政府事故調ですら菅政府の過剰介入があったと認める
福島原子力発電所事故に関する公的な事故調査委員会は2つあります。
行政府の元に置かれている「政府事故調」と、立法府の元に置かれている「国会事故調」です。
なぜ2つあるのかと言いますと、最初に設置されたのは政府事故調ですが、しかしそもそも原発事故はもとより政府の不作為や不手際によって被害が広がって可能性が指摘されていましたから、その政府の不手際を政府が調査して適切な調査結果が出るワケが無いというコトで、政府から離れた国会の事故調が誕生したという経緯です。
与党だけで構成される政府とは違い、国会であれば各政党が集まって構成されていますからある程度は中立性が保てますし、さらにその上に事故調のメンバーは一切国会議員が入らない形になっていますから、そういう点でも中立性を担保していると言えます。
ですから、どちらも報告書をあげてきましたが、政府事故調は政府に偏ったモノの見方をする可能性があるというコトを念頭に置いて考える必要があるワケです。
実際こういう記事もあります。
政府事故調 身内への甘さがにじむ
政府が設けた原発事故調査・検証委員会の最終報告がまとまった。民間事故調、東京電力の社内事故調、国会事故調と合わせ四つの報告が出そろった。
今回の報告で感じるのは、政府責任を追及する姿勢の甘さである。こんなことで再発を防げるか、心配になってくる。
対照的に政府への注文では、もどかしさが募る。例えば原子力安全・保安院についての指摘である。2001年の設立以来、原発事故などへの対応に追われ、中長期的な課題に取り組むには「組織的、人的余裕がないのが実情だった」と述べている。
国会事故調の報告は東電と政府の両方に対して厳しかった。例えば事故原因について「規制当局が事業者の虜(とりこ)」となり、緊張感をなくして一体化する中で起きた、と指摘。事故は「人災」だったと述べている。国会事故調に比べても今度の報告は歯切れが悪い。
事故を防げなかった点では東電も政府も同罪である。保安院に同情を寄せるかの報告を被災者はどう読むだろう。「身内に甘い」と受け取られるようでは、事故調はその役割を果たせない。
「2001年の設立以来、原発事故などへの対応に追われ、中長期的な課題に取り組むには「組織的、人的余裕がないのが実情だった」と述べている。」という、この一文だけでも政府事故調の不自然さが目立ちます。
中長期的な課題に取り組むのは、なにも原子力保安院だけではないハズだからです。
経済産業省もその役割を担う政府機関であるコトは、もはや誰もが知っている事実ですよね。
であれば、将来展望に関しては経産省が中心となって、さらに関係省庁と、もちろん大臣がリーダーシップをとって取りまとめすべきだったと言うのが当然のお話でしょう。
こんな簡単なお話をせずして、ただただ保安院という小さな組織だけに責任を丸投げして「余裕がないのが実情だった」と言っても、スケープゴートにしているだけではないですかと言うしか無くなるワケです。
このようにやっぱり政府事故調というのは、その根底に政府自身の自己弁護の考え方が流れていると言わざるを得ないのです。
その上で、この政府事故調の報告書には特筆すべき点があります。
菅総理の言動についてです。
まずこちらの記事をご覧下さい。
【政府事故調最終報告】「東電全面撤退はなかった」 菅前首相の数少ない手柄も否定
政府事故調が23日公表した最終報告は、事故対応に当たっての菅直人前首相の数少ない手柄とされる東京電力の全面撤退阻止問題について、今月5日に最終報告書を公表した国会事故調と同様に「(東電が)全面撤退を考えていたと認めることはできない」との認識を示した。菅氏ら当時の官邸メンバーが「全面撤退と受け止めた」と強調してきた大きな争点だったが、客観的評価はほぼ定まった。
この問題では「一部撤退の意図だった」との東電の主張に、最初に報告を出した民間事故調は疑義を呈していた。ただ、民間事故調は東電から聴取できていない。政府、国会両事故調は未公開の東電のビデオ会議記録も調べ、客観的証拠から全面撤退を否定する同じ結論に至った。
菅直人がずっと個人的に主張していた「東電が撤退しようとしたから自分がそれを引き留めた」という逸話ですが、結局国会事故調はもとより、政府寄りの政府事故調ですらそんな話は無かったと退けたのです。
つまり菅直人のウソだったと、そう結論づけたワケですね。
もうひとつ記事があります。
政府事故調最終報告書 菅氏の現場介入は「弊害の方が大きい」
東京電力の福島第1原発事故を調査してきた政府の事故調査・検証委員会は、東電の事故対応が適切でなかったことや、菅前首相が現場へ介入をしたことは「弊害の方が大きい」などとした最終報告書を公表し、野田首相に提出した。
また、事故当初から陣頭指揮をとった官邸の対応は適切ではないとし、首相だった菅氏が当事者として現場介入することは、現場を混乱させ、判断を誤らせる結果を生むことにつながりかねず「弊害の方が大きい」と指摘した。
結局、政府事故調をもってすら、菅総理の過剰介入があり、それが対応に対する害になってしまったと言わざるを得なくなってしまっている報告書だというコトです。
これって大変なコトじゃないですか?
