☆やえニュース☆

  天皇家は比類無き唯一の天皇家2自分だって理解してないじゃないWBCに見る今後の日本のパートナー観小泉メルマガレビューイチローの愛国心「ネットがなくなるかもしれないバトン」は「プロパガンダバトン」国民の心に訴えるもてるもてないではなく、いかに自信を持つか天皇家は宮家あって継承されてきた小泉メルマガレビュー

平成18年3月16日

 天皇家は比類無き唯一の天皇家2

 ごめんなさい。
 前回、いろいろなコトを書いていたら、結局一番言いたかったコトを言えずじまいになってしまった感がありまして、本来なら天皇の問題を連日取り上げるのはどうかと思ったのですが、今日だけちょっと補足をさせていただきます。
 
 つまりですね、前回言いたかったコトというのは、全体のイメージ像をもってしてひとつの事例に当てはめてはならないというコトであり、まして天皇家というのは、世界のどこを探しても比類無い唯一の存在であるのですから、いわば例外中の例外なのですから、なおさらそのようなコトをしてはならないワケなのです。
 
 前回チラッとだけ触れましたが、皇室典範とは、明治典範の時に伊藤博文によって明言されましたように、天皇家の家法なワケです。
 今まで散々やえは、家の継承のルールとは決して他人が口を出すようなコトではなく、また一般的な常識のようなモノで縛られるモノでもなく、ただその家が代々受け継いできたルールこそが唯一のルールである、と言ってきました。
 現代の常識では、そもそも家を継ぐという認識が薄れてきているコトもあって、男女問わず子供であれば誰でも継承したと見なされる風潮がありますし、また養子であっても継承されたと見なされるコトが多いでしょう。
 しかしそれが一般的であったとしても、その常識というモノを持ってして一個の家にまでその全てを押しつけるのは間違っているワケです。
 一子相伝の家に対して、「それは今の常識にはそぐわないから今すぐやめろ」と言って強制したとしても、その家の人は一子相伝でなければ決して「継承された」とは認識しないでしょう。
 
 ですから、天皇家の継承のルールだって同じコトなワケで、いくら今の常識が天皇家の継承のルールにあわないからといって、無理矢理常識の方にあわせる、男女問わず子供であれば誰でもいいという風にするのは、あまりにも乱暴すぎる言い方でしかないのです。
 いくら一言で言い表せないほどの親戚が天皇を継ぐのは今の常識にはそぐわないと外の人間が言ったところで、しかしもともと天皇家では歴史的にそのような継承のされ方が続いてきたのですから、それが間違いとは誰にも決して言えません
 全体像を個人や少数の人間に対して押しつけるというコトは、それはやってはならないコトなのですから。
 
 時代が変われば常識も変わります。
 武士の時代には男子しか家を継ぐことは出来ませんでしたし、しかし養子であれば血のつながりはほとんど気にしなかったような風潮がありましたし、またそれは大名家や将軍家でさえそうでありました。
 大名家でさえお家に跡取りがいなければ、例え女子の子供がいたとしても、家も領地も全て取り潰しとなっていたワケです。
 しかしそのような時代であっても、天皇家は天皇家としての継承のルールを守ってきました。
 当時は天皇に即位するにも幕府の許可のようなモノがなければ出来なかった時代でもありましたが、それでも天皇家は庶民の常識にとらわれないルールを守ってきましたし、そして庶民の方、つまり幕府もそれを問題とはしませんでした。
 後櫻町天皇という天皇がいらっしゃいます。
 江戸時代の徳川家治が将軍の時代で、まだまだ幕府の力が強かった時代ですが、後櫻町天皇は女性の天皇(もちろん男系です)でいらっしゃいます。
 そしてその2代後(しかし年数にすれば9年程度後)の天皇は「一言では言い表せないほどの親戚」です。
 男子のみが家督を継ぐべきという時代においても、やはり長い歴史を持つ天皇家だけは依然として別であり、幕府がいろいろと注文をつけるコトはあっても、最後のところでは他人が口出すコトではないと尊重しあっていた証拠だと言えるでしょう
 
 なんだか以前に言ったコトを繰り返しているような気がしますが、とにかく、「今の感覚ではこうだから天皇家もこうするべきだ」という主張は、全く論拠にならない、説得力を持たないというコトです。
 直系の男女の子供に継承される方がわかりやすいとか、自由恋愛が出来ないじゃないかとか、現代は20歳での結婚は早いとか、そんな“常識”などどうして他人に押しつけられなければならないのでしょうか。
 結局そういう主張というのは、一般の人に対してでも、早婚の人たちや大家族の人たちを遠回しに否定しているコトになるんじゃないでしょうか。
 前回も言いましたように、全体的に評論するコトは間違ってはいないと思います。
 それは統計的にそういう方向というモノがある程度は出てきますから、それを否定するコトはできないでしょう。
 しかしそれをひとつの個に対して当てはめ、枠に入らないコトを否定するようなモノの言い方は、大変失礼なコトだと思います。
 まして天皇家はとてつもなく特殊な存在です。
 そんな存在に対して一般論を言っても全く論拠としては成り立たないでしょう。
 
 結局は、有識者会議の論拠もほとんどが成り立たない論でしかないのです
 しかし女系容認という考え方は、今までの天皇家にはない概念を持ち込む全く新しい考え方です。
 だから、もしこれを持ち出そうとするのであれば、論理的に正しい論拠を示す必要がまずあるワケです。
 だけどやえはいろいろな人の意見を目にしてきましたが、未だにちゃんとした論拠は残念ながらお目にかかる機会はありませんでした。
 これでは結局全く新しい、2600年の歴史を持つ神武天皇家とは違う天皇家を作るための方便にしかなりません。
 端的に言えば「これからの新しい天皇家は国民の中間的な、いわゆる一般的な生活をする人たちと定めよう」と言っているワケです。
 これは全く新しい概念、全く新しい天皇家なのです
 これも何度も言っていますが、新しい天皇家を作ろうという議論は、それは議論としてしてもいいとは思いますが、しかしそれは今の神武天皇家をどうしようという議論とは全く別問題ですし、またこの議論は今すべきモノでもないと思っています。
 やえはいまは、まずは「神武天皇家が日本にとってどのような存在でいらっしゃったのか」というコトを再点検しようとしているワケであり、そして「神武天皇家をどうすれば存続させられるのか」というコトを考えましょうと言っているワケなのです。
 
 論とは全ての問題に対して首尾一貫しておかなければならないモノです。
 もし差別主義者であるのであれば「全体のイメージ像をもってしてひとつの事例に当てはめる」ような論拠で語るコトは筋が通っていると言えるかもしれませんが、差別主義者でなければそのようなモノの言い方はしてはならないハズです。

 ここをまずよく考えてもらいたいとやえは思っています。
 

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平成18年3月17日

 自分だって理解してないじゃない

 実録!日テレ「ザ・ワイド」によるマスコミ被害
 
 こ、これは、非道いです・・・。
 おそらく日本で最も糾弾されない組織がマスコミですよね。
 これは、うーん、ぜひこれ読んでみてください。
 
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 
 今日は敢えて厳しいコトを申し上げさせて頂きます。
 
 最近自衛隊員など公務員が、P2Pツール「ウィニー」をインストールしている私物パソコンを仕事で使ってしまい、ウイルスにかかったりして公務上の機密文章が流出してしまうという事件が最近よく聞かれます。
 いえ公務員にかかわらず、民間でも機密文章が流出してしまったというニュースも頻繁に聞かれるようになってしまいましたね。
 そして、先日このようなニュースが入ってきました。

 「ウィニー」情報流出、底なし 危機意識低く深刻 防止「個人の管理」頼み
 
 安倍晋三官房長官は十五日午前の記者会見で、ウィニーを介した情報流出が相次いでいることを受け、「国民一人一人が対策を取らないと情報漏洩(ろうえい)は防げない。最も確実な対策はパソコンでウィニーを使わないことだ」と国民に注意を呼び掛けた。
 防衛庁の場合、業務に使用していた私用パソコンは全国で約十二万台。このうちウィニーをインストールしていたものが八十台あり、ただちに削除させた。捜査資料が警部の私用パソコンから流出した愛媛県警では、全職員約二千七百人に「私物でもファイル交換ソフトを入れない」との誓約書を書かせることを決めた。

 これについて、ネットでいろいろな意見が交わされています。
 ざっと列挙しますと
 
 ・私物パソコンを仕事で使うな
 ・いや、ちゃんと仕事用のパソコンを与えるべきだ
 ・私物パソコンなのに特定のソフトを入れるなと命令できるのか
 ・そもそもアンチウイルスソフトを入れれば済む話ではないか
 ・ウィニー自体には罪はない
 ・安倍官房長官やえらい人は何もネットについての知識がない。もっと勉強しろ
 
 こんなところでしょうけど、確かにどれもこれももっともだとは思います
 特に「アンチウイルスソフトを入れろ」というのは、もはやこれ以上論を待たないぐらいの話であって、これについてはウィニーを使うぐらいの人であれば当然やっておかなければならない義務とも言えるぐらいの話だと思います。
 
 しかし、やえはひとつだけ申し上げたいコトがあります。
 
 この件に関して、政治家さんや役所に対してきびしいコトを言っている人がけっこう多くて、そういう人たちはネットのコトについて無知すぎるとか、もっと勉強しろとか言っているワケですけど、しかしそこまで非難できるコトなのかと、やえはちょっと疑問なのです。
 もちろん知ってもらいたいという思いはあります。
 これからもっともっとネットが活用される時代になるでしょうから、政府中枢の人たちにはネットのコトをよく知ってもらいたいとはやえも思っています。
 でも、それでも、無知であるコトをそこまで責められるコトなのかという点に関しては、やはり疑問なのです。
 
 だって、では政治に対してモノを言う人に言いますけど、そんな人の中で本当に政治を知っている人って果たして何人いますか?
 
 やえも所詮は十四歳の身、そこまで政治に対して詳しいとは言いませんが、それでも多くのネットの政治に対する文章には、かなり首をかしげてしまうようなモノがあまりにもあふれすぎています
 と言うと「政治の世界なんて普段の生活からかけ離れすぎているから知るよしもない。仕方ないじゃないか」と言われるかもしれませんが、しかしですね、それと同じようにまだまだネットだって生活の中にネットが必須であるという人でなければ、残念ながら一般的にそこまで普及しているとは言えません
 もちろんネットを使ったコトすらないという人はかなり減ってきてはいるのでしょうけど、実際のところ、メールしかしないという人や、お店や地図を調べる時ぐらいしかネットは使わないという人も、まだまだかなりいらっしゃいます。
 ましてウィニーともなれば、名前すら聞いたコトがないという人の方が圧倒的に多いというのが現状なのではないでしょうか。
 
 言わばこれは文化の違いと言えるでしょう
 ネットの住人にしてみれば、ウィニーなどしっかりと対策すればこわいモノではないというコトぐらい常識でありますが、しかしネットなど一日10分しか使わないという人からすれば、それは決して常識ではないワケです。
 同じように、この前やえは本当にこう言われたのですが、「衆議院の委員会の委員長って法案の政府案を作っている人?」なんて質問をされて返答に困ったコトがありましたが、永田町の常識を知っていれば、こんなのはまずあり得ない質問です。
 そもそも国会議員の仕事が本会議しかないと思っている人がまだまだ大勢いたりしているワケで、やはり世界が違えば常識も違い、そのギャップはどこまでも広がってしまうワケです
 
 このように、いくらネットの住人が「それくらい当たり前だろ」と言ったところで、所詮はそれはネットの中だけでの常識でしかないのです
 間違ってほしくないのは、やえは政治家さんやお役人さんはネットのコトを知らなくてもいいと言っているワケではありません。
 むしろもっともっと知っていただきたいと思っていますし、その上でしっかりとした対策を早急に取るべきだと思っています。
 しかしその方法として、その無知を一方的に非難するというのはいかがなモノかと言っているワケなのです。
 
 そういう意味も含めて、当サイトを通じて、やえが発信をし続けるコトによって、政治というモノをもっと知ってもらえるようにというのが、当サイトの目標のひとつでもあります。
 文化の違いは相互理解でしか埋まらないと思います。
 決して一方的な非難だけでは問題は解決しないのではないでしょうか。
 もちろん政治家たるモノ高い意識を持って全ての問題に対して精通しておくべきだ、という意見はそれはそれでもっともだと思いますし、そうあってほしいモノだと思いますが、しかしだからといって政治に言及する一般人の方は政治に無知のままでいいとは決して思えません。
 政治家には高い意識と責任があるというのはその通りでしょうけど、しかしそれが一般人の無知に対する免罪符とは決してなり得ないでしょう
 
 まぁ今回のウィニーの件を言うのであれば、これはネットにおける知識格差・経験格差が生んでしまったすれ違いと言えるでしょう。
 この問題を解決するためには、一方が一方を一方的に非難するのではなく、まずは格差があるというコトをしっかりと認識し、その差を埋める努力をするのが先決なのではないかと思います。
 

