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リベラルとは何か~保守本流「宏池会」を見る~ 3


(つづき)
 
 つまりここでも思想的中心軸というモノは全く変わっているワケで、簡単に「軍事のコトを考えるのはタカ派だ」とか「軍事のコトを考えるのはリベラルらしくない」とか言ってしまうのは、時代が見えてない旧世代の人間の戯言でしかないと言うしかありません。
 現在の防衛大臣である小野寺さんも宏池会所属の議員さんであり、宏池会らしさという部分についても、やはり旧世代の常識で考えるコトなんて出来ないのです。
 その「宏池会らしさ」も時代と共に変わるのですから。
 
 最初に引用した記事にこんな一文があります。
 

 元会長の加藤はその役割を「料理でいえば脂ぎった自民党という料理にかけるコショウだ。バランサーとも言える」と説明する。自民党が右に行きそうになると宏池会が存在感を示し、全体のバランスをとったという意味だ。

 
 最近マスコミや政界などから、宏池会のハト派リベラルとしての存在感の低下を懸念する声がよく出てきます。
 例えばみんなの党の山内議員がこんなコトを書いているのを見つけました。
 

 この前も超党派の議連の会合で雑談をしていて、他の野党の議員が「自民党の中の宏池会勢力が弱くなっているのが心配だ」と言っていました。
 私もそれを聞き「なるほど」と思いました。
 タカ派イメージの安倍政権ですが、岸田外相や同じく宏池会の小野寺防衛大臣がいるおかげで、対外的イメージがやわらかくなっていると思います。
 岸田外務大臣には期待したいと思います。核軍縮や人道援助といった平和的な国際貢献にもっと力を入れていただきたいと思います。

 
 どこかの記事で、谷垣法務大臣が委員会で野党から「宏池会にはもっと頑張って欲しい」とか言われたという記事を見たのですが、このように色々なところでこういう「宏池会の影響力の低下への指摘」が成されているところです。
 
 しかし果たしてそうでしょうか。
 宏池会が中道左派だとして、そのバランサーとしての役割を担っているとすれば、やえは十分にいまの安倍内閣のバランサーになっているんじゃないかと感じています。
 例えば山内議員も指摘している核問題について、これ、国連の核兵器の非人道性を非難する署名日本として初めて署名した時やえもここで大いに評価した記事を書きましたが、これはどう考えても広島選出の岸田外務大臣の存在があってこそのモノだったワケです。
 いわゆるタカ派だけでは決して成し得ないコトですよ、やっぱりこれは。
 また靖国神社参拝ひとつとっても、第1次安倍内閣がそうだったとは言いませんが、もし本当に今の内閣に「お友達」しかいなかったとしたら、もっと早い段階に安倍さんは参拝して、それこそ8月15日に参拝して、安倍さん周辺は溜飲を下げたけど国際的にはもっと大変なコトになっていた、なんて事態になっていたかもしれません。
 そもそも安倍さん本人だって、自民党総裁選挙の時に比べればかなり主張はマイルドになっていますよね。
 やはり「自分の主張こそが第一」の自分の選挙の時と、様々な関係各所と調整してこその議院内閣制における総理大臣としての立場の時とは、全然違うワケです。
 岸田外務大臣にしても菅官房長官にしても、そういう宏池会の流れを汲む主要閣僚がいて、時には直接総理に意見した上での最終決定となるワケで、ここの場面においてそれはまさしくバランサーとして保守中道として宏池会は、ただ外野からわーわー言うだけでない「実行力の伴う働き」をしていると言えるのではないのでしょうか。
 
 影響力とは何か、というお話にもなるかもしれませんが、決してそれは「外から批判して、周りに見せつける」だけが影響力の行使ではないでしょう。
 むしろそれは逆だとすら言えると思います。
 外から言うだけ言っても、それを聞き入れるかどうかは中の人次第なだけであって、結局「外から叫ぶ」という行為はパフォーマンスにはなるけど真に影響力を行使していると言える状態なのかどうかは、やはりかなり考えるべき問題でしょう。
 政治にしても何にしても、「声の大きい人の方が力がある」と見られがちですが、実際は「目立たないけどキッチリと仕事をして結果を残している」方が、その問題を前進させる上では絶対に有益な存在であるのは間違いありません。
 まして政治は結果責任です。
 そういう世界において、不言実行と言いましょうか、キチンと自分の職責と責任と権限の中で「結果を出す」というコトをしてきたそれぞれの大臣達に対して「宏池会はどうした」と言ってしまうのは、何か違う気がしてなりません。
 声だけが大きいパフォーマンスだけは得意で中身はスカスカな政治がどれだけ害悪なのかっていうコトは、もう日本人は痛いほど学んでいるハズです。
 
