☆やえニュース☆

 ウソツキだらけの民主党政治をキチンと見るために政治のために政党があるのであって、政党のために政治があるのではないまやかしの女系容認論いくつかコメント民主議員は小沢一郎のために手を挙げるだけのコマ国家ビジョン無き鳩山内閣

平成22年2月17

 ウソツキだらけの民主党

 国会審議、衆議院の予算委員会を見ていたんですが、ホントにもう、こんなにひどい議論、いえ議論にすらなっていない鳩山内閣の閣僚達の不可思議な日本語は、聞くに堪えないレベルになってしまっています。
 民主党前崎国土交通大臣は日本語が不自由でいらっしゃるようです。
 こんなやりとりがありました。
 
 自民党赤澤亮正衆議院議員
 「民主党が地方組織である県連を通じて地方公共団体に流出させた個所付け資料を、先日予算委員会に提出してもらいましたが、しかしその後さらにまた別の資料を提出しましたね? なぜですか」
 
 前元国土交通大臣
 「委員会質疑のために最新の資料を出しました」
 
 「なぜ別の資料が出てくるのですか? 自民党が求めたのは『1月に民主党が流出させた資料』です。しかし最初に委員会に提出した資料は、流出させた資料とは別物だとマスコミなどの報道で明らかになった。だから民主党はあわてて提出し直したのでしょう。つまり最初に委員会に提出した資料はウソの資料だったワケです」
 
 「……ウソの資料ではありません。委員会質疑のために最新の資料を再提出しました」
 
 「議論をすり替えないでください。予算の中身についての議論なら最新の資料を再提出するというなら理解できますが、自民党が求めていたのは『1月に民主党が流出させた資料』です。なぜ再提出したのですか」
 
 「……ウソの資料ではありません。委員会質疑のために最新の資料を再提出しました」
 
 こんなやりとりが何回も何回も繰り返され、委員会は大荒れとなりました。
 日本語の議論・会話ではないですよね。
 自民党が求めていたのは『1月に民主党が流出させた資料』ですから、これは確実に世の中に1つしかないワケで、最新のモノとか複数あるかのような再提出ができるシロモノではありません。
 それなのに民主党は、予算委員会という場において、なぜか再提出した。
 これはつまり、どちらかがウソの資料であるというコトです。
 
 日本語が理解できない民主党の中の人のために繰り返し言っておきますが、これがもし「数週間後に出す予定の資料」であれば、その前段階で「最新のものに差し替えます」と言っても理屈が通ります。
 しかし今回はそうではありません。
 すでに今年の1月に鳩山内閣の前原大臣以下副大臣と政務官が、民主党に横流しし終わっている過去のモノなのですから、これに最新も何もないワケで、本物は1つだけしかなく、当然委員会に提出できるモノもそれ1つしかありません。
 しかも政府側から民主党側に横流ししたのは前川大臣だとご本人も認めているのですから、確実に本物の『1月に民主党が流出させた資料』を前沢大臣は持っているワケで、ここに最新も何もなく、そのものズバリを出せるハズです。
 それなのにそれをしなかったのは、つまり前田大臣は意図的にウソの資料を委員会に提出したと断ずるしか常識的に考えてありえません。
 そしてそれは、つまり民主党や鳩山内閣にとって、都合の悪いコトがあった、それを隠そうと隠蔽しようと画策したから他ならないのでしょう。
 
 もしかしたら本当に日本語が理解できないのかもしれませんが、さすがにそれは無いと信じたいです。
 
 個所付け資料とは、「ここの工事についてはこれだけ予算が付きますよ」というモノが書かれた資料のコトです。
 つまりこれは予算書です。
 ですから、本来なら今行われている予算委員会と本会議を経てから成立した後に公表されるモノです。
 しかし民主党は、成立していないだけではなく、審議すら始まっていない段階で、政府が作った「案」を外にばらまいたのです。
 民主党は権力を使って情報を漏洩し、自分たちの選挙のために利益誘導したのです。
 これだけでも十分噴飯モノですが、しかし情報を流出させた張本人の前倉大臣が「遺憾だ」と言うだけで全く責任をとろうとも、責任を感じるコトもなく、そして日本において最も厳粛であるべき国会の中にウソの資料まで提出して、それを開き直っているのです。
 どこまで国会を軽視し、ひいては国民をバカにしているのでしょうか。
 
 民主党には「民主党がシロと言えばカラスもシロくなる」という発想しかないのでしょう。
 自分たちは権力者だから、ウソを付いても、ルールを破っても、国会や国民をバカにしても当然だと、そう思い込んでいるのでしょう。
 とんでもない話です。
 
 この後、前西国土交通大臣は、近日中に公表されるから秘密情報ではないとか、「情報を流した責任者は誰だ」→「遺憾に思います」とワケの分からない日本語らしい発音に終始して、まともに議論になりませんでした。
 くわしくはこちらの衆議院インターネット中継の2月7日の予算委員会の最初の質問者である赤沢先生のところで見れますので、ぜひ生でご覧下さい。
 ひどいにもほどがあります。
 
 
→参考記事
 公共工事:「個所付け」資料提出拒否 政府、内輪で情報独占
 政府、個所付け資料を再提出
 

平成22年2月18

 政治をキチンと見るために

 最近民主党批判の更新ばかりだというお叱りをいただきました。
 
 ごめんなさい、正直やえ自身もそう思っています。
 更新のためのネタ探しをしていると、どうしても民主党のどうしようもなさが際だつニュースばかり目について、ついついそればかりになってしまうのです。
 例えばこの前朝青龍のお話をしましたが、なんだかひさしぶりにいいコト書けたなぁなんて思ってしまったモノです。
 本来こういうお話と半々ぐらいで政治のお話が出来ればいいのですけど、時間的な問題もありまして、なかなか難しいのが現状なのです。
 
