☆やえニュース☆

 あけおめでございます小沢王国の象徴−藤井大臣辞任−事実を伝えてこそ派遣村の意義があるというモノ事実を伝えてこそ派遣村の意義があるというモノ(下)どちらにしても正しいデータが必要公平公正な政治を社会の厳しさを教えるコトは、それは優しさSAVEニッポン、外国人参政権付与法案反対バナー運動

平成22年1月4日

 小沢王国の象徴−藤井大臣辞任−

 あけおめでございます。
 
 というワケで、今年は様々な意味で日本にとって大きな転換期になりそうな予感です。
 参議院選挙もあるというのもあるのですが、その前に民主党が大きな日本の根底を覆すような法律を通してしまう可能性が否定出来ません。
 もちろん、「根底を覆すコト」が日本にとって良いコトでしたら言うコトはないのですが、まぁ実際どうなのかはもはや言うまでもなさそうです。
 やえは昨年散々言いましたが、ついに今年、日本人が自らの手で下した決断によってそのツケが支払われるコトになるかもしれません。
 
 日本にとって大切な今年一年。
 やえも最後までサジを投げないよう、言えるだけのコトは言い、やれるだけのコトはやろうと思っています。
 
 今年も一年どうぞよろしくおねがいします。
 

平成22年1月7日

 小沢王国の象徴

 藤井財務大臣が辞任しました。
 
 理由は健康問題とご本人さん言っておられるみたいですが、まぁほとんどの人が信じていません。
 ではなぜ辞めたのかと言いますと、それはおそらく、やっぱり藤井さん本人が財務大臣としての仕事が一切できなかったからではないかと思われます。
 いえ、ちょっと違いますね。
 仕事ができなかったのではなく、させてもらえなかったからと表現した方が適切でしょう。
 
 残念な言い方になりますが、藤井さんは歴代の大蔵・財務大臣で最も最低な大臣になってしまいました。
 これだけ存在感のない財務大臣は類を見ません。
 本来財務大臣という役職は、総理大臣に次ぐ地位と存在感のある役職であり、官房長官と並んで内閣の双璧と言える立場です。
 財政に関してリーダーシップを発揮し、その立場から様々な分野のあらゆる省庁に対して影響力を持って、時には他の省庁や大臣が打ち出した政策にも注文をつけて、内閣の政策と財政の整合性を図る「日本の金庫番」と言うにふさわしい役職が財務大臣です。
 しかし藤井さんはどうだったでしょうか。
 財政が厳しい中なんとか支出を減らそうと頑張ろうとはしましたが、逆に他の大臣からNOを突きつけられて、藤井さんの声はむなしく響くだけでした。
 国債の件なんてそれが最も現れていましたね。
 鳩山総理のブレブレ政策の煽りを正面から受けてしまい、結果的に完全に公約違反となる国債を大幅に増やして過去最大の予算案を作るハメになってしまいました。
 藤井さんがやろうとするコトには総理をはじめとした他の大臣からクレームが付いて、財務大臣としては何もできない状態になった上に、他の省庁の主張こそが最優先されるという他の大臣の言いなりにしかならなかったというのが、藤井さんが大臣だったときの財務省だったのです。
 今までの財務大臣のあり方と全くの逆を行ってしまったワケです。
 
 そりゃ嫌気が差しますよね。
 
 そもそも藤井さんは鳩山内閣が発足するときに、小沢民主党幹事長の反対を押し切ってまで鳩山総理が是非にと据えた人事でした。
 そもそも高齢で体力が心配というのははじめから言われていたコトで、そんなのは今更分かっていたコトなのですから、それを押してまで是非藤井さんにとしたのが鳩山内閣の方針だったワケです。
 それなのにこの扱いは、藤井さんでなくてもイヤになるでしょう。
 むしろ藤井さんだからこそ、なんとか今まで耐えてきたと言えるのかもしれません。
 やえはあまり藤井さんの財務大臣としての仕事は評価できるようなモノではなかったとは思っていますが、それにしてもこれはあまりにも「可哀想」と表現するしかない出来事だったと思います。
 
 結局この件で一番にんまりしたのは、小沢民主党幹事長でしょう。
 さっきも言いましたように、元々小沢幹事長は藤井さんの財務大臣入閣には反対をしていました。
 それはおそらく、小沢幹事長にとっては年上で経験豊富な藤井さんは御しにくい相手だからなのでしょう。
 もともと長年自由党などでともに道を歩んできただけに、良いコトでも悪いコトでもとにかく意見されるのが大嫌いな小沢幹事長にとっては、意見を言いやすい立場にある藤井さんというのは、今までのコトがあるからこそ煩わしい相手になってしまったのだと思われます。
 その上公的な役職が付けば、その発言にはいやがおうにも重みが付きます。
 結局藤井さんというのは、この小沢幹事長のガキとしか言いようのない幼児性の餌食になってしまったワケで、小沢幹事長としては「計画通り」と言ったところなのでしょう。
 
 藤井さんが財務大臣として仕事ができなかった一番大きな理由も、言うまでもなく小沢幹事長でした。
 本来一番政策の全体についての影響力を発揮しやすい立場の大臣は財務大臣で、それはなぜかと言いますとお金を握っているからなワケですが、しかしそれをもってしても他の大臣にやりたい放題言われたい放題されたのは、小沢幹事長の影響力がそれに勝っていたからです。
 鳩山総理をはじめとして他の大臣がやりたい放題なのは、それは小沢幹事長のお墨付きをもらっているからであり、しかしそれをしなかった藤井大臣は妨害されまくり、結局孤立したワケです。
 
 小沢幹事長の政治的手法は基本的には「妨害する」というモノです。
 小沢幹事長のゼネコンに対する黒いカネの件がそれを如実に表しています。

 熊谷組関係者は毎日新聞の取材に「小沢氏は一番怖い。仕事をもらうってわけではなく、邪魔されるのは嫌なので、日常的に横並び的に献金していた」と話している。

 記事がすでに削除されていて申し訳ないのですが、ふつう政治家の黒い力というモノを想像するときは、「お金を献金して工事に入れてもらう」というモノだと思うのですが、しかし小沢式は「お金を献金しなければ仕事ができないようにしてやる」という、逆転の発想のモノです。
 言ってみれば、「みかじめ料を払わなければチンピラを店先で暴れさせる」というヤクザの手法なワケです。
 こういう手法が小沢式政治手法であり、藤井さんもこの餌食にかかってしまったと言えるでしょう。
 小沢幹事長に話を通した大臣を優遇するという手法ではなく、小沢幹事長に話を通さなかった藤井財務大臣を徹底的に邪魔をして、その座から引きずり下ろしたのです。
 
 後任には菅直人副総理が就いたようですが、これも分かりやすいですよね。
 マスコミの一部には、小沢一郎と民主党は分けて考えている人がほとんどだとか、ワケ分からないコトを言っている人もいますが、小沢一郎というのは今の民主党そのものであり、内閣ですら小沢一郎がYESと言わなければ何も政策は進まない状態であるのは、この件だけでも一目瞭然でしょう。
 果たしてこれが日本のためになるのか、ただの小沢王国が完成に近づいているだけにしかやえには見えないのですが、それでもまだ国民は民主党政権を支持し続けるのでしょうか。
 
 手遅れにならなければいいのですが。
 

平成22年1月8日

 事実を伝えてこそ派遣村の意義があるというモノ

 今日は派遣村の問題です。
 まずは記事を羅列します。

 東京都の派遣村200人、無断外泊 交通費2万円受給後
 
 住まいのない求職者を対象に、東京都が昨年末から宿泊場所を無料提供して続けている生活再建支援で、利用者約560人のうち、約200人が6〜7日、都が禁じた無断外泊をした。6日に都は宿泊施設の外へ仕事探しに行く交通費などとして、ほぼ全員に2万円を支給していた。
 利用者は6日から就労や生活保護申請に向けた相談を再開。施設外に仕事や住まいを探しに行くことを希望した542人には、国の財源で2週間分の交通費や食事代として2万円ずつ支給。
 受給者の多くが6日に外出したが、都が7日朝に確認した利用者数は342人。外泊の連絡は一部しかなかったという。

 

 “ごね得”許した「派遣村の品格」 費用は6千万円大幅超の見込み
 
 「不平を言えば融通が利く。みんな“ごね得”だと気付いている」。4日閉所した東京都の「公設派遣村」を出た男性(34)は“村”での生活をこう皮肉った。派遣村では開所以来、行政側と入所者の衝突が絶え間なく続いた。職員の口のきき方への不満に始まり、昼食代の現金支給を求める入所者…。当初、目的だったはずの就職相談は不調に終わり、職員は最後まで入所者への対応に右往左往した。
 
