☆やえニュース☆

  言霊ヒステリック衆愚政治製造記事東国原知事にちょっと同情しました安倍メルマガレビュー論点ズラし

平成19年2月2日

 言霊ヒステリック

 いい加減やえもうんざいりしてきているのですが、いつまでもこのネタでひっぱろうとしている人がいやに多い、柳澤大臣の「女性は産む機械」発言についてです。
 やえもこの件に対していろんなところからいろんな人からコメントを求められていたりしているんですけど、そんなに気にするようなコトなのでしょうか。
 まぁこの件を理由に野党は審議拒否までしはじめちゃってますから、今日はこのコトについて扱いたいと思います。
 
 まず最初に言っておきたいコトがあるのですが、柳澤大臣は決して「女性は産む機械」などと発言はしていません
 これはマスコミが大臣の発言を切り貼りして作った文章です。
 やえはこの問題が出始めのころ、この発言の前後の文章をけっこう長めに載せていた記事をどこかで見たんですが、そこまで問題な発言とはやえは思いませんでした。
 ですから、その記事を保存もしてませんし前後の文章もよく覚えてもないんですが、しかし最近はどこを探しても前後の文章を載せた記事が見あたらない状態で、この辺も印象操作をしているなぁと思わざるを得ないところだったりします。
 
 今探した中で、比較的長めに大臣の発言を載せている記事はこれぐらいでしょうか。
 

 関係者によると、柳沢厚労相は27日に松江市で開かれた島根県議の会合で講演し、「(女性という)産む機械、装置の数は決まっている。あとは一人頭で(多くの子供を産むように)がんばってもらうしかない」と発言した。厚労相はその場で「機械と言ってごめんなさい」と謝罪し、「産む役目の人」と訂正した。(引用元

 「女性は産む機械」と報道されるコトが多いこの発言ですが、まず「女性は産む機械」とだけの文章であれば、「女性=機械」という意味に、日本語を適切に解釈すればなるでしょう。
 確かにこういう意味であれば女性も男性も性別にかかわらず怒るでしょう。
 しかしそうではないコトぐらい、これだけの記事でも読み取れます。
 かっこの中は記者が勝手につけた文字ですからこれを無視する、というかむしろその前に女性という言葉を大臣が発していなかったからこそわざわざかっこ付けで記者が入れていると言えるワケですから、本来の大臣が発した言葉は「産む機械、装置の数は決まっている」という部分だけです。
 これを日本語として適切に解釈しようとするならば、この部分は例えとして比喩として機械を持ち出しているにすぎないというコトになります。
 つもりここですでに大臣としての発言は、根本的に意味が変わってしまっているのです
 
 例えは所詮例えです。
 なぜ例えを使うのかと言えば、それはわかりやすく物事を説明するためです。
 例えを使って逆にややこしくなるのであれば、それは全くの本末転倒ですから、例えを使う時はわかりやすいという点は最重要です。
 と考えれば、やはり大臣の発言は、男性と違って女は生産が出来るという点において機械という例を使ったのだと思われます。
 例えば「○○会社の受付はお役所仕事のようだ」と言ったコトに対して、「ウチの社員は公務員ではない」とか言われたらどう思うでしょうか。
 完全に的外れな反論ですよね。
 この例えでは、決して「○○会社=お役所」と言っているワケではないからです。
 これと同じように、例えとして機械を持ち出したからといって、それがイコールで「女性=機械」となるワケでは決してないワケです
 もし例えすらダメと言うのであれば、日本語はかなり制限をされてしまうコトでしょう。
 まずこの点において、「女性は産む機械」という切り貼りは、とても悪意あるねつ造であると言えるのです。
 
