総理大臣評価論4-安倍晋三(第一次)-

 では今回は安倍晋三総理です。
 ただし今回は自民党が下野する前の、小泉総理の後の第一次安倍内閣の安倍総理だけについて言及していきます。
 
 まずバッサリ言っちゃいますと、やえの小渕総理以降の自民党の総理の評価は、安倍総理(第一次)が一番低いです。
 と言うと語弊が多少出ますが、この時期確かに成立させた法案などは大きいモノが多く、例えば教育基本法改正ですとか防衛庁の省昇格ですとか、政策的には評価できるモノが多いのですけど、ただ政権運営という面では一番ダメだったと言わざるを得ません。
 きびしいコトを言いますと、総理大臣になれれば権力も権限もありますから、自らの政策をある程度強引に押し通すコトはできるワケで、事実、第1次安倍政権の頃はかなり強引に法案を通したイメージがありますが、しかしそれを繰り返せば色んなところから反発は出るワケで、決して日本は王国ではない以上、味方にも敵にもある程度の配慮をしなければ、いろんなの人にその座から引きずり下ろされてしまうワケです。
 そしてそうなってしまえば、政策そのものの評価も下がってしまいますし、なにより安倍さんに期待した人を裏切る結果にしかなりません。
 そういう意味で、総理になった以上は、できるだけ長く続ける努力というのも、総理にとっては大きな仕事の一つなんですね。
 いえ、政策を実現させるためこそ、長く続けなければならないのです。
 安倍さんは、そこが一番分かっていなかったと言わざるを得ないのです。
 
 ではなぜ第一次の安倍総理はそんな体たらくだったのかと言えば、それはもう権力を自らの力で取ったとは言いづらい形で総理大臣のイスに座ったからでしょう。
 安倍晋三という個人に全く不自由や苦労がなかったなんて言うつもりは毛頭ありませんが、ただし、権力の取り方を見てみれば、それはかなり優遇された、エレベーターで上り詰めたというのは否定できないところです。
 初の閣僚は官房長官という各役所に命令を下せるような役職ですし、党だって当選3回なのに突然の幹事長に就いたワケで、「苦労して上り詰めた」とはさすがに形容できない出世です。
 副大臣も官房副長官という、やはり各役所に命令を出せる役どころです。
 そしてあれよあれよという間に、麻垣康三とは言われつつも、事実の上のポスト小泉として小泉後の総理となりました。
 それも当選5回という、本来議員としてはまだまだこれからだという期数においてです。
 苦労はなかったとは言いませんが、しかし自ら取ったイスだとはねさすがに言えないワケなのです。
 
 そうした権力に対する姿勢について甘さが残る中で総理になった安倍総理は、その巨大な権力に対して自らの思想に沿う政策を、言わば権限の力だけで押し通してしまい、そして権限だけでは通用しない部分に対する配慮が足りなかったために、余計に内外に不満を貯める政権運営を行ってしまいました。
 そしておそらくこれは、安倍総理自身が一番気づかないままに、です。
 特に第一次の時の安倍総理の後半は、「なぜダメなのか」というコトすらも分からないままだったのではないのでしょうか。
 「自分は常に正しいコトをしている」「間違いなど存在しない」「なぜ批判されなければならないんだ」と、疑いもなく突き進んでしまい、自身への反発すら、なぜ反発されているのか理解できなかったままに、第一次政権の幕は下りてしまったのでしょう。
 
 第一次の安倍さんの突然の辞任は、基本的には体調不良と説明されていますが、もちろんその要因がなかったとは言いませんけど、それでもあのタイミングでは「続けられなくなってしまい辞任するしかなかった」という、リタイヤでの辞め方だったと言うしかありません。
 そしてそれは、民主党政権も含めての6人続けて1年で辞めてしまうという総理の前例の呼び水にもなってしまいました。
 もちろん全ての責任が安倍晋三個人にあるとは言いませんし、エレベーター式の権力ののぼり方も安倍さん個人の責任だけではありませんが、やはり政治家は結果責任、権力の怖さをしらないままに揮うコトしか頭になかった第一次の安倍総理は、言わば「子供っぽい総理」に終わってしまったと評するしかないのです。
 
 もしかしたら今回のこのやえの評を読んで怒る人がいるかもしれません。
 「普段、政策を見ろと行っているくせに、安倍総理の政策については評価しないのか」と思う人もいるかもしれません。
 でも、だからこそなんですね。
 もし政策が評価できる人が権力を握ったのであれば、なお「権力を維持する方法」も頑張ってもらわなければならないのです。
 それはある種の選挙にも通じる部分で、いくら優れた政策を持っていたとしても選挙で勝てなければそれを実行するコトなんてできないワケですから、「選挙に明け暮れるだけの政治家なんて」みたいな斜に構えたような、言い換えれば甘えた考えでは、政治家としては大成しません。
 まして選挙や権力闘争が、政治家としての器を磨き、人間を大きくするコトに繋がるワケですからね。
 政治家とは、選挙であり権力に対する姿勢も含めて政治家なのです。
 ですからやえ自身は政治家でもなんでもありませんから政策をサイトとかで取り上げる時は政策のみで評価しますが、しかし政治家自身が「政治家は政策だけをやっていればいい」となってしまい権力の維持に無徳着になってしまうと、その最も大切な政策を実行するコトができなくなりますし、そうなれば結果的に国民こそが不利益を被るのですから、政治家として総理大臣として評価するというコトならここ込みで、むしろこここそを評価すべきだと思うのです。
 第一次の安倍総理の「失敗」を、「でも政策はよかっただろ」と正しく評価できないままに終わると、次の期待する政治家も同じ轍を踏んでしまいかねません。
 ですから、政策も大切ですけど権力の維持の方法も大切ですよと、そう評価しなければ線の細い政治家ばかりになってしまい、それは結果的に国民に不利益をもたらしてしまうコトになってしまうでしょう。
 例えば稲田大臣です。
 やえが稲田大臣の政策をどう評価するかはともかくとしても、もし今の稲田大臣のままに総理になってしまえば、絶対に失敗しますし、その混乱は国家国民に大きなキズを与えてしまうコトでしょう。
 それは、一国民としても、また稲田大臣を応援している人はなおさら、ここをシッカリと踏まえておく必要があるんだと思います。
 
 そういう意味で、やえとしましては第一次の安倍総理は、自民党の総理の中では最も評価の低い総理となってしまいます。 
 逆に言えば、この時代を教訓とした第二次以降の安倍総理は、これまでにない最強レベルの総理に生まれ変わったと言えるでしょう。
 
 では次は福田総理ですね。