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バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳

それでもまだ踊らされるのか


 こうなるとやっぱり冷静に考えられないのかなって思っちゃうんですが、前回の更新でやえが言っているコトは単純に「罰は罪とのバランスで考えるべき」であり、そのために「罪の内容を精査して冷静に判断すべき」というコトだけなんですね。
 ここに与党も野党も安倍総理も麻生財務大臣もありません。
 罰を与えるなら罪に見合う内容でなければならないワケであり、これは法治国家であれば当然のお話ですよね。
 ネットが生活の一部になってそれなりの年月が経ちましたが、世の中の雰囲気やマスコミが流す報道に踊らされてしまい、当たり前のコトを当たり前と捉えられない人、冷静にものごとを判断できなくなってしまう人が未だ多いと言わざるを得ない状況は、ちょっと改めて色々と考えちゃうところです。
 
 例えば国会質疑ですら、籠池容疑者が安倍昭恵さんの名前を出したというコトだけをもって、「名前が出た以上は無関係ではない」と質問していた野党議員がいました。
 これは法治国家としてはゆゆしき問題ですよ、むしろ。
 国会議員がこんな発言を、しかも国権の最高機関である国会の正式な公式な委員会の場でこんな発言をしてスルーされてしまっているコトが、本来大問題のハズです。
 もし詐欺師が勝手に自分の名前を出して商売していたとして、「お名前は名前を出されたんだから無関係じゃない。責任とれ」なんて言われて、それが通用してしまう国っていうのは、やえはそれを法治国家とは呼びたくはありません。
 少なくとも日本はそうでない国のハズですが、つまり本題に戻りますと、この程度の内容・根拠でもって罰を与えてしまうというのは、絶対にやってはならないコトです。
 罪と罰のバランスのお話からも、そもそもの法治国家としてのあり方からしても、あり得ないコトなワケです。
 
 ですから、麻生財務大臣や安倍総理に罰を与えるべき罪が具体的に指摘されるのであれば、罰を与えるべきでしょう。
 罪が大きければ辞任などあってしかるべきだと思います。
 しかしやえは、少なくとも前回の更新では、まずは罪が具体的にどういうモノなのかというコトを冷静に考えなければ罰など与えられるハズもありませんと言っているに過ぎません。
 いま国民は冷静さを欠いています。
 「罰を与えるには罪を精査しなければならない」と法治国家として当たり前のコトを言っただけで、安倍内閣を庇っているとかなんとか言われるコト自体が、いま全体の雰囲気があまりにも冷静さを欠いていると言わざるを得ません。
 正直やえは安倍的政治よりは宏池会政治の方が日本にはあってると思っていて、宏池会特集も何度かしたぐらいで、別に安倍総理を何が何でも庇わなければ的な気持ちなんてこれっぽっちもないんですけど、まぁそれはまた別の機会にしまして、でも好きでも嫌いでも、冷静でない感情だけで他人を罰するなんて、思想以前の問題として許してはならないコトのハズなのであり、ここをキチンと考えてもらいたいのです。
 
 そして結局これはマスコミが作る出す雰囲気に踊らされていると言わざるを得ないんですね。
 いつまでこんな馬鹿馬鹿しい構図を続けるのでしょうか。
 こんなコトをやっても、結局は国民の手で政治の質を落としているコトになりません。
 どんな問題でも、キチンと中身を見て論拠で語ってほしいなと思います。
 



罪と罰


 すみません、なんかちょうお久しぶりになっちゃいました。
 もしかしたらまた潜伏してしまうかもしれませんが、やえはどこかで生きているので、今後ともよろしくお願いします。
 
 さて。
 罪と罰とは両者間でのバランスが保たれているからこそ成り立つモノです。
 例えば、10円の商品を窃盗したから死刑、とは少なくとも現代日本ではなりませんよね。
 なぜなら、「「10円の商品を窃盗」という罪に対して「死刑」という罰は過大すぎる」というバランス感覚が働いているからです。
 そしてこの中でもいろいろなバランス感覚が存在しており、例えば「窃盗は死刑だけど、殺人は罰金刑のみ」があり得ないというのもバランスによるモノですし、また「10円なら死刑だけど、1億なら罰金刑のみ」もあり得ないというのもバランスです。
 さらに言えば、人を殺すという殺人罪でも、裁判によってその中身の精査が行われ、場合によっては死刑になりますし、場合によっては数年の禁固刑になる場合もあります。
 罪同士のバランス感覚もあれば、同じ罪でも内容によっての罰のバランス感覚が働きます。
 どんな罪なのか、そしてその内容はどのような罪なのか、これをキチンと精査しないと罰を与えるコトはできません。
 こんなのはいちいち説明するまでもなく当然のお話ですよね。
 
 しかし今の財務省と麻生財務大臣をめぐるマスコミなどの言説はいかがなモノでしょうか。
 大前提ですが、公文書の改ざんは許されるモノではありません。
 ですから、今後のコトを考えても、これに見合う罰は必要でしょう。
 しかし果たして麻生財務大臣の辞任がそれに見合う罰なのかどうかは、本来キチンと考えなければならないハズです。
 日本が法治国家と名乗るのであれば、当然考えなければならないハズです。
 
