いい加減やえもうんざいりしてきているのですが、いつまでもこのネタでひっぱろうとしている人がいやに多い、柳澤大臣の「女性は産む機械」発言についてです。
やえもこの件に対していろんなところからいろんな人からコメントを求められていたりしているんですけど、そんなに気にするようなコトなのでしょうか。
まぁこの件を理由に野党は審議拒否までしはじめちゃってますから、今日はこのコトについて扱いたいと思います。
まず最初に言っておきたいコトがあるのですが、柳澤大臣は決して「女性は産む機械」などと発言はしていません。
これはマスコミが大臣の発言を切り貼りして作った文章です。
やえはこの問題が出始めのころ、この発言の前後の文章をけっこう長めに載せていた記事をどこかで見たんですが、そこまで問題な発言とはやえは思いませんでした。
ですから、その記事を保存もしてませんし前後の文章もよく覚えてもないんですが、しかし最近はどこを探しても前後の文章を載せた記事が見あたらない状態で、この辺も印象操作をしているなぁと思わざるを得ないところだったりします。
今探した中で、比較的長めに大臣の発言を載せている記事はこれぐらいでしょうか。
関係者によると、柳沢厚労相は27日に松江市で開かれた島根県議の会合で講演し、「(女性という)産む機械、装置の数は決まっている。あとは一人頭で(多くの子供を産むように)がんばってもらうしかない」と発言した。厚労相はその場で「機械と言ってごめんなさい」と謝罪し、「産む役目の人」と訂正した。(引用元)
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「女性は産む機械」と報道されるコトが多いこの発言ですが、まず「女性は産む機械」とだけの文章であれば、「女性=機械」という意味に、日本語を適切に解釈すればなるでしょう。
確かにこういう意味であれば女性も男性も性別にかかわらず怒るでしょう。
しかしそうではないコトぐらい、これだけの記事でも読み取れます。
かっこの中は記者が勝手につけた文字ですからこれを無視する、というかむしろその前に女性という言葉を大臣が発していなかったからこそわざわざかっこ付けで記者が入れていると言えるワケですから、本来の大臣が発した言葉は「産む機械、装置の数は決まっている」という部分だけです。
これを日本語として適切に解釈しようとするならば、この部分は例えとして比喩として機械を持ち出しているにすぎないというコトになります。
つもりここですでに大臣としての発言は、根本的に意味が変わってしまっているのです。
例えは所詮例えです。
なぜ例えを使うのかと言えば、それはわかりやすく物事を説明するためです。
例えを使って逆にややこしくなるのであれば、それは全くの本末転倒ですから、例えを使う時はわかりやすいという点は最重要です。
と考えれば、やはり大臣の発言は、男性と違って女は生産が出来るという点において機械という例を使ったのだと思われます。
例えば「○○会社の受付はお役所仕事のようだ」と言ったコトに対して、「ウチの社員は公務員ではない」とか言われたらどう思うでしょうか。
完全に的外れな反論ですよね。
この例えでは、決して「○○会社=お役所」と言っているワケではないからです。
これと同じように、例えとして機械を持ち出したからといって、それがイコールで「女性=機械」となるワケでは決してないワケです。
もし例えすらダメと言うのであれば、日本語はかなり制限をされてしまうコトでしょう。
まずこの点において、「女性は産む機械」という切り貼りは、とても悪意あるねつ造であると言えるのです。
もう1点、多くの人が誤解・曲解している点があります。
この問題に怒っている人はなぜ「女性=機械」と言われて怒っているのかと言えば、おそらく機械には人格が無いという点に怒りを覚えるのでしょう。
もし「女は黙って機械のように子供を産めばいいんだ」と言ったのであれば、それは「自分の考えなど無視して言われるがままに子供を産め」という意味ですから、怒って当然の発言です。
しかし、今回の大臣の発言での例え方は、人格が無いという点における機械という意味でこの例えを出したワケではありません。
生産性があるという意味で機械の例えを使って女を表しているのです。
発言をよく読んでいただきたいのですが、大臣の発言は「生産が可能なモノ(人数)の数は限られている」という意味ですから、ここには人格だとかそういうものの概念は全く関係ない話なのです。
機械に人格が仮にあったとしても、それは数の問題とは全くの別問題なのですから。
むしろ、機械は人より優れている部分があるからこそ生産を任されているところもあるワケで、その点について大臣は例えに出したのにも関わらず曲解して人格を無視しているとか言ったら、機械という言葉には無人格という意味しかないと言ってしまっているワケで、それは機械に対して失礼なんじゃないですかと、こじつければ言えてしまうのではないでしょうか。
だれも今回の話は「機械=無人格」という意味で使ってないのですから、この点についてもかなり的外れな批判にしかなってないと言えるのです。
さらに言いますと、講演は自民党県議の会合だったとのコトですから、いわば身内の会合だったワケで、そんな内々のことをほじくり出して問題化させるっていうのもどうかと思います。
また、現場では適切な言葉ではなかったと謝罪もしているワケで、大臣の発言から見ても女性蔑視で発言したのではないコトは今まで解説した通りですし、それなのに内々の講演の発言をいちいちねちねちとほじくり返して辞任まで求めるという今の風潮はむしろ異常だと言えるのではないでしょうか。
上の立場から国家全体としてを見る必要のある政治家・大臣が、ある意味人間を人間扱いせずに冷徹にデータとして考察するというのは、時には必要な行為です。
よくある政治設問で、ひとりの人間が犠牲になればすべての人間が助かる場合どうすべきかという命題がありますが、この命題に対して上にある立場の人間が「全ての命は大切であり、命を数として考えるべきではない」と言ってしまったとしたら、それこそ問題だと言わざるを得ません。
これと同じように、今回の大臣の発言というのは、冷静に冷徹に、「女性の絶対数は(例えばクローンを作るなどといった手段は用いられないので)すぐに増やすコトは出来ない。だから一人当たりの出産率を増やすしか少子化解決のための手段は無い。特効薬はない」と言っているだけだと捉えるのが適切なのではないかと思います。。
そういう意味からも、特に内々の場において、そのような趣旨で発言された大臣に対して辞任を要求するというのは、ある意味政治が危険な方向に進んでいると言えるのではないでしょうか。
だいたいにしてはじめからもう「女性は産む機械」という言葉自体がマスコミのねつ造であるのですから、相変わらず日本人は成長しないのかなと自嘲気味に今回の騒動についてため息が出ていたやえでした。
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