☆やえニュース☆

  国防費と飲み代死者を冒涜するな朝日新聞社会面連載「萎縮の構図」についてドサクサまぎれ民主党小泉メルマガレビュー朝日新聞社会面連載「萎縮の構図」について(中)犯罪行為は犯罪行為

平成18年5月2日

 国防費と飲み代

 昨日も今日も国民の祝日にするべきだと思いません?(^^;
 
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 
 昨日、かねてより日米の重要案件であった沖縄米軍基地のグアム移転についての最終合意がなされたという報道が入ってきました。

 米軍再編、8年後完了 2プラス2で最終報告
 
 日米両政府は一日午前(日本時間同日深夜)、米国務省で外務、防衛担当閣僚による日米安全保障協議委員会(2プラス2)を開き、在日米軍再編の最終報告について合意した。在沖縄米海兵隊約八千人のグアム移転を含む基地再編を八年後の二○一四年までに完了すると明記。自衛隊と在日米軍の司令部機能統合で、日米の軍事的「一体化」が加速、日米同盟は「新たな段階に入る」と宣言した。沖縄では、普天間飛行場をキャンプ・シュワブ沿岸部に移設するなど五施設の全面返還が決まった。
 政府にとっては関係自治体の同意を取り付けないままの最終合意。国内調整と三兆円近くとみられる再編経費負担は、今後、重い課題となる。
 最終報告は「同盟の能力向上のため防衛協力の在り方を検討する」と指摘、日米防衛協力指針(ガイドライン)の見直しを念頭に検討を続ける方針を示した。

 いろいろと考えるべき点が多いニュースだと思います。
 例えば前にもチラッと言ったことがありますように、むしろこの件に関してはアメリカの方が日本にどうしても協力をして欲しいとお願いしているような立場であり、アメリカ側もかなり譲歩していたのであって、近年の日本国内の論調である「アメリカのポチ」と一言で言えるような交渉では決してなかったという側面があるというコトは考えておくべき問題でしょう。
 また他にも、これだけ米軍のニュースが流れても、未だに自衛隊を国軍として日本一国だけでも防衛できるような体制を作るべきだという意見がほとんど出てこないというのも、やえには首をかしげるしかない現状のように思えてなりませんし、そして、この記事にもありますように、移転費の問題も日本では注目されている点と言えるでしょう。
 
 そして、この移転費に関してやえは憤慨してしまうようなテレビを見てしまいました。
 今日の朝のニュースでこのようなやりとりを放送していました。
 
 インタビュアー「米軍移転費の負担について日本が3兆円を負担することになりそうです。国民一人あたり1万5千円程度になりますが、どう思いますか?」
 
 サラリーマン「1万5千円って大きいね。そんなお金もし落としたりしたとしたら、その月は飲みに行けなくなっちゃうよ。とんでもないね」
 
 まぁなんてコトでしょうか。
 国防とお酒代とが同等のレベルになっちゃっているんです
 米軍に対して日本がかけるお金というのは、あの悪名高き「おもいやり予算」などを含め、いろいろと考え直す点の多い問題だと思いますし、移転費についてもそれは同じコトが言えるでしょう。
 決して今までのままでいいとは思いません。
 しかしそれなのに、それと自分の飲み代と同じレベルで考えているというインタビューが平然と流されるという時点で、やえはもうビックリするしかありませんでした
 平和ボケというしか他に言葉が見つからない、本当にビックリ発言です。
 平和ボケという言葉はもう随分昔から使われている言葉だと思うのですが、しかしいまでも日本人の大半は、安全はただで手に入るモノと認識しているという証明とも言えるのかもしれません。
 
 日米の軍事同盟は今年大きな転換期を迎えます。
 記事にもありますように、「米軍キャンプ座間に米陸軍第一軍団司令部を改編・移転、陸自中央即応集団司令部を設置」「横田基地に空自航空総隊司令部を移転し、日米共同統合運用調整所を設置」「横田管制空域の一部を○八年九月までに返還することでも合意」「米軍厚木基地の空母艦載機の岩国基地への移転」「普天間の空中給油機は岩国基地に拠点を移転」「普天間飛行場、キャンプ桑江、牧港補給地区など計五施設の全面返還と、キャンプ瑞慶覧の一部返還」「キャンプ・ハンセンと嘉手納基地を日米共同使用。同基地のF15戦闘機訓練の一部を本土の六基地に分散移転」と、例を挙げるだけでも大変なぐらいの変革です。
 やえはこれらを、日本にとっては大きな前進だと思っています。
 マスコミなどの論調では「日米の軍事的「一体化」が加速」なんて、ある意味否定的に論じるコトが多いのですが、しかしよく考えてもらいたいのが、今までの日本というのは、アメリカにとっては日本の軍事など一本化するにも値しない、ただ庇護するだけの存在でしかなかったという事実です。
 子供のように、親の言うコトさえ聞いていれば安全に生きていけるというような関係だったのです。
 それに比べれば、曲がりなりにも一本化される価値のある対等な関係になれているというのは、これは日本にとっては間違いなく前進と言えるでしょう
 一本化されればますますアメリカの言いなりじゃないかと言う人がいると思いますが、しかしどう考えても庇護されるだけの方がはるかに言いなりになるしかない存在だったハズです。
 ですから、このいまの段階を持って「一本化=アメリカの言いなりになる」という批判は全く的はずれもいいところでしょう。
 そしてもし「アメリカの言いなり」がイヤなのであれば、それは自衛隊の国軍化と軍事的独立をするための憲法と装備というソフトハード共に改革をする気概を日本人こそが持たなければならないハズなのです。
 そう言う意味においても、いまは日米にとって大きな転換期と言えるのです。
 
 しかし日本人は相変わらず平和ボケてします。
 日本に米軍がいるのがイヤと言いつつ、しかし自衛隊もイヤだと言って、さらに金を出すのもイヤ、明日の飲み代の方が大切。
 しかし安全だけはよこせ。
 でも他人まかせ。
 もうそろそろ日本人はこのような我が儘は通用しないんだというコトを自覚するべきなのではないでしょうか。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、覚悟ある国防意識を応援しています。
 

憧れの疑似トラックバック機能を期間限定お試しで付けてみました〜)

平成18年5月8日

 死者を冒涜するな

 おかげさまでゴールデンウィークはしっかりと休養を取らせていただきました。
 ありがとうございました。
 体調もすっかり直りましたので、今日からまたバリバリやっていきたいと思います。
 
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 こういうニュースを見ると、なんだかなぁと思わざるを得ません。

 「清め塩、死者を冒涜」 京都・宮津市の“啓発”に市民反発
 
 京都府宮津市が全戸配布する広報誌などで「葬式での清め塩は故人の尊厳を冒涜(ぼうとく)することにならないでしょうか」などと廃止を呼びかけたところ、市民から「行政が口出しすべきことなのか」と苦情が出ている。「清め塩をすることは死者をけがれた存在とみなしている」というのが市側の言い分だが、宗教とかかわる葬式への“介入”に「政教分離に触れるのでは」と指摘する専門家も。塩論争はさらに波紋を呼びそうだ。
 同市教委は平成16年、市民の意識調査で「葬式には清め塩を出す」とした人が56・6%に上ったことが「意外に多かった」(市教委)として、“啓発が必要”と判断。昨年6月から市広報誌(毎月約8600部発行)に「人権の小窓」というコーナーを設け、「今まで親しんできた人を、亡くなった途端に、けがれた存在とみなすのは人間の尊厳を冒涜することにならないでしょうか」と否定的な見解を示した。

