☆やえニュース☆

  永住外国人への地方参政権付与法案が動き出す!?永住外国人への地方選挙権付与法案に反論!地方だって日本天皇と自分今日の党首討論どう答えても不利にしかならない「不自由な二択」を迫る卑怯な民主党想定の範囲外間違いを認めない開き直り責任転嫁する民主党スポーツジャーナリストがカーリングを否定するスポーツとは謝罪会見のポイント永田議員は0点失敗した人が責任をとるということが当たり前の国にしたい

平成18年2月16日

 永住外国人への地方参政権付与法案が動き出す!?

 今日は木曜日ですので小泉メルマガのレビュー日なんですが、ちょっと気になる情報が入りましたモノで、今日はそっちをお届けします。
 というのもですね、今日の自民党の会議にてなんと「永住外国人への地方参政権付与法案」の議論が行われる予定というタレコミを頂いたんです。
 やえもさすがに「え!?まさか」なんて思ったんですが、これまたなんと普通に自民党のサイトに載っていたんですね。

 会議情報(当日と明日の情報だけ出ます) (キャッシュ
 
 2月16日(木)
 
 ◆政調、選挙制度調査会
 午後2時半 本部704室
 [1]永住外国人の地方参政権問題について
    公明党提出法案について 冬柴 鐵三 筆頭提案者(幹事長)からヒアリング
 [2]その他

 これはなんですか。
 なんと、公明党の冬柴さんが自民党の調査会に出席するんですかー。
 なんて言いましょうか、寝耳に水と言ってしまえば、別に常日頃自民党の会議に耳をそばだてているワケではないので語弊がありますが、それぐらいおどろいた話です。
 この法案が毎回衆議院に提出されているというのは知っていましたが、やえは、自民党はそんなの歯牙にもかけておらず、いつも適当にあしらっていたのだと思っていましたから、まさか自民党の正式な会議にまともに議論されるとは思っていなかったのです。
 というワケで、このとってもとっても気になる調査会の内容を、いつぞや大変お世話になったある方から簡単な概略を聞きましたので、とりあえず今日はそれをご報告したいと思います。
 
 前回もいろいろと誤解されたので、もう一度しつこく言っておきますが、これはやえが直接聞いてきたのではなく、ある方からの話を聞いた話であるというのはご承知ください。
 また、本当に聞いたのかと問われても、やえからそれを証明するつもりは全くありませんので、もし信じられないのであれば信じなくても結構です。
 十四歳の戯言と聞き流してください。
 これらをご了解くださった上で、以下をご覧くださればと思います。
 
 
 この選挙制度調査会の会長は鳩山邦夫先生です。
 自民党の会議の通例通り、まずは会長の挨拶が述べられましたようです。
 その中で、今日の会議の趣旨が説明されたそうなのですが、その趣旨とは「今日は賛成・反対の討論をするワケではない。もともと公明党・冬柴先生からは、もう1年ぐらい前から「自民党の正式な会議で一度ちゃんと説明をさせてほしい」という申し入れを受けていて、今日はそれが現実したという経緯なのです」というコトなんだそうです。
 つまりは、とりあえず、この法案を毎回提出している、連立を組んでいる公明党の話を聞きましょう、というワケですね。
 
 そして、会長の挨拶の後、冬柴さんのヒアリングが始まりました。
 冬柴さんの話はなんと1時間を超えての長い話だったそうです。
 いろいろと実体験などを含めてお話をされたらしいのですが、いくつかポイントをまとめますと、この法案の提出理由としては

 1.この法案の成立は三党合意(自民・自由・公明時代)が成されている
 2.韓国では外国人への地方選挙権の付与はすでになされている
 2.永住外国人には過去のいきさつがある
 3.日本の国籍は血統主義であり、日本で生まれて日本で育ち日本で死んでいく人にすら選挙権が無いのはおかしい
 4.韓国大統領を始めとしての韓国や民団からの要請も強いモノがある(大統領演説等)

 これらが挙げられ、またこの法案に関する様々な議論に関する話では

 5.国籍はそう簡単に変えられるモノではなく、強制されるモノでもないので、国籍を変えるとかいう議論は適切ではない
 6.例え国籍を変えられるようになっても、祖国への想いが無くならい人は無くならないので、この議論は無意味(過去にパクという国会議員もいた)
 7.アメリカには大戦時でも「外人部隊」があった
 8.相手国にも同じ選挙権付与法案がある国籍の人だけが対象であり、北朝鮮はいまのままでは対象外
 9.与える選挙権は地方選挙権だけであり、国政選挙の投票権は当然のコト、被選挙権をはじめ、人権養護委員や民政委員等への就任資格や、条例の制定・改廃、地方議会の解散及び議員・長の解職を求める直接請求権はいずれも付与しない

 というような話をされたそうです。
 まとめればすぐに終わる話ですが、しかしいろいろと経緯や実体験などを織り交ぜながらのお話で、その場で聞けばなかなか説得力のあるように聞こえたそうですし、もしかして、この問題に対してほとんど知識のない人間なら納得してしまいかねないような、上手いお話だったそうです。
 ちょっと長すぎたのが玉に瑕だったみたいですが。
 
 そして冬柴さんの長いお話の後、何人かの自民党の先生方からの発言があり、今日のこの話の会議は終わったそうです。
 最初に会長のお話があったように、今日は賛否の議論をする場ではないと宣言しましたので、数人の先生から意見は出されましたが、議論になったというコトは無かったようです。
 とりあえずは冬柴さんのお話を聞き、自民党の先生の一部の意見が出て、それで次からまた機会があれば議論をしましょう、という形というワケですね。
 
 ですから、これをもって自民党がこの法案に了承したとかは全くありません。
 よって党議拘束もかかっていませんから、今の段階では法案が成立する可能性はほぼ0です。
 というか、まだまだ委員会でも今の段階では議論すら行われないでしょう。
 
 
 今日はレポートだけですので、これらの具体的な内容や、またやえの意見等は言いません。
 いろいろと言いたいコト、突っ込みたいところはいっぱいあるのですが、それらは後日ゆっくり検討してみたいと思います。
 
 ただ、やえの感想からすれば、この法案とこの議論が自民党の正式な会議にのぼったという事実がとても気になるところです。
 変な話、議論すらされない状況でしたら、この法案が施行される可能性は0なワケですが、しかしいったん議論が開始されるというコトになれば、可能性の面から言えば0では無くなるワケです。
 また、政治は理論だけでは成り立たないというのも、もはや言うまでもない話です。
 特に冬柴論拠の1である、三党合意という部分は、政治的にはかなり重みのある話です。
 理屈を越えて、これを理由に賛成する議員さんも出てくる可能性は十分にありますし、また今日の冬柴さんの話しぶりからしても、この理由を一番前面に出して突破しようと言うような意図が見え隠れしていたそうです。
 事実、その戦法が一番有効だと、やえも思います。
 
 というワケで、次の会議が開かれるのかどうかはまだ分かりませんが、これらからこの議論が動き出したとするのであれば、決して楽観視できない状況にあると言えるでしょう。
 
 今日のところは、まずはみなさんにこういう動きがあったというコトをお知らせしたいと思います。
 
 
 

平成18年2月19日

 永住外国人への地方選挙権付与法案に反論!

 さて今日は、昨日ご紹介しました「永住外国人に地方選挙権付与法案」を提出しました冬柴公明党幹事長の、自民党の選挙制度調査会に提出しましたレジュメを中心としまして、この法案に対する反論を書きたいと思います。
 
 反論のポイントは2つあります。
 昨日ご紹介した冬柴さんのお話と、冬柴さんが自民党の選挙制度調査会に提出しましたレジュメの中に書かれている「現在審議中の法案の骨子」の2つです。
 ではまず、昨日の冬柴さんのお話を振り返ってみましょう。

 1.この法案の成立は三党合意(自民・自由・公明時代)が成されている
 2.韓国では外国人への地方選挙権の付与はすでになされている
 3.永住外国人には過去のいきさつがある
 4.日本の国籍は血統主義であり、日本で生まれて日本で育ち日本で死んでいく人にすら選挙権が無いのはおかしい
 5.韓国大統領を始めとしての韓国や民団からの要請も強いモノがある(大統領演説等)
 6.国籍はそう簡単に変えられるモノではなく、強制されるモノでもないので、国籍を変えるとかいう議論は適切ではない
 7.例え国籍を変えられるようになっても、祖国への想いが無くならい人は無くならないので、この議論は無意味(過去にパクという国会議員もいた
 8.アメリカには大戦時でも「外人部隊」があった
 9.相手国にも同じ選挙権付与法案がある国籍の人だけが対象であり、北朝鮮はいまのままでは対象外
 10.与える選挙権は地方選挙権だけであり、国政選挙の投票権は当然のコト、被選挙権をはじめ、人権養護委員や民政委員等への就任資格や、条例の制定・改廃、地方議会の解散及び議員・長の解職を求める直接請求権はいずれも付与しない

 さすがに一時間以上もお話しされただけあって、ポイントがいっぱいありますね。
 では、淡々と反論していきたいと思います。
 
 
 1.この法案の成立は三党合意(自民・自由・公明時代)が成されている
 
 まず1ですが、これに対しては特に反論はありません。
 というか、しようがないというのが正しいです。
 だってやえは別に自民党の議員ではないですから別にこの合意に縛られるワケではありませんし、またこの合意は実際に行われているモノのようですから、今更どうしようもないといしか言いようがないんですね。。
 ですから、この1は、本法案が可決してしまう可能性の根拠となりうる最大のポイント、反対する立場から言えば最大の懸念ポイントと言えるでしょう。
 そして、このポイントを回避するためには、ひたすらの反対論の正当性を、原理原則を正面から正々堂々と主張するかないでしょう。
 油断できない局面であるというのは間違いないと思います。
 
 
 
 2.韓国では外国人への地方選挙権の付与はすでになされている
 
 次に2ですが、これ、そうだったんですか?
 いつぞや韓国ではこの法案は否決されたとか聞いた気がするんですが、もしかしてこれは国政選挙のお話だったのでしょうか。
 まぁここまで堂々とおっしゃるのでしたら、韓国ではそうなのでしょう。
 しかし、こんなのハッキリ言ってしまえば、「だからなに?」です。
 相互主義にのっとり、なんて言う人もいるみたいですが、そんなの別に韓国が勝手に自分の国で定めただけの話なんですから、それをもって日本の法律にまで影響が及ぼされるというのは、かなり自分勝手な言い分です。
 もし、日本で同様の法案が成立するコトを期待して韓国で成立させたのであれば、別に構いませんからどうぞその法律、破棄してください
 日本とは全く関係のないお話です。
 
 
 