 いま、特にテレビなんかでは「改ざんが行われた結果、改ざん前と改ざん後で何がどう変わったのか」という部分をほとんど報道しません。
 ただただ「改ざんした」とか「安倍昭恵さんの名前があった」とか「麻生大臣の態度が悪い」とか、そんなお話ばかりです。
 でももし罰のお話をするのであれば、もっと中身を見ていかなければならないハズです。
 さきほど言いましたように、罰とは罪に見合う程度のバランスで与えなければならないのですから、罰を与えるのであればどのような罪だったのかを、キチンと精査しなければなりません。
 そしてそのためには、「改ざんが行われた結果、改ざん前と改ざん後で何がどう変わったのか」が一番のポイントになるハズですが、しかしこれについてはほぼ誰も話題にしませんよね。
 これは明らかにおかしいワケです。
 これでは罰なんて与えられるハズがないのです。
 
 よくよく冷静にこの件を見てみると、例えば「安倍昭恵さんの名前が出てきた」というのも、件の籠池容疑者が昭恵さんそう言ったと証言していたコトを記録しているだけで、財務役人が直接昭恵さんがそう言ったのを聞いておりそれを記録したワケではないそうです。
 つまりこれは、昭恵さんの言動証拠なのではなく、籠池容疑者の言動証拠なんですね。
 昭恵さんがそう言ったという証拠は、この公文書には出てきていないようです。
 よって、繰り返しますが、改ざん自体は許されないコトですが、しかしこの部分を持って安倍政権や政治家の責任を問うというのは、あまりにも筋違いでしかないでしょう。
 本来はこうやって問題に対して1つ1つキチンと中身を精査して考えなければならないハズなのです。
 
 やえはいま、この問題に対して全容を知っているワケではありませんから、結果的に大臣が辞任するに値する罪が出てくるかもしれませんし、そうなればそうするのが当然だと思います。
 しかし少なくとも現状においては果たして大臣が辞任しなければならないと断言するほどの罪があったという報道をやえは耳にしたコトがありません。
 となれば、現状というのは、印象だけでの根拠のないリンチ状態と言えてしまうのではないのでしょうか。
 果たしてこれは法治国家としてどうなのか、考えなければならない問題です。
 
 何度も繰り返しますが、改ざん自体は許されないコトです。
 これに対する罰は必要でしょう。
 しかしそれを誰が受けるのか、そしてどのような罰なのかというのは、キチンと中身を精査しなければ決められないコトです。
 罰は罪とのバランスによって決められるモノなのですから。
 



主権者の責任


 さて、今年最後の更新となりますが、最後は民主主義における主権者たる国民の責任についてお話ししたいと思います。
 とりあげるのはこちらのニュースです。
 

 慰安婦合意の変更、河野外相「断じて受け入れられない」
 
 日本政府は27日、従軍慰安婦問題に関する2015年末の日韓合意を巡り、元慰安婦の意見集約が不十分だったと結論付けた韓国政府作業部会の検証結果を受け、警戒を強めた。河野太郎外相は談話を発表し、合意の変更は「断じて受け入れられない」と表明。韓国に合意の着実な実施を求めた。日本政府関係者は「日本の立場は微動だにしない」と強調した。

 
 中身について言うコトはありません。
 これは当たり前のコトです。
 では何についてのお話なのかと言えば、これに対する反応についてです。
 とあるまとめサイトでこんなコメントを見かけました。
 

 岸田だったらやばかったな

 
 もちろんこれをもって国民全体がこういう論調だと言うつもりは毛頭ありません。
 こんなコト思うわけないじゃんっていう人は、今日はもう読んでいただかなくても大丈夫です。
 その上で、こういう国民もいて、そしてこういう国民こそが民主主義と日本を壊す存在だと批判しておきたいと思います。
 
 日韓合意を結んだのは岸田文雄外務大臣です。
 もちろん総理大臣は安倍さんですから、安倍さんの功績もありますが、直接韓国に乗り込んで細かい文言の調整をして合意をさせたのは岸田さんです。
 まずこの合意について評価すべきは岸田さんであって、政治は結果責任だとやえもここでよく言っているところですが、つまりそれは結果を出したのであればちゃんと評価してこそであるワケでして、それなのにこういった明確な結果や功績を出しているのにも関わらず、なんとなくのふわっとした印象だけで政治家を評価するというは、これはまさに衆愚政治そのものだと言わざるを得ないでしょう。
 責任だなんだと言っているくせに、それを単に批判の材料にしかしていない人というのは、まさに政治を悪くしている原因そのものです。
 
 河野太郎外務大臣の「受け入れられない」は当然の反応です。
 政府としての合意なのですから、当時の当事者でなくても政府の立場として合意を守るというのは、評価するしないの次元の問題ではなく、至極当然、政府というか組織という存在そのものの根幹に関わる当たり前のコトでしかありません。
 やえは河野外務大臣は嫌いではありませんが、この件に関しては、特にプラス評価になるようなコトはなんらしていないと判断するしかありません。
 当然のコトを言っているだけだからです。
 
