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平成18年3月1日

 不正のための仕事ではなく、仕事のために不正をしてしまう

 なんだか、最近は世論や特にマスコミが正常な判断を下しているところが逆に不気味だったりするんですが、まぁまともな読解力を持っている人なら、あれが全然謝罪になっていない、むしろ開き直りの態度でしかないというのは簡単に理解できますよね。
 むしろ民主寄りのマスコミすらも誤魔化せないぐらいのひどい会見だったとも言えるでしょう。
 さすがの小泉さんもいつもより語気が荒いように感じます。
 自民党自体も公開質問状を送ったりと、キッチリとけじめをつけさせるつもりでしょう。
 もちろんここまで国会と政治の品性を貶めたんですから、責任は、そうご自身がおっしゃるとおり、失敗したからにはキチンと責任をとってもらいましょう。
 
 ただ、ここまでの動き、後になってから某イラクの時のように、また官邸の陰謀だとか、ネットの陰謀だとか言われるんでしょうかね。
 自作自演説とか。
 とりあえず今のウチに、少なくとも当サイトはそうでないコトを明言しておきます。
 
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 
 さて今日は、たまには気分を変えまして、こちらの記事について述べたいと思います。

 私有パソコンの業務禁止 防衛庁、流出防止へ検討会
 
 防衛庁は24日、海上自衛隊の「秘密」情報がインターネット上に流出した問題を受け、再発防止対策検討会(委員長・高木毅防衛政務官)を発足させ、初会合を開いた。
 会合に先立ち、守屋武昌事務次官は、緊急対策として、全国の自衛隊員に対し、現在許可を得れば認めている私有パソコンでの秘密情報の取り扱いを今後全面禁止とする通達を出した。このほか(1)私有パソコンに保存した秘密情報や必要がない情報の削除(2)ファイル共有(交換)ソフトの削除−を求めた。
 高木氏は検討会で、陸海空幕僚長ら各機関のトップに通達内容の徹底を要請。秘密保全と情報セキュリティー確保のための抜本的対策を検討するため、3つの作業部会を設けることを決めた。

 正直、これは自衛隊の人かわいそうだなぁと思わざるを得ません。
 自衛隊の現状についてはやえはよく知りませんし、自衛隊に知り合いはいますけどわざわざこんなコトを聞こうとは思わないですが、しかしそもそもそれ以前に、「おそらく私有を使わざるを得ない現状があるんだろうなぁ」と安易に想像できてしますから、そう簡単に自衛隊の人を責める気持ちにはなれません。
 簡単な話、必要であるのに支給されない、支給数が人員数を大幅に下回っているんだろうと、そういう現実があるのでしょうから、私有でも使わざるを得なかったのでしょう。
 
 自衛隊に関しては、よく内情をご存じのこちらの方の文章をお読みになってみてください
 やえもほぼ同意です。
 
 この問題というのは、自衛隊だけの話ではありません。
 もちろん大なり小なりこれは官と民に関わらずある話なのでしょうけど、例えばやえの得意分野である政治系で話をするのであれば、これは秘書給与の話に繋がります。
 一時期秘書給与を議員が搾取していたと、辻元議員さんの辞職あたりで大変話題になりましたけど、その話も結局突き詰めれば、議員の歳費があまりにも少ないからああいう問題が起きてしまったと、根本的にはそういう話なのです。
 
 よく議員の歳費をサラリーマンの給料と比べるような話がありますが、あれは全くの筋違いなワケでして、比べるのであれば事業収入と比べなければフェアではありません。
 すなわち、議員の歳費からは、議員の活動費から事務所の家賃から経費から、また秘書の人件費、そして選挙費用と、これら全てを賄わなければならないワケですから、まさに民間で言う事業費なんですね。
 そして、実質的には、今の国会議員の歳費では、これらを全て賄うことは不可能と断言してもいいくらいなのです。
 
 となれば、どこかで補充しなければなりません。
 一般的には、これを献金と政治資金パーティーで補うというのが普通です。
 しかしどちらも他人からお金をほぼ無償でもらう行為なワケですから、そう簡単にできるコトでもありません。
 よく「政治家はパーティーすればすぐにお金が集まる」なんて言う人いますけど、現実はそんなに甘くなく、パーティー券を売る労力というのは、とても大変なモノがあるのです。
 簡単な例で言えば、いま杉村タイゾーちゃん議員がパーティーを開こうとしても、企業と深い付き合いをタイゾーちゃんが持っているとも思えませんし、個人有志で数枚売れたとしてもそれだけではとてもじゃないですけどパーティーの体面を整えられないでしょう。
 さらに特に野党なんかに対しては、企業からしてみれば見返りもあまり期待できませんし、そうなれば誰が好きこのんでお金をドブに捨てるのかという話になって、ますますお金が足りなくなってしまうワケです。
 このようにパーティーは大変ですし、献金をもらうなんてさらに難しいワケなのです。
 
 ではお金がないところはどうするかと言えば、もはや秘書の給与をちょろまかすとか、そういう方向になってしまうんですね。
 
 ここでよく考えてもらいたいのは、このような事例でも「不正をするために仕事をしていた」というワケでは決してないコトです。
 むしろそれは逆で、「仕事を全うするために不正をせざるを得なかった」というのが事実であり、現実なのです。
 もし、不正をしないというコトを絶対とするのであれば、もはや仕事に対し手を抜かなければならないコトになります。
 というか、出来ないのですから仕方ありません。
 本来求められているような仕事を十分に発揮できない変わりに不正もしないと、そういうコトになります。
 
 自衛隊にしても国会議員にしても、「サボれるなんてラッキー」と言えてしまえるほど職業倫理は低くありません。
 となれば、どうしても「私有パソコンを使えばできるんだから」とか「ちょっと秘書に我慢してもらえば」とかという答えに到達せざるを得なくなるんですね。
 国会議員も自衛隊もどちらも日本に直結する仕事なのですから、日本のためを思えば、個人の感情を捨て懐を投げ出し、公のために尽くそうとしたという見方もできるハズです。
 
 そして、この問題、私有パソコンを使わせない(随報流出防止)や秘書給与流用などの不正を無くしたいと思うのであれば、ただ頭ごなしにヤメロと言うのではなく、むしろそうしなくてもしっかりと仕事が出来る環境を作ってあげるコトでしか解決は出来ないでしょう。
 しつこいようですが、不正をして個人が利益を得ようとしたのではなく、公のための不正をせざるを得なかったのですから。
 ですから、ちゃんと必要な人員に対してパソコンぐらいは支給する、政治家にも歳費をそれなりに渡す、秘書も公設をもっと増やす、せめて公設全てにはパソコンを渡す、それぐらいはする必要があるでしょう。
 
 一番最悪なのは、出来ないからやめたと、仕事を投げ出されてしまうコトです。
 そしてそれは、出来ない環境を作った方が悪いのですから、いつまでたっても悪循環なのです。
 こんな悪循環は、決して日本のためにはならない、いえむしろマイナスにしかならないでしょう。
 この辺のコトを、多くの国民にも理解してもらいたいと思います。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、私よりも公をとった方々の想いを応援しています。
 

平成18年3月2日

 小泉メルマガレビュー

 小泉内閣メールマガジン 第224号 ========================== 2006/03/02
 
 [らいおんはーと 〜 小泉総理のメッセージ]
 ● 格差社会?
 小泉純一郎です。
 2月26日、トリノ・オリンピックが閉幕しました。フィギュアスケートでは、荒川静香選手が見事な演技で金メダルを獲得、電話で直接お祝いの言葉を伝えました。スケーティングもよかったですが、プッチーニのオペラ、トゥーランドットの選曲がまたよかったと思います。
 
 本当に荒川さんにはミミ彡  ゚̄ ̄'〈 ゚̄ ̄ .|ミミ彡 感動したっでしたね。
 そして小泉さん、すぐさま電話するところがさすがです(笑)
 そしてそして音楽にも感動する小泉さん。
 文化好き総理の本領発揮ですね。
 
 アルペンスキーでは、皆川賢太郎選手と湯浅直樹選手が4位と7位に入り、日本人として50年振りに入賞をはたしました。私もスキーは好きなので、テレビを観ていて思わず力が入りました。皆川選手と3位の選手との差はわずか0.03秒。50年前の銀メダリスト猪谷千春さんによれば、30センチの差だそうです。本当に惜しかった。これからに希望が出てきましたね。
 持てる力を出しきることができた選手も、思うようにいかなかった選手も、頑張っている姿に感動しました。
 
 皆川選手は前半は3位だっただけに、とても惜しかったですよね。
 でもそれよりもやえが気になったのは、アルペンスキー男子代表のみなさんの髪型です。
 
 記者会見の時、気になって気になって仕方なかったりしたんですが、ま、まぁ、とっても個性的ですね(笑)
 ミミ彡  ゚̄ ̄'〈 ゚̄ ̄ .|ミミ彡 感動したっ
 
 アメリカの代表としてフィギュアスケートのペアに出場した井上怜奈選手、お父様が肺ガンで亡くなられ、自らも肺ガンの宣告を受けながらアメリカ国籍をとってオリンピックに出場。すばらしい演技をされましたが、人生そのものがもっとすばらしく感動的ですね。これからも頑張っていただきたいと思います。
 ほかにも、多くの選手がけがや病気、スランプを人一倍の努力で乗り越えていることを知りました。選手のみなさんには、これからも競技に、またこれからの人生に、体を大事にして、頑張っていただきたいと思います。
 
 井上選手は、過去に日本代表としてもオリンピックに出たコトがあるそうで、こういう例は日本ではおそらく初めてなんじゃないかと聞いています。
 井上選手に対してはどっちかと言えばエキシビジョンの方が印象が深くてですね、エキシビジョン出場予定選手が出場を断ったコトから急遽井上ペアに打診したそうなのですが、それなのにまさにエキシビジョンらしいエキシビジョンスケートを披露されていて、それがとても楽しかったのです。
 ミミ彡  ゚̄ ̄'〈 ゚̄ ̄ .|ミミ彡 感動したっ
 
 最近、「改革には光と影がある。構造改革を進めた結果、社会の格差がひろがった。」という声をよく耳にします。
 どの国にも、どの時代にも、ある程度格差はあると思います。そういう中で、どのようにして活力ある国にしていくのか。一人ひとり持てる能力はそれぞれ違うわけですから、その力をどうやって活かしていくのか。
 私は、一人ひとりの違い、多様性というものを認めながら、それぞれの能力を高めていく努力をうながし、創意工夫を発揮できるような社会、努力が報われる社会を作っていくことが望ましいと考えます。
 
 やえは正直言いまして、どうもこの「格差が広がっている」論には疑問です。
 例えば「広がっている」としている根拠として、テレビ朝日が発信している「報道ブーメラン」というメールマガジンでは

 「格差社会」の進行を裏付ける数字には事欠かない。
 貯蓄残高ゼロの世帯の比率は、2005年には23・8%と、10年前の約3倍に増えた。
 一方、貯蓄がある世帯の平均貯蓄額は10年前より2割多い1544万円に増えた。

