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2016-09

劇場型政治の危うさ


 予定を変えて、ちょっと例の築地移転問題について一言言っておこうと思います。
 
 多少過激な言い方になりますが、小池知事は自らの立場を固めるために築地市場移転問題を生け贄にしたのではないかと言わざるを得ません。
 この問題、決して「コンクリートの空洞」そのものが問題ではないハズなんですね。
 この移転問題で一番重要なのは「安全かどうか」です。
 まずここを確認したいです。
 
 勘違いしないでもらいたいので言っておきますが、決してやえは、コンクリート空洞がいいと言いたいワケではありません。
 むしろ、コンクリート空洞の善し悪しなんかを議論している時点で、本来の議論から遠ざかっているんですね。
 今回やえが問題にしたいのは、議論の持っていき方です。
 小池知事、まずコンクリート空洞を絶対悪だと決めつけた上で、それに関わった人を断罪するコトで自らを正義の位置に固定するような手法を採ってしまってはいないでしょうか。
 自分以前の人は間違っていて、自分はそれを正す正義の味方だと位置づけるワケです。
 まぁ古今東西、政権や王朝が代わるたびに採られてきた手法ではありますが、こういう一方的な断罪の手法を用いてしまっているのではないかと、大変に危惧するのです。
 
 例えば、なにやら石原元知事が記者会見で空洞方式について言及したからというコトでテレビなどに吊し上げにされていましたが、これ、おかしいですよね。
 さも石原元知事が記者会見で言及したから空洞が決まったかのような伝え方をしていましたけど、実際その会見を見れば、単に空洞は可能性のひとつとして一例を挙げていただけっていうのはすぐ分かります。
 だいたい記者会見ですよ?
 そこは都政の政策決定をする場でないコトは明らかであり、そして決定を伝える会見でもなかったワケですから、どういう方式にするかの決定は後日正式な都の中の会議で決まるっていうのは言うまでもありません。
 つまりこれだけで「可能性のひとつとして提示してみただけ」っていうのが簡単に分かるワケです。
 まさか、可能性を言うだけで批判されるっていうのは、あまりにも非自由主義過ぎますよね。
 むしろ為政者としては、あらゆる可能性を検討するコトの方が重要であり、そういう意味ではむしろ石原元知事のこの見解は褒められこそ、批判されるコトではありません。
 むしろ批判する方が間違っていると言うべきです。
 
 でもマスコミは石原元知事は吊し上げられました。
 空洞方式を口にするだけで悪かのような雰囲気のもと、検討するコトさえ許さないという前提でのつるし上げです。
 これって絶対違うと思うんですね。
 一番重要なのは、「盛り土=正義・空洞=悪」の方程式に当てはめるコトでは決してないワケで、どの方法が最も安全かを確認するコトです。
 更に言えば、もしかしたら、石原知事時代に様々な検討された結果として空洞形式が最も安全だというコトで決定が成されたのかもしれません。
 よって今やるべきは、そういう検査などの資料を精査するコトであり、またいまの段階での安全性を冷静に考えるコトです。
 少なくとも、今のまだ精査が終わっていない段階で空洞は絶対悪だとしてそれに関わった人間を次々に断罪する行為に害はあっても得も意味もあるとは思えません。
 意味があるとすれば、小池知事の足下が堅くなるコトぐらいでしょうか。
 
 繰り返しますが、いまこの段階でコンクリート空洞が正しいかどうかなんてコトを判断する材料も知識もやえは持ち合わせていませんので、その是非を問うているワケではありません。
 問題なのは議論の進め方です。
 どうも小池知事ははじめから築地市場移転問題を都政第一歩の目玉としてやり玉に挙げようとしていたきらいがあり、その上でちょこっと調べてみたら空洞が見つかり、それ見たコトかと精査もせずに一気に悪玉に祭り上げてしまったのではないのでしょうか。
 これはやっぱり間違っていたと言わざるを得ません。
 本来であれば空洞が見つかったのであればまずはその経緯を精査をすべきだったのです。
 だって少なくとも小池知事にとってはある程度時間を掛けて精査しなければ、これまでの経緯なんて分からないハズなんですからね、これまで都議会議員でも都の職員でもなく、初めて都政に参画するコトになったのですから。
 だったらもっとマスコミにオープンにする前にすべきコトがあったハズでしょうと。
 最低限、現状の安全に関する調査、各数値は計った上で、その結果が危険だったのであれば、その時に「このように危険だ」と公表すべきだったと思うのですが、実際のところは逆でしたよね。
 それなのに実際に行ったコトは、「空洞が見つかりました。とんでもないコトですね。前までの知事は何してたんでしょうかね」であり、水質調査などもわざわざマスコミを引き連れて行っていましたよね。
 やっぱりこれ、色々と順番が違いすぎる気がしてなりません。
 しかも安全基準適合無いという結果でしたし。
 