 一次ニュースソースはもう消えているみたいなので、リンク先はmumurブルログさんです。
 
 こういうのもなんですが、日本人は知的レベルと言いましょうか、発想力が貧困と言いましょうか、バカになってしまっているんじゃないかと、残念ながら思ってしまいます。
 以前、穢れと差別との関係のお話あまおちさんがしていますけれど、穢れそのものと、その発生の元となる存在とは、一概にイコールで結びつけられるモノではありません
 穢れ信仰において血が大きな穢れを発生させ、定期的に流血を伴う生理という現象を起こしてしまう女性は、一部の特に清浄を必要とする山や土俵上にあがるのに遠慮をされているというコトが今でもあるのはご存じの通りですが、しかしもし女性そのものが穢れているのであり、それが払われないと考えているのであれば、日本人は女性そのものから忌避するようなコトになってしまっていたでしょう
 しかしそんなコトは全くないですよね。
 むしろ江戸時代ではお風呂でさえ男女一緒に入っていた時期もありましたし、古来から男の人は女の人の料理を大好物としているようですし、いま日本人が日本人として続いているのは太古から女性と男の人が愛し合い肌を触れあわせてきたからに他ならないワケです。
 女性そのものが穢れであり、忌避すべきような存在なら、まずこのようなコトはありませんよね。
 
 穢れは、穢れそのものが忌避すべき存在であって、発生するそれそのものを忌避するという考え方ではありません
 この辺の概念を科学的な概念で考えるとこんがらがってしまうかもしれませんが、「穢れ」と「女性や死体」はまた概念が違うのだと、よくよくゆっくりと落ち着いて整理して考えてもらいたいです。
 やはりこれは合理主義と言いますか、なんでも方程式で考えてしまうような考え方にとらわれすぎてしまっている結果だと言えるでしょう。
 
 京都府宮津市は、死体そのものを穢れと勘違いしているようですが、それは違います。
 死体は穢れを発生させる媒体でしかありません。
 媒体は穢れそのものでありません
 塩で清めているのは穢れそれ自体であって、決して死体そのものではないのです
 葬儀の後に確かに塩は配られますが、では一般的にそのお塩は何にふりかけるでしょうか?
 基本的に振りかける対象は参列者であり、さらに具体的に言えば「参列者に付いてしまった穢れ」ですね。
 よく考えてもらいたいのは、死体そのものにはお塩をふりかけないというコトです。
 もし死体そのものを穢れと認識し、そこから逃れなければならないと考えるのであれば、死体そのものを塩漬けするとかして清めなければならないと考えるでしょう。
 しかしそんなコトはしません。
 これは、日本人は死体それ自体を穢れだと、忌避すべき存在だと考えていない証拠です。
 もっと簡単に言えば、もし死体そのものが穢れであるのなら、悠長に葬式などせずに、さっさと燃やすなりなんなりするべきでしょう
 でも日本人はそのような文化を持ち合わせていませんよね。
 むしろ亡くなってしまった方の死体も慈しみ、最後の別れを惜しんで葬儀を執り行うワケです。
 そしてその過程で致し方なく発生してしまった穢れを祓わなければならないので、お塩を参列者に蒔いて清めるのです。
 つまり何度も言っていますように、清めているのは穢れそのものであり、死体では全く無いのです。
 
 宮津市は「葬式での清め塩は故人の尊厳を冒涜することにならないでしょうか」と言っているようですが、やえからすれば、むしろその考え方の方がよっぽど故人を冒涜する考え方にしか思えません
 この考え方は死体そのものを穢れと考え、方向が間違えば「死体に塩を投げつけろ」という考えに至ってしまう、次元的には同じところにある考え方です。
 心が貧しいと言いますか、こういうトンデモナイ発想というのは、そもそもその人が深層心理の中にでも差別心を持っているから生まれてしまっているのではないかと思わざるを得ません
 生理の話にしても、この死とお塩の話にしても、日本人的な優しい柔らかな感覚を持っていれば初めから疑問にすら思わないワケですが、しかし差別差別だと差別(啓蒙)信仰にとりつかれた人間というのは、はじめから差別心でこういう概念が生まれたワケではないのに、女性を差別しているから入山を遠慮されているワケではないのに、それを差別だと考えてしまうワケで、これは新たな差別を生み出してしまっていると言えるのではないかと思うのです。
 つまり差別信仰にとりつかれた人というのは、自分に差別心があるからこそそれが差別だと感じてしまっているのではないでしょうか
 
 宮津市の「今まで親しんできた人を、亡くなった途端に、けがれた存在とみなすのは人間の尊厳を冒涜することにならないでしょうか」という感覚には、やえは閉口するしかありません。
 

憧れの疑似トラックバック機能を期間限定お試しで付けてみました〜)

平成18年5月9日

 朝日新聞社会面連載「萎縮の構図」について

 さて今日は、なんだかんだで親しくさせてもらっている「世界の中心で左右をヲチするノケモノ」のplummet宗匠が受けた朝日の取材とその記事について扱おうと思う。
 
 なんだかすでにとっても各地で話題騒然のようですね。
 
 うむ。いつも通り当サイトは時代の流れについていってないぞ(笑)
 
 というより、取り扱っているブログさん等の記事すら読んでない有様ですからね。まぁこれもいつも通りと言えばいつも通りですが。
 
 ま、まぁ、なんだ、この記事というのは、何日かに連載された特集記事の一部らしいので、とりあえずその連載記事全てを入手してみたぞ。全部語ってたら長くなりすぎになるから、それらを踏まえて宗匠のあたりの記事を中心に触れていってみようか。
 
 
 
 まず、連載記事の全てをざっと紹介しよう。
 

 例:連載回数.引用者による大まかな内容紹介。【象徴する2文字単語】「タイトルやあおりなど」
 
 1.職場ネットワーク上でのメールの管理について。【監視】「社内メール筒抜け」「解雇・異動の口実にも」
 2.サイト管理人の個人情報暴露や脅迫。【標的】「ネットで個人情報暴露」
 3.暴力団による脅迫、利益誘導など。【暴力】「「怖いから」進まぬ排除」
 4.被爆者語り部の政治的発言について。【空気】「政治発言反発恐れ封印」
 5.えせ同和団体による押し売りや恐喝。【幻影】「にせ団体名で電話営業」
 6.ネット上での議論、ブログ炎上など。【炎上】「他人のブログはけ口に」
 7.イラクの今井に対する世論と拉致被害写真展に対する脅迫事件。【脅し】「それでも屈しない覚悟」

 
 この特集、文章の書き方として記者の感想等は極力書かないようにしていますよね。一見すれば事実のみを淡々と書いているような印象を受けなくもありません。
 
 だがまぁそう見せて、実はある方向に誘導しようとする手法は新聞の得意技だからな。端々にそういう意図が見え隠れしている。
 
 plummet宗匠さんが取材を受けた回は6回目ですね。これなんてその中でも一番悪意がスケスケになっちゃってますよね。あおりの「他人のブログはけ口に」はさすがにナシだと思うんですけどね。まぁそういう人もいるのは否定しませんけど、ほぼ名指しに近いような形で、あるひとつ(もしくはもうひとつ)の個別的ケースを持ち出して「はけ口に」というのは、ちょっと悪質にもほどがあるような気がします。他のキャプションと比べて、6回目のだけちょっと異質なのではないでしょうか。
 
 では、この特集記事は「萎縮の構図」とタイトルが付いているわけだが、この連載から朝日新聞は何を読者に伝えていようとしていたのだろうか。
 
 それは、おそらく「言論弾圧」についてだと思います。有名無形の圧力によって、個人の発言つまり「表現の自由」がどのように封じられているのか、その具体的な例題をいくつか挙げ、このようなコトを許してはならないと啓蒙しようとしているのではないでしょうか。
 
 うむ。第一回目の最後に「1987年5月3日の朝日新聞阪神支局襲撃事件を機に始めた連載は今回、自由な発言や行動を萎縮させていく様々な動きを追います」と書いてあるしな。
 
 だったら最初に言ってください(笑)
 
 だから回によって内容はバラバラだし、よってそれぞれの回と回の間にはあまり関連性はない。
 
 plummet宗匠さんのコトだけを取り上げるなら、あまり他のコトは気にする必要はないかもしれませんね。
 
 ただまぁなんと言うか、例えば2,3,5回目の連載の取り扱っている事案というものは、これは明確に犯罪行為なわけだ。特に3回目など暴力団による暴力そのものによっての圧力行為である。そんなモノと、果たしてネット上の個人個人のたまたまの集まりである炎上というモノを、同じテーブルについて問題視するというのは、果たして適切かどうかは、ちょっと分からんわな。
 