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平成18年3月20日

 WBCに見る今後の日本のパートナー観

 いやー、勝った勝った、素晴らしい。よもや準決勝という大舞台であそこまで大勝ちするとは思わなかったなぁ。よかったよかった。
 
 あらあまおちさん。今日は月曜日ですよ。一日間違えてますよ。
 
 べっべつにいつ来たっていいじゃないっ。アタシの自由でしょ。な、なによ? ア、アナタの顔を見に来たわけじゃないんだからねっ。
 
 ・・・なんでいきなりツンデレキャラになるんですか・・・。
 
 あっはっはー。まぁまぁ堅いこと言うな。ワールドベースボールクラシック(WBC)(野球世界一決定戦)で日本が決勝戦進んだんだからいいじゃないか。
 
 まぁいいですけどぉー。でも毎日毎日出てきたらお客さんが引きますからダメですよー。
 
 まてー。ここはオレのサイトだー。アドレスもよく見ろー。「あまおち.com」だろー。
 
 はいはい(くすくす)
 
 出だしもオチも最近こんな扱いばかりかー。
 
 
 
 で、今日はそのWBCのお話ですか? 確かにやえも昨日はずっと見てましたし、やっぱり感動するモノはありましたよね。
 
 いやー、素晴らしかった。イチローも素晴らしいかったけど、オレはね、生まれて初めて巨人の選手がこんなにも頼もしいものだと、心から頑張れと、頼むと、そう思った事はないね。上原よくやった。感動したっ。巨人の選手だけどよく頑張ったっ。ありがとうっ。
 
 おっと、これは画期的なコトですよ(笑)
 
 そして明日だ。明日の決勝戦。全てはここにかかっている。この日のためにみんなやってきたんだ。明日全てを賭けて欲しい。見せて欲しい。感動させてほしいっ。王監督と選手の方々、是非がんばってくれーーーっ。
 
 かっとばせー、いっちっろー。わーーー。
 
 
 
 んでだな、昨日の準決勝だが、相手は韓国だったわけだ。それでまぁいろいろと国民性というものを垣間見れたんじゃないかと思い、ちょっと真面目に語ってみようじゃないかと思ったわけだ。
 
 ははあ。でも、韓国のウリナラマンセーに対しては、なんかとってもいろいろなサイトさんが大騒ぎなさっていますから、いまさらって感じもするんですが。
 
 いや、ああいうのではなくてだな、そもそもなんだ、昨日のは決勝戦に進めたのがめでたいのであって、韓国に勝ったこと自体がめでたいのではないんだよ。というのも、マスコミなんかも「ライバル韓国」なんて言ってるが、少なくとも野球の分野ではいつからそうなったんだと、はじめから言うまでもなく韓国を含めたアジアの国々が格下なのは当然の話であって、それなのに殊更大げさに「韓国に勝ったー」って言うのは、それは自分を自分で韓国の位置にまで下げて卑下している事なのに、よくそんな恥ずかしいことが出来るのかねとオレには疑問なんだよな。「お里が知れるわよ」という感じでみっともないよ。
 
 ああ、それはそうですね。別に今回の大会、日本は韓国に勝つためにやってきたワケじゃないですもんね。全ては優勝という結果を得るために出場したワケですから、韓国に勝とうが負けようがそんな小さいコトはどうでもよくて、明日の決勝に出られるコトが素晴らしいコトで、そしてその明日全ての結果が出る、是非日本が世界一になってほしいと、そういうコトなんですよね。
 
 全くその通りだ。イチローの「30年発言」も、韓国は持ち前の自意識過剰プライドを爆発させて、自分にだけ言われたかのようにファビョっていたが、あれは別に韓国特定に言ってたワケじゃないからな、はじめから。常識的に考えて中国も韓国も台湾も日本に比べたら野球レベルは低いんだから、今後二度と勝てないように思わせるぐらいのイメージを植え付けさせようとしただけだ。それは勝負の世界において格下の相手に対して行われる普通の意識だ。「下はつぶす」「出る杭は叩く」
 
 それも分からず「自分だけに」と思っている時点で、もうこれは自意識過剰すぎますよねぇ。
 
 でな、オレは思ったわけよ。昨日の韓国の態度、大きなものだけ挙げたとしても、「イチローが出るだけでブーイング」「日本の攻撃の時にもドラを鳴らしての罵声」「福留のホームランの後の完全故意のデットボール」と、スポーツマンシップという言葉が100万光年も離れたような行為のオンパレードだった。
 
 あのデットボールはほんとどうしようかと思いましたもんね。まだ足の方でしたから審判さんも注意で済ませてましたが、あそこまで100%故意なデットボールもそうは見られませんよ。しかもそれが墓穴で大失点に繋がりましたところも「さすが」というところですが。
 
 で、この「精神性」はなんだと思うわけよ。この「異常性」の何がすごいのかと言えば、上から下まで韓国の全てが一つの方向にガーっと向かってしまっているところ。例えばアメリカと比べてみると、アメリカと言えば今回の大会でとんでもない誤審をやらかしてしまったわけだが、しかしこの記事にもあるし、テレビでデーブスペクターも言ってたんだけど、アメリカの報道では「やはりこれはおかしいのではないか」という見方が成されているらしい、ここが大きなアメリカと韓国の違いがあるんじゃないかと思うんだよ。
 
 つまり、アメリカは建前と本音をしっかりと分けているけど、韓国は本音…というか欲望丸出しで突っ走ってしまうというコトでしょうか。
 
 まぁそんな感じかな。アメリカって「人種のるつぼ」であって、歴史や常識だけでは統一できない国家だろ。だから一つの国としてまとまるためには何か統一された意識が必要なわけだ。この意識の元にアメリカに集え、という感じで。で、それは何かと言えば「正義」であり「力」であるわけだ。
 
 「パワーフォージャスティス」ですね。
 
 そう。そしてそれを200年も続けていれば一種の「民族性」と言えるぐらいになっているわけでな、その上でアメリカっていう国は、制度としての「パワーフォージャスティス」と、国民一人一人の個としての「パワーフォージャスティス」があるんだよ。つまりね、「野球の世界一はアメリカである」という正義の名の下に制度的にパワーを使いそれをなし得ようとしたベクトルがある一方、「正義とは正々堂々とやるべきことだ」と考えている個としてのベクトルも働いたんだよ、今回のこの件については。これはね、ある意味もっともなことだと。アメリカの性格として、誤審してでもジャスティスを取ろうとしてくる性格はまぁ考えられる想定内であるんだが、しかしアメリカにはそれだけでない性格もあって、これらの考え方は非常に理解できると。アメリカがアメリカたるためのパワーとジャスティスが必要だという事情もある程度は分かるだけに、しかし自浄作用があるというのは大変納得のいくものだと、オレは思うわけだよ。もちろんだからといって誤審を許せるという意味では決してないのは付け加えておくがな。
 
 「力と正義」という名の下にみんな集っていますが、しかしその方法論は各別々に考え方を持っているだけに、全体的に考えた場合、ある程度は納得できる範囲ではあるってコトですね。
 
 そう。それは日本でもある程度は似たようなところあるだろ。日本の場合「パワーフォージャスティス」ではないし、そもそも統一された意識というものもないだけに、むしろそれ以上の様々な考え方が錯綜していて、共産主義ですら一定の存在は許されている、日本を打倒しようというような考え方すら許容されていたりするだろ。だからアメリカも、あの誤審を誤審と認めなかったWBC執行部の態度は腹立たしいものではあるが、しかしアメリカ全体としてはまだ救いがあるなと、日本の正義とアメリカのジャスティスの間にはまだ共通できる部分も存在しているなと実感することはまだできるということでな
 
 しかし韓国はそうではなかったというコトでしょうね。もう向こうの新聞なんて、日本語版ですらすさまじいものがありますもんね。これは記事ではなく、ただのアジビラ、罵詈雑言日記かというような。さらに韓国語版はどうなっているのか、もはや知りたくもないくらいです。
 
 この一直線ぶりがこわいわけだ。そして理解できないわけだ。もし日本が逆の立場だったとしてもね、最低限のルール、マナーは守るだろ。例えば今回は国際試合だから、日本の伝統的な応援の仕方であるトランペットを吹きながらの応援歌っていうスタイルは、この大会では自重していたわけだ。もしくは鳴り物禁止とWBC側か日本の野球協会かが定めたのかもしれないが。またいくら憎い選手がいたとしても、出場するそれ自体にブーイングなんてする精神性は日本人は持ち合わせていない。しかしこれをね、韓国というところはもう全体でそれを行う。自分の攻撃だろうが相手の攻撃だろうがところかまわずドラを鳴らし続けるわけだ。この「見境の無し」はなんなのかと。そしてそれを自重しようという声も聞こえてこない。もう全てが全体としてワーっとこわいぐらいに一直線
 
 ホームランの後のデットボールにしても、もし日本人がああいうコトをしてしまったら、それはもうとんでもない騒ぎになりますよね。「国際試合でなんという恥さらしだ」と。
 
 まぁあれでさらに墓穴を掘ったんだが、あれはもうフェアプレーのかけらもないよね。韓国が野球を、スポーツではなく自尊心のための存在にしか思ってなかった証拠なんじゃないのか。あんなこと日本でやったら誰だろうと許されないよね。イチローだろうが王監督であろうが。少なくともオレは認めないね。日本人の恥さらしだと、一生野球なんてするなと言いたくなるだろう。
 
 おそらくアメリカでも同様だと思いますよ。
 
 そう、そこ。そこなんだよ。アメリカも同様の考え方がおそらく出来るだろうという事実がね、少なくともメディアにあの誤審に対する疑問が少なからず出ているという事実がね、これが非常に重要なわけ。外交の問題でね、「アメリカ一辺倒でいいのか、アジアこそを重視しなければならないのではないか」という批判があって、「アメリカのポチ」だとかなんとか言う人がいるけれども、しかしね、今の世界状況を見たら決して一国だけで凝り固まっては生きてはいけない状況が現に存在しているわけで、それはアメリカもそうで、だから軍事の面も併せて今はどこかしらと同盟を組まなければならない。スイスもオーストリアも永世中立国を今は名乗っているが、そろそろ限界に来ている。スイスも国連に加盟しようという動きのようだし、オーストリアもすでに国連に加盟しており、半ば中立は形骸化しているようだ。そんな中で日本が同盟をできる国を探した場合、やはり同盟をするのであればある程度は意思の疎通が出来る相手、常識が重なる部分ができるだけ多い国が望ましいのは言うまでもないことで、そしてそれはどこかと考えたら、やっぱりアメリカが一番マシだと言えるのではないかと。こういう常識が重なり合える国というのは、まぁ両極端だが、アメリカと韓国とどっちがいいかと言ったら、今回の例を見るまでもなくアメリカだと言えるわけなんだよ。
 
 今回の韓国の態度を見ていたら、とてもじゃないですけど「常識を共有できる」というレベルではないですからねぇ。
 
 あれって、まんま「愛国無罪」だよな。
 
 こんなエントリー見つけましたよ。これもスゴイですよ。まさに「愛国無罪」

 前スレの620氏の翻訳
 620 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[sage] 投稿日:2006/03/19(日) 18:43:51 ID:7TraSqYU
 英検2級の翻訳
 
 「9階裏、6-0で日本が韓国をリードしています。
 さて、御存知のとおり、WBCが始まる前のイチローのコメントが物議を醸しています。
 たしか「韓国は日本に30年間立ち向かわないようにする」といった発言でした。
 さぁ、このVTRをご覧下さい。(韓国の)3塁手がイチローのポップフライをキャッチしたところですが、イチローがベンチに戻るときに3塁手がしたことをご覧下さい。」
 「まぁ、なんですかねぇ。この種の行動は、アメフトの試合で負けてる方のチームの選手がタックルに成功して、スコアは負けてるにもかかわらず何故か飛び上がって喜んでるのような挑発シーンを思い出しますねぇ。タックルをうけた方の選手はスコアボードを指差して『喜んでる場合じゃないだろ、お前のチーム負けてるんだぞ』と挑発行為に対して冷静に切り返すようなシーンなわけですが・・・(苦笑)
 見てください。イチローは挑発行為を全く無視してますね。」

 はぁ・・・。
 
 体をぶつけ合ってエキサイトしやすい、またタックル自体は正当なプレーであって、しかも国内リーグのアメフトならともかく、相手にボールをぶつけるというプレーは存在しない野球でしかも国際試合という舞台で、こういうコトをしますかね、普通。
 
 これまさにオレが今回言いたかったコトを全て表している気がするよな。つまり韓国の脳みそが腐っているかのような「愛国無罪」精神、それは本家中国に対しても同じ事が言えるが、こいつらとは常識の共有ができないから同盟国とはなれないわけだ。いつ後ろから撃たれるか分かったもんじゃないからな。しかしアメリカは違うと。少なくとも彼らには彼らの正義があって、日本と常識をある程度共有できるぐらいの正義のあり方がある。そして自浄作用もある。このようなバカの行為をわざわざテレビで取り上げて「なにやってんだこいつ」ぐらいはキチンと伝えられる正義と常識をアメリカは持っているわけだ。だから日本は相対的にアメリカと同盟するのが一番マシなんだと言えるんだよ。
 