 例えを出すまでもないかもしれませんが、例えば河野洋平官房長官談話だって安倍総理は一貫して「踏襲している」と国会の場で言い続けています。
 これも、河野洋平さん個人の励んではなく「政府としての発言」だったのですから、政府としては当然の発言なのです。
 よってこれも評価の対象にはなり得ない、当たりの前の行為だと言うしかないんですね。
 評価するなら、まさに実際の行動した内容や行動した人をすべきなのです。
 
 今回のこのコトで一番強く言いたかったのは、まさに「反省しない国民」の最たる例だからです。
 
 あの日韓合意とは何だったのかと言えば、韓国に対して「日本は約束を守った。韓国はどうなんだ」と国際社会に主張するコトによってデタラメな主張を封じ込め、また同時に日本国内においても右から左まで広い範囲まで無用な論争を終わらせる一打になったという、かなり広く強い“くさび”だったんですね。
 これほど効果的な政治的決定は近年なかなかありません。
 だって結局いまですら「韓国は合意を守れ」と、たったこれだけで日本の主張は堂々と国際社会に向かって正当性を訴えるコトができているワケですし、合意をする前は韓国の主張に同調していた日本国内の左翼関係の人達も、日韓合意によってもはや主張するコト自体が難しくなってしまっています。
 韓国自身も、合意が自らを縛る鎖となっているからこそ今大混乱をしているワケですよね。
 合意を結ぶ手法も、テレビの前で生中継をするコトで全世界を証人にするコトで、もはやごまかしの効かない二国間の合意になったのです。
 日韓合意前と後とでは国際社会も日本国内も明らかに雰囲気が変わりました。
 これはまさに政治家の行動によって、結果によってもたらされたコトです。
 岸田さんは「宏池会の伝統は自由や多様性を重視する勢力であり、徹底した現実主義を貫く立場です」とおっしゃっていますが、一部だけの人間に打撃を与えるのではなく、広範囲に理性的に納得させる方法によって政治的決定をもたらした、まさに宏池会らしい岸田さんらしい歴史に残る合意だったと言えるのではないのでしょうか。
 
 でも、日韓合意が結ばれた直後の評価は二分されていた、いえ、日本政府や岸田外相への批判の方が圧倒的に多かったというのが事実です。
 やえは直後に日韓合意についての文章をここに発表し評価する旨を表明しましたが、だからこそよく覚えています。
 直後は圧倒的な批判の数であり、またもはや罵倒としか言いようのない言葉もかなり多く見受けられました。
 
 もちろんですが、合意直後と今とでその内容は全く変わっていません。
 内容が変われば評価が変わってもおかしくありませんが、内容が変わっていないのに評価が変わるというのは変なお話です。
 あの時あれだけ岸田外務大臣を罵倒していた人達はいったいぜんたいどこに行ってしまったのでしょうか?
 いま日本が「合意を守れ」と言うだけで自らの立場を国際社会に堂々と明確に単純に主張できているのはこの合意があってこそであり、日本にとって大きな利益になっているワケですが、あの時これを批判し罵倒していた人達は、その時の行動をどう考えているのでしょうか。
 明らかに比率からして「当時は日本と岸田外務大臣を批判していたけど、いまは合意を盾に韓国だけを批判している(結果的に合意があって良かったと思っている)人」がいると思いますが、それは無責任そのものの行動なのではないのでしょうか?
 
 行動し結果を出す人間を適当な印象だけで評価すれば、結局残るのは口先だけの政治家だけになります。
 そしてこれって日本国民はすでに身をもって体験しているハズです。
 民主党政権です。
 民主党政権を誕生させたのは、誰でもない、国民自身の手によってです。
 これについては絶対に他人のせいにしてはいけません、主権者たる国民こそがこれを反省しなければならないコトです。
 日韓合意だって、当時散々罵倒や批判した人が多かったコトをキチンと反省しなければ、また同じ過ちを繰り返してしまうコトになりかねませんし、またそれは、政治と政治家の質の悪化を国民の手によって招いているコトにしかならず、それは日本の破壊に繋がっていると言わざるを得ません。
 国民は主権者だからこそ、反省しなければなりません。
 有能な政治家をつぶし、口先だけの無能な政治家だけらになったとしても、それは国民自身の手によって生み出した状況だと言わざるを得ません。
 
 繰り返しますが、岸田さんに対してこんな風には全く思っていないという人には関係のないお話でしたが、ただこんな短絡的な人間も実際にいて、こういう人間こそが政治と日本を悪くしているというコトを理解してもらいたくて、今年最後の更新となりました。
 民主主義政治は国民によって作られているモノです。
 国民こそがそれを自覚しなければならないと、やえはそう思っています。
 
 今年も一年お世話になりました。
 来年もどうぞよろしくお願い致します。
 



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