失敗(民主党)から学べ 1

 失敗はいいコトではありません。
 特に民主党政権がメチャクチャにした政治は、いくら政権が自民党に戻ってきたといっても、それだけですぐに元通りになるワケではありません。
 ヘタをすれば3年で壊したモノを元通りにするだけで10年以上もかかってしまう案件もあるかもしれません。
 沖縄問題とかですね。
 特に民主党の政治なんて、民主党が政権を取る前から散々警鐘が鳴らされていた上でのコトであり、その取り返しのつかなさの重大さは果てしなく大きいと言わざるを得ません。
 
 しかし、いえだからこそと言うべきでしょうか。
 せめて失敗から何かプラスを見いださなければならないのではないでしょうか。
 失敗をただの過去のモノとして臭い物に蓋をして無かったコトにしても、それはマイナスが残るだけです。
 ですから失敗をせめて教訓にして、差し引きゼロには全くなりませんが、ちょっとでもプラス方向になるよう考えるべきだと思います。
 特に、いまさら民主党に対してどうこう言っても始まらないのですから、ではなにを教訓にするかと言いますと、それは国民の政治に対する意識とか見方の問題について考えたいのです。
 国民の政治に対する見方や批判など、それが果たして適切なモノだったのかどうか、逆にそれを口にするコトで国民のための政治のハズなのに国民自身が政治の足を引っぱるコトになってしまっていたのではないかと、そういう部分について、今こそ考え直す時なのではないでしょうか。
 
 というワケで、「失敗(民主党)から学べ」です。
 第一弾目は「政治は誰がやっても同じ」という考え方についてです。
 
 つまり失敗を経験した日本国民は、「政治は誰がやっても同じ」という考え方が間違っていたコトを学んだハズです。
 誰がやっても同じであれば、民主党政権はここまで「失敗だった」とは言われません。
 実際、安倍さんが総理になって、いえ、なる前から円高の問題や日銀の問題を口にしただけで株価などが動いている現状を目の当たりにすれば、「政治は誰がやっても同じ」というセリフがいかに空虚で中身のない言葉なのかが分かろうというモノです。
 仮に民主党政権が夏まで続いていたとしても、このタイミングで円安が進み株価が上がるなんてコトは絶対に無かったでしょう。
 この1点だけもっても「政治は誰がやっても同じ」とは口が裂けても言えないハズなのです。
 
 沖縄の問題にしても、領土問題にしても、経済にしても、国会運営にしても、自民党政権時と民主党政権時は全く違いました。
 自民党政治から変える、と意気込んで民主党は政権を取りましたが、確かに変わったコトは変わりました。
 負の方向に変わったワケです。
 本来国民はこの時点で、それは悪い方向ではありますが、「政治は誰がやっても同じ」というセリフは間違っていたコトに気付かなければならないのです。
 負の方向であっても変わったコトは変わったのですから、それだけで十分に「政治は誰がやっても同じ」というセリフが間違っていたコトが証明されているからです。
 それなのになぜ民主党政権末期にこのセリフがもてはやされたのでしょうか。
 
 結局このセリフというモノは、どうしても自民党を攻撃したいマスコミのタダのレッテルだったワケなのです。
 民主党政治で十分に「政治は誰がやっても同じ」が間違いであるコトは証明されているのに、どうしても自民党を攻撃したいがために、「政治は誰がやっても同じ」と言って「自民党も民主党も同じだ」という民主党のマイナスイメージを悪用しての自爆的な印象攻撃をしかけていただけなんですね。
 「政治は誰がやっても同じ」というセリフに根拠はありませんが、「政治に対してはナナメから見た方がニヒルで格好いい」というよく分からない風潮に乗っかるコトができるので、そのような攻撃を仕掛けたのでしょう。
 そしてこの企みは見事に成功し、いまでもそのようなコトを口にする人は少なからずいます。
 でもそれは、全く本質から180度もかけ離れている、恥ずかしいセリフだというコトに気付かなければならないのです。
 
 国民は失敗(民主党)から学ばなければならないのです。
 民主党政権と、それ以前の自民党政権と、そして新しい自民党政権と、これだけ比べる要素があるのですから、キチンと比較して、その言葉は本当に正しいのかを検証しなければならないのです。
 そうしてこそ、マイナスしかなかった民主党政権ですが、それをただマイナスに行きっぱなしにするのではなく、ちょっとでもプラスに戻すよう国益にかなうような動きになるのではないでしょうか。
 
 
 では次回は「日本は官僚が牛耳っている官僚政治だ」というセリフについて検証したいと思います。