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バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳

総理大臣評価論3-小泉純一郎-


 では昨年に続きまして、近年の総理大臣に対する評価のお話をしていきたいと思います。
 今回は小泉純一郎総理です。
 
 言うまでもない変人宰相です。
 いま安倍総理が在任期間という客観的な指標において平成の大総理になりつつありますが、やえとしたら、もし平成の日本政治史において一人だけ名前を挙げろと言われたら、安倍総理ではなく小泉総理を挙げると思います。
 小泉前と小泉後では、日本の政治の風景が全く変わってしまったからです。
 そしてそれは、最終的には「小泉純一郎という個人の考えを実現するためだけに、総理大臣という職を利用した唯一の存在である」と表現できるからです。
 
 小泉総理の有名なフレーズ「自民党をぶっ壊す」ですが、これは正確に言えば「自分の思い通りにならないシステムを持つ自民党をぶっ壊す」となります。
 例えば人事については、これまで影響が最も強かった派閥の推薦名簿を無視して(とは言いつつ一定の影響はあるとは思いますが)自分の思い通りの人事を行い、そしてそれは以降の政権で踏襲されるコトになりました。
 またそれは、小選挙区における公認権という政党にとって最も強い権限を握るコトで成し得るコトができると「発見」したためであり、その大いなる「発見」は、以降の政権に同じ手法が引き継がれたように、総理にとってかなり使い勝手の良い手法だったのだと証明されていると言えるでしょう。
 「解散権は総理の大きな武器」と証明したのも小泉総理でしょう。
 これまでの政権では多くの場合、選挙もしくは予算を含む重要法案の取扱いや結果に関連した公的な意味合いによって解散が行われていましたが、小泉総理はただ一点「郵政法案を通す」という完全に個人的執念だけで解散を行い、そしてそれが強力な武器だと証明してしまいました。
 これ以降「解散は総理の個人的思いで行うコトができる」という風潮に変わりましたし、今でも「解散権こそが総理大臣の最も強い武器」とすら言われています。
 これだけでも小泉総理は十分「自分の思い通りにならないシステム」をぶっ壊してきたのです。
 
 そしてなによりぶっ壊したのが、自民党の派閥である経世会です。
 日本の戦後政治史において最も影響力のある集団とは何かと問われれば、経世会と答えるのが最も現実に即した回答となるでしょう。
 特に田中角栄以降は「経世会によって日本の政治は行われていた」と言っても過言ではありません。
 この辺は森総理の時に説明しましたように、自民党は結党前の吉田茂自由党系の派閥が本流で、鳩山一郎日本民主党系は傍流という歴史があり、例えば歴史に残る大総理である、池田勇人・佐藤栄作・田中角栄はこの保守本の流れですし、それ以降の総理も多くは田中派である経世会出身者が多くを占め、また池田系の宏池会も大平正芳総理などを輩出してきましたが、その一方傍流系である清和会の総理は森総理の前は福田赳夫総理までさかのぼらなければならないという状況でした。
 また、経世会・宏池会系以外の総理も、例えば海部俊樹総理なんかは「現住所河本派・本籍竹下派」とも揶揄されたように、経世会(つまり当時の竹下派ですね)の意向を無視して総理にはなれなかった、政権運営するコトはできなかったワケです。
 このように、自民党の大部分の歴史の主役は吉田自由党系であり、その中でも最も力を持っていた経世会だったのです。
 
