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都構想 Archive

都構想が反対多数となりましたが


 都構想については過去にかなり取り上げましたので、いまさら中身について触れようと思いません。
 特に主題となった「二重行政の解消」というモノに対しては、大阪市自身も認める「ちゃんと調べたら実際はそんなに無駄は無かった」という結論が出ているようなので、もはや語るべきコトもないでしょう。
 その上で、都構想への住民投票に対しては、やえは大阪に縁もゆかりもなく、住民だけのコトでしたので、それについては触れようとは思いませんでした。
 そして昨日、結果が出たワケですが、これももう結果は反対多数と出たのでそれについては語るコトはありません。
 ですから今日は、都構想そのもののお話ではなく、住民投票というモノについて、一言言っておこうと思います。
 
 住民投票、良くないですよ、これ。
 問題は2点あります。
 ひとつは、住民通しの感情的遺恨を残してしまう結果となったコト。
 もうひとつは、投票・選挙である以上、どうしても最後はワンフレーズ印象勝負になってしまうコト、です。
 
 投票・選挙になれば、どうしても感情が出てきます。
 これは人間ですから、もうどうしようもないコトです。
 人間が人間社会を運営する以上、そういう人間の感情を無視した運営なんてできるワケもなく、その失敗が共産主義だったのであり、つまり「論だけで考えられない方が悪いんだから、感情的遺恨なんて気にする方が間違い」と言ってしまうコトはできません。
 結局この住民投票、ハッキリと感情的に大阪市を二分したっていうのが一番残った結果であり、今後この対立の構図がどう政治に影響するのか、かなり憂慮が必要でしょう。
 
 やえは昔からよく言ってるのですが、民主政治でよりよい政治とは、選挙の結果に議席に比例した形で意思を反映させていくコトだと思っています。
 例えばとある法案に対して、仮に議席が自民6割・民主2割・維新2割であれば、その法案にはその割合分の各政党の主張を盛り込むような法案を作り、そして全てが賛成して法律を作るべきだと思うのです。
 案件によってはどうしても対立するようなモノ、予算案とかですね、そういうのはあるとは思いますが、全てがそうではないワケで、今回の都構想だってシステムの問題でしかない以上、そのシステムを構築した先に何を求めるのかっていうのが主題なのですから、もっとそれぞれ案を持ち寄ってそれぞれが納得できる形を模索するべきだったのではないでしょうか。
 むしろそれが政治家に課せられた使命なのであり、そしてそれを放棄するかの住民投票に打って出て、そして感情的断絶を招いたこの結果というのは、かなり断罪されるべき結果だったと言えるのではないかと思うのです。
 
 特に今回の住民投票、決して都構想の中身だけで判断されたモノではないでしょう。
 これは橋下氏自身の責任ですが、自らの進退をかけてしまったために、ますます有権者の感情論に火が付いた部分があります。
 そういう意味でも、ちょっとこの結果、感情論になりがちな選挙や投票というモノプラス、橋下氏の言動によってそれに油を注いだ形の住民投票は、結果がどうこう以上に、投票を行ったコト自体に大きなマイナスをもたらしたと言えてしまうのではないでしょうか。
 
 もう一点、「投票・選挙である以上、どうしても最後はワンフレーズ印象勝負になってしまう」という点ですが、これも選挙というモノの限界でしょう。
 おそらく選挙を戦った当事者達や、深く政治に興味がある人は、決してそんなコトは無かったと言うのでしょうけど、でもそれってどうしても少数派なんですよね。
 もちろん全ての人がキチンと案を理解した上で判断できる方がいいですし、そうあるべきだとやえも思っていますが、しかしその結論を得るための手段としての住民投票・選挙という手法は、下策も下策でしょう。
 最後は「票を得る」ためには「なんだってやる」になるんですから。
 
 これもやえがずっと言ってる自論ですが、政治に興味が無い人や、詳しいコトが分からないっていう人は、無理して政治に関わる必要はないと思っています。
 だって自分の生活があるんですから政治に専念するコトは難しいのは当たり前のお話で、だからこそ政治家には政治に専念して貰うためにお金などの環境を整えているワケです。
 しかし選挙や投票となれば、「よく分からない」という人も巻き込むコトができます。
 選挙の際には「よく分からないけど、立候補者が好みだから投票しよう」っていう人を排除するコトはできません。
 もちろんそれも「国民の意思」ですから排除しろとは今のところやえは言いませんが、しかしそうである以上、選挙の場ではそういう人をも取り込もうとする行為も、どうしても仕方ないコトになってしまいます。
 そしてその結果が「ワンフレーズ印象勝負」になってしまうワケです。
 