 もう1点、多くの人が誤解・曲解している点があります。
 この問題に怒っている人はなぜ「女性=機械」と言われて怒っているのかと言えば、おそらく機械には人格が無いという点に怒りを覚えるのでしょう。
 もし「女は黙って機械のように子供を産めばいいんだ」と言ったのであれば、それは「自分の考えなど無視して言われるがままに子供を産め」という意味ですから、怒って当然の発言です。
 しかし、今回の大臣の発言での例え方は、人格が無いという点における機械という意味でこの例えを出したワケではありません
 生産性があるという意味で機械の例えを使って女を表しているのです。
 発言をよく読んでいただきたいのですが、大臣の発言は「生産が可能なモノ(人数)の数は限られている」という意味ですから、ここには人格だとかそういうものの概念は全く関係ない話なのです。
 機械に人格が仮にあったとしても、それは数の問題とは全くの別問題なのですから。
 
 むしろ、機械は人より優れている部分があるからこそ生産を任されているところもあるワケで、その点について大臣は例えに出したのにも関わらず曲解して人格を無視しているとか言ったら、機械という言葉には無人格という意味しかないと言ってしまっているワケで、それは機械に対して失礼なんじゃないですかと、こじつければ言えてしまうのではないでしょうか。
 だれも今回の話は「機械=無人格」という意味で使ってないのですから、この点についてもかなり的外れな批判にしかなってないと言えるのです。
 
 さらに言いますと、講演は自民党県議の会合だったとのコトですから、いわば身内の会合だったワケで、そんな内々のことをほじくり出して問題化させるっていうのもどうかと思います。
 また、現場では適切な言葉ではなかったと謝罪もしているワケで、大臣の発言から見ても女性蔑視で発言したのではないコトは今まで解説した通りですし、それなのに内々の講演の発言をいちいちねちねちとほじくり返して辞任まで求めるという今の風潮はむしろ異常だと言えるのではないでしょうか。
 
 上の立場から国家全体としてを見る必要のある政治家・大臣が、ある意味人間を人間扱いせずに冷徹にデータとして考察するというのは、時には必要な行為です
 よくある政治設問で、ひとりの人間が犠牲になればすべての人間が助かる場合どうすべきかという命題がありますが、この命題に対して上にある立場の人間が「全ての命は大切であり、命を数として考えるべきではない」と言ってしまったとしたら、それこそ問題だと言わざるを得ません。
 これと同じように、今回の大臣の発言というのは、冷静に冷徹に、「女性の絶対数は(例えばクローンを作るなどといった手段は用いられないので)すぐに増やすコトは出来ない。だから一人当たりの出産率を増やすしか少子化解決のための手段は無い。特効薬はない」と言っているだけだと捉えるのが適切なのではないかと思います。。
 そういう意味からも、特に内々の場において、そのような趣旨で発言された大臣に対して辞任を要求するというのは、ある意味政治が危険な方向に進んでいると言えるのではないでしょうか。
 
 だいたいにしてはじめからもう「女性は産む機械」という言葉自体がマスコミのねつ造であるのですから、相変わらず日本人は成長しないのかなと自嘲気味に今回の騒動についてため息が出ていたやえでした。
 

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平成19年2月5日

 衆愚政治製造記事

 最近見てきた中でも最低最悪な記事を見つけました。
 

 衆院予算委:金子委員長が落書き、暇つぶし
 
 野党4党が欠席して行われた2日の衆院予算委員会で、自民党の金子一義委員長が委員長席で、自民党の理事などの似顔絵を次々に描き、本人らに披露した。この日の野党分の質疑時間は計5時間。野党議員の出席を待つ間などに手元の書類に落書きした。
 金子委員長のこうした行動について、隣に座っていた安倍晋三首相は2日夜、記者団から感想を求められたが、「私は見たわけではないので答えようがありません」とコメントを避けた。

 そもそも仕事をしていないのは民主党などの野党なんですが、それについては華麗にスルーですか?
 