 ブログのコメント欄に書き込む行為が、暴力団の脅迫と同等の行為なんだと、印象づける結果になりかねないというコトですね
 
 それが最も表れているのが、バカの今井に対する世論の声と、拉致被害者の写真展を中止にするよう脅迫してきた事件とを、同じように並べて書いている7回目の記事だろうな。
 
 全然性格違いますもんね、この2つ。写真展の脅迫は、これは「写真展中止」という目的を達成させるための脅迫という紛れもない犯罪であり、一方バカ今井に対するハガキ等は何かの目的があってやっているワケではありませんから、バカに対する非難の声が仮に褒められたモノでないコトだとしても、それ以前のこの両者は威圧者の目的が全く違う、比べるコトなどできない事件でしかありません。
 
 朝日のバカなところは、このような手段を選ばない態度なんだよな。言い方によっては、匿名による、また内容のない罵倒ばかりのハガキを送りつける行為というモノを批判できていたかもしれないのに、しかしバカ今井を一方的な被害者のように書くだけでは、どうやってもそんなのは理解なんて得られないんだよな。
 
 まして比べている相手が拉致被害者家族ですからね。「またアサヒか」と言われる材料てんこもりです。
 
 
 
 それから、傍観者であると主張しているつもりなのか、最初にも言ったようにこの連載は記者の主観的な文章を一切廃したような事実を羅列するだけというような文章で構成されている。しかし今回の連載に際してこのスタイルが本当に適切かどうかは疑問に思わざるを得ない。こういう書き方をした場合、普通読者にはまずどういう印象を持たれるだろうか?
 
 普通は「中立公平だ」と思われますよね。まぁ基本的にニュースとか新聞とか、実際のところはともかく、一応はそのように思われていると言っていいでしょう。
 
 うむ。しかしだ、今回のこの連載に限ってはすでに結論が出されている。すなわち「言論の自由を阻害する実例」だな。つまり冷静に淡々と書き出す事実というモノは全て…
 
 あ、そうですね、それは全て「言論の自由を阻害する例」と捉えられるでしょうね。
 
 普通、事実を淡々と書くというスタイルは、「結論を読者に委ねる」場合に用いられる。「これこれこういう事実がありますが、これをもとに皆さんはどう考えますか?」というスタイルだな。しかし今回の場合は結論がすでに提示されているわけだから
 
 むしろ「これこれこういう事実は全て○○です」と誘導しているコトに他ならないワケですね。この特集で言えば、「こうこうこういう事実は全て言論の自由の敵です」と言っているコトになってしまいます。しかも中立公平だというような顔をしながら。これはちょっと扇動的ですよね
 
 そう。全7回の連載の中でも果たしてそれは「言論の自由の敵」と言える行為なのか、ちょっと疑問が残る例というのもこの連載ではいくつか提示されている。4回目の件などそうだ。原爆被爆者の人がその体験を語るという「語り部」という制度があるのだが、語り部がその体験談を越えて政治的な話をするのはいかがなものかという意見が出され、事務局から自粛の要請がされたという内容ある。そして記事ではそれに対して全体的に否定的に書いているわけだ。
 

 具体例として「憲法改正」「天皇の戦争責任」「有事法制」など8項目が挙げられた。
 「言論弾圧だ」
 経緯を知った被爆者らでつくる市民グループは推進協に撤回を求めた。その答えが3月の理事会承認だった。
 「今みたいな時代だから…」
 3月まで推進協の事務局次長として文書作りにかかわり、いまは市職員に戻った永田博光さん(55)は振り返る。
 メディアの世論調査などで憲法9条改正への賛成意見が増えたこと、自衛隊の海外派遣が普通のことになりつあること−−−永田さんは例を挙げながら言った。
 「いずれも、一方の立場で話すと反発があるテーマになった。反発され語り部の話を聞いてもらえなくなると、核廃絶の思いも伝えられない」

 
 広島出身の身としましては、とてもムズかゆい記事ですね。
 
 いやまったくだよな。一応これは長崎の話なんだそうだが、語り部という制度は広島にもある。そして内情はだいたい似たようなものがあるように聞いたことがある。
 
 なんで「被爆体験を語る語り部」が、それを越えて政治的発言をするコトが適切だと思っているんでしょうかね。この記事のトーンからすれば明らかに「語り部たちには今まで通り語らせろ」と言っているワケですが、しかしむしろ昔の方が異常だったとしか言いようがありません。語り部さんが「語り部」としてではなく、ただの一個人として話をするぶんにはどうぞ勝手にご自由にとしか言いようがありませんが、しかしある程度公的な意味合いを持つ「語り部」としての立場でしゃべる場合には、「語り部」としてだけの話をするべきでしょう。話を聞いている方は、個人鈴木花子の話を聞きに来たのではなく、「語り部の一人」としての語り部さんにお話を依頼して聞きに来ているんですから、それを越えて話をするというのは越権以外何者でもないワケです。まして推進協は長崎市の外郭団体というコトですから、なおさらですよね。
 
 どうせ朝日だって、自社の一記者が大東亜戦争肯定記事なんて書いたところで、絶対に社としてそれを載せないよう仕向けるくせになぁ。
 
 この語り部も、今のお話のテーマと全く一緒の構造になってますよね。語り部は自分の経験を出来るだけ具体的かつ客観的に後世に伝えていけばいいのであって、それを聞いた人がその後どう考えるかはまさに受け止めた人にゆだねるべきでしょう。結論まで強要するというのはあまりにもエゴです。しかも語り部というのは、「被爆者」というある種の特権を盾にして「自分たちには語るべき義務があり場を提供してもらって当然だ」という意識が大なり小なり存在するワケです。もちろん希有な体験をされたのですからその体験を後世に語り継いでいくというのは価値があるとやえも思いますが、しかしそれはやはり文字通り体験だけを語り継いでいくコトに価値があるのであって、「その体験を受けてから体験者が後から生み出したその人個人の考え方」というコトまでを受け継いでいく=強要させるというのは、全く必要がありません。体験は客観的事実と言えますが、それを受けてからの考え方は所詮は主観です。主観を押しつけるのは行き過ぎれば洗脳です。「自分は客観者だよ」と言いながら、しかし実は結論まで用意しているというのは、今回のテーマと全く同じ構造ですね。
 
 うむ。だからこの朝日の連載の方も、明確に「これは言論弾圧なのだろうか、どうだろうか」と問題提起をすれれば読者に考えるキッカケを与えるコトができる記事だと評価できるのだが、それをせずにむしろ無意識のうちに洗脳していくような形に記事を作ってしまっているこの特集というのは、もはやその存在からして疑問を持てしまうと言わざるを得なくなるんだよな。4回目のこの記事は、まず結論が「自由な発言や行動を萎縮させていく様々な動きを追います」であって、その動きとして「政治的発言の禁止要請」なのだから、この記事でなにを糾弾しているのかはもはや一目瞭然だろう。そしてそれは悪意ある無意識に洗脳を進めようとしている記事だと言えてしまうのではないだろうか。
 
 しかも4回目の2文字のキャプションが「空気」ですよね。いろいろな思いが見え隠れてしているような気がしてなりません。
 
 
 
 (つづく)
 

憧れの疑似トラックバック機能を期間限定お試しで付けてみました〜)

平成18年5月10日

 ドサクサまぎれ民主党

 朝日の特集は今日はいったんお休みです。
 あまりあまおちさんが連投するとアレですからね(笑)
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 
 国民投票法案という法案があります。
 最近憲法改正論議が盛んですが、現実的に憲法を改正させるためには多くのハードルがあって、具体的には国会の2/3の賛成で発議され、その後国民の過半数の承認が必要だというコトとなっています。

