死刑論と冤罪

2012年4月15日

 先日、光市母子殺害事件の最高裁判決が下りました。
 死刑です。
 この事件については他にたくさん解説しているサイトがありますから詳しく言いませんが、殺人犯が当時18歳だったという点について死刑にできるかどうかが最も争われた裁判だったと言えるでしょう。
 特に一審二審と無期刑を言い渡したのにも関わらず、最高裁においてそれが覆ったというのが、大変印象深い裁判だったと思います。
 やえはこの死刑判決を全面的に支持します。
 
 この事件に限らずですが、死刑がピックアップされると必ず出てくるのが「死刑廃止論」です。
 読んで字の如く死刑は廃止すべきだという論ですが、これ当サイトとしてもずっと昔から取り扱っている題材でして、しかし残念ながらやえは今までまともな死刑廃止論を見たコトも聞いたコトもありません。
 もっと言えば、死刑を廃止すべきまともな論拠を聞いたコトがないのです。
 いつも言ってますよね、主張があるなら必ずその論拠があるハズです。
 死刑を廃止すべきだと主張するのであれば、その論拠が必ずあるハズなのです。
 しかし死刑廃止論は、その論拠がないのです。
 どう考えても、死刑は廃止すべきだという結論が先にあって、その理由を後付けで考えているとしか思えないモノばかりなのです。
 
 一番よく聞く死刑廃止論の理由らしきモノは、「冤罪があるから」です。
 つまり、死刑は命を奪う罰であり、殺してしまってはもし冤罪だった場合には取り返しが付かなくなるから廃止すべきだ、という論調です。
 
 やえには全く理解ができません。
 
 賛成できません納得できませんではありません、理解ができないのです。
 だって「取り返しが付かない」というのは、死刑に限らず全ての刑罰でも同じだからです。
 お金ならまだしも、全てにおいて「時間」はどうやったって取り返しが付きませんよね。
 ですから、全ての刑罰において冤罪の可能性を言うと「取り返しが付かない」という論拠がもれなく付くのですから、ここに死刑だけを特別扱いをする理由が1つもないのです。
 
 そしてなにより、そもそも冤罪というのは運営の問題です。
 日本の法体系の中でも、運営の中で起きるエラーです。
 それなのにそれをシステムに転換するというのは、実は大変に無責任なコトだと言うしかないでしょう。
 システムに責任を転嫁させれば、実は運営の問題であるにも関わらずその運営の問題に目がいかなくなってしまう、つまり運営の責任を問わなくなってしまうからです。
 そしてやっぱりですね、この理由からもさっきと同じように冤罪は死刑問題に限らず全ての犯罪において起こり得るコトとしか言いようが無く、だからこそ「冤罪があるから死刑は廃止すべき」とはならないのです。
 これが仮に「冤罪があるから全ての刑罰は廃止すべき」であるなら、まだ論としての筋は通っていると言えるでしょう。
 
 この辺の詳しい内容は過去の更新(死刑論死刑執行)を読んでいただくとしまして、もう1点言っておきたいコトがあります。
 死刑廃止論が出るとほぼ必ず冤罪のお話しがでるワケですが、であるなら、まずは冤罪撲滅の動きこそを熱心に先にやるべきなのではないですかというコトです。
 論拠が「冤罪があるから」であれば、結論としては「死刑を廃止すべき」ではなく「冤罪を無くそう」というコトになるのが当然の流れのハズです。
 死刑を憎んでいるのではなく、冤罪を憎んでいるハズなのですからね、この論拠でしたら。
 であるなら、もっとやるべきコト、やれるべきコトはあるんじゃないでしょうかと言いたいのです。
 
 例えば痴漢冤罪事件です。
 これ近年の日本の司法史においては、もっとも多発している冤罪事件と言えるでしょう。
 どうしてこれを熱心に取り扱わないのですか?
 例えば今回の母子殺害事件については、加害者に死刑の可能性が出てきたという段階で全国から安田氏をはじめとして多くの弁護士が集結しました。
 言うまでもなく、死刑を阻止しようという動機からです。
 しかし、果たして痴漢裁判で冤罪の可能性が出たときに、この人たちはこのような動きをするでしょうか。
 いえ、したでしょうか。
 答えはNOですね。
 まぁ全ての弁護士が冤罪を理由にしているとは言いませんが、それにしても冤罪が理由であるのであれば、この差はなんなんでしょうかと言いたくなります。
 
 さっきも言いましたように、冤罪は運営の問題です。
 もっと言うと、警察と検察そして裁判所の人間の問題、つまり警察官と検察官と裁判官の個人的資質や能力にほぼ100%依存する問題です。
 簡単なお話です、死刑を廃止しても冤罪は1つも減らないですからね。
 であるなら、冤罪を論拠として持ち出すなら、では冤罪を無くす努力をしましょうってお話しなのです。
 
 死刑廃止論においては「冤罪があるから」というモノは一切論拠とはならないのです。
 最低でも、冤罪事件を撲滅するために最大限努力しなければ、こんなモノは論拠として持ち出せないのです。
 痴漢冤罪事件が多発している中、証拠も何にもなく被害者と自称する人間の証言だけで判決が下っている異常事態が続いている中でこれを放置している人が、どんな理由で「冤罪があるから死刑は廃止すべき」と言えるのでしょうか。
 結局そんなのは冤罪を理由に利用しているだけじゃないですか。
 つまり、死刑廃止という結論が先にあり、その理由をでっち上げるために冤罪を利用しているだけとしか言いようがないのです。
 冤罪を撲滅したいのが目的ではなく、冤罪はどうでもいいから死刑さえ廃止させられればいいやっていう、そういう構図です。
 そんな理由では死刑廃止論は成り立たないのです。