ここにきて急に北朝鮮の問題が動き始めました。
日朝の事務レベルでの会談や、アメリカのテロ支援国家の解除問題、また韓国の太陽政策からの転換も大きな流れの変化のキッカケなのかもしれません。
こういう流れを前にして、では日本は日本としてどのように考えるべきか、今日から何日かに分けて「シリーズ 日本から見た北朝鮮問題」と題して、書いていきたいと思います。
目次(予定)
1.テロ支援国家解除問題とテロリズムの定義
2.外交問題としての拉致問題
3.拉致問題が「解決した」と言えるのはどの地点なのか
4.今後の北朝鮮とのつきあい方
5.日本が今なすべきコトは?
右も左も逝ってよし!!
バーチャルネット思想アイドルのやえです。
おはろーございます。
1.テロ支援国家解除問題とテロリズムの定義
アメリカが「テロ支援国家」から北朝鮮を指定解除すると発表しました。
米国務長官、北朝鮮テロ支援国家指定解除の意向確認
ライス米国務長官は18日、北朝鮮が同国の核計画に関する申告書を「6者協議の議長国を務める中国に間もなく提出する」との見通しを示した。この申告を受けてブッシュ政権が北朝鮮への「テロ支援国家」指定の解除を議会に通告する方針を、政権高官として初めて公式に確認した。
「我々は北朝鮮が約束を守るとただ信頼するのでなく、検証作業の大切さを主張する」とも言明。条件として(1)北朝鮮の核関連施設への現地立ち入り調査(2)環境サンプルの採取と分析(3)設計図や詳細な製造法、稼働記録などすべての情報提供(4)北朝鮮の核計画従事者への聞き取り調査などを挙げた。
6者協議の合意に基づいた非核化の次のステップとなる第3段階についてライス氏は「北朝鮮は最終目標として、すべての核兵器と核計画の放棄に合意した。彼らにその意図がなければ第3段階には進まない」と牽制(けんせい)した。
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もちろんですが、無条件にアメリカが北朝鮮の条件を飲むというワケではありません。
記事にありますように、手順を踏んで、核兵器を放棄させるようステップを踏めば、アメリカもそれに対応して対処していく、というコトのようです。
アメリカとしましては、何はともあれ、北朝鮮に核兵器を廃棄させるコトが最も重要な課題です。
外交は交渉事ですから、一方が無条件に全ての要求を満たすというコトはあり得ません。
ですからアメリカとしても、核兵器を捨てるのならそれなりに北にも美味しい思いができますよとカードを提示して、非核化に向けさせているワケです。
そしてそのカードのひとつは、テロ支援国家の指定解除というコトなのでしょう。
これに対し、日本においては釈然としないという人も多いようです。
「拉致問題があるのに、テロ支援国家解除とはどういうコトだ。それに同調する日本政府もどういうコトだ」と。
こちらの記事にも、「これまで日本は、北朝鮮による日本人拉致を現在進行形のテロであり、指定解除をしないよう、ブッシュ政権に要請してきた。拉致解決に具体的な進展がないなかでの解除は納得しがたい」と書いています。
しかし、そもそも「拉致」とはテロリズムであるかどうかという部分に関して、やえは疑問を持たざるを得ません。
9.11同時多発テロから、いやにテロという言葉が流行ってしまい、日本では何にでもテロと付けてしまう、例えば「言論テロ」とか「報道テロ」とか、安易になんでも極端な行動や犯罪的行動にすぐに「テロ」と付けてしまう風潮になっている気がしてなりません。
しかしテロルには、それなりの定義が存在します。
一般的には、テロルの定義には2つの条件があります。
1.政治目的を達成するために行う行為
2.そのために様々な暴力的行為によって、その脅威を盾に使う
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そして、当サイトとしては、もう一つ条件を加えるべきだと考えています。
3.暴力の対象は、目的達成に直接権限を持っていない相手に向ける
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一般的に考えられているテロリズム、アルカイダなどが行っているあれですね、を考えた場合、ほぼこの3つの条件が当てはまります。
9.11米国同時多発テロもそうです。
9.11を当てはめて考えてみますと、
1.目的は「イスラム社会からアメリカは手を引け」という政治目的の達成
2.飛行機をハイジャックし、貿易センタービルに突っ込むという暴力的行為、並びに、そのような行為を繰り返すぞと言う脅迫行為
3.暴力の対象は、米国政府権限者ではなく、一般市民や、さらに外国人(日本人含む)をも含む無差別
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こうなります。
一般的には3つ目の条件はあまり言われませんが、やえはここを重要視しています。
なぜなら、だからこそテロルは防ぎがたいモノであり、卑怯なモノだからであり、そして3の条件があるからこそテロルはテロルとして存在し続けるからです。
もし「イスラム社会からアメリカは手を引け」という政治目的を達成したいのであれば、正々堂々と軍隊を率いて宣戦布告し、アメリカの軍隊と戦えばいいのです。
戦争そのものは国連憲章でも認められている行為ですし、やえも戦争は行ってはならない行為ではないと思っています。
ですから、正面から軍隊vs軍隊で戦うというのであれば、やえはそのイスラム社会の軍隊も、そしてアメリカに対しても、批判も何もしません。
どうぞご勝手に戦争してくださいと言うぐらいでしょう。
しかし実際テロリストが行った行為というのは、非戦闘員を暴力のターゲットにしたという卑怯としか言いようのない行為です。
こうなれば、イスラム社会に手を出すかどうかの権限を直接持つ政府高官、一言で言えば大統領は、イスラム社会に対してどう考えるかという視点ではなく、自国民または自国にたまたま訪れている他国民の命をどうするかという、イスラム社会の問題とは全然関係ない問題において、それを考えなければならなくなってしまうワケです。
あきらかに歪んだ構造です。
またテロリストの側で考えれば、その方が安易に安価に目的が達成できると思うからこその行為であり、アメリカの軍隊を相手にすれば勝ち目はないけど、ハイジャックなら出来ると、そんな簡単な考えでのテロリズムを実行でしかないのです。
とても卑怯なのです。
だからこそ、3の条件が最もテロリズムを表している条件であり、そしてテロリズムが決して許されない行為である理由なのです。
そう考えたとき、果たして拉致はテロルと言えるのでしょうか。
(つづく)