さらっと事実改変・印象操作・世論誘導する沖縄2紙
自民党若手議員の私的勉強会で講師として呼ばれていた作家の百田尚樹氏の発言を巡って、マスコミが大喜びで連日連夜取り扱っているコトは、ご存じの方も多いかと思います。
詳しくは今日色々と取り上げる記事を読んで頂ければ分かると思いますので説明は省きますが、これについて名指しされた形の沖縄の琉球新報・沖縄タイムスの2紙が共同で抗議声明を発表しています。
百田氏発言をめぐる琉球新報・沖縄タイムス共同抗議声明
百田尚樹氏の「沖縄の2つの新聞はつぶさないといけない」という発言は、政権の意に沿わない報道は許さないという”言論弾圧”の発想そのものであり、民主主義の根幹である表現の自由、報道の自由を否定する暴論にほかならない。
百田氏の発言は自由だが、政権与党である自民党の国会議員が党本部で開いた会合の席上であり、むしろ出席した議員側が沖縄の地元紙への批判を展開し、百田氏の発言を引き出している。その経緯も含め、看過できるものではない。
(中略)
政府に批判的な報道は、権力監視の役割を担うメディアにとって当然であり、批判的な報道ができる社会こそが健全だと考える。にもかかわらず、批判的だからつぶすべきだ―という短絡的な発想は極めて危険であり、沖縄の2つの新聞に限らず、いずれ全国のマスコミに向けられる恐れのある危険きわまりないものだと思う。沖縄タイムス・琉球新報は、今後も言論の自由、表現の自由を弾圧するかのような動きには断固として反対する。
というワケで、沖縄2紙はギリギリ新聞の体裁を保とうとしているのか、「百田氏の発言は自由」とはしています。
つまりは沖縄2紙としては、問題は「議員側が沖縄の地元紙への批判を展開し」の部分にあると言っているワケであり、では具体的にどういう発言がダメだと言っているのかと言えば、後段の「批判的だからつぶすべきだ―という短絡的な発想は極めて危険」というところに集約されているのだと、この声明文から読みとれます。
上段にも、「政権の意に沿わない報道は許さないという”言論弾圧”の発想そのものであり、民主主義の根幹である表現の自由、報道の自由を否定する暴論にほかならない」とありますしね。
「国会議員が政権に反するモノは潰す」と言うコトは言論弾圧だと、そう言っているのでしょう。
確かに、「政権批判は一切許さない」「政権批判するマスコミはつぶすべきだ」という意見を、民主主義の体現者である国会議員が発したのであれば、これはかなり問題でしょう。
なぜなら、国会議員は民主主義の体現者だからです。
民主主義のもとに国会議員という立場にいるのですから、これを否定するコトは、自分自身を否定するコトに他なりません。
よって、もし本当に「沖縄2紙が政権批判をしているからつぶそう」と国会議員が言っているのでしたら、大問題でしょう。
でもその前に。
マスコミは疑ってください。
やえが色々調べた結果、「政権批判をしたから」という最も大切な論拠の部分について、これを証明されるモノは見つかりませんでした。
百田氏の発言も同様です。
マスコミがマスコミの言葉として「政権批判」とか「安保法案に批判的」という言葉は見えますが、しかしそれを証明する国会議員の発言もしくは百田氏の発言を見つけるコトは出来ませんでした。
以下、国会議員の発言を引用していると思われる各紙の該当部分を引用します。
◆国会議員の発言
出席議員が、沖縄の地元紙について「左翼勢力に完全に乗っ取られている。沖縄の世論のゆがみ方を正しい方向に持っていく」と発言(朝日新聞)
「マスコミをこらしめるには広告料収入がなくなることが一番。文化人、民間人が経団連に働き掛けてほしい」と発言した大西英男、同調するような発言をした井上貴博、 「(沖縄メディアは)左翼勢力に完全に乗っ取られている」と発言した長尾敬の3衆院議員は厳重注意処分。(デイリースポーツ)
◆百田氏の発言
百田氏は25日に自民党本部で開かれた勉強会で「沖縄の2つの新聞は潰さないといけない」などと発言。(産経新聞)
百田尚樹氏は「もともと普天間基地は田んぼの中にあった。そこを選んで住んだのは誰やねん」「沖縄は本当に被害者やったのか。そうじゃない」などと答えたという。(朝日新聞)