 という数字を出しているのですが、しかしこれっていうのは、ニートなどが増えているという社会背景を鑑みるのであれば、ニートが貯蓄をするとは思えませんので、この数字というのはそういうコトなのではないでしょうか。
 つまり「格差が広がっている」と表現するよりも、「貯蓄する意識を持とうとしない人が増えている」と表現した方が適切なのではないかと思うのです。
 一般的に「格差が広がっている」と表現する場合には、自分が望まないのに自分と上との差が広がるという意味に取られるワケですから、自ら望んで貯蓄しないのであればそれは格差が広がっているとは言えないと思うのです。
 この他にもいろいろと数字は出されていますが、どれも他に考えるべき背景がある資料のばかりのような気がしてならないのです。
 
 基本的には、企業も国も地域も個人も、自らを奮いたたせて、自分のことは自分でやるんだという「自らを助ける精神」と、他人に迷惑をかけないよう「自らを律する精神」、この「自助と自律」の精神をもって行動することが、どのような時代にあっても大切なことではないでしょうか。
 同時に、どうしても自分の力だけではやっていけない人々に対して、どうやってお互いが助け合うのか、あるいは公の機関なり国が支援の手を差し伸べるのか、これが大事です。
 
 今まで通り精一杯やってきたのにも関わらず、どんどん下に落ちていっているのでしたら、これは問題です。
 しかし、今まで通りやってきて、絶対値的に今までと変わらないのであれば、それは別に問題とは言えないのではないかと思います。
 自分ではない誰かが上に駆け上っていったとしても、それはそれで他人の人生であって、自分と比べて相対的に差が付いたとかいうふうに考える方が間違い、というよりも、もはやあさましいと言えるのではないでしょうか。
 人間社会が決して努力だけで全ての結果が出るワケではないコトは、社会人ならだれでも知っているコトであって、つまり社会では残念ながら運によっても結果は作用するワケで、いくら「あの人と努力したのにー」とか言っても、それは詮無いコトです。
 だからいくら他人と比べても仕方のないコトで、今の自分がどう生活できているのか、それが最も重要な話なのであって、それだけで「格差が広がる」とか言っても意味のない話でしょう。
 ですからもし、今まで通り精一杯やってきたのにも関わらず昔より生活が悪くなっていっているというのであれば、それは是正すべき問題です。
 そしてそれは、「同時に、どうしても自分の力だけではやっていけない人々に対して、公の機関なり国が支援の手を差し伸べるのか、これが大事です」という小泉さんの言葉通りなんだと思います。
 
 改革を進めようとすると、現状に満足している人、あるいは現状に慣れてしまっている人は、「現状維持がいい」と言いますが、どのようにして多くの人が活力を発揮でき、自ら持つ潜在力を顕在化できるチャンスをたくさん提供する社会にしていくのか、そのための改革を進めてきました。
 挫折した人も、一度や二度の失敗にくじけず、「失敗は成功のもと」と考え、また挑戦できるような社会にしていくための改革が必要だと思います。
 
 今の段階というのは、結果に対してどうするのかというレベルではなく、まずは挑戦しやすい社会、そして2度目3度目もチャレンジ出来る社会を、どう構築していくかという問題に取り組まなければならないのではないでしょうか。
 よく言われますが、日本は2度目が難しい社会です。
 そしてこれは失敗が出来ない社会とも言えます。
 転じてそれは、失敗をおそれ大胆な行動ができないコトを示します。
 これを是正するコトは、これからの日本にとってとても必要なコトだと思います。
 「格差社会」「格差社会」と言って足を引っ張るようなコトをするのではなく、今これから前に進むにはどうしたらいいのか、というコトを考えるべきなのではないのでしょうか。
 
 
 
 [編集後記]
 今週号は、「食育」をテーマに特別寄稿とキーワード解説をお届けしました。食育と聞くとなんだか難しそうに聞こえますが、その季節の旬の自然の食材を美味しくいただくという、これまでごく当たり前に行われてきたことがまさに食育なんだと思います。
 
 こんにちは、じんえん先生。
 なんだかちょっとお久しぶりですね。
 ところで食育については、スペースの関係上省略させていただきましたー。
 しかしどちらも興味深いお話をされていますので、ご興味のある方は是非読んでみてください。
 
 自分が子どもの頃、春先に一番美味しいと思ったのは「ふきたち菜」です。当時、富山では、稲刈り後の田に菜の花や大根、蕪などの種を播くのですが、芽を出した菜は雪の下に埋まって冬を越し、雪解けとともに「ふきたつ」ように大きくなるのです。だから、やわらかくて甘いのでしょう。その「ふきたち菜」で作ったおひたしが美味しかったことを今でも忘れられません。 明日は桃の節句です。お子さんたちの健やかな成長を祈りたいと思います。(じんえん)
 
 ああ、おいしそうですねぇ。
 でも、菜の花や大根、蕪などの芽を食べてしまったら、収穫ができないんじゃないですか?
 それとも始めから芽を採るために撒いたのでしょうか。
 ああ、天ぷらが食べたくなってきました(笑)
 明日は桃の節句ですね。
 女の子はやえのようにみんな和服を着ましょうー(笑)
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、らいおんはーとを応援しています。
 

平成18年3月3日

 N・H・K、N・H・K

 まず、以前お伝えしましたオリンピックで金メダルを取りました荒川さんの、日の丸を掲げてのウイニングスケートをNHKが放送しなかったという問題なのですが、やはり情報を集めていたら「これは本当にNHKの悪意なのか」という疑問がかなり残るようなのです。
 この前やえは、日本の放送は「ジャパン・コンソーシアム」という放送談合体で作られていますと言ったのですが、いろいろと調べましたらフィギュアの映像そのものは、国際信号制作局というところが制作していたらしいのです。
 さらに、今回のフィギュアに関して実務的に映像を撮っていたのはアメリカの放送局NBCだったというコトのようなのです。
 つまりですね
 
 NBC(フィギュア映像担当)→国際信号制作局(元請け)→NHK(実況等制作)→ジャパン・コンソーシアム→各放送局→お茶の間
 
 という流れに多分なるんだと思います。
 ごめんなさい、やえ、放送業界の知識があまりありませんので、もし間違いがあれば指摘していただきたいのですが、よって、ウイニングスケートを放送しなかったのは、どっちかと言えば国際信号制作局の判断、さらに言えばNBCの判断だと言えるワケなのです。
 となれば、やはりNHKが悪意があったと断ずるには難しいでしょう。
 
 放映権の権利というのはかなり複雑なようで、おそらくライブ中継の場合には国際信号制作局が制作した映像しか使えないコトになっているでしょうから、NHKのライブ放送では、仮にNHKが自前カメラを持ち込んでいたとしても、生放送の形でウイニングスケートを放送するのは難しかったのではないかと思われるワケです。
 また、その後の時間から放送されたNHKのニュースの中では、ウイニングスケートを放送していたらしいので、そういう事情もあり得ると思えるワケです。
 
 というワケで、やはり今の段階では情報不足です。
 ですから、この段階ではNHKが悪いとはちょっと言えないでしょう
 少なくとも、国際信号制作局とジャパン・コンソーシアムの契約内容、またジャパン・コンソーシアムと各放送局との契約内容がどのようになっているのかを確認しなければなんとも言えないと思います。
 
 この辺のコトについては、こちらのサイトさんがとても詳しく特集しておられます。 
 また情報があれば教えてください〜。
 
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 
 今日はNHK祭りです。
 こちらの記事をご覧ください。

 NHKが暴力団に「ショバ代」
 
 NHKのドラマ制作スタッフが暴力団関係者に「みかじめ料」を支払った疑惑が15日、浮上した。同局関連会社のNHKエンタープライズが制作した土曜ドラマ「繋がれた明日」の収録で、東京・新宿区歌舞伎町を現場にする際、外部スタッフが10万円を支払った。同社はあくまでスタッフの独断としている。
 同社の説明によると、日本一の繁華街・歌舞伎町での収録は1月18日に行われた。担当の外部スタッフは、同社の番組エグゼクティブプロデューサーに「こういう場所でのロケでは、しかるべき事務所に金銭を支払うべき」と進言していたが、同社は「それはできない」と拒否。一方で外部スタッフは、収録翌日に現場になったビルで営業する店から「ビルのオーナーに協力費を払うべき」と言われ、オーナー側と接触するために新宿区内の指定された場所に出向いた。
 オーナー側との話し合いの結果、外部スタッフは10万円を支払った。領収書のあて先は「NHKエンタープライズ」だった。外部スタッフはこの交渉の事実を伝えず、領収書を同社に提出して精算作業を行った。しかし、今月上旬に同誌の取材から疑惑が発覚。同社は「使途がはっきりしない。領収書に記してある相手側の会社の住所は、撮影で使ったビルのものとは違う」とし、その10万円を同社の経費とは認めなかった。
 もっとも、外部スタッフは同社の名刺を使って仕事をしており、「みかじめ料」の意味合いで不明な10万円を支払った事実は消えない。同社として、オーナー側とは接触しておらず、暴力団とのつながりについては「現在、調査中。15日午前に、警視庁に相談はした」とした。

 これ、すっぱ抜いたのはどこかの雑誌でしたっけ。
 ちょっと前までそれなりに話題になっていたこのニュースですが、やえは全くこれらの報道の仕方に対して同調できません。
 このニュースにかかる論調というのは完全にNHK叩きです。
 最近NHKを叩くのがプチブームのようですが、このニュースはその流れに乗っかったままに反NHKで報道されていました。
 
 もちろん一番よろこんでいたのは朝日ですが。
 
 しかしよく考えてみてください。
 これ、どう見てもNHKが被害者じゃないですか
 だって、NHKは支払いを拒否しようしたのにも関わらず、『収録翌日に現場になったビルで営業する店から「ビルのオーナーに協力費を払うべき」と言われ』て、10万円支払ったワケです。
 記事では「言われ」と言ってますが、これどう考えても脅迫です
 そもそも記事タイトルに「暴力団」と書いているのですから、脅迫以外何者でもないコトは、記事を書いた人すら認めていると言えるぐらい明白でしょう。
 外部スタッフだって払いたくて払ったのではなく、その場所でロケをするためには「事前にトラブルがないようにするため」=「元々その場所では脅迫が日常的に行われている」からこそ、NHKに進言していたという事情ですよね。
 よくよく考えたら、この外部スタッフが一番の被害者だと言えるのではないでしょうか
 (暴力団と外部スタッフがグルだった場合は当然話は違ってきますが、この記事からはそのように見られませんので、そうでない前提で話を進めていきます)
 
