極端から極端へ

 最近自動車事故が多発しています。
 先日、これはまだ原因がハッキリしていませんが、医師にも運転を止められていたある病気持ちの人が京都で車を暴走させ7人もの人を殺してしまった事故というか事件がありましたし、つい先日また京都において今度は無免許の未成年が集団登校中の子供の列に突っ込み、3人を殺してしまった事件が起きました。
 どちらも自動車というモノが凶器となってしまった痛ましい事件です。
 特に7人をも殺してしまった方は、ドライブレコーダーがネットで公開されていたりするんですけど、これはちょっと普通の精神状態ではない、病気なのかもしくは故意なのかどちらかとしか思えない狂気の沙汰としか思えない事件となっています。
 これはやはりいくら便利と言えども、自動車こそが大量殺人兵器にすぐに変わってしまうという、そんなコトを改めて認識させられる事件だと言えるでしょう。
 
 これらの事件についてはこれから調べが進むのでしょうけど、でもひとつちょっと理不尽なコトがあります。
 それは、いくら自動車事故が起きても、なぜか「自動車を全廃しよう」という声が全く出てこないコトです。
 と言うとやえが自動車全廃を訴えているみたいになっちゃうのですが、そうではなくてですね、最近全廃って流行りじゃないですか。
 レバ刺し食べて食中毒になったからレバ刺しの全廃。
 原発事故を起こしたから原子力発電全廃。
 とりあえずその存在そのものを無くしてしまえば事件や事故はもう起こらないという安易な解決方法ですが、これ最近流行りですよね。
 だったらなぜ自動車にもそれを適用しないのでしょうか。
 たった2台の自動車のせいで、一瞬で10人もの人が命を落としているのです。
 これはある意味原子力発電所事故よりも大ごとだと思うのですが、なんでそんな論調にならないんでしょうかね。
 
 とまぁ、かなり意地悪っぽく書きましたけど、でも理屈としてはそうなるんですよね。
 なぜ原発やレバ刺しだけ全面禁止にして、自動車だけはそうならないのか、ここは矛盾するところです。
 
 やえは、全面禁止って言う安易な方法はどうかと思います。
 安易というか安直ですよね。
 だって人間って、創意工夫して道具を使ってここまで進歩してきたんじゃないですか。
 危険だからって全てから逃げるなんて、火を恐れる獣と何が違うのですかと言いたくなってしまいます。
 もちろんどうやったって危険であれば全てを禁止するというのも人間の知恵だとは思いますが、いまの議論ってそうなってないですよね。
 例えばレバ刺しだって、いま最も恐れられている放射線で適切に処理すれば食中毒にならないコトは科学的に認められているワケですが、でも科学的ではない理由で議論すらできない状態が続いているワケで、やっぱりこういうのって違いますよね。
 人間は問題を前にした時には、正面から考えてこそ人間であり、だからこそ他の動物とは一線を画する生物として地球で最も繁栄しているワケです。
 
 だから自動車事故も、もちろん自動車が悪いから全面禁止っていうのは違うと思います。
 どうしたら事故が起きないようにするのか、それはかなり難しい命題ではありますが、それでも正面から考えるのが人間の知恵です。
 決して自動車は全面禁止にはならないでしょう。
 そして同時に、その上でどう事故が起きにくくなるのかという工夫をこれからもしていくんだと思われます。
 だったらそれは別のお話でも同様なのではないでしょうか。
 むしろ自動車事故の方が原発などに比べれば重大な損失を人間社会にはもたらしています。
 それは以前にもお話しした通りですよね。
 でもそれでも人間は利便性を求めて知恵を出して創意工夫をしていくのですから、これは全てのコトに言えるハズなのです。
 
 全面禁止は思考停止にしかなってないのです。
 なんでも正面から問題を見据えて解決策を考えていきたいモノですね。