☆やえニュース☆

  人権擁護法案 〜太田私案〜 旧法案とのからみ太田私案〜民間ADRと包括法の意義〜福田メルマガレビュー秋葉原の事件についてホコ天を禁止して通り魔が防げるのか党首討論から逃げる小沢さん

平成20年6月2日

 人権擁護法案 〜太田私案〜 旧法案とのからみ

 今日はちょっと短めになるかもしれませんが、前回理由を書けなかった、太田私案と旧法案との関係について、やえの考えを書きたいと思います。
 
 前回にも言いましたように、おそらく太田私案は、旧法案の上に被さるように存在するモノになるんじゃないかと思われます。
 太田私案は法案・法律の形を成していませんから、まずベースとしては旧法案があって、その上から太田私案を被せ、もし太田私案と旧法案が重なる部分があれば太田私案を最優先させる、そういう形になるんだと思います。
 例えば太田私案には、「現在でも行っている援助などの任意の人権救済の対象を、憲法14条が定める人種等による差別、(中略)に限定する」という文言がありますので、旧法案で定められていた、一般救済手続きでも扱うような広い範囲での人権侵害問題は、この法案では取り扱わないというコトになります。
 逆に、太田私案で特に書かれていないような事柄は、旧法案のままであると思われます。
 例えば3条委員会で組織される人権委員会の存在ですとか、特別救済手続きそのものですとかです。
 そういう形で太田私案を優先させながらお互いを補完して法案・法律の形を作っていくコトになるんだと思います。
 
 なぜそう思うのかと言いますと、いくつか理由があるのですが、例えばペーパーで配られた太田私案に次の文言があります。

 差別的言動に対する調査については、過料の制裁を除く。

 これを逆に読めば、差別的言動以外の調査については過料が存在する、というコトに他ならないワケですが、しかし太田私案には「過料」に関する記述はありません。
 ですからこれは、旧法案にあった過料に関する部分が、太田私案の中でも存在すると読み取るのが一番自然だと言えるでしょう。
 すなわち、先日お伝えしました太田私案で定められた具体的な人権侵害に対しては、全て旧法案で言う特別救済手続きが存在し、一番重い措置である指名公開を含めた制裁があって、それを行うために調査が行われる場合もあり、その場合もし調査に非協力的であれば、差別的言動に関する人権侵害事件以外なら過料などの制裁も存在する、とこういうコトでしょう。
 ですからこの書き方では、旧法案が太田私案の中に含まれていると考えなければ、むしろ不自然だとも言えるわけです。
 
 また他にも、これはペーパーの中ではなく人権問題等調査会の議論の中で出てきた話なんだそうですが、「なぜ3条委員会なのか」という話もあったそうなので、これも同じように、それは旧法案で言う人権委員会のコトを指すモノだと解釈するのが自然でしょう。
 それから、引き続き人権養護委員を存続させるというコトを明記したコトも、旧法案がベースにあるというコトが伺えると思います。
 
 まぁ、これはもう完全のイメージの問題ですが、旧法案を引きずっていると言ってしまうと反発を受けるので、前回の調査会では、太田私案の話だけをしたのでしょう。
 ですから執行部の意識としては、太田私案がまずあり、それを補完する形で足りない部分を旧法案から借りて肉付けして、法案・法律の体裁をとると、そういうコトなのかと思われます。
 そもそも旧法案も、既存の法案、人権擁護法案の場合は、公正取引委員会の独占禁止法や公害等調整委員会の公害等調整委員会設置法を参考にして骨格となって人権問題に即した形にしていったのでしょうし、法案とはだいたいどれもそんなようなモノですから、これは決して間違ったやり方ではありません。
 
 というワケで、人権擁護法案・太田私案はこのような位置づけで今後議論が進んでいくモノと思われます。
 太田私案の登場で、もしかして17年からずっとやえがやってきたあれだけ膨大な文章が全部ムダになってしまうのかと一瞬びっくりしたのですが、そういうコトではないようでちょっとほっとしました(笑)
 まぁそれは冗談としましても、パリ原則を尊重させるためには「政府からある程度独立した人権関係の機関」が必要不可欠ですから、日本の法体系からしてある程度旧法案のような形になるのは当たり前であり、それが自然とも言えるワケです。
 中身こそが一番大切であるというのは言うまでもありませんから、しっかりと中身について、結果ありきではなく、検証していってほしいと思います。
 
 これから調査会もコンスタントに開かれるのでしょうし、太田私案について、今までにないコトでやえも言いたいコトがありますから、引き続きこの問題は追っていきたいと思います。


 

平成20年6月4日

 太田私案〜民間ADRと包括法の意義〜

  えー、連日この問題ばかり取り上げてしまいまして申し訳ないのですが、今日6月4日の朝にも、自民党の人権問題等調査会が開かれたようなので、その辺も含めて今日もお付き合いいただければと思います。
 
 まず最初に、太田私案に対するやえの考え方や疑問等を示しておきたいと思います。
 何度も伝えていますように、この太田私案は法律の体を成していませんので、最終的にどのような法案になるのか、まだこの段階ではなんとも言えないところなのですが、旧法案に比べて法律の中で扱う人権侵害問題の範囲が非常に狭くなったというコトについて、果たして本当にそれでいいのかという疑問はどうしても捨てきれません。
 結局太田私案で示された具体的な人権問題の範囲というのは、旧法案で言う「特別救済手続き」に係る人権問題とほぼ同じなワケで、それ以外の旧法案で取り扱うとされていた広範囲な人権侵害問題は、所詮一般救済手続きというほとんど啓蒙しかできないかなり軽いコトしかできないとされていたのですから、それをそこまで問題視して強固に反対するほどの理由にはなり得たと言えるのか疑問です。
 そもそもそれぐらいの処分というのは、現行法でも行われているようなコトですから、ではこの太田私案が法律として施行されたとき、今まで現場で努力して行われてきた人権啓蒙や、事前に防がれていたような問題はどうなってしまうのか、そこが心配でなりません。
 中身をじっくり見て検討して議論しなかった結果がこれだと言わざるを得ないのです。
 
