいては世界の利益を損なうコトにもなってしまうと言えるのではないでしょうか。
 
 「誠実」で「率直」。オバマ大統領と初めてお会いしての印象です。
 この難局にあたり、自国の経済の立て直しに必死なのは当然ですが、同時に、世界経済の立て直しも図らなければならない、という使命感。私は大いに共感するところがありました。一緒に手を携えてやっていける、そういう信頼を置ける方だと確信しました。オバマ大統領も、私と同じように感じてくれたと思います。
 
 どうも日本では無条件でオバマさんを持ち上げるコトが流行ってますが、そんなコトしてなんの意味があるのはやえには疑問でしかありません。
 自国の総理ならまだしも、外国の大統領なのですから、結局それは日本にとってどのような益がある結果を出してくれるのか、もしくはどのような害をもたらすような結果を出してしまうのか、ここを見極めるコトが自国にとっては大切なコトのハズです。
 それなのに無意味に無条件にオバマさんを持ち上げて、もしこれで日本の利にかなわない行動に出たときどうする気なのでしょうか。
 本当に日本のマスコミや一部国民は無責任です。
 
 これまでも、外務大臣として日米首脳会談に同席したり、米国大統領にお会いしたことがありました。しかし、今回は、この世界的な経済危機の中で、日本の総理大臣として米国の大統領と対応を話し合う、という責任の重さを感じながらの会談でした。
 オバマ大統領にとっても、ホワイトハウスでの初めての首脳会談ということもあり、じっと私を見つめ、私の話の一言一言に真剣に耳を傾け、大変真摯な対応をされていたのが印象的でした。
 
 まぁ誠実そうな方だなぁという印象はありますよね、オバマさん。
 人柄という点も時に重要なコトもあるのでしょうけど、でも人柄がいいからそれだけで信頼たり得る他国のリーダーというコトにはなりませんから、人柄だけで評価するというのは間違いでしょう。
 結局これからどのような日米関係を築くのか、それが一番大切ですよね。
 
 オバマ大統領は、環境や省エネルギー問題に強い関心と高い知見をお持ちでした。日本のエネルギー効率は米国の2倍も優れている、というような話も出ました。技術力と経済力を持っている日本と米国が手を組んでいくしかない、ということで一致しました。
 また、私の方からは、東京23区、約1000万人圏での輸送の鉄道への依存率は76%にもなる、そのおかげで、東京にあれだけ人が密集していても、大渋滞や空気が極度に汚れることを回避できている、という話を紹介しました(ちなみに、米国全体での鉄道への依存率はわずか1%です)。
 米国の鉄道網再構築を考えているオバマ大統領は、この話に強い関心を示されていました。
 
 はー、こういうお話もされていたんですね。
 マスコミは揚げ足取りばかりで全然伝えませんが。
 まぁしかし日本のあの電車の大混雑はどうかとは思いますが、確かに環境という面においては優れていると言えるのかもしれませんね。
 アメリカの1%もなかなかすごいですが。
 あとまぁ日本の鉄道利用率というのは安心安全度の高さもあると思います。
 正直外国の地下鉄ってこわいですからね。
 
 会談は、問題意識が共有されていたので、非常に中身の濃いものとなりました。日米同盟は日本の外交の要でもありますが、オバマ大統領からは、米国外交のコーナー・ストーン(礎)である、と言われました。
 金融・経済問題、北朝鮮問題、アフガニスタン・パキスタン問題、気候変動・エネルギー問題などを話し合いましたが、世界第1位、2位の経済大国として、私は、オバマ大統領と手を携えて、世界の平和と繁栄に向けて、力を尽くしていきたいと思います。
 
 最初にも言いましたが、日米会談は事実上世界トップ会談と言っても過言ではありません。
 日本人自身がその自覚がないだけで。
 もちろん日本にはまだまだ世界のリーダーたり得る条件が整っていないモノが色々とありますが、軍事力とかですね、しかし日本人も強い気概を持ってリーダーシップを取るためにはまず日本自身が何をすべきかを考えるべきだと思います。
 
 オバマ大統領との首脳会談の後、米国の戦没者が埋葬されているアーリントン墓地に行きました。
 澄み切った青空と寒風のもと、東京ドーム53個分に相当する広大な敷地の中で、長く緩やかな上り坂の参道の両脇に整列し、私を迎えてくれる、数百名にものぼらんとする儀仗兵の方々。外国の首脳を迎える礼砲19発。その中を、私を乗せた車はおごそかに進み、無名戦士の墓に到着しました。日本の国歌、米国国歌の吹奏の後、日の丸を模した花輪を献花しました。
 国家のために尊い命を捧げた無名戦士の方々の御霊に、国家が最高の栄誉と敬意をもって、これを祀る。他国の首脳も、自国と戦った相手の兵士の御霊に対しても最高の敬意をもってあたる。総理大臣になって、もっとも厳粛な気持ちになった場面の一つとなりました。これまでも、この墓地には何度となく訪れていましたが、一国の首脳として訪れた今回、これまでとは全く違う、胸がふるえるような厳粛さに感動しました。
 