 第9章 改 正 
 第96条 この憲法の改正は、各議院の総議員の3分の2以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。

 つまり、実際に憲法を改正しようと思ったら、衆参議院で議論され採決をとる必要があると共に、国民の意思を問わなければならないワケです。
 そしてその国民の意思をとる方法は、これは憲法に定められているように「特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票」を実施しなければならないワケですね。
 そして憲法の定めによるとその投票には二種類あって、ひとつは「特別の国民投票」、もうひとつは「国会の定める選挙の際行はれる投票」です。
 しかし後者の場合でも、「選挙の際に行われる投票」ですから、決して国政選挙の結果をもって憲法改正の国民の意思としていいというコトではありませんので、やはりどっちにしても憲法改正のための独自の投票が行われる必要があるというコトになります。
 「国会の定める選挙の際行はれる投票」というのは、イメージ的には、最高裁判所裁判官の国民審査みたいなモノと考えて問題ないと思います。
 
 しかしここで問題がひとつあります。
 
 実は日本の法律には、憲法に定められているのにも関わらず、その「特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票」についての法律が存在しないのです。
 
 憲法では「国民投票で決めなさい」と書かれているのに、いざそれをしようと思っても具体的にどのように投票を行うかが全く決められていないのですから、これは完全に法の不備といえるでしょう。
 そもそも憲法という存在は、国家の大まかな規範を定めるにとどまるのが普通でして、例えば国会という存在については憲法の第41条から64条まで定められていますけど、書いてあるコトというのは「第41条 国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である」とか「第43条 両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する」とかだけで、具体的に「法律を決める際にはこれこれという常任委員会を議院の中に定め、そしてその委員会に○○人の委員を選定し、その中でまず法案は審議され…」というコトまでは憲法には書かれていないんですね。
 そういう具体的な細かい規定というのは、法律によって定めれるワケです。
 ですから、憲法改正手続きを大まかに定めている96条はこれでいいんですが、それに対応する法律も本来なら存在しておかなければならないハズなのですね。
 
 少なくとも憲法成立から60年近くも放置していいコトではないハズです。
 例えば国務大臣を置くコトは憲法によって定められている一方、何大臣を何人置くのかという法律が存在しないのと同じぐらい、憲法改正に関する国民投票法が存在しないというコトは大変に異常な状態であり、これは日本の国家として速やかに是正しなければならない重大な問題であるのです。
 まぁそれでも、この60年これを放置していたのはもはや国会の不作為と言われても仕方のないコトだと思いますが、その上でいまその不備を改めようというこの国民投票法案は、それなりの評価すべき動きであるとは思います。
 よって速やかにこれを可決し、制度化を進める必要があるでしょう。
 もちろんこれは、憲法改正に賛成であろうと反対であろうと関係のない話です。
 憲法によって国民投票が定められている以上は、どういう立場であれ、国民投票法を作っておく義務が国会にはあるのです
 むしろこの法律が無い方が問題なのであり、不備以外なにものでもなかったのですから。
 
 しかし、それを是正しようという動きに便乗して、変な要求をドサクサまぎれに要求し、是正への動きを邪魔しようとする勢力が存在します。
 
 言わずとしれた民主党です。
 こちらの記事をご覧下さい。

 国民投票法案 与党、今国会提出を断念
 自民、公明両党は十日、憲法改正手続きを定める国民投票法案について、今国会への法案提出を見送る方針を固めた。参院自民党の青木幹雄議員会長、片山虎之助幹事長らが同日朝に協議し、「民主党を外して提出するのは好ましくない」との考えで一致した。
 与党は同法案について、民主党との共同提出を目指していたが、同党の小沢一郎代表が九日、共同提出を拒否。
 同法案をめぐっては、(1)改憲以外の国政問題も投票対象に含めるか(2)有権者の年齢を二十歳以上とするか、十八歳以上とするか―などで与野党が対立、意見集約が難航していた。

 なぜ民主党が反対しているのか理由までを書いている記事がなかなか無くて探すのに苦労しましたが、というかほとんど唯一内容までを書いているこの記事にしてみても、どこの党がどのような主張をしているかという最も大切なコトをキチンと書いてないので、この辺のマスコミの体たらくはどうにかしてもらいたいものなのですけど、まぁそれはともかく、民主党は「憲法改正以外でも使用が可能な国民投票制度」にしなければ賛成しないと言っているワケです。
 有権者の年齢はどっちがどう言っているのかやえはよく知らないのですが、でもこれは、どう考えても国政選挙投票権のある20歳以上にすべきで、もし18歳以上であれば国政選挙の方も変えるべきでしょう。
 まぁそれは議論の余地があるとしても、しかし1番の「改憲以外の国政問題も投票対象に含めるか」というのは、本来これは議論になるような問題ではありません
 それは、もう何度も言ってきましたように、むしろ憲法改正のための国民投票制度が整備されていないコトの方が問題であり不自然な状態なのですから、まずは憲法に定められている「憲法改正のための国民投票法」を作るコトが何よりも優先される事柄なのです。
 それは憲法の下での国会であり、憲法を遵守すべき国会の最も基本的かつ重要な義務のハズです。
 しかし、憲法改正以外でも使用可能な国民投票制度というのは、これは別に憲法に定められているモノでもなく、無くても別に不自然な状態になるワケでもない、憲法改正のための国民投票制度に比べれば2の次3の次と言っていいぐらいの存在価値しかないモノです。
 というか、これは別々に議論すべきの別の問題です。
 まずは憲法に定められているコトを忠実に整備していくコトが大切なのであって、それは国会や国会議員の義務であるハズでしょう。
 
 しかし民主党はむしろそれを邪魔するような主張をしているワケです。
 
 もしかしたら民主党は、自民党と共同提案するコトに反対しただけだと主張するかもしれませんが、でもそもそも「憲法改正のための国民投票制度」と「その他の問題に関する国民投票制度」とは別物です。
 実際の行動、つまり議員を選ぶ選挙とは別に、個別問題に対して賛成か反対かを問う形での投票という行為は確かに似ていますが、しかし一方は憲法に定められている制度であり、もう一方は別にあってもなくても問題のない制度です。
 ですから、この両者をはじめから一緒くたにして審議し制度化させようという行為自体は、まったくもって筋が通らないのです
 どうして民主党はこんなワケの分からない主張をしているのでしょうか。
 
 憲法に定められているコトを忠実に履行していきましょう、問題があるから是正しましょうという行為に対して、それに便乗し、ドサクサまぎれで自分たちの考えを押し通そうとするその態度は、あまりにも恣意的な悪質な行為としか言いようがありません
 こういうコトをされると、もしかしたら他に何か別の意図があるのではないかと思わざるを得ないのです。
 民主党は相変わらずワケが分かりません。
 

憧れの疑似トラックバック機能を期間限定お試しで付けてみました〜)

平成18年5月11日

 小泉メルマガレビュー

 小泉内閣メールマガジン 第233号 ========================== 2006/05/11
 
 [らいおんはーと 〜 小泉総理のメッセージ]
 ● 野口英世賞
 小泉純一郎です。
 先週一週間、アフリカのエチオピアとガーナ、北欧のスウェーデンを訪問しました。
 エチオピアでは、メレス首相、そしてアフリカ連合(AU)のコナレ委員長と、ガーナでは、クフォー大統領とそれぞれ会談し、アフリカ支援や国連安保理改革などについて話し合いました。
 アフリカには、全部で53の国があります。その面積は、コナレ委員長に聞かされて私も驚きましたが、アメリカ、中国とインド、そしてヨーロッパを合わせたより広いそうです。
 60年ほど前、国連ができたとき、加盟国は全部で51カ国、そのうちアフリカは4カ国に過ぎませんでした。現在、加盟国は191カ国に増加し、アフリカはいまやその4分の1以上を占めるまでになりました。
 