 あと、最近民主党ネタが増えているのは、それなりに理由も無いコトもありません。
 箇条書きにしますと
 
・やっぱり国会はテレビなどのフィルターを書けずに生で見てほしい
・民主党があまりにもひどすぎる
・民主党議員の日本語能力がひどすぎる
・自民党時代とどう違うのか、具体的な中身を示して明らかにしたい
・スポーツネタなどをやりすぎるとワイドショー的になってしまうのではないかという危惧
 
 という、こんなコトがやえの頭の中によぎっていたりします。
 わりとワイドショー化については、けっこう気にしてしまう方で、どこまでをネタにしていいのかけっこう迷っています。
 例えば、今行っている残念ながらメダルが取れなかったスノーボードの国保選手の件について、公の場とはどういうモノかという観点についてお話しできるかもしれませんが、しかしここで敢えて取り上げるべきコトなのかと、やえは悩むのです。
 まぁ下世話な話だけではなく、結論として思想的な話になればそれでいいんだろうでしょうけどね。
 朝青龍問題も、一歩間違えば下世話な話になってしまいますから、これはやえが気をつけるべきコトなんだろうとは思います。
 
 それよりも民主党のひどさです。
 今日衆議院では予算委員長に対する解任決議案が提出されたようですが、もし中身を知らずに、これだけの情報しか知らなければ、「なんだ自民党政権下と同じじゃないか」と思う人も少なくないでしょう。
 しかし実際のところは全然違うくて、昨日伝えたような感じであまりにも民主党と鳩山内閣の閣僚の答弁・対応がひどかった、というか、答弁をまともにせずに、しかし本来中立であるべき委員長も完全に民主党養護しかしなかったから、今回自民党は委員長の解任決議案を出したワケです。
 一方、民主党が野党の時に当時衆議院議長だった河野洋平議長に対して解任決議案を出したコトがあったのですが、河野議長と言えば自民党の歴代議長の中でも最も野党に配慮した、場合によっては肩入れしすぎと表現できるぐらい配慮した議長として有名でした。
 それは河野議長の解任決議案の討論でも同様のコトが発言されましたし、むしろ自民党の中には河野議長のあまりにも肩入れぶりに不満の方が大きかったなんて話も聞かれていたモノでした。
 それなのに民主党は解任決議案を出したのです。
 そしてそれは、単に法案の成立(予算案だったかもしれません)を阻止するための時間稼ぎをしたいだけという理由だったのです。
 このように、同じ結論(解任決議案提出)であったとしても、その中身は全く違うのです。
 よくテレビでは「結局同じじゃないか」とミスリードしようとしていますが、よくよく中身を見れば違うというコトを知って貰いたいのです。
 
 他にも、野党だった民主党は議会をよく揉めさせて審議できないような場面というのが多々ありましたが、しかしシッカリと議論を聞けば、民主党が主張するような理由は全く見つからないコトの方が多かったです。
 特に小泉純一郎元首相の議論は、民主党を完全に論破していたと、当サイトでもよく伝えたところでしょう。
 でもそれでも、民主党は理由にならない理由で、結果だけを求めて委員会や本会議を紛糾させたり止めたりしていたワケです。
 
 このように中身が全然違うのです。
 
 やえは、何が何でも自民党じゃなければダメだと言うつもりは毛頭ありません。
 それは順番が逆なのです。
 しっかりと政治を見た時に、あまりにも民主党はひどすぎて、自民党は思ったよりもしっかりしているというのが見えるからこそ、どちらかと言えば自民党を応援し、民主党を批判するコトが多いだけに過ぎません。
 はじめから理由もなく態度を作るなんていうのは、愚かな行為です。
 だからこそ、政治をキチンと真面目に、そしてフィルターを通さない生の情報に接して貰いたいのです。
 
 議会が紛糾するコトについて、「民主党も自民党も立場が変わっただけでやっているコトは同じだ」と言っているウチは、その人は何も見えていないと言っても過言ではありません。
 紛糾しているという結果だけを見るのではなく、なぜ紛糾しているのか、どのような理由があるのか、それぞれ何を主張しているのか、そこを見るべきなのです。
 そしてそれを見たとき、民主党はひどすぎるのです。
 だから結果的に、民主批判が増えてしまう、しかも今は与党ですからね、やっぱり権限が違いますから目立つワケで、それ以上に日本の政権が果たしてこれでいいのかと考えざるを得ないワケなのです。
 
 これはちょっとでも多くの人に同じように考えて貰いたいコトです。
 
 とは言っても、毎日毎日民主ネタではげっぷが出てしまいますから、やえはげっぷしませんけど、いろいろと別の角度からアプローチ出来るよう努力しようと思います。
 
 
 あと、前なんとかさんは生暖かくユーモアと思っていただければ。
 いや、本当はやえは前なんとかさん好きなんですよ。
 頑張って貰いたいからこそ、ツンデレ的アプローチになってしまうだけなのです(笑)
 

平成22年2月19

 政治をキチンと見るために

 『まぁ何があっても次期参院選は自民敗北確定。』
 
 こういう書き込みはけっこうよく見るところです。
 2chでも、ブログでも、普通のサイトでも、わりとよく見る手合いの書き込みです。
 しかしやえはこういう書き込みを見るたびに、いったいこの行為に何の意味があるのか、果たして書き手は何を思って書いているのか、全く理解に苦しむのです。
 
 例えば仮に参議院選挙で自民党が敗北したとしましょう。
 実際どうかはともかく、例えとして負けたとします。
 しかしそれがなんだというのでしょうか。
 正直、やえには直接は関係はありません。
 だってやえは自民党のために文章を書いているワケでも、自民党の選挙のために主張をしているワケでもないからです。
 