 また同時に、結局削除されてしまったマスコミの人権侵害問題に対しても同じコトが言えます。
 凍結されていたとは言え、メディアスクラムは違法行為であるとせっかく法に明記されていたのに、太田私案によって、この問題が1歩も2歩も後退してしまったのです。
 この辺が整理できていない人がけっこういるようなのですが、マスコミと言えども、旧法案で言う(メディア条項を除く)特別救済手続きに係る人権問題や、太田私案で取り扱う人権問題を行えば、当然マスコミ(とその従事者)は処分されるワケですが、その上で旧法案というのは、メディアスクラムも『公務員の差別的取扱いや、虐待と同じように、同レベルで、甚大な人権侵害行為である』と謳っていたワケです。
 しかし太田私案では、結局このメディアスクラム自体は取り扱うべき人権問題には含まれなくなってしまったワケで、やえとしましては非常に残念でなりません。
 やはりこれは、法案の見た目だけの分かりやすさを重視した結果であり、実質はそんなに旧法案と扱うべき人権問題は変わらないと言えるハズなのですが、中身を見ずに、理解しないまま議論を進めてしまった結果と言わざるを得ないでしょう。
 
 もうひとつ太田私案の中でやえは大きな疑問があります。
 それは、民間のADRを活用する、というコトです。
 この問題は以前詳しく言いましたので、具体的にはこちらを読んでいただければと思いますが、反対論を強く唱えている人の中には「今ある制度を活用すればいいじゃないか、法テラスや民間ADRを活用すればいいじゃないかと」言ってますけど、それはかなりの矛盾と危険性を孕んでいます。
 なぜなら、過去にトンデモ勧告書を出した大阪弁護士会が、その民間ADRのひとつを担っているからです。
 これは平成17年の時の議論で大きく取り上げられましたよね。
 そして反対論を唱える人は、これをもって、「人権委員会が作られたら、このような判断が正式な形で下されてしまう」と危惧していたワケです。
 やえは、その危惧はその通りだと思います。
 やえも危惧しています。
 だからこそ、民間ADRなんかに頼っちゃダメなんです。
 反対論者の中には、大阪弁護士会は危険だと言いながら、同時に民間ADRを活用しろとも言うワ人がけっこういたりするのですが、これは明らかに矛盾しており、それこそ大変に危険な結果をもたらす発言だというコトに気付いてほしいと思います。
 
 やえは、もし太田私案が法律の体を為したときに、民間ADRが法律によってその決定にお墨付きを与えるような条文になっていたら、断じて反対をします。
 法律で人権問題を扱うのであれば、決定権や、決定に至るまでの中身についても、完全に官だけでやるべきだと思っています。
 最近の風潮で「官=悪」だと思われがちですが、しかし官というモノの根っこにあるモノは民主主義があり、国民があるワケですから、一番重要なのは、いかに民主主義を取り入れるか、民主主義を担保した形にするのか、というところに心血を注ぐべきなのです。
 民の場合には民主主義は必ずしも必要はありません。
 多くの中小企業においては、そのトップはだいたい世襲制で引き継がれるところが多いですよね。
 でみ官ではそうはいきません。
 なぜなら、官は民主主義の支配下にあるからです。
 
 民主主義というシステムは結果を担保する制度ではありません。
 結果が正しいかどうかなんていうのは誰にも分からないワケで、そうではなく、民主主義というシステムは主権が国民であるという入口の部分を形作るモノであり、変な言い方ですが「民主主義=正義」なのです。
 結果が失敗でも民主主義なら正義なのです。
 結果が成功でも独裁体制的な手法なら悪なのです。
 それが民主主義というシステムなのです。
 ですから、大阪弁護士会という一私団体に丸投げするのではなく、公的な機関でもって民主主義を出来るだけ担保するような制度にして、そこですべてを決めるような仕組みこそが、最も正しい民主主義国における機関の在り方だと言えるワケなのです。
 
 一時期、人権委員の選定条件の中に、いわゆる「団体条項」というモノがあって、これが大問題になりましたが、もし民間ADRが採用されたら、こっちの方がよっぽど簡単に「特定の政治信条を持っている人」が決定に関わりやすくなってしまうでしょう。
 弁護士なんて、○○系弁護士なんて言われ方がされますように、職業柄でも言えるかもしれませんが、わりと極端な考えを持っている人が少なくありません。
 法律が担保する形での民間ADRの活用という手法は、こういう人たちを野放しにし、なおかつ法律がお墨付きを与えてしまうという結果にとても繋がりやすくなるワケです。
 この辺の整合性をよくよく考えてもらいたいと思います。
 
 
 話を自民党の調査会の方に移します。
 太田私案の提示によって、反対論はだいたい次の3つに収束されつつあると言えます。
 
 ・個別法でいいじゃないか
 ・この制度が悪用されて逆差別が横行してしまうのではないか
 ・そもそもこの法律が必要であるという理由が理解できない
 
 それぞれ個別に言いたいコトもあるのですが、やえは、結局これからの人権侵害問題に対して政府と国会がどのような対応を取っていくかの考え方の違いでなのではないかと思っています。
 