 3.永住外国人には過去のいきさつがある
 
 これはは、もしかしたら現在最も説得力のある説だと思われるモノでしょう。
 簡単に言えば、「過去日本は韓国人を強制連行して日本に連れてきてしまったのだから、その責任を取るためにも選挙権を与えるべきだ」というような類の論です。
 しかし、これは当サイトにおいては、もはや言うまでもない話ですね。
 過去において日本が国策として外国人を強制連行したという事実を証明する証拠は存在しません
 ただ、国家総動員法により、日本人(元朝鮮人も含む)に対して様々な行動の強制を強いたコトは事実ですが、しかしこれは日本人に対しても同じようなコトをしているワケで、なにも朝鮮地方出身者だけに言う話でありません。
 そしてここが重要ですが、終戦後においてGHQの積極的支援によって大がかりな“帰国事業”が行われている事実があります。
 つまり、韓国併合前に朝鮮国籍だった人に対しては、どうぞ元の国に帰って下さいと親切丁寧に誘導してあげたんですね。
 当然この事業により多くの朝鮮人は朝鮮半島に帰っていきました。
 よって、いま日本に現存する「旧日本人」たる在日外国人は、みな自分の意志で日本に残ったと言えるワケなのです。
 当然、戦中戦後を通じて日本はロシアが行ったような外国人に対する強制労働のような差別的非人道的な行為はしていませんし、戦中においては“朝鮮地方出身の将校”もいました。
 日本は公的には常に出身がどこであろうと平等に日本人として扱いましたし、戦後においても帰国事業を行い、帰りたい人には帰れる道を作りました。
 戦中においても戦後においてもこれだけ出来る限りのコトはやっているワケでして、どこにも「非道な行為」なんて存在しないワケでして、すなわち日本には採る責任なんて存在しないのです。
 
 また、昨日の調査会で、どの議員さんが言われたのかはやえは分からないのですが、このような趣旨の意見が出されたそうです。
 
 「選挙制度の問題というのは、民主主義の根幹の問題であって、国家の規範の問題であるのだから、原理原則を貫かなければならない。よって選挙の問題と歴史の問題を同列に語るべきではない」
 
 全くその通りだと思います。
 仮定の話で日本に賠償しなければならない事由があったとしたとしても、それは選挙の問題でそれを補償するのは全くの筋違いでしょう
 全ての面において、これらは全く理由にならないのです。
 
 
 
 4.日本の国籍は血統主義であり、日本で生まれて日本で育ち日本で死んでいく人にすら選挙権が無いのはおかしい
 
 調査会でも冬柴さんはしきりに「日本で生まれて日本で育ち日本で死んでいく人にすら選挙権が無いのはおかしい」といようなコトを繰り返し主張していたそうです。
 しかし、これ普通に聞くんですが、だったら日本国籍を取ればいいだけの話にしか思えません
 日本で生まれて日本で死んでいくのであるような人が、日本国籍がないのが不都合であると思うのであれば、それは日本国籍を取ればいいだけの話です。
 しかしそうしないというコトは、敢えて自ら不都合を選択していると言えるのですから、それは仕方ないですよね。
 
 そして日本が血統主義(親の国籍が重要という考え方)を採っている反論にもなっていません。
 むしろやえの感覚からすれば、たまたま生まれた場所がそこだからという理由だけで国籍を与えてしまう国の方が、よっぽど不思議でなりません。
 過去にも書いてありますが、国籍とは、その国の歴史や文化などを過去から未来に受け継ぐ覚悟があるかどうかの外面的な証明であるのですから、まずはその覚悟を示せるかどうかの話であるのです。
 ただ単に血統主義がダメで、生地主義が正しいというのは、それは全く根拠のない話でしょう。
 
 
 
 5.韓国大統領を始めとしての韓国や民団からの要請も強いモノがある(大統領演説等)
 
 内政干渉です。
 
 
 
 6.国籍はそう簡単に変えられるモノではなく、強制されるモノでもないので、国籍を変えるとかいう議論は適切ではない
 
 これは議論のすり替えです。
 このような言い方は、もともと外国人にも選挙権は与えられるべきだという考え方がどこの国においても普遍的に考えられているのであれば確かにその通りですが、しかしそうでは全くありませんよね。
 よってこのような言い方は適切ではありません。
 実際には、新たな権利を得たいと願っているという形なのですから、それなら国籍を得るという形をとって下さいと言っているだけなのです。
 そもそも、このようなモノの言い方というのは、国籍は重いけど、選挙権は軽いと言っているようなモノではないでしょうか。
 民主主義における代議員がこのようなコトを言うのはかなりいかがなモノかと思います。
 
 
 
 7.例え国籍を変えられるようになっても、祖国への想いが無くならい人は無くならないので、この議論は無意味(過去にパクという国会議員もいた)
 8.アメリカには大戦時でも「外人部隊」があった
 
 7の言いたいコトというのは6と同じのようですから、まとめます。
 この考え方もいまいち理解できません。
 冬柴さんは、日本の国会議員のくせに、外国のために政治を行う人が出てきても良いと考えておられるのでしょうか
 また外人部隊というのはその逆もあり得るというコトを言いたいのでしょうけど、だからですね、こんなコト言ってもキリがないんですよね。
 心の中の問題なんて、誰にもどうしようもないんです。
 日本人の中にもどう考えても反日の人いますし。
 だから、こういう心の中のコトまで問題にしてもどうもしようがないでかすら、だからこそ国籍という外面的な事実というモノを大切にしましょうと言っているのです。
 心の仲中では審査できませんから、せめて外面的な部分に置いて日本に忠誠を誓うとした国籍を一つの目安として基準を考えるべきだと言っているワケなのです。
 帰化した人というのは心の中まで日本人であって欲しいと願いますが、しかしどうやっても心の中を強制されるコトなどできませんから、だからこそ国籍という基準はきちんと守っていきましょうという話なだけなのです。
 
 
 
 9.相手国にも同じ選挙権付与法案がある国籍の人だけが対象であり、北朝鮮はいまのままでは対象外
 
 例えば、北朝鮮が北朝鮮国内で同様の法律を施行したらどうするつもりなんでしょうか
 北朝鮮国内には拉致被害者をのぞいたら日本人なんていないんですから、これをされてしまうと、実質的には日本の選挙権だけを一方的に得るコトが出来てしまうコトになります
 そして総連を通じてどんどん本国の有利になるような施策を選挙を通じて実行していけるようになるワケです。
 とんでもなく危険です。
 どうしてこのような想像ができないのでしょうか。
 
 
 
 10.与える選挙権は地方選挙権だけであり、国政選挙の投票権は当然のコト、被選挙権をはじめ、人権養護委員や民政委員等への就任資格や、条例の制定・改廃、地方議会の解散及び議員・長の解職を求める直接請求権はいずれも付与しない
 
 詭弁です。
 選挙権や政治というモノをこのように一部だけ制限して与えるという方がかなり不自然なコトであり、それを代議員が主張するというのはいかがなモノなのでしょうか。
 逆に、そこまでして投票権だけを与えようとしている行為に、なにか意図があるのではないかと疑ってしまいそうです
 投票権を与えるのであれば、原理原則に従って全てを与えるべきです。
 そしてそうするためには国籍をとればいいだけの話です。
 これは民主主義の大原則なのですから、これを最後まで遵守するべきでしょう。
 そして代議員であるのであれば、それを守る義務があるのではないでしょうか。
 
 また、今はそう主張してはいますが、いざ一回選挙権だけを与えてしまうと、何年後かには必ず「選挙権だけでなく、被選挙権も与えるべきだ。国政も与えるべきだ」と話が飛躍していく可能性が高いと言わざるを得ません。
 原理原則を崩すという行為は、なし崩しを許してしまうキッカケを与えてしまうという行為なのです。
 むしろ「選挙権だけ」といういびつな形で与えようとしているからこそ、いろいろな意味に置いて、許してはならないと言えるでしょう。
 
 
 
 (つづく)


 
 
 

平成18年2月20日

 地方だって日本

 これはもう永田さん、ダメかもですね
 というか、ひどすぎです。
 事実がどうであるかという以前に、相手を糾弾するのであれば当然明確な証拠を示してからというのは、子供でも分かる理屈だと思うのですが、それが民主党は全く出来ていません。
 そもそもホリエモンが武部次男さんにお金を送ったコト自体に違法性を認められる手は思えないのですが、それはともかく、今は誰がどこにお金を振り込んだのかというコトが重要であって、それをまず証明させないコトには疑惑にすらならないワケです。
 しかし記事先の写真のような紙切れ一枚だけでは、誰が発信したモノか、誰が受信したモノか、そもそもそれが本当にメールの記録であるのかすら明確ではありません
 変な話、それぐらいの紙切れならやえでも作れるワケですからね
 繰り返しになりますが、これでは疑惑にすらならないですし、民主党が一人で騒いでいるだけですから、はじめからお話にならないのです。
 マスコミとかでは「ドロ試合」なんて言ってますけど、これはドロ試合ではありません。
 民主党が一人で騒いでいるだけです
 もしかしたら「ドロ試合」という言葉でうやむやにしようとしているのかもしれませんが、そんなコトは当然許されるハズもないですので、どちらにしても、最後にはキッチリと落とし前を付けてもらいましょう。
 
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 
 さて。
 外国人に地方参政権・選挙権を付与しようという動きについてですが、今日はもっとも基本的な原理原則を明確にしようと思います。
 このお話は、すでにあまおちさんが5年以上も前に公開していた内容なのですが、ここで改めて、今度はやえがもう一度お話しするという形で発表をしたいと思います。
 
 
 これは簡単なお話なんです。
 
 例えば、国会議事堂のある東京都の千代田区というのは、一体どこでしょうか?
 と質問されてもなんのコトやらとお思いでしょうけど、答えは「日本」です。
 つまり、正確に言えば「日本国東京都千代田区」なワケです。
 
 では、千代田区区議会議員や区長というのは、一体どこの議員や区長かと言えば、そうです、日本国東京都千代田区の区議会議員であり、日本国東京都千代田区区長なワケです。
 改めて言うまでもないコトではありますが、しかしこれは重要なコトです。
 つまりですね、千代田区区議会議員・区長選挙の際においては千代田区民に投票権がありますが、これは具体的に言えば「日本国民東京都民の千代田区民」に投票権があると言うべきなのです。
 