百田尚樹氏が、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)に関し「飛行場の周りに行けば商売になるということで(人が)住みだした。そこを選んで住んだのは誰なのかと言いたくなる」と語っていた
「飛行場の地主は年収何千万円だ。六本木ヒルズとかに住んでいる」
「ですから基地が移転したら、えらいことになる」
「はるかに高い」
「米兵が少女を犯したら米兵は出て行けと言うのか」(日刊スポーツ)
さらに上記の日刊スポーツが、出席者の発言要旨をまとめています。
ただこれはあくまで要旨であり、マスコミによる編集が含まれている可能性があるので、参考程度にしておいてください。
▽出席議員 マスコミをこらしめるには広告料収入がなくなることが一番だ。われわれ政治家には言えない。ましてや安倍晋三首相は言えないが、文化人、民間人が経団連に働き掛けてほしい。
▽井上貴博衆院議員 青年会議所の理事長のときにマスコミをたたいてみた。日本全体でやらないといけないことだが、広告料収入、テレビの提供スポンサーにならないことが一番こたえるということが分かった。経団連も商工会も「子どもたちに悪影響を与えている番組ワースト10」とかを発表して、それに(広告を)出している企業を列挙すればいい。
▽別の出席議員 関連だが、沖縄の特殊なメディア構造を作ってしまったのは戦後保守の堕落だった。左翼勢力に完全に乗っ取られている。
▽作家の百田尚樹氏 (政府は安全保障関連法案に関して)国民に対するアピールが下手だ。気持ちにいかに訴えるかが大事だ。
▽百田氏 沖縄の2つの新聞はつぶさないといけない。あってはいけないことだが、沖縄のどこかの島が中国に取られれば目を覚ますはずだ。米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)は田んぼの中にあった。周りに行けば商売になるということで(人が)住みだした。騒音がうるさいのは分かるが、選んで住んだのは誰なのかと言いたくなる。基地の地主は年収何千万円だ。六本木ヒルズとかに住んでいる。ですから基地が移転したら、えらいことになる。沖縄に住む米兵が犯したよりも、沖縄県民自身が起こしたレイプ犯罪の方が、はるかに率が高い。左翼の扇動に対して立ち向かう言葉とデータをもって対抗しないといけない。
スポーツ紙が一番発言を取り上げているのはどういうコトなんですかと言いたくなりますが、それはともかくとしても、さて、マスコミの主観を除いた、議員もしくは百田氏の発言の中で、どこに「政権批判をするからマスコミをつぶせ」という発言があるのでしょうか。
これら議員や百田氏の発言を冷静に常識的に読み取れば、「沖縄2紙は極端な思想を前提として事実でないコトを事実かのように書いているので、広告主に頼むなどしてつぶさなければならない」とまとめるべきではないのでしょうか。
実際沖縄2紙が「極端な思想を前提としている」かどうかはこの際問題ではありません。
事実としては極端な思想を前提とはしていないかったとしても、ここでの問題はあくまで「当該議員や百田氏が何を言ったのか」です。
そこを純粋に考えたら、今出ている情報をもとにするなら当該議員や百田氏は「政権批判をした」からつぶすべきと言ったとは確認できないんですね。
今回の問題の主旨は、「政権批判をしているから」という論拠が正しいのかどうか、です。
「政権批判をしているから」そのメディアを潰そう。
「捏造報道を繰り返しているから」そのメディアを潰そう。
このふたつは全く違いますよね。
そして前者を容認する人は少ないでしょうけど、後者を否定する人も少ないでしょう。
この例でハッキリするように、「メディアを潰そう」だけではその賛否は全く判断できないのです。
「メディアを潰そう」の部分だけで叩こうとしているマスコミや野党が多いですが、これは全く論としては筋が立っていないのです。
むしろこれこそ、「批判」ではなく「叩き」でしかないのです。
もし本当に当該議員や百田氏が「政権批判をする」やそれに類する主語を使っていたのでしたら話は別ですが、少なくとも今の段階でもそれを認めるコトはできません。