 就労相談わずか1割
 
 都は3日夜、この日退所した833人のうち住居を見つけられなかった685人のため、4日以降の新たな宿泊先に400人分のカプセルホテルを用意。残りの入所者には、都の臨時宿泊施設を割り振ることを決めた。
 だが、いざこざはここでも起きた。入所者の1人は冷笑を浮かべて言う。
 「その夜も『なぜ全員がホテルに入れないのか』と騒いだら泊まれることになった」
 入所者の抗議と厚労省などの後押しで、都は決定を覆す。抗議の数時間後にはカプセルホテルを追加で借り上げた。「騒ぎが大きくなったので…」と職員は言葉少なに語るのみだ。
 この1週間で本来の目的の就労・住宅相談に訪れた入所者はわずか1割。「正月休みに相談しても仕方ない。派遣村では一時金がもらえるとのうわさもあった。それ目当てで入った人も多い」との声も漏れた。

 

 就活費で酒、たばこ…「公設派遣村」悪質入所者に返金要求へ
 
 年末年始に住居がない失業者に宿泊場所や食事を提供する東京都の「公設派遣村」で、一部の入所者が就労活動のため都から支給された現金を酒代やたばこ代に使い、施設内で禁止された飲酒などの問題行動を取っていたことが6日、分かった。
 ところが、多くの入所者が活動費を受け取った直後に近くの小売店で酒やたばこを購入していたことが判明。店員は「朝から1万円札を握りしめた入所者が大勢並んで買い物に来ている。たばこがかなり売れ、酒やスポーツ紙などを購入する人も少なくない」と証言した。60代の入所者の男性は「都に提出する領収書がいらない交通費に出費したことにして帳尻を合わせたい」と話した。
 複数の入所者によると、移転した5日夜には酒を飲んだ入所者が騒ぎ、荷物が盗まれるといった騒動が発生。「みんな殺気立っていたが、現金を渡されたことで静まった」と30代男性は振り返った。

 ひどいですね。
 一応言っておきますが、これが派遣村のすべてだなんて言うつもりはありません。
 中には真面目な…というか、本当に困ってここを頼った人もいるでしょう。
 二番目の記事の2ページ目には「一方で、自力で社会復帰への第一歩を踏み出した入所者も」というコトも書いてありますので、派遣村に来たすべての人が問題行動を起こしているとなんていうコトを言うつもりは毛頭ありません。
 しかしその一方、こういう問題ある行動を起こしている人も確実にいるという事実もキチンと見つめるコトは重要なコトでしょう。
 
 派遣村問題に関しては、過去にかなりの数の更新を書きましたので、ひとつのページにまとめておきました
 もし色々とご意見がありましたら、まずはそちらをご覧になってからにしてください。
 その上で、おそらく繰り返しになろうかと思いますが、もう一度これらの事件を踏まえて苦言を呈したいと思います。
 
 この問題、何が一番問題なのかと言いますと、実情を反映していない事象を持って結論を出そうとしている風潮にあるのです。
 ちょっと言い方が難しくなってしまいましたが、つまりですね、まずはネット以外での主にテレビをはじめとした外での派遣村に対する論調が未だに「この人たちは可哀想な人たちだ」みたいになっているワケで、しかし実情として問題のある人も実は多いんだという事実を知らないコトがまず問題なワケです。
 「この人たちは可哀想な人たちだ」というのは、ほぼ結論です。
 なぜなら、「この人たちは可哀想な人たちだ」という感情が得られればほぼ確実に自動的に「だから政治が助けなければならない」となるからです。
 人によっては「政治が助けなければならない」と感じるよりも、「だから経済対策をしなければならない」と感じる人もいるでしょう。
 でもそれは大した違いではありません。
 この派遣村の問題で一番の問題は、その結論そのものよりも、「実情を反映していない事象を持って結論を出そうとしている風潮」つまり「結論を出すまでの前段階の思考方法」が間違いだというところだからです。
 
 結論として「政治が助けなければ」でも「政府が経済対策をしなければ」でもどっちでもいいんですが、こういう結論が得られるためには、その前にある事象を踏まえてその考えに至っています。
 すなわち、「派遣村に大勢の人が詰めかけた」という事象です。
 ここでひとつ考えなければならない問題があります。
 確かに「今年も派遣村には800人もの人が集まりました」とアナウンスされれば、「これは問題だ」と「助けるべきだ」とか「経済対策すべきだ」とか思うでしょう。
 しかしこれがこうなればどうでしょうか。
 
 「今年は政府や東京都が公設として派遣村を設置しましたが、たった3人しか希望者がいませんでした」
 
 果たしてこれで「政府が全力を挙げて救済しなければならない問題だ」とか、「政府は何はともあれ経済対策に打って出なければならない」とかという論調になるでしょうか。
 というより、そもそも新聞やテレビでニュースにすらならないかもしれません。
 そうなれば結局世間的には「無かったコト」と同然の扱いです。
 
 このように、事実の中身という問題はとても大きいのです。
 
 これは派遣村だけの問題ではありません。
 デモなんかはこれが顕著ですね。
 ちょっと前に沖縄での大規模デモの主催者発表が11万人として、それをテレビなどでは大々的に伝えたくせに、実は4万人強がせいぜいだったコトが判明したというコトがありました。
 しかもよくよく中身を見れば、その4万人だってかなりの数県外の人が入り込んでいたというコトもあったようですが、それなのにテレビ朝日の番組「報導ステーション」ではアナウンサーや古舘伊知郎なんかはこの指摘に対して「人数の問題なんですかね」とか「仮に2万人でも何がいけないんでしょうか」とか、完全に開き直りの逆ギレコメントを発表しました。
 しかしこれは「数の問題」なのです。
 基本的にデモっていうのは数の問題でしかないのです。
 「3人が集まったデモ」で果たして世論はその意見に同調するでしょうか。
 「5人が集まったデモ」を果たしてテレビ朝日はわざわざ報道するでしょうか。
 
 デモだけではありません。
 例えば「失業率が0.5%になりました」なんてニュースがあったら多くの人はどう思うでしょうか。
 おそらくほとんどは、時の政府の政策を褒めちぎるでしょう。
 なんてすばらしい結果を出したんだと賞賛するでしょう。
 やえもすると思います。
 でもそれでも、0.5%の人数、実数にすると約6万人の人が失業している計算になり、確実に失業している人は存在しているコトにはなるのですが、それでも時の政府はベタボメされるコトでしょう。
 その時失業している人にとってはたまったモノじゃないのでしょうけど、でもその論調が悪いコトだとは思いません。
 失業率0を目指すのは目指すべきですが、その中で達成できたモノに対して評価するというのは政治にとって大切なコトですから、やえも0.5%ならベタボメすると思います。
 結局人が評価するしないの基準としての数字というのは、とても大きな意味を持つのです。
 「数の問題」なのです。
 数によって評価する/しないの判断を、人は分けるモノなのです。
 
 だからこそ、数字の中身というのは大切なのです。
 
 沖縄の問題ですとか、米軍の問題ですとか、貧困者救済の問題、また経済対策の問題の、その中身についてや是非の問題は、それはそれでしっかりと議論するのが良いでしょう。
 感情に流されず、しっかりと理性的に論理的に議論すべきです。
 しかしそれとは全く別問題として、デモも集会もそして派遣村の問題もその事象が世論に与えるという意味においては、実は結論というモノはここではあまり関係のない話なのです。
 デモや派遣村の問題そのものを見るのであれば、その人たちの結論的な主張ではなく、それはさておいて、デモや派遣村の中身をまず見なければなりません。
 主張そのものは誰が言っても、例えば「経済対策すべきだ」と派遣村の人が言ってもやえが言っても、達成すべきゴールは同じですよね。
 デモや派遣村の本当の意義、本当の狙い、本当の原動力は、主張しているゴールではないのです。
 なぜデモや派遣村のようなモノがあるのか。
 それは、デモや派遣村のようなセンセーショナルな事象があるコトそのものが、主張に対する説得力を増す作用を生み出すコトができるからなのです。
 
 
 (つづく)
 

平成22年1月12日

 事実を伝えてこそ派遣村の意義があるというモノ(下)