 小泉総理は、この「経世会支配の自民党」をぶっ壊したのです。
 
 はたしてこの効果はテキメンで、実はいまでもその影響が残り続けています。
 それまでは「鉄の結束」と言われ、常に所属人数が最も多い第一派閥であった経世会、いまは平成研究会という派閥名ですが、小泉総理によって人事で冷遇されたあげくに、「抵抗勢力」という言葉によって世間から「古い自民党の象徴」と悪役を着させられるコトになった結果、平成研究会は第二派閥に転落させられた上に、「鉄の結束」なんて死語かのように今ではすわ分裂か的な記事が出てしまうような残念な有様になってしまっています。
 こんなのは小泉前の平成研究会では予想だにできなかった事態です。
 また、次々に総理を輩出していた派閥とは思えない後継者不足も続いています。
 現在の会長は額賀元財務大臣ですが、いまこの人を総裁候補なんて言う人はいませんね。
 さらにその次の世代も後継者不足で、次の次の世代であるプリンセス小渕優子さんも、いまはスキャンダルの影響で表舞台からは遠ざかっています。
 平成研究会の最後の総理が小渕恵三総理なのですから、まだまだ平成研究会の冬の時代は長く続きそうだと言わざるを得ません。
 この辺も、小泉時代に徹底的に干された影響で人材が育っていないせいであり、未だに根強く小泉総理の影響が残ってしまっているワケです。
 
 よく小泉総理を表して「派閥政治をぶっ壊した」と言う人がいますが、これは間違いです。
 正確には「経世会支配体制をぶっ壊した」のです。
 小泉さんそのものは派閥は好きな方です。
 なにより小泉さん自身が派閥の会長でしたからね。
 小泉派なんてなかったじゃないかと言われるかもしれませんが、小泉さんは「森派会長小泉純一郎」という時代があったんですね。
 森さんが総理になった時に、総理は形上は派閥離脱というコトになるので、その後任で小泉さんが会長になっているワケです。
 この時、森さんの実質的な影響力による代理的な会長だったのか、それとも小泉さんが謙遜して森派のままを名乗っていたのか、ちょっとこの辺はよく分かりませんが、少なくとも「会長代理」とかではなく明確に会長に就任し、森総理時代の総裁派閥として派閥を率いたのはまぎれもない事実なのですから、小泉さん自身が派閥そのものを否定していたというコトはないんだと考えられます。
 また同時によく小泉さんのコトを一匹狼だと言う人もいますが、これも同時に派閥の会長である以上その形容詞は当てはまらないと思っています。
 一匹狼が派閥の会長を務められるとは思えません。
 実際は森さんとの二人三脚だったのかもしれませんが、どういう形にせよ、議員のグループをまとめるだけの力を持っていたというのが、小泉純一郎という人物なのでしょう。
 
 そしての派閥のボスとしての性格も、小泉さん自身が総理になった後も消えるコトはありません。
 小泉総理時代、こうして経世会・平成研究会を徹底的に潰す一方、自派の清和政策研究会(当時は再び森さんが会長)は数が一気に増えるコトになります。
 自民党総裁としての力をフルに使ったんですね。
 最も分かりやすいのが公認権で、つまり直接的には「小泉さんが公認を与えるから議員になれるぞ」と言われて派閥に入った人もいるでしょうし、間接的には「小泉さんが公認をくれたから議員になれたんだ」と小泉さんを自ら慕って派閥に入った人もいるでしょう。
 そしてついに、「鉄の結束」平成研究会は第二派閥に転落し、清和政策研究会が第一派閥に躍り出るコトになりました。
 加藤の乱前は宏池会よりも数が少なかった清和会が、小泉時代に一気にトップに立ったのです。
 そしてこの構図は現在でも変わっていません。
 第一派閥が清和会、第二が平成研究会で、第三が宏池会です。
 ここからも、小泉さんは決して派閥そのものを否定していたのではなく、「経世会支配体制」を否定していた一方、自派閥の拡大には大きな野望を持っていたというコトも窺えるワケです。
 
