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バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳

死刑論と冤罪


 先日、光市母子殺害事件の最高裁判決が下りました。
 死刑です。
 この事件については他にたくさん解説しているサイトがありますから詳しく言いませんが、殺人犯が当時18歳だったという点について死刑にできるかどうかが最も争われた裁判だったと言えるでしょう。
 特に一審二審と無期刑を言い渡したのにも関わらず、最高裁においてそれが覆ったというのが、大変印象深い裁判だったと思います。
 やえはこの死刑判決を全面的に支持します。
 
 この事件に限らずですが、死刑がピックアップされると必ず出てくるのが「死刑廃止論」です。
 読んで字の如く死刑は廃止すべきだという論ですが、これ当サイトとしてもずっと昔から取り扱っている題材でして、しかし残念ながらやえは今までまともな死刑廃止論を見たコトも聞いたコトもありません。
 もっと言えば、死刑を廃止すべきまともな論拠を聞いたコトがないのです。
 いつも言ってますよね、主張があるなら必ずその論拠があるハズです。
 死刑を廃止すべきだと主張するのであれば、その論拠が必ずあるハズなのです。
 しかし死刑廃止論は、その論拠がないのです。
 どう考えても、死刑は廃止すべきだという結論が先にあって、その理由を後付けで考えているとしか思えないモノばかりなのです。
 
 一番よく聞く死刑廃止論の理由らしきモノは、「冤罪があるから」です。
 つまり、死刑は命を奪う罰であり、殺してしまってはもし冤罪だった場合には取り返しが付かなくなるから廃止すべきだ、という論調です。
 
 やえには全く理解ができません。
 
 賛成できません納得できませんではありません、理解ができないのです。
 だって「取り返しが付かない」というのは、死刑に限らず全ての刑罰でも同じだからです。
 お金ならまだしも、全てにおいて「時間」はどうやったって取り返しが付きませんよね。
 ですから、全ての刑罰において冤罪の可能性を言うと「取り返しが付かない」という論拠がもれなく付くのですから、ここに死刑だけを特別扱いをする理由が1つもないのです。
 
 そしてなにより、そもそも冤罪というのは運営の問題です。
 日本の法体系の中でも、運営の中で起きるエラーです。
 それなのにそれをシステムに転換するというのは、実は大変に無責任なコトだと言うしかないでしょう。
 システムに責任を転嫁させれば、実は運営の問題であるにも関わらずその運営の問題に目がいかなくなってしまう、つまり運営の責任を問わなくなってしまうからです。
 そしてやっぱりですね、この理由からもさっきと同じように冤罪は死刑問題に限らず全ての犯罪において起こり得るコトとしか言いようが無く、だからこそ「冤罪があるから死刑は廃止すべき」とはならないのです。
 これが仮に「冤罪があるから全ての刑罰は廃止すべき」であるなら、まだ論としての筋は通っていると言えるでしょう。
 
 この辺の詳しい内容は過去の更新(死刑論死刑執行)を読んでいただくとしまして、もう1点言っておきたいコトがあります。
 死刑廃止論が出るとほぼ必ず冤罪のお話しがでるワケですが、であるなら、まずは冤罪撲滅の動きこそを熱心に先にやるべきなのではないですかというコトです。
 論拠が「冤罪があるから」であれば、結論としては「死刑を廃止すべき」ではなく「冤罪を無くそう」というコトになるのが当然の流れのハズです。
 死刑を憎んでいるのではなく、冤罪を憎んでいるハズなのですからね、この論拠でしたら。
 であるなら、もっとやるべきコト、やれるべきコトはあるんじゃないでしょうかと言いたいのです。
 
 例えば痴漢冤罪事件です。
 これ近年の日本の司法史においては、もっとも多発している冤罪事件と言えるでしょう。
 どうしてこれを熱心に取り扱わないのですか?
 例えば今回の母子殺害事件については、加害者に死刑の可能性が出てきたという段階で全国から安田氏をはじめとして多くの弁護士が集結しました。
 言うまでもなく、死刑を阻止しようという動機からです。
 しかし、果たして痴漢裁判で冤罪の可能性が出たときに、この人たちはこのような動きをするでしょうか。
 いえ、したでしょうか。
 答えはNOですね。
 まぁ全ての弁護士が冤罪を理由にしているとは言いませんが、それにしても冤罪が理由であるのであれば、この差はなんなんでしょうかと言いたくなります。
 
 さっきも言いましたように、冤罪は運営の問題です。
 もっと言うと、警察と検察そして裁判所の人間の問題、つまり警察官と検察官と裁判官の個人的資質や能力にほぼ100%依存する問題です。
 簡単なお話です、死刑を廃止しても冤罪は1つも減らないですからね。
 であるなら、冤罪を論拠として持ち出すなら、では冤罪を無くす努力をしましょうってお話しなのです。
 
 死刑廃止論においては「冤罪があるから」というモノは一切論拠とはならないのです。
 最低でも、冤罪事件を撲滅するために最大限努力しなければ、こんなモノは論拠として持ち出せないのです。
 痴漢冤罪事件が多発している中、証拠も何にもなく被害者と自称する人間の証言だけで判決が下っている異常事態が続いている中でこれを放置している人が、どんな理由で「冤罪があるから死刑は廃止すべき」と言えるのでしょうか。
 結局そんなのは冤罪を理由に利用しているだけじゃないですか。
 つまり、死刑廃止という結論が先にあり、その理由をでっち上げるために冤罪を利用しているだけとしか言いようがないのです。
 冤罪を撲滅したいのが目的ではなく、冤罪はどうでもいいから死刑さえ廃止させられればいいやっていう、そういう構図です。
 そんな理由では死刑廃止論は成り立たないのです。

plummet教祖とあまおち総統の「犯罪者実名報道と罪と罰」


 ああああああああ。
 ごめんなさい、今日の更新分のテキストデータがどっか行っちゃいましたあああああ。
 ああん。
 
 たまーにこういうコトがあるんですよね。
 さすがにいまから書くのは気力がありません。
 
 というワケで、これでお茶を濁そうと思います。
 昨日あまおちさんが、いつもお世話になっているplummet宗匠さんとツイッター上で議論と言いましょうか、意見交換を行なっていまして、それをまとめたモノがありましたので、それをご紹介させて頂きます。
 ツイッターやってない人すみません。
 でもツイッターやってなくても読めますから、ぜひ読んでみてください。
 
 光市母子殺害事件がついに先日、最高裁で死刑判決が出まして、それについての意見交換です。
 結構深いですよ。
 
 plummet教祖とあまおち総統の「犯罪者実名報道と罪と罰」

手段を間違えれば目的が何であれ許されない


 今日はコメントについてちょっとお返事しておこうと思います。
 とりあえずですね、いただいた方のコメントの他の部分は今まで散々語ってきた中で全て答えていますので、1点だけお答えします。
 ただこれは、コメントレスというだけではなくて、様々な問題においての原理原則と思っていますので、多くの方に読んで貰って広い意味で色々と考えていただければと思います。
 

政策の中身についての批判ならともかく、「形がおかしいから論ずるに値しない」という批判は、議論する事を理念とする民主主義それに反する行為になるのではないかと思います。

 
 目的のために手段を選ばないというのは最悪の行為です。
 これは今回の件だけに限らず、やえはずーっと昔から様々な件において繰り返し言ってきたコトです。
 例えばテロリズムです。
 アルカイダの思想だけ抜き出しての「反米」という思想はまぁいいでしょう。
 是非はともかく、その思想だけにおいては主張するという自由は民主主義国家であれば保証されていますから、日本視点で見れば、反米という思想の主張は自由です。
 ただし、アルカイダが主張する反米は、これは一切議論には値しないモノです。
 なぜなら、手段を間違えているからです。
 その主張のために全く無関係の民間人を殺していいコトには絶対になりません。
 しかしそういう行為をした時点で、アルカイダという組織の主張は無に帰されたのです。
 主張の中身は関係ありません。
 自らの行為によって、自らの主張を殺したのです。
 アルカイダという色が付いている反米思想は、その主張をやえは一切認めません。
 
