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バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳

被爆者のために核廃絶をするワケではない


 今日はこちらの記事です。
 

核兵器禁止条約 政府、米と被爆者に配慮 国連で不参加表明
 
 米ニューヨークの国連本部で27日に始まった「核兵器禁止条約」の交渉会議で、日本政府が「建設的かつ誠実に参加することは困難だ」と交渉への不参加を表明したのは、「核の傘」を提供する米国と核廃絶を求める被爆者の双方に配慮した結果だ。ただ、会議に出席しつつ不参加を表明する異例の対応に、国際NGO(非政府組織)などから批判の声も出ている。
 
 高見沢将林(のぶしげ)軍縮大使は会議の演説で北朝鮮の核・ミサイル開発に触れ「現実の安全保障を踏まえず核軍縮を進めることができないのは明らかだ」と強調。会議に核保有国が参加しておらず「国際社会の分断を一層深め、核兵器のない世界を遠ざける」と説明した。
 
 政府は一時、会議への参加を検討したが、最終的に日米関係を重視して不参加はやむを得ないと判断。それでも岸田文雄外相は高見沢氏を会議に派遣した。唯一の戦争被爆国として「日本として主張すべきは主張することが重要」(岸田氏)との考えからだった。しかし、会議で不参加を明言したことで、かえって被爆者団体などの感情を逆なでした面は否定できない。

 
 やえは時々、条約っていうモノを勘違いしてしまっている人がけっこういるんじゃないかなと危惧しているのですが、条約って成立したとしても全世界がそれを遵守しなければならないというような、国際憲法みたいな感じのモノではありません。
 結局はその条約を締結すると承認した国だけに効力を及ぼす、どっちかと言えば自分で自分を縛るような類いのモノであり、当然その条約に参加するかどうかはその国ごとの判断に委ねられるワケであって、参加しなくても何ら罰せられるとかあるハズもないんですね。
 ですから、いくら核禁止条約がどこかの国とどこかの国で成立したとしても、その国々以外にはなんら関係のないお話であって、元々核兵器を持っていない国同士が核禁止条約を結んでも、未来に渡ってその国が核兵器を持たないと宣言する意味はあっても、世界で核兵器が無くなるという意味においては全く無関係な条約にしかならないのです。
 もしこの条約が成立したら、それだけで全世界に対して核保有が禁止になると思っている人がいれば、それは間違っていますよと言うしかありません。
 
 もしかしたら日本国内においては多少「国連信仰」みたいなのがあって、国連が決めたコト(正確には「国連“で”決めたコト」なのですが)には全ての国が守らなればならない、ややもすれば「国連=世界政府」かのように思っている人がいるように感じらてしまうのですが、残念ながら国連にそこまでの力も権限もありません。
 極端なコトを言えば、国際裁判所が判決を下したとしても、国連や国際裁判所にはそれを施行させる実力部隊を持ちませんので、その国が無視してしまえば、それがまかり通ってしまうのが現実です。
 これが国内の話であれば、警察などの実力部隊が物理的な力によって実行させるのですが、国連にはそのような行為を行う部隊もなければ、権限もないワケです。
 北朝鮮なんかの無法ぶりを見れば明らかですよね。
 もちろん「国際信用」とか「最後は戦争」みたいなモノも働きますから、国連や条約が一概に全く意味を持たないと言うつもりはありませんが、ただ、万能ではないし絶対のモノでもないというコトは認識しておく必要はあるでしょう。
 国連にしても条約にしても、最後は「自国の信用の上に自ら実行する」という、実はあやふやなモノの上に成り立っているモノでしかないのです。
 
 この核禁止条約の問題は、そうした上で考えなければなりません。
 果たして核保有国が全く参加しない国だけで条約を結んで、果たして何の意味があるのでしょうか。
 いえ全く意味が無いとは言いませんが、「核保有国と核非保有国との分断を一層深めて、核兵器のない世界を遠ざける」という見方は間違ってはいないでしょう。
 これはやえの戦略的核廃絶論でも述べているコトですが、現在核を持っている国にとっては、他の国が核を持たないのであれば、その方が自国にとってメリットにしかならないんですね。
 こんなの考えるまでもありません。
 ですから、核非保有国が非保有国だけで禁止条約を締結したところで、核保有国にとっては「ああそう、勝手にすれば?その方が自分にとっても都合が良いし」と思ってしまいかねませんし、それで全ての動きがストップしてしまいます。
 果たしてそれは「現実的対応」なのかどうか、真に冷静になって考える必要があるのではないのでしょうか。
 
 そして、国際社会の中において発言力の高い日本が、その「分断」に参加していいのかどうかという問題も、日本国民は国際社会の中における日本の立場を正しく評価した上で考えなければなりません。
 見下すつもりはありませんが、例えばアフリカのどこかの一国がアメリカなどの核保有国に物申すのと、日本が物申すのとでは、現実問題として重さが全く違うワケです。
 まして日本はG7加入国であり、国連安保理の非常任理事国としては最多を数える国であり、これ以外にも経済を背景にして国際社会の中における発言力はトップレベルにあるワケです。
 さらに言えば日本は唯一の戦争被爆国です。
 日本こそが理想論を振りかざすだけなのではなく、現実に起きたコトを一番理解しているのですから、現実問題として現実的にはどうすべきかを考えなければならないのではないのでしょうか。
 こうした現実を踏まえれば、日本が本当にこの条約に参加すべきなのかどうか、もっともっと冷静に考える必要があると思います。
 