 「大阪市を無くしてもいいのか」「このままで大阪はダメになり続ける一方だ」「大阪市を守ろう」「都構想否定は大阪の将来をつぶすこと」
 
 このような中身の無い、でも耳には残りやすいワンフレーズが今回もかなり流されました。
 選挙・投票ですから、期限があります。
 期限があるというコトは、中身が理解しなくても賛否をハッキリさせなければならないコトになります。
 その結果、「とにかく印象が強かった方」に投票してしまうという人がたくさん出てきてしまうのです。
 
 ネット上でも選挙運動ができるようになってから、ますますこの傾向が強くなっている気がしてなりません。
 ツイッターなんかでは文字数が決まっているだけに、なおさらです。
 でもそれって果たして「政治」なのか、とても疑問です。
 それだけに、政策のひとつひとつを住民投票で決めるっていう手法は、最後は国民のためにならないのではないかと思うのです。
 

なんのための大阪市長選だったのか


 期待されている気がしないコトもないので、大阪市長選挙についてひとこと言っておきましょう。
 
 そもそものお話なんですが、誰も「橋下徹」という人間が大阪市長を務めているコト自体は誰も否定してないんですよ。
 政策などを批判している人はいっぱいいますが、橋下氏が市長であるコト自体は誰も否定していません。
 というか、否定出来ないですよね。
 だって、選挙自体はちゃんと法令に則って行っていて、それに基づいて当選して市長になっているのですから、それを否定するコトは誰にもできないからです。
 橋下氏が市長であるコトは別に構わないんですよ。
 
 ただ、結局今回の選挙はなんだったのか、という点が完全に不明瞭なのです。
 これが任期満了とか、橋下氏が立候補しないっていうなら分かりますよ。
 次の市長を決めなければならないワケですから。
 しかし自ら辞めて自ら立候補して果たして何がしたかったのかと、それにどんな意味があったのかと、選挙結果を見ても全く理解不能ですよね。
 投票率は、なんと過去最低の23.5%。
 完全に大阪市民もこの選挙の意味というモノを見いだせなかった結果、むしろ無意味だと切り捨てた結果としか言いようがない結果だったワケです。
 橋下市長自身も「信任を得たと堂々と言えない」と言わざるを得ない始末ですから、メチャクチャですよ。
 もしこの結果を受けて言えるコトがあるとすれば、橋下氏が「自分のやり方は間違っていた」と素直に認めて、都構想をスタート地点にやり直す、少なくとも選挙前の状態を正しいモノだと認めて、もう一度そこからやり直すっていうなら、この選挙の意味もあったというモノでしょう。
 橋下氏が本心から「信任を得たと堂々と言えない」と思っているのであれば、ではその選挙の結果は敗北という意味ですから、そうすべきでしょう。
 でも開き直るところは開き直るんですよね。
 さっきの記事にもありますように、結局「住民投票はやる」と橋下市長は言っているワケです。
 
 卑怯ですよね。
 たぶんこれが高投票率で胸を張って「市民の信任を得た」と言える状況なら「自分の言うコトを聞け」と言っていたと思われるワケで、それなのに事実上の敗北選挙を受けておいてもなお自分の主張通りに事を進めようとするんですから、だからその選挙とはなんだったのですかってお話なんですよね。
 勝っても負けても結果は一緒なんですから、結局は橋下氏が自分の思い通りにお話を進めようとしているだけなんですから、これはもう選挙を個人的に利用しただけに過ぎないのです。
 そう表現するしかありません。
 こんなコト許されるワケはないですよね、本来。
 