 これらの結果、もはやマスコミは問答無用でコンクリート空洞=悪になっていて、それに関わる人間を断罪するコトで視聴率を稼ぐ思考になってしまっています。
 しかしこれは正しい政治の行いなのかどうかは、大変に疑問が残ります。
 もし今後の調査の結果、いまの方式の方がより安全だと判明する可能性だってあるワケですし、しかしそうであったとしても、おそらく小池知事は今さら方針転換できないでしょうし、仮にしたとしたら今度は石原元知事に対してはかなり悪質な名誉毀損をしたコトになります。
 手間もお金も様々面でも損失ですよね。
 また、そもそもとして現段階でコンクリート空洞が悪だと確定しているワケではないのに、悪かのように言ってしまっているコト自体が間違いなんですよね。
 また仮にコンクリート空間が盛り土よりも危険度が高いというコトが判明したとしても、それは当たり前ですが確定した時に方針の撤回や処分を行うべきです。
 仮定の状態で他人を断罪していい理由なんてありはしません。
 そしてそれが現代日本で行われる正しい政治であるハズがないのです。
 
 いまこの問題については冷静になれない人が多い気がしてなりませんが、本当にここのところを冷静になってよくよく考えてもらいたいです。
 

男系の系統は不断の努力で繋がれてきた


 さて、前回太字で書きました皇統の基本について、「1.女性天皇の例はあっても、女系天皇の例はなし。一度たりとも例外は存在しない。」については、もう調べれば事実かどうか分かると思いますので、解説は不要でしょう。
 初代神武天皇から125代今上天皇までにおいては、女性天皇は8人10代(つまり2人は2度目の即位をされています。これを重祚(ちょうそ)と言います)いらっしゃいますが、女系天皇は一人として存在しません。
 これは誰にも変えられない事実です。
 
 よって今日は、「2.男系の系統はたまたま繋がってきたのではなく、当時の人々の不断の努力で繋がれてきた。」について解説しようと思います。
 
 たまにある誤解で、昔は側室制度などもあったために、そう難しくなく男系を紡げてきた、つまりたまたま男系で受け継がれてきただけであって、男系でなければならない理由は無かったと言う人がいるのですが、これは大変に誤解です。
 最も分かりやすい例が継体天皇でしょうか。
 第26代天皇の継体天皇は、先代第25代武烈天皇から見て、血筋はかなり遠い人です。
 こちらの図を見て頂けると分かると思いますが、継体天皇は「応神天皇5世の孫」であり、もちろん天皇の血筋ではありますが、先代の25代と26代の間にはもう一言では間柄を表現する言葉が無いくらい遠い関係での天皇の継承が行われました。
 そもそも今でも議論があるように、継体天皇の「応神天皇5世の孫」というコト自体に疑問があるぐらいの微妙な継承だったようですが、その議論は端に置いておくとしても、この事例で少なくとも確実に言えるコトは、「男系は簡単だから受け継がれてた」という事実です。
 むしろ「確かに近親者」よりも「不確かだけど男系の血筋」に継承が行われたという事実こそを重く見るべきです。
 
 つまり「男系でなければならなかった」と言えるワケです。
 だってもし「男系でなくてもいい」という認識が当時の天皇や朝廷・貴族、また一般国民の間にあったとしたら、こんな遠くの血筋の人を天皇に即位させる必要なんてなく、例えば武烈天皇の姉妹(姉妹は男系ですから問題ありますが、おそらく次が続かなかったのでしょう)とかに継がせてもよかったのではないのでしょうか。
 でもそうせず、もはや他人と呼べるような間柄の人(5代前に分かれた親戚の人と付き合いのある人って果たしてどれだけいるでしょうか)をわざわざ後継として天皇を継承したというのは、もはや「男系が絶対のルール」として存在していなければ説明が付かないワケです。
 
