民主主義は国民の選挙によって国会議員を決める制度
どんどん言動がおかしくなってきている大阪の橋下市長が、またこんなコトを言い出しました。
橋下氏、維新合流の松浪議員をけん制
日本維新の会代表の橋下徹市長は1日、同党に合流した松浪健太衆院議員が自らのブログに「国政における決定は(国会)議員団ですべきことを橋下代表も認めた」などと書き込んだことについて、「党の大きな方針や戦略は僕が方針を出す」とクギを刺した。
松浪氏はブログで、9月29日に大阪市内で開催された維新の公開討論会を振り返り、「言うべきことは忌(き)憚(たん)なく言わせてもらう」と宣言。橋下氏による島根県・竹島の「日韓共同管理」発言に対し「随分と批判があった。外交・安全保障はまず、国会議員団で議論すべきだ」と書き込んだ。
一方、橋下氏は記者団に対し、「国会議員団の大きな方針や戦略で有権者のみなさんが本当についてきてくれるということであれば、日本維新に所属せず、自らの戦略でやればいい」と突き放し、「大きな方針や戦略は今の国会議員団より僕の方がたけている」と断言した。
いったいこの人どうしちゃったんでしょうか。
前はもっと政治に対して基本的な部分は最低限理解していたようなコトを言っていた気がするのですが、それはただのやえの勘違いだったのでしょうか。
それとも選挙を前にして化けの皮が剥がれてきたのでしょうか。
まぁそれはともかくとしましても、さすがにこれはダメです。
こんなのはただの権力欲の塊としか言いようがなく、独裁を宣言したようなモノです。
なぜなら、国会議員は国民の選挙によって決めると定めている制度が民主主義であり、日本は民主主義の国だからです。
能力が長けているとか、そういう問題じゃないんですよ。
民主主義というのは、個人の能力とか知識とか学歴とか、そういうモノの以前の問題として「国民が決めた人が国会議員になる」という前提がまず最優先であるという制度が民主主義なのです。
もちろんですよ、国会議員には能力が高い人の方がいいに決まっています。
それはそうですが、しかし能力よりも「国民による選挙の結果」の方が上位の価値として位置づけているのが民主主義なのです。
この順番を間違えてはいけません。
そもそもですよ、その「能力」の高低というのは誰が判断しているんですかってお話なんです。
誰が橋下さんの国会議員としての能力が高いと判断したんですか?
橋下市長は、自分で能力が高いと言っているだけの言わば自称ですよね。
国政を担う人を選ぶってコトは、その能力のあるなしを誰が判断できるのかって問題です。
もしこれが王政の国家であれば、そして橋下さんが国王であれば、それでいいですよ。
王国とは文字通り王の国ですら、だれが国政を担うのか、そしてその部下としてだれを登用するかっていうのは全て王が決めていい制度です。
つまり王政の場合の「能力の高低を誰が判断するのか」っていう問の答えは、「王が判断する」となるワケです。
では民主主義制度の国においては誰が判断するのかと言えば、そうですね、国民です。
国民が「この人は国政を担うに適切だ」と判断する行為が選挙なワケです。
例えば時々「国会議員は試験で決めろ」と言う人がいますが、この場合その試験の問題は誰が考えるのかっていうお話になっちゃうんですね。
ではその試験の問題を考えた人が一番えらいんですか、しかしその人はどういう資格でその試験を考えているんですかってお話になるんですよ。
もっと言えばですね、民主主義とは知識がなくても見識がなくても学歴がなくても、かなり砕いた表現を使わさせていただくなら、バカでもアホでも有権者に選ばれさえすれば国会議員になれるのです。
だから、国民が「国政を担う能力がある」と判断すれば国会議員として選ばれるワケで、大切なのは「国民が思うか否か」であって、実際に能力があるなしはここでは実は問われていないんですね。
まぁそれは王政でも同じで、「能力がある」と王様が思えば登用するだけであって、思うだけで登用されるワケで、場合によっては有能すぎて命を狙われたなんて歴史上いくらでも例のあるコトですから、結局「実際に能力があるかどうか」なんていうコトは問われないんですね。
そもそもそんなコト、神ではない人間のみで判断できるワケがないワケで、だからつまりは「それを誰に判断させるのか」というコトが国政には常に問われるのです。
そしてその答えとして、民主主義では「国民に問う」としているワケです。
それが民主主義なのです。
民主主義とは民が主役の制度なのです。
エリートである必要はありません。
全ては主権者たる国民次第の制度なのです。
ですから、「国会議員団より僕の方がたけている」と言われても、そんなのは全然一切関係が無いとしか言いようがないんですね。
あさっての方向にしか答えが出ていないのです。
こういうコトを言えば言うほど、やっぱりと思うのです。
やっぱりこの人は独裁がしたいだけなんですねと、しかも責任は取らないけど権力だけは振るいたいという最悪の形での独裁がしたいんですねと、橋下市長が口を開けば開くほど強く思わざるを得なくなってしまうのです。
政策以前の話なんですよねぇ。
ディスカッション
コメント一覧
おはろーございます。
ツイッターにも書いたのですが、こっちにも載せておきます。
別にやえは維新の会を法令違反だなんては言ってませんよ。
橋下さんと維新の会のシステムが独善的な独裁システムだって指摘してるんです。
その中で納得されて議員さんが所属されるのは自由じゃないですか?
それは別に問題視してません。ただそれと橋下さんがシステムとして独裁しているのは別問題です。
維新の会はシステムが独裁的で橋下さんが独裁してますねっていう指摘です。
常々疑問に思っている事なんだが、地方自治体の長が国政に介入しようとしている危険性を誰も指摘しないのは何故だろう。
アンチ橋下ですねぇ~~(笑)
橋下徹が国会議員を統率しても何の問題も無いですね。
橋下徹が暴力や脅迫をもって国会議員を統率しているなら別だけど、国会議員が自らの意思で橋下徹に統率されるのですから。中国のハニートラップに掛かり、それを元に脅され従った某元首相のような主従関係とは違うのだから。独裁でもなんでもないですよ。
基本的なコトを忘れているようですが、日本維新の会の国会議員は、同会に所属する限りにおいて橋下徹に統率されるのであって、同会を脱退する自由はあるのです。実際、彼らが日本維新の会に移るにあたって、民主党・自民党・みんなの党は彼ら議員の自由意志を止めることができなかった。日本維新の会や橋下徹にしても同じこと。そもそも、衆議院選挙後の代表選挙で橋下徹が選ばれる保障すらないのに、独裁なんてできるわけがない。
そして、日本維新の会は、「大方針は代表、国政は国会議員団、地方自治は各首長や自治体議員団で分権」と規約にして総選挙に望むのです。そいういう関係を公にして国民の信を問うて当選したら、その上下関係は国民の追認を受けることになるのです。
「全ては主権者たる国民次第の制度」と言いながら、その言葉の意味を御自身が噛み締められるべきかと思いますね。