 個別法でいいじゃないか等の反対論というのは、モグラ叩きのように問題が表面化して初めて対応する形になります。
 しかしこれではどうしても、問題が出てきてから対応するまでけっこうなタイムラグが生じてしまい、言ってみれば最初の方の被害者には我慢してもらうしかないというコトにならざるを得ません。
 後から立法化されて、なんらかの保証はされるかもしれませんが、予防防止という観点からは絶対に無理です。
 一方、旧法案や太田私案も含めて、新しい人権問題に係る法律を作る場合の基本的な考え方というのは、将来出てくるかもしれない未知なる人権侵害問題に対しても対応できるよう備えられる法律を作ろうという考え方です。
 例えば、DVとかいう問題は、過去においては人権問題とは取られずに、痴話喧嘩という認識で警察も公的機関もあまり動きませんでしたが、しかし今は人権問題として考えられ、取り扱われていますよね。
 これを今回の動きに当てはめて考えてみます。
 個別法での対応だと、DVはDVとして立法化されるまで公的機関は動けませんでした。
 そもそもDVが犯罪だという意識がない、痴話喧嘩だと思われるだけですので、暴力とさえ認識されないまま、配偶者間での暴力も暴力だと立法化されるまで警察も動きづらかったワケです。
 しかし包括的な旧法案のような法律があったのであれば、DVは犯罪だと一般的に認識されるだけで、立法化を待たずに、包括法を法的根拠として各機関は動けたコトでしょう。
 旧法案に関して「アメーバ的に」とか「広い網を掛ける」とよく形容されていましたが、それはまさにそういう意味なんですね。
 他にも、この前取り上げました学校裏サイトの問題も、まさに過去には想像もし得なかった問題、しかし一刻の猶予もない早く対処しなければならない問題と言えるでしょう。
 こういう「将来に対する備え」という意味が、包括的な法律のもっもと大きな意味であるワケなのです。
 
 今日行われた自民党の人権問題等調査会では、ある議員さんが「会合で演説をしていたら、同和団体の人間から急に罵詈雑言を浴びせかけられ演説を妨害された。この法律が通るとそれが合法化される。家族の安全すら危うくなる」などというような主旨の話をされたと聞きましたが、そういう危惧は分からなくもないんですが、しかしそもそもそういう行為それ自体が社会的に許される行為ではなく、太田私案が立法化されたからと言って、その様な行為に太田私案法が反社会的行為にお墨付きを与えるようなモノになるとは言えないハズです。
 旧法案にも太田私案にも、一言も「既存団体が無条件に保護される」なんて書かれていない以上、法としては公正さを保っていると言うのが当然です。
 よく反対派は「公務員や業者が不当な取扱いをしているのであれば、それを是正させればいいだけの話である」と言っていますが、もし本当にご家族の身に危険が差し迫るようなコトが起きているのであれば、それこそ現行法下における当局の取り組みに問題があると言うのが筋なのではないでしょうか。
 それを人権法に責任を転嫁させるのは違うと思います。
 そして最も是正しなければならないのは、そういう特殊な団体の特殊な行為を黙認してしまっている社会風潮こそなのではないでしょうか。
 
 当然ですが、もし太田私案が法律として成立した場合、その太田私案にかかるような行為を解同等の人権団体が犯せば、それは粛々と法に照らして対処すべきです。
 しかし、過去を振り返れば、そういう団体だけなぜか特別扱いされていたようなコトがあったのは、確かに事実です。
 ですから、もしどうしてもそういう団体が気になるというのであれば、それを法に明記するのは適切ではないと思いますが、なんらかの形で「特定の団体のみに有利になるような運営はしない」などと明確に担保するぐらいのコトを、人権問題等調査会の執行部はとっていいのではないでしょうか。
 そうすれば、今まではこういう特殊な考え方を持っている人が、例えば大阪弁護士会に訴えて大阪弁護士会がトンデモな勧告を出して、マッチポンプのように一般人を抑圧してきたワケですが、今度からは訴えられても大阪弁護士会ではなく人権委員会に訴えろと言うコトが出来るようになりますし、そうなれば大阪弁護士会のような歪んだ勧告は出されないようになるのではないでしょうか。
 そういう視点も、冷静に考えればあるハズです。
 
 反対論を強固に唱えられる方は、冷静な視点が抜けていると言わざるを得ません。
 前回の人権問題等調査会では、ある議員さんの旧法案で言う差別的言動の発動条件である「特定の者」という文言が理解できていないコトが判明してしまいました。
 「在日の人を、在日だと言うだけで訴えられてしまう」と発言したそうですが、それは執行部の一員である塩崎元官房長官に、淡々と「特定の者」の意味について説明がされたそうです。
 熱を持って思想的な部分で将来の危険性や社会の問題として議論されるのはとても大切なコトだと思いますが、政治家という立場ではそれだけではなく、冷静な理の部分で現実論や技術論も考えなければならないと、やえは思います。
 
 そして、起こるかもしれない逆差別を危惧するコトももちろん大切ですが、今現在ある問題を考えるコトも大切です。
 逆差別が起こるかもしれないからといって、いま存在している問題を放置していいコトには絶対になりません。
 政治家であるならば、逆差別を危惧するならするでいいですけど、その代わり、今ある問題をどう対処するかの対案を出す義務があると言えるのではないのでしょうか。
 