 派遣村は、「派遣先から急に解雇通告された可哀想な人たちの集まり」という建前から始まったワケで、そしてそういう人たちが「たくさんいる」からこそ、そういう可哀想な人たちのために救済措置や経済対策をしなければならないと、説得力を得て原動力になるワケです。
 ただの一人が道ばたで「救済措置を」とか「経済対策を」と演説するのと、派遣村があって主張するのと、この両者の何が違うのかと言えば、「派遣先から急に解雇通告された可哀想な人たちがいっぱいいる」という『情に訴える説得力』なのです。
 派遣村の一番の目的であり原動力であり存在意義は、この『説得力』なのです。
 これがなくなれば派遣村は、その価値を全く見いだせなくなるでしょう。
 
 「派遣先から急に解雇通告された可哀想な人たちの集まり」という建前こそが派遣村のキモです。
 「派遣先から急に解雇通告された可哀想な人たちの集まり」と世間から思われるコトが派遣村の価値を保つのです。
 そして「派遣先から急に解雇通告された可哀想な人たちの集まり」と思われている理由は、それは多くの人が「派遣先から急に解雇通告された可哀想な人たちの集まり」という事実が派遣村にはあると信じているからです。
 当たり前ですが、そう信じるためには事実があってこそであり、それが最も大切なコトであるのは言うまでもありません。
 
 しかし残念ながら、派遣村に対しては「正しい事実」に対して、「本当に正しいのか?」という疑問が生じてしまっているのです。
 今までしつこく言ってきましたように、ここの検証はとても大切なコトです。
 政府の救済や経済対策というゴール的主張は、ここの議論には全く影響も関係もありません。
 結論とは別として、「果たして派遣村には、派遣村としてマスコミや世間が“注目するだけの価値”があるのだろうか」という疑問に対しての検証なのですから。
 そしてその検証のひとつとして上記のような記事が出ていて、当然それに対する反応として「実は派遣先から急に解雇通告された可哀想な人たちの集まり」ではなかったんだと思われるワケです。
 さらに派遣村に対して胡散臭く思ってしまう人が出てきてしまうワケです。
 
 そんなのは当然ですよね。
 「派遣先から急に解雇通告された可哀想な人たちの集まり」でないならば、派遣村には何の価値も無くなる、少なくとも世間一般に対する政治を動かすほどの原動力という意味での価値は皆無になるワケで、まして「本当でないウソの事実」によって利益を得た人がいるのであれば、むしろそれは詐欺だったと思われても仕方ないコトになってしまい、逆効果もいいところでしょう。
 派遣村は政治問題である以上、政治的な価値があるのかどうかという検証はとても大切です。
 ここを間違えば、全くの無駄や、むしろ本当に救済すべき人を見過ごしてしまうコトになりかねない、政治的失敗を引き起こす要因になってしまいます。
 
 その上で今回の「公的派遣村」を見てみると、記事にありますように、現金を支給した562人中約200人もの人がルール違反をやらかしたという事実が出てきました。
 なんと35.6%、1/3以上もの人が、現金をもらったとたんにその日どこかに何かをしにルールを破って行ってしまったのです。
 さらにそれを裏付けるかのように、『「朝から1万円札を握りしめた入所者が大勢並んで買い物に来ている。たばこがかなり売れ、酒やスポーツ紙などを購入する人も少なくない」と証言した』なんて話も出ていて、ますますそれは「本当に可哀想な人たちなのか」と疑問がふくらむワケです。
 さらに『この1週間で本来の目的の就労・住宅相談に訪れた入所者はわずか1割』なんて記事もあるワケで、これを単純に考えるなら、実際は本当に困っている人は集まった800人中1割の80人と言えるワケですから、事実を元にした発表するなら
 
 「今年は派遣村には80人しか集まりました」
 
 とアナウンスしなければならないワケで、でもそれがニュース記事に値する説得力になったのか、世論に訴えるだけの力になるのか、少なくともやえには疑問にしか思えないのです。
 
 さらに言えば、数も問題ですし、集まった人自体の性質の問題というのも、無視できない部分かと思います。
 よく出る「本当に働く気があるのか」「さぼりたいだけじゃないのか」「努力不足ではないのか」という批判は、実はこれは「派遣村の価値」に関わる「本当に困っている人なのか」という部分を占める重要な要素ですから、決して無視できない批判です。
 人間誰しも自分の都合や感情だけで好き勝手気ままに生きていくコトなんて不可能で、誰だったどこかでちょっとずつ我慢しながら生きているワケで、社会に出る、働くというコトは、それが最も顕著に表れる行為であると言えるでしょう。
 誰だって全く我慢せずに生きていけるならそうしたいですが、やえだってそうですが、それでは生きていけないから、みんな我慢しているのです。
 でもそれを否定して、「オレは我慢したくないから働かない」と言うのは我が儘でしかないですよね。
 もちろん、ニートかなにかになって他人に迷惑をかけないならいいんですが、しかし「我慢はしたくない。だから国が何とかしろ」と言ってしまえば、それは反発されて当然です。
 「努力が足りない」というのは、往々にしてこの辺の部分を指し示しているコトが多い気がします。

 移転した5日夜には酒を飲んだ入所者が騒ぎ、荷物が盗まれるといった騒動が発生。「みんな殺気立っていたが、現金を渡されたことで静まった」と30代男性は振り返った

 自分のモノではないお金でなぜお酒を買うのか。
 まして禁止されているのになぜ飲むのか。
 さらに騒いで他人に迷惑をかけるのか。
 基本的に自分のモノではないお金しか持っていない人ばかりの場所で盗難事件が起こるのか。
 
 これらの疑問は、ふつうに社会生活を送っている人、つまりちょっとずつ他人のためひいては自分のために我慢をしている人にとっては、当たり前すぎる疑問として出てくるモノばかりでしょう。
 こんな記事もあります。

 約3年間のホームレス生活をしてきた元日雇い労働者の男性(49)は「新しい宿泊施設は大部屋なので、知らない人といっしょに寝泊まりするのは不安だ」と話します。生活保護は申請したいが、親に通知されるなど、行政のいやがらせをおそれて迷っているといいます。

 これは日本共産党の機関紙『赤旗』の記事ですが、これもやっぱり、ちょっとずつ我慢して社会を生活しているふつうの人が聞けば、反発される発言としか言いようがないでしょう。
 自分の金で好き勝手するならまだしも、国から公的な支援を受けるのであれば、大部屋での共同生活ぐらい我慢しろ、金や寝床をただでもらえるだけ感謝しろ、とそう思って当然だと思います。
 そして「そういう甘えた考え方を持っているから、今のような生活になったんじゃないのか」という思いも自然に出てきてもおかしくありません。
 なぜなら、多くの人は「ちょっとずつ我慢している」からです。

 公園のベンチなどの路上生活を1カ月してきた元派遣労働者の男性(32)は「このセンターに6日間いたが、都の職員から1回、15分ぐらい、名前などの簡単な質問をされただけ。早く生活保護を受け、病気の治療もしたい。新しい宿泊施設に移っても、本当に親身な相談がうけられるのか」と不安をつのらせていました。

 同じ『赤旗』の記事ですが、これも甘えているとしか思えないんですよね。
 路上生活を1ヶ月してきたと言っていますが、その1ヶ月間何をしていたのでしょうか。
 やえは別に生活保護が悪いとは言いません。
 もちろんその受給には色々と条件があってしかるべきですが、必要な人には憲法が定めるように最低限の保証を国がするのは当然のコトですから、すべきです。
 しかしそういうモノは、自分から能動的に動いて自発的にやるべきコトのハズです。
 この男性は1ヶ月間の路上生活をし、派遣村に転がり込んで職員が質問するまで、いったい何をしていたのでしょうか。

 自分から役所に行って相談や申請をしようとは思わなかったのでしょうか。
 そしてその態度というのは、ちょっとずつ我慢し自ら行動してふつうに生活している人が見れば、「そんな態度だから路上生活するハメになったんじゃないか」という、「努力不足」に含まれる不信感で見られてしまうワケなのです。
 
 繰り返しになりますが、これらは決して個人攻撃をしているワケではありません。
 こういう批判は、「派遣村という存在の価値」を検証するためには大切な議論になるので、必要なのです。
 その上で本当に派遣村の価値が再認識されれば、それはそれで、困った人たちへの救済や経済対策の必要性の論拠の一つとして使えばいいだけの話です。
 そして同時に、救済措置やセイフティーネット、そして経済対策についての議論も、するなとは全く言っていません。
 それはそれで別としてすればいいと思います。
 ただしその場合、派遣村はまったく論拠としては使えませんよというだけの話です。
 ハナから論拠として使うつもりがないなら、何の関係のない話題にしかならないでしょう。
 それだけのコトです。
 
