効率性は絶対正義か?
近年、効率性こそが絶対正義かのような風潮があります。
確かに民間企業であるなら、それは大きな指針の一つとなるのでしょう。
効率性を高め、少しでも利益を増やすというコトは、民間企業としては正しい目標なんだと思います。
しかし一方、効率性絶対正義論に陥るのも危険です。
民間企業のコトだとしても、例えば目先の利益ばかり追い求めすぎて、結果的に人材を育てるコトができずに中長期的には会社が成り立たなくなってしまう、なんて危険性も、極論かもしれませんが決して無いとも言い切れないお話でしょう。
これは「効率性」という言葉をどう捉えるかの問題とも言えるワケですが、ではさらに、これがそもそもとして効率性を求めるべき分野かどうかという問題もあると思うのです。
一部で話題になっている、レンタルチェーン店のTSUTAYAが図書館の運営を任されているという件、現在いろいろな部分で問題視されているところですが、ここでもひとつ効率性絶対正義論が隠れているように思うのです。
最初どういう経緯でTSUTAYAに業務委託されたのかというのはともかくとしても、民営化された大きな方向転換の理由のひとつには、確実に「効率性」があったと思われます。
つまり、利益などを全く考えない国や地方自治体が運営するのではなく、常に効率性と利益を考える民間企業が運営した方が無駄のない図書館運営が出来るんだという理由です。
そしてこれが大きな説得力のひとつとして、民営化への舵を切ったというのは否定できないところでしょう。
最近こういう論調多いですよね。
郵政民営化もこれが大きな原動力となっていましたが、公営では効率性を重視できないので民間に委託しようという考え方が最近強くなってきています。
でも果たしてそうなのかと、一歩立ち止まって考えてみる部分もあるんじゃないのかと思うのです。
図書館で言えば、その存在理由は決して利用者の利便性だけではないハズです。
図書館とは、まさに書籍を保存するというコトそのものも、大きな役割であり価値であるハズです。
例えば国会図書館なんかは、あそこは貸し出しはしていなくて館内の閲覧だけしか認められていないという利便性の低さですが、それでも日本一の蔵書数というコトこそが大きな価値を見いだし、名実ともに日本一の図書館として存在し続けているワケでよね。
そしてそれは、日本が日本であり続ける限り半永久的に蔵書が増えていくワケで、時間の経過と共にその価値も益々高まっていくワケです。
この部分、決して利便性とか効率性だけを絶対視してしまうと軽視してしまう、見落としてしまう価値なのではなでしょうか。
こういう部分もひとつ、ちょっと立ち止まって考えてみるべき問題だと思うのです。
やえは決してTSUTAYAの図書館が失敗に終わると言うつもりはありません。
利便性を向上しつつ、質も高い図書館として今後生まれ変わる可能性だって否定できません。
だからこの問題は、求める方の意識の問題だと思うんですよね。
なんでもかんでも、効率性が高ければ正義、利益が上がれば正義、利便性が上がれば正義、という価値観から、ちょっと一瞬立ち止まって、他にも考えるべき役割と価値があるのではないかと考える必要があるのではないでしょうか。
TSUTAYA図書館のゴタゴタを見ていると、優先すべき価値観を間違えてしまった結果なんじゃないかなと感じるのです。
ディスカッション
コメント一覧
TSUTAYA図書館の問題は政治家の癒着、天下りが一番の問題かと思うけど。
効率云々に話を広げちゃうと、かえって問題が複雑化してわかりにくくならない?
http://www.47news.jp/CN/201511/CN2015111201001666.html
行政の無駄点検とか
これも効率性重視と言えるね
これを見ていて思い出すのは事業仕分けだが、やえたんは政治ショーと言ってる
http://www.amaochi.com/blog/2013/01/281082.html
なら自民のやってる行政の無駄点検も政治ショーだと批判するんだよね
しないなら二枚舌ってことで確定だね
↑家計と国家予算を同様に解釈しちゃいかんよ
日本は不換紙幣なんだから金が足りないなら刷れば良いだけ
デフレの時に効率重視はさらにデフレを悪化させるんだが
そうなればGDPがさらに悪化し、結果として 国家予算が減少することになるぞ
仮に公営だったとしても、利用者が少なければ「税金で運用(建設)しているのに!」と批判が飛ぶ時代です。
一昔前は「地元住民の足の確保」なる名目で誰もいない集落に国鉄が走っていたこともありましたが、結局その殆どはJRに民営化する前後で廃止されました。
利益主導を企図する第二セクター化が必ずしも良いこと尽くめではないとするやえさんの主張は理解できなくはないです。コインの表裏の如く、世の事柄には利点と欠点(リスクとリターン)がある事は当然であります。
しかし、それ以外の選択肢を現実において採る場合、選択肢は公営にするか地域住民が運営するかに限られてきます。(なお、第三セクターはその性質上公営と言っていい)
公営の場合は、
リターン:公共財として全ての国民に等しく利益をもたらす。例えば国立公園は開発(利便性)としては不向きだが、環境美化には有効。殊に公共事業という利益の望めない事業は役所無くして成り立たない。
リスク:運用の為の費用が恩恵の有無にかかわらず国民の負担となる。特に最も厄介な弊害は、政治的圧力になりうること。公共事業は必要だが、道路族が湧いて出てきて百害あって何とやらであります。
住民自治のような形を採る場合、
リターン:税金としての負担が一切かからない。地元の「利便性」に考慮した、ある意味では最も地方自治には相応しい形であります。
リスク:その地域の事しか考えなくなりがち。閉鎖性から、観光客を呼ぶ「地方創生」–すっかり死語になった感がありますが–を目指す時に困難が予想される。
つまるところ、どれが一番マシかを考えると、国民に負担がかかりにくく、且つ観光資源になりうる(そのように努力する)民間経営が入ると自分は考えています。図書館の件ではいくらになるかは知りませんが、支出が減る事は今の地方自治体にとっては絶対に無視できないことでしょう。利益重視の価値観を求める代わりに債務超過では困る訳です。