 やえは、そういう今でも不当に圧力を行使するような団体を、どう社会から撲滅していくか、そういう方向にも政治家の先生方には考えてもらいたいと期待します。
 結局この法案に対する一番の障害はそこなのですし、やえも出来るならそこは、この法案を別にしても是非とも達成してもらいたいです。
 人権問題等調査会で、いつもいつも被害を訴えるだけではなく、そういう問題にも政治家として取り組んでもらいたいなと思います。
 

平成20年6月5日

 福田メルマガレビュー

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       福田内閣メールマガジン(第34号 2008/06/05)
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 ★☆ 第4回アフリカ開発会議 開催 ☆★
 福田総理が出席して、5月28日から30日まで横浜市で開催された第4回アフリカ開発会議(TICAD IV)の様子などを政府インターネットテレビでご覧いただけます。
 http://nettv.gov-online.go.jp/prg/prg1898.html
 
 [世界が行動すべきとき。福田康夫です。]
 世界が行動すべきとき。福田康夫です。
 「過去2年間に、新たに1億人が貧困状態になってしまった。」
 世界銀行のゼーリック総裁は、最近の世界的な穀物価格高騰による影響について、このような見積もりを公表しました。とうもろこしも、大豆も、小麦も、この2年間で、値段が約2倍にまで跳ね上がっています。
 多くの食料を輸入に頼っているわが国では、パンや乳製品などさまざまな食料品の値段が上がり、すでに私たちの生活に大きな影響が広がっています。食料品の値上がりは、日本だけの問題ではありません。
 
 こんにちは、福田さん。
 小麦とか石油とか、日本でも大きな問題になっていますが、結局これは日本の問題ではなく、政治の問題ですらなく、世界的ななかなか抗いがたい流れの問題なんですよね。
 これを逆に考えれば、日本の食糧自給率は低いですが、コメだけに関して言えば、とても優れた制度を導入していると言えるでしょう。
 ちょっと前、日本で「平成の米騒動」なんていうのが起きて、初めてコメの輸入を解禁して、タイ米だとかなんとかとか騒がれましたけど、それでも未だに日本のコメは食糧管理制度の元にほぼ自給率100%を保っています。
 そして値段も比較的安定していますよね。
 やえは農政はあまり詳しくないのですけど、こういうのって、他の食料にシステムを転用できないんでしょうか。
 それしちゃうと、お金がものすごいかかってしまうとかなんでしょうか。
 
 アジアやアフリカの多くの国は食料を輸入しています。国々の中には、1日の所得が1ドル以下でその半分以上が食費、という生活を送っている国もあります。今回の食料価格高騰は、このように食べるだけで精一杯の貧しい人々の生命を直撃する深刻な問題となっています。
 さらに、価格高騰に抵抗する人々のデモや暴動が発生し、死傷者すら出た国もあります。先週のアフリカ開発会議でも、多くのアフリカの首脳と直接話して、この問題の深刻さを改めて感じました。
 
 まぁでもどうしてもどこでもその責任を政治に求めてしまう人は多いんでしょうね。
 しかし、食べ物がないからと暴動して死んでしまったら、本末転倒な気がしてならないんですが……。
 
 こうした強い切迫感を持って、私は、3日、ローマで開かれた世界食糧サミットに出席しました。
 まず何よりも、今この瞬間も食料不足、ひいては飢餓に苦しむ人々に、一刻も早く食料が届けられなくてはなりません。わが国として追加的な食糧援助を表明するとともに、世界各国に対して、備蓄食糧の放出や農産物輸出規制の自粛を呼びかけました。
 また、長期的な安定を考えれば、世界的に食料の生産能力を向上させることが必要です。世界最大の食料輸入国であるわが国自身が、農業生産力を強化し、食料自給率を高めるべきことは言うまでもありませんが、それとともに、アフリカはじめ途上国の農業生産性を上げるため、灌漑などのインフラ整備や品種改良のための研究など、国際社会と連携しながら、積極的な貢献を行うことも表明しました。
 
 日本の農業技術はかなり高いモノがあると聞いているので、その技術をアフリカなどに提供するというのはいい案でしょう。
 せっかくなんで、稲作技術を提供して、アフリカも米食文化を伝えるというのも面白いかもしれません。
 しかし世界的に食物不足が言われているなら、ここで食物をいっぱい作って輸出して儲けるというチャンスなんじゃないかとも思うんですが、まぁいろいろと難しいのでしょう。
 生ものの運搬という問題もありますし、また日本の場合はどうしても地理上の問題で、食物の低価格化の競争はかなり不利なんですよね。
 ですから低価格でアフリカ諸国に売るというのは、難しいのかもしれません。
 中国とかの裕福層には、高級ブランドとして日本の農作物がかなり売れているらしいのですけどね。
 
 さらに、今回の価格高騰の原因の一つともなっている、穀物を原料とするバイオ燃料の生産についても、食料以外の植物や食料を収穫した後の稲わらなどを用いたバイオ燃料の研究と実用化を急ぐことも明らかにしました。
 今求められていることは、世界がその知恵を結集し、そして素早く行動を起こすことです。
 このような問題意識は、世界食糧サミットに前後して会った、ドイツのメルケル首相や、イギリスのブラウン首相、フランスのサルコジ大統領、イタリアのベルルスコーニ首相らも全く同じで、今の世界の食糧事情に危機感を持っていました。
 