 だいだいにしてなぜ5時間もの間貴重な時間を暇つぶししなければならなくなったのか、それだけでもどれだけ国家的に損失を被っているのか、まずはそこが問題の根源のハズです。
 野党が委員会をサボらず正常に開会していればそもそもヒマな時間など出来ず、委員長も落書きするコトなく職務を全うしていたコトでしょう。
 もし正常に委員会が動いている中で委員長がそのような行為に及んだのであれば確かに問題と言えるかもしれませんが、しかし今回はそもそも何もやるコトがない中でおきたコトであり、文字通り無駄としか言いようのない時間なのなかでの話であり、やはり問題はまずなぜ5時間も無駄な時間を浪費しなければならなかったのか、そこが全ての諸悪のハズではないのでしょうか。
 
 自分のコトとして当てはめて考えてください。
 「今日のアナタの仕事は、5時間なにもせずに待っていてください」
 もしこう言われたどう思うでしょうか。
 ハッキリ言ってこんなの拷問です。
 よく言ってもパワーハラスメントです。
 そう考えれば、与党はどれだけの苦労を強いられたのか、そしてその無責任な行為はどれだけ多くの人に迷惑をかけたのか、分かろうというモノではないでしょうか。
 
 なにがひどいって、どうしてこういう記事を載せるのか、中でも政治等に対してあまり深く考えない人はどう思ってしまうのかという点です。
 1つは、さっきも言いましたように、諸悪の責任をぼかしてしまう点です。
 野党さえ出席していればなんら問題は無かったのですから、まずもって野党の責任を問わなければ何もならない問題です。
 しかしそれを棚に上げてこのような記事を書くコトは、根本の責任問題から国民を騙す役割を果たしていると言えるワケです。
 
 2つは、安易な愚民を増やしてしまう点です。
 この記事の反応の中には「税金泥棒め」というモノも少なくありませんでした。
 しかしよく考えていただきたいのですが、一体何がどう税金泥棒と言うのでしょうか。
 言ってしまえば、別にこの無駄無駄無駄ァァァな待ち時間にDSやPSPをしていたとしても、やえは全く問題があるとは思えません。
 実質的に考えて、待っている間遊んでいたとしても、そんなの税金は全く無駄になりません。
 野党が欠席するという時点ですでに仕事が出来ないので無駄遣いが決定なワケで、その間委員長や議員さんが何をしていようともう損失は損失なのです。
 じっと5時間耐えようとも、それとも遊び呆けようとも、全く何も変わらないのです。
 
 最近は国民もあまりものを深く考えない人が出てきてしまって、「議員が落書き」と聞くとパブロフのように批判する人がいますが、だからこそ事情をよく知っているマスコミが判断してこのようなどうでもいいコトなどスルーすべきのハズなのです。
 なんのためにマスコミだけが自由に国会の中を移動し取材できる権利があるのでしょうか。
 深く考えない国民もどうかと思いますが、数ある中でわざわざこのような無用に国会議員ひいては日本国の品位を落としめすような記事を書くマスコミは一体何を考えているのか理解できません。
 これこそ紙の無駄、資源の無駄以外何者でもないでしょう。
 
 もし落書きが問題と思うなら、堂々とその理由を添えて書けばいいのです。
 もちろんそれは、まず5時間も無駄な時間を作ってしまった野党の責任を問うてからなのは言うまでもありません。
 その上でさらに具体的にこの委員長の行為が損失であると思うなら、ちゃんとキチッと世に問えばいいのです。
 
 自分だけは安全なところに隠れて、無用に民衆を欺き扇動して、しかし責任からは逃げる。
 この記事と記者は最低最悪と言わざるを得ません。
 

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平成19年2月6日

 東国原知事にちょっと同情しました

 また民主党をはじめとする野党、そしてマスコミがつるんで、箸にも棒にもかからないくだらない揚げ足取りをしていますね。
 日本人はここまで日本語が下手くそになってしまったのかと思わずにはいられません。
 まぁ投げやりに言ってしまえば、この程度の問題を国会で大きく取り扱われている日本は平和だと言えるのかもしれませんね。
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 
 朝のテレビのニュースで見たんですが、そのまんま東こと東国原知事が、初めての記者会見で憤慨しておられました。
 なにやら会見は1時間程度あったそうなのですが、その50分もの間は、副知事にかと言われてる知事選を敵として戦った自民党推薦の持永哲志さんのコトばかり聞かれたようで、いい加減うんざりしていたらしいのです。
 中でもこの質問にはさすがにやえも東国原知事に同情を禁じ得ませんでした。
 