 日本のマスコミはこの「ボールぶつけ事件」については一切取り上げてないという現状を鑑みても・・・
 
 なんだ、日本のマスコミに比べたら、アメリカの方がマシと言えてしまうぞ。朝鮮ポチがいっぱいな日本の現状だな、悲しいことに。いつか食われるぞ。
 
 んで、外交の話ですが、同盟をどこかでしなければならない以上は、どうしても「向こうよりはここの方がいいだろうか」という相対評価になりますから、「一番マシ」なところを選ばなければならないですからね。
 
 オレがね、アメリカで素直に「凄いな」「いいな」と思える部分が、少なくとも表向きには実力で評価するっていう部分なんだよ。昨日の試合、途中45分ぐらい雨で中断したんだか、どうもアメリカの中継ではその間「王貞治監督の現役時代の軌跡」を流していたらしい。日本のアナウンサーが言ってたよ。これはね、凄いよね。本来野球発祥の国でありベーブルースなどの偉大な誇れる先人達がいるアメリカで、その記録を破ってしまった王さんに対しては、もちろん本音ではとても悔しい部分があるだろうし、嫉妬する部分もあるだろうし、差別的な部分もあるだろう、そしてそれらが形となって表れる事もままあるが、でも表向きというか、違う部分においてはキッチリと評価し敬意を払うという事がアメリカ人は出来るわけだ。これはね、なかなか出来ることではないと思うし、しかしアメリカ人の「正義観」からして、野球だけではなくてね、こういうことはよく見られるんだよ。これは凄いなと。そして信頼できる材料のひとつだなと。
 
 これも自浄作用と言いますか、それぞれの立場からする正義のあり方、いろいろな意見を持てる環境、言える環境がアメリカにはあるって証拠でしょうね。そしてそれは日本の価値観にも近いモノがあるってコトで。
 
 そして韓国や中国にはないんだよな、それが。だから信用できないと。むしろボールを投げつけるような感覚しか持ち合わせていない。
 
 これでは安心して同盟なんて組めませんよね。最も基本的な部分で信用できないんですから
 
 今回の大会だけでもよく分かったよな。「中国や韓国とこそ重要な同盟国になるべき」という意見のあまりにも非現実的さと、アメリカのある程度は信頼できる部分があるという現実論と。ちょっと「ポチだポチだ。アメリカに抵抗することそれだけが正義だ」としか言わなくなってしまった人たちに、その辺をよくしっかりと考えてもらいたいものだな。
 
 例えば、今回の大会の日本での予選で、台湾選手が入場時に日本の王監督に対して全員がまず最初に頭を下げて礼をして入ってたんですね。王さんがもともとは台湾の方のご出身ということからみたいですが、しかしこれ国際試合ではまずあり得ない光景なワケです。日本でもこんなことまでするのか自信ないですが、でもこれ日本人の琴線に触れる光景だと思うんですよ。日本人が忘れてしまっている美しい心の有り様だと思うんですよ。こういうコトひとつとってみても、「ああ台湾って素晴らしい国だなぁ」と思えてくるワケです。まぁ政治的になかなか難しいところですが、本来はこういう国と同盟を結びたいですよね。
 
 そうそう。ヨーロッパの国とか、インドとか、いろいろと常識をある程度共有できる国っていうのは、他にもあると思うから、そういうところに重点を置いて外交してほしいよな。いくらがんばったって、中国や韓国とはもはや絶対と言いきれるぐらい価値観を共有できないんだから、もうあきらめるしかないやんと。適当に付き合ってあしらっておくしかないやんと。
 
 これからは、アメリカとの同盟を維持しながら、他に信頼できる国を探して見つけて、そして関係をどう構築していくかが外交において最も大切なコトになってくるのではないかと思います。
 
 しかしまぁ国際試合という国際的に注目されるような場において、ここまでお行儀悪くできるもんだよな。まぁこれも愛国無罪、精神性なんだろう。
 まぁそれはともかく、小石程度の存在など気にせずに、明日の決勝戦を応援しよう。頑張れニッポン。世界一だー。
 
 おー。
 

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平成18年3月21日

 WBCに見る今後の日本のパートナー観

 やったーーーーーーーーーーーーーー。
 やった、やった、やりましたああああああああああああああ。
 うれしい、本当にうれしいです。
 
 日本の念願の、悲願の、72年の歴史の全てはこの瞬間のためにあった
 その世界一の座をついに日本が手に入れましたああああああああああっ!!!
 
 王監督、選手の皆さん、そして今大会に関わった全てのみなさん、ありがとうございました。
 感動をありがとうございました。
 本当にもうなんて言ったらいいのか分からないぐらい、ありがとうございました。
 皆さんは日本の誇りです。
 やえは日本に生まれて幸せです。
 
 ホントホントありがとうございます。
 うれしいです。
 心から嬉しいです。
 
 日本ばんざーい、ばんざーい、ばんざーーーーーいっ!!
  

平成18年3月22日

 ここまで粘着とは・・・。

 当サイトを昔からよくご覧頂いている方はご存じのコトとは思いますが、当サイトは基本的に嫌韓な態度に対してはよく否定的な意見を述べています。
 この前の更新のように、韓国のどうしようもないような態度を前提としつつのそこから話をふくらませるコトというのはよくしますが、しかし嫌韓ありきの意見というモノはやっぱりよろしくないと考え、そう主張してきました。
 むしろどう真の日韓友好というモノが築けるのか、真剣に考えて公開した文章というモノも過去にはあったりしています。
 実際にやえは韓国に行ったり、またお友達のヒェミちゃんからも意見を聞きながら、常に前向きに考えるよう務めてきたつもりです。
 
 しかし、これはさすがに、ちょっと、あの、どうコメントしていいか分かりません。
 こういう気質があるというコトはもちろん認識していましたが、その上でここまでハッキリと分かりやすい事例もなかなかないんじゃないでしょうか。
 これほどまでの「恨」の精神、ここまでの粘着の精神がひどいものとは思いませんでした。
 「想像を絶する」というヤツです。

 秋以降に日韓再戦を希望 韓国野球委
 
 韓国野球委員会(KBO)の辛相佑総裁は22日の平和放送のラジオ番組で、プロ野球シーズン終了後の10月以降に日本で再度、日韓戦を行いたいとの考えを示した。
 辛総裁はワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で日本が優勝したことについて「実質的には2対1(2勝1敗)で韓国に負けたと、日本もよく分かっている」とした。また、開催時期の気候的な問題から「(韓国には)ドーム球場がないために(再戦は)日本の意思が重要」と述べた。

 これはもうダメかもしれません・・・
 
 ネタにマジレスするのもカコワルイんですが、一応言わせていただきますと、こんなの受けるべきではありません
 何かの記念や何かの大会前の試運転試合というような性格のモノであれば別に構わないと思いますが、しかし本人も認めるぐらいの「WBCの恨みを晴らすための試合」なんて、なんで受けなければならないのでしょうか
 これ前も言いましたように、日本はWBCで韓国と戦うために出場したのでは全くありません。
 日本は世界一の称号を得るために出場したのです。
 そしてその中のクリアすべき関門の一つに予選があって、たまたまその中に韓国がいただけであって、たまたま韓国と3回戦うコトになっただけの話でしかないのです。
 決して韓国と戦うためだけにWBCに出たのではありません
 韓国が出場していなくても日本はWBCに出場し、世界一の称号を得るために全力で戦い、そして優勝した暁には堂々と「世界一」を名乗っていたコトでしょう。
 ただそれだけのコトなのです。
 
 はじめから勝率が一番いいチームが勝つというルールになっていたワケでもなく、また途中で優勝に至るためのルールが変わったワケでもなく、はじめから規定されていた枠内で戦って、そして日本が優勝したのです。
 それを今さらどうこう言ったところで、ルールはルールです。
 これ前にもカーリングの時に言った覚えがあるんですが、何事もルールがあってその中で全力を尽くすのがスポーツとか試合とかであるワケです。
 もしルールが違っていたらどうこうなっていたと言うのは、それはもはやスポーツそのものを否定しかねない発言にしかなりません。 
 例えば、辛相佑総裁の言っているコトというのは「あと外野が10m狭ければ優勝できていた」とか「金属バット使用可としていれば優勝できていた」とか、極端なコトを言えば「キムチを食べながらプレーするようにしていれば優勝できていた」とか、そういうレベルでしかないでしょう。
 
 ルールに問題があったのは否定しません。
 それは今後の課題でしょう。
 しかし今回はとにもかくにもこのルールで開催されたワケで、某審判の誤審は誤審という文字通りルール破りですから問題外としましても、とにかくこのルールで大会が開催された以上はこの大会でルール通り優勝したのですから、文句なく日本は優勝なのです。
 世界一なのです。
 ルールが違っていたら韓国は優勝していたかもしれないという言葉は、韓国だけが出場する大会であれば優勝できたかもしないと言っているぐらい、とてもむなしい発言でしかないでしょう
 
 悔しいのは分かりますが、泣き言を言うだけでなく、恨みを晴らそうとするためだけに試合を持ちかけるというのは、いくらなんでも常識を疑ってしまいます
 そういう発想が出てくるコト自体があまりに想定外すぎます。
 定期的に東アジア大会を開きましょうとか、サッカーのアンダー20のように若手中心の大会を開きましょうとか、そういう提案ならまだ検討の余地はあると思いますが、しかしこれはいくらなんでも非常識です。
 なぜその時期に韓国とだけAクラスマッチをしなければならないのか、全く理由が存在しません。
 
 日本はこれを受けるべきではないコトをもう一度ここに明言しておきます。
 
 本来ならこういう言い方は嫌いなのですが、敢えて言ってしまうと、どうせその時日本が勝ったとしても「これで2−2で引き分けになった」とか言い出すとしか思えません。
 そもそも、試合によってプレッシャーや重要度は当然違うワケで、もはや負けても結果は変わらないアジア予選ラウンドの試合と、確かに負けたら後が無いように見えてるけどしかし望みは全く0ではない試合でしかもアメリカに誤審で敗れてしまった試合と、これに勝てば決勝戦に行けるという試合とは、これはもうそれぞれ全く別の試合です。
 それだけでも「2−1」と言っている意味が全く理解できないのに、まして練習試合に等しいその大会を、これらと同列に語るコトなどナンセンスにもほどがあります
 どうしてこう韓国の人って日本にここまで粘着し、日本にだけ執着するのでしょうか。
 
 日韓友好なんて夢のまた夢なんでしょうか・・・。
 
 
 
 えーと、一応とある韓国人から釈明をもらいましたのでご紹介しておきます(笑)
 
 これはひどすww
 野球界総裁の電波発言なんですべてのコリアンがこう思ってると思わないでくれww
 ちょっとルールに問題あったんだけど負けはまけ。あと日本が客観的に戦力が上だということもわかっているし
 
 うんうん、もしかしたら辛相佑総裁という人は日本のナベツネみたいな人なのかもしれませんしね、一応そういうコトもあるかもしれないというコトだけは理解しようと試みておきます(笑)
 まぁ確かにナベツネさんの意見がが日本人の集約された意見とは思われたくないですからね。
 この人もそういう人なんだと思いたいモノです。
 
 
 
 えーと、これでフォローできたでしょうか?(汗苦笑
 

 

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平成18年3月23日

 小泉メルマガレビュー

 小泉内閣メールマガジン 第227号 ========================== 2006/03/23
 
 [らいおんはーと 〜 小泉総理のメッセージ]
 ● WBCで世界一
 小泉純一郎です。
 ワールド・ベースボール・クラシック大会で日本代表が世界一になりました。私も、準決勝、決勝と、手に汗を握り、興奮しながら、テレビで応援していました。
 アジア、アフリカ、南北アメリカ、ヨーロッパ、オセアニアからの16チームで争われた1次リーグの上位2チームずつ、8チームが2次リーグに進み、その上位2チームずつの4チームが最後はトーナメント方式で争う方式。
 
 こんにちは、小泉さん。
 スポーツ好きの小泉さんとしても、ドキドキワクワクの数週間だったのではないでしょうか。
 やえもテレビを見ながら、これぞまさに「手に汗を握る」を実践して応援していました。
 野球って一球一球のあの緊張感がいいんですよね。
 
 日本は強豪韓国に1次リーグでは2対3と敗れ、2位で通過。2次リーグでも1対2と敗れて再び2位。しかし、この敗戦に屈することなく、3度目の対戦となる準決勝ではチームが一丸となって力を合わせ、6対0と破って決勝に進みました。
 
 予選の日本ラウンドは通過が決まっていたのでまだいいとしても、さすがに2次リーグの負けにはどうしようかと思いました。
 やえも、ああこれで終わりか・・・、と正直思いましたもの。
 でもそれを乗り越えてのあの準決勝。
 上原投手の素晴らしい好投に、今までたまっていたモノを全て出し切ったかのような爽快感がありました。
 
