総理大臣評価論 2

 さてでは、小渕総理以降の総理大臣についての評論を前回に続いて書いていきたいと思います。
 今日は順番に、森総理にしましょうか。
 でも多分、森総理については長くなると思いますので、今日は森総理だけになると思います。
 よろしくお願いします。
 
 森喜朗総理の一番の能力であり魅力は、「火中の栗を平然と拾い上げる胆力」にあると思っています。
 つまり誰もやりたがらないような仕事や状況に対し、森総理は臆するコトなく仕事を引き受ける懐の深さがあります。
 例えば最近で言えば東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の会長に森総理が就いていますが、これも森さんクラスでなければ務まらない役でした。
 はじめから色々と批判されるのが簡単に予想できる役どころであり、同時に国家も絡む仕事になりますからパイプも度胸も必要、さらにオリンピックなんて一大イベントのトップになるのですから相当の重い人を就けなければ周りが納得しない、そんなかなり難しい人事だったワケです。。
 こういう中、「森さんならば皆が納得する」と思わせる実績と雰囲気が森総理にはあり、森さんも元総理なのですから役職がなくても一定の影響力は持てるハズなのに、そんな状況が分かっているからこそ会長に就くという、自ら火中の栗を拾いに行く度量を見せて、会長就任となりました。
 もともと自民党の中でも派閥の会長という重量級であり、さらに総理まで務めた人なのですから、この人事に文句が言える人なんていないワケで、逆に言えば森さんレベルでないと空転しかねない人事だったとも言えるでしょう。
 
 これ、森さんが総理に就任する状況も似たような感じでした。
 今さら説明するまでもありませんが、森さんは小渕総理の急死を受けて急遽総理大臣に就任しました。
 あの時は「森さんしかいない。森さんならなんとかやってくれるし、引き受けてくれるだろう」という状況だったんですね。
 そして森さんは、臆するコトなく総理に就任したワケです。
 
 では森総理の評価ですが、これもまずは、あの時の日本と永田町の状況を確認し直す必要があります。
 というのも、あの時の日本の雰囲気は今では考えられないような左寄りの雰囲気だったというコトを、まず前提に踏まえておかなければ理解できないコトがあるからです。
 
 繰り返します。
 あの時代、日本はまだまだ左寄りでした。
 北朝鮮の拉致問題が広く認知されたのは森さんの後の小泉総理の訪朝時ですが、それまでは、北朝鮮による拉致があったのではないかと疑問を呈するだけで「お前は右翼だ」とレッテルを貼られるような時代でした。
 これは誇張でもなんでもありません。
 事実、当サイト管理人のあまおちさんなんか「韓国は日本に敵愾心を持っている」と主張するだけで、かなり激しい批判が寄せられ、言うに事欠いて「お前は日韓友好を阻害する売国奴だ」とすら言われたコトがあります。
 繰り返します。
 これは誇張でもなんでもありません。
 事実です。
 まず、当時はこういう雰囲気だったというコトを踏まえてください。
 
 次に永田町の事情ですが、これはちょっと複雑で長くなります。
 派閥のお話であり、森総理が誕生する前までのお話です。
 
 森総理の派閥の清和政策研究会、いまは細田派であり安倍総理が所属する派閥でもありますが、この派閥から総理が出るのは、なんと福田赳夫総理以来というかなり久しぶりのコトでした。
 調べたら22年ぶりのようですが、重要なのは、この清和会という派閥は旧日本民主党の流れを汲む観念・理想主義が強い流れを汲む派閥だというコトです。
 もっと簡単に言えばタカ派系なんですね。
 旧日本民主党系は自民党の中では保守傍流という言い方もする(吉田茂の自由党系を保守本流と呼びます)のですが、こちらは傍流と呼ばれるだけあって自民党の中では非主流派の方に身を置くコトが多く、排出総理もそんなに多くありません。
 森さんの前で言えば、だいぶさかのぼって海部俊樹総理になりますが、ただしこの人は「現住所河本派・本籍竹下派」なんて呼ばれていたぐらいだいぶ毛色の違う人ですし、その前の宇野総理も、そもそも就任の事情がリクルート事件のまっただ中でありピンチヒッター的だったので(事実2ヶ月で終わってしまいました)、かなり事情が違う選出方法だったと言わざるを得ません。
 となれば、森さんより前に保守傍流からまともに排出された総理というのは中曽根総理までさかのぼらなければならないワケで、就任年は1982年なので、これはもう森さんの時代ですら時代背景が全く違う、比較対象にならないような背景だと言えるんですね。
 
 ではなぜ森総理がそうした中で総理になれたのかですが、これは小渕総理の誕生の時に、その下地ができていました。
 当時、自民党の時期エースと言えば、先日亡くなられた加藤紘一元幹事長でした。
 加藤さんについてはいわゆる「加藤の乱」で失敗したという認識が一般的には強いのですが、これはちょっと違っていて、実際には小渕総理が誕生する際の総裁選の時に大きな躓きがあったのです。
 
 小渕総理はいわゆる田中(角栄)派経世会の流れを汲む派閥の会長でしたが、経世会は吉田茂の自由党系保守本流の派閥です。
 特に昔の経世会は自民党の第一派閥で、鉄の結束と言われたほどの強い結束力を持つ派閥であり、田中角栄の金と力をそのまま引き継いでいる、自民党のザ・主流派の派閥だったんですね。
 そして加藤さんの派閥は、これも吉田茂の自由党系保守本流の派閥で、今にも続く宏池会(現・岸田派)の会長でした。
 この経世会(現・平成研究会(額賀派))と宏池会は、こういう事情からかなり近しい関係にあり、多くの政権においてこの2つの派閥がメインとなって政権を作り、そして運営してきました。
 こうした協力関係で自民党の権力争いにおいて多くの場面で主流派として鳴らしてきた2派なのですが、その関係を加藤さんが突如壊してしまったのです。
 小渕さんが出馬した総裁選に、加藤紘一さんも出馬してしまったのです。
 言わば加藤さんと宏池会は経世会に反旗を翻してしまった形になり、これに小渕さんは珍しく激怒したと言われいます。
 そして結局総裁選は小渕さんが勝ったのですが、その後、この2つの派閥の距離はかなり離れてしまいました。
 
