ウクライナ問題も日本は日本の国益を最優先に

 やえには持論があって、「外国の事情なんて外国人には絶対に分からない。その国に移住しただけでも分からない。その国に生まれて多感な頃を十何年過ごして初めて分かる」というモノです。
 
 ウクライナの件についていろいろな意見を見ていると、「みんな優しいですねぇ」と思います。
 そしてそれはきつい言い方をすれば、「甘っちょろいですねぇ」と思ってしまいます。
 もしくは、「ウクライナの何を理解しているつもりなんでしょうか」「分かったつもりでいる気なのでしょうか」と思ってしまいます。
 日本に生まれてずっと日本で暮らしてきた日本人には分からないですよ。
 知識や情報を集めたところで、その情報すら必ず何らかのバイアスがかかっており、まして集める人自身も無意識でも自らの意識によって情報に集め方からしてバイアスがかかるでしょうから、どうやったって外の人間に「真実」なんて見えません。
 まして、その土地の人の感情までを情報だけで理解する方が無茶なお話です。
 
 国内だって同じですからね。
 例えば沖縄の新聞なんか見たら沖縄の人はえらい反日的というか、やもすれば日本から独立したいと言わんばかりの思想をもってそうに捉えてしまいがちですが、でも実際は沖縄の新聞はかなり偏っているコトが分かります。
 しかし「沖縄の新聞が偏っている」という情報を手に入れたとしても、それでも沖縄は沖縄の人の特別な複雑な感情があるでしょうから、それだけで全く本土の人間と同じに考えているとは言いづらく、その辺も含めた微妙で繊細な沖縄の人の「生の感情」なんていうモノを外の人に分かれと言う方が無茶なお話なんです。
 例えば広島の地で生まれた人間にとって、原爆っていうモノがどういうモノなのかという複雑な感情は、どうしても外の人には分からないでしょうっていうのはやえも感じますしね。
 「外の人は情報だけで原爆を語っている」と、言葉ではうまく表現出来ないのですが、そういう雰囲気を肌で感じるコトはよくあります。
 もちろん外には外なりの理屈や感情があるのでしょうし、内の人間だけが語る資格があるとか、内の人間が必ず正しいコトを言っているなんて言うつもりは毛頭ありませんが、ただ「内の人の感情を外の人が完全に読み切るコトは不可能だ」というのは確実に言えるのではないでしょうか。
 少なくともやえはそう思っています。
 
 ですからウクライナの件なんて日本人じゃ分からないんですよ。
 国民投票の結果とかも出てきているところですが、それはあくまでいまの結果であって、それまでの感情とかもやっぱり考えてこそ、それが分かってこそ「真のウクライナのため」もしくは「真のクリミアのため」と言えるようになるでしょう。
 「~~のため」と言うのであればそこまで考慮して行動しなければ、それはただの薄っぺらい一時の感情論としか言えないと思います。
 しかしそんなコトは無理です。
 歴史をある程度共有している国であればまだしも、日本なんてウクライナとかクリミアとかほとんど関係ない国ですよね。
 こんなんで分かるハズがないんですよ。
 
 であるなら日本としてはどうすべきなのかと考えたら、それは日本は日本の国益を追求すべきなのです。
 そもそも国同士で同情とかの感情は必要ありません。
 同情する姿を見せるコトで助けを出す口実にして国益を追求するコトは良いコトですが、いくら同情したと言ってもその結果として自国の国益が損なわれるようでしたら、それは外交の失敗としか言いようがありません。
 歴史的に見るという行為、しかもそれは「日本人の道徳」による判断のもとでの「誰が正しい行為なのか」という善悪の判断と行動の判断は、これは全くの無意味です。
 ネットの一部には「歴史的にキチンと見ればロシアの主張の方が正しい」なんて言っている人がいますが、それは歴史家の視点としては必要な視点なのかもしれませんが、少なくともリアルタイムの今現在の政治における判断としては、そのような価値基準は全く無意味なのです。
 「事実として正しいかどうか」と「他国が納得しうる理由かどうか」は、全然別モノなのです。
 まして、日本人はどうしても前者に重きを置きがちですが、日本だけの道徳が通用するワケではない国際舞台においては、それが常に正しいとは言い切れないというコトは理解しておく必要があるでしょう。
 