 橋下氏はもしかしたら「他の党が候補者を立てないから悪い」と言うのかもしれませんが、しかし立候補しない自由だってあるワケで、その結果としてこの数字なのですから、ましてその選挙が行われたのは100%橋下氏「だけ」のせいなのですから、どんな選挙戦が行われようともどんな結果になろうとも、それを全て受け止めてとるべき責任はとるのが、今回の選挙を始めた人間の義務でしょう。
 誰々がこうこうしなかったらか自分は責任を取らなくていい、と言ってしまうのは、あまりにも無責任ですよ。
 繰り返しますが、「しなくていい選挙」「する必要が一切ない選挙」を無理矢理行ったのは、誰でも無い橋下氏自身「だけ」の責任なのですから。
 
 いまの橋下氏は、自らの責任を顧みようとせず、無責任に見苦しい言い訳に終始して、ガキのように駄々をこねているだけです。
 いま橋下氏がやるべきコトは、辞任しろまでは言いませんが、最低でも選挙前の段階の都構想に戻すコトです。
 すなわち、区割りの話し合いが不発に終わった、議会にそっぽを向かれたままの形で、都構想をこれからもやるっていうなら、その形で進めるってコトです。
 なぜなら今回の選挙は、その選挙前の形を否定するような結果にはなっていないからです。
 今回の選挙は橋下氏の行動についてなんら正当化の理由にはなりません。
 橋下氏はいつになったら自分は裸だと気づくのでしょうかね。
 

問題を敢えてごちゃ混ぜにして強引に自論に引きずり込もうとする卑怯者


 未だにこの問題を理論的に理解できていない人がいるようですし、なにより橋下市長自身(あ、もう市長じゃないんでしたっけ)がおそらく理解しているけど敢えて問題をごちゃまぜにして煙に巻いて正当性を訴えるという卑怯な論法を使っているので、繰り返しこの問題を述べておきましょう。
 まぁ橋下氏が本気で理解していない可能性もありますけどね。
 その場合、もう救いようがないですが。
 
 橋下氏自身やその支援者は、いろいろな問題を全て適当にごちゃまぜにして、「ごちゃごちゃ言うなら選挙で決着を付けよう」という主張でこの問題を切り抜けようとしています。
 しかしこんなモノは、理論も理屈も知性もあったもんじゃありません。
 だってこれ、結局「勝った」か「負けた」だけで全てが決まるという、法律も民主主義も三権分立も全て無視して「勝てば官軍、すべてのコトを好きに出来る」と言っているだけに過ぎない、前時代的な本当に野蛮な理屈でしかないからです。
 確か橋下氏って弁護士でしたよね?
 まさか橋下氏は本気で、弁護士であるハズの知識を持ちながら、選挙にさえ勝てば立法も行政も司法も全て超えられるとでも思っているのでしょうか。
 もし本気でそう思っているのでしたら、よくもまぁいままで裁判できてましたねぇと逆に感心する勢いです。
 
 この問題は「勝てばいい」「落とせばいい」「選挙で白黒つければいい」という次元の問題ではないのです。
 なぜなら、例えば「行政官としては橋下氏の手腕は認める」のと「都構想には反対」は両立するからです。
 市長選挙というモノは行政官としての橋下氏の手腕に対する選挙であり、一方都構想への是非に対する選挙は議会選挙になるからです。
 都構想の是非は最終的には議会に決定権がある話なんですからね。
 いくら市長選挙を行ったところで、市長が誰になったからといって、議会に決定権がある以上、それは別次元の選挙でしかないのです。
 
 市長選挙は、市長の権限を誰に行使させるかを決める選挙です。
 決して「当選者の自由に条例を作る権利を与える選挙」ではありません。
 ここを勘違いしている人が多いんですよ。
 多分橋下氏自身もそうです。
 市長に当選したから自分が掲げるような条例を好き勝手出来る、と思っているのでしょうけど、現実は「法令がすでに定めている範囲内での市長の権限を行使できる権利」だけを市長選挙である市長に与えているだけなのです。
 ここをよくよく理解してください。
 市長には条例を定める権限はありません。
 市長選挙は、三権全てを含めた主張の是非に対する住民投票の場ではありません。
 市長権を超えた範囲まで公約に掲げるのは自由ですが、しかしそれはあくまでその候補者が勝手に言っているだけのコトであって、それを法的に担保するモノではありません。
 あくまで勝手に言ったコトだけであって、市長権を超える権限の行使は市長にはできませんし、もちろん議会の権のあるコトまでを市長が自由にできるワケでもないのです。
 ここを誤解している人が多いですね。
 