 バイオ燃料の技術開発は、資源が乏しい日本にとって急務であり、必ずやり遂げなければならない問題でしょう。
 もしこれが成功すれば、コメ並みの管理制度を引くコトにより、国内だけでエネルギーが賄われられるようになれるかもしれませんからね
 達成されれば日本にとってかなり喜ばしいコトです。
 
 来月は、北海道洞爺湖サミットが開かれ、主要先進国の首脳が集まります。
 私は、その議長として、この食料価格高騰の問題を議論のテーマに取り上げますが、食料という生命にかかわる問題について、未来への安心を人々に与えられるような力強いメッセージをサミットの決意として世界に表明したいと考えています。
 
 サミットとは関係ないですが、洞爺湖行ってみたいんですよね。
 北海道の人に話を聞くと、早朝の洞爺湖は、それはそれは幻想的で美しい姿を見せてくれるのだとか。
 いまは警備とかでごたついているのでしょうけど、落ち着いたらいつか行ってみたいと思います。
 
 
 [編集長のひとこと]
 日曜日から、総理に随行してドイツ、イギリス、イタリアを訪問し、本日帰国します。総理は、先週横浜での第4回アフリカ開発会議の議長を務めるとともに、アフリカ各国の首脳などと数多く会談したのに続き、今回も首脳会談や世界食糧サミットでの演説を精力的に行いました。
 
 今日ちょうど、オリンピックの開催地の一次審査において、東京が無事通過したというニュースが流れていました。
 福田さんはアフリカの首脳達に、オリンピック東京招致についても協力を要請したらしいですね。
 
 移動の飛行機内でも何度も資料に目を通し、北海道洞爺湖サミットの議長として再び顔を合わせることとなる各国首脳と今何を話すべきか、世界食糧サミットで世界にどう呼びかけるか、直前まで思いを巡らせ、原稿に手を入れる総理。移動の疲れをものともしない、責任感からくるであろう、その気力と体力には敬服するばかりです。 
 
 ホント国会議員の体力はバケモノですよ。
 国会議員って、リアル休みがないお仕事ですからねぇ。
 文字通り365日フル稼働です。
 まず体力がないとやっていけない、しかもそれなりの高齢でですよ、そんなお仕事が国会議員です。
 
 その洞爺湖サミットまでいよいよあと1ヶ月。地元北海道洞爺湖町の長崎良夫町長が「私の住むまち」に登場。サミットの成功には、地元の皆さんの協力が不可欠です。地元の期待にこたえるためにも、政府として日本で8年ぶりのサミットに全力を尽くします。(まつしげ)
 
 もうそんな時期になってしまったんですねぇ。
 例年ならこの時期は国会の会期末で、延長するのかどうかとか、野党が恒例の不信任案を出して深夜国会になってしまうとか、そんな話題になりますが、今年はそんなコト言ってられない状況のようですね。
 これからが正念場でしょう。
 がんばってください。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、ふふんを応援しています。 

平成20年6月9日

 秋葉原の事件について

 今さら説明するまでもないでしょう。
 昨日、東京秋葉原において、無差別大量殺人事件が起こりました。
 たったナイフ1本で7人も殺してしまうという、おそらく日本の犯罪史上例のない事件になってしまいましたが、今日はこのニュースについてちょっと一言言っておきたいと思います。
 
 やえはよく思っているのですが、こういう特殊な事件であればあるほど、なかなかそれを一般的な話としては語りにくい問題なんですよね。
 
 これは秋葉原の今回の事件だけに限らないのですが、こういう殺人事件というモノをテレビとか新聞とかで報道をして、その結果一体どういうメリットが生まれるのか、やえにはそこがよく分かりません。
 最近けっこう大きく取り上げられている殺人事件が多いようですが、例えば遺体をトイレに流した事件ですとか、ちょっと前になりますけど歯科医師の家の兄妹間で起きた殺人事件ですとか、しかしこういう事件が報道され、事件の背景が詳しく分かって、それが広く世間一般に知れ渡ったとしても、社会としてその結果どのようなメリットが享受されると言うのでしょうか。
 結局兄妹の事件なんて言うのは、兄妹、もしくはその家族間だけにしか分からない特殊な事情や感情が兄の凶行を生んだのでしょうから、これをその家族ではない世間一般が知ったところで、防犯にすらならないでしょう。
 あの事件を教訓に、「ウチの家族はいままであまり仲が良くなかったから、今度からもっと会話を増やそう」とどこかの家庭がもしそのように話し合ったら、それはそれなりに意味のあるコトなのかもしれませんが、しかし現実問題テレビのニュースなんかでそこまで感情移入するような人がいるとはちょっと思えません。
 口だけでそんなコトを言う人はいるかもしれませんが、根本的に抜本的に変わるほどの影響力はないのではないでしょうか。
 
 この手の大きな事件があると、次の日学校とかで、「○○の事件こわいねー。犯人ってどう思っているのかなぁ」なんて聞かれるんですが、よくやえはそのニュースを把握すらしてなかったりするコトがあったりします。
 で、「なんの事件でしたっけ」と詳細を聞いて、ああなんか聞いたコトあるなと思い直して適当に相づちうつ程度で終わっちゃうコトもよくあったりします。
 結局注目される事件はどこでも色んな人の間で話題にされるワケですが、でも、学校での話題になってもどこで話題になっても、それ以上の意味というモノはやっぱり生まれないんですよね。
 
