河野談話を検証して、そのまとめ

 さて最後に、今まで行ってきた河野官房長官談話の検証について、その全てに対するまとめを書いておこうと思います。
 
 現在、やはりと言いましょうかなんと言いましょうか、安倍総理が「検証はするが見直しはしない」と発言したコトについてネットを中心に反発が起こっているようですが、しかし果たして何に反発しているのかちょっとやえには理解出来ないんですね。
 正直、そう反発している人って、河野談話の全文をキチンと読んでないんじゃないですかと言うしかありません。
 多くは「検証してウソが明らかになれば見直しするのは当然だろ」という論調なワケですが、しかし結局、当サイトでの検証でハッキリしましたように、事実の部分については覆すような部分が一切存在しない内容であるコトがハッキリしました。
 少なくとも「軍が正式に強制する命令を発した」というコトは、今も昔も日本政府は認めていないんですね。
 証拠がないですから。
 もちろん「検証してウソが明らかになれば見直しするのは当然だ」というのは言葉の上では当然ですですが、ただ政治的に今の段階で「見直しする」なんて言えるワケないってコトは、多少政治バランスを理解している人なら簡単に分かるコトで、とりあえず今の段位で「検証する」って言っているだけでも、これは政府が河野談話を憂慮しているって意思表示であるワケで、これも政治的に視点を多少でも持っていれば簡単に分かるコトなんだろうと思うんですね。
 つまりこういう現実を前にして、果たして怒っている人は、誰にではなく、何に怒っているのか、ちょっと冷静になってほしいのです。
 
 検証して、それでどんな新事実が出てくるというのか、やえには全く分からないワケですよ。
 果たして検証しろ見直ししろって言っている人は、河野談話のどの部分を具体的にどうしろって言うのでしょうか。
 産経新聞やネットや維新の会などこの問題で鼻息を荒くしている人は、まずはここをキチンと説明してほしいんですね。
 河野談話に関する政府の対応を批判する論調は、しかし「政府が悪い」「弱腰だ」というコトばかりを言うだけで、「ではどうしたら適切だと自分は思うのか」という部分がまったく欠如しています。
 この部分においては「検証しなければ分からない」という言い訳は通用しません。
 なぜなら、まず「どの部分が不適切か」というコトを指摘するコトはできますし、それ以上に河野談話が認定する事実の部分において本当にそれを否定出来る事実があるのか大変に疑問だからです。
 軍の慰安婦の移送について関わったコト、一部業者が悪質な勧誘を行ったコト、一部軍人が命令を無視してそれに荷担したコト、これらを本当に否定出来るのか、もちろん出来るならそれに超したコトはありませんが、果たしてそう今の断言で断言出来るのかというところは本当に疑問です。
 そしてそもそも当時の関係者の再ヒアリングをして、仮に当時調査をしていなかった、もしくは韓国の何らかの要請があったコトが明らかになったとしても、それをもってこれらを否定しうる材料となるのかというのは、現在でも説明出来るハズです。
 では再調査した結果、「当時は裏付け調査もせず、韓国の要請によって河野談話を作りました」ってなった場合では、むしろ「河野談話は河野官房長官の韓国の要請をスルーするための高度な政治判断の産物である可能性」でやえが語りましたように、当時の政府がすごい政治バランスでこれを乗り切ったというコトが証明されるだけに終わるでしょう。
 それはそれで意義のあるコトだと思いますが、しかしそれは「撤回」には全く繋がりません。
 産経や維新などをはじめ河野談話を否定したい人達はぜひともここをまずは自分の言葉で語ってもらいたいです。
 
 河野談話の謝罪の部分についても、かなりあやふやな言い方に終始していて、果たして何に謝罪しているのか分からない状況です。
 ここについては、やえは「時代が追いつけば」見直すコトも考えていいと思っています。
 というのも、結局やはり謝罪の部分については「とにかく第二次世界大戦は日本が悪かった」という、世界標準的な認識のもとに成り立っている部分だからです。
 河野談話をものすごくフランクに言うとこうなります。
 
 「慰安婦問題については一部軍人や業者が勝手に悪事を働いたコトはありました。まぁとにかくこの前の戦争は日本が悪かったですよ。はいはい、もう謝りますから、すみませんね」
 
 ですから、これは国連憲章やアメリカや当時の連合軍国すべてを含んだ、いまの世界秩序の根幹となっている「日本・ドイツ・イタリアの枢軸国悪論」を払拭しなければ、この謝罪の部分については撤回しづらい状況になっているのです。
 もちろんですが、やえは日本が当時悪かったとは露程も思っていません。
 戦争に善悪を含めて考えるコトほど愚かなコトはありません。
 ですから徐々にそれを払拭していくよう、これは日本政府だけに限らず、日本国民の義務として時間をかけて払拭していくような方向に持って行かなければならないと思っています。
 
 ただし、いますぐは無理です。
 
 無理ですよ、いまいきなり全世界に向けて日本政府が「第二次世界大戦の日本は正しい戦争を行った」なんて宣言するなんて、そんなの誰だって無理なコトぐらい分かるじゃないですか。
 よって、河野談話の謝罪の部分も、これは日本の先の戦争に対する評価という部分において将来的にゆっくりと改善していく必要はあると思っていますが、ただし今すぐどうこう出来る問題ではないと言うしかありません。
 