 やえは日本の政治のために、国家のため、歴史のため、文化のため、そして国民のために、自分が正しいと思うコトをサイトで主張しているのです。
 ここに自民党も民主党も関係ありません。
 また、それらを実現する際の政治の場において、よりやえの考えに近い政党がたまたま自民党なだけであって、もしそれが自民党でない政党が実現できるなら、別に自民党にこだわる必要はやえにはありません。
 民主党がいきなり生まれ変わって、きれいな民主党になるのであれば、それはそれでもいいです。
 別に政党のために政治があるワケではなく、やえも政党のために文章かいているワケでもないです。
 
 やえは自民党のためにやっているのではないですから、ただの勝ち負けだけの結果には興味ありません。
 
 こういう書き込みをする人は、民主党を絶対正義と信じているのか、それともあまりにも自民党が憎すぎるのかどうか知りませんけど、自民党が負ければそれでうれしいと思えるなら、それはやえには理解できない感情です。
 もし「外国人参政権付与法案を成立させるために民主党が勝つべきだ」と言うのでありましたら、これは理解できます。
 しかしそうではなく、ただ単に選挙の勝ち負けだけを言って、それにこだわる人というのは、いったい何が言いたいのか、何を主張したいのか、まったく分かりません。
 それとも自民党が憎すぎて、選挙に負ければそれだけでリビドーやカタルシスが満たされる人なのでしょうか。
 それはちょっと可哀想な人ですねと思わざるを得ません。
 
 結局は、考え方や思想の中身です。
 もちろんやえの考え方が100%自民党と合致するというワケではなく、むしろ合わない部分の方が多いとは思いますが、その中でも例えば一つ外国人参政権の問題で言えば、この法案を阻止するためには自民党を応援するのが相応しいという結論が出るワケです。
 間違えてはならないのが、自民党を応援するために外国人参政権に反対するワケではありません。
 なにやら中には何が何でも自民党が憎い人もいるようですが、しかしそれだけの理由で「自民敗北」なんて書いても、それは結局無条件で外国人参政権に賛成すると言うのと同義にしかなりません。
 自分の感情を満たすだけのために自分の生活が苦しくなってもいいと言ってしまっているワケで、そんなのかなりマゾ的な精神構造としか思えません。
 政治を政党でしか見れず、その勝ち負けでしか結論を語れない人というのは、結局自分の個というモノを捨ててしまい、全てを他人にゆだねて、その勝ち負けで満足感を満たすだけにしかならず、しかし実際自分の生活や身の回りは苦しくなる一方という、まったく意味を成さない行為です。
 もちろん民主党の政策は全てOK、どんどん推進してほしいと願う人なら、それでもいいのでしょうけどね。
 
 やえは政党にこだわりません。
 それは昔から当サイトをよく読んでくださっている方なら理解してくださっているコトでしょう。
 例えば外国人参政権付与法案はやえは反対ですから自民党とほぼ主張は一致していますが、一方皇室典範改正問題については当時総理だった小泉純一郎さんの主張に真っ向から反論しました。
 政党じゃありません。
 思想であり、主張なのです。
 
 一行ボードの書き込みは、たぶんやえを揶揄しようとしているのだろうと思うのですが、しかしやえは別に自民党のために、自民党が選挙に勝つために書いているワケではありませんから、そんな風に書いたとしても、はぁそうですかぐらいな感想です。
 もちろん外国人参政権付与法案などを見れば自民党が負けるのは好ましくありませんが、でもやえは、自民党のために主張しているのではなく、日本人に向かってこうあるべきだとやえ自身の考えを表明しているのですから、そのスタンスは何ら変わるところはなく、選挙の結果もそのスタイルからはまったく関係ありません。
 この書き込みをした人が外国人参政権付与法案に賛成ならそれでもいいのでしょうけど、反対なのに反自民等絶対主義に基づいてやえを揶揄しているのであれば、その姿はマゾ的過ぎて滑稽ですよとしか言いようがありません。
 主張すべきコトは、やえに向かってではなく、自民党に向かってではなく、別にところにあるんじゃないでしょうか。
 
 何があってもと言ってますが、むしろその何があったのかが一番大切なのです。
 今の民主党はまるで政治を誠実に行うつもりはなく、やえはそれを指摘しているのです。
 選挙に勝ち負けるはここは関係なく、その事実を指摘し、そして批判しているのです。
 それは決して自民党のためなのではなく、政党のために言っているのではなく、それが日本の政治ためになるとやえは信じているからです。
 
 まぁ勝った負けただけが人生の生き甲斐というのなら、そういう見方もありなんでしょうけどね。
 やえには理解できませんが。
 

平成22年2月22

 まやかしの女系容認論

 小林よしりん先生が迷走しています。
 
 最近よしりん先生は天皇の継承問題、いわゆる皇統問題について積極的に紙面を割いておられますが、やえには何度それを読んでも、自分を納得させるためだけに論を強引に解釈させようとしているようにしか思えません。
 今までのよしりん先生の皇統に関する論をまとめると、結局こう言ってしまっています。
 
 もう男系で続くのは無理だから、今のウチに女系もOKというコトにしておけば、天皇の制度は安泰と認識できるじゃないか。
 
 こういう理屈です。
 つまり、実際どうなのか、過去の歴史を振り返って天皇がどのように受け継がれていたかというのは抜きにして、とりあえず天皇の制度が続いているんだと今生きている日本人が信じ込みさえすればそれでいいじゃないかという理屈です。
 詳しくは後日改めてよしりん先生のマンガを引用しながら指摘しますが、よしりん先生は、過去の歴史よりも、真実・事実よりも、「何が何でも正当だ」と信じ込ませる方が重要だと言っているのであり、「女系は正当な皇統だ」と今の日本人に信じ込ませるために、過去の歴史や理論を新しく作って展開していると言っていいでしょう
 