 小泉さんの派閥に対する姿勢というのは、この他にも、加藤の乱にも垣間見るコトができます。
 あの時の小泉さんは、YKKと言われた「山崎拓・加藤紘一・小泉純一郎」の自民党次世代ユニットの一人だったワケですが、しかし加藤の乱の時は、加藤さん山崎さんは行動を共にしましたが、小泉さんはあっさりと手を引いて、逆に乱を止める側、つまり政権側にまわりました。
 もし小泉さんが一匹狼で派閥なんて壊してしまえと思っていたのであれば、加藤の乱に同調していたコトでしょう。
 しかし「自分の派閥は大好き」な小泉さんは、自分の派閥から出ている総理(森総理)を引きずり下ろすなんて選択肢は持ち合わせていなかったのでしょう。
 かくして加藤の乱はあっさりと加藤さんの負けで決着が付いてしまったのでした。
 
 ちょっと横道にそれますが、経世会と源流を同じくする保守本流宏池会も、本来の意味では小泉さんにとっては敵だったハズなのですが、小泉総理時代にはあまり攻撃は受けませんでした。
 結果から言えば、現在の派閥の中でおそらく一番まとまりがあるだろう派閥は、ちょっとイレギュラーな二階派を除けば宏池会(岸田派)であり、存在感乏しい平成研究会とはかなりの差が付いてしまっています。
 なぜこうなってしまったかと言えば、これは歴史の妙というか、数奇な運命というべきか、この前お話ししましたように、森・小泉時代には宏池会は、平成研究会と一線を画するようになっていたからです。
 小渕総理誕生の時に加藤紘一さんが総裁選挙に出て、保守本流同士の派閥の関係が壊れてしまった、あの時からです。
 そして森総理誕生の時の会談にも宏池会は呼ばれていないコトからも分かるように、宏池会である加藤派は小渕時代から徐々に党内非主流派においやられてしまい、そして加藤の乱後はついに分裂してしまった宏池会は、だからこそ小泉総理の主なターゲットにはならなかったと言えるのです。
 もしかしたら、すでに分裂しているんだから力を入れる必要はなく、その余力があれば経世会叩きに費やそうという小泉さんの判断もあったのかもしれません。
 また生き残るのに必死だった古賀誠さんが、小泉さんには最後には軍門に従ったというのもあったでしょう。
 もし加藤さんの総裁選出馬がなく、小渕総理の後も経世会・宏池会政権ができていたら、小泉総理は誕生していなかったかもしれませんし、逆にあの小泉さんのバイタリティですから総理になっていたかもしれませんし、もしそうであったとしたら宏池会も平成研究会のように攻撃目標になっていたかもしれません。
 歴史の紙一重ですね。
 
 そんな「自分がやりたいコトをやるために権力を持って壁を壊していった」小泉さんですから、その評価というのは人それぞれになってしまいます。
 だって一番象徴的な郵政民営化だって、小泉さんの個人の執念で成し遂げたモノであって、国民的または公的な要請のもとに行われたワケではないのですから、個人として「郵政民営化が正しい」と思う人なら評価をし、「間違っている」と思う人なら批判をし、「どっちでもいい」と思う人ならどっちでもいいでしょう。
 ちなみにやえは当時もずっと言ってましたが「どっちでもいい」という感じです。
 よって小泉さんの評価っていうのは、他の総理に輪を掛けて「人による」んだと思います。
 政治手法ですら、結局は「小泉さんが小泉さんのために」行ったコトでしかなく、結果的に公的に利益になったかどうか、国益に適ったかどうかというのは、もっと後にならないと評価が下せないでしょう。
 しかもそれは「結果的に良かった」もしくは「結果的にダメだった」という、小泉さんという個人の思惑を離れた結果論にしかならないんだと思います。
 
 小泉総理の誕生は、このように日本政治史にとって大きなターニングポイントになりました。
 自民党の内規や小選挙区制度を使い、総理大臣という役職にさらに大きな力を行使できるコトに気づかせて、その後の総理にも力の使い方において大きな影響を与え、一方自民党の経世会支配に終止符を打ち、小泉総理後の自民党からの総理は未だ麻生さん以外は全て清和政策研究会出身という、ある種の異常事態が続いています。
 小泉総理の登場によって、永田町の、日本の政治史が一変しました。
 そういう意味で、最初に言いましたように、もしやえに平成で最も影響を与えた総理を一人だけ挙げろと言われたら小泉純一郎を挙げるのです。
 
