災害を政府批判に利用する卑怯者 2

 では、「災害中に高級料理なんて食べてるんじゃない」という、見た目・感情論としての問題について、そのデタラメさを指摘しましょう。
 
 この手の批判というのは、「国民がつらい思いをしているのに、不幸に耐えているのに、総理だけ高級料理店でぬくぬくと天ぷらを食べているなんて許せない」という、完全に感情論としての批判です。
 分かってるのか分かってないのか分からないのですが、たまに「弁当を食べろ」なんて言っている人もいますけど、もしそうしたとして何か現場では変わるのですか?と問いたいです。
 また変化球としては、「国家のリーダーとして国民が不幸に合っている時は、その自らの行動を持って勇気を与えるのも仕事のひとつだ」とかいう言い方もあるようです。
 はぁ、総理が質素な生活を送れば国民が元気になるんですかね。
 なんでいちいちそこまでして他人のご飯が気になるのでしょうか。
 しかしこの考え方というのはあまりにも傲慢で、実は「命の重さの選定」という神をも怖れぬ所行だというコトに気づいていません。
 
 では問います。
 日本の中には、残念なコトですが毎日のように不幸が起きています。
 減っているとは言え、2012年の交通事故による死者は4411人だそうですから、日本のどこかで毎日12人も死んでいるコトになりますし、事故だけでなく病気や事件などを合わせるともっと増えるワケで、このように必ず日本のどこかで不幸が起こっています。
 またそれを伝えるニュースも、毎日のように耳に入ってきますよね。
 どこどこで事故が起きたとか、事件が起きたとか、そして死者が出てしまったというニュースは、そう珍しいニュースとも言えないでしょう。
 特にメディアが発達した現代においては、実は他人の死や不幸はそれほど遠い存在ではないのです。
 むしろよく見かけてしまうモノだったりします。
 
 もう一度言います。
 では問います。
 では、そういう中において、なぜ今回の雪害だけをもって「総理は神妙にしろ」と言っているのでしょうか。
 普段はそんなコト言ったコトもないのに、なぜ今回だけ大騒ぎするのでしょうか。
 普段の不幸と今回の不幸とを、結果的には総理の行動を持って「差を付けろ」と言っているコトになるワケですが、なぜそんなコトが出来てしまうのでしょうか。
 
 果たして今回の雪害と、別の件での国民の不幸とは、いったい何が違うというのですか?
 どういう理由で今回と今回以外の線引きをしているのか、そもそもその線引きをなぜアナタが行っているのか、どうして「命の重さの選定」が出来てしまうのですか。
 アナタは神ですか?
 悪魔なのですか?
 それとも死神ですか?
 
 安倍さんが安倍教の教祖で、「リーダーが何をやっているんだ」と言う人がその信徒で、「教祖は我々信者と苦楽を共にすべきだ。我々が苦しんでいる時は共に苦しむべきだ」と言うのでしたら、まぁその場合はそれでもいいのかもしれません。
 でも違いますよね。
 総理は国民の教祖ではありません。
 また、もし本当に総理大臣の職責として不幸を国民と分かち合うというのがあるとすれば、そこには分け隔て無く全ての国民と不幸を分かち合う責務があるでしょう。
 なぜなら、政党とは違い、総理大臣とは日本国の行政府の長であり、そこに支持者とかは関係ないからです。
 等しく全ての国民のリーダーだと言えるでしょう。
 ではもう一度問います。
 「天ぷらを食べている場合か」と言っている人は、なぜ「命の重さの選定」を行ったのですか?
 神ならざる身で、どういう理由でアナタにその権限があるのですか?
 
 総理が何かを我慢すれば、それで対応が少しでも迅速になるとでも言うのでしょうか。
 もし、指揮官こそが最前線に出て兵士の士気を上げるべきだ、討ち死にこそ武士の誉れだという意味なのであれば、それは戦国時代の古い考えでしかなく、それは明治維新の際に最も脆弱で全く意味の無い考え方でしなかというコトが証明されています。
 むしろこれは東日本大震災の時にも散々言いましたように、大災害の時こそ「日常を大切にする」べきなんですよ。
 日本全国が被災地と同じ生活をして何になると言うのでしょうか。
 逆にそれは、国力の低下にしかならず、百があって一利無しです。
 職務執行者としての総理の仕事をこなしているのであれば、後は総理だって「日常」を過ごすというのが最も適切な振る舞いなのです。
 
 勘違いしてはならないのが、総理はあくまで行政府のトップという職務執行者でしかないというコトです。
 決して日本安倍教の教祖ではありません。
 「天ぷらを食べるな。苦労を分かち合え」と言っている人は、自分勝手に安部総理を教祖にまつり奉っているのかもしれませんが、それは勝手なお話ですよね。
 よくそこまで安倍さん個人を信奉できますねと言うしかありませんが、そしてなにより、もし「総理が被災者である国民に、リーダーとして勇気を与えるパフォーマンスをするべきだ」と言うのでしたら、やはりそれは今回の雪害だけに限るお話ではなくなるのです。
 安部総理は今回の雪害だけに対応する臨時総理なのではなく、就任してから辞任するまでずーっと行政府の長であるのですから、その立場だからこそ国民に勇気を与えるためにパフォーマンスをと言うのでしたら、絶対に今回の雪害だけに限りコトはできないのです。
 
 なぜ今までは、国民の不幸の存在を知りつつ、総理の行動に異を唱えなかったのですか?
 
 いまこの瞬間においても、雪害以外で不幸に苛まれている人がこの日本の中で必ずどこかにいるハズです。
 いまこの時間にちょうど命を失ってしまった方がいるかもしれません。
 しかしなぜこういう人達を無視して、雪害で被災者だけを特別視して、「総理の日常」を破壊しようとするのですか?
 なぜ雪害だけが特別なのですか?
 あまおちさんのお婆さまが亡くなられた時、どうして総理に対して「日常とは違う行為をしろ」と言って下されなかったのですか?
 どうして線を引くのですか?
 アナタは命の重さを選定するような立場にいる方なのですか?
 
 結局今回の雪害に際して「総理は高級店で食べている場合じゃない。大変な人がいるんだぞ」と言っている人は、しかし本当は「不幸な人」の気持ちなんて全然考えてないワケですよ。
 だって本当に日頃から「不幸な人」のコトを考えているのであれば、雪害だけに限らないハズなんですからね。
 そういう人達は、単に不幸な人をダシにして政府批判、安倍批判がしたいだけなんですよね。
 本当に悪質です。
 もはや卑怯者という言葉ですら生ぬるいと断じずにはいられないのです。
 
 
 さて次は最後に、「不測の事態に備えて官邸や公邸で待機しておくべきだ」なんて言っている人達に対する批判を行いたいと思います。