 もしNHKに責められる非があるとするならば、それは最初に外部スタッフから始めに話を聞いたときに警察に届けるか、せめて相談すらしなかったというコトぐらいでしょう。
 しかもそれすら同情すべき点があります。
 なぜ外部スタッフがヤクザにお金を払おうと事前に言ったのかと言えば、その場所では日常的に脅迫が行われている場所だからであって、それは警察だって当然その情報は知っていなければならないはずなのですが、それなのに警察は今までまともな対応をしてこなかったからでしょう。
 もし警察が脅迫が日常的にあったコトを知らなかったとしたら、それはそれで大問題ですよね。
 にも関わらず警察は動かないワケですから、そうなれば「警察に頼んでも何もならない以上は素直にお金を払うしかない」と思ってしまうのも、それは致し方ないのではないでしょうか
 さらにNHKとしては外聞を気にしてお金を払わなかったのもまぁ仕方ないコトで、ますます外部スタッフは板挟みに遭ってしまい、最後は自腹でお金を脅し去られた結果になったワケです。
 これをどう責めろと言うのでしょうか。
 
 つまり、一番悪いのは暴力団であるのは言うまでもないですが、その次に悪いのは警察なのです
 NHKは、暴力団に脅迫され、また警察に保護すら受けれなかった被害者です。
 どうしてこれでNHKが責められなければならないのでしょうか。
 
 このニュースでNHKを責める人というのは、では普通の民間人が、警察にも守られもしないままヤクザとまともにやりあえるというのでしょうか。
 それとも他人に対しては「ヤクザと丸腰で徹底抗戦しろ」と言い放っているのでしょうか。
 どちらにしても無責任甚だしい話です。
 
 どうもこのニュースに対する報道の姿勢というのは、あまりにも別の意図が働きすぎているような気がしてなりません。
 普通ならこのニュースを報道する場合、「暴力団のこのような行為は許さない」というコトをまず主張し、そしてその次に警察の職務怠慢を追求すべきでしょう。
 それこそがまともなジャーナリズムの使命だと思います
 
 なんでもかんでもNHKを叩けばいいというモノでは決してありません。
 この例のように、最初に結論ありきで考えてしまうと、物事の本質を全く見落としてしまうコトになり、結果的に害しか生まなくなります。
 どこかの議員ではないですが、問題を追及するためではなく、相手を攻撃する目的だけの批判なんてモノは本来はやるべきではないのではないでしょうか。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、本質の問題についての言及を応援しています。
 

平成18年3月5日

 自虐日本

 実はひそかに疑似トラックバック機能をつけてみたりしているんですが、まだ一件も来ません。
 ヒロシです、と言いたくなっちゃうんですが、まぁこんなモンなんでしょうか。
 いえ、ブログの方々って積極的に情報交換しているってイメージがあったんで、これで混ぜてもらえるかなと思ったんですけど、そういうものでもないんですかね。
 まぁもうちょっと試してみたいと思います。
 だれかトラックバックください(笑)
 
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 
 最近、というかここ数年で、保守言論がようやくまともに日の目を見るようになってから、日本人の基本的気質に対して「自虐的」だという風に表されるコトがよく聞かれるようになりました。
 例えば歴史教育の分野で言えば、普通の国では、自国の歴史はとても素晴らしいと立派だと世界に誇れるモノだと、大なり小なり事実を改変したりまた目をそらしたりことさらに誇大してみたりして、自国民の子供達に教えたりするモノですが、しかし日本だけはそうではありません。
 むしろ日本では、事実だけを淡々と教えるという考え方自体が国際的にしてみれば変であるにも関わらず、さらに「昔は悪かった」と言わんばかりの書き方をしています。
 具体的に言えば、中世は「悪い王様がいて民衆は虐げられていました」とか、近代は「日本軍がアジアを侵略し現地の人たちに対して迷惑をかけました」とか、そのような視点で歴史を教えているワケです。
 また、なぜか日本人は、それをすんなりと受け入れてしまう気質を持っていたりします。
 確かに「奥ゆかしい」というのは日本人の美徳ですが、しかしそれが高じて、自分というのは他人から少々バカにされる程度がちょうどいいというような考え方にまで発展してしまっているワケです。
 
 これはもはや「自虐的」としか言いようがないですよね。
 
 最近は保守ブームに対抗すべく、反対側の考えの人たちもいろいろとそれに対抗して、「それは軍国主義の復活だ」とか「負の部分を教えるコトが本当の教育だ」とか主張し、巻き返しを図ろうとしています。
 確かに、一歩引いて奥ゆかしく振る舞うというのは日本人の美徳ですし、それを捨てる必要は全くと思いますが、しかしやっばりいままでは自虐的すぎた面というのは確かにあったと思いますし、そしてそれは保守思想以外の一般国民の間にも一定の評価を得られているという部分において、ある程度はその評価は正しかったと言えるのではないでしょうか
 現実的にもそれらを是正しようという動きは確実に前進していますしね。
 サヨクは悔しいようですが。
 
 だけど、それでもやえはまだまだ日本人は自虐的だと思っています。
 
 なにもこの気質というのは、歴史教育だけの問題ではありません。
 これは日本人の気質の問題ですから、様々な面において関わってくる話なのです。
 例えば、これはあまおちさんのお話なのですが、もう10年近く前の話でしょうか、「外国人は日本に来るのであれば、日本にいるのであれば日本のルールの上で行動すべきだ」という趣旨のコトをあるサイトの掲示板に投稿しただけで、もうとんでもなく激しいバッシングを受けました。
 「そうだそうだ」という言葉はひとつもなく、バカだアホだという言葉は当然のごとく、一番まともだと見えるような意見にしても「外国人の中にもいい人と悪い人がいる。日本人も同じだろ」というモノで、あまおちさんの「郷に入れば郷に従え」という内容とはあまり関係のない反論と罵声で占められました
 今では考えられない話だと思いますが、ちょっと前までは、外国人に対して文句を言うだけでもバッシングを受けるというのが当時の空気だったのです。
 
 そして今でもそうです。
 
 昔よりは格段に良くなったとはいえ、まだまだ無意識的な自虐意識というのは日本人の奥底に根付いたままです
 次の記事をご覧ください。

 米側が上積み提示 在沖海兵隊のグアム移転費
 
 【東京】在日米軍再編をめぐりハワイで21日(日本時間22日)に開かれた日米実務者協議で、在沖米海兵隊のグアム移転費について、米側が新たに日米共同訓練用施設の建設費も上積みして提示したことが分かった。これまでの協議で米側は移転費として76億ドル(約8132億円)を提示していたが、この額に、日米共同訓練をグアムで実施する際の自衛隊用施設の建設費を上積みし、積算根拠も示した。

 この記事の趣旨は、移転費用の分担を日米でどうするのかというモノですが、それよりも、規模はこの記事だけではちょっと分からないにしても、とにかく沖縄のある部隊がグアムに移転するというコトは決まっているのが伺えます。
 あれ、いつの間にそんなコトが決まっていたのでしょうか。
 今までの話では、沖縄の基地を日本国内のどこかに移すかという話ばかりだったと感じていたのですが、一部とはいえいつの間にか基地がアメリカ本国に帰っていくというのが決まっているようなのです。
 
 これって日本にとってはすごい前進ですよね
 日本の主張をアメリカに飲ませたワケです。
 アメリカにとって日本の基地というのは日本が思っている以上に戦略的に重要で、それは台湾や中国そして北朝鮮に地理的に近いからです。
 まぁ北朝鮮に一番近いのは韓国内の基地でしょうけど、台湾には沖縄がどこよりも一番近いワケでして、そして極東アジアで一番危険なのは北朝鮮ではなく中国であり、その紛争の最も大きなモノが台湾問題ですから、やはり沖縄はかなり重要な基地となり得るワケです。
 それだけにアメリカにとっては是が非でも沖縄に基地を置いておきたいと思うはずなのですが、それにも関わらず日本はアメリカに対して譲歩を勝ち得ているのです。
 
 しかし、日本国内ではあまりこういう視点で見ようとはしませんね。
 もちろん元々日本の領土なのだから返還されて当たり前と言えば当たり前なのでしょうけど、それでも「アメリカのポチ」では決してこんなコトはあり得ないと言えるでしょう。
 国と国との話し合いというのは、誠心誠意お願いをすれば実現するというモノではありません。
 必ずパワーゲームは存在するのですから、この返還はかなり大きな前進のハズです。
 
 
 もうひとつ似たような例があります。
 牛肉輸入再開問題です。
 
 
 
 (つづく)
 

憧れの疑似トラックバック機能を期間限定お試しで付けてみました〜)

平成18年3月6日

 自虐日本(下)

 (つづく)
 
 
 もうひとつ似たような例があります。
 牛肉輸入再開問題です。
 
 なんだか国内ではこの問題を「アメリカの圧力に屈した形で再開を決め、だからこそ問題を見抜けなかった」というような趣旨の論がかなり見られるワケですが、これもあまりにも恣意的な見方でしかないのではないでしょうか。
 だってこれ、単純に考えて、お願いしているのはアメリカですよ?
 アメリカの方が「お願いします。アメリカ国内の牛肉業者が困って入るんです。頼みますから輸入させてください」って言っているワケですよ。
 さっきも言いましたように、国家間の交渉にはパワーゲームがありますから、アメリカ側の圧力のようなカードを使っての交渉も当然あるでしょうけど、それでもお願いされているという格好には変わらないワケです
 そういう経緯の上で日本はこの前、「分かった分かった。そこまで言うなら、アメリカさんにもこちらは恩はあるし、多少国民世論の反発はあるだろうけどそれを甘んじて受けても、条件付きで再開しましょう。」と、ある意味恩を売る形で再開させてあげたワケですね。
 国家間だろうが会社間だろうが個人間だろうが、恩を売り合うというのは交渉の基本ですよね。
 そして今回はアメリカが日本の提示した条件を破ってしまったので、「駄目だよ、せっかく日本政府が多少なりとも泥をかぶってあげたのに約束を破ったら。だからまた禁止にするからね」と、再禁止したというコトですね。
 
 どう考えても、イニシアティブは日本にあるようにしか見えません。
 
 ちょっと前ですが、これテレビで見たんで記事が見つからなくて申し訳ないのですけど、外国人記者倶楽部から誰かへの質問で、こういうような質問がありました。
 「どうして日本は軍事問題はアメリカに下手にばかり出ていたのに、牛肉問題だけは強気に出ているのでしょうか」
 なんだかとっても日本人としては腹立たしいと感じるのですが、しかし冷静に考えればけっこう的を射ている質問でしょう。
 やはり向こうの人からすれば、この問題に関しては日本の方が強気に出ている、イニシアティブを握っていると感じているワケです。
 だって、アメリカはアメリカ国内の農家のために外国に対してお願いしているワケなんですからね
 
 アメリカに対する問題をいざ中国に対して向けると全然見方を変える人というのは実はいっぱいいますが、この問題もそうです。
 いま日本の企業が中国の市場に参入するために、中国に対してすごく媚びを売っていて、こんなのはけしからんと言っている人がとても多いワケですが、これはまるっきりアメリカの日本に対する牛肉の問題と構造は同じなワケです。
 いえ、日本の中国に対する問題というのは、日本企業は現地に工場を造り現地の人間の雇用を創造するという点から中国も日本企業に来てもらいたいという思惑が、隠してはいますけど、実は多分にあるワケで、そういう意味からアメリカとの関係とはまるっきり一緒というワケでは無く、むしろアメリカの願い度の方が高いのですが、それでもなぜか日本人というのは、中国にも媚びを売り、そしてアメリカにもしっぽを振っていると思い込んでしまっています
 