 変人らしく小泉さんのエピソードはまだまだたくさんあるのですが、とりあえず今回はこれぐらいにしたいと思います。
 良い総理か悪い総理かを聞かれると、かなり答えには困るのですが、でも今の日本の政治の流れを考えれば、ある意味「出るべくして出てきた人」だったのかもしれません。
 特に衆議院選挙が小選挙区制度になった時から、いつかはこういう流れになるのは決まっていたとは言えますので、その転換点にたまたま永田町の中で極めて変人な人が総理になってしまったがために、もっとも効果的に変革の力を使われてしまっただけという言い方はできると思います。
 これはもう善し悪しじゃない気がするんですよね。
 直接巻き込まれた人はたまったもんじゃないんだとは思いますが。
 
 もう1つ言えば、永田町ウォッチする身としては、こんな面白い人はいなかったというのは確かです。
 そういう意味ではやえは小泉さんは好きですね。
 文章の書き甲斐のある人でした。
 
 では次回は第一次の安倍総理の評に移りたいと思います。
 



日韓合意という“国際的な”強力なカード


 あけおめでございます。
 今年はどんな年になるのか分かりませんが、ぜひよい年になればいいと願っています。
 皆様どうぞ今年もよろしくお願いします。
 
 さて、総理大臣の評価論の続きを書こうと思っていたのですが、ちょっといま話題になっている日韓合意の件で、ホットなウチに今一度言っておきたいコトがありますので、今日はそちらを書かせて頂きます。
 
 一昨年末当時はだいぶ悪く言われていた日韓合意ですが、実際はこのように、日本にとって強力なカードになっています。
 ここで勘違いしてはいけないのが、日韓合意とは「日本が10億円払うから、韓国は慰安婦像を撤去しろ」というお金がトリガーになって発動するような構図の合意ではない、というコトです。
 正確には、日韓合意とは双方がそれぞれが履行すべき行為を並行的に規定されたモノです。
 
 日本は財団設立のために10億円を拠出する。
 韓国は大使館前の慰安婦像の撤去に努力する。
 両国はこの合意で慰安婦問題が解決されたので、以後国際的な場でこの問題を蒸し返さない。
 
 これらはそれぞれ別モノの履行項目であり、例えば仮に韓国が一方的に10億円を日本に送金したとしても、だからといって日本が合意内容を履行した事実は変わりませんし、韓国が合意内容を履行していない事実も全く変わりません。
 「日本が10億円払ったから韓国は履行しなければならない」のではないのです。
 韓国としては、日本がどんな行為を行ったとしても、仮に日本がまだ10億円を拠出していなかったとしても、それでもやっぱり韓国は慰安婦像などの合意内容に対する履行の義務は存在します。
 10億円は条件でもトリガーでもありません。
 ただの日本側の履行内容なだけなのです。
 
 そしてだからこそ日韓合意は強力なカードになっているのです。
 しかもこれは「国際的に強力なカード」です。
 間違えてはいけないのが、日本は決して韓国だけを相手に外交をしているワケではありません。
 韓国はどう思っているのか知りませんが、日本は常に国際社会に対して外交を行っているのであり、韓国に対する態度も、全ては国際社会に日本がどう映るのか、国際社会に対して日本のプラスになるかどうかを基準にして外交を行っているのです。
 ですからもちろん、日韓合意も国際社会の中における外交の1つとして結んだワケであり、国際社会に向けた効果を狙ってのモノであるワケです。
 