 「日本国東京都千代田区」の選挙には「日本国民の東京都民の千代田区民」が投票できるワケですね
 
 こう言うと当たり前のお話のように聞こえますが、しかし外国人に地方参政権を付与しようという動きは、こんな単純な、そしてもっとも基本的な原理原則を根本から踏みにじむ主張なのです。
 千代田区という地域は、あくまで東京都の一部であって、日本の一部です。
 決して千代田区という地域が宙に浮いているような、その辺に宙ぶらりんになっているような、千代田区だけの存在ではありません。
 千代田区はどこまでいっても東京都の一部ですし、そして日本の一部です
 もちろん過去においてもそうですし、未来にわたってもおそらくそのようになっていくでしょう。
 少なくともそうなるべく努力する義務が日本人にはあるワケです。
 
 地方に限って投票権を与えるという主張は、つまりその地方はどこの国にも属していないと言っているようなトンデモナイ主張なのです。
 しかしそんな地域は地球上どこを探してもないワケでして、あ、南極とかは別にしましてもですね、日常的に人が住んでいる土地は必ず何らかの所属があるワケなのですから、まずはこの所属の原則を貫くコトが原理原則なのです。 
 選挙とは、直接的には議員や首長を選出するためのモノですが、根源的な意味では、その地域(国)の過去を受け継ぎ、未来にバトンを受け渡すために、今なにをするべきかを決めるモノです。
 ですから、その所属に完全に一致している人だけに選挙権は与えるべきであって、もしその地域の選挙権がほしいと思うのであれば、まずはその所属に属してくださいと言うべきなのです。
 
 日本国籍を持っていない人は、日本国東京都千代田区に所属していない人です。
 それはつまり、過去においても将来においても「日本国東京都千代田区」を背負っていない人だと言わざるを得ないのです。
 何を持って背負っていると言えるかどうかは、それは心の中までは誰にも分からないコトですが、しかしだからこそせめて外面的な国籍にこだわる必要があると言えるでしょう。
 
 千代田区は「日本国東京都千代田区」なのですから、この事実はどうやっても否定できないモノなのですから、その中で行われる選挙には当然「日本国東京都千代田区民」にだけ有されるべきなのです。
 「日本国東京都千代田区選挙」には「日本国東京都千代田区民」だけが投票をする。
 例え日本国東京都民であっても新宿区民は投票できないのと同じように、例え千代田区民だとしても日本国籍を持たない、例えば「大韓民国籍東京都千代田区民」も投票はできないのです
 これが最も基本的且つ最も重要な、そしてとても簡単な原理原則なのです。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、日本の中の地方を応援しています。
 
 
 
 

平成18年2月21日

 天皇と自分

 これはオレの事実であり、恥も含めてまずはありのままをさらけ出してみようと思う。
 この問題は決して頭の中だけの問題ではなく、確実に自分の身に降りかかる身近で重大な問題なのである。
 自分ならどうなのか、自分は今までどう考えてきたのか、それを考えるきっかけになれればと思う。
 敢えて今、いや今だからこそ、天皇と自分を見つめる必要があるはずである。
 
 
 
 オレは昔、天皇を否定していた。
 
 なぜ天皇が存在するのか、なんのために存在しているのか、どうして存在していられるのか、その全てが疑問だった。
 その頃のオレは平等主義にはまっていたせいもあるのだろう、そもそもオレは広島というアカ真っ青な地で生まれ育った事あって、このような教育を一身に注がれて育ってきたせいだろう、天皇については気づいたときから疑問しか持っていなかった。
 ただ、なぜか日本は好きだった。
 いつもいつも日本に対して文句ばかり言っているアメリカや中国には強い抵抗感を覚えていて、反米や反中なんて言葉もない、むしろ外国の悪口を言う奴はロクでもない奴だと言われんばかりの当時からオレは反外国な子供だった。
 それがなぜかはもはや分からないのだが、しかしその自国愛がどうしても天皇と結びつかなかったのである。
 
 実は長い間この考え方は続いており、古い更新文章にもそれが現れているものがあったりする。

 国家の歌なのに、象徴とはいえ一家族の歌を用いるのおかしい。
 君が代は、日本を象徴している天皇家を象徴している歌、ではなく、天皇家のみを讃える歌なのだから。

 これは1999年に国旗国歌法案が出された時にアップした文章なのだが、やはり天皇というものを否定的に捉えている心情がにじみ出ている。
 今でなら、天皇家そのものが日本の象徴であり、日本そのものだと言えるのだが、この時はまだそこまで考えが至ってなかったのだ。
 
 しかし、オレは考え続ける。
 例え自分で否定的に捉えたものであったとしても、それを考える事は前進に繋がると信じているからだ
 
 いま考えると当時のオレというのは、日本が好きなのではなく、「現在の日本」が好きなだけだったのだろうと思われる
 そして「現在の日本」が「自分」とリンクしており、外国からの圧力も、自分がバカにされているかのように感じていたので反発していたのだろう。
 自分は日本の一部であり、日本は自分の一部であるという感覚である。
 もちろんこれはある意味間違っていない感情だと思う。
 親をバカにされたら怒るのと同じように、人は自分以外をバカにされても怒るという感情を持ち合わせている。
 
 しかしどうしてもオレの中では、過去の歴史を自分のものとすることが出来ないでいた。
 歴史は所詮学校の勉強の中だけの話でしかないという感覚があったのだろう。
 
 その“歴史観”が“歴史感”“国史感”となったのはいつからだろうか。
 おそらく、いつもいつも物事を深く考えている事によって、いつしか「今の日本は決して今の日本だけで作り上げたものではない。歴史があって今があるのだ」という事実に思い至ったのだと思う。
 過去の更新にも、それが象徴されるような文章がある
 とてもじゃないが、さっき紹介した国旗国歌法案に関する文章を書いた人物とは同一人物と思えない内容だが、いま両文章を読み返しても、その文章からは“成長”が見られるのではないだろうか。
 
 今の自分がいま存在できているのは、過去の自分があったからで、過去にいろいろな人の存在があったからこそである
 
 あまりにも当たり前すぎる理屈であるが、この考えに至るまでに、オレは結構長い道のりを辿ったのである。
 そしてこれは人間だけに当てはまる言葉ではない。
 国だって同じなのである
 
 歴史観が歴史感となるにつれて、オレの中での天皇観がずいぶん変わっていった。
 それは実感できるぐらいに顕著に変化していった。
 時にはその変化に抵抗を試みることもあった、過去にあれだけ否定していた天皇をどうしてお前はそう簡単にゆるしてしまうのか。
 しかし、考えれば考えるほど、その抵抗はあまりにも幼い、そう思春期に父親に対する無意味な抵抗でしかないのではないかと思わざるを得ない結論に至るのであった
 
 天皇は日本にとって日本人にとって父親のような存在なのではないだろうか。
 ただそこにいるだけで威厳があり、時には厳しく時には優しく、大きな愛を黙って注いでくれる、まさに日本の父親的な存在。
 例えば、戦前戦中の日本人にとっても、本気で天皇を神様だと思っていた人というのはいないんじゃないかと思う。
 神の“ように”思っていた人はいたとしてもだ。
 その尊敬の感情というものは、神様仏様を拝む気持ちなのではなく、父親を畏れるという感情の方が近かったのではないだろうか。
 
 戦争が終わるまでは、自分が家をまとめる象徴として存在し続けなければならないが、いざ戦争が終われば全責任は自分にある。
 
 マッカーサーを感動させ、畏敬の念まで抱かせた昭和天皇のこの覚悟は、まさに神としての天皇ではなく、日本の象徴、日本そのものとしての天皇であるという表れである。
 ほんの数十年前の歴史、大東亜戦争時代の天皇を考えるだけでも、まさに日本の歴史と天皇とは一体となって存在している事実が否定できないものとして存在してしまっているのである
 このように考えれば考えるほど、天皇が日本の歴史と一体である事が分かってしまうのだ。
 
 最近になって天皇の権威もかなりのところ落ちてきてしまっていると言わざるを得ないが、それが現代の父権の失墜の時期に重なっているというのも、なんとも言い難い皮肉であろう。
 
 「なぜ天皇家は2600年も存在し続けられているのだろうか」
 ある時期から、この命題はオレにとって大きな思想的課題となった。
 今でも明確な答えは得られていないのだが、新しい王朝、日本で言えば幕府がこれに当たるが、が出来れば、普通は前王朝は根絶やしにする。
 自らの新王朝の正当性を訴えると共に、報復の種を摘んでおく必要があるからだ。
 しかし世界で日本だけがこれをしなかった。
 実権も武力も持たないしかし権威だけがある存在が生きながらえられるというのは、常識的には考えられない事なのである。
 それなのに天皇家だけは2600年も存続し得たのである。
 これは日本人の特異性を考える上で重要なテーマとなり得ると言えるだろう。
 
 ひとつ確実に言える事は、過去の日本人は、いつの時代でも天皇を“それなりに”敬愛していたという事実であろう。
 またそれは、武力だけではどうしても御しがたい、特別な感情を抱いていた事の表れでもあろう。
 そして日本は天皇と共にあった証明にもなるのではないだろうか。
 
 ここから国史論が生まれる。
 おそらくいま当サイトで主張している国史論は、プロの言論家を含めて、これを主張しているのは当サイトだけだろう。
 本義的な意味においてなぜ神武天皇家を存続させなければならないのかと言えば、とても尊い存在だからという理由が一番にくるのは当然の話なのだが、それだけではなかなか理解しがたい人もいるだろうし、またオレ自身が考えるというプロセスを経ているだけに、理屈として説明できる、形を示せるこのような理論があった方がよいと考えて、これを発表する事にしたのである。
 そう、この国史論こそが、オレ自身が自分で考え出したのにも関わらず、オレ自身の天皇に対する考えを最も決定づけた理屈なのである。
 
 「ああ、そうか、つまり天皇家とはこういう事なんだな」
 
 日本と天皇家がイコールで繋がれた瞬間であり、この時から「天皇と自分」の関係がより明確になった瞬間であるのだ。
 
 いろいろと意見はあると思う。
 オレもこれだけで天皇の全てを語れたとは露程も思わない。
 しかしまずは、天皇と自分との間をどう考えるのか、どう位置づけているのか、そんな根本的な問題をまずじっくりと考えてみる必要があるのではないだろうかと思う。
 いまはなんだか猫も杓子も「皇室を敬愛している」とさえ言えばなにを言ってもいいんだというような雰囲気になりかねなくなっている気がするが、まずは自分は天皇をどのように考えているのか、自分にとって天皇とはどのような存在なのか、まずはそこから始まる話なのではないだろうか。
 

平成18年2月22日

 今日の党首討論−前原誠司はどこへゆく−

 今日の小泉さんと前原さんの党首討論の、例のホリエモンメールについてのやりとりの部分を文章化してみましたのでご紹介します。
 
 ただし、もともと国会は言葉でやりとりしますので、議事録にしても口語体でちょっと分かりにくいですし、まして党首討論はヒートアップしやすいだけにさらに分かりにくいですから、意味が変わらないよう注意しながら、多少やえが手を加えさせていただきました。
 正式な議事論は後日衆議院が正式にアップされるでしょうから、一字一句違いのない議事論というモノは、そちらをご覧いただければと思います。
 
