何のタメに地方分権するかをもう一度考えてみよう
地方分権については何度かやえも言及しているのですが、正直言いまして、今までやえはまともな地方分権論を一度も聞いたコトがありません。
地方の首長からも地方議員からも政治家や有識者からも、まともだと思える地方分権論を聞いたコトが無いのです。
実際のところ、特に地方首長や議員の地方政治家の地方分権論は、結局のところ「自分に権力をよこせ」としか言っていないんですね。
まず大前提として、なんのための地方分権をするのかという部分をキチンと考えて定義しなければなりません。
いま巷で有象無象として流されている地方分権論は、しかしこのそもそもの大前提である定義が全く成されていません。
なんのための地方分権をするのか、まずはここを考えなければ地方分権論なんて語れないハズなのですが、なぜかここがキチッと語られるコトは少ないんですね。
ではなんのための地方分権なのか、ちょっと考えてみてください。
それは「地域住民に密着した、地域住民の意志がダイレクトに反映される政治の実現」のタメですよね。
「地域住民が望む政治がそのまま立法や行政に結びつくような政治体制を作るコト」が地方分権の理念ですよね。
決して国の力を弱くするコトや、国会議員以外の人に権力を委譲するコトそのものが目的ではありません。
あくまで「地域住民の意思がダイレクトに反映される政治体制の確立」こそが目的のハズです。
そう考えれば、いま色々な人が提唱している地方分権論が、ちょっとおかしいコトに気付きます。
本来の地方分権の理念で言えば、最も良い政治体制のあり方というのは「小さい行政区分に大きな権限を与える」というモノです。
地域樹民の声をダイレクトに聞くタメには行政区分は小さくする必要がありますし、それをすぐに反映させるためには大きな権限を持っておく必要があります。
例えばいまの日本の体制を例にして具体的に言うと、都道府県や政令指定都市並みの権限を、町村区ぐらいの大きさの地方議会と地方行政に与えるのが、最も地域住民の意思が政治にダイレクトに反映させるコトになるでしょう。
さらに言えば国の権限も地方にもっと与えるべきだと言われていますから、現在の都道府県以上の権限を地方の小さな行政区分に与えるべきだというコトになります。
どうですかね、10万人ぐらい…いえ、10万人の都市ってまだ大きめですよね、1~3万人ぐらいの行政区分を再構築した上で、都道府県以上の権限をそこに与えるっていうのが、本来の意味から言える地方分権の本当の姿だと言えるのではないでしょうか。
となれば、やっぱりいま言われているような地方分権論はおかしいワケです。
例えば東京都にもっと権限を与えろと言っている方もいらっしゃいますが、東京都は人口が多すぎます。
東京都の人口は1300万人ですから、下手な国家よりも人口は全然多いワケです。
ですから、これぐらいの規模になってしまえばいくら東京都にもっと大きな権限を与えたとしても「地域住民に密着した政治」にはなりはしないでしょう。
それこそ他の国の国政をやっている感じにしかならないというのが実際のところだと思われます。
例えば大阪府を都にしてもっと権限をよこせ、区を選挙のある行政区分にしろと言っている方もいらっしゃいますが、これこそ地方分権の理念からは真っ向から相反する主張としか言いようがありません。
行政区分を小さくするのはいいんですが、しかし現在の都下における区は、他の市町村よりも権限が小さいワケです。
その上「都」にすると、政令指定都市が消えますからその分「都」の権限が強くなり、つまり構図としてはもちろん東京都と同じコトになりますから、現在の府に今以上の権限を集めようというコトにしかならず、それはやっぱり巨大な人口を抱える“国家”が誕生するだけなんですね。
まったくもって「地域住民に密着した政治」からはかけ離れた方向にしかなっていません。
本来であるなら「地域住民に密着した政治」を実現するタメの地方分権であれば、「行政区分を全て小さな区にした上で、府や都の権限をほとんど無くして区に委譲する」と言わなければならないハズなのです。
でもそんなコト言う人いませんよね。
むしろ逆に、なぜか都や府などの都道府県単位の権限を今以上に強くしろ、もしくは都道府県よりさらに大きな行政区分を作って、つまり道州制ですね、こうやった上で権限を強くしろと言っている人ばかりです。
やえは全然理解が出来ません。
これのどこが「地域住民に密着した政治」なのですか?
