野党を見極めるのも国民の責任

 「民主党に騙された」と言う人がいます。
 少なくない人数、民主党を与党にしたコトについて、3年前の選挙で民主党に投票したコトについて、そう言う人がいます。
 「あの時は期待したが、こんなにひどいとは思わなかった」と言います。
 まぁ本気でそう思っている人もいるでしょうし、また過去のコトをいつまで言っても仕方ないですし、いくらその責任を追及しても過去に戻れるワケでもありません。
 責任を感じる感じないの問題はあるにしても、結局は今後どうするかにかかってくる問題ですからね。
 だから今度こそ、野党という存在に対する評価という点について、国民は真摯に考えなければならないでしょう。
 
 与党に対する評価の仕方は、いまさら言うコトもないですよね。
 最終的には「結果が出せるかどうか」です。
 でも野党は結果が出せません。
 なぜなら行政府には関わってないのが野党だからです。
 野党でも議論はできますが、役人という実現世界に直接干渉するための手足を野党は持っていませんので、野党は「結果を出す」というコトが不可能です。
 よってこの視点での野党への評価を下すコトができません。
 ではどういう視点が必要となるでしょうか。
 
 要は「その政党が主張している内容の実現可能性」を判断して評価する必要があります。
 「民主党に騙された」と言う人は、つまりその民主党が主張していた政策が実現可能であると信じていて、でも結局出来ませんでしたと言われたから「騙された」と感じているワケですから、それを教訓とするなら、やはりその主張が実現可能かどうかを判断しなければならなりません。
 もちろんの主張している政策が実現した時、日本国にとって日本国民にとって利益になるかどうか、国益になるかどうかという点は大前提としてあるワケですが、そこが良くても、その上でそれが絵に描いた餅であれば全く意味をなしません。
 いえ意味を成さないばかりか、鳩山総理のトラストミーのように、絵に描いた餅は時に国益を大きく損なわせるコトだってあります。
 ですから「その政策は実現可能かどうか」は、政党を選ぶ際に大変重要な問題なのです。
 
 間違っても「ここの政党はまだ与党になったコトないから、試しに一度やらせてみよう」なんて、思考放棄にしかなってない考え方で政党を選んではいけません。
 民主党が与党になる前に散々喧伝された考え方ですが、結局この考え方というのは、「実現可能かどうか」という思考と責任から逃げるコトにしかならないのです。
 民主党政権の場合なんていうのは、ちょっと考えれば実現は不可能だというコトは簡単に分かる、それは当サイトで散々指摘してきたコトですから、簡単に分かるコトでしたが、しかし多くの国民はそんな簡単な思考と責任から逃げて「試してみよう」なんて思考停止と責任に逃げてしまいました。
 それはまぁ今更しかたないにしても、では一度その失敗を味わった以上は、もう二度と同じ過ちを繰り返さないようにしなければなりません。
 「試してみよう」ではなく、自分の頭で「実現可能かどうかを考える」という責任を果たさなければなりません。
 
 現在の日本における野党とは、政権交代の可能性があるという視点では、もはや死に体の社民党や自他共に万年野党だと認める共産党は除き、民主党か日本維新の会かみんなの党の3つに絞られると思います。
 そしてそれら野党を評価するのであれば、ただ攻撃的なだけだったり、結果だけをバラ色かのように言うだけなような主張では評価に値しないと言うしかありません。
 その3党がいまのところそのような評価を下さざるを得ないかどうかはもうちょっと時間をかけて見てみる必要がある、与党に戻った自民党に対してどう対峙していくのか、その中で選挙中に公約として掲げた政策との整合性の中でどう主張していくかを見極めなければなりませんから、国会などを通じてもうちょっと時間をかける必要があるとは思います。
 思いますが、間違っても「いいコト言うから一度やらせてみよう」なんて思考停止だけは責任ある国民としてはしてはいけません。
 キチンと実現可能かどうか、ひとりひとりが見て聞いて判断してほしいと思います。
 
 言うコトがコロコロ変わったり、その場限りの空気に迎合して耳障りのいいコトしか言わない政党は、与党であっても野党であっても評価に値しません。
 与党の結果を判断するのも国民の責任ですが、野党を見極めるのも国民の責任なのです。