今日やたらと警察のページから
アクセスがあると思ったら、なにやら職質されたヤツがその様子を動画にアップして、それが地元の新聞に記事にさたとかいうことがあったみたいだな。
いやー、オレが色々と取り組んでいた時はまだ動画なんて簡単に取れなかったし、そもそもネットに動画をアップできるようなサーバーの容量を個人が持つことなんてよほどの大金持ちじゃないとできなかったから、時代は変わったなぁとしみじみ思うね。
対マスコミにも言えるんだろうけど、こういうのって、一方的な情報や権力に対しての個人だけでも対抗しうる武器になりつつあるという言い方が出来るのかもしれない。
もちろん、なんでも対抗すりやいいっつーもんではない。
が、対抗できる武器があるのとないのとでは、やはり全然違う。
イザという時、一方的な巨大な力にただただ押しつぶされるというだけではないという逃げ道があるだけでも違うもだ。
広まるかどうか、それが共感されるかどうかは別にしても、個人の主張の力をある程度広められる可能性を持つ媒体があるというのは、良いことだと言えるだろう。
ひさしぶりに、警官について書こう。
今さら具体的な案件や法律について語っても仕方ないし、その辺は昔に書いたものがあるのでそっち見て欲しいんだが、要するにこの警察による職務質問(職質)の問題というのは、最初から最後まで警官個人の態度の問題であると言える。
職質の制度そのものはオレは否定しない。
判断の基準が他の法律と比べて、かなり個人の裁量が大きすぎるという点について問題がないとは言えないが、実効性の観点から言えばそれなりに犯罪抑止力に対して有効だと考えられるので、制度に対しては否定しようとは思わない。
警官は自覚を持ってその制度に対しては誇りを持って厳選泉に対処してもらいたい。
しかし、実際に職質を行う際、その相手に対しての態度がほぼ最悪だというところに、職質の問題は集約される。
一言で言えば「なぜそんなに尊大で一方的で攻撃的なのか」だ。
職質の場合はほぼ100%、警官とその相手は見ず知らずの初対面の間柄であろう。
であるなら、そんな相手に対して、馴れ馴れしく一方的に且つ攻撃的に話しかけられて、それで気分を害さない人間なんて存在する筈がない。
職質を受けたことがない人は想像してみてほしい。
見ず知らずの人にいきなり、「ちょっと止まりなさい。カバンを開いて、中見せて」と言われたらどう思うだろうか。
こんなもんまだ制服を着た警官だから許される行為であって、もしそうでない人間がこんな事言ったら喧嘩になってもおかしくないだろ。
要は警官は一般常識を欠いているのである。
こういう事を言うと、こんな答えがよく返ってくる。
「強気で毅然とした態度をしないと舐められるから」
しかしこれは勘違いも甚だしい考え方でしかない。
そもそも職質対象者は犯罪者ではなく、被疑者でもない。
逮捕状が出た相手でなるならまだしも、そうでない人間をハナから犯罪者扱いして、そのような目で見ることが間違いである。
そもそもどう考えても職質した結果を見ればその相手が全く犯罪とは縁遠い一般人であるという方が圧倒的に多いのだから、確率からしても一般人に対する対応をするというのが筋である。
結局警官はハナから一般人を犯罪者扱いするからこんな思考回路になってしまうとしか言いようがない。
また、毅然とした態度というのと丁寧な態度というのは、対立して両立できないというものではない。
丁寧な態度を取りつつも毅然とした態度というのは取れる。
しかし警官がやってる職質は、つまり見た目や語調や相手を威圧して従わさせようという事に他ならず、この手法というのはヤクザそのものである。
ただ単に警官の質が低いだけであって、良識ある日本国民がとる手法ではない。
この問題は至って簡単でシンプルである。
ただ、
「突然すみません。私○○署の△△と申します。お急ぎのところ大変恐縮ですが、ただいま警戒パトロール中でして、いくつか質問をさせていただきたいのですが、よろしいでしょうか?」
と聞けばいいのである。