 まして、核廃絶政策は被爆者の気持ちを慰撫するための政策ではありません。
 記事に「かえって被爆者団体などの感情を逆なでした面は否定できない」なんて書いてありますが、核廃絶政策にとって被爆者団体の感情や主張が必ずしも正義なワケではありません。
 こういう誘導って卑怯だと思います。
 核廃絶政策は、あくまで政治的な政策の1つです。
 感情論だけの問題ではありません。
 被爆者団体が感情論を吐露する気持ちは分かりますし、やえだって広島の生まれである以上、感情的な部分はありますが、それでも政治問題であるという現実的な部分を見据えれば、出発は感情であったとしても、必ず冷静な政治問題として考える必要があります。
 そしてそれは当事者ではない第三者のマスコミこそが一番考えなければならない問題なのではないのでしょうか。
 それなのに、被爆者団体の感情論をさらに煽るようなコトをするというのは、火に油を注ぐだけで、より一層問題を難しくする行為でしかありません。
 被爆者団体のコメントを載せるだけに留まらず、「感情を逆なでした面は否定できない」なんて、愉快犯的だと言わざるを得ません。
 
 やえは核問題を常に自分の問題として考えています。
 果たしてマスコミや被爆者団体はどうでしょうか。
 この問題にとって、相手は日本政府ではないハズです。
 冷静に現実的にこの問題は考えるべきだと、やえは強く思うところです。
 



政治家の行政に対する「関与」


 マスコミは理解した上であえて印象操作をしようとしているのでしょう。
 ちょっと一言言っておきたいコトがあります。
 
 いわゆる政治家の「関与」ってどういうコトだと思われますでしょうか。
 こう表現すると、けっこうダークな印象を持つ人の方が多いと思います。
 多くの人にとっては「口利き」とか「斡旋」とか、そんなイメージを持つ人の方が多いと思います。
 
 しかし「関与」と「口利き」は違います。
 もっと言いましょう。
 特に議会制民主主義において、政治家が行政に口を出すというのは、正常な状態とすら言えます。
 
 逆に考えてみましょう。
 どういう状態が民主主義において悪なのか。
 それは「とある介入によって、法や正規の手続きに基づかない方法によって行政の決定がなされる」のが悪なのです。
 こう書けば当たり前だと思いますよね。
 しかし、いわゆる「関与」はこれに該当しないのです。
 
 なぜか。
 それは、悪なのは「介入」ではなく「法や正規の手続きに基づかない決定」だからです。
 正しい法に基づき、規定の手続きを経て決定を得られれば、それは当然適法でしょう。
 半分言葉遊びな感じになっているのですが、それは当たり前のコトを当たり前として言っているからです。
 正しい法と正しい手続きを経れば、正しい結果が出る、当たり前のコトです。
 
 もっと言いましょう。
 「介入があっても、法や正規の手続きに基づいた決定」なら、それは正しい決定です。
 ここでちょっと納得できない人が出てくるかもしれませんが、ではここで言う「介入」とはどういうコトなのかを考えてみます。
 それは、民主主義における政治家とは、どういう存在なのかを思い出してみる必要があります。
 すなわち政治家とは、国民の代表です。
 
 行政に対して政治家の介入を一切許さないという社会は、それは「行政が常に1分の隙も無く常に正しい」という前提にのみ成り立つ社会です。
 では聞きましょう。
 果たして行政は、すなわち官僚は、常にパーフェクトに正しいと断言できるでしょうか?
 
 そもそも大臣制とは、それが成り立たないからこそ採用させている制度です。
 最終的には選挙によって国民に選ばれた政治家が行政の上に立つコトで、国民こそが行政の最終的に責任を負うというのが、現代の民主主義ですよね。
 特にこれは議会制民主主義においては顕著です。
 大統領ひとりが選挙で選ばれた政治家なのではなく、大臣の多くも政治家であり、また内閣と与党がほぼ一体だからこそ、より国民の代表たる政治家が行政に影響を与えられるというのが議会制民主主義なのです。
 
 政治家の行政への関与は、つまり「間違っているかもしれない行政の姿勢を正す」意味を持っています。
 みんなよく「お役所仕事」って言うじゃないですか。
 でもあれは国民のための行政としては不適切なワケで、そこに国民の代表たる、言い換えれば国民そのものである政治家がメスを入れて正常な状態に戻すというのが、政治家の正しい行政への関与だと言えるワケなのです。
 
