民進党が向き合うべきは自民党ではなく国民

 前回や前々回の更新に対するコメントや、ネットの様々なところでの反応を見るに、民進党の人達やその支持者、支持者でなくても反安倍の人や反自民の人達というのは、ちょっとズレてるというか、向いている方向が違うんですね。
 
 「民進党は言っているコトとやっているコトが違う」「他人に厳しく自分に甘い」などという指摘に対して、「自民党の答弁が矛盾しているじゃないか」と返されても、確かに言葉面だけの「矛盾」という部分に対しては合致点があるのかもしれませんが、しかし中身で考えればそんなの全然関係がないお話でしかありません。
 勘違いして欲しくないのは、それはそれとして安倍総理や自民党の発言が矛盾しているとその人が思っているのであれば、それ自体は構いませんし、自分のブログやツイッターなどで発言されるのもいいでしょう。
 それ自体は当然の権利だと思いますし、安倍総理や自民党に間違った点があれば指摘するのは国益に適うでしょう。
 それは個人の自由ですから、それについてに関してはやえがとやかく言うコトではありません。
 ただ、「民進党は言ってるコトとやってるコトが違う」という指摘に対する反論には一切なっていませんよ、というところはキチンと理解する必要があると思うんですね。
 
 特に民進党の一番嫌われている部分である「言ってるコトとやってるコトが違う」「他人に厳しく自分の甘い」というのは、民進党が他人に向けて注文を付けているという点が大きいのです。
 他人に対しては清廉潔白でいろと注文を付けるくせに、自分はドドメ色な上に、それを指摘されると激高するか無視するかするんですから、国民はこの態度に腹を立てるワケです。
 この点において安倍総理や自民党の全く別の件なんて一切関係がないんですね。
 仮に本当に安倍総理の発言が本当にデタラメであったとしても、それで民進党の「自分に甘い」という批判がかき消されるモノでありません。
 まったく関係がないんですね。
 特に「他人の注文を付けている」という構造上、対して「安倍総理は矛盾している」というのは“一個人の意見や感想”にすぎないモノよりも、より強い嫌悪感を感じやすいというのは、冷静に受け止めなければならないでしょう。
 
 そしてそれは、なにより国民や有権者がどう受け止めるのかというお話に帰結するんですね。
 「民進党はこういうコトから、言ってるコトとやっているコトが違う」という指摘に対して、「安倍総理の答弁の方が矛盾してる」と反論したとしても、結局国民にはその声が全く心に響いていないんですね。
 むしろますますそれを見ている国民としては嫌悪感が募るだけです。
 これがまだ民主党政権崩壊直後ぐらいなら、そういう指摘もいいでしょう、それが後々民主党や民進党の支持に繋がるかもしれませんからね。
 しかし、民主党政権が倒れて何年が経ったでしょうか。
 その間民主党と民進党の支持率はどうなっているのでしょうか。
 いい加減現実を見なさいと言うしかありません。
 そんな願望は甘い夢想でしかないと認識しなければなりません。
 国民や有権者は民進党に「他人に厳しく自分に甘い」と、もう認識されているのですから、そこから打破するためには自分で自分の身を律するしかないハズなのです。
 ここに自民党などの他人の存在が入り込む余地はありません。
 自民党への批判や反論も意味がありません。
 民進党は「他人に厳しくするなら、自分にも厳しい」という姿勢を、自らの言動で示すしか方法はないでしょう。
 それなのにその国民の「目」から逃げるように自民党がー安倍がーと言うだけなのが民進党なのであり、それでは支持は全く集まりませんよとそう指摘するしかありません。
 果たして民進党は何のために政治を行おうとしているのでしょうか。
 
 民進党がいま向き合うのは自民党なのではなく国民なのです。
 国民に自分たちにどう「政権担当能力があるのか」を示さなければなりません。
 民主主義には健全な野党が必要だというコトは改めて言うまでもないとは思いますが、では民主主義における野党とは何かと言えば、それは「いまの与党に代わる政権担当能力を有する政党」であり、「選択肢」なんですね。
 もちろん選択肢は与党の中、自民党の別の人や勢力でも構いませんが、だからといって野党は政権担当能力がなくてもいいとはなりません。
 民進党は、いくら安倍総理や今の内閣を批判しても中傷しても全く意味ないという現実をキチンと認識し、本来の健全な政治のあり方としては自分たちはどうあるべきなのかというコトを理解して欲しいと思います。
 少なくとも「アベタオセ」だけではなんにもならないでしょう。