なんのために増税するのか

2012年7月3日

 「身を削る努力」って、なんだ、流行語大賞でも狙ってるのか?
 
 身を削る努力をすれば増税が許されるのか?
 身を削りさえすれば増税の理由になるのか?
 滅茶苦茶じゃないか。
 全然論理的じゃない。
 もしこれが理屈として通るなら、増税は政治家の個人的な所有物にしかならんじゃないか。
 政治家個人が身を削る事で国家大論になるんだったら、じゃあなんだ、政治家が無給にでもなれば憲法も改正していいとかになるのか?
 バカバカしい。
 
 政治家個人が身を削っても削らなくても、増税には何ら関係のない話だ。
 
 税金は必要だから集めるのであって、よって集める必要があるかどうかの判断は、その事業等が必要がどうかが理由になるのだ。
 というか、それだけしか理由にならない。
 「身を削る」という言葉の意味もよく分からないが、もし政治家の政治活動に税金を投入する必要がないのであれば、それは財政状況に関係なく削るべきであり、もし政治家に金が足りないのであれば増税に関係なく税金を投入すべきである。
 こんなのは言うまでもないだろ。
 当たり前のことだろ。
 とりあえず「身を削る」と言えば済むと思っている奴は考えが足りなさすぎだし、なにより中身を見ずに身を削る必要があるとドヤ顔で言っている奴はお前は実は何も考えてないだろと、ただ政治家を叩きたいだけが理由だろと言うしかない。
 
 増税は必要だからやるのであって、では本当に増税が必要かどうかの判断は、なぜ足りないのかを考え、どうすれば足りなくなるのかを議論して、集めた金は何に使うのかを説明してこそ判断できるのである。
 
 増税議論に「身を削る努力」なんて考えが入る余地は無い。
 もし行政に無駄があれば、それは増税の有無に関係なく削るべきだけの話でしかない。
 増税をするから身を削れなんていうのは、精神論以下の、もはやイチャモンでしかないのだ。
 
 増税は手段だ。
 目的ではない。
 増税というのは、国を豊かにするために必要な金を投入しなければならないけど、その金が足りないから行うものだ。
 つまり「金をどう使うのか」が一番の論点なのだ。
 ただただ増税しただけでは決して国は豊かにならない。
 税金を集めただけでは何の意味も持たない。
 集めた金を使ってこそ国は豊かになる。
 だから「どう使うのか」が一番重要であるというのは、本来は考えるまでもないことのはずなのだ。
 
 よって増税を議論するなら、その増税した金を「どこに」「どう使うのか」を議論する必要がある。
 そして各主張者や政党は、ここの論拠によって立場が変わってくるのだ。
 程度の低い奴は「増税すると言ってるのだから民主党も自民党も同じ」と言ってるが、それは例えばデモという同じ手段を使っているから、フジテレビデモの奴も、在特会の嫌韓デモも、新しい教科書をつくる会の教科書の採択に反対するプロ市民のデモも、全て同じ立場だと言っているのと同じことになる。
 そんな馬鹿な事があるわけないのだが、でもこの「同じ増税だから民主も自民も同じ」という主張を唱える人というのは、そんな馬鹿なことを言ってしまっているのだ。
 
 オレが知る限り、民主党は子ども手当などのバラマキ政策のせいで足りない金を補填するため、また赤字国債の見た目を減らすというだけの目的で行っている年金積立金からの借金である交付国債の補填のために増税をしようとしている。
 一方自民党は、国土強靱化などのインフラ整備、民主党が「コンクリートから人へ」と出鱈目やってたツケを払い戻すために増税させてほしいと言っていると認識している。
 そもそも自民党は、経済対策をしてからとも言っているな。
 これで判断するんだよ。
 増税しか頭にない奴が多いようだが、国家天下を語るのであれば、なぜ増税するのか、増税した場合は何にどう使うのかを考えて判断しなければならないのだ。