権力を振りかざす民進党などはリベラルではない

2017年3月16日

 今日は森友学園の件について、その中で起きているとある主張について批判しておこうと思います。
 その主張とは、民進党などが求めている森友学園の理事長、いまは元理事長でしょうか、その人を国会に招致して話を聞こうとしている、つまり証人喚問をしろと求めている件についてです。
 
 ハッキリ言ってこの行為は、国家権力の乱用です。
 法的に問題が限りなくあるという段階ならともかく、未だ何の法律にひっかかるのかさえ説明できないような段階の民間人を、強制力を持って国会に呼びつけ、偽証罪までつけた上で衆人の目にさらし者にして一方的に尋問するという行為なんてモノは、権力の乱用以外何物でもありません。
 一部の野党議員は、「証人喚問して問題を明らかにする」と言っているようですが、そんなのは「証拠はないけどとりあえず逮捕してから取り調べる」と言っているようなモノで、こんな秘密警察はないワケです。
 中世の絶対王政の国家ならともかく、こんな権力の乱用、まして権力者が民に向かって振るう一方的な乱用を行うような国家は、果たして民主主義国家と言えるのか、法治国家と言えるのか、大変に疑問だと言わざるを得ません。
 
 近年の総理大臣の評価論を最近行っていますが、麻生太郎総理の中で、やえは「麻生総理はリベラルな政治家だと思っている」と評価しました。
 それは麻生総理の政策的な部分ではなく、政治家としての権力との向き合い方、その姿勢が、リベラルだと評しました。
 つまり権力とは抑制的に使うべきで、使うなら自分のためではなく広く公のために使うべきだという、そんな自民党保守本流のリベラルの考え方を麻生総理は実践したと、やえは見ているからです。
 むしろ政策の左右は時代によって変化するモノですから、ではリベラルとは何かと考えれば、この辺の政治哲学に行き着くのではないかと、やえはそう思っています。
 
 そうやって見たとき、果たして民間人の自由を奪う目的で権力を振るい、しかもその目的は自分たちの利益のために強権を振るおうとしている民進党は、果たしてリベラルと呼べるのでしょうか。
 少し前から民進党などの一部政党は、自民党のリベラルの名門派閥「宏池会」にすり寄るような場面が多々あります。
 むしろ安倍一強と言われているタカ派寄りに寄ってしまった自民党のリベラルにとってかわり、民進党などこそが本当のリベラルだと、保守本流であり中道左派だと、そう主張する人がいたりします。
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 しかしこれはとんでもないワケです。
 権力の使い方を見れば、権力に対する政治哲学を考えてみれば、法に触れているとする根拠すら提示できない段階の民間人を強制力を持って晒し者にしようとしている民進党は、タカ派もタカ派、安倍総理なんて裸足で逃げ出すほどのタカ派だと言うしかありません。
 野党の一部は、リベラルという言葉を都合よく解釈しすぎでしょう。
 
 もちろん、この後、森友学園に新しい事実が発覚して法的な問題が明らかになったり、また別の問題が出てきたりしたら、それはそれです。
 しかし今回のこの問題というのは「根拠も無く民間人を国家権力によって証人喚問する」という行為に対して、それは権力の乱用だと指摘しておきたいのです。
 そしてこんなのはリベラルでもなんでもないワケです。
 
 さらにこの流れに朝日新聞など、いつもの面々が民進党に乗っているのも、大変に滑稽です。
 曰く、「やましいコトがなければ証人喚問すればいい」「自民党が証人喚問を拒否しているのは、森友学園をかばっているからだ」と、恥ずかしげもなく主張しています
 でたらめなんですよね。
 法的根拠もない一方的な主張だけで公権力によって自由を縛るような行為こそ、本来は反権力を標榜する立場が批判すべき行為なのではないのでしょうか?
 つまり朝日新聞など、権力でもって民間人の自由を奪えという主張なのであり、それに懸念を示す自民党などの立場の人は間違っていると言っているワケですよ。
 これのどこが反権力で、中道左派で、リベラルなのでしょうか。
 聞いてあきれるしかありません。
 
 民進党も朝日新聞などの「自称リベラル」の方々は、ぜひとも「民間人の自由を国家権力で縛り付ける」という行為がどういうコトなのか、よくよく考えてもらいたいです。