 これと同じです。
 間違えないでくださいね、橋下さんがテロリストと言っているワケでは一切ありません。
 ただ、手段を間違えていると言っているのです。
 そして手段を間違えている以上は、橋本徹という人間の色がついている都構想ですとか首相公選制とかは一切論ずるに値しないと言っているのです。
 
 都構想はともかくとしましても、首相公選制はいままで色々なところで様々な人が論じてきましたから、その1つとしてやえも論ずるコトはあるかもしれません。
 でも橋本徹が主張するという前提でのこれは、橋下さんが国政に自ら立候補するか、もしくは大阪維新の会が橋下さんのオーナー支配から逃れるかしない限りは、論ずるに値しません。
 やえは、目的の為に手段を選ばない人を認めません。
 
 もしここを場合や人によって認めていたり認めなかったりしてしまうのであれば、それこそ好き嫌いだけで判断しているだけとしか言いようがなくなってしまいます。
 安重根は否定するのにアルカイダは認めるとか言ってしまうのは、論理的な説明が付きません。
 テロリズムもそうですし、デモと称した暴動もそうです。
 ちょっと前に世界同時貧困打破デモとかやってましたが、なぜそのために欧米とかでは商店を破壊して略奪するのですかと。
 もうこの時点で、いくら貧困打破が正しい思想だったとしても、この人たちが主張する動きに連動しての貧困打破の動きはやえは一切認めません。
 むしろこういう方法は、主張を後退させるコトにしかならないと認めさせなければならないでしょう。
 
 これらの例は分かりやすいのでよく使いますが、よくよく見れば身近なところでもこういうコトってあると思うんですよ。
 体罰問題とかも、構図はこれかもしれません。
 学校の先生が目指すべき主張、勉強しないとか正しい礼儀を行いなさいとか、こういう主張はいいのですが、それを実行させるためのいきすぎた暴力はいけません。
 体罰問題は暴力の質も問われるので色々と複雑ではありますが、手段と目的の問題だけをピックアップさせればこういうコトであり、そしてその後その教師の主張が何であったっとしても、いきすぎた暴力を元にしたこの教師の主張は認められないのです。
 まずはいきすぎた体罰、つまり暴力ですね、それを自身の主張抜きでまずは総括しなければならないのです。
 
 「やらなければならないコトは分かりますが、そのためにそんなコトはできませんよねぇ」なんて、よくあるコトだと思います。
 つまりこれは、目的のために手段を間違えてしまっているために起きるコトなのです。
 
 手段を違えた時点で、その主張は一切認めない、いえ、一切取り上げてはいけないのです。
 それを認めるからこそ、ますます手段が過激になって、取り上げられた者勝ちになってしまうのですから。
 やえは中身で見ます。
 主張をしている人が好きか嫌いでは判断しません。
 だからこそ、手段を間違えている人は、その人の主張は一切認めないのです。
 原理原則のお話しなのです。

「自民支持層の軋轢」について


 さて、なんか毎週オレが出てきてしまってすまんな。
 いいのかい、オレはノンケでもがふっ
 
 
 国民の責任について、ふとツイッターで連投したのを編集し直してここに載せる事にする。
 果たして民主党に投票し、それを後悔している人には、どのような責任を取って貰うのが適当かという話だ。
 まぁ、そんなに長くないので読んで貰いたい。
 
 
 この「自民支持層の軋轢」というまとめについてコメント。http://togetter.com/li/258268
 
 いくつか視点があるので、まず「国民の責任」について。
 国民の責任とは「結果を否定しない」という事だろう。
 「批判しない」ではない、「否定しない」だ。
 例えば自分は民主に入れてないから民主が作った法律には従わない、と言うのは間違い。それは受け入れるのが国民の責任。
 
 その上で民主主義には議論は必要だし批判も必要。
 だから「結果は否定しないが、その結果をもたらした原因には批判をする」というのは民主主義的に正しい。
 「民主に投票した奴は反省を」の主張は「原因に対する批判」であって、民主主義的には間違いではない。国民は主権者であって最終責任者であるのだから、政治家に批判するのと同等かそれ以上に批判を受けるべき存在である、本来は。
 だから、選挙の結果として民主が与党なのは、システム的には「正しい」が、思想的には「失敗だった」のだから、この思想部分に対して国民は批判を受けるべきなのだ。
 
 視点が変わり、「民主政権の失敗」は国民的にはどこにあるかを考える。
 民主政権の国民への不利益とは、政治の結果国益が損なわれたという点ではない。政策を実行すら出来なかったという点にある。
 
 例えば小泉総理は郵政民営化すると言って実行した。
 民主は高速道路無料化すると言ってしなかった。
 郵政を民営化した結果どうなるかの検証は時間がかかるし、ある意味歴史が証明する事だろう。
 その結果も国民は受け入れる必要はあるが、政権選択の際における正否の責任までを国民がすぐ問われるべきかどうかというのは、難しいだろう。現実社会に顕れる結果というのは見方によって変わるから。
 
 しかし「やると言った事をやらなかった」という今の民主の失敗は、結果は明らかだ。
 見解の相違なんて余地はない。
 この点に関して国民が追うべき責任はどこにあるのかを考える必要がある。特に民主党に投票した人はという、投票しなかった人との差も考慮に入れて、だ。
 
 なぜかと言うと選挙の際には「民主の公約は実行不可能だ」という意見が少なくない数あったから。「結果的に経済が衰退する」とかの類ではない、「それは実現不可能だ」という意見だ。
 前者だと見解の相違で人によって違うが、後者は明確に万人に同じ結果の意見である。
 そしてあの時民主に入れた人も多くは「現実不可能だ」という意見を目に耳にしていると思われる。一切それを聞かなかった人はいないだろう。大部分は耳には入ったけど頭に入れなかった人だと思われる。
 多分「民主に入れた奴は謝罪しろ」論はここの点が争点。
 
 「そう言ってたのに聞く耳持たなかっただろ。そして結果はこうだ。だから謝罪しろ」が「謝罪しろ論」の骨格である。
 もうちょっと強めれば「そんな事ぐらいちょっと考えれば分かった事だろ。だから謝罪しろ」になる。そして「指摘したのにお前のせいで迷惑がかかった」となる。
 まぁ謝罪はともかく、明らかな失敗という結果を目の前にして、それを見誤ったのであれば反省は必要であろう。「騙された」と言うだけでは主権者としては無責任なのは違いない。
 まして騙されないための材料は確実にあったのだから。
 
 現在の政治の歪みはひとえに「やると言った事をやらなかった」という点にある。「政治が暮らしを良くしなかった」というレベルではない。そしてその嘘は少なくとも国民の1/3ぐらいは嘘だと見抜ける陳腐さでもあった。
 この点を踏まえた上で「国民の責任」を考える必要があろう。
 
 国民は運動員ではないので他人に影響を与えられなかったから悪いとか、その手の意見は厳しすぎる。オレはサイトやってるからそういう意味では耳は痛いが(笑)
 でもまぁ国民の1人として「他人のせいで迷惑を被った」のであれば、謝罪を求めたくなる気持ちは自然ではなかろうか。その迷惑は国民の一人として、責任者として否定せず受けきっているのだからな。
 でもまぁ実際全員が謝罪しても詮無い事なので、その意見をどう受け止めるかは別問題だとは思う。
 だから次の事を考える。次どうするか。
 
 少なくとも「自分は民主に騙されただけ、責任はない」とか言っているようでは政治は良くならないだろう。そして実際そう思ってしまっている人も少なからずいるのも事実。
 だからその手の輩には現実を突き付け目を覚まさせる必要はある。
 しかしその方法論を見つけるのは難しい。一国民として出来る事など限られているし、それをしなければならない義務も本来はない。
 「謝罪しろ」とは身に係る火の粉を払う思いであるが、逆に言えば火の粉が身に振り描かなければ自業自得で済んでしまう感情だ。このバランスが難しい。
 一国民として出来る事は限られているからこそ政治は難しいのである。
 なにより民主主義は政治に関わる人数が多すぎる。
 だからオレとしては自分のサイトで間違いは間違いと指摘している訳だ。自分ひとりで結果全てを変えれるとは思っていない。それは傲慢すぎる考え方だろう。
 