 野球発祥の地アメリカ代表チームは、2次リーグで日本に4対3と勝ちながら、同じ1勝2敗の日本とわずか0.01の失点率差で決勝トーナメントには残れませんでした。
 
 ほんとメキシコ様に感謝感謝大感謝です。
 今回の日本の優勝はメキシコ様の力があってこそです。
 ビバメキシコです。
 
 決勝の相手キューバも、1次リーグではプエルトリコに、2次リーグではドミニカに敗れながら、準決勝でドミニカを破っての決勝進出でした。
 
 勝負なんてそういうモノなんですよね。
 特にピッチャー一人に試合の大部分がかかるような野球という競技においてはなおさらです。
 ですからやえは本来なら準決勝や決勝なんかは5回戦3勝先取方式の方がいいのではないかと思っています。
 
 これまで何度もオリンピックで金メダルを獲得したことのある強敵キューバとの試合も、2度敗れた後の韓国との試合も素晴らしいものでした。日本シリーズの緊張感と高校野球のひたむきさが重なりあったすごい試合でした。見事世界一に輝いた、王監督が率いる日本代表のみなさんの活躍を誇りに思います。これからも世界中の野球ファンのために頑張っていただきたいと思います。
 
 ホント、王監督と先取の皆さん方は日本の誇りです。
 さっきも言いましたように、野球とは一球一球の緊張感が醍醐味のスポーツですから、さらにこの一試合で全てが決まるような緊張感のもとではその醍醐味がプラスされるワケです。
 高校野球の人気はここにもあると思うんですが、やっぱりプロの選手による、しかも一流の中の一流、超一流の選手達の真剣勝負なんですから、面白くないハズがないという大会だったと思います。
 次は3年後らしいですが、早くまた見たいですね。
 
 最近、景気が上向き始めたこともあって、雇用をめぐる状況も明るい話が出はじめてきました。一時期0.51倍まで低下した有効求人倍率は、最近では1.03倍に回復し、東海地方や関東地方北部では1.5倍を超える地域も出てきました。
 一時期5.5%あった失業率も、最近は4%台半ばまで下がりました。
 
 一時期景気がよくなり始めた頃、「まだまだ雇用が回復してないから景気回復していない」という意見が大勢を占めていた時もあったのですが、それも回復しつつあるようです。
 地域格差が出始めているという意見もあるようですが、そもそも景気とはどうしても大都市からまずはじまって、数年ぐらいのタイムラグがあって地方に伝わっていくモノですからね、もうちょっと見ていく必要があると思います。
 
 大学を出ても就職先がないと言われていた事態も最近改善しはじめ、大卒の若者を採用する企業の採用予定人員は、このところ毎年20%を超える伸びを示しています。
 まだまだ、正規雇用が減少してパートなどの雇用が増えるという傾向から脱していませんが、雇用にも明るさが見えてきたような気がします。
 
 一番きついと思われていた、新卒の就職率も回復しているようです。
 ただまぁこれはおそらくほっといてもある程度は回復すると思っていましたけどね。
 だって新しい人いれないと、いつかその会社は老人ばかりになって立ちゆかなくなってしまいますからね。
 もちろんバブルの頃のような、望めばどこにでも入れるような時代はもう来ないでしょうし、むしろその方が異常な状態なワケですから、どちら側にも触れすぎた振り子がこれから徐々に正常化していくと考えるのが一番適切なんだと思います。
 
 来週には、4月から始まる平成18年度予算が年度内成立することがほぼ確実になりました。これによって、ようやく見え始めた景気回復の動きをさらに確実なものにしていきたいと思います。
 
 だれかのおかげで比較的すんなり通りました予算案です。
 これに対して、そのすんなりを危惧するような声も一部あるようですが、しかしですね、民主党が対案として示していた予算案ってこんなモンなんですよ

 見える予算のポイント
 
 1.「安全・安心」が見える 10兆円
  「建てもの・食べもの・乗りもの・子ども」の安全を守ります。
  「人」への投資
  支援の必要な人には確かな支援を行います。
  「チルドレン・ファースト」
 
 2.「地域」が見える    20兆円
  大胆な地方分権を推進するとともに、地域経済の活性化に向けた投資を行います。
  
 3.「未来」が見える    30兆円
  特別会計をゼロベースで見直して、33兆円の借金返済と予算の「見える」化を進めます。
  できる限り借金を少なくします。

 なんですかこれ?
 適当に金額書いてません?
 で、まぁ、これは一応「もくじ」というコトで、ではその中身について見てみましょうということになると思うのですが、例えば2での中身を覗いてみると

 2.「地域」が見える
 
 大胆な地方分権を推進するとともに、地域経済の活性化に向けた投資を行います。
 【主要事業】
  大胆な税源移譲                5.5兆円
  地方が自由に使える一回交付金制度創設    12.7兆円
  地域の活力を高める高速道路無料化       1.5兆円
  地域経済を支える中小企業を重点的に支援   1250億円
  地域に仕事を生み出す「緑のダム事業」(再掲)4000億円

 これだけです。
 なんですかこれ?
 はぁ・・・、これだけで予算が決まるならこんな楽なコトはないですよ。
 こんな程度のモノのために、そこまで時間を割く必要性をあまり感じないワケです。
 まぁ実権のない野党ですから、役所からの支援やデータの提示が得られないという点を考慮してもいいですけど、それでもこれはあまりにもあんまりではないのでしょうか。
 いやしくもわざわざ一つの独立したしかも常任の委員会が設置されている予算について、この程度でどう議論が進められるというのか、やえには疑問しか浮かびません。
 民主党は、予算がこの程度で決まってしまうと思われてしまうような、国会を軽視するようなコトはやめてもらいたいと思います。
 
 東京では、一昨日、平年より7日早く、桜の開花宣言がありました。これからいよいよ春本番に向けて、明るい話がつづくように、頑張っていきたいと思います。
 
 そうですね。
 今年はスポーツイヤーのようですし、サッカーのW杯もありますし、明るい話題が続くようになればいいですね。
 
 
 
 [編集後記]
 今週号は、先日、官邸で行われた「外国人から見た観光まちづくり懇談会」委員のセーラ・マリ・カミングスさんからの特別寄稿をお届けしました。小布施町の魅力にいち早く気付き、それを革新的とも言えるほどのアイディアで発信し続けるセーラさんのバイタリティには脱帽します。
 
 小泉改革の一環である「観光立国」ですね。
 これ実際に効果を上げているようで、やっぱりというかあまりマスコミでは評価の声があがってこないワケですけど、こうやって地道にみなさん努力されているワケです。
 専門家や多くの方から意見を聞きながら。
 
 私の地元、富山では、毎年9月に行われる「越中おわら風の盆」を本格的な通年の観光資源として整備して観光客を大幅に増やし、観光カリスマとして活躍していらっしゃる方がいます。日本全国で自分のまちの個性を活かした元気のあるまちがこれからもどんどん増えていくことを期待しています。
 
 あっ、官房副長官という地位を利用して地元に利益誘導してます(笑)
 というか、「越中おわら風の盆」ってなんですか?(^^;
 たしかに、名前だけでインパクトありますし、すごい個性だとは思いますが(笑)
 
 一応調べてみました
 ああ、これは、なんでしょう、美しいですねぇ。
 すごいです、なんか行きたくなってきました(笑)
 いやあ、まだまだこういう素晴らしい文化が各地にあるんですねぇ。
 
 卒業式のシーズンです。これまで慣れ親しんだ世界から新たな世界に飛び出す期待と不安がないまぜになった複雑な気持ちを皆さんも憶えていらっしゃるのではないでしょうか。卒業を迎えられた方の前途が素晴らしいものとなるようお祈りいたします。(じんえん)
 
 出会いと別れの季節ですねぇ。
 4月まであとちょっと。
 忙しい人も忙しくない人も、4月になれば何か変わるかもしれません。
 がんばりましょー(何
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、らいおんはーとを応援しています。
 

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平成18年3月24日

 イチローの愛国心

   | \
   |Д`) ダレモイナイ・・オドルナラ イマノウチ
   |⊂
   |
 
 
     ♪  Å
   ♪   / \   バンザイ ザイ
      ヽ(´Д`;)ノ   バンザイ ザイ
         (  へ)    ニッポン ニッポン
          く       バンザイ ザイ
 
 
 
   ♪    Å
     ♪ / \   バンザイ ザイ
      ヽ(;´Д`)ノ  バンザイ ザイ
         (へ  )    ニッポン ニッポン
             >    バンザイ ザイ

 
 やえに見つからないうちに、今日もオレが更新ダー。
 とりあえず、一行のキミっ
 
 >名無しサン<03/21 18:03>広島カープの選手は活躍しなかったね
 
 クリリンのことかーーー_| ̄|○
 
 というか、黒田って呼ばれなかったの?
 それとも辞退してしまったの?
 それだけがちょっと心残りだけど、まぁでもうれしいやね。
 次はもっともっと日本の球界が一体となって連覇を狙って欲しいと思う。
 
 
 
 さて、では今日はイチローの愛国心について語りたいと思う。
 
 今までイチローという選手はとてもクールだと、やもすれば野球の求道者かのようなイメージで語られてきたわけだが、今回のWBCに対する数々の言動か今までの印象とあまりにも違うので、そのギャップに驚いている人も多いのではないだろうか。
 かくいうオレもその一人である。
 WBCが始まるということで、現在アメリカで活躍しているイチローが日本に戻ってきている中で、いつになくテレビ等のメディアに露出していたのだが、その言動が今までのイメージのギャップとはあまりにも違っていたのでとても驚き、興味深く見ていた。
 
 そしてそれは感嘆に変わり、感動に変わっていった。
 イチローの野球に対する姿勢、プロというものに対する哲学が、あまりにも素晴らしいのである
 これはオレが昔から主張していたようなプロ論と合致する部分が多いし、それを実際に実行しているその姿には、まさに素晴らしいとしか言いようのない賞賛を送りたい気持ちでいっぱいにさせてくれるのだ。
 
 さらにその上でのイチローの日本に対する愛情には凄いものがあった。
 
 もしかしたらこのイチローの素直な表現には、他の日本人には理解しがたいものと言えるかもしれない。
 実際にマスコミとかでは「はしゃぎすぎ」だとかなんとか言われ、また「アメリカで受けてきた差別が原動力になっているんだ」というような報導もなされた。
 またイチローは「世界一」にこだわっているんだと、今まで個人の勲章はたくさんとってきた、そしてそのひとつに世界一がほしいんだと、そういう報導の仕方もよく見られた。
 
 しかしオレはそうは思わない。
 
 オレはイチローの気持ちがよく分かる。
 よく分かると言ってしまったらちょっと僭越なので、オレはイチローの気持ちがなんとなく分かる、としておこうか。
 今回のイチローの一連の言動は、明らかに「愛国心」から来るものだった
 
 愛国心というか、郷土愛というものは、その地から離れた時一番実感するのである
 
 これはオレの経験則からなんだが、やはり地元広島を離れた時が一番広島への愛着が強くなった。
 サイトでもオレややえが広島出身であるという事をよくネタにしているし、かなり認知されているようでツッコミも来たし(笑)、それはなぜかというとやっぱり広島への愛着があって、もっと広島頑張れと、そういう気持から、そしてオレは広島出身の人間なんだという誇りの表れからよくよくネタにしているのである。
 やはり一度その地を離れてみるという事が、一番その土地の良いところそして悪いところ、冷静に見えてくるようになる。
 良い点や悪い点というのはやはり他と比べて見えてくるものであるし、また愛着というのもまさに空気のように当たり前の存在に対しては空気に普段は感謝しないのと同じように、特別な感情を抱きにくいというのも事実であるので、病気になってはじめて健康のありがたみが分かるのと同じように、外に出た時にはじめて今までいた地のありがたみ、良さ悪さが分かってくるのである
 そしてその全てを含めて、「ああ自分は広島の人間なんだな」と再認識させられるわけだ。
 
 この感覚というのは、生まれ故郷から別の土地に出た人間なら、大なり小なり感じることなのではないかと思う。
 
 愛国心もこれと同じであろう。
 例えば幕末の世にあって急に愛国心=尊皇攘夷という感情が爆発したわけだが、あれも黒船という「外」に触れて出てきた感情であろう。
 また、その黒船を実感として沸くことができなかった、外国の驚異を感じられなかった人というのは、むしろ日本という枠組みではなく藩という枠組みで物事を考えていたが、それも「外」という概念の違いからくるすれ違いだったと言えるだろう。
 すなわち、外国を外(の敵)と見なせば日本という枠組みでまとまる必要があると認識するだろう一方、他の藩を外と見なせばそれは自分の藩が一番大切という感情になる。
 一番分かりやすい論理だが、愛国心や郷土愛というのは外が存在するかどうかによってその度合いが違ってくるものなのである。
 