 宏池会だからという見た目だけのレッテル的な見方によって、イメージだけで議員本人の政策を判断したり批判してしまってはなりません。
 左派とか人権派なんて言うとなんとなく死刑制度反対論者っぽく考えてしまいがちですが、宏池会カラーを色濃く残す谷垣法務大臣は、死刑執行については法令に基づいて淡々と行っています。
 宏池会本体の岸田外務大臣も小野寺防衛大臣も、リベラルと言うと反軍事的なイメージを持ちがちですが、しかし初の日本での日米2+2、初の日露2+2、そしてこちらも初の日仏2+2を立て続けに宏池会コンビで成功させています。
 何度かお伝えしていますように、岸田外務大臣は中国に対しても韓国に対しても無駄におもねるコトなく毅然とした態度を崩していません。
 もし本当に、あらゆる面での国益を横に置いた上で中韓の方が大切だと本心から考えているのであれば、安倍総理の意思を無視してでも訪中訪韓していたコトでしょう。
 外務大臣にはそれだけの権限があるワケですから。
 しかし岸田外務大臣はそんな浅はかな行為には出ておらず、これらのコトは決して「安倍の言いなりになっている」という悪口で捉えるのではなく、岸田外務大臣や小野寺防衛大臣、そして谷垣法務大臣など、それぞれの大臣の自らの考えをもとにしての、積極的な政治姿勢による結果だと言うのが正しい見方だと思います。
 
 もちろんそれは、安倍内閣という内閣の中での立場や、法令などからの責任からくれモノもあるでしょう。
 仮に谷垣法務大臣が死刑反対論者だったとしても、法令に従って淡々とサインする姿は、ある意味それが当然の当たり前の姿だと言えるのですから。
 ですから仮に、谷垣さんにしても岸田さんにしても小野寺さん管さんにしても、将来総理大臣になるコトがあったら、また今とは違う政治姿勢を見せてくれるかもしれません。
 それは繰り返しになりますが、ベクトルが逆なだけで安倍さん本人も全く同じコトが言えるワケですよね。
 安倍官房長官の時に安倍カラーを内閣の全面に出していたワケでもありませんし、総裁選の時よりも今はマイルドであるワケですから、このように立場や状況によってあらわれる結果は違ってくるワケです。
 しかし確実に言えるコトは、「リベラル」「中道左派」「保守本流」「宏池会」とか、「保守」とか「タカ派」とか、そういう名前だけをもって、政治信条全てを決定づけられるモノではないっていうコトなんですね。
 「宏池会だからリベラルで売国なんだろ」
 「タカ派だから戦争したいだけなんだろ」
 バカバカしいと思いませんか?
 こんなのもはや批判ではないですよ、ただの誹謗中傷です。
 こんなような「レッテル」だけで他人を、まして国民から信を受けている国会議員を誹謗する権利など誰にもありはしません。
 国会議員と言えども、批判するならキチンと論拠を持ってしてしかるべきなのです。
 
 なぜいま、宏池会を中心としたリベラル系に注目する記事が増えているのか、それは、前時代左派の最後の「足掻き」なんじゃないかと思っています。
 つまり、前の世代というのはさっきも言いましたように、どうしても中国韓国におもねるのが当たり前みたいなところがあって、これは政界に限らずマスコミもそうですよね、ですからこの辺の層が、最近の「右傾化」に反抗するために「宏池会」という名前を使って「お前らの出番だ」みたいに煽って、自分たちの思想を実現させようとしているのではないのでしょうか。
 結局中韓に対する姿勢というのは左右ではなく世代論みたいなところがありますから、一世代前の古賀誠前宏池会会長や、さらにその前の世代である河野洋平さんを担ぎ出して、「先輩から後輩への激励」という形をとって、自分たちの不満の代弁をさせているんだと思います。
 その元議員さんたちが現役で活動していた時代は、いまのリベラルよりももっと左に傾いていたリベラルだったのですからね。
 そこに戻したいんですよ。
 
 でもこれ、勝手な言い分だと思います。
 いまの時代をもって「自分たちの世代のリベラルの姿ではない」のは当然ですよね。
 北朝鮮に対する姿勢だって、小泉訪朝前と後とでは、政界でもマスコミでも国民でも見方が180度変わったとすら言えます。
 このように、今の宏池会と前世代の宏池会の姿が違うのはそれは仕方ないというか当たり前のお話であり、だって国民自身が全時代とは違うのですから、その世代間の流れっていうモノを無視して評価や批判しても全くの無意味でしょう。
 もちろん主義主張は自由ですから、マスコミにしても元議員さん達にしても、「自分の理想」を追い求めて何を主張するのも自由ですが、しかし「自分だけの宏池会」「自分だけのリベラル」をもって「他人の宏池会」「他人のリベラル」を批判する、いえ否定するのは完全に間違っているコトでしょう。
 前時代の元議員さん達は、自分たちの主義主張こそが正しいと思っているからこそ政治家だったワケですから、その信念に従って本心から今の宏池会を嘆いて奮起させようとしているのかもしれません、それは真に宏池会のために思っての行動でしょうけど、それは仕方の無い面はあるかとは思いますが、しかしタチが悪いのが「前時代の左派」の真の思惑です。
 そういう「政治家としての、そして先輩から後輩に対する微妙な感情」を巧みに利用していまの宏池会のシリを叩くフリをして、いまの時代、つまり自分たちから見たら右傾化している世論に抗いたいと最後の足掻きをしているんだと思います。
 前時代の自分たちの声はもう世論にも政治家にも届かないと分かった上で、では別の手を考えた時に、まだある程度の影響力のある前時代の議員さんを担ぎ出し(元議員さん達が自民党の中枢にいた時は親の敵かと言うほど激しい批判していたクセに)、「先輩からのアドバイス」というオブラートに包んで自分たちの声を代弁させて世論に抗おうとしているのです。
 本当に勝手ですよね。
 