行政区分を大きくすればするだけ「地域住民に密着した政治」からは遠ざかります。
地方分権って一体何なのでしょうか。
やえが、本当の地方分権とは藩政だとよく言っています。
基本的に地方の政治は藩単位で行われ、そこのトップ、つまり大名ですね、によって全然違う政策が行われていますし、直接幕府がそれに口を出すコトはありません。
そして藩は人口的に今の都道府県よりも小さい単位で区切れていました。
その上で国としての方針は幕府が行っていましたし、あまりにも大名が好き勝手できないように、大名は幕府の臣下というコトになっていますし、それだけ大名に対して幕府は強い権限を、それこそお家取りつぶしが出来るぐらいの強力な権限を幕府は大名には持っていたのです。
住民に対しては幕府(国)は直轄地は除いて直接は関わらないようにしつつ、住民を直接統治する藩と大名には強力な権限と参勤交代などの重い義務を課して監視をしていた、というバランスを取っていたのが藩政です。
なかなかよく出来た地方分権と、その地方分権の理念も合わせて言えるのではないでしょうか。
まぁ時代が違いますから藩政はともかくとしても、地方分権って本来はこうであるハズです。
最初にも言いましたように、決して国の権限を引っぺがすコトが目的ではありませんし、現在の地方政治家が権力を得るタメの方便でもありません。
やえはもともと地方分権には懐疑的なので一度も地方分権しろとは言ったコトはないのですが、少なくとも地方分権の理念である「地域住民に密着した政治」を考えるのであれば、いま巷で言われているような地方分権論は、本来の理念とは全く別方向に進んでいるとしか言いようがないのです。
現在の状況というのは、本来の目的である理念を置いてけぼりにしたままに、手段だけが語られているような状況です。
もしかしたら人によっては外に出せない目的があって意図的に手段だけを語っているのかもしれませんが、どちらにしても半ば手段が目的化しかねない現状の地方分権議論は歪んでしまっているというコトは確実に言えるでしょう。
「なんのための地方分権か」というコトをもう一度考えてみてほしいと思います。
ディスカッション
コメント一覧
そもそも辞書で調べる限り、地域と地方は規模が違うので、同じように語られているのに違和感があるのですがね。
権限についてですが、権限と言っても色々ありますからね。都道府県単位や市町村単位でも決められる権限をどんどん下に降ろしてくれというのことですよね。
上の人が書いてる財源の件ですが、そもそも江戸時代は藩から税を徴収しておらず、自身の藩で全て運営していたから、今とは状況は違うと思いますが。財政援助ではなくて、地域で徴収した金を国がその地域に使うのではなく、自分たちで使わせろというのが論理だと思います。
そう言えば、地方分権のデメリットってなんだろ?
あまり語られないよね。
おはろーございます。
さすが信者と自称するだけあって信者らしい書き方がほほえましいのですが、全然具体性がなく反論になっていないコトに気づいてます?
「大阪では全て論破されているコト」って言われても、それで?としか言いようがないのですが。
>「大きな権限」って何?大きな権限って国防や外交も含んじゃうの?
っていうのも変な書き方ですね。
なんでそんな飛躍しちゃうんですか?
現在のシステムでさえ、特別区・市町村・政令市・都道府県・国っていうレベルで権限の大小が区別できるワケで、その中で「地域住民に密着した政治」とは何かというところを考えるタメの今回の更新です。
ちゃんと理解していただきたいのは、やえは「地域住民に密着した政治」とはどういう形なのかというコトを言っているのです。
アナタの書き方というのは、まず地方分権というモノが先に来ていて、それがまず正義で、そこにパーツを当てはめようとしているだけです。
まさに今ちまたに溢れている地方分権論と全く同じ、さすが信者さんと言うしかないのですが、やえはそのそもそもの考え方がおかしいと言っているのです。
先にあるべきは地方分権という枠組みではなくて、「地域住民に密着した政治」のタメにはどうあるべきなのかというコトを言っているのです。
ですから局地的なモノを切り出してここに書いても無意味ですよ。
やえの今回の文章には
>国防や外交は「大きい権限」だからなのではなく、小さい行政区分でやるようなコトではないから国で担う。
に相反するような内容は載っていません。
なんでこんな言葉が出てくるのか不思議でなりません。
結局反論のための反論にしかなっていません。
橋下市長が何を言っているかなんてどうでもいいんです。
そんなのは今回問題にしていません。
地方分権とは何かです。
地方分権とは「地域住民に密着した政治」でしょと。
アナタは地方分権が目的になっていますが、それは違うでしょと、地方分権はあくまで手段であって、目的は「地域住民に密着した政治」でしょというのが今回の更新の趣旨です。
「小さい行政区分に大きな権限を与える」と言って時点でアウト。「大きな権限」って何?大きな権限って国防や外交も含んじゃうの?