 国家基本政策委員会合同審査会(党首討論)の35分頃です。
 
 
 
 次の問題に移りたいと思います。
 ライブドアの問題です。
 この堀江被告の問題につきましては、まさに、先の総選挙におきまして自民党は準公認候補並みの応援をされて、後ろに座っておられる武部幹事長は「我が息子です」ということをおっしゃって持ち上げて、竹中大臣も応援に行かれました。
 そして堀江さんはまさにそのことをバックに、ライブドアに対して政府与党がお墨付きを与え、あるいはそれを自民党も利用したと、指摘してきました。そしてその件で、ただ単に応援をしたということだけでなくて、資金的なやりとりがあったのではないかという、様々な情報や確証を我々は持っております。
 この問題について私どもは、総理にいくつかの観点から質問させていただきたいと思います。
 
 まず1つは、メールの問題を含めて様々な情報から精査をしているものもありますけれども、資金提供というモノが武部幹事長の次男に通じてなされたのではないかという確証を、我々は得ているワケです。
 そして今日の予算委員会の理事会に対して、「具体的な金融機関も出すと、つまり口座や口座番号も含めてしっかり提示をする、だからそのことを前提に国政調査権というモノを発動すべきである」と言った。ただ単に闇雲に、国政調査権を振り回すということをお願いしているのではなくて、国政調査権に応ずるということであれば、口座名・口座番号も含めて提示をすると言っているし、そして元帳を出して欲しい、というコトを我々は申し上げて参りました。
 なぜ国政調査権に応じないんですか。
 与党が国政調査権に応ずれば良いだけではないですか。
 後ろめたくないのであれば、国政調査権に応じて白日の下に明らかにしたらいいと思いますが、総理の見解をお伺いしたいと思います。
 
 
 この堀江氏のメールの問題、武部氏のご次男に対して資金提供があったのではないかという問題は、先日来から予算委員会で、私も出席して永田議員から直接質問を受けました。
 個人的な名誉に関わる問題というモノは、確証を示して批判なり非難なりするのであれば、それは国会でありますから別に批判すべき問題ではないと、私は思います。
 しかし、今回のメールの問題についての態度というモノは、個人の名誉を傷つけるような問題であるのにも関わらず、その掲げたメールの信憑性の問題があり、証拠の問題があり、本物か偽物か分からないような段階なのに、実名まで具体名まで出して個人を公の場で批判する非難する中傷をしている。これについては国会議員としての品性の問題と言いますか、極めて遺憾な問題かと思います。
 現に、一度目の質問においてメールの存在をちらつかせながら、具体的な証拠を握っているかのような前提で質問をされました。そして一日後も再度私に対して「このメールは本物だ」と、私が「ガセネタだ」と言ったことを非難しながら、民主党は迫りました。
 私は未だにこの問題は極めて簡単なコトだと思います。私は永田議員を攻撃しているんじゃないんです。永田議員が一方的に、本物だか偽物だか分からないような情報を元にして、それをあたかも本物であるかのように言って、具体的な個人を非難中傷しているわけです。だから、これについてはもう一週間も経っているのですから、ちゃんと具体的な証拠を掲げて「偽物ではありません本物です」と言えば済むんです、それで。にも関わらず「出す出す出す」と言って未だに出していないんです。
 国家権力の行使については、私は極めて注意深く慎重に行使していかなければならないと思っています。今この国政調査権を行使するかどうかについては党の予算委員会の理事会の間で議論を続けていると聞いています。 政府の立場としては、国政調査権というのは行政府に対してこのような権力を、「行使する」という国会が命令をするわけですから、慎重に対応しなければならない。確かな証拠があれば私どもとしては行使することにやぶさかではありませんが、しかしこの問題というのは、その前に本物だという証拠を出すだけで、敢えて国政調査権を行使するまでもなく、分かる問題なわけです。
 でありますから、この点につきましては、前原代表もしっかりと頑張っていただきたい。それぞれ党としての立場もあるんでしょう、私は前原代表が今まで活躍してこられたし、民主党としても、私たちは協力する分野があるんですから、いろいろなご苦労も多いとは思いますが、しっかりと頑張っていただきたいと思います。
 
 
 確証は出すと言っているんです。総理総理、総理聞いていますか。確証は出すと言っているんです。出すと言っているんです。つまりは国政調査権とセットにそれをしっかりとやってもらえるかどうかというコトを、私は大前提として出したいと言っているんです。
 例えば、国民の皆様方から見て、権力はどこにあるのかと聞けば、これは政府与党にある。そういうコトになれば実際に我々が、口座番号も含めて明らかにしたとしても、もしかしたら国政調査権を行使してまで明らかにするかどうか分からないじゃないですか。それが明らかにされないまま我々だけに情報を出せ出せと言っても、握りつぶされたら我々はカードが無くなるじゃいないですか
 総理いいですか。総理はね、イラクの核兵器の時どうおっしゃったか。核兵器を持っているかどうか、それについて明らかにしなさいと我々が追求したときに、持っていないコトをしっかりと示すことがフセインの仕事だとおっしゃった。
 我々は疑惑があると言っている。海外の口座、あるいは様々な情報において、かなり問題があるテーマだと思っている。だからこそそれを明らかにするために、我々は野党です、政権のように権力は持っていない、だからこそ資料をしっかりと提示する、
(委員長:前原誠二君。時間でありますので簡潔にお願いします)口座の問題も明らかにする、元帳についての国政調査権を明らかにしてもらえるんであれば、我々としては堂々とその証拠を出すと言っているんじゃないですか。だから応じてもらいたいと言っているんです。
 これを出さずして、我々が非難されるコトはない
 答弁をお願いします。
 
 
 時間が参りましたので、これにて前原君の発言は終了しました。
 以上をもちまして合同審査会は終了いたしました。

 
 
 
 あまりにも見苦しい前原さんです。
 彼の言っていることはあまりにもバカらしくて、あまりにも情けないモノばかりです。
 
 ・言いがかりはつけるが、その証拠は悪魔の証明の後からではないと出さない
 ・そもそも、どんな証拠かは言わないけど、とりあえず証拠は持っているからいいじゃないか
 ・そして、証拠を出すと言っているのだから、出しているのと同じじゃないか
 ・出すと言うだけで十分だろ、立法府が行政府に強制命令を下せ
 ・そもそも証明なんていらない、無罪であるなら権力で他人を丸裸にしても問題ないだろ
 ・それしか方法がない。なぜなら、与党が握りつぶせば国民もそれにあっさりと従ってしまい、攻撃材料が無くなってしまうから
 ・だから我々は無力であり、権力のお墨付きがないと何も証明が出来ない
 
 さらには、時間がないのを分かっている上で「答弁をお願いします」です。 
 もうムチャクチャ以外に適切な言葉が見つかりません。
 そしてポロッと本音が出てしまいます。
 
 「これを出さずして、我々が非難されるコトはない」
 
 非難されるのがとってもイヤだったんですねぇ。
 非難から逃れられるなら、アレな言動すらも繰り返すコトも辞さない前原さんの態度は、まさに民主党の体質そのものですね。
 もうさすがとしか言いようがありません。
 
 
 党首討論が終わってからの小泉さんの表情は印象的でした。 
 まぁどう印象的だったかは、ご覧になってみて下さい。
 小泉さんお疲れ様でした。
 

平成18年2月23日

 どう答えても不利にしかならない「不自由な二択」を迫る卑怯な民主党

 今回の民主党の言動を、冷静に分析してみましょう。
 こうするコトにより、民主党のあまりにも卑怯な戦法というモノが見えてきます。
 そしてそれは、日本のために行っているのではなく、ただ単に政権交代という名の権力を得たいための言動でしかないのが浮き彫りになってくるでしょう。
 
 これはもはや言うまでもないコトですが、なんら裏付けがされていない証明能力が全く欠如している証拠なんかでは、普通は他人を動かすことは出来ません。
 つまり、民主党が提示してきたメールでは、疑惑があるとすら言うコトも出来ないのです。
 もしこれが可能であるのであれば、民主党が作った「裏金領収書」なんていうモノでも、事を動かせてしまうコトになってしまいます。
 
 まして「国政調査権」とは、非常に重い権力の行使です。
 党首討論で小泉さんも言ってますように、三権の一つである立法府の国会が、同じく三権の一つである行政府等に対して、命令的に人の出頭及び証言並びに記録の提出を要求することができるモノです。
 これは国家の権威からも考えて、そう簡単に発動できるモノではありません。
 少なくとも、証拠もない言いがかり程度で発動できるモノでは決してありません
 
 しかし民主党のいやらしさ、汚らしさはここにあるのです。
 「国政調査権」が非常に重いモノであるというところに目をつけたのです。
 
 つまり、民主党はいくら自分たちが主張したとしても、自民党が国政調査権を発動させるとは全く思っていないのです
 もちろん武部さんが完全にシロだとしてもです。
 自民党という政党は、時には必要以上に「権威」というモノを大切にする政党です。
 特に政治に関するコトはですね。
 ですから例え幹事長と言えども、たった一人の疑惑の証明なんかのために、国会の伝家の宝刀「国政調査権」を発動させるコトなどありはしないのです。
 当然それは民主党も百も承知のハズなんですね。
 
 だから「国政調査権を」と主張さえしていれば、結局「無実の証明」も出来なくなるので、民主党も有罪とは出来ないと、だから悪ではないと、批判されるコトはないと、そうタカをくくっているのだと思います
 
 そしてもう一つ、民主党がタカをくくれる理由があるのです。
 
 もし仮に自民党が国政調査権を発動させたとします。
 さすがにそうなると民主党も焦るかもしれませんが、しかし棚からぼた餅の可能性もありますので、とりあえずは必死にアラを探すコトでしょう。
 その後、仮にライブドア関連では何も問題が見つからなかったとしても、その他のものすごい些細な重箱の隅をつつくことによって、とりあえずはイーブンまで持って行こうとするでしょう。
 なかなか世の中には聖人君主はいないですから、なにかしら些細な問題が出てくる可能性はあります。
 「重要なのは政治とカネの問題だ」とかなんとかいういつもの議論のスリ替えでもって、必死に自分たちの正当性を訴えるコトでしょう。
 また一部のマスコミもそれに追随するのも、想像にたやすいです。
 どっちにしても重箱程度の問題などすぐに国民の興味も薄れでしょうから、こうしていつの間にかこの問題が風化してしまうというワケです。
 