 その上で日韓合意は日本にとって大変プラスになっていると言えます。
 なぜか。
 一番大きい理由は、先ほど説明しましたように、日韓合意は条件が合致したら成立するという構図のモノなのではなく、合意自体がまず成立という形になっており、その先にそれぞれ両国が内容を履行する形になっているという構図になっているからです。
 すなわち「相手がどうあれ、自分が履行すれば、自分側はそれで終わり」なんですね。
 そして日本はすでに履行しているワケです。
 ちょっとアレな韓国人はともかく、理性ある法治国家の国民であれば日韓合意の内容をキチンと読めばそれぐらい簡単に分かるコトですから、「日本は合意を守った。一方韓国はどうか」という単純な問いに対してどう答えを出すかなんて、まさに言うまでもないコトなのです。
 「お互いに自国内のコトを履行する」という、並行的な内容だからこそ、どちらかの行動の是非と賛否が一目瞭然になるのです。
 
 そしてもう一つ大きなコトが、この日韓合意の一次ソースがフルオープンにされた記者会見で日韓両国の外相の生の言葉によって発表されたという点にあります。
 当時は「なぜ文章じゃないんだ」という批判もありましたが、文章ではどうしても解釈に差が出てきかねません。
 特に違う言語間でのやりとりなんですから、微妙なニュアンスも含めて完璧に同じ文章を作るコトは不可能です。
 よって日韓合意は、それぞれの国民に向かって自国の外務大臣が直接言葉に出して合意内容を発表するコトによって、そういう後々の齟齬を消し去っています。
 そして同時に、これを全世界にテレビという逃げ場のない方法で発表するコトで、二国間だけではない全世界の人間を証人とするコトに成功しました。
 先日岸田外務大臣がヨーロッパ訪問中にこの問題について「国際的に高く評価されている」と言ってましたが、テレビによって全世界に広く告知された合意なのですから、どこに行っても日韓に関係ない地であったとしても、堂々と「日本は合意を履行している」と主張するコトができるのです。
 
 ハッキリ言って、このロジックの前に、さすがの韓国人も真っ向から否定できていません。
 ですから「日韓合意の範囲外だ」ではなく「日韓合意を破棄しよう」としか言えないんですね。
 まぁお金を返せば破棄できると思っている姿は正直滑稽だと言わざるを得ないのですが、とにかく、日韓合意がこの問題の強力なカードになっているコトは、これでもう完璧に証明されていると言えるでしょう。
 
 慰安婦問題については、過去何度も言ってますように、一番の原因は日本のマスコミにあり、そしてそれを享受した日本国民にあります。
 河野談話も、当時は「なぜ明確に日本の責任を認めないのか」という声が大きく、むしろ保守系からは「日本軍の直接的な関与はなかったと政府が認めて良かった」という声があがったぐらいでした。
 これは当時の日本の雰囲気がなせるワザであり、先日の更新に対する反応でもどうしても昔の日本の雰囲気が理解できない人がいて、それはまぁ仕方ないのかもしれませんが、しかしそれを今の時代になってから政治家や政府に責任を転嫁させるというのは許されるモノではありません。
 こうした歴史に終止符を打ったのが日韓合意なんですね。
 
 これは合意直後にも言いましたように、日本国民としては、これをシッカリと冷静に受け止めて、何より「日本は誠実に履行している」という事実を確認する必要があります。
 そして「履行していないのは誰か」というコトも確認するコトです。
 一番愚かしいコトは「日韓合意なんて結んだ日本政府はけしからん」と、相手を利する言動をとるコトです。
 日韓合意の一番のキモは、10億円でも慰安婦像でもなく、「国際的にこの問題は終わりだ」と宣言した点です。
 同時に、日本も韓国も国際社会の中でこの問題を蒸し返さないというところにあります。
 これが日本にとっては一番のメリットなのであり、ここさえ守れば韓国国内でどんなモノ建てようが、特にどうでもいいのです。
 だって外国から仮にそれについて聞かれても「日韓合意で終わったコトだから」と説明できるのですからね。
 それなのに韓国がわざわざ日韓合意を履行しようとしないのですから、日本とすればそれなら「誠実に履行しなさい」と言うしかないワケで、それで全てなんですよね。
 「日本は履行した。では韓国はどうか?」と言えばいいだけのお話を、なぜ自国政府批判に繋げなければならないのか、そんなのは全く無意味ですよね。
 このように日韓合意は、日本にとって国際的な強力なカードになっているのです。
 