 
 ここまでがツイッターでのまとめなんだが、難しい問題ではある。
 でもなんらかのケジメは必要ではないかと思う。
 でなければ、同じ事の繰り返しになるからな。
 まして民主党の失敗は「実行できなかった」という点で、解釈の余地なくハッキリしている訳だからな。
 そのために他人から強要する事ではないが、自ら反省の気持ちを形に表すというのは必要な事なのかもしれないとは思う。
 特に、オレのような投票以外の活動をしている者ならな。
 まぁその筆頭はマスコミな訳だが、もしマスコミの厚顔無恥のようになりたくないのであれば、反省の気持ちっていうのも考える必要があるのではないだろうか。

実質的な院政ですから


 昨日のお話について、もうちょっと深く掘り下げてみたいと思います。
 橋下大阪市長の自らの政党は国政選挙に出るのに、橋下さん自らは出ないって言ってしまうのは、それは院政だというお話しです。
 
 というか、後から調べて知ったんですが、もう橋下さんは自分は国政選挙に出ないって言っちゃったんですね。
 一昨日のコトのようですから、最近国会のニュースばかりチェックしていたんで気付きませんでした。
 というワケで、昨日は「自らは出ないのであれば」という前提でのお話しでしたが、これからはもう出ないというコトでお話しを進めたいと思います。
 
 それは院政ですよ。
 
 コメントを頂きましたので、ちょっと引用させて貰います。
 

 やえちゃんの意見の多くは首肯したり、勉強させてもらったり、いつも楽しく読んでいるのですが、どうも橋下氏に対する記事はちょっと・・・
 仮に維新の会から当選した国会議員が生まれたとしたら「橋下氏個人の政策に従う人」ではなくてあくまでも現時点で橋下氏が代表である大阪維新の会が示す政策に賛同する国会議員ですよね。
 当然国会での会派は現在の大阪維新の会と同一ではないでしょうし、その代表も当選した国会議員の誰かが就くでしょう。
 大阪維新の会代表の橋下氏個人の意思にのみ従う内閣なんて、それこそ議院内閣制の制度下では成り立たないのでは?
 仮に橋下氏個人の意思と異なる言動したからと言って、大阪市長でしかない橋下氏は不満を表明することはできても、解散権も、その議員や閣僚を罷免する権力は持ってませんよね。
 あと今回、院政は怪しからんと仰いながら、かつて大阪都構想で橋下氏の政治手法(アプローチ)を批判されていたときは確か、大阪都を作って公選の区長を設けるよりも自分の意に沿う府知事を据える方がいいんじゃないかという言ってませんでしたか?
 これって、まさに今言われるところの「院政」ですよね?
 府政では院政を推奨するけれど、国政では論評にあたいしないと断ずるのはかなり違和感感じます。
 橋下氏は府知事の経験があるから府政では院政でも良いっていうならば、一期でも国会議員していたならば院政許しますか?
 現場を知っている国会議員じゃないと国政に影響力を持っちゃいけないって理屈ですから、そんなこと許さないですよね。
 地方行政は公選(大統領制?)だから院政はOKというのも変だし・・・
 まぁ橋下氏は、そもそも総理大臣の公選制を望んでいるようですし、そうなるとやえちゃんが言うところの院政が成り立たない制度を作ろうってしてるんだから、そんなに目くじら立てて批判しなくてもいいんじゃないですか?
 それよりも橋下氏の政策をやえちゃん視点で掘り下げて、悪い点良い点を論評してもらえるほうがブログ一読者としては嬉しいです。

 
 まず、これは本題ではない蛇足になるのですが、「いつも読んでますけど、○○の件に関してだけは……」っていうコメントはもう今まで何度も何度も頂いておりまして、例えば人権擁護法案の時ですとか、国籍法の時ですとか、性犯罪に関する問題ですとか、もう毎回言われていますので、はぁそうですかという感想しか持てません。
 いつも言ってますが、やえにとっては結論はどうでもよくて大切なのは論拠であって、別の方のコメントですけど好き嫌いなんていう結論は本当にどうでもよくてですね、論拠が納得できればやえも嫌いな人でも好きになりますよってぐらいですから、「この件に関しては」なんて言われると、結局論拠は見て貰えてないのかなとさみしくすら思ってしまいます。
 今回コメントいただきました方は論拠も書いてくださっているのでダメとは言いませんけど、この言葉に対しては、やえは戸惑いしか感じませんので、ちょっとひとこと付け加えておきたいと思います。
 
 さて本題です。
 まず最初に誤解を解いておこうと思います。
 やえは傀儡府知事の手法が良いとは言っていません。
 該当部分をもう一度読んで欲しいのですが、ごめんなさい該当部分がどこか検索しても分からなかったので記憶で書きますけど、確か「それは政治家としてどうなんだとは思いますが」ぐらいのコトは書いたと思います。
 
 で、ここがこの問題の認識のズレのポイントなのですが、形式論(システム論)と実質論(思想的な論)とは別問題なワケです。
 
 ちょっと前にしていた都構想における言及というのは、そのほとんどが形式論です。
 橋下さんの主張は「二重行政を無くす」というこの目的にために都構想という手段を主張したワケですが、しかし現在の大阪市を政治家区長のいる区に分割すると、現在大阪市の範囲の中の政治家の数は「府知事-市長」という2人から、「都知事-20人ぐらいの区長」という10倍に程にもなるという数になるのですから、こんなのますますスマートではなくなりますよというお話しだったワケです。
 これはシステム論です。
 やえの考え方ではありません。
 ただの事実です。
 仮に大阪都の中には政治家としての首長は都知事ひとりにするんだというコトでしたら、「二重行政を無くす」という目的においては今よりもやりやすくなると言えるでしょう。
 ただしこれは、おそらく憲法にひっかかりますし、最低でも国会マターである法律を改正しなければ無理です。
 そして橋下さんはあの時点では市長選挙に立候補していました。
 つまりいくら大阪府を都にしたとしても「都知事-20人ぐらいの区長」となるのは決定事項であり、目的にはそぐわない手段ですと、これはシステムの上で言ったワケなのです。
 現在の日本はそういうシステムになっているので、それを確認する意味で言っただけなのです。
 
 しかし院政論はちょっと違います。
 院政はシステムや法令等によって禁止されているモノではありません。
 そもそも本家院政自体、システム的な概念ではありませんね。
 天皇を譲位した上皇が、システムに寄らないところでの「存在感」によって実質的に権力を握るというのが院政です。
 ですから院政時の天皇も、システム的には日本にトップであって、システムの上でその地位が脅かされたコトはありません。
 院政とは最初から最後まで「実質的なお話」なのです。
 
 ですから、「解散権も、その議員や閣僚を罷免する権力は持ってませんよね」と言うのも、これは院政論には全く関係のないお話しだと言うしかありません。
 システム論の面では問題はない、言い換えましょうか、「違法性はない」というのはその通りです。
 そこに異論はありません。
 でも実質的な部分を見れば、橋下新党とはどういう形を成しているのか、という部分を見るべきだと、そうやえは言っているワケなんですね。
 
 いま橋下さんの置かれている立場とは、いままでの政治を見てもかなり特異なところにあると言えると思います。
 というか、国民から見た橋下さんと言った方が適切かもしれません。
 いま橋下さんを支持している人というのは、突き詰めれば「橋下さんだから」という理由によっての支持になります。
 もちろん橋下さん個人を支持するのであればそれでいいのですが、問題なのは「大阪維新の会」についても「橋下さんだから」という理由になっているというのは、実質的な面で否定できないところでしょう。
 そもそもこれは橋下さん自身が仕掛けたコトだとも言えます。
 大阪維新の会は、橋下さんが自らの政策に同調するが集まって出来た政党ではなく、「橋下さんが自らの政策を実行するために集めた実働部隊」というのが正しい性格です。
 「政策のための政党」ではなく、「橋下徹のための政党」なのです。
 
 橋下さんが開いた塾に集まった人の中に、果たしてどれだけ単純に政策だけで集まった人がいるでしょうか。
 「橋下さんだから」という理由で集まった人がほとんどなのではないでしょうか。
 それは現在の大阪府の中の地方議員である「大阪維新の会」の議員も同じです。
 中には別の政党から鞍替えした人も少なからずいますが、その理由は結局「(人気の高い)橋下さんだから」というモノが一番大きかったのではないでしょうか。
 