 さらにさらに、それでも国民の理解を得られなかったり、本当になんにも全然全く出てこなかったとしても、それでも残念ながら民主党にはもはや失うモノはありません
 永田議員が辞職したとしても、彼は比例区ですから、また新たに民主党のギリギリ落ちた人が復活するだけです。
 議席数には何ら影響を与えません
 だいたいにして、そもそもすでに前回の衆議院選挙で落ちるところまで落ちているのです。
 もしかしたら参議院でまたもや敗北するかもしれませんが、それでも大敗はしないでしょうし、そもそも今更参議院で負けたところでたいした傷にはならないでしょう。
 とりあえず「第一野党」の座さえキープしておけば、その名前だけで今まで通りの活動は出来ますしね。
 そして次の衆議院選挙までには長い時間があり、その間までには自民党の総裁選挙などがあり、次回の衆議院選挙までにはすっかりその傷も忘れてられているコトでしょう。
 
 さらにさらにさらに、仮にここまで最悪のシナリオを踏んでしまい民主党がボロボロになったとしても、しかしこれによって民主党は「次の手」を得るコトができるのです。
 こんな素敵な魔法のような言葉です。
 
 「前回は身の潔白のために国政調査権という重い権力を発動したのに、今回はどうしてそれが出来ないのか。つまりそれが出来ないのはやましいことがあるからだ。無いなら前回のように国政調査権を発動すればいい
 
 前例を作ってしまうと、こんな悪魔の証明を強化させてしまうような事態を作ってしまうコトになるのです。
 「前は出来たのに、どうして今回は出来ないのか」
 あまり深く考えない人にとっては、これだけで十分説得力を持つ言葉に聞こえるでしょう
 そしてこれ以上下がるコトのない民主党は、今度はこれを武器にして相対的にはとんでもない勢いで上に昇るようになるコトでしょう。
 つまり「自民党は終わった」と印象づけるのは最高の舞台ですね。
 
 おそらく民主党も、そして自民党も、このような事態は想定していると思います。
 だからこそ自民党は余計に国政調査権は発動させないでしょう。
 一方民主党は国政調査権を発動しないコトによって、この問題をうやむやのままに終わらせようと、嵐が過ぎ去るのを待ち続ける戦法をとっているのだと思われます。
 弱気に見られないように「国政調査権を」という見た目だけの強気の態度をとりながら、口だけでは相手の方こそに非があると言いながら。
 

 「証拠の証明の条件は国政調査権の発動だ」
 
  ・発動しない
    →「証明は自民党がするべき」とゴネ続ける
     →いつの間にか問題はうやむやになる
      →民主党( ゚Д゚)ウマー
 
  ・発動する
   ・棚ぼた式に問題が降ってくる         
     →民主党( ゚Д゚)ウマー
   ・調査しているウチに時間がたってうやむやになる
     →民主党( ゚Д゚)ウマー
   ・何も出てこない
     →永田を切る
      →議席は減らない上にそれで終われる
        →「前は国政調査権を発動したのに、今回は出来ないのか」
         →民主党( ゚Д゚)ウマー

 
 どう答えても、行き着く答えは「民主党( ゚Д゚)ウマー」なのです。
 本当に、どこまでいっても卑怯としか言いようがない戦法です
 これを避けるためには相手の土俵に上がらないコトですが、それはそれでマスコミが批判する材料になるところが何とも言えません。
 
 たださすがに今回ばかりは民主党をかばいきれないマスコミもいるようで、そこまで腐ってなかったかと胸をなで下ろすところでありますが、さらに反自民だけの一部マスコミは「ドロ試合」という言葉でうやむやをたくらんでいるところもあるようです。
 「ケンカ両成敗」みたに言えば、とりあえずはどっちも悪いとか言って、最終的には話は無かったコトにしようとしているワケですね。
 しかしこんなコトは許されていいハズがありません。
 朝日の似たような事件も含め、これは最後までキチッと、責任をとるべき人がとらなければならない問題です。
 ですから、この問題を二度と繰り返させないようにするためには、「民主党は大嘘をついた」というこの事実を、未来永劫国民が覚え続けておくコトが唯一の方法でしょう。
 
 「証明能力のない証拠などでは、なんら現実を動かす力にはならない」
 「そして、証拠能力のないモノで相手を名指しするのは、悪意ある中傷である」
 「民主党は、言いがかりだけで他人を貶めようとした、党ぐるみで」
 
 この問題が話題にならなくなったら終わりというコトではありません。
 民主党はこのような体質なのだと、少なくとも永田議員だけでなく、国会対策委員長や代表までもがウソツキに荷担したのですから、完全にこれは民主党体質なのです、それを記憶し続ける必要があるでしょう。
 まして他人を中傷し、社会的に抹殺しようとたくらんだワケですからね
 卑怯な「不自由な二択」を迫った民主党こそが罪であると、国民がしっかりと突きつけなければならない問題だと思います。
 
 みなさんも、是非証人としてこの問題を忘れないようにしてくださいね。
 

平成18年2月24日

 想定の範囲外

 ご、ごめんなさい。
 さすがにこれは完全にやえの想定の範囲外でした。

 民主、永田議員の辞職問題先送り・本人は入院
 
 都内のホテルで永田氏と面談した鳩山由紀夫幹事長は記者団に「精神的に不安定な状況にあり、しばらく休養させたい」と辞職の最終判断を先送りしたことを明らかにした。永田氏は夜、都内の病院に入院した

 もうびっくりですね。
 どうしてあんなに自信満々だったのに、入院するほど精神的に不安定になるのか、ちょっと理解に苦しむところですが、まぁ体をこわされた方を悪くいうのもアレですし、とりあえずゆっくり休んで下さい。
 もちろんだからといってアナタの罪が帳消しにされるワケでは全くありませんけどね。
 
 ついでにこちらもご覧下さい。
 
 
 「思いこみで行動した
 
 永田議員がおっしゃったコトを鳩山宇宙人さんがおっしゃっている場面です。
 ついに言っちゃいました。
 「思いこみで行動」
 
 あーあ。
 

平成18年2月24日

 間違いを認めない開き直り責任転嫁する民主党

 永田議員も、入院されたのは仕方ないですが、しかしその前にまずアナタがご自身も認められておりますように根拠の無い思い込みだけでの中傷で名誉を傷つけてしまったというコトに関して、武部幹事長とご次男さんに謝罪をすべきではないのですか?
 特にご次男さんは一般の方です。
 国会議員という権力の象徴が、国会や委員会という国権の最高機関という場で、根拠のない中傷をほぼ名指しでしたワケです。
 民主党の権力とは、無辜の市民を傷つけるためにあるのですか?
 民主党は、速やかに謝罪をし、また関係者の被害に対して誠実に補償をすべきなのではないでしょうか。
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 
 相変わらず民主党は開き直りの態度をとり続けていますので、前回も言いましたように、民主党の悪巧みを阻止するためには民主党が悪だと記憶し続けるコトだけですから、記録という意味も含めて、続けて取り上げていきたいと思います。
 民主党のサイトからです。

 代議士会で前原代表・鳩山幹事長・野田国対委員長が報告
 2006年02月23日
 
 23日午後、本会議を前に民主党・無所属クラブの代議士会が開催され、前原誠司代表・野田佳彦国会対策委員長・鳩山由紀夫幹事長がそれぞれ報告を行った。
 ライブドア問題に関して、自民党・武部幹事長周辺の資金の問題については、「きわめて疑いが強いという認識をもっている」と述べ、与党側が一点の曇りもないと言うのであれば、「国政調査権の発動に応ずるべきだ」と改めて指摘。ライブドアの問題で、「問題を起こしているのは与党であり、そしてまた今は政府の問題だ」として、徹底的に追及を行っていく姿勢に「何の揺るぎもない」と強調した。
 続いて野田国対委員長も報告を行った。
 永田寿康衆院議員のいわゆるメール問題に関しても、「ライブドアと武部幹事長周辺の間が、黒く塗られていっていることを解明しない国会になってはならない」と強調し、政府・与党が「猛攻撃を仕掛けてくる時は、与党にとって、政府にとって一番痛いところを突いているからだと思っている」として、今後も全力でたたかい抜いていく決意を改めて語った。

 ツッコミどころ満載です。
 
 
 『問題を起こしているのは与党であり、そしてまた今は政府の問題だ』
 
 と言い切っている前原さんですが、ですからこの人は全然理解でいないんですね、頭悪いんでしょうか、その問題というモノがあるのかどうなのかというのは、確かな証拠があって初めて言えるワケなんであって、しかしその証拠がないから今の段階では「問題はない」と言わなければならないのです、というのが今回の話なんです。
 民主主義の大原則だと思うのですが、「推定無罪」という言葉を知っているのでしょうか。
 まして今の段階は、ただ民主党が一方的に相手を誹謗しているという段階であり、「推定」という言葉すら不適切だと言うべきなのではないかと思います。
 例えばやえが「民主党代表の前原さんは、中国共産党から裏金をもらっている」と言いさえすれば、それだけで「問題を起こしているのは前原民主党であり」とされるのでしょうか。
 まぁ民主党の理屈から言えばされるのでしょう。
 それでいいんでしょうかね。
 
 もちろん断っておきますが、今のは例えでありフィクションです。
 
 
 『与党側が一点の曇りもないと言うのであれば、「国政調査権の発動に応ずるべきだ」と改めて指摘』
 
 これも改めて言うほどのコトではないですが、冷静に考えれば、もうとんでもなくトンデモナイ、そしてものすごく危険な発言です。
 もし「潔白であれば人を丸裸にしてもよい」という理屈が通るのであれば、「捜査状なしでの警察の強制捜査」ですら問題ないというコトになってしまいますし、「逮捕状無しでの逮捕」でも問題なくなります
 結局言っているコトは、「潔白だと言い張るなら何をしても構わない、どんな手段でも取り調べて構わない」というコトなのですからね。
 もうメチャクチャな言いがかりです。
 特高警察よりも酷い行為なのではないでしょうか。
 
 
 『徹底的に追及を行っていく姿勢に「何の揺るぎもない」と強調した』
 
 永田議員は揺らぎまくってるみたいですが。
 揺らぎすぎて健康に影響を及ぼしてしまったみたいですが
 あと「思いこみで行動した」と言ってましたが。
 まぁそこまでおっしゃるのであれば、最後まで責任はとってくださいね。
 