 イチローもそうなのであったのではないかと思うのだ。
 アメリカという外に出たからこそ余計に「Japan」のユニフォームを着れる喜びを実感したのではないだろうか
 もしかしたら他の日本で活躍する選手達は「日本の中でも優れている選手達のチーム」ぐらいにしか認識していないのかもしれないが、しかしイチローは「日本という国家を背負うチーム」という概念を実感したのだろう。
 例えばサッカーなどはもうはじめから「日本代表」というモノが既定路線としてあるワケで、中田英寿なんかも幼い頃からそれぞれの年代での代表を経験しているだけに、「それは優秀な選手が出るモノ」という目に見えるひとつの目標でしかないために、今になってはあまり「国を背負う」という気持ちが出ないのだろう。
 しかし野球は今まで代表戦がなかっただけに、余計に「優れた選手が」というモノ以上に素直に愛国心が実感として沸いてきたのだと思う。
 もしオレが、何かのイベントで広島県庁から「広島県代表として出場して欲しい」と依頼が来たら、オレは喜んで受けるだろう。
 「ああ、オレなんかが故郷を代表して出場を願われるようになったなんて、なんていう誇りなんだ
 そう思わずにはいられない。
 イチローも大会の前の記者会見で、「これ(ジャパンのユニフォーム)を着たら気合い入っちゃいますよ」と言っていたが、これは本当に素直な感情だっただろう。
 国を背負える嬉しさを心から実感したのではなかろうか。
 
 オレは、愛国心はある程度教育しないと身に付かないものだと思っている。
 少なくとも、「国なんて存在しなくても生きていける。国歌という枠組みは悪で、地球市民こそが善」などという教育を行っているにもかかわらず「愛国心は自然とわき出るものだ」と主張するのはあまりにも身勝手すぎる話だ。
 年配の人や目上の人や親や先祖に対しては経緯を持つべきだという考えも、そもそも儒教という教えがバックボーンあって明確に実践できるようになってきたわけで、やはりなにかしら敬うという感情を持つためには教育は必要だと言わざるを得ない。
 だから「日本は世界最古の歴史を持ち、さらに天皇という世界最古の家柄を持つ貴い存在を戴く素晴らしい国だ」ということぐらいは教える必要があるのではないかと思っている。
 
 しかし、そう教えなくても、本当に文字通り自然発生的に沸く愛国心もたまには存在するだろう。
 イチローはまさにその極めて少ない例だったと言える。
 だからこそオレはイチローの愛国心をもっと「愛国心だ」と伝える必要があったのではないかと思うのだ。
 普段「愛国心は自然と沸いてでるものだ」と主張している人はなおさらイチローの事実を伝える必要があったのではないだろうか。
 そしてイチローの愛国心こそが真の愛国心であり、日本人はああなるべきだと言わなければならないのではないだろうか。
 
 それにしてもここまで清々しい気持ちのいい愛国心を爆発させた人物をオレはひさしぶりに見た気がする。
 イチローがいたからこそ今回のWBCはここまで面白くなったのではないだろうか。
 あらゆる意味でオレは今回の日本代表に感謝するのであった。
 

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平成18年3月26日

 「ネットがなくなるかもしれないバトン」は「プロパガンダバトン」

 トラックバックやコメント覧、なかなか良い感じなような気がしてきました。
 なんだかんだで当サイトは書き込みができる場所が多くて、だから逆にどこに書いたらいいのかまとまりがなくなってきているような気がしないこともないので、ブログ風コメント覧に絞った方がいいのかなと思わなくもありません。
 ただ、通常のサイトスタイルに愛着があるのも事実。
 ここが悩みどころです。
 
 ちなみにどなたか、トラックバック&コメント機能をCGIとかSSIで設置でき、かつ柱の部分(当サイトでは一行ボードやリンクをおいている部分)に「最新のトラバ&コメント一覧」が表示できるようなモノがありましたら、教えて頂けないでしょうか。
 ちょっと難しいかもしれませんが、ぜひぜひよろしくお願いします。
 
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 
 久しぶりに人権擁護法案のお話です。
 
 なんなんでしょうか、なぜかネットの一部で急にこの話が再燃しているようです。
 この前いただいたメールでも、おそらく人権法のコトについてなのでしょう、「この法案は誰が作ったんですか?」というような内容のモノをいただきました。
 でも現在この法案はほとんど死に法案になっています。
 前々回の国会(郵政選挙のために解散となった時の国会)で提出されていた似たような法案が解散のために廃案になってから、前回の国会でも提出されずじまいでしたし、今回の国会でも提出される気配はありません。
 さらに自民党内でもまだ議論になっておらず、自民党の今国会提出予定案にすらなっていない現状で、なぜこの問題がまた再燃しているのか、ちょっとやえにはよく理解できません。
 もちろん提出予定なんて予定が変わるコトもあり得ますが、少なくとも自民党で議論されない限りは衆参議院に提出されるコトはまずない、民主党案とかはあり得ますが可決しません、ですから、本当に「なんで今更」というこの騒がれようです。
 
 そもそもこの法案に絡む動きで何が一番問題なのかと言えば、それは無知のまま、間違った知識のまま、思いこみだけの知識のまま、全く無思慮のまま、完全に筋違いの意見のままに、政治に口出しが出来てしまうという前例が出来てしまうコトです。
 ハッキリ言ってやえはこの法案がどうなろうがあまり興味がありません。
 というより、どっちでもいいというのが本音のところです。
 この法案がどうなろうが、日本にとってはたいした影響は出ません。
 しかし一番の問題は、政治のことも法律のこともそして差別のことも何も知ろうとしないまま、ただただ雰囲気だけで、また自分だけが気持ちが良いかどうかだけで安易に政治を口を出し、そしてそれが現実に影響を及ぼしてしまうという前例ができあがってしまうのが一番の問題なのです
 これは完全に「ポピュリズム・衆愚政治」です。
 当サイトによくお越しの方はご存じだと思いますが、やえはポピュリズムが一番嫌いです。
 しかし、この法案に絡む動きを見ていると、衆愚政治ここに極まれりと言いますか、ますますやっぱりポピュリズムこそ最悪なモノはないなと再認識させられてしまうワケなのです。
 
 ネットで法案などに対しての意見などを表明するのは全て政治活動です
 デモも政治活動ですし、ビラ配りも政治活動です。
 言うまでもないコトですが、しかし政治活動をするという覚悟を全く認識していない人が多すぎです。
 やっているコトは「政治ごっこ」
 それは小学校なんかで行われていたような、全く法概念・民主主義概念を無視した「学級裁判」と全く同じ精神構造です。
 正しい知識も思考もないまま、間違った現状認識によって数の暴力だけを頼りに問題を解決しようとする。
 まさに学級裁判の“正しい”姿であり、そして最近の人権法にかかるネットでの動きの姿です。
 
 そしてプロパガンダによってさらにその傾向を先鋭化させています。
 プロパガンダとは「宣伝。特に、ある政治的意図のもとに主義や思想を強調する宣伝(『大辞泉』より)という意味ですが、多くの場合否定的な意味で使われるコトが多く、つまり「最大多数の支持を獲得するために事実の誇張・歪曲を含むあらゆる手段を行使し、理性よりは感情に訴えること(「ウィキペディア」より)と言えます。
 以下に紹介するバトンはまさにプロパガンダバトンです
 問題を極端な形で表し、また矮小化させるという「事実の誇張・歪曲」を用いて、誰にでも分かりやすい=考える必要がない形で提示し、感情によって支持を得ようとしています。

 「ネットがなくなるかもしれないバトン」
 
 1)人権擁護法案を知っていますか?
 2)この法案によって、インターネットが制限される事を知っていますか?
 3)ネットでの発言によっては、パソコンが押収される事を知っていますか?
 4)この法案は「無実の罪」を着せる事が出来るのをを知っていますか?
 5)「無実の罪」を着せられても弁護士を呼ぶ事が出来ないのを知っていますか?
 6)この法案によって侵害された「人権」の回復が難しい事を知っていますか?
 7)「人権擁護委員」の選出法が、いい加減だと言う事を知っていますか?
 8)日本の法律なのに、外国人が「人権擁護委員」になれる事を知っていますか?
 9)この法案に賛成ですか、反対ですか?

 このバトンを目にした人、回答しようとしている人、そして回答した人にちゃんと知ってもらいたいのは、これは完全に政治活動であり、そしてプロパガンダというコトです
 このようなプロパガンダで得られるのは「ネットが無くならないようにするコト」ではなく、「ポピュリズムによって日本が危うくなるコト」です
 日本が民主主義の国である以上、やえはひとりひとりの国民に対して政治に口を出すなとは言いませんし、言えませんが、しかしもし政治を知らない分からない考えられないというのであれば、“日本のために”発言等は控えて欲しいと願わずにはいられません。
 
 
  「ネットがなくなるかもしれないバトン」
 
 1)人権擁護法案を知っていますか?
 
 知ってます。
 
 
 2)この法案によって、インターネットが制限される事を知っていますか?
 
 どういうコトでしょうか?
 法案が施行されるコト=インターネットが制限されるという意味でしたら、これは完全に誤りです。
 この法案は犯罪が行われるというコトに対してのモノですから、そうなれば当然インターネットであろうがなんだろうが、犯罪に対しては毅然とした態度で取り締まっていかなければならないでしょう。
 実際そのような内容に人権法宇案はなっています。
 ですからもし、このバトンを作った人や答える人が「インターネット=犯罪」という認識でしたら、これは制限されてしかるべきと言うのは正しいかもしれませんね。
 まぁやえはそうは思いませんが。
 
 
 3)ネットでの発言によっては、パソコンが押収される事を知っていますか?
 
 はい、知ってますよ。
 別にこの法案が無くても、実際に「殺人予告」等をして、押収・逮捕された輩もいますしね
 ですからこの法案に限らず普通のコトです。
 むしろこの法案に限った話でしたら、ちょっと話の筋が違ってきます。
 そもそもこの法案には何ら強制権はありません。
 確かに悪質な場合には過料が科される規定はありますが、しかし強制権を持っているような家宅捜索が出来るという規定にはなっていません。
 似たような法律に独占禁止法があって、公正取引委員会がたまに強制捜査をしているかのようなニュースが流れますが、しかしあれはあくまで警察による警察行為です。
 つまりああいう強制捜査とは、刑法に定められている事項に触れる場合に、警察とそして公取の合同捜査のような形で強制捜査が行われているワケです。
 あくまで強制捜査はこの法案や独占禁止法の規定によるモノではなく、強制捜査は警察が警察の権限によってなされているワケであり、この法案によって強制捜査が行われるコトはないのです。
 
 
 4)この法案は「無実の罪」を着せる事が出来るのをを知っていますか?
 
 この質問の意図、というか、このような質問を作った作者の感覚・常識が全く理解できません。
 念のために言っておきますが、「着せさせようとするコト」それ自体は、どんな法律にだって可能です。
 簡単な話、「あまおちさんが昨日幼女を家に連れ込んでいかがわしいコトをしていました」と警察にたれ込めば、一応それだけで「着させるコト」には成功しています。
 しかしそれが日本という国家の枠組みの中で制度的に事実として認められるコトはありません
 だいたいにしてこんなバカらしいというか基本的すぎるコトなんて、この前の民主党の永田議員のメール騒動で日本人は経験済みではありませんか。
 もし本当に疑惑が事実であるのであれば、それは最終的には裁判によって決せられるコトになります。
 この法案でも、人権委員会によって相手から意見を聞くと明文化されている措置もありますし、そして最終的な裁判を阻害するモノでもありません
 最終的に裁判で無罪となれば無罪ですし、有罪となれは有罪です。
 これは特に改めて言うほどのコトではなく、日本の民主主義国家としての制度の小学校でも習う最も基本的なお話です。
 
 
 5)「無実の罪」を着せられても弁護士を呼ぶ事が出来ないのを知っていますか?
 

 はいはい。
 頑張って裁判して下さいね。
 
 
 6)この法案によって侵害された「人権」の回復が難しい事を知っていますか?
 

 また悪意の固まり、プロパガンダの固まりのような質問ですね。
 つまりこの書き方では「この法案によらない人権侵害は回復が容易い」と言えてしまいますが、しかし果たしてそうなんでしょうか?
 少なくとも遠くない過去において、憎むべき人権侵害が起きているというのは事実として存在します
 そしてそれがいつも適切に解決されてきたとは残念ながら言い難いモノがあります。
 その中でこのような曲解の固まりのような質問を作るという行為は、やえにはあまりにも悪質すぎる行為と思わずにはいられません。
 どのような形であれ人権侵害は憎むべき犯罪です。
 そして残念な話ですが、どのような形であれ侵害された人権の回復は難しいモノです。
 ですから、「無実の罪」という、永田メール騒動のような悪意ある別の問題をもってして制度が悪であるという言い方は、これは全く筋違いもいいところでしょう
 
 
 7)「人権擁護委員」の選出法が、いい加減だと言う事を知っていますか?
 
