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2013-05-24

何がヘイトスピーチで何がそうでないのか


 最近流行りのヘイトスピーチの問題をちょっと語りたいと思います。
 
 何がヘイトスピーチで何がそうでないのでしょうか。
 その境界線はどこにあるのでしょうか。
 これは大変難しい問題です。
 なぜならこの「ヘイトスピーチ」という単語の定義が人によってかなり変わってくるからです。
 
 普通は「差別的発言」という意味に訳されるのでしょうけど、そもそも何が差別かという問題からして難しいので、ますます何が差別的発言なのかの定義がむずかしくなるワケです。
 人によっては「韓国や中国を批判するだけでヘイトスピーチだ」と言う人がいますし、人によっては「韓国を存在悪と言うのは差別ではなく区別だ」と言う人だっています。
 結局このような言い方をしているだけではただの一方通行の放言(しかもお互いに一方通行)にしかならず、ヘイトスピーチという言葉もただの批判の材料というか、レッテル貼りの道具でしかなくなってしまうワケです。
 
 そしてこのレッテルはある一定以上の効力を持ちます。
 一昔前は「差別だ」とか「右翼だ」と言うだけで強力な言論封じのレッテルになっていましたが、いままた今度は「ヘイトスピーチ」という外来語によって、意味的には同じなのに新しいレッテルとして効力を持ち直してしまっているんですね。
 だから一部では「国連がヘイトスピーチだと取り上げた」とか右往左往してしまっているワケです。
 しかしこんなのハッキリ言って、馬鹿馬鹿しいとしか言いようがありません。
 
 当サイトはかなり前から朝鮮半島や中国を批判する文章を載せて来ました。
 日韓ワールドカップが行われるより前、小泉総理が北朝鮮に訪問する前からです。
 あの頃の日本は、朝鮮半島の批判をするだけで「差別だ」「右翼だ」と言われるような時代でした。
 いまでは信じられないかもしれませんが、ネット上も全然左翼的な言論の方が強かったのです。
 当サイトも散々言われたモノです。
 「韓国人は日本人に敵対心を持っいる」と言うだけで、「それは日韓友好を阻害する売国奴の言動だ」と本当に言われたのです。
 
 でもやえは、当サイトは一度も「差別的発言」や「ヘイトスピーチ」をしたコトはないと、自信を持って断言出来ます。
 
 なぜなら、必ず「論拠」をつけているからです。
 「韓国人は日本人に敵対心を持っいる」という結論にしても、当時はまだあまおちさんがバリバリやってましたが、様々な事実やニュース記事を引用しながら「こういう事案が示している通り韓国人は日本人に敵対心を持っている」と言っていたのであって、決して無論拠で言ってたワケではありません。
 むしろ論拠こそを重点的に説明していたと言っても過言ではありません。
 そして結局その時の議論相手は、その論拠に反論するのではなく「売国奴だ」というレッテル貼りだけで終わってしまったそうなんですね。
 
 でもこれって結局、その「売国奴だ」とだけレッテルを貼ったほうがヘイトスピーチだと言うしかないんですね。
 なぜなら、「論拠」がないからです。
 
 論拠があれば議論ができます。
 むしろ議論とは論拠の応酬です。
 例えば「韓国人は今すぐ出ていてけ」という言葉にしても、もしこれだけ一言ポンと出すのであれば、残念ながらヘイトスピーチだと言われても仕方ないでしょう。
 しかしこれが「この韓国人は不法入国者だから今すぐ出て行け」と、不法入国者である証拠を示しながら言うのであれば、それはまったくもって事実の指摘であり差別性が皆無の普通の主張となるでしょう。
 さらに言えば、不法入国である証拠に対して「それは正しい証拠ではない」という証拠をつきつけられれば、さらに議論が発展できるワケですよね。
 これが議論です。
 意見に対しては論拠に論拠をもって反論し、さらに反論するならその反論の論拠に論拠をもって再反論する、というのが議論なのです。
 
 決して結論の言い合いが議論なのではありません。
 それはただの一方通行に叫んでいるだけにすぎません。
 ですから、何かを主張する時、少なくとも他人に言い聞かせ、出来れば共感してもらおうと思うのであれば、必ず論拠を付けなければならないのです。
 論拠なき意見など、意見と呼べるシロモノではありません。
 それはただのひとりごとに過ぎないのです。
 ひとりごとなら、公の場に書くコトは不適切であり、鍵付きの日記帳にでも書いておけばいいのです。
 
 ヘイトスピーチかどうかのひとつの指針として、「論拠」があるかどうかを考えるべきだと思います。
 論拠があればそれは意見となり得ます。
 もし論拠付きの意見をヘイトスピーチと言うのであれば、ヘイトスピーチと呼ぶ方がキチンと論拠をつけてヘイトスピーチであるというコトを証明しなければなりません。
 そうでないなら、ヘイトスピーチだと言う方がレッテル貼りでありヘイトスピーチそのものだと言うしかなくなります。
 どんな意見でも構いませんが、その自分の考え方がヘイトスピーチなんかではなく、堂々とした意見であり主張であると確信するのであれば、論拠をつけるべきです。
 むしろ論拠があるからこそ、それは公論であると、意見であり主張であると確信できるモノのハズでしょう。
 
 自らの意見がヘイトスピーチではなく堂々とした意見だと胸を張るのであれば、キチンと論拠をつけるべきです。

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