義務だから迷惑をかけていいとはならない

 ちょっとここを勘違いしているんですね、報道のジユウガーとか言っている人達は。
 
 確かに日本人が命の危機にさらされた場合、日本政府が最大限救出する努力をする義務があるのはその通りです。
 ここはやえも一度も否定していません。
 しかし、だからといって他人に迷惑をかけていいとは決してなりません。
 義務だからとそれにあぐらをかいていくらでも迷惑をかけてもいい、感謝しなくてもいいとはならないワケで、もしそんなコトを思っているのであれば、それは義務とか権利という言葉を初めて覚えたガキがおもしろがってそれを振りかざしているだけの、幼稚で滑稽で、何よりキチンと権利や義務というモノを教員して分からせる必要のあるその程度の人間だと言うしかありません。
 一歩譲って、報道の自由とやらが存在したとしましょう。
 まぁ表現の自由や知り権利というのは民主主義国家としては必要不可欠な要素ですから、それに付随するとは言える報道の自由というモノが存在しているというコトにしても、まぁいいです。
 しかしそれは決して、それだけが至上の権利であり、その前には他人にどんな迷惑をかけてもいい、他人の権利を踏みにじってもいいとはなりません。
 いま日本のマスコミはここを勘違いしているんですね。
 
 やっぱりというかなんというか、「雪山遭難者に対しても自己責任と言うのか」なんて言ってしまっている人も出てきているようですが、この例を出すコト自体が、ありとあらゆる問題をごちゃまぜにして自分の都合のいいように使っている証左と言えるでしょう。
 つまり、遭難者を助ける努力をする義務と、しかしそれにあぐらをかくのではなく感謝と反省が必要なコトと、そしてなにより始めから危険だと入るなと言われている場所に強行して入ってしまった本人の責任の問題とは、それぞれ全然別の問題だというコトを理解していないんですね。
 前から言ってますように、政府やそういう機関が救出の努力をする義務があるというコトは否定しません。
 しかしだからといって全ての責任がそこに帰結するのではなく、むしろ全く別の次元で本人にも責任が存在するワケで、「他人に迷惑をかけてしまった」というコトに対する感謝の気持ちは人として持つべきですし、なにより仮に弱い警告時であったとしても遭難したり拉致されたのであれば、それは自分の心持ちや装備や経験などに甘えがなかったのか、過信がなかったのか、反省や謝罪が必要なのは言うまでもありません。
 雪山だとしても、初心者が粋がって上級者コースに登ってしまって降りれなくなってしまったという場面で救助隊が出動したのにも関わらず、それに対して「お前らは助けるのが義務なんだから当然だろ」と開き直ってしまうというのは、それはもう人として終わっているとしか言いようがありませんよね。
 さらにまして、もし天候不良などで入山禁止とされているところにノコノコと入っていったのであれば、なおさら他人にかける迷惑度は等加速度的に伸びるワケですし、その上でさらにそんな悪態をつくのであれば、それはもう他人の犠牲と義務の上にあぐらをかいているガキ以下の存在でしかなく、もう一度義務教育からやり直すべきの幼稚な人間だと言うしかなくなるのです。
 
 今回のシリアの件でことさら権利を主張し、政府の義務を大きく主張する人達っていうのは、自分自分自分ばかりで他人という存在の意識が欠如してしまっています。
 もしくは、自分のために他人は犠牲になれという見下した意識かです。
 報道の自由とやらの自分が履行する権利のためには、他人への迷惑や危険すらも問題としない、自分の権利のためには他人の生命すらも軽んじる、そんな選民意識です。
 
 だいたいにしてですよ、そもそも例のテロリスト共にしても、その脅迫は安倍晋三さん個人に向けたモノではなく、あくまで「日本国総理大臣」に対してのモノであり、つまりは日本国そのもの全ての日本国民に向けたモノなんですね。
 つまりは日本国民全員への脅迫であり、自称ジャーナリストの“蛮勇”は、日本国民全員に迷惑をかけたコトになるのです。
 もし仮に身代金を出したとしたら、それは決して安倍さんの個人的なお金なのではなく、国民の血税そのものなワケですし、もちろん犯罪は犯罪者が悪いワケですが、それとは別次元の問題として、「自分の権利を履行するコトで他人に迷惑をかけ、他人の権利を踏みにじる場合がある」というコトはキチンと理解して欲しいところです。
 
 これはどんなコトでも言えるのですが、その権利の主張は他人の権利まで侵害してしまってはいませんかと、少し冷静に考えてもらいたいです。
 特に反権力的な人ほど自分の権利ばかり主張して他人を顧みない人が多いような気がしてなりません。