都構想が反対多数となりましたが

2015年5月26日

 都構想については過去にかなり取り上げましたので、いまさら中身について触れようと思いません。
 特に主題となった「二重行政の解消」というモノに対しては、大阪市自身も認める「ちゃんと調べたら実際はそんなに無駄は無かった」という結論が出ているようなので、もはや語るべきコトもないでしょう。
 その上で、都構想への住民投票に対しては、やえは大阪に縁もゆかりもなく、住民だけのコトでしたので、それについては触れようとは思いませんでした。
 そして昨日、結果が出たワケですが、これももう結果は反対多数と出たのでそれについては語るコトはありません。
 ですから今日は、都構想そのもののお話ではなく、住民投票というモノについて、一言言っておこうと思います。
 
 住民投票、良くないですよ、これ。
 問題は2点あります。
 ひとつは、住民通しの感情的遺恨を残してしまう結果となったコト。
 もうひとつは、投票・選挙である以上、どうしても最後はワンフレーズ印象勝負になってしまうコト、です。
 
 投票・選挙になれば、どうしても感情が出てきます。
 これは人間ですから、もうどうしようもないコトです。
 人間が人間社会を運営する以上、そういう人間の感情を無視した運営なんてできるワケもなく、その失敗が共産主義だったのであり、つまり「論だけで考えられない方が悪いんだから、感情的遺恨なんて気にする方が間違い」と言ってしまうコトはできません。
 結局この住民投票、ハッキリと感情的に大阪市を二分したっていうのが一番残った結果であり、今後この対立の構図がどう政治に影響するのか、かなり憂慮が必要でしょう。
 
 やえは昔からよく言ってるのですが、民主政治でよりよい政治とは、選挙の結果に議席に比例した形で意思を反映させていくコトだと思っています。
 例えばとある法案に対して、仮に議席が自民6割・民主2割・維新2割であれば、その法案にはその割合分の各政党の主張を盛り込むような法案を作り、そして全てが賛成して法律を作るべきだと思うのです。
 案件によってはどうしても対立するようなモノ、予算案とかですね、そういうのはあるとは思いますが、全てがそうではないワケで、今回の都構想だってシステムの問題でしかない以上、そのシステムを構築した先に何を求めるのかっていうのが主題なのですから、もっとそれぞれ案を持ち寄ってそれぞれが納得できる形を模索するべきだったのではないでしょうか。
 むしろそれが政治家に課せられた使命なのであり、そしてそれを放棄するかの住民投票に打って出て、そして感情的断絶を招いたこの結果というのは、かなり断罪されるべき結果だったと言えるのではないかと思うのです。
 
 特に今回の住民投票、決して都構想の中身だけで判断されたモノではないでしょう。
 これは橋下氏自身の責任ですが、自らの進退をかけてしまったために、ますます有権者の感情論に火が付いた部分があります。
 そういう意味でも、ちょっとこの結果、感情論になりがちな選挙や投票というモノプラス、橋下氏の言動によってそれに油を注いだ形の住民投票は、結果がどうこう以上に、投票を行ったコト自体に大きなマイナスをもたらしたと言えてしまうのではないでしょうか。
 
 もう一点、「投票・選挙である以上、どうしても最後はワンフレーズ印象勝負になってしまう」という点ですが、これも選挙というモノの限界でしょう。
 おそらく選挙を戦った当事者達や、深く政治に興味がある人は、決してそんなコトは無かったと言うのでしょうけど、でもそれってどうしても少数派なんですよね。
 もちろん全ての人がキチンと案を理解した上で判断できる方がいいですし、そうあるべきだとやえも思っていますが、しかしその結論を得るための手段としての住民投票・選挙という手法は、下策も下策でしょう。
 最後は「票を得る」ためには「なんだってやる」になるんですから。
 
 これもやえがずっと言ってる自論ですが、政治に興味が無い人や、詳しいコトが分からないっていう人は、無理して政治に関わる必要はないと思っています。
 だって自分の生活があるんですから政治に専念するコトは難しいのは当たり前のお話で、だからこそ政治家には政治に専念して貰うためにお金などの環境を整えているワケです。
 しかし選挙や投票となれば、「よく分からない」という人も巻き込むコトができます。
 選挙の際には「よく分からないけど、立候補者が好みだから投票しよう」っていう人を排除するコトはできません。
 もちろんそれも「国民の意思」ですから排除しろとは今のところやえは言いませんが、しかしそうである以上、選挙の場ではそういう人をも取り込もうとする行為も、どうしても仕方ないコトになってしまいます。
 そしてその結果が「ワンフレーズ印象勝負」になってしまうワケです。
 
 「大阪市を無くしてもいいのか」「このままで大阪はダメになり続ける一方だ」「大阪市を守ろう」「都構想否定は大阪の将来をつぶすこと」
 
 このような中身の無い、でも耳には残りやすいワンフレーズが今回もかなり流されました。
 選挙・投票ですから、期限があります。
 期限があるというコトは、中身が理解しなくても賛否をハッキリさせなければならないコトになります。
 その結果、「とにかく印象が強かった方」に投票してしまうという人がたくさん出てきてしまうのです。
 
 ネット上でも選挙運動ができるようになってから、ますますこの傾向が強くなっている気がしてなりません。
 ツイッターなんかでは文字数が決まっているだけに、なおさらです。
 でもそれって果たして「政治」なのか、とても疑問です。
 それだけに、政策のひとつひとつを住民投票で決めるっていう手法は、最後は国民のためにならないのではないかと思うのです。