 
 次に野田さんです。
 
 『ライブドアと武部幹事長周辺の間が、黒く塗られていっていることを解明しない国会になってはならない』
 
 という言葉の言い回しが理解しづらいのですけれども、ですから何度も言ってますように、黒く塗られていると言っているのは民主党だけであって、それだけでは単なる言いがかりに過ぎないというコトぐらい、ちゃんとした大人なら理解してください
 民主党がまずしなければならないのは、謝罪か証拠を出すかのどちらかであり、そして解明されるべきは民主党の体質です。
 根拠無き理由で他人を誹謗中傷するのは、完全に法的にも真っ黒ですよ。
 
 
 『政府・与党が「猛攻撃を仕掛けてくる時は、与党にとって、政府にとって一番痛いところを突いているからだと思っている」として、今後も全力でたたかい抜いていく決意を改めて語った』
 
 あいたたたたた。
 一番イタいのはアナタですね
 別に武部さんは攻撃しているのではありません。
 民主党のでっち上げ、言いがかり、誹謗中傷から身を守っているだけです。
 しかし、一民間人、一国民を権力を使って中傷しているに、この責任転嫁、民主党はサスガ違いますね。
 
 
 さてさて、これを書いている間に、またこんな記事が入ってきました。
 最後にこれを紹介して今日は終わりたいと思います。

 前原・民主代表、永田議員を当面慰留
 
 党執行部の責任論に関しては、「マスコミからしか出ていない。党内には『頑張れ』『我々は悪いことはしていない』との声もある」と語った。都内で記者団の質問に答えた。

 マスコミからしか出ていない
 マスコミからしか出ていない・・
 マスコミからしか出ていない・・・。
 
 民主党は立派な政党ですねぇ
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、権力の横暴を応援しません。
 

平成18年2月25日

 スポーツジャーナリストがカーリングを否定する

 今日は、あるおバカさんをご紹介したいと思います。
 と言っても、ちょっと時期を過ぎてしまった感があるんですが、それもすべて民主党と永田議員がおもしろすぎたんで時機を逸してしまいました。
 民主党には謝罪とば
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 で、このおバカさんは、お金をもらってスポーツに関するコラム等を書いている、プロのスポーツジャーナリストなのですが、あろうことか、やえが前々から大好きだと公言してきたカーリングを「(NHKは)カーリングを延々と流している神経はどうしたのか」と全否定してしまっていますので、これを取り上げたいと思います。
 
 そのおバカさんの名は「武田 薫」と言います。
 いろいろなところで情報を集めたところ、どうも前々から電波系と名高い人のようで、特に野球原理主義で、野球以外はスポーツではないと言わんばかりの人のようなのです
 というワケで、この曰く付きのおバカさんを、今日は徹底的に批判していきたいと思います。
 
 まずは記事引用です。(現在は別の記事によって隠匿されてしまいました)

 夜はトリノ・オリンピックを観た。トリノは、スノボーのクロスとかスケートのパシュートなど新種目が面白かった。スキーの滑降種目もスリリングで興奮するが、不満はNHKである。カーリングを延々と流している神経はどうしたのか。ジャパン・コンソーシアムはシドニーから5大会で総額632億円の放映権料をIOCに払い、その70%がNHKの負担だ。カーリングを見るために、そんな大金を払ったのか? メダルを見たいために放映しているのか? 昔のNHK運動部はもう少し主張があった。公共放送、せめて報知新聞写真部のような一貫性があっても……ま、そこまで持ち上げる意味はないか。(武田薫のフジテレビ・スポーツコラム

 これだけでは「せめて報知新聞写真部のような一貫性があっても」がよく分からないと思いますが、この報知新聞の一貫性とは「いまは大部分がオートフォーカスを開発したキャノンに切り替えたが、一貫してキャノンを使い続けてきたのが報知新聞一社だった」という、報道体制とは何ら関係のない、むしろやえのような十四歳には全然わかんな〜い大人の事情についてだったりしています。
 はい、もうこれだけでこのおバカさんがどれだけおバカなのか、だいたい理解していただいたかと思います。
 
 では、本題のカーリングについてです。
 
 このおバカさんは、つまり「カーリングなんていうくだらないモノに、NHKという受信料を法律で義務づけて払わせている公共放送が放送するコトなんてけしからん」と言っているワケです。
 と書くとまだマシに見えてくるところがスゴイところで、この記者の言葉をそのまま引用しても

 ・カーリングを延々と流している神経はどうしたのか
 ・カーリングを見るために、そんな大金を払ったのか?
 ・メダルを見たいために放映しているのか?

 と、罵詈雑言のオンパレードです。
 
 まず、ものすごい勘違いが「メダルを見たいために放映しているのか?」です。
 つまりこれは裏を返せば「メダルがとれる競技でないと放送する価値はない」と言っているワケです。
 とんでもないおバカな自己中発言です。
 
 そのスポーツが楽しいか楽しくないかは、勝つか負けるかだけが要素では決してありません。
 勝率だけならどう考えても野球の方がサッカーよりも高いでしょうけど、日本代表戦の人気で言えば、このおバカさんは悔しくて悔しくて仕方ないのでしょうけど、どう考えてもサッカーの方が上です。
 また、日本のメダルの数で言えば、これまでのトータルでは確かレスリングが一番多いハズなのですが、残念ながらレスリングが日本で一番人気のあるスポーツとは言い難いでしょう。
 このように、「勝つスポーツ=楽しい(と思う人が多い)スポーツ」ではないというのは、言うまでもないコトなのです。
 
 しかし、このおバカさんは「メダルを見たいために放映しているのか?」とメダル原理主義を訴えます。
 では聞きますが、アナタが所属しているフジテレビは、必ずメダルを取っている競技だけを放送してきたというのでしょうか?
 そもそもカーリングだってメダルの可能性は十分にありました。
 最終戦は残念ながら負けましたが、これに勝っていれば準決勝に勝ち上がれていた可能性はあったワケで、そうなればメダルも目前なワケですから、決してメダルが低い競技ではなかったと言えるでしょう。
 それとも、フジテレビと武田おバカさんは、メダルが取れる競技が事前に分かるエスパーさんなのでしょうか
 それはぜひ競馬記者に転向されるコトをお勧めします
 
 
 このおバカさんはフジテレビの所属のようですから、「他の放送局なんて商売敵だ、我が社だけが正当なるジャーナリストだ」と思っておられるコトはとても愛社精神にあふれていて結構だと思いますが、しかし残念ながらNHKという公共放送の意味をこのおバカさんは完全にはき違えています。
 
 いくら報道の社であり、テレビ局とは言えども、所詮はどこまで行っても民間利益追求業者です。
 スポンサーの納得のいくような番組作りを避けられない運命にテレビ局があるというのは、冒頭のカメラの“大人の事情”を知っているようなおバカさんの方がよく理解していらっしゃると思います。
 もしカーリングに魅力を感じず、視聴率が取れないからという理由でフジテレビや民放がそれを放送しないというのであれば、それは仕方のないコトでしょう。
 それを責めようとはやえは思いません。
 
 しかし公共放送とは、ある意味それを超えたところにある存在です。
 ただの市場原理だけでない、商売根性だけでない理由で番組を作るコトのできる組織です。
 ですから、むしろ「民放が放送しないからこそNHKが放送する」という大きな理由が、NHKにはあるのではないでしょうか
 このおバカさんも、敢えてNHKを「公共放送」と言っているコトからも、NHKの民放にはない公共的な役割があるというのは理解してあるハズなのですが、そしかしれがどうして民放と同じ市場原理主義で考えてしまっているのか、全く理解に苦しみます。
 もしくは愛社精神が有り余りすぎて、フジテレビこそテレビ局の鏡だと、唯一神だと思っているのでしょうか
 ご立派です。
 
 しかしそれにしても、このおバカさんは恥知らずというか、かなりの恩知らずです。

 ジャパン・コンソーシアムはシドニーから5大会で総額632億円の放映権料をIOCに払い、その70%がNHKの負担だ。

 ジャパン・コンソーシアムというのは、NHKと民放とが枠組みを超えて共同で番組を制作するコトなのですが、なんとその出資比率はNHKが7割だというのです。
 民放のキー局は、テレビ東京を併せても5局であるのですから、一社あたりの比率を考えるならば、NHK7に対しておそらくフジテレビは1.66…でしかありません。
 この巨大な出資差があるのにも関わらず、さらにNHKは“人気のない”“つまらない”カーリングを放送して“あげた”のにも関わらず、このおバカさんはあの言いぶりです。
 こんな恩知らずはないのではないでしょうか
 常識的な日本人の言動とは全く思えません。
 こんなおバカさんが海外で日本の記者として活動していると思うと、薄ら寒い思いがしてしまいます。
 
 
 普段は全くと言っていいほど注目されない競技が、4年に一度のスポーツの祭典の時だけでも日本中から注目されるようにテレビ放送をするというコトは、これからの日本のスポーツにとってもとても意義深いモノです。
 そしてその注目されないからこそ、市場原理だけではない価値観と使命を持っているNHKがその任にあたるのは、半ば当然のコトとも言えるのではないでしょうか。
 普段はエラそうに「国民の知る権利のために」とか言いながら、しかしスポンサーの意向しか聞けない民放には、確実に存在する「カーリングを見たい」という国民の小さな声には、決して応えようとしません
 だからこそ、これをカバーするときのためにNHKがあるのではないでしょうか。
 だからこそ、NHKは法律によって義務的に受信料を払わせるようにしているのではないでしょうか。
 
 このおバカさんには、目に見えぬしかし確実に存在する小さき国民の声なんてどうでもいいんでしょうね。
 ただ自分が好きなスポーツだけを褒め称えるコトだけが喜びなのでしょう。
 そしてそれがジャーナリストの使命だと思っているのでしょう。
 
 バカですね。
 

平成18年2月27日

 スポーツとは

 まず、タレコミいただきしました、フィギュア金メダルの荒川さんの「国旗ウイニングスケート」についてです。
 これ、やえ、画像見たときびっくりしたんです
 というのも、やえは荒川さんの競技の方の中継は見れませんでしたもので、エキシビジョンの方を見ていたのですが、こっちの中継でも荒川さんの金メダルウイニングスケートは放送していなかったために、荒川さんがこのような日の丸スケートをしていたなんて全く知らなかったんです
 ですからこの画像を見たときに、えー荒川さんこんなコトしてたんですかーってな感じだったのです。
 
 そして次に思ったのが「ひどい」です。
 確かにこれはもう言い逃れの無いぐらいに意図的にこのシーンを放送しなかったとしか言いようがありません。
 そしてこの行為は、荒川さんの素直な心からの行動を否定する行為とも言えるでしょう
 普段国旗等を否定する人たちの意見としては、「尊敬するという心情は自然にわき上がってくるものであって、強制させるのはよくない」と言っているくせに、しかしいざ自然にわき上がってきた感情から来る荒川さんの行為を否定するというのは、あまりにも矛盾というか、人をバカにした行為だと言えるでしょう
 これは本当にひどい話です。
 