国会事故調の指摘だけでも十分大問題で、完全に責任問題にしなければならないコトのハズなのですが、さらに政府をかばい気味の政府事故調ですら菅直人の愚行をかばいきれないモノだったと言っているのですから、その重大さは予想以上と言わなければならないのではないのでしょうか。
おそらく政府事故調が調査している中で、関係者のヒアリングとかしていると、無視出来ない数ほどそういう話が出てきたのでしょう。
つまりそれだけ「邪魔された人」が多かったという意味です。
これはとんでもないコトですよ。
菅直人たった一人の愚行のせいで被害が広がったと、国会事故調も政府事故調も言っているのです。
なぜこれ、大きなニュースにならないのでしょうか。
これを問題にしなければ、そもそもなんのために事故調査委員会を設置したのか分からなくなってしまいます。
まして国会事故調だけでなく、政府事故調ですらこの報告書という「重み」を考えてもらいたいです。
少なくとも、漢字の読み違いで連日連夜ニュースやワイドショーやなんやでずーっと“報道”するよりは、何千倍も重大な問題のハズです。
いったいぜんたいマスコミはこれをどう考えてるのでしょうか。
もしこれをキチンと冷静に、そして公平に考えなければ、この悲惨な事故を教訓とするコトが出来なくなってしまいます。
これを教訓とするために批判すべき人は批判し、責任をとるべき人間には責任を取らせなければならないのです。
私怨ではありません。
政局でも無いのです。
全ては今後の日本のためです。
同じコトを二度と繰り返さないように、責任者にはキチンと責任を取ってもらわなければならないのです。
ですから、今後の日本のために菅直人に責任を取らせなければならない、菅直人に責任を取らなければ日本のためにならないというコトを指摘しておきたいと思います。
ディスカッション
コメント一覧
>これを教訓とするために批判すべき人は批判し、責任をとるべき人間には責任を取らせなければならないのです。
そののちあぶり出された手痛い教訓をバネに、あるべき社会を議論していかなくてはなりません。
あの愚行に愚行を重ねたあげく、平気で自党にさえ嘘をつく男のせいで、状況の検証にすら余計な手間をかけさせられ、建設的な議論をするための時間がガリガリと削られていく現状が腹立たしくてなりません。
たとえばですね、何で東電を潰さないのかってのを疑問に思ってる人は少なくないと思うんです。
潰して別会社にしちゃったら賠償責任が宙に浮いちゃって結局全部国が負担することになるって議論もあるんですけど、
『会社更生法』という法律が日本にはあって、大雑把な説明をするとこれを使えば、
・既存の資産を一端全部整理
したうえで債権者に分配し、
・株式の100%減資、社債のデフォルト、融資債権の放棄、その他債権も請求権放棄
を法的に認めさせ、債務のまっさらな状態で潰さず会社を再スタートさせることができます。
最近ではJALがこれを適用しております。
投資をした対象に借金の棒引きをお願いするわけですから、当然丁々発止の駆け引きがなされます。資産整理や企業年金の減額、人員の整理なども大変厳しい物になります。役員報酬の支払い継続など望むべくもない……というか大抵は首の総取っ替えです。
企業再生のなんちゃらかんちゃらみたいなニュースを小耳に挟んで覚えていたので、なんでこいつを使わないのかと疑問に思い調べてみたのですが、
どうもこの法律、今回東電に適用するに当たっては一つ大きな問題があるみたいなんですね。
というのも、東電の負った被災者への賠償責任(被災者から見た賠償請求権)、これは故意や過失などで他人に与えた損害を賠償する法的義務、『不法行為債権』という位置づけになるのですが、
この不法行為債権というもの、会社更生法を適用されると一般債権として何ら保護されることなく毀損されてしまうんですね。賠償するためにデフォルトしたら賠償義務までぽしゃっちゃったという本末転倒な自体になってしまいます。
しかも会社更生法においては整理後に割られた資産は一般債権の前に抵当付き債券である電力債に優先的に割り当てられたりもします。踏んだり蹴ったりです。
かといって特別法を立てて賠償請求権をそれら債権より優先するとして保護したとしても、遡及法として法廷に引き出されれば十中八九無効が言い渡されます。というか法治国家としてやってはいけないことです。
だから現状の東電救済のやり方が仕方ないものなのか――といえば議論があると思います。
というか僕はあまりに既存の法体系から逸脱したスキームを適用したことに強い疑問を感じています。
信じて金をぶち込んだ先が馬鹿やらかして債権が焦げ付いたなら、その損失を受け入れるという投資家金融屋の覚悟と信念をぐずぐずにする市場原理への冒涜だと思っています。
それにしてもですよ。現状の東電の問題を解決することには資さないにしても、この会社更生法の不備(あえて不備と表現します)を放置していいとは僕には思えません。
どうせリスクを背負うなら潰せなくなるぐらいのカタストロフを起こして税金でケツを拭かせる戦略をとるほうが有利になるシステムは、果たして健全と言えるでしょうか?
きっとこういうことがあって始めて気付かされるような論点や問題点は、このほかにも星の数ほどあると思うんですね。それこそいくら時間があっても足りないぐらい。
無視するわけにも行かないそもそも論でひたすら議論を停滞させる現与党にはさっさと退場してもらいたいものです。
あの再現ドラマは無かったことにするんですかねぇ