 そもそも安倍さん自身にしても、極右というほどではありませんよね。
 中道右派よりは右よりだとは思いますが、針が振り切るほどの右派ではありません。
 政治家なんですから自らの思想があって当然ですし、国会議員や大臣や総理大臣になった以上は、その自分の思想や理想を現実に反映させたいと思い努力するコトは当然のコトなのですから、世間一般的な、もっと言えば自民党の中で比べたとしても右側に寄っている安倍さんだとしても、その思想に従って政策実行していくのは、それは間違いでは絶対にありません。
 でなければ、政治家というか議員っていう存在は無意味になってしまいます。
 そういう中において、そもそも完全な中庸な人間なんていない、というか「完全な中庸」なんてモノは計れないのですから、ではどうバランスを取るのかと言えば、一人の人間だけでなく政府や政党や内閣の中においてバランスを見いだすワケです。
 特に日本は議院内閣制を採っているワケで、そういう「全体としてのバランス」を重視する制度とすら言えます。
 その議院内閣制の中で最多の選出となった岸田・小野寺・林・根本大臣の4人の宏池会本体の大臣、また宏池会系派閥を率いる谷垣・麻生大臣、また今は離れていますが一度は宏池会の中にいた菅・石原大臣が、それぞれの職責において、右に寄りがちな安倍内閣の中で、リベラルとしてのバランスを取っていると見るのは、むしろ自然な見方なのではないのでしょうか。
 
 安倍さんを望んだのは確かに世論でした。
 だからある程度安倍カラーが出るのは、それは世論に従っていると言えます。
 しかし世論とは決してそれだけではありません。
 安倍カラーを望む人だけではない以上、国民全体としての政府としては、ある程度のバランスを取るのは、むしろ責務とすら言えるのではないのでしょうか。
 そしてそれを、議院内閣制という制度がある程度制度としてバランスをとっているのであり、またマンパワーにおいてはいまは宏池会がバランスをとっているのです。
 自民党はこういう政党ですよね。
 全体としてバランスをとるのが非常に上手な政党です。
 
 右派とか左派とかが時代によって変わる以上は、その世代の人間はその時代の影響を絶対に受けるワケです。
 50年前のリベラルと、25年前のリベラルと、今のリベラルとでは全然中身は違うでしょう。
 例えば25年前のリベラルを自称する人なら驚愕の一言かもしれませんが、今の雰囲気であれば宏池会の議員さんが、例えば岸田宏池会会長が集団的自衛権を容認するような発言をしたとしても、別におどろく程のコトでもないと思います。
 日本の核兵器保有については岸田外務大臣は広島選出という別の事情がありますので別の見方が必要ですが、集団的自衛権ならいまならその程度でしょう、別に驚くほどではないと思います。
 でも多分、25年前のリベラルだと驚愕の一言ではないのでしょうか。
 そもそもおそらく国民が許さないですよ。
 25年前の日本の空気なら集団的自衛権を行使するんだなんて言ったら一瞬で大臣のクビが飛んでいたハズです。
 もちろん今はそんなコトありませんよね。
 それが世論であって、当時のリベラルはこれよりもちょっとだけ左派なんですから、いまと比べてしまうととんでもないコトになってしまいます。
 
 そして25年後、50年後の日本も、いまとは思想的中心軸は別のところにいっているハズです。
 もしかしたら25年後の日本においては、安倍総理に対して「あの総理は左翼っぽかった。なぜ天皇親拝を具申しなかったのか」と売国奴のレッテルを貼られているかもしれません。
 でも今の我々からしたら、当時はこれですら保守的だったんですよと言いたくなりますよね。
 だから、当時のコトを知らずして今の感覚で過去を裁いてはいけないのです。
 
 あの手この手で「旧世代の左翼達」はいまの世代を脅かそうとしますが、それをはねのけるのは誰でも無い国民自身ではないでしょうか。
 マスコミが言うからそれが正しい、という風潮は終わりを迎えましたが、しかしその反動か、いまは勇ましい論調や端的に結論だけをわかりやすく提示する論調が好まれる傾向になってしまっています。
 この中においては、「敵」というモノを定義してしまうと、それ以外を論拠も何もなく排除してしまう結果になりがちです。
 でもそれは、保守思想者が憎くて憎くて仕方の無い戦後サヨクと、その姿勢は何ら変わらないのです。
 主張のベクトルを真反対にしただけで、政治や思想に対する姿勢というモノは一切変わらないのです。
 「集団的自衛権」と言うだけでクビを切っていた当時の戦後サヨクな国民空気と何ら変わらないのです。
 そしてそれは、またいつか別の世代から憎悪される対象にしかなりません。
 戦後サヨクがもっと理知的に思想を大切にすれば今の世代に嫌悪されるコトはなかったのと同じように、もしいまの世代がまた戦後サヨクのようなデタラメな手段、中身を見ずにレッテルだけで言論封殺するような手段を使うのであれば、後々の世代から、その思想は思想ではなく、ただの「あの時代は悪い時代だった」という「敵」という認定だけで終わってしまうコトでしょう。
 
