権限集中はむしろ「決められない政治」を強めるだけ

 なんか思ったより話題になってないのですが、これの危険性がいまいち分かりづらいのでしょうか。
 それとも今はまだ正式には政党ではないので、これを取り扱うほどの話題性はないというコトなのでしょうか。
 でも国会議員は事実上5人以上いる状態なのですけどねぇ。
 

 維新、橋下代表に「拒否権」付与…権限強化へ
 
 地域政党・大阪維新の会(代表・橋下徹大阪市長)が近く結成する新党「日本維新の会」の規約案に、党の重要事項の議決に関し、「出席者のうち代表を含む過半数」を必要とする規定を盛り込むことが21日、明らかになった。
 代表に事実上の拒否権を与え、権限を強化する狙いがある。

 
 次の衆議院選挙に出るかどうかはともかく、事実上政党化が決まっている維新の会のお話です。
 まぁ衆議院議員が何人かいるようですから少なくともその人達は選挙に出るのでしょうから、維新の会として選挙に出るっていうのはほぼ確定だと思いますから、あまり軽く扱うのもどうかと思う案件です。
 それだけに、これはいまの政治、民主党政権政治との対比としてもちょっと考えてもらいたいコトです。
 
 記事元でも強調しているように、「代表を含む過半数」です。
 代表は必要不可欠なワケです。
 ですから、代表がNOと言えば、仮に代表以外の全員がYESと言っても否決されてしまうというシステムです。
 これはとてもとても危険なシステムです。
 
 独裁になるからではありません。
 問題は2つあります。
 1つは、これは橋下市長本人の身分の問題でもあって、橋下市長が国会議員になれば問題はなくなるのですが、そうですね、一地方自治体の市長の身分のままで国政に関わる決定権を持つというコトは、現場の苦労や責任を負わないままに決定権だけあるという最悪の院政の形になるという問題です。
 院政批判については過去にも何度も取り扱っていますから詳しくは言いませんが、まずもって国政の政党に国会議員以外の人間が幹部に就けるという時点でおかしいのです。
 誰が国政の責任をとるのですかという民主主義の根源的な問題になるワケですからね。
 国会議員と国民とは直接の選挙で繋がるコトによって民主主義という制度を担保しているのにも関わらず、この維新の会のシステムでは国政政党のトップが国政選挙では国民と繋がっていないのです。
 直接国民からの審判を受けず責任を取らない場所で強権だけ使う。
 これは最悪の院政であって、本来許してはならないコトのハズです。
 とりあえず本来はこの時点だけで論外です。
 
 もう1点は、トップに権限を集中させてもそれはむしろ「決められない政治」を強めてしまうコトにしかならないという点です。
 多分多くの人は、決められない政治からの脱却、速やかに決定出来る政治を実現するタメにはトップの権限を強くする方が望ましいと思っているかもしれませんが、実はそれは逆です。
 民主党を見れば分かります。
 
 民主党のシステムというのは体制としてはキチッと出来ていなくて、一部の幹部に強大な権限があるだけ、というか、各部署の権限がキチンとシステム化されていないから結局「肩書きがある人」の発言が優先させられてしまうという政党です。
 システムがキチンと出来ていれば、例えばいくら政調会長と言えども「それを覆す権限は政調会長にはない」と言えますが、民主党はそういうのがありませんから「えらい人が言えば決定」になってしまうワケですね。
 これがどういう弊害を起こしているのかと言えば、平場での議論や、対外交渉を一瞬で無に帰すという部分です。
 
 これは主に自民党との議論の中で多く見られたコトです。
 国会中何度か聞いたコトありませんか?
 「民主党は昨日言っていたコトと、今日言うコトが180度違う」と。
 ではなぜこのようなコトが起きるのかと言えば、民主党の現場の人間が苦労して自民党と折衝した結果を交渉会議の後に党に持って帰ると、その議論の中身を知らない幹部の人間が結果だけを見てこれを却下したりするんですね。
 頭ごなしに「そんな結果認められるワケないだろ」って言うワケです。
 そして民主党の現場の人間はそれに逆らうコトができず、よって次の日に自民党にそのままを伝えると、だから現場に裁量権を多く与えている自民党から見れば、「おいおい、昨日の議論はなんだったんだ」ってなってしまうワケです。
 