 ただ、これがNHKの意図なのかどうかというのは、ちょっと疑問が残ります。
 確かにNHKには問題がたくさんあります。
 前回の更新ではNHKの意義について書いただけで、それをNHKが100%実践しているとはやえも思っていません。
 しかし、今回のオリンピックの番組制作というのは、前回の更新でもチラッと触れましたように、ジャパン・コンソーシアムという各放送局の共同体というようなモノで制作しています。
 ジャパン・コンソーシアムを簡単に言えば、加盟している放送局で作った番組を加盟局の中で自由に使いましょうという感じのモノで、優先的放送日は前もって決めているのでしょうけど、ダイジェスト版放送なんかではどこの局の放送でも同じアナウンサー・同じ解説者がしゃべっていたりするんですね。
 まぁ各社バラバラで撮っても非効率なので、ここはみんなで協力しましょうという、談合のようなモノです。
 そのために、音声でも文字でも、放送局のクレジットは一切いれないようにしているみたいです。
 どこの放送局が放送しても差し支えないようにですね。
 
 というワケなので、荒川さんのウイニングスケートをわざと写さなかったのも、これがNHKの意図なのかどうかというのは、断言は出来ないのです。
 一応フィギュア中継を実質的に行ったのは、アナウンサーからしてもNHKだと思われますので、もしかしたらNHKの意図でそうしたのかもしれませんが、もうひとつの可能性としては、他に意図を持っている放送局が圧力をかけた or 他に意図を持っている放送局があるからとりあえず穏便な形にしておこうという合意があった、という可能性も完全に否定できるものではないと思われます。
 よって、この情報だけの段階ではNHKだけを糾弾は出来ないんですね。
 
 ただし、もちろん、あの行為がゆるされるようなモノではないというのは確かですから、誰かあれの意図に対する情報があれば教えていただきたいですし、そしてこれはマスコミにかかる全体的な問題だとも言えると思いますので、この事実は多くの人に知ってもらいたいと思っています
 この問題は、国旗がどうだという問題ではなく、荒川さんの心からの行為を踏みにじみ否定したという、マスコミによる言論統制とも言える最悪の行為なのです。
 
 
 
 さて、もうひとつお話があります。
 前回の更新の、おバカ記者の「メダルを見たいために放映しているのか?」の発言についてです。
 
 これ、本音を言いますと、やえもどっちなのか迷いました。
 確かに「メダルが取れそうだからカーリングなんかを放送してるのか?」という意味なのかもしれません。
 ただやえは、おそらくこのおバカ記者はメダルにだけ価値があるとあると思っているようなメダル至上主義者なんじゃないかと思いましたもので、「ちゃんとメダルのための放送をしているのか?」という意味での、そういう風にとらせてもらいました。
 また、冷静に考えればカーリングがメダルを取れる可能性は、高い方ではないというのが前評判でしたから、「メダルが取れそうだから」という意味にはとりづらかったんですね。
 NHKは日本が強豪を倒した後から急に放送しだしたのではなく、初戦からキッチリとライブ中継していましたから、なおさらそのようにはとりづらかったのです。
 
 実際に、いろいろなサイトさんなどを拝見しても、けっこう読み方がどっちか分かれていたりしていまして、いやはや困ったモノだと思うのですが、しかしそんなコトよりも、プロの文章書きがこのように意図する内容をハッキリと読み取れないという文章を書くコト自体がやっぱりおバカなんですよね。
 
 まぁこのおバカ記者、始めからカーリングなんて全く知らなかったのでしょうから、準決勝進出がいけるかどうかという場面だけを見てメダル可能性が高いと思ってしまったのかもしれません。
 ですから、メダルが取れる可能性が高いと思ってNHKが放送したのであれば、それは日本の初戦から生中継をしたNHKの先見性がものすごく高かったという話にはなっても、決してNHKを否定する材料にはならないワケでして、どっちにしても、メダル云々を基準に考えるような話そのものが下世話であると、おバカな話でしかないのです。
 
 バカですね。
 
 
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 
 前振りが長くなりました。
 今日は、もしかしたら「カーリングはスポーツなのか」という思いを持っている人がそれなりにいるのではないかと思いまして、また例のおバカ記者も、根底にはそのような考え方を持っているのではないかと感じまして、僭越ながらやえがプロのスポーツジャーナリスト様に、「スポーツとは何か」という根本的な話をお教えさせていただきたいと思いました次第でございます。
 
 で。
 スポーツにはルールがあります。
 スポーツは、このルールの中で最大限自分の力や技術を発揮するという、体を使うゲームです。
 実はこの「ルールの枠内で」という概念が最も大切な話でして、例えば競歩に対して「走った方が早いじゃん」と言ってしまっても、しかし競歩は歩くというルールの中でスピードを競うスポーツである以上は、そのような批判は何ら意味のないコトですよね。
 同じように、サッカーに対して「手でボールを持って抱えてゴールすればいいじゃん」とか、バスケットボールに対して「ドリブルせずに持っていけばいいじゃん」とか、野球に対して「ピッチャーのボールをキャッチしてスタンドにボールを投げ込めばいいじゃん」とか言ったところで、さらに「とりあえず相手をぶん殴ればいいじゃん」とか言ったとしても、そんなの普通は「それはルール違反だ」ですよね。
 しかし、どれもそうした方が効率的ではありますし、全身の筋力を余すところ無く使うという意味での全力を使うコトがスポーツと定義するのであれば、とりあえずは相手をぶん殴るのが一番早いと言えるでしょう。
 
 だけどこんなコトはしません。
 なぜしないのかと言えば、ルールの範囲外だからです。
 
 スポーツはルールの範囲内で、ルールに定められている勝ちを目指して、力や技術を発揮するゲームです
 はじめからスポーツというモノは、ある特定のルールという名の制限を加えて、その中でプレイさせているワケで、サッカーなら手を使わないとかですね、日常的に不自然であってもそんなのは当たり前の話なのです。
 不自然の中で最大限力や技術を発揮するのがスポーツなのです
 
 そしてそれには当然カーリングも当てはまります。
 「ストーンをいかに正確に滑らせるのかという技術を競う」
 立派なスポーツじゃないですか。
 
 では将棋などのゲームもスポーツなのかという意見も出てくるかもしれません。
 しかしこれは定義が難しいんですよね、実際。
 将棋をスポーツだと定義しているモノもあったような気もします。
 ただ、基本的にスポーツは「体を使う」という定義もありまして、将棋などは最低限体が使えなくとも出来るゲームではあります。
 碁盤を見て差し手を告げれば、他人に変わりに駒を動かしてもらっても、勝敗には一切影響を及ぼしませんよね。
 だから、将棋などはスポーツではないとしたとしても、それは間違いではないと言えるでしょう。
 
 カーリングは違いますね。
 明らかに人の体を使って技術を競うゲームです。
 選手以外の他人に変わりに投げてもらうなんてコトは不可能です。
 スケートリンクの一定の距離において出来るだけ多くのストーンを中央近くに寄せられるか、というのがルールであって課せられた制限であって、その制限において技術の全力を尽くすスポーツがカーリングなのですから、カーリングを「筋力を全力で使わないからスポーツではない」と言うのであれば、同じようにバスケットボールもサッカーも野球もスポーツでは無くなります。
 もしこのように言い出したら格闘技だけがスポーツになってしまいま・・・いや、格闘技だって道具を使わない等のルールが存在するのですからスポーツにはならないですよね
 では戦争だけがスポーツ・・・いや、戦争にだってルールはあるんですからやっぱりスポーツにならないですね。
 ではルールが存在し得ないテロルだけが真のスポーツだというコトになります
 
 いやあ、スポーツってほんっとうにこわいですねぇ。
 

平成18年2月28日

 謝罪会見のポイント

 28日午後2時45分に永田議員が記者会見を行うそうですが、今のうちに内容のポイントを挙げておきたいと思います。

 1.武部次男さんへの謝罪
 2.武部次男さん周辺への謝罪
 3.ホリエモンさんとライブドア関連の人たちへの謝罪
 4.武部幹事長への謝罪
 5.自民党への謝罪
 6.国民への謝罪
 
 7.武部次男さんと周辺の人たちへの補償
 8.ホリエモンさんとライブドア関連の人たちへの補償
 9.武部幹事長と自民党への補償
 
 10.国会という場で、根拠のない問題をでっち上げたコトに対する見解
 11.国会という場で、国会議員が民間人を誹謗中傷し貶めたコトに対する見解
 
 12.あのメールの真偽
 13.もし偽物である(本物と断定できない)なら、なぜ前原代表を始めとした議員が「確証はある。後で出す」という発言をしたのか。どういう意図でああいう発言をしたのか。ウソだったのか。それらの見解。
 14.ウソだった場合、国会や委員会という議事録に残る国権の最高機関でウソをついたコトに対する見解。
 
 15.永田議員の進退
 16.前原民主党代表の進退
 17.民主党幹部の進退
 18.民主党の体質について

 なんか、やたら長くなってしまいましたけど、これぐらいはポイントがあるでしょう。
 それだけ重要な問題なのです、これは。
 
 まずは、民間人を誹謗中傷したコトに対する謝罪と補償をキチッと明言するかどうかです。
 メールの真偽はここでは問題ではありません。
 仮に億に一つでもこのメールが本物だったとしても、それはそれを証明して初めて証拠能力が認められるモノなのであって、本物でもそれを証明できない時点では全く無意味の存在でしかなく、それで物事を動かせる動機にはさっぱりならないワケで、今の時点はどっちにしてもこの段階なのですから、どうやっても「これが証拠だ」と言ってもそれは誹謗中傷にしかならないのです。
 証拠という弾を詰め込んで、初めて正当な批判が出来るワケです
 
 つまりそれは、国会議員が国権の最高機関である国会で、根拠がないまま民間人を誹謗し中傷したという行為は、ある意味戦前のアカ狩りにも似た、最悪の行為なのです。
 戦後民主主義最大の悪行、そして日本憲政史上最大級の悪行を今回やってしまったのです。
 それを民主党と永田はちゃんと認識しているのか、そしてちゃんと補償するつもりがあるのか、まずはこれが最も基本であり大切なポイントです。
 
 そしてこれはホリエモンに対しても同様です。
 いくらホリエモンがいま容疑者という立場だったとしても、その容疑と今回の問題は全く別問題であり、決して容疑者であればなんでもかんでも陥れていいというコトにはなりません
 そして当然ホリエモンは民間人です。
 このでっち上げの騒動によって、ライブドアと武部次男さんの会社はひどい風評被害を受けたコトでしょう。
 それらを永田議員と民主党はキチッと補償する義務がありますので、ここがもっとも重要なポイントです。
 