 そしてもし、万が一にでも合意が破棄されるようなコトになれば、それは破棄した方が悪いのです。
 当たり前です。
 この時こそ日本人は冷静に当たり前のコトを当たり前に言う冷静な判断が必要となるでしょう。
 



総理大臣評価論 2


 さてでは、小渕総理以降の総理大臣についての評論を前回に続いて書いていきたいと思います。
 今日は順番に、森総理にしましょうか。
 でも多分、森総理については長くなると思いますので、今日は森総理だけになると思います。
 よろしくお願いします。
 
 森喜朗総理の一番の能力であり魅力は、「火中の栗を平然と拾い上げる胆力」にあると思っています。
 つまり誰もやりたがらないような仕事や状況に対し、森総理は臆するコトなく仕事を引き受ける懐の深さがあります。
 例えば最近で言えば東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の会長に森総理が就いていますが、これも森さんクラスでなければ務まらない役でした。
 はじめから色々と批判されるのが簡単に予想できる役どころであり、同時に国家も絡む仕事になりますからパイプも度胸も必要、さらにオリンピックなんて一大イベントのトップになるのですから相当の重い人を就けなければ周りが納得しない、そんなかなり難しい人事だったワケです。。
 こういう中、「森さんならば皆が納得する」と思わせる実績と雰囲気が森総理にはあり、森さんも元総理なのですから役職がなくても一定の影響力は持てるハズなのに、そんな状況が分かっているからこそ会長に就くという、自ら火中の栗を拾いに行く度量を見せて、会長就任となりました。
 もともと自民党の中でも派閥の会長という重量級であり、さらに総理まで務めた人なのですから、この人事に文句が言える人なんていないワケで、逆に言えば森さんレベルでないと空転しかねない人事だったとも言えるでしょう。
 
 これ、森さんが総理に就任する状況も似たような感じでした。
 今さら説明するまでもありませんが、森さんは小渕総理の急死を受けて急遽総理大臣に就任しました。
 あの時は「森さんしかいない。森さんならなんとかやってくれるし、引き受けてくれるだろう」という状況だったんですね。
 そして森さんは、臆するコトなく総理に就任したワケです。
 
 では森総理の評価ですが、これもまずは、あの時の日本と永田町の状況を確認し直す必要があります。
 というのも、あの時の日本の雰囲気は今では考えられないような左寄りの雰囲気だったというコトを、まず前提に踏まえておかなければ理解できないコトがあるからです。
 
 繰り返します。
 あの時代、日本はまだまだ左寄りでした。
 北朝鮮の拉致問題が広く認知されたのは森さんの後の小泉総理の訪朝時ですが、それまでは、北朝鮮による拉致があったのではないかと疑問を呈するだけで「お前は右翼だ」とレッテルを貼られるような時代でした。
 これは誇張でもなんでもありません。
 事実、当サイト管理人のあまおちさんなんか「韓国は日本に敵愾心を持っている」と主張するだけで、かなり激しい批判が寄せられ、言うに事欠いて「お前は日韓友好を阻害する売国奴だ」とすら言われたコトがあります。
 繰り返します。
 これは誇張でもなんでもありません。
 事実です。
 まず、当時はこういう雰囲気だったというコトを踏まえてください。
 