 ただし、ウソを根拠とした虚構の事実を元にした説得力でもって世論が動かされるコトは、あってはなりません。
 もし派遣村にとんでもない人間がたくさんいるならその事実を世に知らしめなければなりませんし、数が少ないなら正確な数字を出さなければなりません。
 そしてその上で世間がそれでも税金を使ってまで助けろと結論を出すなら、それはそれでひとつの結論であってある程度尊重されるべきでしょう。
 しかしウソの情報による結論は、それはただの詐欺なのですから、あってはならないのです。
 まずは正しい事実こそが大切なのです。
 
 一番大切なのは「本当の事実」です。
 元々ホームレスな輩や、はじめから働く気のない人を集めて「派遣村」と称しても、それは「本当の事実」とは言い難いハリボテにしかなりません。
 しかしそれをさも本当かのように錯覚させるコトは罪に等しい行為であって、それを糾すコトは必要なコトでしょう。
 また結果的に労働問題の議論において、「働く気のない人間」や「努力不足」の人間の存在を意識するコトも、正しい現実の実態を議論する上においては必要なコトなのではないでしょうか。
 もちろんやえが今回出した記事だけが正しい現状を把握するための材料とは言いません。
 マスコミは時に事実をゆがめて報道するコトが多々ありますので、これが間違った材料になってしまう可能性も否定できませんが、しかしそれはそれで、またキチンと議論するコトによって正しい現実認識に近づければ良いのです。
 少なくとも、まだまだネット以外での外の世界における派遣村に対する認識は、あまりにも正しい現実とはかけ離れているとしか言いようがありません。
 ウソで政治を動かすコトなんてあってはならないコトですから、それはやはり批判されて当然でしょう。
 
 労働問題や経済問題を考えるなら、プラスもマイナスもキチンと現実を踏まえた上で考えて議論するべきなのです。
 

平成22年1月13日

 どちらにしても正しいデータが必要

 今日は、御意見板に情報いただいたこちらのブログさんについて取り上げたいと思います。
 まずは引用です。

 派遣村 産経新聞お得意のねつ造が炸裂
 
 結局の所、利用者の内、無断で出ていって二日以上戻らない人は、10日付記事の通り最大で78人なんです。
 じゃあ、「入所者の半分が所在不明」と書いたのは、なに?
 「250人の所在不明者が出た問題で、約90人が10日、施設に戻ってきた」と書くのは正確なの?
 はっきりいって、ウソですよね。
 正確に書くならば、こうなります、
 「外出した利用者のうち、いつもは150人程度が夕食に間に合わなかったが、この日はそれが76人に減った。」
 「門限を守る人が増えた」ってだけじゃないですか。
 産経の記事だと、印象がまるでちがいますね。
 産経の記事は、派遣村否定の方向に読者を誘導するものです。
 いえ、ウソがまじっているから「誤導」と言わねばなりません。
 ウソをまじえて書かれた悪意ある記事なんて、「報道」とよべるのでしょうか。
 こういうのって、正しくは「扇動」といいませんか。

 まずですね、だいぶ情報が錯綜しているような気がしてなりません。
 この方が引用元としている産経新聞の、特に8日付のモノがこのエントリーではリンクされていないので、ちょっと探してみたのですが、これですかね。

 派遣村 所在不明200人 就活費2万円支給後、続出
 
 年末年始に住居がない失業者に宿泊場所や食事を提供する東京都の「公設派遣村」で多数の無断外泊者が出た問題で、当初の利用者562人のうち、7日午後8時現在で200人以上の所在が不明になっていることが同日、都の調査で分かった。所在不明者は都が就活費として現金2万円を支給した6日から続出。都は規則違反者は強制退所にするとしたうえで、18日朝をもって派遣村の閉所を決めた。

 で、エントリーではこう解説しておられます。

 どうしてこんなことになるのかといえば、「行方不明」と「所在不明」の違いをちゃんと説明しないで、わざと紛らわしく書いているからなんです。
 所在不明とは、夕食のときにいなかったってことです。
 届けを出して外出して、夕食に間に合わなかった人が大半です。
 行方不明とは、夕食時にいなかった人の内、外出届の出ていない人です。
 前夜から無断外泊した人の他、施設内にいて夕食を取らなかった人も含まれます。

 つまり、産経8日付の200人は「届けを出して外出して、夕食に間に合わなかった人」、すなわち全く問題行動を起こした人ではないと言っているワケです。
 
 しかしですね、やえにはこの200人という数字に聞き覚えがあります。
 前回の更新で取り上げたこの記事です。

 東京都の派遣村200人、無断外泊 交通費2万円受給後
 
 住まいのない求職者を対象に、東京都が昨年末から宿泊場所を無料提供して続けている生活再建支援で、利用者約560人のうち、約200人が6〜7日、都が禁じた無断外泊をした。6日に都は宿泊施設の外へ仕事探しに行く交通費などとして、ほぼ全員に2万円を支給していた。

 これですね。
 そしてよくよく記事を読むと、産経では『7日午後8時現在で』とあり、朝日では『6〜7日』と書いてありますから、つまり両者とも6日の夜に出かけた人というコトであり、どちらの記事も全く同じ時期を対象とした記事である、同じ内容の記事と見て間違いないようです。
 
 あれ?
 おかしいですね。
 朝日ではハッキリと「無断外泊」と書いてあるんですね。
 しかもタイトルに。
 朝日の記事の下の方には『受給者の多くが6日に外出したが、都が7日朝に確認した利用者数は342人。外泊の連絡は一部しかなかったという』とありますので、200人すべてが無断外泊したのではないのは読み取れますが、しかし常識的に日本語を解釈するなら、キチンと連絡したのは微々たる数で、「約200人」と表現して差し支えないぐらいの人数が無断外泊したと読み取って問題ないと思われます。
 どちらが正しいのでしょうか。
 もしくはどちらの記事も正しくて、このブログさんの解釈が間違っているのでしょうか。
 正直これ以上はやえにはどちらが真実かを判断する材料がないので、なんとも言えないところではありますが、しかし敢えてさらに言いますと、この書き方が産経と朝日で逆ならまだうがった見方をする余地もあるのですが、朝日新聞がタイトルに堂々と「200人無断外泊」と書いてあるだけに、むしろ真実味があるように思えてなりません。
 まぁ憶測論を抜けませんけどね。
 
 ただ、その上でさらに考えてもらいたいコトがあります。
 結局のところ8日の段階で朝日新聞では200人もの人が『無断外泊』という「ルール違反」をして、また産経新聞+このブログの解釈であっても150人程度の人が『夕食に間に合わなかった』という「ルール違反」をしているのは確かだと言うコトです。
 その割合35.6%もしくは26.7%です。
 正直これだけでもトンデモナイ話なのではないでしょうか。
 
 このブログさんでは「夕食に間に合わなかった」という書き方をしていますが、やえはそんな軽い問題ではないと思います。
 前回のやえの更新でも書きましたように、派遣村というのは「ちょっとずつ我慢しながら社会に適応して生きている人」からの血税によって賄われているモノであって、当然その恩恵を預かる人には普段の生活よりもさらに我慢してもらうのが当然であり、それは普通の社会生活を送るために必要な措置であるのですから、夕食の時間という程度のルールだって、いえそれぐらい小さな基本的なルールだからこそ、キチッと守ってもらう必要があると言えるのではないでしょうか。
 それが76人に減ったところでルール違反をしたコトには変わりなく、むしろ200人の「現金をもらった直後にルール無視をやらかした」という事実は、そんな簡単に受け止めてしまっていい問題とは到底思えません。
 そもそも逃亡なんていうのは問題外の話でしか無く(一応念のために言っておきますが、前回のやえの更新では逃亡したとかいうコトを思ってもいませんし、書いてもしません)、3割近い人がルール違反をしているというだけで、それが人間性に関する問題なのか運営に関する問題なのかはともかく、もう一度派遣村の存在そのものについて考え直す必要があるレベルの話だと認識すべきなのではないでしょうか。
 
 うがった見方をするなら、別の言い方もできます。
 10日の段階で『夕食に間に合わなかった』人が『76人に減った』というコトを『「門限を守る人が増えた」ってだけじゃないですか』とブログでは表現していますが、しかしこれはもしかしたら、「単にお金が無くなったから戻ってきただけ」の可能性も否定できない気がしてなりません。
 つまり、6日に現金を手に入れて外出して、その間どういう使い方をしたのか分かりませんが(タバコや酒を買ったり、またパチンコに行ったとかいう情報もありますが)、その結果お金が尽きてしまって戻らざるを得なくなった人が戻ってきただけ、という可能性です。
 お金の減り方は人それぞれでしょうから一斉に戻るワケではありませんし、つまり戻らなかった76人は、使い方がよかったのかどうか、まぁ戻る必要のないぐらい現金を持ってる人たちだから単に戻ってこなかっただけだと、そういう解釈も出来ると思います。
 もちろん考え方次第なのでなんとも言えませんし、実際のところどうなのかを確認する術がないので断定は出来ませんけど、しかし逆にすべての人が事情がある善意な人たちだと受け止めるのも不自然なのではないかとやえは思います。
 