 ちょっとおひさしぶりですね、やえです。
 普通の人にとってのゴールデン・ウィークとはとても貴重な長期休暇ですが、小泉さんにとってもゴールデン・ウィークは外遊外交のための機会でしかないようです。
 しかもアフリカとはまた遠いですねぇ。
 というか、遠いからこそゴールデン・ウィークにというコトなのでしょう。
 お疲れ様です。
 
 日本は、戦後の貧困から国際社会の支援を受けて発展を遂げることができました。この経験を活かして、紛争や感染症などの問題に直面するアフリカの国々が自らの力で立ち上がっていくことができるように、日本としてできる限り支援をしていきたいと思います。
 
 まぁ日本の場合は、戦争という短期間の一瞬の混乱があっただけであって、もともとの教育水準とか、技術力工業力とか、清潔感ですとかは、はじめから備わってはいましたからね、ちょっとこの例えは違うとは思います。
 もちろん全てそうだとは言いませんが、日本の場合は金さえ与えれば勝手に復興し、さらに上まで駆け上る実力はもともと持っていたワケです。
 でも残念ながらアフリカの国々とか、そういうところは、基本となるバックボーンがとても弱いのです。
 ので、いろいろと言いたいコトはあるのですが、しかしまぁなんと言いましょうか、日本にとっては売り込むチャンスとも言えますからね、恩を売っておいて損はないでしょう。
 国連総会ではどの国でも同じ1票ですしね。
 
 いまから約80年前、野口英世博士は遠くガーナの地にわたり、黄熱病の研究に身を捧げ、その途上、病に倒れ、51歳で亡くなりました。ガーナの首都アクラには、野口博士が黄熱病研究にあたった研究室があり、当時の顕微鏡も残されていました。
 野口博士のお母さまから、そしてアメリカ人の夫人からの手紙などゆかりの品々を拝見し、既に日本やアメリカで名声を博していた野口博士が、遙かかなたのガーナで研究をしようとしたその探求心、勇気に改めて感銘を受けました。
 
 千円札の野口博士です。
 確か野口博士は、晩年、黄熱病の原因解明に立ち向かい、そして電子顕微鏡がまだ発明される前だったために原因となるウイルスを発見できないまま志し半ばで倒れてしまったという、悲運であり情熱の人ですね。
 そうですか。
 ガーナでは今でも博士の研究室が残ってるんですね。
 
 エチオピアに向かう飛行機の中で、野口英世賞を創設するというアイデアがひらめきました。アフリカの医学や医療に貢献した人に、アフリカの人に限らず、アジアの人でもヨーロッパの人でもよい、そういう功績のある人に野口英世博士の名前を冠した賞を授与するというものです。
 クフォー大統領とともに臨んだガーナでの共同記者会見の場でこの考えを披露したところ、現地でも大変な反響をよびました。
 アフリカ53カ国が参加するアフリカ連合(AU)のコナレ委員長が近々来日する予定なので、その際に、コナレ委員長の考えもよく聞いて、ノーベル賞に匹敵するような立派な賞にしたいと考えています。
 
 なんだか発想が安易なような気がしないコトもないんですが、でも賞を創設するコト自体はとても素晴らしいコトだと思います。
 医学の発展にとって大きな励みとなるコトでしょう。
 また、野口博士の精神をしっかりと受け継ぎ、ただ論文だけが素晴らしいという人だけでなく、もちろんそれはそれで医学の発展に大きく寄与しているのは確かですが、それだけでない、現場で文字通り命をかけて医学に取り組んでいる人、そういう人こそをピックアップし、その努力に報いられるような賞にして欲しいと、やえは個人的に思います。
 
 今回のアフリカ訪問は、野口英世博士が私を呼んだような気がします。日本は、ノーベル賞をとろうとするばかりでなく、野口英世賞を創設して、少しでもアフリカの医学や医療のためになるように、野口英世博士の志を活かしていきたいと思います。
 
 小泉さんには霊感もあったみたいです(笑)
 でも、本当にこのような日本人がいたというコトを、日本人として誇りに思いますし、この精神を世界に向けて発信したいですね。
 
 ガーナから約8時間飛んで着いたスウェーデンの首都ストックホルムでは、パーション首相と会談し、カール16世グスタフ国王に拝謁しました。日本とスウェーデンは皇室、王室間の活発な交流があり、友好な関係にあります。今回の訪問を契機にさらに友好関係を拡大し発展させたいと思います。
 ストックホルム市内では、小学校に入学前の子供たちのためのプレスクールを視察しました。子供の笑顔は万国共通、心和みました。仕事と子育ての両立をはかっているスウェーデンの経験に学ぶことが多いと痛感しました。

 
 日本とアフリカを比べれば、アフリカと北欧は近い気もしないコトもないですが、やっぱり遠い8時間です。
 小泉さんに休養はありませんね。
 本当にお疲れ様です。
 小泉さんのこういう地道な努力は、必ず今後の日本にとって大きなプラスとなるコトでしょう。
 
 国会では、行革推進法案などの審議が続いています。重要法案を会期内に成立させるよう、これからまた気を引き締めて頑張っていきたいと思います。
 
 はい。
 本日、教育基本法改正のための特別委員会が設置されました。
 今国会で成立できるかどうかまだまだ予断が許されない状況ですが、どうぞ最後のラストスパート全力を出し聞けるよう頑張って下さい。
 
 * 編集部注:小泉総理のアフリカ、北欧訪問の様子は、政府インターネットテレビ1CHでご覧になれます。
 http://nettv.gov-online.go.jp/
 
 
 
 [特別寄稿]
 ● 麻薬Gメンその捜査現場から−仏像にしのばせた大麻樹脂
  (厚生労働省関東信越厚生局麻薬取締部 麻薬取締官)
 
 お、GメンですよGメン。
 なんだかカッコイイ人が小泉メルマガに登場です。
 ところで、Gメンってなんの略なんですか?
 
 (編集部注)筆者は捜査現場に出かける身であることから、匿名といたしました。
 
 きゃー。
 なんかとっても本物っぽいです(本物です
 しかしやえの記憶では、このメルマガで匿名で寄稿された方っていうのは、これが初めてなのではないかと思います。
 うーん、いろんな技を出してきます。
 
  真夜中、都内南部の住宅街。静まり返った中に何かをたたく鈍い音が鳴り響く。捜査員十数名が、合図と共にその音が鳴るアパートの一室になだれ込む。
 中にはアジア系の男が2人、1人はランニング姿で左手にノミ、右手にハンマーを持ち、足下の木彫り像を割っている。目が合うや、ノミを振り回されたら敵わないと即座に奪い取る。
 足下の木彫り像は、その国で土産物として売られている高さ13センチ程の仏陀の木製像。二つに割られたその中には、まるで子を宿したようにラッピングされた卵形の大麻樹脂が入っていた。卵の重さは1個約30グラム、生まれ出た卵が合計493個、臨月の木製像は合計201体、合わせて十数キロの押  収、逮捕。
 
 なんだかとってもサスペンスです。
 まさにドラマのような一場面ですね。
 しかし「臨月の木製像」っていう表現はどうなんでしょうか(笑)
 それにしても、なんだか生首にされるととてもこわいですね、これ。
 
 私は厚生労働省関東信越厚生局麻薬取締部に属する麻薬取締官。巷では麻薬Gメンと呼ばれている。麻薬Gメンは司法警察員として薬物犯罪の取締りにあたるほか行政官として医療用麻薬の監視、中毒者対策そして啓発活動と、その職務は間口が広い。
 今薬物乱用はより身近なものとなった。特に大麻やMDMA等合成麻薬事犯の検挙者を見れば約9割が初犯で、そのうち20歳代が6割近くを占めている。
 密売人として逮捕された16歳の少年は、麻薬錠剤90錠、覚せい剤、大麻それぞれ約90グラムと大量の薬物を所持し、一端のネット密売人として約60名の客に薬物を売り捌いていた。まさに切実な問題だ。
 