簡単なことだ。
社会人なら誰でもやっている、基本中の基本、超初歩の、ある意味こんなことが本当に出来ないなら会社をクビになるぐらいの、最低限のビジネスマナーである。
ビジネスマナーというのは、商業マナーではない。
人と人との関係を円滑に行うための潤滑油であり最低限のマナーでしかない。
初対面でいきなり馴れ馴れしい態度を取れば腹が立つというのは人間としての自然な感情であり、だからこそマナーが発生し存在しているのだ。
こんなの社会人である以上、言うまでもないことである。
そして職質が終われば、
「失礼なことをして申し訳ありませんでした。ご協力ありがとうございました」
と言えば、気持ちよく別れられる。
これは警官の方もそうだ。
礼を尽くせばお互いに気持ちよく終わることができるのである。
これは社会人なら誰でも理解できる感情であろう。
こう人としての礼儀をわきまえた態度であれば、オレも協力しようと思うだろう。
しかし警官は、不幸なことにも、この事実を知らないとしか思えない。
ヤクザ的態度を取れば人間は全て自分に従うし、それに従えば何のわだかまりもなく仕事ができて、万事解決と、そんなジャイアン真っ青な考え方しか持てないのだろう。
ある意味これは、まともな社会人経験をしていない結果ではないのか。
上のような丁寧な態度をとっても舐められることはなかろう。
というか、舐められるという意味がそもそも分からない。
結果的に職質で質問が出来ればそれでいいのだから、舐められようがなんだろうが、それでいいではないか。
別に警官個人の自尊心を満たすために職質制度があるわけではない。
もし凶悪なナイフとか持っていれば、それはその時に圧力をかければいいだけの話であって、入り口の段階から高圧的になる必要などこれっぽっちもない。
高圧的でないと警官個人の気分を害するのかもしれないし、相手がもしかしたら逆に高圧的な態度を取るのかもしれないが、しかし気分を害するなんていう視点で仕事を語る事自体が社会常識からかけ離れた馬鹿の発想でしかなく、所詮個人個人の気分など害しても職務を遂行するというのが社会人の常識である。
社会人なら誰でもやっていることだ。
一番大切なのは職務の遂行であり、個人的感想など2の次3の次でしかない。
そうして社会は回っているのである。
さらに言えば、「自分が悪くなくても謝る」という行為は、社会人経験している人間にとっては大なり小なりあることだろう。
よく警官は「法律に則って職質しているだけだから悪いことなどしておらず、何もなくても相手に謝る必要はない」なんて言うが、これも社会人経験の無い餓鬼の言い分でしかない。
法律で認められていようと、職質は任意でしか無く、相手の気分を害したのであれば害を与えた側が謝るというのは常識的な礼儀である。
謝罪も礼儀だ。
「対価として商品を渡したのだからありがとうございましたと言わなくてもいい」なんて言う商売人がいないのと同じように、正当な理由があっても礼儀を尽くすのは社会人としての社会的常識ではないか。
警官はこんなことも分からないのである。
今の警官には礼が欠けている。
今の全ての問題はここに集約される。
難しいことは何一つ言っていない。
「社会人として、社会的マナーを守って他人と接しましょう」
ただこれだけである。
「突然すみません。私○○署の△△と申します。お急ぎのところ大変恐縮ですが、ただいま警戒パトロール中でして、いくつか質問をさせていただきたいのですが、よろしいでしょうか?」
「失礼なことをして申し訳ありませんでした。ご協力ありがとうございました」
これを全ての警官が行うようになれば、必ず職質に対する一般人のイメージは良くなるし、よって円滑な協力者も増えるだろうし、結果犯罪抑止力は増すことだろう。
警察は、犯罪を防ぐために職務質問をしていると言うのであれば、犯罪を防ぐのが目的だと言うのであれば、まずは警官の超基本的社会マナーを学ばせることが最も効果的なことだと知らなければならない。
礼儀無くして秩序など守れはしないだろう。