 その上で考えてもらいたいのは、このブログさんのエントリーの後半です。

 「逃亡」だということも断定できた訳ではなく、アパート物件を探していて帰りそびれたケースや、お金を落としてしまって帰れなかったというケースもあり、戻ってきた方もいます。私が実際お話しした方はハローワークに向かう途中でお金を落としてしまったそうで、視覚障害がある方なので寮に連絡もできず、仕方がないので再び野宿をし、その後知り合いのボランティアの方と偶然会って近くの福祉事務所に連れて行ってもらい、交通費を借りて戻ってきたそうです。
 
 また、実際にルールを守れない人が一部にはいるのだろうが、真面目に生活を再建しようとしている人たちもいるのだから、みんな同じように見ないでほしいとおっしゃっていた方もいらっしゃいました。

 「みんな同じように見ないでほしい」という意見は、この手の問題ではいつも出てくる台詞です。
 もちろんそれは正しいと思います。
 やえはいつも言っていますが、すべての人がとんでもない人ばかりだと言うつもりはなく、中には真面目な…というか本当に困っている人もいるんだろうと思います。
 だからこそ正しいデータと情報が必要だと言っているワケです。
 本当に困っている人のためにも、正しく現状を把握するコトはとても大切なコトです。
 そのために不要なノイズは出来るだけ排除しなければならないと思います。
 そしてそれは、不真面目な人をことさら取り上げるという手法だけでなく、特殊な事情な人だけをことさら取り上げるという手法も同じコトが言えるでしょう。

 私が実際お話しした方はハローワークに向かう途中でお金を落としてしまったそうで、視覚障害がある方なので寮に連絡もできず、仕方がないので再び野宿をし、その後知り合いのボランティアの方と偶然会って近くの福祉事務所に連れて行ってもらい、交通費を借りて戻ってきたそうです。

 なんていう人は、確かにこの事情を聞けば可哀想だろうとは思いますが、しかしこんなの極々極一部で、もしかしたら500人中この人ひとりだけの特殊な事情ではないかと思うぐらいです。
 やえはこの人個人に対しては責めようとは全く思いませんが、しかしこんな特殊な人を取り上げて『実際にルールを守れない人が一部にはいるのだろうが、真面目に生活を再建しようとしている人たちもいるのだから、みんな同じように見ないでほしい』と言ってしまうのは、ちょっと違うのではないでしょうか。
 それこそ、一部の人をことさらに取り上げて全体への印象へミスリードする手法の最たるモノと言わざるを得ないでしょう。
 
 前回の更新でも言いましたように、派遣村の利用者の意識という問題も、重要なポイントとなります。
 例えば『アパート物件を探していて帰りそびれたケース』と言って無断外泊は仕方ないなんというニュアンスでこのエントリーは伝えていますが、一般社会常識的に考えたらこれは「仕方ない」で済まされるコトでもない気がします。
 もし何らかの事情で時間が間に合わないというのであれば、一本電話でもして事前に伝えるというのは、社会では当たり前の常識です。
 一時期に比べれば減りましたが、それでもちょっと探せば公衆電話ぐらい見つかるでしょう。
 そして10円ぐらいは持っていたハズです。
 『アパート物件を探していて帰りそびれたケース』がいったい何件ぐらいあったのか、もしくは1件しかなかったのかどうかは分かりませんが、どちらにしてもこのケースに対しては、常識が欠如していたコトに対する批判は免れないでしょう。
 まさか義務教育を終えて一回も社会に出たコトが無いという人ではないでしょう、だって「派遣村」なのですからね、一度は必ず社会に出ているハズです。
 また、仮にもともとはホームレスだったとしても、それでも義務教育を終えて一度も働くコト無く急にホームレスになったという人がいるとは、ちょっと想像しにくいモノがあります。
 もしかしたら派遣村の職員が「間に合いそうにないときは電話連絡するように」と言わなかった可能性もあり、その場合は職員も反省しなければなりませんが、しかしだとしても、連絡先は控えておきこういう場合は連絡するというコトは今派遣村で教えてもらわなくとも、そもそも最低限の社会常識なのですから、それはもう利用者の意識が低すぎたと言われても仕方ないと思います。
 
 視覚障害者の人だって、どうも解せないんですよね。
 どうしてこのような人が派遣村にいるのでしょうか。
 この人は本来は派遣村のようなところにいるのではなく、もっと違った施設や相談場所がある気がしてなりません。
 自力で連絡が出来ないぐらいの人なのですから、派遣村にたどり着く前の人生の段階でもっとやりようがあったのではないかと思わずにはいられません。
 もちろんそれは両親や家族、周りの人たちなどの環境や運みたいな部分もありますから、この人個人を責めるつもりは毛頭ありませんが、しかしこの人をもって派遣村の問題として見るのはそぐわないのではないでしょうか。
 職員やNPOの人たちは、派遣村ではなく他の役所の窓口や施設を紹介してあげてほしいと思います。
 
 これは前回にも言いましたが、どうしても派遣村の人たちは受け身なんですよね。

 ハローワークからの求人票が並べられているのは私は今日初めてみました。

 なんて言ってますが、1月9日という年始というコトもあって求人自体が少ないという事情もあるでしょうし、そもそも本来は自分からハローワークに足を運んで仕事を探すのが普通のコトであって、寝っ転がっているところに求人が舞い込んでこないと「求人がない」と言ってしまうのは、かなり違う気がしてなりません。
 そして、6日に支給された現金は、仕事や住むところを探すための移動費などのためなのですから、やはり派遣村の施設だけで仕事がない仕事がないと言うのは、本来あるべき姿ではないと言うべきでしょう。
 社会に普通に生きている人は、ちょっとずつ我慢をしながら自分で今の生活を得てきている人なのですから、それを思えばずいぶん贅沢な文句だなぁと思わざるを得ません。
 
 このように知れば知るほど、そして考えれば考えるほど、様々な問題が出てきます。
 そしてそれ以上に、さらなる可能性が出てきます。
 しかし何度も何度も言っていますが、本当に手を差し伸べなければならない人に光をあてるためも、また経済対策の必要性を議論するためにも、最も大切なのは「正しい事実」です。
 正しい事実があってこそ、正しい対策がとれるのです。
 一部の問題ある人たちの行為によって手助けが必要な人まで白い目で見られるのは避けなければなりませんし、同時に特殊すぎる人の例をことさらに挙げて問題ある人までをも不当に過剰に優遇するコトも避けなければなりません。
 そのために、事実を事実として明らかにしなければならないのです。
 ウソの事実で世間に派遣村という虚構の悲劇のヒロインを作り上げ、それを原動力にして政治を動かすなど、言語道断です。
 現場の人は頑張っていると信じたいですが、であるなら、本当に困っている人のためにも、キチンと問題があるならその情報も公開して、公明正大にやってほしいと思います。
 
 少なくとも「派遣村に集まったすべての人が可哀想な人たちだ」と言わんばかりの物語は、もはや幻想でしかないとバレてしまっているんですからね。
 

平成22年1月14日

 公平公正な政治を

 今日は民主党の小沢幹事長の事務所などに、東京地検特捜部が強制捜査に入ったという話題でも扱おうと思っていたのですが、昨日取り上げましたブログ主さんからコメントをいただきましたもので、お返事をしたいと思います。
 まずはご丁寧にお返事をくださいましたブログ主さんのどろさんに御礼申し上げます。
 ありがとうございます。
 
 ではまずは、御意見板にいただきましたコメントを、ここに転載させていただきます。

 こんにちは。初めまして。
 拙ブログのご紹介を有り難うございます。
 確かに一部とはいえ、ルールを守らなかった人や貴重な行動費2万円を飲酒に使った問題行動があったのは残念ですね。
 
 市民団体が昨日行った記者会見ではそれについても触れつつ、しかしながら報道が偏向していることに注意喚起しています。
 報道が間違った理由は取材不足の他、東京都がきちんと情報伝達していないことにもあったようです。
 そして「所在不明」については私の解釈で間違いないことがわかりました。
 急に所在不明者が減った理由は、それまで夕食時間が17時半だったのが20時半まで延長されたからのようです。
 ハローワークやアパート探しに出て、午後5時半をすぎると、これまでは「所在不明」とされていたのです。
 朝日新聞の書き方は間違いですね。
 それから、なんと宿舎には電話がなかったそうです。
 これでは急な連絡も出来ません。
 いまは専用の携帯電話をつくったそうですが、それさえ周知徹底されていないんだそうです。
 まあ社会から一度ドロップアウトするとなかなか浮かび上がれない現代世相ですから、その中で人格さえ蝕まれている人たちもいます。
 そういう人たちの話を書いていますので、宜しければお読み下さい。
 http://d.hatena.ne.jp/dondoko9876/20100108/1262887915
 失礼しました。

