反対のための反対にならないために

 民進党などの人達が、テロ準備罪、一部では共謀罪と呼ばれている法案について、手段を選ばない反対の仕方をしています。
 例えばこんな主張です。
 

 皆さんのメール、LINE、Twitter、Facebookが監視されるようになってしまいます。
昨日有楽町で枝野本部長、海江田元代表、松尾東京2区総支部長と共に、共謀罪廃案を訴える街頭演説をしました。
 
民進党山尾しおり議員Twitterより

 
 共謀罪というイメージだけで、曖昧な表現で恐怖を煽ったり、実際には法案の中に全く規定されていない行動までをさもこの法律の中でできてしまうかのように喧伝して、つまりデマによって、法案への反対を広めようとしているワケですね。
 例えば「皆さんのメール、LINE、Twitter、Facebookが監視されるようになってしまいます」というのも、例えば現行法下であったとしても「○○を爆発する」なんて書けば違法行為になるのですから、共謀罪によって突然新しい概念が発生するワケではありませんし、またこれが特定の誰かに向けただけのメールやDMなどの文章に対するモノだったとしても、それもやっぱり現行法下で裁判所の令状が下りれば可能な捜査手法であり、共謀罪ができれば警察などが無制限に全ての人の通信を傍受できるようになるワケではありません。
 それなのにこの書き方というのは、敢えて事実誤認させようとしているとしか思えない書きぶりなんですね。
 また他にも、「共謀罪が成立したら国外逃亡しなければならない」とか言ってた民進党の議員もいるようですが、これも果たして具体的にテロ準備罪のどこの条文にひっかかるからそうなるのか、その辺の説明が一切無く、無根拠に、もはやデマによって恐怖を煽っているとしか言いようがありません。
 恐怖を感じるような結論だけを提示し、しかしその根拠を示さず、時にデマによって人心を煽る手法は、もはや反対のための反対の手法でしかなく、それがどんな主義主張であっても許してはならない手法のハズなんですね。
 
 これを踏まえた上で、よく考えてもらいたいコトがあります。
 いまテロ準備罪では、このような醜く卑怯な論法を民進党やサヨクな人達がよく使っていますが、しかしこれは決してサヨク方面の常套手段ではないんですね。
 むしろこれは、思想の左右を問わず、反対をするための常套の手段であるとすら言えてしまうのです。
 右寄りの人達も、ちょっと前までは似たような論法で、とある法案に反対していました。
 
 人権擁護法案です
 もう中身については詳しく説明しませんが、この時も多くの人から、法案の中身からかけ離れた例え話や恐怖を煽る例え話が多く飛び交っていました。
 例えば、ちょっと一部を隠して引用してみます
 

 これは、ほんの一例ですが●●●●とその関係者が自分たちに都合の悪い報道・世論に対して●●という言葉を付けて有形無形の圧力をかけてきます。
 要するに●●●●という秘密警察をつくり、国民を「●●」という言葉をこじつけて監視・取締りします。
 これでは●●●●による独裁!になります

 
 どうですか?
 これ下手したら、民進党や左翼系メディアがテロ準備罪や特定機密保護法かなんかの法案で反対するために流布されたプロパガンダと言われても、そのまま信じてしまいそうじゃないですか。
 「秘密警察」とか「独裁」とか、いかにもですよね。
 でもこれ、さっきも言いましたように、人権擁護法案に反対するために書かれた文章であり、黒丸のところは「人権」もしくは「人権擁護委員」という言葉が入る文章です。
 そしてこのプロパガンダを載せているサイトは、当時多くの自称保守人によって引用され、また根拠として使われました。
 当時は相当有名なサイトだったんですよ。
 
 しかし当然ながら、人権擁護法案にはそのようなコトができる条文は皆無だったんですね。
 
 ですから、思想の左右に限らず、こういうコトってあるんですよ。
 何かを反対するために、安易にデマに飛びついてしまう、下手をすればデマそのものを作ってしまうコトがあるワケです。
 その姿は、左右の思想を問わず滑稽なのですが、やってる本人はそれに気づかないんですよね。
 ですからせめて、自分とは別の立場の人を見て、我が身を振り返って欲しいです。
 ああはなってはいけないと。
 
 特に法案というのは、必ず国会に提出されてその中身が国民に知らさせれるワケですから、それに賛否を言うなら、当たり前ですが中身をキチンと読んで、中身に則した議論をしなれば意味はありません。
 それが国会議員ならなおさらです。
 ですからもう一度、よくよく立ち止まって考えてもらいたいんですね。
 特にいまの民進党のひどさが、デマすら作りかねない論法がひどいと思うのであれば、それは決して民進党やサヨク思想特有の症例ではないというコトを、立ち止まって考えてもらいたいと思います。
 これは思想の左右を問わず、よくプロパガンダとして使われる手法なのです。
 そしてその手法は、健全な議論を行う上では許してはならないのです。
 
 民進党のコトをひどいと思うのであれば、それを教訓として、どんな場面でもそうならないよう、国会議員は当然としして、公の場で持論を主張する活動をする人全てに自覚してもらいたいと思います。