 今回の秋葉原の事件についてもそうです。
 特に今はあまり情報が出てきていませんので、これを論じたとしても、ほとんどが無意味です。
 どうも今回の犯人は、無差別の通り魔的犯罪だったようですから、なおさらこの事件に社会的な意味を見いだせません。
 通り魔なんてどうやっても防ぎようがないですからね。
 まさか、今度から外出するときには防弾・防塵チョッキを着てヘルメットを着用しましょう、なんて言えるハズもありませんし、外出するなとも言えません。
 また、犯人の性格などを分析しても、果たしてその性格が、社会の改善を促さなければならないような要素を多分に含んでいるとは思えませんし、社会の申し子みたいなそんな人間が存在するとは思えません。
 最初にも言いましたように、その事件が特殊であればあるほど、実は犯人の性格が特殊である場合が多いですから、例えば生物を殺すコトに性的な快感を覚えて射精もしていたというサカキバラ事件の犯人なんてまさにそうで、今回の事件の7人もナイフ一本で殺すまで突き刺したというよほどの強い意志がないと出来なさそうな芸当をやってしまったこの犯人も、性格や背景の情報が出てきて広く知られるコトになったとしても、それを一般的に当てはめて考えるというのは大変に難しいコトなのではないかと思います。
 
 広く社会性のある事件というのは、事件そのものより、その後の進展の方が問題になるコトの方が多いと言えるでしょう。
 光町の母子殺人事件などは、犯人の特殊性ではなく(ある意味特殊ですが)裁判のあり方や弁護士のあり方、そして法のあり方が問われた事件だと言えます。
 しかし今回の秋葉原の事件は、容疑者は成人しているようですし、7人も殺してしまっていますので、もし裁判で有罪が確定すれば、死刑はどうやっても免れないコトでしょう。
 ここから、死刑制度についての議論はできるかもしれませんし、死刑反対論者にはまた逆風の事件なのかもしれませんが、まぁそれだけですね。
 この事件が例示としては十分に使えるでしょうけど、この事件が死刑論の主題とはなり得ません。
 
 また、秋葉原という場所の特殊性をもしかしたらマスコミは煽るのではないかという危惧もありましたけど、今のところそれはないようで安心しているところです。
 それから、犯人がなんらかの病気にかかっているという可能性もいまのところ無いようですから、ここからも一般的な社会の議論、法の議論には発展しそうにもありません。
 こういうあたりから、そして犯人は今のところ「殺すのは誰でも良かった」と言っていますから、それを理由にマスコミとかでは、社会が悪いとか、教育が悪いとか、道徳が悪いとか、そういう毒にも薬にもならないようなコメントを繰り返すのかもしれませんが、これらに全く意味は生まれてこないでしょう。
 日本の人口だけでも1億人以上いるワケですから、その中のたった1億分の1の数というコトを考えれば、確率的にバグが発生しても不思議ではないとも言えるのでしょうから、やっぱり一般的な話にはどうしてもならないのです。
 
 やえが感じる、秋葉原の事件に対する感想というのは、これぐらいです。
 あまおちさんをはじめ、秋葉原によく行きそうな人がまわりに結構いますので、そう言う意味で、ちょっとこわかったというのは個人的な思いとしてあります。
 そういう人はけっこういらっしゃるでしょう。
 それはそれで自然な感情だと思いますのでいいんですが、ただそれ以上も以下でもないというところも冷静に考えなければならないところだと思います。
 これから数日か数週間か、このニュースがトップニュースとして扱われるのでしょうけど、あまり熱くならずに、冷静にこのニュースを受け止めてほしいのです。
 こういう事件があったと事実として報道するコトそれ自体は、死刑論などの例示として必要なモノですから必要なコトだと思いますが、それはあくまで一情報でしかないぐらいに受け止めるぐらいがちょうどいいのではないかと思います。
 この事件だけをもって、治安が悪くなったなどといったような、世間一般社会全般に係るような言い方は、ちょっと適切ではないハズなのです。
 例えば、もしかしたら秋葉原の歩行者天国が廃止されるとか行政が動くかもしれませんが、そんなコトしてもこの手の通り魔的犯罪は防げないですし、その上利用者の便が悪くなるだけでしかなく、経済効果等国家にとっても国民にとってひとつの利益も生み出さないのですから。
 

平成20年6月10日

 ホコ天を禁止して通り魔が防げるのか

 昨日の更新で、マスコミは今のところ犯人とオタクを結びつけて印象操作しようとはしていない、なんてコトを書いたのですが、やっぱり書くところは書くんですねぇ。
更新内容スレでも教えていただいているところですけど(情報ありがとーございますー)、しかも低俗なスポーツ新聞だけでなく、地方紙である中国新聞までも低俗な記事を書いて、広島の新聞なのでなんだかごめんなさいな気分ですが、まぁそんなもんなんでしょうかねぇ。
 こういう辺り、アニメとかゲームとか、いわゆるアキバ的サブカルチャーには、権利を擁護する団体というモノがないので言われたい放題なのかもしれません。
 そういう意味では、行き過ぎれば利権団体ですが、マイノリティーの権利を擁護する団体というのは、どうしても社会には必要なモノであると言わざるを得ないのかもしれません。
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 さて。
 そんな意味も込めまして、今日は秋葉原の歩行者天国についての記事を取り上げたいと思います。