 またどろさんが貼られているリンク先のエントリーの他、昨日付で「派遣村 無断外泊は40数名だった」というエントリーを書かれていらっしゃいますので、そちらも参考にさせていただきます。
 
 これらのご意見の中で一番気になったのが、ここのフレーズです。

 世の中にゃ、色んな人がいます。
 どうしようもないのもいれば、勤める先が全部かたはしから倒産したっていう本当に運の悪い人もいる。
 ここぞって時に病気になってチャンスを棒に振った人やら、付き合った相手がとんでもない奴でケツの毛までむしられたって人もおります。
 そういう人生の山や谷の厳しさがわからない、ネット世界の「純粋まっすぐくん」たちが、今日も派遣村のニュースに噛みついてます。
 派遣村に転がり込むような奴はみんなそういう不届き者だって決めてかかるんですな。
 んなわきゃないじゃん。
 7割は、窮屈な生活だけど、いまを浮かび上がるきっかけにしようとしてる。
 いままでキューキュー行ってた人がたまに大金を手にして浮かれちゃったからって、全部の人がそうだなんて言うのは言いすぎです。

 これも言い出したら「全てではない論」になってしまいますが、確かに中には面白がってよく考えないままに『人生の山や谷の厳しさがわからない、ネット世界の「純粋まっすぐくん」たちが、今日も派遣村のニュースに噛みつ』くネット上の人間もいるでしょう。
 それは否定しません。
 ただし、この問題は決してそれだけではないというコトも、どろさんをはじめとする人たちにも理解してもらいたいところです。
 派遣村に集まる人間の中にトンデモナイ輩がいるというコトを世に知らしめる行為も、それは必要な行為であるというコトも、同時に理解しなければなりません。
 
 これはやえが先日書いた「事実を伝えてこそ派遣村の意義があるというモノ」の内容と全く同じになりますが、なぜそのような行為も必要なのかと言いますと、これはもはや政治問題になっているからです。
 政治が動くためには正しい情報が必要です。
 間違った情報を元にして政治が動けば、それは大きな無駄を生み出すだけではなく、本当に政治が必要な部分に光が逆に届きにくくなる結果になりかねない可能性があります。
 なにより一番大切なのは正しい情報です。
 
 例えば失業率が0.5%になりましたと発表されたとします。
 するとどうでしょうか、おそらく多くの人は時の政府を褒めちぎり、そしてその政策は正しかったと、さらにその方向で推進しようというコトになるでしょう。
 国民の多くもそれに賛同すると思われます。
 その景気対策もしくは雇用対策は、ますますその方向で推進されるべきでしょう。
 一方失業率が10%なんていう数字になったら、これは大問題です。
 時の政府の政策が完全に間違っていると言われて当然の数字です。
 即刻政策を見直すか、もはや政権交代の直接の要因になってもおかしくない数字だと思います。
 
 この両者というのは国民に与えるインパクトや政治に与える結果というのは全く違いますが、でもそれでも0.5%でも約6万人は失業している計算になるように、どちらにしても同じように失業者は存在しています。
 失業者は存在するのに、その多い少ないで、国民の反応は大喝采から政権拒否まで180度違う反応を示すのです。
 このように「失業者が存在する」という同じ事実を前にしても、やはりそのデータの背景や数字ひとつで、ここまで国民へのインパクトや政治の動きというのは正反対にもなるぐらい違うモノになるワケです。
 政治とは時にはこういうモノなのです。
 弱者に光を当てるコトも大切ですが、全体を見渡すコトも大切です。
 だからこそ、正しい情報・正確なデータは必要不可欠なのです。
 これひとつ間違うだけで、政治の結果が真反対になる可能性を秘めているのですから。
 
 派遣村の問題の中には、ここに関する問題も大きな要因を含んでいます。
 「公設派遣村に650人集まりました」と発表するのと、「公設派遣村には10人しか集まりませんでした」と発表するのとでは、国民が受けるインパクトも政治に与える影響も、全く違うモノになるでしょう。
 デモとかもこれと同じです。
 やはり数が多ければ多いほど、国民に対するインパクトが強いですから、そのインパクトの強さを背景にした説得力を持って政治を動かす原動力になると言えます。
 だから、例えば沖縄であった集会などでは、参加者数をとんでもない水増しをして大ウソの発表をしたのだと思われます。
 数が多い方が主催者としては色々とやりやすいですからね。
 でももちろんこのようなコトが許されていいワケがありません。
 ゆがみのない正しい情報だけが公開されるべきです。
 
 派遣村はもはや政治問題です。
 あの鳩山さんとは言え、総理大臣が直接視察に行くぐらいですから、決して小さい問題とは言えないでしょう。
 しかし果たしてそこまで大きな問題として取り扱うべき問題なのか、ここにいま疑問が生じているワケです。
 仮に10人しか集まらなかった派遣村であったとした場合、そこにわざわざ総理が直接視察するというのは、あまりにも無駄としか言いようのない行為でしょう。
 ここの検証が大切なのです。
 
 本当に派遣村という存在が必要な人間というのは、いったいどれだけ存在しているのか。
 政治問題である派遣村に対しては、ここの正確な情報が絶対に必要です。
 その検証の中において、中にはトンデモナイ輩が紛れ込んでいるとか、また利用者の意識の問題とかの話が必要になってきます。
 そして検証の結果、やっぱりキチンとした支援が必要だよねとなれば、その方向をますます推進させればいいのです。
 決して感情だけで『そういう人生の山や谷の厳しさがわからない、ネット世界の「純粋まっすぐくん」たちが、今日も派遣村のニュースに噛みついて』いるワケではないのです。
 これは、むしろ派遣村を支援している人たちこそ理解してもらいたいところです。
 派遣村を支援している人というのは、真に困っている人を心から助けたいと願っている人達なのでしょうから、だからこそその人達のために、出来るだけエラーのない情報が必要なのではないでしょうか。
 
 正しい情報を得るという行為はなかなか難しいコトです。
 マスコミもよく情報を間違えたり意図的に改ざんしたりしますので、マスコミを完全に信用するコトはできませんが、しかしどろさんには申し訳ありませんけど、主催者発表もやっぱりそれを完全に信用するコトは難しいです。
 さっきの沖縄の例ではありませんが、時に主催者が自分の都合で数字を変えるというコトはあり得る話ですし、政治に限らず例えばスポーツとかの来場者数や雑誌の売り上げ数とか、この辺の数字はまず水増しされていると見て間違いありませんから、別に派遣村の主催者や支援者を疑うという意味ではありませんが、事実を事実として見るためにはあらゆる可能性を捨てずに冷静に判断するためにも、ひとつの情報だけを鵜呑みにするワケにはいきません。
 ではどうすれば正しい情報が得られるのでしょうか。
 これはなかなか難しく、0.1の誤差もなく正しいデータをとる方法というのはもしかしたら存在しないのかもしれませんが、それでも出来るだけそこにたどり着くためには、やはりあらゆる可能性を吟味して、シッカリと議論するというコトが一番の真実の近道ではないかと思います。
 
 派遣村の問題に関して言えば、今まで様々なデータや数字が出されてきました。
 最初は公設派遣村に集まった人が650人程度という数字でしたけど、これももしその情報を鵜呑みにしていただけなら、間違った情報を真実だと思いこんで終わってしまっていたコトでしょう。
 しかしそれだけではない情報や、それに基づいた議論が行われるコトによって、中にはお酒を買ったりパチンコをしたりするようなトンデモナイ連中がいるというコトが明らかになって、少なくとも650という数字は間違った数字だと分かったワケです。
 逆に、もしかしたら200人もの人間が現金を受け取った途端に逃亡したのではないかという情報が錯綜した…かどうか、やえはそこまでは思いませんでしたが、もしかしたらそう受け取った人もいたかもしれません、どらちにしてもそれもやはり冷静な議論によって、少なくとも逃亡は無かったというコトも分かりました。
 さらにその議論の中において、ルール違反をしている人は少なからずいるというのも分かりました。
 こういう議論を積み重ねるコトによって、どうでしょう、最初よりもずいぶん精度の高い真実に近づいていると言えるのではないでしょうか。
 これは大変意義深いコトだと思います。
 こうしてこそ、精度の高い情報を得られるんだとやえは思います。
 