 どんだけ自虐ですかと。
 
 日本と中国との経済の結びつきは今では凄く深くなっているコトはもはや否定できない事実ですが、しかし結びつきが深くなっているというコトは、日本も中国もお互いに利も害もあるというコトです
 決してどちらか一方だけが一方的に言われるような関係では全くありません。
 そして日本とアメリカの関係は、今日示しました例を見るだけで、昔より全く変わってきているというコトが明白だと思います。
 むしろポチだったのは数年前までの日本の方がはるかにそうだったでしょう。
 しかし恩を売ったり恩を買ったりして、少しずつですが対等な関係に戻りつつあります。
 前を向き上を目指すコトは大切ですが、けっして自虐になる必要は無いでしょう。
 
 自虐に思うというコトは、それはいつまでたっても自分たちを下の立場に自分で置くというコトに他なりません
 しかも自虐は、客観的観点から見て必要以上に自分を卑下するコトですから、さらに冷静に自分と世界を冷静に見れなくなるというコトに繋がります。
 そして、それは真の意味での対等を目指す、もしくは世界のリーダーとして立身していかなければならない責務を負っている日本にとって、決してプラスにはならないでしょう。
 
 まず必要なのは自覚です
 
 必要以上に自意識過剰になる必要はありませんし、奥ゆかしいという美点も捨てる必要はありませんが、しかし奥ゆかしさというのもまずは自分を冷静に客観点に見れた上で一歩引くという態度なワケですから、まずは「自虐」という態度は改めなければならなりません。
 むしろアメリカや中国のような、強引すぎる手法でどこまでも踏み込んでいく形で牽引するリーダー像ではなく、冷静に現状を分析しお互いを尊重てぎた上で敢えて一歩引いて皆を引っ張っていく形でのリーダーこそがこれからの世界に望まれるリーダー像なのではないかと思います。
 そしてそれは日本がぴったりです。
 いえ、日本にしかできないかもしれません。
 やえは、そういう日本になってもらいたい、なるべきだと思います。
 
 まずは日本人自身がそれに気付き自覚するコトが第一歩だと思っています。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、奥ゆかしいリーダーを応援しています。
 
 

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平成18年3月7日

 オウムは差別されるべきか

 なんだかひさしぶりに出てきたなー。オレダーヴァー。
 
 あまおちさんって、全然出てこないか、出てきたら出まくるか、両極端ですよね。
 
 む、それはオレファンにとってはとってもつらいところだな。
 
 いや、そんな人いないですから、それは気にしなくていいです。
 
 えー、ちょっとぐらいはいるだろう。特に10歳ぐらいの少女とか
 
 絶対いません。というかいたら捕まりますよ。
 
 なぜだー。ファンだけでオレは捕まるのかー。
 
 口に出すだけで危険ですよ。
 
 がーん。
 
 
 
 まぁボケはそれぐらいにしてください。ちゃんと今日も語るんですよね?
 
 語る語る。語る夕べぐらい語る。
 
 いきなり意味が分かりません。
 
 なんだ、タイトルにもあるように、今日はオウム真理教について、というか、この前次男かなんかがどこかの学校に入学拒否されたとかいうニュースあっただろ。あれについてだ。
 
 ああ、これですね。

 オウム松本被告の二男入学、私立春日部共栄中が拒否
 
 オウム真理教の松本智津夫被告(51)の二男(11)が、私立春日部共栄中(埼玉県春日部市)の入試に合格したのに、松本被告が父親であることを理由に入学を拒否されていたことが分かった。
 二男は今年1月に入試を受け合格。入学金など35万円を納めたが、その後、学校側が説明会への二男の出席を拒否するなど、入学を拒否した。矢口秀樹校長は、「松本被告の子が教団の影響下にないとは言えず、他の生徒が安心して勉学に励む環境を害する恐れがある」と説明している。

 ああこれだ。なんか前も長女かだれかで似たようなことなかったか?
 
 同じ記事にありますよ。

 松本被告の子供を巡っては、2004年に文教大に入学拒否された三女(22)が入学させるよう求める仮処分を申し立て、東京地裁が認めた結果、入学している。同じく入学を拒否した和光大には損害賠償を求めて提訴し、同地裁が先月、30万円の支払いを命じた。

 三女だったか。しかし春日部共栄中もすでに似たような判例が出ているのに、よくこんな措置とったな。
 
 ある意味、信念を持ってこのような行為をとったと言えるかもしれませんね。
 
 そうだよなー。そうとしか思えないこの行為。ま、それはともかくだな、ではこの行為を果たしてどのように考えるべきかを、考えてみよう。
 
 
 
 例えばこれがオウムでなかった場合、これは差別だとされるのではないでしょうか。例えば「外国人だから」とか「部落だから」とか「ハンセン病患者だから」とかですね。おそらくこれらが理由であれば許されない行為だと言えるでしょう。
 
 それはそうだろう。おそらくそんなことは敢えて言うまでもなく多くの人が同意するであろう。ただし、ではそれらはなぜ「許されない行為なのか」という部分を考える必要があるだろう。ただ単に理由もなく「外国人差別は駄目だ」と言ってしまうと、その言葉だけに凝り固まってしまい、全くの例外を許さない考え方になってしまうからな。
 
 はい。では中身について考えてみますが、例えば「外国人」について、これはもう言うまでもなく、あまりにも「外国人」という括りが広範囲に渡りすぎているからです。これでは、アメリカ人も北朝鮮人も一緒になってしまい、もはや論拠としてはかなり薄すぎると言わざるを得なくなりますね。また、「アメリカ人だから」という理由だったとしても同じようにこれでは範囲が広すぎるワケで、アメリカ人全てが一人も残さず入っている属性を理由とするのなら理解できますが、例えば国籍とかの問題ですね、そうでなくて「全体のイメージとして」という理由で禁止するというのは合理的理由になりません。よってこれは差別だと言えるでしょう。
 
 なんだかちょっと分かりづらいなおい。
 
 自分で言ってそう思いました。具体的な例で言えば、「外国人参政権」の問題は国籍そのものが理由の事案なので、この場合はアメリカ人だからという理由は成り立つというワケです。一方「アメリカ人だから部屋を貸せない」というのは、「部屋を貸せない」という理由と「外国人だから」という属性に直接的な繋がりはないですから、これは差別ですというコトです。
 
 当サイトにおける「差別の定義」のひとつ、「その事象に直接関係ない属性をもって行動等に制限を加える」だな。
 
 そうですね。そしてこれは部落やハンセン病にも当てはまるでしょう。学校に入学するコトによって、部落民やハンセン病患者がどう他の生徒に影響を与えるのか、ここに因果関係は全くないワケです。ですからこれらは差別なワケです。
 
 うむ。では今回のオウムの次男や三女についてはどうだろうか。
 
 まずですね、多くの人が忘れている概念があると思うんです。それはですね、「オウム真理教はテロル組織である」という純然たる事実です。まずはこの事実を念頭に置かなければこの問題は考えられないでしょう。
 
 そう。これは多くの国民やマスコミの有識者が忘れてしまっているが、決してオウムは宗教団体ではないんだよな。今の信者はそのように捉えているかもしれないが、しかし地域住民やこの学校も「宗教団体であるオウム真理教(アーレフ)」に対してどうこう言っているわけではなく、「テロル組織としてのオウム真理教」を恐れてどうこう言っているわけなのである。この差が問題を生んでいると言えるわけだが、しかしいくら信者が言おうとも、オウムは所詮テロ組織なのである。組織としてテロルを実行したからにはな。
 
 はい。そして、その上でこの問題を考える上で確認しなければならない問題が1つあります。「次男や三女は今でもオウム真理教(アーレフ)に入団しているかどうか」です。もし次男や三女が現在はオウムとは全く縁がない生活を送っているというのであれば
 
 それは学校が入学拒否するのは理由が存在しないわな。
 
 そうですね。「親の罪も子の罪」という考え方が一般的であれば致し方ない措置かもしれませんが、しかし現代においてはそうではありませんね。ですから、もし次男や三女がオウムと全く関わり合いのない生活を送っているのでしたら、速やかに学校は入学を認めるべきでしょう。
 
 では、「次男や三女が未だにオウム真理教の中で活動している」場合はどうだろうか。
 
 ほとんど常識的な話なんだと思うんですけどね、例えば世界同時革命を目論む日本赤軍を学校に入学させるのか、また同じイラク人でさえテロルの標的としてしまうアルカイダのメンバーも問題ないと入学させるのか、そういう視点で見れば、これはちょっとあり得ない話だと言えるのではないでしょうか。
 
 ここがな、今の日本人が一番忘れてしまっとる事でな、オウムに対して「将来に対しての危険が証明されないのに行動を制限するのは差別だ」とか擁護する意見がいっぱいあるわけだが、んなもん誰に分かるんだよって話で、そうではなくて、いくらそいつがまだテロルをしていないと言っても、その団体はテロルをするために存在するのだから、構成員もテロルをするために存在するとしか言いようがないわけだ。だから行動に制限を加えるのは当然だろって話なんだよな。
 
 こう言うとおそらく「今のアーレフは当時のオウムと違う」と言う人が出てくると思うんですが
 
 一緒やんけと。だって当のオウムが当時のままの団体を存続させているんだからな。変えたのは名前だけで、団体自体は一度も解散していない。だから本来ならあの事件があって麻原が捕まったときに、もし純宗教団体として存続したいと願うなら、まずは反省し、被害者に謝罪と補償をしてから、その後自ら一回解散して新しく作り直す必要があったワケだ。
 
 でも結局現在のアーレフは、一回も解散せず名前だけを変えて、中途半端な補償だけをしつつ、一部では原点回帰の過激集団も見え隠れしているという有様ですよね。
 
 なんだか差別の問題と全然違う話になっちまったが、つまりこれが示している事実とはな、この問題は差別の問題とは違うという事だ。簡単な話、誰が好き好んでテロリストの隣に座るのかって、ものすごく簡単すぎる話だ。
 
 しかも自分からテロルのレッテルを外そうとしない団体なんですから、どうしようもないですよね。
 
 本当に宗教心・信仰心があるなら、団体なんて所詮は無意味なものなのではないかと。信仰心さえあれば団体なんてなくても信じていけるはずなんだから、一回解散すりゃよかったんだよ。それをしない時点でどうやってもオウムはテロ組織だと言うしかない。
 
 
 
 でも、まぁ思想的にはそうなんですが、政治的というか行政的にはつらいところですよね。
 
 うんそうなんだよな。だから本来なら破防法をかけるべきだったんだよ。あれだけ大きな犯罪を、近代日本史上最大級の犯罪を犯していながら、しかし団体自体にはなんら罰は与えられていない。これでは犯罪者の野放しと言っても過言ではないわけだ。だから一回ちゃんと罰を与えるべきだった。
 