 増えてるらしいですねぇ。
 ちょっと前までは「許しません。白い粉と黒い武器」なんて言ってて、一部の裏社会の人間の出来事だったのですが、最近では本当に軽い感覚で麻薬などに手を出してしまう若者が増えているそうです。
 なんなんでしょうかね、想像力が弱くなってきているんでしょうか。
 それから、もしかしたら昔よりも日本国内に持ち込まれる量も増えているのかもしれません。
 国際社会となり、入国する外国人が増えると、どうしてもこういうモノの流入も、相対的な検挙率が仮に上がっていたとしても、絶対量としては増えてしまうんですよね。
 国際化はますますこれからも強くなっていくでしょうから、こういう問題ももうちょっとキッチリと考えていく必要があるのではないかと思います。
 
 取締りは情報収集に始まり、張り込み、逮捕、取調とまさに前線は不眠不休の日々が続くことも多いが、私の2人の子供たちに思いをはせ、また次代を担う若年層に広がりをみせている薬物のこの現状を考えると、背負っている責任の重さに身のひきしまる思いを感じる毎日である。
 
 時には命の危険にさらされるコトもあるでしょう。
 ありがとうございます。
 どうぞこれからも日本のために頑張って頂きたいと思います。
 
 
 
 [編集後記]
 今年の大型連休は日並びも良く天候にも比較的恵まれ、行楽や休養など皆さんもそれぞれの休日を楽しまれたことと思います。
 
 こんにちは、じんえん先生。
 先生もゴールデン・ウィーク中はお休みされたのでしょうか。
 
 ちなみに総理の外遊中は、何か大きな事件や事故が起こったとき迅速に政府の指揮が取れるよう、官房長官または官房副長官のどちらかが常に東京で待機することになっています。
 
 あら、というコトは、あまりゆっくりも出来なかったんですね。
 ご苦労様です。
 
 国会はいよいよ終盤に入ります。行政改革関連法案や医療制度改革関連法案など、重要法案の一日も早い成立を期さねばなりません。また長年の懸案であった教育基本法改正案も国会に提出されています。一日一日を大切に、気を引き締めて頑張りたいと思います。(じんえん)
 
 今までは医療改革法案が最大の注目事案かと思われていましたが、ここにきて教育基本法改正が出てきましたから、今国会はこれが最大の関心事となるコトでしょう。
 さっそくちょっとアレな人や団体が騒ぎ始めてきましたしね。
 これからもいろいろと大変だとは思いますが、お体に気をつけて頑張って下さい。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、らいおんはーとを応援しています。
 

憧れの疑似トラックバック機能を期間限定お試しで付けてみました〜)

平成18年5月13日

 朝日新聞社会面連載「萎縮の構図」について(中)

 ところでさー、まぁ相対的にだが、あのメール問題の永田ってある意味えらいと思うよ。
 
 あら、それはまたなんでですか?
 
 だって永田は、なんだかんだあっても最後には間違いを認めて謝罪したじゃん。まぁ謝罪している方向があさって向いていた気もするけど。でもそれでも一応は間違いを認めたと。嫌々ながらも。しかしネットなんて、適当な陰謀論とか誹謗中傷、人権侵害をしといて、それがバレても平然と知らんフリして、知らんフリするだけならまだしも開き直るヤツとかいっぱいいるじゃん。あんなのと比べればまだ永田の方がえらいよ。
 
 ああ、まぁ、そう言われれば確かに比べればまだマシだと言えるんでしょうね。
 
 ある方面には人権侵害的な事を言っといてしかし別件に対してだけは自分ルールだけでそれは人権侵害だと言いがかりをつけたり、また自作自演がばれて開き直りなんてネットにはそこらかしこに転がっているじゃないか。返事せずにいきなり無視に転ずるヤツなんてまだましで、中には逆ギレしてわめき散らし見苦しい姿をさらにさらしたり、そのウソを隠すためにさらに自作自演したりするもうどうしようもないヤツとか、こういうアホがいっぱいいてしまっているしな。
 
 しかもそんな開き直りしているような連中も永田氏を非難していたりしていていましたけどね。
 
 滑稽極まるよな。
 
 
 
 んで、前回に引き続き宗匠が取材を受けた朝日の言論の自由に関する連載記事についてだ。前回は連載全体についての総論的な事を述べたが、今日は宗匠の回を中心に述べていこうか。ちょっと長くなるが、まずは主な部分を抽出引用。
 

 東京弁護士会に所属する小倉秀夫さん(37)のブログに寄せられるコメントの数は多いときでも日に20前後だった。それが昨年2月始め、10倍近くに急増した。
 普段はIT関連の問題について考えを掲載している。そこに、他人のブログに攻撃コメントをしつこく投稿する行為をいさめる意見を載せた。その直後のことだった。
 コメントの大半は批判だ。差出人名前の欄は「Unknown」。匿名だった。「あなたは勘違いしている」「なぜ非を認めないのか」……
 回答しないと「このまま逃げたらあなたの信頼性はゼロになりますよ」。反論すれば、再反論が殺到した。議論の場から離れることを一時も許さない「ネット右翼」だ。
 
 数年前からネット上で使われ出した言葉だ。自分と相いれない考えに、投稿や書き込みを繰り返す人々を指す。右翼的な考えに基づく意見がほとんどなので、そう呼ばれるようになった。
 小倉さんはたまらず、対談を呼びかけた。
  「カミングアウトして下さる方を求む」
 
 このブログを毎夜見つめる男性が東京の下町にいた。自分でもブログを持ち、「炎上観察記・弁護士編」と題するコーナーを設けている。
 30代半ば。かつては小説を出版したこともあるが、いまは無職。両親と同居し、昼夜逆転の生活。「観戦席」は自宅2階、6畳の自室だ。
 チェック開始は午後11時。自らもコメントを送りつつ、批判コメントが殺到し制御不能(ネット用語で「炎上」)に陥っていく様子を伝えた。
 男性のブログは、匿名掲示板や軍事をテーマにしたサイトともつながっている。「観察期」を見た人がどんどん、小倉さんのブログ集まってきた。
 「たかだか200や300の批判で黙られても困りますねえ。あれじゃあ、議論にならない」
 男性はそう冷やかす。
 共産主義に傾倒した時期もあったが、「だんだん国を愛する気持が強くなった」という。自分のような人間を「ネット右翼」と呼ぶ人がいることも知っている。「朝日新聞を筆頭に既存メディアの報道に感じる違和感を消化するため、僕は僕なりの考えで調べ、主張する」
 
 「対談」は現実しないまま、小倉さんのブログは閉じられた。
 職業柄、議論することには煩わしさは感じない。それでもつくづく思う。
 「あれはもはや、議論とは言えない」と。

 
 はいはーい。これ宗匠さんをわざわざ取り上げる必要がないと思うんですけどー。
 
 ねぇよなぁ、これ。この回の話の中心は、小倉の言論の自由が、大多数の匿名の脅迫じみた大量書き込みによって阻害されてしまった、と言うのが主文であり、またその言論の自由の敵とは「ネット右翼」であると、そういう構成である。だから宗匠も、そして引用はしてないがその次に出てくる30代の大学教員という人物も、その「ネット右翼」という一般人には聞き慣れない得体の知れないものを現実的に感じさせる具体例として出されているに過ぎないわけだ。だからこれは本来内容的に考えれば言論弾圧を例示すればいいだけの話で、言論弾圧をした人物っぽい人間を具体例として出す必要はないはずなのだ。3回目の暴力団だって個別の人物像なんて出してないしな。むしろこの手法というのは「ネット右翼はこういう人物だ」と先入観を抱かせる原因にもなるような、印象操作のために出されたと言ってもいいのではないかと思う。
 
 凶悪な韓国強盗団をもって韓国人はみなこうなんだと言っているようなモノですよね。
 
 ま、そもそもネット右翼なんて得体の知れない、よくカテゴリー出来ない存在だから、はじめからどうしようもねぇんだがな。
 
 韓国人なら韓国国籍を持っている人ですし、また例えば「プロ市民」であれば、市民活動をするコトそれ事態を目的化してしまっている人たちを指すというある程度はカテゴライズできる言葉ではあるんですけどね。でもネット右翼はあまりにも抽象的過ぎますよね。当サイトも人によってはネット右翼と思っているかもしれませんしね。
 
 オレはもう全然昔から右翼と言われた事もあるし、売国奴と言われた事もあるよ。いまさらそんなの気にならんし、どうでもいいんだがな。むしろ自分は「保守なんだ」とか「リベラルなんだ」とか、まして「中庸なんだ」とかスタンスを決めてしまうと、それはその場所にある考え方から抜けられなくなって結論ありきの言論しか出来なくなってしまう。本末転倒だな。だから大切なのは何を伝えるかであって、その結果、他人がどう思うかはもう勝手に思ってくださいと。オレはオレの思想を語るだけだからな
 
 相変わらず誤解されまくってますが、その精神を一言で表したのが「右も左も逝ってよし!!」なんですけどね。
 
 ただこれ言っておかなければならないのがな、この「ネット右翼」なる言葉は非常に卑怯なレッテルであるという事だ。例えば「プロ市民」というレッテルがあるが、これはどういう人間を指し示すだろうか?
 