 ずっと本文中で宏池会を「中道左派」と書きましたが、これはあくまで自民党の中での立ち位置を言い表した言葉です。
 よって世間的には「保守左派」と言った方が適切でしょう。
 最初にも言いましたように、そもそも自民党は保守であって、特に現在の世代の議員さん達にとって「先の大戦などで命を賭けてもらったコトに対する恩義や礼儀」をないがしろにしようとしている人達はほぼ皆無と言ってもいいハズの、そういう立ち位置が基本の政党です。
 保守というモノの最も大切な、そして基本的な要素を、「歴史を継承し受け継ぐ」という点に置けば、宏池会は紛れもなく保守であり、そして軽武装・経済重視という実質論を重要視する姿勢は左派と呼ぶに相応しく、その姿は紛れもなく保守左派であり、それこそが自民党の中における宏池会の伝統的な立ち位置そのものと言えるでしょう。
 この思想は、考え方の違いから批判されるコトはあったとしても、決して否定されるモノではありません。
 結局自民党の中の思想の違いというのはあくまで手段の違いでしかなく、目指すべき目的は同じ場所にあり、だからこそひとつつの同じ政党に属しているのです。
 考え方の違いは手段の違いでしかないのです。
 
 こんなコトは言うまでもなく、左派とか左翼というのは、それだけで悪というモノでは絶対にありません。
 極論や、ただカタルシスを得るためのだけの政治ではなく、真にどう国益を守るのか、それは未来に向けた「歴史を受け継ぐ」国益を得ていくのか、右派左派だけではないモノの見方をしていく必要があるでしょう。
 そしてなにより、旧世代の策略にハマらないよう、マスコミの罠に陥らないよう、キチンと今の世代の国民が政治を正しく見ていかなければならないと思います。
 

リベラルとは何か~保守本流「宏池会」を見る~ 2


(つづき)

 そもそも安倍さん自身にしても、一回目の総理の時は、小泉時代に断絶していた日中間を修復するために、まずは中国とのコンタクトをとるというのが最初の仕事になっていましたよね。
 また二回目の時は、民主党政権に時に必要以上にへりくだった対中対韓政策だったために、むしろ何も気にするコトなく強気な対応をとるコトができているワケです。
 このように同じ人物でさえ、そのときの状況や立場によって、特に現実問題を直接動かす政治というモノにおいては、個人的思想よりも行動の方が重視され、対応の仕方が変わってくるワケです。
 
 「軽武装・経済重視」という考え方からの中国や韓国に対する接し方の違い、というのはあるでしょう。
 清和会的なタカ派系は、国粋的な部分から実質論より理想論を優先させる方(それが悪いという意味では一切ありません)なので、経済を多少害してでも日本に敵対的な思想を国民に植え付けている中国や韓国とは距離を置こうとしますけど、ハト派は経済の充実こそが日本国民の幸福だという立場から、より経済的な利益を重視する立場を取ろうとします。
 これは考え方の違いであって、どちらが正しいとかを決めるコトはできないでしょう。
 「経済よりも国民感情だ」という考え方も間違いとは言いませんし正しい場合もあるでしょう、同時に「いくら溜飲が下がっても経済がボロボロになればそれに何の意味があるのだ」という主張も決して否定はできないと思います。
 個人的にはこっちの方が正しいと主張するのは自由ですが、なかなか白黒どっちが正しいかを断ずるコトは難しいかいお話です。
 
 要は、日本の国益と日本国民の幸福をどこに置くのか、というところなんですね。
 ネット上では「アカ=左翼=リベラル=売国」のように、短絡的にも程があるような浅はかな考え方を持っている人が案外少なくないワケですが、これらは全て別々の問題であって、イコールにして断じる方がよっぽど国益を失う考え方です。
 逆ベクトルで言っても、行き過ぎた国粋主義に陥り、アメリカなどの欧米諸国とさえ敵対的な態度をとってしまえば、それは溜飲が下がったとしても経済の失墜に他ならず、果たしてそれが本当に未来の日本も含めた国益であり幸福なのかという部分については大いに疑問です。
 それの行き着く先は北朝鮮なワケですし。
 つまりどこまでも程度の問題ではありますが、経済重視の姿勢はあくまで方法論の違いでしかなく、それをイコールで売国とレッテルを貼るのは間違いだというコトはハッキリしています。
 