 アキバ歩行者天国、当面中止の公算高まる
 
 東京・秋葉原で8日に起きた無差別殺傷事件を受け、毎週日曜・休日に行われている秋葉原の歩行者天国が当面中止になる公算が大きくなったことがわかった。
 千代田区の関係者によると、地元商店や町会から意見を聞いたうえで、警察など関係各機関と会議を開いて決める。模倣犯警戒のため、多くの人員を割かなければならない警察サイドが、続行に難色を示しているため。
 13日にも会議を開き、正式決定する見通し。

 ツッコミどころ満載です。
 
 まず、歩行者天国だからこそであるならば、別に秋葉原だけに限った話ではないでしょう。
 歩行者天国ならどこでもトラックが突っ込んでこれるワケですから、もし防犯のためにホコ天をやめるというのであれば、日本全国のホコ天をやめなければいけなくなっちゃいます。
 模倣犯がどうだという話も同様です。
 過去の模倣犯を見ても、決して同じ場所同じ時間同じ方法によって犯罪を犯している模倣犯ばかりではありません。
 むしろ模倣犯というのは、手口を真似ただけの頭の悪い人が日本全国で増殖するという形の方が多いような気がします。
 そう考えれば、ただ秋葉原だけをねらい打ちにしても、片手落ちにもほどがあると言えるのではないでしょうか。
 
 また、警察は「多くの人員を割かなければならない」と言っているようですが、ではやえは逆に聞きたいです。
 警官をいっぱい配置していたら、今回の事件は防げたのですか?
 今回の犯罪の手口は、歩行者天国でない場所からトラックをぶっ飛ばしてホコ天に突っ込み、牽いた人間を次々にナイフで刺し、その後歩行中の人間を刺していったという事件です。
 確かに警官がいっぱいいたら、トラックでひかれていない人は、刺される前に警官が犯人を取り押さえて助かったかもしれません。
 しかし、トラックでひかれるというところは、いくら警官をいっぱい配置しても、それで防げるとはとても思えません。
 また、警官をどれぐらい配置するのかにもよりますが、確かに警官がその辺に立っていれば運が良ければ刺されるコトは免れるかもしれませんが、しかし運が悪ければ警官が現場に着く前に数人刺されても不思議ではないでしょう。
 おそらく数秒の間の出来事でしょうし、まさか歩行者天国一面を埋め尽くすほどの配備なんて出来るワケないですからね。
 ですから、警察の理由である「警官の人員を割かなければならない」というのは、ちょっと苦しい言い訳でしかないと言わざるを得ないでしょう。
 
 残念ながら通り魔的犯罪というモノは、相当に防ぐコトが難しい犯罪です。
 「1人でも被害者を減らすためだったら、警官の増員やホコ天廃止も致し方ない」と言う人もいるかもしれませんが、本当に人を殺そうとするなら、そんなのは焼け石に水としか言いようがありません。
 この手口を真似るという意味であるなら、そもそもホコ天は絶対条件ではないのです。
 例えば、渋谷の駅前の交差点とかで新宿のアルタ前の交差点とかで、歩行者が横断歩道を渡っている最中にトラックで突っ込めば、ほとんど今回の事件の形と同じような手口となるでしょう。
 これを防ぐには、ちょっとやえには手が思いつきません。
 警官がいっぱいいても、歩行者と一緒に牽かれてしまうだけとなってしまうコトでしょう。
 
 では、交差点を廃止にするかと言われれば、これはほぼ無いですよね。
 どう考えても、交差点を廃止した方がデメリットの方が大きいからです。
 つまりですね、結局は防犯がなによりもではなく、社会構造全体としてもメリットとデメリットのバランスでしかないというコトなのです。
 
 そう考えたとき、秋葉原の歩行者天国はどう考えるべきでしょうか。
 やえは、昨日言いましたように、デメリットの方が全然大きいとしか思えません。
 なんて言いましょうか、こういうとりあえず目に見える規制をして対策を取った気になる、というのは、すごく悪い癖ですよね。 
 

平成20年6月12日

 党首討論から逃げる小沢さん

 今日は木曜なのでメルマガの日なんですが、正直今日はあまり面白くありませんので、ごめんなさい、ひさしぶりに政局なお話をしたいと思います。
 
 参議院の問責決議案の件です。
 様々な大きなニュースの陰であまり目立ってないと言わざるを得ないこの件ですが、どうして民主党はこんなタイミングに出しちゃったんですかね。
 福田総理への問責決議案を出す明確な動機もあいまいな上に、はじめからこんなんで総辞職もしくは解散なんてするワケもなく、分かり切ったコトで、それこそ目立たなければ意味がないと思うのですが、全く民主党の意図が分かりません。
 読売新聞はもとより毎日新聞でさえ、社説で疑問の声を上げていたりしています
 そもそも民主党の代表の小沢さんは、政策の政治家ではなく政局の政治家であるハズなのに、なぜこんな不可解なタイミングでそんなコトをしてしまったのでしょうか。
 
 そう考えたとき、やえが一番最初に思ったコトは、「そんなに小沢さんは党首討論をしたくなかったのかな」です。
 問責決議案は昨日に可決されたのですが、実は昨日は前々から党首討論が開催されるコトが正式に決定されていたんですね。
 しかし参議院において問責決議案が提出されたために、党首討論は衆院と参院の合同会議という位置づけでもあり、残念ながら中止となってしまいました。
 このタイミングを見れば、やっぱり小沢さん、党首討論がどうしてもやりたくなかったので、わざわざこの日に問責決議案を出したんじゃないかと勘ぐってしまうのです。
 