 知りません。
 人権擁護委員の選出方法は次のようになっています

 1.市町村長が、当該市町村の住民のうちから、人格が高潔であって人権に関して高い識見を有する者をピックアップする。
 2.その人物が妥当かどうか議会の意見を聴く。
 3.市町村長がその人物を推薦する。
 4.当該市町村内の弁護士会及び都道府県人権擁護委員連合会の意見を聴く。
 5.人権委員会が決定をする。

 地方とは言え、首長や議会という民意が関わるような選出方法をとっているにも関わらず、それでも「いい加減」と言うのは、それはどういう根拠から言っているのでしょうか
 全く理解が出来ません。
 
 また、そもそも人権擁護委員には決定権はありません
 それは法案文にもしっかりと書いてあるコトです。
 さらに養護委員は「特別救済手続き」には関われないコトになっています
 よく危惧されている、このバトンの3にも書かれている「物品等の提出」も、これは特別救済手続きですので養護委員は関われません。
 まずはそういう事実を知るコト、ちょっと法案文を読むだけで分かるコトです、そういうコトをキチッとやってから意見を言って欲しいと思います
 
 
 8)日本の法律なのに、外国人が「人権擁護委員」になれる事を知っていますか?
 
 「日本の法律なのに」という意味が全く分かりません。
 どういう意図なのか聞いてみたいところです。
 また、先ほども言いましたように、養護委員にはなんら決定権は持っていません。
 それなのにここまでことさらに問題にするのもよく理解が出来ません。
 ちなみに前回の修正の部分で、外国人が養護委員になる場合には国会の付帯決議が必要になっているコトも併せて言っておきます。
 
 
 9)この法案に賛成ですか、反対ですか?
 
 最初にも言いましたように、やえはどっちでもいいです。
 しかし一番危惧するところは、このように全く筋違いの話ばかりを持ち出して一定の方向に誘導させようとするその意図、プロパガンダ政治・衆愚政治を達成させようとしている動きです
 こういうコトをやっている限り、日本はどんどん悪い方向に行っているのではないかと思わずにはいられないのです。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、プロパガンダである「ネットがなくなるかもしれないバトン」を全く応援しません。
 

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平成18年3月27日

 国民の心に訴える

 これはなかなか面白い視点でのコラムですね
 中身の賛否についてはともかく、全てを切って捨てるのではない一考の余地はある文章だと思います。
 特に、人間には才能があって努力だけではどうしようもない部分というものはある、という現代人が忘れがちな心理については、もうちょっと見つめ直す必要があるのではないかと思います。
 恋愛については・・・まぁあまおちさんにお任せします(笑)
 
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 
 さて今日は、どうも当サイトのコトを勘違いされている方がいらっしゃると思ったので、申し上げておきたいコトがあります。
 それは、当サイトはあくまで思想サイトであって、政治を実際に動かしているところではないというコトです
 つまり、日本の政治体制においてどのような道筋をたどれば法案が成立するのかなんてコトは、普通は考えませんし、言及もしません。
 人権法の時はそれに近いようなコトは言及してきましたが、しかし人権法の時すら、現実的・政治的にはどのような考え方が存在して、そしてそれをどう考えていくべきか、というコトは言及しても、実際に法案を通すため(通さないため)にはどうしたらよいか、なんてコトなど言っていません。
 だいたいにしてそんなコトは議員の先生方の仕事であり、議員でない人が出来るコトと言えば、抗議のアクションを起こすか、もしくは選挙に投票するぐらいしか手段は存在しないワケで、つまりやえは人権法の時にすら「こう考えるべきだ」と主張はしても、例えば「人権法を通すため(通さないために立候補するので応援してください」などとは一言も言っていないワケなのです。
 その中でも、せめて抗議する場合には最も効率的な方法をやえなりに示すコトもありますが、外国人参政権問題なんかはそうですね、しかし結局は議員でない人間が「実際に政治を動かすためにはどうしたらいいか」という極めて限定的な方法論を考えるのであれば、所詮は抗議か選挙しか方法は存在せず、そしてそんなコトはわざわざ当サイトで言うまでもない話なワケです。
 
 結局やえが最も重要視しているのは思想です。
 つまり、国民の意識です。
 議員でない人間がどう政治に最も関われるかというコトを考えたときに、やえは「国民の意識を変えるコト」が最も重要であると考えているのです
 
 これはいつもいつも当サイトでは言っていますね。
 政治を変えるにも、国民の意識を変えなければ根本的には何も変わらないと
 やえは政治を言及する(=政治行動)にしても、そのバックボーンたる思想はどうなのか、そしてそれをいかに多くの国民に理解してもらえるかをもっとも大切にしています。
 やえは、当サイトで考えを訴えるコトが一番政治的にも効果的な方法だと信じています
 政治とは、国民の意識を、特に日本では、もっとも反映する存在です。
 それは様々な意見のほぼ中間点を反映するモノです。
 例えば最近は保守思想の考え方を持つ人が増えてきているので、昔よりは保守的な政策(例えば靖国等)をとってきている政治家も増えてきていますが、これはあくまで政治の実行点である中間点が多少右側に寄ったという意味でしかないワケであって、保守思想の方が数が多いから一気に右側に政治が寄るという意味では無いワケです。
 これについては過去にも何度も触れていますが、ですから、その中間点たる政治の実行点を自分の考えに少しでも近づきたいと願うのであれば、それは一人でも多くの国民にやえの考え方を知ってもらうのが一番効果的なのです。
 数が増えれば増えるだけ徐々にやえ側に中間点=政治実行点がズレていくワケですね。
 実際に政治を動かすためには、これが唯一の方法かもしれません。
 だからやえは、みなさんにやえの考え方を訴えて、そしてそれをどう皆さんが受け止めて考えるか、結論を出すか、出来ればやえの考え方に同調して欲しいなと思いながら日々更新しているのです。
 
 政治と思想は役割が違うとちょっと前までよく議論になっていましたが、やえは思想の役割とはまさにこういうコトを言うんだと思っています。
 政治は外面的に人を強制させる力を持っていますが、思想は人の内面に訴えて結果をもたらす行為なのではないでしょうか。
 いま当サイトでは一日2000弱のアクセスがありますが、3日に一回とか1週間に一回とか見に来て頂いている方もけっこういらっしゃいますから、潜在的には完全に適当な推論ですが5000人ぐらいの人が当サイトを認知していると思っています。
 有権者一億人に対して5000人などたいした数ではないかもしれませんが、それでも永田町のあたりをうろつくだけのデモよりは確実に着実に現実に対して成果を上げていると、やえは信じています
 それが日々の更新の糧です。
 ですから、やえはもっともっと多くの人にやえの文章を読んでもらいたいと思っていますし、アクセスももっともっと増えて欲しいと願っています。
 これはプロの文章家だって同じなのではないでしょうか。
 もちろんいっぱい本が売れた方が儲かるという面も当然ありますが、それよりももっと自分の考えを知ってもらいたい同調してもらいたいという願いがまず先にあるのではないかと思います。
 そうしてそのような考え方が現実に影響を与えるワケです。
 それが思想家に対する使命なのではないかと、思想の役割なのではないかと、やえは思いながら当サイトを更新し、日々文章をアップし続けているのです。
 
 「側室制度なんて理解を得られるワケがない」
 こう言う人は多いですが、しかしどうしてそう断言できるのでしょうか。
 やえは一人でも多くの人がこの考えを理解してもらえるよう訴え続けます。
 もしかしたらその結果、そういう人が日本の大勢をしめるようになるかもしれません。
 いえむしろ、それを目指して思想家は思想を紡ぎ続けるのです
 初めからダメだという結論を出しては何も生まれません
 一人でもその考えを理解してもらえれば、それは十分に価値のあるコトだと、前進しているコトだと思います。
 「いま理解されないから」というのは論拠にはならないのです。
 「いま理解されないからやらない」のではなく、「これから理解されるため」に訴え続けているのですから。
 
 側室制度についてはもうちょっと違う意見があるのですが、しかし例えば20歳で結婚していただくようにするという方法は、これは「いま理解されないからダメ」なのではなく、「近い将来日本人が容認するようになるため」に、やえはそう主張していくのです。
 そしてその主張が理解しやすいよう、正当性や論拠を付け加えていくワケです。
 つまり「天皇家は特殊な存在であり、その独特の伝統を守っていくべき存在である」とか、「江戸時代さえ女性天皇は容認されてきた」とか、「特定個人に対して全体像を押しつけるのは失礼だ」とかです。
 ただ単に「20歳で結婚すればいいじゃん」だけでは理解しづらいでしょうけど、「過去にこのような経緯があって、それは今でも続けるべきだ」とかいう理由をつければ理解しやすくなるのではないかと思うのです。
 それが思想家の役割だと思います。
 やえはそう信じて今までやってきましたし、これからもそうやっていきたいと思っています。
 
 所詮、女系容認論だって、小泉さんが今総理大臣だからという理由だけで政治の俎上に上がっただけにすぎません。
 政治的にどのようなプロセスを経ているかなんて考えずに、ただ小泉さんがそう主張しただけです。
 その後、法案を通すために、半ば強引とも言える手段でレールを引こうとしました。
 これを逆に捉えれば、小泉さんが「やっぱり男系でいこう」と言ってしまえばそれが通ってしまう話でしかないのです。
 もしかしたら、いまは女系容認の方が現実的と思っている人が多いかもしれませんが、それは所詮小泉さんがそう主張したという根拠しかないワケです。
 もちろん現職の総理大臣の意見ですからそれなりに重いコトは重いですが、しかしだからといって「それだけが現実論である」とは決して言えません。
 女系を認めるのが現実論であると言われる一方、旧宮家の方々に復帰していただくコトがなぜ非現実的なのか、そこにはなんら理由は存在しないワケです
 思想的に考えればやえはよっぽどか前例のない女系容認の方が非現実的と言わざるを得ないと思うのですが、ではなぜそれにも関わらず女系の方が現実的方法と思われているのかと言えば、やっぱりそれは小泉さんがそう主張したからでしょう。
 そしてそれは「ただそれだけ」なのです。
 だから例えば小泉さんが「旧宮家の方々に復帰していただく」と今と逆の主張をしていれば、もちろんいろいろと思想的には賛否両論があるかもしれませんが、しかしいま「政治的にそれが現実論」と言っているような人というのは、このように結論が真逆であってもその意見を肯定しなければ筋が通らないコトになるでしょう
 現職総理大臣が主張するコトが現実論と言うのであれば、それは論の中身ではなく、ただ表面的な意見の表明しか論拠がないのですから、そうなりますね。
 しかしやえはそう思いません。
 現実論かどうかというモノは、そんな浅いモノではありません。
 女系容認にしても、宮家復帰にしても、これはどちらとも法律(皇室典範)を改正すれば実行できる話なのですから、「現実的に出来るかどうか」という点で見ればどちらもイーブンです。
 となれば、政治を変えるために出来るコトは、最初にも言いましたように、世論の中間点たる実行点をできるだけこっち側にズラすコトであり、それは国民の意識を変えるコトに他ならないワケです。
 一時的なデモや抗議だけではそれはなし得ません。
 恒久的に国民の意識を変えるコトこそが、立候補以外の唯一の政治に対する現実的なアプローチだと思っています
 だからやえは訴えるのです。
 神武天皇家の存続こそが日本の歴史と伝統を引き継ぐコトであり、悠久の昔から続くただ一つの日本国家であるという証明なのです、と。
 そう訴え続けるコトにより、一人でも多くの方にこの考え方を知ってもらい、同調していただければ、いつかはそれが達成されるのではないかと、そう信じて日々更新していっているのです
 
 それがやえの思想なのです。
 そして現実論なのです。
 

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平成18年3月28日

 もてるもてないではなく、いかに自信を持つか

 なんだかにぎやかな「朝日新聞社社長長男の大麻逮捕事件」ですが
 
 まぁなんだ。息子ももう30過ぎじゃないか。一応表向きには関係ないことにしといてやれよー(笑)
 
 ただ、あのアサヒですからねぇ。しかもこの息子、執行猶予中らしいじゃないですか。
 
 はっはっは。あれだよ、アサヒは身をもって証明したわけだ。「格差社会なんて幻想だ。このように超エリートに生きる大企業の社長とは言え、それが必ず子供に受け継がれるわけではない。スタートが低くても努力すれば報われるかもしれないし、スタートが高くてもどん底まで落ちることもある」と。素晴らしいじゃないか。
 
 そこまで考えてましたかアサヒ(笑)
 
 まぁ一応さっきも言ったが、これは息子の事件だし、もう成人しているわけでから、それでぐだぐだ言いすぎるのもアレだとは思う。ただしアサヒだって普段似たような構造の事件で執拗に芸能人とか政治家とか追っかけ回すんだから、その分は反省せいってところだな。
 
 なにやらテレ朝もできるだけ報道しないように努めているようですし、相変わらずマスコミっていうのは自分だけが王様気分なんですよね。他人に厳しく自分に甘い、最低です。
 
 
 
 ところで、昨日せっかく紹介したのに、コラム消されちゃいましたね
 
 ああ、いいタイミングだったな・・・
 
 なんででしょうかね。
 
 著者に許可を得ずに載せたから、という理由みたいだが。
 
 ホントですかね。
 
 指摘にもあるように、内容が過激だったから消したのではと思われるのも仕方ないかもしれんな。恋愛なんて現代の考え方でしかないとか言ってたし。
 
 ただ、それも含めてやえは「一考の余地のある価値ある文章」と評価したんですけどねぇ。
 
 江戸時代には必ず人は恋愛をしていたわけではない、というのも事実だろうしな。今は「恋愛こそが正義」と言わんばかりになってしまっているが、それが果たして人間としての性なのかどうかという考証自体は間違っていないだろうよ。
 
 やえはむしろ「結果不平等は当然だ」という点を主眼においた文章の方がよかった気もするんですが
 
 まぁ経験則だがな、オレから言わせれば「もてる」とか「もてない」とか、そういうカテゴリーを作ってしまう方が無意味だと思うんだよ。オレは「自分はこうあるべき」という自分を常に作り上げて、その上で女がオレを好いてくれればそれでいいわけで、オレという存在を好きになれない女であればオレはそいつに対してどうこうしようとも思わないし。もてるために何かをするとか、もてないからとことん意識しないとか、そういうのってかなり無意味じゃないか?
 