 靖国神社参拝問題でひとつ例をとってみましょう。
 前から言ってますようにやえは総理大臣には靖国神社に参拝してもらいたいと思っていますし、そもそも少なくとも自民党の大部分の議員さんは、「先人達の労苦に対して礼儀を尽くす」というコトについては反対する人はほとんどいないと思っています。
 宏池会の前会長だった古賀誠さんなんて遺族会の会長だったワケで、靖国神社に限る限らないというお話は別にしても、「先人達の労苦に対して礼儀を尽くす」というコトについては一切の妥協はありませんでした。
 基本が「保守」である自民党という政党は、基本が労組という革新系の民主党や社民党、政党名からして唯物論である共産党などとは、ここの基本が違うんですね。
 ただ方法論が違うワケです。
 ちょっと探したのですが記事が出てこなくて申し訳ないのですけど、安倍総理の年末の参拝については、ギリギリまで菅官房長官と岸田外務大臣は慎重論を唱えていたらしいんですね。
 その上での安倍さんの参拝だったワケですが、では実際問題、日本国内は安倍総理の参拝で溜飲は下がったかもしれませんが、それまでわがまま言い過ぎで日本に同情論が出始めていた中国も韓国に対する国際世論の視点は、安倍さんの参拝でかなり吹き飛んでしまった感はあります。
 日本国内においては「これは国内問題であって外交は関係ない」と言いますし、原則論ではその通りではあるんですが、しかし実際に諸外国がどうその行動を受け取るのかというのは原則論とは全く別問題であり、どこまでも実利論・実質論で考えるのであれば、安倍さんの参拝は確かにマイナスもあったと言わなければ、それは現実が見えていないと言わざるを得ないでしょう。
 だからここの点において、どちらに重きを置くのか、なんですね。
 精神論や論理的原則論を比較的尊重する清和会系の考え方と、実利実質的な面を比較的尊重する宏池会系の考え方と、です。
 
 また、突き詰めたらこの問題は中韓だけでなく、アメリカやフランスなども決してどこまでも味方だとは言い切れない問題だというのも、キチンと認識しておく必要があるお話です。
 先の大戦については、アメリカなどの戦勝国はいまの価値観を崩されると困るワケで、いつまても戦勝国でいたいでしょうからね。
 ですから、日本が余計なコトをして「秩序」を乱されたくないとは思っているかもしれません。
 もちろん日本としては時間をかけてもそれを崩していく努力が必要なワケですが、しかしその時間をかけるコトと天秤にかける形で国民の溜飲を下げるコトは、果たして長期的な国益という視点においてはどうするのが正しかったのかというのは、議論の余地のあるところだと思っています。
 「対話のドアは常にオープンにしている」と言っている中で、世界中から悪者になった上でしぶしぶ対話のテーブルに着かせるという外交的勝利を目指した「靖国神社慎重論」は、果たしてそれを「親中親韓派だ」と言うべきなのか、まして「売国的だ」と言えるモノなのか、もしかしたら「靖国神社慎重論」の方が真に国益を得るための方策だったという可能性は、どこまでも考える必要はあるでしょう。
 
 様々な見方は当然あるべきです。
 たぶんあのタイミングっていうのは、中韓と国内のマスコミを視点にした上での参拝としては、かなりいいタイミングでの参拝だったとは思います。
 ただし、それだけでない方向も実はこの問題は内在してしまっているワケで、ここはキチンと冷静に考えて整理する必要があるでしょう。
 言い出したらキリがないんですよ、アメリカだって「失望発言」は、オバマ大統領の外交下手がますます露呈しただけで、もはや無かったコトにしてほしいぐらいの勢いな感じですし、そう考えたら、オバマ大統領でなければもっといい方向に向かっていたかもしれません。
 ただ、政治は結果だという結果論から言えば、やはり参拝前の「中韓がわがまますぎる」という雰囲気がかなり薄れて、また一からやり直し的なところまで戻ってしまったというのは、どうしても現実論としては否めないところでしょう。
 
 靖国神社のお話はこの辺にしまして、さっきチラッと言ったのですが、リベラルという立ち位置は「中道左派」であって、それはどちらかと言えば「相対的なモノ」だというコトは言えるでしょう。
 個人個人の、例えば岸田会長を初めとした宏池会所属の議員さん一人ひとりの考え方は、それは議員さんによって違うワケで、それはむしろ言葉にするまでもなく当然のコトだと思うのですが、ただなぜか宏池会という派閥は、時代と共に上手く「中道左派」を貫くような立場を取り続けているんじゃないかなぁとは思っています。
 例えば岸田外務大臣と河野官房長官との考え方を比べたらけっこう考え方の違いはあると思うのですが、ただ相対的な立ち位置を見てみると、どちらも「中道左派」という宏池会らしい立ち位置をとっているのではないかと思うのです。
 