 現場の人間が何度もこういうコトをしてしまうと最後は「自分には決定権があるから話は聞きますがそれだけです」と交渉の場で言うしかなくなるか、「決定権を持つ上が直接交渉する」しかなくなります。
 前者はデタラメにも程がありますし、後者は出来ればそれでいいですが、人間には限界がありますから、全ての面でそんなコトは出来ません。
 こうやって「決められない政治」が完成するワケです。 
 これが「決められない政治」なのです。
 
 政治とは言いますが、これ、民間でも同じですよ。
 会社同士で契約交渉する場合、せっかく営業の人同士で話をまとめたのに、それを会社に持ち帰ったら上役の人が「そんなのダメだ。破棄してこい」って言ってきたら、それはもう会社の信用問題に関わりますよね。
 そして民主党は党ぐるみでそんなコトを何度も何度も繰り返しているワケで、対自民党だけでなく全ての面でこれをするワケで、だから民主党は「決められない政治」となって信用問題になっているのです。
 
 中途半端にトップに独裁権を与えるというのは、こういうコトを言うのです。
 現場の人間の判断や、下から上がってきた議論を全て無にして、結果的に何も決められない政治が完成するのです。
 もしトップの判断だけです政策が進むのであればまだマシなのかもしれませんが、政治はそんな甘いモノではありません。
 だって選挙で衆参同時に過半数をとっていたとしても、しかし必ず別の政党は存在するワケですし、なによりそれはその数の比例分は国民の別の意志があるというコトなのです。
 選挙の結果だから少数意見は全て切り捨てていいというコトには絶対になりません。
 現場の意見を無視するというのは、民主主義政治においてはとっても危険なコトなのです。
 
 まして国政というモノは、「世の中のありとあらゆるモノを決める場」です。
 民間はそうではありません。
 例え総合商社であっても、領土問題や外交問題なんて取り扱いませんし、宗教問題とか犯罪問題とか食品の安全問題とか宇宙開発問題とか、一部に関わっている場合はあっても、これらの全ての決定権を持っている民間団体なんてありはしません。
 国政とは「世の中のありとあらゆる出来事を決める場」であるからこそ、やはり一人の人間としては全てを賄うには限界があるのです。
 どこかで分業しなければ不可能なのです。
 それなのに橋下市長は、下から積み上げてきたモノを一人だけの判断で拒否する権限を得ようとしていますし、ましてそれを市長という仕事をしたままでこなそうとしています。
 国政の現場を知らないままに最高責任者となって拒否権を持ち、同時に市長の仕事をすると。
 ましてそれは、国政に対する責任すら負わないという意味です。
 ムチャクチャです。
 理屈も何もあったもんじゃありません。
 
 もし本当に本気で独裁したいのであれば、文字通り完全に独裁しないとダメです。
 完全トップダウンにしないとダメです。
 トップの人間の決定には、議論を行う余地すらない程の独裁にしなければ、むしろ混乱するだけです。
 他と交渉するにしても、まずトップが「ここまでは引いて良いが、これだけは死守しろ。だめなら合意するな」と指示を与えた上で交渉係が交渉するという形です。
 もしくは裁量権を与えるのであれば、そこでの決定には例え上役でも覆せないとするかです。
 そもそも民主主義制というのは、政治家と官僚は別の存在である二重システムですから、完全トップダウンするのであれば根本的にここから見直さなければなりません。
 つまり政治家ではなく官僚制を廃止するか、選挙による代表者が必ず官僚の上に来るという民主主義制の二重構造を無くすかです。
 そうせずしてどっち付かず的に、党決定には合議制の会議での議決が必要だけど代表には否決権がある、しかもその代表は現場を知らない非国会議員でもOKというのは、最悪のグダグダなシステムと言わざるを得ないのです。
 
 政党は公的機関ではありませんが、国政に直結するコトは言うまでもありません。
 ですから、一政党の内部のあり方の話なんだから好きにすればいいじゃないかっていう意見があったとしても、やえは「それは違法だ」とは言いません、それは違いますからそうは言いませんが、でも「国政を国政としてまともに運営する気が無い政党」「民主主義政治をやるつもりがない政党」と判断せざるを得ないので、そういう意味で批判しているのです。
 まして院政ですからね。
 この2つの点からこのニュースはとんでもないお話なのです。