 それはあまおちさんが唯我独尊を実践できるからじゃないですかね。そういう人はむしろ少ないと思いますが。
 
 そーかなー。いや、もてないと思い込んでいるヤツに特に言いたいが、例えば目に見えてヲタク丸出しのライフスタイルやっていて、まぁ童貞だと、しかしそんな自分に満足しているんならそれでいいじゃないかと。好きでそうやっていてその結果童貞なだけなんだから、それでいいだろと。でもそこで「どうせオレはもてないから」と言ったり思ったりするというのは、どこかそんな自分が嫌だと、満足し切れていない自分がある、迷いがあるという証拠なんじゃないのかって話なわけだよ。
 
 うーん。確かに考えを突き詰めればそれも「勝ち組負け組」とか「格差社会」とかの話での「他人と勝手に比較して自分を卑下する心」というところにたどり着くかもしれませんね。今まで普通の生活をしていたのに、ふとお金持ちの人が目立つようになると、自分は惨めなんじゃないかと思いこみ始めるという。
 
 バカ女をナンパしてセックスして「オレはこんなにもてるんだー」とか言ってもオレはオレの価値観からしてそんなのはむなしいと思うしな。オレはありのままのオレに惚れる女が何人かいればそれでいいよ。
 
 そういう意味では確かにマスコミにミスリードされた、商売主義の上での恋愛至上主義という幻想が作られたと言えるかもしれませんね。
 
 もてない奴はどうやってももてない、と言うよりも、もてるための努力をする必要があるのかとオレは思うよ。ありのままの自分に自分で自信が持てるかどうかだと思う。結果的に自信が持てないのなら他人にも自信のなさが伝わってくるし、自信があればその自信が他人に伝わって女から好かれるかもしれん。
 
 もてるためだけの行動をしても、それはなんかがっついているようにしか見えませんしね。
 
 オタクでもなんでも、堂々と胸を張って歩いてみろって。本当にオレのことが好きな女なんてオレがどんな趣味を持とうがそれを含めて全てを好きになるわけだし、趣味ごときでオレを好きになれないなら、それはそれまでだ。仕方ない。その女は人生において損したなと、それだけのことだ。
 
 うわ、そこまで言っちゃいますか。どこまでも唯我独尊ですね。
 
 まぁ言葉のアヤだ。
 
 ホントですか?
 
 そ、それぐらい自信を持てってことだよ。うん。
 
 でも確かにあまおちさんって、中身はそこらのヲタクさんよりよっぽど濃い趣味持っているんですけどねぇ。
 
 こらこら変なことを言うんじゃないっ。だから、特に男は、外見よりも中身よ。もっと言えば雰囲気。「オレはもてないんだ」と自分で決めつけていたら、好かれるものも好かれなくなってしまう。そうでなくて常に自分はこうあるべきだと雰囲気を持っていれば、それに中てられる女はいるんだよ。
 
 確かに「もてないオーラ」を出している人っていますもんね(^^;
 
 これは男も女もそうだが、中身をいかに高めるかによって、外見も自然と変化するものよ。そりゃ芸能人とかは持って生まれたルックスがあるんだろうが、なにもあそこまでいかなくてもいいわけでな、むしろああいう特殊な人間を例えるから変になるわけでな、そうでなくて誰から見ても格好いいと思われるようになるのではなく、雰囲気に中てられた女、ふと自分の内面を知った女に「この人実は格好いいな」とキッカケをつくるぐらいのルックスは必要かもしれんが、しかしそれは日頃の気の持ちよう、雰囲気の作りようによっていかようにでもなるって話なんだよ。「もてるためには」ではなく、人間として自分はどうあるべきかを考えてみろって話なわけだ。
 
 なるほど。確かにあまおちさんは一種独特のオーラだしてるかもしれませんね。そしてその毒牙にかかってしまう人もいると。
 
 だから誤解されるような言い方はやめなさいっ。お前だって、女みたいなふりをして女の子を襲うじゃないか。
 
 ・・・バギっ
 
 ぎゃー。こういう話題になったらこんなオチになるんじゃないかと思ったんだー。
 
 分かってるなら言わなければいいと思うんですが・・・。
 

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平成18年3月29日

 天皇家は宮家あって継承されてきた

 あこがれのトラックバックですが、これがなかなか良い感じなような気がしてきました。
 コメントでたくさん御意見をいただけますし、トラックバックももらえればうれしいですね〜。
 なかなかこちらから送るのはまだ気が引けるところもあるんですが、なるほど、ブログが流行った理由もなんとなく分かってきました。
 トラックバックに憧れるやえも、一行でご指摘のようにブログに移行させた方が早いというのはもちろん分かっているのですが、でも、でもですね、なんだかまなじ変に歴史だけはある当サイトだけに、なかなかその踏ん切りがつかないのです。
 あんど、今のサイトデザインを崩したくないので、ブログにしてもデザイン的にはかなりいじらなくてはならないでしょう、そうするとやっぱりスタイルシートの問題が出てきてしまい、関門が高くなってしまっているワケなのです。
 うーん、ただ、いまも散々「重い」ですから、なんとかしたいのはやまやまなんですが、困ったもんです。
 うーん、うーん・・・
 
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 
 さて、今日はそのコメント覧でちょっと触発されまして、皇室問題の基本的な部分について立ち返ってみたいと思います。
 
 まず、この皇室にかかる最も基本的なルールをよく覚えて下さい。
 
 天皇の継承には「直系である」というルールは存在しません
 
 この「直系である」という表現も人によってあやふやになりがちですが、しかしおそらくどんな人の「直系」というイメージを全て合わせたとしても、このルールは揺らぎません。
 人によっては直系とは「親の長男」というイメージがあるもしれません、人によっては「親の息子」かもしれません、人によっては「親の子供」かもしれません、しかしどれにしてもやっぱりこのルールが揺らぐコトはないのです。
 
 具体的に言えば、今上天皇の直系というコトになると、狭義には皇太子さまだけというコトになろうかと思いますし、広義的に言ったら秋篠宮様、そしてそのお子様達にもかかるかもしれませんが、どちらにしてももし「直系だけが天皇継承のルール」だと思っている人ならば、愛子さまとこれらの方々にだけ継承権があると思っているコトになるでしょう。
 しかしこれは全くの認識違いです。
 現在の制度でも、いま挙げました方々以外にも皇位継承権をお持ちの方はいらっしゃいます。
 例えば、この前有識者会議に異議を唱えられたェ仁親王です。
 ェ仁親王は大正天皇の第四皇子のご子息でいらっしゃり、今上天皇から見れば従弟にあたるワケですが、もしこういう例えはあまりよろしくないと思うのですけど敢えて申し上げるのであれば、今上天皇からェ仁親王に皇位継承がなされたとしたら、これは一般的には直系継承とは呼べないモノとなるでしょう。
 しかし現に皇室典範ではェ仁親王は第4位の皇位継承権を持たれているコトになっています。
 現実的には可能性が全くないとは言えません。
 つまり、この継承方法は全く問題ないというコトであり、「必ずしも直系でなければならないというルールはもとから存在しない」というワケなのです。
 
 これは歴史を見ても明らかです。
 こちらの天皇家の家系図をご覧いただければ一目瞭然ですが、ざっと見ても半分くらいは「親から子」でない、直系でない継承の例だと言えるでしょう。
 今上天皇でさかのぼったとしても、直系でさかのぼれるのは119代の光格天皇(江戸中期の天皇)までであって、その前の118代の後桃園天皇とは血縁上は一言では言い表せない間柄です。
 (後桃園天皇のお子様であられる欣子内親王が光格天皇に嫁いではいらっしゃますが)
 この例から分かると思いますが、歴史的にも「親から子へ」というルールは存在しないワケですから、自動的に「即位する方の親が天皇でいらっしゃる必要もない」というコトが言えるワケです。
 実際に、光格天皇のお父上は親王です。
 もちろん言うまでもないコトですが、光格天皇もお父上の典仁親王も、さかのぼれば神武天皇にまで繋がる男系の間柄でいらっしゃいます。
 
 さらにちなみに言えば、このルールは、例の有識者会議が出した結論においても、基本的に変わりはありません。
 やはりェ仁親王にも皇位継承権があるとされているんです。
 有識者会議の出した結論においては「直系が望ましい」という考えのもとであるのは一目瞭然なのですが、しかし少なくともあの出鱈目な有識者会議の結論でさえ、「直系でなければ皇位継承はなされない」とは考えていないのです。
 
 すなわち、もう何回目か分かりませんが、結局、天皇継承の唯一にして最も重要なルールが「神武天皇に繋がる男系である」というモノだけなのです。
 
 もともと宮家とは、その「神武天皇に繋がる男系である証」を制度的に明確にしていたという性格があったワケです。
 先ほどの例での光格天皇も、即位までは祐宮という宮家、宮様でした。
 つまり、宮家が多ければ多いほど皇位継承者が多いコトになり、現代の言い方をするのであれば「安定的な皇室である」と言えるようになるワケですね。
 繰り返しになりますがお父上が天皇でいらっしゃる必要はないですから、宮様に男の子が生まれつづれば男系の宮様はいつまでも続いていくコトになるワケです。
 
 ではどうしていま現在はこんなに宮様が少ないのでしょうか。
 出生率の低下が原因なのでしょうか。
 ちがいます。
 原因はGHQなのです
 
 昭和22年に発布された宮内府告示第16号というモノがあるのですが、この規定により11の宮家が臣籍降下させられました。
 それを命令したのがGHQです。
 もちろんこの11の宮様達はみな神武天皇の男系を受け継ぐ方々であり、天皇に即位される権利を持つ、皇位継承者の方々です。
 GHQがどのような意図を持ってこのような命令を下したのかというのは言うまでもないコトでしょうが、つまり現在の窮状も全てGHQによって仕組まれた陰謀のせいだと言っても過言ではないのです。
 常々やえは「旧宮家の復帰を」と主張していますが、これに反対する人というのは、敢えて言いますけどGHQの陰謀の片棒を担いでいると言えるのです。
 旧宮家復帰に反対する理由なんて、本来どこにも理由はありません。
 なぜならGHQが無理矢理臣籍降下させたコトにも、どこにも理由はないからです
 つまり「旧宮家の復帰を」というのは、GHQの占領政策を精算し、日本の伝統を取り戻そう、元に戻そうという主張でしかないワケです。
 これは性格的には「戦後憲法はGHQの押しつけ憲法なんだから改憲しよう、新しい憲法を作ろう」と言っているのと全く同じであり、もはや一部の極左ぐらいしか憲法改正に反対しない、民主党ですら「創憲」なんて言っている時代に、ではなぜ皇室問題についてだけGHQの押しつけ占領政策を善としGHQの陰謀にしがみつこうとしているのか、やえには全く理解できないワケなのです。
 
 言わば「旧宮家の復帰」は、自然な状態に戻そうという主張でしかなく、そして“もともと自然な状態”であったとしたら、いまこのような問題はそもそも起きなかったワケなのです。
 
 やえは必ずしもそうとは思っていませんが、もし「安定的な皇室」という概念が絶対正義であるとするならば、本来はそれはほぼイコールで「どうやって宮家を増やしていくか」という問題にならなければならないハズなのです。
 側室制度の復帰もそのひとつではありますが、旧宮家の復帰、宮家をどう増やしていくかというコトも同じように有効な手段のひとつであり、そしてそれさえクリアすれば安定的になるのですから、いきなり女系とか全く新しい概念を持ち出すより先に、まずは宮家をどう増やすかを先に考える方が筋なのです。
 
 
 
 (つづく)

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平成18年3月30日

 小泉メルマガレビュー

 小泉内閣メールマガジン 第228号 ========================== 2006/03/30
 
 [らいおんはーと 〜 小泉総理のメッセージ]
 ● 外国人力士の活躍
 小泉純一郎です。
 27日、平成18年度予算が成立しました。年度内成立を実現することができましたので、来月から円滑な予算執行に努めて、ようやくしっかりしてきた景気回復の足取りを確かなものにしていきたいと思います。そして、できるだけ早い時期でのデフレ脱却を目指します。
 国会では、これから行政改革推進法案や医療改革関連法案など重要法案の審議が始まります。引き続き改革を進めていくためにも、その成立に努力してまいります。
 