 そしてこれは継体天皇の1例だけではありません。
 
 こちらの図をご覧ください
 そして46代孝謙天皇と47代淳仁天皇の間柄を見てみてください。
 こちらも一言では続柄を表現できない遠い遠い親戚関係です。
 さらに48代称徳天皇(46代孝謙天皇と同一人物です)と49代光仁天皇の間からも、異母姉妹の夫という以外、血筋という意味では全くかけ離れた親戚関係の間で継承が行われています。
 むしろ異母姉妹とのご成婚は、この継承を円滑に進めるためのモノだったと言うのが実際のところでしょう。
 この「強引な継承」も、全ては「男系こそが絶対のルール」だからこそ行われたモノなのです。
 そう言わなければ他に説明は付かないのです。
 このように、これまでの天皇は何度も「継承の危機」を迎えつつも、絶対に男系継承だけは守りながらなんとかかんとか現代まで紡がれてきたのです。
 
 女性天皇は存在した上で、しかし継承は100%男系のみで受け継がれてきた、そしてそれは決して安易な道のりでは無かったという「事実」を見た時に、それでも「男系というルールなんて存在しない」と言ってしまう方があまりにも現実離れした考え方だと言わざるを得ません。
 合理的理由は一切ないのです。
 事実は、古代の時代から天皇とは「神武天皇の男系の血筋でなければならない」と明確な意志を持って継承されてきたし、だからこそ明治になってからの“憲法・法律の時代”になった際に改めて明文化されただけに過ぎない、と表現するのが適切なのです。
 
 
(つづく)
 

天皇継承の基本


1.女性天皇の例はあっても、女系天皇の例はなし。一度たりとも例外は存在しない。
2.男系の系統はたまたま繋がってきたのではなく、当時の人々の不断の努力で繋がれてきた。
3.これらは全て日本の正史によって紡がれてきたものである。

 
 以上のコトから、これまでの悠久の歴史が育んできた日本が有史以来常に戴いてきた天皇とは、男系の血筋に限ると断言する他ありません。
 
 先日今上陛下が御自らの思いについてテレビの録画にて国民にお伝えになられました。
 これについては改めて説明する必要もないでしょうし、陛下のお気持ちを忖度するのは不敬だと思いますので、そういうコトについては当サイトでは触れないつもりでいます。
 なので、やえとしましては、これは以前かなり詳しく書いたところではあるところですが、もう一度、天皇の継承とは何かというコトについて、何度かに分けて改めて書いておこうと思います。
 
 まず最初は、天皇継承についての基本を箇条書きにしたモノと、やえがこの一連の更新で何を伝えたいのかというコトを説明しておきたいと思います。
 
 最初に断っておきたいコト、つまりやえがこの一連の更新で最も訴えたいコトなのですが、それは「こうすれば皇統は守られる」とか、「天皇という存在を守るためにはこうすべきだ」とか、そういう“手段”を訴えたいのではない、というコトです。
 まず一番大切なのは、「皇統とは何か」という事実の確認です。
 そしてそれは、その皇統を引き継げば今まで通りの天皇のあり方というコトになりますし、もしその皇統が引き継がれなければ、いくら屁理屈を並べようが天皇という名前を引き続き使おうが「これまでの天皇や皇統とは違う」と言うしか無い、という、やはり事実の確認なのです。
 手段とか目的なのではなく、こうすればこうなるという当然のコトについて、まずは確認しておきたいワケなのです。
 
 勘違いしてないでほしいのは、やえは決して「皇統が守られなくてもいい」などと思っているワケではないという事です。
 むしろやえの本心は「皇統は守られるべきだ」と思っています。
 しかしそれは「偽りで作られた皇統」ではありません。
 すなわち、これまでのルールを守るコトが難しくなっからとルールを変えてまで強引に「これが皇統だ」と言い張っても、そんなのは「皇統を守るコト」にはならないと断言します。
 ここをまずハッキリとさせておきたいです。
 世の中には、ルールなんかどうでもよくてとにかく天皇という位にある存在があれば皇統を守るコトだと言い張る人もいるようですが、やえはそれには与しません。
 何をどう言い張っても、皇統でないモノは皇統ではありませんと言うしかありません。
 その事実の確認と、「皇統は守られるべきだ」という思いとは、全くの別問題です。
 まずはここを冷静に分けて考えてもらいたいと思っています。
 
 (つづく)
 

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