 ただひとつだけ言いたいのは、こうやってネット上ではキチンと議論ができる一方、また新聞では様々な情報が出ている一方、しかしテレビではほとんどこの手の話題が出ておらず、テレビのワイドショーしか見ないような、しかしそれが大多数を占めてしまっている今の日本人の層の間には、まだまだ「派遣村には650人という多数の可哀想な人たちがいる」という間違った情報が事実化してしまっているという現実もあります。
 ここは是非改善しなければならないコトではないでしょうか。
 世の中には「650人」という情報だけで止まってしまっている人の方がたくさんいるという残念な現実があり、それは出来るだけ正していきたいと微力ながら思っています。
 
 やえは、派遣村を支援している人たちを否定するつもりは毛頭ありません。
 仮に派遣村に集まった人がたった10人だったとしても、それを支援すると自らの思いで立ち上がったのであれば、やえが直接何かをするワケではありませんが、エールは送りたいと思います。
 しかし政治を考える上では、それだけでは済まない事情があるというコトは理解してもらいたいですし、一般国民もそう理解すべきです。
 当然さっき言いましたように、仮に10人だったとしても失業者対策をするなとはいいませんし、むしろ政府の大切な仕事の1つですから対策すべきですが、しかし派遣村だけをことさら優遇する理由もないのではないでしょうか。
 日本の中の失業者は、派遣村に集まった650人だけではありません。
 他にもいろいろいっぱいいるのですから、国はそれら全ての人に対して公平に整合性を持って対策しなければならないでしょう。
 そしてもしそれが足りないというのであれば、全体として失業者対策を手厚くすべきでしょう。
 もちろんそれは、予算は無限ではないですから、雇用対策以外の別の政策との整合性を考えながらにはなりますが。
 政治とは難しいモノです。
 よく「○○こそが一番大切な問題だというセリフを聞きますが、しかしそれは人によって優先順位が変わってしまうのはある意味当然のコトで、派遣村を支援している人にとっては雇用問題こそが政治の最重要課題だと思っているかもしれませんが、人によっては国防の問題や憲法の問題、また経済や福祉・医療など、あらゆる分野でいろいろな人が「最重要課題だ」と言っているのです。
 結局、政治全体を見れば、全ての政策が大切だと言うしかありません。
 そういうバランスの中で、雇用対策の政治ができる部分というのは追求していくしかないのです。
 政治とは難しいモノなのです。
 
 ごめんなさい、ものすごく長くなってしまいましたが、今回どろさんがコメントしてくださったコト、またエントリーで挙げてくださっているコトは、大変に意義深いモノだと思います。
 その上で、本当に困っている人には支援を、そして経済対策を、政治には行ってほしいと思います。
 そのために派遣村には、実は全く働く気のない人や単に楽がしたい人、また我慢する気がさらさら無い人など、そういう人も現実には存在して、さらに派遣村に紛れ込んでいるんだという負の部分をしっかりと見据えてもらって、また失業者に変に肩入れするのではなく、時に厳しいコト、と言っても一般社会で生きるなら当たり前の「我慢するコト」をキッチリと守ってもらいながら、その上でのノイズのない真の情報を公開してほしいなと思います。
 その情報を元にしてさらに議論をして、本当に政治が派遣村に特別の支援をする必要があると結論づけられるのであれば、そうするのが日本にとって利益になるコトでしょう。
 
 やえは正しい情報を元にした公平公正な政治を望んでいるだけなのです。
 

平成22年1月15日

 社会の厳しさを教えるコトは、それは優しさ

 今日は小沢一郎の問題とか外国人参政権の問題とかいくつかの話題をとりあげようと思っていたのですが、派遣村のコトを書いたらなんだか長くなってしまいましたので、今日はそれだけにしたいと思います。
 と言っても、毎日毎日この話題ばかりというのもアレですから、とりあえず今日で一段落つけたいと思っています。
 基本的に主題はずっと同じですしね。
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 あまり何度もくどくどと書いてもアレなんですが、あれからやえもいろいろなとろこの情報を探して読んでみたりした結果ですね、やっぱりちょっと解せない部分が多いなぁと思わざるを得ないワケです。
 例えば無断外泊の件ひとつとっても、派遣村を支援しているワンストップの会というところの主張によれば

 「無断外泊200名」と言われていますが、実際の外泊者数は40数名であり、それも東京都の連絡体制の不備から、当初は外泊の届け出先や急きょ設置された宿泊施設の東京都本部の電話番号を知らない人が大多数で、外泊者の大半は転出予定地でネットカフェ等の安価な施設に泊まり、アパート探しなどに走り回っていた人たちです。

 という風に言っているのですけど、この40数名という数字も、一回でも無断外泊をした人の総計なのか、それとも東京都が張り紙した『3日以上の無断外泊者および1日以上外泊し15日までに戻らない人は強制退所させる』という内容に該当する人なのか、それとも別の根拠なのか、それがよく分かりません。
 少なくともこの両者の違いだけでも、相当な数の差が生まれるんじゃないかと思います。
 また、この40数名という数字は、(様々な事情があったにせよ)無断で外泊をした人なのか、それとも連絡があっての外泊をした人も含まれているのか、この書き方では判別がつきません。
 
 さらに言いますと、もともとこの人達は寝床がないからこそ派遣村に集まったのであって、どうして許可があったとしても外泊をする必要があるのか、というか外泊が出来るのか、とても疑問に思えてなりません。
 携帯電話など持っているとは思えないコトから、外に出てしまえば連絡が付きにくくなるでしょう、でしたら一括で外泊禁止にすべきではないでしょうか。
 外泊した時に、自己申告ではなく、どこにいて何をしていたのかを確認する術が、東京都やワンストップの会にあるとでも言うのでしょうか。
 
 また、電話番号を知らない、電話がそもそもなかったという話もありますが、都の職員やワンストップの会の人は誰一人として携帯電話を持っていなかったのでしょうか。
 大変に疑問です。
 また知らないというのも、そもそも事前に自分から聞くというのが常識的な当たり前の行為であるワケで、これは都やワンストップの会も責められるべき点でありますが、だからといって利用者が正当化される理由には全くならないでしょう。
 
 もうこれだけでも、ますます疑問は深まるばかりです。
 ワンストップの会での公式見解では、「大多数の利用者は真剣に努力」という風に言っていますが、大多数とかという抽象的な言葉を並べるのではなく、ぜひともキチッとした正確な数字とその根拠を示してもらいたいです。
 650人ぐらいの利用者なのですから、いちいち大多数とか言わなくても、一桁単位での数字が出せると思います。
 いえ、出せないのであればあまりにも管理が杜撰すぎると言うしかないでしょう。
 
 「アパート探しなどに走り回っていて、時間が無くなって、やもなくネットカフェ等の安価な施設に泊まっただけだ、仕方ないだろ」と言わんばかりの主張もありますが、これもちょっと考えればおかしいです。
 いったい何時まで部屋を探しているんでしょうか。
 派遣村のベースキャンプとなっているのは大田区の「なぎさ寮」っていうところなんだそうですが、これ調べてみましたら、確かにちょっと辺鄙そうなところではあります。
 ありますが、曲がりなりにも都内の23区内。
 東京モノレールの「流通センター駅」から約3kmあたりにあるようです。
 十分歩ける範囲ですね。
 確実にこのなぎさ寮が派遣村の施設かどうか分からないので、東京都所有なのは確かですからまず間違いないとは思う、違っていたら教えていただきたいのですが、東京モノレールの最終電車は浜松町23時51分発ですから、かなり遅くまで電車は動いています。
 これはちょっと、普通不動産屋さんは、この時間まで営業しているとは思えませんね。
 バスや電車が早い時間に終わってしまう地方ならまだしも、都内で泊まらなければならなくなる状況というのは、なかなか想像しにくいです。
 
 本当に熱心に部屋を探して、例えば八王子の方まで探しに行ったとしましょう。
 それでも浜松町最終がこの時間です。
 夜8時ぐらいまで不動産屋周りをしても、十分帰れる時間です。
 そもそも普通の社会人なら、八王子まで行こうと思うなら、キチンと帰れる時間を事前に調べておいて、それに間に合う時間にキチッと帰ろうとするでしょう。
 自宅で暮らしている人ならまだしも、他人にご厄介になっている人であればなおさらです。
 そしてもちらん、遅くなるという連絡を自ら入れ、事情を説明するというのも、社会人として当たり前の行為です。
 ワンストップの会は自己申告だけで「探し回った」という話を鵜呑みにしているのかどうか分かりませんが、どちらにしてもあまりにもずさんで、利用者としても社会人としての意識が低すぎる結果が招いたコトとしか言いようのないのではないでしょうか。
 
