「他国の戦争に巻き込まれる」と言うが

 安倍総理が、集団的自衛権に関する憲法解釈を変えていくというコトを今日表明しました。
 詳しくは記事などをご覧頂ければと思うのですが、ちょっとひとこと言っておきたいコトがあります。
 それはですね、集団的自衛権を日本が行使出来るようになると「他国の戦争に巻き込まれるじゃないか」という批判に対してです。
 
 今回の安倍内閣が目指す「抑制型集団的自衛権」ではこの批判が当てはまるかどうか、今はまだちょっとよく分かりませんが、一般的な「集団的自衛権」であれば、そういうコトもあるでしょう。
 例えば日本とA国の仲は険悪でなくても、A国とアメリカが戦争状態になったら、普通の集団的自衛権であれば、日本はA国と戦争しなければならなくなります。
 よってこのような状態を指して「他国の戦争に巻き込まれる」という批判であれば、当てはまるワケです。
 まぁむしろ、関係ない国をも巻き込むコトで抑止力を高めるという効果を望んだ自衛権が集団的自衛権ですから、かなりこれはそもそも論的な批判になるワケですが、集団的自衛権に反対したいのであれば理屈としては成り立つ理由なのは確かです。
 
 しかしここでよく考えてもらいたいのは、集団的自衛権は戦後日本にとって決して他人事の概念ではないっていう事実です。
 もちろん戦後から今日まで日本は集団的自衛権を行使しないという方針で来ましたから、日本自身は集団的自衛権に直接タッチする立場ではありませんでした。
 しかし、日本は集団的自衛権に守られて今日までやってきたっていう事実についても目をそらしてはならないハズです。
 すなわち、いまの日米安保体制というのは、日本が攻撃されればアメリカが反撃するという形になっており、そこに攻撃国の対象の限定など一切考慮されていないワケですから、これは日米の集団的自衛権なんですよね。
 あまりにも一方的な、不平等の形の、もちろんアメリカが不利という意味での不平等な形の、集団的自衛権を日本はいままで享受してきたんですね。
 
 ですから「他国の戦争に巻き込まれるじゃないか」、もっと言えば「他国の戦争なんかに関わりたくない」と言っている人は、しかし同時に現在、「日本という他国の戦争に巻き込んでいるアメリカ」に対してはどう思っているのかな、と思うのです。
 それとも日本人さえ戦争に参加しなければそれでいい、日本が攻められてもアメリカが、他国が戦争し、日本のために他国人が死ねばそれでいいと、日本のコトであっても日本人だけはぬくぬくと安全な場所にあぐらをかいていればいいんだと、そう思っているという風に言っているコトと同義になるのではないのでしょうか。
 つまり自分のために他人は死ねと、他人は自分のために死んでも構わないと、きつい言い方になりますが、そういうコトになってしまうワケですよ。
 
 もちろんそれでいいと言い切るのであれば、それはそれでひとつの考え方でしょう。
 それ自体は尊重されるべきです。
 ただやえは、さすがにそれは傲慢すぎるのではないかと思わざるを得ません。
 
 集団的自衛権に関する議論については様々な論点があって、これは以前にも触れましたように、集団的自衛権には賛成でも憲法改正してやるべきだっていう意見など、集団的自衛権そのものへの是非の議論ではない議論も存在します。
 それも大切な議論ですから丁寧にこれからしていかなければならないですが、しかしこの「他国の戦争に巻き込まれる」という批判は、あまりにも身勝手な、そしてそれは無自覚すぎる批判ではないかと思うのです。
 多分こう言っている人は、アメリカに対してはすでに日本の方から巻き込んでいるコトに気づいていないんですよね。
 でも事実としてこうなっている以上は、その批判は無自覚とはいえあまりにも無責任ではないかと思うのです。