 実質論ですよ。
 形式論で「それは違う」というのは簡単です。
 でも実質的には、少なくとも今の「大阪維新の会」はそうだと言うしかないです。
 例えばコメントを頂いた方も、「大阪都を作って公選の区長を設けるよりも自分の意に沿う府知事を据える方がいいんじゃないかという言ってませんでしたか?」とコメントしているように、いまの大阪府知事というのは、結局は橋下さんありきの政治家だというコトを暗に認めているワケです。
 みんなそう思っていますよね。
 これ多くの大阪府民もそうじゃないでしょうか。
 「橋下さんはどうでもいいけど、松井さんの主張は素晴らしいから投票する」っていう人、果たしてどれぐらいいたでしょうか。
 実際のところは「橋下さんの主張に従うから松井さんに投票した」っていう人がほとんどだと思われます。
 そして松井さん自身も、橋下さんとセットで、「橋下ありき」で選挙を戦ったというのは、誰も否定できないところだと思います。
 
 例えば、橋下さんが市長選挙に主張していなかった政策を新たに打ち立てた時、松井府知事がそれに反対するコトはあり得るでしょうか。
 さらに、仮にそれが府知事マターの案件であり、そして松井府知事が反対したとき、府民はどういう反応を示すでしょうか。
 多分松井さんの投票した人であっても、ほぼ反発するのではないでしょうか。
 「橋下さんに賛同するから投票したのに、反対するとは何事だ」と、こう言うのではないでしょうか。
 
 これが実質的な院政なのです。
 
 まだですよ、市長と府知事であればかぶる仕事も多いですから、役職が違っても口を出すというのも分からなくもありません。
 地方政治の首長同士が話し合いをするっていうのは、むしろ推奨されるコトではあります。
 しかし地方政治と国政は全然違います。
 まして首長と国会議員は、所属するのが(法的には違いますが)首長は行政であり国会議員は立法であるのですから、もう全然仕事の内容も立場も違うワケです。
 こういう中で、市長の思想的オーナー政党が国政選挙に出るっていうのは、それはその市長の院政だと言うしか表現がないというコトなんですね。
 
 実質的に考えてください。
 いまの大阪維新の会って、橋下さんの思想的オーナー政党じゃないですか。
 これ、否定できます?
 コメントで「大抵、どの議員さんも何か国政に関して分からない点、迷っている点があったら、頼りにしている師匠のような人は普通にいると思いますよ」というのもありましたが、それは「ブレーン」ですよね。
 では例えば「橋下市長は大阪維新の会のブレーンですか?」ってその辺に人に聞いたら、ほぼ間違いなく否定するコトでしょう。
 書面をもってそれを否定するのは簡単ですが、実質的にはどうやったっていまの状況では詭弁としか言いようがありません。
 橋下さんはブレーンではなくオーナーなのです。
 少なくとも多くの国民とマスコミはそのような目線で見ていますし、そしてこの構図をプロデュースしているのは橋下さん本人です。
 仮に国政用の大阪維新の会の新党を作ったとしても、一番注目されるのは橋下さんの発言でしょう。
 そして橋下さんも、常に自分が注目されるよう、影響力を最も与えられるよう、コントロールしていくコトだと思います。
 
 「思想的オーナー政党」がダメなワケではないです。
 そのオーナーが後ろに隠れているからダメなのです。
 院政のなにがダメなのかと言うと、責任の所在が隠れるところにあります。
 例えば大阪維新の会が国政で与党になったとして、しかし政策が実行できなかったとしても、橋下さんとしては「政策が間違っていたのではなく、議員が力不足だったため」と言えてしまう構図を残してしまいます。
 本人がそう言うという意味ではありません。
 そういう構図が残るコトが、まずダメなのです。
 つまり「失敗は他人のせい、成功は自分の功績」という形が院政では出来上がるんですね。
 もしですよ「橋下さんはそんなコト言わない」って言うのでしたら、だったら橋下さんが自ら先頭に立って現場に立って国会議員として活動すればいいじゃないですか。
 そうではなくて、肝心の実行する現場に自分は立たないと言うのですから、それは院政であり、責任を投げているコトにしかならないと言うしかないじゃないですかってお話しなのです。
 まして現代の選挙を通じて政治を動かすという間接民主主義を採っているのであれば、国政の失敗の政治家としての責任は選挙でとらせるべきなのに、最も責任のあるハズの橋下さんは国政選挙で責任を取らせるコトが出来ない形になってしまいます。
 国政の失敗を市長の辞任や選挙での敗北でとらせるっていうのは、歪んでいるにも程がありますしね。
 それはもはや立場の違いの混同の極地です。
 いくら政党として選挙に負けたとしても、橋下さん本人は他人の手による自らの立場の変更は行われないのですから、直接的に責任を取らせる方法がないワケです。
 間接的に責任を取れと言われるコトはあったとしても、本人の意向を無視して強制的に責任を取らせるという方法がないのです、院政では。
 これこそ院政の最も大きな特徴であり、最も否定すべき点なのです。
 こんなのはもはや民主主義とも言えないでしょう。
 このように、大阪維新の会が思想的オーナー政党である限り、そのオーナーが国政に出ないのであれば、どう考えたって実質的には院政にしかなりません。
 やえはここを指摘しているワケです。
 
 院政はシステム的には禁止に出来ません。
 だっていくら言ったって、「党首は国会議員だ」と書面に書けば、実質的オーナーを形として証明するコトは出来ませんからね。
 だからやえは、前回も、システム的やに院政は認められていませんとか、法令違反ですとかいうような表現は一切使っていませんし、いまでもそのようには思っていません。
 システム的な問題だけで言えば「合法」と言うのが正しいです。
 でも合法だから何をしてもいいってワケじゃないですよね。
 少なくともやえは、院政を敷く方法で国政に影響を与えようとしている橋下さんの手法は思想として認められないと、肯定できないですし、否定するしかありませんと、そう言っているのです。
 そして手法がダメであれば、それは政策の中身以前の問題であり、もはやこの時点で政策については論ずるに値しないというコトです。
 「言っているコトは正しいのだから何をしてもいい」とは決してなりませんからね。
 
 実質的に大阪維新の会が橋下さんの思想的オーナー政党だというところが、この院政の問題の一番のポイントです。
 もしここが違うというのでしたら、院政だという批判も当てはまらないでしょう。
 でもどう考えても実質的には思想的オーナーですよね、橋下さん。
 この構図というのは、新党大地に似ていると言えるでしょう。
 現在の大地の国会議員は鈴木宗男元議員の秘書だった人ですが、誰がどう見ても新党大地の実質的なオーナーは鈴木宗男元議員です。
 こういうコトなんですね。
 普通に考えれば「大阪維新の会」の思想的オーナーは橋下さんですよ。
 もしこれをどうしても「橋下さんはブレーンに過ぎない」と言い張るのでしたら仕方ありません。
 でも常識的に普通に考えたら、やえはやえの見方の方が普通だと言い切る自信はあります。
 そもそも国政選挙のための公約の原案を国政には出ないと明言している人が発表するっておかしいじゃないですか。
 もうこの時点でおかしいですよ。
 選挙に出ない人が考えた政策を実現するために、ただ実働部隊として動くための国会議員として、立候補者を集めているっていうのは、これだけでも十分証明されているじゃないですか。
 形式的な文章上のコトを言ったら院政なんていう概念は存在しなくなってしまうワケで、実質的にはどうなのかというコトをここでは考えなければなりません。
 そうした上で、やえは橋下さんの国政に対するこの手法は院政の手法だと指摘し、そうである限りはもはや論ずるに値しないと言っているのです。

もし国政に出ないのであればただの院政


 今日は大阪市の橋下市長のお話です。
 
 橋下さん、維新八策と名付けた政策の原案と言うべきですかね、それを公表し、いよいよ国政選挙に打って出ようという準備を進めていらっしゃいます。
 もちろん、誰が国政選挙に立候補するかというのは、国籍と年齢と公民権停止問題さえクリアしていれば誰だって自由ですから、誰が立候補しても構いません。
 結局その人を国会議員として認め選出するのは国民ですから、相応しくないと思うのであれば国民がその意思を表示すればいいのです。
 そのため選択肢は多い方が良いですからね、意欲のある方は是非立候補して欲しいですし、仮に現職の市長であっても立候補を目指すと言うのは、その市民としては様々な感情はあるとは思いますが、表明するコトは自由だと思います。
 