 おそらく、自分から解散するぐらいしていれば、今のようなまでの地元住民の反対行動にはならなかったんじゃないかと思うんです。0になるとは言いませんし、それでも反対運動は大規模なモノにはなると思いますが、それでも一回「罪を償った」と形に出る行為、つまり解散をしていれば、住民だってどこかで「ここまでしてしまっていいんだろうか」と頭の隅にでもよぎると思うんですよね。この差は大きいと思うんです。
 
 日本にもテロ組織指定法とかあればもっと簡単なんだがなぁ。それさえあれば白黒ハッキリさせられるんだから、今のような問題は起こらなかった。テロ組織なら入学拒否合法。一回解散しているなら拒否は非合法とな。
 
 未だにいびつな形が続いていますよね。破防法は適応されていないけど、未だに公安からの観察処分が続いている状態ですからね。やえはオウム真理教の教え自体をも肯定する気には全くなれませんが、それでもこれしか生き甲斐がないというような真面目な信者もいるワケです。その人達のためにも一回精算するべきたったのではないでしょうか。
 
 だからこそ、行政的には問題があるんじゃないかと思いつつも、これは明らかに“常識”と法とが乖離してしまっているあまり良くない状態の問題だから、ここで敢えて思想的に主張をしておく必要があると思うわけである。思想的に正しき道を示しておかなければ、また同じ過ちを繰り返してしまうからな。
 
 政治も海外のテロルばかりに目を奪われるのではなく、国内で生まれるテロルの対処とその後の処置についてもっと考える必要があると思います。
 
 
 
 差別の問題に戻るのであれば、差別というのは理由無くして普通ではあり得ない行動や制限を強得られてしまう事であるのだから、逆に言えば、理由があればそれは差別とは言わなくなるわけだ。犯罪者には自由を奪うし労働も強制する。外国人には自国の選挙権は与えない。未成年者には酒もたばこも車の運転も禁止。これらは全て差別ではなく、当然の話なのであるよな。差別とは言えない。
 
 そして、オウムに属している限り、テロリストとして行動に制限が加えられるのも当たり前の話であるってコトですね。
 
 そうだ。オウムを宗教団体だと思いこんでしまって本来の姿が見えなくなっているヤツが多すぎる。思想信条の自由とかなんとか言ってるヤツがいるが、この問題はそうではない。日本には思想信条信教の自由は確かにあるが、しかしテロルをしてもいいという自由は全くないのだ。
 
 オウム信者は、オウム信教を信じているから行動に制限を加えられているのではなく、テロル集団の一員だから制限を加えられている、というお話ですね。
 
 

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平成18年3月8日

 比例選出議員は無所属になれるの?

 もはや伝説になりそうなぐらいの勢いで永田町の話題を一身に集めてしまっている民主党の永田議員ですが、とりあえず明日ぐらいに懲罰委員会が開催されるようですね。
 ここでどのような結論が出るかは分かりませんが、最悪議員の身分を剥奪される可能性もあるワケで、どちらにしても前代未聞と言いましょうか、大変なコトをしでかしてしまったモノです。
 
 ところで、公的な処分はさっき言いましたようにこれからですが、今のところ民主党での内部的な処分はすでに下されています。
 6ヶ月間の民主党員資格の停止ですね。
 つまり、これから6ヶ月間は、民主党としての活動の一切を禁止されたという形です。
 
 しかしここで疑問があるワケです。
 永田議員は比例区選出です。
 南関東選出の議員さんなのです。
 もともとは、というか、本来は小選挙区にも立候補していたのですが、しかし破れて比例復活しているという、いわゆる「ゾンビ」の議員さんです。
 
 それはともかく、つまり永田議員は現在「民主党だから」という理由で衆議院議員の職に就いているワケです。
 しかしそれなのに民主党の党員資格停止とは一体どういうコトなのでしょうか。
 そしてそれは許されるのでしょうか。
 
 衆議院比例議員の辞任等に関する法律として、国会法にはこのように定められています

 第109条の2
 衆議院の比例代表選出議員が、議員となつた日以後において、当該議員が衆議院名簿登載者(公職選挙法(昭和25年法律第100号)第86条の2第1項に規定する衆議院名簿登載者をいう。以下この項において同じ。)であつた衆議院名簿届出政党等(同条第1項の規定による届出をした政党その他の政治団体をいう。以下この項において同じ。)以外の政党その他の政治団体で、当該議員が選出された選挙における衆議院名簿届出政党等であるもの(当該議員が衆議院名簿登載者であつた衆議院名簿届出政党等(当該衆議院名簿届出政党等に係る合併又は分割(2以上の政党その他の政治団体の設立を目的として一の政党その他の政治団体が解散し、当該2以上の政党その他の政治団体が設立されることをいう。次項において同じ。)が行われた場合における当該合併後に存続する政党その他の政治団体若しくは当該合併により設立された政党その他の政治団体又は当該分割により設立された政党その他の政治団体を含む。)を含む2以上の政党その他の政治団体の合併により当該合併後に存続するものを除く。)に所属する者となつたとき(議員となつた日において所属する者である場合を含む。)は、退職者となる。

 この文章、とてつもなく難解な日本語になってしまっています。
 というのも( )が多すぎる上に、( )の中に( )が入っているという、もはや古文書レベル、人に読ませようという気が全く無いコトがコーラを飲めばゲップが出るくらい明白な文章になっています。
 というワケで、趣旨が分かりやすいように、思い切って( )を切り抜きます。

 第109条の2
 衆議院の比例代表選出議員が、議員となつた日以後において、当該議員が衆議院名簿登載者であつた衆議院名簿届出政党等以外の政党その他の政治団体で、当該議員が選出された選挙における衆議院名簿届出政党等であるものに所属する者となつたときは、退職者となる。

 短くなっちゃいました。
 これで分かりやすいですね。
 つまり、比例選出議員が政党を変えたら退職者となる、というコトです。
 
 ここでいくつかポイントがあります。
 まず、この国会法で言う政党とは、何を指し示すかです。
 というのも、普段は単に政党と言っているモノというのは、実は大きく分けて2種類に分かれているモノを、一緒にしてしまっているコトが多いんですね。
 1つは政治団体としての政党であり、もう1つは国会内の会派です。
 この両者はかなり近いと言えるのですが、決して全くのイコールではないんですね。
 
 政治団体としての政党とは、だいたいみなさんがイメージしている通りのモノです。
 自民党とか、永田町に党本部があって朝早くから部会している議員さん達の、あの政党です。
 一応、政党と政治団体にはちゃんとした区別がありまして、政治団体とは正式に政治団体だと届け出をした団体ですが、その中でさらに衆議院か参議院の議員さんが5人以上所属する政治団体が政党と呼ばれます。
 
 一方、会派の方が馴染みがないと思うのですが、これは国会内でのグループのコトを指し示します。
 国会内でこの会派の人数が多ければ、本会議や委員会での質問時間が長くなったり等、力の強い弱いを端的に表すんですね。
 そしてこれは「政党=会派」ではありません
 会派はあくまで国会、もうちょっと詳しく言うと、衆議院参議院の中だけでの「数」のコトを指し示します。
 例えば民主党というのは、実は衆議院では「民主党・無所属クラブ」という会派名であり、政治団体の方の民主党には所属していないけど、会派の方だけ所属しているという議員さんも少ないですがいたりします。
 代表的な人が、田中真紀子さんです。
 マキコさんは、政党的には民主党所属ではありません。
 ですから、民主党代表選挙の資格はマキコさんには無いハズです。
 もちろんマキコさんが民主党代表になるコトもあり得ません。
 しかし、国会内の会派としては「民主党・無所属クラブ」に属しているワケで、この会派で質問に立ったりするコトはあり得るワケです。
 ちょっとややこしいですが、例えば変な話、政治団他としての政党に議員が100人所属していたとしても、会派では10人ずつに分かれていたりしてしまっていると、院内での力は10人の力しか発揮でないワケなんです。
 逆もしかりで、結局国会内で力を発揮するためには会派の数こそが大切になんですね。
 
 で、話は国会法に戻るのですが、この国会法で言う「政党」とは一体どっちの意味なのかという部分が問題になってくるワケです。
 例えば会派という意味でしたら、会派だけ無所属になれば問題がないというコトになりますし、逆に政治団体というコトでしたら、会派は「民主党・無所属クラブ」のままでも問題は無いコトになります。
 
 そこで、よくよく法文を見ると、実は法文には「政党」とは書いてないんですね。
 書いてある単語とは「衆議院名簿届出政党」です。
 これは、選挙管理委員会に選挙前に前もって出しておく名簿のコトでして、参議院では現在は非拘束で順番が無くなりましたが、衆議院の方では未だに順番が存在していていつも選挙のたびに誰が第一位なのか(ほぼ確実に当選するので)と話題になる、あの名簿です。
 となれば、選挙時においては衆議院の場合は議員さんはみな失職しているコトになるのですから、おそらくこの国会法で言う政党とは政治団体としての政党のコトを言うのではないかと思われるワケです。
 
 では実際に永田議員は現在どうなっているのかと言えば、会派は無所属になっていますし、政党も「資格停止処分」になっています。
 色々考えたのですが、永田議員に関してはどっちでも同じだったという、ちょっとむなしい結果でした。
 しかし、ではなおさら比例で選出されているくせに民主党を離れてもいいのかという問題があり、しかし実際に現在でも永田議員は議員であり続けているワケで、この矛盾について考える必要が出てくるワケです。
 
 考えられるコトとして、実は「党員資格停止」とは文字通り「一時的に資格が停止している」だけであって、剥奪はされていないのではないかという可能性です。
 つまり、公的にというか、名簿上では今でも民主党に所属していて、ただ建前だけというか、例えば民主党本部に行こうとしても内部的にそれを止められている、という形を形式的に取っているだけではないかというコトです。
 「資格停止」という言葉からも、この可能性が高いのではないかとやえは踏んでいます。
 しかし、国会という日本で最も権威の高い場で根拠もなく国民を犯罪者呼ばわりしたという大罪を犯した人間に対して、これはあまりにも軽すぎる処分ではないかと言わざるを得ません。
 そもそもどっちにしても6ヶ月程度で処分が終わるというコト自体が甘すぎるのではないでしょうか。
 
 さて、ここまで書いてからやっと気付いたんですが、この国会法、実は「他の政党に移ったときに失職する」と書いてあるんです。
 つまり、えーと、無所属になる分には関係ないというコトになるんですね、この書き方だと。
 えー。
 
 このままでは、どうにもこうにも腑に落ちません。
 ので、思い切って、衆議院の法制局にまで電話して聞いてみました。
 
 やえ「・・・というコトなんですが、どうですか?」
 職員「えーと、この場合、やはり無所属になるのであれば失職はしないですね
 やえ「・・・そうですか。ありがとうございました・・・。」
 
 ガチャッ
 
 えー。
 なんですか、結局、6ヶ月後にはまた民主党に戻るし、そもそも失職しても民主党の議席は減るワケでもないし、よく分からない処分ですよね、やっぱり。
 なんだか今日の文章を書いて、もう一度比例代表制という制度を考えて直す必要があるのではないかと改めて思ってしまいました。
 