 しかしこういう議論は、あまりにも強引というか、やってはならない理論展開です。
 つまり、先に結論を作り、そのために理屈をでっち上げるという、立場に執着する運動家の理論展開です。
 理論家・思想家がもっともやってはならない行為です。
 これが過ぎると、運動のための運動に走ってしまい、平和平和と言いながらデパートを壊すような暴動をしたり、人類平等を掲げながら罪のない人たちをテロルによって殺したり、内ゲバに終始するしかなくなる極左のような結末に陥ってしまいます。
 大切なのは、特にこと皇統の問題というのは、過去の歴史を振り返り、どのような歴史が作られてきたかを正しく知った上で、その歴史をどう受け継ぐのかを考えるコトです。
 
 まずは歴史を正しく認識するコトが先であり、方策はその後です。
 しかしよしりん先生の最近の理屈は、方策を先に作り出し、そのための補強として歴史を利用しようとしているだけになってしまっています。
 
 今週の『SAPIO』の『ゴー宣』などは、ひどい理論展開です。
 まとめますと
 
 ・女系容認論を唱えると男系論者からネット等で口汚く中傷される
 ・男系論は理論的に破綻していて、恐怖的圧力だけで女系論を封じ込めようとしているだけ
 ・男系論は運動のための運動にしかなっていない
 ・天皇の制度の専門家は女系容認論で、男系論は素人しか唱えていない
 ・今上天皇は女系を容認しているハズだから天皇に敬意を持つべき保守論者はそれに従うべき
 
 こんなところでしょうか。
 いちいち説明するほどもないぐらい、いつものよしりん先生の論とは思えないぐらい、ひどい理論展開です。
 レッテル張りと、権威主義論と、天皇の政治利用です。
 最悪です。
 
 
 『ゴーマニズム宣言スペシャル天皇論追撃編』 小学館SAPIO3/10号より
 
 特に天皇の権威を笠に着ようとするやり口は、もはや運動のための運動に陥ってしまったとしか言いようのないひどいやり口です。
 この皇統の問題というのは、もちろん今上陛下のお考えもそれなりに大切ではありますが、しかし今上天皇はあくまで現在の天皇というお立場であって、その前には124代に及ぶ天皇がおられたという事実はしっかりと認識しなければならないでしょう。
 特に皇統の問題は、この歴史があってこそ成り立つ問題なのであって、これをどう受け継ぐコトこそ最も重要なのですから、敢えて言いますが、その重みに比べれば、現在のみの天皇の地位に有らせられる今上陛下の叡慮(天皇のお考え)は、極端に言えば1/125でしかないと言っても過言ではないでしょう。
 そして仮に今上陛下が、過去の歴史に反するようなコトを述べられたとしたら、それは違いますよと進言するのが本当に国を愛するモノの勤めのハズです。
 歴史も事実も全てほったらかしにして、ただただ今上陛下の思いにひれ伏すだけなんていうのは、小沢国王にひれ伏す民主党と同じようにみっともなく醜い行為でしかないでしょう。
 今上陛下の思いはもちろん重いモノですが、しかし絶対ではありません。
 そもそも、もし今上の叡慮が絶対であれば、それはシナの国や西洋の王国のような絶対君主的な存在になってしまい、本来の天皇としてのあり方とは違う存在になってしまうでしょう。
 そうではないからこそ天皇は尊い存在なのであって、それは『天皇論』でご自身が指摘されている通りなのですが、よりしん先生はそれすらも忘れてしまったのか、最近の論はみっともない姿をさらしてしまっています。
 
 この問題、まだまだ語りきれない多くの問題がありますので、今後もさらに続けていきたいと思います。
 

平成22年2月23

 いくつかコメント

 今日はいろいろとコメントをしておきたいと思います。
 
■よしりん先生の評価ではなく、皇統問題を考える上での叩き台として
 
 ええと、なんだか昨日の更新がはてなブックマークで補足されたみたいで、ひさしぶりにいっぱいコメントやら拍手やらいただきました。
 やっぱり日本人は天皇の問題に敏感なのでしょうか。
 それともよしりん先生がみんな大好きなのでしょうか(笑)
 
 よしりん先生の難しい問題を分かりやすく提示できる力量というのは、やっぱり多くいる文筆家に比べればかなり抜きん出ていると言えると思っています。
 それはやはりマンガという媒体を使っているからであり、また単にマンガにすればそれだけで済むというワケではない、漫画家としての力が当然としてあるという部分は否定できないでしょう。
 やえもあまり小難しい文章を読みたいとは思いませんし、そんな時間もあまりありませんし、そもそもあまり本を読む方ではありませんから、西部邁先生の本とか、どうしても手に取りづらかったりします。
 そういう中でよしりん先生が果たしてきた役割は、決して小さくないと言えるのではないでしょうか。
 
 内容については、これはどんな人でもそうだと思いますが、モノによると言えます。
 よしりん先生、いままで一番ひどかったとやえが思っているのが、小泉さんに対する批判、というか、政治を語ると全然ダメダメになるんですよね。
 でも、内容によってはこれは素晴らしいと思う内容のモノもありますし、まぁそれは人それぞれの評価になるのでしょうけど、それでもよしりん先生の作品の「わかりやすさ」というのは抜群ではないかと思います。
 そのような中で、やえが取り上げようと思っていた題材について引用なり反論なりでよしりん先生を使わせてもらうというのは、やえが文章を書く上でも、皆さんに読んで貰う上でも、とてもメリットが大きいと思っています。
 そうする方がとても分かりやすくなるんですね。
 