 しかし、1つ問題があります。
 これ橋下さんがどうされるのかまだ分からないのですが、後から言うと後出しとか思われたくないのでいまの段階で言っておきますけど、もしですね、橋下さん本人が国政選挙に立候補しないのであれば、それは卑怯なコトだと言っておきましょう。
 
 大阪維新の会という誰がどう見ても橋下徹個人の考えが最も強く影響を与えている、思想的にはオーナー政党と言えるような政党において、その橋下さん本人が国政選挙に出ないというのであれば、これは「院政」ですよね。
 大阪維新の会がどれだけ議席を獲得するか分かりません。
 でも例えば100人当選したとして、でもこの人達は国会議員ではない橋本徹という人の政策に従う人たちであるワケですから、つまり国会議員が非国会議員の代行者でしかないというコトになります。
 これは院政です。
 国会議員でない者が国政を裏から操る行為です。
 こういう構図は本来認められない行為なのではないのでしょうか。
 
 例えば二昔前ぐらいの自民党単独政権時代では派閥政治とか言われて、派閥の領袖(会長)という総理でない人がキングメーカーとか言われて国政を決定していくコトはけしからんという批判がありました。
 まぁこの批判はどれぐらい派閥の領袖が国政に影響を与えていたかという検証も必要ですが、それでもまだこれも、派閥の領袖だって国会議員なのですから筋は通るワケです。
 そもそも国政は地方政治の大統領制とは違い議院内閣制ですから、国会議員が国会議員としての立場で国政に影響を与えていくというのは間違ったコトとは言えません。
 むしろ複数の議員が影響を与え合うというのは、議院内閣制としては正しいコトとすら言えるでしょう。
 しかし、もし橋下さん本人が国政選挙に出ないのであれば、これすら凌駕する最悪な形での院政になってしまうと言うしかないのです。
 
 国政政治は議員本人が汗をかいて自ら努力して政策を実現していく制度です。
 行政機関1つとっても、首長一人で行政府の形を取っている大統領制とは違い、国政の行政府は内閣という複数人での合議制の制度です。
 システム的には閣議決定には全員の了承が必要です。
 大臣の1人でも拒否すれば閣議決定は成立しないという、総理大臣1人が行政府なのではなく、10数人からなる内閣というチームが行政府というシステムなのです。
 ですから何より、「合議」というモノが国政においては最も大切です。
 大統領であれば、自分ひとりの考えだけで良いでしょう。
 しかし議院内閣制は違うのです。
 総理大臣ひとりが息を巻いて時に怒鳴り散らしたとしても、それでは全然物事は動かないというのは、菅直人を見れば明らかですよね。
 政治は人のためにあるのであって、だからこそ血が通っている、感情のある現場によって政治は成されるべきなのです。
 それを踏まえれば、国政を行いたいのであれば、キチンと最初は一議員から初めて、現場で汗をかいて、システムを理解して、意見を集約できるよう経験を積んで、言わばこういう下積みをしてから、もし総理大臣になりたいと橋下さんが願うのであれば、そういう経験を積んでからにすべきだと言っておきたいです。
 
 どっかのドラマじゃないですけど、「事件は現場で起きているんだよ」ですよ。
 まだ警察機構は指揮官と現場は別々でも構いませんが、国政は指揮官こそが現場にいなければならないのです。
 理想と現実は違います。
 いくら口で理想を唱えても、現実に即していないなら何の意味もありません。
 政治は現実です。
 現実を変えるために政治があるのですから、その現実の場に現場にいてこそ、国会議員は意味があるのです。
 
 橋下さんは、その現場を知らないままにもし国政に影響を与えようとしているのであれば、それは院政です。
 自ら国政選挙に出る、国会議員となるというのでしたらもちろん自由ですし頑張ってほしいと思いますが、もし自らは出ずに後ろから国会議員を操ろうとするのであれば、それは橋下さんの政策の善し悪しに関わらず全ての主張に対してやえは認められないと言うしかなくなってしまいます。
 橋下さん本人が立候補し、国政へ実行は自ら国会議員として汗をかかれるのでしたら良しです。
 しかしそうでないのであれば、やえは橋下さんの国政に対する一切の主張を否定するコトを今のウチに宣言しておきたいと思います。

3党合意なんて知らんとシラを切る岡田副総理


 ちょっと昨日の衆議院の予算委員会があまりにもひどすぎるので、ご紹介したいと思います。
 実はこれを受けて、今日も行われる予定だった予算委員会がストップしたままになってしまいました。
 これ全然テレビとかニュースで流さないので知らない方も多いかと思うのですが、いかに民主党がデタラメか、約束を守らないか、そんな政党とどう協議して合意を得られるのかと、もはや政治問題ではなく人間の基本的な生き方の問題だとすら言うしかない、そんなひどいやりとりです。
 
 公正になるよう、あとでやえがまとめました議事録と、中継の様子の動画を張っておきます。
 もしまとめが信じられないのでしたら、そちらをご覧下さい。
 ひどいです。
 
 流れをまとめます。
 まず問題の発端についてです。
 
1.民主党・自民党・公明党の間で昨年、「高校無償化については検討見直しをする」「23年度補正予算と24年度の予算については編成プロセスで誠実に対処する」と合意をする。
2.しかし高校無償化についても、予算編成についても、全く民主党は自民・公明両党に説明も協議も持ちかけなかった。
3.よって自民党は「見直し協議ということをぜひ行いたいと要請」を民主党に行う。
4.民主党、完全無視。
 
 委員会の流れは、これを受けた上での質問です。
 
自民党下村議員「3党合意した時の幹事長は岡田さん貴方だ。なぜ誠実な対応をしないのか」
岡田副総理「確かにサインしたのは私だが、その後役職を離れたから知らない」
下村「そんな答弁はないでしょう。その後副総理になったんだから、責任ある立場でしょ。なんで合意を履行しようとしなかったんですか?」
岡田「だから幹事長じゃないんだから知らないってば」
下村「3党合意を履行するよう自ら動けばいいだけじゃないですか。自民党はわざわざ民主党に呼びかけたんですよ、やりましょうって。でもやらなかったのは民主党でしょ。なんでやらなかったんですか?」
岡田「幹事長じゃないから知らないってば」
 
 ひどいですねぇ。
 民主党は約束を守るつもりはさらさらないと堂々と宣言しているのです。
 岡田副総理の言い訳も酷いです。
 簡単なコトなんですよ。
 岡田副総理がひとこと、予算編成に当たっては自民党と協議しろって言えば、それで済むんですよ。
 別に岡田副総理自らお出ましになって自民党と協議しろって言っているワケではないワケで、岡田副総理は幹事長時代にサインをした当事者なのですから、その責任を理解しているのであれば、予算編成時に自民党に誠実に対応しようと、現在の党の幹部に副総理として自ら手配すればよかっただけのコトです。
 そもそもいくらいまは役職に就いていないと言っても、民主党の所属であるには変わりないですよね。
 これが民間大臣であればまだしも、民主党所属の議員が「民主党のコトだから知らない」と言うのは、しかも日本で2番目に重い立場にある人間が、そんな無責任なコトを言って許されるハズがありません。
 まして野田総理は民主党の代表でもあるワケで、100歩譲って岡田副総理に責任が無いと言ったとしても、野田代表の責任は免れないワケです。
 岡田代表であり総理が「3党合意を誠実に守るために自民・公明両党と協議しろ」と言えばそれで終わってた問題なのです。
 結局これでは「民主党は約束を守らない」と、そう解釈するしかありませんね。
 実際守っていないワケですし。
 
 