 
 うーん。
 

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平成18年3月9日

 トーキョーアニメセンター

  東京都が地主で、運営を小学館が行うという、アニメの世界発信の拠点とすべく設立されました、東京アニメセンターが本日プレオープンされました。
 
 今や「萌え」は誰にでも通じるスタンダードな日本語になってしまい、メイドカフェももはや存在ぐらいは市民権を得ているとまで言えるかもしれません
 
 そんな秋葉原に政治がアニメを後押しし、日本が誇るべく産業に発展させようと意気込むその象徴として設立されたのが東京アニメセンターです。
 しかし、あまおちさんのキャッチフレーズではありませんが、永田町と秋葉原は同じ千代田区にもかかわらず、その性格は180度違うと言っても過言ではないぐらい、交われない存在のように思えます
 例えば小泉さんが大まじめな顔をしながら施政演説で、「アニメも構造改革である。官から民へ、民に出来ることは民に任せ、官はその手助けをする。萌えを世界に発信し、感動を与える一大産業に成長させることが私に課せられた最後の使命だ。ミミ彡  ゚̄ ̄'〈 ゚̄ ̄ .|ミミ彡 感動したっ」とか言ったら、もうビックリです。
 と思ったんですが、小泉さんならなんとなく似合ってしまうところがスゴイです(笑)
 それはともかく、そんなこれからのアニメ業界と秋葉原と日本を背負った東京アニメセンターのプレオープンの様子を、ちょっと小耳にはさみましたもので、さらに写真まで頂きましたので、簡単ではありますがご紹介したいと思います。
 
 
 と、出だしでいろいろと頑張ってみたんですが、実際のところ、アニメセンター自体はちょっとショボかったらしいのです。
 こちらの地図にもありますように、実際にある施設と言えば、玄関のアニメプレスデスク、その奥のショップ、そしてスタジオとシアターの4つだけです。
 あとは喫茶店とレストランの中間のようなカフェがあり、今日はまだ全然形になっていなかったスクールがあるみたいですが、それを勘案しても全体的に狭く、本当にこれで大丈夫なのかなとい思ってしまうような感じだったそうです。
 
 
 入り口
 
 
 入ったところすぐにある巨大ディスプレー。ケンシロウさんが怒ってます。
 こおおおおおおおおおお。
 
 
 メインのアニメプレスデスク。でもパソコンは5台くらいしかなかったとか。
 アニメの制作者や声優などの基本情報がデータベース化されているそうですが
 それだけのモノに果たして価値はあるのでしょうか。
 
 
 巨大立て看板。
 
 
 
 
 ディスプレイされているアニメグッツ。
 おそらく、アニメから派生している二次産業の例として出されているのだ思われます。
 それにしても「ドラえもん」や「ガンダム」など、思いっきり「当たり障りのないモノ」ばかりです。
 
 
 売店です。おまんじゅうとか売ってたそうです。
 まぁ規模等、観光地のおみやげ屋と同レベルだとか。
 
 
 売店のショーウインドウ。
 「エヴァンゲリオン」の設定集でしょうか?「サイン本」と書いてあります。
 また、額入りの、おそらく直筆のアンパンマンのサイン入り絵です。
 そのお値段18万9千円。
 やえには高いのか安いのか分かりません。少なくともやえは買いたいと思いませんが
 どちらも18日からの発売だそうです。
 
 
 「秋葉原はもらったであります!」
 なんともコメントしづらいモノがありますが、とにかくここはケロロにもらわれたらしいです。
 こういうのも、マニアさんにとっては垂涎の一品なのでしょうか。
 
 
 コメントボードも、これだけしか集まってなかったそうです。
 しかしプロが寄せてくれているだけに、載せないワケにはいかないこのジレンマ。
 まさに中途半端の象徴です。
 しかし福本伸行先生は、挿絵をご自分で描いておきながら「アカギ」とタイトルまで書いています。
 さすがです
 
 
 とまぁ、こんな感じだったそうで。
 なんか、写真をくださった方には悪いんですが、これだけで十分つまんなさが伝わってきそうです(^^;
 完全に既存産業の姿になりきれない一方、完全に萌え特化できないジレンマが見事に表現された、ある意味これこそが現代アートなのかもしれません。
 
 ごめんなさい、今日は出来るだけ文章で盛り上げてみようとしています(笑)
 
 というワケで、これからのアニメ界と秋葉原と日本は厳しいかもしれません。
 まぁいい方に考えるのであれば、なんとか行政やお堅い人たちもこの方向に目を向けてくれるかもしれないキッカケになりうるかもしれないという淡い期待になるかもしれないぐらいの価値はあるかもしれません。
 やえも応援しますっっっ。
 
 最後に歴史的一瞬に遭遇しましたのでご紹介したいと思います。
 
 
 
 永田町と秋葉原がついにコラボレーション。
 でもどっちも千代田区。
 

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平成18年3月11日

 小泉メルマガレビュー

 小泉内閣メールマガジン 第225号 ========================== 2006/03/09
 
 [らいおんはーと 〜 小泉総理のメッセージ]
 ● 簡素で効率的な政府
 小泉純一郎です。
 3月2日、来年度予算案が衆議院を通過し、参議院での審議が始まりました。ようやく景気が回復の道を歩み始めたいま、これを確実なものにしていくためにも、予算を年度内に成立させなければなりません。
 予算委員会では、朝9時から昼の1時間の休憩をはさんで夕方5時までの1日7時間、委員会室に座りっぱなしですが、参議院においても委員からの質問にていねいに答弁することを心がけて、審議に臨みたいと思います。
 
 こんにちはー。
 衆議院の方での予算委員会は某メールのくだらない質疑ばかりでダメダメでしたからね。
 しかも、永田議員だけの懲罰委員会に生け贄にして、代表の前原議員や鳩山議員の誹謗中傷にはまだなんら謝罪等がなされていません。
 このまま知らんぷりするんでしょうかね。
 まぁ、民主党に邪魔された大切な議論を、参議院の方でしっかりとやっていただきたいと思います。
 
 予算とならんで、この国会での大切な議題は、行政改革です。「行革推進国会」と言ってもよいと思います。「民間にできることは民間に」という考え方にたって国の仕事を見直し、国民のみなさんの税負担を軽くする「簡素で効率的な政府」の実現を目指します。
 まず、政府の規模を大胆に縮減するために、公務員の数を5年間で5%程度減らすことにしました。いままでも毎年のように公務員の削減に取り組んできましたが、最も減らしたときでも年間0.1%程度しか減らすことはできませんでしたから、毎年1%、5年間で累計5%減らそうというのは、とても難しい目標です。過去5年間、平均して毎年500人程度公務員を純減させてきたのを、いままでの6倍の毎年3000人以上減らすということですが、頑張って実現させたいと思います。
 
 うーん、公務員さん冬の時代。
 まぁ中にはとんでもない人もいますからねぇ、これは公務員民間人に限らずですが。
 ある意味、あまり使えないような人の受け皿的な要素も公務員にはあると思うんですが、しかし最近の世論はそれを許しません。
 無駄を省く、公務員を減らす、土木業も減らす、銀行もスリム化する、これらを実行していたら確実に失業率は上がると思いますけど、それも国民世論の望みですから仕方ないのかも知れません。
 
 政府系金融機関も改革します。いままで各省の行政分野などにあわせていくつもあった政府系金融機関は、1つに統合し、残りは完全民営化します。平成13年に道路公団の民営化など特殊法人改革に取り組んだとき、与党からも「政府系金融機関だけは一指たりとも触らせない」という強い反対がありましたが、5年たったいま、ようやくこの改革に手をつけることができました。
 
 ただし最低限、政府でないと出来ない仕事を司る部分は残しておくべきだとは思います。
 例えば、貸し渋りで融資を受けられない中小企業のための銀行ですとか。
 でも確かに難しいんですよね。
 民間銀行に拒否された中小企業に政府系が融資したいいけど、結局倒産したとかになってしまったら、それは国民から「無駄遣いだ」とか「不良債権を作った」とか言われますし、しかし融資しなかったらしなかったで「見殺しにした」とか「なんのために政府系銀行は存在しているのか」とか言われるワケですからね。
 もしかして、もうそういう批判もめんどくさいから、いっそのコトやめてしまえって話なんでしょうか。
 
 国有財産の売却もどんどん進めます。東京都心にある公務員宿舎や国有地など、これから民間に売却したり有効に活用していく方針で、既に、具体案をつくるように指示をしました。
 
 このこの前テレビでやってましたね。
 公務員の宿舎の前にわざわざ言って、「高いねぇ」とか「こんな場所じゃなくてもいいじゃないか」とか議員さん達が言ってました。
 でもやえは思うんですが、そもそも永田町霞ヶ関はそれらがあるからその近辺の地価が高くなったワケで、地価が高いから永田町霞ヶ関をそこに作ったワケではないのですから、「こんな場所に」とか言うのはフェアじゃない気がするんですよね。
 事後法的じゃないですか?
 宿舎ってそもそも職場に近くないと意味を成さないワケですから、そしてある程度は雇い主が負担して安くしないと意味を成さないワケですから、ある意味仕方ないと思うんですけどね。
 
 公共的な仕事でも、民間にできることは民間にお願いしようということで、ハローワークの就職支援や刑務所の周辺警備などの仕事を民間に委託することを始めました。こういう動きをもっと他の分野にまで広げていこうと思っています。
 行政改革に政府が一体となって取り組み、そしてこの動きを後戻りさせることなく進めることができるように、今国会に行政改革推進法案を提出します。早期に成立するよう努力して、着実に行革を進めてまいります。
 
 んー・・・なんで民間でやればコストが削減されるかと言えば、もちろん民間独自のノウハウがあるというのもあるんでしょうけど、中でも雇用体系の柔軟化があると思うんです。
 端的な例で言えば、会社によっては経営者がいて他の従業員は全部契約社員とかパートとかいった正社員でない人ばかりというところも珍しくありません。
 これが、もっとも経費のかかる人件費を抑えている要因の一つになっているワケです。
 しかし公務員はそうはいかないんですね。
 一応臨時職員という制度もあるみたいですが、それでも基本的に大部分は正社員(国家・地方公務員)にしなければならないワケです。
 この差が公務員と民間との大きな差だと思います。
 
 その一方、最近パートやアルバイトにも正社員並みとまでは言いませんが、かなりしっかりした補償を付けようという声も最近かなりあります。
 こういうのですね
 だけどこれはどうなんですかね。
 このような問題を考えると、必ずしもそれで経済が上手くいくかどうかはなかなか難しいのではないかと思わざるを得ません。
 むしろこれが実現すると、さらに賃金に見合わない労働を強いられてしまう可能性が出てくるかもしれないということも考える必要があるではないでしょうか。
 