 次に永田町の事情ですが、これはちょっと複雑で長くなります。
 派閥のお話であり、森総理が誕生する前までのお話です。
 
 森総理の派閥の清和政策研究会、いまは細田派であり安倍総理が所属する派閥でもありますが、この派閥から総理が出るのは、なんと福田赳夫総理以来というかなり久しぶりのコトでした。
 調べたら22年ぶりのようですが、重要なのは、この清和会という派閥は旧日本民主党の流れを汲む観念・理想主義が強い流れを汲む派閥だというコトです。
 もっと簡単に言えばタカ派系なんですね。
 旧日本民主党系は自民党の中では保守傍流という言い方もする(吉田茂の自由党系を保守本流と呼びます)のですが、こちらは傍流と呼ばれるだけあって自民党の中では非主流派の方に身を置くコトが多く、排出総理もそんなに多くありません。
 森さんの前で言えば、だいぶさかのぼって海部俊樹総理になりますが、ただしこの人は「現住所河本派・本籍竹下派」なんて呼ばれていたぐらいだいぶ毛色の違う人ですし、その前の宇野総理も、そもそも就任の事情がリクルート事件のまっただ中でありピンチヒッター的だったので(事実2ヶ月で終わってしまいました)、かなり事情が違う選出方法だったと言わざるを得ません。
 となれば、森さんより前に保守傍流からまともに排出された総理というのは中曽根総理までさかのぼらなければならないワケで、就任年は1982年なので、これはもう森さんの時代ですら時代背景が全く違う、比較対象にならないような背景だと言えるんですね。
 
 ではなぜ森総理がそうした中で総理になれたのかですが、これは小渕総理の誕生の時に、その下地ができていました。
 当時、自民党の時期エースと言えば、先日亡くなられた加藤紘一元幹事長でした。
 加藤さんについてはいわゆる「加藤の乱」で失敗したという認識が一般的には強いのですが、これはちょっと違っていて、実際には小渕総理が誕生する際の総裁選の時に大きな躓きがあったのです。
 
 小渕総理はいわゆる田中(角栄)派経世会の流れを汲む派閥の会長でしたが、経世会は吉田茂の自由党系保守本流の派閥です。
 特に昔の経世会は自民党の第一派閥で、鉄の結束と言われたほどの強い結束力を持つ派閥であり、田中角栄の金と力をそのまま引き継いでいる、自民党のザ・主流派の派閥だったんですね。
 そして加藤さんの派閥は、これも吉田茂の自由党系保守本流の派閥で、今にも続く宏池会(現・岸田派)の会長でした。
 この経世会(現・平成研究会(額賀派))と宏池会は、こういう事情からかなり近しい関係にあり、多くの政権においてこの2つの派閥がメインとなって政権を作り、そして運営してきました。
 こうした協力関係で自民党の権力争いにおいて多くの場面で主流派として鳴らしてきた2派なのですが、その関係を加藤さんが突如壊してしまったのです。
 小渕さんが出馬した総裁選に、加藤紘一さんも出馬してしまったのです。
 言わば加藤さんと宏池会は経世会に反旗を翻してしまった形になり、これに小渕さんは珍しく激怒したと言われいます。
 そして結局総裁選は小渕さんが勝ったのですが、その後、この2つの派閥の距離はかなり離れてしまいました。
 
 だいぶ昔話が長くなりましたが、この2つの派閥の距離が象徴されるのが、森総理誕生のいわゆる「五人組」の会談です。
 この5人組とは、森喜朗、青木幹雄、村上正邦、野中広務、亀井静香の各議員さんですが、つまりここに宏池会の議員は入っていません。
 これはもしのお話になってしまいますが、もし加藤紘一さんがあの時総裁選に出ていなかったら、小渕さんの後は森さんではなく加藤さんになっていたのではないかと、やえは思っています。
 こんな事情があり、森さんは清和会にして22年ぶりの総理に就任したのです。
 
 さて長々と色々説明してきましたが、まだインターネットが黎明期だった森総理の就任時、結局日本のマスコミは森総理に対しては叩く要素がたくさんありました。
 最も観念的なタカ派である清和会の会長であったコト、ハト派の加藤紘一さんを蹴落とした形になったコト、そして世の中がまだまだ左翼的だったコト、なにより自民党という政党そのものを叩くコトが正義だと未だ信じられていた、もしかしたらこれまで積み重なってきたモノが積もりに積もって最も自民党叩きの怨念が貯まっていた時代だと言えるかもしれません。
 森総理の一番の敵はマスコミだったと、就任時から決められていたようなモノでした。
 
