因果応報、いつか自らの身に降りかかる

 いま一度「因果応報」という言葉を噛みしめるべき時なのではないでしょうか。
 
 朝のテレビ番組で救急車での救急患者の病院受け入れ拒否問題を取り扱っていたのですが、やっぱりテレビとかでは行政がシッカリしなければならない、政治が本腰を入れるべきだと、そういう論調ばかりで論じていました。
 違いますよね。
 この問題は、結局国民の様々な要求や欲求に対する因果応報なのです。
 例えば、ダメ元でもいいから病院に対して訴訟を起こす。
 例えば、楽だからというだけで入院するほどでないのに入院を要求する。
 例えば、病院に行かない日は風邪を引いた日。
 これらが様々な面で病院を圧迫し、結果として救急患者の受け入れ拒否につながっているのではないのでしょうか。
 
 受け入れ拒否問題は、訴訟リスクの問題以外で言えば、まず「ベッドの数が足りない」という問題に行き当たります。
 つまり、物理的な問題として、急な患者を受け入れるコトが出来ないワケです。
 でもそれが問題なら解決は簡単に思うかもしれません。
 だってベッドを増やせばいいだけなのですからね。
 医師の数も少ないという問題もありますが、それは時間がかかる問題ですからおいておくにしても、ベッドはすぐに増やせますから、ここまでこの問題がピックアップされる現状においては、とりあえずベッドを増やせとなってもおかしくないですよね。
 
 でもここが、さらなる因果応報なのです。
 なぜ病院がベッドを増やさないのかと言えば、それは国の規制でベッドが増やせないからです。
 そうなれば「やっぱり国が悪いんじゃないか」と思いがちですが、しかしこれは無意味な規制ではありません。
 なぜベッドの数を規制しているのかと言えば、それは医療費の抑制のためなのです。
 
 説明するまでもありませんが、医療費の実費は、その大部分が税金から賄われています。
 一般的なサラリーマンや公務員なら現在は3割負担ですが、これを逆に読めば、つまり7割は国から税金で賄われているというコトになります。
 そして現在、国の予算でもっとも大きな負担は何かと言えば、この医療費などを含めた社会保障費です。
 その額は年々増え続けている傾向にあります。
 ですから国としては何とかしてそれを抑制しなければなりません。
 その苦肉の策のひとつが、このベッドの数の規制なのです。
 
 もちろん国民皆保険は日本が成果に誇る素晴らしい制度だと思いますし、これを維持していくべきだとやえも思います。
 しかしそれであれば、それを維持するために国民もある程度の努力は必要でしょう。
 マスコミでは決して国民に向かって「無駄の削減」は言いませんが、しかし国民の側に無駄がないとは到底言えない現状があるのではないでしょうか。
 
 またこの問題の大きな悩みに、訴訟リスク問題があります。
 救急医療の場合、文字通り緊急に事を運ばなければなりませんから、その経緯が分かりにくくなります。
 そしてそれは、遺族にとってはある種の不信感につながります。
 これがまだ一昔前なら医者は神様だぐらいの気持ちが一般国民にはありましたが、最近はほとんどありませんよね。
 まして病院に運ばれた事故が原因だった場合、遺族は怒りの矛先をどこかに向けようとしてしまいますから、その中で不透明な部分がある病院に対して「もっとやりようがあったのではないか」という訴訟に至ってしまう場合も最近は少なくないのでしょう。
 特に過失側も死亡してしまった場合とかですね。
 法治国家の原則として訴訟する権利は誰にでもありますから訴訟するなとは言えませんが、それでもそれはやっぱり病院にとっては負担なのは間違いありません。
 そしてそうなればどうしても「そういうリスクを負うぐらいなら、最初から受け入れなければいい」という結論に至ってしまいます。
 ただでさえベッドの数が足りない中、無理して受け入れた上に訴訟までされたのでは、金銭的な負担だけでなく、精神的にも大きな負担となり得ますし、それは結果的に別の患者に対しても悪影響を与えてしまうだけになってしまうコトでしょう。
 そうしてどこもかしこも受け入れ拒否をしてしまい、それが社会問題になってしまうのです。
 
 それがその場では小さなコトだったとしても、その結果が重大なコトになってしまいます。
 世の中は全部つながっていて、巡り巡ってその結果が自らのみに大きな災いとなって降り掛かってくるコトだってあるのです。
 これはこの問題だけではありません。
 例えばデフレの問題だって、未だみのもんた氏なんて物価が安い方がいいと騒いでいますが、それは売る側にとってはとんでもない負担ですし、そしてそれは家庭には基本的には必ずいる働き手にとっての負担になるのです。
 夫はギリギリのところで働いているのに、その妻はその夫の負担をさらに増やしているという、負の連鎖です。
 こういう全体像を見ずして、ただ単に目先の利益だけを追求していては、いつか因果応報として自らの身に降り掛かってくるコトでしょう。
 政治問題も経済問題も社会問題も、常に因果応報という考え方は念頭に置いておくべきだと思います。