 ついに予算も成立し、残る国会の重要案件は医療改革ぐらいですか。
 ちょっと前までは皇室典範問題で大荒れかと思われていましたが、これも今国会では提出されそうにないですし、また防衛庁の省昇格の話も消えてしまいましたし、教育基本法も確定ではないですがまだまだ表に出てきません。
 というワケで、医療の問題、または年金の問題が一番大きな問題になるかもしれません。
 前々回の通常国会で強行採決されたこの手の案件が小泉内閣最後の最重要法案となりそうです。
 
 この一週間も、官邸に、外国からの賓客がお見えになりました。23日には、東ティモールのマリ・アルカティリ首相とブルガリア国民議会ピリンスキ議長、28日には、モンゴルのエンフボルド首相とお会いしました。
 日本との協力関係の強化と友好関係の発展、国連改革をはじめとする国際的な課題などについて、率直に話し合いました。
 
 国連改革・・・例の常任理事国入りの問題は、この前は失敗してしまいましたが、しかしあれでもう二度とチャレンジできないというワケではありませんから、こうやって色んな国と連絡を密にしておくのも大切ですよね。
 
 ちょうど大相撲春場所では、モンゴルやブルガリア出身の力士が大活躍しているところでしたので、相撲の話題にも花が咲きました。
 
 あら、そう言われればそうですね。
 なんでもブルガリアでは、日本で大活躍の琴欧州関が大人気なんだそうで。
 もちろんモンゴル出身の横綱朝青龍関も地元では大人気ですから、まぁ相撲で外国人出身力士が活躍するっていうのも日本人としては複雑な気持ちですが、しかし相撲が外国でも脚光を浴びるというのはうれしいですよね。
 
 エンフボルド首相は、千秋楽のモンゴル勢同士の優勝決定戦を観戦し、優勝した朝青龍関に直接モンゴル総理大臣賞を授与されたそうです。白鵬関は大関昇進。今場所のモンゴル勢の活躍は光っていました。
 モンゴルでは、大相撲が始まると、生中継でテレビ放映されて、視聴率は80%、取組中はみんなテレビに見入っているそうです。モンゴルの人々の日本に対する親近感はますます大きくなり、大相撲でのモンゴル出身力士の活躍は、日本とモンゴルの関係をとても近いものにしています。
 
 !?
 80%!?
 それはそれはとんでもない数字、というか、モンゴルでは見ていない人はいないと言っても過言ではない数字ですね。
 でもこうやってスポーツで外国と親密になれるっていうのもいいですよね。
 どこかの国は勝っても負けても醜い様しか見せなかったりしてますけど。
 
 日本の国技大相撲ですが、いまや、モンゴル、ブルガリアだけでなく、ロシア、グルジア、中国、韓国、ハンガリー、チェコ、ブラジルなど世界12カ国から60人近い外国人力士がいます。そのうち幕内力士は12人。全体の3割近くです。
 外国人力士の活躍は、大相撲を世界に広めるだけでなく、その国に日本の文化を伝え、友好関係を大きく前進させてくれています。外国人力士の努力と活躍をたたえ、そして感謝したいと思います。
 
 いつのまにか3割も・・・。
 活躍には健闘をたたえたいとは思いますけど、やっぱり複雑です(笑)
 
 東京には、ようやく暖かさが訪れ、官邸周辺も日ごと桜色に染まっていきます。江戸時代の歌人、橘曙覧(たちばなのあけみ)が詠んだ歌
 
 「たのしみは朝おきいでて昨日(きのう)まで
                  無(なか)りし花の咲ける見る時」
 
 の気持ちで毎日を迎えています。
 
 出ました、文化人小泉さんの必殺技(笑)
 でも小泉さんも官邸と国会が生活のメインですから、代わり映えのない景色ばかりで、風流人としてはつまらないんでしょうね。
 で、せめて、周りに咲く桜に心を和ませると。
 そしてたまに毒キノコを見つけると(笑)
 
 来週からは新年度。新たな1年の始まりを期待と緊張をもって迎えようとしている人も多いのではないでしょうか。進学する人、社会に出ていく人、専門能力にさらに磨きをかけようとする人、新しい世界に向けて羽ばたこうとしているみなさん、頑張ってください。
 
 はやいものでもう4月ですねぇ。
 国会が6月までとすれば、小泉内閣もあと2ヶ月というコトになるんですね。
 最後の2ヶ月間、小泉さんもラストスパートがんばってください。
 
 
 
 ● トルコ、欧州とアジアが交差する親日国・前編
   (イスタンブール日本人会会長 菅野洋一)
 
(編集部注)筆者は商社勤務、約2年前からイスタンブールに駐在。トルコの日本びいきは有名ですが、日本人にはあまり馴染みのない国です。そのトルコの今を紹介するため寄稿をいただきました。
 
 本年1月に小泉首相がトルコをご訪問されトルコ国民から熱烈な歓迎を受けましたが、トルコは世界随一の親日国だと言っても過言ではありません。アンケートを行えばトルコ国民の最も好きな国の一つに必ず日本が挙げられます。
 
 あらあら、これはこれはわざわざありがとうございます。
 これはやえの勝手な思いこみなんですけど、「イスタンブール日本人会会長」とか、どこかの会長ってすごいカッコイイ気がするんですけど、やっぱりこれやえだけでしょうかね?(笑)
 ところで、1月の小泉さんのトルコ訪問って、確か当レビューでも取り上げましたよね

 9日から訪問しているトルコは、地理的には遠く離れていますが、たいへん親日的な国。日本とトルコとの間には、いくつもの友好のエピソードがあります。
 明治23年、海路11カ月かけて横浜に到着したオスマン帝国のオスマン・パシャ特派大使を団長とする約650名の使節団は、明治天皇への謁見を終え帰国する途中、台風に襲われ、一行が乗船するエルトゥールル号は和歌山県沖で沈没。数百名が死亡する大惨事になりました。
 このとき、付近の住民が懸命の救助活動にあたりました。69人の生存者は、その後、日本海軍の巡洋艦でトルコまで丁重に送り届けられました。その後、和歌山県串本町に慰霊碑が建立され、5年に1度、慰霊の式典が行われています。
 それから95年経った昭和60年、イラン・イラク戦争の最中、爆撃にさらされたテヘランから脱出しようとする在留邦人を救ってくれたのがトルコでした。
 日本はテヘランに定期便を乗り入れておらず、テヘランから国外へ脱出することは絶望的と見られていましたが、日本の大使館員や現地駐在員の必死の思いは近隣国トルコに届き、トルコ政府は、日本人を救出するために特別機をテヘランに派遣してくれたのです。「イラン領空内の全ての航空機を攻撃対象とする」というイラクの攻撃開始宣言のタイムリミットぎりぎりに特別機はイランとトルコとの国境を越え、「トルコへようこそ」という機長のアナウンスが機内に流れたときは、大きな歓声があがったということです。

 これですね。
 しかし「トルコは世界随一の親日国だと言っても過言ではありません」と言い切れるぐらいなのですから、これはもう本当に、おそらくやえの想像以上なのだと思われます。
 
 明治時代に和歌山沖で遭難したトルコのエルトゥールル号の乗組員を和歌山の人が手厚く看護した話はこちらでは有名です。トルコの人たちはこの時に日本人から受けた恩義を忘れず、イラン・イラク戦争の際には危険を顧みず、アリ機長が操縦する特別機を飛ばして孤立したイラン在留邦人の脱出に手を貸してくれました。
 
 あ、ごめんなさい。
 先に紹介しちゃいました(笑)
 
 今回小泉首相はアリ元機長と面談、お礼をされましたが、これがトルコ人の間で大きな話題になり、益々日本びいきになっているようです。トルコ人の日本に対する思いはハイテク製品に対する憧憬といったものではなく、両国が共有した歴史と文化に根ざしたものです。
 
 おー。
 なんだかとってもうれしいですよねー。
 ホントこれは小泉さんの大きな功績だと思います。
 どうしてマスコミは伝えようとしないのでしょうか。
 
 ところでイスタンブールにユダヤ教やギリシャ正教の教会がある事をご存知でしょうか。宗教の自由を認めたオスマントルコの伝統は今もこの地に生きています。そういえばトルコでは断食月にも客にはお茶でもてなしてくれます。イスラム教を信じる彼らは飲み物を口にしませんが、他宗教への寛容な態度には驚かされます。
 
 おー。
 かなり偏屈なイメージで語られるイスラム教ですが、というかやえもその一人かもしれませんけど、でもやっぱり国によって宗教も性格が変わってくるというのは、半ば当然の話なのかもしれません。
 日本の仏教だって、もはや日本独自の宗教だと言えるぐらい、原理的なモノからは全く違う進化を遂げていますしね。
 そしてトルコのこういう性格が、どこか日本と似通っている部分もあって、共感を感じてくださっているのかもしれません。
 先ほども菅野さんがおっしゃっていましたように「両国が共有した歴史と文化に根ざしたものです」という、深い繋がりですからね。
 
 今から約80年前に近代トルコ建国の父、アタチュルク大統領が政教分離を断行しましたが、この地ではイスラム教と民主主義が両立していると思います。現在世界では宗教の対立から深刻な問題が生じていますが、この国は上手にこの問題を解決しているように思われます。世界最大級の帝国を400年以上も維持し続けたオスマントルコの統治の秘密はこんなところにあるのかもしれません。
 
 これも歴史というものが、いえ国史というモノがその国に存在し、根ざされた形で現代に継承されているからこそだと思うのです。
 国史があるからこそ、つまり先人達の不断の努力があってそれが長い歴史によって醸成されているモノがあるからこそ、そのように上手くいっているんだと思います。
 国民の英知の積み重ねであり、歴史に学んでいるワケです。
 文字通り、歴史の賜と言えるでしょう。
 偏狭的と言われるかもしれませんが、国史がない国というのは、「学ぶべきお手本」「進むべき指針」がないので、時に暴走したり、時に原理にまで戻るしか手が無くなり道を誤るのではないかと思うのです。
 いかに歴史が国史が大切かというコトですね。
 
 トルコは地政学的に重要な位置にあると良く言われますが、ここに住んで初めて実感しました。ボスポラス海峡は黒海とエーゲ海を繋ぐ唯一の海路です。
 トルコは現在EU加盟を申請中ですが、この国は欧州だけではなく、黒海経済圏、そしてカスピ海沿岸の中央アジア、バルカン、中東の国々と文化的にそして経済的に太く繋がっています。ボスポラス海峡はロシアやカザフスタンのエネルギーの重要な通路であり、今後中央アジアなどで開発される大量のエネルギー資源がトルコを通じて消費地に流れていくことでしょう。
 
 そのような地理的な条件が、今までのトルコの利点でもあり、そして悩むべき点だったと思います。
 トルコはヨーロッパなのか、またはアジアなのかと問われれば、これはとても難しい問題です。
 人種的にも文化的にも、本当に両者が融合している、どちらとも言えないモノがトルコにはあるからです。
 しかしそれはまさに「豊か」と表現するにふさわしいモノがあるのではないかと思います。
 残念ながらやえはトルコには行ったコトありませんが、いつか是非行ってみたい国の一つです。
 
 トルコはまさにこの地域のおへそに位置する国です。イラク、シリアそしてイランとも国境を接する極めて重要な場所に日本の貴重な友人が居ることを忘れてならないと思います。
 (次週・後編へ続く)
 
 日本人はもっと知るべきですね。
 今後の日本にとっても重要なパートナーとなれる可能性を十分に秘めています。
 なにより向こうが好いていてくれるというのはとてもうれしいですよね。
 というワケで、次週に続きます〜。
 
 
 
 [編集後記]
 東京では桜の花が満開になり、うららかな春となりました。
 今週27日には、平成18年度予算が成立し、我々もとりあえず一息というところですが、引き続き行政改革推進法案、医療制度改革関連法案などの成立を期さねばなりません。小泉総理からは気を緩めないようにとの指示があったところです。
 
 はい。
 お疲れ様でした。
 そしてあと2ヶ月、全力で頑張ってください。
 
 法案審議とは別に、在日米軍再編問題が大詰めの段階を迎えており、米国や地元との間で最終報告に向けた調整を続けています。また、歳出・歳入一体改革や成長力・競争力の強化、公務員の総人件費改革の実行計画の策定、被用者年金一元化や少子化対策などなど、政策課題が目白押しで、相変わらず慌ただしい毎日です。
 
 以前更新で触れましたけど、米軍基地の問題はまぁいろいろと難しいんですよね。
 また公務員削減も、先に数字だけ出してこれだけ減らすっていうのは、本当にそれでいいのかどうか疑問が残るところですし。
 年金も・・・うーん、慌ただしそうですね。
 
 連日、経済財政諮問会議、政府・与党協議会など多くの会議を開催しています。検討の成果は、いずれ、6月に策定される「経済財政運営と構造改革に関する基本方針」(いわゆる「骨太の方針」)に盛り込むことになりますが、将来に明るい展望の持てる方向付けができるよう、全力を挙げて参ります。(じんえん)
 
 はーい。
 えーと、なんだかとっても毎日お忙しそうなのはよく伝わりました(笑)
 お体に気をつけて頑張ってくださいね。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、らいおんはーとを応援しています。
 

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