 問責決議案のアピールという意味であるなら、日本の国会審議の中において最も明快な議論が交わされる党首討論において小沢さんは福田さんに対して総理の資質を問い、国民に「福田さんは総理の資質ではない」と印象づけてから、問責決議案を可決すればよかったでしょう。
 この一連の流れは、なかなかに効果的であるとやえは思いますし、そもそも前から党首討論は決まっていたのですから、そうするのが筋とも言えるのではないでしょうか。
 もしくは、もしかしたら民主党にとっては昨日であるという意味が、やえには理解できないだけで、とても大きいモノとしてあるのかもしれません。
 どうしても昨日でなければならない、そんな理由が民主党にはあったのかもしれません。
 しかし、であるにしても、やっぱり党首討論を中止する必要性というのはないのではないでしょうか。
 どうしても昨日しなければならない理由があったとしても、でも党首討論をしてから、すぐさま問責決議案を出せばいいだけなんですからね。
 ですから、こう考えれば、どうしても小沢さんが党首討論をしたくなかったのではないかと勘ぐってしまうしかないのです。
 
 結局今国会での党首討論はたったの一回。
 本来党首討論は毎週一回行うというのが原則なのですが、まぁそれは現実的になかなか難しいとは思いますけど、せめて月一回ぐらいはしてほしいなぁと思います。
 やっぱり分かりやすさで言えば、国会審議の中では党首討論が一番ですからね。
 それは総理や党首個人が、討論は苦手だからとか、そういうレベルで語られるモノでは本来全くない話なのですから、是非よろしくお願いしたいです。
 
 問責決議案についてもちょっと触れておきましょう。
 よく言われていますように、確かに問責決議案は憲法に定められているモノではありませんので、実行力はありません。
 しかし、国会を構成する参議院での決議というコトで、やはり相当に重いモノであるというのは、やえもそう思います。
 その重さは、衆参が同格であるのでありますから、衆議院の不信任案に匹敵するぐらい重いモノであると考えるのが妥当です。
 なぜ重いのか、たまに「日本憲政史上初めての問責決議案の可決であり、それはとても重いモノ」と言っている人もいるようですが、別にその重さは「初めてだから」という理由でありません。
 2回目だろうが3回目だろうが50回目であろうが、そして初めてであろうが、国会を構成する参議院という場で決議されたからこそ重いのであって、数は関係ありません。
 何回目でも、それは日本国の重さと同様に重いモノがあるのです。
 
 しかし、その参議院の決議と同じように、衆議院の決議だって重いモノです。
 当たり前ですよね。
 参議院が重いからこそ衆議院も重いワケで、衆議院が重いからこそ参議院も重いのです。
 ですから、今日行われた衆議院での福田さんに対する信任決議案の可決も、参議院の問責決議案の可決と同様に真摯に受け止めなければならないでしょう。
 参議院の問責決議案だけを重要視して、衆議院の信任決議案は軽く見るというのは、全く適切ではありません。
 それは国権の最高機関である国会を無視しているとも言える愚行です。
 
 では、参議院では問責され、しかし衆議院では信任されたという形をどう考えるかと言えば、その重さは同じなのですから、どっちがどうと考えるのは適切ではないでしょう。
 その上で、問責決議案は解散しなければならないという規定が無いワケですから、衆議院を解散する必要も内閣が総辞職する必要も無いというだけの話です。
 もし問責決議案が可決されたときに参議院を解散させなければならないと憲法などに規定されているのに解散しなければ大問題ですが、そうでない以上は、衆議院を解散とか内閣総辞職だとか言うのはナンセンス以外何者でもないと言うしかないでしょう。
 イヤに参議院の問責決議案だけを持ち上げているメディアとか人とかいますけど、ちょっとそれは色々と不適切でしかない発言だと言わざるを得ないと思います。
 
 ただ、こんなコトは、国会議員である民主党と小沢さんには当然分かっていたコトでしょう。
 福田さんが解散させないコトも含めてですね。
 ですから結局民主党と小沢さんは、ハナから解散なんてさせる気は無かったとしか言いようがないでしょう。
 そもそもタイミングが悪すぎです。
 来月にはサミットが控えているワケですから、今解散なんかしてしまったら、それこそ国際問題になりかねない大問題に発展してしまいます。
 その責任を負うほど、民主党は覚悟を持ってはいないでしょう。
 
 民主党は、今日の衆議院本会議を欠席しました。
 また今日以降、本会議だけでなく、全ての国会会議をサボタージュするようです。
 しかしその国会審議の日程には、先日参議院で可決された、後期高齢者医療制度の廃止法案もあります。
 民主党が提出したモノで、まず参議院に提出されて可決されたので、衆議院に送付されてきたワケです。
 それをその提出者である民主党が自ら審議拒否しているのです。
 全く意味が分かりません。
 民主党は参議院での問責決議案の提出理由にこの後期高齢者医療制度を挙げていましたが、であるならば、今度は衆議院において堂々と議論すべきなのではないでしょうか。
 まして先日、実はこの制度、負担が軽くなる人の方が多いというような調査も発表されたという参議院の審議時とは違う事情も出てきたワケなのですから、それを含めて衆議院で議論しなければならないのではないでしょうか。
 その議論の結果、その調査が間違いであるコトが明らかになれば、それはそれで国民にとっては有意義であるワケなんですからね。
 結局民主党という党は、参議院を自分のおもちゃにして、政争の具としか考えてないと言わざるを得ないでしょう。
 
 国会という場において、本会議であろうが委員会であろうが党首討論であろうが、どんな理由があろうとも議論から逃げるという行為ほど愚かしい行為はない、というお話です。