 なかなか重い言葉です。
 やえはいつも思うんですが、日本の総理が日本を攻めていたアメリカ軍の兵士の墓地に花を捧げるというのは、どうしてもなにか釈然としないモノがあるんですよね。
 もちろんだからといって献花を拒否するというのは餓鬼の対応ですから、大人としてはセレモニーはするべきですし、麻生さんのおっしゃる通り、敵国だったからこそというのも大切なコトです。
 ただ、敵として戦った事実とその感情も、忘れ去っていいというモノでもないでしょう。
 心に秘めておくモノがあるというコトも大切なコトだと思います。
 また、こういうセレモニーの大切さは日本自身が一番考えなければならないコトではではないのでしょうか。
 胸がふるえるような厳粛さに感動するようなその様な場と儀式があるというのは、とてもうらやましいコトだと思いますし、日本としても国家としての必要性をシッカリと考えなければならないと思います。
 
 その後で、アフガニスタンとイラクでの殉職者のお墓に移動し、同様に敬意を表しました。「今この国はテロと戦っている」ということを改めて強く感じました。
 私は、一国の最高責任者として、国益を守ること、そして世界の平和と繁栄を確保していくことへの、決意を新たにしました。
 
 そういう意味で、儀礼的な言葉だけでこのセレモニーを記録する人ではない麻生さんの、とても感慨深い、とても深い意味が込められている文章をお書きになっているという点は、こういう考え方を大切にしたいと思う人、いわゆる保守的な思想を持っている人というのは、せっかく麻生さんのような方が総理になられている意味というモノをしっかりと考えるべきなのではないかと思います。
 こういう思いを持たれている方が、幸運にも総理大臣になられているのです。
 今の日本国民は、自分で自分の首を絞めているようにしかやえには思えません。
 
 
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 ●編集長のひとこと
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 23日から昨日まで、1泊3日の日程で、総理の米国訪問に同行しました。現地時間の24日、10時30分過ぎから始まった日米首脳会談は、予定時間を超えて約1時間20分にわたって行われました。首脳会談の成果については、今週のメルマガで総理が報告していますが、非常に内容の濃い、率直な意見交換だったと思います。
 
 はい。
 今回も総理の後ろにピッタリとストーキング随行されていたのをテレビでお見かけしました。
 松純先生も毎回毎回タイトスケジュールで大変ですね。
 
 首脳会談の場所は、ホワイトハウス内の「オーヴァル・オフィス」と呼ばれる大統領執務室。とても印象的だったのは、この執務室に日本側代表団を迎える際に、オバマ大統領が、首脳会談の日本側出席者の全員と、一人一人、しっかり目を合わせながら、歓迎の握手を交わしておられたことです。
 私自身、総理の海外出張に何度か同行し、首脳会談への同席もしてきましたが、随員一人一人と丁寧に挨拶をするという経験は、あまりありません。これほどきめ細やかな心づかいで温かく迎えられたのは初めての経験でした。オバマ大統領の誠実なお人柄と、日米関係重視の姿勢の現れだと感じました。
 
 こういうエピソードはオバマさんの人柄をあらわしていると思います。
 またこれは、日本への期待の高さと言っていいでしょう。
 日本はどうしても自分をうまく評価できませんから悪い方向にばかり考えますが、いい方向に考えた上でそれを自信にして、さらに日本の益のためにはどうするかを考えるべきでしょう。
 ダメだダメだと言ってもダメにしかなりません。
 自分をダメだダメだと言うのは、結局内向きのダメダメ思考でしかないのです。
 
 最後に、今週、印象的だった話をもうひとつ。アカデミー賞授賞式で、「おくりびと」が外国語映画賞を、「つみきのいえ」が短編アニメ賞を、それぞれ受賞しました。関係者の方々に心からお祝い申し上げます。映画やアニメといった日本のコンテンツ、ひいては日本の文化に対する評価を示すものであり、総理も大喜びでした。これからも、これらに続くコンテンツがどんどん出てくることを期待しています。(松純)
 
 まぁこれはなんでしょうかね。
 別にアメリカ人によるアメリカ映画のためのアメリカ映画賞ですから、そこまで喜ぶモノなのかなぁとやえは思っていたりします。
 結局アメリカ人が見て面白いかどうかが得点のポイントなんでしょうからね。
 日本には日本独自の素晴らしい文化があって、それは他国と比較できないモノなのですから、別に外国に評価してもらわなくても、評価してもらうコトは悪いコトではありませんが、評価されなくても素晴らしいコトには変わりないとやえは思います。
 ま、これで、日本のコンテンツがアメリカで売れれば、商業的には意味があるのかもしれませんけどね。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、ローゼン閣下を応援しています。
 