 だいぶ昔話が長くなりましたが、この2つの派閥の距離が象徴されるのが、森総理誕生のいわゆる「五人組」の会談です。
 この5人組とは、森喜朗、青木幹雄、村上正邦、野中広務、亀井静香の各議員さんですが、つまりここに宏池会の議員は入っていません。
 これはもしのお話になってしまいますが、もし加藤紘一さんがあの時総裁選に出ていなかったら、小渕さんの後は森さんではなく加藤さんになっていたのではないかと、やえは思っています。
 こんな事情があり、森さんは清和会にして22年ぶりの総理に就任したのです。
 
 さて長々と色々説明してきましたが、まだインターネットが黎明期だった森総理の就任時、結局日本のマスコミは森総理に対しては叩く要素がたくさんありました。
 最も観念的なタカ派である清和会の会長であったコト、ハト派の加藤紘一さんを蹴落とした形になったコト、そして世の中がまだまだ左翼的だったコト、なにより自民党という政党そのものを叩くコトが正義だと未だ信じられていた、もしかしたらこれまで積み重なってきたモノが積もりに積もって最も自民党叩きの怨念が貯まっていた時代だと言えるかもしれません。
 森総理の一番の敵はマスコミだったと、就任時から決められていたようなモノでした。
 
 そして森総理はマスコミに叩き潰されてしまいました。
 
 森総理は、表も裏もできるという面では珍しいタイプの政治家と言えるかもしれません。
 細川内閣誕生により自民党が初めて下野していた時には、裏のタイプである野中広務さんや亀井静香ちゃん先生らと共に社会党などを切り崩して村山政権誕生と、自民党の与党復帰の道筋をつけましたし、表では大物政治家としては珍しい文教族というコトで、この方面で総理として教育改革に大きな功績を残しました。
 また外交にも強く、あのロシアのプーチン大統領と信頼関係を築けているというのは、わりと有名なお話ですよね。
 前回にも言いましたように、森さんも、総裁選こそやっていませんが、自分の力で派閥の会長となり自民党の権力争いに勝ち抜いてきた人ですから、やはり基本的には有能な人なのは間違いないと思っています。
 残念なのは、どちらかと言えば裏の系統の方が強い人であり、「外から見ればどう映るのか」という点が多少無頓着だったのかなというところです。
 マスコミのデタラメな言葉狩りは以ての外ですし、大部分はこうした叩きのための叩きだったと思っていますが、真意はともかくそれでもさすがに安易すぎるのではないかと思わずにはいられない“失言”があったのも確かです。
 振り返りますと、発言の全体自体はともかくとしても、たまに出てくる単語とかがちょっときわどく安易なんですよね。
 その場にいる人を笑わせるのは得意でも、その場にいない人にも自分の言葉が伝わるっていうその先までのコトを総理大臣として考えていれば、もっと長い間総理として活躍できたのではないかと思っています。
 当サイトとしてはあの有名な「神の国発言」も、ちゃんと全文読めば報道とは違うと主張していましたし、個人的には言葉狩りなんて負けずに頑張ってもらいたかったのですが、言ってしまえば森総理は「時代に負けた」と言えるのかもしれません。
 
 このシリーズ全体的に言えるコトなのですが、基本的に自民党の総理大臣というのは優秀だと思っています。
 その最も大きな理由は、権力闘争により磨かれて勝ち残っている人が総理大臣になるからです。
 最近は政治家を安易に小馬鹿にする人が増えてしまっていますが、少なくとも議員を何十年も続け、まして与党議員として活動し、ポストもそれなりに重れば誰だって優秀になれますし、そうした人だからこそ与党議員を何十年も続けられているワケです。
 逆にそれらの職責についていけなければ総理候補までにはなれません。
 いま総理候補と呼ばれている人もそうです。
 政策の好き嫌いは人それぞれだとしても、岸田外相も石破議員も、能力だけを評価するなら今の自民党の中ではピカイチでしょう。
 その上で、人望やら胆力やら色々なモノを兼ね備えた総合人間力の高い人が自民党総裁選挙に立候補して勝ち得るのですから、そうしたステップを踏んできた人はみな優秀なのです。
 もちろん人間ですから得手不得手はありますし、個性やキャラクターもありますから、分野ごとに評価は分かれてしかるべきですが、少なくとも森総理も総合的には十分優秀と評価できる総理大臣だったと言えると思っています。
 このシリーズ全体的に「総合的には優秀」という言葉がよく出てくると思いますが、それはこういう理由からです。
 少なくともやえは評論家気取りで「一方で下げで一方で上げる」的な妙なバランスは取ろうと思いませんので、率直にそう思っているというだけなんですね。
 
 かなり長くなってしまいましたが、では次は小泉総理ですね。
 森総理は「時代に負け」ましたが、小泉総理は「時代を引き寄せた」と言える総理です。
 そういう意味では、かなり特出した人物であるコトには違いないでしょう。
 
 というワケで、今年はこれで最後の更新となります。
 今年一年もありがとうございました。
 また来年もどうぞよろしくお願い致します。