 明日からイタリア・トリノで障害者のみなさんが競うパラリンピックが開幕します。日本からは、90名の選手団が参加します。選手のみなさんの活躍を祈っております。
 
 選手の方々頑張ってください〜。
 小泉さんも、もう少しで任期終了ですね。
 総理を辞められたらどうされるのでしょうか。
 案外議員すらやめてバカンスでもしたりするかもしれませんね。
 では小泉さん、バカンスに向けて、もうちょっとがんばってくださいねー(笑)
 
 
 
 [特別寄稿]
 ● 茶の心の交わり(日本・国連親善大使、(財)日本国際連合協会会長、裏千家前家元 千玄室)
 年の初め、東京に於ける裏千家恒例の初釜式が挙行されました。その第一席目では、着物姿の小泉総理が正客をつとめられ、ご出席の皆様方がお濃茶を和気藹々のうちに召し上がり、まさに一碗から平和を寿ぐ素晴らしい雰囲気でした。
 
 Σ小泉さんの着物姿
 それはちょっと見たかったですね。
 しかし小泉さん、いろんなことやっていますね(笑)
 
 昨年9月5日に「日本・国連親善大使」の委嘱を受けました。これは私が世界中に「一碗からピースフルネスを」の言葉を携え日本の伝統の中にある優しさ・思いやり・もったいないと感じる心を広めていった為であり、これからも国連における日本の立場を一層理解してもらわなくてはならないからだと思っています。
 
 「一碗からピースフルネスを」
 なんかカッコイイですねー。
 武道が日本の動の象徴である一方、茶道などの文化は日本の静の象徴と言えるでしょう。
 多くの人に日本の心の奥深さを知ってもらいたいですね。
 
 2002年には、家元としての献茶式をカンボジアのアンコールワットでいたしました。あの痛ましい事で犠牲になられた方々に対し一碗のお茶をお供えしカンボジアの平和を祈念いたしました。その後、シアヌーク国王・同妃殿下、そしてフンセン首相にもお茶を差し上げ、共に未来を語り素晴らしい会合を持つことが出来ました。
 私は茶道人として、一碗のお茶を持って、どんな国のどんな方に対しても分け隔てすることなく、平和の為、その国の未来の為に文化交流・親善交流以上の成果を上げてきたと思っております。それは、一碗のお茶を勧めあう、この勧めあう時こそが風俗・習慣・言葉の壁を越え、ほんとうの人間の真実に触れ合うことだと経験してきたからです。
 
 Σアンコールワット
 その時の写真があります。
 
 うわあ。
 ものすごく微妙な雰囲気が漂っています(笑)
 なんとも形容しがたいですねぇ。
 
 小泉総理には私のそうした意味での平和外交を出来る限り活用していただきたいと望んでおります。
 2003年に家元を16代に譲りましたが、終生茶道人として厳しい修道とそれに伴う人間形成につとめ他の人の幸せの為に尽くすことを使命としています。
 政治家を始め社会で指導的立場にある人は、すべからく教養の高い文化人であってほしいと思います。
 
 おー、それは、お抱え茶道師範に立候補というコトでしょうか?(笑)
 でも、日本のリーダーとして、日本の文化にある程度は精通しておくというのは大切なコトでしょう。
 というワケで、第一回議員茶道会の開催希望です(笑)
 
 
 
 [編集後記]
 先週、平成18年度の予算案が衆議院を通過し、6日から参議院での審議が始まりました。国会の内外で前代未聞の騒ぎとなったメール問題も、ようやく終息しつつあります。参議院での予算審議、そして行政改革推進法案や医療制度改革法案などの重要法案の審議が円滑に進むよう、さらに気を引き締めて臨んでまいります。
 
 なんだか、なんて言いましょうか、ご愁傷様でした、と言えばいいんでしょうか。
 本当に迷惑な騒動でしたね。
 
 先週号でお届けした「食育」に対しては、「食育という言葉を初めて知った」という方や、「親の食に対する意識も変えることが必要」「食育は確かに大切だが、まず家庭のあり方を正さなければいけない」「安全な食材をそろえられることが第一」というご意見まで、たくさんの反響がありました。
 政府は朝食を欠食する児童を5年間で0%とすることを目指すことなどを盛り込んだ食育推進基本計画を本年度中に決定する予定です。食育をメールマガジンで取り上げたことで、少しでも皆さんに食育に関心を持っていただき、ご自身の食生活を見直すきっかけになったとしたら幸いです。(じんえん)
 
 あら、そんなにまだ知名度は高くないですか。
 やえは、今回の食育に関しては、いつのなく政府も力を入れて広報しているなぁと思っていたんですが、それでもまだまだなんですねぇ。
 やっぱり政府公報って、政府だけでやるのは難しいですよ。
 結局それを担っているのはマスコミの役割でして、だからこそマスコミ各社には様々な特権を与えられているのですから、マスコミはその辺を自覚してもらいたいですね。
 あれですよ、おもいっきりテレビとかでやってもらったらどうですか、食育(笑)
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、らいおんはーとを応援しています。
 

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平成18年3月13日

 イラクは部族争いの舞台でしかない

 最近の政治のニュースって、なんだか総裁選のコトばかりですね。
 普通の経済のニュースでも、なぜか総裁選にからめていたりして、やえ的にはちょっとうんざりしています。
 派閥政治は駄目だとか言いつつも、一番政争が好きなのはマスコミだったりするんですよね。
 最近のニュースは、もう話半分ぐらいにしておいた方が、やえはいいと思います。
 まだまだ先の話、9月の話なんですからねぇ。
 
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 
 過去、そう、あのイラク5バカレンジャーが大冒険に赴き、大活躍を果たし、日本中で大人気を博していた時期、やえはイラクの現在の混乱についてこのように書いています

 つまり、各部族にとっては、やはり新生イラクにおいて主導権を握りたいと思っているのです。
 今イラクの混乱状況は「アメリカvsイラク国民」という二元論的な報道で伝えられることが多いと思いますが、しかしこれは正確ではないと思います。
 イラク国民は一枚岩では全然無く、部族でそれぞれ独立していて、それぞれがアメリカとの争いをしつつ、他の部族の間でも覇を争っているのだと思われます。
 というより、アメリカとの戦いによってより戦功を挙げた部族がキャスティングボードを握る、という形の、そのまま「権力争い」という言葉がピッタリくる争いをしているのだと思われます。

 簡単に言えば、アメリカという獲物を標的として、どの部族が一番功績を上げるかというレースをしているだけであり、そしてそのレースに勝った部族がキャスティングボードを握るという、そういうレースなんだという趣旨のお話をさせていただきました。
 
 当時の混乱期においては、多くの日本人が「イラクの愛国者が、打倒アメリカを目指してテロルをしているんだ」という幻想に惑わされ、人によってはハッキリと「あれはテロルではなくレジスタンスだ」とすら言っている人がいました。
 しかし現実はそうではありません。
 もちろんアメリカは世界中から憎まれるコトをしていますが、だからこそ外国の中でも一番の標的にされているのも事実ではありますけど、しかし実際のイラクのテロリスト共の本当の理由というモノは、ただ単に戦争後のキャスティングボート取りのレースに夢中になっていただけであり、そしてアメリカは一番得点の高い獲物だったというコトなのです
 おそらく日本はあまりポイントが高くなかったんでしょうね。
 
 当時は混乱期でしたからテロルこそが権力闘争の主役であったため、「反米」という理念でイラク人がまとまっていたように思ってしまった人が多かったのでしょうけど、そろそろそのそんな幻惑もこの現実の前では晴れてくるのではないでしょうか。

 バグダッドでモスク攻撃、24人死亡・宗派対立続く
 
 AP通信によると、イラクの首都バグダッド北部のイスラム教シーア派モスク(礼拝所)と聖廟で2月28日夜、車爆弾などによる爆発があり、24人が死亡、65人が負傷した。同市のガソリンスタンドでの自爆テロでは23人が死亡、APの集計では、死者はこの日だけで少なくとも68人に達した。
 中部サマラでの22日のシーア派聖廟爆破事件後に激化した同派とスンニ派の宗派対立は、スンニ派会派が連立政権協議への参加凍結を解除するなど、緩和に向けた動きも出ていたが、テロ頻発で再び深刻な状況となっている。
 28日夜、爆発があったのはバグダッド北部フリヤ地区のモスク。警察によると、車爆弾の爆発で23人が死亡し、55人が負傷した。ほぼ同じころ、カドミヤ地区の聖廟に対しても迫撃弾攻撃があり、1人が死亡、10人が負傷した。
 このほか、バグダッド南東部では同日、道路脇に遺棄されたスンニ派の部族長ら9人の射殺体が見つかった。

 はい。
 悲しいコトですが、イラク人がイラク人に対して、しかも宗教の聖地であるモスクに対してテロルをし、殺害をしています
 少なくとも、こんなモノをどうやったとしてもレジスタンスとは呼べませんね
 結局、テロリスト共としてはアメリカというもうすぐ去っていく獲物を標的にするのではなく、新政権が発足しようとしている今となっては、その政敵をまず攻撃する必要があるワケです。
 もはや選挙によって合法的に権力の場所が決まりつつある今、アメリカをいくら攻撃してもそれでは自分たちのところに権力を持ってくることは不可能なのですから、そうなれば権力を持っているところを標的にするのは、権力闘争という視点においてはある意味自然な行為だと言えるかもしれません
 
 つまりこれは、はじめから「反アメリカ」という思想からの行為ではなく、ただ単に部族争い・権力争いでしかなかったという証明と言えるでしょう
 そもそも、選挙が行われる時にも、選挙人や立候補者に対してテロルをしていたコトからも、テロルによる暴力以外で権力が握られてしまうコトへの抵抗としてのテロルだったと、そして自分たちの力の誇示のためだったと、そういうコトでしかなかったのは明白だったのです。
 日本では、昔の日本と今のイラク人をリンクさせて、命をかけて国を守ろうとしたんだとトンデモナイ主張していた人も結構いましたが、これがどれだけ日本人を侮辱していたのか反省してもらいたいモノです
 
 結局アメリカも、外国という集団も、イラクの権力争いの標的であり得点のための的でしかなかったと、レジスタンスという高い志があったのではなく、部族間のパワーゲームの一環でしかなかったというコトです。
 これが悲しい現実なんですね。
 

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平成18年3月14日

 住民投票は政治たり得るのか

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 はっ
 いかん、今日はツッコミがいないではないか。
 でも歯が痛いの。
 なんか最近いろんな病院行ってる気がするなぁ。
 また鼻の病院いかなくては。
 
 
 では、歯が痛いのでちょっとだけよん更新を。
 このニュースだ。

 <小泉首相>岩国移転計画の変更考えない 住民投票結果
 
 小泉純一郎首相は13日昼、山口県岩国市の住民投票で空母艦載機部隊の岩国基地受け入れに反対多数の結果が出たことについて「どこでも住民投票をすれば反対でしょうね、基地は」と述べた上で、今月中に日米間で米軍再編の最終報告を取りまとめる方針については「変わりありません」と語り、岩国移転計画を変更する考えはないとの認識を示した。