それでしたら、これはかなり最初に戻ってもっと冷静に考えるべき問題になるのです。
この問題、最初はそれこそ「自民党が政権批判するマスコミをつぶすと発言した」という趣旨で批判されていました。
野党議員やマスコミが、そんな論調で叩いていました。
でも時間が経つにつれて、徐々に論拠がスライドしていってるんですね。
「自民党が政権批判するマスコミをつぶすと発言した」から、いつの間にか「国会議員の勉強会でメディアに圧力をかけろという発言があった」になって、そして「百田が沖縄を侮辱した発言をした」になっていますよね。
昨日今日のテレビとかの取り上げ方は、「自民党の勉強会で」という枕詞を使いながら、矢面なのは百田氏自身に対する批判が中心でした。
もう論拠が違ってしまっているワケです。
これだけでも十分疑念を持つべき案件となっていると言うしかないでしょう。
そして少なくとも沖縄2紙の共同抗議声明とやらは、ハッキリと「批判的だからつぶすべきだ―という短絡的な発想は極めて危険」と書いてあるワケですが、しかしでは「批判的だからつぶすべきだ」とは誰が言ったのですかと、本当にそんな発言があったのですかと疑うしかない抗議声明にしかなっていないのです。
でも少なくとも今のところ本当に「政権に批判的だから」と発言した人物がいるとは確認できていない以上、それは完全にマスコミによる主語のすり替えであり、これこそまさしく「捏造報道」そのモノではないのでしょうか。
これはかなり悪質です。
誰も言っていないコトを、さもあったかのように事実化して、一方的に悪だと断罪しているんですからね。
こうやって、さらっと事実改変・印象操作・世論誘導をしているんですよ、沖縄2紙は。
そしてそんな報道機関は、それこそ「潰れて当然」なのではないのでしょうか。
事実を伝えるべき新聞が事実の捏造をして、こんなコトは決して許されないコトです。
飲食店で食中毒があったら営業停止ですよ。
金融や商取引でも不正があれば行政処分が下りますよ。
なぜマスコミだけが野放しなんですか?
マスコミは事実を伝えるのが業務なのに、その主業務で意図的にしてもそうでないにしても間違いを犯したのであれば、それは当然罰せられるべきでしょう。
マスコミだけは特別と言うのは、あまりにも傲慢です。
むしろ、こういう大問題に対して国会議員が是正のために議論するっていうのは、至極当然のコトではないでしょうか。
ディスカッション
コメント一覧
まず、メディアに罰則を与える法的根拠がないことと、そして議論すること自体がタブーな状況では、先の議員のような直球的な発言は受け入れにくいものなのではないかと。
彼らからすれば、論拠が嘘又は希薄であってもそれで政権批判をしているならそれで上等という、ある種の野党根性(?)が住み着いているものと思われます。多くは社会党とか民主党といった立場を採ったがために、考え方も手段も階級闘争的なものになっていったのでしょう。
↓
(http://homepage2.nifty.com/kamitsuki/)
自民党議員の勉強会における百田尚樹氏の発言が騒動になっています。朝日が27日の朝刊トップで報じた問題の発言とは「沖縄の二つの新聞社は絶対につぶさなあかん」ですが、それに対し、百田氏は『誰かが「沖縄の二紙はやっかいですね」と言った言葉を受けて、「ほんまや、つぶれたらいいのに」と軽口で言ったにすぎない』としています(自民議員にも問題発言があったようですが、こちらは私人ではなく議員という立場なので性質が異なるためここでは触れません)。
「つぶさなあかん」と「つぶれたらいいのに」では意味が全く異なります。前者は積極的な意思を表すのに対し、後者は単なる願望に過ぎません。どちらが正しいか、私には判断できませんが、過去の信用度からすると朝日の記事には疑念があります(朝日の信用度については後述)。次の百田氏の発言も興味を惹かれます(産経新聞より)。
「それより、私がむかつくのは、報道陣がいたのは、最初の2分だけ、あとは部屋から出て行って、シャットアウト、つまりその後の講演も質疑応答もクローズな場所での発言なのに、それを盗み聞きして報道されたことだ。...