 例えば河野官房長官はどうも賠償も国費でもっとやるべきだという考え方のような気がしてならないのですが、一方岸田外務大臣はこの問題については法的に賠償問題はすでに決着済みだとハッキリと述べています。
 河野官房長官の時代は、この河野官房長官の談話の中身自体は中道左派だったワケなんですよ。
 もし岸田外務大臣の考え方を堂々と発表しようモノなら「右翼だ」と言われていたコトでしょう、当時は「韓国に対して(それが事実だとしても)都合の悪いコトを言う奴は右翼だ」というのがスタンダードな空気として存在していた、まして当時の「右翼」というレッテルは、今では考えられないぐらいの強い印象のあるレッテルだったワケですから、そんな中、つまり相対的には当時の中心軸はかなり左に寄っていたそんな世の中で出された河野談話という「ギリギリ賠償はしない」とした河野談話は、紛れもなく中道左派だったんです。
 一方岸田外務大臣の発表は、もし河野官房長官の時代であれば「右翼」というレッテルを貼られていたぐらいなワケですが、でも当時から中心軸がかなり右に寄った今では、もはや右翼でもなんでもなく、バランスのとれた発言だったと言えるでしょう。
 河野元議長と岸田外務大臣の間には、だいたい2世代ぐらいの政治的な世代間があります(年齢的にはもっとあります)ので、その時の世論の中心軸がまず違うので、個人的考え方に隔たりがあったとしても、相対的に「中道左派」になっているワケなのです。
 多分これ、敢えて「中道左派になるために考え方を変えよう」と思っているワケではない(職責の部分で個人の思想をある程度押さえるコトは当然ですが)とは思うのですが、右左なんてお話は時代と世代とリンクするお話であって、だって国民自身が思想の中心軸を変えてくるのですから(つまりいまは昔に比べればとんでもなく右傾化しているワケで)、その国民の代表者たる政治家の中においてもタカ派とハト派の中心軸が変わったとしても、それはむろし当然とすら言えるのではないのでしょうか。
 結局、それを意図しているのかどうかは分かりませんが、河野官房長官と岸田外務大臣の発表や考え方はかなり違いがあったとしても、その時代時代の雰囲気を鑑みれば、どちらもうまい感じに「中道左派」になっているのです。
 
 また国防や軍事に対する考え方も同様でしょう。
 55年体制下もしくはアメリカ・ソ連の二大大国からなる東西冷戦体制の中においては、日本はむしろ軍備のコトを考えない方が良かったというのは、正しい一面ではありました。
 戦後まもなくは軍備なんかにかまかけている場合ではなく、多少の手間や我慢があったとしてもアメリカという番犬を雇った方がコストパフォーマンスは良く、その分日本は経済に力を入れるコトができたらかこそ奇跡の高度成長が出来た、というのは真実だと思います。
 ですからその頃の中道とは、むしろ軍備を考えないとするのが中道だったと言えます。
 しかし今は違いますよね。
 55年体制も冷戦体制も崩壊したいま、日本は経済大国として世界大国としての立ち振る舞いが求められているワケで、もはや軍事は二の次三の次という時代は終わりを告げました。
 またそれは北朝鮮のミサイルだけに留まらず、未だ天井知らずの上げ幅を続けている中国の軍事費と海洋進出を前に、日本はどう対峙するのかというのは、喫緊の課題とも言えるでしょう。
 そんな中、外務大臣と防衛大臣がお互い揃って会談を持つという「2+2」は、安倍政権になってからというモノロシアとフランスと共に初めてこの枠組みを持つコトに成功しました。
 「軍事とは考えないコトが正義だ」「アメリカとだけ仲良くするのが正しい外交だ」としていた冷戦体制下では考えられない出来事です。
 つまりここでも思想的中心軸というモノは全く変わっているワケで、簡単に「軍事のコトを考えるのはタカ派だ」とか「軍事のコトを考えるのはリベラルらしくない」とか言ってしまうのは、時代が見えて無い旧世代の人間の戯言でしかないと言うしかありません。
 現在の防衛大臣である小野寺さんも宏池会所属の議員さんであり、宏池会らしさという部分についても、やはり旧世代の常識で考えるコトなんて出来ないのです。
 その「宏池会らしさ」も時代と共に変わるのですから。
 
 
(つづく)
 

リベラルとは何か~保守本流「宏池会」を見る~ 1


 最近、「リベラルとは何か」みたいな記事をちょくちょく目にします。
 おそらくこれは、総理大臣である安倍さんが、いわゆるタカ派と呼ばれるような政治信条を持ってそれを実践しているために、そのカウンターとしての記事だと思われます。
 それらの記事でよく安倍カウンターとして象徴的に出されるのが「宏池会」という存在です。
 永田町フリークの人はよく聞く名前だと思いますが、自民党のいわゆる派閥といわれるモノのひとつで、おそらく戦後の永田町史の中においても唯一「名門」を自称できるグループではないでしょうか。
 また保守本流と言えば宏池会であり、自民党の中でも長年「リベラル系」「ハト派」と呼ばれてきた派閥でもあります。
 つまり、自民党の中のハト派をクローズアップし、時に持ち上げ、時に存在感の無さを指摘して焚き付けるコトによって、タカ派である安倍晋三総理大臣に対抗さて、出来れば妥当できればいいなという願望をもって、「リベラルとは何か」という記事が増えているのではないかと思われるワケです。
 