 えーと、さっきも言いましたように、普通に生活している本当の意味での「市民」が自発的に活動をはじめるというような運動のなのではなく、はじめから運動のために組織されたような団体に所属する人や、運動のために運動をする人、そういう本当の意味での市民とは既にかけ離れてしまっているような、職業(プロ)的な感じで運動をする人のコトを「プロ市民」って言いますよね。これは、マスコミなんかが「職業的運動家・団体」までをも「市民団体」と呼んでいるコトに対する反発からはじまったと言えるでしょう。
 
 そうだな。この「プロ市民」というレッテルは、その行動や呼び方に対しての矛盾を皮肉っているレッテルなわけだ。しかし「ネット右翼」というのは違う。まずこれはレッテルだからマイナスイメージであるという前提のもとに、相手を「ネット右翼だ」と言う場合には「右翼思想を持っている悪いヤツだ」というような意味で相手を貶めそうとしているわけだな。つまり、人の考え方、思想によって善し悪しを決めつけているのがこのレッテルであり、これはあまりにも卑怯というか、ある意味これこそ言論弾圧なんだよ。
 
 そうですね。しかもさらに卑怯なところがこの記事の一文ですよね。

 議論の場から離れることを一時も許さない「ネット右翼」だ。
 数年前からネット上で使われ出した言葉だ。自分と相いれない考えに、投稿や書き込みを繰り返す人々を指す。右翼的な考えに基づく意見がほとんどなので、そう呼ばれるようになった。

 レッテルでは「右翼」という言葉を全面に出している明らかに思想レッテルのハズなのに、しかしその定義を「結果的にたまたま右翼的な意見を言う人が多かった」と言わんばかりに書いて、その意見自体がダメであると言っているのではないと自己弁護しているワケです。相変わらずの「アサヒ的」なやり方ですよね。
 
 そもそも「右翼」というのも日本では強烈なレッテルだらなー。日本での右翼はもはや街宣車で騒音をわめき散らすヤクザ崩れのイメージとほぼイコールになってしまっているから、本来の意味である思想的な右翼とは印象が全くかけ離れているのに、それを理解している上で敢えて右翼・保守思想を「右翼」と断罪する。思想レッテルなんだよな。
 
 当サイトで使っている「プチ保守」なんかは、これは本来的には思想的な意味ではないですからね。保守思想にも満たない考えもなく雰囲気だけで騒ぎ立てるような人たちをこう呼んでいるワケです。そう言う意味ではカタカナの「サヨク」もこれと似たようなところがありますよね。劣化左翼みたいな。
 
 だからな、何が卑怯って、まともな右翼・保守思想も、そしてプチ保守な連中も、これをまとめて全てを「ネット右翼」呼んでしまっているんだよ。それはなぜかと言えば、まともであろうとまとめでなかろうとそっちの方面の考え方は全て嫌いでイヤで見たくもなくて弾圧されて当然この世から消えて無くなればいいむしろ自分たちで消してしまえという、思想言論的ホロコーストをしかけようとしてるんだよ、「ネット右翼」というレッテルは
 
 ネット上で保守思想を唱えていたら、とりあえず「ネット右翼」とレッテルを貼って断罪をするワケですね。具体的な中身なと全く見ずに。確かにこんな卑怯なコトはありませんね。
 
 もし小倉弁護士のブログに対する匿名での連続書き込みを断罪したいのであれば、その行為そのものについての検証と、そして必要であれば断罪をすりゃいいんだろうが、しかしそれらを全て吹っ飛ばしてただただ「ネット右翼」というレッテルだけで結論を出し断罪をすると。
 
 そしてその材料として、宗匠さんが利用されたんですね。ネット右翼の代表例として、決してネットだけの偶像ではない実在する人物としてこのような「ネット右翼」がここにいますよと、証明の材料にされてしまったというコトですね。
 
 そうだな。
 
 宗匠さんも、なんて言いましょうか、一応はちゃんと取材を受けられたそうですが、さぞ迷惑な話でしょうね。まさにこれこそ「アサヒクオリティー」と言うべきなのでしょうか。取材をして結論を導くのではなく、結論があってその材料のためだけの取材だったのでしょうね。
 
 この連載全てがそのためと言えるんじゃないかと思うんだよな。というのも前回にも言ったが、今さらこんなのを取り上げて何になるのかというようなものまで言論弾圧の例として出されている。暴力団の例とかな。そしてそのようなあからさまな言論弾圧を挙げつつ、一方語り部の政治的発言の自粛というような、それは果たして言論弾圧と呼べるのかどうか議論の余地がかなりあるような例までを挙げて、暴力団の言論弾圧と似たような事件と印象操作をして断罪しようとしているわけだ。
 
 つまり、結局朝日はこの連載で何がしたかったのかと言えば、決して今さら過ぎる暴力団の言論弾圧を訴えているのではなくて、「ネット右翼」や語り部の政治的発言を阻止しようとしている勢力やバカ今井に対してハガキを送りつけるような行為も、まとめて検証無しに暴力団と同じように悪だと断罪するためだったと、そういうコトでしょうか。
 
 そういう事だろうな。
 
 分析をしてみるとかなり巧妙かつ悪質ですよねぇ。連載全体でそのような印象操作をしつつ、さらに個別の記事の中でも細かい印象操作を怠らないと。
 
 しかもその方向性がいかにも「アサヒ的」だろ。4回目の語り部の政治的発言はつまり無責任平和論や、記事中にもあるんだけど憲法9条の堅持だったり自衛隊の海外派兵反対だろ。6回目の宗匠の記事は説明するまでもないし、7回目なんてバカ今井だ。もうアサヒ的な考え方のみが正しくて、他の考え方をするヤツは言論弾圧者だと、ネット右翼は考え方自体が悪だヤクザだと、そういう方向に持って行きたいがための特集だったんじゃないだろうか。
 
 結論的に考えればそのようにしか思えませんね。
 
 アサヒはいつまで経っても前を向こうとしないなぁ。こういう手口ばかり巧妙化して、振り込め詐欺じゃねぇーんだからよー。
 
 ま、でも、だいぶ必死さが表れてきていますけどね。
 
 
 
 では次回を最後として、ちょっと記事から離れるかもしれんが、個人的感想など述べていこうか。
 
 はーい。もうちょっとつづきまーす。
 
 
 
 (つづく)
 

憧れの疑似トラックバック機能を期間限定お試しで付けてみました〜)

平成18年5月15日

 犯罪行為は犯罪行為

 先日メルマガの時に「麻薬GメンのGメン」って何の略なんでしょうか」と言ったところ、一件コメントをいただきました。
 
 >ところでGメンとはなんぞやということでしたが、俗説では政府の役人をあらわすガバメントを頭文字にしたというものがあります。もとはアメリカの連邦捜査局の役人の意味らしいのですが、転じて政府関係の、とくに取り締まり組織の略称として扱われていることが多いようです。なお、日本でこの呼び名が普及したのはドラマの影響かと思われます。
 