平成21年2月27日

 自衛隊国軍化小沢私案

 一昨日の「大切なのは中身です。」の更新なのですが、やえとしましてはその時書きましたように、こういうのはマジックのネタあかしのような、ギャグの解説をするような寒々しさを感じるのであまりやりたくないのですけど、でも実は、こういうコトを書く方が思想家っぽいんですかね。
 これもギャグの解説みたいで普段は言わないんですが、やえの中では、更新内容について思想的内容と政治的内容はキチッと意識して分けて書いています。
 一番分かりやすいのは、法案の説明、人権擁護法案や国籍法改正の時ですね。
 これはもう法律という最も現実的な現実論ですから、極力思想的な面は入れないよう書いています。
 もちろん思想的な面で語ってはならないという意味ではありません。
 思想面で語るのもいいでしょうけど、やえがこの二つの更新でやっているコトは現実論としての法律の仕組みや永田町霞が関の仕組みの解説ですので、現実論に絞って書いてあるというコトなのです。
 現実論を書いているのに、やえの希望的観測をそこに入れ込むのは、適切ではないですからね。
 その反対に当然ですが思想的なお話もよくしているのですが、しかしネタ元が政治の場合、思想で書いてるのに政治で書いていると取られる場合もあるようで、なかなか難しいモノですねと思っているところです。
 でも一昨日のような更新は見た目も中身も思想っぽいですから、これからもっとこういう更新も増やしていくべきですかね。
 思想家っぽくなるために(笑)
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 小沢さんが急に覚醒しました。
 

 「日本の防衛は日本が責任を」 民主・小沢氏が発言
 
 民主党の小沢代表は25日、神奈川県横須賀市に拠点を置く米海軍第7艦隊を引き合いに「第7艦隊で米国の極東におけるプレゼンスは十分だ」と24日に発言したことに関し、「(在日)米軍がひくことによって、日本の防衛は日本が責任を果たしていけばいい」と記者団に語った。日本の防衛で在日米軍への依存を減らし、外交努力と自衛隊の活用の組み合わせで補う考えを示したとみられる。

 いいですね。
 アメリカに頼らない日本だけで独自の軍事力を整備して、日本は日本が守るというこの構想はとてもよいです。
 当然ですが、日本が日本だけで、他国と対等に渡り合えるぐらいの軍事力を持つというコトは、憲法を改正して自衛隊を国軍化するコトは絶対条件であり、また集団的自衛権の行使も必須です。
 つまり小沢さんが言うコトを実現するためには、最低限憲法改正と集団的自衛権の政府見解を変えるというコトに他ならないワケです。
 とてもいい案だと思います。
 
 正直、「第7艦隊で米国の極東におけるプレゼンスは十分だ」というのは現状認識としてはどうなのかなと思わざるを得ません。
 もちろん小沢さんのこの発言も、日本が独自軍力を持った上での発言なのでしょうから、その上で米軍は海軍だけでいいと言っているのだと思いますが、しかし本来は陸海空全ての軍隊が共に対等に協力し合ってこその対等な関係、もちろん日本憲法を改正しても日米同盟は保つべきですので、やはり日本もアメリカも共に陸海空軍全ての部署で対等に戦力を維持できるようするのが、理想であり目指すべきところだと思います。
 陸海空のバランスはもちろんいろいろあって、島国である日本にとって海軍が大切だというのは事実なんでしょうけど、米軍も海軍だけでいいというのはちょっと極論過ぎるとは思います。
 
 ただ、目指すべきところはかなり良いです。
 正直民主党が、外国人参政権付与法案を通さないと決め、また消費者庁を今国会中に通すようしっかりと審議に応じた上で、憲法改正・自衛隊の国軍化、そして集団的自衛権の行使を認めると言うのであれば、やえはそれが達成されるまでは、多少民主党が無責任なコトをしても、民主党を支持したいと思います。
 あと、小沢さんの持論である「国連軍」は撤回してもらいたいところですが。
 まぁそれでも民主党政権化で短期間ですぐそれが実行されるのであれば、やえは小沢さん断固支持です。
 公約にしてくれれば民主党に投票するコトも前向きに検討します。
 ガンバレ小沢さんです。

 一方、同党の鳩山由紀夫幹事長は小沢氏の発言について、都内で記者団に「日本の軍事力を増強するという発想に立ったものではないと理解している」と語った。(記事元はこちら

 ……!?
 ……え?
 ……_| ̄|○
 ダメだこいつら早くなんとかしないと(AA略)
 
 えーと、多分小沢内閣になったら鳩山さんも入閣されるんだと予想されますが、これ内閣不一致どころの話じゃないですよね。
 任命責任がどうだとかいうレベルを越えまくってる気がします。
 超基本政策すら党内でまとまってないんですね。
 なんて言いましょうか、党内コンセンサスが取れていないというのも問題ですが、とれていないのに独断専行で語る党首というのもどうなんでしょうか。
 しかも平議員の主張ならともかく、党内No2の鳩山幹事長ですよ。
 幹部ぐらい政策の協議とコンセンサスぐらいとっておきましょうよ。
 
 もー、これだから民主党は信用できないのです。
 残念です。
 ガッカリです。
 ぷんぷん。