皇統問題2 「男系」という珍しい考え方が現代にも残っている理由

 前回は男系の仕組みについておさらいしましたので、今回は男系という考え方というモノを考えてみたいと思います。
 
 天皇の継承の問題というのは、文字にすると当たり前ですが、天皇の継承の問題です。
 もっと言えば、「天皇だけの問題」です。
 天皇の存在は我々日本人の問題ですが、天皇がどう継承されるのかという問題は天皇の問題です。
 今は皇室典範という法律に形的には縛られていますが、しかしその法律でさえ、これは他の一般常識を元にして制定されている一般法律とは違い「天皇の常識」をもとに制定されている法律であり、ここは明確に一線を画する存在です。
 例えば現在、天皇は男性のみにしか即位出来ないコトになっていますが、これは一般常識からすればこのような規定の法律が存在するコトはあり得ないと言っても間違いではないような内容ですよね。
 例えば会社の代表取締役には男性しかなれないと規定してしまえば、これはもはや憲法違反だと裁判所が認定するコト間違いなしの規定だと言っても全く過言ではないでしょう。
 でも皇室典範だけは違うのです。
 立憲君主制という仕組みである以上は、全ての上位に憲法が置かれていると形上はなっていますが、ある意味というか実質は、やはり天皇やそれに関する法律は憲法を越えるような存在であると言えるワケです。
 
 ただやえは「天皇は男性のみ」というのは、これは天皇の常識というよりは戦前・戦中の「近代日本の常識」になっていますから、いつか改正は必要だと思っています。
 しかしその中でも、悠久の時を越えて現代に残る「天皇の常識」というモノがあります。
 それが「男系」という考え方です。
 
 男系については前回詳しく説明しましたが、この男系っていう考え方、珍しいと思いません?
 少なくとも現代の一般家庭でこんな継承の仕方を採用している家はないでしょう。
 例えば長女しかいない家庭に次男の男子が婿養子として女の家に入っても、それでその女の家は名字が残りますし、一般常識として継承されたと認識されますよね。
 また、時代が遡って武家や大名家にしても、いろいろと規定はあったようですが、養子による継承が認められていました。
 これは現代の一般家庭でも同様ですよね。
 例えば、武家ではありませんが、新選組の局長であった近藤勇は、近藤家の嫡男ではありません。
 養子です。
 さらにそのお父さんも元々は養子であり、近藤家は三代続いて養子による継承が行われています。
 それでも世間体的には完全に「家が継承されている」と認められているワケで、つまり家の継承の仕方というのは「その家次第」と言えるワケです。
 
 一子相伝という考え方があります。
 ある技術などを、継承人数を少数というかひとりだけに絞って、変に技術を拡散させずに水準を保って継承させるという方法です。
 さらにこの場合、自分の実子にしか継承しないと定めている家もあるでしょう。
 というかほとんどでしょうね、「一子」相伝ですから。
 つまり他人に継承して仮にその技術が悪用されるぐらいであれば、実子がいない場合は断絶した方がマシだという考え方です。
 この場合、それについて他人がとやかく言うコトではありません。
 例えば基礎的な技術は弟子を取って広く伝えるけど、最も核となる技術や最も難しい技術は実子ひとりのみに伝える、剣術とかですね、の場合、もしその実子が何らかの事故などで亡くなって最も核となる技術が継承させずに断絶した場合、その技術を持たない弟子が家を継いだといくら言っても、なかなか元の家をそのまま継いだとは見なされないのではないでしょうか。
 この場合新しい当主は、前の家の系列の新しい家と見るのが妥当かと思われます。
 これがもしただの一般家庭であれば、その新しい当主が養子に入るとか娘がいれば結婚して継いだコトにすれば継いだと見なされるのでしょうけど、今まで技術の継承こそを家の継承と規定していた家では、突然そんなコトをしても認められないというのが実情なワケです。
 これも結局、「その家の継承はその家のルールによる」と言えるワケです。
 
 家の継承はその家によるのです。
 他人がとうこう言うべき問題ではありません。
 その家が、それぞれの歴史の中で築いてきたモノを土台にして継承のルールが明確になっていき、そしてそれがさらに歴史として継承させ、歴史を作っていくのです。
 
 天皇は天皇の歴史と常識によって継承されるのです。
 一般常識とかで考えられるモノではありません。
 天皇の継承は天皇の歴史のみで考えるべきモノなのです。
 その中で、現代においても「男系」という考え方が残っているというコト自体が、まずひとつ、天皇は男系というルールが存在するという1つの証左と言えるのではないかと思います。
 
 
(つづく)