 なるほどー。
 ガバメントのGなんですね。
 じゃ、じゃあ、民間人であるところの「万引きGメン」は、本来の意味からすれば間違っているというコトなんですね。
 まぁ、もはや本来の意味を失っているのであまり気にしても仕方ないかもしれませんが。
 Gメン、Gメン、なんだか響きが良いので定着してしまったんでしょうね。
 情報ありがとうございましたー。
 
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 
 今週にでも採決がされると言われているせいか、ここ数日の間やたらと共謀罪についての特集をテレビなんかでよく見かけました。
 この法案についてはいろいろと各地でも話題で、当サイトでは特に取り扱いませんでしたのでよくは知りませんけど、おそらくネットでもだいぶ盛り上がっているんじゃないかと思われる、色々と言われやすい法案です。
 簡単にこの法案の中身を言えば、犯罪を集団で計画したという事実があればその時点で逮捕が出来るようになるという法案でして、それだけに「思想を取り締まる法律だ」とか「言論の自由が侵される法律だ」とか言われているワケです。
 
 ただなんと言いましょうか、やはりテレビなんかで言われているようなこの法案に対する批判は、ちょっと的はずれじゃないかとやえは思うんですね。
 というのも、まぁ「言論の自由がなんとか」っていう言い方が、あまりにもいつも通り過ぎるっていうのもあるんですが、それ以上に、人権法の時の議論とオーバーラップしてしまうかのような、法文の勝手な拡大解釈や、他の法律や今までのルールの無視、また批判そのものを突き詰めたらどう考えても矛盾が出てきているのにそれを省みようとしない、批判のための批判が随所に見られるからです。
 
 この共謀罪法案、一番どのような批判がされているかと言えば、それは「市民団体の抗議活動も抑圧しようとしている」という類です。
 例えば、ある市民団体が無許可のデモをしましょうと、もしくはダムの建設工事をさせないよう入り口を人間で封鎖しましょうと、そういう“市民運動”さえもこの共謀罪は適用されてしまう恐れがあり、これは言論弾圧であり、お上に反抗するコトは許されないという治安維持法だと、こう反対の人たちは主張するワケです。
 そして「共謀罪適用団体は厳格に決め、市民団体等は適用除外と明記すべきだ」と言っているワケです。
 
 しかしどちらも勝手な言い分ばかりにしか聞こえません。
 
 まず「共謀罪適用団体を厳格に決め、市民団体等は適用除外と明記すべきだ」についてですが、これはむしろ厳格に明記する方が危険であると言えます。
 そもそも市民団体という枠組み自体が非常に曖昧であるのに、では普段は市民団体だと言っているような団代が実は犯罪集団でしたというコトになったらどうするつもりでしょうか
 むしろ計画性を持った組織なら、必ずそうするでしょう。
 というか、はじめから自分たちのコトを「犯罪集団だ」と外に見えるように活動しているところがあったら教えてもらいたいモノですよね。
 また最近は、NGO法人を取得しつつ、そのネームバリューでもって詐欺などの犯罪を犯す団体が増えてきているという話をよく聞きますが、しかし団体要項を明記してしまえばこんな団体も取り締まれなくなってしまいます。
 さらに言えば、日本犯罪史上最も凶悪な犯罪を犯したオウム真理教なども、現在は違いますが、事件を起こす前までは、これは明確に規定が存在する宗教法人という犯罪組織ではない団体でした。
 しかしそれでも、市民団体は適用除外で宗教法人は適用内とするような理屈は存在しないワケですから、やはり団体要項を明記するというコトになったらオウム真理教のような団体すら取り締まれなくなってしまいます
 先ほども言いましたように、そもそも「自分たちは犯罪集団です」という顔をしながら活動している組織なんてあるハズもなく、だいたい隠れ蓑としての団体を作って活動しているワケなのですから、むしろ団体要項を作れば、この共謀罪は全くの有名無実の法律となってしまうでしょう
 意味がありません。
 
 次に、無許可デモ等の市民活動すら取り締まるのは言論の弾圧だという主張についてですが、これもあまりにも身勝手な主張だとやえは思います。
 だって、言論だ思想だと言ったところで、無許可デモも入口封鎖も所詮は犯罪です。
 これは言論ではありません。
 言うならば、言論で勝てなかったから、もしくは選挙で勝てなかったから、実力行使をしようとしているに過ぎないワケです。
 そしてそれらは犯罪行為です。
 これらのような犯罪行為を正当化させるような主張には、やえは違和感しか感じないんですね。
 
 共謀罪はあくまで犯罪行為があるかどうかがポイントであって、別にその団体が主張している中身がポイントなのではありません。
 では例えば、日本赤軍などどう考えても組織的犯罪団体ですが、それでも主張それ自体はある程度は正統的な左翼主義共産主義にのっとった思想団体であり、もちろん日本赤軍のメンバー当事者は自分たちのコトを犯罪集団などと考えていないでしょう、間違いなく思想集団だと思っているハズです。
 しかしそれでも結局はその思想のために起こす行動が犯罪行為ですから、やっぱり日本赤軍は組織的犯罪団体です。
 まさか共謀罪反対論者も日本赤軍までは「適用除外にしろ」とは言わないでしょうけど、でもそれは結局赤軍と市民団体の違いはどこにあるのかと言えば、思想ではなく犯罪行為をするかどうかです
 むしろ思想的には非常に近いモノをもっている市民団体だってありますよね。
 共謀罪は思想で取り締まる法律なんだと主張するのであれば、では自分たちと日本赤軍との違いは何なのかとどこにあるのかという説明がつかなくなるワケで、やはり浅はかすぎる主張だと言わざるを得ません。
 別に組織的犯罪団体認定書とかあるワケではないんですから、犯罪行為をするなら市民団体であろうと赤軍であろうとも、等しく取り締まる必要があるのです。
 
 自衛隊のマンションに不法侵入して捕まった件にしても、どうしても「自衛隊海外派遣に反対したから捕まった」と、このような曲解で主張をわめき散らす人が多いのですが、あれは正確には「立ち入り禁止区域」に入ったから不法侵入で捕まっただけの話です。
 しかも事前に何度か警告も与えられているワケですしね。
 この手の人たちは「自分たちの主張を広めるためには犯罪を犯しても構わない」というような考えを無意識にでも持っているワケで、しかしそんなとんでもない我が儘には全く理解が出来ませんし、自分たちを何様だと思っているのか不思議に思いますし、盗っ人猛々しいとすら思います。
 こんな考え方こそがむしろエゴ的な戦争を引き起こしてきたワケで、また目的のために手段を選ばないようなデモと称した暴動やテロル、そして中国の愛国無罪と何が違うというのでしょうか
 やえには理解できません。
 
 結局、自分たちの主張が受け入れられないのを何かにぶつけたいというような、例の朝日新聞の連載記事と同じ精神構造なのでしょう。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、自分勝手な主張は応援しません。
 

憧れの疑似トラックバック機能を期間限定お試しで付けてみました〜)

Attention
Prohibition Item
Warning

このサイトは、
天堕 輪が主催・管理しています。
サイトへの意見や感想はこちらまで。
やえへの叱咤激励はこちらまで。

amaochi.com
からでもアクセスできます。
URLを忘れた時等は
【あまおちドットこむ】へ

携帯電話等から見られる
モバイル版【堕天使の槍】もどうぞ

リンクフリーですが、
一言言ってもらえればうれしいです。

リンクやブックマークは
www.amaochi.com
にお願いします。

どうしてもこのデザインがリンク先だと困る
という方は
amaochi.com/index2.html
でも結構です。

画像や文章の著作権は
天堕 輪もしくはやえが有しています。
無断使用・転載等は禁止します。


600×800でも普通に見れますが、
IE5&1024×768推奨です。
NCは6以上推奨です。
800×600の方は
フォントサイズを「小」にすることを
お勧めします。

Don't use this page's
Picture & Sentence