 
■自民党下村博文議員
 お手元に昨年八月九日の三党合意、これを改めて確認させていただきたいと思いますが、高校授業料無償化については、「政策効果の検証をもとに、必要な見直しを検討すること」となっている。「平成二十四年度予算の編成プロセスなどにあたり、誠実に対処することを確認する」と、こういう風に書かれているわけですね。
 しかし、高校授業料無償化の見直し作業は実際は行われておりません。平成二十四年度予算編成にも全く反映されておりません。我が党に対しても公明党に対しても、この三党合意を受けて民主党から何ら誠意ある行動はありません
 我が党としては、再三再四これについては要請をしたにも関わらず、なしのつぶてで平成二十四年度の予算案が出てきて今日に至っている。こういう状況であります。
 一方で、税と社会保障の問題等ですね、与野党協議を働きかけているにも関わらず、自分たちに不都合なことは約束をしているにも関わらず、何の誠意の一かけらも見せない
 これはとんでもないことであるというふうに思います。
 これについて、この確認書、当時の幹事長岡田副総理が署名しているわけですね。これは岡田当時幹事長が自ら署名しているわけです。今政府に入っているわけです。どう考えられますか。
 
●岡田副総理
 この三党合意、確かに私が石原幹事長・井上幹事長と協議をしてまとめたものでございます。
 この三党協議の中で言っておりますのは、高校無償化について「平成二十四年度以降の制度のあり方については、政策効果の検証をもとに、必要な見直しを検討する」と、いうものでございます。したがって、見直しをするかどうかは、それは検証次第ということではございます。
 しかし、検証するということは三党間で合意している。まぁその検証がどのようになされたのか、まぁ私、党の役職を離れておりましたので十分承知する立場にはございませんが、三党間でしっかりと検証をしていただくという風に期待をしているところでございます。
 
■下村博文議員
 そんな、与党の幹部として、そして政府の副総理としてしてですね、そんな答弁で許されますか。
 で「一」のところの「政策効果の検証をもとに、必要な見直しを検討する」ということと、さらにその下にですね、「平成二十三年度第三次補正予算ならびに平成二十四年度予算の編成プロセスなどにあたり、誠実に対処することを確認する」、これは三次補正でも、あるいは今回の二十四年度予算編成プロセスに当たっても、全く対処していないんですね。
 これ、どう責任をとりますか
 
●岡田副総理
 まぁあのー、このことについて各党間でどういう状況だったのかというのは、私、把握しておりませんので、これ以上ちょっと申し上げることは控えたいと思います。
 
■下村博文議員
 しかし、当時の岡田幹事長が責任を持ってサインしたわけですから。
 サインをしたということは、今も責任あるお立場なわけですから、幹事長ではありませんけれども、政府の副総理なわけですから。
 これ、ほかの自民党、公明党に対して誠意を持って対応するということについては、責任ある立場としてやろうと思ったらやれることなわけですよ。
 それが、「もう幹事長でなくなったからそんなことは私の関知することではありません」みたいな答弁では、答弁になりませんよ。
 
●岡田副総理
 まぁこの年末は、私は副総理でもなかったわけですが、それは三党間でよく話し合っていただくことだと私は思います。各幹事長間なり政調会長間の中ですね、誠実に話し合っていただくことだと思います。
 
■下村博文議員
 だから、そういう言い方が無責任でしょう。
 話し合っていただくって、先ほども申し上げましたように、我が党も民主党の方に三党合意については、これに合わせて、平成二十四年度の予算プロセスに当たって、見直し協議ということをぜひ行いたいと要請しているにもかかわらず、ナシのつぶてだということを冒頭申し上げましたね。
 我々、要請しているんですよ。応えていないのは民主党だけなんですよ。三党の話じゃないんですよ。民主党の話なんですよ
 
●岡田副総理
 まぁですから、自民党と民主党の間でどういうやりとりがあったのかとは、私、承知しておりませんので、委員は申し入れをしたという風に言われましたが、私、その事実を承知しておりませんので、これ以上コメントはしかねます。
 
■下村博文議員
 いや、それはないでしょう。三党合意というのは、三党合意というのは、自民党から、自民党から申し入れをしたからじゃ応えるという話じゃなくて、民主党自身も、岡田当時幹事長もですね、この二十四年度予算の編成プロセスなどに当たって誠実に対処することを確認すると。
 誠実に対処するのはあなた方でしょう
 あなた方が誠実に対処するということが、これは求められているんじゃないですか。それを対処していないでしょうということを言っているんですよ
 どうですか。
 
●岡田副総理
 えー、三党合意に書かれたことは、それは当然、どちらも誠実に対処されるべきことでございます。
 実際にそれがなされたかどうかは、私は把握をしておりません。
 
■下村博文議員
 あなたこの確認書に自分でサインしているんでしょう。この確認書にサインしていることについては、誠実に履行する義務があるんじゃないですか。
 次の幹事長に申し入れ、申し送りするなり、あるいは、今政府にいるわけですから、二十四年度の予算プロセスについては責任あるお立場のお一人でしょう。責任あるお立場なんだから、それについて全くしていないと今答弁しているようなものじゃないですか
 この三党合意そのものは、その場限りのことだったんですか
 そんな無責任なことが許されるんですか。
 
●岡田副総理
 先ほど来申し上げておりますように、私は各党間で合意したものは誠実に守られるべきだというふうに思っております。
 ただそれが、どういう状況、どちらに問題があったのかとかどういう状況だったのかということを私把握しておりませんので、それは各党間でよく話し合っていただくことだと思います。

 
 結局こんな政党がいくら「消費税について3党協議しましょう」と言ったって、誰がそんな誘いに乗るのかってお話しにしかならないワケです。
 当然ですよね。
 協議もしたし合意文書まで交わしたのに、いざ国会に法案を上げたら全く協議の内容とは無関係な法案が出来上がっていましたと、当然「これはどういうコトか」と問いただすと、政府は「自分は民主党の役職に就いてないから知らない」とシラを切る、そして法案が成立する。
 これで怒らない人がいるでしょうか。
 どうしてこんなデタラメが通るのでしょうか。
 
 というか、いま民主党は、こんなデタラメを通しているワケです。
 こんなコトされれば、そもそも協議なんて入れるワケないじゃないですかってお話しです。
 だって協議しても法案に反映されないのであれば、いったいぜんたい何のための協議なんでしょうかと言うしかありません。
 ましてマスコミは「自民党は合意した」と、法案の中身を見ずに責任を一方的に自民党にだけ押しつける、自民党が審議拒否していると責任を転嫁する。
 
 これが今の日本の政治なワケです。

大臣は法的根拠があって権限を揮える (下)


 (つづき)
 
 大臣を含めた全ての公務員は、法的根拠があって行動するのであり、法的根拠もなく行動するコトは許されないのです。
 だからこそ、大臣は何が出来るのかというコトを、その根拠と併せて知っておくコトは、それは大臣の職にある者としての基本中の基本と言うしかありません。
 
 そしてこの事実を確認するコトが、「クイズ」と揶揄されるようなコトでしょうか。
 
 もしこの例を見て、「そんな細かいコトは役人がサポートすればいい」と思ったとすれば、残念ながらそれは官僚脳になってしまっています。
 頭の体操をした方がいいと言っておきましょう。
 視点が違います。
 特に防衛大臣というのは国防を預かる任であり、では国防とは何かと言えば、敵から国家を守るコト、悪意のある人間の攻撃から国家国民を守るコトです。
 相手は人間なのです。
 相手が人間だからこそ、何をやってくるか分かりません。
 むしろ、悪意を持って攻撃してくるのですから、こっちには想定しない方法で攻撃してくるというのが普通であり当たり前と思わなければなりません。
 バカ正直に飛行機や船に乗って戦争を仕掛けてきても、こんなのではいくらでも防ぎようがあります。
 だからもし相手が本気で日本を攻撃しようと思えば、日本の裏をかこうとするのは当然です。
 例えば9.11です。
 結局米国政府は、あの時突っ込んでくる民間航空機をどうにかする手だては無くて、突っ込むまで見ているしかありませんでした。
 想定外でした。
 