権限に対して大きい小さいの視点で見る発想から改めないと。そういう見方しかできないから、地方分権は無意味という結論になるのは、ある意味当然。
役割分担という視点で考えないとアウト。国防や外交は「大きい権限」だからなのではなく、小さい行政区分でやるようなコトではないから国で担う。原発の事故が発生した時の避難計画なんてのは、小さい行政区分で考えても、事故自体が小さい行政区分を超える。かといって国全体でやると地域の事情の反映が難しいから道州という考え。小学校の運営なんかは、それこそ国や道州が大枠のルール(流石に、小学生の定義がバラバラだったら混乱するだろうとか)は決めるにしても、教員選びからカリキュラムから小さな行政区が主体になって良いだろうという話。
「藩政」が理想の地方分権って、「藩政」は分権ではなく、国の分割。ブログ主の理想を会社経営に喩えれば、大きな会社は分社して持ち株会社の元で統括するのが理想だと言っており、事業部ごとの収支責任による分権は意味がないと言っているコトになる。
北海道と東京と沖縄に拠点を持つ会社があったとすれば、個々の地域の気候や風習に合わせた規則を拠点に分権するのは中途半端で、北海道の会社、東京の会社、沖縄の会社に分割して、社長を配置して別個の会社として独立経営させるのが理想と言っている。そういう主張をしていると自覚しているのだろうか?
大阪都構想の批判っぽいこともグジャグジャ書いているが、実際の都構想を勉強もせず、自分の頭の中の妄想で問題点を羅列しているのが明らか。ブログ主の書いているようなことは、大阪では全て論破されているコト。
勿論、大阪都にすればバラ色の未来が待っているわけではない。分権をしたところで、そこの住民が適切に投票行動を起こさなければ、無能な公選職の数が増えるうだけかもしれないとか、光と影よろしく問題はある。しかし、ブログ主の指摘する問題は、的外れな問題指摘ばかり。
少しは自分の凝り固まった思い込みを、すこし突き放して疑ってみては? まっ、余計な御世話なんでしょうけど。
「もともと地方分権には懐疑的な」方が、「何のための地方分権か」をいくら考えたところで、出てくる結論が懐疑的になるのは火を見るより明らかだと思います。
いわゆる「三百諸侯」の江戸時代が地方分権の本来あるべき姿であるとの事ですが、過去に政治モデルを求める事自体はとても結構な事だと思います。
ただ、江戸時代と現在の日本国における国の統治機構が封建制と議会民主主義制という共に相容れない思想から出発しているだけに、単純に「昔はよかった」式の思考法では現在の問題の解決になるとは思えません。
「地域住民に密着した政治」とともに地方分権で大事な事は、
現在国が一手に握っている権力(お金)を地方それぞれに下ろしていく事だと思います。
国が全てを決める方式でも、それはそれでいいと思います。ただ、その弊害も十分考慮する必要があるのではないかと思います。
一つの象徴的な例として、被災地復興の法案があるのではないでしょうか。被災地の方というのは、一刻も早く自分達の街を元の住めるような街にして欲しいと心から思ってらっしゃると思いますし、被災しなかった全ての日本人がその思いを尊重すべきだと思います。
それなのに復興支援庁は東京にあって、もし国会がストップすれば審議もストップでは、復興できるものもできません。
ある程度のお金と権限を地方に渡す。その範囲で地方は独自の政策を取る。いちいち国にお伺いを立てない。
これが現在の日本国における地方分権の姿であると思います。
「権限を地方によこせ」という事が、そんなにダメな事なんでしょうか。
実際に自らがあずかる地域の政策を決定するのに、なぜ1から100まで国の許可が必要なんでしょうか。
そういう事をいう政治家が、自らの私利私欲で言っているのか、そうでないのかはきちっと見分けないといけないと思いますが、
代表的な橋本氏の言動をみると、彼が自分の私腹を肥やしたいが為に行動しているとはとても言えないと思います。
今の時勢では、財源無き地方分権はスペインのような地方財政破綻を意味するでしょうね。
かと言って財源を分けると地方の区分を跨る問題(道路・上下水道・ガス)などの解決は予算負担を巡る対立から後回しが容易に想像できます。
さて、住民の意見要望が通りやすくなる傍らで、行政の執行難度の上昇を踏まえると最終的に【住民の要望実現】が早いのはどちらになるのか、そこまで議論されているのか気になります。
江戸時代の藩には幕府からの財政援助は無かったはずです。それなのに地方分権を言う自治体の長は財源をもっとよこせと言っているように聞こえます。消費税を地方に全部よこせとか。私には、本気で地方分権する気がなくて政府に甘えているような気がしてなりません。