 電車賃などは領収書が出ないとか言ってますが、最近はスイカやパスモでチャージすれば、券売機から領収書が出るようになっています。
 これなら必要な分だけ使うシステムになりますから、これぐらいの工夫はあってしかるべきだったのではないでしょうか。
 なんにしても、これまでの事情を考えるなら、どんな理由があっても外泊は一律で禁止すべきでしょう。
 
 どうもワンストップの会は、必要以上に利用者をかばっているようにしか見えません。
 単に「純粋まっすぐくん」的に派遣村の人たちを盲目的に哀れんでいるのか、もしくは自分たちの主張を押し通すために実際以上に数字を大きく見せようとしているのか、後者ではないと思いたいのですが、本当に弱者のためを思うのであれば、キチンと正しい数字と情報を出してもらいたいと思います。
 今日やえが指摘した点がもし違うなら、それはそれでいいのです。
 もっと違う事情があるなら教えてください。
 そうすればもっと正しい事実が見えてくるだけですから、それは大変に有意義なのです。
 しかしいまのやり方では、疑問ばかりで、事実が明らかになっているとは到底思えません。
 そしてそれは、結果として「真の弱者」に光が当たらない結果になってしまうのです。
 
 また、ワンストップの会や都は、利用者をあまり甘やかさないよう、同情的な肩入れをしないようしてもらいたいです。
 それは利用者のためです。
 社会に出るというのが派遣村の目的なのですから、その社会の厳しさを教えるコトは、それは優しさなのです。
 社会で我慢するコトを教えてこそ、社会に出るための力となるのです。
 「ちょっと食事に遅れただけなんだから目くじらを立てるな」と言うのではなく、「社会ルールを教えるためにもキチッと対処する」と信念を持って言うのが、本当の優しさであり、真の派遣村の存在意義でしょう。
 
 都やワンストップの会は、その本当の目的を間違えないようにしてもらい、盲目的な同情を根拠としたような甘やかした考えの上での印象論的な情報を小出しにするのではなく、失業者出来るだけ減らすためには本当はどうすべきなのか、自分たちが何をすべきなのかを、もう一度キチンと考えてもらいたいと思います。
 

平成22年1月20

 SAVEニッポン、外国人参政権付与法案反対バナー運動

 実はちょっと風邪をひいてしまいまして、ここ数日寝込んでいました。
 幸いインフルエンザではなかったのでよかったのですが、いややっぱり健康が一番ですね。
 まだ本調子ではないのですが、ちょっとずつ更新していこうと思います。
 
 さて、ながらく放置気味になっていたのですが、民主党政権になってから、いよいよ「外国人参政権付与法案」の可決成立が現実味を帯びてきました。
 とってもイヤな状況です。
 その中で、せめて出来るコトはないかと、当サイトはこのような特設サイトを設けています
 興味のある方は、ぜひ一度ご一読下さい。
 
 で、今日は、委員会名簿と、政治状況が変わった部分を更新しましたので、その部分をこっちにも載せさせていただきます。
 ひとりでも多くの人に、この法案がいかに危険かを理解してもらいたいと思っています。
 よろしくお願いします。
 
 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 
 ご存じの通り、平成21年夏に行われました衆議院総選挙において民主党だけで300議席を超えるという大勝を得て、民主党鳩山内閣が発足しました。
 つまり、衆議院では基本的に民主党だけで法案を可決させるコトができ、また参議院では単独は得ていないモノの連立を組んでいる社民党・国民新党の協力を得られれば与党で可決できる情勢になったワケです。
 
 それを受け、衆議院での委員会の与野党の情勢も大きく変わりました。
 いわゆる「外国人参政権付与法案」を扱う衆議院の「政治倫理の確立及び公職選挙法改正に関する特別委員会」でも、その名簿を見ていただければ、民主党はなんと26人の委員(と委員長)を占め、定員40名の委員会において完全に過半数を占めています。
 さらに言いますと、社民党の人が1人、またこの法案に関しては賛成に回ると予想される公明党も2人も委員を占めていますから、この委員会においては約3/4もの圧倒的な割合を賛成するであろう委員によって占められているのです。
 (反対する可能性のある国民新党はこの委員会には属しておらず、共産党は1人いますが態度不明です)
 
 このまま数の論理で行けば、完全に衆議院では可決されてしまう可能性が非常に高いと言えるでしょう。
 そうなれば参議院でもこの法案が審議されるコトとなります。
 よって、参議院での委員会名簿を見てみるコトにしましょう。
 
 参議院でも、定員35名に対して民主党だけでも18人という、過半数をギリギリ占めているという構成になっています。
 ただしそのウチの1人は委員長ですから、基本的に委員長は多数決には加わらないので、そうなればギリギリ過半数に足りなくなりますが、しかし残念なコトにこの委員会には1人社民党が所属、それを加えると過半数がとれるコトになります。
 ただしただし、この辺がますます複雑で難しいのですが、実は参議院の方では国民新党は民主党と統一会派を組んでいまして(厳密には会派と政党は別モノなのです)、国民新党の議員も国会参議院内では会派は民主と表現されます。
 (参議院「民主」の会派の正式名称は「民主党・新緑風会・国民新・日本」です)
 そして参議院の「政治倫理の確立及び選挙制度に関する特別委員会」(衆議院と微妙に委員会名が違います)には国民新党の亀井郁夫さんが所属しています。
 会派は民主ですが、政党は国民新党です。
 ですからもし、亀井さんが反対を投じたら、賛成には1人足りないコトになります。
 
 ここから非常にテクニカルな話になりますが、この参議院の委員会の定数は35人ですが、それは委員長を入れた数字です。
 さきほども言いましたように、委員長は基本的には多数決には参加しません。
 ただし、議決の結果、同数の場合は委員長も多数決に参加するコトになっています。

 国会法第50条
 委員会の議事は、出席委員の過半数でこれを決し、可否同数のときは、委員長の決するところによる。

 ここでもう一度計算してみましょう。
 この委員会の定数は35人ですから、過半数は18人となります。
 民主の委員数は18人、ただし内委員長1人、国民新党1人ですから、引くと16人です。
 また社民が1人います。
 社民党は賛成するでしょうから、確実に賛成に回るであろう人数は、「18−1(委員長)−1(国民新党)+1(社民党)」で17人となります。
 一方民主に協力的でない勢力は、自民12人、公明3人、共産1人、国民新党1人で、計17人となり、これで可否同数となります。
 同数になるとどうなるか、それはさっきも言いましたように、委員長が自分の票を得られるコトになって投票するコトになります。
 おそらく委員長は民主党議員ですから賛成に回るコトでしょう。
 うーん、もし民主が会派内分裂したとしても、やっぱり可決を阻止するコトができません。
 もし民主の委員がひとりでも欠席してしまえば、16vs17となって委員長が投票できずに決するのですが、まぁこれはちょっとあり得ないでしょう。
 
 そもそもこのシミュレーションは公明党が反対する場合であって、もし公明党が賛成してしまえば、同数にすらならないという有様です。 
 これが国民の選択とは言え、なかなかつらい状況です。
 
 このように、数の論理だけに持ち込まれると、これはもう絶望的です。
 この法案は可決成立してしまいます。
 しかし最後まであきらめずに、この法案が可決しないよう、出来る限りのコトはしようではありませんか。
 この法案に反対してくれるであろう自民党議員さんと、また民主党でも、全ての権力を握る小沢幹事長がこわくて従っているだけで実はこの法案には反対だという議員さんもいるようですから、そういう人の良心に賭けて働きかけをしていきたいと思います。
 
 特に上記の衆参の委員さんの選挙区にお住まいの方は、是非是非メールを送っていただきたいです。
 国会議員というのは、結局は選挙民から多く票を取ればその資格を得るワケで、逆に言えば選挙区以外の国民から嫌われても痛くも痒くも無いと言っても過言ではないですから、こういうメールは選挙区民からの方が有効であると言えます。
 上記の一覧には都道府県も書いてありますので、ご参考の上、活用ください。
 
 またもちろん、委員会だけでなく、最後は全議員からなる本会議の可決があって衆議院・参議院の可決が成りますから、この委員会の属していない議員さんへの働きかけも有効だと思います。
 自分が住んでいる地域選出の議員さんや、そうでない議員さんでもいいですので、頑張って最後まであきらめずに働きかけをしていきましょう。