 おそらくこれは、国政と地方政治とでは政治のシステム自体が違うコトを理解していないところからきているモノだと思われます。
 つまり、国政の議院内閣制と、地方の疑似大統領制との違いです。
 議院内閣制は、立法府である議会と行政府である政府との距離がかなり近い制度です。
 総理大臣は国民から直接選挙で選ばれないコトにより、立法府に対する選挙で勝つコト=行政府を司るコトという図式が成り立ちますので、「立法府選挙≒行政府選挙」という図式になるワケですね。
 ですから、ある意味国会議員選挙は立法も含めた政策を訴えるコトも有効なワケであり、またその主張にも実効性が持てるのです。 
 その分行政権は大統領制よりもかなり権力の分散が図られていて、その辺でバランスがとれているワケですね。
 
 しかし地方政治は議院内閣制ではありません。
 議会と首長がハッキリと別モノの、それぞれが直接住民の選挙によって選ばれる、大統領制型の政治形態です。
 よってその選挙も、行政官に対する選挙と、立法官に対する選挙と、完全に分けられます。
 国会議員は立法官であると同時に行政官になるコトもあり得ます(大臣・副大臣・政務官)が、地方はそれはありません。
 首長で当選すれば任期中はずっと行政官であり、議員で当選すれば任期中はずっと立法官です。
 さきほど市長には条例を定める権限はないと言いましたが、しかし国会議員には法律を定める権限はもちろんあるワケですし、そして総理大臣は同時に必ず国会議員であるワケで、ここが国と地方の仕組みの違いなんですね。
 市長は市議会議員ではなく、この両者の立場は明確に別なのです。
 国政と地方政治は、このようにシステムの上からして全く違う制度を採っているのです。
 
 たまに今回のコトで「総理大臣と違い、市長には自発的な議会の解散権がないから(不信任案が可決したら議会の解散はできる)仕方なく自らが辞任したんだ」と説明する人もいるようですが、これはこの議院内閣制と大統領制とをごっちゃにしてしまっているのでしょう。
 議院内閣制の場合は立法府と行政府の関係が近く、総理大臣は議会から選出されるコトになっているので、そのカウンターとしての解散権を持っているんですね。
 しかし地方政治は、首長と議会議員は全く別の選挙で決められているので、それぞれが完全に独立した存在である以上、今回のように「議会が気に入らないから解散」なんて理屈で解散できないようにしているのです。
 それぞれどちらとも直接住民に選ばれているのですから、その意思を無視するコトはできないのです。
 また国政も地方も議会には首長の否定権を与えられていますが、これは議会という複数人数によって構成するより多様性のある権力=民主主義の理想に近い権力のあり方をしているので、一人しかいない首長=民主主義としては注意しなければならない権力者を監視する役目として、その否定権を与えられているのです。
 しかも議会からの不信任案の可決は、即座の首長の辞任を意味するモノではなく、不信任を突きつけられた本人が議会の解散も選択できるコトになっており、ここでも議会と行政とのバランスを取っているワケです。
 これが三権分立であり民主主義の仕組みなのです。
 
 ここの違いを理解していない人が少なくないワケです。
 国会議員を選ぶ場合、それは「この人へ総理大臣としての資格を与える」という意味合いも含まれるワケですが、地方議会選挙にはそれがあり得ません。
 市議町議村議区議はその任期中、絶対に市長町長村長区長にはなれないのです。
 市長町長村長区長は、市長町長村長区長を選ぶための選挙が別途必要なのです。
 よってその選挙も、それぞれ意味合いが異なって当然なのです。
 
 市長も市議会議員も、どちらも等しく民意の結果なのです。
 ですから、何度も言いますが、都構想の決定権は議会にあるモノであり、その是非を問うには議会の選挙によってのみ行われるのです。
 なぜなら、地方政治はそのように憲法法律によって、民主主義によって、定められているからです。
 
 ここをごちゃまぜにして、「とにかく選挙に勝った方が正義だ」と言ってしまうのは、もはや民主主義の否定としか言いようがないでしょう。
 卑怯者の発想です。
 橋下氏はそれを地で行こうとしていると言わざるを得ないのです。
 

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