 「知事は持永氏を『しがらみがある人』と批判していましたよね。批判した人を副知事にするんですか?」
 
 日本人にありがちなのですが、批判対象と、人物とをごっちゃにしてしまっているんですね。
 つまり、東国原知事は「しがらみ」を批判していただけであって、持永さん個人を批判していたワケではありません。
 ここを混同してしまうと議論が議論として成り立たなくなるので注意が必要なのですが、それなのに批判すればそれは全て人格攻撃かのように伝える、特に言葉が商売の記者としては、それはどうなんですかと思わずにはいられません。
 
 やえは数日前にこの「持永氏を副知事に」というニュースを聞いた時、一体誰が入れ知恵したのだろうかと思いました。
 とても上手い、そして巧い人事だと思ったからです。
 東国原知事の一番の難題は、今まで政治に関わってこなかったコトをあいまっての、議会との意思疎通がうまくいくかどうかという点です。
 議会と知事との間は、もちろん政策で論争があるのは当然のコトですが、やはり人間関係という点も決して無視できない大切なポイントです。
 お互いに推進できる案件ならいいんですが、対立するような案件の場合、ギリギリの議論が行われる時にもっとも必要になってくるモノは、やはり信頼関係です。
 「この人が言うなら信じてみよう」「この人ならここまで言っても大丈夫だろう」「この人ならこの辺まで譲歩してもなんとかなるだろう」
 特に現実問題を動かし、結論と結果を出さなければならない政治での議論では、こういう信頼関係があってこそ真に深い議論が出来るというモノです。
 また議論だけに関わらず、まずもってお互いに信頼関係が築けていれ、意思の疎通もスムーズに出来ますから、どんな案件に対してもスピーディーに動くことができ、とても効率的にコトが進めるワケです。
 どんな職場だって、人と人との信頼関係が無いところなんてありません。
 人間同士である以上、信頼関係は不可欠であり、時にはもっとも重要なモノになるコトでしょう。
 そういう意味からも、職場にいる人間だけの問題ではなく、信頼関係を築けるかどうかは政治そのものに関わり、結果的には県民・国民にも直接繋がってくる問題であると言えるのです。
 
 そう考えた時、宮崎の政治シーンにおいてそれなりの影響力を持っていると思われる持永さんを副知事にして、議会や役所とのパイプ役にするというのは、これ以上ない適材適所だと言えるハズです。
 持永さんにしてみても、現在無職状態で、衆議院選挙も2回落ちた上に、自民党の選挙区支部長を返上してまで臨んだ知事選にも落ちたので衆議院選挙にも復帰できないという追い詰められた状態なのですから、政治行政に参加できるのであれば、ここは断る理由はないと思います。
 そして当然副知事より知事の方が権限が上であるのは言うまでもないコトなのですから、東国原知事がしっかりしていれば、自身が批判した「しがらみ」の問題もクリアされるでしょう。
 「しがらみ」も、言い換えればコネクションです。
 コネクションはお金に換えられない貴重な財産です。
 そういうコネクションを持っている持永さんを自分の側近に迎えうまく使えば、それは県政にとって素晴らしい結果をもたらすでしょう。
 人を使うのだって知事の仕事であり、力量です。
 ですから、持永さんを登用するコトそれだけの事実をもって東国原知事を批判するのは、それは全く的外れと言えるのではないでしょうか。
 