 こんな記事です(無料登録すれば全文読めます)。
 

 (360゜)保守「本流」誰の手に 1強政権にのまれるハト派
 
 安倍政権下で保守本流が「空き地」化しつつある。ここに旗を立て、日本政治の一翼として復活させようという動きが出てきた。
 1月23日、東京都内のホテルに3人の自民党幹事長経験者が集まった。加藤紘一、古賀誠、山崎拓。加藤と古賀は名門派閥「宏池会」の元領袖(りょうしゅう)。山崎は加藤の盟友だ。
 「今の自民党は右に寄りすぎだ」「『保守本流』を担う世代を育てないと」。3長老は危機感を吐露し合ったが、名案は浮かばぬまま別れた。
 保守本流――。宏池会の「派是」だ。自民党内のハト派とされ、吉田茂が進めた軽軍備・経済重視路線を引き継ぎ、所得倍増計画で高度経済成長を実現した元首相池田勇人の流れをくむ。穏健な政治手法や所得再分配、アジアとの友好を重んじ、大平正芳、鈴木善幸、宮沢喜一という首相を生んだ。
(中略)
 「『宏池会内閣』と言っていいくらい安倍内閣を支えていただいている」。政権発足から4カ月経った昨年4月、安倍は東京都内であった同会のパーティーでこうあいさつした。反対の立場にあるはずの安倍から投げかけられた、同会の現状を象徴する皮肉な言葉だった。
 長期政権だった自民党における宏池会。元会長の加藤はその役割を「料理でいえば脂ぎった自民党という料理にかけるコショウだ。バランサーとも言える」と説明する。自民党が右に行きそうになると宏池会が存在感を示し、全体のバランスをとったという意味だ。しかし、安倍政権を支える宏池会の閣僚は現会長で外相の岸田文雄をはじめ、農林水産相の林芳正、防衛相の小野寺五典、震災復興相の根本匠。元会長の谷垣を含めると5人もいる。辛口の「コショウ」として政権を引き締めるどころか、引き立て役のようになっている。
 会長を岸田に譲って議員を引退した古賀は最近、周辺に「自民党はぐーっと右に寄ってしまった。そのことを私が発信する」と語ったという。だが、引退した元領袖が旗振りせざるをえないところに保守本流の苦悩が浮かぶ。
(中略)
 それでも、民主党は9日の党大会で「暴走を始めた安倍・自公政権との対決姿勢を鮮明にする」との2014年度活動方針案を決定する。その対立軸こそ「保守本流」しかないという認識は党内で広がりつつある。
 保守勢力と対決してきた旧社会党出身で前衆院議長の横路孝弘は「安倍内閣の支持率は高いが、原発や改憲など個別政策では反対も多い。『空き地』が求められるときは必ず来る」と力を込める。=敬称略

 
 宏池会がどういう派閥かというのは記事に譲るとして、しかしそもそも「リベラルとは何か」「ハト派とは何か」という部分については今一度よく考えてみる必要があると思うのです。
 例えば記事にもありますように、“名門”保守本流宏池会とはそもそもどういう考え方の流れを汲む派閥なのかと言えば、それは「軽軍備・経済重視路線」なんですね。
 最近特にネット上においては、「リベラル」と言えば親中親韓だと思い込んでいる人がいますが、それはあまりにも二元論に陥りすぎの短絡思考だと言わざるを得ません。
 「リベラル」とか「ハト派」とか「保守本流」とか「タカ派」とか、やもすればレッテルになりかねない思想の決めつけになるラベリングの単語が並ぶのですが、その中においての「相対的な立ち位置」というモノはどういうコトなのか、というコトをキチンと考える必要があるでしょう。
 「軽軍備・経済重視路線」とはどういうコトなのか、それはあくまで国益のための方法論のひとつでしかない、という点は否定できない部分なのではないのでしょうか。
 
 こういう考えにおいては、親中親韓思想は「左右対立」とは本来は別次元の考え方です。
 どうしても日本では「親中=左翼」的なところがありますが、それは左翼的な人が親中的な考えを持っているコトが多いのでよく結びつけられるだけであって、そもそもの純粋な左翼とか右翼的な思想だけにおいては、中国も韓国も関係はありません。
 まぁ左翼というか共産主義としては、ソ連や中国が共産主義国ですから親和性は高いワケですし、どの国も保守思想は国粋主義になりがちですからこの面からも中韓に対する態度が変わってくる場合もありますが、ただ、そもそもの思想や主義とその国に対してどう思うのかというのは、はやり本来は別問題なんですね。
 保守にしても、イコール国粋主義ではなく、「親米保守」なんて造語もあるぐらいですから、「全ての左翼が親中だ」とか「保守なんだから反米だろ」と決めつけるような言い方は決して出来ないハズなのです。
 
 よって「リベラル宏池会=親中親韓」だと決めつけるのは早計でしょう。
 厳密に言えば、リベラルだろうが宏池会だろうが、中には親中的な考え方の人もいるかもしれませんし、そうでない人だっているコトでしょう。
 そもそもこういうのは、普通ここまで考えなくても当たり前のお話だと言えると思います。
 