 あと、よくやえは気になるところなんですが、やえがネット上やそれ以外の人などに名指しで反論や批判をする場合、しかしその内容は決してその人だけに向けられているモノではないというコトは、これはやえの文章に限らないと思うのですが、理解して貰いたいです。
 この前更新しました「政治をキチンと見るために」もそうですが、形式的には一行ボードに書き込みした人に対する反論にはなっていますけど、内容はタイトル通り「政治をキチンと見て貰いたい」という意味のモノであり、結果だけを見るのではなく中身を見て判断してほしいという、やえの考え方を表明したモノです。
 ここでは、極端なコトを言えば、キッカケとなった一行ボードに書き込みした人がそれを理解しなくてもいいのです。
 その代わり、1人でも2人でも、できれば読んでくださった大部分の方がやえが言ったコトを理解して貰えればそれでいいのです。
 一人でも理解して下る方がいれば、書き込みをした人が理解してもらえなくても、やえが書いたコトは無駄にはならないでしょう。
 ですから今回も、けっこう「なぜいまさら小林よしのりか」みたいなコメントを、一行ボードやはてなブックマークなどでもらってますけど、よしりん先生の評価はもちろん人それぞれでありますからそれはそれでいいのであって、しかし一番のやえが書いている意味は、中身の「皇統の問題」だというコトを踏まえて、読んでいただければ幸いです。
 
 昨日の更新は、まず「『女系容認論』というのは結論ありきの論ではないのですか?」という問題提起から入りました。
 皇統の問題はこれからも続けていくつもりですし、特設ページを作ってまとめていますので、さらに充実してこの問題に取り組んでいきたいと思っています。
 その中で、引用しやすいよしりん先生はこれからも何度か取り上げるとは思いますが、やえがよしりん先生をどう思っているかではなく、皇統問題をどう考えるかという意味で読んでいただければです。
 
 
■移民1千万人計画
 
 一行ボードでいただいたコメントですが、これ、あれですよれ、中川秀直さんのアレですよね。
 それって、中川さんが会長をしている議員連盟の提言でしたから、別に自民党本体がどうこう言っているワケではありません。
 議員連盟は政党の機関ではありませんから、いってみれば個人的に中川さんや議連幹部の人が主張しているだけです。
 この提言を自民党が受け入れたとも聞いていませんしね。
 さらに言えば、正直もう中川秀直さんは力のない政治家になってしまっていますから、派閥も追い出されましたし、いまさら取り上げるべきほどの話題とは思えません。
 
 
■米国年次改革要望書
 
 「アメリカの年次改革要望書の圧力で自民党でも外国人参政権を決めてしまうかもしれないという見方もあるかどうなんだろう」についてですが、なんか小泉純一郎元総理の時代に、米国年次改革要望書のデマがいつの間にか信じられてしまっているようになっていますね。
 米国年次改革要望書が書かれれば、日本政府はそれを全て実行するだなんて、ちょっと冷静に考えればあり得ないコトぐらい理解できるでしょう。
 もちろんアメリカが要望し、日本政府が同意すれば実行するでしょうけど、それはあくまで時の内閣が国益にかなうと判断したからであって、無条件に機械的にアメリカが言うからという理由だけで実行するワケではないでしょう。
 特に小泉さんの郵政民営化なんて、小泉さんが2回落ちた自民党総裁選挙に立候補する前からの持論だったのですから、なおさら米国年次改革要望書は関係ありません。
 
 さらに言いますと、外国人参政権付与法案について今の自民党は、1月に行われました自民党党大会において、政調会長(石破さんですね)が壇上で「断固反対」と宣言しました。
 これは石破さんの個人的思いではなく、政調会長という立場だけの宣言でもなく、正式に自民党として機関決定したモノですから、今の自民党はハッキリと外国人参政権付与法案には反対というコトです。
 もちろん政治は妥協という側面もありますから、今後これが変わる可能性は無いとは言いませんが、しかし少なくとも今の段階においては、正式に機関決定されたという事実に基づいて考えるべきであり、「自民党はこの問題についてどう考えているのか?」という問いには、自民党やその議員さんとしてはハッキリと「反対です」と答える、むしろ答えなければならない立場だと言えるでしょう。
 やえはいまのところそう判断しています。
 
 
■当サイトについて
 
 定期的に悩むコトなんですが……(苦笑)
 拍手で「特徴あるブログなので他人に紹介しづらいです」と言われました。
 昔から言われ続けているコトなのですが、ピンクの配色ですとかね、やえはバーチャルネットアイドルとしての誇りを持っているので、出来ればこのままでいきたいとは思っています。
 サイト管理人であるあまおちさんも、「自分一人の時は一日数アクセスしかないサイトだったが、やえのおかげでここまで成長できた」と言ってくださっています。
 ただ、ここ数年閲覧者の数も頭打ちで、なかなかその突破点が見つからないというコトもあり、もしそれがピンクの配色とかサイト名のせいだったら、一度変えてみるのも手なのかなと思わなくもありません。
 あ、正式なサイト名はバーチャルネット思想アイドルやえ十四歳ではなく【堕天使の槍】なんですけどね。
 まぁあまおちさん自身は自分で毎日のように更新する気力がないらしいので、基本的にはやえが書きますし、やえはやえとして登場するサイトにしたいと思っていますが、サイトの配色や配置、またサイト名と言いますかページ名は「バーチャルネットアイドル」というのを外してやってみてもいいのかもしれません。
 