 戦争とは想定外の連続なのです。
 
 ミサイルが撃ち込まれたら、役人の助言に従って防衛大臣が総理大臣の了承を得て自衛隊に命令を下せばいい。
 その程度の認識しか持てない人は、ゲームには口を出しても、政治には口を出して欲しくありません。
 現実はそんなに甘くありません。
 現実は何が起こるか分からないのです。
 だからこそ防衛大臣は、あらゆる法令の中からその事態に合った適切な対処をその場でチョイスして、時には複数の法令を組み合わせて命令を下し、国家と国民を的から防衛するのです。
 決まり切ったコトだけをするのであれば、それは官僚に任せればいいのです。
 そういう作業に関しては官僚の右に出る者はいません。
 そうではなく、想定し切れていない事態に対応するために政治家や大臣がいるんじゃないですかと。
 下から積み上げて命令するだけじゃないんです。
 大臣は、自らの頭で法令を使いこなして、現実的な適切な処置を決定するのです。
 特に相手が存在する防衛大臣、しかもその相手は悪意がある相手だからこそ想定外の事態が起こるワケで、閣僚の中でも総理大臣の次に最も柔軟な思考と発想、そして法令を頭に入れておかなければならない大臣と言えるでしょう。
 想定外に対応できる人材が防衛大臣には必要なのです。
 
 こういう、特に中でも特殊な大臣に対して法的根拠を問う質問が、なぜ「クイズ」なのでしょうか。
 断言しますが、田中防衛大臣のままだと、もし北朝鮮が暴発した時に、何も出来ないまま手遅れになってしまう事態が何度も起きますよ。
 例えば阪神大臣債の時、村山総理大臣がこんな迷言を残しましたよね。
 
 「なにぶんにも初めてのことですので」
 
 自分が何をすべきなのか、何ができるのか、どういう根拠があってそれが出来るのか、普段から理解していないからこそ、緊急事態に対して即応できなかったのです。
 そもそも菅前総理からして、なにが出来るのか分かっていなかったから、ただただ怒鳴り散らしていただけで原発事故対策が後手後手に回ってしまったというのに、なぜ国民はそれを理解しようとしないのでしょうか。
 国会という「平時」にさえまともに回答できない人が、一刻一秒を争う、人が次々と死んでいくまさにその時に、いったいどうやって適切な法令を抽出して命令を下せると言うのでしょうか。
 
 つまり今の自民党の質問を「クイズ」だと言う人というのは、非常事態に何も出来ない大臣を追認するというコトに他なりません。
 非常時に何も出来ない、ただただオタオタしているだけでいいと、そう言っているのです。
 その責任を理解しているのでしょうか。
 人の命をなんだと思っているのでしょうか。
 
 大臣になればなんでも出来るようになるんじゃないですよ。
 大臣だからこそ、自分は何が出来て何が出来ないかを知らなければならないんですよ。
 そしてそれは全て法令によるんですよ。
 だから法令を知るコトはとても大切なんですよ。
 なんでこんなコトが分からないのでしょうか。
 
 マスコミは三権分立の基本を知ってください。
 行政府は法律を超えられないコトぐらい理解してください。
 法律がいかに大切か理解してください。
 そんなコトも分からず、ただただ自民党の足を引っぱるためだけに「クイズ」なんて揶揄するのであれば、それは誇張でも何でもなく国を滅ぼす行為です。
 売国行為です。
 理解してください。

大臣は法的根拠があって権限を揮える


 最近マスコミの中では、自民党の国会での質疑の大臣の法的根拠を問う質問に向かって、「国会でクイズするのはやめろ」と言うのが流行っているようです。
 過去マスコミは、麻生内閣の時に民主党と一緒になって満面の笑みで漢字クイズをお得意のフリップを使ってテレビ番組でやっていたくせに、いまになって何を言っているのですかというところですが、さらにそれは中身を全く見ていない、批判のための批判、いつも通りの民主応援団をやっているだけとしか言いようがありません。
 
 国会で「○○を知っていますか?」という質問をするだけで「クイズだ」と揶揄するコトは、それは果たして正しいコトでしょうか。
 というかこの書き方だけでそれが不適切だと分かりますよね。
 いつも言ってます。
 批判というモノは論拠があってこそ成り立つモノですと。
 つまりこの場合、この質問が適切かどうかを論評するのであれば「○○」という部分について触れなければなりません。
 でもこの場合「○○」って書いてありますように、論拠についてははじめから触れていないんですね。
 これでは何を言ったって批判にはなりません。
 それはただの罵詈雑言、誹謗中傷です。
 マスコミはいま堂々と他人を誹謗中傷する罵詈雑言を他人に投げかけているのです。
 
 中身を見ます。
 麻生総理に対する「クイズ」は、漢字テストやらカップラーメンの値段当てでした。
 これ、大臣の職責になんの意味があるのでしょうか?
 知らなければ総理大臣の職になにかの不都合があるでしょうか。
 誰かに教えて貰うのでは何か問題があるのでしょうか。
 こんなのはどう考えてもクイズです。
 国会でする必要の全くない、バカバカしい揚げ足取りです。
 
 ではいま自民党が行っている質問はどうでしょうか。
 それは大臣に法的根拠を問う質問です。
 これ果たして本当に「クイズ」と読んで揶揄していい質問なのでしょうか?
 
 大臣って、大臣だから権限を持っているワケじゃないんですよ。
 大臣って、様々な法律に「大臣は~~できる」と書いてあるから権限を持っているのです。
 逆に言えば、法律に書いていないコトは大臣でも出来ないのです。
 
 自衛隊の最高指揮官は誰かと言いますと、それは総理大臣ですね。
 でもですね、この1文だけでもその根拠を求めるべきモノです。
 「なぜ総理大臣なんですか?」と。
 そしてその答えは、法律に書いてあるから、です。
 

 自衛隊法
 (内閣総理大臣の指揮監督権)
 第七条  内閣総理大臣は、内閣を代表して自衛隊の最高の指揮監督権を有する。

 
 他にも、統合幕僚長や陸上幕僚長や海上幕僚長や航空幕僚長などの自衛隊最高幹部は、防衛大臣の指揮監督を受けなければならないコトになっているのですが、ではなぜそれが防衛大臣なんですかと問われたとします。
 お金を出しているのは財務省なのに、なぜ財務大臣からは指揮監督出来ないのですかと聞かれたら、どう答えるでしょうか。
 答えは、それも法律に書かれているからです。
 

 (幕僚長の職務)
 第九条  統合幕僚長、陸上幕僚長、海上幕僚長又は航空幕僚長(以下「幕僚長」という。)は、防衛大臣の指揮監督を受け、それぞれ前条各号に掲げる隊務及び統合幕僚監部、陸上自衛隊、海上自衛隊又は航空自衛隊の隊員の服務を監督する。

 
 大臣だからっていう理由だけで全ての大臣が自衛隊に命令できるワケではありません。
 命令できるのは総理大臣と防衛大臣だけです。
 でもそれも、法律でそう明記されているからです。
 防衛大臣が自衛隊に命令できる事実は、世界的な人間的な普遍的価値だからという理由ではありません。
 常識とかなんとかとかいうあやふやな理由ではなく、ただ単にシンプルに唯一の答えとして「法律に書かれているから」なのです。
 逆に言えば、法律を改正すれば財務大臣だって指揮権を持つコトは可能です。
 ただ「いまはそうなっていないだけ」というだけのお話しなのです。
 
 もう1つ例を出しましょう。
 例えばいきなり貴方のお家に突然警察が踏み込んで、書類やらなんやらを持ち出したとしましょう。
 これは許される行為でしょうか。
 違いますね。
 これは許されない行為です。
 なぜなら、そんな行為を警官が行っていいなんて、どの法律にも書かれていないからです。
 ただし、裁判所からの捜査令状があれば、それは可能です。
 なぜなら、そのように法律に書いてあるからです。
 この例から見ても分かりますように、強制権を持つ捜査権というモノは、決して「警察官だから」という理由で与えられているのではなく、法律に書いてあるから権限を与えられているだけというのが明確に分かるでしょう。
 法律に書いてあれば警察が突然踏み込んでもいいですし、法律に書いてあるからこそ裁判所の令状があれば突然踏み込んでもいいコトになっているのです。
 全ての根拠は法律なのです。
 
 公務員が公務として行動するためには、全て法的根拠が必要です。
 自衛官や警官が武器を携帯しているのも法令に定められているからこそ、役所の窓口で手数料を盗られるのも法令に定められているからこそ、大臣が命令を下すのも法令に定められているからこそなのです。
 