部屋から退出しても一部の記者はドアのガラスに耳をくっつけて、盗み聞きしていたのだ。部屋の内側からガラスに耳がくっついているのが見えたときは笑ってしまった。
私はラジオやテレビで不特定多数に向けて発言したわけではない。あくまで私的な集まりの場において話したにすぎない。内輪の席での発言だ。
そういう場で口にした軽口が、大々的に報道され、あるいは国会で問題にされるようなことだろうか」
双方とも相手を言論弾圧だとして非難していますが、少なくとも弾圧の効果という点では朝日や沖縄の二紙などの一斉反撃は絶大です。これからは内輪の会合でも発言には細心の注意が必要ということになりそうです。
一方、この騒動の背景にも注目する必要があります。沖縄では朝日系の沖縄タイムスと琉球新報の二紙のシェアが98%あるいは90%と言われるように圧倒的な影響力を持っています。新聞は朝日と毎日だけという状況を想像してみれば、それが公正な情報の取得という点でかなり危い状況であることがわかります。恐らく現在とはずいぶん異なった世論となっているでしょう。社会主義国家となっていた可能性すら否定できません。
事実上の独占に近い寡占体制であり、二紙にとっての言論の自由はあっても、反対勢力にとっては実質的な言論の自由があるとは思えません。二紙に対立する言論が読者の目に触れることはごく限られることでしょう。つまり沖縄では二紙によってコントロールされた情報が大量にばら撒かれるわけで、一党独裁の国と似ています。
実質的な言論の自由を保障するため、メディアの独占を防ぐ規制があるものの、沖縄の例はその限界を教えてくれます。沖縄はメディア独占の実験場でもあるわけです。そして他の分野と違ってメディアの独占・寡占体制は簡単には崩せません。読者の頭を支配しているからです。オウムなどの信者を信仰から解放することの困難さと同様です。
朝日の信用度に触れましたが、6月22日の同朝刊の「新聞ななめ読み」が参考になります。これは昨年、慰安婦問題を取り上げたところ掲載を断られ、筆者、池上彰氏とトラブルが起きた連載記事です。今回も掲載を拒否したい内容だと思いますが、昨年のことがあるのでそうはできなかったのでしょう。以下、一部を紹介します。
「元法制局長官の安保法案批判 同じ発言、トーン大違い」と題した記事で元内閣法制局長官の阪田雅裕氏の発言を伝える各紙の記事について、具体的な点を挙げた上、次のように締めくくっています。
「阪田氏の発言は新聞によってニュアンスが異なり、朝日、毎日、日経、読売の順に、発言は厳しいものから緩やかなものへと変化します。同一人物の発言のトーンが、これほど違っているのです。この並びは、安全保障関連法案に対する社の態度の順番とほぼ一致しています。
社としての意見はあるにせよ、記事が、それに引きずられてはいけません。どのような発言があったのか、読者に正確に伝えることで、読者が自ら判断する材料を提供する。これが新聞の役割ではありませんか」
最後の文節はいまさら言うのが恥ずかしいくらいの当然至極のことです。こんなイロハの指摘を改めて大新聞にしなければならないのは実に異常なことだと思います。お読みになればわかりますが、トーンの違いというより、もう虚偽、ウソの領域だと思います。池上氏の評価によっても記事の歪曲度は朝日がトップ、信頼度・誠実度は当然最下位ということになります。これは判断は読者ではなく我々がする、という伝統の態度に基くものです。言論の自由はありますが、虚報の自由なんて聞きません。