 なんて言いますか、主張の中身を見ずに、やえやサイトの配色しか目に入らずにそこだけ批判、というか揶揄するようなする人は、所詮その程度なんじゃないですかという思いはあります。
 これはやえはよく言っているコトですが、ネットのよいところは、政治家でも学者でも評論家でもサラリーマンでも主婦でも学生でも十四歳でも、社会的ステータスを気にせず平等に議論ができるところだと思っています。
 匿名性は悪く使えばただの荒らしや犯罪に発展するコトもありますが、それぞれ個人が自分の責任の下に真摯に議論すれば、「大学教授の意見だから素晴らしい」となるのではなく、「この意見は筋が通っていて素晴らしい」と十四歳が言っても評価が出来るようになるワケです。
 これがみな実名なら、どうしても肩書きが頭の中に入り込んで、冷静で公平な評価が難しくなりますからね。
 議論においては、権威主義無き最も平等な議論が出来る場がネットだと、やえは思っています。
 ですから「所詮十四歳が」とか「なにがVNIだ」とか言っている人は、見た目にとらわれて中身を冷静に見れない人なんですねと、逆にそこにしか逃げ道がないんでしょうね、とは思っています。
 
 ただ、最初の見た目のインパクトというのはどうしてもありますから、もしそれで新しい閲覧者の方が遠慮してしまうのであれば、やはり改善する必要はあるとは思います。
 うーん、一回試しにサイトデザイン変えてみてもいいかなぁとは思うのですが、どうでしょうか。
 もし御意見があればお聞かせ下さい。
 けっこう悩んでます。
 

平成22年2月24

 民主議員は小沢一郎のために手を挙げるだけのコマ

 この問題はマスコミでは小さくしか取り扱われていませんが、実はもっとも重要な、文字通り国民の政治参加というモノに直結する、民主主義にも関わる大きな問題です。
 特に当サイトをよく読んでくださっている方は、この問題の重大さがよく分かるのではないでしょうか。

 民主執行部、「政策会議」で幕引き狙う=政調復活派の不満消えず
 
 民主党有志が求める党政策調査会(政調)復活をめぐる問題は23日、執行部と政府側による協議の結果、政調を置かない現体制を維持する方向となった。「政策決定の内閣一元化」に反するとの理由からだ。執行部は各省庁の政策会議強化で、幕引きを図る考えだが、復活派の不満は収まっておらず、なお尾を引きそうだ。
 「政策は内閣に一元化している」。民主党と政府の協議で、高嶋良充参院幹事長がこう強調したのに対し、松野頼久官房副長官も「当然だ」と応じ、政調復活には応じない方針はあっさり決まった。
 政調復活論に対し、小沢一郎幹事長は22日の記者会見で「政策会議が機能を果たしていない議論が政調うんぬんという話にすり替わっている」と不快感を表明。鳩山由紀夫首相も既に否定的な考えを示しており、23日の協議はこうした方針を追認した格好だ。
 政策決定の内閣一元化を主導し、政調を廃止したのは小沢氏だ。これに対し、復活派の中心は生方幸夫副幹事長や安住淳衆院安全保障委員長らで、いずれも小沢氏と距離を置いている。

 やえは民主党の組織についてはあまり詳しくないのですが、その名前から想像するに、おそらく自民党の政務調査会、略して政調と同じような機関なんだろうと思われます。
 では自民党の政調とはどういうモノでしょうか。
 これは特に人権擁護法案の時に当サイトで散々とりあげましたように、各分野によって分けられている政策等に関する議論や議決をとる会議であり、その政党に所属する議員なら誰でも参加できる場です。
 例えば人権擁護法案の時は、これは法務省の管轄でしたので自民党では常設の法務部会という政調の会議で審議され、しかし衆参の委員会と違い、定められた委員というのはいないですから、自民党の議員なら衆議院でも参議院でも誰でも参加でき、また意見を表明するコトができるという、とてもオープンな会議で、喧々囂々の議論が繰り広げられました。
 衆参の法務委員会などには所属していなくても人権擁護法案に反対した議員さんが大勢参加し、会議で発言するコトによって大反対した結果、現在まで人権擁護法案は自民党としての賛成決定とはなりませんでした。
 
 「党議拘束」という言葉を聞いたコトがあると思いますが、自民党の場合、基本的にこの部会を含めた政務調査会、そしてその上に位置する総務会で議決されなければ、党としての決定とはならず、つまり党議拘束がかからないというシステムになっています。
 あの小泉純一郎元総理がごり押しした郵政法案も、いくら小泉さんが独裁的手法を使ったと言われていたとしても、実際は自民党の「政務調査会」と「総務会」は事実として通しているのです。
 小泉さんは存在が強烈でしたけど、しかし既存のルールはキチンと守った上で、その存在感を示しただけなのです。
 
 また、なりより大切なのは、その「党の決定」という大きな縛りの決定のプロセスにおいて、党所属議員なら誰でも参加できるという点です。
 一部の議員だけが集まって密室で決めてしまうのではなく、全ての議員に、長老議員でも新人でも、平等に発言の機会があるという、とてもオープンな場であるのです。
 だからこそ人権擁護法案の時は、一般国民が自民党所属の国会議員に働きかけるコトで、法案の結果について動かすコトができたと言えるでしょう。
 こういうシステムとプロセスが自民党にあったからこそ、国民の動きが実際の力と成り得たのです。
 ここに自民党という政党の自由で民主的な政党であるという根拠の一つと成り得るワケです。
 
 もうひとつ自民党の部会の大きな特徴の一つが、内閣提出法案(政府提出法案)をも審議の対象としいている点です。
 よく「日本では議員立法が少なく、議員は法案作りに参加していない」と言われますが、しかし自民党に関してはこれが当てはまりません。
 なぜなら、確かに法案文の骨格は官僚が書きますが、しかし実質的な審議や修正は、いくら内閣提出法案と家でも自民党の議員が自ら行っていたからです。
 実際人権擁護法案では、最初に官僚が書いた法案文が、紆余曲折あってかなり修正されましたよね。
 その部会での様子は、当サイトが最も伝えてきたところです。
 このように決して「官僚丸投げ」とは言えない実態があったのです。
 