 何度も言ってますが、政治は結果責任です。
 最近揚げ足取りが流行っているようですが、東国原知事はとにもかくにも選挙によって選ばれたのですから、まずは4年間の間にどのような結果を出せるかこそを注目すべきでしょう。
 こういうくだらない叩きは、むしろ政治と国民との距離を遠ざけ、国民にとってはマイナスにしかならないと思います。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、このニュースを見てから、東国原知事を応援したくなってきました。
 

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平成19年2月8日

 安倍メルマガレビュー

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       安倍内閣メールマガジン(第16号 2007/02/08)
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 <アンケートご回答のお願い>
 今後の誌面作りの参考のために、アンケートへのご回答をお願いします。
 今週からみなさまの通信環境についての設問を追加しています。
 
 (アンケートはこちらから)
  http://www.mmz.kantei.go.jp/inq/inq_top.pl?INQCD=QA070208ki
 
 [こんにちは、安倍晋三です]
 ● 北の街を訪ねて
 こんにちは、安倍晋三です。
 柳澤厚生労働大臣の発言について、先週号のメールマガジンに、たくさんのご批判メールをいただきました。極めて不適切な発言であり、私からも深くお詫びいたします。
 柳澤大臣には、反省の上に立って、国民の気持ちを常に考えながら、厚生労働行政、また少子化対策に対して取り組んでもらいたいと考えています。
 
 いきなりお詫びからはじまっちゃいました(^^;
 この件についてはこの前お話ししましたし、もうちょっと触れておこうかと思っていますが、少なくとも辞任するべき案件でないコトは確かです。
 むしろこの程度で大臣が辞められてしまうと、野党が騒げばなんとでもなるという悪しき習慣も出来てしまいますから、絶対に辞任だけは避けるべきでしょう。
 国民ももうちょっと賢くなってほしいと思う今日この頃です。
 
 先週末、秋田県の大仙(だいせん)市を訪ねました。日本経済は順調に回復していますが、地域によってはまだまだ厳しいところもあります。そういう現場に足を運び、自分の目で見て、その地域の方々から直接お話を伺いたい、という思いで出かけることとしました。
 東京から新幹線に揺られて3時間半、秋田の地に降り立つと、白銀の世界。肌をつくような寒さでしたが、白く染まった山々は、水墨画のような美しさでした。
 「シャッター通り」という言葉がありますが、最初に訪れた駅前商店街は空き店舗も目立ち、厳しい状況にありました。しかし、地域のみなさんと車座になってお話させていただくと、自分の住む地域をよくしたいという熱意がひしひしと伝わってきました。
 
 地方の問題でも特によく話題に上る商店街の問題ですね。
 この問題はなかなか難しい、というか、一概に景気やその辺を安易に理由には出来ないと思います。
 なぜなら、本来商店街はある程度生活必需品を売るところですから、不景気が来ても「閑古鳥が鳴く」というところまではいかないと思われるからです。 
 ではなぜ現在全国各地の多くの商店街がこのような状況になっているのかと言えば、大きな要因のひとつとしては、ライバルが出現しているからというのがあるでしょう。
 大型のスーパーマーケット等ですね。
 ですから、地域活性化のために政府が介入するのはもちろんいいコトだとは思いますが、基本的には市場原理的な、商店街が大型店舗というライバルに打ち勝つための努力というモノが一番必要だと言えるでしょう。
 近くの商店街がさびれてさみしいと感じている人は少なくないと思いますから、この辺は頑張ってもらいたいと思っています。
 
 あるボランティアの女性は、まず自分たちができることをしよう、との思いから、子どもからお年寄りまで楽しめる憩いの場を商店街の中に作りました。「一人のお年寄り、一人の子ども、一人のママに、こんなところができてよかったと言ってもらえるのが私たちの報酬です。」と語る横顔は、自分の住む地域への誇りと愛着にあふれていました。
 
 こういうアイディアもいいですよね。
 ただ少し厳しいコトを言うのであれば、スーパーなどでも子供の遊び場とか託児所を設けているところも結構普通にあったりしますから、そういう対応はやっぱり大型店舗の方が早いと言わざるを得ません。
 もちろんこういう地域のつながりを大切にする方法は重要だと思いますが。
 