 ましてこの部分については韓国は関係ないですしね。
 そもそもこの河野談話って韓国だけに向けた声明ではないんですよ。
 河野談話の中にも「その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる」とありますように、決して朝鮮出身者だけに謝罪したモノではないワケです。
 この部分からも、謝罪の部分について即時撤回はなかなか難しく、これはむしろ「第二次世界大戦の日本の関わり方」というとても大きく難しい命題に日本国民が正面から真摯に向き合ってこそ出せる結論なのです。
 
 さてここまで検証すると、では河野談話の何が問題なのかという部分について、ひとつの問題が目前に広がります。
 これ、コメント欄にも早々に書き込まれましたし、実はこの連載の前にやえも色んな人と簡単な議論をしてみたんですが、結局その答えはみんな一緒になりました。
 それは「従軍慰安婦」という言葉に対する、英訳などの外国語訳がどうなっているのか、というコトです。
 
 どうも英訳では「sex slave」という訳でこれが出回っているようなんですね。
 「sex slave」を直訳すると「性奴隷」です。
 これはひどいです。
 ですからもし外国人が「日本は昔、性奴隷を軍隊内で保有していた」と認識していれば、それは河野談話を検証するなんて言い出したら「歴史修正主義だ」なんて思うかもしれません。
 これは前提が全然違うから生まれる齟齬です。
 しかし河野談話の正文には「性奴隷」なんて単語が入る余地はないワケです。
 まして、おそらくですが、日本政府が認める公式の「河野談話外国語翻訳文」は存在しないと思われます。
 なぜなら、これは国際社会の常識なのですが、条約などの正式な公的文にはどの言語のモノが「正文」なのかをキッチリと認定するコトになっていて、例えば二国間の条約ならどちらか、もしくはその両方「のみ」を正文とすると定めるコトになっているからであり、つまり河野談話というモノは条約などではなくあくまで「日本政府の意思」である以上は、その正文は日本語のみであるとするのが普通の考え方だからです。
 となければ、誰かが慰安婦を勝手に「sex slave」なんて訳したんですね。
 それは誰なのでしょうか、かなり罪深いと言わざるを得ません。
 
 よってもし「従軍慰安婦」の問題をどうにかしようと思うのであれば、まずは「sex slave」という訳は不正確だと世界各国に知らしめるコトが第一でしょう。
 特に韓国以外に国に対してこれを説明するのが重要だと思われます。
 韓国には何言っても無駄でしょうからね。
 こんな記事にこんな記述があります。
 

 橋下氏の慰安婦発言、風俗発言に米政府は「割り込みたくない」のか
 
 これらの橋下氏の発言について、ロバートソン氏は、欧米諸国が「従軍慰安婦」を「sex slave(性の奴隷)」と、また、風俗を「sex industry(性産業)」であったり「prostitutes(売春婦)」と訳していることが、誤解を生んでいると指摘している。
 例えば、アメリカ国防総省内で運営されている新聞である星条旗新聞(STARS AND STRIPES)では、下記のように伝えている。
 
 (中略)
 
 確かにこの記事では、「風俗」を「prostitutes(売春婦)」と訳している。
ワシントン・ポストも現地時間15日の記事で、「Japanese Web users debate whether politician was right to call wartime sex slavery ‘necessary’(編集部訳:政治家による戦時中のsex slavery(性奴隷)は必要だったとする発言について、日本のネットユーザーたちが議論)」というタイトルで報じている。
 
 (中略)
 
 この、米国務省のサキ報道官の回答内容については、英語の原文が、国務省のホームページに出ているのだが、この報道官は、一言も、「sex slavery」や「prostitutes」という言葉は使わず、「comfort women」という言葉を使っている。
 にも関わらず、欧米では「sex slave」「sex industry」であったり「prostitutes」という言葉が使って訳されていたのである。

 
 橋下氏はどうでもいいんですが、つまり英訳でもそこまでネガティブではない言い方である「comfort women」などの言葉があるワケです。
 逆に言えば、そういう言葉があるというコトはそういう概念があるワケで、もっと言えば「sex slave」と「comfort women」ではその意味合いに明確な差が存在しているっていうコトを証明しているワケですね。
 ここです。
 いま日本が行うべきは、ここなのでしょう。
 この状況さえ変われば、理性的な議論ができない韓国はともかく、それ以外の国についてはここをキチンと説明するだけでだいぶ風向きが変わってくるだろうと思われるのです。
 
 しかしこういう議論ってほとんど表に出てきません。
 あるのは、河野談話をやり玉に挙げる論調ばかりです。
 だけど政府や河野談話を攻撃して、それで果たして本当の解決なんて訪れるのでしょうか。
 それは単に攻撃しやすい対象を攻撃してカタルシスを得ているだけなのではないのでしょうか。
 やえは強く疑問に思いますし、そう指摘しておきたいと思うのです。
 これは誰かを敵にしてそれを攻撃すれば済むお話なのではなく、先の大戦の評価も含めた日本が世界にどう見られているのかという大きな問題なのです。
 それは国民自身が変えていかなければならない問題なのではないのでしょうか。
 
 というところで、とりあえずは河野談話の検証はこれで一区切りというコトにいたします。
 もちろん何かあればまた書きますし、多分これからも色々話題になるでしょうから、それも追っていきたいと思います。
 もちろんコメントは大歓迎ですので、なにかご意見などありましたら是非書き込んでください。
 それで新たな議論になれば、やえも大歓迎ですので。