 自衛隊の装備によって敵の攻撃を打ち落とすにも、これは全て法的根拠があってこそです。
 北朝鮮から長距離弾道ミサイルが撃ち込まれた場合、果たして誰が打ち落とすという決定を下して、現場に命令を下すコトになるでしょうか。
 これは重要な問題です。
 もしこういう法令を蔑ろにしていては、権限のない人間が勝手に命令を下していては、それは軍部が暴走して勝手に戦線が拡大してしまった同じ轍を踏んでしまうコトになりますし、非常事態だからとか言いながら警官が民間の食料を勝手に接収するとか、そういう行為を許すコトになってしまいます。
 どんな場面であっても、法律によって国民の利益になるように公務員の行動を定めているのです。
 正解は、自衛隊法第八十二条の三に基づいて総理大臣の承認を得て防衛大臣が命令を下す、です。
 

自衛隊法第八十二条の三
防衛大臣は、弾道ミサイル等(弾道ミサイルその他その落下により人命又は財産に対する重大な被害が生じると認められる物体であつて航空機以外のものをいう。以下同じ。)が我が国に飛来するおそれがあり、その落下による我が国領域における人命又は財産に対する被害を防止するため必要があると認めるときは、内閣総理大臣の承認を得て、自衛隊の部隊に対し、我が国に向けて現に飛来する弾道ミサイル等を我が国領域又は公海(海洋法に関する国際連合条約に規定する排他的経済水域を含む。)の上空において破壊する措置をとるべき旨を命ずることができる。

 
 もしこの事実を防衛大臣が知らなかったらどうなってしまうでしょうか。
 確認に時間がかかってしまって、結果的に打ち落とせませんでしたとかなったら、どう責任を取るというのでしょうか。
 大臣を含めた全ての公務員は、法的根拠があって行動するのであり、法的根拠もなく行動するコトは許されないのです。
 だからこそ、大臣は何が出来るのかというコトを、その根拠と併せて知っておくコトは、それは大臣の職にある者としての基本中の基本と言うしかありません。
 
 そしてこの事実を確認するコトが、「クイズ」と揶揄されるようなコトでしょうか。
 
 
 (つづく)

NHKは嘘を付くテレビ局


 連続オレ更新で悪いんだが、これは流石に許せないので、ここに記しておく。
 またまたNHKなんだが、まずはこれを見て欲しい。
 

NHK_PR NHK広報局(NHKについてユルく案内) 2/7
@kenta_PW 国会中継は、NHK側だけで放送する/しないが決めらるものではないのです。国会側からの要請・許可などがあって、初めて中継が出来るのです。

 
 まずパッとこれを読んでどのような印象を持つだろうか。
 ちょっと考えてみて欲しい。
 
 
 
 多分おそらくこの文章だと、「ああそうか、国会の方から何か言ってこないとNHKは中継が出来ないんだ」とか「国会中継って国会の規制が厳しくて色々と難しいんだなぁ」とか、そういう方向のイメージを持つのではないだろうか。
 実際オレは知人の何人かにこのツイートを見せて感想を聞いてみたが、だいたい同じような感じだった。
 基本的にはこの文章だと、「中継するためには国会の意志が強く働く」と捉える人が大部分だろう。
 
 
 大ウソだ。
 
 
 結論を先に言えば、国会中継や撮影や放送などはテレビ局側から申請が出来るし、一応それに対する国会側からの許可は必要ではあるが、少なくともオレは地上波のテレビ局がそれを拒否されたなんて聞いた事がない。
 撮影等の許可なんて形式的な物だけであって、そもそも国会の中には常にテレビカメラ入っているじゃないかと。
 国会内でカメラがたくさん入っている映像なんて、1度ぐらい見たことあるだろ?
 だから撮影が許可されないって事は基本的にはあり得ないし、つまり中継も国会からの要請が無くてもテレビ局の独自の判断で申請して放送する事ができるのだ。
 だいたいにして毎日毎日各局ニュースで一応は委員会の様子を動画で放送してるじゃないか。
 むしろ国会からの要請とは、ほぼNHKに対する命令に近いと言った方が適切だろう。
 要請はNHKに対して「必ず中継しろよ」ってものであって、よって当然、命令がなくてもNHKが中継したい放送したいと願うのであれば、それは簡単に叶うのである。
 毎日叶っているのである。
 
 例えばニコニコ動画ってあるじゃないか。
 あれって最近よく国会中継しているんだが、もし国会側からの要請が無ければ放送できないっていうシステムであれば、じゃあニコニコ動画は毎回毎回国会から要請を受けているって事になってしまう。
 NHKを差し置いてニコニコ動画だけに毎回要請しているのだろうか。
 あり得ない。
 この事例1つとっても、NHKのこの言い方はあまりにも欺瞞的すぎると言うしかないのだ。
 
 もしかしたらこれはNHKの計算づくしの発言なのかもしれない。
 確かに、形式的にとは言え国会側が許可をする形になっているというのは事実だから、文字上では「NHK側だけで放送する/しないが決めらるものではない」というのは間違いではない。
 また同様に許可が必要な訳だから、文字上では「国会側からの要請・許可などがあって、初めて中継が出来るのです」というのも、まぁ間違いではない。 
 だからこれをもってウソは言っていないと、そう言い逃れするつもりなのかもしれない。
 
 しかしもしそうだとしたら、それこそが欺瞞的な、そして傲慢な態度だと言わざるを得ない。
 
 これらの一文、最初に引用したアレだが、アレを読めば、普通の日本語能力を持っている人は「国会が申請しなければ中継できないんだな」と理解しかねない。
 というか実際、この返信を貰っていた人はそのように捉えていた。
 

kenta_PW kenta KAMADA 2/7
@NHK_PR インターネット中継とは法律など手筈が違うのでしょうか?昼間の中継を夜、録画放送するにも制約があるのですか?もっと広く、多くの国民に知らしめる必要があると思うのですが。 #NHK

 
 ニコニコ動画は中継しているのに、なぜNHKは国会の要請が必要なのか、ネットとNHKでは手筈が違うのか? という質問であるな。
 つまりはそういう事だ。
 このNHKの文章では、大部分の人が「国会の要請がなければNHKは中継は出来ない」と捉えるしかない文章なのだ。
 そして1つ言っておくが「国会側からの要請があって、初めて中継が出来るのです」という事には絶対にならないというのは指摘しておこう。
 「要請・許可などがあって」という書き方だと、要請と許可が並列に並んでいるから、どちらかが存在しなくても成立する文章となる。
 よって「国会の要請がなければNHKは中継は出来ない」と捉える事が可能な文章を書いたこれは、全くの大ウソと言うしかないのだ。
 
 そしてNHKのウソは、ついにここまで来てしまう。
 

NHK_PR NHK広報局(NHKについてユルく案内) 2/7
@kenta_PW 国会側がどうしたいかによるのです。

 
 NHKはどこまでウソを付き続ければ気が済むのだろうか。
 これはもう完全に「国会の胸三寸で全てが決まる」「NHKには国会の意志に従うしかない」と言っているのだ。
 大ウソにもほどがある。
 繰り返すが、事実とは、テレビ局が放送したい中継したいと思えば国会に申請する事ができるし、国会はそれを拒否することはまずない。
 もしテレビ局が申請して国会が拒否したのであれば、それこそそれを批判する報道をすればいい。
 ここで重要なのは、NHK側から国会に中継したい旨を申請したかどうか/できるかどうかだ。
 ここで問われているのはNHKの国会中継に対する姿勢なのだからな。
 もしテレビ局には一切の申請する仕組みが無いというのであれば、「国会側がどうしたいかによるのです」という言い方は適切だが、事実はそうではないのだ。
 テレビ局の意志によって国会中継は実現できるのだ。
 
 よって、やろうと思えば毎日でも、予算委員会以外でも国会中継は可能である。
 それをやらないのは100%NHKの意志なのである。
 NHKが自らの判断で国会中継をしていないのだ。
 
 よくもまぁこんなウソを平然とつけるものだ。
 ちなみにオレもNHK宛にメッセージを送っているのだが、いまだにその返答はない。
 それは事実とは違う嘘だと言っているのに、それを訂正することなく、現在進行形で嘘を付き続けているのだ。
 
 NHKは嘘を付くテレビ局なのである。

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