 ここは「大曲(おおまがり)の花火」で全国的にも有名な土地であり、その名も「花火通り」商店街。花火グッズを作るなど、知名度の高い「花火」を活かして、街に元気を呼び寄せよう、郊外の大型店舗に負けるものかと、みんなでアイデアを出し合っているそうです。「花火のワールドカップを開催したい。」―やる気にあふれる花火クラブの代表の方は、自らの夢を語ってくれました。
 
 ごめんなさい。
 大曲と聞いたら、大曲署しか思い浮かびませんでした。
 でも、まともに見たこともないんですけどね、テレビも映画も(笑)
 
 農家のみなさんには、秋田の冬はとても厳しいものです。しかし、そうした厳しい寒さを逆手にとり、寒風にさらすことで甘さを増す寒締めほうれん草やアスパラを栽培し、夏のおコメ、トマトとあわせ、夫婦二人三脚で1年中農作物を栽培している農家にも伺いました。土からニョキニョキと出たアスパラの1本を試食させてもらいましたが、とれたてのアスパラを食べたのは初めて。サクッとした歯ごたえがとても新鮮でした。
 
 こ、これはすごく美味しそうですね。
 美味しいお野菜って本当に美味しいですからねぇ。
 サクッてしたいです、サクッて。
 
 地元秋田のおコメを使った造り酒屋にも訪れました。雪に覆われた酒蔵は、ひっそりと静かなたたずまい。大きな桶には、奥羽山脈がもたらす硬水で作られた絞りたての原酒がためられていました。私は、お酒はたしなみませんが、湯飲みにすくっていただき、少し舌に乗せると、果物のような淡く、やさしい香りが口の中に広がりました。
 秋田のおいしいおコメときれいな水から造られた日本酒は、山々に囲まれた地方の酒蔵から日本を越えて世界へと発信され、アメリカやヨーロッパ、アジアの国々にも輸出されているそうです。地元の恵みを活かして、世界の人たちを魅了しています。
 
 そうそう、安倍さんはお酒飲まれないんですよね。
 飲めそうな雰囲気なんですが。
 やえが知ってる中で一番ギャップがあるのが、浜田靖一先生です。
 ご存じハマコーこと浜田幸一さんの息子さんですが、あんな顔して確か呑めないんですよね。
 って、もし違ってたらごめんなさい。
 ところで日本酒は、国内では消費量が下がってるらしいんですが、国外で需要が増えているんだとか。
 最近世界的にも日本ブームですから、そのせいもあるのかもしれません。
 
 それぞれの地域にはそれぞれの良さがあります。そして、その良さを一番理解しているのは地域のみなさんです。地域のみなさんが、その良さを活かして地域を活性化しようと、やる気と独自のアイデアで厳しい中でも努力しています。そうした頑張っている地域のみなさんを、国は応援していかなければならないと改めて実感しました。
 霞ヶ関が押しつけるのではなく、地域に住むみなさんのアイデアを応援する。秋田で頑張っていらっしゃるみなさんのお話を伺いながら、そうした私の地域再生の考え方は間違っていなかったと確信しました。今後とも、そうした地域活性化への取組を進めていきたいと考えています。(晋)
 
 地方色が豊かなコトが日本の特色と言ってもいいですからね。
 しかもそれぞれが数千年の伝統と歴史を持っているワケですから、日本が日本であるためにも地方の特色は引き継いでいきたいモノです。
 「美しい国」とは、まさにそういうコトじゃないかと、安倍さんには期待しています。
 
 
 
 [東奔西走]
 残念ながら野党が欠席のまま、平成18年度補正予算が成立いたしました。柳澤厚生労働大臣の発言は極めて不適切であり、安倍総理も深くお詫びしているところですが、災害対策や新型インフルエンザ対策などが盛り込まれた補正予算については、国民生活の安心・安全を確保する観点から早期に成立をはかる必要がありました。
 