 自民党はいま野党になりましたが、それでも政調の機関である部会は毎日のように開かれています。
 与党ではなくなりましたから、実際に自民党だけで法案を訂正する力はなくなりましたが、しかし毎日のように部会を開くコトで、議員さん個人の能力を高めるという側面も部会は持ち合わせています。
 衆議院の委員会では、自民党議員の議論に対し、民主党の日本語にもならない幼稚な議論についてはやえもよく取り上げていますが、この辺も議員の自力の差として出る要因になっているのでしょう。
 自民党の部会などの会議情報は、こちらの自民党サイトで公開されていますから、ご興味のある方は一度見てみてください。
 毎日よくこんなにやってますねと、会議名や内容を見るだけで感心してしまいます。
 
 では対して民主党はどうなのでしょうか。
 記事が伝えるところによると、いま民主党には政調が無いというコトですから、これはもう
 
 政府に入っている議員か党の役でも高位にいる人しか政策決定に関わるコトができない
 
 と言って差し支えないでしょう。
 もっと簡単に言えば、小沢一郎民主党幹事長がYESと言えばYES、NOと言えばNOというコトです。
 いくら異論があっても、それを表明する場すらないのが民主党なのです。
 さらに言えば、官僚が作った法案が、一般議員の目にさらされないまま党の決定になるワケですから、これこそますます「官僚丸投げ」であり、果たして一般の民主党議員は普段何をしているのか、まったく法律作りに関わっていないと言えるでしょう。
 
 おそらく小沢民主党幹事長としては、政調の場を作り、一般議員からゴチャゴチャ言われるのを防ぎたいという思いから、「政調潰し」にかかったのだと思われます。
 もし政調があれば、自分が作りたい法律があったとしても、政調でNOと言われれば党としての決定になりませんから、独裁がしたい小沢一郎にとっては政調は邪魔なだけなのでしょう。
 散々独裁と言われた小泉さんでも民主主義のルールは守って政調や総務会を通したのに、小沢一郎は強引に通す手を考えるという手法すら飛び越えて、機関を潰して議論すらさせないという、民主主義の政治家とは思えない手法に乗り出したワケです。
 正気の沙汰とは思えません。
 

 例えば外国人参政権付与法案が今国会で提出を予定されていますが、今のままの民主党であれば、いくら国民が騒いだとしても、小沢民主党幹事長が「通せ」と一言言えばそれで終わってしまうのです。
 これが自民党なら、人権擁護法案の時のように部会で十分に国民の声を反映させるコトができたのでしょうけど、民主党ではそれが出来ないのです。
 いくら民主党議員に働きかけても、普通の議員がその意見を表明する場も阻止するための具体的行動もなにもないからです。
 全て小沢民主党幹事長の胸の内一つなのです。
 そして民主党議員は、ただただ小沢一郎のイエスマンになるしかない、ただ手を挙げる道具に成り下がるしかないのです。
 
 この問題、マスコミはあまり大きく取り上げません。
 確かにあまり政治に詳しくない人は、そもそも政調ってなにって感じでしょうから、関心を持ちづらいのかもしれません。
 しかし、この問題がいかに大きいかは、政治や永田町のシステムをよく知っているマスコミ自身が一番よく分かっているコトのハズです。
 それなのにこの問題をこの程度にしているというのは、やえには到底理解できません。
 この問題は最初にも言いましたように、国民の政治参加という部分に深く関わる大きな問題です。
 
 民主党がどのような政党なのか、小沢一郎がどのような政治を実行したいのか、国民はシッカリと事実を見て判断してほしいと思います。
 

平成22年2月25

 国家ビジョン無き鳩山内閣

 時の内閣を評価する上でもっとも重要な指針の一つに、その内閣の、総理大臣の国家ビジョンというモノがあるでしょう。
 
 小泉内閣では「痛みを伴う改革」とか「小さな内閣」とか「自由主義経済」とかですね。
 小泉元総理のこれらを実行する上で一番の象徴となったのが、不良債権の処理や政府のスリム化や自由主義経済の実現を同時に体現していた郵政民営化だったと言えるでしょう。
 もちろんこれらの政策や小泉内閣に対する評価は人それぞれで、良かったと言う人もいれば、とんでもない内閣だったと言う人もいるでしょう。
 しかし大切なのは、評価するためにはその対象がシッカリと存在するというコトです。
 議論する対象すら定まっていないのであれば、評価する以前の問題ですからね。
 小泉元総理は、その類希なる存在感と実行力があったからこそ、賛否両論、喧々囂々の評価に対する議論ができるのです。
 この点に関してはやはり小泉元総理は、田中角栄元総理に並ぶ日本戦後政治史に残る政治家だったと言えるでしょう。
 
 政治家にとって、そして総理大臣にとって、この「国家ビジョン」は、このように国民の評価する上で、特に民主主義政治における国民にとっては、最も大切な要素の1つと言えるのでしょう。
 
 では果たしていまの鳩山内閣はどうでしょうか。
 ハッキリ言って全く国家ビジョンが見えてきません。
 
 まぁまだ就任して半年ですから、結果として目に見えるモノを出せとは言いません。
 政治においては、結果を出すためにはそれなりの時間がかかります。
 小泉改革だってその評価を冷静に見るにはもっと時間がかかるでしょうし、小泉内閣はかなり長期政権だったからこそ形に出てきているモノがあるだけであって、後に続いた安倍内閣・福田内閣・麻生内閣が国家ビジョンと言えるべく形として結果を出せるコトが出来たのかどうかというのは、なかなか難しいところでしょう。
 ですから鳩山内閣に、結果が出ていないじゃないかという批判をするつもりはありません。
 ただですね、国家ビジョンを明確に国民に提示すら鳩山総理はしていないのではないかと、少なくともやえには鳩山総理がどのような国家ビジョンを持っているのか全く分からないのです。
 