 あと、関連して自民党にも風評被害を及ぼそうとしたので、補償とまでは必要ないかもしれませんが、少なくとも謝罪が必要でしょう。
 それから、無為に国民を騒がせた責任というモノも、国会議員として考える必要があると思います。
 
 そして、国会という日本の最高権威を、こんな3流以下の大嘘スキャンダルの舞台にしてしまったという罪です。
 国会議員であれば、日本の権威に繋がる国会の権威を大切にする義務があるでしょう。
 こんなくだらない問題にならない問題で、しかもウソをついてまで国会が空転するなんて、外国に対して恥もいいところです
 この辺もキチッと責任をとってもらいましょう。
 
 最後に、彼らの進退です。
 「責任をとる」という言葉は、決して職を辞めるという意味ではありません。
 最近では安易にこのように考えている人が多いような気がしますが、しかし本来の責任をとるとは、問題をどう収拾し、必要ならば被害をどう補償するか、それは金を払うという意味だけではなく、出来るならば原状回復をする、時間の問題などでそれが出来ないのであればそれに見合う変わりの補償をする、そして被害者の原状回復に近い状態に補償をしケジメを付ける、というのが責任をとるという意味です。
 その後、その人が自分を罰し律するという意味で進退をどうこうするというのなら、それは勝手だと思いますが、しかしまずは責任をとってからでないと、それはただの逃げです
 なにやら今の段階で永田議員は議員辞職しないのではないかという話が聞こえてきていますが、それ自体はそれでもいいと思います。
 重要な点は進退ではなく、キッチリと被害者に対して誠意を示せるかどうかが一番重要なワケです
 
 
 というワケで、これらのポイントをしっかりと注目していきたいと思います。
 

平成18年2月28日

 永田議員は0点

 というワケで、永田議員の記者会見について、評価をしていきたいと思います。
 
 まず、会見前にアップした更新の中で挙げました各項目に対して、永田議員の会見で触れた項目を書きだしてみますと、なんと18項目中、「6」「12」「15」「17」だけです。
 時間だけはやたら長く続きましたが、なんと中身のない会見だったコトでしょうか。
 もはやこれだけでどれくらいダメダメな会見だったかがお分かりになると思います。
 
 根本的に、なにはともあれ一番の被害を被った武部次男さん・武部幹事長・そしてホリエモンの3氏に対して全く直接的に謝罪をしなかったという時点で、自分がどのような罪を犯したのか全く把握していないと言えるでしょう。
 そして反省すらもしていないというコトです。
 これでは一体永田議員は何をするために会見を開いたのか、全く分かりません。
 
 一応、会見の後の記者との質疑応答の際に、記者が「武部幹事長やご次男に対してどう思いますか」という質問をしてから、やっと「十分な調査もなく質問し、名前を挙げて追及したことを大変申しわけなく思っている」と述べた程度です。
 つまりは、記者が突っ込まなかったら、まったく直接の被害者に対して謝罪をしなかったというコトに他なりません。
 ここからも、いつぞやのイラク5バカレンジャーと一緒で、なにか国民が自分に対していっぱい怒ってるから自分が悪いんだろうなぁ、という主体性の無い理由が分からないただ単に謝ればいいんだなぐらいの子供じみた思考回路しか持っていなかったことが伺えると思います。
 
 当然のコトながら補償については、ほの字も聞かれませんでした。
 
 結局彼の口から発せられた言葉というのは、国民への命乞いと、メールに対する今の自分の感想だけでした。
 そのメールすら、今でも否定しきれず、ただ「今の段階では証明できない存在」と、あくまでウソメール・偽メールだったとは認めていません。
 また、情報提供者についても、今でも信用しているそうで、その人は今でもあのメールを「本物だ」と言っているらしいのですが、それでも名前を出すつもりは無いそうです。
 そして、いろいろと言い訳していましたが、なぜこのメールを本物だと信じたのかという部分については、「その情報提供者とは前々から信頼関係があって、彼が本物だと言ったから信じた」としかまとめようのない内容でした。
 従って、これからもこのメールについては情報収集と分析を続けていくんだそうです。
 なんか全然変わって無いじゃないですか、これでは。
 
 また、これはけっこうどうでもいいコトなんですが、永田議員の進退の問題ですが、どうも国会対策委員長預かりという形にするとのコトです。
 なんだかよく分かりませんが、結局自分では考えられない、判断できないというコトですね。
 子供じゃあるまいに、国会議員がなんと情けない。
 そして、辞めないのかという批判に対しては「国対預かりだから」という言い訳で逃れようとしているワケです。
 どこまでも卑怯ですね。
 
 当然、あのメールを根拠にした国会やメディアでの民主党議員の発言、例えば前原代表の党首討論とかですね、それについても釈明も全く聞かれませんでした。
 繰り返しになりますが、一体なにがしたいためにこの会見を開いたのか、全く理解に苦しみます。
 
 この会見を、記者との一問一答をも含めてたとしても、全体をまとめると
 
 ・メールを証明するコトができなかった。
 ・また提供者に関しても情報公開するつもりは一切無い
 ・自分の進退は国対委員長預かりになった。
 ・武部幹事長の次男とは言え、名指ししたのは申し訳ない
 
 これだけですし、これだけでも全く何も問題が変わってないコトが伺えます。
 メールを証明できなかったコトに対して、もし詫びる人かいるとしたら、それは民主党の議員に対してだけであって、しかしこの問題の本質は無実の人間に冤罪を押しつけ、誹謗し中傷し名誉を毀損して貶めたというコトなのですから、「メールを証明できなくてごめんなさい」では本件に対してなんら謝罪したコトにはなりません。
 また、情報提供者に対する質問も一切受け付けないという姿勢は、これは「本物である調査はいつまでもするけど、ウソだったという調査は一切しない」という意味でありますので、つまりは、いつまでたってもウソだとも本物だとも説明の付かないモノであるという立場で、ほとぼりが冷めるまで逃げようとしているだけの話なんですね。
 そしてそのほとぼりが冷める時間を稼ぐために「国対委員長預かり」という便利な立場を作ったのでしょう。
 責任を追及されないよう棚上げし、自分には決定権がないかのような顔をして、時間稼ぎをしようとしているのです。
 
 極めつけは、直接の被害者への謝罪の欠落です。
 永田議員の言い分は、「幹事長の二男とはいえ、私人の名前をあげて追及したことに大変申し訳なく思っている」というモノでしたが、これは本来の意味でも謝罪ではありません。
 本来は「武部次男さんをウソの情報で貶めてしまいまして、名誉を傷つけましたことを、深く反省し、謝罪申し上げます」と言わなければならないのですけど、この永田議員の言い方では「私人をダシに使って悪かったな」程度にしか読みとれません。
 裏を返せば、「私人の名前さえ使わなければOKだった」もしくは「公人の名前ならどんなコトにでも使って構わないと思っている」というコトですから、全くこの問題を起こしたコトに対して反省していないんですね。
 
 というワケで、三回目ですが、何がしたかった全く分からない会見でした。
 というか、「もしかしたら本物のメールなんだー」と強弁する開き直り会見だったとも言えるでしょう。
 よって、謝罪会見としては0点です。
 

 

平成18年3月1日

 失敗した人が責任をとるということが当たり前の国にしたい

 タレコミ板でいただきました、永田議員の過去のインタビュー記事が、今読むとあまりにも面白すぎるために、ちょっとご紹介をさせていただきます。
 いや、もう、なんて言いましょうか、これほど「お前が言うな」というセリフが似合う人もいないんじゃないかと思ってしまいます。
 知れば知るほどこんな卑怯な人間がいたのかと、目を覆いたくなってしまいます。
 

 ◆ 失敗した人が責任をとるということが当たり前の国にしたい
 
 ────日本はどうなったらいいですとか、日本をこういう風にしたいといったお考えがあると思いますが、それはどのようなことでしょうか
 
 失敗した人は責任をとるような「当たり前」の国にしたいですね。「当たり前」って言葉を軽々しく使うべきではないけれども、今の日本というのは、責任をとらないような国になってしまったんですよね。
 銀行がバブルの頃にむちゃくちゃなことをやって不良債権の山を積み上げたけども、元役員が自分の持ってるお金を出してそれを埋め合わせたという話は一度も聞いたことがないですよね。
 生命保険会社も昔は5%なんて馬鹿みたいな金利をつけていて、昔は生命保険を販売しておきながら、営業の努力もせず、コスト削減もせず、ただ5%というおいしい看板だけぶら下げておいて安易に保険を売っておきながら、いまさらその約束は果たせませんといって、約束金利を下げようとしてますよね。
 でも、下げたところで役員が責任とるのかっていうと、取らないんですよ
 
 そして役人は、むちゃくちゃ身勝手な組織拡大を目指した法案を作り、国民全体のためではなく自分たちのためにその政策を作りつづけてきました。
 その結果として、日本はこんなにぼろぼろになってしまった
 でも、誰一人として責任をとろうとしない
 BSEの問題で農水省の事務次官はクビにはなったけれど、退職金は減らされてない。
 審陽の問題で大使館、阿南中国大使は更迭されてもいないですよね。
 おそらく退職金もとるでしょう。
 さらに言えば国の借金を700兆円まで積み上げた自民党、これは未だに政治の座に居座り続けて、お天道様の下を大手を振って歩いているわけですよ。
 こんなことが許されるんだったら、何でもありってことになってしまうわけですよ

 何度読んでも笑えます。
 
 民主党国会議員がむちゃくちゃなことをやって、風説の流布、名誉の毀損、権力の横暴などの山を積み上げたけども、元民主党国会議員が自分の持っているお金を出してその補償をするという話は一度も聞いたことがないですよね
 ただ「疑惑があった」というおいしい看板だけぶら下げておいて安易に私人を貶めておきながら、いまさらメールが本物だと断定できない段階に至ったといって、追求から逃れようとしてますよね。でも、断定できなかったと言ったところで民主党議員が責任とるのかっていうと、取らないんですよ
 そして民主党は、むちゃくちゃ身勝手な組織防衛を目指した甘ったるい処分を下し、国民全体のためだけではなく自分たちのためにその政策を作り続けてきました。
 その結果として、日本はこんなにぼろぼろになってしまった
 でも、誰一人として責任をとろうとしない
 さらに言えば私人の名誉を甚だしく毀損した民主党と永田議員、これは未だに政治の座に居座り続けて、お天道様の下を大手を振って歩いているわけですよ。
 こんなことが許されるんだったら、何でもありってことになってしまうわけですよ
 
 いやあ、ホント笑えます。
 どこまでも卑怯であり、他人をバカにしつづけてますね。
 

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