 どうせあれなんですよ。
 本予算の駆け引きのために、またここでいつもの時間稼ぎしてるだけなんですよ。
 
 中でも特に総理の思い入れが強かったのは、「24時間いじめ相談ダイヤル」の設置でした。いじめが原因で子どもたちの自殺が相次ぐ中で、昨年12月7日に都内の小学校で子どもたちと給食を一緒に食べた際に、子どもが気軽に悩み相談ができる24時間対応の窓口がないことに総理は気付きました。
 
 ああ、この回ですね。
 
 子どもたちは各地の教育委員会の電話番号など知りませんし、いじめは塾の帰り道など時間を問わず様々な状況下で発生しますので、夜間は応答しない教育委員会等の通常の電話では十分な対応ができません。
 そこで総理が関係府省に指示を行い、全国統一の電話番号で夜間・休日でも子どもの悩みや不安を受け止めることのできる「24時間いじめ相談ダイヤル」の設置が補正予算に盛り込まれ、実現したわけです。
 子どもたちとの対話をきっかけに、いじめによる犠牲を無くすために、少しでも行政のサービスの質を向上させようという総理の思いが結実した相談ダイヤルです。番号は0570−0−78310(なやみ言おう)です。(せこう)
 
 まぁ実際、教育委員会に電話っていうのは、その語感からもちょっと躊躇しますしね。
 そして、もちろん電話してきた子供を直接助けられるという効果もありますが、具体的な案件を直接聞くことで、全体としても対処ができるようになってきますしね。
 次はこのダイヤルの存在をいかに世間に知らせるかです。
 それこそせこう先生の腕の見せ所でしょうから、ぜひぜひがんばってください。
 
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、美しい国日本を応援しています。
 

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平成19年2月13日

 論点ズラし

 そろそろいい加減もういいじゃないかという話題の例の柳澤大臣の発言問題ですが、今日はこの話題を借りつつ野党やマスコミの卑怯さを指摘していきたいと思います。
 
 というのも、最初この問題が問題として取り扱われた時は、大臣が「女性は機械」だと言ったというコトで問題化したワケです。
 記事のタイトルでも、「女性は産む機械発言」などと書かれたり、発言でも「柳澤大臣の産む機械発言」とか言われたりしていましたよね。
 つまり本来この問題は、大臣が女性を機械と見なしているかどうかという点が論点だったワケです。
 
 しかし最近は、意識してかしてないのかは分かりませんが、この論点をスライドさせようとマスコミなどはしています。
 本来問題だったハズの「産む機械」の部分を争点とせず、その発言のちょっと後の大臣の「一人頭でがんばってもらうしかない」という言葉をとらえて、「それは国家が出産を強制させようとしている発言だ」という批判に切り替えているのです。
 だけどこれでは全く最初から違う話になってしまうのです。
 
 「産む機械問題」であるなら、それは人間の尊厳の問題です。
 本当に大臣がそのような趣旨のコトを言ったのであれば、それは政治家であれなんであれどんな立場だって糾弾されるべき発言であるでしょう。
 この問題の場合は、立場を越えた個人の見識の問題、つまり柳澤伯夫というひとりだけの個人の見識の問題です。
 
 しかし問題が「国家の強制性の問題」であるなら、またそれは別の問題です。
 こういう主張であるなら、それは「国家としてのあり方の問題」になります。
 国家として少子化を解消するために、少々強引でも子供を産んでもらおうと、国家がどういう政策をとるのかというかなり公共的政策的なお話です。
 この場合。個人的な話では全くありません。
 例えば、個人的には税金がない方がいいと思っているのは誰だってそうですが、立場上税金を取らなければならないし税率ももっと上げる必要があると言わなければならない人は、やはり立場上言う必要があるのと同じコトです。
 つまり、もしこの問題が論点であるなら、柳澤大臣個人をどうこう言うのではなく、日本の国家としてどうなのかという冷静な議論をする必要があります。
 「産む機械」の話とは全然違う話です。
 