 例えば安倍総理は「美しい国づくり」とか「戦後レジュームからの脱却」などのキャッチフレーズがありました。
 その政治思想からかなり保守的な政策を掲げ、法律の面で言えば教育基本法の改正や国家公務員法の改正、国民投票法の制定など、かなり大きな結果を実は出しています。
 
 福田総理は、ご自身のキャラからなかなかつかみ所のない内閣と言えますが、実はよくよく見ると、消費者庁を新設したり洞爺湖サミットを主催し環境立国を推進するなど、かなり国民目線というか消費者目線の政治を実行しようとしていました。
 これらは小泉・安倍と続いた理念先行型の政治の修正とも言え、ある意味「小泉改革」からの修正・脱却、その痛みから来る疲弊を癒していこうという政策だったとも言えるでしょう。
 さらに言えば、胡錦涛国家主席が来日した時に色々と無理難題、特に北京五輪の天皇出席とかをふっかけられたのですが、福田さんお得意のスルー力を発揮しパンダを借りるというだけしか約束しなかったりとか、竹島は日本の領土だと学習指導要綱に明記させたりとか、リベラル派ではあるのでしょうけどそこはやはり自民党の政治家らしく保守主義的な政策も多々ありました。
 当時は親中派とか言われてましたけど、実は福田さんの外交の特徴は中東外交だというコトはあまり知らせていません。
 福田さんはビジョンをあまり示さなかったというのはその通りですが、まぁあの人官房長官時代からああいうキャラだったというのは広く知られているところで、しかし実行力で言えばなかなかのモノがあったと言え、逆に言えばそういうニヒリズム的なところが評価に繋がらなかったとは言えるのではないでしょうか。
 
 麻生さんについては、もはや言うまでもないかもしれません。
 当時のマスコミバッシングはひどくて、麻生さんに対しても「国家ビジョンがない」なんて批判がありましたが、よくよく考えればそんなの言いがかりにも程があるでしょう。
 特に麻生さんのビジョンを端的に示した言葉としては、ご自身の著書のタイトルでもある「自由と繁栄の弧」でしょうか。
 「価値観外交」という言葉もありましたように、自由や民主主義という価値を共有する国同士が手を携えて繁栄していこうという、とても大きな理念です。
 残念ながら道半ばで終わってしまいましたが、麻生さんほど理念が明確な政治家も珍しいと言えるのではないでしょうか。
 
 最近の歴代内閣を振り返って、もちろん政策に対する評価は人それぞれですが、しかしそもそもの段階において、では鳩山総理にこのようなビジョンがあるのかどうかというのが、やえにはまったく見えてきません。
 しかも、自民党政権からその座を奪回したというタイミングを考えれば、最も独自のビジョンを打ち出しやすい環境であると言えるのにも関わらず、鳩山総理が一体なにをしたいのか、まるで見えてこないのです。
 友愛という言葉がキーワードとして出てきますが、でもこの言葉だけを見て、それが政治的に何を指し示す言葉なのか、どのような行為を指している言葉なのか、全く分かりません。
 鳩山総理は一体何がしたいのでしょうか。
 
 もし鳩山総理が、親米ではなく親中的政治政策をとると言うのでしたら、それはそれで1つのビジョンです。
 それをどう評価するかは人それぞれであって、ビジョンという意味でしたら、確立した総理としての国家ビジョンだと思います。
 もしそうであるなら、そうだと明確に国民に示して欲しいです。
 
 しかし実際はそうではありません。
 最初確かに「米国偏重からの脱却」みたいなコトを言っていた気がしますが、それなのにいまの段階においても未だに基地問題が米国の顔色を怖がって前に進んでいません。
 ハッキリと「鳩山内閣では米国はもういらないというコトだから米軍は出て行け」と言うのでしたら、それはそれでいいのです。
 評価はまた別の問題であって、そう明言し実行に移るのは、国家ビジョンを示すという意味では正しいです。
 しかし鳩山総理は、それすらしないのです。
 中国寄りになるのかと言えばそれも分からず(小沢民主党幹事長は完全に親中のようですが)、従来通りの米国との親密な外交関係を築くのかと思えばそうでもなく、ふらふらフラフラと、自分の目と同じように態度も泳いでいるだけです。
 言葉としてビジョンを出さない上に、福田総理のように実行するというコトすら出来ず、国民に国家ビジョンを示せない。
 これではどう国民が鳩山内閣とはなにをする内閣なのか、そしてそれをどう評価すべきなのか、まったく判断が出来ないのです。
 
 去年の衆議院選挙の時に言われていました。
 「政権交代は手段であって目的ではない」と。
 民主党と鳩山総理は、結局政権交代が目的化してしまっていて、その先に何をしたいのか、政治家として何をすべきなのかが、指摘の通り全く抜け落ちているのでしょう。
 政権交代政権交代というキャッチフレーズだけに目も心も奪われ、政治家としての本分が無くなってしまっているのです。
 「野党の時の方が楽だった」なんてとんでもない失言をしていましたが、それが鳩山内閣の国家ビジョンの無さを端的に表しているのではないでしょうか。
 
 やえには国家ビジョン無き鳩山内閣は、ただという手段が目的になっている「変わった・変えた」というだけ執着して、結果的には混乱だけしかもたらさない内閣にしかならないのではないかと、大変に危惧しているところです。