 そして森総理はマスコミに叩き潰されてしまいました。
 
 森総理は、表も裏もできるという面では珍しいタイプの政治家と言えるかもしれません。
 細川内閣誕生により自民党が初めて下野していた時には、裏のタイプである野中広務さんや亀井静香ちゃん先生らと共に社会党などを切り崩して村山政権誕生と、自民党の与党復帰の道筋をつけましたし、表では大物政治家としては珍しい文教族というコトで、この方面で総理として教育改革に大きな功績を残しました。
 また外交にも強く、あのロシアのプーチン大統領と信頼関係を築けているというのは、わりと有名なお話ですよね。
 前回にも言いましたように、森さんも、総裁選こそやっていませんが、自分の力で派閥の会長となり自民党の権力争いに勝ち抜いてきた人ですから、やはり基本的には有能な人なのは間違いないと思っています。
 残念なのは、どちらかと言えば裏の系統の方が強い人であり、「外から見ればどう映るのか」という点が多少無頓着だったのかなというところです。
 マスコミのデタラメな言葉狩りは以ての外ですし、大部分はこうした叩きのための叩きだったと思っていますが、真意はともかくそれでもさすがに安易すぎるのではないかと思わずにはいられない“失言”があったのも確かです。
 振り返りますと、発言の全体自体はともかくとしても、たまに出てくる単語とかがちょっときわどく安易なんですよね。
 その場にいる人を笑わせるのは得意でも、その場にいない人にも自分の言葉が伝わるっていうその先までのコトを総理大臣として考えていれば、もっと長い間総理として活躍できたのではないかと思っています。
 当サイトとしてはあの有名な「神の国発言」も、ちゃんと全文読めば報道とは違うと主張していましたし、個人的には言葉狩りなんて負けずに頑張ってもらいたかったのですが、言ってしまえば森総理は「時代に負けた」と言えるのかもしれません。
 
 このシリーズ全体的に言えるコトなのですが、基本的に自民党の総理大臣というのは優秀だと思っています。
 その最も大きな理由は、権力闘争により磨かれて勝ち残っている人が総理大臣になるからです。
 最近は政治家を安易に小馬鹿にする人が増えてしまっていますが、少なくとも議員を何十年も続け、まして与党議員として活動し、ポストもそれなりに重れば誰だって優秀になれますし、そうした人だからこそ与党議員を何十年も続けられているワケです。
 逆にそれらの職責についていけなければ総理候補までにはなれません。
 いま総理候補と呼ばれている人もそうです。
 政策の好き嫌いは人それぞれだとしても、岸田外相も石破議員も、能力だけを評価するなら今の自民党の中ではピカイチでしょう。
 その上で、人望やら胆力やら色々なモノを兼ね備えた総合人間力の高い人が自民党総裁選挙に立候補して勝ち得るのですから、そうしたステップを踏んできた人はみな優秀なのです。
 もちろん人間ですから得手不得手はありますし、個性やキャラクターもありますから、分野ごとに評価は分かれてしかるべきですが、少なくとも森総理も総合的には十分優秀と評価できる総理大臣だったと言えると思っています。
 このシリーズ全体的に「総合的には優秀」という言葉がよく出てくると思いますが、それはこういう理由からです。
 少なくともやえは評論家気取りで「一方で下げで一方で上げる」的な妙なバランスは取ろうと思いませんので、率直にそう思っているというだけなんですね。
 
 かなり長くなってしまいましたが、では次は小泉総理ですね。
 森総理は「時代に負け」ましたが、小泉総理は「時代を引き寄せた」と言える総理です。
 そういう意味では、かなり特出した人物であるコトには違いないでしょう。
 
 というワケで、今年はこれで最後の更新となります。
 今年一年もありがとうございました。
 また来年もどうぞよろしくお願い致します。
 



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