 お話はちょっとそれるのですが、今の安倍内閣を見渡したときに、面白い見方があります。
 「麻生副総理」「菅官房長官」「谷垣法務大臣」「岸田外務大臣」「林農林水産大臣」「石原環境大臣」「小野寺防衛大臣」「根本復興大臣」
 全閣僚19人中8人の大臣の名前を挙げましたが、この人達、ひとつ共通点があるんですね。
 これが分かればなかなかの永田町通かもしれません。
 麻生さんが入っているので意外だと思う人もいるかもしれませんけど、実はこの人達、一度は宏池会に所属したコトがある議員さん達なんですね。
 特に派閥渡り鳥な石原さんと、今は無派閥の菅官房長官を除けば、後の方々は全て「宏池会系」の派閥に属する方達です。
 
 麻生さんについて説明しておきましょう。
 現在麻生さんは「為公会」という自らが領袖(会長という意味です)をつとめる派閥を率いていますが、この派閥の前進は大勇会という、河野洋平元衆議院議長が領袖をつとめていた派閥(人数が少ないためにグループと呼ばれていましたが)に、麻生さんは所属していたのです。
 ここでもう麻生さんと河野さんというところでビックリする人もいるかもしれませんが、そしてその大勇会は宏池会から独立した、宏池会の領袖が加藤紘一さんに引き継がれる際に「反加藤」のグループとして分派した派閥であり、つまりもともとは河野さんの麻生さんも宏池会に最初は所属していたのです。
 そして麻生さんは、河野洋平さんが宏池会から分派しその後政界引退する際に大勇会をそのまま引き継ぎ、名前を変えて今に至っているワケです。
 よって「加藤の乱」の時に分派してその後戻ってまた離れた加藤派→谷垣派の「有隣会」を含め、現在自民党には「宏池会(会長:岸田文雄外務大臣)」「為公会(会長:麻生太郎副総理)」「有隣会(会長:谷垣禎一法務大臣)」の3つの宏池会系派閥があるワケなのです。
 たまに「大宏池会構想」といってこの3つが合流して元の姿に戻ろう、なんて構想がくすぶったりします。
 
 だいぶお話がそれましたが、よっは派閥だけをもってその政治家の政治信条を決めつけるコトはできず、例えばなかなか「麻生さんはリベラルだ」なんて言う人はいないと思うのですが、結局これは「なにをもってリベラルか」という問題がまず先にあるワケなんですね。
 もちろん「タカ派」も同様です。
 安倍さんをタカ派と言い、岸田外務大臣をハト派というのは、多分イメージとしてはそれで間違いないんだろうとやえも思いますが、ただそれだけをもってその政治信条全てを決定されるモノではないハズなのです。
 あの麻生太郎元総理が宏池会だったと言われても、昔の永田町の歴史を知らない人は、ちょっとイメージと合致しないでしょう。
 派閥やハト派タカ派という色分けだけでは政治家個人の思想は計れないのです。
 
 お話を、親中に戻します。
 これどちらかと言えば、世代的な思想の方が色濃く反映されると思うんですね。
 なぜなら、それは世論とリンクするからです。
 ここで何度も言ってますように、河野談話が出された時代というのは、むしろ「政府は口だけで実際に賠償しようとしないじゃないか」なんて批判が談話に浴びせられたぐらいの、そういう時代でした。
 いまから見れば、とんでもなく左翼的な世の中だったのです。
 その中において宏池会系の河野官房長官というリベラルの人の談話というのは、まさしく世論の中道左派の発言として合致する発言だったのではないか、と言えるワケなのです。
 河野談話の内容が歴史的事実として正しいかどうかはともかく、政治的にはこれを政治家のせいだけにするのは間違いです。
 そもそも国民自身が、歴史的事実から間違っていたのですからね。
 
 また、中国や韓国とどう付き合うのか、という部分についても、その思想は変わります。
 例えば日中友好条約を締結した際の日本の総理は福田赳夫総理でしたが、この人はあの福田康夫総理のお父さんであり、福田派と言えば今の町村派に繋がる清和政策研究会(清和会)であって、つまり安倍総理の出身派閥でもあるワケで、この派閥は自民党の中でもタカ派の最右翼的な派閥です。
 まぁ日中友好条約は福田総理ひとりで成されたワケではなく、保守本流系の田中角栄総理の力も大きいワケですが、とにかくこのように中国などの国々との付き合い方というのは、そのときの状況や立場によって全然変わってくるんですね。
 そもそも安倍さん自身にしても、一回目の総理の時は、小泉時代に断絶していた日中間を修復するために、まずは中国とのコンタクトをとるというのが最初の仕事になっていましたよね。
 また二回目の時は、民主党政権に時に必要以上にへりくだった対中対韓政策だったために、むしろ何も気にするコトなく強気な対応をとるコトができているワケです。
 このように同じ人物でさえ、そのときの状況や立場によって、特に現実問題を直接動かす政治というモノにおいては、個人的思想よりも行動の方が重視され、対応の仕方が変わってくるワケです。
 
 
つづく。

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