 よって、本来ならこのふたつの話は、一緒くたにして語っていい話ではありません。
 しかし最初は柳澤大臣個人について批判を繰り広げていたのに、いつの間にか政策批判に移りつつ、しかしそれなのに個人攻撃も続けているという、今の段階は全ての面においてズレまくってる批判しか、野党もマスコミもしてないとしか言いようが無い状況になっているのです。
 
 それもおそらく、さすがに「女性は産む機械」というほぼねつ造に近い揚げ足取りが最近は異論が出てきて、通用しなくなりつつあるからでしょう。
 立場が不利になると違う話にシフトして、場を濁す、または有利に立とうとするというのは、よくある常套手段ではありますが、卑怯な手段でもあります。
 さすがマスコミ・野党と言ったところでしょうか。
 
 また、「一人頭でがんばってもらう」という発言をまじめに考えても、全く柳澤大臣の言葉に批判すべき要素など見あたりません。
 例えば批判の中には、「がんばるのは大臣や政府であって、いかに産みやすい環境をつくるかを考えなければならないのに、女性にだけがんばると言うのは無責任だ」というモノがありますが、では逆に聞きたいんですけど、政府が出来る支援、税制や補助金などの措置を完璧にとれば、例えば出産には全くお金がかからないようにしたとしたら、それで女はがんばらなくても子供を産めるようになるとでも言うのでしょうか?
 そんなコトはありませんよね。
 最後はどうやっても女が頑張るしか、女が体を痛めるしか出産は出来ません。
 だからこそがんばる必要があるワケで、男性である柳沢大臣もそういう意味でがんばってもらうしかないとおっしゃったのではないでしょうか。
 
 こういう批判をする人は、では一体少子化問題を解決するためはどうしたらいいと考えているのか聞かせてもらいたいモノです。
 ひとつは、もうこの流れに逆らわずに、少子化対策というものをあきらめて、それなりの人口でも国家や国際競争力を保つ方法を考えるコトです。
 つまり一人当たりの生産力を上げる方法と努力をするというコトですね。
 もうひとつは、移民政策です。
 外国から労働力を入れて足りない部分を補うという方法です。
 しかしこれは言うまでもなく様々な問題があり、また生産力を補ったとしても子供が増えるワケではないので、経済の面で言えばそれなりの効果はあるかもしれませんが、本当の意味での少子(高齢化)問題を解決できるワケでありません。
 
 そして3つめの手段として、子供をたくさん産む方法です。
 これが一番分かりやすく、かつ確実な方法です。
 しかし、この方法はつまりは、「一人頭がたくさん産む」しか手段はありません。
 いくら産む環境を良いモノに整えたところで、一人頭がたくさん産むというコトだけが唯一の手段であるのは変わりありません。
 変な話、環境が悪くても一人頭がたくさん産めば、それで少子化問題は解決します。
 つまり、環境は手段であって目的ではないワケで、環境を目的化のように言い、本来の目的を的確に述べるコトを批判する言説は、あまりにも無責任ではないのでしょうか。
 少子社会でもいい、もしくは移民政策をとるべきだとすら言わず、その上腹を痛めるコトがほぼ絶対条件な出産が必要最低な条件である手法すら正面から見ずに、ただただ批判だけを繰り返すこの手の人たちは、無責任にもほどがあるとしか言いようがないのです。
 
 何度も言いますが、出産で腹を痛める女に対して男性が「がんばれ」というのは、優しさであり普通のコトであるハズです。
 大臣には産みやすい環境を作ってもらうというのはひとつの手段ではあると思いますが、それと「女性にがんばってもらう」という考え方は対立するものではありません。
 がんばれと言っているから大臣はがんばってないと言うのは、これは言いがかりにもほどがあるでしょう。
 いくら大臣の発言をねつ造したコトがバレはじめたからと言って、さらに悪質な言いがかりをするというのは如何なモノなのでしょうか。
 

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