 もちろん政治家に関与によって「法や手続きを曲げて決定が下った」のであれば問題です。
 それは断罪されるべきです。
 つまりこれは、「関与」だけでは善悪を断じるコトはできないというコトなんですね。
 あくまで善悪は「法や手続きに合致しているかどうか」で判断されるモノです。
 
 ではこういう場合はどう考えるべきでしょうか。
 「政治家からの問い合わせがあったが、法と手続きを厳格に照らし合わせた結果、それは不採用となった」
 問題があるとは言えません。
 なぜなら、正しく法と手続きによって審査されたからこそ不採用になったワケなのですから。
 これを悪と断じる理由が存在しないのです。
 
 政治家は国民の代表であり、国民そのものなのです。
 ここを無視してはなりません。
 問題ない行為を悪かのように印象操作をしようとするマスコミこそが、最も民主主義の敵だと言うしかないでしょう。
 



権力を振りかざす民進党などはリベラルではない


 今日は森友学園の件について、その中で起きているとある主張について批判しておこうと思います。
 その主張とは、民進党などが求めている森友学園の理事長、いまは元理事長でしょうか、その人を国会に招致して話を聞こうとしている、つまり証人喚問をしろと求めている件についてです。
 
 ハッキリ言ってこの行為は、国家権力の乱用です。
 法的に問題が限りなくあるという段階ならともかく、未だ何の法律にひっかかるのかさえ説明できないような段階の民間人を、強制力を持って国会に呼びつけ、偽証罪までつけた上で衆人の目にさらし者にして一方的に尋問するという行為なんてモノは、権力の乱用以外何物でもありません。
 一部の野党議員は、「証人喚問して問題を明らかにする」と言っているようですが、そんなのは「証拠はないけどとりあえず逮捕してから取り調べる」と言っているようなモノで、こんな秘密警察はないワケです。
 中世の絶対王政の国家ならともかく、こんな権力の乱用、まして権力者が民に向かって振るう一方的な乱用を行うような国家は、果たして民主主義国家と言えるのか、法治国家と言えるのか、大変に疑問だと言わざるを得ません。
 
 近年の総理大臣の評価論を最近行っていますが、麻生太郎総理の中で、やえは「麻生総理はリベラルな政治家だと思っている」と評価しました。
 それは麻生総理の政策的な部分ではなく、政治家としての権力との向き合い方、その姿勢が、リベラルだと評しました。
 つまり権力とは抑制的に使うべきで、使うなら自分のためではなく広く公のために使うべきだという、そんな自民党保守本流のリベラルの考え方を麻生総理は実践したと、やえは見ているからです。
 むしろ政策の左右は時代によって変化するモノですから、ではリベラルとは何かと考えれば、この辺の政治哲学に行き着くのではないかと、やえはそう思っています。
 
 そうやって見たとき、果たして民間人の自由を奪う目的で権力を振るい、しかもその目的は自分たちの利益のために強権を振るおうとしている民進党は、果たしてリベラルと呼べるのでしょうか。
 少し前から民進党などの一部政党は、自民党のリベラルの名門派閥「宏池会」にすり寄るような場面が多々あります。
 むしろ安倍一強と言われているタカ派寄りに寄ってしまった自民党のリベラルにとってかわり、民進党などこそが本当のリベラルだと、保守本流であり中道左派だと、そう主張する人がいたりします。
 こんな記事もありますね
 しかしこれはとんでもないワケです。
 権力の使い方を見れば、権力に対する政治哲学を考えてみれば、法に触れているとする根拠すら提示できない段階の民間人を強制力を持って晒し者にしようとしている民進党は、タカ派もタカ派、安倍総理なんて裸足で逃げ出すほどのタカ派だと言うしかありません。
 野党の一部は、リベラルという言葉を都合よく解釈しすぎでしょう。
 
 もちろん、この後、森友学園に新しい事実が発覚して法的な問題が明らかになったり、また別の問題が出てきたりしたら、それはそれです。
 しかし今回のこの問題というのは「根拠も無く民間人を国家権力によって証人喚問する」という行為に対して、それは権力の乱用だと指摘しておきたいのです。
 そしてこんなのはリベラルでもなんでもないワケです。
 
 さらにこの流れに朝日新聞など、いつもの面々が民進党に乗っているのも、大変に滑稽です。
 曰く、「やましいコトがなければ証人喚問すればいい」「自民党が証人喚問を拒否しているのは、森友学園をかばっているからだ」と、恥ずかしげもなく主張しています
 でたらめなんですよね。
 法的根拠もない一方的な主張だけで公権力によって自由を縛るような行為こそ、本来は反権力を標榜する立場が批判すべき行為なのではないのでしょうか?
 つまり朝日新聞など、権力でもって民間人の自由を奪えという主張なのであり、それに懸念を示す自民党などの立場の人は間違っていると言っているワケですよ。
 これのどこが反権力で、中道左派で、リベラルなのでしょうか。
 聞いてあきれるしかありません。
 
 民進党も朝日新聞などの「自称リベラル」の方々は、ぜひとも「民間人の自由を国家権力で縛り付ける」という行為がどういうコトなのか、よくよく考えてもらいたいです。
 



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