 わりと大きく取り上げられていたから知っている人も多いだろう。
 反対の住人もいれば、移転に賛成の住人もいるみたいで、紆余曲折あって住民投票に至り、そして反対票の方が多かったという結果になったようだ。
 紆余曲折の中身はこの記事で詳しく書いてあるんだが、この件に関しては、なんだかなぁという感じである。
 
 というか、この辺はさすがと言えるだろう、小泉総理もよくこんなことを言えると思う。
 
 「どこでも住民投票をすれば反対でしょうね、基地は」
 
 いや、まさにその通りだよ。
 本来はこんな住民投票なんてやったらいかんのよ
 基地に限らず、ゴミ集積所とか葬儀場だとか、こういうのを住民投票なんてしたら絶対に反対票が多数を占めるんだから、はじめからやったら駄目なの。
 
 というか、むしろこれは地方自治体の責任放棄だと言えるだろう
 地方自治体が主体的に判断を下せなかったために、住民投票という体裁を取って「住民の意見です」と責任を住民に転嫁したに過ぎない。
 つまり山口県岩国市は、自分たちだけで国に刃向かうのがこわかったのだ、出来なかったのだ。
 だから住民を盾に取ったワケだ
 こんな体たらくではいつまでたっても地方分権なんて夢のまた夢だろう。
 
 ところで、果たしてこういうものを民主主義と呼ぶべきだろうか。
 確かに民主主義とは、国民一人一人が政治に関わることであり、理想論というか極論すればすべての政策に関して国民が関わるのが理想論なんだろうが、しかしそのような手法を取っていたら政治は成り立たない。
 今回の件を見ても、地方だけの住民投票などしようものならどうしても「地域エゴ」が発生してしまうし、しかし逆にこれを国民全体の投票をしたのであればどこかしらに犠牲を強いるような「自分の近くでないならどこでもいいや」的な「無責任エゴ」が生まれかねない
 つまり、もし本当に理想論の民主主義を実践するのであれば、ひとりひとりが主体性を持ち、高い意識のもとで投票なりをしなければならない。
 しかし残念ながら、古代ギリシア時代ならまだしも、一億数千万人もいる現代日本ではこれは絶対に不可能と言わざるを得ないだろう。
 
 ではどうするのかと考えたら、やはり「意識の高い人を選ぶ」という選び方をするしかないのではないだろうか。
 結局は今のような制度である、政治家・代議員を選ぶというシステムだ。
 衆愚政治にならないためにはこうやってワンクッション置くしかない、むしろ衆愚政治にならないために代議員制度があるわけなのだから、それを無意味にするような住民投票などしてはならないのである。
 むしろそういう意味から、住民投票とは現代民主主義を否定しかねない考え方でもあるのだ
 
 制度とは最悪のパターンを考慮しなければならないので、現代民主主義においても「国民は衆愚である」ということを念頭に置いておく必要があるが、だからこそ今回のような住民投票はやるべきではないし、小泉総理のコメントは正しいと言える。
 ただ小泉総理はもともと衆愚政治に誘導しやすい部分があるのは周知のことではあるが、実際のところちゃんと冷静に判断するなら、小泉総理はこの辺のギリギリの手綱の締めが絶妙に上手いために完全なる衆愚政治には陥っていないと言える。
 しかし国民の側から安易に政治に対して、口だけならまだしも手までをも簡単に出せるのではないかと幻想を抱かせてしまった罪は大きいと言わざるを得ないところがある。
 小泉総理にとっても、ここまでの国民の支持は始めから想定の範囲外だっただろう。
 現在「小泉後」の話がしきりに話されているところだが、オレ個人としては「小泉後の国民の意識」の方が心配である。
 
 まぁそれはともかく話を戻すと、どうやっても現時点では米軍と共同で国防をやっていくしかなく、それがイヤなら自衛隊をまずもってさらに強化させなければならないわけで、今のところどっちにしたってどこかに米軍を置かなければならないのだから、これを機会に政治家も国民ももう一段高い意識を持つよう心がけて欲しいと思うわけなのである。
 

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平成18年3月15日

 天皇家は比類無き唯一の天皇家

 一ヶ月前、秋篠宮妃殿下がご懐妊され、日本中が喜びに満ちあふれたコトは記憶に新しい方も多いかと思います。
 また同時に、あの一時期は日本中が大騒ぎとなって、天皇に関する問題も相まって、いろいろと日本中が浮き足立っていました。
 そんな中当サイトは、あの雰囲気の中ではなかなか冷静な議論が出来ないと判断し、また小泉さんもやっと今国会提出をあきらめてくれているようですから、とりあえずは腰が落ち着くまで、冷静に議論が出来るまで時期を待つコトにしました。
 天皇家の問題とは、いつも言っていますが長い時間をかけてじっくりと高レベルの高い意識を持った上での議論をしていかなければならない問題ではあります。
 ですから本当ならばもっと多くの時間が、少なくとも10年は議論をしても十分間に合う時間はあるので、それぐらいの時間をかけて議論していきたいところなのですが、しかし小泉さんなどなぜかさっさと問題を終わらせようと動きもありましたように、残念ながらいつまでもじっくり待っていられる時間もあまりないと言わざるを得ません。
 ですから、あれから一ヶ月も経ちましたし、そろそろ当サイトでもゆっくりと議論を進めていきたいと思います。
 
 みなさんにおかれましては、特にいつも以上にこの問題にあたる場合には、より一段高い意識を持って、いつもより倍は時間をかけて考えるようにしていただければと思います。
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 
 差別の話の時に散々言っていますが、これはなにも差別の問題だけに関わる話ではなく、ごく普通一般の常識の問題と言えます。
 確かに、全体的な印象というモノを人間は持ちますから、それを否定できるモノでもないと思います。
 そして、全体像を捉えた評論というモノは出来ますし、それはしてもいいと思いますし、時には必要なコトだと思います。
 
 しかし、その全体像を個人や少数の人間に対して押しつけるというコトは、それはやってはならないコトです。
 
 こうやって改めて文章化させれば案外当たり前の話だと思われるかもしれませんが、しかし実際にはこれを理解していない人がとても多い気がします。
 差別の問題はそれが端的に表れますね。
 例えば韓国人は全体的に評するならキムチは好きでしょうし、また妙なところでプライドが高かったりしますし、日本に対して異様とも言えるぐらいの敵愾心を持っています。
 これは全体像として事実を捉えていると思います。
 しかしだからといって、ある韓国人のキム何某さん一人を捕まえて「お前は毎日キムチ食べているんだろう。根拠無き自尊心ばかり持ってるんだろう。そして日本が嫌いなんだろう。とんでもないヤツだ」と言ってしまうのは、これはあまりにも一方的すぎる話です。
 全体像としてそういうイメージがあるからといって、しかし一人一人の韓国人全てがそのイメージ通りだとは決して言えません
 全体のイメージを一部の人間に当てはめるという行為はとても簡単な思考発想ですから安易にその方法に走ってしまいがちですが、しかしそれと同じコトをいざ自分にされるととても不快に思うモノで、やはりこのような発想はとても理不尽な発想でしかないのです。
 
 先ほども言いましたように、これは差別にかかる問題ですが、それ以外の問題にも当然当てはまります。
 というより、差別の問題とは被差別者が「差別だ」と言わない限りは差別問題にならないという側面があるので、逆に「差別だ」と言わなければ差別問題にならなかったりするのですが、つまりこのような思考発想は差別云々の前にとても理不尽な話なワケです。
 
 天皇家にかかる問題のひとつとして、「今の男系維持のままではお世継ぎの子孫が耐えてしまう。現在の日本では晩婚化が進み、出生率を低下している。だから皇室も同じ道を辿り男子が産まれる可能性も低くなってしまう」という意見があります。
 しかしこの意見にはやえはとても疑問でしかありません。
 なぜ一般的な全体像としての晩婚化や出生率の問題を、天皇家という非常に特殊なお家に対して安易に当てはめられるのか、それが全く理解が出来ないのです
 
 出生率が低いからと言ってそれがなんなんでしょうか。
 出生率1.32という数字が法であり、全ての国民はそれに準じなければならないとでも言うのでしょうか。
 特に天皇家はそれを遵守しなければならないとでも言うのでしょうか。
 そんなワケありませんね。
 別に皇族の方には5人でも6人でも子供を産んでいただければいいのではないでしょうか。
 別に必要であれば20歳ちょっとでも結婚していただいていいのではないでしょうか。
 
 これに対して「皇族にも自由恋愛や普通の生活をする自由はある」とか、「天皇は国民の象徴だからある程度は国民と同じ生活をすべきだ」という意見もあるかと思います。
 しかしこれはあまりにも勝手な意見と言わざるを得ません。
 というのも、もし皇族の方に本当に自由を謳歌していただきたいと願うなら、それはもはや天皇制を廃止するしかありません
 でもそのように主張する人は、極左以外にはいませんよね。
 となれば、それは全く中途半端なコトしか言っていないコトになり、それは無責任にも通じます。
 
 やえはむしろ「天皇家や皇族は、生まれながらにして自由恋愛も普通の生活もできない方々であり、そのような宿命を背負い、日本と共に生きておられる尊い存在なのだから、とことん責任を全うしていただき宿命を背負っていただきたい」と思っています
 しかし“半端自由主義”の人たちは、やえのような主張すら「自由の理屈」で反論を許そうとしません。
 でも実はそんな人たちも同じように「自由を侵害」しているワケなのです。
 ただ単に自覚していないのか、もしくは気付かないフリをしているのか分からないですが。
 
 一昔前、皇太子さま(本来「東宮様」とお呼びすべきだと思うのですが、いつから「皇太子さま」になったのでしょうか?)や秋篠宮さまがご結婚かという時期になったとき、マスコミでは何人かの「お后候補」を挙げて、なにやら10人ぐらい顔写真を並べてフィリップを作り、「この人はどうだ」とかなんとか下世話に予想なんて立てながら無責任なコトを言っていたりしていました。
 よくもまぁこれで「自由恋愛」なんて言えたもだと言いたくなっちゃいますが、この例を出すまでもなく、本当によーく考えれば、皇族の方には自由は制限されているという現実があるコトぐらい誰にでも分かるワケです。
 しかし自由というモノを最上の価値に置くような人は、その現実に気付きたくないだけなんですね。
 
 色々言いましたが、つまりは一般論ではこの天皇家の問題は語れないというコトです。
 そもそも明治典範の時に明言されていますように、皇室典範とは家法であるワケですから、局地的な家法というモノを一般的な印象によって押しつけるというのは、明らかに筋違いなのです。
 また皇族方は、すでに我々とは背負うモノが違いすぎる尊い方々なのですから、せめてその責任を全うできる環境を整備するコトが、我々に課せられている責任なのではないでしょうか
 安易に我々と同じ生活をするのがいいと言うのではなく、安易に全体像を押しつけるのではなく、天皇にしかできない責任を天皇に遂行していただくためにはどうしたら一番いいのかというコトを考えるべきだと思います。
 
 
 次回は「天皇は国民の象徴だからある程度は国民と同じ生活をすべきだ」という意見に対して述べたいと思います。
 

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