 ではどうするのか。
 日本の国益はこの場合どこにあるのでしょうか。
 日本が動く理由として、ひとつ「動機」というモノが必要になってきます。
 この点において日本は3つの視点があります。
 
 ひとつは「国連主義」
 ひとつは「平和主義」
 そして最後に「アメリカ」
 
 なぜアメリカが日本の動機になるのか、それはもうここでは説明する必要ないですよね。
 逆にむしろどうして軍事力を他国に預けているような国が、軍事力を主とする外交の場で独自に動けると思っているの方が不思議です。
 日本はそういう選択をしているんですよ、国民の意思として。
 てすから、軍事力を主とする外交の場で、日本がアメリカの意思を無視する方が国益を損なうのです。
 もしそれがいやなら、早く日本は憲法九条を捨てるコトです。
 
 また平和主義は、これは逆にいまの日本が憲法九条を持っているからこその価値基準です。
 つまり主要国は日本が武力行使を禁じる憲法を持っていると理解していますから、つまり日本は「どんな理由があっても武力だけには反対する」という主張をするコトは、やはり一定の説得力を感じざるを得ないワケです。
 もちろんそれはアメリカに守られているゆがんだ形であるワケですが、ただそれは、シリアに対するアメリカの武力行使宣言に対して安倍総理が反対の意を示したところからも、まぁこれはかなり異例とは言えるのですが、それも「武力だけはダメだ」という日本の明確な意思としては示すコトの出来たモノだと言えるでしょう。
 日本がこれまで自衛隊を派兵しても後方支援で終わっているのも、憲法九条があるからこそですよね。
 
 そして国連主義ですが、一応日本はそういう風にやってきたじゃないですか。
 他国も、国連を一切無視して行動を起こすっていうのは難しいワケです。
 アメリカだってアフガン戦争の時は苦しくても「これが国連決議だ」と言い訳をしていたぐらいですから、これを逆に言えばアメリカだって「国連という大義名分」は必要だという裏付けとも言えるワケです。
 その中で日本も当然国連中心主義を採ってきたワケですから、仮に国連安保理とかでひとつの結論が得られるのであれば、それに従うというのは当然のコトになってくるのではないのでしょうか。
 「この件は国連に従うけど、この件は国連を無視する」なんて言い出したら国連の意味なんてなくなります。
 そしてそんなコトをしていても、それはその国の信用を無くすか、もしくは国連が崩壊するかのどちらかです。
 国連に問題が多いコトは確かですが、しかしそれでも現在進行形で国連が運用されている以上、「改革されるまでは全て否定する」では法は成り立たないのと同じように、日本もその枠組みで動く必要があるのです。
 
 さてこれらの条件を並べたとき、日本はどうすべきでしょうか。
 日本はいま史上最もロシアとの関係が良好な時代です。
 これは前にも指摘した通りですが、いまこれをどうすべきなのかという、非常に繊細で難しい選択を日本は迫られていると言えるでしょう。
 ロシアとの関係は引き続き保っていくべきです。
 しかしその天秤の逆側にアメリカを置いてしまうのは下策中の下策です。
 日米安保体制中においては、日本にとってのアメリカは無二の存在です。
 繰り返しますが、それがイヤなら国民が憲法を改正するしかありません。
 ですから、ロシアとアメリカを天秤に並べない形で両者のバランスを取らなければなりません。
 これは非常に難しい繊細な作業となります。
 なぜならアメリカとしてはむしろ自ら天秤に並べて日本の決断を迫りたいでしょうからね。
 まぁ外交下手なオバマ大統領のコトですから、付けいるスキはあろうかと思いますが、難しい作業になるコトは違いないでしょう。
 さてどうすべきでしょうか。
 
 こういう時こそ、口だけは建前をとって実のところ実際にはなにもやっていない、という腹芸が必要なんだろうと思います。
 なんだかちょっと前にした話題のようにですね。