権力の抑制と国民のあり方

 今日はこちらのコメントについて色々と考えてみたいと思います。
 

 いや、やらなければならないから具体案を提示してくださいよと。
話は急ぐんですよね? ならどうやってその有識者会議を開かせるんです? どうすれば民主の連中を動かせると思っているので?

 
 まずですね、考えてもらいたいというか、確認しておきたいコトがあります。
 それは、立法府にしても行政府にしても司法府にしても、そういう権力を直接持っている機関というのは、これは国民が本来持っている国家を運営するための権力という力を具現化した存在だというコトです。
 簡単に言えば、立法府も行政府も司法府も国民そのものだというコトです。
 
 民主主義においては国民が主権者であり最終責任者です。
 よって最も権力を持つべきは国民ですが、国民というのは複数人いますから、ひとりひとりに強い権力を持たせていたら国家運営なんて出来ません。
 これで起こるのはただの内乱でしょう。
 ですから国家運営に必要な権力というモノは、別の形として集約させ具現化させて、ある程度の少数の人間に権限を与えて実行権、代行権と言った方がいいかもしれませんね、権力を代行させる必要があるワケです。
 そもそも国民全員が政治だけに集中は出来ませんからね。
 別の経済活動やなにやらをしなければ国家は国家として成り立ちませんから、ある程度の少数に国家権力を代行する権限を与えて、その運営に集中させなければならないワケです。
 
 よって、よく政治や司法は国民から切り離された分離独立した権力機構だと思っている人がいますけど、それは明確に違うというコトは確認しておきたいのです。
 権力とは国民そのものです。
 立法府も行政府も司法府も国民そのものです。
 国民が本来持っている国家を運営するための権力を具現化したモノがそれらの統治機構なだけというお話なのです。
 
 権力をある程度集中させれば、それを抑制させる必要もあります。
 本来権力は国民のモノであり、国民とは大多数からなる集合体なのですから、ひとりや少数だけが権力を好き勝手揮えるようにしてしまうコトを防ぐためです。
 具体的には、立法府と行政府の間には総理の指名権や不信任案と衆議院解散権で交互に監視し合ってますし、立法府と司法府の間には弾劾裁判所と違憲立法審査権によって監視し合っている等です。
 この辺は公民の教科書にも載っている三権分立の基礎中の基礎ですよね。
 三角形でそれぞれの権力と監視し合っている図を見たコトあると思います。
 権力は集中させなければ国家運営が出来ませんが、しかし集中させるからこそ抑制もしなければならないのです。
 この辺が民主主義の難しさ、煩雑さ、手続きのめんどくささになるワケですね。
 
 国民は、権力機構に所属していなければ直接巨大な権力を振るうコトは出来ません。
 だから一般国民が行政府にでも立法府にでも司法府にでも、直接強制権を持って何かを実行させるというのは、基本的に国政選挙と国民審査以外は日本の制度では存在しません。
 国によってはリコール権があるのかもしれませんが、基本的には民主主義国家であれば国民が直接強制権を発揮出来る場合というのはこれぐらいでしょう。
 それ以上一国民に権力を与えるというのは、国家運営が出来なくなってしまうからですし、一部の人だけに権力を与えるのは民主主義の原則から離れてしまうからです。
 
 その上で、今回のお話を考えてもらいたいのです。
 民主党がというよりは行政府がというお話ですが、行政府がキチンと責任を果たさず仕事をしない場合は、国民はどうしたらいいのかというコトを考える場合において、しかし行政府はやっぱり国民そのものであるという視点を抜かして語るコトは出来ません。
 結局ですね、行政府が責任を果たさなければそれは最終的には国民の責任なんですよ。
 国民がその行政府、つまり民主党を与党に選んだ責任なのです。
 その結果国民がいかに不利益を被ったとしても、それは最後は国民のせいなのです。
 つまり、国民は民主党によって被害を一方的に受けているのではなく、自業自得と表現する方が適切なのです。
 
 ですから、直接何かを出来ないと気が済まないというような人が最近増えてきているワケですが、基本的には選挙以外のコトを強制的に何かさせようとする方が間違いだというコトは理解しておくべきです。
 だってそれは、「他の国民を差し置いて自分にだけ強大な権力をよこせ」と言っているコトに他ならないのですから、そんなのは認められるハズがありません。
 結局民主党が行政府のトップをとっているというのは、それも国民の選択の結果なのですから、それを覆すというコトは選挙という「国民の意見を集約した総意」を「国民の意見を集約した総意」以外の方法で覆すというコトになるのですから、それは民主主義に反するとしか言いようが無いのです。
 何かがしたい、結果が欲しいとギリギリしている人が多いのは分かるのですが、しかしそれは「他人の意見を無視した権力の集中」という民主主義に真っ向から反する考え方であるというコトは知っておくべきコトなのです。
 
 権力は国民そのものです。
 国民とは自分ひとりではありません。
 他人がいて国民であり、他人がいて権力があり、それをそう簡単に直接どうこう出来るモノではないのです。
 それは権力そのものである国民自体を、国民自身で否定するコトになるだけでしょう。
 
 結局、一国民に出来るコトは、批判です。
 批判こそが最も正統的な国民の手段です。
 それしかできないのかと思ってしまうかもしれませんが、それ以上が出来るという状態は民主主義から逸脱し、他人の意見を握りつぶすコトになるのですから、ここの線引きは大切です。
 
 そして特に、批判の対象は国民であるコトが一番望ましいとやえは思っています。
 なぜなら、いま現在民主党が与党であるのは、それは国民のせいであり、責任であり、自業自得だからです。
 これを質し正すには、国民が次に間違わない結果を出すために国民自身の考え方を改めるべきであり、それしか方法がないからです。
 いくら民主党の議員を批判したところで、次の選挙がどうなるかは国民の判断にかかっているのですから、やっぱり批判すべきは国民なのです。
 ですからやえは、当サイトでの主張というのは全て日本国民に向かって言っているつもりです。
 民主党批判も、前の選挙の際には民主党を選べば日本は大変なコトになる、その後は民主党を次に選んだらますます大変なコトになるというコトを国民に分かってもらうために主張しているのです。
 政治以外のお話も全てそうです。
 国民の考え方が変わってこそ、日本という国や社会派よくなっていくのです。
 それこそが民主主義の国民にとっては最も正統的な「政治参加のあり方」だと思っています。
 
 「どうやったら有識者会議を開かせるんです?」というご質問には、批判するコトによって理解させるという方法しかありません。
 もしそれが出来ずに国民に不利益が被ったら、それは結局はその程度の行政しか出来ないような民主党を選んだ国民自身の責任であり、自業自得的に国民自身が追うべき責任なのです。 
 正直選挙前からずーっと民主党のデタラメさを指摘してきた身としては納得しがたいモノがあるのですが、それでも「国民の責任」という言葉からは逃げられません。
 民主党に投票した人には猛省を促したいと思いますが、しかしそれ以上のコトが出来る状態にはしてはならないのです。
 もしやえがやえだけの考えを行政や立法に繁栄させられるような事態になったら、それはやえによる独裁政治の始まりであり、もはやそれは民主主義政治ではないのですからね。
 
 少なくとも、「民主もダメだけど自民もダメだ」という中身が全くない適当なデタラメ論で全てを片付けてしまう人が、もっとも政治を悪くしているとは思います。
 やえはこれからも諦めずに本来やるべきコトをしろと、これは政党に限らず立法府にも行政府にも主張をし、国民に訴えていきたいと思います。